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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.17.5

平穏無事を願って  ゴールデンウィークに


最近は出不精になって、折角の連休を如何に過ごすか、何も考えず何も計画せずにいたら、今になって戸惑っている。連続して一週間、上手に使えば十日間に及ぶ休日である。勿体ない話である。以前はこのゴールデン・ウィークを利用して、よく海外旅行に出かけた。普段は仕事に熱中して、連続して休日を取ることが出来なかったからである。ゴールデンウィークを活用して、ヨーロッパの国々を旅しておいて、良かったと今になって思い出している。最近は、体裁よく日頃の精勤の休養としたいと、人様には言い訳がましく説明している。それも一理あるが、むしろ年相応になったのかと思いながらも、そうした解釈をはねのけるように若者ぶるわけではないが、日常の鍛錬に時を費やしている。そのせいか、お蔭で身体はひ弱だった幼少の頃より至極健康の身にあって人一倍バネがきくと思っているし、人からは五十代後半ですかと云われて、当たらずも遠からずと回答して憚らず、相手を感服させている。四人兄弟の三男坊だったが、小さい頃は医者通いに明け暮れて、親父はいつも稼ぐ金と引き換えに預かったようなものだと、母に嘆いていたという話を母から聞いたことがある。病名のついた病気にはほとんど付き合っていたらしい。小児ぜんそくで苦しんできたことは、自分でもよく知っている。大学を卒業し社会に放り出されてから、ある人の貴重な助言で懸命に体を鍛える自覚を持つにいたった。自覚して実践するということは、即ち神からの指示であると思っている。話はそれてしまったが、会社やオフィスでは、若い人が尋ねてくることが多いので、自然と力強い雰囲気に染まっていくのでありがたく思っている。若い人たちに感化されて毎日懸命に働いているから、気力は充実しているし、心身共に舞い上がっている。そうした精神状態に居ると、頭髪の発毛促進にも寄与するようだ。
   働き過ぎなのだろうか、実際若い人でも老け込んでしまって、精気を失っている人が多く、それは本当に疲れている証拠である。電通事件以来、大手企業でも積極的に勤務時間の厳守に勤めて、社員の健康管理に勤めているようで、大変結構なことである。労働基準法を持ち出すまでもなく、当たり前なことが通らなくなって、企業が勤労者を酷使する前時代的感覚でいることにびっくりする。こうした考え方は、一部にあったにしても、いつの時代でも改まる様子もないから、啓蒙を欠かすことなくしていなければならない。勤労者も、若いからと云って無理をしていると生身な身体ゆえに、気付かぬ病魔に襲われないとも限らない。注意した方が良い。人生は、常日頃の努力によって無駄なく、快適な生活を過ごしていくことが大切である。一方で確かに便利に違いないが、あれはスマホの見過ぎだと云っている。知識の集積に役立っていても、大量の情報移入と云う受け身に立つばかりの一面性があるから、依存症にかかったりして積極的思考能力の減退につながりかねない。
電車の中でスマホを見ている人は、いくら混んでいようとお構いなしだ。それだけならいいがスマホを見ながら車の走る往来を歩いていたり、電車のホームを歩いたりするから、危険極まりない。そこまで大事な情報を、検索し見ているわけでもあるまい。混み合った電車の中では十人中九人までが、スマホを手にして興じているようである。スマホを見ている現場では、結構漫画を見ていたりゲームを楽しんでいたりする人が多いのである。百科事典を常に手にしているのと同じで、使い方次第では、物知り博士になれるだろう。世渡りのためにも、知識の豊富な方が良いに決まっている。ただ心配なのは、自分で考えたりしていく術を失い、それすら看過して行くようになると、スマホニ気をとられ過ぎて、利口の反対の道を過ぎていくような気がしてならない。つまり極論すれば、馬鹿への道のりである。

   今度の連休は私にとって、肉体練磨のために活用しようと思っている。小さな畑の耕作は労働の一部であって、娯楽を含めてきわめて生産的である。土を掘り返し、石灰をまいて疲弊し、老化した土に活力を与え、生き返らせる。こうすることによって大地に栄養を豊富に提供する効果を齎し、作物の育成に大きなインパクトを与えてくれる。酸性化した土壌を、弱アルカリ性にする。そうした意味で、拙宅の畑にできるほうれん草は、身の丈一尺五寸にまで伸びて葉を広げ、タネは同じでも普通のものより五倍以上に成長して立派である。さやはもとより、分厚い葉っぱも栄養たっぷりで、ふくよかで柔らかく、賞味満点で、どこの農家にも負けないはずである。ご近所や知り合いに差し上げたりしているが、異口同音にびっくり仰天の様子である。一本のほうれん草で、八百屋の店頭にあるほうれん草の十束に相当するほどだ。
   連休は、種をまく作業までして、あとは作物の成長を楽しむことになる。勿論、収穫までの手入れは必要である。草取り追肥と云った仕事であるから大したことではない。そうした合間に、自分の好きな短歌を詠んだり、俳句を吟じたりして、精神的な涵養に勤めることが出来る。安上がりを強調するわけではないが、身近に楽しめる業を考案することも楽しいものだ。仕事を忘れさせてくれるゴールデンウィークの毎日は、心身ともに、収穫は大である。できれば合間を見て、気が向いたら箱根・長尾峠にある富士ビュー・マンションに、車を飛ばして家内と一緒に行ってみようかと思っている。初夏の薫風を満身にうけて、新緑のなかを飛び込んで、躍動して爽快な気分を満喫してくるのも一策である。


