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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.21.6


早や水無月

  旧暦の呼称では六月は「水無月」である。このころには田んぼに水がないことから水を引く月とも言って、農耕作業の節目でもある。冬の間に涸れた土壌に豊かな水を引くことで、柔らかくなった田んぼの土を丹念に掘り返すことが出来る。苗代を作るために最初に手掛けた田んぼには水が張って既にすくすくと早苗が育っている頃である。これを一株ずつ握って移し替える作業には、田んぼに広く水を入れながら柔らかく土を返して耕して用意して置かねばならない。今は機械化されているが、昔の田植えはのどかな風景で夏の初めの風物詩であった。なみなみと水を張った田んぼに早苗を植えていく光景は、実にすがすがしいものである。植え終えた田んぼに白い雲が浮かんで見えたりして、遠い山肌までがキラキラと光って映って見えたりする。そんな記憶をたどりながら、昔を偲んだりして、平和で長閑かな農村風景を想像するのも一興である。

 「母屋背に我が家の田植え始まりぬ」  昔は一家総出の田植えだったりして、子供たちも率先して手伝だったりしたものである。 田植えの済んだ農家も手伝ったくれたりしたものだ。庭にはアジサイが咲き始めている。井戸端の蛙も、鳴き始めた。


紫陽花

紫陽花の濃き紫のしめやかに咲く五月雨の宵の頃とも

ひと雨のしずくに染まる紫陽花の色つやめきて暮るる里かな

五月雨に濡れる紫陽花の物悲し便りに寄せる恋の定めや

鎌倉に紫陽花寺てふ所在にて時雨降る頃ひとり訪ね来

あじさいの濃きむらさきの匂ひ染む帯を締めたる芸者小奈津よ

伊豆山の温泉地より訪ね来る芸者小奈津のいじらしきかな

座敷より意地悪く出て来たるらし余に会ひてしか取り乱しけり

四方八方知らぬ小奈津の東京駅ホームにひとり戸惑ひて居る

さかずきの底に書きたる紫陽花の花の命の悲しかりけり

紫の鉢巻きを締め早乙女の紅きたすきに早苗運べり

田植えする農家の家族総出にて赤きたすきの少女も居りぬ

水を引く田んぼの土を掘り返す泥鰌や田螺が踊り出でたり

この時期の泥鰌、田螺の美味きこと夕餉の膳に盛り付けて有り      6月1日


     

        蟻の反面教師


   庭の芝生のあちこちに小さな盛土が出来て、蟻の巣から蟻が盛んに出入りして活発な活動を開始したようである。今年は梅雨入りが一週間ほど早めに予告されたが、沖縄や九州南部では梅雨前線が停滞して本格的な梅雨に入ったと思われる。しかし今のところ本州東海地方はその気配がなく、快晴が続いており、時折の雨でむしろ樹木の茂みに旺盛な精力を感じている。庭畑の野菜類や、苗植えをした植物などの生育は極めて良好である。この分だと今年の耕作物の収穫は、いⅿから豊年満作の予想を立てても決して間違いではなさそうである。コロナ禍で遅れを取っている社会経済活動に、少しでも元気づけの追い風になれば幸いである。蟻んこの活発な動きを見ながら、人間社会の正常な復活のため、是非お裾分けしてもらいたいとの願望の一念である。

   
蟻んこの身の精緻なる構造に全知全能の神の宿れり

障害を乗り越えて行く蟻んこの細き手足をうまく駆使して

蟻んこの一つの穴より在れしゆへ皆むつまじく働きにけり

蟻んこの頭脳と動きに神の手の宿ればおのずと人に勝れり

目ん玉の両脇にある触角の精緻な機能にたまげおるなり

人間の頭脳に勝る触角の細緻な機微に動く身体よ

蟻んこの米粒ほどの容量の身に完璧な機能備へり

精緻なる体を擁し微積分繰り返したる機能全てが

蟻の巣の穴より出たる蟻んこの四方八方に散りて行きしは

思案して留まる蟻もありけるに方向を変え行くは頼もし

針の穴ほどの頭に完璧な思考と判断の装置備へり

炎天に隊列を組み延々と行進いたす蟻んこの群れ

蟻んこの行進中にも歩を止めて何か思索にふけにけるらし

蟻んこのおのが務めを自覚して協同作業に励むさまよし

隊長の何処に居るや隊列の止まれば思案のしどころなりぬ

蟻んこの皆一様に下を向きせっせと進む炎天のもと

針の孔ほどの面相に哲学者ほどの思索のあと窺へり

もしかして蟻の頭に全宇宙つつむ機能の頭脳あるべし

隊列の険し規則を割く蟻の男一匹はぐれ蟻とも

組織的集生活に馴染めずに単独行動に走る蟻かな

一滴の密に群がる蟻んこの集団なれど諍いはなき

精緻なる手足を使ひ励む身の動きに我も手足伸ばせり

蟻んこの我れが身ほどに育ちなば世は悉く喰われ果つべし

蟻んこの不平不満を吐くこともなくせっせと日永動けり

何処より来て何処へと続くかや蟻の行軍の絶ゆるなき列

特命を受け急ぎ行く一匹の蟻のふところに伝令の書

己より数倍もある虫けらをくわへて運ぶ蟻の一匹 

隊列の蟻の一匹が突如出て思案のあとに指示を出すらし

じっと見て蟻の目ん玉と向き合へば意志の疎通が可能なるらし

一ミリの半分もなき目ん玉に余の大きなる顔を写せる     

思ふだに蟻の世界は星ほどに宇宙の広き間にも散り似て        6月3日  

     ワクチン

ワクチン接種が加速されてきている。政官民の協力体制のもと、大規模接種を促進するための官、民からの会場の提供の申し出が相次いで喜ばしいことである。政府も一日百万回を目指して躍起である。経済回復と社会活動を平時の軌道に乗せるためには、ワクチンの接種を一日も早く了するすることが先決である。高齢者の接種が優先して行われているが、同時に若年層にも出来るところから実施を促していく必要がある。一部に感染力の強烈な変異種との戦いも出てきているから、安閑としてはいられない。小生は一回目の接種を10日ほど前に終えて二回目を待っているところである。済ましておけば安心だし、今のところは半分は安心して業務に専念できるというものか。しかし国民の大方が終えるまでは、接種を終えたからと云って油断せずに、できれば全員が終了し感染者が激減するところを確認するまでマスク着用と手洗い、三密回避を励行しているべきだろう、と自分では認識している。

ワクチンの接種を済まし安堵しぬあと二回目を待つもいじらし 

吾輩も後期高齢者の仲間にて長生きせんと強欲の末

お粗末なこの世の道と思へども未練がましくワクチンを打つ

吾輩にいまだ中途の仕ごとあり後からあとへと続くものなり

ワクチンを我れが先にと打たんとてみな待ち焦がれ居る人なればこそ

ワクチンも貧富の差にて配分の決まればいずこも金次第とは

若者に申し訳なく思ふどちワクチン接種の先ず高齢者とは

感染者数値のいまだ衰へず加えて新たに脅威の品種も

感染を克服してる国もありワクチン製造の強み証しつ         6月6日


      人口減少時代

   蟻んこの生殖力のお裾分けでもと申したが、お裾分けと云えば、蟻んこの繁殖力は地球上で一番旺盛な、精力的な部類ではないだろうか。新型コロナ感染症のウィルスの繁殖力も物凄く驚異的であるが、こちらは生体的に言っても一般の生物とは違ったもの一緒には出来ないだろう。地球上、絶滅危惧種と云われる生物はほかにもたくさんあるが、要は生命力、繁殖力に起因するものである。長年の人間の行動が地球環境を破壊した結果、消滅の悲運に遭遇している生き物もたくさんある。絶やすまいと賢明な保護政策に出ているが、元の根源を絶たない限り一時的な処方に過ぎない。

