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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.21.12

天気晴朗の師走

  荒れた大雨が夜明けとともに上がって、くまなく晴れ渡る空の12月一日である。昨夜から激しい雨が終夜を通して大地をたたき続け、朝には紅葉していた樹木の葉がすっかり落ちてしまった。雨風できれいに払われた明けの空は、早くから茜色に染まって、やがて金色に輝いた太陽が昇ってきた。一年を締めくくる最後の月の初日である。朝日影の輝きは、希望に燃えて、明るい将来を展望できるものゆえ、良い年の瀬であってほしいし、来たるべき新年につなげていって貰いたいと念願している。

  オミクロンという新型コロナウィルスの登場で、またもや世界を震撼とさせているが、いまだその実態が把握されていない現状である。過剰に反応し世界を混乱せしめている感じであるが、用心するに越したことはない。これまでの経験で迅速に対応して、冷静に対応的な処方箋を考えていくべきである。発症した地域が南アフリカで、当局がいち早く発表して世界に警鐘を鳴らしてくれたことはありがたいことである。慌てた各国は水際作戦をとり、厳戒態勢を敷いたりしているが、ある国ではすでに現地周辺からの旅行者の入国を禁止している国も出てきれいる。アメリカや日本もそうである。

  オミクロンの実態調査も進んで、罹患者の症状の特徴なども検査中であるし、感染力や毒性なども現在慎重に調査している。効果的な薬剤の開発も手早く手掛けたりして、すべてが検査と研究の途中経過である。願わくば軽症に済む変異種のコロナウィルスであってほしい。世界各地で数名ずつの感染事例が伝えられているが、日本でも昨日南アフリカから入国した搭乗者の陽性者の中から一名が子の変種株のオミクロンに感染しているのが見つかり隔離された。

  新型コロナウィルスの感染状況は世界の国と地域でまちまちであるが、イギリスやドイツ、アメリカなどで再拡大に向かっているところもあって苦慮しているところだ。幸いに日本は新型コロナ感染者数が減少傾向にあり、対コロナ対策の規制が全面解除になったところだが気を緩めず、このままの体制と状況を維持していくべく、皆んながこぞって注意しているところである。ワクチン接種を完了させ、平凡な対処療法ながらマスク着用と三密を避けて、日々のコロナ感染予防の訓練励行に努めていくべきである。    

ひむがしの茜の雲に光差し黄金の朝日燃えて昇り来

にしかたの遠野の空に富士ケ嶺の朝日に映えて輝き聳ゆ 

あかときの茜の雲を突きひらき初日豊かに昇り来るかも

ひむがしの空朗々と開け染めて初日豊かに輝きそむる

間を置きて互ひにメリー・クリスマス・アーメンと述べ祝ふイブかな 

紺碧の空晴れ渡るまほろばの黄金に光り明くる朝かな

大みそか時の過ぎゆく音に気づき見上ぐる空に夕月の影

初春の気高き富士の山もとの茜に染まり暮るる里かな

ふる寺の大き鐘つく音の重く冬の大気に振れて響けり

薬草の花散りばめし節膳の今年も祈る息災の日を

             12月1日


立憲民主党の新代表

  ニッポンの政党政治の健全な確立を図り、民主主義政治を維持していくためにも、野党の責任ある存在と活躍が大いに望まれるところである。先の総選挙では、枝野氏が、代表を務める野党第二党の立憲民主党が多くの議席を減らした責任を取って辞任した。その後任の代表者を選ぶにあたって4人の立候補者がたって連日熱心な主張演説が行われてきた。そして投票と即日開票が今日30日に行われた。その結果、決選投票となって泉健太郎政調会長が逢坂誠二氏を破って新代表に就任した。泉氏は47歳、党の若返りと活性化を目指して果敢に主張して戦った。

   自由民主党の盤石の政党に対して戦い、政権の奪還を目指すには、それなりの国民の支持を得なければ達成できないことは自明である。国民の支持を得るには党と議員諸侯が、それなりの力を伸ばしていかなければならない。日本の第二野党を自認する諸君たちには、それだけの魅力と説得力が欠けるがゆえに、常に政権の座を自民党、自公政党にほぼ独占されてきているのである。これは国民の真意ではない。自公政党に少しでも近づいて、国政に参画してもらいたいと国民は思っているが、野党第一党の立憲民主党にはその実力を備えないでいることがもどかしく思っているのである。今回の総選挙でも、自公政権に対する批判票の受け皿となるべき立憲民主党が、その役を果たしえずに、日本維新の会に大方流れて行ってしまったというのが専らの見解である。結果、立憲民主党が多くの議席を失い、日本維新の会の躍進につながったのである。なんと4倍近い議席を占めるに至った。もとより現実的活躍を有権者に認められた、日本維新の会の努力研鑽の成果でもある。立憲民主党もぜひそうした努力を積み重ねていって、大政党としての活躍を期待したいところである。

  立憲民主党の新代表に泉さんが選任されたが、そうした背景を担って登場したものと確信し、ぜひ明るい政党として、国民から現実的に成長したと認められるまでに成長していって貰いたい。泉さんは、早くも公約した通りの人事をもって党役員に党代表として戦った3人の候補者を、重要な党役員に指名している。中でも女性を起用して幹事長の要職に西村智奈美氏を起用した。党の団結を図るには現実的一歩を踏み出したことと評価できるし、電光石火の決定は、泉氏の若さと、性格の良さと柔軟性を示してあっ晴れである。そして現在の政治情勢の展望であるが、野党の諸君は巨大な自民党に立ち向かって政権奪還を図るには、立憲民主党が成長して、日本維新の会をはじめ、その他の野党を一つにまとめて大同団結を図る道しかないというのが、小生の見方である。すなわち小異を捨てて大同につくということである。言うなれば政権奪還が目的ではない。それはあくまで手段であって、目的は国民の信任を得て正しい政治を行っていくことが目的である。曽於祖茂正しい政治と七以下を身につけなければならない。正しい政治とは国民の生命財産を守り、安全と安心のできる毎日の栄を確保し築いて、もって国民の幸福を最大限に伸ばしていくことにある。そのためには立憲民主党自身がもっと大人になることであり、国民に信任を得られるよう努力して政権を奪還することを目指すものでなければならない。その際はその他の野党は、共産党を別にして、国民の目からして選択の余地がなく泡沫的と解釈している。