境内に運ぶ朝がほ軽バイク
朝顔の市に小雨の鬼子母神
傘さして朝顔市の鬼子母神
一陣の風吹く時の牡丹咲く
華やかに艶やかに咲く牡丹かな
牡丹咲くその名の如き濃むらさき
我が庭の牡丹一株濃むらさき
ぼうたんの花びら厚し幾重にも
ぼうたんの三つ咲きたり庭の端
ぼうたんや燃えて落ち行く夕日かな
ぼうたんや夕日取り巻く茜雲
傘さして牡丹一輪咲きにけり
傘源の傘を広げて牡丹咲く

ぼうたんの一つ開きて日暮れけり
山吹のぽっと灯りて月明かり
牡丹咲き三寒四温盛りなり
牡丹咲く色はそのまま牡丹色
ぼうたんの花びら一枚落ちにけり
ぼうたんの花はむらさき濃むらさき
いとほしく牡丹切り花挿しにけり
連休を使い百姓暮らしかな
賜りし梅の実しじき旅の先
振りかけの梅の実しじき茶椀めし
うぐひすの声に目覚めし今朝の床
土起こし種まく畝を作りけり
大化けに育つに美味しほうれん草
蕗の葉を炒めて美味し春日暮れ
いんげんを籠に摘みとる妻の笑み
豊かさを祈りに代えて朝しぐれ

列島の大型連休景気付く
初なつの敷島豪華列車行く
寒暖の激しく襲ふ異常気象
敷島の発車とミサイル発射の日
花の世に突風、落雷、弾道弾
花吹雪川面艶めく目黒川
逃げ惑ふ善男善女驟雨かな
航行中カールビンソン日本海
北鮮のミサイル発射庭花火
トランプと正が仲良し川遊び
実験の揺れに土壌のムツゴロウ
安倍・プーチン会談流氷消え去らん
義経の安倍・メイ会談女獅子
景気良し豪華寝台列車行く
初なつの田舎に豪華列車行く
学園祭学び舎に立つ百日紅
五月晴れ平和憲法施行の日
滄海なり世界に冠たり我が憲法
感謝して憲法施行七十年
我れが身と平和憲法皐月富士
妻ときて長尾峠の五月晴れ

五月雨の流るる坂をのぼり来て遥か都を眺め見るかな
徳政の術と司を世に広め栄への基礎を建てる太子は
古き良き奈良の都を訪ね来て松の木の間に眺む大てら
乙女らは皆つやめきてなつかぜの奈良の都を巡りくるなり
見上ぐれば春の光りの中ぞらに大きくそびゆ興福の塔
さやめきの夏かぜ過ぎて奈良山に若き尼僧の一人ゆくなり
はつ夏の風吹きそよぐ奈良山にのぼりて眺む大寺のやね
松風のそよぐあしたに我が妻をともなひ詣ず奈良のほとけら
みほとけのみ前にたちて来し方を振りかへ見れば母の立つ影
いざ行かむあおくさ匂ふ若草の山より古きみやこ眺むと
二月堂巡りて袖ゆ眺むれば若葉若葉のいかるがの里
ほとけらも揃ひて眺むいかるがの里のめでたき初夏のおもむき

びるばくしゃ眺むるはては日の照りと星のかがやく茫漠の間よ
はつ夏のみそらの果てに栄光の神の恵みの溢れみつるに
祈りつつ神のみもとに近づきて親しく語り励ましにけり
喜びつこの初なつの山川を眺むるときに幸ひありぬ
ふるさとの古き都を訪ね来てけふみほとけに会いひにけるかな
祈りつつ神のみ声をじっと聴き親しく語る初夏のひながを
十字架の愛こそ人とこの世にて信義と平和の契りなさせむ
爽やかに目にも映りし初なつの木々の繁みに揺るる光りよ
貧しきを救ひこの世を均す争ひ絶ちて安き与へり
大らかに三位一体の法界に哲理ゆかしく知りて受くべき
大いなる神にささやかな身をふれて心ひらきて仕へゆくかな
初なつの風のそよぎに教会の窓明け放ち神の声きく
神は愛、神は力とバイブルの詩編にときて世をば治めり
大いなりこの法界に主の道を築きて人の仕へゆくかな 5月2日

