line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年07月26日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

VOL23.4

    花見三昧

  深沢の桜、多摩川沿いのさくら、そして目黒川の桜と、今年は観桜のおもだった場所を近くに選定して妻と一緒に出掛けてみた。見ごろのタインミングが良かったのかもしれない。多摩川の堤の土手に咲く桜は見事であった。土手の傾斜に沿って桜の枝が斜めに這っているので、古木でありながらしだれた花の枝にふれて、観桜することができて圧巻であり、殊のほか風情が落ち着いて満喫できた。深沢の花は、もと呑川の川沿いにあったもので、川は暗渠工事で下に埋められおり、その上は今は緑道に変わっており都民の憩いの場所に供されているが、実はこの呑川が世田谷区や目黒区、そして大田区と言った地区に流れているわけで、途中にあるのが、かの有名な目黒川の桜並木になっている。今回、妻と観た桜の名所はそれぞれ個別に成り立っているが、元をただせば一つの源流に繋がっているわけで地区によって花の見ごろも微妙に変わっているから面白いのである。空が青くて桜がきれいだわと行く先々で感嘆している妻であるが、それ以外に褒める言葉がないのが実際である。 雀までが小躍りしているようである。そして都会のなかに忽然と現れた、目黒川の川沿いの桜である。至近距離にある地下鉄中目黒駅は、ホームから人込みで混雑が激しく、うっかりしていると足をすくわれそうである。花見の客がホームから線路下に落ち、ガードに落ち、街路に落ちて目黒川へ入水と、落語に出てくるような話にもなりかねない。人ごみでの花見、今様の観桜の様子である。   4月2日


   目まぐるしく変わる世界

思惑に走るこの世は翻弄に短きこの身のやんごとのなき

やんごとのなきこの世にて安らぎを覚へて迎ゆ復活祭なり

新緑の青葉若葉の日を迎へ目にもさやけき青き空かな

一枚の花弁に気付く存在の宇宙の掟知りておぼろに

我れが身の塵にも及ぶことのなきされど意識の宇宙にも増す

トランプの罪状認否の行わるアメリカ史上醜態極む

訴追さるまま大統領の選出に立つトランプの醜態なりき

重罪の輩を支持すやから居て同じむじなと他人の言いけり

元ポルノ女優の買春がばれて尚居直る奴のヤンキー魂

嘘つきのこの大金持ちの政治家を所得の低い者が支持せり

民主主義国家を名乗るトランプが議事堂襲撃を先導すとは

トランプの34にも及ぶ罪状のはらわた黒きやから跋扈す

訴追さる人がそのまま政治家に立つ国家とはどの国のこと

大統領選挙の日々に迫りくる準備に険し両党候補の

トランプの悪名高き人柄の米大統領に合うや否かと

さまざまに果たす美名も汚れはて汚物残骸のみの目立ちて

罪名も脱税、買春、動乱と悪の全てを丸のみにけり

清濁を併せのむとも古くより大人(たいじん)なるの要諦なりも

よくも言ふ悪く言ふも人の常、混濁の世を渡り行くにも

共和党議員の良識も疑ひぬトランプ以外に候補者のなき

    またも暴漢に

   15日のお昼近く、三重県和歌山市の小さな漁港で、演説中の岸田首相が暴漢に襲われた。幸いに事なきを得て無事であったことが救われる。事件は、衆議院補欠選挙で首相が応援する遊説先で起きた。現場で、群衆に紛れていた男が筒状のものを首相に向かって投げつけた。無謀な行動を見て取った漁師らが、勇敢にも即座に犯人を取り押さえた。首相に向かって投げられたパイプ状の爆発物は、間もなく爆発した。首相に向かって投げつけられた爆発物の物体が地上に落ちてから爆発する前に、首相は間一髪、警護に当たっていた警護官とともにその場を逃げたので、幸いにも難を避けることができた。爆発物が着地と同時に爆発していたら、直ちに人的被害が生じていたであろう。一歩間違えば大惨事である。