  自公政権の岸田さんは、当初から弱腰というレッテルを張られて、総理総裁の器ではないという風評と云うか、評価に甘んじていたが、天命とでも言っていいかもしれないが、見事に総裁の椅子を射止め、その後の素早い総選挙に打って出て党勢を拡大し安定政権を確立した。穏やかな風貌には自信に満ちた安定感がついてきたし、短期間の間にも現実的な政策を打ち出して国民の信頼を得てきている。内外の流動化する政治経済情勢の中にあっては、国内の与党、野党が、お互いに切磋琢磨して伯仲するところに真の政治的進歩があり、国際社会での日本の優れた立ち位置の発揮が期待されるのである。     12月2日


変種株のオミクロン その毒性が?(低い)

  新型コロナの変種株オミクロンが言い伝わってから世界が喧々諤々のありさまで、日本も水際対策を強烈に打ち出して騒ぎがでかくなっている。今日現在、感染力は世界に及んで、38か国と地域に拡大が見つかっている。日本では外国人の入国を禁止し、日本人の帰国についても同様の措置をとった。JALやNANにその旨通達して、政府の迅速な対応措置はいいとしても、影響力の大きさに戸惑いの色を隠せず、物議を呼んでいる。政府は岸田首相が緊急の記者会見をしてこれを撤回した。発令三日目に撤回したりして、当局の混乱ぶりを露呈した。

  この新型コロナウィルスについては、その実態がまだ把握されていない状況のようにも思える。感染力の強さ、感染した後の症状など、いまだに判明していない部分が多い。騒ぎ初めてからまだ日数がたっていないから検証、分析のしようもないかもしれないが、毒性については従来のデルタ株のような強度のものではなさそうな気がする。感染して発熱や毛気、倦怠といった激しい症状が出たりするという報告はないようだし、重症化したという報告もない。デルタ株のように肺に浸潤して機能を破壊し、酸素吸入とか人工肺を付けたり、最終的にはエクモの装着に頼るという緊迫性が情報として入ってきていない。オミクロン感染の症状が軽症で終わる可能性が強い。そうあってほしいとも思う。そのうち専門家の見解が出てくると思うが、オミクロン株については罹患者の経歴、経験日数が短期間なため、今のところ重症に至るような報告がなされていないことは幸いである。

  新型コロナワクチンについては、日本は特殊な事例にあるほどに、外国では再び感染拡大の恐怖にさらされている。デルタ株にオミクロンが置き換えられている様子もうかがえるが、いずれにしてもワクチンの接種を励行し、更には従来通りの個人的な自衛策をもって、日常の常識的生活の励行に努めるべきで、唯一の防御策としては、今の体制を維持して行くしかない。すなわちマスク着用、外出先からの手洗いとうがい、三密回避の原則的な回避策の順守である。そして健康を維持して行こう。    12月5日


母校、高等学院のメールマガジン

  戦後間もないころ、新制高校として発足した母校の高等学院に受験して三年間、学習の青春時代を過ごしたことは、小生の人生において決定的な影響を与えたものとして感慨深いものがある。もとよりその時期は一般的に言って、人間形成の上で何事につけても大きな影響力を与えるからである。阿部次郎の「三太郎の日記」を挙げるまでもない。

  高等学院には全校生徒の同窓会があって、記憶では我々同期の諸君たちが本校に同窓会なるものを立ち上げたような記憶があって爾来、営々として引き継がれてきてることはありがたいことだと思っている。学院の歴史も70有余年を経過するから、多くの有能な諸君たちが陸続として全国から受験し、勉学に励み、学窓を後にして大学に進み、社会に巣立っていく姿を毎年感慨深く見守ってきているわけである。新しくは総理大臣として今回の内閣を組閣し、岸田内閣を内外に示して国民と国家のために尽力している岸田さんもそうである。政治の世界だけでなく、社会のあらゆる分野で才能を駆使し実力を発揮して世の中のために活躍している人物は枚挙にいとまがない。青春時代に思いをはせると、いつも斯様に世の中を鳥瞰する傾向があって、一種の回春剤であり、奮起する良き起爆剤である。

   申し訳ないが母校が開示してくれるメールマガジンはほとんど読んだことがない。それよりもそうした時間が制約されてしまうほどに仕事に忙殺されてイライラが募ることの多い毎日である。決して体に良いわけがないが、宿命ときらめている。そうした中、母校の同窓会の理事を仰せつかって幾星霜が経過しているが、古参の域と称してもいい程だが、触れるたびに常に青春の真っただ中にあって、母校とのかかわりを継続していくことは別に母校に役立っているわけではないが、己の若々しい人生を歩むための潤滑油のようなものと解釈している。全身の血の巡りをよくするに役立っていると信じている。

  誠に申し訳ないが、ほとんど読んだことのないメールマガジンであったが、理事会の開催について確認したいと思い、メールを開いたのである。その時12月2日に発表されていた記事に何げなく目に留まった。その中の一つの投稿者のO 君の投稿のタイトルにふと目が行った。「ドイツ語との出会い」という一文であったが早速ひかれて読んでいった。もとより学院では英語のほかに第二語学が選択必修科目になっており、ドイツ語、フランス語、ロシア語の中から一か国語を別に選択するようになっていた。僕もまた、学院入学のころ、ころドイツ語を選択して猛烈に勉強したことを覚えている。それというのも当時学院には、体育部門と文化部門の学生活動があって僕は文化部門のドイツ語研究部に入部し、自主活動に参加した。実にいいがたいほどに楽しい思い出を持っている。ドイツ語を習得する過程で立派な先生方とも昵懇になり、友達もできた。三年の時にドイツ語部の幹事長になって、学習の時間は大きくなり、部の拡大に大いに貢献したこともあった。

   ところで38期のO君は、選択した第二語学のドイツ語にひかれて猛勉強した。そして大学でも英語とドイツ語をマスターし日銀に就職した。中堅に至り職場の海外派遣留学試験に合格しドイツのに派遣された。そこでゲッチンゲン大学に入り金融論を学び、思うにドイツ語はさらに磨きがかかったのは当然だろう。終えて日銀のフランクフルト事務所に勤務ののち帰国、その後再びドイツにわたり所長の重責につき有意義な海外生活を過ごして来ている。ドイツ語のおかげで豊富な海外生活の人生を経験してきている。

