line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年04月04日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

VOL.22.4

    万象の息づき

爛漫の桜に眺む富士の嶺の未だ真白き雪の光れる

菜の花とさくらと桃と水仙の咲く庭畑に眺む富士の嶺

  二日前に見た満開の染井吉野のさくらは、今日の午後から散り始めて次第に花吹雪に代わって街なかを艶やかに潤している。今日は4月1日、エイプリルフールである。遅い開花となっているが、北からの寒冷前線が南下しがちな気圧配置であったせいか開花も遅れ、花冷えで花もちもよくなっている。花の明るい日差しに新年度入りで今年一年の幸先を願ってやまない。冗談を言って人の気を惹く話題に事欠かない昨今のご時世だが、うっかりすると冗談のウソが真実であったりするから、云う時は聞くときと同じように慎重になって臨まねばならない。

  しかしどう転んでもウクライナ戦争ではっきりしたことは、プーチンのウソつきはひっくり返すことはないだろう。ロシアから一方的に仕掛けた戦争であり侵略である。国境付近に多大な軍隊を集結して侵攻をうかがっていながら、幾度となくプーチンは侵攻は絶対にしない、単なる軍事演習であると繰り返し言っていたのだる。ある日突然、堰を切ったように国境を越えてウクライナに進撃した。2月の24日である。しかも完璧のウソつきであり、民間人を狙って残虐を伴った軍事攻撃は、犯罪に結びつく可能性が濃厚である。怪しい国家体制のロシアだから、政権内部も権力闘争になって、何時なんどき攻守所を変えて形勢が逆転するか分からない。今プーチンの首がぶる下がっていると発言する専門家もいるくらいである。ウクライナ戦争はプーチンの一言で始まって、何千人、何万人という人命を奪い、一千万人を超す避難民を起こさしめ、国を焼き払い、家族を破壊し、多くの悲劇をもたらした罪は計り知れなく大きい。

戦術はナチスのヒトラーであり、旧ソヴィエトのスターリンである。四月馬鹿とはよく言われるが、馬鹿なロシアがウクライナに戦争を仕掛けてから今日で37日が経過した。二日でキーフ陥落、ウクライナの全面降伏と豪語していた案件である。民族主義に燃える、勇敢なウクライナの抵抗と反撃にあっている。その間、仕かけた方のロシアの兵隊の犠牲者は1万8000人以上と云われている。軍の最高司令官がこの中に6人含まれている。軍の統制と規律に緩みが生じ、軍の士気は低下し、ただプーチンの命令で戦い、人を殺しているという状況に過ぎない。何の意味もないことが次第にわかってきているというから、実にお粗末な話である。 
 四月の冒頭、話題と新鮮な所感を追う記事が、つい相変わらずの愚痴になってしまったが、四月馬鹿に免じてお許し願いたい。

  ウクライナとロシアの和平交渉の協議に関して両国の代表団が、幸いなことに協議続行を続けて解決の糸口を策ってきているが、そうした間にもロシアの攻撃は平然と行われているというから、盗っ人猛々しとはよくぞ言ったものである。和平協議を行っている間は、せめて銃砲火の音を止めてもらいたいものであるが、信義もへったくりもないロシアだから、暖簾に腕押し、糠に釘である。情報合戦とはいえ、プーチンの云うことと、ゼレンスキーの云うこととどちらが本当かと云えば、嘘つきプーチンは定着しているから、ゼレンスキーの云うことが真実である。現実に砲弾や戦闘機の爆音がなっているから、こればかりは否定できない。

  首都のキーフの攻略は難しく、一部撤退して東部戦線に振り向けたいとする軍の発表があった。油断させるつもりらしいが、ロシアは前線を立て直して再度攻撃に転じてくる可能性がある。キーフ攻略放棄を、バイデンが信用できないといっている。防戦一方のウクライナだが、このところ反撃に出て、占拠された都市を奪還したところもある。めちゃくちゃに破壊された都市が、復興するまでには大変な労力と資金が必要である。ロシアにはその目算があるのだろうか。侵略を続ける現在ですら、一日の経費が2兆円もかかっているという。ロシアの一年の国家予算が、戦争がこのまま続けば50日間ですっ飛んでしまう計算になる。加えて国際的な経済制裁を受けていて、国内経済は疲弊してきている。インフレと物資の不足は国民生活を圧迫してきて、影響は確実である。

  昔は、他国の領土を侵略しながら、現地の物財を略奪しつつ食料の補給に供し、武器の装填を更新していく作戦を繰り返していたそうだが、今も侵略戦争はできるだけ現地の物資で賄っていき、基本的には変わりがない。破壊に苦しむのは現地の市民である。難民のうちの一部は、7500人ともいわれるがロシアに強制連行されたという。アウシュビッツを真似た、疎ましいロシアのやり方である。彼らはロシアの僻地で強制労働に伏され、使えるものは捕虜として戦場に戻して出され、無駄な人間は殺されてしまうだろう。連行された人々を、直ちに救済すべきである。昔は日本人も敗戦の憂き目にあってロシア兵に連行されシベリアに送られて虐待の上、のちに多くの人間が骨と皮にまり白骨となって日本に帰還した。プーチンの指示で、ロシア兵はウクライナで又同じようなことを行っている。虐殺された多くの市民は今、路上に遺体となって放置されていることだろう。

  誇り高きウクライナの国と国民は、プーチンとロシア兵によって蹂躙を受け、独立と主権を略奪される寸前にあって戦っている。暗い話になってしまったが、四月馬鹿の軽はずみな嘘であってほしいと思うくらいに、今のウクライナに平和のひが戻ってほしいと思う。この前も言ったが、プーチンは、これ以上人を殺してはならない。これ以上、人を苦しめてはならない。お前の兵士も同じように戦場の露となって消えていることを肝に銘じるべきである。

   目を転じて四月の空を見上げると、曇天模様だった午前中だったが、午後は初夏の日差しが満々と溢れ充ち、若葉の季節到来である。オフィスの窓から差し込む日差しもいいが、家に帰って庭の柿若葉を楽しむほうが何よりである。四月は別名、卯月、卯の花月、鳥来月、鳥待月、ともいう。ほかに花の名残月と云って風雅な呼び名がついている。初夏が来た、でもいいだろう。日増しに暑さが増してきて、日を追うごとに緑あふれる大地を満喫することができ旺盛な気持ちにもなってくる。ハレルヤー                4月1日


   四月馬鹿だといって気の抜けた放漫な顔をしているわけにはいかない。一般企業は早くも新年度に入って活動開始である。世間ではコロナ蔓延防止法が解除された途端に再び感染拡大の兆候を示しているし、経済活動が阻害されて日銀の短観も50を割ってしまう始末で先行きは厳しい見通しを示しており、更にはロシアのウクライナ侵攻の夜経済制裁によって世界経済の萎縮が懸念されて、景気判断はどうしても下降気味ならざるを得ない。生産活動が活発になって所得も増加し物価も上がり、更に企業活動の刺激になるといった良好な景気循環であればケインズ流の解釈で納得できるが、実態はそうではないから当局も困惑するのである。

   ロシアのウクライナ侵略行為が今頃になって戦争犯罪に問われるべきだという始末だから、こればかりは感性の欠如であって、もっと早くから気づかなければいけない事案である。そのウクライナ侵攻によって物流が止まりものがあるのにさばけない状態である。鉱物、穀物資源にまで及んで、例えば原油の急激な値上がりは全ての製品に転嫁されてきている。しかしながら懐具合が悪いから購買力だけは一向に上がってこない。質の悪いスタグレーションである。 

   特に食品の値上がりが大きく家計を圧迫してきている。世界の三分の一を輸出しているウクライナの小麦は、戦況の悪化で港から出荷できないし、種付けの耕作すらできない状態である。小麦の価格が跳ね上がって、多くの加工品を直撃している。国際社会のロシアに対する経済制裁も厳しさを増してきている。社会主義を目指している国で、一部の資産家が、多くの資産を内外に隠し持っていることがロシアに対する資産凍結で明らかになったが、 プーチンも多聞に漏れず資産を隠匿しており、こちらは又精力絶倫を極めご多くの愛人を抱えて込んでいることも分かった。庶民は貧困に困窮する始末だというのに、搾取した金で贅沢し放題といった感じである。  