   産業革命時代の頃から、人類社会においても人口の爆発的な拡大が続いて大問題になって来た。マルサスはその著書の「人口論」を以て、人口の増大を危惧して警鐘を鳴らしたりした。主たる理論は、食糧の増産は一定量、若しくは算術的にしか拡大を図れないが、人口は幾何級数的に増大するというもので、将来の食糧増産が、人口の増加に追い付いていかず、早晩、食料飢饉と云った危機が訪れるとする内容であった。しかし歴史的事実はそうではなかった。地域的差は生じていたものの、食糧増産は耕作面積を拡大していき、且つ機械化されて増産に拍車をかけた。マルサスは面白いことを言っていた。人口増大を食い止める一時的は減少があると。そのうちの一つは、天候不順による食糧危機、須名和津食糧飢饉である。二つに、疫病の流行によって死者が増大すること、 更には、戦争の勃発によって相当な兵士が死亡すると云った事由に因るものであった。マルサスがこうしたことを根拠に殺人的戦争の正当性を主張したことになるとは思わないが、肯定していると誤解されるところもある。

  時代は代わって、人口増大が深刻に議論され、政府の政策によって人口抑制策をとった国もある。 近くでは中国でも一人っ子政策を謂わば強制して人口の増大に対応してきたのである。  お裾分けと云えば、蟻んこの繁殖力は地球上で一番旺盛な、精力的な部類ではないだろうか。新型コロナ感染症のウィルスの繁殖力も物凄く驚異的であるが、こちらは生体的に言っても一般の生物とは違ったもの一緒には出来ないだろう。地球上、絶滅危惧種と云われる生物はほかにもたくさんあるが、要は生命力、繁殖力に起因するものである。長年の人間の行動が地球環境を破壊した結果、消滅の悲運に遭遇している生き物もたくさんある。絶やすまいと賢明な保護政策に出ているが、元の根源を絶たない限り一時的な処方に過ぎない。

   産業革命時代の頃から、人類社会においても人口の爆発的な拡大が続いて大問題になって来た。マルサスはその著書の「人口論」を以て、人口の増大を危惧して警鐘を鳴らしたりした。主たる理論は、食糧の増産は一定量、若しくは算術的にしか拡大を図れないが、人口は幾何級数的に増大するというもので、将来の食糧増産が、人口の増加に追い付いていかず、早晩、食料飢饉と云った危機が訪れるとする内容であった。しかし歴史的事実はそうではなかった。地域的差は生じていたものの、食糧増産は耕作面積を拡大していき、且つ機械化されて増産に拍車をかけた。マルサスは面白いことを言っていた。人口増大を食い止める一時的は減少があると。そのうちの一つは、天候不順による食糧危機、須名和津食糧飢饉である。二つに、疫病の流行によって死者が増大すること、 更には、戦争の勃発によって相当な兵士が死亡すると云った事由に因るものであった。マルサスがこうしたことを根拠に殺人的戦争の正当性を主張したことになるとは思わないが、肯定していると誤解されるところもある。

   時代は代わって、人口増大が深刻に議論され、政策的に世って人口抑制策をとった国もある。近くでは中国でも一人っ子政策を強要して人口の増大に対応してきたのである。因みに中国の「一人っ子政策」は、1979年から実施され原則、一組の夫婦は 1人の子供しか生むことができず、また、地方政府によっては、夫婦とも一人っ子の場合に限り、第2子 の出産が認めらるというものであった。必要性に迫られた国もあったが、中国だからできることであって、他の国についてはなかなか実現できるものではない。わが国はもとより世界的に今、人口減少の傾向は顕著になってきている。人口抑制策をとってきた中国では、今年の5月31日、産児制限を緩和し、夫婦1組につき3人まで子供をもうけることを認める方針を発表した。 中国は少子高齢化が進む中、2016年に「一人っ子政策」を廃止し、子供を2人まで容認したものの、持続的な出生数の急増にはつながっていない。その中国でお最近は人口減少の兆候が顕著に表れてきている。政府は危機感をあらわにしている。

   6月5日付け朝日新聞の朝刊の1ページに日本の人口減についての記事が大きく載っていた。それによると2020年に国内に生まれた日本人の子供は84万832人であり、昨年より2,8パーセント減少し過去最少となった由である。又、婚姻件数は前年より12,3パーセント減のこれも戦後最小となった。これは新型コロナウィルスの影響も大であって、更に日本の少子化が加速している実態が浮き彫りである。これに対応するにはどうすればいいか。単に経済的な問題にとどまらず、近年の若者に広がっている価値観の変容、そして人生観の在り様に依ることが大きい。それに追い打ちをかけたコロナ騒動によって生き方、生活の仕方が大いに変化した結果もある。社会経済の変化と実施、即ちテレワークと在宅勤務の問題に負うところも出てくるはずである。会社に出なくても仕事ができる、地方の、自然の豊かな生活を楽しくといった住居生活、若者も含め、じっくりと考えるべきである。そして具体的な方策を社会に提示し、時の政府に対して積極的に主張すべきである。

  地方自治体ものんびり構えていないで、人口流出を食い止めるために、都会からの移住者に対し可能であれば特例を設けて流入促進のための優遇措置に踏み切るべきである。補助金もそうだが、中央省庁がびっくりするくらいの政策を打ち出すこと。固定資産税の軽減、免除、地方税の期限付き免除と云った斬新且つ大胆な政策を実行すれば、たちどころに移住者が多くなって、地元の活性化に役立つであろう。国税庁管轄でない諸般の所得税の免除などうたったら高額所得者が陸続と入り込んで豪邸を立てたりビルを建築したり、生産、消費両面で、むしろ効果的な結果をもたらすだろう。発想の転換と実行に期待するしかない。 6月7日
                  続


梅の実

  背宅では今のこの時期に沢山の梅が採れて、梅狩りでなく、梅拾いの楽しみを満喫している。今年は新年早々、例年に比べて花の咲きように格段の相違がうかがえたくらいに綺麗だったので、今になって実のなり方の豊嵩に気付いているのである。枝にしがみつくように大きく実っている梅の青々とした清々しさを見ていると、頭の髄まで浸透して、気分爽快の清涼剤の効果が十分である。十分に実った実は枝を離れて自然に落ちて、それが辺り一面に転がったりしていて、秋の栗拾いではないが、梅拾いが実に楽しいものがある。梅拾いと云う季語を以て、勝手な一句を吟じたい気分である。

  植木屋に教わったわけではないが、梅にとって良いか悪いかは別にして、槍のように突き出て伸びる梅の枝先を、早い時期に切り取っておくと、あとの枝ぶりがこんもりと丸く茂って見た目が良く映るので、自分で刈り取っている。理屈上は、地から吸い上げた養分が葉っぱに吸い取られることなく梅の実に集中していくと思われるので敢えて無駄な枝を切り取っている。その甲斐あってか、今年も大きな粒に育っているような気がする。根もとや芝生にまで転がっている梅はまことに初々しく綺麗であり、そのままにしておきたいくらいである。

庭にあるただ一本の梅の木に桶に溢れし実を収めたり

梅の実のあざやく色に五月雨の降りそそぐころ落つる音のす

梅の実の実りて落ちぬころころと梅狩りでなく拾ひ集めん

梅の実の目にもさやけく映りきて脳天までも透きて浸みけり

偉大なる万有引力の働きに梅の実重く地に落ちにける

落ちたあとから又落ちた音のして夜のしじまに動く梅の実    6月7日

収束に向かうか新型コロナウィルス

  ワクチンの接種次第で、新型コロナウィルスの感染拡大を抑えることが出来るか、剣が峰に差し掛かった感じである。高齢者だけでなく可能な限り若年、壮年層にまで対象を広げ、職域別に、大型接種会場の設置を可能ならしめるべく、あらゆる手段を駆使してやり始めたことは、大歓迎である。もっと早い時期から用意周到に行動すべきであったが、遅きに失したとはいえ、ワクチンを有効に打っていく手段を講じてもらいたい。