  O君は現在55歳だという。そろそろ定年を視野に入れる年齢と称して、将来時間ができたら、グリム童話やヘルマンヘッセ作の原書を手に入れて、読書の時間を過ごしたいという。そこで僕は思った。O君はたまたまドイツ語を習得する格別な機会を得、それを生かして後半の人生を意義深く過ごしてきた実益は筆では言い尽くされないだろう。ましてや定年の後の有閑のみを想像して出てきた希望が、グリムやヘルマンヘッセを原書で楽しみたいという、その品格高き望みにO君の豊かな人柄に思い当たったのである。忘れかけていたレクラム文庫の名前も出てきた。ひょっとすると岸田さんにも伝えて、奇抜な頭脳と、体力と、感性の持続化に有益な処方箋だから参考にするように具申したいと思った。もちろんのことは小生に関しても至極参考になることは必定である。O君は学院OBの第38期生である。小生が常に呪文のごとく唱えて己に鞭打って奮起を促している、年齢若干38歳の呼称といみじくも数字が一致しているではないか。インスピレーションを感じて、ありがたいことである。

学院の優れた同志を見出して又ドイツ語の書をめくりけり

優れたる身の後輩の人物像古き学舎に重ね映せり 

学院の後輩が書く思ひでに触発されて奮ひ立つかな

学院の同窓生に共鳴しヘッセの原書を読み返しけり 

更にまたゲーテの若きヴェルテルの悩を読みて仰ぐ明星      12月6日


響きから恐怖的  ジェノサイト

   ことばの響きからして薄気味悪い気持ちがしてくるが、その言葉とは「ジェノサイト」。最近よく使われていて新聞や雑誌などの紙面に踊っているカタカナ文字である。周囲の人に意味を訊ねてみても曖昧で、はっきりした回答を得られないでいるが、手っ取り早くインターネットで調べてみた。やはりすごい意味が込められているのでびっくりした。鳥肌が立つようであり、手の平に乗せただけで戦慄を覚えるような感じである。こうした言葉が流行しているには、こうした行為や事件が日常的に地球のどこか得体にしれないところで起きているからだと思うに至った。     

   曰く、「ジェノサイドは、国家あるいは民族・人種集団を計画的に破壊すること。ジェノサイド条約第2条によれば、国民的、人種的、民族的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為のこと。つまり集団殺害。である。ふと頭をよぎった事柄にナチスドイツのユダヤ人虐殺のむごたらしい光景がうかんで、アウシュビッツの毒ガスの拘置所を思い出した。悪夢のナチスドイツが、多くのユダヤ人をアウシュビッツ捕虜収用所に運びこんで、ガス室に入れて大量殺害をおこなった事件である。

   この地球上には確かに未だに暴君がいて、無知蒙昧の市民を大量虐殺するという暗黒の社会を作っている未開地域があることは悲劇であり、我々はそうした為政者をこの地上から追放すべきだという考えに徹しているが、目の届かないところで、そうしたおぞましい国と地域があるらしいことがわかっている。閉鎖的な国や地域であり、内戦が絶えない国や地域であったりして文字通り無法地帯であり、暴力団的、組織の蔓延している恐怖の国と地域であり、暗黒社会である。念頭にある今の中国に、新疆ウィグル自治地区で、そうした行為が行われているとは到底信じがたいが、欧米諸国はそうした人権抑圧政策が行われているという考えでいる。

アメリカのバイデン大統領が、来年二月、中国冬季オリンピックに外交的支援を行わない旨宣言した理由に、はなはだしい人権侵害として新疆ウィグル地区の住民の弾圧を挙げている。少数民族の粛清を図っているというわけである。中国は事実無根と、これに猛反発して、内政干渉だとして対抗姿勢をあらわにしている。不可解で複雑な国際問題として浮上し波紋を投げかけているが、事実かどうかを調べる手立てがないのがもどかしく思う。「ジェノサイト」、大量虐殺が公然と行われているという、想像もつかない残虐行為がこの世でもいまだにと思うくらいだが、それが大国の中国において存在しているとしたら、悪魔がうごめく暗黒時代に逆戻りだ。

  そうした非難に中国は大国としてのメンツにかかわるし、世界の不信を買って国内に及び、長引きくすぶるとしたら、そのうち内部から崩壊しかねない危険要因をはらんでいることにもなる。漢民族の優位性を保ち中国共産党の維持を図るには、そうした強権的な圧政を敷かないと維持できないとでもいうのだろうか。危機的状況を避けるためにもジェノサイトのような極悪非道な人権侵害は全くないことを白日の下にさらけ出すべきである。堂々とした風格の習近平さんにとって沽券にかかわる問題だし、こうした時こそ第三者機関による外部の調査を待つべきだろう。イラン核兵器施設の検査に国連の監視団がつくのと同じである。 信を重んじ互いに理解し合うには、胸襟を開いて腹蔵なく開示し合い話し合うべきであり、大国としての風格たるものがあってしかるべきである。   

   日本の対応はどうであるべきか。日本国憲法の序文には、専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めて努力する旨を、高らかに宣誓している。日本はこれを盾に、それを忠実に励行していくだけである。            12月10日


メルケルさんの退陣

   敬愛してやまぬドイツのアンゲラ・メルケル首相はEUのみならず、日本はもとより恐らく全世界に「母」なるその名をもって知られている魅力ある政治家である。優れた英知と感性、ゆるぎない意志と情熱をもって、世界政治に欠けては困るような存在感を示してきている。そのメルケルさんが29日、これまで18年間率いてきた与党のCDU(キリスト教民主同盟)の党首辞任を発表した。12月のCDU党大会で有力な指導者のトップが入れ替わる予定で、13年間務めている首相としては2021年までの任期を全うする予定である。長年、「MUTTER (お母さん)」の愛称で親しまれてきたが、ついに惜しまれて政界を引退することになった。愛称の通り多様性の中に包摂力を持ったたぐいまれなる価値観を持ち添えて、人類愛に根差したものだけに凛として気高さをただよわせている。文化性の高い理知的なEU諸国の結束を図り世界に対峙してきたのも、ムッテルの見識と洞察力、判断と決断力を十二分に発揮して他国のリーダー、特に大国と称する国に対して引けを取らず独自の路線で、対等に渡り合って来た点にある。母としての底力を感じて信頼感に満ち満ちている。透かして見るに、その奥にきらめく母としての温かみと、力強さを感じないわけにはいかない。人類愛と称していいかもしれない。
  第二次世界大戦では、無血人間というべき独裁者のヒトッとラーが犯した反人類的罪状の十字架を背負って、苦渋の人生訓を抱いて気の毒な運命を背負っているが、その罪をあがなうような活動をして、戦後の政治活動に平和主義を貫いて、経済復興に大きく献身してきた。歴史的偉業は世界にその名を記すものである。メルケル母さんの去ってしまうEUは、迷子になりはしないか、壊れてしまうのではないかと心配である。 

