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理事長室より
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理事長室より

Vol.12-07 消費税の値上げ、そしてマニフェスト

 消費税の値上げ、そしてマニフェスト

 時代とともに、世の中の流れとともに、人の気持ちも、見方も、考え方も変わってくるのが世の常であります。ましてや最近のように世の中が狭くなって、人の行き来も激しくなって、行き交う情報も数多く激しさを増してくると、昨日通用したことが今日は否定されているといったことも不思議ではありません。それほど目まぐるしい世の中に置かれて私たちは生活しているのが実情です。目を開けている間は、ちょっとした気の緩みも許されません。だからこそ、そうした時に不動の信念、ゆるぎない確信といったことが必要になってくるのでしょう。右顧左眄した生活では、先を見据えて目的貫徹の道筋を描くことはできなくなってしまいます。
 自由と民主主義の社会では、多数決によって国民の最大多数の最大公約数を求めて、これを実現していくことに主眼が置かれています。政党の掲げるマニフェストは、選挙を通じてこれを国民に訴えて公約したもので、政権政党になった場合これを実現していく使命と責任があります。そこで消費税の値上げは民主党のマニフェストになかったもので、野田首相は公約になかったことに対して、自分の政治生命をかけてこれを実現すると胸を張って国民に訴え続けてきました。だとしたら選挙の時に消費税の値上げをマニフェストとして掲げ、国民の審判を仰ぐのが政党政治としても大前提ではないかと思うのです。国民は、選挙の時に民主党は政権を担当した時に、どうゆう理由で消費税の値上げを何パーセント、いつから行うということをはっきりと国民にその信を問うべきでした。しかしそれをしないで多くの議員を当選させ、政権を担当するに至ったのです。当選を果たした議員諸侯は、選挙民と約束して来なかった重要な案件を突き付けられて戸惑っている者もいたことでしょう。
 いざ政権をとってみたら手の裏を返すように、与党民主党は反対政党の自民党が主張していた消費税の値上げを言い出して、何が何でも今国会で成立させるという行動に出て、公明党の賛同を得、大きく修正をしてこれを今国会の衆議院で可決させました。しかも反対政党の自、公、民合意の上で法案を作りました。これに与党の民主党の一部が反対して国会の採決の場で反対投票を投じて、民主党の票が割れる結果となりました。議会主義・民主政治のもとの政党としてあるまじき行為であります。ただ諸費税率の値上げと社会保障の一体改革といった問題は、現下の日本では重要な課題であります。国債の発行に慢性的に依存するようになったことにかんがみ、これを是正することは政権与党としての責任と主張することもできるかも知れません。ところが社会保障の一体改革の問題は先送りされて、消費税税率の値上げのみが先行して決められてしまったという異常な事態は国民感情として釈然としない点であります。もとより財政再建問題は、日本のみの事柄ではなくなりました。世界各国が等しく見舞われて今や国家存立の大問題となってきている事柄です。マニフェストの呪縛を受けていると、現実には硬直した政策に国も国民も翻弄されていってしまうことにもなりかねません。

 間隙をぬって躍り出たのが壊し屋の異名をとる小沢さんです。やっぱり、とうとう出てきました。小沢さんも70歳の年です。体力の限界は避けることができません。いつまで若いつもりでいたら、道を誤ることにもなりかねません。おそらくこれが最後の出番となるでしょう。政治生命をかけた野田さんと同様、小沢さんも離党に政治生命をかけて打って出ました。いままでの歴史を顧みて、国民をないがしろにした政党政治での離合集散を演じて、コップの中の嵐で、ちょっとした権力闘争の茶番劇に映る一幕であります。しかし消費税に反対票を投じた議員は70票台に乗せました。最後の決断に民主党を出た議員諸侯は衆議院で38名、参議院で12名、計50名が民主党を離党しました。これを以てまず小沢さんは新党を結成することでしょう。こうした流れを見た渡辺恒三爺さんが、「彼は優秀な政治家だけど、これでもうおしまいだな」といったことについてNHKの論説委員が日曜討論の席上小沢さんにどうお考えですかと尋ねたことにたいして、「それは国民の皆さんが決めることであって何ら気にならないこと」と切り捨てたところはさすがであります。また政治は力なりと称して、力は数なりとするところを正されて曰く、「それはあくまで民主主義のもとでです」と付け足して数の論理を肯定しております。これがややもすると金権政治につながって連想されるのでしょう。議会は多数決で決められていきますが、そこに少数の意見にも耳を傾けていくという雅量が必要であります。少数つまり、弱きものに対する配慮といったことも大事であります。
  ただ小沢さんの行動には風格とか貫禄とか言ったものとは違った、何となく古いタイプの権力志向の、暗い政治家像をイメージさせるところが難点であって、これを現代的に素直に訂正したほうがいいのではないでしょうか。暗さが昂じると陰湿になりかねません。舞台裏の策士と思われては、真の政治家としての務めは果たせません。耄碌してきた爺さんの言葉を気にすることもありませんが、これでおしまいといわれることのないように、小沢さんはもっと明るく、笑いながら舞台の表に出て、先頭に立って実力を示し、国民に判るような政治行動をとってもらいたいものです。いつも世の中の大きな変化の時に登場して大きな役割を果たしてきていながら長続きせずに尻つぼみしてきております。最後に活躍する場面到来かもしれません。大震災に見舞われて、放射能汚染に苦悩する日本の進路は、多事多難であります。国民のため、国のため才能を発揮してしてほしい現代政治家の一人であります。