  6月2日に予定していた当会の経済講演会も延期になって、漸く7月6日に改めて行うことに決まった。こうした事例は今の社会状況に常に起こり得ることとして対処してきたが、一刻も早くこうした状態から抜け出て正常な社会活動に専念できる日が戻ってきてほしいと願っている。ワクチンによる集団的抗体が普及していかない限り、活発な活動は期待できないにしても、又、コロナ前の状態に復帰することは想定されないにしても、違った形の新しい対応を持った社会と日常生活がじんわりと浸みこんで、それに順応した有効な活動ができる様相に入ってくるに違いない。

  コロナ禍で騒々しい世相だが、一方、四季の移り変わりを自然観照の中に認めながら、悠々自適の境地に居ることも、外出自粛による自虐的鬱積から脱失する好機である。梅雨入り宣言がなされてから、憂鬱なそれらしき気象にもなく、気持ちの良い晴れ間続きのお天気に恵まれてきている。今週一週間の天気予報も、晴天続きで夏の到来を天気晴朗のうちに過ごすことが出来て気分爽快である。夕暮れ時の風情も趣きがあって、庭に出ていると自ずから明鏡止水の心境になってくる。


於け一杯拾い集めし青梅を夕べの宅に運び込むかな

時雨降る木下闇のあじさいの青むらさきの色のなほ濃く

梅の実の万有引力に押され落つ音に宇宙の全容を知る

合間見て在宅勤務の夕べにも田山花袋の小説を読む

夕やみの迫る拙宅の庭に出てさやけき風に触るるひととき

漱石の吾輩は猫の冒頭に惹かれてうつつ読むもめでたし

皆既食終えて再び月光の夜のしじまを渡る雁かな

澄み渡る月の光に枕寄せうたた寝も良き十畳の間

大寺のひさしにかかる月影の冴えてしじまに僧侶の行く

苔寺の岩に根を張る松の枝の空を覆ひて逞しきかな

回廊をめぐる僧侶のまぼろしの影に映りて深む月の夜

天平の匠が命を懸けて彫るみ霊を宿す小さきほとけよ

みほとけを詠む八一の和歌に触れ霊気の充つる心地こそすれ

大仏をうたひ上げたる揮毫掛けあな美しき墨のあとかな

床の間に会津八一の書を飾り夏の月夜の憩ふひととき

床の間に青き光の差し込みて八一の歌の浮かぶ夏の夜     6月8日


認知症の対応薬の開発

   アルツハイマー型認知症に効く新薬が開発されて当局の認可が下りるという朗報に、患者はもとより関係筋は期待を込めて沸き立っている。米食品医薬品局(FDA)は7日、エーザイと米バイオジェンが共同で開発するアルツハイマー型認知症治療薬候補について、承認申請を認めると発表した。従来の認知症薬とは異なり、認知機能の低下を長期的に抑制する機能を持つとして世界で初めて承認された。薬の有効性については専門家の間でも見方が分かれ、承認まで曲折もあったが、新薬の登場で認知症の治療が大きく変わる可能性がある。画期的治療と、さらなる完治への進歩の第一歩である。

   今、日本でも認知症を患っている患者は高齢者を中心に相当数を占めているとされ、そのうちの7割がアルツハイマー性の認知症と云われている。それほどに現代病の一つに挙げられており、高齢化とともに老人の生活環境と活力を大きく削いだ形になって大きな社会問題にも発展してきている。介護の労苦を考えると大きな社会的負の要因となっている。アルツハイマー性認知症は早い段階で治療を行っていけば進行を止めることが出来るので、早期発見と有効な治療薬の開発が欠かせなかった。今回更なる有効な効果を期待できる。

  エーザイの社長は報道について、米食品医薬品局(FDA)の承認を得たアルツハイマー病新薬「アデュカヌマブ」の価格について、薬の開発や生産のコストだけでなく、患者を介護する家族が就労機会を得られるなど、複合的な要因で決められるべきだとの考えを明らかにした。低所得者にも投与できる仕組みが必要との認識も示した。因みにねン600万円余の費用が掛かるようだ。保険適用も含め、製薬品の廉価に努力してもらいたい。

   認知症を患った患者は実に気の毒だし、介護に重圧のかかった家族が大きな負担をかけて家庭崩壊にもつながりかねない。だからこそ大きな社会問題となっているのである。これを食い止めること、そして有効な治療によって健康を回復し社会復帰が可能となれば、社会的メリットは絶大である。ワクチンにしてもそうだが、折角良い特効薬が出来上がっても、役所の手続きや許認可に時間をかけすぎて、結果として機を逃す患者が生じることがあってはならない。須らく迅速を旨とし、効率を重んじて実施していってもらいたい。   

   そのエーザイの株価は買い気配のストップ高を続けて、今日で二日目になる。 このところ8000円台にあった株価は今日は10、775円の買い気配である。新薬発表のあった一昨日から約4割も上がっている。エーザイの社長は今日のテレビ東京のWBSで、自社の画期的な研究成果の結果として新薬の果たす役割を強調していた。 新薬の開発と販売が可能になったことで、多くの患者が日の目を浴びて社会に復帰できる足掛かりを早く作ってもらいたいものである。介護の必要性も解かれて、社会的貢献度は計り知れない。そうしたところを見ると比較的おとなしかったエーザイの株価は、今後もそうした好材料を織り込みながら波乱含みの様相である。前進的にとらて、成り行きを注目したい。                                            6月9日


   

    菅さん、頑張ってきてください。  G7へ。


政治家は知的でなければならないが、それだけでは資格失墜である。健康でなければいけないし、体力がなければ務まらない。ましてや総理、総裁となるには、この二つは必須条件である。一国の首相を務めるには、いろいろと事前のお膳立てが整っていても、体を運ぶだけで労力の消耗は想像に難くない。それを支える体力と気力が常に必要である。反対意見の人からの質問に会い、記者諸君の質問にも答えなければならない。気の休まる暇がない。

  国会での党首討論を無事にこなしたと思いきや、直ぐにG7の国際会議に出発した菅さんである。コロナ感染防止のワクチン接種の進捗状況や、オリンピック、パラリンピックの切羽詰まった仕事にも翻弄され、その諸々の案件の山積に気を配りながら神経をすり減らしては、周辺の非難ごうごうの渦の中、誰も褒めてくれる人は居ないと来ては、大概の人は参ってしまうだろう。報道機関の調査では内閣支持率が急落する中での国際舞台への出張である。その荒波を越えて、ひたすら天気晴朗の海原を目指して行くのだから大変な職業である。それでもなりたい人がわんさといるのだから、国と国民のために尽くすというそうした崇高な理念の他に、現実の生々しい権力志向と欲望の渦巻きのなかには、複雑で不可解な要因があるに違いない。 


   菅首相は休む間もなくは、11日から今月13日にかけて、イギリス南西部のコーンウォールで開かれるG7サミット=主要7か国首脳会議に出席するため首相専用機で羽田をたった。飛行機の中で解放された菅さんは、騒々しい下界を離れて、この際ゆっくりと体を休めることが出来るだろう。

   下界の話に戻すと出発に先立って、菅さんは総理大臣官邸で記者団に対し、今回のG7サミットでは、新型コロナ対策をはじめ、気候変動、経済、地域の政治情勢といった重要な課題について、普遍的価値を共有するG7のリーダーと率直な議論をしてきたいと抱負を語った。その中で日本の立場を説明し、サミットの議論に貢献したいと希望を語っていた。。

  また、東京オリンピック・パラリンピックの開催については「感染対策を徹底し、安全・安心の大会を実現する。こうしたことを説明して、各国の理解を得たいと思う」と述べた。

  ところでG7サミットが対面で行われるのは2年ぶりである。菅さんにとっては、去年9月の就任以来、初めて臨む対面での国際会議となり緊張の色は隠せない。

  そしてまた一帯一路を以て世界に進出を図る中国を念頭に、覇権主義的な行動を強める中国をめぐって議論が行われる見通しで、バイデンが掲げる民主主義や法の支配といった基本的価値を共有するG7として、どのようなメッセージを打ち出すのかが焦点となるに違いない。 顧みればトランプがアメリカ第一主義を唱えて国際協調主義が音を立てて瓦解した後である。国際社会に復帰を目指すバイデンの精力的なキャンペーンが絶妙に功を奏して来て、国際社会は連携をかかげ民主主義か専制主義かの選択を強く意識して来て、ここでも米中が真っ向から対立する状況を呈している。

