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vol.23.7
猛暑到来
カンカン照りの猛暑到来である。群馬県前橋市で39℃を記録した猛暑に、更に記録更新の様相である。外に出るのも憚る気配に家内が、今日は出勤を見合せたらとの助言が耳元に聞こえた。昨日刈った芝生の表面に陽炎が立って如何にも釜茹でになって居る感じだ。なりものが豊作の庭畑に、水をかけることを怠らずにいる。しかしうっかりすると熱い湯をかけてしまう結果になりかねない。熱している地面に水を注ぐからである。熱い地面に水がゆだって根を火傷させるに等しいからである。暑さに負けずにねうぃ這っているさまは、愛おしく思うくらいである。ししとうやピーマンが青い実を沢山ぶる下げているし、完熟のトマトが真っかな色に染まっている。茄子もキュウリも大豊作である。畑が、アフリカの砂漠のようにならないよう毎日懸命に水を与えている。
今、北九州から四国、中国にかけて豪雨に見舞われており、河川の溢水や堤防の決壊による氾濫や、崖崩れなどの被害が発生して地域は被害甚大に及んでいる。九州の大分、福岡の両県にまたがって、上空に梅雨前線が動かないまま停滞している。太平洋上に広がった高気圧から暖かい風が吹き込んで大量の蒸気となり、前線が活発に活動し大量の雨を齎している。いわゆる線状降水帯が各地で異常に発達して暴れまわっており、手が付けられないでいる。
この線状降水帯と称する名前は確か4,5年前に出来たんじゃないかなと記憶している。それまではこうした気象現象は起きていなかったと思われる。猛烈な暑さで地上から水蒸気が上昇し幾つもの積乱雲が作るられる。そうした積乱雲が重な停滞し、一部に大量の雨を集中的にもたらす。下に住む住民はたまったものではない。一気に雨に飲み込まれてしまう。竜巻も、広大なアメリカ大陸でよく発生していたが、日本では見かけなかった。しかし最近に至たり日本でもよく見かけるようになったが、これも線状降水帯と同様、昨今の気候変動、異常気象の及ぼす結果かもしれない。赤道と北半球の間を通過する偏西風の蛇行の変化や、エルニーニョの活発な活動が遠因となっているが、その先の原因をたどれば、結局、人間の過激な経済社会の活動が地球温暖化となっていることにたどり着く。国際社会は、この温暖化傾向を産業革命前までの水準に戻すことを目標に掲げているが、取り決めた各国の二酸化炭素の排出量にまでなかなか達していないようである。この協定にはCO2の排出量の最大国のアメリカ、中国が参加していないという弊害も起きている。
地球の温暖化が進んで、北極の氷河の溶解が進み、草原や農地が砂漠化し、極寒、極暑の格差の拡大が進み、従来の正常な均衡が崩れてしまう結果である。複雑な経過をたどり、人体に及ぼし健康被害となって生命を脅かす結果につながってくる。人類が築き上げてきた偉大なレガシーは破壊され、地獄の底を見るような結果になっては元も子もない。遅まきながら誤謬と、悔悟と、反省に目覚めた人類であるが、ここで「孔子」の言葉が生きてくるとは思いもよらなかった。「過ちを改まるに憚ることなかれ」、人間にとって思い当たることばかりである。7月6日
聞きにくい説教
母教会で無牧が続く玉川神の教会であるが、社長の居ない会社と同様で法人格を有する組織としては在ってはならない事態である。「牧会祈祷」でいつも適当な時期にかなった牧師に恵まれますようにと祈っているが、手配も、何にもしないで牧師がやって来るはずがない。優れた牧師を招へいしようとすのであれば、それなりの努力が必要である。不満を述べると家内に叱られてしまうから、黙っている。
不平不満が募ってくると上げ足を取るわけではないが、又人情として粗を探すわけではないが、さりとて俗っぽい解釈をしたりしてイエスの教えに反することにもなりかねないから自重するゆえんだが、家内と車で帰る途中、今日の説教は、「あれを聞いている限り若い人たちは来ないかもしれない」と、退席こそしなかったものの、つい口に愚痴が出てしまった。妻は無言であった。反対でもなければ賛成でもないと思われる。たまたまオンラインで他の教会の牧師が説教する日であった。内心では、あんな腰抜けの牧師なら居ない方がましだとさえ思っていた。
ルカによる福音書14章1節から24節までを朗読して、み言葉の取次ぎをしてくださった。主題は「神の宴会に招かれる者」であった。聖書によく出てくる場面である。宴会、招かれる者とは実に興味深い内容である。有名な場面に、イエスが催した最後の晩餐がある。今日の説教に出てくるのは、どんな宴会なのか、どんな人物なのかという思いが頭をよぎった。
