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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.19.11

 続く大臣の辞任

   大臣にならないと政治家としての資質を検証できないということになっては、残念な風潮である。先の菅原経済産業相といい、今日もまた河井克行法務大臣が辞表を提出した。いずれも週刊文春の掲載記事から露見されたものだが、今回の法務大臣の場合もまた地元選挙民にジャガイモなどを送っていたということが明かになり、公職選挙法違反に問われるものである。菅原大臣の時はメロンだった。贈答品としてメロンとジャガイモとでは違いが大きすぎるが、金銭的多寡はともかく、法律に違反してまでそうした行為を行おうとする裏には、公正を欠いた、なにがしかの魂胆がある。政治家は地元の有権者に金品を送ってはならないと、公職選法に明記されている。政治家の規律、規範を監視する週刊文春の記事の努力には、さすがに頭が下がる思いである。国民のために、目をひからせていてもらいたい。

  今回は一週間のうちに二人の政治家が、しかも重責を担う大臣の資質が問われるものとなった。大臣を任命した安倍首相の立場も窮地に追い込まれている。平議員が法律を犯す始末を、安倍さんがいつも頭を下げて謝罪しているが、懲りないでいる。こうした不祥事が起きないよう国民の負託に対し襟を正し、真摯に向き合っていきたいと釈明するばかりである。これから先、又なにがしの政治家が同じような事案で取り上げられたら、安倍さんの立場も危なくなってくる。長期政権の気の緩みだと、各方面から批判されている。三文役者にも劣る政治家が、国民の負託に責任ある行動を取ることは出来ない。事、大臣を任命するときの、派閥人事で決めていくからこうしたことになる。能力はもとより資質重視で人事を決めていけば、可能な限りこうした事態を招かないで済むはずである。毎度繰り返されてきていること故、簡単には治療できそうもない。
  予備軍としては、文部科学大臣の羽生田さんが上がっている。失言は「身の丈に合わせて努力してもらいたい」と、暗に経済的格差を受験の段階で決めつけている感じで受け入れがたい。懸命に努力している受験生にとっては、宿命的に聞こえるかもしれない。無神経にも、受験生に言い放った。懸命に陳謝しているが、うっかり本心をのぞかせてしまったに違いないが、これ以上に失言すると彼の首が飛んでしまうから気を付けないといけない。身の丈に・・・で思い起こすのは1960年代の戦後強力に編み出した池田内閣の所得倍増政策である。経済の成長戦略に際し「貧乏人は麦を食えばいい」と放言してしまった。「麦を食えと」、「身の丈に合わせて」とは同じ論理だが、羽生田さんの場合は、事、教育に関する事柄であって問題はさらに深刻である。

   国会がこうしたことでうつつを抜かしている間にも、15,19号の台風と大雨の被災地では、いまだに被災者の苦悩が続いている。なかなかに回復する見込みがついていない。政府は激甚災害対策法の適用に踏み切っているが、迅速に進められないと被災地は四苦八苦の状態である。
  
  又、沖縄の首里城が全焼するという悲惨な情報が飛び込んできた。火炎に包まれて、無残に崩れ落ちていく首里城の姿は、悲劇的で直視していられない。第二次世界大戦では、戦場となった沖縄の、戦災で崩れ落ちた首里城の再建は、県民の情熱でようやく完成を見たはずである。県民の心のよりどころであり誇りであった。無残であり、慙愧に耐えない。先刻、フランスはパリのノートルダム寺院の火災があったが、火災による貴重な歴史的文化財の消失は何としてでも回避すべきである。首里城も世界遺産に指定されていた。

  このところ北朝鮮のミサイル発射が、国連をはじめとする国際社会から厳しい非難を受けているが、カエルの面に何とやらで、相変わらずミサイル発射実験が続いている。ロケットの性能を高めていることは間違いない。今日も又、大型のロケット実験に成功したという発表があった。隣国でこうしたことが起きていると、日本の安全保障上看過できない由々しき問題である。日,朝の間でも旧態然とした状況を打開するためにも、画期的、革新的な方法をもって臨むことも必要だろう。安倍さんには無理なので、政権が変わった時がタイミングである。
 
  朝鮮半島の非核化をめぐって、米朝首脳会談を先に見据えて、いろいろと駆け引きが絶えないが、こうした状況にありながら、韓国の文大統領の対日政策が友好的でないことが気がかりである。文氏の外交的施政にも大きな誤りがあって、やることなすこと裏目に出て国内においても不人気が増幅している。不愉快な少女像を各地に置いたり、元徴用工の訴訟事件の提起にしても、常識では受け入れられないものばかりである。ゆすり、たかりの類いでどうにもならない。いくら改善を求めても馬の耳に念仏とくれば、気が付くまで辛抱強く待つしかないだろう。そうこうするうちに、北朝鮮が大転換してくる可能性もある。その時に翻弄するようでは、無意識に実に大人げないしぐさである。

大臣が仕事もせずに辞表を提出する間でも、世間は難問山積であり、また、どんどんと状況は変わっていく。大臣が辞めた後は非難をかわす意味でもあろうが、後釜をすぐに用意して認証式をする始末である。暇つぶしに儀礼的なことをやっていられても困る。        11月1日


沖縄の首里城の全焼

  私が不勉強ともいえるし、努力不足ともいえるが、これまで沖縄のことについて、これほど話題が満載で観光的にも、時には政治的にも騒がれたりしているのに、一度も沖縄に行ったことがないというのだから、家内に笑われてしまった。いわれてみれば確かにそうだし、気候温暖で住みやすい土地柄であることは承知している。ただし、太平洋戦争では、沖縄戦の戦いで多くの市民が犠牲を強いられてきた悲しい歴史がある。米軍の猛攻を受けて、国土は灰燼に帰していまったし、戦後も米軍基地として残され、未だにそうした犠牲を強いられていること自体、何とも不幸なことだと悲しく思っていることもある。
  日本国という身近なところにありながら、沖縄県は海を隔てていることもあって、出かけるに億劫な感じがして、ついぞ行く機会がなかったわけである。飛行機を使っていくとなれば、つい外国の旅という観念があって、沖縄はいつも観光旅行から外されてきてしまったわけで、いつでも行けるには違いないが今となっては残念の極みと思っている。玉川神の教会に、クリスチャンホームの金城さんの家族が見えているが、ご主人は毎週のように東京と故郷の沖縄の間を行き来していらっしゃるので、そんな簡単に沖縄に行っているのかと不思議に思っているのである。風光明媚で観光地としても興味満載だし、時間ができればが行ってみようかと考えたりしている。ジェット機だとたやすくついてしまうので、逆に時間をかけて、ゆったりとプロペラ機でいってみたい気がする。

