line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年04月26日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

VOL.23.11


ガザ地区の難民収容所の攻撃

  イスラエル軍がガザ地区の難民収容施設に対し意図的に空爆を行っていると云ことは、人道上、軍法規上、消して許されるものではない。思想、信条を超えた人道上の尊厳に触れて、これを根底から侵すものであって許し難い行為である。即刻中止すべきである。
  攻撃を受けるハマスは作戦上、軍事行動に関係ない住民施設に身を寄せて、イスラエルの攻撃を避ける作戦をとる場合がある。イスラエルの軍事的作戦行動は、こうした要所を避けて敵の重要地点を攻撃する技能を持っているはずである。軍隊が民衆に紛れて行動をとる場合について、住民もろともという胆略的思考をを排除して、軍事的作戦の厳正な規範を確立するべきである。
  ネタニアフは戦争は停止しないと明言し、国境を越えて地上戦に転じているが、ガザ地区の死者は住民が多く8000人余を数え、内子供が3000人以上に達していると云う悲惨な状況である。戦争遂行者の気狂いを相手に正論を吐くこともないが、しかし、こんなバカげた仕儀は許されない。戦争は軍人同士の戦いであって、無防備であり罪のない素朴な人間を殺めたりしてはいけない。バイデンにしても、習近平にしてもボンヤリしてないで、当てにはならないが、影響力を行使できるん大国として、威厳を以て、駄目なことは駄目だと明確に釘を刺す必要がある。都合の悪いことは見て見ぬふりをする癖が、大国の主導者にはよくあることである。そうした時でも、弱い立場に置かれた人々が、戦争の犠牲にさらされて、如何に苦ししみ狂いながら、命をなくしていく民衆が多いことか、自分の家族同様に考えてみて、そうした人たちのことを思えば、ゆっくりと寝食すらできないはずである。

罪の無き女、子供が殺められ戦火で笑ふ奴が背後に

犯罪を犯して罪の意識無き奴を相手に諭すむなしき

猛爆に耐えて赤子を胸に抱く母の瞳になんぞ罪なき

民衆に紛れ砲弾を撃ち込める兵士に何の軍律も無き

民衆を襲ふ奴らのけものみち行く野獣としか見えで如何にも

戦争てふ軍人同士の争ひに市民の何の関わりの無き

殺しあふ軍人同士のいさかいに女子供が死ぬる不条理

指定する難民キャンプにミサイルを撃ち込む奴の即死刑にも

農民の農地に砂塵を上げていく戦車が走り汚す大地を

砲弾を打ちながら行く重戦車あとに市民の死骸あまたに

無残なり破壊と殺傷を繰り返し地獄の口を開けてゆく奴       11月1日



文化の日

  さわやかな秋晴れの日に恵まれて、今日は我々国民が喜びとし、誇りとする文化の日の祭典であり、それを祝う祝日の日である。毎年、社会と国家のために尽くされた叙勲受章者が沢山発表されるが、今年の文化の日には4076人と、外国人の103人が対象者として政府から発表された。めでたき限りである。今後も職責を通じて一層の研鑽に努め以て、国是とする憲法を守り、平和を愛する国民の範として活躍されんことを念願してやまない。そうした人たちの業績の評価を下すのは大変難しいが、毎年担当職員はこれをまとめるのが難儀に違いない。労を多としたい。該当者のうち女性は411人で全体の10,1パーセントであった。縁の下の力持ち、陰の功労者で、女性の占める割合はまだまだ少ないように思う。