聖書の解読は時にして難解な場面に突き当たることがある。歴史的事実の知識も必要である。時に婉曲的な表現を用いたりしている場合が多く、又日本人特有の表現力になじめない場合もある。しかし本意とすべき意図を正しくくみ取って少しでも真実に近い解釈ができるように努力を惜しまないことである。仏典もしかりである。
イエスの催した宴会には、貧しい人、体の弱っている人、要するに社会から疎外された人たちを指して、そうした人たちを中心に集めなさいという趣旨である。イエスの慈悲にしてみれば有難い恩寵の賜物と理解している。人間は考える葦であるとパスカルは言った。そのこと自体、絶対的な存在でないことを示している。よく言えば欠点だらけの存在であり、非弱な存在を意味している。そうした中で少しでも修行、精進を積んで正しい道を全うして少しでも「らしい」人間に近づいていこうとする存在でもある。
牧師は、言ってのけた。教会には成功した人間は来てはいけないというのである。それも単刀直入に云い続けている。聖書に倣っているかどうか真偽のほどは分からないが、いずれにしても牧師が名指しで、「成功者は教会に来てはいけない」と断言している。我々はあの世に生きているわけではない。現実にこの世で食べ物を摂取し、そのために、即ち生きるために勤労している。日々の生活を維持するために働き、共同生活を維持している。これは紛れもない事実である。そうした人々は少しでも平安に、悩みなく生活したいと熱望している。
しからば成功者とはどういった人物を指しているのか。修行を積んで、精進の道に勤め、努力研鑽の道に得たある種の地位もあれば、金銭をため込んで、世俗的な名声を勝ち取って静かにしている人間もいる。上から下までさまざまである。まかり間違っても小生は成功者とは一向に思っていない。唯人間としてあるべき姿を追い求めて、日々修行を積んで努力していることは事実である。成功者は教会に来てはならないと牧師が云う言葉には、根底に差別を以て偏見を抱いているとみるしかない。教会は訪ねてくる人を、排除したりすべきではないことは自明の理である。既にそこからして間違っている。
一歩譲って、ならば成功者とは一体、何を基準にしているのか、どこからどこを指して区別するのか、いったい誰が決めるのか、誰も分からないはずである。金持ちを総称して云うのなら一体いくら以上金を持っていたら成功者なのか、そうでないのか判定できないだろう。唯イエスの思いに寄り添って生きて行きたいとする人間がいたとするなら、イエスは異論なく受け入れて下さるはずである。イエスを慕うものに就いては、分け隔てなく大きく手を広げて受け入れて下さるはずである。或る種の人間を限定して、いきなり来てはいけないとする考え方には、暴虐的、独善的思想があってのこととしか理解できない。イエスが嫌ったユダと同じである。
少年たちは常に努力して、切磋琢磨の日々を送っている。勉学に励むものはいい成績を取って、出来ることなら高みを目指し、優等生の賞状をもらって更にまい進する気概も湧いてくるだろう。模範的な人間になろうと精進の道を歩むはずである。それは正しいことである。おのずと信念も湧いて、善行を施す人間に成長していくのが常識である。自然に身に就いた、真の成功者の道をたどってもらわないと困る。人は須らく健康で、善人で、情け深い人間であって欲しい。それを目指して勉学し、人としての精進と修行の道を歩んでもらいたい。少年たちに、早くからそうした思いを抱いてほしいと願っている。これは神の思いにも通じていて完全に正しいはずである。少なくとも人間として成功者と称してかまわない。
イエスはこうした人たちを否定していない。イエスの思いにかなって、社会福祉に力をそそぐ人も生まれてくる。豊かに恵まれた人たちは確かに、その分社会に還元しているものが多いはずである。聖書は心から信仰する者たちに十分の一の献金を進めている。少なくとも、神から頂いた恩寵のお返しである。世に、成功者も居なければ、失敗して貧しくなる人もいない。貧乏の区別もできないが、貧乏の幸せ者もいる。自分の心の持ちようである。信仰こそは、その心の持ちようを教えて下さるのであり、愛と光の道を歩んで、人生を満ち足りたものとすることが本望でなければならない。一生はそれで終わりではなく、そうした希望と祈りを通じて永遠の命に続く、真の「復活」の意味をとらえるべきである。 7月9日
空しさを覚ゆ教会のオンライン説教の在り訪ね来しわれ
オンラインてふ機器にて礼拝にその虚しさに十字架を観ん
専任の牧師の未だ来たらずにイエスと直に相まみえけり
怠慢と言うほかになし教会に専任牧師のいまだ来たらず
貧困と病に遭える人々を招くイエスの宴会の席
成功者は教会に来てならぬとは牧師の何たる暴言を吐く