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日本国憲法施行七十周年

薫風そよぐ五月三日の今日、私たちは日本国憲法施行七十年の節目を迎えた。節目と敢えて述べる所以は、国民生活の基本的理念を盛り込んだ誇るべき憲法が、今変化する世界情勢に対応して行けるかどうか、その賛否が激しく問われてきて、国論を二分するまでの政治的、社会的状況の変化に直面しているからである。護憲、改憲の激突である。主な論点は、憲法第九条の戦争放棄の条項である。各種の世論調査によると、この論議を含め護憲、改憲の世論は、おおむね意見が拮抗している。最近の特殊な状況としていえることは、多くの若い世代の人たちのなかに、現状維持を以て、状況に柔軟に対応できると判断する数が傾向として、改憲論を上回ってきているという報告が出ている。憲法学者や、有識者の意見もほぼ二分されているか、若しくは護憲論者の方が数として上回っている。
  こうした中で、今日、安倍首相は初めて憲法改正に踏み込んだ発言をした。即ち、憲法改正の機は熟したとして、広く国民的議論を進めたい旨発言した。そして二〇二〇年までに、新しい憲法草案を以て施行するべく努力していくとしたのである。特に憲法第九条の一項と二項をそのままに残し、三項に自衛隊の存在を明記したいという趣旨である。確かに北朝鮮の核開発と軍事的挑発行為が続いて危機意識が高まっている昨今である。又、中国の海洋進出に力を以て国際秩序と現状を変えようとしてきている事実は、将来に大きな懸念を抱かせしめている。しかしそれだけの理由を以て改憲論を打ち出すことがいろいろな場合を含めて、反って国民に不安を齎していることも一方にある。過去にもそうした危機的状況は繰り返されてきたが、日本国憲法は、その理念を厳然として世界と折々の状況に示してきたことも事実である。そして今日までの七十年間を、国民の精神的支柱として使命を果してきた。戦後の経済復興を成し遂げ、めざましい経済発展を進めて今日に至っている。憲法の普遍的理念と、普遍的価値も念頭に置かなければならない。安倍首相が提言したように、広く、深く国民的議論を交わし、自衛隊の存在と在り方について衆議を以て、正しい選択の道を踏んでいくことが望まれる。不肖の小論は、別に何かの機会の述べるとして、七十年前に公布された状況の一幕が、印象深く残っているので、それを綴っておきたいと思う。
   七十年前の今日、即ち一九四七年五月三日の朝、東京は朝から冷たい雨が降っていた。皇居前ではこの日、日本国憲法施行の式典が開かれていた。宮内庁は昭和天皇の出席を見送った。しかし天皇は自らの意思を示して急きょ予定を変更し、式典が終わった午前十一時ごろ、雨の中を傘をさして壇上にたたれた。この時、会場に集まっていた参加者たちの間から万歳の声が大きく波打った。悔悟と感謝の瞬間だったに違いない。そして天皇も国民と一緒にこの日の意義を噛みしめ、喜びを共にし、国を挙げて祝福したのである。「 嬉しくも国の掟の定まりて明け行く空の如くあるかな 」と一首を詠まれたのである。新しい時代の夜明けが、大きな希望と確信に繋がる気持ちを、国民と一緒に感じ取った昭和天皇の和歌である。あれから七十年が経過した。激浪に晒されている日本ではあるが、再び戦争の惨禍をもたらさないよう英知を発揮して、一段の努力が期待されるところである。

尊っときは平和憲法の精神をこの日新たに胸に刻まん
敗戦の焦土に生れし日本国平和憲法の真意ほむべき
我が国の自主独立の憲法の施行七十周年を祝ひかしこし
日米の合作憲法と卑下いたす人もうなずく平和日本
憲法の基本理念は普遍にて死守する責務こそ要諦なりき
軍事的近隣諸国の進出に自衛意識の高まりしけふ
日本国憲法施行後七十年意義を新たに胸に刻めり    
若者よ日本国憲法の精神を世界にひろめ先に立つべし    続く    五月三日


ゴールデンウィークも半ばを過ぎて帰省した人たちのUターンラッシュが始まった。喧騒の都市と、のどかな田舎を結ぶ高速道路はどの線も渋滞して、最大45キロと云うところも発生している。海外に飛び立って帰国する人たちの、いずれの空港でもこの日をピークにラッシュが始まっている。連休を楽しんできた人たちの無事な日々を心から祈っている。私たちも連休のどこかを利用して、鎌倉山に住んでいる弟夫婦を訪ねようと思っていたが、連休の最終日を明後日に控え、8日の出勤を思って取りやめた。
    フジビューマンションも三日ぐらいかけて遊びに行こうかと思っていたが、いつでも行けると思うと云ってもしょうがないということで、結局は行かないでしまうことになる。そうこうしているうちに、何となく大連休が過ぎてしまうことになった。未だあと二日あるので、慌てずにのんびりしようとする道を選んだ。その間もわずかな庭畑の耕作に追いまくられた。三井さんの奥さんが手伝ってくれたからいいようなものの、自分と家内の二人では、ましてや私一人では到底今日の仕事のような結果には済みそうもない。十分に追肥をしてから再び土を耕し、午前中に買ってきたトマト、キュウリ、ナス等の三十本ばかりの苗を植え終えて、竿をたて、夕方五じごろまでに全ての作業を済ますことが出来た。三井さんのおかげである。
   見上げた空は終日、澄み切った青空が広がり、夕方には金色に輝いていて落ちる夕日が、はっきりと見えて不思議なほどに素晴らしかった。中天には薄い半月が掛かっていた。昼間の真夏日に代えて、夕方になると何となく気温が下がって遅い花冷えのするような気がする気象である。連日続く晴天に恵まれて、今夜も満天の星空を楽しむことが出来るだろう。初なつの清涼感は、東京に居てもまるで箱根か那須に来ているようなものだ。万緑に輝く庭に立って、そう実感した。


皆すべて蘇りたり子どもの日
万緑に滄海の空映りけり
滄海の空に泳げる鯉のぼり
富士やまの頂上目指す子供の日
里山の空に五匹の錦鯉
鎌倉やとんびの空の錦鯉
ててははと遊ぶ夢見て子供の日
万緑の我が住むあたり不如帰
武者人形顔を合わせて頷けり
子供の日種まき苗えう昼の月
青空に矢車ならし幟立つ
富士やまの上に跳ねたり鯉のぼり
真似て出す元気な声を子供の日
子供らと勢ぞろいして端午かな
兜のみ床の間に置き節句かな
滄海の空を泳ぐや鯉のぼり
獅子舞の後に手を振りゆく児かな
喜びと希望に満ちて子供の日
皐月鯉空高くして異論なき
雀の子元気に跳ねて草の上
ぼうたんも色濃く咲きぬ五日には
幻想すわが家の空に鯉のぼり
床の間に立ちて刀を差してみん
しょうぶ湯に遊ぶ子供にあやからん
子供の日兎も角嬉し何もかも
薫風や子供の成長を祝ふのみ
この国を担う子供や鯉幟
                     五月五日