   政治家が国民から召し上げた税金を勝手に略奪し使いはたすことは日常茶飯事であり、多かれ少なかれどこの国でも行われていることであるが、初陣では奇麗ごとを言っていても次第に悪い手が伸びてきてつい人の金にまで手を伸ばしてくるものである。プーチンも見境がつかなくなって肥沃なウクライナの土地が欲しくなって、つい手が出てしまったという幼稚な発想しか浮かんでこない。始めると滅茶苦茶に弾薬を打ちまくり、民間人を巻き込むことが平気になってきて聊かの反省も良心も湧かないという輩に落ち込んでいくんだろう。戦況が不利と見れば、好き勝手に兵隊をかき集め戦場に送り出し、牛馬の如く使い切る。兵士は気づかずに、なんだかわからぬままに国のためとこき使われても、実際はプーチンのためということになって、反発すると殺されるというジレンマに立たされ、自もなければ権利もない、これが独裁政治、権威主義政治の怖さである。 

   キーフ近くに駐留していたロシア軍がウクライナの反撃に会い、疲弊して後退の上、撤退してのでウクライナ軍がキーフ地域を奪還した。猛攻を受けて廃墟になった市街地には、多くの市民の遺体が放置されたままで悲惨を極めている由である。拷問を受け、銃殺された無残な死骸が死臭を放っている光景である。無抵抗の市民を無差別に攻撃し、暴行略奪の末、殺傷を繰り返した後が歴然である。 小生は、ロシアのウクライナ侵攻が始まって三日目に、キーフ市内に無差別の砲撃を繰り返し、 ミサイルを撃ち込む光景を見てロシアとプーチンは、既に戦争犯罪者と決めつけていた。国際機関は、彼らを戦争犯罪者と決めつけて公言するには遅すぎたのではないか。 いささかなりとも戦争行為を以て、覚醒を素早く促すためにもなったのではないか。 馬の耳に念仏かもしれぬが。

暴虐の限りを尽くすプーチンら二十一世紀の今のこの世に

人のもの矢鱈と欲しがる輩にてタダにしろとて居直りにける

肥沃なるウクライナの地を欲しがりて侵入いたす盗賊のプーチン

劇場の地下に避難す市民らを狙い撃ちするミサイルのあと

プーチンの気違いじみた吸血鬼ウクライナの地をなんぞ暴れる

如何ならむ生い立ちなりしプーチンの鬼畜となりし変貌のあと

世の中ゆとっとと失せろプーチンの神のみ手にてとどめ刺さむと

極悪の経歴を持つ司令官東部戦線に任命いたすは

ウクライナ市民を全て皆殺すてふ心境のいずこより来ん

乳飲み子を抱きしかばねの母のあと無念の思ひ知れやプーチン

罪のなき人らを矢鱈と銃殺すあたかも牛馬を扱ふがごと

千人を数ふ人らの避難せるシアターの地下を火の海と化す

戦場の残虐極む殺戮のあと屍の放置されたる

プーチンの一滴もなき血と涙、冷血非道の犯罪者なり

戦場に女、子供のしかばねの街の瓦礫の下に在るまま

撃ち放つミサイルのあと火を噴きて高層マンションに突き刺さりける

街に住む老若男女子を含め皆殺しにするロシア軍隊

じっと見よ真澄の空の果てに居る神の力の裁き正しき

プーチンもいずれ白骨と壺に入りしかも悪行のあとの消し得で

            4月3日


   戦意喪失のロシア軍
   戦争犯罪人のプーチン

  人間だったら自分の行っていることが何のためなのか、誰のためなのか、良いのか、悪いのかぐらいは考えるはずだし、考えてもいいのではないだろうか。ところが、国のために戦場に駆り出されたとはいえ、支離滅裂な状況の中にあっても、普通に生活している人を殺すという極限にまで追い込まれても、何も考えないとはいったいどうゆうことなのか。ましてや何の関係もない人を、何の理由もなく銃を以て殺めるという状況は、狂人以外の何物でもない。何の罪もない、関わりのない無抵抗の女、子供に至るまで。軍隊の命令は絶対服従であるといわれている。たとえ悪いことだと知り得ても、命令には従わざるを得ないのが軍隊の組織である。

  だとすれば、その命令を下したものがいるはずである。辿りたどって行き着いたところが、プーチンだった。最高責任者の、ロシア国を統括するプーチンの姿にたどり着いた。二十一世紀に現れた冷血無比、精神分裂症的疑のあるプーチン、その男である。彼はかって終焉してこの世から消え去った旧ロシア帝国の再来を幻想して、自ら手をかけようとしたのである。その精神分裂症的な兆候は十年前以上にさかのぼる。時期的に焦った彼は、正常な判断を失って来た。無謀な戦争を仕掛けた裏には、彼の思惟、欠陥の露呈と、69歳という年齢的焦りが災いした。ⅿったく個人的な理由としか思えないところが、摩訶不思議である。大儀なき云々・・・と云われるゆえんである。単純な結論だが、一人プーチンが欲をかいた結果である。

  ウクライナ大統領のジレンスキーは国連の理事会で演説して、ロシアとプーチンは戦争犯罪者として裁かれるべきであると、訴えた。


硝煙のたつキエフの上空を低空で飛ぶヘリコプター群

焼け跡に放置されたるウクライナ市民の死体にジェノサイトのあと

生々し大虐殺のあとを見るジレンスキーのまなこ厳しき

初めよりロシアの無差別攻撃に市民の死者の限りなきなり

はらからと離れ泣き行く少年の当てなく難民となりて悲しき

てて母を失ひ難民の群れに入り袋を下げて泣きて行く子よ

難民の千万人ともウクライナ惨禍に荒れて吹雪く大地よ


戦争を巧みに仕掛け侵略す領土拡張の暴虐プーチン

ジェノサイト認むるキーフ郊外のロシア軍隊の撤退のあと

劇場にロシアのミサイル命中し八百余名の避難するなか

いたずらに市民殺傷に凶悪すロシア軍隊の無差別攻撃

空と地と海より激しき攻撃を繰りかえす露の凶悪戦闘

国連でジレンスキーの演説に聞き入る安保理事の国々

   昨日の6日の国連の安全保障理事会で、ウクライナのゼレンスキーがオンラインで演説した。残虐行為を繰り返すロシア兵の惨状を訴え、合わせて国連の改革を求めた。戦場で悪行の限りを尽くしたロシア兵が一部撤退した後のキーフ近郊のブチャの市の惨状の後は、まさしく大規模な犠牲者が横たわり、ロシアへによる市民の大虐殺が行われていたと訴えた。もとより明らかなことではあったが、その惨状は第二次世界大戦の起きたジェノサイトをしのぐものであったがゆえに、世界からロシアに対する更なる非難が集まった。もっと強烈な経済制裁を行うべきだとする国際世論である。この後ドイツ、フランスなど16か国で、ロシアの外交官80名相当が追放された。チェコではEU加盟国から初めて、対ロ戦車の砲火を装備した戦車十数台が提供された。キーフを去ったロシア軍の一部は、ウクライナの東部戦線に移動されてロシア軍の増強に使われるという情報である。軍人は人を殺すためにいいように使われているが、又考えてみれば、一人プーチンのために彼方此方と移動させられて人を殺すために自分の命を張っているのである。何とも理不尽な話であり、神も仏もいない世界である。

一片の良心もなき恥じらひも傍若無人の蛮行のロシアの

目には目を武器の援助とウクライナ被災の国ゆえ悩みうなずく

上海にコロナ感染の再拡大ロックダウンに臨む当局

ブチャの市の街路に遺体の累々とそれを踏みゆくロシア戦車の

てて母を亡くしさ迷うふ少年の心の傷をいやす術なき

芸術の街のキーフも変貌す瓦礫、廃墟に死臭芬々として

情けなき神も仏も居らぬ世のロシアの極悪非道の虐殺    4月6日

    初夏のそよ風

  空を見上げていると、眩しいくらいの真っ青な青空が、光を放って広がっている。地上にも、すべての生き物が歓喜して、大地は若い芽吹きに満ちあふれて光を放って輝いている。初夏の瑞々しい、新鮮な香りが天地の間を吹き抜けていく季節である。拙宅のわずかな庭の中に、大宇宙の摂理を包み込んで光と輝きの時期を迎えていることがわかる。その大宇宙を、手の平に乗せて小生の思いは限りなく逍遥し、限りなく遠くへと光を伸ばしていくことができる。祈りと瞑想は全てを可能にしてくれる、神の恩寵である。