  活動中の岸田首相そのまま現場を離れ、重要な選挙運動中の活動と称して予定する次の会場に向かった。犯人はその場で現行犯で逮捕されたが、選挙応援の演説中に起こった首相襲撃事件は、民主主義の破壊であり以て言語道断、卑劣極まる重大犯罪事案である。捕まった容疑者は24歳と云い職業不詳で、黙秘を行使しているという。

   選挙演説中に起きるこうした事件は一部の突出した事案であって、自由で公正な民主主義運動を根底から妨げることがあってはならないが、市民による健全な社会思想を危険な方向に仕向けていく要素があって危惧すべき風潮である。安倍元首相の狙撃事件から幾何も経っていないこの時期に、又してもこうした案件が白昼公然と行われることは憂慮すべきであり慙愧に耐えぬところである。この種の暴力的犯罪行為は、得てして成り上がり分子による事案で、単独の犯罪行為に走ることが多い。その分子には得てして社会から疎外されたものに在って、日常的に鬱積する精神状態にあって漸次反抗的になって、時に自己顕示を以ておのれの独善的自己存在の満足を果たしたいとする社会的行動をとる傾向がある。多くが思想的背景とか、組織的犯罪から外れて自己顕示欲の強い人物で単独行動に走るのである。こうした傾向はこれからますます増加する風潮にあることに警戒すべきである。

  例えば、AI化する社会に遅れをとって焦燥と疎外感に陥る人間が、街なかに放り出されていく傾向は昨今の社会に顕在化しつつある。都市化されていく中央と、置き去りにされていく地方の格差が拡大されれば、その格差を埋めるべき人間が放浪することはある。住所不定、職業不詳と称する放浪族である。こうした階層はごく少数にとどまって居るかどうか判断は難しいが、経済社会のよって立つ場合が多く、そうしたところに時の政治とかかわりが生じてくる可能性は否定できない。若者の意思表示の反映が、狭隘となってゆがんだ結果をもたらすことがあるかもしれない。政治と経済のよって立つところが、こうした分断の狭間に立つ放浪層の解消に在り、以て正常な経済社会を組み立てていく場合に考慮すべき点である。    4月15日

岸田首相並びに警備の機転にて爆発物の危機を逃るる

投げらるるパイプ爆弾の破裂より避けし首相の幸ひなりき

和歌山の漁港に立ちて演説す首相に対しまたも凶弾が

我が牙城の民主と自由の発言を裂かんとするや凶悪の徒ら

何時の世も凶悪犯の絶えざるに要人警護の策は要に


G7外相会議の閉幕

  岸田内閣の中でも一番安定感のある林外務大臣だが、5月に広島で開催されるG7サミット、
首脳会議の議長国を務める日本の重責に先立ち、G7外相会議が三日間の日程で軽井沢で開催され、昨日閉幕して共同声明を発表した。国際社会の平和維持と期待と、その実現に向けた一糸乱れぬ連携の行動宣言である。G7は議長国の日本を始めフランス、イギリスあ、アメリカドイツ、イタリア、カナダにEU欧州連合が加わって行われた。一見してメンバーの中には外相を務める女性がメンバーの半数を占める様子に華やかさが伺えて素晴らしかった。

  林外務大臣は共同声明を発表する席上、G7として初めて、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序へ積極的に関与していくことや、世界のどこにあっても力による一方的な現状変更の試みに強く反対することを、文書を以て明確に確認することができた」 と明言して、成果を強調した。