牧師とも思えぬ聖書の取次ぎに聊か惑ひ立ちすくみけり
講演親睦会
7月12日の午後一時から、昭和経済会の講演親睦会を銀座の三笠会館で行った。この日は殺人的な暑さを記録して、東京で38度といった猛暑であった。開催間際になって高齢者にとって遠近を問わず、この暑さのさなかに出席することはしんどいに違いない。出席を見合す人もいて残念であった。しかし三笠会館に入ると誠に気持ちよく、出席者の諸兄にとっては爽快な気分で先ずは寛いで下さったとものと思っている。
時局講演会の趣旨が本旨なので、とかく政治評論家のスピーチになりがちだったので、論点を変えて経済的な議題を論じてもらうことにした。山本事務局長の推挙で金融エコノミストの菅野雅明氏を招いて「2023年後半以降の日本経済、世界経済の展望」と題してお話を伺った。世界を折檻した新型コロナウイルスがようやく終息しかかってきており、世界的に閉塞状況に陥っていた経済が、昨年末からこの年の初めごろから動き始めて、幸いなことに急速に回復状況に回帰してきている。昨年2月24日にロシアがウクライナに戦争を仕掛けた被害は甚大で、世界経済に大きな弊害をもたらしているが、英知を絞った各国の努力によって困難を克服してきている結果が出てきている。株式上場企業の決算発表にもそのことが顕著に示されて押しなべて、好決算が発表されて株式市場で好感を誘っている。
講師の菅野さんには、鋭い分析と大胆な予測で語って頂いたが、そのことを踏まて内外に起きている政治的、経済的変貌についても手前から要望して語って頂いた。思い出すままにその論点を列挙してみると、
1)ウクライナ戦争とロシア 2)米中関係の緊張緩和 3)日韓のシャトル外交の意義
4)気候変動と産業構造の変化 5)AIとCHAT・GPT課題と応用活用 6)FRBの金融政策
7)日銀の植田総裁 8)衆議院解散時期 等々であったが、さらに追加すれば枚挙にいとまがない。台湾問題、崩壊懸念の中国の一帯一路政策、中国の不動産不況、国内を振り返って人口減少、少子高齢化問題、中小企業の倒産、ゼロゼロ金利政策の失態、地方自治体の財政の悪化、防衛予算の確保、膨張し続ける国の債務。
などを掲げてお願いした次第である。すべてについて触れていただいたわけではないが、要所要所で課題を挿入していただき感謝している。
直近の話で触れることができなかったが、中国訪問中の、アメリカのイエ―レン財務長官の中国に対する好意的発言である。小生は、これはアメリカの劇的な変化と捉えており、財務長官の訪中は適宜にかなったものと解釈している。イエ―レン長官の機微に触れた品性と、豊かな感性を表現して、卓越した政治家として、しかも女性政治家としてとらえたところである。実際的であり行動的である。習近平もたじろいで、会見を忌避したところがあったのではないか、などと思ったりしている。バイデンを継ぐ、アメリカ大統領に資格充分と見て読んだのである。7月12日
人はみな和み付き合ふ仲間にて親しく友と呼ぶにふさはし
集ひ来て始めは知らぬ仲なれど次第に親しくなるは良きかな
色々な立場の人の在りなせば人の話も面白きかな
利害なく直きこころを開き聞く話に熱く情けかよへり
*
古きこと子供の頃の思い出を手繰り互ひに語り合へるは
厳かに礼拝堂に立ち入りて仰ぐ高みにイエスまします
見渡せばエッフェル塔の残照の空に浮かびて月の灯りぬ
さ迷いひてモンマルトルの街に立ちムーランルージュの灯る紅き緋
この世にて憂きことの失し主の恵みうけて栄光の道を行くかな
動乱のパリにたまたま遭遇す旅の途上の友を憂へり
動乱のパリを旅する友ありてSNSにて無事を伝へ来
平安を常にも与え給う手の前におはせば奮ひ立つかも
キリストの手のひらに打つ釘のあと脇には槍の差した傷にも
キリストの痛み苦しみを我がために味はいけるは如何せんせんとや
若き娘の希望をかなえ来ておはす益荒男よりは益しと思へり
瀟洒なお寺の仏像
バス停までの5分間、朝な夕なに通り過ぎていく通勤時に、いつもお目にかかっていくお人がいる。拙宅を出て、二つ目の四つ角の左に位置している、東西の角である。自由が丘通りに面した瀟洒な[専浄寺]という名のお寺である。正式には浄土真宗 本願寺派 光雲山専浄寺という。お寺の敷地の東西の一角に立つ、阿弥陀如来のご本尊である。等身大より一回り小さい大きさで、見るからに愛おしさを感じるおもかげである。墓標の並ぶ中に立って野ざらしだが、お寺を囲む築地塀の中から上半身だけが間近かに覗えるので、私は行きずりに、その美しいお姿に立ち止まり、いつもお手を合わせて一礼し拝んでいくのである。ほとけの前までくると自然と手をほとけに向けて、無心の境地で通り過ぎてきている。唯、不思議と感謝の気持ちだけが残っている。日照りの時も、激しい雨風の時も、その慈悲深い面差しは変わらず、御心を私に振り向けて下さっている。