   昨日の夜、娘の明子の婿殿が、務めていたゴールドマンサックスの旧友を連れて訪ねてきた。旧知の中で以前にも会った記憶があるが、近くの代官山の店で久しぶりに飲んで会食した後、庭のある拙宅に寄ってみたいという希望で訪ねてきた。全員で6名、私たち夫婦も加わって、庭のテーブルを囲んでなお飲食の宴を続けることになった。とりとめもなく話題を追って笑いの渦に溶け込んで、何しろ闊達な社会人たちなので、元気はつらつとして屈託がない。女性が三名仲間に入っていて、皆芝生が気持ちいいといって裸足になっている。大地に触れてその感触を感じているというのは流石だと思った。気持ちがいいという感触感は、心理に迫って単純に言い切って、率直そのものである。半月の光が煌々として冴え、浅い芽の芝生を萌黄色に染めている。芝生も月のしずくにかがやいている。庭に降り注ぐ月の光は朦朧として、謂わば間接照明であり、皆の顔も青白く奇麗に浮かんで見える。

   やおらして居場所をを庭から家の中に移し、今朝、配置換えしたばかりの広々とした居間ではあったが、庭を眺めたソファーに身を沈め、引き続き歓談の時間を過ごしていたら、いつの間にか11時を過ぎてしまった。明子の結婚式はニューヨークで行なったので、その場にも居合わせた子もいて話題は尽きなかったが、今夜は明日ゴルフに行く人もいて、それに気づいて慌ただしく解散となった。帰りの際、皆は畑に育っているほうれん草を抜いて、それぞれ袋に入れてお土産に持って帰っていった。この日は、昼間も夜の終日初夏の兆しで気温も上がり、風もなく穏やかに打ち過ぎて愉快に過ごすことができた。今夜は明るい月が、いつまでも付き合ってくれていた。ありがとう。  4月9日

若者と云え錚々たる社会人なれば歓談も有意義なりし

庭に出で素足で月のしたたりの大地の芝生に触れし冠者よ

吾もまた冠者の仲間に入りて思ふ未だ負けずに先を期すると

大声で笑ひを飛ばす若者のあの澄む月に届く気すらす

ニューヨーク結婚式後の舞踏会ワインに酔いて踊るわが身も   

さくら前線の北上

さすらひの旅こそよけれみちのくの桃とさくらの草みちを行く

天童の街の宿場に寝起きしてさくら吹雪にあたる遠き日

北上の川をひたすら上りゆく堤に咲ける花の輪のなか        

   息子が慶応普通部の一年、松尾芭蕉の奥の細道をたどって一週間ほどの旅を付き合ったことがある。 普通部主催の伝統の作品集に応募するための現地調査の一環で、小生が車を運転して手伝っていった思い出がある。小生も若い日々を過ごしていたころである。といっても現在も極めて達者で働いていることを、神の恩寵だと思って感謝している。芭蕉のたどった東北地方から帰郷して一週間後に、息子の作品は出来上がったらしいが、審査の結果、最優勝に入賞した。現地を調査し探求した息子の独自性を評価されたものだが、芭蕉に関して新しい人生感の見解を論じたところが高く評価されたらしい。息子のくそ真面目な普通部の一端をうかがわせるものだが、その息子は慶大在学中にアメリカのジョンズホプキンズ大学に留学、流ちょうな英語を習得、旧興業銀行に入行した。幾多の苦労を乗り越えて努力研鑽し今、メガバンクの代表取締役社長を務めているから、親父は何とも言えない。積極的であり、創造的精神にあふれ人間性豊かな面は保証できる。精神と同様に、肉体、身体も一回りも二回りも大きくなった感じである。その親父も、むしろ負けないぞと思いながら頑張って働いている。年を取る暇がない。 

  黒磯、仙台を経由して、広々と果てしなく広がった北上川の流域に沿って北へ車を飛ばしていったが、あの時の精神溌溂たる気概は若葉に燃える大地と、快晴の空を突いてゆく晴れ晴れとしたものがあった。まだ少年の息子についていった、思い出の旅である。紺碧の空に浮かんだ一片の真っ白な雲を追っていく天衣無縫の爽快さ、あの瞬間を忘れることは出来ない。 

一片の雲を追いつつ行く旅の楽しき歌の旋律に乗せ

咲く花の枝を透かして見る月の日暮るる色に背き光れり

いと白く輝く月のいとほしく人こそ思へここちこそすれ

ゆく雲のいずこと知らではかなさの君が居らむとつてを訪ねて

       続   4月12日 

    NHK 、その時の映像

  昨日のNHKテレビごご10時からの放映に釘付けになった。アインシュタインの学問の帰結を中心にしたドキュメンタリで、昔の映像を駆使して編集されて分かりやすかった。ドイツナチスのヒトラーに追われてアメリカに亡命するが、ドイツの方が先に原子爆弾の製造に成功すると思った彼は、当時のアメリカ大統領のルーズベルトに書簡を送り、原子爆弾の開発に総力を結集するよう呼びかけた。実験に携わったのは々ユダヤ人のオッペンハイマーだが、実験は7月に成功した。地獄を見たとは、学者が一様に語ったことである。そしてそれを広島に落とさせることになった。

  ドイツは、原爆を製造していなかった。アインシュタインは自分の見解が間違っていたこと、そしてもしその事実がわかっていたら、ルーズベルトに斯かる書簡を送っていなかったに違いないと述懐する場面だった。

  アインシュタインの相対性理論は、二ュートンの万有引力に勝るものであるが、ともに物理学会の双璧であり、その後の物理学の発展と、人間社会の繁栄とは切っても切り離せない因果関係になっている。良くも悪くも深くかかわりあって、今日に至っている。
因みに、E=MC2とは、
物質あるいは物体と呼ばれるものが消失して、相応量の熱や光が発生することがある。逆に熱や光を元に物質/物体が発生しうることがある。万物生成の、物理的過程である。

天才のアインシュタインの一生の末は懺悔にさいなまれし身に 

EイコールMCの二乗の相対性理論が原爆のもといなるとは

人間の知性が支配す世の中のおぞましきあと如何に窺ふ

優れたる感性の知性に勝るとも社会の必須要件とぞ云ふ

原爆の製造過程に成功し巨万の富を得る者もあり

戦争は死者と勝者を仕分けして貧しきものが犠牲を強いらる

数学を駆使してファンドを組み生かす無敵知らずの金融市場の

されどまたサブプライムローンの商品のリーマンショックを齎すもとに

相対性理論が現代の物理学発展の基礎となりし説なり

知性即、数学至上の欠陥を暴く金融市場の結末

理性より人の感性に価値を置くアインシュタインの学問の帰結

プーチンの妄想

  旧、植民地主義的な帝国主義的時代の領土拡張を妄想する、プーチン。権威をかざし、事大主義でもあり、根は残酷だが、あまりの幼稚と純粋さに驚きのほうが勝って唖然として開いた口がふさがらない。ロシアの戦略に一歩遅れたがために、原爆戦争を恐れて手出しにできないアメリカとEUの足元を見て、弱小国のウクライナに軍事侵攻して無差別攻撃を仕掛け、暴虐を以て恐怖を煽りっぱなしである。こんなことなら、大国は力に任せて幾らでも弱小国に攻め入り、領土と資源をほしいままに略奪し、弱小国の人間を奴隷化し、強姦や人身売買を行ったり、まるで中世の暗黒時代に逆戻りするようなもので、信じがたいことであるが、こうしたことが現実に起こっているから、驚きなのである。

  アメリカやEUはウクライナに武器、弾薬を送ったりして支援しているが、ウクライナ人に戦わせているだけで、自分たちは直接には表に出てこないわけだから、これも釈然としないところである。ウクライナがNATO加盟国でない理由からである。さりとてその理由を無視してアメリカとロシアが対峙して全面戦争に発展されても、世界を巻き添えにするわけで、核戦争の突破口を作り、これこそ人類の危機に直面することになり、こればかりはどうしても避けねばならないし、両陣営もぎりぎりの線で戦闘に加わっているところである。痛しかゆしの体であるが、こうした間にも、気が狂ったようにロシアによるウクライナの国土の破壊と、市民の犠牲が容赦なく続いているので、何とか戦争を止める方策を考えなければならない。