  共同声明では、ロシアのウクライナへの侵攻に対し、最も強い言葉で非難し、ロシア軍のウクライナからの即時撤退を求めることで一致した。また中国に対しては積極的に問題に関し関与していくことを念頭に、他方、中国が国際社会に一員として責任ある行動をとることを促し、グローバルな課題や、共通の関心分野についての共同作業について協調していくよう提言した。又、台湾問題に関しては、中台問題が武力に依らず、平和的解決をもって両国関係を発展させることを強く促した。共同声明では、そのほかに中国の新疆ウウィグル自治区やチベットの人権問題又、香港の問題についても懸念を表明している。北朝鮮については、前例のない弾道ミサイル発射などを非難し、核軍縮や不拡散についても行動計画に言及している。そして今後もG7が果敢に、世界的なリーダーシップを発揮していくことを確認している。

薫風そよぐ軽井沢は今、輝くばかりの新緑にあふれて、絶好の行楽日和を満喫する時にある。天候も幸いして快晴に恵まれ、爽快な白樺林の先には、浅間山がまじかに臨め悠然たる気概に満たされるはずである。軽井沢は別荘地とした名高い避暑地であり気品に満ちたところである。しかし古色蒼然とした日本独特な情緒を味わう名所旧跡といった場所とは違って味わいに深みがないところが惜しまれる。出来れば外相たちには別なところに移動してもらい、日本的情緒に親しんでもらえば望外の満足といたすところである。

 今回の会議では、G7の外相たちが一堂に会し混迷する世界情勢を議論を重ね慎重に検討して、世界の平和の希求と、世の繁栄を願って、的確な指針を示して内外に発表したわけである。清冽な避暑地の軽井沢を択んで、天地無窮の自然の中で、混とんの世界を論じ、秩序ある平和な世界を築かんとするG7の紳士淑女たちの英知が見事に実現されて、世界が平和の裡に繁栄して人類の生存がこれから先、平和と自由と安寧につながっていくことを、浅間の大空高く掲げたい気分で国際会議の成功を祈っている。
                                    4月18日
浅間山臨むいかすな街に来てハイカラな味たしなむも良し

新緑のかがやく果てに浅間山裾にながびく煙り見るかな 

G7外相会議の開かるる浅間の山の初夏の山荘

混とんの世界情勢を大観し平和と栄の秘策求めて     4月19日 

杉田大翁を偲ぶ

  若いころ大変お世話にあって我ながら大いに啓蒙、触発された人のお一人に、桑原啓造さんがいる。当時横山町の問屋街に花生堂という名の化粧品問屋を経営し、全国に手広く商いをしていた名門である。桑原さんはそこの相談役をされていたが、事実上、社長をされていたようである。ご長男が専務を務めた居た。浅草橋から馬喰町、小伝馬町にかけては古くから問屋街で賑わっており、周辺は当時から比較的鉄筋コンクリートのビルが立ち並んでいたが、花生堂は木造建ての平屋ではなく二階建てだったと思う。店は表通りから品物が高く積みあがって奥の方までそうした状態が続いており、その奥まった辺りにガラス戸で仕切った六畳間ほどの社長室があって、お店に訪ねて行くといつも桑原さんはそこに悠然とした感じでテーブルに構えていた。確か羽織をいつも羽織っていたように思う。羽織の生地も大島紬で見るからに贅沢なものであった。厳しい表情をされていて店の従業員にとっては近づきがたい存在であってようだ。贅を排して質素な、質実剛健といった店の気風が社訓としてうかがえたように思う。私は訪ねていったときは仕事中の専務が直ちに私を社長室に招き、何か特別扱いしてくださっていたように思う。そうした御仁にお目にかかるのに、本来なら恭しく社長室に入っていくべきところ、桑原さんと目を合わせると桑原さんの方から眼鏡越しに小さな目をにこにこさせながら招いてくださるので、初めからにこやかにリラックスした感じで対面することになってしまうくらいであった。眼鏡のフレームは黄色の飴色がかった鼈甲の分厚いものだった。従業員が忙しく立ち回ってまるで倉庫のような雑踏とした店内にあって、小さな社長室だけは何とも言えない高貴な気品が漂っていたのである。私はいつも礼を正しては笑顔を以てお目にかかり、大先輩に対し自ら尊敬する社長に対峙していたのである。

