line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年04月18日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

VOL.21.7


7月の折り返し点に立つ

  新装なった国立競技場を前にして国際的大イヴェントを間近に控え、コロナウィルスが又もや感染拡大の機を窺っており、ワクチン接種の度合いと競う形になってきている。ワクチンが勝つか、コロナウィルスが勝つか、天下分け目の決戦場で、世はまさに戦戦兢兢の時である。小池都知事は体調の不調を訴え、10日間ほど公務を休み病院に入院して体調を整え一昨日無事退院してこられた。開催地の責任者として無理からぬことで、連日の公務に緊張も重なり、一定期間の休養を余儀なくされた感じである。政府もそうだし、関係閣僚もちぐはぐな発信に終始しまとまりがつかないからである。菅さんもここまで来たからには手を引くわけにもいかないし、一億総玉砕と云った感じで、まさか野蛮なドンパチの戦争でもないから、一億火の玉で逆境に挑んで見るしかないと心得ているようである。大東亜戦争のときは、言論統制で国民は一糸乱れず時の政府に従って、文字通り一億総玉砕に等しい洗礼を受けてしまったが、アジテーションと言論統制の独裁国家の恐ろしさを知る人も少なくなってしまった。したがって今はこの程度に済んではいるが、事はたかがコロナ、されどコロナで、台頭する新型変種株の扱いも厄介であり、対抗策にたかがワクチン、されどワクチンでまさに一騎打ちの様相である。

  老人に感染しやすいとされて、老人先行でワクチン接種を進めてきたが、小生も仲間入りしてワクチン接種は済ましたが、ここに来て若年層に感染力が強まってきており、早急に若い人たちへの接種を呼びかけたりしているが、逆にワクチンが不足する事態も出てきた。加えてワクチンの接種後の副作用を案じる人たちが多く出てきて、若者にワクチン接種の拒否反応を示す傾向が出てきている。困ったものとはいえ、必ずしもそれが間違っていると断定できない点にもどかしさがある。結局接種したほうがいいのか、しないのがいいのか選択に困惑を生じてきていることは困ったものである。  一大イヴェントには世界各国から沢山の選手団が日本に入国してくるし、関係者を含めると膨大な人流を惹起することになるが、コロナ感染対策にどれほどの防御策を図っているのか、とんと見当がつかない。藪から棒ではないが、暗中模索の感は否めない。早く終わって静かな世のなかになってほしいと思う。    7月1日


   中国共産党の結党百年記念

  中国共産党の結党百年に当たり、習近平主席並びに中国国民に対し深甚の祝意を表して感じたことを述べてみたい。中国共産党の存在感を高らかに誇示し、国威高揚もあって天安門広場には、多くの関係者と国民するにてが集合し、盛大な祝宴が催された。百年の歴史は、今日の中国の偉大な経済発展と中国の誇る伝統に根を下ろした文化の繁栄にもつながって、それは国際社会において意義ある影響と成長をもたらしてきている。顧みて、文字通り世界を二分する米中の大国の一翼を担って責任ある地位に立ってきている。

大国を自他ともに認めるアメリカのバイデン大統領は、中国の国際情勢に占める立ち位置と内外の政策に対し極めて批判的な評価を下している。アメリカは現在、中国と対極的立場に立って、基本的な体制の違いを鮮明にし、民主主義国家か、片や専制主義国家かの是非を問いながら対決姿勢を打ち出している。体制の是非は兎も角として、こうした対立した状況を生み出している根源は何かを問えば、現在の国際情勢と利害衝突の原因にさかのぼることが出来るはずである。例えば中国の海洋進出を始まとする覇権主義や、新疆ウイグル自治区の人権問題然り、こうした事案は外交交渉を経ていくらでも解決可能な問題である。派生的問題についても同様である。それを解決する手立てを模索し検討することが重要である。良しに付け悪しきにつけ中国は、中国共産党結党百年目にして解決すべき課題は山積である。

  悠久の歴史を誇る中国には、紆余曲折の浮沈、出没の経験があり、その中から中国共産党の結党百年と云うかってなかった人民国家の現実と、14億の人口を擁する世界第二位の経済大国にのし上がった国を相手に、戦闘的姿勢をとることは、逆に中国が世界第一の経済大国に対して採る姿勢と同じであり、二大国間の緊張関係は極めて危険な要素をはらんでくることになる。これは賢明な選択肢ではない。何人たりとも、この厳然たる事実を否定することは出来ないし、ありうるはずがない。お互いに挑発的な発信や、恫喝的な発言は慎まなけらばならない。ということは相手の立場、状況、対面と云ったものを尊重して平和的解決方法を求めていくことである。だとすれば具体的問題の解決方法は自ずとわかってくる。性急にならず、辛抱強くということが求められる。同時に、相手の弱点を暴きへつらうのではなく、相手の長所をくみ取ってあわよくば受け入れていくことも重要である。強固な岩礁に立つ、大人の思想と行動が、両国の指導者に要求される。お互いの疑心暗鬼を払しょくし、相互依存、相互理解、相互受容と云った精神かも知れない。

習近平さんの演説は少し気負いすぎている感じだが、毛沢東の着ていた制服と同じスタイルで重量感があって立派である。建国の士、毛沢東の人民服である。これにあやかって一層の権威主義に傾倒し、国民の気持ちを寄せ付けたいという一念かも知れないが、演出は逆効果である。小柄な鄧小平も確か着服していたと思うが、国内事情と民衆の心をつかむには、今では役不足で逆戻りの感が否めない。緩みがちな国内の人心の箍を引き締めたい心境かも知れない。その原因がなんであるかを怠って、人の威の手を借りなくても済む独自の演出があってほしかった。もともと風格があって語らずして威厳があり、重量感溢れる素質が備わっている感じだからである。両大国の指導者が、大国同士の欠点貶し間がらでなく、互いに褒め合うような人間的成長を望んで止まない。 国境の垣根を外し、グローバル的思想が国際社会に根付いて久しいが、最早、大国同士が膨大な軍事的武器を使って戦争をすることはあり得ないし、むしろ共同して地域紛争の撲滅を測り、安寧を維持すべく力の調和を図っていくことが必要である。 対立から融和へ、かくして一例だが、一帯一路の構想もその真意を発揮できるし、環太平洋パートナーシップの拡大も、その意義を強調できるし、二陣営の勢力がどこかで合流して地球的発展を手中に収めることが可能である。 共産主義、資本主義と云った狭隘な主義、主張ではなく、人類の包括的発展を目指すものでなければだめだ。 これからは人類生存のための地球環境の改善も、主義、主張を乗り越えたものであることを承知して居る。   日本の宮城前広場も忘れてはいないが、ホワイトハウスの広場と、人民会堂の広場で混然一体となって、テレワークを通じて祝賀行進を想像しようではないか。    