   実はそんな呑気な気持でもいられに事態が、沖縄で起きてしまった。沖縄の人々の心のよりどころとなっていて、心のふるさとと慕われていた歴史的建造物の首里城が、漏電と思しき火災にあって全焼してしまったという、衝撃的なニュースが飛び込んできた。そして巨大で華麗な首里城が火炎に包まれて焼け落ちていく悲しいさまがテレビの画面で放映され、見るに堪えかねて目を覆う始末であった。こんな立派な建物が沖縄にはあって、それが火炎に包まれて痛々しい声を上げているではないか。真っ赤な炎が夜空を焦がし、朱色の首里城の落城を思わせる悲惨な光景である。

  首里城には悲しい歴史がある。沖縄の王朝統治の時代に城が築城されたのは15世紀半ば、琉球王国は栄華を極めたが、その後の王朝時代の内紛で三度の火災に遭遇した。しかし民衆によって再建が行われ、琉球王国の伝統が守られてきた。図らずも、太平洋戦争の沖縄戦で米艦隊の砲撃を受け敢え無く全焼してしまった。 最近にいたりようやく首里城再建の完成の目途がついた矢先の、今回の火災である。 惜しまれてならない。

終戦まじか、本土防衛の矢面に立たされた沖縄は、米海軍のミシシッピー艦船からの猛爆を受け灰燼となったが、首里城も例外ではなかった。米軍の肩を持つわけではないが、何故かくのごとき建造物を猛攻、破壊したかである。理由は単純であった。日本軍は、中でも第32軍司令部が首里城の地下に置かれていたが故であった。木っ端みじんの砲撃を受けて破壊されてしまった。そうした情報がなければ、首里城攻撃は回避されたのであった。沖縄とともに首里城は、悲しき運命の悪戯に翻弄されてきたのである。

  そして今、首里城の再建が叫ばれている。沖縄の人たちによって、日本の社会の人たちによって、県によって、国の支援も得て、世界からの支援金,寄付金も集まって再建の機運が高まりつつある。貴重な民族遺産をの存在に気付いた機運は、首里城再建へと盛り上がってきていることは幸運である。建設の難渋をいう人もいるが、再建資金に必要なめどが立つかどうか、建築資材、特に大量の木材の調達ができるかどうか、 再建に従事する職人の配置の問題など。

澎湃として沸く再建への情熱は、こうした難関を突破して、再び首里城の華麗な雄姿をすべての人たちに届けてくれるに違いない。心を一つに支援して、その日を確信をもって待ち望もうではないか。  11月4日 続く

ベルリンの壁  崩壊三十年

   1989年11月9日、第二次世界大戦後に続いた東西冷戦時代の終焉と、希望に満ちた将来の到来を象徴する出来事が起きた。ベルリンの壁の崩壊である。一人の青年が、ベルリンの壁によじ登ってハンマーを振り上げ、分厚い壁を叩き壊していたあの逞しい雄姿は未だに忘れることは出来ない。東西ドイツの分断の壁をぶちたたき、東西ドイツの自由な往来を成し遂げたあの事件は、単にドイツの問題にとどまらず、世界の自由な交流と、融和と繁栄の道を切り開いた画期的事件であった。あの時の青年は、今どうしているだろうか。それと、あの時のハンマーはどこにあるのだろうか。


  共産主義国家だった東ドイツから、自由と民主主義を求めて多くの群衆が波打つように西ドイツになだれ込んだ。メルケル首相もその群衆の中の一人であった。彼女はそのとき35歳、家族とともに当時の東ドイツに住んで、物理学者であった。彼女もドイツ分断の悲劇を目の当たりしみていたし、自由な西ドイツの華やかな繁栄を羨望をもって目にしていた。経済格差の甚だしい貧しさと、監視社会から逃れて、経済の繁栄と自由の気風にあこがれた民衆の多くは、社会制度の違いに驚き、人間としての生存権の尊厳さを身を以て体験したに違いない。歓喜にしたる民衆の姿は、世界に自由と民主主義の重要性を釘付けにしてしまった。自由主義国に雪崩を打って流出する民衆は、共産主義国の弱体化を進め、旧ソヴィエト連邦の、東欧諸国の崩壊につながっていった。ソヴィエト連邦の、多くの衛星国家が独立していった。

  当時の映像には、いつもレーガン・ゴルバチョフの劇的な会談と、東西融和のシーンが流れ、我々の期待は世界平和の地平線を眺める希望にあふれていた。レーガン・ゴルバチョフは冷やかな冷戦時代に幕を閉じ、二人は平和の騎士として大きな尊敬の念をもって迎えられたのである。わが昭和経済会でも、ソ連邦を自由と民主主義に導く関門を開いた功績を以て、みすたーゴルバチョフを講演会の講師に招聘することを願ったが、来日時に合わせて時間的に都合がつかず断念せざるを得なかった経緯がある。 

しかし今となっては、この劇的な時代の転換期を感動をもって語る人が少なくなってしまった。いつの間にか遠い過去の出来事として忘れ去られようとしている。いわんや歴史的意義を探ることも、今の若い人たちには遠のいてしまっているようである。之ではだめだと、今の若い人たちに呼び掛けているのである。   11月9日  続く