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フランス大統領選挙結果


      主張が真っ向から対立する激しいフランス大統領の決定選挙戦であった。7日に行われたその大統領選挙の結果は世界中が固唾をのんで注目してきたところであるが、親EUのマクロン候補が、反EUのルペン候補を大差で破った。私はかねてから保護主義の台頭を以て、フランスの意見を二分する大統領選挙の結果は、世界的事件として決定的な衝撃を与え、場合によっては欧州を混乱と瓦解に導くものと案じていただけに、EU支持のマクロン候補の勝利を心から祝福している一人である。台頭する反EU,反移民を掲げ初の女性大統領を目指した右翼・国民戦線のマリーㇴ・ルペン氏を退けたことは、ヨーロッパに進行しつつあったEU離脱の流れに強力な歯止めとなって、世界の安定に大きくつながったことを以て大勝利の結果と評価している。英国のEU離脱は、今以て青天の霹靂であるが、以来世界に怪しい暗雲が立ち込めていたが、今回のフランス大統領選挙の結果は見事にこれを払しょくしてくれた。女性蔑視と云われかねないが、あのメイ首相と、今回のルペンが仮に一緒になってやられたりしたら、二代怪物の錯乱状態で秩序ある世界が多大な影響を蒙って、大変な状況になるところであった。メルケル首相が頑張ってみたところでどうにもならない代物だからだ。今日のグローバル化を避けた世界の安定は、全く実現不可能なことと思っているからである。結果を受けた東京株式市場をはじめとして、世界のマーケットが安ど感を以て大きく買い進められた。超巨大大国で起きたアメリカの過激な保護主義的傾向を小差で実現したトランプ政権ですら、実際に軌道修正を余儀なくされてきている。国々との分断と排他の孤立は、閉鎖と独善を生み、果てに対立と抗争の結果を生んでいく。ヒトラーと東条の再現でしかないことを銘記すべきである。協調と融和、平和と繁栄の明確な道を選んで進まなければならない。
   7日夜、パリのルーブル美術館入口のピラミッド前の広場で勝利演説を行ったマクロン氏は、自由、平等、博愛の理念のもとで国民に仕えると宣言した。当然のことながら立派である。そして選挙中に公約してきたEUを強力に築いてフランスを更に発展させていくと強い決意を述べたのである。選挙の結果が如何に重大な意味を今後のEUと世界にもたらすかを見直してみると、際立った主張、思想の相違の現代的流れが窺えるのである。
   マクロン氏は親EUを強調し、ユーロ圏の議会や予算を作って、欧州の統合を進める方針を掲げた。即ち国民を守る欧州のもとで、強いフランスを作る事であった。経済政策では今までの経験を活かし、新自由主義を標榜している。ヨーロッパ大陸で初めて試みられた統合の構想は、ドイツ、フランスを中心に出来上がったものであり、フランスが抜けた統合は考えられない。   一方ルペン氏は自国第一主義を主張し、国境の再構築や移民の規制、保護主義を主張してきている。選挙での得票数はマクロン候補が66・1パーセントに対し、ルペン候補は33・1パーセントであった。大差を以て勝利した点で最大の危機を脱し、歴史上大きな意義を記したことである。     
                              続   5月8日

ゴールデン・ウィーク明けの世界情勢

    連休明けに行われたフランス大統領の決戦投票と、韓国大統領選挙の結果が懸念されていたが、両国の選挙の結果次第によっては国際情勢に大きく影響するものだっただけに、予想通り、期待通りに無事に済んで幸いであった。
フランスの大統領選挙はEUを支持するマクロン候補が、極右派のルペン候補を大差で破り、懸念されたEU体制の危機は回避された。EUは、英国の離脱決定の後、保護主義の台頭に頭を痛めていたが、懸念を払しょくすることに成功した。緩んだタガを引き締めて結束して臨むことになった。祝意を表したい。
    又、昨日行われた韓国大統領選挙は、北朝鮮の核開発、ミサイル発射などの挑発行為に対し、アメリカ原子力空母カールビンソンの日本海派遣と云った緊張する情勢であったが、選挙は不穏な行動もなく無事に済んで、親北朝鮮を掲げて対話路線を打ち出して支持を得た文在寅氏が、他の候補を破って当選が決まった。そして直ちに大統領就任式に臨み、政権運営に着手を行って、政務に就いたことは、北朝鮮の挑発行為は依然として止む形勢はないが、しかし今後の朝鮮半島の問題を進めるにあたって良い結果を齎すに違いない。反日政策を掲げてきたが、政権の座に就けば現実的政治の舵とりに専念していくものと期待している。
    隣国である韓国と友好関係と、韓国の経済発展と平和的安定を希望してやまない日本としては、韓国と北朝鮮が民族の統一を図り共通した価値観と認識を以て、民族の統一を実現してもらいたいと念願しているのである。民族が、悲劇的に分断されて既に70有余年が続いている。怨念と憎悪を絶ち切り、理解と友愛を以て民族統一の理念を実現してもらいたい。 日本がその橋渡しを支援することが出来るはずである。  5月10日

  連休明けに行われたフランス大統領の決戦投票と、韓国大統領選挙の結果が懸念されていたが、両国の選挙の結果次第によっては国際情勢に大きく影響するものだっただけに、予想通り、期待通りに無事に済んで幸いであった。
フランスの大統領選挙はEUを支持するマクロン候補が、極右派のルペン候補を大差で破り、懸念されたEU体制の危機は回避された。EUは、英国の離脱決定の後、保護主義の台頭に頭を痛めていたが、懸念を払しょくすることに成功した。緩んだタガを引き締めて結束して臨むことになった。祝意を表したい。
    又、昨日行われた韓国大統領選挙は、北朝鮮の核開発、ミサイル発射などの挑発行為に対し、アメリカ原子力空母カールビンソンの日本海派遣と云った緊張する情勢であったが、選挙は不穏な行動もなく無事に済んだ。選挙の結果は、親北朝鮮を掲げて対話路線を打ち出して支持を得た文在寅氏が、他の候補を破って当選が決まった。そして直ちに大統領の就任式に臨み、宣誓し、政権運営に着手した。前大統領の弾劾、起訴と云った不名誉な事態で混迷を続けてき国内だが、文政権の登場によって一刻も早く回復に向け一段の努力がなされるだろう。それは今後の朝鮮半島の問題を進めるにあたって良い結果を齎すに違いない。文氏は今まで反日政策を掲げてきたが、これも政権の座に就けば現実的政治の舵とりに専念していくものと期待している。 それは両国の発展と、極東の平和的安定に大きく寄与するからである。 5月8日