 リーマンショック以後、景気立て直しに各国は連携して大型の財政出動を余儀なくされました。それによって民間経済は事業に活路を見出し、景気回復に道筋をつけることが出来ました。もちろん無駄を省き、経費節減を行い、身を削るような合理化を行って企業の再生に努力しました。新しい事業の展開も勇敢に試みました。創意工夫の発揮であります。ところが国は、財政の膨張を図ったまま、民間が骨身を削って行ってきたような努力を怠り、放漫財政の垂れ流しを怠惰に続けてきたままなのです。国の借金はそのままに残ってしまいました。税収をはるかに上回る国債の発行に頼るばかりの財政しか組めなくなって、国債残高は増えるままであります。状況が目まぐるしく変化しました。マニフェストを破ってまで取り組まなければいかなくなったのが現状でしょう。将来の破たんの影に怯えて、痛し痒しで決断した苦肉の策ともいえないこともありません。
  税と社会保障の一体改革を叫んで漕ぎだした泥船ですが、少子高齢化の道を驀進中の社会保障の問題は先送りとなって、消費税率の値上げだけが優先して決められていく悪い手法が、またぞろ認められていくことになりました。仮に将来景気が回復して税収が歳出を上回っていくようなダイナミックな経済社会が構築されていくようなときには、消費税の値下げ乃至、廃止を行うような弾力性ある決定が、これからの社会において考えられてこなければなりません。昨日あって正しかったことが、今日消えてしまって否定されるような激しい世の中、世界に起きている現象です。マニフェストにそうした時代的認識の必要性も記述したらどうでしょうか。しかしあくまで譲ってはならない基本的な精神、理念、法律、規範、道徳律があります。それは日本国憲法に高々とうたわれています。
   大学時代の教養科目に大西邦敏教授の憲法がありました。比較憲法論を展開して、世界の国々の憲法の一般的趨勢を検証して、日本国憲法がどのような特殊性を持ち、どのような位置付にあるかを論究していくものでした。教授自身はそれを根拠に、むしろ改憲論に近い思想を主張したかったようであります。自民党政権下にあって、当時の憲法調査会の座長を務めたりしていましたから保守的傾向があったかもしれません。その憲法の講義で、外国の憲法を列挙して条文を暗記したまま述べていたくらいですから、日本国憲法ぐらいはすべて暗記する義務が学生諸君に課せられていました。若い時に頭にぶち込んだ事柄は、内容はともかくとして不思議と覚えているものであります。問題は暗記ではなくて内容の吟味にあります。日本国憲法の精神と理念こそ、時代を超えて、地域を越えてあまねく人民に共通した原理、原則を確立したものとして、昨今はますますその重要性を発揮してくるように思っています。   7月1日