バイデンと習近平が握手して人類生存の道の拓かる 

弾よりもミサイルよりも一枚の揚げた凧にそ光そそげり        7月2日


惨状、伊豆山温泉街に土石流

   梅雨に入り、降り続く雨に線状降水帯が重なって、東海地方は記録的な大雨となって各地で土砂災害が起きた。たまたまテレビを見ていて目に飛び込んできたのは、伊豆山温泉の中心を流れる逢初川に大量の土砂流が猛烈な勢いで崩れ落ち流れていく様子であり、多くの家屋が呑み込まれて下っていく凄惨な状景であった。まさかと思いつつ、目を疑って見つめていた。風光明媚にして旅情豊かな伊豆山温泉の幻影は、一瞬にして破壊されはしないかと案じている。死者二名、行方不明20数名と報じられているが、悲惨な結果が起きてしまった。しかしあの大惨事で死者行方不明が20名とは如何にもおかしくないか。急斜面の住宅地を狂い狂った濁流の下に、瓦礫の下に、もっと多くの数を超す人たちが居るかしれない。呑気なことを言っている間ではないはずだ。

  土石流の起点は、この逢初橋から約2キロほど登った急斜面の場所らしいが、そこの一帯は最近になって谷間を埋め立て宅地造成を行ったところらしいと熱海市の職員が話している。地盤の緩みに大量の雨が起こした地滑り的崩落と見ていいだろう。埋めてたてた地帯の崩落が周辺の山を削りとり、大量の土石流となって逢初川を下って流れ、約140棟以上もの家屋をなぎ倒し飲み込みながら海にまで達したものと思われる。半倒壊の建物を含めると、被害はもっと大きいはずだ。目を覆うばかりの悲惨な状況に、じっとしていられない心境である。。

   喧騒な熱海の界隈を避けて、敢えて伊豆山の宿場に通った思い出は、恵まれた自然風景の山川草木、花鳥風月はもとより、艶やかな人情にも触れて語れば尽きない事ばかりである。そうした現場、襲い掛かる災難、急な崖を猛烈な速度で下っていく後から、重なるように土砂の流れが続いて下の港に向かって落ちていく。倒壊した人家や、車が上下にうねった泥流に巻き込まれながら下って行くさなか、大丈夫だろうかその先を消防団員が懸命に逃げていく姿が一瞥された。

   逢初川は川幅の狭い川であり、川をまたいで135号線が走って赤い橋が架かっている。川は伊豆山神社に登る参道の急な石段の50メートル程の脇を流れている。この階段の途中に昔、お世話になった新菊と云う小さな料亭兼、旅館があったが無事だろうか。直ぐに脳裏に思い浮かんだことである。

  そして伊豆山温泉には昔から静かなたたずまいに落ち着いた風情を湛える旅館が在って、数は少ないが優雅な趣きを備えていた。青春のささやかな旅を気に入って経験した思い出の頃は、東京駅から湘南電車で熱海に出、駅から海沿いにタクシーでほんの数分の距離を走ったところに温泉の宿泊先が点在していた。いずれも山を背にして海をめ、湯船に浸かって酌を受け一夜の安眠を憩ったものである。好んで行った先は、水葉亭、偕楽園、桃李境と云った先々である。災害警戒地区からは、今回少しばかり回避できた場所であるが、こうした宿泊先の周辺には小店や住宅が山肌に張り付くように建っているので、今までにはなかったことながら、被害と犠牲者が心配である。さまざまに懐かしく、昔の熱き思い出は一瞬のうちに砕かれる思いだが、今は、災害に遭遇した人たちの人命救命を第一に無事を祈っている。     


伊豆山に土砂災害の発生す逢初川を下る泥流

山かたの崩落に土石の濁流し逢初川を壊しつゆくなり

崩落と太土石流の起点とも谷を埋め立て大工事の場

天災でなく自然破壊の人災の悪徳業者の仕業なりけり

過ぎ去りし伊豆の旅路の思ひ出に逢初め川の音のさやけき

唖然たり梅雨と線状降水帯重なり襲ふ伊豆の湯宿に

伊豆山の面影強く胸に来て今この惨状に嘆き悲しむ

濁流に呑まるる人のあまた居て救急隊も手つかずのまま

海、山の景色の平和な地にありて悪魔の突然襲いかかりぬ

泥流の下にあまたの人ら居て息絶え絶えにうごめき居りぬ

理不尽なり平和に暮らす良き人の何ぞ命を奪いけるかや

伊豆山の桃李境とも言ひ伝う湯宿に泊まり酒を飲むかな

貫一とお宮の出会ひの處かも逢い初め橋の月の小夜なか

逢い初めし人のいずくに在りしかと時の流れの虚しりけり

山、海の豊かな景色に囲まるる伊豆山温泉の白き湯けむり

海の面を白く刻みて照る月の影こそあはれ伊豆の山宿

逢初めの橋に佇みなれそめの人と会ふ瀬の在りし月の夜

山肌のえぐれ崩れて濁流し人家を呑みつ荒れて下れる

美しき朱色の橋の架かるもと逢初川の荒れ狂ひける

参道の長き石段の先に建つ伊豆山神社ゆ見やる泥流

梅雨入りの未だしなればこの先の豪雨を案じ居寝る能はじ

若き日の旅先なれば思ひ出のあまた浮びて悲しかりけり 7月4日


   もはや伊豆山の泥流事件である

熱海伊豆山で発生した土砂災害の原因については、国道135号線のやまにむかって2キロほどの地点で、2007,8年ごろに不動産業者の間で一帯の土地について土地転がしの売買が行われ、そこに目を付けた業者で大量の埋め立て工事が行われたことがあり、行き場を失った地下水と、今回の大量の雨で地盤が緩み崩落して、周辺の土地を巻き込みながら下方の住宅地に濁流し海にまで達したということが分かって来た。近くの住民の証言からすると、崩落した地点は、盛土とか埋め立てと称するものでなく、大部分が産業廃棄物を主とした投棄に使われたと云っても過言ではない。しかも5万トンから6万トンに及ぶ大量のものである。単純に計算すると、5屯トラックか、ダンプで壱万台以上の往来となる。地元でも目立つはずである。

  当時、小田原の業者がこの土地に目を付け、ここに土砂の搬入と埋め立ての許可の申請を出し、県がこれを許可したといういきさつも分かって来た。何処からどう云う種の土を運ぶのか、名に尾目的にどのようにして埋め立てるのか、当局は精査したのだろうか。想像するに、土地の搬入については、おそらく大量の産業廃棄物の投棄地にこれを悪用したものと推測される。急な傾斜地であり、くぼ地でもあって、沢と云ってよいだろう。そもそもこうした地形のところを開発にかけて造成することは不可能であり、適切な法に従ったものではないことは明らかである。埋め立てたりして土地の地形を変更する場所ではない。埋め立て用の大量の土を、一体どこから搬出したか調べるべきである。そもそも廃棄処分に困っていた代物を、格好の場として目を付けた悪徳業者が関係しているに違いない。

