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vol.24.4
花と事業の新年度入り
上場各社とも3月末に一斉に開いた株主総会を終了し、4月にまたいで大小様々な会社の決算報告書が送られて来ている。ところで寒さと強風を伴った二、三日前の猛烈な嵐が過ぎ去った後の天候は、180度の展開となり、天候は猛列な変わりようで真夏日を思わしめる暑さである。日本列島の各地で気温上昇を告げて汗ばむような気温上昇に、これで桜も一気に開花して桜前線の移動が消えてしまいそうだ。前線はまるで一本の線を引いて、さくらの開花の時期を一度にまとめてしまった感じである。絢爛たる花の時期を、全国で一斉に味わっていく思いである。日本全国が花の天蓋の下に居て、またとない風情に浸っていくことだろう。幸せなことである。
東京証券取引所に上場している企業の決算報告書を見るにつけ、経済の快調な回復を反映してどこも最高益を更新する企業が続出する様子は、このところの好天気で開花したさくらに似ている。今日から大方の事業会社が新年度入りしたが、今期の業績も上向いて、良好な経済社会の景気循環のもと次のステージに立ち向かって、企業努力を重ねていってもらいたいと念願している。暗かった30年のトンネルを抜け出て、企業業績はこのまま何年も長く続けていって盤石の基礎を固めてもらいたいと思うことしきりである。しかし花は急ぐ旅路の一里塚で待ってはくれない。桜は一週間を待たずして散り急ぐ結果になってしまうと想像して、早やくも惜しまれる感興である。
日本経済の失われた三十年は早く奪還して、国民経済の発展と民生の安定に寄与してもらいたいが、花は「三日見ぬ間の桜かな」で、長時間にわたっては待っててくれない。この際思い切って会社の仕事を切り上げて帰りを急ぎ、混雑しないうちに地下鉄日比谷線は、途中中目黒駅で下車して目黒川のほとりの桜並木の下をくぐってこようと思っている。夕方の月の出を待っていたのでは、雲霞のごとき人出で花見の風情どころではなくなってしまう。欲を張らずに月は、どこかの桜の木の下に、時空を合わせてみることにしようと思う。
4月1日
花冷えとなりぬ今宵の目黒川並木の下を通り行かばや
花見とは云えへ都の繁華街粋に落ち着くことも能はで
念頭にふと浮かびしは鴨川の堤に開く蓋し花かな
拙宅の庭にもありぬ花の樹の月を絡めて見るも自在に
街中の花もよけれど寒村に咲く一本の花もさぞかし
五分咲きの花の並木を通り過ぎあしたに七分ほどの良きかも
花びらの一枚も散る気色なく吹雪くさまなど思ひ浮かばや
三よっかのちには花も散り急ぎ川面を埋める花の景色に
山里の一木古木花の樹の優雅にありて風格にも見ゆ
皮ひだの荒れたる幹に若木吹き花の開くは怪しかりけり
見上具れば花の天蓋を指してゆく今宵浮世の夢の夜かな
ててははも多分今宵の花を向て天蓋のもとおわしけるやと
ててははの我を育てしご苦労も忘れ花見とは詫びて悔いるも
天蓋の花を見上げてふと思ふなきててははの如何におはすや
五月雨の、滝のようにも崩れ散る花の命の斯くも乱れつ
人事異動の季節
四月はどこもかしこも人事異動の時期である。新たな希望を以て新しき事業年度に、学習年度に立ち向かっていく期待に満ちた時である。能率を重視する観点からして、発表と同時に幾ばくの余裕もなく新しい地に就任しなければならない。昔から迅速を旨として陣地につくといった教えは、伝え聞くところである。新しき環境の地に着く心境が伺えて、新鮮である。