広隆寺に弥勒菩薩が祀るってあるが、あの慈悲深いお顔をそのまま生き映して持ち込んだ感じで、何とも言えぬ美しさである。天蓋もなくお立ちになっているので、内心痛々いく思うことがあるが、吹雪に襲われたような日に出喰わすしたりしていないので幸いである。
バス停はこの先の四つ角に在る。深沢方向から目黒通りを渡って来る赤い東急バスが駒八どおりの坂道を走って来るのが見える。バス停はその交差点の手前に在る。私はそのバス停から乗車し、バスが直ぐに交差点を左折して、この自由が丘通りに入り、八雲小学校の前を過ぎて、自由が丘駅にまで走っていく。私が乗る等々力6丁目バス停から二つ目が終点の等々力駅前である。いくらでもない距離だが横着してつい乗ってしまうのである。ラッシュを避けた時間帯なのでバスは空いており、私はバスの運転手の近くに留まって自分が大きなハンドルを回して運転しているような気持でおり、街なかを走っていく前方をしきりと眺めているのも楽しいものである。・
みほとけの顔美しく面差しのイエスに似たる慈悲のうちかも
自ずから野ずらに立てるみほとけに手をあはせける我は安きも
温かきイエスの顔を見上げ伏す我に返して手を差し伸べり
主イエスの愛と光と喜びを佛にも見て安くあらまし 続 7月14日
茹だる列島
梅雨明け宣言が未だされていないという気象庁の説明であるが、このところ関東地方の連日の猛暑を体験中の我々にとっては、実感として受け入れがたいものがある。今日、群馬の前橋で38,9度、東京都心でも37度8を記録、街なかでは熱中症にかかった患者が救急車で病院に搬送される光景がひっきりなしである。海の日を含めて三連休が続いたが、どこの海水浴場も超満員に状態である。人なついたイルカが海岸近くに泳ぎついて、海水浴客と遊んだりしている珍風景も楽しませてくれている。
前線が朝鮮半島から本邦に停滞して全く動く気配がないのが、上空に広がっている今の気象の特徴である。この朝鮮半島から張り出した前線に、太平洋上に広がる高気圧から暖かい空気が入り込んで、大量の雨をもたらしている。北九州や東北の北部にかけて、この梅雨前線が停滞している結果、こうした地域には大量の降雨量をもたらし、結果、河川の氾濫や土砂災害をもたらし、甚大な被害が各地に発生したいる。そんな被災地の状況を案じながら、今日も最高温度を記録する勢いの街中を、今日も私は緑陰を求めながら銀座の並木通りを、通勤のため日射病にかからないように気を付けて歩いてきている。こうした気象の格差の激しさと、経験しないほどの自然災害を考えると、近年頻発する異常気象の影響かも知れないと確信を深める思いである。
というのもこの異常気象は日本だけに限ったことではない。世界全体に及んでいるところを見ると、地球温暖化を懸念する人々の真摯な警鐘を軽視していてはならない。地球温暖化は、地球規模で急速に進んでおり待ったなしの状況である。一人ひとりの努力の積み重ねが僅かずつでも功を奏し、例えばこの惑星が、地球温暖化を過ぎて灼熱化し、炎上して爆発する地球の最期を想像しないまでも、何とかして途中で食い止める手立てを講じないといけない。
地球温暖化は、穏やかで緩やかなものではない。聞くところによるとローマでは最高気温が17日まで40度を記録、18日には43度に達したという。美しいトレドの泉も茹だって蒸発してしまうくらいだ。慌てたイタリア保健省は、ローマやボローニャなどの16都市に、初めての警報を出した。
又、以前旅行して思い出のあるシチリア島や、サルディーニャ島では、48度にまで上昇したそうである。気象庁では、「欧州での観測史上最高気温を更新する可能性がある」と予想している。そこで慌てたイタリアの気象庁は、「この夏で最も強烈、かつ観測史上最も強烈な熱波の一つ」に備えるよう市民に防御策を訴えた。
又、ギリシャ中部テーベでは14日に44.2度を観測したという。スペイン気象庁は、17日から19日にかけて熱波が襲来すると警告した。これは脅しではないと前置きしている。南部アンダルシア地方や、カナリア諸島で気温が40度を上回ると警告している。インド、アフリカなど推して知るべしである。広くは地球を巡っている偏西風の蛇行が異常をきたしているという説があるが、いまだはっきりしていない。