  県当局も、市当局も、埋め立ての許可申請を受けて認めたものの、何の目的かはっきりしない。業者による意図的な残土と産廃物の搬入を、当局が許可しながら、指導監視する責務を怠っていたか、見て見ぬふりをしていたか、そして、まさかその結果がこうした惨事の原因になるとは、考えていなかったか、いずれにしても原因追及の手を緩めてはならない。そもそもこうした地域に埋め立ての許可を出すこと自体が間違っている。地形的に見て明らかに危険であり、違法である。静岡県と、熱海市は、行政的手続きと監督について、重大な責任を感じなければなるまい。

  これは明らかに人災であり、多くの犠牲者を出した原因を、徹底的に調査すべきである。
                                                      7月5日

 短歌同人誌、淵の 同人の女性が

   Tさんは伊豆山に住んでいらっしゃると聞いて俄かに胸騒ぎがして、もしかすると伊豆山神社の参道の階段周辺かと案じながら可能な限り情報を集めたりした。最初に情報を提供してくださったのは、淵の同人の杉村さんである。杉村さんの話によると、Tさんは熱海伊豆山に住んでいらして鮮明に記憶されていた。伊豆山温泉についての私の記憶は、すでに古く半世紀近く前の事ながら、辺りには馴染みになる旅館が数軒あったころの話である。不思議と昔と変わらずその面影の残る場所と思っている。国道135号線をまたぐ朱色の逢初橋から湯河原よりに100メートル程のところに伊豆山神社へ登る参道の入口があるが、今回の被災地は、山の斜面を埋め立てたと称する場所が起点となって、そこから2キロにわたって崩落、泥流し、山の方から海に向かって大量に流れ落ちた。つまり被災地はその周辺一帯に及んでいるので、Tさんの住まいはもしかすると被災地に入るか、その周辺であることに間違いないと思った。

   同人の幹部、渋谷さんにも伝え、大木さんからTさんの住所を確認して熱海市市役所に電話をしたところ、直ぐに市の災害緊急対策本部に繋いでくれて素早く応対してくれた。現地は広く混乱していて、正確な情報がなかなか入ってこないらしく、安否不明のリストにはTさんの名前は載っていないので、恐らく近くの避難場所に自主的に避難していると思われるとの回答であった。住所については二次、三次の泥流の発生が心配される状況なので、十分の警戒をしているとのことをつけ足していた。被災者の救出に懸命の活動が今も間断なく続いているが、現場は捜索隊員が1000人態勢で当たっているとの報道である。

  ここで、警察、消防、自衛隊の諸君たちの懸命な活動に深甚の感謝と敬意の意を表したい。

   今月の短歌同人誌、淵233号に乗っているTさんの短歌十七首の題名が「みどりあふれる」である。熱海伊豆山の爽やかな景色が、手に取るように輝いて見えてくる。 その冒頭の一首について日常生活の一端が、

立ち座りよいしょと声を出しおりぬ爽やかなれとゆっくり動かん       7月7日



活発な梅雨前線が中国大陸から長く西に張り出して、本邦を覆ている感じである。特に九州、山陰、中国地方に活発に活動して広島県や鳥取県では一日に半年分の降雨量となって河川の氾濫や越水をもたらし、住宅の浸水が多く発生して、引き続き厳重な警戒を怠ってはならない。謂うところの線状降水帯の雨雲が 、梅雨前線に重なっているからだろう。かって大学時代に小泉八雲の住まいがあった場所を尋ねたりしたが、その島根県の松江市は今土砂降りの雨だそうである。宍道湖も強い雨脚に白く煙っているに違いない。鳥取の砂丘は強い海風を受けて横殴りの大雨に先が見通せないほどに大荒れの状況とか。砂丘に浸みこむ雨はいくら降っても浸みこんで海に流れるだけだから、さほどに心配はないが、山岳地帯や、河川、地盤の緩んだ宅地はなどは、土砂崩れや河川の氾濫に注意していないと、災害に巻き込まれないとも限らない。十分な警戒が必要である。テレビの画面を見ながら、大事に至らないことを祈っている。

   熱海伊豆山の土砂災害を目の当たりにして以来、やたらと神経質になってしまう感じだが、土砂の崩落が起きてから今日で6日目を迎えている。いまだ行方不明者が22名もいるそうである。時折降り出す大雨の中、現地では今も懸命な捜索活動が続いている。淵の同人のTさんとの連絡は未だついていない。会社からの帰途、直接葉書を以てTさんに短文の手紙を書いて、銀座二丁目の郵便局から速達で出したところである。淵の皆が心配して、無事と健康を祈っていると、速達で出せばSさんの手元に届くのではないかと思っている。   

   マスメディアによると役所もテレビ、新聞も熱海伊豆山の埋め立て地とか、土盛りとか表現しているが、大間違いである。盛土と称しているが、流出や崩れを防ぐ擁壁とか、土止めの工事もなされた形跡もない。土木工事の基本的な知識であり、工事は初めから欠陥工事現場とみていいだろう。極めて無防備である。あの場所に運ばれて行ったものは、そもそもが最初から不法投棄であり、造成のための正規の土を運んだりしたものではない。ゴミや産業廃棄物だらけであり、長年にわたり、そうしたものの捨て場所に使われたのである。 言うなれば悪質な業者の、不法投棄である。

   又、開発申請を受理した役所も間違っている。現地の地形を良く調査して検討していれば、許可など認めることが出来ない危険地帯であることを知っていなければならない。 山間部の山林地帯で、矢鱈に樹木を伐採すれば大地の保水能力がなくなり、雨期に大量の雨を保持できなくなり洪水の原因ともなる。ましてや今回の地形を見れば、やたらに許可をするべきでないことが一目瞭然である。やるべき調査を怠ったか、もしかすると黒い裏取引があったか、原因を良く調べる必要がある。中央の行政が堕落していると思っていたら、地方の行政まで腐りきっている一面を垣間見る感じである。それによって尊い人命までもが奪われてしまっている。 感情的になるわけではないが、怒り心頭を覚えてならぬ。                7月8日

九州地方を活発な梅雨前線がかかっており、それに局地的に発生した線状降水帯が重なって大量の雨をもたらして、各地とも最高の5段階の厳重警戒注意報を発して注意を呼び掛けている。特に鹿児島県と熊本県に、洪水警報と土砂災害の発生が起きやすい状況になっている。鹿児島県の川内川と、熊本県の球磨川は、昨年の堤防決壊による洪水の復旧工事の途上にあって再度の危機に見舞われている。悲劇の繰り返しに現地の被災者のたちのことを思うと何とも言えない思いである。メディアが繰り返し呼び掛けて居るように、命を守る行動を最優先に取ってもらいたい。