  現地を取材するする記者がプーチンに何を望みたいかと問われて、息子に死なれたウクライナの母親が語っていたように、プーチンが居なくなってくれればいいということが最良の解決方法だが、少なくともプーチンに戦争を思いとどまらせてもらいたいと云っても、かの「お山の上の大将で、腕白坊主」を説得できるものが今のところ居ないのである。 プーチンの機嫌を取る腰巾着ばかりでは、望むべくもない。ロシア内でクーデターが起きることが望ましいが、汚職で太った腰抜け軍人ばかりだから無理である。刺客を送り込んで暗殺することもあるが、83パーセントの国内での支持率があるプーチンには考えられないし、ガードが固く無理である。特別軍事作戦は続行するといっているプーチンに対しては、攻軍してくる戦車部隊を総なめするくらいの兵器を以て破壊するか、飛んでくるミサイルを完璧に迎撃、撃破する兵器を配備するか、高性能のドローンを以て相手の攻撃を阻止するか、いずれにしてもロシアの侵攻を今以上に許容しない反撃を以て、ウクライナ自身が撃退することである。

  「WEAPON」と繰り返しウクライナ外相が友好国に武器の提供を要請していたが、祖国防衛に意気旺盛なウクライナ軍隊と市民にとっては、有能な武器に勝るものはないし、ロシア軍を撃退することは可能かもしれない。それこそがプーチンにとっては致命的打撃になるはずである。話し合いでなく、矢張りWEAPON 、武器である。それも在庫払しょくのための中古ではなく、最新鋭の武器が必要なこと、悲しいかな、これが現実である。 そして、侵略行為を行ってきているのが、ロシア軍であり、プーチンはそのことを自らはっきりと明言しているのである。それに対してジ連しきーの使命と責任は、国土とともに、ウクライナの自由なる民間人を、犠牲と苦痛から防衛することが最大の急務ということになる。    4月13日

     ロシア艦隊の旗艦モスクワ巡洋艦の沈没

   ウクライナが攻撃したミサイルによって、黒海艦隊の旗艦であるミサイル巡洋艦「モスクワ」が沈没した。ウクライナ侵攻全体に与える影響は不透明だが、しかし首都の名を冠した象徴的な艦艇を失ったことで、ロシア海軍にとっては大きな痛手となり、今後の作戦に重大な影響を齎すに違いない。ウクライナのミサイル攻撃を受けたことを否定して、何らかの原因で火災を起こし消火活動をしていると、沈没を否定していた。しかしロシア国営タス通信も14日、同艦が火災を起こし、曳航中に荒波に揺られて沈没したことを正式に認めた。火災が発生して曳航中とはいえ、ウクライナの発射したミサイル、ネプチューンの二発の攻撃が的中して甚大な損傷を受けて沈没したことは明らかである。好みサイスはウクライナが独自で開発したものである。

  ロシア国営タス通信によると、ロシア国防省内で沈没したことは報告されたという。原因は弾薬庫の爆発による火災で船体が損傷し、悪天候の中で目的地まで引航されていたが、沈没したとしている。幼稚な事実報告だが、弾薬倉庫が自然発火するはずはないし、装備などを以て改善されたばかりの新鋭を誇る旗艦モスクワが、単純な原因で沈没することはありえない。ウクライナの強力なミサイル攻撃が致命傷で、即沈没したに等しい。キーフ攻略に失敗したロシア軍は群を再編し、攻略を目指す東部地域に軍隊を集中し総攻撃を開始するといわれている。こっちが駄目だからあっちへと、気軽に球を転がして人間をこき使ってもてあそんでいる連中に、被雇用者が早く気付かなければ反省する輩ではない。自国の兵士の命がどうなろうと、その家族がどうだろうと平気の屁の河童で、痛くも痒くもない、血の気のない餓鬼だからである。

 ところで凱旋を上げたウクライナ側は、同軍の対艦ミサイル「ネプチューン」の攻撃により、巡洋艦モスクワに「深刻な打撃」を与え、同艦は沈没したとの見方を早くから示していたが、一方でロシア側はウクライナ側の攻撃の在ったことを否定し、原因は「究明中」としていた。約五〇〇人の乗組員はほかの艦艇に退避したという。曳航中に大波を食らってバランスを失い沈没したということになれば、多くの船員も犠牲になったことだろう。敵も味方もなく、一人暴君のために命を落としていく状況は無慈悲、理不尽であって、お互いに無残に殺し合う現実を受け入れることは出来ない。

  ロシア兵の士気低下が云々されるが、強烈な言論統制があるにしても、スマホやSNS や、インタネット上で、若者の間ではたくさんの情報交換がなされている。自国の軍隊が他国の侵略を通じて何をしているか、何のための、誰のための戦争なのか、命のリスクをかけるに与えするものなのか、次第に分かって来るはずである。個人主義的意識の覚醒から来る、厭戦気分と、士気の低下はそうした結果でもある。

  米国防総省によると、ロシアのウクライナ侵攻以来、約20隻のロシア軍艦艇が黒海で活動しているという。巡洋艦モスクワは、活動する艦隊の旗艦であって、それが相手側からのミサイル攻撃で撃沈されたというのだから、ロシア軍に対する衝撃は相当なものであったに違いない。持っていたプライドを傷つけ、恥じらいの念を持つにいたるほどではないだろうか。本艦は、ロシアが近代兵器を搭載する主力艦隊の象徴的なものである。主として防空などのために設計されていたという。これを耳にしたプーチンの心境を想像すると、誠に複雑である。不安定になった結果、異常な精神状態を想像して、万一にも悪質な状況に戦況を持ち込まないことを念じるほかない。むしろいい機会となって、この戦争が両国にとって無益であることに気づいて、将来に道筋をつけられる方向に話を持ち込んでもらいたいものである。


戦争当事国にとって不利益な戦争

  ひと昔のように強国が弱小国を侵略して莫大な利益を持ち込んで国力を伸ばしていくという、いわゆる帝国主義的な考えは第二次世界大戦の終焉後は一般に通じなくなった。ましてや戦後もすでに一世紀の第三クウォーターを過ぎた時点で、そうした政治的発想を抱いて実行しようとするロシア国のプーチンが、狂った体制の中で強権主義的な施政を行って来た唯一の大国として裸の王様を演じたピエロであって、誇大妄想に走ったがためである。

  そもそも経済力では世界から立ち遅れてきて活力を失ってきているところに、今回のように隣国に攻め入って短時間で攻略できると判断したところに時代錯誤と誤算があった。それは正確な情報がプーチンの耳に伝わって来ない構造的な問題が原因していた。長年の政権に就いて権力の強化を図ってはきたが、イエスマンばかりの側近と、内部の汚職と腐敗の蔓延はもとより、軍隊の士気の低下にも大きく影響してきていたし、武器と云えば唯一「核」による脅ししかなかった。必然的結果であった。ウクライナの立ち位置と軍事力の情報戦に敗北の憂き目にあいながら、戦力を消耗し、軍隊の無駄な移動に戦費を費やし、自国兵士の犠牲者の続出は予想外な結果を齎している。言論統制と、プーチンの情報収集に重大な過失が伴っているので、ロシア国と戦力のお粗末な実態が天下に晒された結果のマイナスイメージが大きい。

  軍事的損失と、侵略的利益のバランスがの乖離がはなはだしく大きいことが次第に分かってきた。戦争終結の結論を得るには相当の時間がかかるようである。ウクライナからの損害賠償の提起もなされるはずである。国際社会からの強力な経済制裁もボデイーブロウとなってロシアは消滅するか、中国に飲み込まれていくかという憶測もささやかれている。プーチンの思惑と計算が狂って割に合わない戦争を、一方的に仕掛けたものである。

  EUの分断を試みたプーチンの長年の思惑も、逆にEU結束を固める結果になったことも留意すべき点である。EUの目的と存在意義を再確認した結果は、EUにとっても絶対的に大きいといわねばならない。広大な領土を有するロシア、それに対して、27か国の加盟国の、ちまちまとした国を合計しても比較にならぬほどの落差を持ちながら、よくぞ民主主義の鉄則を標榜し、ロシアのウクライナ侵攻を機に力強い纏まりをつけている様相に、歴史的意義を感じないわけにはいかない。ロシアの脅威を今回も目の当たりにして、EUの存在価値を再認識した次第である。ロシアと1400キロの国境を接するフィンランド、そしてスウェーデンがロシアの脅威を理由にNATOに加盟を申請する姿勢である。    続   4月18日