ところで米国でも大陸型気象を示して、西部カリフォルニア州から南部テキサス州に至る広い地域が、連日のように高温に見舞われ、地上は乾燥しきっている。アリゾナ州フェニックスでは、15日連続で43度を超える猛烈な暑さで、逃げ場のない始末に人々は危機意識を高めている。地上で最も暑い場所の一つとされるカリフォルニア州のデスバレーでは、16日の気温が54度に達する可能性があると見込まれている。西海岸のシドニーでも同じような暑さで、帰国する親戚が、帰るのをためらっている。軽井沢で一か月ほど滞在していたが、現地の情報をつかんで帰りたくないなあと心中を明かしていた。 7月18日
大袈裟な話でないが、地球温暖化は我が家の庭畑にも及んでいる。普段に限らず、いつも青々としている庭の芝生が、猛暑の高温な日照りに、火傷気味で色が黄色ばんで来ている。日中、元気を出して庭に飛び出し2分ほど鎌を以て野良仕事をやってみたが、目が眩んで頭がふらつく有り様に慌てて家に飛び込んで、頭に水をかけて難を免れた。しばらく違和感を覚えて薄気味悪い症状を呈していたが、しばらくして収まった。典型的な熱中症の、初期の症状と認識したのである。気づかずに無理していたら、救急車で病院に運ばれているかもしれない。注意が肝要である。
そこでやおら夕方の、陽がかぎった頃合いを見て庭に出て、庭畑の成ものに散水してやるとたちどころに元気を取り戻し、萎れ切った葉がぴんと張って生き返って来る。翌日には、青々とした色を湛えて見るからに涼しそうである。成もののキュウリ、トマト、ナスといったものは暑さに傷みが激しく、早めに採ってしまわないと栄養が大地から接種できずに、あまつさえこの殺人的な日照りである。実の表面に皺が寄って萎れっぱなしである。丹精して育て上げた結果が台無しである。明日頃に、枝豆を抜いて茹でて酒のつまみにたしなんでみたいと思っている。 7月19日
枝豆を酒のつまみに喰らいつつ何億光年の先を観て見ん
暗やみに宇宙全体を見透かして我が思惟の限りなきかな
何億と何兆光年とも覚へかし宇宙の果ての限りなきかな
限りなく広がる宇宙の果てに観ん一つの星に神のまします
骨壺に仮に入りても測る世の何億光年の果ての空かな
骨壺に入りても測る何億光てふ宇宙の限りなき果て
星雲の起きて膨れる宇宙の間大爆発の繰り返すさま
いにしへの寺の土塀に人の詠む歌を練り込むあとの記せり
おおてらの裏に隠れしつい垣の土に練りこみ詠める歌かな
人恋ふるう歌の激しく燃え浮かび今にも土塀に読めるその歌
山賊が跋扈する
人の家に土足で上がり込み、恐喝して暴力をふるい、物品を盗んでいく、あまつさえ家に火をつけて人を殺めている。誰も居なくなったあとの土地を占拠する。こうしたことが白昼公然と行われている世界とは、全く想像できない事柄である。しかし政治の世界で、それを行って憚らないのがプーチンである。今世紀に、恐ろしい人間が出てきたものである。しかもこれを止めようとするのでなく支援する人間がいるというのだから、人間の住む世の中はまさに魑魅魍魎の世界と言われても仕方がない。打って立つ人間もいるが、振りかざす正義の御旗が兎角、かすんで見えたりするから、理不尽が罷り通るのである。
マルクスの世に幽霊の出でたると話が今も生きて出でたる
いぶかしき魑魅魍魎の世界にてチャットGPTのいずく在りなむ
AIの先端技術の突撃す先に塹壕の生死分かちて
AIを駆使しこの世のありさまを如何にも解きてゆけるが如し
鬼畜にも劣るプーチンの悪業に戦慄的な人類の性
血の気なく足の欠けたる亡霊の闇に紛れて迂回してゆく
ウクライナ戦を仕掛けて五百日余未だ解決の兆しなかりき
プーチンの次第に不信のつのる身に周囲に不穏の動きうごめく
広大な大地を破壊し人命を奪うプーチンの悪行のあと
豊かなる平和な大地を己が手にせんと攻めるプーチンの悪徳強盗
プーチンの厚顔無恥に非情なる性の表に出でて恐ろし
ブリンケン長官の北京訪問
アメリカのブリンケン長官が北京入りした。相手は、外交問題を一手に取り仕切る王毅政治局員である。アメリカは今のところ喫急の課題はないにしても、慌てて中国との懸案を解決する必要性には乏しいが、有事の際に慌てて誤認した判断を下すことがないよう、あらかじめ双方の意思の疎通を図って接触を試みておく必要は大きい。北京入りしたからと言ってアメリカが中国のへりくだっっているわけではなく、アメリカの現在の考え方を伝え、有事に際の行動を明確に提示しておくことは、信頼関係の構築にも役立つだろうし、中国にとっても少なからぬ情報の提供にもつながって有意義であることには違いない。
ブリンケンも王毅も共に両国の利益を代表して発言し、高官レベルの対話であるがゆえに実務者同士の顔合わせということで緊張緩和にも役立つに違いない。何が在ろうと最悪の戦争を避けて先ず、話し合うということが肝要である。そのためには緊張緩和を含めて、お互いに接触し胸襟を開くことができる姿勢を作っておくべきである。とかくぎくしゃくとした米中関係であるが、それはそれとして、解決のための努力を惜しまないという暗黙の了解をつけておくこと、有事の際は互いにt連絡を取り合って情報分析を行い、最良の解決策を取れるように準備をして置くことである。危機回避に重要である。米中が対立激化という想定は、世界の危機を招くという前提を両国の間で明確に打ち立てておくことが必要だ。