  熱海伊豆山の逢初川の上流で発生した埋め立て地区の土砂の崩落と泥流で、多くの犠牲者が出てしまっているが、現場では、今日も梅雨の晴れ間の日照りの中、懸命の捜索活動が行われている。死者が9名、行方不明者20名と発表されている。もともと伊豆山の傾斜地の風光明媚な地域には住宅や別荘がたってきて、近年多くの住居者が住むようになっていたし、地山(じやま)と称するくらいに地盤は固くそれ自体崩れるようなところではなかった。川上のくぼ地に不法に土砂、産廃を投棄した結果、その部分が大量の雨によって崩れ出し下に泥流となって落ちていったが故の人為的災害となってしまった。残土や産廃物の投棄に使用を許可した行政のミスであり、許可を申請した悪徳業者の仕業が、大災害を起こしてしまった。行政が開発申請の許可を与えなければ、ああした災害は起こらずに済んだのである。小欄で、事故発生から述べているように、不法行為を繰り返してきた業者はもとより、監督すべき行政の責任も大きいと云わねばならない。過去において親しく訪ねてきて海岸沿いや山の景色と地形を頭に描きやすいだけに、あの地域の地形で正しく工事を行っていれば、行政が正しく事の処置に当たっていれば、もとより、役所が開発許可を与えなければ、いくら雨が降ったからと云って今回のような災害は起こらずに済んでいたのである。

   夕方にかけて空に晴れ間が出ていたが、何時しか雲が覆うようになってきた。突然、大きな雷鳴が一発、破裂するような轟音が鳴ってから大きな雨足となって雨が激しく降りだした。太い稲妻が閃光となって闇夜を二つに裂いて割らんばかりの様子で上下に走った。暫くして雨は嘘のように止んで、晴れ間が見え始めた。局地的に発生する雷雨の状況である。上空の大気が如何に激しく変化して不安定な状態にあるか、極暑の夏に特有な現象であるが、近年とみに発生しやすくなってきた気象の特徴である。被災地に在って伊豆山に住む短歌同人のTさんの消息は未だ耳に入ってこないが、 どこかに安全に避難してくださっていることと信じている。御年輩であるだけに、健康状態にも案じているところである。    7月10日


   

     大イヴェントは無観客でよかった

  昨日4回目の緊急事態宣言が発令されて、国際的大イヴェントを控え東京はじめ近隣自治体は発令に慣れてしまって、反応が乏しく感じられ、繁華街での人流がむしろ増加している状況である。ワクチン接種がある程度行き渡ってきている状況だが、若者に対するワクチンの接種の普及が未だしの感で、若者の感染者が増加していることが心配である。大イヴェントの国際競技場も無観客で行われることになった。遅きに逸したが、決定は正しかった。これでその分、地元の医療体制のひっ迫が緩和されて、感染拡大の火元に油を注ぐ結果にならず幸いである。医療現場の諸君は、安どの気持ちでいっぱいだそうである。スポーツの祭典が、人々の健康を害することの増幅につながるようでは、本末転倒だからである。感染拡大の阻止と、医療現場の確保に最大の確信が持てることを前提にあってこそ、祭典の開催する意義があるということである。無観客だからと云って大騒ぎすることもなかろうに、性能の向上したテレビ観戦を以て、居ながらに好きなスポーツを楽しむ方が効果的かもしれない。

   前から予定していたビジネスの会合があって、午前11時にT社に赴き会議室で6者会談となった。幹部の人たちの会談で約30分ほどで終わったが、小生は此の頃耳が少しばかり遠くなった感じで自分でも大いに自覚しており、失礼する時がある。補聴器を付けるほどでもないし、若い人たちに交じっているのに、いかにも老人ぽく見えたりすることに抵抗がある故、戸惑う場合がある。今日は大した内容を論じ合う席でもなかったので済ましてきたが、補聴器を付けなければならない時があることを思うと気落ちしてしまうが、もう少し我慢してみようと思っている。手元に補聴器を持っているわけではないので、いざとなったら小型で高性能のものを用意したいと思っている。相手の言葉の発声が、最近はマスクを着用しているので口ごもってしまう傾向があって、聞きずらいことも確かである。理解力が落ちたとなれば問題だが、そうではないので、ましてやMRIで脳の内部を検査することとは程遠い事案である。発想力は極めて旺盛である。視力に至っては、眼鏡の助けを得た時がなく、いまだに両眼とも1,2と1,1であり遠視でもなければ近視でもない。 お父さんは105歳まではしっかりしているわよと、娘に太鼓判を押されていることに確信をもって己にムチ打ち、大股で進んでいきたいと意気軒高である。 

  昨日のテレビで驚いたが、元社会党党首で内閣総理大臣を経験した村山富市さんが矍鑠としてたまたまテレビの画面に映し出されたが、 御年97歳と云うにはしっかりした風貌に、言語明快にしてかっての首相在任中とはさして変わらぬご様子に、以て喜びとし敬意を表する次第である。 この日は立憲民主党の枝野幸男代表が村山富市さんにあやかって、自分の手でリベラルな政権を作りたいと決意のほどを告げに行ったらしいが、若くて元気な枝野さんにも頑張ってもらい現状を良く直視して、日本のために大所高所に立って良い政治を行えるようにしてもらいたいものである。 
                                        7月12日

感謝のメールに夏本番

  会員のH氏が約束通り訪ねてこられ、久しぶりの歓談に有意義な時を過ごすことが出来、懸案の事案も見事に解決したので万歳、万歳で互いに分かれていった。その日の午後は梅雨特有の篠突くような梅雨の大雨に閉口したが、行き帰りとも梅雨の晴れ間となって土砂降りにも遭わず、ずぶ濡れになることもなく大切な客人にとってはまことに幸いであった。

  このところ梅雨前線が活発に活動し、そこへ寒気が入り込んでかき回すものだから、天空の気流の荒れ方はひどいものである。雨の降り方が豪胆で、いきなりかみなりが近くに落ちると云った情況に、見上げた空の雲がはしゃぎまわっている。北半分は墨を流したような雲に覆われて不気味にも暗然と沈み込んでいるが、南半分の空は雲が千切れて、晴れ間が覗けると云った変りようである。そして雷公が暴れているさなかに虹がかかると云った変化には、天然の美をほしいままに満喫して、外の雨に濡れながら落雷と地響きのようすにも陶然として驚くことはなかった。そして今日は一転して晴れ間が空一杯に広がって、夏本番の到来である。空は青く澄み渡り、暑い風が太陽の光輝く大空を渡っていくのが一片の白い雲によって告げられていた。私は、来客に感謝の意を伝えるべく、パソコンに向かって下記のようなメールを打ち込んで送信したのである。

