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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.15.05


訪米中の安倍総理

   訪米した安倍首相を、アメリカとアメリカ議会は大歓迎で、最高のもてなしをしている。先だって安倍首相を迎えた大統領主催の歓迎会で、オバマ大統領は粋にも俳句を詠んで米国民を代表して最大の喜びを伝えたのである。「 春盛り日米同盟なごやかに 」 の一句である。松尾芭蕉も、これには儀礼的に賞賛の辞を送ったに違いない。俳句を詠んで歓迎するとは誠に粋な計らいであり、日本人の心に精通して、心憎い演出に感服したのである。それもそのはず、それは大いなる喜びであろう。日本の集団的自衛権の発動の行使を容認する法律の閣議決定をお土産に、安倍さんも、オバマさんも、ともに助け合う友人として、凱旋気分でアメリカ訪問を達したからである。集団的自衛権についてはまだ国会の議論も了解も得ていないし、国民がどう思っているかは後回しで、先ずはアメリカに報告するのが先決だからである。アメリカは日本の強力な軍事的援軍を得たし、日本はどこまでか知らないが、強力な自衛隊の援軍をアメリカにあたえ、互いにパートナーとして敵の攻撃、侵略に共同して対処してゆくことになった。もとより日本は今までアメリカの庇護のもと、日本の防衛と安全をお頼みし続けてきたが、今度は双方で日本の自衛活動を練っていくことになった。アメリカ軍が行動するあとについて、日本国の存立が危ぶまれるときには行動を共に相手に戦いを挑むという話である。どこまでが自衛活動になるか、日本の安全を脅かすことになるのかほ判定は難しいことである。その判定を下すのは時の政府であるから、いかようにも判断が出来て、国民の意志とは関係なく、と云う場面だってあることになる。集団的自衛権の発動と云い、その前には、特定秘密保護法案なるものが出来上がっているし、昔の治安維持法と同じで、それを作っている今のご仁は、その怖さを知っていないからいい気なもんである。戦場に駆り出された連中はいないし、お国のために命を張った兵士たちの心情をわかるはずもいない。大きな犠牲を余儀なくされたのである。貴重な経験を教訓としようとせずに、そうした物騒な世の中を強いて作ろうとしているように思えてならない。然しながら、いざとなったら一国で立ち向かうよりは、日米両国で作戦を展開して、より強力な力を以て立ち向かうことが出来るし、又抑止力も出てくるからである。実際に戦争が起きなければ、素晴らしい堅固な友情の絆として歓迎されるべきだ。しかし紛争が起きた場合の状況を考えると、手放しでは喜べない。
戦後七十年間、不戦を誓ってきた日本が、国民感情として、交戦権をどこまで容認できるのか。憲法九条が厳然としてある以上、議論はこれからかもしれない。先ず、平和主義、民主主義の日本が、戦争を起こさせない努力を払っていくことが、今の国際社会に対する最大の急務であり、責務である。そう考えると、日本から取り寄せた日本酒でなごやかに乾杯と云って、日米同盟を祝福できるものかどうか心配である。順序が逆だと、かみつく御仁も沢山いるからである。
    現実には、巨大中国の海洋進出が問題化されつつあることから、尖閣湾辺りで日中の軍事衝突だって無きにしも非ずだから、そうした場合の抑止力になって、中国を牽制することの効果も発揮するであろう。そこに期待したいところである。逆に、中国を念頭に置いたものとは限らない。同盟国のアメリカが、中東や他の離れた地域で紛争の当事国になって救援を求めてきた場合、自衛隊の派遣だってあることに違いない。さてその場合にどう判断するか 。最近活発に活動する中国の海洋進出に対して、この警戒に当たっていた米国艦隊が、仮にフィリピンやベトナム沖で中国艦と衝突し、甚大な損害を受けて応戦中の場合、日米同盟を組んでいる日本政府、日本の自衛隊は、これを見過ごすことができるかである。出来ないであろう。直ちに出撃である。直接日本の安全の脅威に至らなくとも、同盟国が参戦している時に、これを援護し、或いは救出しないわけにゆかい。勢い自衛隊も中国艦を敵視し、撃ち合いになる可能性がある。交戦は限定してできるものではない。はずみでさらに範囲を拡大していくことになり、文字通り戦争状態になる可能性がある。
   あるいは東アジアでなくとも、北極圏あたりに進出する中国艦と対峙するアメリカ艦隊があって、領海、若しくは領海資源を巡ってにらみ合いの状態が続くとした時に、同様の事態が起こらないとも限らない。外国に対する敵視政策は、外国からの自国への敵視政策になって、いつ時刻に攻撃を仕掛けて来るとも限らない。昔の戦争と違って、科学の進歩によって軍事兵器の開発も比較にならぬほど進んでおり、 一瞬にして壊滅状態を惹起せしめるものである。一秒を争う先制攻撃となるであろう。いち早く敵方の中枢機関を攻撃、撃破した方が勝利を収めることになる。まかり間違えば致命的相撃ちともなりかねない。どちらが勝って、どちらが負けると云った結果ではない。集団的自衛権の発動とは、聞こえはいいが、敢えて戦争を誘発しかねない危険性を持った法改正の結果である。 いうなれば、他国同士の戦争に、日本が進んで関与していくことになる。 その覚悟が果たして今の日本人にあるだろうか。そしてそこまで認識しているだろうか。甚だ疑問である。
オバマ大統領が詠んだ一句  春盛る日米同盟なごやかに   ではあるが、果たしてなごやかなものかどうか内容次第、使い次第である。世の中には色々の考え方があって、人間が生活している。極論するわけではないが、元来が競争心、闘争心を持ち、支配欲を持ち、車馬は一皮むけば権力闘争剥き出しの社会であり、毎日がその実態である。共存、共栄が叫ばれるゆえんであるが、少しでも対立、抗争をなくす努力が必要である。そのためにいろいろと方策が考えられ、試行錯誤を繰り返す歴史が連綿と続いてきているわけである。戦争体験者は、すべからく戦争反対論者であって、未経験者に限って戦争推進論者が多い。彼らは殺戮を趣味とする種族であり、自らは決して弾の前に出ず、後ろからけしかけるだけである。銃剣を以て暴れまわる、極悪非道のイスラムの狂気を目の当たりにしている。
   今回期せずして憲法の第9条の根本精神に触れる集団的自衛権なる法律が閣議決定されたが、そして特定秘密保護法案もあったりするが、外交政策の一環としてとらえ、無益な発動までに行かぬよう、逆にこれが踏み台となって平和への努力が試されてくると捉えるべきではないだろうか。その時こそ戦争放棄をうたった憲法第9条の精神を発揚し、文化の香りを世界の国々に放ちゆくべきである。反戦、反核、人道に合った日本文化、それらを大いに発揮して世界に乗り出して、集団的自衛権の発動を容認する法整備を、実質なきに等しいものにしていかなければならない。70年前300万以上の犠牲者を出して廃墟と化した日本は、敗北の捕囚となって何年かをどん底の生活の憂き目にあったが、戦争放棄を決断したことによって、経済の発展に傾注することが出来た。70年目にしてその平和憲法が根底から崩されようとしている。
   中国を意識したというよりも、改憲論者はそれ以前にも根強く、アメリカの押しつけ憲法と称して老人の、一部懐古主義者が狂信的にいた。昨今、中国の台頭を過剰意識し、改憲の道を突き進む人たちに利用されている節も無きにしも非ずである。13億の国民を抱する大国中国の行動も、対外進出に際し目に余るが、一方でアジアインフラ投資銀行の設立で見るように、合法的手法で積極的に経済外交を進め、他国をリードつつある。むしろこうした意欲に対応した柔軟な政策をとっていくことが将来的に重要な鍵を握っていくことになるだろう。今、平和維持の岐路に立たされている日本の姿を、目の当たりにする今日である。自国防衛はもとより必要であるが、単純に考えて、他国同士が勝手にしでかす戦争に巻き込まれないようにすることも現実論として必要になってくる。いつの時代でもありうることである。あるとき、日本だけは違う国であるという観念を持った外国人が、敵愾心を以て戦争を仕掛けててくるだろうか。無法者が現れた時には敢然として立ち向かえばいいし、そのための準備は当然持っていて然るべきである。的確な状況の判断が重要である。
日本の政治姿勢としてはもとより、世界の各国が、安倍さんの演説の締めくくりとして言った言葉に共鳴を持ってもらいたいのである。自由と平和と民主の精神こそ、我々の目的でなければならない。安倍首相もアメリカ議会演説で、左様に訴えている。この緑にあふれた平和の地上から、地球から、地獄の戦場を駆逐していかなければならない。                                      続  5月1日