親交厚かった友人のH君は今から五年前に、日本橋にある本社勤務からニューヨークに転勤になった。最初の一、二回の交信があって以来、今日まで一回の連絡もなきままに打ちすぎた。連絡のないことはいい知らせと、別に意に介さなかった。H君のことだから元気に大活躍していると確信していた。昨日の4月2日、突然H君からの電話が入った。人事異動でニューヨークから東京にもどってきているので、時間があったら挨拶に行きたいというので、タイミングよくこれから行きますということになった。10分とかからずに見えた。久しぶりの再会で心が弾んで嬉しかった。「友、遠方より来たる 又楽しからずや」 である。H君と一緒に盛んに活動したのは10年前ぐらいである。あの案件についてはずいぶんと苦労をしたが、結果大きな仕事を成し遂げることが出来た。今でもお客さんの信用をがっちりと得ることが出来、信頼関係はいまだに続いている。その一役を買ったH君が転勤先から久しぶりで帰ってきたので、付き合いの舞台は楽しいものになることだろう。
ちなみにH君は京都大学を出てから大手不動産会社に勤めて、今はヴェテランの域である。明朗闊達な青年で、仕事ばかりでなく小生はいつも旺盛な生気を貰っている。かって近くに八重洲富士屋ホテルがあったが、二階のウィステリア・レストランでステーキを食したことがある。特別サービスの日でいくら注文してもいいということだったので、トライして五枚ほど追加して食べてしまったことがある。H君のその健啖ぶりにはびっくりしたが、小生もH君について三枚までは付き合えたが、今となっては自信がない。その富士屋ホテルはかの有名な小佐野賢二が経営する国際興業が持っていたが、やり手の住友不動産に売却した。無粋な経営者が運営するだけに、金儲けがしやすい総合開発を狙ってホテルの解体をはじめ無残な姿になってしまった。何年となく都心の一等地が放置同様で、一時的に駐車場となって4,5年がたつだろう。
富士屋ホテルは事務所からすぐ近くの隣にあり、開業以来、親しく利用させていただいてきた経緯がある。11年前の3月末のこと、住友不動産に売却してホテルを閉鎖することになって、職員が集まってホテルの前に植えてある桜の木の前で、花の咲いてる日にささやかな閉所式を行っていた。小生もそれに出くわしたので、遠くから眺めていたが、経営が人手に渡って別の誰かが引き継いでいくものと思っていたが、見当違いであった。がめつい住友の手にわたってしまったからには、彼らには美意識のかけらほどもない。富士屋ホテルの運命はあからさまであった。
ちなみに富士屋ホテルは1983年、昭和58年の8月に開業した。地上17階建てである。当時ホテル王を目指していた小佐野賢治が渾身を込めて建てたものである。小佐野賢二は今太閤として政界に上り詰めて天下を取った田中角栄と「刎頚の友」として伝えられた人物で、戦後の日本社会が生んだ特異なアウトロウ的な人物であった。富士屋ホテルチェーン、国際興業グループに属していた。事務所から出てすぐの鍛冶橋の交差点手前にあるが、東京駅をはじめとする8駅から徒歩で数分の場所に位置する至便の場所にある。多くの来客があったに思う。377室の客室、2つのレストラン(ウィステリア・桂)、バー、コーヒーラウンジ(ウィーンの森)、大・中・小合わせて合計12の宴会場、しかしその後、ホテルにしては品格を落としかねないコンビニエンス・ストア(セブンイレブン)などがテナントに入ったりした。あれは失敗だったように思う。
ホテルの陣容は1878年、明治11年に創業した箱根・富士屋ホテルの伝統を礎にしている。箱根富士屋ホテルは幸いにして残されて今も維持されているが、八重洲富士屋ホテルは、関西系の無粋な経営者にぶち壊されてしまった。11年前の今の富士やホテルの閉所式を行っているような気がして、当時のままに桜が満開だったことが思い出される。「年年歳歳花相似たり、年年歳歳日と同じからず」花は当時のままに、今も綺麗に咲いている。