        *

今日の明るい日差しと照りつける暑さは、いよいよ本番の夏到来です。
折しも気象庁は関東、東北地方の梅雨明け宣言となって、躍動感溢れる気象に、
スポーツの一大エヴェントの祭典にも雰囲気が徐々に盛り上がって、
世の中の沈滞ムードを吹き飛ばしてもらいたいものです。

一週間後に迫った世界的スポーツの祭典は、肉体の美と力とスピードを競う世紀の一大イヴェントの正念場です。
どうせやるなら元気よく、コロナ禍の真っ最中であり、感染状況が心配なら、無観客であっても選手たちは互いの競技に純粋にチャレンジして、
自分の力量発揮にベストを尽くしてくれることですから、
物見高く応援する立場の人たちとは、根本的に、質的に違っているので、
言うなればイヴェントは最早見世物ではありません。
アスリートたちは、無観客を気にせずに、
むしろこの瞬間にこそ、全精神と肉体を、神経と筋肉を一点に集中させているので、
観客を意識する余裕などないはずです。
観客の応援をよろしくと云ったセリフは、
アスリートの単なるリップサービスに違いありません。

観客の存在など気にせずに、一心不乱になって、
選手たちは、与えられたチャンスに炎上してもらいたいと云うのが
真の観客の偽らぬ心境です。

仕事の要件ををかいつまんで話した後、お礼を述べようとしたら、
脱線して、目前の一大国際イヴェントに話が行ってしまいました。
早くからコロナ感染拡大、それに伴う医療崩壊を危惧して、
関心が薄く、反対意見が大半を占める今までの国民の意識、動向でしたが、
目前に迫った国際大会です。緊急事態宣言発令中でのイヴェント開催、
第五派の襲来と思われる新規感染状況下のイヴェント開催、
まるで巨大な台風の渦に突入するのと一緒ですが、
もしかすると、もしかすると猛烈な渦をすり抜けて台風の目の中に入って、
行くかもしれません。その時は静寂の中にイヴェントは粛々と進められ、
無観客と同じ舞台が作られていて、
無菌状態が選手たちの心身の状態を守り、活動を促してくれるでしょう。
台風の目の中で、アスリートたちが全力で疾走しそのシルエットをGSPで、
我々観衆が追いかけていけば、大会は成功します。
世界の各国、各地域から選手団が陸続として入国してきています。
謂うなれば、彼らは平和の使者たちです。
彼らを心から歓迎しようではありませんか。

ここまで追い詰められてきた日本と私たちですが、
コロナの感染拡大が止まぬ開催国の日本ですが、
こうした状況を克服しながら、
今こそ、人間の生命の力を炎上させ、
人間の存在感を歓喜のうちに体現し、
連携を深めていく責務が現代の私たちに課せられていることを、
この際深く認識して、前進のラッを吹いていこうではなりませんか。
眩しく照り付ける太陽は灼熱のエネルギーを宇宙に発散し
見上げた空は、無窮の紺碧の色を湛えて、
われらが足もとに降りて、
開幕の光を注いでいてくれます。
決して無理難題を押し付けず、不平不満をぶち上げず、贅沢を云わず、
我々は、政府分科会の尾身茂さんの意見に従って、
この際テレビの放映を通して静かに家で観戦し、応援し
イヴェントに協力して行こうではありませんか。そして、
無事にエヴェントが始まり、
恙なく進行し、
無事にエヴェントの幕を下ろすことを祈って。
我が友よ!メールの脱線を許したまへや。 
      

来る方も迎えるほうもコロナ禍に一瞬おびゆ空港ゲート

大雨に慣れた梅雨空の一転し炎天燃ゆる灼熱の夏

世界的一大競技に観衆のテレビで見るは冷静なりき

一点の塵なき空に富士の嶺を夕日の影に仰ぎ見るかな

一点の塵なき空の青く澄み無窮無限の天空に立つ
7月16日


   灼熱の列島

  梅雨明けとともに本邦に猛暑が到来した。北海道の帯広で36度を記録するほどに、九州の一部の雨の地域を除き、日本列島は灼熱の太陽を浴びる今日の一日となった。日本は今、五輪大会の選手団が陸続として来日中であり、5日後に迫った五輪については意識が冷めきった日本人が大半の中、今となっては、やるしかないと云った風評で、情報の錯綜する中、何が何でもと強行突破の感である。国民は戸惑うばかりだが、ここまで来たからには、無事にやるしかないということになってしまっている。無力感のなかでの強行突破だから、ぐにゃぐにゃである。政府の分科会も、日本医師会も、五輪開催中のコロナの感染拡大を予想しているし、加えて恐らく気象庁も日本の夏の猛暑で熱中症や日射病の猛烈な予報に加わり、ハイレベルの警戒情報を発してくるだろう。

  世界各国から集まってくる選手たちの円滑な活動を進めていく難渋さも大きくなるばかりであるが、いたずらに焦燥感を煽るばかりの情報に辟易である。三連休のさなか、緊急事態宣言下外出自粛も効き目がなく、多くの人流を目にするばかりである。こうした中、五輪のバッハ会長をもてなす歓迎会が迎賓館で行われた。招待者を絞って、会議は踊るの晩餐会かもしれない。周辺は通行止めの厳戒がが敷かれ、 五輪反対、コロナ感染対策優先、バッハ帰れ、と云った勇ましいデモがあって宣伝活動している有様で、民意も二分されている複雑な感じである。こんな光景は、平和は祭典であるはずの五輪の歴史始まって以来のものではないだろうか。  7月18日

陸続と外国国選手の来日に高揚感なき五輪祭典

コロナ禍の強行突破の世界的スポーツ祭の東京大会

無観客静寂に立つ選手らの精力集中に記録出すべし

ウガンダの選手が突如逃亡す平和な日本に住みたきと記し

竣工す誇りの国立競技場五輪開会の聖火灯さん

あと五日のちに迫りし祭典にコロナ感染拡大を憂ふ

第五波の感染拡大に入ると云ふ識者に五輪の今を憂へる

遺憾なく美と技と力を発揮して五輪の平和と連帯を期す

インド株ウィルスの感染拡大にスポーツ祭典の動き危ふし

コロナ禍と炎天下でのスポーツを如何に事故なく進め行かまし

間一髪で難を逃れた知人のTさん

熱海伊豆山で大規模の泥流は発生して以来、知人のTさんの安否を気遣っていた私は、災害発生の翌日速達便の葉書を以て手紙を出したが連絡がつかず憂慮するままに日にちが過ぎてきた。

無事である旨のTさんの電話が今朝9時15分に入った。無事でいたことが確認できて安堵し連絡を心から喜んだ次第である。家の災害は、奇跡的に難を逃れたが、いまだに帰宅して生活することは出来ないでいる辛い状況を伝えてくれた。泥流はTさん宅の石垣の上のブロック塀の高さまで押し寄せ、幸いにしてそこで止まって下方に流れていった由である。お隣さんの家は泥流に飲み込まれて流されて行ってしまったらしい。災害発生から凄惨な現地の救援活動が懸命に続けられてきたが、現地は今もって難渋を極めている。