自由と人権、民主と平和の日本国憲法

  一国の法律の根幹を定めた憲法について、日本国憲法の精神ほど世界に冠たるものはない。第二次世界大戦で敗北し、多大な犠牲を払って、凄惨な歴史を経験して作られたのが日本国憲法である。戦後七十年を経、今憲法九条をめぐって議論が熱くなってきている。それを取り巻く法整備一つをとってみても、熟慮を重ねるべきことが沢山出てくる。世界情勢に迎合して改正を急ぐとしたら、大局を見誤ることにもなりかねない。十分に心して備えるべきである。
 母校の大学で受講した教養科目の必修に、憲法があった。比較憲法論を講義してくださった大西邦敏教授であった。当時、日本国憲法を論じた教授は枚挙にいとまがないくらいであった。しかし大西教授は比較憲法論と称して独特な研究を重ねていた。憲法はその国の全般にわたる法律の根幹を定めたものであり、国の最高法規である。国内の諸々の法秩序を一定の概念を以て規律し、国の在り方をも定めるものである。比較憲法論は、各国の法体系から普遍的な基準となるべきものを帰納しようとする教授の試みであったように思う。 日本国憲法を是として研究することはあっても、世界諸国の憲法と比較しながら、日本国憲法はどのような位置に立っているかを検証する科目はなかった。当時としては異色であり、学問の領域に政治色を持ち込むのではないかと危惧したのである。しかし教授は学問的に研究し、これを厳しく分析して講義に用いていた。つまり、日本国憲法は自国の安全を維持するために軍隊を持つことを禁じており、他国からの侵略に対して交戦権を認めていないのはおかしいという議論であった。戦争を放棄した憲法9条を指して言っていたのである。 こうした論議は、世界の国々の憲法を研究して、それでは日本の憲法はどうであるかと云う比較論からの学問であった。自国の安全を守るために、これこれの国が自国の軍隊を持っているが、それが数にして何割にもあたるとして、それでは日本の憲法は果たして外国と比較して容認できるものかどうかと云う論議に持っていったように思う。憲法擁護論者と、憲法改正論者は当時から激しくぶつかりあっていたのである。改正論者は、主に反米主義者に多く、保守的思想をもったグループに多かった。今からすると不思議なくらいであるが、現在は皮肉にも日米同盟を固い絆としている、そして米国と共同で安全保障上の観点から改正しようとする動機であって、それほど現代は世界情勢の変化と、価値観の変化が錯綜しているのである。
各国の憲法の重要な条文をすらすらと、立て板に水のごとく語り、教授の暗記力の素晴らしさにびっくりしたものである。しかしそれとて法改正があった時には暗記力も打ち消されて勿体ない話だと、冗談混じりに話し合ったものである。大隈銅像の後ろに新しくできた共通教室があって、そこに800名からの生徒を収容し、主として一般教養科目の授業が行われていた。テキストは当時、貧相なもので紙質も悪く、わら半紙にガリ版で刷られたものであった。細かい字で読みづらく、しかも分厚いものであった。ちゃんとした製本ではなかったから、保存することもおぼつかなかった。従って手元から消滅しているのが、今になると惜しい限りである。保存が可能であれば、思い出の一冊となっているはづであった。考えると、諸外国の憲法は結構頻繁に変えられていると聞くから、大西教授がガリ版に記載した多くの法文は、大方消滅しているかもしれない。
そうした中で、日本国憲法だけが厳然とし最高法規の貫録を以て君臨しているとしたら、いったいその理由はなんなのか。普遍的原則を高らかに歌い上げている証拠かもしれない。ただ大西教授には、青臭い学生の分際で批判めいたことを云うかもしれなかったが、ある時訊ねたことがあった。外国の憲法を列挙して、比較論から日本の憲法もそれらにならって、こう有るべきだとする論法にはどうも賛同しかねると云ったのである。持論の学問にケチをつけられたかもしれないが、人間社会で制度上の普遍的な原理原則は盛り込まれるべきで、それを理想とするものであっても、思いは国情によって違ってくるから、理不尽だと思うことも出てくるのではないかと云ったのである。少なくとも、日本の憲法のように民衆の人権の擁護と確立を目指し、平和を追求してやまぬものは必要だろうと、云ったことがある。教授がそれについて何と答えてくれたかははっきりしなかった。封建的な色彩の濃い憲法だってあるだろうし、宗教的な国情を反映したものもあるだろう。そもそも社会主義国と資本主義の相違から生まれてくる憲法の内容も、違ってくることである。独裁国家と、民主国家との差もある。専制君主国もあれば、民主共和国もある。しかし基本的に人間性の確立をうたってある戦後の日本国憲法に、世界の国々こそ、これを以て範となし、改正をもくろんだらどうだろうかと。憲法のあるべき哲学を理解し、国情に合わせて考えながら、人間性の本質に迫る基本を堅持することが大切である。
  大西教授は、右顧左眄しない意志堅固の立派な学者であったから、時の政府にも珍重されて、当時の自民党の憲法調査会の座長になって、憲法改正の取り組みをしていたのである。だからと云って勿論、戦争容認者ではなく、出来れば戦争などないに越したことはない、否、あってはならないという意見であったと思う。当然のことである。明治維新の謂わば下剋上に等しい権力闘争の中、政権奪還に挫折した大隈重信だが、初めは立憲改進党を創設して総裁となり、じゆうみんけんうんどうのたてやくしゃであった。板垣退助らと憲政党を組織し最初の政党内閣を、組閣した。立憲政治の確立に尽力した。浮沈を経ながら、政権奪還にも奮闘した。だから腹いせに野に下って一時期、在野精神を盛んにぶち上げたのであって、権力志向の人物であったことは確かである。大隈銅像は二体あるが、キャンパスの中央に置かれていて、ちょうど大隈講堂と共通教室の間に位置した立像で堂々たるものである。暴漢に爆弾を投げつけられて、右足を失脚して杖をついている銅像である。他の一体は宮廷内で着用の大礼服をまとったもので、大隈の学問の独立にそぐわないとして、別に大隈講堂内の回廊に置いてある。当たり前である。