     学院同窓会の理事会

  4月9日午後1時30分から練馬区上石神井にある母校の高等学院で開催された同窓会理事会に出席した。一番新しいOBは第73期生である。自称38才を名乗る小生は、第五期生だから73期生となるとまるで孫のような感じである。気迫においては連中に一歩も引けを取らない気持ちで胡麻塩頭を真っ黒に染めていったから、効果てきめんであった。ひっくり返り、のけぞって驚くやつもいれば、目をくりくりさせて一言も喋れないでいる連中もいた。同窓会を総帥するY君は第23期である。年々規模が大きくなってきており、又近年のコロナ騒動で何かとご苦労の程がしのばれて、少しでも精神的助けになればと思い、出来るだけ出席するよう心掛けている。Y君はじめ関係者の人たちの尽力を以て学院同窓会も充実して活動し、発展を期しているところである。再来年には75周年を迎える。記念事業もコロナで規制がかかるかもしれないが、希望を掲げて邁進していきたい。

  半端な時間だったので、上石神井駅近くのスーパーで握り飯を二つ買い、学院までの間にこれを食べながら行った。せめてお昼の食事ぐらいは出しても良さそうに思われるが、最近はコロナの関係で自粛しているので会食、歓談の時間が制約されていて残念である。その前は、弁当も用意されていたし、閉会後の親睦会では結構な食材で飲食を楽しんだこともある。それが又、一つの楽しみでもあった。人間社会の様相を根底から変えるまでに至ったコロナ禍で、煩わしいこともあるが、そうはいっても母校を訪ねる気持ちはいつも同じ、青春を謳歌する気持ちで校門を通っていくが、これは実に爽快な気持ちである。畏敬して余りある先生方はみな鬼籍に入られていて寂寞たる思いであるが、ありがたいことに唯一、高木実先生がご健在であり、当時のドイツ語教諭として薫陶を得、多くの思い出があって懐かしく思い出される。大学を名誉教授の称号を得て99年に定年退職された。御年九十三歳になられ矍鑠としておられる。今年も賀状を頂戴して、嬉しき限りである。
 
  校門を入ると高いケヤキ並木が続いて初夏の芽吹きもさわやかに目に映ったし、いきなり大隈老侯の胸像があったにはいつも驚くのである。そもそも銅像だから致し方ないが、あまりにも剥き出しな扱いに、驚くのである。雨風に晒されっぱなしで、厚さ寒さにさぞかしお困りのことかと同情を寄せることしきりであった。目線が同じに向き合えてほのぼのとした感じを得て、しばらく姿勢を正した次第である。たまに来るからそうゆう思いを実感するのかもしれないが、赤軍思想を持つ辺りには、この胸像を見るたびに旺盛なる反骨精神を抱くものも居るかもしれない。早稲田はそれでいいのだと思った。敢えて云うならば、へそ曲がりには反骨精神の湧くのを感じ、支配勢力に抵抗するのを良しとする在野精神の涵養というわけだと云えるが、いつまでも在野に在ってはつじつまが合わなくなってくる。天下を睥睨することがあっても、民衆の安寧と平和を願う心である。それを実現する体制派に就くことも必要である。

  学院の校舎は立派な建物で見るからに近代的である。惜しいかなこの校舎では、学院の授業は受けたことがない。というのも、小生の五期のあと第七期ぐらいまでが授業を受けた場所が、早稲田大学のキャンパスの中にあった校舎であって、廃材を集めて建てた木造平屋建ての校舎が二棟であった。穴八幡神社の近く戸山町の高台にあったが、雨、風を凌ぐだけで文字通り貧乏校舎であった。終戦間もないころの話になって、ほとんどの人の記憶からすっかり消え去ってしまっている。当日出席された諸君には、全然わからない人ばかりと云って差し支えない。貧困状況から、高邁な学習が会得できた良き時代であった。まさに泥田に咲く蓮の花と云うべきか。

  翻って今日出席している小生以外の理事の人たちは、みんなこの上石神井の新校舎で教育を受けて卒業したOBの諸君ばかりである。従って小生にとっては今目にしている建物には、いささかも郷愁の念がわかないはずである。まるでほかの学校にきているみたいな感じである。ただし、先ほど校門内でお目にかかった大隈重信の胸像と、校内の壁に掲げてある会津八一の揮毫の二幅が、強いて言えば母校の勉学に励んだ記憶を懐かしくほうふつさせるものがあって貴重に覚え、いつものことながら懐旧の情に浸り、来てよかったと感じるのである。

  会津八一については当学院でも脈々として受け継がれていることに畏敬にも似た郷愁を感じて、八一の揮毫を身近にしみじみと鑑賞して、今日の理事会室へ入った次第である。その揮毫であるが 「養素全真」 という漢語を筆に表した美しい筆跡が鮮明である。いろいろな解釈がなされてもいいが、自分なりに考えると、要は、己ながらの素質と云ったものを広く深く研鑽して人格の陶冶に努め、かくして学問の道に通じて真理を極めて全身全霊を以て追求していこうという、おおらかな意味にとらえているのである。教育と、教育者の心構えと云ったものも含んで教訓としているように思う。学院の人間尊重と独立精神の独特な教育方針は、この会津八一の教育理念と、精神に根源を発しているといって正しい。

   一方、読書室にかけてある揮毫は一回り大きな額縁に収められているもので、曰く 「涵之如海 養之如春」 と記したものである。涵と云う字を「ひたす」と訓読みするといい。涵養の養にも似たるもので、要は、やしなうと云う意味合いであろう。教育とは、それを人を以て広漠として豊かな海にひたす如くという気宇壮麗な思いで綴っているところが八一らしい気概とでもいうべきか。広々とした気概の環境において、という意味合いにもなる。そして尚、万物が馥郁として生成しのびやかに春のごときという季節感を持ってくる。時間と空間と、時空を超越した教育の基本的精神を歌い上げて普遍性を示しているのかもしれない。堂々とした且つ深遠の揮毫に触れて、以て建学の精神に啓発を覚えてきたのである。 

  理事会では所定の議題の審議を終えて決議を済ませたあと、小生は理事長の君の労をねぎらい学院を後にした。駅周辺にはお茶を飲んで憩うような場所もなくそのまま西武新宿線の急行に乗って高田の馬場駅で下車。早大正門前行のバスに乗って早稲田の杜の大学キャンパスに寄ってみた。キャンパスの中央に立って、大隈老侯の銅像をしみじみと見上げ、振り向けば大隈講堂が悠然として華麗な趣に目に映ったのである。懐旧の念ひとしおなる思いに図書館、演劇博物館、そして心に描いていた古色蒼然の面影を法学部の二号館、本部の一号館、昔共通教室と云った記念講堂に伺いながら、政経学部の在った場所を覗いたが、建物はなく後には新しく高い現代風の建物に代わっていて、むしろ寂寞の感を禁じえなかった。しかし銀杏の木はそのままに植えてあったよう感じ、学窓の往時をしのぶことができた。 

  図書館に入ると、ここは常時、会津八一記念博物館として用いているらしく、興味を持つ和歌と書道の展示品は行われていなかった。考古学・民俗資料の常設展示にて逸品が揃っていたが、他にさしたる興味を持たせるものがなく、幸いなことに、たまたま気づいて二階に登り、当時は豪壮な趣を以て知る図書館であったが、学生時代に小生は借りた図書を以て、今日改めて思い出の広い閲覧室だった部屋に入ることができた。決して大袈裟なことではなく、かのシステーナ礼拝堂の大天井を連想すること夥しく、ドーム式の高い天井を仰ぎながら圧巻であり、閲覧室には当時、分厚い大きなテーブルが幾つもも並んで置かれていた様子を懐かしく思い浮かべたのである。その中の一つのテーブルの一角は常時、小生が借りた書籍をうず高く積んで勉学に励み、長いこと顔をうずめていた時のことを思い出していたのである。あの大きなテーブルは今、どこに保管されているのだろうか。あれば記念に一つ譲りうけたいと思っている。 大円球の高い天井から釣り下がっている 四か所からの壮大な電灯も、昔のままだった。失礼を承知で展示品には目もくれず、ただその大円球のドーム式大天井を、感慨深く見上げて、広々として康大かつ静粛な閲覧室を見渡しているのみだった。