自由と市場主義を標榜して打ち立てる資本主義的民主主義国家陣営と、一党政治を以て国家的指導を標榜して打ち立てんとする社会主義的陣営とは、自ずから仕上がった態勢が異なっているし、打ちだされる政策は同一でない。従って共存共栄を図らんとするには、政策の違いを微調整しながらすり合わせて施行していく必要がある。下部構造の発展が上部構造を構築していくというマルクス論に従えば、経済社会とその諸関係が変容して、政治体制のが変容していくという理論を実践させていくことである。今で表現すれば即ち戦争という破壊的なことになるが、マルクスが掲げる暴力的革命は、単なる神話に過ぎない。
地球規模に拡大した組織、グローバル化した世界に在っては、社会主義的な発想は当てはまらなくなってきている。論理学的には、形而上学的思考ではない。つまり相対立する要素の一方を否定し新たな構築を図るものではなく、融合を目指して発展的経過をたどる工程である。エネルギーの発生がこれからは、核分裂によってではなく、核融合にとって図られるのと同じように、両論議を進めていきながら、相対する異質のものが融合して新たな分子を構成する原理である。自然の原理にしたがう姿勢が肝要である。 これからの地球的政策と人類生存の道は、斯かる大原則に従って行動すべきものと思料されてくる。
顧みて活躍するアメリカ型紳士、ブリンケン国務長官は又、紅顔の美青年と称してもいいだろう。見栄えも若くして、はつらつとした艶がうかがえる。昔見た映画に出てくる男優に似ている。
一九四二年に作られた映画「カサブランカ」に出てハンフリ・ボガードに似ている。恋愛映画だが、中年男の渋い演技を見せている。相手役を演じた女優はイングリッド・バークマンである。翻って、習近平とブリンケンとの歴史的会談は両者対照的な雰囲気だが、押し出しのいい習近平と対峙しても、ブリンケンも引けを取らない風格と品位を持っている。風貌はハンフリ・ボガードに似てるから何となく、哀愁を帯びたところが物腰が柔らかく、相手を引き付ける魅力を秘めている感じである。中国の王毅外相もそうだが、国際社会で外交交渉に臨むにあたっては、テーブルに着く前の品格と、にじみ出た個性がたっとばれる。
ブリンケン長官の包囲中は、解決の道への端緒を切り開いたもので、平和外交の顕著で且つ積極的なもので意義深い点が重視される。次のイエ―レン財務長官の訪中への布石となるものだ。 7月23日
共産党宣言に出でた妖怪のレーニン、スターリンに続くプーチンと
プーチンの今にも暴力革命を地で行くさまに腰を抜かしぬ
共産党宣言を地で行く馬鹿者の二本の脚のついた幽霊
マルクスが述べた 幽霊にそっくりの冷酷非情のプーチンの顔
今世紀に旧ソヴィエト・スターリンの凶悪手法を用ふプーチン
人食いの人種が夜中に現れて子供をさらい闇に消えたり
ウクライナ子供の多くがさらわれて不正に取引されて消ゆると
恐ろしき悪魔が夜な夜な現れて幼児をさらう昔ばなしが
宮殿で暮らすプーチンが刑務所の犯罪人を炒め喰ふとも
幽霊に謎えて共産主義と言ふ著書にマルクスが確と捉へり
国民の命と領土を死守せんと戦ふ勇士のゼレンスキーよ
連日のゼレンスキーの奮闘に主権と領土の一体の是なりや
赤々と燃えて落ち行く夕日影ミサイルの影黒く飛びゆく
赤々と落ち行く夕日に黒き影映してロシアのミサイルが飛ぶ
広漠の農地の空をロシア製飛ぶミサイルが破壊されたり
空を飛ぶロシア製ミサイルを向かへ撃つウクライナ軍が破棄させたり
ミサイルの先に女子供らの生命の危機いともあらはに
ミサイルの爆破の犠牲におんな子の幸福の道絶たれ空しき
極端に走るロシアの文学の異様な郷土が生める業とも
憂鬱な風土と明るい旋律の芸の世界に錯綜の思惟
戦争と平和を記すトルストイいずれの道を汝は進まん
日本人の人口減少
日本の人口構成について少子高齢化が言われてから久しいが、若い人たちの価値観の変化がもたらしてきているせいか、出生率の減少傾向が続き、80万人を割ってきている傾向には政府も深刻な危機意識をもって真剣に考え始めているようである。そこに持ってきて最近、日本人の人口減少が危惧されてきた。2050年には日本の人口が1億人を割るという予想を立てる専門家もいて深刻な状況である。世界的な変調の進行かもしれないが、人口が爆発的に増加している国もあるので、地政学的には極めて重要な要素をはらんできている感じがする。