日本の戦後七十年の来し方の自由と平和の憲法のもと

繰り返すなかれ戦争の惨劇を戦後七十年の誓ひあらたに

七十年前の戦禍を知る人も減りて薄れる反戦意識は

経済の繁栄を得て悟りける戦争のなき平和国家の

日本の平和と民主の憲法の誉れも高き文化とはなる

我らみな国の栄へと国たみの安寧の日を常に思ひつ

平和呆けする若者の主張せる戦力拡大と摩訶不思議なり

安倍さんのアメリカ議会の演説に一部に熱き思ひ覚へし

老ひぼれのしきりに軍国日本の復活を云ふ聞くもまどはし

国たみの暮らしの安き栄へ得てのどかに過ぎぬ我れがまほろま

憲法を世界に範を示しなほ広め行きしは誉れ高きも

君が代を歌ひ爆死す青年の胸に母君の写真抱きて

殺しあふ野獣のごとき戦場の神に逆らふ人のおろかし

人肉を食ぶ凄惨の場もありぬ戦火の孤島に生きる兵士よ

飢餓にある子のながらへと自らの身を分け与へ死せる母かな

土煙りあげつ猛進の戦車隊先に逃げ行く避難民らよ

飢餓の子に出ぬ乳を見て己が身の肉をちぎりて与ふ母なり

若者をまた戦場に送ることなきこの憲法を死守すべきやと

戦争の惨禍を再びこの国にもたらすことのなきを望まん

こいのぼり高く掲げてわらべらの歌聞こえきぬ初なつの空

あほぞらに雄々しく泳ぐ鯉のぼり5月5日の我らまほろば

花の咲く野辺より若き乙女らの清き調べの歌きこへきぬ

みどりもゆ里の農家のたたづみにのどなに泳ぐ鯉のぼりかな

草笛を鳴らし草道をゆく子らに山羊を引く子があとにつづくけり

夏雲の立ち上る朝わらべらの富士のたかみを目指し行くなり

戦争のなき平和国家を打ち立てて国の栄へを守りゆかまし

日本の自由と平和と民主主義高らかに揚げ世にも広めん

地球規模に自衛隊を派遣せで我が憲法を地球規模にて

九条を改正せぬも日本の自衛を果す術もありなむ

なにものに代えがたきなり日本の真の平和を説ける憲法

九条の理念を掲げ自衛力強固なものとすべく策あり

雲の峰つきて聳へる不二やまの我が平和憲法の斯くの如くに

憲法に定め国たみの理念とす自由と平和と民主と人権

米軍の艦砲射撃に飛ばされし友の顔面のただれおちけり

焼夷弾夜間空襲の破片受け足切断に死なず生きのぶ

星の夜に焼夷弾のあめあられ落ちて破裂し火の海と化す

逃げ惑ふ市民の多くが火の海の犠牲となりて燻るしかばね

ててははとはらからと手を取りあひて戦火をくぐり助かりし我

B29夜間空襲に火の海と化す街なかを逃げて行きしに

黒焦げの丸太と燻るしかばねの焼けあとにあり空襲のあと

終戦の間際にありぬ空襲の水戸の夜間の空をほむらに

千波湖へ一目散に火の中を逃げ行く時の夜間空襲

てて母とはらからの手を握りしめ火の町なかを逃げて行く吾

学校に行かで勉強もろくにもせず生きながらえし我が少年期

ひめゆりの女子学徒らは砲弾に死し自決する人もありしと

ひめゆりの女子挺身隊の生存者らの証言に涙ながしぬ

涙なくして聞かざりしひめゆりの学徒証言の悲惨なるさま

愚かなり人を殺めて憚らず野獣となりぬ凶暴の果て

憲法の改正を説く蛆のごと広ごりぬ平和ぼけして

戦場に行かざりし者なべて云う憲法9条を改正せよとも

驚きぬやたらと憲法改正を叫ぶ人らの若者にあり

9条の改憲反対に6割強世論調査に安堵するなり

憲法の第九条の意義を今すごむ戦場に教え示さむ

終戦後過ぐる七十年の日本に確と根ずける平和憲法

日本の平和憲法の精神を世の隅々に広めゆかまし        続   5月3日

こどもの日

すくすくと育つまなごは日本の未来を託す宝なりけり

草笛を吹く子のあとに山羊を引く兄の少年が竿をふりつつ

尾瀬沼の燧ケ岳の狭霧消え森の深みにかっこうの声

田植え済み水をたたへる田の面に泳ぐ二匹の鯉のぼりかな

緑もゆ里の農家の屋根高くのどかに泳ぐ鯉のぼりかな

ふるさとを出でて男児のこころざし大きくなして世にもたらさん

武者人形かざりて鯉の滝登り子供に勇気を与え求めん

空高く泳ぐ二匹の鯉のぼり宅に二人の子どもいるらし

風車くるくるまわしかけていくわらべに夕餉の明かりともれり


   5月の連休は久しぶりに晴天に恵まれ、行楽地にはどこも多くの家族ずれでにぎわい、いよいよ終日を迎えるに至った。4月29日から休みを取った人は今日までだとなんと8日間の長さにもなる。海外旅行を楽しんだ人も大型連休を満喫して、その数もきっと記録的なのではないだろうか。とやかく言われながらも、景気は徐々に回復を見せ、大手企業を筆頭に業績回復は史上最高値を更新するところが多く、賃金の昇給もあって、徐々にすそ野が広がってきている。法人税の納付が30兆円に達するという試算も出てきて、活況である。自分の持っているのは一向にさえないが、株式の上昇も手伝って、消費景気に拍車をかけている。銀座界隈では連休に入る前から外国人観光客であふれるような時もあって、遠近を問わず内外から日本を訊ねてくる人たちでいっぱいである。めでたい限りだが、これには理由がある。日本は戦争がないから安心なんだという若者が話していたのが印象に残った。確かにそうである。憲法9条があって、日本国には戦争がないから安心して滞在し、むしろこれをきっかけにして永住したいという若者の明るいまなざしがあった。平和志向は今の若い人たちにとっては、最大の価値観としてとらえていると考えられると思ったのである。
   景気回復は、国の予算を戦費に使わずに、出来るだけこれを民生の安定に回しているという日本の理由つけは正しいかもしれない。時の政府の経済政策の能力的優劣にもよるが、安倍さんのように政策立案について、しっかりとした経済知識を持っていること、そして実践していく勇気があること。これが重要である。しかしその安倍さんも、最近は経済一途から浮気をはじめ、外部環境の変化にもよるが、どうも何かと言いわけがましく講釈ををつけて、世界の地域の抗争、対立に加担しようとしてきていることは、安倍さんの功績を大いに損なうことにもなってきていて、これについては残念な気がしてならない。 先ほどの好意的な外国人観光客ではないが、日本のイメージが損なわれてしまうような気がしてならない。今世界各国を見ると大なり小なり危険地域に指定されている国があって、毎日のように悲惨な犠牲者が絶えないからである。日本にはそうした事件や犠牲がないから幸運である。それは70年間に築き培ってきた貴重な財産である。これを軽々しく手放すことがあってはならない。
   日経新聞の一面に今、世界の株高な続いてきて時価総額9000兆円に達していると云う記事が載っていた。捉え方からすると滑稽だが、地球丸ごとの値段である。4月末の統計でも、世界のGDPの合計に匹敵する数字である。勿論史上最高値を更新するものであることは言うまでもない。主要国の金融緩和などを背景に、アメリカやドイツなどで史上最高値の株高が続いているからである。気前のいい話で明るい話題となって結構ではないか。単純には言い切れないが、私はいつもオフィスで三菱UFJモルガンスタンレー証券の美人乙女が持ってきてくれる、日米の株価の歴史的チャートを参考にして友人たちに話しているが、アメリカのニューヨークダウは尻上がりに理想的に上がってきて、資本主義的経済の本質的意義をも表現していると証言しているのである。それに引き替え、日本の東京証券取引所の日経平均株価のチャートは、バブル時期の25,6年前に付けた1万8915円の未だ半分以下である。ニューヨークは8倍以上になっている。この際立った相違は一体どこにあるかである。愚かなデフレ政策をとってきて無策だった20年間もあるが、日本経済の構造改革が遅れているのではないか。同時に東北大震災で蒙った影響があるだろう。