      憂慮に耐えない香港騒動

香港の自由と民主化を求める騒動については、5か月前の理事長室でも記述しているように、懸念をもって学生運動の成り行きを見つめていた。過激的になってきた若者たちの抗議運動に対し、警察当局が強硬な姿勢をもって鎮圧に出てきたことで、さらなる懸念を持たざるを得ないでいる。警察が放水や催涙弾をデモの群衆に打ち続けるのに対し、デモの群衆は放石や火炎瓶で応酬し抵抗している。警察官による実弾発射も起こる事態にまで至り、状況は緊迫している。
  反政府活動に、指揮を執るリーダーがいないことに一抹の懸念を持っていたが、折角良識的に盛り上がった民主化の運動に対して、実効的な成果を出さずにいることが惜しまれる。連日の抗議活動が沈静化して、話し合いにの段階に入っていなければならないのに、いつまでたっても同じような状態が続いている。挙句に双方が暴力化し、香港理工科大学に籠城する学生訳1000人の構内に警官隊が突入、学生らを排除、拘束に向かって実力行動に出、多数の拘束者を出し、負傷者を出している。私は、かっての東大構内での安田講堂事件を思いだした。残念である。

香港の学生、市民のデモ隊に催涙弾を投げる警官

学生にピストルを引き発射する守る警官が市民を敵視す

人権を守り自由と民主化を叫ぶ若者に市民が支援す         11月17日


      ヴェネチアの浸水

  思い出のベネチアが、高潮の水害に危険状態である。水かさは、180センチに及んだ。サンマルコの大聖堂や、サンマルコ広場が一面に浸水し、世界一美しい水の都、ベネチアの街は見る影もない。腰までつかりながら広場を渡っていく観光客がいて、その映像が伝わってきたが、見るに堪えかね痛々しい限りである。
  地球温暖化の影響は、北極の氷山の大規模な崩壊にとどまらない。地球の球体全体に及ぶことは、もちろんである。国際社会が一段となって辛抱強く、こうした現象を食い止めなければならない。海の膨張は謎が多い。海面がが1メートル上昇すると、地球の陸地のほぼ三分の一が水没するという報告もある。海産物はもとより、陸地の農産物の全滅で、人間はもとより動植物の生存は、わずかな植物を除いてほぼ絶望的である。その時ノアの箱舟ではないが、地球上の気象状況は秩序を失い、天地が壊滅状態になってしまうだろう。
 
  思い出したが、朋友の故、吉田君夫妻とイタリア旅行に行ったのはすでに十二、三年前のことになる。 吉田君のお嬢さんが交通会社に勤務していて、イタリア旅行を企画してくれたものである。モスクワ経由の日航機に乗って、最初はスペインのマドリッドに降り立った。スペインの観光を終えて空路イタリアのミラノに向かったが、快晴の地中海沿岸を飛行していく旅は楽しかった。地上の景色は無論だが、しかしエベレストをはじめ、ヨーロッパのアルプス連峰の秀麗な山々を眼下に眺める気持ちは雄大であり、さながらロケットに乗って宇宙飛行を楽しむような気分になって、感動的だった。ジェット機の窓から眺める地上の景色が、少しずつゆっくりと後ろに動いていく。機内の操縦室からのアナウンスで機長が、今日のような晴れ渡った穏やかな空はまれだという説明もあって、今日のお客さん方は幸運だというアナウンスであった。  

ミラノに降り立って翌々日、私はヴェネチアに向かった。ヴェネチアの壮麗なサンマルコ大聖堂をめぐり、サンマルコ広場を散策して月の夜を楽しんだが、今の状況は一面が腰まで冠水状態だという。 嘆かわしき、限りである。              11月18日   続く

    Gsomiaの破棄凍結

   韓国が日本との間で締結しているGソニアの破棄を通告してきてから両国の緊迫した状態が続くなか、失効期限の23日零時を目前にして、今日の午後夕方、破棄の凍結を通知してきた。日韓の亀裂を深めずに、韓国が賢明な判断をしてきて幸いであった。      11月22日     続

     香港政治の大逆転

   24日に行われた香港の区議会選挙は、民主派が大得票を獲得し、452議席中380席以上を獲得する結果となって、親中派を大きく引き離す歴史的大勝利に終わった。区議会選挙は、香港の民意を現す住民投票のようなものである。 投票率は71パーセント、前回の47パーセントを大きく上回って関心の深さは圧倒的である。       

民主派が躍進したことで一連の抗議活動が、市民の共感と支持を得たことになった。香港政府がこれまで通り市民の要求を拒み続ければ、抗議活動はさらに激しくなるとみらる。 学生の抗議活動に市民が加わった運動は、香港の政治情勢、ひいては中国政府の政治の決定事項に大きく影響を及ぼすことになる。学生諸君の自由と民主化にかけた情熱は真価を発揮し、これからの香港社会の道筋を付けていくことになろう。 自由と民主主義のために戦った学生諸君と香港市民の努力が、民主派議員の大躍進と勝利を手にした結果になった。その運動の道のりと成果は、これからである。         

懸念することは、中国の姿勢である。一国二制度を香港市民に確約し、外交政策の強硬勢力に加担しないことが望まれる。しばらく静観して混乱を排し、香港市民の生活を回復させ、平穏に推移させて行くことが適切である。 ここで手段を誤り、香港市民を刺激し、再び香港行政府・警察と、学生・市民との対決姿勢を激化させるようだと、跳ね返って中国政府の軽率な指導力を露見する結果になりかねない。そして習近平の足元をぐらつかせるようだと、国際政治の力学的関係に及ぼしてくる。それはあまりに危険である。中国の国内政治が安定していないと、ただでさえ米中貿易戦争で満身創痍の状態にある中国を突発的な行動に走らせることにならんように、警戒すべき点だからである。 
   幸いなことに日中関係は、歴史上かってないほどの信頼、友好関係を構築しつつある。 世界の対立抗争の中に、賢明な仲介役を演じる日本の存在価値化は、ますます高まってきていおり、世界が又期待しているところである。   

若人の自由と民主の主義主張支持を集めて臨む選挙に
香港の自由と民主の旋風に改革に火街に燃え立つ
民主派の圧勝に帰す香港の選挙の結果に街は沸き立つ
若者の多くが立ちて八割強議席獲得の成果収めり         11月24日