ところが小佐野賢治亡き後の経営不振から、2013年4月に土地と建物を住友不動産に売却してしまった。八重洲富士屋ホテルとしての営業は2014年3月末をもって終了したことになる。その何ともわびしく行われていた閉所式が、11年前にもなって前に植えてある桜がちょうど開花している時だったのである。今後は八重洲二丁目南地区・市街地再開発事業と称して、住友不動産がオフィスビルを建設する予定であるらしいが、商工中金を巻き込んで虎視眈々としているようである。 商工中金は、現在のところも首を縦に振らないらしい。東京も世界に開かれた観光地として脚光を浴びつつあるし、八重洲は東京の玄関口である。白けた超高層のビルが建つばかりでなく、優雅で贅沢なホテルが中央にたってもいいのではないかと思うのだが。がめつい、金儲け主義の無粋な住友不動産の今の社長では思いつかないかもしれない。
小佐野賢二の思想をヨィショするわけではないが、爪の垢ほども生かしてみてホテル再現に活かして見てはどうかなと思う。やり方次第では、大いに採算の乗る事業になるはずである。 その時には楽しかったウィステリアに似たレストランもつくてもらいたい。あれは小生の青春時代の良き思い出が、沢山詰め込まれているからだ。きっと多くの人たちにもかかわっていることに違いない。 4月3日
三社祭
もう直ぐ生まれ故郷の浅草に三社祭がやってくる。鉢巻をした法被姿のいなせな服装にあこがれて、この時期が来ると胸騒ぎが止まらない思いである。夏めいた青色の風をつかめるような特別な気がして、下町は祭りのみこしと太鼓の音が、さつきの空を光りながら渡たっていくのである。一年のうちで一番さわやかな季節かもしれない。
酉の市にも見かけたるおさなごの三社祭に風を吹かせり
遠くから太鼓の音の聞こえきてみこしを担ぐ若衆のこえ
浅草の仲見世通りを二の宮を担ぐいなせなおなご見つけり
威勢よく肩に花棒を入れて行く飲み屋の女将の色めき立ちぬ
二の宮が猿若町にやってくる担ぐ若衆の聞こゆどよめき
花棒を担ぐ菊屋の若旦那いなせな法被良きに似合ひて
短歌同人誌、淵224号
小職が主催する短歌同人の「淵の会」の同人誌・淵が、昨日出来上がって手元におくられてきた。小生は仕事の関係上、毎回原稿を催促されては、期限ぎりぎりまでに送っている始末であるが、会を重ねること実に244号までに来ている。小生は、日常休むことなく歌を詠んでいるので整理している暇がない。淵に出す歌は限られているので、全てが素晴らしく思えて漏らすことなく発表できればそれに越したことはない。しかし制限があるに出、詠んだ歌を選択するのに骨が折れる結果になっている。それで投稿が遅くなってしまうのである。前橋に住む大木静花さんにほぼ編集と印刷をお願いしてきているが、会計は同人の渋谷さんにお願いして煩雑な仕事を任してしまっている。お二人の協力失くしてはできないことであり、紙上を借りて御礼申し上げたい。
歌を詠む数は人語に落ちないと思っているが、数を多く詠んだからいいというものではない。一首が優れた歌として残り、多くの人に感動と共感を呼び起こすものでなけらば秀歌とは言えない。その秀歌を詠み終えることが歌人にとって何事にも代えがたき宝物と思っている。歌として詠む対象は森羅万象であり、思いを込めて歌いあげた中には自らも頷いて、感銘することが多くある。そうした機会に接し、恵まれることこそ最高の幸せだと自認している。短歌同人誌・淵と、昭和経済は又とない絶好の機会として即席の和歌を随時に載せて、皆も共感できるものとしてあれば小生にとって最高の心境というべきである。
井浦先生
敬愛する井浦先生が時折、フェイスブックに情報を提供してくださり、示唆に富むこと大なりを知っている小生であるが、先月、3月29日にめでたく満96歳の誕生日を迎えられ、日々希望に燃えて精進されている記事を拝見し、尊敬の念を以て「いいね」と打って祝意の返信をさせていただいた。同時に心から思ったことを含めて歌に詠み、即興の和歌二首を添えさせていただいた。