学窓の学院の地を訪ね来て建学精神を身に宿すかも   4月18日


徹底抗戦のアゾフ大隊

  武器を放棄して降伏を呼び掛けるロシア軍に対し、徹底抗戦をするウクライナの都市、マリウポリノの巨大製鉄所の地下にこもるアゾフ大隊である。ロシア軍が包囲を続けて久しく、まだ避難しえないで残っている民間人がいて、悲壮な状況である。冷酷無比のロシア兵であり、容赦なく打ち込む弾丸に晒されている女子供たちの命運が、風前の灯火である。見るに耐えざる戦況の報道に、光景に連日息が詰まる思いである。ウクライナ南東部の要衝都市マリウポリとはいえ、ロシアの大軍に対し徹底抗戦を続けるアゾフ大隊の司令官は、「最後まで戦う」と決意を語っているが、武器弾薬に乏しい状況に戦況は改善の見込み薄である。

  兵士らが拠点にしているアゾフスターズ製鉄所は欧州最大の規模で広大さは十分に想像できるが、ロシア軍からの激しい攻撃に耐えられる構造だとしても、地下での避難生活は長期に及んでおり現在、子どもを含む市民1000以上がが避難しているとし、地下には医療設備もあるものの、電気や薬もないとされ、ましてや食料も不足がちだと話した。ゾリン司令官は「生き延びたいと攻撃から逃れてきた子どもや女性、高齢者がたくさんいる」とも語っている。続けてゾリン司令官は、「われわれは今、戦い続けている。(マリウポリを)明け渡すつもりはない」と述べ、徹底抗戦する構えを強調した。 では地下室に避難して生き延びたいといっている子供や女性、高齢者の人々は一体どうなるんだと悲痛な叫びをあげる心境だが、いかんともしがたい現実に茫然自失の感を禁じ得ないでいる。

  無法者が狼藉を尽くし、他国の領地を侵し、民衆を殺戮し、物財を略奪しようとする野蛮極まる行為に対し、国際社会の救援がもどかしい状況であり、あまつさえこうした行為を支持するという国があるというから、嘘、偽りを以てまかり通る奴らに天罰がかかることを願いたい心境である。武器を捨てて投降を呼び掛けても、投降すれば殺害が明らかだから、軍人なら徹底抗戦に及ぶだろう。巻き添えを食う善良な市民の救済の道は、お先真っ暗である。せめて女、子供老、老人を助けだしてから、やり合ったらどうだ、腰抜けのロシア兵と士官たちよ。山賊行為を犯しているのはロシア兵である。全体を指揮しているのはロシアのプーチンである。もういい加減に目を覚ましたらどうだ。仮に破壊尽くした後のウクライナを手中に収めたとしても、ウクライナの愛国心まで抑えることは出来ず、ゲリラ戦に一生悩まされること必定である。復興資金は膨大に、世界の締め付けは強固に、財政崩壊と、ロシア国の消滅にまで及びかねない。プーチンの裸の王様だが、目を覚ましてもらいたいものである。 何の罪もない民衆の、尊い命を救うべきである。   4月20日


    裸の王様

  20年という長期政権に居座って皇帝気分に変容していくプーチン、年齢は高い70歳近くなるがゆえに強欲を極め、自己本位になっていく流れである。従っていわば皇帝の地位にあって、俗にいう「裸の王様」 であって周囲からの批判や反対を受け入れないために、真実が見えなくなっている不幸な人間というべきか。独占的な地位にあって、周囲からの批判や反対を受け入れないために、真実が見えなくなっている人のたとえにも使われている。権威主義と恐怖政治を敷くプーチンにとって、自らはすでに「裸の王様」であることになかなか気づく様子でもなく、悔い改める状況にもない。唯我独尊的な地位にあって絶対を敷き、周囲からの批判や反対を受け入れないために、又、怒りを恐れて事実を伝える人物がいないために、気の毒だが真実が見えなくなっているプーチンの立ち位置である。神の声に待つより方策はないのだろうか。   4月21日



攻撃中止命令

   映像は大袈裟な政治ショウとも受け取れて空々しかったが、プーチンが国防大臣と相対してウクライナの東部都市ネリウポリの完全制覇、掌握したとの報告を受け、プーチンは「目的を遂行した」として祝意を述べた。次いで市中にあるアゾフスターツ製鉄所については、地下に残党するウクライナ軍と避難民については、これ以上の攻撃は無益だとして中止するよう命じた。ただし蠅一匹も入れさせずに封鎖しろとの指示である。広大な地下室を攻撃することは不可能と判断し、降伏勧告に応じない地下室に今なお戦意を失わず戦うウクライナ兵士の2000名余と、1000人近いと推定される民間人についてはそのまま封じ込めるという作戦である。兵糧攻めにするということである。いずれにしても悲惨な結果である。
  ネリウポリにはいまだに10万人からの市民が取り残されているというから、深刻である。ロシアの空爆は継続されて行われているので、ロシアの云う遠い解放されたということは懐疑的出る。何とか人命救助の道を切り開入れ貰いたいものである。ゼレンスキーは、製鉄場の地下室に避難している市民を以て互いに捕虜の交換を提示しているが、ロシア側の反応はない。人道回廊と称して市民の救難の保証を取り付けて実行しようとしているが、ロシアがこれの円滑な行動を阻害して十分に実行されていないのが現状である。人的資源としてロシアに連れ去り、シベリアへ送り強制労働に使う意向である。それは彼らの伝統的常とう手段だからである。

  日本政府は今までアメリカやEUと足並みを揃えて、ロシアに対する厳しい制裁措置を毅然として行ってきている。数日前には、好ましくない動きをしているとして在日ロシア大使館の職員8名に対し国外退去を命じた。近時のウクライナ問題では、ロシアとプーチンの行動に対しては失望の念を禁じえないが、しかし国際紛争は平和的の解決を図り、国際法の尊重と、世界秩序と安寧の維持を図ることに万全を期するため、日本は毅然たる姿勢を図ることは云うべくもない。今回のようにかっては旧ソヴィエト連邦の構成員だったことを以て、独立し主権を行使する国に対して力を以て一方的に侵攻し、領土や財物を略奪し、人々を殺傷し、莫大な損害を与え破壊するという蛮行を許すことは以て闇夜の山賊の下劣なる様にて断じて許容出来ない。

  我が国もロシアとは戦後長きにわたり相互の貿易を続けて良好な経済発展を繰り広げてきたが、いまだに平和条約を締結するには至っていない。隠忍自重を繰り返しロシアとの外交交渉を以て、両国関係の構築を、更に深度を以て臨みたいところであるが、約束事がいつも反故にされがちであるのは残念である。北方領土返還にしても、四島返還を目指し、少なくとも二島の歯舞、色丹の二島を先行して過去半世紀半に及び交渉してきているが暗礁に乗り上げたままである。ウクライナ問題発生後、日本のロシアに対する外交姿勢を以て、領土問題は中止するとの発言であって、やりかねい事案と思いながらも、交渉の場を断ち切ることは断じて受け入れられない。旧帝国主義的発想はロシア政府のも妄想の未だくすぶり続けているところで、国際情勢と規律に反すること著しいものである。反省を促しても、納得しえないところがロシア的風土であり、思考である。プーチンはいつの間にか源流に戻って悪しき性をむき出してスターリン化し、ナチス化している。ヒトラーはかって 「ドイチュランド ユーバー アッレス」 と云ったように、プーチンもいつの間にか侵略、略奪、破壊を繰り返し暴力主義を以て、覇権主義、征服主義を抱く誇大妄想に走ってしまっている。ヒューマニズム精神の一片もなく、その欠如はなはだしく、人間の歴史に汚点を残す悪霊的象徴となってしまっている。人面心獣のさまである。5月9日がドイツナチスに勝利した戦勝記念日とうたっているが、プーチンそのものがドイツナチスを踏襲するさまになってしまっている。今回のウクライナ侵略行為は正しくナチスを真似た旧式の戦略的戦争である。
                                            4月22日


マクロン新大統領

  かねてから懸念されていたフランス大統領選挙の決選投票が24日に行われた結果、現職のエマニュエル・マクロン氏が、極右政党で国民連合のマリーヌ・ルペン党首を下し、再選された。終盤になってルペンの追い上げが激しく現職のマクロンに迫っていく感じであったが、中間層の取り込みに成功したマクロンが、ルペンの追い上げを振り切った感じである。何はともあれ今後の5年間をマクロン氏がフランスの国内政治とEUのかじ取りを託されているマクロンが勝利をしたことで、EUの結束を乱すことなく、現下の情勢についても、ロシアの攻勢を回避しながらウクライナ戦争の平和的解決を促すためにも活躍が期待されることである。