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原発 事故調査委員会の最終報告

  昨日七月五日、国会の事故調査委員会が東電の原発事故の原因は天災でなく人災だと結論しました。そして国と東電の責任を厳しく追及するものとなりまた。遅まきながら斯様に結論付けたことは、事故の真相究明に英知を発揮し、真実に肉薄していった事故調査委員会の委員諸兄のご苦労を多とし敬意を表するものです。
  一般的には国民感情としても今更、東京電力の原発事故が人災であったなどと結論を出しているようでは間抜けとしか言いようがないのが実感です。小欄で私は初めから、あれは人災であると云ってきました。自然災害ではなく人災だから、斯様に認識して早くからそれに適切な対応をしなければならないのに、そうした結論がないまま時を過ごしてきたことは、いろいろな面で立ち遅れたことになります。
  巨大地震の発生とともに地震で原子炉の重要機能が損傷破壊されて、既に制御機能を失い、原子炉建屋に充満した水素爆発を起こすにいたりました。それによって大規模の放射能拡散を惹起し、汚染の被害を拡大せしめてしまいました。もっと早くから適切、迅速な手を打っておけば危機を避けることができたかもしれません。例えば機器の機能喪失によって、建屋に水素が充満して曝発を起こす可能性を想定することができたはずです。ところがベントを早くから開けて水素の充満を避けるという手段を講じておかずにゐた結果が、更なる危機を招くことになってしまいました。愚かにも、爆発を阻止する手立てをつけなかったのです。それ以前に電気系統に致命的な故障をきたし、冷却装置を稼働させることも出来なくなっていました。しかも国も東電も普段の予防や訓練を怠っていたがために、全てが後手々々に回り対応の術を誤ったのです。東電と国の責任を厳しく指摘したことは、当たり前な結論であります。
  東電は今も、古色蒼然の社内気風から抜け出していません。一兆円もの国の資金を投入し、国有化されて、会長も社長も首を据替えましたが内情に変わりはありません。夏の電力不足を喧伝し、火力発電のコスト上昇を理由に、電力値上げに踏み切ったし、間隙をぬって国民の反対をよそに関電は大飯原発の再稼働も行って、脱原発の機運をすり抜けて、これを恒常化しようとしています。ドイツの電力行政を見習うべきであります。三・一一の大地震と原発爆発事故が起きてから既に一年四ヶ月が経過しました。事故の検証と、放射能拡散と汚染の被害の収束は、いまだ未解決のままであります。野田首相は昨年の末に原発事故の収束宣言を行いましたが、あれは一体なんでったのでしょうか。国民の厳しい目をまやかすにもほどがあります。
  朋友で当会の理事である高木新二郎君は元弁護士でのち高裁判事そして、産業再生機構の委員長を務め、辣腕を振るった見事な立役者ですが、6月十日付日経新聞で取材に応じ、東電の企業再生に公的資金を注ぎこむことについて答えていました。「東京電力のように再生に失敗すれば国の経済や社会に対し、大きな影響が出る場合、企業再生にはどうしても国の関与が必要になってくる。しかし国の関与は一時的なものでなくてはならない。恒常的に国が関与した状態が続けば、公正な競争を妨げ市場がゆがむことになる」と答えていました。誠に以て正鵠を得た答えであります。思えばJALの再建にも、今回の東電の再生、再建にも出てきてほしかった人物であります。
  東電に関しては、東電が今のような態様である限り、果たして日本経済を救うほどの再生価値があるだろうかと云う疑問が湧いてきます。巨大な企業組織ゆえに一朝一夕にして改革の方向性が示されるわけではありませんが、少なくとも国民に対して経営の透明性を打ち出してくるべきなのに、そうした点が依然として不明朗で隠蔽性があり、公正を欠き、場当たり的な姿勢が目立つのは、甚だ遺憾なところであります。ましてや電力料金の値上げを国民に求めてくる始末です。経営能力欠如の状態といっても過言ではありおません。   7月6日