  桑原さんは私が、浅草で古くから履物問屋を営む家系の出身であることに大きな信用を置いてくださったようである。[あきんど] という信用第一にお客に接するといった信念みたいなものがあって、私にもそうした血筋のようなものがあると察して安心してくださったのかもしれない。以て先祖のありがたさを身を以て感じた次第である。修行時代に体験して得た教訓であり、当たり前なことながら今日に於いてもその厳しさを忘れないで有難く思っている。慧眼を以て任じた桑原さんの経営方針もさることながら、桑原さんのお目にかなって御用を承り、しかも全幅の信頼を以て一任された恩義を感じて、一生懸命に報いようと努力した当時を懐かしく振り返るのである。夜遅くにご自宅に伺ったことがある。田園調布にある優雅な屋敷で敷地も広くあった。天然の石垣を積んで屋敷を囲み、木造二階建ての古色蒼然とした昔風の大きな建物で、豪壮極めた青石を配し、銘木を植える庭に貫禄を覚えた。器のでかい人柄を思わせるものがあった。道路を隔てて日銀総裁をしていたY氏のご自宅があったが、如何にも小さく簡素な感じがしたくらいである。そんな桑原さんは、若造の小生をご自宅までに引き入れて下さった。桑原さんからは厚い信を得て、商売のことで熱い関係が続いたのである。

  その後桑原さんは会社経営の第一線から退かれて、ご長男と、常務をしていた次男に経営の一切を任せてご自分は悠々自適に過ごされていった。厳父については、たやすく人を迎え入れる人でなかったことを良くご存じの息子さんのS氏も、厳父からの繋がりを以て小生と親しく接してくださった。横山町に老舗を構えた化粧品問屋の花生堂としても有名だが、歴史を誇って今も隆盛を極めているものと信じている。ご長男については、その後ご親戚の紹介を受けて目黒の住んでいらっしたS翁を紹介された。もと大蔵省の造幣局長をされていた。S氏によって、軽井沢の避暑地を知るようになった。別荘を持つ、味の素の常務を長年務めたK氏の奥さんを通じて軽井沢をの地も更に知るようになったが、Kさんも代沢の大きな屋敷に住んでいる。そんなあこがれもあって、小生も軽井沢の一等地、南原往還に土地を求めることにもなった。調べてみると、世間で有名な人達ばかりが周りに住んでいることも分かって、身の丈に合わずと、はばかりながらと思いつつ所有してそのままになっている。それもこれもと造幣局長をされたSさんとも懇意になって、何かとお世話になり感謝している歴史がある。

  先日、家内とさくらを見に深沢の地を巡っていたが、花びらに浮かれていつの間にか閑静な八雲の住宅地に車を走らせていた。桑原さんの長男Sさんの住宅は確か八雲であった。そして高等学院時代の親友だった川滝君の住まいも、この近くの柿の木坂に大きく構えていた。同じく親友だった山口君も緑が丘に住んでいた。悪友の仲間を演じてきたといっていいほどの高木新二郎君は比較的住居を転々としてきたが、最後は久が原の豪邸に収まった。他にも思いめぐらす人たちもいるが、惜しむらくは多くが鬼籍に入ってしまっている。

  思いめぐらすと色々な関係で良き人の縁の繋がりを得て、私も若くして下町の浅草から世田谷の等々力の地に縁あって移り住み、自分の会社を中央区の八重洲に構えて生計を立て今日まで来ていることを何げなく思い込んで感謝している次第である。昔のこと、浅草から母が町内の友達を連れて拙宅に遊びに来た時がった。軽井沢に来ているみたい,.とつぶやいていたことが今も耳に残っている。 そして沢山あった緑の畑や、きれいな植木畑の緑地帯が、やかましい住宅地や駐車場に変わっていく様子を目の当たりにしてきている。それでも季節には折々の風情を楽しめて恵まれており、いまだにウグイスの高なきを聞くことができて幸いである。   4月25日
                                          
  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