速達便でTさんに出した小生の手紙は、ニ週間近くもたってTさんの手元に確実に届けてもらったことになる。 それと過日送った淵の今月発刊の233号も一緒に頂いたとのことであった。 それほどに社会的インフラがが混乱して、いまだに落ち着いて生活できる状態ではないことを物語っている。 コロナ禍と猛暑が重なって、生活しずらい現状だが、Tさんのご無事を喜び、ご健康を切に祈念する次第である。  

  熱海伊豆山地区では、今までああした災害が起きたことはなかった。役所や業者や、関係者は「盛土」と称して申請し許可を与え作業をしたと称しているが、そもそも土を以て埋め立てるような地形ではなく、ああした規模の工事を可能ならしめる場所ではないはずである。谷間を利用して廃棄物を投下し、これを以て埋め立てとか盛土工事と称しているのであって、まさしく欺瞞である。 大雨があれば早晩その場所の地盤は緩んで、大量の泥流となって崩れ落ちていくのは、火を見るよりも明らかである。 危険と危害を承知で行った犯罪行為である。結果多くの人命が奪われ、地域に多くの損害を及ぼしたのである。    7月20日

綱渡りの五輪祭典

  インドで見つかったデルタ型のコロナ・ウィルス感染拡大が、アメリカで顕著になって経済回復の遅れが危惧されてニューヨーク株式が急落している。週明けのニューヨーク市場は、今年最大の下げ幅で725ドル安となった。先週金曜日の下げと合わせると二日間で、ざっと1500ドル近い下げである。感染再拡大を懸念して、折角上がってきた株式であり、折角沈静化に効果を発揮してきたワクチン効果が剥げてきてしまい、未接種の若者に感染が広がっているのも大きな懸念材料として取り上げられている。これを受けて東京の株式もこのところ下げが続いているが、五輪を三日後に控えて来日した選手団のなかにも感染者が続出し戦戦兢兢のありさまである。コロナ五輪、オリンピック、パラリンピックとして歴史にその名を残すことになるかもしれない。

  デルタ型のコロナウィルスの猛威に振るわれているイギリスではコロナ・ウィルスと共生していくべきだと、最早諦め半分の政策を打ち出し、感染拡大中なのに規制を全面的に解除した。ジョンソンのお墨付きを得たとして若者たちが街頭に繰り出し、酒を飲んでノーマスクで騒ぎまくっている。活動的でいいのだが、乱脈が変な結果をもたらしたりしかねないと心配である。賭けに転じた金髪のジョンソン首相までが髪の毛を振り乱し、焼けのやんぱちでどうにでもなってくれと云わんばかりで投げやりの体である。人間社会は、新しい形でコロナウィルスと向き合っていこうとする姿勢だが、ワクチンの効果と、患者になってしまった後の治療薬が早く出来上がらないと、この問題はなかなか解決の糸口を見いだせないまま益々猛威をふるってこないとも限らない。

   コロナに感染した患者が快復して、その後のいまだに続く後遺症に身体を痛めていくのも深刻であり、大きな社会問題である。いろいろな症状が出てきて複雑微妙であり、現在のところ対象療法しかないありさまだから、こうした潜在的な患者が増えてくるようだと、人間の社会的構造にも深刻且つ大きな変化をもたらしてくる可能性も否定できない。 やけのやんぱちでコロナ感染防止と規制対策を全面解除に踏み切ったジョンソンの国と国民は、この先を考えると悩ましい点が多々出て来そうである。   

昨夜急落したニューチョーク株式市場は、日本時間で先ほど10時30分から始まったが、11時半現在450ドル強の反発をして取引が始まっている。強い反発力を示して、投資家は安どの念を隠さずにホットしているだろう。この様子だと目先はコロナ感染拡大と、ワクチン接種率との駆け引きで、神経質な展開になっていくかもしれない。アメリカのバイデン政権発足後半年を迎え、着々と成果を上げてきているが、国民の分断を煽ったトランプの影響力にも未だ根強いものがあるので、国内的の大きな壁もなっている。しかし経済の回復基調と、その軌道が崩れない限り堅調な展開を期待、維持できると思っているが、別の問題としては、感染力の強力なインド、デルタ株のコロナ感染がどこで食い止められるかである。

  そしてわが国においては、日本で始まる五輪大会が感染拡大の中でどこまで競技が実現して、世紀の大会が無事に終わることが出来るか、当面は我慢と焦燥の時間が続いていくことになる。今となっては少しでも犠牲を軽くして、諸々の行事が無事に進行していくことを願うばかりである。  
                                    7月20日

大谷選手の活躍

   今、大リーグで最大の人気を博し大活躍しているのが、大谷翔平選手である。連日ホームラン打球の記録を更新し、並みいる選手団のなかに在ってトップを走り続け、実力発揮に燦然と輝きを放っている。打つ、投げる、走るの妙技を重ねては観衆のファンを沸かせ、チームを勝利に導き、ベーブルース以来の快男児の人気絶頂に立っている。テレビで見る大谷選書の一振りが、実に爽快で圧巻である。バッターボックスに立ってはスマートな一振り、マウンドに立って投げる剛球と綺麗に決める一投、盗塁に見せる美しい走りとスライデイング、何をしても爽快な妙技を演じて観衆を魅了してやまない。全米の人気投票でも第一人者である。大統領選挙でもしたら圧倒的支持を得て、当選確実である。

  高ぶらず謙虚で礼を尽くす姿勢は、意外にもアメリカ人の心をとらえている。人徳と云うべきか、以て備わった天性の素質は完璧に近い。清新にして溌溂、最優秀選手に選ばれるのもむべなるかである。


紅顔の青年が打つホームラン碧天を飛ぶ白球のあと

快音を立て打つ玉は弧を描き外野の席に吸い込まれけり

観衆の歓喜の嵐に立つ君の勇士に捧ぐ和歌の一首を

躍如たり大谷選手の活躍に大リーガーのトップ掲げて

アメリカの大リーガーに挑戦し豪打、剛球にど肝抜くかな

絶賛を浴びてマウンドに立つ君の謙虚なる身に美学知るなり

青年の意気横溢しマウンドの大谷選手の雄姿いかにも

世の人が馴染む青年のタイプにて紅顔、明朗、素直なる人

マウンドに立つ大谷の堂々の雄姿に覚ゆ青春の意気      7月21日

     