  投票の結果はマクロン氏が57.0~58.5%、ルペン氏が41.5~43.0%とったことで前回より両者の差は縮小したものの、依然としてフランス国民の冷静な判断が示されて歓迎すべき事柄である。今までのルペンの発言を聞いていると自国第一主義であってEUからの脱退をも辞さないというし、ロシアよりの思想も危険だし、トランプのような過激的なところがあって民主主義の連帯の切り崩しをもくろむところもあって、その動向は常にリスクを負うものであった。近年、極右的、ポピュリズム的風潮が台頭して、世の中の混乱を助長するがごとき風潮が高まってきているところ、ルペンの抑え込みに成功したことで安堵の念を感じ取った。ルペン支持の票が前回より多くなってきているが、支持層の伸び方は、ここまでであろう。

  両氏が対決した2017年の前回選挙の決選投票では、マクロン氏が66%以上を得票しており、今回の選挙では差が狭まった。比較的大きな差をつけたことで、マクロン氏は2期目に向け一定の自信を得られるが、フランスで極右が政権獲得にここまで近づいたことはかつてなかった。風潮的には、要注意である。マクロン氏は、「多くの国民が極右に投票した原因となった怒りや意見の相違に対し、答えを見つけなければならない。それが私と、私の側近の責任だ」と言明して反対意見にも耳を傾けていく姿勢を示した。すなわち一期目とは異なる「新たな方法」で、フランスを統治していくと約束した。

 マクロン氏再選を受けて安どの念を禁じえなかったことは我々ばかりではない、欧州では大きな安堵が広がった。顧みれば英国の欧州連合離脱や、アンゲラ・メルケル前独首相の退任が続いた欧州では、仮にルペン氏が当選すれば、EU のかじ取り役がいなくなると懸念されていた。そうした意見が圧倒的な証拠としてイタリアのマリオ・ドラギ首相が述べているように、マクロン氏の勝利を「欧州全体にとって素晴らしいニュース」だと歓迎しているし。ドイツのオラフ・ショルツ首相などは、仏国民が「欧州を強く信任する票を投じた」と極めて称賛に近い言葉を以てこれを高く評価していた。

  又、EUのシャルル・ミシェル常任議長、即ちEU大統領は、EUが「また5年間フランスに頼ることができる」と表明している。更にはウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長も、「われわれの素晴らしい協力関係を継続できることをうれしく思う」と祝意を表明した。

  パリのセーヌ川とエッフェル塔は自由と歓喜の象徴であるが、その優美な姿のエッフル塔には勝利の祝福を示し、自由と民主と人権を表して赤色のネオンが点灯され、マクロンの民主主義的勝利の結果を歓喜を以て示し、伝統の体制を象徴しているところが素晴らしく脳裏に焼き付いたのである。    4月25日

    先祖の墓参り

  一週間ほど前に、娘の明子から 「墓参りをしてそのあとに千葉の真名カントリー近くにあるソリルの杜に行ってみないか」という話があったので即刻賛成して準備し、23日と24日の両日を使って家族そろって車を飛ばして出かけてった。ゴールデンウィークを翌週に迎えての土曜、日曜をむしろゆっくりとしたいという思いがあった。佐々木家の祖先の墓参りをするのはこのところなかったので、両親に会って、親戚にも会って感謝のお礼を述べて、元気でいる我が家の近況も伝えたいと思って喜び勇んで出かけたところである。菩提は市川の国府台にある名刹、即随寺である。鎌倉に居を構える弟夫婦にも声をかけたが、あまりにも急な話であって、その日は予定が入ってしまっていたので残念がっていた。

  祐天寺駅前で明子夫婦の車に乗せてもらった後、目黒駅前で息子の裕介を乗せてもらい、そのまま目黒から首都高速に入って千葉街道を走行、市川ジャンクションの手前の小松川で降り都内の一部を走り抜け江戸川を渡って千葉県は市川の国府台に着いた。一帯はその昔、永井荷風や伊藤左千夫の住んだ場所だけに風雅に富む田舎的雰囲気が、今の時代なおさらに貴重に思えるてくるから不思議である。そうしたたたずまいの中にお寺さんの広い敷地が構えて在って、今の新緑の時期なればなおさらのこと、しばし静養するような気分でご先祖様にお目にかかれるわけである。ありがたき事この上ない幸せである。
  さわやかな気分で墓参に参上したが、迂闊にも墓前に供える花を忘れてしまった。ご住職の奥さんがそれに気づいて、御本尊に飾ってあったお供えの花を、一部お裾分けくださって二束として頂戴することになった。この上ない縁深いお花であり、むしろ霊験あらたかな添え花として墓前に飾ることができて、至福を感じながら畏敬する父母と兄弟、そして遠い先祖様を奉ることができた。お墓参りは、若葉の燃える清々しい初夏の薫風の下、清冽なお墓のたたずまいに触れながら家族そろって和やかに済ませ、しばらく辺りを眺め楽しみ、普段の過ごし方とは違った時間に、何となく落ち着くことができた。

  お参りを済ませ、本殿の釈迦如来に香を焚き慎ましくお参りを済ませてから、即随寺を後にした。若葉に輝き映えたまぶしいほどの、昼間の光である。時刻は12時半を回っていたので昼食をとることにしたが、あたりにめぼしい処が見つからずナビゲーター検索しそれを追っていったところが、何とも無粋で素朴に過ぎた小さなラーメン店であった。店の前は広々としたネギ畑が広がって、気持ちの良い風が吹き抜けていくが、肥料をまいた後の匂いがそのまま身に吹き付けて栄養たっぷりな感じである。この店のラーメンの素朴な味付けに定評があるのは、専らこうした理由にもよるのかもしれない。珍客の来店に気負った老夫婦の手厚いもてなしに、仕込んだ麺を十分に味わったあと、しばらくの間、田舎の道をWBMの車に乗って行楽のコースを再び走っていくことになった。

   乗り疲かれた小生は、腹ごしらえのあとの睡魔に襲われて、たっぷりと熟睡、久しぶりに頭の中の血流が盛んになって気分爽快の心境であった。気が付くと街道筋を抜けて今やソリルの杜を思わせるような道伝いを走っていた。依然来た時の記憶にある古民家や、その前に広がる田んぼの青さを思い出しながら初夏の田園風景を堪能していた。

  ソリルの杜に入ってきた。リソルの森は、東京ドーム 70個分の敷地に広がる体験型リゾート施設として宣伝されている。センターのホテルを中心に数多くの山小屋風の宿泊施設を兼備し、スポーツ施設やレストラン、スパなどがあり、何度来訪しても新しい驚きにあふれている。この諸施設の中の一部にホース・ガーデンがあるが、この経営をしているのが長兄の娘夫婦である。馬が好きで、浅草から引っ越しをしてきてまで夢中になってしまった。厩舎には預かっている名馬も含め45頭の馬の世話をし、観光客を相手に乗馬を楽しめる施設も備えてある。長兄に授かった三人の娘のうちの末っ子の訓子ちゃんである。

  森閑としたなだらかな森は、古い歴史を思わせる古木が蒼然として立ち聳え、緑の陰影をかもして深遠の境地を覚えさせるに十分である。一瞬のこと、強い日差しが照り付けて明るい広場に出ると行く先を塞ぐように12階建てのホテルが見えてきた。前回、この地を訪ねた時には周囲に点在する山小屋の二棟を借りて、野趣にあふれた過ごし方を楽しんだことがあるが、今回はホテルの7階部分の大部屋を借りてみた。中央に広い居間を配し、両サイトと手前にそれぞれ三つの広い寝室が備えてあった。すべてのサイズが大型で開放的であり、ゆったりとした気分で過ごせる利点があった。

  窓から見る景色は森の山そのもので、大地が鬱蒼とした波のうねりに、これを遠望する立ち位置に浩然として眺めていた。初夏の新緑と風のそよぎは、幸いなことに家にいても楽しめるが、広漠とした大地の緑の波打つうねりと、大木のそそりたつ杜の圧巻は格別であり、森の生活と銘打ったソリルの杜ならでの感は否めない。天気晴朗に恵まれ、妻は窓から見渡す景色に、感嘆の声を発することしきりで、連れ立ってきた子供たちも一様に感動しているのを見て小生もうれしかった。森の中では緑陰のハンモックに寝そべって、鳥の声を聴きながら今から楽しみにしている。