素晴らしきクロクの年にあやかりて背筋を伸ばし我も行くなり
満面の笑みに賭けたる人生のことわりを知る王道の先
先生は常日頃現役で講演の勤務についていることに感謝し、96歳の年齢を以て矍鑠としており、今以て背筋を伸ばし歩いていらっしゃることを報告してくださった。
イスラエルとイラン
鬱積した積年の怨念が一気に爆発した。ガス抜きであって双方が自制して事態の鎮静化を図ることが出来れば幸いであり、それ一時的、限定的な戦火として歴史に成功の一字を刻むことになる。そうあってほしい。
4月1日に、在シリアのイラン大使館がイスラエルの空爆にあって、イラン革命防衛隊のメンバーが殺され、7人の軍高官が死亡した。大使館には外交官がいなかった。全員がヒズボラのメンバーとその協力者であった。彼らはすべてイスラエルでのテロに関与する人物であった。
しかしイランは直ちに報復を宣言、13日夜から翌日未明にかけて、イスラエルに向けて300発以上のドローンとミサイルを発射、大規模な反撃を行った。両国の正面切っての交戦は、これが初めてである。イスラエルはこの99パーセントを迎撃し破壊したと発表し、被害は軽微だったことを主張した。今回の軍事力の実際的な行使によって、イランの攻撃力の限界もわかった。又、ドローンやミサイルの迎撃には、アメリカを主にイギリス、ドイツ、フランスなどが加わった。
イランは、今回の大規模報復の攻撃は成功して終了したと内外に発表し、目下はこれ以上の攻撃は行わないとしている。国内の、」イスラエルに対して憎悪むき出しの激高した民衆の動きを止め、しかもイスラエルへの反撃に対する面子は保てたはずである。今度は反撃を食らったイスラエルの出方が注目されるが、イスラエルは直ちに戦時内閣閣僚会議で協議し、イランの攻撃に対する報復についてゴーサインが出ているものの、規模と時期については明言されていない。ここに落としどころがあるようである。
アメリカのバイデンは、イランの報復に対するイスラエルの反撃を支持しないと明言し、イスラエルの出方をけん制し、これ以上の戦火の拡大を阻止することに努めている。緊迫した情勢だが、鬱積していたイスラエルとイランの怨念が、一時的にもガス抜きの効果を発揮してくれれば幸いである。双方が頭を冷やして時局を見極め、冷静な判断をキープしてもらいたいものである。 4月16日
イスラエル、イランとの暗黙の停戦
バイデンの賢明且つ冷静な説得は、イスラエルのネタニアフを完全に説き伏すことはできなかった。ネタニアフはイランに対して3発のミサイルを発射した。
イランとイスラエルは何年も対立し、互いを脅しあってきた。しかし1979年にイラン・イスラム共和国が成立して以来、イランが自国領内からイスラエルを直接攻撃したのは、14日が初めてだった。
14日の攻撃でイランは300発以上のミサイルやドローンを、直接、イスラエルに撃ち込んだ。そのほとんどが、米英とヨルダンの支援をうけたイスラエルの防空システムによって破壊された。この攻撃にあたってイランはイスラエルに対し、自国の主権と軍事力の行使について明確に意図を明示した。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、自制を持つよう説得してくるバイデン米大統領との関係をこれ以上悪化させずに、何としてでも反撃する方法を模索した必要性がある。19日未明から早朝にかけてのイランへの攻撃が、その表れだったのかもしれない。イスラエルが抑止力を回復するには、大規模な反撃が必要だという妄想を回避し、限定的、小規模にとどめたネタ二アフは立派であった。イスラエルは直接攻撃で反応したのだ。そして今日の攻撃がこの一連の危機の現時点での区切りになるとしたのである。イランもそうであったし、イスラエルも行動的にはイランと同じであった。暗黙の合意形成がなされていた。