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原発基地の直下に活断層が

  びっくり仰天、腰抜け三昧の毎日であります。志賀の原発基地の真下に活断層があることがわかりました。そして一週間前に再稼働した大飯原発の真下にもかつ断層が走っていることもわかりました。北海道の泊・原子力発電基地の下にも同様の活断層が確認されています。そもそも火山国であり、地震国日本の現状を見る限り、危険な地盤の上に54発もの原子力発電所を建設してきたこと自体自殺行為であり無謀のそしりを免れません。仮に自然災害だろうと、人災だろうと万が一、東電の福島第二原発事故と同じような大事故が、もし他の原子力関連施設でまたぞろ起きるようなことがあったら、日本は二度と立ち上がることはできないでしょう。状況は国家の存亡をかけた深刻かつ現実的なもので、軽々に看過できないものであります。
  原発事故の恐ろしさをつぶさに経験している日本人は、いま原発再稼働の是非をめぐって国論は真っ二つに割れて激論が交わされています。政府と電力会社は、なし崩しに福井県の関電の大飯原発の再稼働を決定したばかりであります。その大飯原発基地の真下にも活断層のある可能性を認めました。東北大地震によって日本列島周辺の断層が歪みを生じて、地層に滞留するエネルギーの均衡が破れて、何時でも再び大地を大きく揺るがしかねないような状況にあるにもかかわらず、原発関係者はまったく無神経で、再稼働による利益優先で今まで云い通してきました。愚者のあさましき言動であります。経産省の原子力安全・保安院の専門家チームは7月17日、この点を指摘して関電に対して断層の再調査を指示しました。貯砂の結果によっては、再稼働に踏み切った大飯原発の稼働停止もあり、さらには廃炉も現実味を帯びてきました。廃炉といっても、しかしその処理の膨大さ、難渋さをだれもわかっていません。否、わかっていても知らん振りをしていて、見て見ぬふりをしている無責任の者ばかりです。  
  ところで過去において原発基地設置の際、電力会社の原発立地の調査は極めて杜撰な上に、事実に隠蔽性があり、また、設置許可を申請するときの、行政側の見落としや審査の甘さを指摘する専門家もいます。事業者もそうですが、当時の保安院や、立ち会った専門家の責任も重大といわねばなりません。今回、原発基地の設置許可の申請時に出された掘削資料には、典型的な活断層が炉心の下を通っていることが既に示されていたということであります。原爆と放射能の洗礼を受けた国民としては、原発の万が一の事故による放射能汚染の悲劇を今回も味わってきた唯一の民族であります。その延長戦にあって熟慮しなければならないことは、そもそも日本は地震国であり、活断層の上に原発を作ってはならないということは子供でも分かる話です。細心の注意を払わずに原発による電力産業政策を進めてきた業界と時の政府の馴れ合いで、利益追求に翻弄してきた結果が、現在の悲劇を招いたとしか言いようがありません。行政を司る政府、自治体と、巨大企業との癒着はなかなか断ち切れるものではありません。その悪弊を取り除き脱官僚を目指して国民に訴え政権をとった民主党であっても、旧来の自民党、公明党の力を借りてすり寄っていく今の政治状況を見ても、行財政改革は云うべくして困難なことがわかります。これはこの国の性癖であって、名医を以てしても、なかなか治療しにくい病癖、疾患であります。
  今回の専門家会議で、電力業界の実情も論議されました。原発基地の立地状況も議論されました。我が国の原子力行政の、そうした経過が白日の下に晒されて、その危険の内在性も理解されて、将来の原発基地の廃炉に向けた国民的運動も強く大きく広がっていき、脱原発政策の推進にエンジンがかかるものと期待しております。
  大天災に見舞われた東北地方の復興を大きく妨げている東電の原発事故、原子炉から放出された放射能の被害は甚大であります。この解決には相当の時間を要します。影響するところは世代間にわたっておよんでいくものでしょう。国民の意見を聞く聴取会に電力会社の社員が出て原発賛成の発言をして物議を醸していましたが、それは論外なことであって納得したとしても、放射能で死んだ人はいないと発言していることは、事の真相と重要性について上から下まで理解していない証拠であって、国民の意見を聴く会を以てしても、糠に釘、のれんに腕押しとしか思えないのであります。
  電力会社の者たちや、原発推進派の者たちが言うように多くの、もしかすると国民の大多数の人たちが被害妄想にかかった結果ではありません。現実を直視して将来の態様を想定した賢者の判断であります。放射能被害が人体に深く及んでいく恐ろしさに直面し、我々は見えない物質のかげに怯え、その実害を食い止めながらこの先、根気よく生活をしていかなければなりません。電力会社の者はまた、原発のリスクが過大に評価されているとも発言しています。今以って尚この体たらくですから、真剣に日本の将来について話し合っていく相手ではありません。原発の問題に限らず、日本の将来について考えているとはとても信じられない輩です。楽観、悲観の問題意識もないものとみなければなりません。被害者である我々国民はこの先長きにわたって忍耐と英知を駆使して、互譲と協力の精神でこの国を建てなおして、健全な国民の一人ひとりの肉体と健康を維持していかなければなりません。   