新緑の大きな森を見渡してソリルの山に夏は来にけり

初なつの木立の杜は大らかに芽吹き息づきみどり燃え立つ

山並みのみどり豊かに大波の如く打ち寄せ身を浸しけり

杜深く立ち入る道を分け進み聞くうぐひすの声もしきりに

新設の野外の野天の湯につかり息子と世のこと語りあへしに

野天湯の湯は真っ黒にぬるぬると熟成したる海藻がゆへ

じっくりと黒湯につかり真っ黒に体を染めることも頼もし

地中深くくみ上げし湯は黒色のいかにも滋養に満ちて身に良し

初なつの風のそよぎに芽吹く木の萌黄の色の目にもさやけき

うぐひすの高なく声の木の間にて妻と所在を確かめあへり

高見より大地の杜を鳥瞰しみどりの波に身をさらしけり      4月


諸事感想の歌


初なつの空の光にいざなわれ学び舎の里巡りゆくかな

思い出の校舎をめぐり恩師らの姿しのびつ暮るる学び舎

政経の校舎の跡は把え得で一号館と本部のみなり

昔在る威風堂々の図書館の前に真向かひ感慨深き

その昔偲ぶ図書館の前に立ち内部に入れば学習のあと

図書館の時代の波に失せるかと思案に災禍をまぬがれて来ぬ

政経の学生時代の熱き日を偲ぶ図書館の閲覧室にて

老侯の銅像の前に対峙して建学精神のよみがえる今

正面の共通教室に教授らの名講義を聞く若きかの日よ

学院の右総代の栄誉を得て竹野院長より証書授与さる

平田ゼミ履修に教授の財政学学ぶ教室の窓の銀杏

幾星霜のちの銀杏の幹も又固くすがしく触れて頼もし

朗々と声を発して英文を読む大内教授のけだしおもかげ

房総の上総湊の別荘に大内教授と過ごす夏の日

マルクスを学び批判す堀江師の著書の未だに置きて学べり

ゴットルの経済理論の省察に酒枝教授の深き哲学

経済の構成体論的把握こそ人類社会の安寧に帰す

敬虔なるクリスチャンとして生涯を清冽に生く酒枝教授の

日経の萬社長が我を指し心の友と人に招けり

日経の萬夫妻が仲人の執り成しを得り我れら夫婦の

著名なる竹野長次院長の日本文学史論を手にしつ

名著なり英国産業革命史小松教授の躍如なるあと

八雲著の小説を読む原書にて大内教授の声の朗々と

学院の壁に八一の揮毫あり「養素全真」とは学究のもと

ひたするに海の如くにやしなふに春の如くとは教育の道

歌と書の大家と認む自他ともに和歌の調べと墨蹟のあと

死してのちよみがへる身の主に覚ゆ復活の身の永遠に在りしと

十字架の主は死してのち復活の具現に示す全能の神と

正面の共通教室のいまだ在り名残も尽きでしばしたたずむ

わが胸に熱き思ひの湧き出でて久保田教授の姿浮びく

華麗とも思へて学ぶ自ずから久保田教授のケネー研究

名著なり英国産業革命史ページを開き文字を追ひ行く

右総代卆業証書を受けし我名誉なりしと思ひ奮起す

あきらかにこの共通教室に八百余の右総代と登壇致すに

いとほしき我れが母校の健在に常盤の森に在りて頼もし

十字架の主は復活の証しなり永遠に灯せるあがなひと愛

十字架のあがなひに立ち我ら皆生きる力と希望を得るなり

裏切りのユダに十字架に就くイエスの悲しみ泣けるマリアその人

十字架の主は死してのち三日後に復活されて世をば救ひし

復活のイエスに集ふ諸人の喜び祝ふハレルヤの声

よみの国よりこの世にて凱旋す主こそこの世の正義なりけり

ルカの書を拝読しつつ教会の窓べに灯る復活の影

うつし世の乱るる波の鎮まりて復活の主にこぞり来し民

あがなひと愛のあかしの十字架の主に仕えゆく我のこの道

学院の理事会のあと大学のキャンパスに立つ我は賢こし

政経の窓べに眺む銀杏の樹は幾星霜ののちも変らじ

菜の花の咲きたるあとを耕作し苗に備えて施肥いたすに

菜の花の黄に染まりて庭うちの明るく日暮るころとなりけり

庭うちをしきりと妻が巡りゐて夕餉の野菜を摘みて集めり

蕗の葉のうちわの如くしばしのち蛇の目の傘をひろぐあたりに

咲き初めし花は桃色に灯もるころ我が青春も斯くやあるべし

梅雨入りと覚ゆさめざめと絹糸をながす小雨の眺むつやめき

雨だれの音のこもりし夕べかも石に坐れる蛬が一匹

急激な円安に会う日本の経済界に課題山積

一ドルが130円を突破せり20年来とも云へる水準

急激な為替変動に戸惑ひぬその影響の及ぶ随所に

堅調に過ぐるは良しとす株式のゴールデンウィーク前のこの日に

我が宅を撮る大兄の写真ゆえ飾りて眺む朝な夕なに

黄金の連休を前に勤労す今日もつつがなきに勤めり

プーチンのウクライナ戦争の仕掛け人神の天罰受けて然るに

国連の事務総長の訪問しプーチン、ゼレンスキーらと会談の席

ウクライナ戦況を見て明らかにロシアの侵略戦争と断づ

狂気なるプーチン相手の戦ひに長期戦とは之また如何にや

疲弊するロシア軍力の動向とロシア市民の覚醒に期す

キーフ市を訪問中のグテーレスにミサイル発射のロシア軍兵

原爆による攻撃もちらつかす狂気の沙汰となりぬプーチン

熾烈なる爆撃を受くウクライナ国と市民に栄光の在れ

ゴールデン・ウィークの初日にただならぬ大雨となり出足くじかる

ハレルヤー妻のコーラス演奏会独唱に立つ意気の勇まし

アリサてふ女を待つ間のつれづれに書き留め置きし恋の歌かな      4月29日


      大丈夫か円安の加速

  日銀が金利を低く抑え込む姿勢を明らかにしたことで、28日の外国為替市場では円安が一段と加速して円相場が一ドル131円をつけた。これは何と20年ぶりである。こつぃに入ってからアメリカのFBR,連邦準備制度理事会の金融色紙目の転向で長期金利の上昇が続いてきたが、4月に入り日米金利差だ一段と開いて、円安、ドル高の進行は徐々に早まりつつあったが、ここにきて供促に円安が進んだ感じで、経済界は対応に苦しんでいる。しかし日銀としても政策遂行に苦慮しており、動きの取れない状況である。金融政策的には、粘り強く金融緩和を継続しながら、具体的には10年物国債利回りで、0,25パーセントの利回りで無制限に市場から毎日買い上げていくという手法である。

  インフレが進むアメリカでは、金利を引き上げて景気過熱を抑えにかかっているが、日本では逆に景気回復を図るために金利を下げる政策をとらざるを得ない、この違いからどうしても格差が開いてきてしまうジレンマにある。金利の高いドルにマネーが流れ込んでいってしまう。つまり金利の安い円を売って、金利の高いドルを買いに向かって出るという説明になる。それにしてもここにきて110円ところで推移していたドル円相場は一気に15パーセントほど円が急落したことになって影響は大きい。輸出産業はいいとしても、原材料を輸入している企業にとっては痛手である。 尚予断を許さないウクライナ情勢もあって、資源価格の上昇が産業界を直撃してコスト上昇が極めて顕著であり、周りめぐって消費者物価にも及んできている。

  通常の金融政策課さすればアメリカのように金利を上げて過熱を抑えたいところであるが、景気が過熱して物価上昇に跳ね返ってきてるのとは状況が違うので、金利を上げて景気を冷やすのとは違ってくる。従って、コロナ禍から漸く景気が回復しつつあるところで、金利を上げにくいこともある。消費者への直撃をできる限り軽減する政策に徹しないと政府への不満も高まって、この夏には参議院選挙もやってくる。企業倒産も防ぐ必要がある。又、財政的にはコロナ禍と軍事費の予算の増大などもあって財政負担が増してきている現状に鑑み、矢張り金利を上げにくい場面である。景気の動きに逆行したり、株価の低落があったりすると国民の不信を買ったりする。 難しいかじ取りを強いられるが、しかし、焦眉の点は為替相場の動向であり、悪い円安は回避すべきである。黒田総裁の辛抱と、賢明な決断の時期はまじかである。    4月29日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