     杉村先輩からの便り
  5月の19日から始まる浅草三社祭は、初夏を告げる江戸の風物詩である。浅草界隈はこの三日間のお祭りに湧きたっているが、薫風そよぐ快晴の日和に恵まれて、明日の最終日には浅草神社の三基の大神輿が担ぎ出されて、町内の氏子の肩に担がれて豪快華麗な一大絵巻となって江戸の下町を祀り気分に横溢していく。昨年の今ごろであったと記憶しているが、名古屋市瑞穂区に在住の写真家の大村先輩から書状の郵便物が届いた。杉村先輩は古くから古都の奈良の都をこよなく愛し、お寺や仏像や、風景を撮った叙情豊かな写真の名作を沢山残されている。先輩は会津八一の和歌をこよなく愛し、感性において最大の理解者であると尊敬しているいる。頂いた書状は、流れるようにきれいに書かれた毛筆の巻紙であるが、いつも畳んで入っている。それを広げて読んでいると、身近に起きた内容が書かれていて心に触れるもので、そのまま表装して飾っておきたい気持ちになる。専門に撮られた写真の作品も一緒に入っていて、文字通り美術品の入った玉手箱のようなものである。開けてみるのが楽しみである。いつも野暮用に追われているので、私は、お手紙と写真を頂いた旨のはがきを出すように心がけている。律儀と礼儀のお手本である書状に、私は満面の感謝をこめて返事をしたためているつもりであるが、本懐までに至っていない。杉村さんの手にかかったものは皆芸術品である。額に収めて飾っていても満足である。
   私はかって妻と一緒であったが、古都の香り豊かないかるがの里を訪れたことがあった。その時に詠んだ歌や、その後に追憶して詠んだ和歌が昭和経済か、短歌同人誌 淵に発表された中に「猿沢の池」にふれたうたがあった。杉村先輩はそのことに触れて「猿沢の池と興福寺の塔」を写された作品に、私の和歌を載せて下さるとのお申し越しを受け、大変感謝して幾つかを読んでいくうちに興ずること際立ち始めた次第に、三十首以上になってしまったようである。近くには東大寺もある。この地は流離うにふさわしい斑鳩の里の、古典的な、歴史的遺産の宝庫である。その時の印象は心のうちに奥深く刻まれているので、杉村先輩に歌詠みのお誘いを受けて厚かましく二、三首を詠み始めたら、思い出の旅の流れが止まらなくなってしまった。筆の進むままに詠んでいった次第を、消えぬうちにと雑記して紙に書きとどめて置いた次第である。