  そもそもG7の開催地となったイギリス南西部のコーンウォールとはいったいどんな街なのか、今までにあまり聞いたことがなかったが、特殊な地方で独立性の高い自治領であるらしい。したがって独特な歴史の成り立ちと、文化形成を為してきた経過があるやに聞いている。興味深い土地柄なので、連休の暇を見て調べてみるのも一興に与えするだろう。菅さんにはぜひとも体に注意されて束の間の国際会議ではあるが、国際親善と協調を固め、目標に掲げている民主主義の連携に大なる成果を上げてきてもらいたい。同時に、折角の海外出張である、気分転換を図ってきてもらいたい。英気を養うとでもいったりすると野党の諸君からおしかりを受けたりするから、会議には国益を守って議論に参加し、成果を上げてということになる。道中のご安泰を祈っている。

  世界旅行は色々と豊富な知識を得るために回ってきているが、一つだけ悔いを残していることがある。それはイギリスに行っていないことである。昔日の大英帝国の痕跡を、この目でうかがい知らぬところである。家内が言うことには、小生との旅行で、イギリスに行っていないことが残念だと云っている。妻は英語が堪能だから、今でも自分一人でも行きたいと豪語している。苦労人の菅さんは今回、夫人同伴でいかれたが、この際奥さん孝行も兼ねて有意義に過ごしてきてもいいのではないかと思っている。日本にいると一番偉い人なのに、いつも頭を下げてお願いしたり、謝ったりしている。しかも何時もいじめられ、痛めつけられていては気の毒な気がする。道中のご安泰を祈っている。                                               6月11日


     梅雨入りの宣言があったけど

連日のように爽やかな初夏の風が都会の空を吹き抜けて気持ちのいい毎日を過ごしているが、一体、今年の梅雨の季節はどこかに消えてしまったのかなと思っているほどに季節の節目が判然としない気持ちである。十日ほど前には沖縄、九州、四国地方が梅雨に入ったという気象庁の発表があったのでいよいよ本番かと思っていた次第だが、東北の新潟、秋田、青森と云った地方に大雨洪水予報が出たりして、東海、関東地方は概ね梅雨入りとは思えない空模様である。梅雨前線が極めて気まぐれな行動をしている。

  今日も通勤途上、いつもの銀座の並木通りを通ってくるのを、たまたま気分転換に外堀通りを通ってきたところ、強い日差しに頭がくらくらしてきたので、持ち合わせの新聞紙を頭にかざして急ぎ足でプランタン、ユニクロの前を過ぎてきた。並木通りであれば西側のビルの影とシナの木の並木の陰の下を通ってくればいいのに、行く道の選択を誤ってしまった。日射病にかかるくらいの日差しの強さに、これでは梅雨前線もたじろいでしまうはずである。一点の雲もない真っ青な空に、夏の日照りの打ち返しで下界はゆであがるような暑さである。コロナ禍でマスク着用は致し方がない。蒸し暑さに息苦しさが加わって、顔に熱がこもり日射病を加速させる要因でもある。オフィスの冷房の効いた部屋に入って、清涼感に浸って一息ついて、爽快さを取り戻した。

   懸命なワクチン接種が普及するに従い、新型コロナ感染者の感染数が全国的に減少傾向の兆しが出てきた。しかし未だ若年層を対象に接種する度合いは低く、高齢者のみの優先で、懸念すべき状況である。と云うのも、異変種の株のウィルスが新たに感染する機会をうかがっている様子であり、若年者が強い感染力を以て却ってかかり易いという調査結果の報告もある。したがって地方の自治体では接種にばらつきもある故、臨機応変に若年者にも可能な限り接種を進めていくということで当面を乗り切っている。周辺でも、高齢者の人たちの接種は済ませたという人が多いが、若い人たちは未だだというケースがもっぱらである。若年層にも並行して接種を進めていくべきである。

   コロナ禍を克服したかに云われていたイギリスでは、再び変異型の株のウィルスの感染拡大が起きてきて、一部ではロックダウンの延長を決めたりしている。なかなかしぶといウィルスである。先進国でそうした深刻な状況であるから、発展途上国の低所得者層は、感染拡大に歯止めがかからない。G7では10億回分のワクチンを無償提供することを決めたが、国際的に各国が連携してこの地球パンデミックの撲滅に挺身しなければならない。人類の危機に対処して、皆が公平、平等、迅速にワクチンの恩恵にかかれるように努力していくことは当然である。

国際社会に復帰したアメリカである。一時はどうなるかと思っていたが、選挙の結果アメリカ第一主義の反逆者、狼藉者の悪夢のトランプを追放し、民主主義のアメリカを奪還することが出来た英雄であり、自由陣営の仲間のアメリカである。メルケルが喜んで歓迎しているのもむべなるかなである。バイデンが大統領に就任してまだ間もないが、狼藉を尽くしたトランプの悪弊と痕跡を直ちに排除し、信念と行動力を以て短期間に軌道修正に成功した実力と功績に賛意を惜しまぬところである。陣営の結束を図り、G7でのバイデンの主導力を賞賛して敬意を表したい。


梅雨入りの空に太陽のさんさんと照り付ける日の猛暑なりしも

梅雨入りの季節の失せて湧く雲の早や入道雲の装ひなりし

かんかんと午後照り付ける太陽のコロナ禍に在る銀座界隈

青白く光る太陽のまぶしさに日傘をさして乙女過ぎゆく

マックより柳通りを見通せばビルの狭間を人急ぎ行く

パラソルを差して乙女が通りすぐ白きレースの服が涼しき

閉店すカフェ・ドュ・銀座のあといまだコロナ禍の日に寂れゆくなり

カラ梅雨と覚ゆ昨今の日照りにて梅雨入りとは云へ真夏日に在り

五時を挿し銀座服部時計店鐘打ち鳴らす炎天のもと

和光まえ辿れば昔の面影の路面電車の行き交えりけり

日本橋発15番の早稲田行き都電に乗りて通ふ学び舎

初々し女学生の匂ひ嗅ぎ恥じらひ通ふ少年の頃

混み合へる都電に触れし女子学生甘き匂いにまなこ閉じ居り

ぎしぎしときしむ都電の走る音鉄の車輪の軽ろき音にも

思ひ寄す女子学生に恋文を渡す機会の遂に逃すは

華やかに銀座の店を飾り立て客はなくとも保つ体面

米作る人の笑顔の明らかにコメの豊作は自信ありげに

たまげたり銀座のマックのコーヒーが何と百円とは如何にも安き  

客人と夕餉に日比谷きく川にうな重の席とりて迎へり      6月15日

精力的なバイデン大統領

  G7を成功裏に指導し、結束を確認したバイデン大統領である。そして休む暇もなくジュネーブに発ち、ロシアのプーチン大統領と、昨日16日、米大統領就任後の両者初会談に臨んだ。米ロ間の状況は冷戦時代同様の冷え切った関係にあり、個別的問題解決は山積するが、会談に臨む高齢のバイデンの政治的、外交的意気込みは旺盛であり意気軒高である。

  バイデンさんは1942年11月20日生まれだから御年79歳と7ヵ月になる。大統領就任時が78歳でアメリカ歴史上一番の高齢を記録していることになるが、足腰の動きは機敏であり、即ち以て頭脳明晰であり、すこぶる健康的である。大統領の激務に十分耐えうる素質を持っていることは我々も安堵し誇りとするものである。トランプががむしゃらでバッファロー的であったのに対し、穏健誠実を打ち出して内面はすこぶる闘志満々の気迫を秘めている。筋肉質のプーチンを相手に十分押し出していく力に富んでいる様相である。因みにプーチン大統領は1952年10月8日生まれで70歳である。2012年5月7日に大統領に就任したから、在任期間は既に10年に及んで百戦錬磨の履歴である。体制は最早、専制政治を敷いているに等しい。