ローマ教皇の来日

  11月24日、ローマのカソリック、フランシスコ教皇は平和の巡礼者として、38年ぶりに来日した。長崎に降り立ったフランシスコ教皇は降りしきる雨の中、長崎市の爆心地公園を訪れてスピーチを行い、核兵器のない平和な世界への実現に向けて全ての人が、一致団結して取り組むことを呼びかけた。

  このあと、フランシスコ教皇は長崎を出発してもう一つの被爆地広島を訪れ、平和公園で開かれた「平和のための集い」に出席し、被爆者たちを前にスピーチを行い、平和への祈りをつたえた。

  日本は原爆の悲惨な体験者である。原爆の脅威は以前に比してさらに高まっている。日本は率先して原爆禁止運動の先頭に立って、国際世論を喚起し、この地球上に人類破滅の凶器となる物体を一刻も早くこの地球上から駆逐する使命と努力を背負っているはずである。国も人々も最近は、そうした自覚を喪失しつつあるかに見える。いわんやトランプ、プーチンのアメリカ、ロシアなどの原爆所有国の大国にいたっては、何をか況んやである。

  長崎で、原爆投下の後に進駐した米軍のカメラマンが撮影した一枚の写真がある。それは、我々にとって悔恨と懺悔の教訓を与えるものである。死んだ弟を背負って焼き場の火葬を待つ少年の姿は、一層の悲しみを沸かさずにはおかない。原爆の悲劇をあからさまに伝えるこの一枚の写真は、戦争と原爆使用と、原爆保持の現状の非情さを象徴する何物でもない。ローマ教皇は、この一枚の写真をもって、人類の覚醒を促して、全世界の人々に原爆使用の禁止と全面破棄を訴えつつ、日本に来日した。 世界の指導者たちは今こそ、ローマ教皇の祈りに、耳を傾けるべきである。   11月24日

東京地下鉄の大改装

  毎日の通勤で利用している地下鉄日比谷線。乗降に使っている駅は、東京の中心地の銀座である。日比谷線の銀座駅は、一方で銀座浅草線と交差しており、上に出ると銀座四丁目の交差点出る。駅のホームの東口に当たる。他方、駅の西口を上に出ると数寄屋橋の交差点である。いずれも交差点には交番が立っていて、数人の巡査が常駐し、警戒と案内に当たっている。数寄屋橋の交番のほうが、規模としては若干大きい。今、銀座は外国からの観光客でにぎわっており、東南アジアからの人たちが多いようである。治安の優れている銀座では、警官の仕事はもっぱら、こうした人たちの案内役を務めている比重が大きい。通り掛けに見かける巡査の優しい対応振りにいつも感心している。外国語も喋れて、マナーの優秀な巡査が配属されているに違いない。街路時も整備されており、銀座の柳も復活して、都心ながらさわやかな感じである。

   地下鉄の駅とホームは今、大改装中である。ふと目にした一枚の壁には、「これから地下鉄の天井と、床と、壁が、きれいになります」と、言い訳がましく大きく宣伝した紙が貼ってあるが、全くその通りのアンダーコンストラクションである。駅のホームも構内も色一色の壁に覆いつくされて装飾らしきものは一切ない殺風景な状態で、トンネルを潜って歩いているような有様である。電気がついていなければ、一体どこににいるのかさっぱり分からずじまいだ。

   もっとも、昼間でも行く先が分からないくらいで、矢印と案内の書き込みがない限り迷子になって、いつになっても外の上に出られないかもしれない。天井も、柱も壁も、小店も白いカバーがかけられているから、どこに行っても仮枠の白い壁や柱に突き当たって、同じ場所を堂々巡りしているような変な錯覚にもとらわれる。実に窮屈であり、寒々とした光景である。オリンピックを前に、突貫工事で今から始めていることに違いない。ホームから上に上がるエスカレーターも止まってしまって、カバーがかけられており、内側では盛んに工事が進められているのだろう。ずいぶんと不便極まりない不愉快な雰囲気が漂っていて、これがいつまで続いているのやら、心配な気もする。しかし我慢の末に出来上がった改装の様子は、きっと華やかで品のあるものになるに違いない。何しろ東京一のど真ん中の、銀座の玄関の、いわば顔の化粧のことだから猶更といわねばならない。 

こうした状況のなか、外人観光客がたくさん来日して日本の観光地を見聞し体験している様子が盛んにみられている。 地下鉄構内を歩いていると、日本はなんと汚い国かと思われがちだが、そうした場所は工事現場と同じようなものだから、お勘弁願いたい。