         猿澤の池
みほとけもあそびけるかなさるさわのいけのほとりのはるのつきのよ
みほとけも遊びけるかな猿澤の池のほとりの春の月の夜
願はくば今宵の月のあきらけくあらめほとけの時のすごす間
さよふけて月の冴えたる松が枝にとまるかしこきふくらふの影
猿澤の池もに映つる興福のたう美しき春の宵かな
ひとり立ち物思ひにけり猿澤の水のほとりの月の影にて
いかるがの里の一夜によろづ世のさまをめぐりて物思ひけむ
古き世をさまよひ居れば夢路にも女(め)の子いでまし遊びけるなり
いざ行かむ狩りのつとめに男の子らは家を守りて女のこ居るまに
鹿を射る狩りはご法度に兔追ふ男の子のそれを十匹(とひき)下げ来ぬ
むくどりの声やかましく騒ぎ立て我れが昼寝をさまたげ居りし
猿澤のさぎり消(け)むかと待ちをればふりしく白き雨に変りぬ
さるさわの池面にうつる初なつの月こそあはれゆるる小夜なか
わが妹子をともなひ月の小夜なかにきく松の間のふくろふの声
猿さわの池面(も)にそそぐ初なつのこさめにながむ興福のたう
猿さわの水のほとりにひとり立ち悲しくあらむなれどゆへなき
興福のたうをながめてさまよへば月のぼり来ぬ松の枝のまに
さるさわの池をめぐりてこうふくの松の枝のまに淡き月かげ
いくたびそ訪ふこの池のいとほしく思ひつめぐる夕映へのころ
猿澤の池のほとりの青柳に初なつの風すぎてさやめく
興福の宝物館のガラス越し立つ広目天のまなこけはしき
朝もやのかすむ鄙路の宿をたちめぐる水辺にあやま咲くなり
猿澤の池にほどよき宿にいて地酒をのみつ歌を詠みしに
ほとけらの憩ひしあとに我も立ちのどかに覚ゆ猿澤の池
猿さわの池のふちゆくみほとけの憩ひしあとに我もすぐさむ
歌ひつつ妙なる巫女のあとにつき我もひかれて共にすごさむ
いづくより現はれてゆく四天王猛き姿のいでたちやよき
みほとけを守りて構ふ四天王猛きかしこき遠きまなざし
荒れ狂ふ荒野の風を振り分けて脇侍のまなこきらめく
わが妹と誘ひてゆけば猿澤の池のほとりにあやめ咲き立つ
さすらひの旅こそよけれいかるがのほとけのみ手に招かれしゆく
初なつの光かがやくやまかはの旅ゆく先に興福のたう
初なつの光輝やくなかぞらに高くそびゆくる興福のたう
天つ日にみどりみなぎる猿澤の池面に遊ぶ水鳥のかげ
いかるがの里こそよけれいにしへの妙につやめく巫女に逢へしに
ゐかるがの里にうくひすそこここにひながのどかに鳴きあかしけむ
猿沢の池のほとりにひとりたちほがらかに眺む興福のたう
まろやかな風を小指にとどめをきほとけの告げてなつは来にけり
みほとめのふしめ安らぎ我ともに物思ひふかくあらまし間よ
みほとけのひとりさびしくたちをはす世の衆生をあはれ思ひつ
慈悲深きほとけの立ちてここにます興福のとう望むなかぞら
矢車の音からからと鳴る空に色あざやかにのぼり立つ見ゆ
いかるがの里を訪ねてさはやかにこゝにもそよぎ幟り立つかな
花ばなの咲き競(そ)ふあした宿を出でいかるがの道たのしみてゆく
緑蔭の小道を歩く猿沢の池の岸べにあやめ咲き立つ
安らぎの憩ひの水の流れ入る古き都の猿沢の池
いにしへの天つ乙女の美しき舞ひを夢みぬ猿沢の池
この里のみどり草むすそよ風のかげの池面を渡る朝かな
いかるがの優しき風にふれてゆく霧の晴れたる猿沢の池
清らかな池の水面に早乙女の白き小指のふれてさざなむ
猿沢の池面に映つるやうらくのながぞら高き興福のたう
梅の香の甘き匂ひに宿を出でさまよふ先に猿澤の池
猿沢の池面に我れが立つ影に気付き緋鯉のあまた寄りてく
あざやかな鯉の化身と思へけりおのづと熱きなさけ湧きしも
昔より悲しき恋のものがたりひめてしづもる猿沢の池
美しき影をおとして猿沢の池面にうつる興福寺のたう
衣掛け柳と云はる采女ゆへに枝のしだれに匂ひこめたり
猿沢の池面に黒き影近く真鯉の来れば背を向けにけり
昔より歌ふなさけの片瀬波はかなく消えて乙女うとまし
つかのまの恋とは知らで燃ゆる身のうねめはなかき定めなるかな
清らかな姫に燃えたる恋ゆへに悩み苦しむ身こそあはれに
いつの世もおなごの恋のかなしみを綴る歌にそ身にしみにけり
万葉の歌のつづりの細やかに詠み人知れず推し量りけり
この歌はいかなる人の詠みしかと思ひめぐらすことのゆかしき
猿沢の池にまつわるものがたり妹と語りてすごす旅かな
幅広き五十二層の石段を登りてあほぐ興福寺のたう
すめらぎに捨てられし身をうらみわびあはれ乙女の命たちしに
捨てられし采女の夜ながうらみわび入水の身に猿沢の池
すめらぎに捨てられし身をうらみわび汝が生ひたちのあはれなりけり
うねめなる定めかなしみ身投げせる夜に泣く虫の聞くも妖しき
猿沢の池に采女の身投げせる緋鯉となりし定めかなしき
大声をあげれば紋を描きつつ池もをわたる初なつの風         5月18日


    杉本健吉氏を偲ぶ歌

おもかげのりりしくありぬ在りし日の杉本画伯を撮りし写真に

人となりすぐれて示す大翁のこの一枚の写真にこそあれ

大翁の云はず語らず自ずからその人がらの大いなるかな

やまと絵を細やかに描く大翁の豊かな機微に触れてゆかしき

いと貴き杉本画伯の面ざしの人間性を貫きしめし

いづくより優美な絵をば描かれし艶めく筆のちやはぶるなり

口元をりりしく結ぶ大翁のまなこすずしく心射ぬけり

いと貴き太子を描く大翁の気脈相和し類いなきかな

真実を射抜く大翁なればこそ孤高の不動の富士やまに似て

連載さる吉川英治の新平家物語にある挿し絵たへなり

心意気高く示して大翁のつやめく筆のちはやぶるかな

         杉本健吉画伯  杉本美術館


    日本を代表する近代日本画家のひとり、杉本健吉氏の絵画を知るに及んだのは、私が主宰している短歌同人誌・淵の同人である杉村さんのおかげである。大阪市天王寺の絵堂に六年の歳月を要して書かれた巨大な、聖徳太子立像の雄渾且つ優美な姿の絵が目を引く。これを紹介してくださったのは、実に写真家の杉本さんであった。太子は律令制度を以て日本の歴史的基礎を打ち建てた、すぐれた指導者であるい。優美な聖徳太子と妃の姿は、典雅な趣きを与えて尽きないものがある。
   偉大な画家である杉本健吉氏を偲んで一首を詠んでもらいたいとの杉本さんの希望で、おもむろに詠むんだ和歌である。功績から見れば、神武天皇以上の存在感があり、いわば建国の死であると云って過言でない。私はもちろん杉本画伯とは面識ないが、生前に懇意になさっていた杉村さんが撮られた画伯の姿を前に、畏敬の念を以てあるがままに湧いてきた心情を詠んだものである。

五月十五日


          *


  初なつの到来である。万緑に輝く山河を逍遥するに、喜びの躍動感を禁じ得ない。学生時代に一年先輩の友人と、アルプスの槍が岳を目指してのぼったことがあった。八ヶ岳を縦走したこともあった。健康に自信がなかったが、幸いにも大きな気概を以て自然界に触れることが出来た。有難い貴重な経験である。常にそうした思いが、今でも思い出されて、力となり励みとなってくるものがある。