現実には、イランとイスラエルの対立が長年続くこの地域で、両国が隠然と続けてきた長い戦争は、ついに陰の世界から表舞台に出てきたということかもしれない。そして互いの手の内を見透かすことに成功した。一触即発の地域でのことだけに、それは安心材料とは言えないが、対立する両国が、今回の応酬で主権の主張を確認しあい、イランはイスラエルにいつでも攻撃を以て対抗すると意思表示したことが成功になったし、一方、イスラエルはミサイルをイランの原子力関連施設に着弾させることが出来るということを、イランに知らしめたことは、イスラエルにとって大きな成果であった。雨降って地固まるではないが、今回の双方の報復の撃ち合いによって、双方の主権の尊厳さを明確にしたことは、幸いと言わねばならない。損害も無きに等しく、中東地域を火の海となすような事態を避けた今回の指導者の賢明な手法と手段は、称賛されるべきであり、自制こそ希望に繋がり、冷静な対処を以て対立の緩和へ、そして更なる相互理解へと進んでいってもらいたいものある。 4月21日
中東に戦火が起きず積年の恨みを解きしイラン・イスラエル
暗黙の了解に立つイスラエル・イラン主導者の解決の道
あっぱれと思ふイラン・イスラエル両主導者の英知発揮す
願わくばガザ地区猛攻のネタニアフ英知と勇断を願うのみなり
能登地震の爪痕
連日、地震災害の復旧に努める能登住民の努力には、疲労困憊の様子がうかがえ、その先を案じているが、地震の強烈だったことと、能登地域の地形の峻嶮さが災いして、地震発生後4か月が経過しようとしているが、復旧いまだしの感を否めないで忸怩たる思いでいる。復旧、復興に向けて官民一体の賢明な努力が続いているが、例えば、水道の破壊がすさまじく、いまだに飲料水の事欠く事態である。家屋の倒壊や焼失にあった住民のための仮設住宅の建設も、一時避難生活を強いられる多くの住民を収容するまでに至らず、特に高齢者の生活の苦難は続いている。
元旦の静寂さを破って起きた震度7強の地震で令和6年が明けた次第だが、その後の内外の情勢も物騒な世評を反映して騒然としている。願わくば、怪しい事件が身辺に及ぶことがないよう、各位の安寧を祈念するばかりである。
こりゃ何ぞ正月早々に大地震、津波のおきて能登は乱るる
静かなる灘に津波の襲ひきて汚泥に埋もる能登の珠洲なり
見るからに妙なるうるし工芸品輪島の里に居づく古きゆ
素朴にて人がら生かす職人の輪島のうるし塗りの椀にも
原発の基地建設のプランあり珠洲市住民の反対にあふ
原発の基地建設の反対の歴史に市民の英知刻めり
原発の基地建設のこの地にてなほ危機一髪を避ける住民
虫食ひも侘び寂びと得て茶器のきず風雅にとらえ味はいにけり
復旧に官民一体の懸命の努力が続く能登の地区なり
朝日指す能登の海原と山河に喜びの声渡り行くかな
地震国我が日本の宿命に常時心して備へ置くべし
近ごろは九州四国の一帯に震度7弱の地震起きたり
一説に南海トラフのおほないと人の伝への怯え聞くなり 4月23日
母校の学院理事会に出席