   昨日も所用があって、浅草まで行ってきた。一年ほど前から浅草駅はすでに改装を済ませて、雰囲気は一変して明るい雰囲気である。構内は赤と黒を基調とした元禄調のけばけばした色彩で、吉原遊郭をしのばせるものがある。赤と黒の世界から上に飛び出ると、何と浅草雷門から仲見世界隈には沢山の外人観光客であふれんばかりであった。相変わらずの浅草の混雑ぶりであった。 
   私はこの日、京橋から地下鉄浅草線に乗り 、 田原町駅で降りてビューホテルに向かって歩いて行った。途中、土地の売買を仲介した1000㎡ の土地には、三井不動産が14階建てのビルを建ててくれて小生も立派な事業に参加することができ、その結果をしみじみと見ながらふるさとの一角を散策していた。 この建物にはオフィスの他にホテルも併用しているというので、 多くの外人観光客の利用に供することができるだろう。この道の突き当りが、老舗の「どぜう飯田屋」である。言問いのどじょうが丸ごと出すにに対し、飯田屋ではひらきのどじょう鍋である。胡坐をかいて、千切りのネギの薬味を山と積んで食べるのが、体ににいい。ネギの薬味がなくなると、仲居が直ぐに足しに来てくれる。愛想よく雰囲気もいいので、つい「もう一本」と、熱燗を注文して酒が進んでしまう。際限がない。店の商売上手に、客がお手上げである。
   三井のビルの先には、ビューホテルの敷地に昔、華やかな国際劇場があった。関西の宝塚と対峙して、浅草松竹歌劇団のメンバーが活躍していた。豪華絢爛の大きな舞台で乙女たちが演出していたものである。男装の麗人が輩出して人気を博していた。水之江滝子、小月冴子、川端竜子などの女優を輩出し実ににぎやかだった。野添ひとみもそうだし、並木路子、淡路恵子、暁テル子、倍賞千恵子、美空ひばりといった名優を出している。浅草松竹歌劇団は、今は消滅してしまったのが惜しまれるが、一方で関西の宝塚歌劇団が人気沸騰中である。そんな栄枯盛衰のことを思い出しながら国際通りを渡って、花やしき通りに入ってみた。 
  子供のころに、父に連れられて遊遊びに行った「花やしき」の遊園地が左手にある。当時いろいろな娯楽施設がもうけられていた。お化け屋敷に入って見たり、メリーゴーラウンド に乗って楽しんだ思い出がある。それもお正月や特別の休日に限ってのことであった。 目の前には、浅草ひょうたん池があって、その袖に浅草興行街が立ち並んでいた。池之端には昔、ふじ棚があって、紫の花を咲かせる頃に、しだれた花の下のベンチに腰かけて立ち並ぶ映画館の様子を眺めていた記憶がある。懐かしいなあと思った。今は、ロック座通りの角に大規模開発が行われていて、大和ハウスがこれを手掛けている。約700坪の敷地に地上14階建て建物、おそらくホテルに違いない。建てたら売却するというので、見にいった次第である。

   右手に曲がってロック座通りに入ってみた。懐かしいストリップ劇場のロック座は健在である。これが消滅するようだと、浅草も、息の根を止められたも同然で最早お終いだ。たくさんあった映画館はほとんど姿を消してしまったが、大勝館とロック座、浅草演芸場だけは残っているから、その意気込みは大したものである。映画のだいご味は、大きなスクリーンに映るのを見るところにあって、手に載るスマホでは味わえない。日本映画の名作、東京物語、羅生門、をスマホで見ても時間の無駄である。外国映画の天井桟敷、荒野の決闘、然りである。そんなことを思うと、町全体にたくさん並んでいた映画館のロック街などはノスタルジックであり、今存続していれば、世界遺産登録に間違いなしの文化遺産である。大震災で崩れ落ちた12階建もそうだろう。残っていれば、吉原遊郭の角海老楼の建物もそうに違いない。金があれば、皆立て直しして、復元できるものならトライしてみる価値が大いにある。

   懐旧の念熱く、ここでロック座に入ってみようかと思ったが、時間がなかった。階段を上って二階に受付があるが、足止めを食らっては仕事ができないため、時計を見ながら断念した。 浅草出身の芸人はたくさんいるが、皆下積みの生活をし、苦労を重ねて出世したもので、今の吉本興業のような薄っぺらなものではない。勉強をし味わいのある芸を独自に作り上げている。
   この界隈から観音さまの境内に通じた道は五重塔通り、浅草ロックフラワー通り、新仲見世通り、などがある。 見世物小屋や小店があったりして見物には事欠かない。 多くの外人客が押し寄せて、日本文化を楽しんでいる。きれいな和服姿のお嬢さんがたくさん出ているかと思いきや、貸衣装を着込んだ観光客たちであった。ちなみに一回2700円。ニ、三時間の間ではないだろうか。着物を楽しそうに着込んで、下駄をはいて街なかを散歩している。古風で情緒ある風習を外人が楽しんでいる。自らもってする体験旅行である。お茶をたてたり、花を生けたり、手習いをするといった実際的な習得も盛んなようである。浅草では、人力車に乗るよりは無なんかもしれない。 

   新仲見世通りから人ごみの中、浅草寺の参道に当たる仲見世に出た。振り返ると宝蔵門をくぐった先に、浅草寺の本堂が高々と立っているのが遠望できる。人の波に飲み込まれそうな気分で仲見世通りを雷門に向かっていくと、右手に友人は商う店がある。「たかしま」という看板を掲げて小物を売っている店である。高島君が人ごみの中を行く小生の姿を素早くキャッチして、互いに目を交わしつつ近づいて握手した。浅草に来た時には必ず立ち寄ることにしている。高島君は高等学院時代からの親友の一人である。 お店は代々継がれてきている故に、長男なので就職試験に悩むことなく稼業を継いだわけである。握り合った手にぬくもりを感じて、達者で店に出ている様子をうれしく思った。若々しく品の良い奥さんと一緒に店に出て、頑張っている。お茶でも飲みに行こうという誘いであったが、先を急ぐので立ち話して帰ってきた。       11月27日 続

     中曽根康弘氏が死去

   敬愛する中曽根元首相が逝去された。百一歳であられた。慎んでご冥福をお祈り申し上げる次第である。
以前、政治家として大活躍のころの中曽根さんから頂いた書状を事務所に保管してあるが、中でもフクロウ博士を描いて送ってくださった葉書は、政治家、中曽根さんの人柄と信念、人生そのものを示して遺憾なく、躍如たるものがある。葉書のフクロウ博士を見ていると、座禅を組んでいる中曽根さんと向き合っているような気持になってきた。   合掌       11月29日

中曽根康弘元首相の逝去を悔やむ声が、国内をはじめ世界各國から寄せられている。政治家としての評価以前に、中曾根さんの実直な人柄と誠実さが蘇って着てのことだろうか、今更ながら功績をしのぶ声につながってきている。