行く先の原発政策のふらつきにいらだつ民の日照る夏の日

   群衆の国会議事堂に集いきて反原発を連呼する声
                             7月18日

ところであまり四角張った話ばかりしていても、ストレスばかり溜まっていって体に差支えてきます。先週の教会の日曜礼拝に行った折、聖餐式があってキリストとの契約を意味するパンと葡萄酒を食してきました。私は日曜日には欠かさず妻と一緒に教会に行き、これからの一週間を無事に過ごすことができるよう神様に祈ってきます。自分の願い事ばかりでなく広く世の中の平和と安寧も心から祈ってきますが、教会では牧師の説教を聞いていると自然とまどろんできて、いつの間にか寝息をたてて白河夜船を決め込んでいるときがしばしばあります。一週間の精勤の疲れがたまっているときに良く出会うことですが、こうした時にこそ初めて神様からの癒しと、恵みと、祝福を頂いて、法悦に浸った様な恍惚とした気分になって、勝手ながら礼拝から実益を得てきたような気持になるのです。一週間の勤労の疲れが吹き飛んで、生き返ったように、はつらつとした気分になって喜びに満たされてくるのです。正に、キリスト教信仰の実効的、実践活動を地で行くようなものだと確信的に発言してはばかりません。そうした理由もあって私はいつも最後尾の椅子に席を定めています。最後尾の席であっても、遠くからであっても、もちろん神様と出会って襟をただし、心をただし、ひたすら精進の道を歩んでいく誓いを交わしてきますが、私が常にそうした姿勢であってほしいと願う敬虔なクリスチャンの妻にとっては、教会で居眠りどころか熟睡する私に対しては、いささか批判的であります。聖書を紐解いて勉強していくと興味深い事柄がふつふつと湧いてきて、感興のとどまることがありません。旧約聖書などは見方によっては小説以上の面白さがあったりして、これは人類史上唯一、最大の名作であります。むしろ多くの時間を割いて、聖書を読むことに専念したいと思うのですが、身を越えた多くの仕事に翻弄されている今の状況からすれば、なかなか許されることではありません。したがって礼拝時間に居眠りをしたりすることが出てきてしまうのです。また、何とも不思議なことに、深夜にうなされて起きることが多い私にとっては、そうした疲労を取り払うにはうってつけの時間帯でもあるのです。この間は私が睡眠中にでかい声を出して唸っていたことに気づいた妻が、可哀そうに思って叩き起こそうかと思ったそうですが、そのままにしておいたら何事もなく睡眠を続けていたのでほっとしたと申しておりました。そう申す山の神は、これまた変わっておりまして、夢というものを見たことがないと申すのです。それが果たして幸わせなのかどうか判りませんが、ともかく世の中にはそういう人もいるから、誠に不思議であります。人生夢がなくてもつまらない気がいたします。私は別に悪いことをした覚えがないのに、本当につまらない事柄で夢を見て、喜んだり悲しんだり、怒ってみたりしています。ところが不思議なことに、見た夢をよく覚えていないということも、夢の特徴であります。非現実的だからでしょうか。厳粛な説教中に、意味なく笑っていたり突然大きな声を出したりしたでは、もはや救いようもない状況ですが、幸いなことに、これまでそうした恥ずかしい経験は致しておりません。一番後ろの席で判らないように、静かにひとり白河夜船を決め込んでおります。説教が終わって起立して讃美歌をうたう時間帯になると 申し合わせたように目が覚めてくれます。そうした時などは、夢に感謝してすがすがしく、大きな声を出調子良くうたっております。同じようなことは現実に良く遭遇します。私は通勤に地下鉄日比谷線を使っております。比較的すいた時間帯を見計らっていきますが、乗ってから降りるまでの間座っていけています。その間の居眠りはまた何とも言えない心地よさであります。電車の揺れ具合が睡眠にとって好条件となっているのでしょう。揺り籠に乗っているようでもあり、ハンモックの中に体を横にしているようでもあります。降りる駅が来ると必ず目が覚めるのも不思議であります。まるで神様が奨励して誘導してくれているようです。降りる駅に気が付いて、扉が閉まる直前に気づいてホームに飛び出すこともあります。そうした時には必ず傘を置き忘れてきます。どうせ安いビニール傘なので、次の必要な人に寄付することにしています。これが、涎を垂らしながら出てくるようになっては、もうおしまいだと思っています。女の子と手をつないで散歩をしている夢を見て、目が覚めて朦朧とするままに夢の続きを見たいと、変な調子で前に立っている女の子の手をつかんだりしたら、これもおしまいだと思ってもいいでしょう。あとで気づいたら婆さんの手だったりして絶望の淵に立たされること請け合いです。まかり間違っても若い女の子の手など握ってはいけません。女の子に騒がれて現行犯逮捕となるでしょう。きわどい夢は決して見てはなりません。そうは言っても夢の世界はこの私でも知り及ばぬことなので、いかんともしようがありません。