   辞任の主な理由は任期のほかにも思い当たる節もないではない。世の中は少しずつ変わってきているし、思いもよらず2018年10月の州議会選挙で連敗し続けたことがある。その敗北の引責ともされる。そして連立与党CSU(キリスト教社会同盟)は14日の南部バイエルン州で、更にはCDUは28日の中部ヘッセン州議会選挙でそれぞれ大苦戦の辛勝をなめるに至った。ヘッセン州議会では第一党を維持したものの、前回選挙から約11ポイントを失って27.9%にとどまってメルケル母さんの人気にも陰りが出てきたこともあったようだ。ふりさけ見ればいずこも同じ、栄枯盛衰の悲哀を、そこはかなくと感じてくる。

   とはいえ、早くもメルケルという偉大な政治家のいない政界に不安の声が上がって来ている。米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、辞任発表は予想外ではなかったものの、衝撃が走っていると報道している。反移民やポピュリスト、ブレクジットなどの不安要素が多いなか、「ヨーロッパの舵取りをしてきたメルケルが不在という不安な心理は『不確実で、虚弱なドイツ政界』がより鮮明に浮き彫りになってきた」と述べていることでもわかる通り、世界共通の認識ではないだろうか。万が一の時には、メルケル母さんが再び救世主として復活できる余地を残しておいてもらいたいと思うし、また一方でメルケル母さんなき後のEU のお粗末な点を残してもらってもそれこそ困惑するということでも困ってしまうので、新しい体制が確立された後は安定した政権運営を図っていって貰いたい。

   8日、そのドイツ連邦議会では、メルケル首相の後任を選ぶ投票が行われ、社会民主党のオラフ・ショルツ氏が首相に選出された。今年9月の連邦議会選挙で第一党となった社会民主党は、緑の党、自由民主党との3党での連立交渉で合意を図った。新政権では緑の党の共同党首・ベアボック氏が外相に、もう一人のハーベック共同党首が副首相を務める予定である。また、自由民主党のリントナー党首が財務相に就任するとみられる。ドイツでは、EUの結束を図り新しいリーダーを引き続き務めていく強力な政治体制が必要になってくる。課題山積であり、特に難民問題や脱炭素社会の経済運営、EU 統合の経済政策と発展計画の作成は喫急の課題である。   12月11日

畏敬せるメルケル首相の退任に足跡を追ひ惜別深し

トランプに詰め寄るメルケルの凛としてGセブン・サミットの席

利己主義のトランプ主義に反対し連帯を説くメルケル首相よ

メルケルがムッターと呼ばるる敬愛の情深くして奥深きかな

EUの政治体制を牽引し結束はかる平和の騎士よ

トランプに向き合いて説くメルケルの気候変動と地球環境       12月13日

中国の経済

  (中央銀行)にあたる中国人民銀行は20日、銀行の貸出金利の指標となる最優遇貸出の金利(ローンプライムレート=LPR)について、1年物の金利を0・05ポイント引き下げて年3・80%に引き下げした。引き下げは、中国での新型コロナウイルスの感染拡大による打撃が深刻だった2020年4月以来であり、1年8か月ぶりで事実上の利下げとなる。

  このところの中国経済は、総括すると、消費の減退や不動産開発の低迷などで失速しており、企業の金利負担を軽くする狙いがある。かねてから不動産開発会社の恒大集団の債務不履行が深刻な影響を与えつつあり、恒大集団のデフォルトによる投資家の損失と心理的影響が、消費と投資の両局面に冷や水を与えていることから、有効需要の回復と在庫、ひいては設備投資への効果を狙ったものである。

   そもそも中国は、米中貿易戦争で 2019年 に景気が大きく減速してしまった。その影響は大きく、中小企業の苦境ぶりが際立っていたところに、20年以降は 新型 コロナウイルス の感染拡大が追い打ちをかけた。分けても一般庶民の投資熱をあおった不動産業界の住宅投資はバブルかして、マンションの価格の高騰を招きインフレを助長するものがあった。政府の金融当局による投資の過熱抑制の効果が出始めて、マンション価格は一気に下落し、資産の目減りに拍車をかけていった。加えて恒大集団の債務不履行が表面化して社会不安をあおる結果になった。

 人民銀は15日に、金融緩和効果が期待される銀行の、預金準備率引き下げを実施したばかりだ。LPRの引き下げは、経済の現状に対する習近平政権の危機感の表れと言えそうだ。中国の思想にもよるが、習近平政権が経済的混乱を占めてきたりすると、すでに国と地域経済は、世界的組織の枠組に深く浸透し、堅くはめ込まれているんで混乱を招き、世界に与える影響は無視できない。加えて中国が掲げる一対一路の構想に、緩みができてくることは反って関係国に多大な損失を招く結果にもなる。民主主義国が連携して中国の人権問題、別けても新疆ウィグル族の人権抑圧政策を重視し、その開放のために、あらゆる経済制裁を講じようとしているが、返り血を浴びることも念頭に、中国経済に依存する国と地域も多いことから緩急よろしきを得た手綱が必要である。

   我々が1984年に、中国に経済使節団を組んで訪問した歴史的過去を振り返ると、あの時の訪問先に「非開放地区」が存していた。経済の進歩発展から置き去りにされて貧困に生活する少数民族の集団である。当時としても、古い過去をさかのぼって検証できる遺産であった。もとより開放を促しても応じない部族があったことも事実で、それが一種の文化的主張を裏付けることでもあった。我々は歴史をたどり、中国のある時代を想起させるものとして現実に検証したかったが、果たせなかった。広大な大陸の中に14億の国民を統合するには中央集権的な制度と政治をもって対応しないと、モザイクのようなた多民族国家というものは統治できないかもしれない。そのあたりの事情も理解する必要がある。メルケル首相が、中国との接触を深め、通商政策を図ってきているのもよい参考になるのではないか。