若葉薫る、4月20日の土曜日の午後一時から始まった学院同窓会の理事会に出席した。自宅を出てすぐに環八の街道に入り、芦花公園を左に、甲州街道を渡り、そのまま走行していくとやがて新青梅街道との交差点に出る。そこを左折して新青梅街道に入り2キロほど走っていくと右手にこんもりとした樹木の茂る小さな森の場所が目に入ってくる。そこが我が学び舎の高等学院のキャンパスである。広々とした敷地に素晴らしい施設を配した校舎と、且つその先に広いグランドが設けられている。武蔵野の面影を残して品に満ちた、静かな雰囲気が残されている地域である。約60年前に、新宿戸山町からこの地に移ってきたのである。戦後まもなくできた新制の高等学院は、大学のキャンパスの中に立地していて、穴八幡神社に向き合った場所にあった。小生が入学したそのころは、その場所にあった校舎で授業を受けていたが、卒業した後幾ばくもたたぬうちに学院は、新しきこの地の上石神井に移った次第であった。
当時の新校舎では、我々と、二、三年のあとの生徒は授業を受ける機会はなかったのである。我々が学んだ時の校舎は取り壊され、大学の新しい施設に建て替えられたりて昔日の面影はない。当時は、校門を入ると、右手に周囲400メートルのトラックが広く余裕を以て設けられていた。そのわきを進むと一連の校舎が建っていたが、もとより木造平屋建ての、質素というよりは貧祖なもので痛々しかった。今にもつぶれそうな雰囲気であったが、勉学した学習の思い出は今でも熱く胸中に及び、厳粛且つ高貴なものであった。教えに来る先生方は、皆近くからくる大学教授ばかりであった。したがって教え方も、学ぶ内容も自ずからレベルが高く、中学から来た我々はすべてが光ってまばゆく見えたのである。
高等学院の初代院長をされていた竹野長次教授からは、著名な自著の日本文学史概論を使い、二代目学院長の樫山欽四郎教授からは、同じく著書の哲学序説を使って勉学した。老齢を極めてすでに貫禄十分の、重厚な雰囲気を持ち人格陶冶にもつながって、学習は意義深いものがあった。ご両人ともともに名誉教授の称号を大学から授かっている。教鞭に浴した先生方は、学問、研究ばかりでなく、それぞれ個性があって立派な教育者ばかりであった。貧乏校舎にあったが、その分を埋めて余りある学習の場であった。1979年に出された三十週年記念誌に図らずも小生が書いて載せられた小文には、いみじくも当時の先生方の名が列挙されている。今でも読み返しているが、その熱い気持ちが生き生きとして綴られていることに変わりがない。
私は現在、昭和経済の刊行物以外に、短歌同人誌・淵を主宰して、定期刊行物を編集発刊してきている。これは早稲田を象徴する学者であり、近代を代表する歌人会津八一と、その愛弟子の植田重雄名誉教授が創刊した「短歌同人誌」である。両歌人の遺志を継いで、脈々として現在も続いており、過日244号を発刊したばかりであるが、名歌ばかりが載せられていると自画自賛しているところである。私が達者である限り、生き生きとして続けられていくであろう。学院の校舎を入ると右壁に、会津八一の揮毫の額がかかっていた。養素全真 と書かれた八一の作品である。教育、学習の原点である。深い感動を覚え、幾星霜経た今日に於いてもいまだに、奇しくも早稲田とは深い関連があると思った。
学院の同窓理事会に出席す若葉の光る樹々を仰ぎつ
環八を抜け新青梅街道に入れば自づと変る趣き
校庭の横道に入りマイカーを気安く置きてつつがなきなり
学院の創立七十五周年第三・四半期なれば意義あり
高令者故に挨拶を求められ生々しくも語りけるかな
語ること多々ありしかど理事会の議事なれば尚とどめ置きしも
七十年の歳月を経てなほ学院に斯くして立つは幸ひなりき
OBの諸兄に遭ひて青春の生気を摂取致す気分に
挨拶に初代竹野院長と次の樫山院長のことを述べしも
思ひ出に俄かにうかぶ幻影の恩師に学ぶ意義の深きも
畏敬する八一の養素全真の揮毫の額に確かと見とれり
歌詠みの姿勢にふれて自ずから我なりに立つ歌詠みの道
歌詠みの自由活達な姿こそ八一の解きし道と思ひぬ
淵こそは八一と植田教授との歌の教えを継ぎて意義あり
植田師と八一の創刊とも云ふべきや淵の発刊こそ後の世にまで