   こうした世界で、飲まず食わずの戦乱状態を経験している国々が絶えないこともおかしな話で、矛盾も甚だしい気がしてならない。優劣を極めた指導者によって、国民の生活状況も天と地、楽園と地獄の差である。欲を言い出したらきりがないが、戦争を回避し、戦争をしない国と、その逆の国と地域の差である。これは決して差別、蔑視ではない、賢者と愚者との差である。その時、賢者は貧しく慎ましく、愚者は奢侈で傲慢なものである。  貧しく慎ましき賢者のもとで、国たみは栄え安寧の日々を送れる。 奢侈で傲慢な愚者のもとで、国たみは苦しみ戦乱の日々を過ごす。おかしなもので、戦争を好みやくざ的な性格を持つ指導者が、得てして人間社会に現れてくるのも、突然変異の結果かもしれない。双極性発祥の躁うつ病患者が多いという。今に始まったことではないが、近代でも近くには夏目漱石がいるし、太宰治はひどかったというし、気違いじみた死に方をした多くはすべからくそうした病にかかった人間である。ピカソもそうであった。天才にも愚者にも多い。普段は見分けがつかないからである。そうした愚者の仕掛けにかかった国民は、悲劇である。賢者だったものが、次第に愚者になるケースもある。周囲の事情や環境がもたらすこともあるが、しかし潜在的にそうした素因があって、それがある時期から自然と発生するときと、環境からの刺激で表面化してくることもある。精神科医が指摘している、両極性云々と云った証明である。その見分けがつかないから、指導者の任期を定めた慣習、規則を盛ったところもある。それは社会によく採りいれられている部分である。任期と云われるものである。人間の欲望と寿命には任期を付けていない所は、面白い気がする。国務大臣の任期もあるし、一般社員の定年制は、その最たるものである。    
   肉体的限界を知らなかった頃は、元気発散して連休を利用して海外旅行に出かけたものだが、最近は若ぶって行動していても、悔しいかな限界を感じることが多くなった。友達の中には既に限界を熟知して、それにふさわしい生活をしているものが沢山いるが、中には限界を知り尽くしてグッドバイした奴もいる。健康維持にもそれなりの努力はいるのと同じように、若さを保つのも心身の努力が必要である。 幸い拙宅にはわずかの菜園があって、野菜の高騰する今、大豊作に恵まれて、連日収穫に、食欲に、大変である。小松菜、春菊、大根はもとより、ホウレンソウが大きく育って煮つけにして腹いっぱい味わっている。大根も身を食べるのではなく、むしろ葉っぱの方を目的に育てている。ホウレンソウも何だか馬鹿でかく育ち、薹の部分が太く高くのびて、これがまた実に柔らかく、茹でてあく抜けさせてから、胡麻和えにして食べるのが手がかからず、しかも極上に旨い。ホウレンソウを差し上げた先の人が、異口同音に言っているから確かである。自家製でしかも無農薬の、大げさに言えば有機栽培だから何の心配もいらない。春菊などはつまんでその場で食べたりしている。菜園とは云いながら、もちろん食べきれるものではないので、近所に配ったりして大層喜ばれている。
   土に育つ野菜だから、生育旺盛だと、それなりに水を補給しないと力を失ってきてしまう。今年の大型連休は運よく快晴に恵まれた。畑には水分の補給が大切なため、日数をかけた外出は生き物を飼っている人と同様、不可能である。 海外旅行を遠慮して、専ら近所を散策し、横浜や箱根などに遠出を楽しんで、家では野菜の収穫と、その後の苗の植え付けに精を出している。 昨日はトマト、キュウリの苗を買ってきて、先ほどその作業を終えたばかりである。あっという間にすぎて、充実した大型連休であった。
   それにしても行った先の箱根のフジビューマンションでは、写真家の杉村さんが、先刻見事に撮影した富士山ほどではなかったが、時折姿をのぞかせてくれたので運が良かった。二、三日前から箱根山の大涌谷の温泉の湧出地周辺に、火山活動の微震の回数がかなり増加してきたという物騒な情報である。気象庁の話によると地下のマグマの活動が活発化して、地下で水蒸気が高圧化して上に押し上げられてきているという。観測結果では、山も少し膨らんできて、地下にマグマがかなり大きく移動しているとの話でもある。もしかすると水蒸気爆発を起こして、小規模の火山性噴火をする可能性があるとした。こうした情報が流れたりしてから、観光客が減り始めたという。私はいつも長尾峠から箱根仙石原におりて芦ノ湖にまで車を飛ばしていくのが常なので、他人事でない気がしている。長尾峠からは、箱根の風景が一望できるし、中央の箱根山とその山腹の大涌谷に立ち上る水蒸気の白い噴煙を、目と鼻の先の眼下に眺めてきている。景観は雄大であり、何千年か、何万年か前にできた箱根カルデラの絶景の一部なのである。仙石原と芦ノ湖を抱いて静かであるべき箱根山は、地下から猛烈に水蒸気を吹き上げて確実に生きている。今回、構造的には地下のマグマがガスを熱し、蒸気を膨張させ山を動かしてきている。異常に噴出してこなければいいが、少しずつガス抜きをしないと、あまり貯めてしまうと爆発の規模を大きくしかねない。そうした火山活動の一環が、大過なく収まってほしいものと願っている。半径300メートル周辺の立ち入りを禁止区域としているが、既に箱根山周辺への登山道は通行禁止となって物々しい感じである。直接的な被害の影響はないとは言っても、大自然の営みのことゆえ未知数なものがある。火山性地震の、どすんと突き上げるような響きと揺れは、気持ち悪い。しばらくはフジビューマンションにも行けそうもない。こうしたことから、さらに観光シーズンを迎える夏に向かって、箱根山の観光地に与える影響も大きいから心配である。私も慣れた道とは云いながら、先刻フジビューマンションに行ってきたが、薫風さわやかに、青ぞれの中を飛び立つような気持で車を飛ばしてきたが、つい山の裏で山が動いて燃えているという物騒な話を聞いたりすると、何かいたたまれない気持ちである。去年、SECエレベーターの鈴木会長にお世話になって、エレベーターを新品同様に全面改装したばかりである。組合の理事長を務めて早や15年になる。責任上、マンションの安全確認にも万全を期していないといけないわけだ。
   今日の午後三時半からは、可愛いいあきほちゃん、ゆきほちゃんの二人の姉妹が英語の勉強をしに家にやってきている。この春に中学生になったばかりの女学生である。勉強が済んだら、庭でバーベキューをすることになっている。二人の姉妹は連休にお父さんの車で那須にあるおばあちゃんの別荘に行った後、仙台に行ってとんぼ返りをして帰ってきたそうである。那須で買ったお土産を、おじちゃんにと云って持ってきてくれた優しい子たちである。勉強が終われば庭でバーベキューするが、外はみどりのそよ風で、初夏の光とさわやかさでいっぱいだ。 そうだお土産には、二人ともほうれんそうが大好きだと云っていたので、帰りには沢山持たせてやろうと思った。         5月6日