   米中対立するはざまに立つ日本としては、なかなかかじ取りが難しい状況に立たされている。関係を密にした隣国であり、対中国貿易も拡大の一途をたどってきており、外交上友好で緊密な関係に立たされている。中国の南太平洋の軍事的進出や、尖閣諸島の問題も懸念事項として存在するも、現在先鋭な対立関係に立つものは存在しない。互いに友好関係の構築と維持に努めている現状である。願わくば、いたずらに異論に対して抵抗するのではなく、例えば、非難の対象となっている軍事費の拡大や、南太平洋の基地に建設と領有権の主張からの撤退など、あまり益するところがないのではないかと思われる事案について、更には新疆ウィグル族の人権問題など、胸襟を開いて話し合えば理解しうるし疑念を晴らす結果になると思われる。いたずらな対立関係に立つこともないはずである。 ここで、習近平の指導部の気概のでっかい、大人の風格を示してもらいたい。  
12月15日


中国の一帯一路の現状は

   中国の一帯一路の壮大な計画に協同して、自国の経済発展を期待する国と地域は多いが、そうした度合いが強い国と地域ほど、中国の絶大な資金援助に取り込まれて、結局は資金の返済ができずに不良債務を残し、ひいては投資対象を物担として最後には提供することも多いのが現実である。悪く考えると、資金援助と言いながら、対象国の資産を支配下に入れることも意図していると解釈されるゆえんである。

   ちなみに、「一帯」とは現在のところ、中国西部から中央アジアを経由して、ヨーロッパへと続く「シルクロード経済ベルト」を指している。又、「一路」とは、中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島沿岸部、アフリカ東岸へと続く、「21世紀海上シルクロード」を指している。

   これらの陸路と、海路で結ばれた国々の各都市における…交通網の整備、例えば高速道路・鉄道・港湾といった建設と整備によって、効率的な物流システムの構築を図ることであったり、また、パイプラインの敷設、生産工場の開設…といったものを含めて点を線に結び付けて、それらの地域の経済発展に寄与していくというのが「一帯一路」の持つ経済的な戦略であると理解される。

  先述したように中国主導による極めて広範囲な経済構想である「一帯一路」だが、同国の地政学上の安全保障にも密接に関係した国家戦略という側面も重要な要素として挙げられる。具体的には〝中国モデル〟である。それをベースとした国際秩序を形成するという意味合いが強いとも言われており、専制国家的地域の影響を考えると、アメリカをはじめとする民主主義国家群との対立軸になってきて、軋轢の原因となっている。2018年より勃発した米中貿易戦争の大きな要因のひとつともされている「一帯一路」だが、同時に、圏内の経済発展を促すことで、各国の経済格差を是正する世界的に有意義なプロジェクトという意味合いもあることに留意する必要がある。 


米中の対立軸の修正と緩和が世界の平和を意味せん

朝日影照らす地球の端々に限る資源のあからさまにも

CO2吸はば致命傷と成りなねぬ要素が地表を覆う現実

世の中に怪しき病ひはびこりて人の命を奪ひゆくとは

オミクロンてふ名の病ひの世の人に移り広がるいと恐ろしき

欲をかき領土と資源を奪い合ふ弱肉強食を嘆く現代   

人権の確保は人なみに当然の生きる証しと皆が悟れや

今ように宇宙をめぐり旅をする馬鹿がいるとは情けなきかな

暗黒の軌道に乗りて観る地球なほ自覚無き輩なりせば

ロケットに無闇矢鱈に空間に飛び立つ人の何を得んとや

冬の夜の明るき月に手を合わせ恍惚として祈るのみなり

寒暖の激しき気候に狼狽えへて日本列島の歳の暮かな 

小松菜の芽の出そろいて愛おしく畝を返して網を覆ひぬ

行く秋の空の雲にも云ひ伝ふ恋ふる人ゆえへ如何におはすと

小春日の日和となりぬ休日のしきりに開く山茶花の花

小菊咲く色とりどりにいつくしく冬の日差しに戯れて過ぐ

我がもこが夏の初めに植へし苗小菊の花の乱れ咲く今

我がもこが優しき手をば差し伸べて柿のもみじを吾に渡せる

受け取りし紅葉の柿の一枚の葉っぱに真・善・美の極意知るなり

恙なく達者で居るを有難く路傍の石に手を合はせけり

ふと仰ぐ真なかの青き空を行く雲井に内の思ひ託さむ

文学書かかえて庭のベンチにて憩ひておれば何時か日暮るる

  12月20日


    コロナ感染状況と経済

10月初めごろのこと、年末だし、まだ先のことゆえ安易な気持ちで予定の日にちを約束して、今になって慌てて居る。分刻みに客人と会い、ことを始末してここにきて緊張の連続である。昼めしを忘れて腹を空かして家に帰り、めしにありつく。体を悪くするわよと家内に注意されるが、もう少しの辛抱だと安心させている。商人は金に困ると体を悪くする傾向があるが、そうでない限り何事についても辛抱強く、挑戦的だから意気込みで体を元気に持ち返すことができる。だからというわけではないが、今年は資金が比較的潤沢なので健康的に日常を過ごしてきている。神様に感謝している。

   コロナの感染予防をもって人と物の動きが鈍ってきて、夕方の街中の寂しさは目を覆うばかりであったが、あからさまに不景気風が吹いていつまでも景気停滞が続いていて困ったものである。官民こぞって感染予防策が功を奏して、新型感染者数がこのところ激減傾向にあることは好ましき限りである。緊急事態宣言も全面的に解除されて、人と物の動きが活発になってきて次第に景気を取り戻してきつつある。ところがどっこい、最近はまた新型コロナウィルスの新種株ミクロンの流行がスピードを上げて世界に蔓延しつつあり、危険の度合いは依然として厳しい局面に晒されてきている。日本でも早くから打った水際対策が効果を上げているが、政府や各自治体など神経をとがらしているところである。

   帝国データバンクの調査によると、法人および個人事業主の「新型コロナウイルス関連倒産」は、12月22日現在で全国に2562件判明している。業種別にみると上位は「飲食店」で428件、「建設・工事業」が277件、「食品卸」が132件、「ホテル・旅館」で119件などとなっている。三密を避けることから、圧倒的に飲食業が影響を被っている。年末のかき入れ時がオミクロン株の感染拡大のために冷や水を浴びて、厳しい年末商戦に遭遇している。