満天の星
満天の星を仰ぎつアルプスの槍の近くにとりし宿かな
我儘の増したる証拠かもしれぬ他人に嫌悪を覚ゆわれゆへ
憂きことの絶えてしなくば辛き身とされど鞭打ち耐へて進まん
へりくだり慕ひもとめて主のあとの永久の力を信じゆくかな
主の愛と力を信じ主のみ名を呼び求め行く身の安きかも
祈りつつ主のみ名を呼び求め行く道に勝利の日は来たれりと
鉄線のむらさきの花幾つにも重なり咲きてゆかしかりけり
てっせんを手厚く手入れする妻に神が贈れしむらさきの花
見上ぐれば梁をわたせる玄関の雄渾の気はおのず湧きくる
住む家の己が気概を示すなり贅を尽くさず貧しさになく
ひとがらと気概を示す居を構へ日頃の心をやしなひてゆく
思ふだにリサは詩人と推しはかる出会いに今日の雨が好きとの
若き日の気概を示し我が宅を建てしは父の言ひ付けなるや
ててははを未だに思ふ我を見て笑ふ旧知の友の在りけり
過ぎ去りし日を慕ふ身は今の身の我が情熱のひきしゆへかと
見上ぐれば高き図書館の天井に気宇壮大になりしあの日よ
学び舎の早稲田の森と本郷の赤門の間をかよふ若き日
情熱の滾る間に読むバイロンとハイネとゲーテのうたの懐かし
他愛なきうたと思へどみな求む我れが一首にこもる思ひを
槍岳の高みをめざし朝まだき森の奥間にかっこうの鳴く
アルプスの阿弥陀の峰の緩やかに霧吹き来れば白き空かな
郭公の遠くに鳴きて行く道の霧立ちのぼる槍ヶ岳かな
水上の宿の湯船の束の間に聞きし地唄の悲しかりけり
水上の宿に芸者のふたりきて歌ふ地唄を聞かせけるなり
高原に降る霧雨の白く染み我が身にも沁み寂びしかりけり
からまつの林を出でて湿原の木道を行く花の中かな
温泉の宿屋で聞くは水上の小唄に湯檜曽の山の名があり


中国の一帯一路の構想に世界の熱い視線そそがる
雄大な一帯一路の構想の陸路海路の開発進む              5月15日


初なつの薫風のなか赤々と燃えて落ち行く夕日いとほし
五時過ぎに会社を出でて中目黒五時半特急に乗るはかしこし
夕焼の空を眺めつ一日の務めをいやし夕日落ち行く
日をしるし時をきざみて勤む身のわれは樹木とさえずりに在り
朋友のサポートとなる人たちの亡くなりゆくは耐えがたきなり
あと十年尚あと十年と頑張りて更なる努力と修業重ねん
北窓の外は新緑の借景に深まる山河に居るが如くに
若草の山を巡りて頂きに立てば都の古き偲びぬ


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河野太郎衆議院議員の講演会   そして八重洲富士屋ホテルの回顧


五月十六日、夕方六時から銀座三笠会館で当会の講演と夕食親善会を開催した。多くの会員が参加して意義深く、楽しい時間を過し盛会であった。一昨年、富士屋ホテルはなくなってしまって以来、講演親睦会の会場を、銀座のど真ん中のここ三笠会館を得意先として使用している。会の伝統の気風を失いたくないからであり、多くの会員の要望のためである。今回の講師は新進気鋭の衆議院議員、河野太郎氏である。
   新進気鋭と敢えて称した所以は、出席者の一人、元サウジ石油株式会社の佐々木和男氏が席上で、そう申したからである。ベテラン議員を以ってかのように表現したのも、河野太郎氏の心身共に爽やかな姿と、力強く流暢な弁舌に魅せられたからである。若さが自ずとみなぎっていたからである。親しみやすく謙虚な温かい人柄もあった、出席者はすばらしい河野氏の魅力にひかれていた。
熟練の人生を渡ってきている井浦氏も、全ての面で魅力を発散して、将来の国を指導する大人物の器だと評価されていた。常に青年の意気横溢する井浦氏は今年八十九歳、年齢を全く感じさせない姿と弁舌を以て、河野太郎議員を絶賛していた。その通りの河野太郎氏であった。
日頃の所信を伺うことができれば、それで充分であったが敢えてテーマを「日本の進む道」と題して講演をおねがいしたところ、それに備えてお話をして下さったので誠に有難度く思った。