庭畑の作業

    本から得た知識もなければ、学校で教わった知識でもなく、少年のころから何となく身に付いたもので、大げさな話に聞こえてしまうが一年を通じて、土を耕し肥料を足し、種をまいたりして植物の成長を楽しんできている。趣味と効用を同居させた形で、心身の健康にもなっている。縁と運とタイミングが良かったのだろう、混雑気味の浅草から今の等々力の場所に念願の住まいを得てから、早や40年がたつ。以来ここを生活の本拠地として、生活の糧を得た生活をしている。大学を卒業した後、いったいどうような人間として社会生活をしていくのだろうかと、確たる思いも自覚もなかったが、紆余曲折を経て今の状態である。もとよりやり得なかったことで残念なことも数えればきりがないが、先ほどから外で小鳥がさえずっているように、気付かなかった小生の不平不満を代弁してくれている気がする。わずかな菜園を通じて近所に、心身共に唯一の友人である三井さんが人生の友として与えられているので、こんな幸わせなことはない。今も家内が下で、おじちゃんが来てくれたわよと云う声がして下りて行った。庭の散水機のホースが破れて使えずに困っていたところである。家内は新しく買った方が良いと、租きりに新しい商品を口にしているが、小生は、古くなっているとはいえたかがホースがキレた嫌いで買うほどのこともないと思っているにである。そうした折に聞きつけた三井さんが直しに見に来てくれた。下りて庭に出たら既に三井さんが道具持参で散水機のホースの取り付けをしている最中であった。途中からホースをわずかに切って散水機の金具の口にはめて、針金がないかと云っているので、家に飛び込んで道具箱を探したところ幸いにも針金が見つかった。手柄に思いながら、これをおじちゃんに渡すと、これで間に何とか合ったと言われて、何だか学校の先生に褒められた生徒のように嬉しかったのである。はめたホースの口元をしっかりと結びつける作業を手伝って、修理が速やかに終了したわけである。ちょっとした満足と嬉しさを心の中でかみしめていた。庭にあるテーブルの椅子に腰かけて、ひと時のお茶を飲んでいた。おじちゃんと話をしている真に、家内が尾山台商店街の甘味店で柏餅を買ってきて,おじちゃんにおみやげとして差し上げた。柏のおいしそうな匂いがした。おじちゃんの、随分沢山苗を買ってきたねと云う話で、先ごろ新たにトマト7本とキュウリ2本の苗を買ってきたばかりである。苗を売っているとどろき花苑のばあさんが、これでずいぶん食べられますねと云っていたが、すべてがそうなるわけではない。苗が悪ければ途中で、トマトは正直だから木の先が縮んで生育が止まってしまう病気があるので、3割は覚悟しなければ駄目なんでねと話してきたばかりである。園芸博士のおじちゃんに、苗の植え方と場所を指定してもらおうと訊ねたので、それを参考にして植えるつもりである。あとからきっとおばちゃんが見えて、本格的な補修をしてくれるに違いない。植えた苗が7月から8月、9月と沢山実る頃が楽しみである。
   ところで追加に買ってきた苗木はトマト、キュウリで9本である。過日植え付けた分と合わせると結構な広さを取ることになってしまう。合計すると全部で16本で、おじちゃんがびっくりしているのも、むべなるかなと思った。苗が毎年に比べて見栄えのした大きく立派なものだったので、衝動買いが多少あったかもしれない。既に黄色い花をつけたりしていて、丈夫そうに見えた。
   そして今日は母の日である。娘の明子から妻に約束の連絡があって、六本木で夕食に上等のステーキを出してくれるレストランで予約を入れてあるので、6時に地下鉄日比谷線の六本木駅改札口に来てほしいというのである。庭畑の土いじりをして仮眠を取った後なので、意気揚々として家を出た。所定の改札口に出ると修平君と明子が赤いカーネーションの大きな花束を抱えて出迎えてくれた。六本木のアマンドは古くから待ち合わせの目印であったが、今もって健在なので安心した。アマンドの店の交差点を狸穴の方角に向かって歩いていくと、懐かしいVIVIクラブのあるロア・ビルの前を過ぎて行った。途中にあった後藤花店はなくなっていて、当世はやりのカラオケの店に代わっていた。VIVIクラブには以前から会員に入っていたが会員権は今は紙ぺらである。、アスレチック・クラブであったが、私はおオフィスの帰りに専らそこのサウナに入るために使っていた。サウナも癖になるとひどいもので、一種の習慣病になってしまい、夕方の決まった時間になると、体が行きたくてたまらない症状になってくるのである。サウナに入ると前後して決まってコメディアンのフランキー堺が居て、気持ちよさそうに汗をかいていたものである。別段交際している中ではないが、私を見ると先生!と云って互いに挨拶を交わしていたが、何びとかに勘違えしていたのだろう。あるいは場所柄プロデュサーか、ディレクターと間違えていたのかもしれない。それ以上の会話はなく、いつも陶酔状態にいて汗をかき、快く通り一遍の挨拶を交わしていたものである。私は途中から医者の忠告で、サウナ通いから次第に遠ざかって、完全に行かなくなってから久しい。そんな思い出が一瞬、脳裏をよぎったのである。VIVIの先を行った向かい側の通りに、有名な青葉会館の大きなビルがある。敷地千坪、8階建ての立派なビルである。友人が持っていたビルで売却を頼まれて、当時の外資系の大手金融会社が債権者だったが、バブル・金融危機で潰れたリーマンブラザーズと、今もって健在のメリルリンチを相手に交渉した思い出がある。百億を超す商いで、小生の活躍の独壇場となって血潮沸き立つ思いだったのである。持論の信用と誠実と忍耐がいかに大切であるかを、身を以て裏ずける仕事であった。小生を心から信用して活躍の場を与えてくれたオーナーの社長には、いつも感謝しているし、その社長も盆暮れには、いつも時候の挨拶を忘れずに、律儀に訪ねてきて下さるのである。
  話題の話のビルの手前を右に折れたところに、今日の訪ねるレストランがあった。なかなか予約を取るのが難しい店とのことである。入った途端、その贅沢な店内と、それでいて明るく華やかな雰囲気に、一瞬思いだした場所があった。ニューヨークマンハッタンはブロードウェイの、ある大きなステーキのレストランに入った時の光景である。アメリカ的でどことなく活気に満ちて、なにがしか雰囲気が似ていて懐かしく思った。テーブルに案内されてから、明子にそのことを云ったところ、お父さん、その通りだわよ。ブロード・ウェイの店がここに出したのよ。ピッタリだわと、如何にも誇らしげに言った。それじゃあ、今宵はニューヨークに来たつもりで大いに楽しもうと云いあったのである。ウェイター、ウェイトレスらは日本人、外国人が共に息があって忙しそうに働いているが、清潔で礼儀正しく、マナーが感じよいのが客の満足にも大きく影響している。カウンターの奥から二丁拳銃を持った保安官、扮するは名優ゲリークーパーが颯爽と姿を現すような、そんな勇ましい雰囲気も想像するようなところがあった。憧れの西部開拓時代を再現したアメリカ映画を、豪華に思い出す感じである。ステーキの注文は娘夫婦に任せたが、勿論我々の趣向を知り尽くしているから安心である。
   大きな陶器のプレートに分厚く大きなステーキが運ばれてきて、そのボリュームに先ず圧倒された。レアの焼き方を好んで注文したが、ボーイがナイフを入れてそれぞれの皿に分厚い肉片に切り分けてくれ、柔らかく美味しそうな赤みの肉が食欲をそそって、たれをつけて先ず口に入れた時の感触と旨さは抜群であった。アメリカ式、ニューヨークから来た店なので、アメリカ産の牛肉であることは間違いないが、日本産牛肉に決して引けを取らないうまみである。むしろこの大らかなアメリカ魂に負けないような質とボリュームの良さを、何とか日本産牛肉にも取り入れていく必要があるように思うし、それがこれからの日本人の趣向にもあっていくような気がしたのである。つまり高級な牛肉を親しく身近に賞味していけるような内容を求めて行けば、市場の拡大は自ずと開けてくるように思うのである。牛肉を賞味した後の、たっぷり感、満足感は、心身の健康にもつながって、日ごろの気力、体力の回復につながってくるし、母の日に誘ってご馳走してくれた周平、明子夫妻に、特に散財をかけた周平君の好意に感謝するところである。昨日は昼食に得意先の上客の招きで、日本橋の室町で老舗の鰻をご馳走になったばかりである。このところ栄養を付けすぎだよと云ったところ、そうした栄養を消化していくお父さんの胃袋も大したものねと云われて、まんざらでもない気持ちだったのである。明子の働き具合と近況を聞くのも、小生にとっては大変勉強になるし、大いに刺激を受けるところであるが、毎朝5時45分から始まるモーニングサテライトをなかなか見ることが出来ず、残念であるが、多くのビジネスマンにとって必見の経済番組であり、時々ビデオで見たりしているが、大変且つ重要な仕事をよどみなくこなしていると、その仕事ぶりに驚きを以て見ている。多くの内外の経済人やエコノミストと接見して論陣を張って記録にとどめ、時局を踏まえてこれを編集しテレビに流す、いうなれば世のため人の為に活躍する仕事だと思って責任も重いのではと、いつも体を壊さないようにと願っているのである。そして私はこの日、妻のための母の日に便乗して、久しぶりに夜の六本木界隈の若者たちの群れに入って帰り道を楽しんでいた。かくして青春時代を振り返りながら散策できたことも、今日の母の日の大きな収穫であった。   