   こうしたさなかの24日政府が閣議で決定した2022年度の当初予算案は、一般会計の歳出総額が107兆5964億円ときまった。これは十年連続で過去竿大である。高齢化の影響で伸び続ける社会保障、中国の軍事力増大を念頭に入れた防衛費などがいずれも過去最大となった。加え新型コロナウィルスの対策費などが計上され歳出が膨れ上がってしまった。これに呼応して歳入は過去最高の税収を見込んでおり、その分国際依存度は減少しているが、しかし依然として借金財政から脱却するには至っていない。経済あっての財政であり、景気をよくするための財政政策は必須要件とする岸内閣の方針でもある。

   すべてが最高を記録する岸田内閣の財政規模を要約すると、社会保障費が36兆2735億であり、防衛費が5兆3687億、国債費は24兆3393億円となっている。一方歳入の税収見込みも最高を記録して65兆2350億を見込んでいる。新規国債発行額は前期より減少して、36兆9260億円となっている。積極姿勢を示している岸田内閣の財政政策であるが、これによって景気回復の積極姿勢を顕著にかざして、これからの政局にあたっていくわけであるが、加えて外交政策の的確なかじ取りによって緊張と対立を和らげながら、無駄な経費の発生をなくしていくよう心から望むところである。            12月25日
   

人類を襲ふ新型ウイルスのもとより覚悟の感染症なり      

右往左往するより単純な基本的防護策を期するほかなし     

三密を避け自らを消毒し日ごろの業務に努め行かまし

コロナ禍を蹴散らし進む今日もまた神のご加護に在りて頼もし

朝日影昇る大気の澄み渡り年末年始の兆しめでたき    12月23日

堅調に過ぎた株式市場

   大つごもりの朝、家内が手伝ってもらいたいという。今年の大みそかは例年と違って子供たちは大みそかを家に泊まって元旦を迎えることはしないで、年越しそばをみんなで食べた後、一家だんらんの大みそかを過ごして、皆はその日のうちに帰宅することにしたというのである。新年の元旦の夜に再度来宅、みんなで夕食を楽しむことにしたという。夕食の主たる御馳走は、どこかの名産の牛肉を以て贅沢三昧にすき焼きをして十分腹にためるらしい。その食材を仕入れるために手伝ってほしいというという。大みそかを控えて正月料理の食材の買い物に出かけるのは楽しいものである。大いにk3えっこうだと妻に返事した。浅草にいたころの小さい頃の思い出がある。お正月の来るのが楽しみで、ましてやお正月料理を作るのを手伝う時の楽しさは格別であった。下町のお正月は気張っており、お店の者たちにお小遣いもしかり、食べ物や着物にかけるお金は惜しまずの大いにふるまったものである。下町商人の気概の大きさを示し、大鳥神社で買った大きな熊手を店に飾り、景気づけに樽酒を置き気勢を上げて、親父をはじめ大番頭が皆の気持ちを一つにして煽ったものである。

   正月料理はお袋が采配を振るって女中さんたちに指示して、台所は所せましである。三人いた女中さんたちが買い物の用足しを我々に言いつけて、それを手伝ったりした。観音様の裏手の言問い橋通りに、坂田という乾物屋があった。辺りは象潟の花街で、検番も近くにあった。普段は座敷に向かう奇麗どころが往き来して、人力車に乗った芸者衆が急ぐ様子も味わい深い風景であった。しかし大晦日といえば流石に静かに、座敷で遊ぶ酔客もいない。花街と芸者衆も、三が日が解けるまでゆっくりと体を休めたいというのが人情である。女中さんに言いつけられて食材の一つ、数の子を買いに行ったが、なんと今でいえば肥料に使う油粕の一袋を使った入れ物に詰め込んであったりした。10キロはあったろう。自転車に積んで持ってきたものである。松茸にしても京都から得意先が歳暮に送ってきたもので、大袋に無造作に詰めてあったりしたものである。今ででいえば贅沢な代物だが、あんなものは大衆商品であってふんだに手に入ったものである。二十人からいた店の従業員だったが、地方から出てきて預かっている小僧さんも、かなり住み込みでいたものである。親父は厳しかったものだから、小さい自分の子供も小僧さんと一緒に修行の身としてこき使ったりしたもので、子供も進んで働いたり押したものである。

  そんな思い出をに抱きながら、家内について尾山台駅前の市場の買い物と、駅近くのスーパーのオオゼキに出かけたのである。店は年末大売り出しの掛け声も勇ましく夕方近くで、いずれの場所も大勢の客でごった返していた。正月商品が何でもかんでも出そろっていて、何一つ不自由しないご時世である。オオゼキでは、すき焼き用の肉だけを買うのかと思っていたらいたらさにあらず、あれもこれもと手車を引きながら手当たり次第に物を買うありさまにびっくりしながら、上さんも大変だなあと思いながら後についていくだけだった。八人の大人が食べる量だから大変なことはわかるが、凄い胃袋だと思っていたら、キャッシャーで清算していた家内が、お父さん三万円持っていますか、お金が足りないのと云うではないか。子供たち家族が来るのが楽しみな家内である、気持ちが愉快に膨らんでいくのは分かるとしても、気前よく買った言ったものである。一体いくら払ったか知れないが、小生が金を持っていたからいいようなものの、うっかりして恥をかくところだったが、買い物度胸のいい家内の座った腹にもびっくりしたのである。

   ところで正月料理は通称おせち料理であった。祝い膳に五段のおせち料理が出ると、豊富な食材は奇麗で圧巻なものだった。数の子をはじめとして子孫繁栄を願い、イワシの稚魚の飴煮は五穀豊穣を意味し、黒豆は勤勉と健康をと言って、いろいろな意味合いと願いを込めた言い伝えがあったのである。料理に全部を使ったりすると、その種類はざっと二十種にもなる。栗きんとんや、たたきごぼうや紅白のかまぼこ、昆布、ブリの照り焼き、鈴子、子持ち昆布、串エビ、ハマグリ、レンコン、筍、里芋,手綱こんにゃく、くわい、椎茸、おいしいものが次から次へと並べられて食欲をそそるものである。正月の三が日は酒浸りで餅を食うといった、寝ては食べ、食べては寝るといった肥満型には嫌われがちだが、それをカバーするようにおせち料理は昔から伝えられた健康食である。明日は午前中に又おせち料理の食材を買い、料理にかかるはずなので、忙しい大みそかになる。
  