   中曽根さんの政治経歴としては、1982年の鈴木善幸内閣が退陣したあとに第71内閣首相に就任したが、何にもしない内閣として評判の悪かった腑抜けの鈴木首相に代わる時だったので、国民にも新首相に対する期待と、自ずから高揚感があった。鈴木内閣は、田舎丸出しのおよそセンスのない首相であった。そこに「首相を国民投票で選ぶ運動」を街中に展開し、元海軍主計将校の若い中曽根さんが、颯爽と大舞台に登場しただけに、世間の風評はまずまずだった。少数派閥の領袖として政界を渡り切り、風見鶏の別名をもって当たったほどに、常に苦労が絶えなかった。しかし、右顧左眄の風見鶏ではなく、足が地に着いた堅固のものだったがゆえに周囲の喧騒に振り回されるものではなかった。あの頃は「首相を国民投票で」の看板がどこにでも掲げてあった。あれは体の良い選挙運動だったに違いない。

   首相在任中は国内においては幾多の大改革を断行し、外交にいおいてはアメリカのレーガン大統領と親交を深め、互いにロン・ヤスと呼び合って、日米同盟の絆の強化を図ったことは大きい功績である。アメリカ大統領と膝詰め談判で外交交渉を図ったのは、中曽根さんが初めてであろう。日本の防衛費予算を国民所得の1パーセント内と規定して、国防予算の拡大路線を引いたのも中曽根s団であった。

   注目すべきは、国鉄、日本電電公社、日本専売公社といった国営企業の民営化を大胆に推し進めていったことである。運賃値上げと万年ストライキに泣かされてきた国民は、国鉄の民営化が実現されることに期待し熱望していた。国鉄の分割と、民営化は労働組合の物凄い抵抗を受けながらも、これれをJRという今日の近代企業に実現させたし、日本電信電話公社もおなじみのNTTに、日本専売公社はJTに改名し、組織と経営の改革を断行していった。中曽根内閣の国鉄の分割民営化を強力に後押ししたのが、わが昭和経済会の顧問であった土光敏夫さんであった。

   土光さんは中曽根さんの要請を受けて、第二次臨時行政調査会の会長を務め、文字通り老骨に鞭を打って、それまで誰一人として手掛けられなかった行政大改革の答申を行った。中曽根さんはこの答申に基づいて実行すべく、蛮勇をふるった。これは日本経済の停滞と陳腐化の温床だった国有企業の労働組合を刷新して労使の協調の下、民間企業に移籍させることで歴史的な大成功を収めたものであって、日本の今日の経済組織の活性化への起爆剤を果たしていったのである。 12月1日

拙宅の庭に樹齢60年になる桜の木がある。種類は染井吉野で、毎年の花見は花見には行かずに専ら庭先で楽しんできている。桜の枝は大きく広がって花をつけるから良いのであって、花の爛漫として咲き勝る雰囲気は華やかでなんとも名状しがたいものを感じる。植わっている土地が良いということ、つまり土壌が桜の大木に適しているから、自ずから樹木に年齢を感じさせないくらいの精気がみなぎっている。枝は四方に向かってぐんぐん伸びていくし、枝にはぎっしりと花が詰まって咲くほどに、美しさと同時に生命力が溢れてきている。

   ある時期のこと、庭に畑を作るようになってから、樹木の茂みで日影がたくさんできるようになってしまった。そこで植木屋さんが入った時に、桜の多少の枝祓いをしてもらった。桜の木は一度切ったりすると、[桜伐るバカ、梅伐らぬ馬鹿」の言い伝えではないが、定説に逆らい桜の木も切ったりすると却って、土地柄が良くて、精力のある性格の良い木は、切られても苦痛に耐えて元気になってくる。おのれを痛め耐力を鍛える意味で、生き物のある種の生命力である。案の定、桜の木もその後ますます成長力を発揮して、雄大な枝ぶりをなしてくるようになった。
   この木はもともと昔の地主さんから譲りうけたものだが、敷地の南側に子供さんが小学校の卒業記念に桜の木を植えたものだった。なので、拙宅でも大事に見守ってきたし、毎年春の盛りには居ながらにして花を楽しめてきた長い歴史がある。しかしここ秋に植木屋さんが入った時に、この桜はそろそろ寿命で幹が腐食してきて雨風に倒木しやすいから危険だと言われていた。気が付いて幹の裏側をよく見てみると、太い幹の大部分が腐食していることが分かった。可哀そうで伐ることもできず、何とか元気なままに延命策を取ることは出来ないものか、専門家に聞いてみたりしたが、桜の寿命は60年だという。年齢の避けがたいものであるとすれば、宿命かとも思った。

   昨今の気象状況は狂いじめており、正に恒常的な異常気象の現象となった来ている。そうしたときに倒木の憂き目にあって、前のお宅にでも倒れ掛かったら大変なことになる。残念だが、試案の挙句に伐採することに決心した。大きくなった木の伐採となると簡単なわけにいかない。電気のこぎりで切るにしても、あたりの養生が必要だし、伐った幹を吊り上げるクレーン車だって必要になってくる。そんなことを頭に描いていた。言いにくい話だが、記念として植木を植えたお宅には事情を説明して、止む得ず桜の木を伐ることになった旨を伝えに家内が行ってくれた。

拙宅に出入りする大工の棟梁が、その桜の木を譲ってほしいという話であった。薪を求めている友人が目黒にいて、桜の木の話をしたら是非譲ってほしいという妙な話になってきた。電気のこぎりを以て切り倒し、小さく裁断しトラックに積んでいってくれるという。疑うわけではないが、そんな簡単に済む話ではないと思っていたので、本当だとすれば渡りに船である。植木屋さんに頼めば本職だし、十万や十五万はかかるに違いない。家庭の薪に使ってくれるというから、目的がはっきりしている。それにしても薪の生活をしているとはなんと優雅でぜいたくな話かとも思い、うらやましく思った。桜は薪に使うと火力が強いことは知っている。そして幹を通して筋がまっすぐに通っているので、割りやしい特徴があって珍重される理由にもなっている。薪には乾燥された固い木が喜ばれるが、樫、欅、クヌギ等、梅もそうだが、木によって素直な性質が異なるので扱いにくそうである。桜はその点文句なしに上位のランク付けだそうである。庭が広いので、切り倒すのに難しさはない。根元を伐って、あとは倒して一尺ほどの長さに裁断するだけだそうだ。