  河野議員は日本の抱える当面の問題を大きく四つをあげて、順を追って明快適格な話をされた。
一つは、日本の人口減少の問題、二つに憲法九条を含めた憲法改正、三つは中国の軍事的進出、そして四つに財政再建の問題であった。一つ一つの問題は、それぞれ大きく且つ複雑な問題を含んでいて、それを隈なく判り易く論理づけて話を進められたので、皆熱心に聞き入っていた。約一時間のお話を聞いたあと、活発な質疑応答と、その中にも河野議員の若々しい表情に情熱的政治信念が窺うことができたし、取りも直さず豊かな人間性をにじませて終始真しな対応に時間のたつのも忘れる思いであった。
席上、創立五十周年記念行事を終えた徳川ミュージアムの徳川館長、同じく設立五十周年SECエレベーターの鈴木会長に祝意を述べることができ、幸わいであった。岩田(株)の岩田社長の質問をはじめ、八重洲内科の長尾春江院長と令嬢が出席されて、令嬢が質問された。長尾先生はハーバード大学東京事務所所長の責任者をつとめられ、日米の学術振興にも活躍されている。八重洲内科は八重洲、銀座、丸の内地域の医療活動に長く専念され、多くの治療患者が訪ねて来ている。
会食会の席上では、乾杯の音頭を谷口コーポレーションの谷口社長に、閉会の辞と講師に対する感謝の意を井浦コミュニケーションセンターの井浦所長にお願いして、八時四十分、意義深い講演と親睦会を終了した。
  銀座は今世界の観光客の注目を集めているほどの、日進月歩の変貌ぶりである。二〇二〇年を開催のオリンピックを目指している面もあるが、商業都市として東京が世界の観光地として脚光を浴びてきている。こうした最中に名門の東京八重洲富士屋ホテルが廃業したことは、返す返すも残念でたまらない。事務所から百メートルと離れていないところだったので、富士屋ホテルが華々しく開館して以来、いろいろなイベントの会場として使ってきていた。ホテルの職員たちとも長い付き合いを通じて懇意にしていたのである。当会も近くに利な場所の講演会の会場を常設会場として利用していたが、今では不便を感じている。この場所もS不動産会社が取得して開発する計画であったが、思惑が外れて、今は殺伐とした駐車場になっている。まだ新しいし、解体するには勿体ない建物であった。東北大震災の時には、交通機関は全線ストップで、通信も機能不全で遮断された。大都会で行き場を失った人たちがあふれた。
  あの夜は富士屋ホテルに多くの避難者に集まり、ホテルの1階から3階までが一般の人たちに解放された。私もその中の一人であった。支度していたホテルの従業員の奥山さんに案内されて、2階の宴会場の桜の間で多くの避難者に交じって一夜を明かした。東と西の間の仕切りが払われて、およそ三百人ほどの人たちで埋まったいた。余震があるたびに、二つの大きなシャンデリアが揺れていたのを思い出すのである。おおきなスクリーンが張られて、現場の恐怖と惨状を繰り返し報道するテレビ、それをうつす画面に戦慄を覚え眠ることは出来なかった。激震の発生で起きた巨大な津波が、東北、太平洋沿岸地帯を襲って、人も家も全てのみ込んでいく。凄惨極まる光景に言葉がなかった。あの時の混乱状態に、何百人もの避難者を収容してくれた富士屋ホテルの対応に、感謝するばかりである。その数々の思い出も尽きない富士屋ホテル、四十年近いお付き合いだろうか、昭和経済会の講演親睦会の常設会場となって、色々とお世話になってきたのである。レストランにもたびたびお世話になって、従業員の人たちとは、昵懇の間柄であった。その建物があっという間に破壊され消え去ってしまって約一年が経つ。
  あの名門の富士屋ホテルが、経営に行き詰まるとは思わなかった。政商だった小佐野賢治の国際興業が、金にあかして作り上げたホテルである。経営の拡大をめざし、ホテル王を夢見た荒武者が、惜しいかな、あまりにも経営の手を広げ過ぎて挫折した結果である。帝国ホテルを牛耳るまでに上り詰めた男とは思えないお粗末さである。運が悪く権力志向の変な友達にのめりこんで、田中角栄のロッキード事件の犠牲になったともいえる。しかし所詮、政商と云われる故の末路ともいえるかもしれない。それは純粋に企業経営の本質に立っていないことにある。それにしても、八重洲富士屋ホテルの消滅は、買ったS不動産の仕打ちにもぶざまなものがあって目を覆いたくなる。
  場所は東京の玄関口の八重洲である。つまり外堀通りの、東京駅と、銀座数寄屋橋交差点の間の一等地である。目立つがゆえに、もっと処理の方法もあっていいのではないかと思っている。関西系の大手不動産会社だから、露骨な金儲け第一主義で、スマートな経営者としての、品格、自尊心など考える必要などないのかもしれない。毎日のこと、その醜態をさらしているようなものである。三菱地所や三井不動産、東急不動産などに任すべきだったと思う。将来はどうなるのかわからないが、東京八重洲富士屋ホテルの顛末は、あまりにも無残であり、悲惨である。

   世の中のビルト&スクラップではないが、良し悪しは兎も角として斯様に東京では今、細かな区画を大きな区画に整理し、いたるところで建て替え工事が進んでおり、規模も拡大している。特に銀座界隈で顕著であり、銀座は目を見張るほどに綺麗になって、高級化が進み国際化が進んでいる。丸の内界隈もそうだ。
  こうした傾向が、京橋、日本橋界隈に及び、東京が華やかな金融都市として発展するには、この力が兜町にまで伸びていく必要がある。ところが電子化された東京証券取引市場の周辺に集まる巨大なビルの需要はない。兜町と云う地名を、近代的なイメージの名前に変えてみたらどうか。昔からあの街は差別用語になってしまうと困るが、[島]と云われるほどに、昔の一攫千金を夢見た有象無象のばくち打ちの特殊なイメージが強く、島から足を洗って正業に就きたいと願う連中ばかりがたむろし集まっていたのであった。現代的な近代化という言葉を使うならば、先ずは街に品格があってのことである。世界に開かれた金融都市と自負するには、もっと奇抜な努力が必要である。不可能な話だが、数寄屋橋交差点にオープンした東急プラザや、この春にオープンした銀座シックスのような立派な商業ビルが建たない限り無理だろう。余程の発想の転換と大改造の必要を感じない限り、ニューヨークのウォール街のような華々しい感じを打ち出すことは叶わないかもしれない。
   願わくば上場企業の一部が成功し、立派な本社を建てるようなら大きな望みに繋がるが、むしろあの地域から撤退する金融機関のオフィスが多いくらいだから心配である。人間と同じように、街にも品格が備わっていないと、東京のど真ん中ならどこでもいいというわけにはいかない。 関連、下請け企業群がスマートに集合できるような巨大企業の本社の竣工が必要である。例としてはソフトバンクか、京セラあたりかな。  5月25日


    
                           

    


    
                   

    
                          

                       

    
    
           

  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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