淵に詠む我れが詠みあぐ情熱をいずれの日にか世に示さむと
学院の温故知新の精神の在りしと信じゆるぎなきなり
学習と自由独立の精神の活達なりや学院の日々
山の歌口ずさみつつ己ずから心の学舎目のあたりにして
情愛の激しくたぎる青春の歌こそよけれ学舎(まなびや)の里
友らみな多くが鬼籍に入りて思ふ我が人生のいかにあるべき
七十五周年の学院の歴史こそ光輝ある身と置き添いてみんと
夕映えの教室の間にふたり居て樫山教授の哲学を聞く
実存の意義の自説をしきり説く樫山教授の我が前に在り
第二代樫山院長の哲学の熱き学習の今に至るも
学院のOB諸君の社会に出躍進の道見るは楽しき
七十五周年の理事会に出席す我が学習の頃の浮かびく
意義深き七十五周年の学院の理事会に出て幸ひなりき
学院の所在の場所は異なれど建学精神の道は変らで
思ひ出ず川原、遠藤、都筑師ら学院時代の学習の日々 以下続く
大隈重信候が自から案出し、毎日の生活で実践した精神的健康法・五箇条なるものは、次のとおりである。
1 怒るな
2 愚痴をこぼすな
3 過去を顧みるな
4 未来に望みを持て
5 人のために良きことを成せ
云うは易すく行い難し、であるが、大隈候はこれを日常の生活に、常に自分に当てはめて実践したのである。精神的健康法・五箇条を実践することによって、混濁な精神を脱し、高邁な精神の涵養に務めた。そして愛和の穏やかな精神状態に自らを置き、こだわりなく大らかに生活していくことが、生きがいのある人生だと喝破しているのである。前向きであり、積極的且つ安定した精神状態でいることが大切である。
我が身を省みて、大隈の言葉は平凡で単純だが、真実である。
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「真理は単純にして平凡である」。堀江忠男早大名誉教授が、小生に贈ってくれた色紙の言葉である。人は竹のように、しなやかに生きて行こう。 4月25日
活況を呈する観光地
ゴールデンウィークが始まって、4月27日から数えると、休日として上手に活用した場合、月を越して5月の6日まで10日間の日程を組むことが出来る。文字通りの大型連休である。国内は物価高のあおりを受け、国外では、円安の傾向が強まって、内心は外国旅行をしたいところだが、二つの理由で足止めを食らっている日本人は多いのではないだろうか。結果どちらかというと安全で、近場で、短距離のところを選ぶ傾向が強い。略して「安・近・短」というわけである。合理的のお金を使って旅行をすることを目指している。しかしながらここにきて宿泊料が高騰し、各地の観光地では有名な場所では予約が取れず、取れても2倍3倍と料金を請求されたりするらしい。
また有名な温泉観光地では、このところ外国人の観光客でひしめており、円安が加速する昨今、財布のひもを締めながらも旅行しやすいと専らの評判である。日本文化になじんでいこうとする外人観光客が多く、思わぬところで金を落としていく。旅行の目的が変わってきているようである。無論、一泊百万近い高級ホテルの宿泊を楽しむ豪華版もいて、それはそれで筋が通ている。贅沢、節約両派が入り混じって、ともかく多くの人たちでにぎわっている。どこの国に行ってもあるが、新宿2丁目の繁華街や、特飲街などに足を運ばないことも必要である。悪い人間はどこにもいることは致し方ない。要は注意して生きていく、生活していくことを基本的に守っていることだろう。
観光地を寛いで堪能していくには、今は、気候はうってつけの新緑のかがやく時期であり、食べ物も豊富で安心だし、人は親切だし、日本が平和を第一に考えている国だけに、どんな所へ行っても戦争の弾には当たらないことの第一条件を満たしているからであろう。4月28日
社団法人 昭和経済会
理事長