休日の午前中に棟梁とその友人が、中トラックに道具を積んでやってきた。切り倒す前に、お神酒と塩を用意して、棟梁が丁寧に幹の根本にかけて合掌していた。小生も神妙な気持になって合掌した。友人が桜の木を見やりながら秘策を練って,やおらとりかかりはじめた。電のこのスイッチを入れると物凄い音を立ててエンジンが回りだした。友人は電のこを宇田に抱え、手前側から幹の根本にのこぎりの歯を入れた。細かい大鋸屑があたりに飛び散った。まるで生き物の血が吹きだすように思えて痛々しく、一瞬可哀そうに思えて居たたまれずに家の中に飛び込んだ。手前の内側に三角の切り傷を作り、そのあと反対の外側に鋸の歯を入れると、幹がゆったりと動き始めた。暫くすると大きな木のきしむ音がして、巨木が目の前にまでのしかかって倒れてきた。あっけない瞬間であった。

   友人はその場で倒れた幹を一尺ほどの長さに切断して積み上げていったが、途中から斧を取り出してきた。そしてそれぞれに短く切った丸太を立てて、斧を振り上げて細く割っていった。窯や暖炉に、薪としてくべるに恰好な大きさであった。生の木だと縦の筋に沿ってきれいに割れるはずである。友人は、これを十本ずつ束ねて紐でくくり、トラックの荷台に積み上げていった。約二時間の仕事であった。庭の芝生に飛び散った大鋸屑をきれいに吸い上げて、何ごともなかったかのように跡かたずけができた。実に陽気で手際のよい仕事ぶりであった。
   桜の切り倒された庭が明るく、周囲が広々とした感じになった。しばらくは慣れるまで、一抹の寂しさを感じることであろう。誰にも知らせていないが、さくらの木が突如なくなってしまったことに誰も気づかずにいる。きっと、桜の咲くころになって、あれ?桜の木はどうしてしまったの?なんて云う会話に終わってしまうかもしれない。 
   私は、棟梁とその友人が引き払っていったあと、桜の木の鮮やかな赤みがかった伐り株のあとに、小菊の花を手向けてそっと置いてやったのである。伐り株には、鮮やかな年輪が記されてあった。ふと見上げた霞の空に、半月が薄くかかっていた。    12月8日