都合のいい夢ばかり見ることが出来れば、つまり夢を操作することが出来れば、もはや夢ではなくなってしまいます。夢はあくまで夢であって、非現実的世界であります。夢保険というものがあれば、保険会社は別な意味で繁盛するかもしれません。このように睡眠とは実に不思議な生理現象であります。精神分析学者のフロイドが夢の研究をしていますが、奥深く謎に包まれており、また夢と関係のない妻がいることもあって人さまざまに複雑怪奇な世界であります。よの複雑怪奇な世界に入っていったフロイドは悲劇でした。夢の手前で気が付いて現実の世界に引き返すことができる人間は立派であり、この世で信用が出来ます。いつも夢ばかり見ている夢想家、夢想主義者、誇大妄想者、ふらふら人間は、この世では信用できなくなります。しかし夢のない人間も期待が持てません。時には夢は期待であり、希望につながっていきます。さてその場合、夢の体験がない妻はいったいどう扱ったらいいのでしょうか。現実一本やりで生きていく女といえばいかめしくなっていってしまいますが、キリストとともに生きている敬虔な人であります。祈りの世界に生きていく高潔な人であります。利潤追求に徹し、金銭を追ってひたすら精勤する私と違っています。しかし多くの人たちは私と同じような生活をして、毎日の生計を立てています。金銭に生きるひとたちの合理性、正当性をどうしたら用意し納得させることができるでしょうか。企業倫理と利潤追求といえば聞こえはいいのですが、金銭追求の強欲すれすれに生きる人たちは、神の前に立てば常に罪の意識から解放されえずにいかなければいけないのでしょうか。程度の差こそあれ、苦悶の日々であります。そこで名著となったプロテスタンティズムと商業倫理が世に発表されました。これに救われた人たちは沢山いて、世界の経済活動は一気に盛んになり、近代社会へ一路驀進の道を進むことになりました。科学技術の進歩が大量生産を推し進めました。後の産業革命をもたらしたきっかけであります。資本主義経済の大いなる発展であります。多くの実業家が生まれ蓄財に励み巨万の富を築いて、乱世をわたっていきました。物質経済の恩恵をいろいろと味わうことが出来ました。もちろん多くの人たちが取り残されていきました。貧富の差がどんどんついていきましたが、競争に打ち勝つにはそんなことにかまってはいられません。自然淘汰ということばさえが、あてはめられていきました。多くの人々が繁栄を享受しました。それでも満足できないのが人間であります。欲望の限りに限度がありません。人間が他の生き物と違うところは、ものを生産してこれを蓄積する知恵と手段を身に着けているからでしょう。とりわけ物財を貯め置きすることができる優れた才能を本能的に持っていることです。生きるために必要なものをその場だけに限って消費するなら、経済活動は行われてこないはずであります。人間の経済活動に基本的意味を植え付けたのは、物財を貯めこむ業でありました。富をため込む業でした。物財は貨幣経済に入ってから、貨幣を以てため込むようになり、貨幣の便利性がますます発揮されて蓄積するにもっとも便利なものとして利用されました。流通性もあって蓄積するにはもってこいの商品価値、交換価値を持ったものだからです。多くの一万円札を積み上げて、銀行に預けて、これを一通の預金通帳に記載するだけで、欲望の赴くままに積み上げて安全に管理し、時に応じて、これを自由に使える世の中に生きることになります。人々の間で富める者と、貧しいものとの階層が出来上がり、その差はますます広がっていきます。格差社会の膨張は、この先も続いていくことでしょう。しかし富める者も、貧しいものも等しく飽食を満たし、満足をもって毎日の生活を過ごす人にとっても、生き生きとした人物も、年を取り皺を作り、視力が衰え、力を失いながら人の助けを借り、人の見分けがつかなくなり、寿命を迎え、天寿を全うしたと美辞麗句を述べられても朦朧としてわからず、お陀仏の身となることに一体幾ばくの人が聞き分けられるでしょうか。早くから気づいて精勤している人と、気づかずに慌てる人との違いを最近よく見かけるのであります。先日のこと、一万円札の積まれた大きな山を登っていく夢の途中で目が覚めたのですが、妻が相変わらず笑いながら、あなた夢にうなされてまた大きな声を出していたわよと云ったので、一瞬の間でしたがその夢をくじかれてしまいました。わくわくした思いの詳しい夢が次第にかすんで、とうとう意識から完全に消えていってしまいました。夢は夢で、やっぱり消えてしまい記憶から遠去かっていきました。私は寝ているときに夢を見る癖があります。夢を見ないで寝ている時間はほとんどないくらいです。しかし夢を見ていることは眠りが浅い証拠だとも言いますが、私の場合は、夢を見ていることは眠っていることの裏返しでもあるということで充分であり、睡眠をとっているということで納得し安心するのです。出来れば夢は楽しい愉快な夢であってほしいと願っています。夢が現実の事象を暗示して成就の道しるべとなることもあるからです。夢の正夢というものです。しかしすぐに忘れてしまうようでは頼りない感じであります。  続く。