  ことのことの性格上、対象者に政治家や官僚が多いが、そもそも国のために尽くしたという意味合いがあって、それに選任しやすいということもあり、相変わらず政府関係者と職員と官僚の職員が選ばれる傾向が強い。それでも民間受賞者は1941人で全体の47パーセントを占めた。
  特異なケースとして今までにも叙勲を断る人も多く、中には業績大にして著名な人物も多く、自由奔放に生き抜いてきたという自負心が主に辞退の理由となっている。大学時代の恩師の一人である早稲田大学名誉教授の大内義一先生もそうであった。国家から勲章をもらって、将来にわたり国になにがしかの負い目を感じることは嫌いだから辞退したというのであった。一方同じく恩師の一人である堀江忠雄名誉教授は叙勲を受けて名誉なことだと喜んでいたのである。大内先生は英文学者であり、堀江先生は経済学者であった。してみると立場によって受け止め方が違ってくるし、それぞれ選択に自由があって素晴らしい制度である。
  国家に対して大した貢献もしていないが、貰えるものはもらっておこうと単純に考えている人もいてさまざまである。中には叙勲を受けたくて何かにと手をまわし運動をする者もいる。名誉欲というものかもしれない。このあいだ銀座の地下鉄ホームで電車を待っていたら、厳めしい服装をした老人が沢山の勲章をぶら下げて闊歩していくのを見て、まだああした人物がいるのかなと奇異に感じたものである。今更勲章などぶら下げて闊歩しているつもりでも、普通には気でも違ったのではないかと思われがちな昨今である。勲章をもらった役人が、認知症んかかっていこう、矢鱈と勲章をぶら下げたがるので困っているとの話も聞いた。良心的なものは身に過ぎたもので
 そんな巷の話題やうわさを聞きながら、文化の日に限って秋晴れの天候に恵まれて幸いである。娑婆に身を置き、雑念に翻弄されながら、ヴェートーベンの田園交響曲を聞いていると、秋空いっぱいに文化勲章の片りんを見とどけて美しい雲が、欲しければ手を出してもいいよと言わんばかりにウロコ雲となってじっとしているのが実に綺麗に光っていた。昔のこと、御年九十歳、勲四等をもらったおっさんが祝儀を振る舞い客人からの祝儀は一切辞退仕り、白銀台の都ホテルで盛大な祝賀会を開いて喜んでいたことがある。勲一等瑞宝章をもらた旦那より、社会の貢献度がありそうな話題の持ち主であったが、祝宴は自己満足に徹していて、以て冥途の土産として単純素朴の極みで頼もしく感じた。十一月三日    

東奔西走に駆け回るアランドロン
 
  バイデン政権下、米政界に突如現れて縦横の活躍をするアラン・ドロン、テレビに映らない日はない。バイデンやプーチン、習近平よりも世界の平和のために体を動かして働いているといっても過言ではない。平和の戦士ゼレスキーも立派だが、祖国ウクライナのために奮闘中であるが、ウクライナの領土と主権の一体化という課題の範囲の面積に限ってである。しかし以て範となすときには、これが世界の面積にひろがることになる。世界的広がりと面積で、超人的な振る舞いのアラン・ドロンにはかなうまい。G7外相会議が日本で開かれて上川外務大臣が議長国を務めて難問山積の世界情勢について議論を主導して共同宣言を採択して発表し、無事閉幕したのである  
  アランドロンが単独の記者会見に臨んだが、席上、テレビ東京のWBSでメインキャスターを務めている娘の明子が、アラン・ドロン、アメリカのブリンケン国務長官に質問を行っていたが、明快流暢な英語と質問の内容について、ことのほか懇切丁寧に、結構時間をかけて回答していたのが実に印象深く胸に残った。女性記者に対する姿勢からであろうか、ブリンケン長官のアメリカ紳士としての対応と人間性も伺えて、質疑応答の内容もさることながら少なからず感動を覚えたのである。
  最近、アメリカの積極的な外交政策について、依然、世界の警察官を名乗っていた時代のことを思い出した。自由の騎士も巨大な軍事費の負担もあって後退気味のところに、トランプ政権が樹立され、アメリカ第一主義を掲げるトランプによって一気に世界の関与から後退する流れになったアメリカであるが、バイデン政権になってそれらの誤謬を改めて、力によって領土拡大を図る中露の政策に対峙する結果になってきている。世界各地で紛争が起きている昨今を顧みる時、自由と平和を掲げて国際的な諸問題に関与し、広く政治と経済の諸問題の解決に当たるバイデン政権への政権交代は、世界の自由と民主主義を堅持する潮流に合致して素晴らしい時の流れであった。ロシアのウクライナ侵攻は、専制的独裁主義の体質的な傾向を暴露した事例であり、海洋進出の中国の戦略も合致するものである。歯止めをかける意味で画期的転換であった。
  アメリカの外交政策を推進するブリンケン国務長官の激務は想像にあたえして余りある。新たに勃発したガザ地区を実効支配するハマスと、イスラエルの戦争は凄惨を極めているが、この解決策を模索して走るブリンケン長官の活躍に、我々も含めて多くの人たちが期待しているところである。東奔西走の長官に、つつがなきことを祈るばかりである。11月8日