  スイスのジュネーブでの会談では、冒頭から、原則的な立場は違うが、お互いに協議して理解を深めることは意義があるというプーチンの姿勢でもはっきりしたが、協調的雰囲気で話し合えたことは大いに前進したと受け止めていいだろう。「近い将来に戦略的な対話を行う枠組みを創設する」などとした共同声明を発表した。

  対立が深まっている両国ですが、両首脳は会談に先立ち、会場の前で握手を交わしました。部屋に入り冒頭での会話は弾まず、ぎこちない雰囲気でしたが、プーチン氏は会談終了後の記者会見で、核軍縮やサイバーセキュリティの問題について両国が協議を始めることで合意したと明らかにした。

 「敵意は全くなかった。我々は原則的な立場は異なるが、双方が互いを理解する意欲を示したと思う。とても建設的な会談だった」とはロシア プーチン大統領の見解である。

 両首脳は、双方が一時帰国させていた大使を元に戻すことでも一致。共同声明で「アメリカとロシアは戦略的領域での予測可能性を高め、武力紛争のリスクと核戦争の脅威を軽減する」などとし、「近い将来に二国間の戦略的な対話を行う枠組みを創設する」と発表した。

 プーチン氏はアメリカ側から批判されている人権問題については譲歩しない姿勢を示したものの、緊張の緩和に向けた一歩を踏み出したと言えそうである。お互いに胸襟を開いて話し合ってみれば、解決しうる事案はきっとあるはずである。今回の成果は、これからの国際的政治情勢の展開に大きな影響力を及ぼすに違いない。 ただでさえ米中関係が先鋭化している近年、せめて対ロシアとの関係は穏便で協和的関係の持続を目指して、国際緊張の緩和に努めてもらいたいものである。バイデンの国際外交の展開は確実に大きな成果を収めえたと思うし、対中国との関係改善に少しずつでも風穴をあけてもらいたい。

  アメリカと中国との関係は、多岐にわたり問題を含んでいるが、中国にしても14億からの人口を抱えてGDPでは世界第二位の位置を強固に築き上げていて、その巨大な存在は現実的に無視できない。単に民主主義と専制主義の戦いと位置付けるには、あまりにも短略過ぎるので、再考を要する気がする。香港の民主化の問題や、中国の東シナ海の戦略的進出、台湾問題をめぐって一面的に結論付ける傾向は慎重でなければならない。これ以上の中国の干渉を阻止することが目下のところ重要であり現状維持に努め、時間をかけて悠然とした姿勢で解決の道を模索することが必要であり、中国の対応も軌道修正を余儀なくされてくる話ではある。体制が根本的に違うと云って相手を悪と決めつけ、その存在を否定し攻撃的になるのは理に合わぬ。体制の戦いと云う観念を暫く横において、 共存共栄の道を模索してもらいたい。 中国の状況を見て、現在の状況の変化は必ず穏便な方向に転じて収斂してくるだろう。 体制が良いからと云って言論の自由や移動の自由を封鎖したりすることが長くっずくとは思わない。つまり圧政的政治の瓦解は過去の遺物ではなく、 現在にも通用する原則である。自由と云う人間的根源の欲望、精神的開放は、物質的開放よりはるかに勝るものである。   6月17日


夏至

  6時半に帰宅した。蒸し暑い一日であったが、充実して仕事をこなして来たので体に疲れを感じなかった。均整の取れた旺盛な心身状態が、如何に肉体に影響を及ぼすかの明かな証拠である。自己暗示、催眠術の上手な人は精神状態をコントロールできる大きな武器となるフロイドの精神分析学を紐解くまでもない話である。自分が良い状態にあることを体感し、自己暗示に掛けながら風呂に入って裏庭の木立の影を眺めて湯船に浸かっていたが、7時近くになっても薄日が差しているようで未だに暗くなるような感じがしなかった。ずいぶんと日が長くなったものだと、最近の気象状況について感じていた。食卓に着いて妻も同じようなことを話していたので、掛けてあるカレンダーを見たら今日は「夏至」である。一年のうちで昼間の最も長い日である。今までそれに向かって日が進んでいたわけだ。しかし今日を境に日が短くなっていくということでもあるし、そんなことを考えたりしているとむしろ気分的にせわしない気持ちになって来た。一年の半ばを過ぎていくのだという実感が、夏至の日を超すことによって手に取るようである。

静かなり風の過ぎゆく今日の夏至

まだ七時明るき夏至の夕べかな

線香を嗅ぐ懐かしき今日は夏至

歳半ば仕事は三分濃あじさい

梅雨入りの終わらぬ宅の夏至の蕎麦

コロナ禍に蚊も衰えし今日の夏至

コロナ禍に怯えて夏至の欠勤日

日の永き節目となるやところてん

寂しさの転がりてゆく夏至の坂        

日の永き節目となるや今日は夏至       三郎

    

    横浜駐車場の売却  

   私事の話になって恐縮だが、結婚して間もなく自分の城を横浜の中区の山手あたりに住居を構えようと思っていた。山手あたりの環境の良さと、異国情緒のある雰囲気に気を魅かれたのである。皆との丘の見える公園辺りから尾根伝いに教会の在る場所からフェリス学園を過ぎて、大きな樹木も魅力的だし優雅な趣きが大いに気に入っていた。それと結婚した伴侶が、横浜生まれの横浜育ちで生粋の浜っ子であったし、実家が山手の鷺山と云う高台にあって、戦前から南仲通にビルを構え生糸を商う商家だったので財を成し、二千坪ほどの敷地に大きな屋敷があったらしいが、戦災で空襲を受け焼失、そのあと戦後しばらくの間大きな敷地であったが故に、米軍に接収されていたのである。妻の父親、小島周次郎は、横浜財界の重鎮として戦後の横浜経済の復興のために尽力し高齢まで活躍した。履歴も立派で、横浜生糸取引所の理事長や神奈川証券業界の会長等を務めてきたので謂わば、横浜の名士だったかも知れない。勿論、国家からの物々しい顕彰をもらって居たりもした。温厚、沈着な人柄だったので、ばんからな江戸っ子堅気の小生とはまた違った側面を持っていた気もしたりした。高尚な趣味を持ち、短歌を佐々木信綱に師事し、踊りなどもたしなみ粋な趣味を持っていたし、横浜ロータリクラブの会長をして外国旅行を多く経験、ゴルフは得意とし晩年までゴルフ打ちに興じていた。仲人役を務めて下さった日本経済新聞の萬社長によると、小島はなかなかの名士で立派な経済人だということであった。それは兎も角、周次郎の妻良子が小生の実家である浅草育ちと来ていたので気脈があって大いに楽しい思いもした。浅草橋で古くからの内科医の家に育ち、浅草小町と云われたほどの器量良さであった。小島家に嫁いだ来てからは専ら家業に専念し、家庭を守り決して外に出るような人ではなかった。内助の功とは、良子のことを指して謂うのかもしれない。常に内にあって外の夫のことを心配し、子供のことの教育に気を配り、家の切り盛りに心血を注いでいる感じであった。さすがに浅草下町の出身である。小生は陽子の母とは奇しくも同じ郷土であり、土地柄も同じと云うことだけで、気脈が通じ信頼関係は出来上がってしまっていたし、小生とは気性も相性も通じて、楽しい雰囲気を味わうことが出来た。そんな安心感があったので横浜に居を構えることに違和感がなかったし、私の母も安心して、三男坊ではあったにしても反対することはなかった。