草野球楽しむ如き大谷の大リーガーにかます一振り

気負ひなくバットを振れば白球の大空高く延びて消えゆく

大谷の振りぬくバットに快音の球はセンターの外野席へと

アメリカの大リーガーにて活躍すその振る舞ひも賞賛のまと

富士の嶺を目指すに似たり大谷のメジャーリーガーの猛者と競ひ

  多くの話題を満載して賑やかな、今朝の新聞記事の紙面である。曰く、コロナ感染拡大第四波、東京オリンピック・パラリンピックの明日開催、声援なし無観客のソフトボール競技開始、高校甲子園球場、猛威の猛暑到来、熱中症の危険、深刻化の地球温暖化、シベリアの凍土溶解、ロシア極寒の町33度、札幌、山梨が36度、北極圏の氷山の溶解、地球上の山火事の多発、ドイツの大洪水、脱炭素社会、原発反対、中国の人権問題、米中競争時代、中国の若者の寝そべり族、米国内の分断、恐怖のインド株のコロナ感染、感染後の後遺症患者の潜伏、ワクチン不足、医療崩壊、ジョンソンのコロナ既成の全面解除、無防備の若者たち、人口減少、内戦の難民問題、大谷翔平君の大活躍、  等とう取り上げたりして真剣に考えこんだら身が持たない、それこそ精神分裂だ。しかしこれが現代社会の様相であり、世界の現状の一端であるから、見逃すわけにはいかない。嫌になったからと云って閉じこもりになったら最後、人の仲間から放り出されるだけである。飼っている従順な犬や猫が人間以上に信頼できるからと云って、犬、猫の世話になるわけにもいかぬし、そこまでぼんくらの体たらくになったなら、人として生きる資格がない。人として何処までも自立する気概がないと、自分を駄目にしてしまう厳しい社会である。五輪の精神は「平和と連帯」である。今、その連帯が問われている。一国の中で分断が進み、多国間の間でも分断が進んで、連帯どころではない。まさに激しい意見対立、無理解で相手無視とくれば口論となり、手を出したりすれば暴力沙汰である。これが連帯の最小単位の、家族の中で起きてくるから始末が悪い。早稲田大学在学中に教鞭に浴した酒枝義旗名誉教授の経済原論を思い出した。在内構成体の最小単位が、家族である。今その家族が法界の危機にさらされている現状をどう見るか、ましてや少子高齢化の進む現状に鑑み、これからの細田の課題である。

コロナ禍の試練に耐えて東京の五輪祭典の明日開催す

猛暑日に日本列島は焼け焦げの危機とコロナに対峙する日々

恙なく五輪祭典の進行を祈り幸運を祈る日々なり

   娑婆のやかましきなしと、中国に詩人は述べているが、悠然として南山を観るの心境に至るのは、なかなかに難しい。諸事満帆の紙面の端に、小さな記事が目に留まった。フランソワーズ・アルヌールの訃報記事である。享年90歳である。フランスの名作映画の一つで「ヘッド・ライト」のヒロインを務めた印象は未だに脳裏に刻まれている。確か1955年ごろ、日本でも上映されていた。共演者はジャン・ギャバンである。初老のトラック運転手が、街道のキャラバンと云うドライブインで働く田舎娘の純真な女給、アルヌールにひそかな恋を抱き、心に触れあう物語だが、悲恋に終わる結末に何ともやるせない気持ちに苛まれる。街道を走るトラックに打ち付ける雨と、舞い上がる枯葉が象徴する景色に、冷たくなった恋人の最後の身体を抱えて走っていくシーンに、二人の間に灯された灯のが無情の影となって切ない気持ちで鑑賞した思い出の映画である。 訃報は、フランソワール・アヌルールノ天寿を全うした内容のものであり、ヘッドライトに出てきた若き頃の彼女は好きだったので、心から弔う気持ちである。そしてあの映画は、われが人生の思い出の一幕にあったので、喧々諤々のこの世の中に、ふと心の琴線に甘く、楽しく、哀愁に触れる気持ちがして、蘇ったのである。   

フランソワ・アルヌールの訃報記事切り取りそっと胸に収めり

ヘッドライト、ヒロインを演じずアルヌール名画のシーンの胸に熱きも

    7月22日

    五輪競技開始

   東京五輪大会は原則、無観客のままに各競技が始まった。開会式については主催者側は意味を込めてイヴェントを構成し盛り上げて言ったつもりだが、テレビの画面に映る画像としては、そこからはっきりししたものが把握できず、複雑な気持ちであった。観覧席が空席のままで高揚感が損なわれたりしないか、心配であったが、無観客の結果はさしたる影響はなかったものと思われる。演出に依るが、相対的に見て無観客の延長で、無関心に過ぎ、無感動なものであった。演出は散漫に堕し、だらだらと時間が過ぎていくのみで、大規模イヴェントにありがちなもので致し方がない。

  いよいよ山場を迎えたころ、開会式の挨拶がやたらと長すぎて饒舌であった。橋本会長の開会あいさつもそうだし、バッハ会長のあいさつの長々しく会場を飽きさせてしまったものがある。大会関係者はもとより、ステイホームでテレビ観戦して居る視聴者にとっても疲労感を感じてくる有様で、演出者の拙劣さが目立ち、先ず以て観衆を意識した配慮が足りない。イヴェントが終わり、さて快調な滑り出しを期待しても尚且つ雑音を発して、あの挨拶の時間は三分の一に短縮すべきであった。天皇陛下の簡潔な開会の宣言がある故、前座の挨拶は大いに考慮すべき点である。

   17日間にわたり、これから注目度の高い熱戦が繰り広げられていくが、アスリートたちの体調管理が大切であり、選手にとって最高のコンディションで競技に臨んでもらい、世紀の祭典にふさわしく、遺憾なく実力を発揮する機会となさしめてほしいと念願している。7月23日


黒い雨に広島高裁の判決

   黒い雨に広島高裁の判決が出た。原告勝訴の、当たり前の、画期的判決である。以前から国は直ちに上告を決めに掛かっていたが、国民的観点から、大所高所の判断を以て控訴すべきでないと思料する次第である。そして菅総理は原告団の意思を尊重しこれ以上原告らを苦しめず、高裁の判決に従って上告を断念すると発表した。そして直ちに原爆被災手帳を手渡すべく指示したとのことである。むべなるかなである。

   広島の原爆投下後に降った「黒い雨」によって健康被害を受けたにもかかわらず、広島市や広島県に被爆者健康手帳の申請を拒否されたのは違法だとして、手帳の交付を求めた訴訟の判決を求めて住民が起こした裁判であるが、この判決が7月26日に広島地裁であった。高島裁判長は原告の訴えを認め、原告84人全員に手帳の交付を命じたのである。黒い雨をめぐる司法判断が下されたのはこれが初めてである。広島に原爆が落とされてから早や、76年目の年を迎えている。判決は画期的であり、遅きに逸して当然な処置であり、勇気ある決断である。