   スーパーのオオゼキで買った食材は金額がのしてしまったが、すき焼き用の牛肉が高かったらしいが、小生も手伝って数の子を気前よく手押し車のケースに入れたりしたものだから、イクラや黒マグロの刺身やアワビなど、普段食べつけない高級食品も勝手に加えていたりしたから文句は言えない。笠置シズ子が昔うたっていた「買い物ブギ」の歌を思い出して、てんやわんやの大騒ぎで、「お父さん、思い切り買ったはいいけどお金が足りないわ」と云われて素直に出す羽目になってしまった。二度に車に持ち込んだ荷物の重いこと、大根が二本と、大きなカブの玉が入っていたから仕方がないが。ポケットからの思わぬ出費であったが、大納会の株式市場が、日経平均は少々安かったが、逆行して持ち株が年初来の高値を付けて新年の相場を暗示する気持ちに聊か気持ちにゆとりが生じ、コロナがなければと、浅草象潟の花街の座敷で遊んだつもりになって、不思議とおおらかに家内と買い物に興じたのである。          12月30日


                 元旦は快晴である

    
   澄み切った空が紺碧に輝いている。大海原から昇ってくる初日の出は雄大かつ爽快の極みに違いない。山の頂に登って初の日の出を眺めた人もいることだろう。猛々しい虎の歳にふさわしい新年、元旦である。太平洋側の気象は斯くのごとくであるが、日本海の気象状況は寒気がかぶさって猛吹雪と聞いている。生活に難儀を強いられているわけである。ご無事を祈るばかりである。

初春の富士の高嶺の白雪の黄金に染まり開くる歳かな

若菜摘む妻の手もとに朝霜のダイヤの如く光る大地に      2022年元旦


     元旦は家族団らん

    今までは毎年大晦日になるとお昼頃から息子の裕介の家族がやってくるし、娘の明子夫婦も我が家にやってきて寛いだあと、夜にかけて近くの蕎麦処で年越しそばを食べて全員が家に留まって大みそかを過ごし元旦を迎えることにしている。しかし今年は向きを変えて大みそかに皆がやってきて年越しそばを目黒通り沿いの「ぎん屋」で済ませた。小生は前日の寒さがたたって、珍しく微熱が出て気分を損ねていたので自重してぎん屋にはいかなかった。オミクロンだったら嫌だなと内心おびえていた。というのも時期がお正月であり、縁起ものの暦である。八重洲内科で処方して用意しておいた総合感冒薬を飲んで大事をとって在宅していた。土産にぎん屋の生蕎麦を買ってきてくれたのでそれを茹でて天ぷらを付け足してあっさりと食してしまった。すると不思議なもので自然に内から力がついて、八重洲内科の風邪薬も効いたのだろう、体がピンピンと張って元気がついてきた。大晦日がみんなと愉快に過ごせるはずである。

   蕎麦処でたらふく蕎麦を食してきたが、裕介は常日頃、豪快に料理を注文して豪傑気味を発揮するから少しばかりの金では済まない。家内の万札の何枚かを持たせて勘定のほうを頼んだ。体が一回り程大きくなったようである。重い役職に就いているからだろうが、それでも気を使って自らの健康管理を励行しいるから立派である。体だけでなく堂々たる風貌になってきた。大きな会社を背負っているから責任重大である。孫娘の二人もいつの間にか大きくなって、上はお茶の水大学の付属高校に、塩田は四ツ谷の雙葉学園に、それぞれ明るく元気に通って、持ち前の才能を伸ばしている。
明子夫婦は今年代官山のタワーマンションから祐天寺の駅に程近く、ずば抜けてよいマンションを購入して引っ越したばかりである。低層のマンションで安心した。代官山では高層マンションの34階に居を構えていたし、富士山を遠望し、眺望絶佳と云いながら高いのがそもそも何かあったときに不安である。いうなれば縦長の長屋である。

  小生は元来、土の上に住み慣れているので、タワーマンションにはあまりお興味を感じないタイプなので、祐天寺の低層マンションを見に行った時には即決で賛成したのである。息子家族は目黒駅近くの通称b花房山の低層マンションに安泰だし、明子もようやく近くの低層マンションに移ってくれたので、いずれも近くに住んでくれたので、親父、おふくろとしては身近に暮らすことができて幸せに思っているし、良い年を締めて新年に結び付けることができたと、色々なことがあっても確信的な人生を進んでいると喜んでいるところである。これも妻に倣って日ごろ授かった信仰心によるものと感謝している。いうならば神のご加護であり、導きだと思って感謝している。

  そんな気分で大みそかを過ごしていたが、NHK の紅白歌合戦の出場項目の歌の程度の悪さが段々とひどくなってきたのには驚きであり、不安であり、危機意識を持ってくる。力を合わせてみんなで歌うグループの良さもほどほどである。まるでサーカスを見ながら歌を聴くといった塩梅で、見ていて疲れ切ってしまい、慌てぶりが手に取るように感じてくる。罵声的な声と、体の動作の激しさで歌をごまかしている、あれはハーモニーではない、音楽ではない、動物園にきて野獣の声を聴くようなものである。もちろん品性に欠けることおびただしい限りである。しかし今の子供たちには大いに歓迎されているのが現状で、だからと言って子供たちが野蛮的であり、将来が不案とは申さない。人生経験の一過程と思っている。女の子も、男もグループで歌う姿勢は格好いいし一糸乱れぬ機械的な動作は立派としても、いつまでたっても独り立ちできない様子が伺えて、個性がない点に飽きが来るというものである。どうせ駄作なものとして見ていればいいのであって、むきになって論じてみても仕方がない。

    大みそかは「ゆく年、くる年」のわずかな時間を胸に秘めて、間もなく年明けを知らせる神社仏閣の鐘楼の打つ鐘の音に、万感迫る思いがひとしおであった。九品仏境内にある鐘は古事由来があって有名だが、凍てつく大気のなかで、僧侶が打つ鐘の音が森の間を抜けて聞こえてきた。耳を澄ますと、厳かな音であり、重々しいしく語り掛けるようである。庭に出て凍てつく空を仰ぐと、オリオン座の星座がちらちらと小さな光を放っている。悠久の間に、宇宙の壮麗さを感じないわけにはいかない。

   除夜の鐘を打ち終えると「新年おめでとう」のあいさつで皆が立ち上がった。身内だから感染の心配はない。せめて新年の挨拶だけでも自然に大っぴらにかわしたいものである。私はいつものように部屋のドアと窓をすべて開け放ち全てを受け入れて深呼吸した。皆も目覚めたように手を広げ、深々と息を吸って外の大宇宙の霊気を吸って、今年を力強く前進していく気概を互いに認識し合ったのである。そして裕介と明子家族はそれぞれ自宅に帰って行った。