中国の人口がやはり同じような経過をたどってきている感じだが、一時期の一人っ子政策が野放図にされてきた結果もあって、子供を持つことに大きな価値観の変化をきたしてきている。人口を労働力ととらえていた前時代的な時期と違って、経済成長を果たしてきている中国でも、若者の人生観、世界観といった根本的な思想、考え方が大きく変容してきている。結婚しても子供を持たないでいいという考え方が根付いてきている。
それに引き換えインドの人口の増加については爆発的な印象を持っている。溢れるばかりの人々が、ガンジス河で裸になって禊を行う宗教儀式をする光景は、日本人にとっても見慣れない異様な光景に映るが、インドの人口は既に中国の14億人を超えている勢いで、アフリカ諸国でも同じような傾向である。一般的見方として、低所得者層の多い開発途上国に近い国々で、人口の増加が目立ってきている。日本の歴史を振り返ってみても、昔は「貧乏人の子沢山」と言われたくらいに四人や五人の子供は一家にとって当たり前に考えていたし、即、生産的要素としてとらえていた節もある。人口論の著書を著した、マルサスのような考え方が支配的であった。
一昨日、7月26日付け朝日新聞の夕刊のコラム、素粒子に載った文言に「全国都道府県で日本人が減り、外国人が過去最多に」とあった。そこで「どんな国になってゆくのだろう」と心境を述べている。筆者は国の将来について、多くの不安を残している感じである。ちなみに日本では、少子高齢化が急速に進展した結果、2008年をピークに総人口が減少に転じており、人口減少時代を迎えている。人口問題研究所の将来にわたる推計によると、2050年には日本の総人口は1億人を下回ることが予測されている。人口構成も変化し、少子高齢化のピッチは激しさを増すことが予想される。
労働市場としては、外国からの移民がそれを補っており、令和4年末では、外国人が約307万人増加している。増加の傾向はますます加速していくに違いない。理由としては治安のよいこと、生活水準が高いこと、労働市場が安定していることなどがあげられる。観光客として訪日した外国人が、日本に定住する希望を持つに至るケースがたくさんあることから、コロナ感染症が落ち着いてきたころから急速に外国人の移住が高まってきているのが現状である。
人口減少によって生じる各種の問題も生じてくる。その対処も喫級の課題である。生産年おのずがおのずが減少すればおのずと、国内需要の減少をもたらして結果、経済規模の縮小につながってくるし、労働力不足は、各種生産部門において大きな弊害を生じさせてくる。生産力の落ちていく日本は、魏国から見れば投資先としての魅力が低下して、国際競争力の低下をもたらしても来るだろう。高齢化の進む日本国内でも医療や介護の費用が増大してくる。その時には社会保障制度の給付と、負担のバランスが大きく崩れて、制度そのものが崩壊しかねない事態も起こってくる。そうした時には年々膨張する財政負担は財政の危機を招きねない。基礎的自治体の担い手の減少など様々な社会的・経済的な課題が深刻化することとなる。
人口減少時代の課題は国レベルだけではない。巷間よく言われる「人生百年時代」は、健康長寿を全うして結構な話であるが、新たな時代に向かっていく姿勢を自ら構築しなければならない責務が生じてくる。個々人も、「人生100年時代」と言われる社会にあって、できるだけ人の厄介にならずに年齢を積み重ね、短くして長い人生を、いかに有意義に過ごすかを考えなければならない。個人的にものんびりしていられない。 7月28日
日銀政策決定会合
重要な節目を向けた日銀政策決定会合が、昨日から二日間かけて開かれており今日、その結論が発表されるということで大きな注目を浴びていたところである。その動向をいち早く見極めようと、始まった株式市場は朝から神経質な動きをしていたが、午後になってその意思決定が流れると、軟弱だった株式市況は一気に急落し、800円以上にその下げ幅を広げていった。その推移を冷静に見守っていたが、やはり懸念材料が過剰に反応して相場に反映されていたせいか、時間の経過とともに冷静になり、引けにかけて一気に反転し131円安でこの日の取引を終えた。大幅に急落した下げから、650円近く値を戻したことになる。大幅な乱高下を演じたことで、株式市場は目先、一気にガス抜けした感じである。
日銀政策決定会合の決定を踏まえて、焦眉の点は今までの金融大緩和を持続しながら、長期金利の弾力的金利操作を可能にするべく、若干の修正を行ったということである。長期金利の上限は0,5パーセントをめどとしたうえで、市場動向に応じて0,5パーセントを一定程度超えることを容認することとした。容認する幅を1パーセントまでに広げ、弾力的に操作を可能ならしめたことである。きわめて適切であり、長年硬直化されてきた金融政策の変更であり、金融の正常化に一歩踏み出した点は大いに評価されると思われる。銀行株が一斉に大きく値上がりしてこれを歓迎する雰囲気で、経済の循環も正常な動きに転換てくるに違いない。