  
   今まで国は激しく降ったとされる「大雨地域」に限り、公的な援護の対象としてきた。しかしそれ以外の地域の人に手帳の交付を認めることはなかった。しかし今回の司法判断は、戦後75年の節目になって漸く、国の援護行政のあり方に対しその姿勢を厳しく問うものとなった。即ち、原告の人たちは原爆投下時にあって、援護の対象とはならない「小雨地域」や、降雨地域の外にいたとされる人たちと認定され続けてきた。被爆者援護法で「被爆者」と認められれば、手帳が交付され、医療費の自己負担分が無料となり各種手当も受けられるはずなのである。

 
 黒い雨が降った範囲について、判決は、国が大雨・小雨地域の根拠とした1945年の気象台の調査に対し、「黒い雨が降ったであろう推論の根拠」という評価をし、他方、国の範囲の何倍も広かったとする原告の主張した専門家の意見を、「関係資料と整合性もあり有力な資料」と位置づけたのである。そして「黒い雨」の実際の降雨範囲は国の大雨・小雨地域よりも広いとものと断定した。

 そのうえで、原告らが援護法で「被爆者」とされる類型の一つ、「放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」 といえるかどうかを個別に検討してきた原告一人一人に対し、農作業中や屋外にいた際に黒い雨を浴びたなどとした上で、がんなどの援護対象となる特定疾病を発症していることから、広島高裁は、84人の原告全員を援護法上の「被爆者」と認めて直ちに、手帳の交付を命じたのである。

  今回の交際の判決に従って菅首相は勇断を下し、省内にある上告意向を封じこめ、大所高所にのっとり上告を断念し、直ちに原爆被災手帳を交付するよう指示したわけである。政治的決定については色々と取りざたされているが、何はさておき万事公論に決した判決を尊重したことは、首相の英断であり大きく評価したい。願わくばもっと早い時期に原告の主張を認め、民意に從った行動をとっていれば、以て国民の信頼を勝ち得ていたに違いない。遅きに逸した感があるが、しかし今回の決定は無駄な軋轢を排除し、それこそ政府のうたい文句である、国民の健康と安心を具現化する一里塚としたいものである。原告の皆さん、長い間ご苦労掛けましたが、長年の努力と忍耐が実を結び、今日の勝利に結びついたことを多として喜び合いたいと思う。 

   小生の大学時代からの朋友で、広島出身者が二人いた。一人のI君は昭和経済会の会員として勉学熱心親友であり、当時小田急不動産の専務を務めていた。若くして亡くなってしまったが功半ばにして残念である。もう一人のY君はコンピューター会社に勤務していたが7年前に亡くなっている。そのY君がある時期、私に隠すように自分が原爆被災者であり、そうしたことを国から認められている証明書なるものをいつも所持していると語っていたことがある。即ち原爆被爆者(健康)手帳のことかもしれない。だとするともう一人の友人も仲良しだったから、同じような境遇だったに違いない。生き延びてきたに違いないが、原爆の被災者であることを嫌がり、表沙汰にすることを忌避しているのかと思わしめるほどに、原爆症と云うレッテルを貼られるという劣等意識のようなものがあって、その意味する深さを返って逸するような結果になってしまった。当時はあまり理解できずにいたことを今になって恥じらっている。広島に限定する話になるが、原爆で亡くなった人、被爆して後遺症に苦しむ人、言うなれば戦争の犠牲者であり、及ぼす身体的被害があれば、国として責任の一端、否、全てについて可能な責任を負うことは当たり前のことである。今日に至り正々堂々と国を相手取り訴えを起こし、議論を尽くし、勝利を勝ち得たことは崇高の極みであり、畏敬の念を禁じえない。これぞ正真正銘の自由主義の国であり、平和と民主主義の拓かれた、国民のための国家であると喝破していいのではないだろうか。   7月26日


     危機管理課の東京五輪祭典

   東京五輪、パラリンピックが開催五日目であり、各種種目の競技が盛んに行なわれてさなか、新型コロナウィルス感染者の拡大が止まらないでいる。昨日発表になった一都三県の感染者数は過去最高を記録し、感染力の強いインド型と云われるデルタ株の感染比率が大半を占めるに至っている。因みに昨日発表された結果では、東京都が3177人、神奈川が1051人、埼玉が870人、千葉が577人といった具合で拡大は予想以上のスピードを付けてきている。全国では9576人であり、一万台は目前である。感染者の多くは30歳代から50歳にかけて全体の8割強を示して、ワクチン接種率の低い若年層に感染の度合いが強くのしかかってきている。政府をはじめ専門家の関係諸氏は、若者に対してワクチンの接種を盛んに奨励しているが、効能を疑問視する若者が多く、又、副作用を懸念すするため接種を忌避する若、壮年層が多く潜在していることは気懸かりである。       

   人類を襲って最大の危機をもたらしている異常事態下での五輪開催である。競技場は原則、無観客となって圧倒的は応援の声はどこでも聞けなくなって、まるで無声映画、トーキーを見るような感覚で、しかも専らテレビ観戦である。そうしたオリンピック競技場では、日本選手の華々しい活躍が続いて、金メダルを手にする選手が陸続と登場中である。忍耐と努力の結果の結実である。お茶の間での歓声が、選手には届かないが、その分あらぬ雑音に気を盗られずに、選手はむしろ全神経を集中させて競技に傾注できるのではないかと、手前勝手に解釈したりしている。

目下の戦績の中でひと際目立った種目に水泳の大橋選手、金メダル二冠王を達成して喜びに沸いている。しかも彼女の、華麗で滑るような泳ぎに魅せられた。又、柔道では安倍一二三、詩きょうだいのスマートな一本勝ちには胸の内がすっきりして、そこらにうろうろしているコロナウィルスがすっ飛ばされて行くようである。そして卓球のダブルスでは、水谷隼と伊藤美誠両選手の大奮闘で、中国の厚い壁を破って堂々の金メダルの獲得である。そして又、体操の男子個人総合で橋本大輝選手が金メダルを獲得した快挙である。未だ19歳、内村航平選手に代わって将来が楽しみである。

  テレビ観戦で張り合う熱戦と、詳細な演技までを楽しんで観戦しているが、始まって間もないことながら、ふと気が付いたことがある。五輪がますます商業主義化されてきている近年の傾向も気になるが、五輪で戦うほどの競技でもなく、これは如何かなと思うような種目が登場してきていることである。勿論人によって好き嫌いがあることだから一概に言えないが 時代の流れとは云いながら、競技としてはいただけないものも散見した。 五輪精神にのっとり、心、体、技をいかんなく発揮してその涵養に努め、美と、力と、スピードを競うものと普遍的に解釈して来ている。そうした基準に合わせると、少々羽目を外したものもないわけではない。更には崇高な理念に従って真・善・美の極致を深め、人間性を求めていくものであってほしいと思うのである。 そして凡庸に帰れば、バッハ会長が挨拶してたように、「平和と連帯」を標榜するものであり、世界に広めて具現化していくことではないだろうか。      7月29日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