    曇天の朝も快晴に

   西高東低の冬型の厳しい気圧配置で北海道や北日本、それに西日本は相変わらずの大雪に見舞われて難儀している様子が報道されている。東日本と四国九州にかけては澄み切った青空が広がって太陽の光がさんさんと降り注いで暖かな日和に恵まれている。大雪の歳は大豊作が続くと昔からの言い伝えであるが、農家にとっては吉報である。朝目覚めたときは空だどんよりと曇っていたので再び寝床に潜り込んで目覚めたときは予報通り快晴の空が広がっていた。ふと気が付いた妻は10時半から始まる日曜礼拝に支度して境界に向かっていった。私は欠席して家で祈った。

  正月の初詣は、それぞれ身近な神社仏閣で済ますことにしたので、いつもの歳と違って静かな正月を妻と一緒に家で過ごしていることになる。誠にのんびりした風景である。ふとテレビをつけたら全日本大学ラクビー準決勝戦が行え荒れていたので、明治対東海大と、帝京大対産業大の両試合の準決勝戦を見続けて応援していた。両試合とも実力伯仲して熱戦であった。瞬時を突いてトライに成功し相手を崩す展開で面白かった。夕方の景色を見に尾山台まで出かけて行ったが、夕方になると気温がめっきり下がってきた。西方の真っ赤に染まった空を堪能し、踏切を急行が走っていくのを見届けて家に帰ってきた。途中、三井さんの娘一家と出会って正月のあいさつを交わしたが、九品仏の浄真寺に初参りをしてきた帰りかもしれない。由香ちゃんは昔から明るく人懐っこい性格で今も変わらない感じである。ポン女を出たあとここ世田谷区の小学校の先生をずーと努めてきて地元の教育活動に貢献してきている。

   帰宅して早めに風呂に入り、散歩からの冷たい体を温めてから夕食についた。テレビをつけたら歌舞伎座からの中継で「義経千本桜」を観劇しているうちに結局引きずられて釘付けとなり、鶴瓶の家族に乾杯と、タモリのブラタモリの共演を見て案の定の一日が終わってしまった。その間、みかんや茶菓子のつまみ食いが激しいから、果たして体がなまりはしないかと聊か心配である。 早くも米中対立のことや、ウクライナのロシア国境に集結するロシア軍隊の動きなど気がかりな動きだし、日経の経済記事も気になって仕方がないが、 2日の新聞は休刊である。テレビを回してもニュースらしき番組はなく、どんちゃん騒ぎのばかばかしい番組ばかりである。かと言ってそろばん勘定も手持無沙汰であり、パソコンに向かってインタ-ネットを検索していたほうがましである。    1月2日


    初夢はこの日の夜と決まっているが、テレビの見過ぎで目がさえているせいか寝つきが悪く、夜中に餅を二枚焼いて食べたりしたら、腹持ちが重く、第一三共製薬の胃薬を飲んだんりして横になったが、今度は下らぬ仕事のことが頭にこびりついて落ち着かないので炬燵に入って和歌を詠んで書き始めた。ようやく自然体に戻ってきたので床に就いた。下らぬ夢に追いかけられることもなく、初夢は無事に寝過ごすくらいに何にも記憶に残っていなかった。この日は風もなく、家の中の陽だまりに寝転んでいると、春眠暁を覚えずの詩を口ずさんで悠々自適の心境である。家内が庭に咲いている水仙の花と、赤い実のついた南天の枝を折ってきて水盤に植えたのを見て、松の枝も欲しいなといったところ、玄関に立てかけた松の枝をちぎって植えおいてくれた。見事な生け花の水盤が作られた。正月気分が寝ぼけずらした上に圧し掛かって、頭ボケしたような心境で無聊をむさぼっている。呑気でいい気持である。温かい日差しに、極楽浄土の世界も斯くやあるべしとゴロ寝を決め込んでいた。

   恒例の箱根駅伝も、昨日の往路のレースでは青山学院大が後続の二位を大きく引き離して独走態勢で箱根町のゴールのテープを切ったので、大体の予想が決まってしまったかの感がある。復路のレースも始まったが、母校の早稲田はなんとペケの14位という体たらくだから、見る気にもならない。せめて三位、四位辺りを快走していれば応援のし甲斐もあるが、ペケでは引き上げようもない。箱根路を達磨の如く転がっていかないと、とてもじゃないが先頭には追い付きそうもない。しかしレースをあきらめるわけではないが、最後まで力走して来春に期待を込めようではないか。

  つづら折りの箱根路は、今までも何度となく行き来したものである。もちろんレジャーでのことであるが、箱根芦ノ湖についてから仙石原まで行き着いて、そこから箱根の長尾峠まで登っていく。トンネルを抜けると静岡県である。遮るものはなく、富士山が真向かいに手に取るように聳えて圧巻である。6階建ての白亜の富士ビューマンションは、トンネルを出たすぐそばの峠に立っている。二十年前に購入したものである。すぐ下にはベルビューゴルフコースと、下に向かって御殿場ゴルフコースが続いている。富士山に向かって球を打つというのがコースの振れ込みである。話がそれてしまったが、駅伝は結果を聞くことにして午後は外に出ていた。どうせペケに違いない。走者は焦らず怪我をせぬように頑張ってもらいたい、中途半端な成績より、ぺけで頑張ったほうが期待が持てる。        1月3日


   二時半ごろ初詣を兼ねて車で散歩にゆきませんかという女房に従って、やおら外に出ることにした。車で行くとしたら散歩にならないだろうと思いながら、矛盾につき合うも世の習い、尾山台ハッピーロードを通り抜け、環八を越して多摩川に出た。多摩川の堤みを二子に向かって走り、相模連峰を眺め、突き出た富士の霊峰を遠望して正月気分は全開である。広い河川敷はのどかに広がり川上は上信越の山並みがうっすらと冬の空に浮かんでいる。反転して田園調布の丸子橋方向へ、第二国道を左折した後、田園調布の住宅街を抜けていくと懐かしい古風な駅舎前に出た。噴水の前の店、ケーキと喫茶のレピドールに入ってコーヒーを飲む。久しぶりなのでケーキもとってみる。店内は高級なイメージがして、きれいな雰囲気である。美人のウェイターが接客してくれて初日から縁起が良い。

  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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