薫風のそよぐあしたに明子より母の日だよと声のかかりぬ

妻と余をめでたく誘ひ母の日に夕餉のときを楽しまむとや 

ニューヨーク滞在の日を思い出に合ふおもむきの店の構へに 

素晴らしき食卓につく六本木レストランでの趣きのよき

白いばらより頂きし薔薇の樹に薄桃色の花のひらけり

清らかに咲く桃色の薔薇のはな今に育てて嬉しかりけり

母の日の赤きカーンメーションの花束を抱えて妻の喜びあへり

みどりもゆ五月の花のさまざまに薔薇こそ盛り咲きて匂へり

庭に咲く大輪の花きはだちて今朝の光に咲きて匂へり

ステーキを豪快に食み乾杯と繰り返し干すワイングラスを 

面白き店の気配に何気なく異国にありし心地なるかな

保安官扮するゲリークーパーが突如奥より出でし気配に

魅力なりアメリカ西部開拓のころの映画を繰り返し見ん

六本木青葉会館のその先に見え懐かしく覚ゆ商ひ

われが手に大き商ひを任されて心を砕き務めはたせり

夜もなきほどに働くわれを見て無理をするなとのたまひし母

メリルリンチ、リーマンブラザーズと対峙して大き商ひをまとむあの日よ

百億を超す商ひを成就してひとり六本木を歩く若き日

あのころの人ら如何おわせしや無事にさやかに過ごしおるかと

六本木歩道を意味なく眺めつつVIVIのサウナにしきり通ひぬ

気持ち良きサウナに通ひ病み付きにやがて医者より注意さるるに

何事も過ぎたることは及ばざる箴言により処していくべし

六本木青葉会館の商ひに外資の資本とひとりたむかふ

母の日を寿ぐ日にそ娘より妻にさそひを電話にて受く

スマホンを持ち得意げの我が妻の若やぎおればそのままにせむ

スマホより机に向かふ青春をチラシ広告の予備校の然り

予備校の宣伝広告にスマホより机に向かへと諭すあたりは

車中にてスマホにううつを抜かす人十中八、九と数へたまげぬ

六本木改札口に出で立てば周平・明子が人混みに見ゆ

花束の赤のカーネーションを妻の手に祝ひて渡す明子と周平

頼もしき明子・周平の仲の良き夫婦を見ればわれら二人も

特大のステーキを食む豪快にアメリカ産の旨し肉なり

不夜城のブロードウェイの活況に惹かれて入りぬ人の群れにも

ステーキを食めば余に湧くアメリカの開拓精神の大いなるかな                               
                                         5月9日