  母より印象の薄い父について、少しばかり鮮明に記憶が残っている。私の父は、聖天町の本家から独立して隣り町の猿若町に住んだ。猿若長は昔から芝居小屋の在った町で、猿若三座と云って三つの芝居小屋があってにぎやかだったらしい。それに習って町は大正以降、三つの丁目に分かれた。父の住まいは北の三丁目の地区であった。戦前合った家は、樋口一葉の小説たけくらべに出てくるような雰囲気に在ったように思っている。戦後はもちろんのこと、一面の焼け野原になってしまったのが残念ではある。父は若い時から、一城の主として立派な邸を築きたいと熱望していたようである。昔から家にこだわって、家の建築には可成り大工泣かせの注文を付けるくらいにて厳しかった。記憶に残っているのは、戦災で焼けてしまった浅草猿若町の本宅の普請の際に、聖天町の石川工務店の棟梁に無理難題な注文を付けて相当に手を焼いたらしい。材質を厳しく選び細工を施して、気宇壮大の極みを演じたりして悦に入ったらしい。昔の商人は自分の城の普請に一生一代をかけて夢を果たしたものである。父の気持ちを十分に理解して育った小生の、その気持ちは忘れていなかった。戦後いち早く立派な普請を手掛けた人に、猿若町内の根津善政さんがいた。戦後花川戸の松屋デパートの前に共履と云う屋号の店を張り履物問屋として財を成し成功を収めた一人である。総ヒノキ造りの立派な建築であった。父はそれを目指していたようである。仲間同士のよしみで父が謡曲を習い始めたのも根津さんの勧誘にあった。以来、謡曲の買いは拙宅でも修養の場として度々開かれていた。父が普請した新しい家は、もちろん総ヒノキの平屋の家だったが、廊下と云い、床の間付きの座敷と云い、無節の檜の香りとつややかな光は未だに脳裏に焼き付いている。女中が米ぬかを包んだ布袋でいつも磨いていた。二間続きの座敷は襖を開ければ、次の間に繋がって得意先の客人をもてなす場として宴会を楽しむことが出来る。石川棟梁の腕の見せ所は、立派に作品に示されていた。廊下に面して庭も造った。 松や槙の木もみじなど揃え、四国から青石なども取り寄せた。限られた敷地に上手に植えこまれた植栽は、庭師の見せ所であった。浅草の植木市から買った綺麗な立ち舞のつげの木も植えたりした。 同じ町内の三丁目の 近くの菅原さん宅で普請があった。その時、小生は菅原さんの旦那が第九の仕事を興味深く眺めている仲間に交じって終日飽かずに見ていたものだ。ここの大旦那はいつも和服を着ていて古風な漢人人出遊び人でもあった。ある晩、浅草田圃の草津亭に芸者衆を読んで料亭で遊んでいるうちに尿意を催し、酔っ払って二階から下の庭に向けて放尿したという一事を以て、品位を落としてしまった。菅原の旦那の奥さんはなかなかの美人で元浅草芸者だったという話である。話したことはないが、その風貌と話がかみ合って、憎めない親父だと目に映った。 

   猿若町会長をしていた高松公一さんは立派な人物であり人格者であった。歌舞伎座に出入りしていた小道具の藤波と同様、歌舞伎座をはじめ浅草界隈の一座の小道具を扱っていたが、同時に長らく浅草観光連盟の会長を務め、地元浅草の発展に大きく尽力し、松下幸之助の信任の厚い人であった。名物の浅草寺正面の雷門は、当時松下さんの寄進によるものだった。戦前の古い話になるが、当時町内に島本と云う私塾がって良家の子供しか入れない有名な場所で通っていた。高齢の塾長、島本竜太郎さんは漢学に精通した威厳に満ちた風貌の主であった。一時期町会長をしていた役目上、本通りで朝のラジオ体操の時、壇上に立つ一瞬の姿が記憶にある。憲兵登庁の軍馬に乗った憲兵の馬が、くそを落としながら行った後を追って、島本先生は憲兵に向かってくそを拾って行けと諭したことでも有名である。町民の尊敬と信頼を一手に集めていた。終戦直前の島本さんの消息を覚えていない。

戦前戦後の猿若町に住み活躍した芸能人は沢山いた。粋な町だったし、小さな町だから住みたくとも住めなかった事情もあるが、沢村貞子さんはずーと一丁目に住んでいた。ビーちゃんと云った猿若の若棟梁は代々格式が高かった。いろいろな催事に手を貸し加わってくれた世話人である。苦労人で世話好きだった父、菊三も、業界の役員を務めたり、地元浅草では信頼が厚かった。町内の副会長をし、高坂公一さんの次には町会職を宜しくと頼まれたりして多くの人に頼まれたりして力を貸してきていたが、戦前戦後を生き抜いてきた父には、内面的な悩みも多かったに違いない。戦時中は番頭をはじめ、二十名近くいた店員の小僧さんたちも次から次へと戦地に取られ、挙句に遺骨になって帰って来た。悲痛、非道極まる話である。預かった親元へそのたびに謝りに行くのであった。戦後の廃墟の中から立ち上がった父、母は強い精神力を持っていた。疎開先から浅草に帰郷し一番で居を構え戦後の復興に立ちあがった。並木路子のリンゴの唄ではないが明日の希望に向かって立ち上がった。子供たち4人兄弟も無事に戦火をくぐりぬけて勇ましく起き上がっていた。父は残念ながら、十数年ののち、昭和34年の歳に59歳でこの世を去った。小生が大学を出た年であった。飯田橋の逓信病院に入院していた時、世間に出ると少々の金もいることだろうから、これを朝の寄り付きで売って来いと云われ、学生服を着たまま日興証券の雷門支店に入って担当者にお願いした。造船株の浦賀ドックである。これが祝儀であり、遺言だったようなものである。これをふところに小生は娑婆に出陣した。

  ニイチェにあこがれトルストイに傾倒し、ベートーヴェンや、ロマンロランのジャンクリストフを標榜した若き頃の姿の一面であった。私の胸の中には、親父の気性が一部消えずに残っている証左でもある。それを元手に勝手気ままに、但し堅実に活用したものである。世の中の厳しい浮沈に度々遭遇し、下らぬところで厭世観にも苛まれたが、七転び八起きではないがその都度親父の言い残した教訓を思い浮かべて奮起を繰り返したものである。人さまに迷惑をかけることは一度もなかったと自負している。それが唯一の内に秘めた宝である。願わくばその上を行って人のため世のために少しでも役立つことをやり残していくという心構えで、精進の道を歩むことに努力し、不束ながらかろうじて今の自分が納得してあるはずである。夏目漱石の草枕の冒頭の一説ではないが、不平不満を述べ立てたらきりがないのが世の中である。自己中心的なものの考えから如何に脱却するかが、人生の勝負所であり、神髄である。二宮尊徳然り、野口英世と云った人物は、小学生時代に教わった人物像である。

父が習っていた謡曲でよく耳にしていた「鶴亀」は、めでたい謡の舞台を想像する。新しい年を寿ぐ賑やかな舞台装置である。月宮殿、不老門、春の日の輝き、金銀珠玉に満ちて美しいことこの上ない庭の様子。そして鶴亀の艶やかな長寿の舞、その後の長生殿への道のり。人生の道のりと舞台も、斯くあってほしいと願う父の希望がいつも心に秘められていたのを想像するのである。志を立てた男子の、王道を行くすがたも恙なく、願いは一様に斯くあってほしいものである。婚礼の式には必ず頼まれて鶴亀を謡って、人生の門出を祈願した気持ちである。

  横浜の駐車場は、小生が結婚してから暫くして手に入れたもので、そこに新居を構えるためのものであった。横浜の山手に所在し、環境も抜群で風光明媚な場所であった。土地も広く266坪であった建築設計図まで書き楽しみにしていたが、東京の事務所まで通うとなると若い身体だとはいいながら毎日のこととなると大変なことも分かって来た。たまたま得意先の昭和鋼材の吉川社長から使ってほしいという話が飛び込んできた。会社経営の手腕を持ち、投資家でもあった。小生が事前に検証し、勧めた世田谷区の等々力の土地と家屋である。高級住宅地の一角を占め、でありながら田園的な雰囲気が気に入った、ここも抜群の環境であった。角地で157坪もあるから充分である。趣きのある平屋建てで、俳句の先生が住んでいたので風流で手入れの届いた綺麗な広い庭があった。南面で接続する前の広い土地は雑木林でひろびろとした空間が楽しめ田舎的な雰囲気が気に入っていた。買ってくれないかと頼まれているので調べて見てくれないかと云われ、一緒に検証したが小生が惚れこんでしまい、一目で吉川さんに勧めたものだから内情はよく承知していた。白色レグホンの鶏を三十羽も飼ったりして、ここで子供たちをのびのびと育てた由緒ある場所だと自負して、懐かしく思い出している。それは同時に、小生が憧れていた少年時代の生活の再現でもあった。

