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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.o7-06中国の産業公害


鄧小平主席の着手した近代化政策は、その後着実に根をおろしました。これを目ざした中国は、先ず経済特区を設けて市場経済システムを導入し、次々と資本主義経済への移行テストを行ってきました。その後の経済発展は目ざましいものがあります。市場経済圏は中国の東部沿岸部から、次第に内陸部へと拡大されてきています。今や中国は、世界第二の生産を誇る経済大国にのしあがり、年率一〇%台の成長率をとげてきています。貿易黒字も一兆二〇〇〇億ドルに達する勢いです。しかし、産業による環境破壊と汚染もすさまじいものがあり、その及ぼすところが、大変危惧されるところです。
    今の中国は、強大な経済発展の裏に、「二酸化炭素」の煤(すす)の下で国民生活を強いられる状況であります。同時に開発の途上で惹起される災害と事故の頻発も危惧されるところです。環境対策、安全対策については、日本は概ね優秀な経験と技術を持っています。例えば昨今テレビで報道された中国の石炭産業についても、発掘技術の遅れで、坑内での落盤、現場での爆発事故による死亡者が多く出ていると報じられました。日本の石炭の発掘技術は多大な進歩を遂げ、高度な技術を有しております。この技術を輸出して、中国の多角的な石炭事業を進めてゆくことは、将来、目覚しい成果をもたらすでしょう。これからながきに亘り、中国との関係を深めていくためにも、多面的に日本の技術を大いに活用して、中国は生産第一主義に偏ることなく、円滑な経済運営に心すべき時であります。
    昭和経済会は、二十七年前に経済使節団を組んで中国を訪問、北京の国際貿易促進委員会に臨んで中国の政府要人らと会談しました。その時、私たちは当会顧問だった参議院議長、故・安井謙氏の親書を携えて行きました。その内容は、日中両国間の千載の歴史に名をとどめて、不屈の信念と友情を歌い上げたものでありました。私が団長をつとめ、副団長には、寺島祥五郎常任理事に就いてもらいました。当時のメンバーの中には、鈴木信行(悟風)氏と同夫人、三浦碧子女史(副団長)、渡辺光男氏、折原弘氏、鎌田俊男氏、初野正博氏らが初めとして総勢四十三名の団員でした。華々しい一団で、北京では大歓迎を受けて、友好交流の応接に臨みました。
    出席した中国の政府要人は、日本経済の発展ぶりを賞賛され、日本に対する経済支援と協力関係の促進を力説していました。私はそれに対して『日本経済は戦後、平和主義を貫いて自由経済のもと大いに繁栄を上げてきました』と感謝と賛同を示した後、同時に私はあえて、日本経済の置かれている苦況を披露しました。「驚異的な発展と成長の裏で、公害に苦しむ国民と、荒廃する国の山河である。戦後復興のため、あらゆる分野で経済優先の政策が取られた。開発の名のもとに豊かな農地の消滅、樹木の大量伐採、工場廃水のたれ流しによる河水の汚染と、廃気ガスによる空気の汚濁、自然破壊が進んで、人間生活をむしばんできている」と、説明しました。
    経済優先で、環境の保全がなおざりにされてきた歴史がありました。結果が得体の知れぬ病気の発生であります。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく等々、公害によってもたらされる奇病、健康被害が、いたる地域で発生して、住民を苦しめてきています。光化学スモッグの警報が、毎日のように都会の生活に及びました。ちなみに我がふるさと、東京の下町を流れる隅田川は、悪臭を放つドブ川と化したのであります。大昭和製紙から出た排水は、駿河湾の沖合いにヘドロを堆積させて、漁業に壊滅的な打撃を与えました。全国各地で同様の環境破壊と公害が進みました。驚異的な経済発展をとげる裏に、物量的に巨大な悪魔が、かま首をもたげてきていました。
    席上、私は、「中国はいま、政策の大転換を図って経済発展に国を挙げて臨もうとしているが、野放図にこれを許せば、今の日本が直面している状況と同じ道を歩むことになる」と注意を喚起して、「経済の発展促進と共に、早くから同時に公害対策を念頭に置いて、効率よい産業経済の運営に取り組むべきである」と力説したことを覚えています。「今、日本は、公害病の原因究明と、患者の救済に国を挙げて取り組んでいるが、これらは全て、日進月歩して華々しい産業経済の進歩発展の裏にある、負の遺産である」と、述べたのであります。
    これから中国は、従来の計画経済、社会主義経済から脱却して、ますます市場経済への移行をはかり、経済の発展を期そうとしていますが、それがもたらすであろう負の局面にも気付いて、早くからその影響を最小限にとどめていったほうがより効率的であると、日本を以って他山の石とされたいと話をしましたら、中国側要人は驚きの気持ちを隠しきれない様子で、しきりとうなずいていました。
 
    それにしても、懐しいその時の中国訪問の旅は、二十七年も前にさかのぼります。副団長を務めた寺島祥五郎氏、初野邦雄氏、高野泰治氏、菅原隆氏らは既に鬼籍の人となられました。若輩の私を支えてくださった多くの団員を、今以って忘れることができません。菅原隆氏は、昭経俳壇で雅号を「瓢仙」として大先輩であられました。その時の一句をご披露しましょう。
         古希や春水の蘇州に誕生日  瓢仙
     遠望して壮大な萬里の長城、山紫水明に明ける桂林の璃江くだり、蘇州の驟雨の中に聴く寒山寺の鐘、思うに, 「年々歳々花相似たり」 ですが、 「年々歳々人同じからず」 を思わずにいられません。

平成19年5月16日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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