唯、国が大量の国債を発行して借金財政を余儀なくされている現状は、そう簡単に楽観できないものがある。万一金利が1パーセント上がっていくとしたら、政府の国債残高1200兆円の、国債の利払いだけでも膨大に膨れあがってしまい財政危機に陥ることも考えなければならない。また、金利上昇によって企業に及ぼす状況を慎重に観察してきめ細かな対応を行っていかなくてなならない。この日の債券市場ではすでに長期金利が急上昇し0、575パーセントを付けた。 7月28日
隅田川の花火大会
四年ぶりに、隅田川の花火大会が29日の土曜日の夕方に始まった。列島全体が梅雨明けして猛烈な暑さが続くここ一週間であるが、来日観光客もコロナ前にまで盛り返し、観光地は久しぶりに盛況を取り戻している。花火大会では二万発の花火が打ち上げられて豪華絢爛の花火が下町の空を華やかに彩って、観覧に来た人たちのめをたのしませてくれた。花火を見にやってきた観衆はざっと120万人と推定された。花火の打ち上げ会場となった隅田川沿いはもとより浅草と向島一帯にかけて群衆で埋め尽くされ、上流は桜橋あたりから下流にかけて吾妻橋まで三か所の打ち上げ台の船がもうけられて、花火師たちによって連続して豪快に火がつけられていた。
実家が浅草猿若町にあって、昔は二階の座敷から見られたものだが、今は規模こそ大きくなったものの、あたり一帯はビルが建ち並んで子供のころに抱いたような情緒もおぼつかなくなってきてしまった。繰り出した群衆に紛れて進んでいくうちに、花火の音だけしか聞こえず、空に開いた絢爛たる光の花は、ビルに隠れていて見ることができなかったとは、皮肉にもならない。インドから観光にやって来たという夫婦が人ごみの雑踏の有様に驚きを漏らしていたが、人口の多いインドでもこうしたありさまは見たことがないけど、混雑に乱れることなく規則に従って整然としている人の様に驚きの念を隠さずにいた。無事故第一を、最優先に置いている主催者側の大きな配慮によるものである。
花火が打ちあがるたびに感嘆の声を上げて「玉屋、鍵屋」と叫んでいた風景は江戸の華を言い尽くして余りあるが、今はそうした声を聞くことはなくなってしまった。ちなみに、玉屋、鍵やとは、昔、花火師の代表的な店の屋号であった。花火を見てその美しさに息をのみ、感嘆と称賛の声でもあった。現代花火風景といえば、短パンルックスであったり、暑さしのぎに携帯用の扇風機を手に持って、一方でソフトクリームを舐めながら、若いこの浴衣姿が涼しげにうかがえるのは頼もしい気がする。見上げる夜空には東京スカイツリーが高々と浮かんで明るい月がともっている浅草であるが、満天の空を江戸の華で散らしたこの日は、花火師の心に秘めた美意識を堪能して、小生も家内と仲良く、枝豆とビールで涼を味わっていたのである。枝豆は今朝、庭畑で収穫したものである。
江戸の華、隅田川の花火大会は、人の混雑は御免こうむって実は、拙宅の部屋にいて,ゆっくりと寛いだ気分でテレビ東京の実況放送を見ながらであるが、しかし映像を通じて風情は細やかに、艶やかな心境で味わえた。実家にいたころは、花火に見飽きると、「おびしゃ」という夜店が近くにたっていたが、そちらへ出かけて遊んだりしたものである。ちょうど実家近くから聖天横丁の通りに夜店が立った。馬道通りを抜け、母校の富士小学校近くまでの約250メートルほどの長さで、狭い通りだが、いろいろな店がたくさん出て、たいそうにぎわっていた。後ろのほうで花火が盛んに上がっていたが気にもならず、飴やお菓子が食べたくて、おもちゃ遊びがしたくて、金魚釣りもしたくて、その時は「おびしゃ」は、庶民的で奇抜なものは何もないが僕らにとっては今でいうデイズニーランドみたいに賑やかで面白い世界であった。びしゃという名の由来は、きっと毘沙門天様からきているのかもしれない。毘沙門天は七福神の一つであり金運、開運、商売繁盛を願って成就するという、また健康長寿の神様でもあった。
残照の夕方から夜になって、いい塩梅に夜風が幾分涼しくなってきた。部屋の硝子戸を一斉に開け放ち、庭から入ってくる風をいっぱいに吹き込んで、清冽な気分である。折しも昼間静かだったセミが、夜になって凌ぎやすくなったせいで一斉に鳴きだしている。やがて仕掛け花火が、饗宴のとどめの連打を打ちあげると、下町の夜の空が、まるで大きな万華鏡を覗いているように映っていた。 7月29日
社団法人 昭和経済会
理事長