大阪都構想の否決

  維新の党と、橋本徹市長が賭けに出た大阪都構想を問う住民投票が、5月の17日に行われたが、大阪市民からノーの意志表示を突き付けられて、構想はあえ無くお流れとなった。破天荒な発想で市政と市職員、さらには多くの関係者を巻き込んで物議をかもし、大げさに振る舞ってきた橋下のおっさんと、踊らされてきた大阪市民の金と時間の浪費は何と大きいことだろうか。その間の市政は渋滞し、市民を二分する戦いを演じ、翻弄されてきた。大げさに振る舞ってきた六年間を取り戻すには大変なことが徐々にわかってくるだろう。本人は自分の人生をかけた仕事に満足していると強がって見せ、すっきりしたかもしれないが、翻弄された市民にとっては傍迷惑も甚だしい。大敗したことを逆手にとって、逆説的に民主主義の素晴らしさ、勝利を意味するものだと、他人ごとのように云われてみても今更なんだと云いたい気持ちにもなる。意地っ張りもいい加減にしてほしいものである。まるで小学生を相手に諭すように見えて選挙民をなめた話である。強がりもここまで来ると、人をなめすぎるにもほどがあると云いたい。そもそも投票に参加した半数が否定に回ったということは、如何に市民の多くが橋下姿勢とビジョンにはっきりとノーを表明したかの方が、ずっしりと重く跳ね返ってくるのである。見通しの判断もなく、やたらと住民投票にかけたりして世の中を騒がせ、単に税金を無駄に使ってきたことにもなる。
  そもそも、制度を見直すこと自体、いくら二重行政だが三重行政だか知らないが、体制を根本から変革することであり、落ち着いた論議を諮るべきなのに、前後の見境いなく功を焦ったきらいがある。政治をするのに我が物顔に振る舞って功を焦り、市民と多くの関係者を巻き込んだ責任は重いと云わなければならない。マスコミでは僅少の差と云って惜しむ声もあるが、六年間もかけて、政治生命をかけて、一か八かを打って賭けに出た勝負だとしたら、九割近い賛成票を得るくらいの見通しと自信がなければ、問題にならない。本人は政界引退を大見得を切っているが、もっと早くから引退してもらっていた方が大阪市の為になったし、大阪市民は人が良すぎる気がする。やり放題やらせて、遊ばせるだけ遊ばせて引導を渡したのかもしれない。劇場政治の最たるものである。タレント上がりだから威勢よくがなぐり立て独演場となったつもりでいたが、しっかりした知識を持っていれば、途中で気がついてもよさそうなものである。三文役者を仕立てたどさ廻りの田舎芝居を見る程度のものにしか映らない。確かに雰囲気は勇ましく、てきぱきした意気込みは結構なのだが、いかにも胆略である。自己満足の為に政治をやられたら、たまったものではない。政治家は用が無くなったら切り捨てれだはいいとしても、維新の会なる政党はどうしたらいいか、これからが問題である。党利党略で集まっている政党だが、それでも野党第二党である。維新の名が聞いてあきれるが、身内の問題を抱えて勢力争いを演じ、瓦解しないとも限らない。橋下徹にそっくりとは言わないが、これと似たひとり相撲を演じていた人物に最近では東国原が居た。タレント出身だからどうのこうのとは言わないが、半ばお笑い番組辺りで人気を得て、本気になってしまう人間が多いことも事実である。
  しかし今回、大阪市民は賢明な選択をしたと思っている。このまま橋下徹のおっさんを勝たしたりしたら、、じゃじゃ馬ならしの世の中になって、あたかも橋下だけがいいのだという風潮がはびこることだってある。政治家はある意味で独裁者でなければ何もできないと云ってはばからないくらいである。まして先に云ったように八割以上の賛成票を取ったとしたら、まるで徳川家康が天下を取ったような時代感覚であばれだし、あの調子でいかれたら、ますます増長し、ヒットラーみたいな感じになってきても困ってしまう。地方自治を踏み台にして彼の野望はますます悪性化して、最右翼の石原慎太郎と一緒になったりして世間を騒がせて混乱させる、その素質と傾向は侮れがたい。昔、銀座の数寄屋橋の交差点で赤尾敏が毎日のように街宣車に乗ってマイクを手にがなぐり立てていた。元気のいい旦那であった。通行人に対して、朝日新聞の本社に対して、独演会を開いていた。むっ鉄砲なことを云っているので、よく注意して聞いていたりすると結構面白かったが、所詮はお笑い番組程度のものであった。経歴としては社会主義者であったのが戦後右翼に転向、辻説法を繰り広げていたのが印象であったが。