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             ロンドン・オリンピック開幕

7月27日、新時代の五輪の発信基地はロンドンです。しかも三回目の開催地の栄光の場となりました。この日、私は会社の仕事を済ませたあと、夜の11時に帰宅し、風呂に入り仮眠をとった後、夜明けの4時に起床しました。明るくなった庭の菜園でもぎとってきた完熟のトマトをかじりながらNHKテレビで歓喜に沸く開会の模様を観覧しました。梅雨明けを宣言した東京は、ここしばらくうだるような暑さに襲われ、寝苦しい熱帯夜が続いています。
   オリンピック・スタジアムの会場のフィールド一面を使ったイベントの趣向は独創的で楽しく、今までになかったものです。英国の歴史を振り返り、成り立ちから現代に至るまでの様子を時代別に演出したものです。私が注目したのは英国が、時代の黎明を告げる産業革命期に入った英国社会と、工場労働者の働く光景です。巨大な黒い煙突が何本も立ち上がって、労働者たちが大きな歯車を手で動かしながら真っ黒になって働いています。大英帝国の発展の裏で工場労働者がうごめいている光景と、海外に力を伸ばしていく経済世界戦略が巨大な艦船の配置で象徴されて、その様子を描いた会場は圧巻の雰囲気でした。
   開会に先だって男子サッカーと、女子サッカーの試合がすでに白熱して始まっておりますが、優勝を期待される日本サッカーチームの善戦が際立っています。女子チームのなでしこジャパンは強豪カナダと対戦し1対0でこれを破り早くも優勝へ一歩勝ち進みました。男子チームも優勝候補のスペインと戦い1-0でこれを撃破しました。日本の男子、女子チームとも幸先の良いスタートを切って、我々サポーターは興奮気味であります。
   これから始まる各種競技は17日間にわたり熱戦が繰り広げられますが、世界各国から集まった選手たちの活躍で、さらに美と、技と、力が発揮されて、人間の心,体、技の限界に挑む光景となって私たちの茶の間に届くことでしょう。連日連夜、尚も感動の深夜を過ごすことになり、私にとっても猛暑,熱帯夜の寝不足が続きそうです。しかし選手たちの訓練と修行と精進に負けないよう、私たちも心身の練磨に努めようではありませんか。猛暑に負けず、彼らから多くの教訓を学ぶ夏としたいものであります。時は正に白熱の盛夏、見上げる夏雲はまぶしく輝き、力横溢して躍動の時であります。
私自身は、選手たちの明るく力強い奮闘に25歳は若返って血は湧き肉踊り、これからの毎日の精勤に心身の力を発揮して、充実した日々を過ごしていきたいと熱望し、選手諸君、たとえば女子柔道の松本薫選手のように俊敏且つ眼光鋭く、破竹的に、強烈に身構えております。

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   ロンドンのオリンピックの開幕す世の若者の奮い立つ日よ

   日本の五百余名のデリゲーション紅白の波会場を行く

金メダル候補の選手らあまたいて体操、柔道、水泳などなど

   肉体の美と活力を発揮して世界競技に挑む若者

   英国の歴史と伝統の意義深くオリンピックの開会式典

   人類の自由と平和と繁栄を等しく受けて開く祭典

   大国も小国もみな平等に真の競技にいどむ若人                                           7月28日

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2012年7月6日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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