横浜の山手の居住を諦めたと同時に、世田谷区の等々力の土地が俄かに浮上してとんとん拍子に話が進んでいった。縁とはこういうものだと、その時に実感した。それまで学芸大の近くのアパートに住んでいたので渡りに船とばかりに移り住んだ。この辺りには昔から農家を営む大地主が結構いるので、それゆえに借地権の多い事例だが、いずれ底地を買って時機を見て新たに新築しようと思っていた。地主も生産緑地の税制上の特例を受けているので売却しようとせず、その結果緑地帯が保存されている。今回の話も縁あってのこととはいえ、いたずら盛りの子供たちにとってはまたとない環境である。古い平屋の家と敷地は樹木に囲まれ、さしずめ田舎の一軒家を思わしめるものだった。近所の子供たちもたくさん遊びにやって来た。鶏を三十羽かって沢山の卵を産んでもらったのも楽しかった。毎日の事沢山の卵を産むのには驚いた。新鮮な卵を差し上げると近くの米屋さんが餌を引き換えに運んできたりしてくれた。早苗を植えた田んぼにカモを放ち飼いして、雑草を食べつくしてくれるのと同様に、庭の雑草は悉くついばまれて、常に綺麗だったし、挙句に垣根を越えて先の雑木林て大いに遊んだりして、まるで子供を沢山授かったような気分でいた。

   たかが鶏、されど鶏と声高にいうわけではないが、とさかの下にある小さな頭脳の構造に、緻密な組織と機能が託されているのを知る時、小さな眼付や首の振りや、羽の広げ方に感情の方言があって、謂わば感情移入のようなものを感じて、心の付き合いが生じてくるようなものを感じるから不思議である。言葉が分かり、人間の気持ちや心を目に見えない分子を発して緻密に捉えている気がする。だから犬、猫と云った生き物よりも却っていじらしさ、愛おしさが生じてきて、留守にしたりすると気が気でならない心境である。大きな鶏小屋があっても原則放し飼いの状態だし、家の中に自由に入ってきたりして家族と同じ扱いというわけである。但し、こればかりは致し方ないが、出来るだけ糞の始末は外でしてもらいたい一念である。それほどに平屋が広かったということである。一間幅の周り廊下だったが、そこから入ってくることはなかったし、不思議と鶏の協力も得て、被害は最小限にとどめられていた。鶏との付き合いで、動物日記を書いたシートン博士に小生の仲間の鶏について報告したいくらいである。

横浜に居住することを断念した小生は、暫くその土地の使用の仕方に戸惑っていたし、幾度か地元の不動産業者に売却を依頼したが、住宅地としては規模が大きすぎて売りずらかった。たまたま地元の町会長さんから電話がかかってきて駐車場にしてはどうですかと云う忠言を戴いた。そこで横浜技研の窪田さんに造成を依頼し、今日まで駐車場として活用してきた。全部で43台が駐車できるが稼働率は85%である。当時売却できなかったことが今にして思えば幸いだった。管理を地元の柏葉不動産の小林さんにお願いしたが、長い間お世話になったあと、今は三井のリハウスに移っている。アスファルトの隙間や隅に雑草が生えるたびに、家内と一緒に作業をしに行ったが、運動も兼ねてと言い訳しながらくたびれて帰ってきたりした。売ってしまうと行く用事がなくなって、少しばかり寂しさが残る心境である。元、横浜競馬場の広い森林公園やレストランのドルフィンによって食事をすることもなくなってしまうし、元町に寄ったり、港の見える丘公園や中華街によって食事をしたり、山下ふ頭あたりをドライブして市街を通過していくこともなくなってしまうかも知れない。妻と一緒のドライブが途絶えてしまうことにもなる。駐車場経営の他の楽しみが沢山詰め込まれている場所の広がりがあるから、楽しみだったかもしれない。

   BSテレ東の昭和歌謡曲 

  27日夕方七時から始まったBSテレ東で、[昭和歌謡曲]の大舞台を演じた作曲家の名作を一堂に集めた番組を見ていて、二時間の間と云うものは面白さ、楽しさ、懐かしさで釘付けになっていた。NHKの七時のニュースに気を取られていたので、ほぼ十五分遅れで鑑賞する結果になった。初めの十五分を見逃したのが残念至極である。

  番組を名曲の饗宴とした方がいいくらいで、作曲者同士の互いにライバル意識を持っていたという主張で、競演とする意味合いが強いが、作曲家の大御所である、古賀政男、古関裕而、江口夜詩ら三人の戦前戦後の活躍した作曲家を登場させて圧巻な番組であった。正しくは、彼ら三人はともに意識し合い切磋琢磨しつつ作曲に専念し合った仲である。今様の餓鬼どもが演奏するガチャガチャ騒音、喧騒の動物的な情欲的な歌と違って、その旋律は、情緒、旅情に満ちた心の芯にまで迫る調べは、すでに芸術的であり筆致に尽くしがたいものがある。今様のガチャガチャ誇大妄想的な雑音は早晩、打ち消されて歴史から外されていくこと鮮明である。コロナ禍でも分る通り刹那的世を反映しているだけに、だからと云って、それで終わってしまうものだからである。それと反対に言語不明、意味不明な歌が多いのも音痴的であり、狡い感じの若者の歌もある。ハスキーとか裏声と云ったものでもない。良くマイクを舐めるように近づけて、小さな声で歌っている猥褻的な乱れ歌である。それとは別にグループで踊りながら歌っているが、一人づつ取り出してみると曲にも歌にもなっていない代物である。聞いてる方も動物的な動きを繰り返しエネルギ~を発散させると云ったものである。泡沫であり、ごまかしが多いから早晩飽きられてしまう。一方的かも知れぬが、歌は世につれ、世は歌につれと云うが、餓鬼どもの歌には全く当てはまらないと云っても過言ではない。

  古賀政男、古関裕而、江口夜詩について歌っている歌手も基礎を踏まえ個性的で実に優れている。登場してきた歌手は未だに厳然として脳裏に残っていて、我々の心に息づいており、面影は活き活きとしており感動的である。途中からのスウィッチだったので見落としてしまった作曲の作品と歌手がいたかもしれないが往時を偲び、田端義夫、小畑実、岡晴夫、伊藤久雄、二葉明子、渡辺はま子、春日八郎、霧島昇、近江敏郎、デック峰、藤山一郎、青木光一と云った懐かしい面々が登場して得意の持ち歌をうたってくれ、在りし日をしのぶ光景であった。今は残念ながら本来の詩人も、作曲家も居なければ、それをうたいこなす歌手もいない時代である。民衆の支持を得、共感を持った歌謡曲が生まれてこない背景がきっとあるに違いない。その上、伝統的な歌を歌いこなせる歌手が少なくなってきてしまった。大した苦労をせず、世間にへつらい今は安易な道を選び、出てきたかと思うとまたたく間に消えていく代物ばかりである。心からの叫びばない。童謡の世界に至っては、尚更かもしれない。「長崎の鐘」は戦争応援歌の戦時歌謡曲を懺悔するに等しい心境を打ち返し、古関の特出した戦争の悔悟の名曲であり、更には古賀政男作曲の近江敏郎の「湯の街エレジーは」、ほのぼのとした哀愁を込めたもので胸にせまるものがあった。 最近のNHKの歌の番組も世俗的迎合のものばかりで、若者のガチャガチャ音楽と痴呆的音程の歌ばかり流している。選曲を間違っている。願わくば、BSの民間放送が流しているように、こうした教養的な番組をどしどし作って楽しませえもらいたい。 6月28日