鈴なりの柿の木

  拙宅には昔から二本の柿の木が植えてある。自分の家を普請する時から前の家から持ってきてあったもので、毎年のこと、柿の実がなるこの時期が待ち遠しいくらいである。真っ青な秋の空を見上げると拙宅の庭には、二本の柿の木に赤い実がたくさんついて、まさに鈴なりといった風景に朝な夕な見とれている。通り行く人たちも立ち止まって鑑賞している。柿は次郎柿と、富裕柿である。実が真ん丸な形をして大きく、あどけない感じである。食べごろの風情であるが、身がしまって固く、割ると飴色をした果汁が光って滲んでみえる。噛んでみるとぱっりっと軽快で気持ちの良い音を立て割れるので、小生は、これを秋の音と称している。秋の音は、晩秋からお正月にかけて味わい楽しむことができる。天を仰ぎながら、居ながらにして赤と黄金の蒔絵の屏風を眺める心境である。
  何百個あるかしれないが、好きだからと言ってこの柿を全部食べつくす訳にはいかない。家内と二人きりの所帯で、庭畑で作る小松菜を食するのとは違って限度がある。幸いなことに柿の好きな知人が近所に何人か居て、毎年、拙宅の柿を楽しみにしている。柿の実を採るときの頃合いがあって、一番おいしい時期に合わせて収穫しなければならない。言うなれば、一つ一つ実る時期に微妙な差があることが分かっていても、それに合わせてもぎ取ることに難儀するのである。柿の実の表が艶やかで、お尻に黒い縞模様の柄がはっきり書かれていることが好条件である。色合いはもとより、橙色の赤く、もしくは黄金色の頃合いである。好みは実が固くあって、熟れすぎて崩れていないことである。但し、これは小生の好みである。好きな人には、自由にもぎ取っていってくださいと声をかけたりしているが、遠慮しがちなのが人情というものかもしれない。一度に収穫するものでない故、さりとて、その都度、手間ひまかけて、もぎ取って持っていく時間も労力もないので、困惑することがしばしばである。
  そんなことを考えながら、この一文を書いていたら、兼好法師の徒然草の第十一段に描かれてある文章をふと思い出して、苦笑してしまったのである。比較的平易で短いものなので徒然草十一段を味わってみたい。

「神無月のころ、栗栖野といふところを過ぎてある山里の訪ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて心細く住みなしたる庵ありけり。中略。 かくてもあらけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからばしかと覚えしか。」


 世田谷の住宅地にあって、かように脱俗の境地を求めるゆえんはさらさらないものの、無欲にして隠遁の生活をたしなみながら静かに住む人の、ふとしたことから、人としていまだに疑い深い素性を露見したり、悪しき根性の一端を垣間見てりして、兼好法師がいたずらっぽく冷やかし半分につずっているところが、逆に法師の素性をもうかつに露呈してしまっているところで、面白く感じるのである。「猿の尻笑い」という名言がある。猿は、自分の尻の赤いのを知らずに他の尻を笑う。つまり人間社会でもよくあることである。