中村医師の殉死せり


アフガンの荒れ地に民とともに住み命の水を生かす医師あり

荒れ果てし戦火の巷を生き返し民の命を救ふ医師あり

神の手を授けた給へやアフガンの荒れ地の中村医師を支へて

証しする妻のみぎてに立つイエスの後ろに仕へ我も祈れり

茶山花の咲きてこぼれる庭土に早や雑草の出づる今朝かな

立つ霜の朝日に溶けしその間より早や雑草(あれくさ)の匂ひ出づるも

雑草の早や萌(もえ)ぎ立つ庭畑にたんぽぽの芽も生えて嬉しき

柿の実をつつきに目白の家族きて互ひにささやき飛び交ひあへり

柿の実の赤くみのりて木枯らしに深く色づき鳥を誘へり

色づきて極楽浄土の涅槃図を書き染めて散る柿落葉かな

ことごとく落葉したる柿の枝に紅き実一つ光り残れり

うららかな人の心と人の世を願ふ令和の歳は暮れゆく

並べ置くポインセチアの珠の色にサンタの赤きハット浮かびぬ

献金の祈りを述べて茶山花の散りゆく庭に聖夜近きも

教会に思ひ慕(した)へる人の居て主のみことばを聞くもおぼろに

小春日の陽ざしに映る赤白の小菊の花の遅き秋かも

十字架の贖いに生き我が日々の新たに在れば夢は果てなき

うららかな人の心と世の果てを祈りて令和の年は暮れゆく

教会の信徒の乙女に目の遭へば恥らひ熱き少年のごと

年の瀬の街を彩る色電気浅草六区の街をゆく我

少年の頃思ひけむ父親の手につかまりて街なかをゆく

街なかの店のウィンドのなかに居る赤き帽子の動く人形

クリスマスイブの近付く街なかにサンタクロースがみたりゆくなり

オルコット作の若草物語四人姉妹に熱を帯びけり

長き年親しみて来し花の樹を寿命とは云え伐るは悲しき

近ごろの強き雨風に倒木の恐れ多きに大樹伐るとも

高令の樹木の幹の朽ち果てて空洞なれば倒る憂ひに

花の頃必ず咲きて楽しみぬ染井吉野の色の淡きを

庭畑の青葉の色の深々と染まりゆきしに覚ゆ地力を

恙なく終へる講演親睦会昭和経済会の主要行事に

年の瀬に決める商談に奮起して掉尾(とうび)の一振の意気に触れしも

渇(か)き乾く砂漠に水を引く水路幾つも築く医師の中村

貧困に苦しむアフガン被爆地に水路を引きつ殉死致す師

産業の有害物質をたれ流し地球環境の崩壊の危機

温暖化影響の生活に及ぼすに備え百姓に戻らんとぞ思(も)ふ

我ら皆主の降誕を喜びつ迎ふ聖夜の来たる間近かに

キャンドルに明りを灯し降誕を待ち望む日の巡り来たりぬ

にくしみを外に差し向け犯行に及ぶ極悪の事件多発す

世に悪意抱く犯罪の潜伏す現代社会のゆがむ世相に

京浜の石油化学工場の未だ有害に白煙を吐く

原発の指定廃棄物の処理に病む地方地域の財政難に

塀ぎわに並び植えたるベコニアの色とりどりに咲きぬこの冬

みほとけの安きみ顔にいにしへの賢き人の顔の浮かび来

みほとけの浮き愁ひに手をのべて救ひて人の命活かしぬ

原発の危機を訴ふ緒方氏の信念正義の熱き女なり

令和てふ人の心のうららかな世に逆らひて悪事ひろごる

法起寺の少女が来やすく竹垣を越えて来るなば手を差しのべり

法起寺の少女は今しまぼろしの思ひ出なれば愛しかりけり

あの時の幼なき女児は東京のその後大学に入りしとききぬ

良きつまと母となるかも法起寺の垣根を越えて来たる少女は

学びやの友らと泊まる法起寺のうつらつらつらに思ひ出せるに

楽しくもゆかしくあらむ思ひ出の少女のうまし人の世に出で

法起寺の塔を見上げて朝まだき読経の声を聞くもさやけき

父親の跡を継ぎたる銀行の就職決まる友のその後は

人品のいやしからざる人前に惚れて商ひをしてみるかとも

畏敬して得まぬ中村内科医のアフガンの地に殉死いたすは

アフガンの飢えと病ひと貧困の地に住む民を救ひいだせり

アフガンの砂漠の枯れた地に水を引きて緑の地をなせる人

証しせる人の右手に立つ君の後ろに仕へ祈る我かも

十字架にはりつけられし汝が君の姿悲しく泣きて伏すかな

アフガンの人に命を与へむとその地に命を落とす君かも

竹垣を越えて親しく会ひに来る少女は今は夢のまぼろし

恋人に会えるが如き心地してイエスを抱けるマリアその人

証しせる人を支へるキリストの後ろに仕へ我も祈れり

久々に良き年の瀬を過ごしけむ株と仕事の登龍の機に

下垂体腫瘍の摘出に成功し名医のみ手に授かりし身よ

下垂体腫瘍摘出に入院す爾来睡眠薬を断ちし我なり

常用す睡眠薬を絶ちしより身の安定を図り安きに

安定剤睡眠薬に依存してこのまま行くはなんと恐ろし

平常の体に戻ると自覚して安定剤など絶つは摂理に

早きより小説などを書き来なば良き作品を残し来るに

ロマンロラン・カミユの作品等に見るたぎる情熱の余にもおぼへし

山並みを描くヘッセのデッサンに空行く雲のいづくあらめや

共産党宣言を詠む冒頭の世に幽霊の出でし時とは

経済と政治を故意に切り離し世の貧困を隠す政治家

人の住む環境破壊の甚だしコップ21の使命大きも

ケインズもシュンペーターも予見せで環境破壊の経済成長

小春日の暮れて真澄の夜の空に煌々たるや半月の空

紺青の夜空を渡る月影の静かにあれば音を聞き分く

かすかなる音を残して行く月の半球の夜の空を渡るに

柿の木に残る木の実のつややかに光る初冬に地球つるせり

つわぶきの花を咲かせて月に吠ゆ庭を明かすは寂しかりけり

つわぶきの月の光に映えて咲く黄色に咲きて奇しき幾つも

月の夜を野づらに立ちて歩く身に寄り添ふ影の愛しかるべき

マルサスの人口論を繰り返し読む人の世の思ひ荒れしも

アルコール依存患者の潜伏す発作に出づる影の危機なり

アルコール患者の手足に震えきて発作に地球の軸足狂ふ

アル中の患者の発作に軸足を狂わす地球の何ぞ動きや

舌を出すアインシュタインの面相に狂ふ科学の先を憂へり

良心に苛まれて出す舌の先アインシュタインの悔恨の一面

すべもなき日本外交の石火賞受けて恥じ入るコップ21

世界的うねりに立てる若者のアンチ石炭火力発電

香港の明民主化運動の奏功し議会選挙の大勝利に帰す

科学者の悪しき集団の行進す環境破壊の後を残して

海面の一メートルの上昇に水没恐れ山に逃げ住む

米中の貿易戦争の激しさに世界経済の衰退招く

性懲りもなき貿易戦争の暗雲に気づくトランプ、習近平氏ら

均衡を図り上手な着地点得んとて貿易戦争の末

英国の選挙の結果過半数得て保守党の勝利決まれり

英国のEU離脱に道筋を付け保守党の安定政権

英国のEU離脱の明確に政策遂行に先を期待し

性懲りもなく繰り返す悪事にて金権主義の政治風潮

    英国の総選挙は保守党が大勝

   EEUからの離脱の是非をかけたイギリスの総選挙は、日本時間で今日の午後一時には大勢が判明し、ブラウン首相率いる保守党が議会の議席の過半数を制して大勝の結果に終わった。三年間半にわたってごたついていたイギリス議会は、国民もほとんどうんざりして疲労困憊に体であったが、一応の道筋を付けて雰囲気は安どで胸をなでおろしているというのが実情である。総選挙の結果で見た政局の安定が、長楽一途のイギリスにとって一縷の幸運をさす兆候であった。このままの状態が続けば、内外の問題をはらんで、分裂もあり得るような状況であった。今や、EU離脱とイギリスのこれからの国家運営が課題であって、政局の混迷から脱出したものの、来年1月31日をもって正式に離脱を決定し、独自の路線を歩んでいかなければならない試練が待っている。艱難辛苦の道がその先ずーと続いていくかもしれない。
    ブレア首相の求めた迂闊な選挙で、藪から棒にEUからの離脱が僅差で決まってしまった後の退陣、女性首相のメイア氏が合意なき離脱をめぐって議会で紛糾したあとの辞職、三年も経過しての今回の姿勢がブラウン首相のもとで、道筋が漸くはっきりと打ち出されて、それだけで混乱を回避した形である。EUからの離脱をめぎっては、イギリスが抱える北アイルランドの処遇をめぐ問題山積である。EUとも貿易協定のこれからの交渉の問題もある。一筋縄で喜んではいられない。がらっぱちのブラウン党首が組閣のあと、いかに戦術を練って内外の問題に取り組んでいくか、見ものである。
   EU離脱をめぐってはイギリスの国内を二分する混乱を回避したということで、国際的な投資家の安心が伝わり、東京株式市場は活発な商いを伴って日経平均で600円弱の奔騰を見て年初来の高値を更新した。米中貿易協議が一部合意したという報道も加わった形でこれを好感し、今日の株式市況は堅調に推移した。本来の株式相場の動向をどう見るか、 経済環境が、日銀短観や景気動向指数でも見る通り 、悪化の一途をたどっていて楽観は許さない。 この先、高値を追っていく地合いにはなさそうである。 12月14日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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