古いコップの水   居眠りの歌

  日曜日の十時半から始まる玉川神の教会のの日曜礼拝には、敬虔な家内について参加している。大概、居眠りしたりする時間の方が多いかもしれないが、寝ていても説教は聞いていると家内に伝えている。教会にも聖書や讃美歌の本は充分用意されているので持参せずに行く人もいるが、コロナ禍で、教会の規制もいろいろと出てきてマスク着用はもとより、三密を避けるため席は隣人との間を広く開けたりしている。礼拝堂の窓も開け放たれており、冬場の風の吹き付けには閉口した。礼拝に来る人も普段より少なくなってしまうのは当然である。親しい仲間同士の会食も途絶えてしまい、終わるとそそくさと帰宅に着くという、味気ないものになってしまって、小生の居眠りも頻度を増してきているに違いない。鼾をかかないだけ幸いである。牧師によっては説教が聞きとりにくい時もあるし、聞こえないときもあったりする。担当者のマイクの設置具合を確かめることを怠ったりすると、教会に折角貴重な時間をつぶして祈りに来ている教会員の人たちには大変迷惑千万なことである。注意するわけにもいかないので、その代わり貴重な時間を無為にしないためにも、小生は色々と思いつくままに和歌を詠んで教会から配られた週報を使って雑記し、書き残したりしている。日曜日の貴重な時間を無駄にしたくないからだ。教会員の松本さんの奥さんはよく承知しているので、今日は随分と歌が詠めましたねと、むしろ励ましてくださっているので、怠けずに詠んだりしている。下に綴った和歌は、教会で詠んだものを書き記したものである。

  又、大学時代には著名な経済学者であり、そして敬虔なクリスチャンだった酒枝義旗名誉教授の説教を聞いて来ただけに、教会の牧師の未熟な説教や話が心に浸みこむほどに迫ってこないので、贅沢ながらその種の不満が鬱積しているのである。酒枝先生は内村鑑三と並び称されていただけに、迫真的説教であり、反面ユーモラスで聴講者を決して飽かすことなく多くの人を信仰の道に導かれたものである。説教には、ご苦労を重ねた人生哲学からほとばしるものがあって、人柄と信仰は情熱的であった。 信仰の道を明かした酒枝義旗全集・全13巻は圧巻であり、わが書棚の宝庫である。

  私の母教会は今通っている玉川神の教会であるが、その前は尾山台ナザレン教会であった。畏敬する福江等牧師が事情があって生家の四国の高松に帰郷することになって、そこの牧師を務めるために満子夫人と東京を去って行かれた。それ以前に玉川神の教会の牧師がちょうど不在の時期だったので、福江牧師を招へいしようと頑張ったが縁が遠のいて叶うことが出来なかった。人間的に立派な人柄だったし、聖書に奥深く精通し、説教も、いろいろと話題を込めて聞きやすく感動を覚えるものだった。だから福江牧師に着く信者たちが沢山いた。あの時も丁度タイミングが合って、玉川神の教会でも福江牧師に来てもらいたいと願って、教会でも検討してもらったりした。すんなりと喜ばれて決まるものと楽観していたが、かなわなかったのが残念である。教会のようなところでも人間のしがらみと云ったものがあったりして、その後になって逃がした魚は大きいと思う所以である。神様のご意思に沿って宣教布教の場として教会が純粋に活躍する場と思いきや、なかなか一筋縄ではいかないこともあるようである。教会員によって役員が選任されて、一年一回の総会があって、そこで諸般の財政問題や活動方針などについて意志が決定されるわけだから、内容は兎も角、利潤追求の一般社会の株主総会と一緒である。純粋一途と云うわけにもいかないのは当然かもしれない。良く分からんし、うがった見方かも知れないが、東芝のような、東京電力のような、混乱を起こすような要素もはらんでいるかもしれない。

実は小生の教会では、この4月から前任の女性牧師が家事の都合で郷里に帰宅することに決まっていて、昨年の暮れに臨時総会が開かれて承認を済ましていた。だから役員たちは招聘委員会を立ち上げて牧師の招聘を新たに検討すべく活動していたはずである。それが未だに決定していないのである。何か障害となるような雰囲気が教会内にあるのではないかと懸念している。役員が比較的若い人たちばかりで未熟であり、重要な折衝、交渉能力に欠ける点は否めないが、こうした時には教会の信用力が大いに関係してくることにもなる。若いと云っても選挙で一任したのだから余計なことをいうわけにもいかない。遠慮深い人が多いからあらかじめ候補者を決めて投票することになる。候補者を決める段階で、何がしかのリーダーが決めて掛かれば致し方ない。若者の登用はいいとして、教会は一面駆け込み寺の要素もあり、悩みを持った人に対応できる社会人でないと務まらない。

   同時に、教会に居る人は全て神の子であり、だから悪者は一人もいないと確信するゆえんだが、事は人間の集まりだし、集団であるから、意図しないにしても自ずから人間関係とかオルグを構成していくことにもなる。教会にとっても、教会員にとっても一番忌まわしいことではある。きれいごとばかりでは済まされないこともあろうかと推測される。教会は自由が丘駅から5分と云う好立地条件に在りながら、停滞気味のうえ無牧がいつまでも続くようだと、コップの水も初めとは違って濁ってくるということにもなる。一刀両断、古いコップの水を入れ替え、大改革の上に新しい牧師を迎える体制を作り上げたいのだが、一面組織だからと云って立場上、会社経営のようなつもりにはいかないのが、もどかしい限りである。 急ぐ必要もないが、なるべく信任の篤い牧師が常駐で来てもらえることが理想である。6月30


体調の良き朝に起きひむがしを仰ぐみそらに暁光のさす

山なみの襞うつくしく織りなして朝のひかりに映えてきざはし

繁栄の危機に遭遇して死に向かふされど救ヘリ神のみ手かな

われも過去幾たびとなく水難に遭ひしも生きて帰りけるなり

目前の死の恐怖にも襲われしさは神の手に救わはれし身よ

死の淵ゆ生の場所へと引き上げしイエスの愛の甚だしきに

荒波に溺れし我を岩礁へ引き寄せ給ふ神のみ手にて

鴨川の海の波浪に巻き込まる我を救へし主の有り難き

生きてこそ神の恩恵を授かると返すものなく従ひて行く

我が神の祝ひの声は山を越え谷を渡りて響きゆくなり

コロナ禍に生きる我にも大いなる神の栄光の注ぎ止まざる

コロナ禍に怯ゆる日々に主イエスの恵みと癒しを注ぎ給へや

小夜なかに小さき虫の触れる音に宇宙の果ての声と聞きしは

教会の窓辺に雨の降りつけて音に鎮まる今朝の祈り会

我が神をほむ歌のみな心身を一つに捧げ空に響けり

山百合の花の真白く穢れなく高貴にみちて咲き誇りけり

この世にて憂きこと多くさまざまに神がましまし良きさまにせむ

山百合の花重なりて咲き競ふ奧ふかき間に神のまします

爽やかな心の内を共にしてイエスと語りあへる此の日よ

奇遇なり波に溺るるわれが身を死の手前にて神の現はる

子のイエスを十字架に付け我れが身を生かし給える神に仕えん

学び舎の平田ゼミナールの一員の柴田が既に他界せしの報

寂しさのつの利てくれば神に手の我に差しのべ慰めにけり

ため池に溺るるわれを救ひたる大場大兄を常に忘れじ

学び舎の友の大場を励ましに陽一君と袋田へゆく

栄えたる神の都に我立ちて堅き基盤に安き覚へり

滔々と行く平なめの滝に沿ひ行方も広き海の果てかな

尾瀬沼の峠を越えて山小屋にたどりて眺む燧岳かな

雪解けの水爽やかに煌めきて流るる原の水草の上

振り返る至佛の山に朝雲のたなびく空に光りかがやく

妖精の夜明けとともに消へ去りてゆく後に追ふ白き霧かな

郭公の声しきりなく尾瀬沼の霧立ちめぐるこの夕べかも

尾瀬沼の小屋にランプの灯るころ青き煙ののぼる夕餉に


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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