鈴なりの柿の木を見てこの年も自ずと豊かに暮るる思ひす

晩秋の日差しに光る柿の実の彩りさえし赤と黄金に

次郎柿いたずら坊主の名前にて天衣無縫に丸く育てり



      いかるがの秋

慈悲深き思ひを秘めてなほ深き弥勒菩薩にしくるものなき

初春の日差しを受けて慈しみ深きほとけにあふて嬉しき

いかるがの里にも早く梅の香の匂ひて弾む村人の声

みほとけの顔美しく面ざしのイエスに似るは慈悲深きかも

自づから野づらにに立てるほとけにも手を合わせゆく我は安けき

あたたかきイエスの顔を見上げ伏す我にやさしき手をのべし人

主・イエスの愛と光の喜こびをほとけにも見て安き覚へし

神よこの世の善悪を然(しか)と見て鉄槌を打ち悪を滅せよ

見上ぐれば秋のみ空の広ごりて主の栄光の永遠(とわ)に輝やく

みほとけの顔にイエスの面ざしを強く覚へて幸ひなりき

イエスにもほとけに通ふみこころの我にも熱く知りて安きも

声高く澄む今日聞く説教の心のうちに深く刻めり

みちゆきにほとけの顔を拝みなほ教会の音の渡る夕ぞら

みほとけのわが身に神の栄光のそそぎて在(あ)らばなんと嬉しき

主イエスのみ顔を仰ぎ大いなる幸ひを得て今日も生きゆく

みほとけの情けの深き面影と身にも覚へて歩みゆくかな

錦秋のふるさとへいざ帰りなん都の塵を払いのけつつ

赤子より知り尽くしたる妹(いも)なれば目の輝きに内を知るなり


斑鳩の里を訪ねて法華堂のほとけに逢ふに秋の風吹く

夢殿は内なる高座に立ちいますほとけのいまだ居ねておはすや

夕立の闇む夢殿に松風の過ぐる夕べとなりにけるかな

昼時の暑き日差しに黙しおるセミのにわかに泣きにけるかな

あたたかき内を示して面差しのやさしきさまに立てるみほとけ

正門の近か間に仰ぐ五重のたう松かぜ渡る秋の空かな

聖とも思へるひとの彫り刻む佛の姿あらはなりしも

遥かなる宇宙の果てゆ光差し佛のみ手にたはむ趣き

タンポポの咲く道の辺にみほとけの頭に止まる赤とんぼかな

いかならむひとの彫りたる観世音菩薩像ともしばし思へり

無為無思に静かに立たす観世音菩薩にまみえ嬉しかりけり

類ひなき姿に立ちてこの世をば眺め給へる菩薩像かな

艶やかに立つ観世音菩薩像袖振りかへし秋近きも

しなやかにみ手をひらきて世の悩み写し安きを祈るみほとけ

左手を天に伸ばし右の手を地に指し給ひ諭すみほとけ

回廊を歩みて軒の美しき先の雲井に秋の過ぎ行く

回廊の袖を渡りて中庭に立てば夕べの白き月影

薬師寺の塔を見上げて空高きところの雲に覚ゆ秋かな

もみの木の枝にもかかる白雲の崩れて寺の屋根に落ちるは

柿の実のたわわに実る寺ありて柿寺と我名付けたまへり

白壁の続く山寺の道を行く僧侶がひとり香をたきつつ

   戦闘が再開す
  
  休戦協定が開始されてガザ地区の避難民の人道支援と救援物資の輸送が始まって4日目が過ぎ、二回の延長が実施されたが、ハマスが協定を破棄したとして、またぞろガザ地区に対するイスラエルの攻撃が開始された。行き場を失ったガザ地区の市民が狭い国土を北から南に逃げようとしても、今度は南に対する攻撃が激しさを増して多くの難民が逃げ場を失って、攻撃にさらされている。女、子供が無残に犠牲になっていく惨状を食い止めることが出来ないものだろうか。ハマスは地下に深く長く張り巡りされたトンネルで生き延びていられていても、地上の市民の多くがイスラエルの過激な攻撃に遭遇している。イスラエルは、攻撃の対象をガザ地区の無防備の市民に向けているのか、ガザ地区を実効支配して敵対するハマスに向けてるのか明確にする必要がある。空から地上から容赦なく行なっている攻撃は、無差別攻撃であり、人道主義に反し、戦時下においても法律、規律違反である。かかる戦法の攻撃は即時中止すべきである。
  又ハマスという武装組織について、完膚なきまでに都会を破壊され、すでに統治能力を失っている以上、武装組織を解体して全面降伏すべきである。そもそもハマスという軍事組織はガザ地区の市民から法律的に合法的に選択し支持されているものではないと認識されている。ハマスはガザ地区の市民を統治する行政能力を持ったものでなく、力で以てガザの市民を支配している武装集団に過ぎない。したがってガザ地区の市民が何万という数で犠牲にあってもカエルの面に何とやらで一向に平気である。秩序と法律を以て正式に成立している政府であれば、これほどの国土の破壊と、市民の犠牲を伴っている惨状を看過できないはずである。市民の救済を条件に、ハマスは解体して全面降伏すべきである。もしくは平和的解決方法を模索し、イスラエルの攻撃を中止させ、妥協案を引き出すべき時期に来ている。戦争の危機から人民を救い出し、ガザ地区の人民を救済し、この地に唯一の平和をもたらす賢明な手段である。    12月5日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