選挙運動中の都構想賛成派は、専ら橋下徹市長の唯我独尊的な振る舞いと、芸能的演説に興味を持って聞くだけで、都構想の内容についてさしたる理解を持たなかったきらいはあるものの、大阪市民は、ここで単なる二重行政を問われる選挙だけにとどまらないことを感じていたに違いない。極端な改革の舌鋒に乗せられていっても、その急進的な思潮は膨らみだして国政の舞台にまで広がっていく可能性無きにしも非ずであった。大げさに大阪発信の社会の大構造改革と称して、専ら彼が目論む野望を、大阪市を使ってそれをもくろんでいることを、賢明な大阪市民は見抜いていた。橋下の発想は、手っ取り早く地方自治の行政に関する問題を、中央政治の政治的活動に利用しようとするもので、住民の生活意識に根差した堅実で真面目な論争ではない。私はひたすらそれを危惧していたのである。ひょっとするとひょうたんから駒で、将来に日本と国民にかかわる問題にまで発展しかねないと、大げさにすら考えていたのである。時代を駆け抜けた風雲児の如く表現した大手新聞もあったが、むしろ異端児と表現した方が適切かもしれない。普通の人が考えるようなことでない思考、人のできないことをやるということはそれなりに評価してもいいが、今の時代と、幕末・明治の時代とでは雲泥の差がある。維新を掲げる風潮が、吉田屋騒動ではないが、血気に燃えたところがあって危険な思想の一端をのぞかせていなかっただろうか。今の時代、今の日本が民主主義の繁栄を受けていることを認めている点は、彼の認識にもあるから、一つの救いでもある。ひとりのワンマンに利用されないためにも、そしてそのワンマンを追放した大阪市民の良識にならって原点に帰り、党名を「 みんなの党 」に戻した方が分かりやすくていいのではないか。維新の党には国政を担う理念と使命があるはずである。おりしも日本の進路を決定ずける安保法制の議論が国会にかけられており、日本の防衛と軍事力、そして海外派兵の問題は現実味を帯びてきている。巨大な勢力を国会に持つ安倍政権であるが、こうした問題について看過しておれない国情である。安倍政権に対峙した野党の健全化と、国運を左右する岐路に立つ日本を、もっと凝視して国政に参画してもらわないと困るわけである。先日NHKテレビで、軍神と云われた、山本五十六連合艦隊司令長官の回顧録なるものがあった。合理的根拠にたって対米宣戦に反対する強い意思を持っていたにもかかわらず、日、独、伊三国の軍事同盟を結び、時の東条英機ら主戦論を唱える勢力に対して、信念を堅持することが出来なかった山本の苦悩を好意的に美化したものであった。結果、周囲の意見に押しつぶされて、無謀にも真珠湾の奇襲攻撃に踏み切ったのである。彼の指導者としての誤算も甚だしき結果であり、意志薄弱な欠陥をさらけ出したようなものである。当時の指導者らの無知蒙昧と報道管制に、国運は凋落の道を歩み続けた。資源大国の米国を相手に、慢心と過信が決定的となって、日本の運命は奈落へと転げ落ちていくきっかけとなったのである。
  同じように今、日本は重大な岐路に立たされている。いまさらワンマンショウの劇場政治でもあるまいに、人騒がせな風雲児、否、猿回しに等しい橋下おっさんの登壇であった。そんな暇などないはずである。彼はそれを読み切れなかったのである。いまさら彼の実力をそこまで買いかぶる必要はないが、如何にも若者のアジテーターの弾みで、亡霊の如く石原慎太郎殿みたいなのが何人も出てきても傍迷惑である。大阪市民が日本の為に急進的にならずに良かったと思う。彼が云うように、保守的思想の台頭で、最後の僅差で敗れたかの如き感想を述べていたが、保守的ではない。そう決めつけたリするところが、彼の怪しい見方なのである。今回は、大阪市民が地方自治の正しい意識をもって冷静に判断した結果である。橋下市長は、地方行政と政治を足掛かりにして、国政の論議に飛躍させようとするところに問題があることも、気を付けなければならない。正々堂々と国会議員になって国政の場で活動すべきであった。行政の改革、改善は市民の総意を基にして着実に進めていくところに民主主義の良さがあり、彼がいみじくも告白したように、ひとりの独裁者が劇的に決めつけたりするものではない。前時代的発想と手法が、彼の中には渦巻いて、一種刺激的で魅力に映るが大変危険なところもあるのではないだろうか。これに対して彼が売り物にしてきた傲慢な振る舞いこそ問題である。これに惑わされずにノーを突きつけた大阪市民の勇気と民主主義を見習ったようであり、市民運動の勝利として、知的レベルが勝った選挙結果と評価したいところである。     

都構想浪速の空にぶち上げて失速の末打ち果てにけり
大げさに振る舞ひ市民はほんらうし田舎芝居の幕をとじたり
独裁を夢見て立てる異端児の泡沫候補と変わりなき末
ちんぴらとおぼしきものがさわぎたてしみんをだましけむにまきたり
振り返ることも愚かし都構想大山鳴動鼠一匹
チャップリン演じる映画の独裁者チンピラ者がこれをまねたり
演説をぶちあげながら陶酔し責任の無き下劣政治家
騒ぎ立てまくしたてたる演説の空回りして何も得ざりき
6年もやり放題の政治家のやくざまがいの喧嘩しかけつ
日本の民主政治を褒め上げつ負けも大負け敗退の弁
拮抗す大阪市民を二分して結果の惨敗なるに等しき
われこそは正義の味方と見せかけて無垢の民衆を己が楯とし
大衆を無知蒙昧と見下して己がりやくに煽る政治家
志なかばに道を引退す無念の胸のうちもあるべし
人生の山谷あれば出直しも異端児の名をほしいままにし
弁護士の資格をもてる才知にて道の裏表も知り尽くす身に
まだ若き年に恵まれ活躍の人のためにも己がためにも     5月11日


    春の尾瀬沼

初なつの風そよぎきて尾瀬沼に雪どけ水の湛へかがやく           
若者のすばやし動作を見習ひて我が行動も若き目指さん
天つ日のさつきの空にかがやきて尾瀬の木道を妻と行くなり
晴れあがる尾瀬の沼地の青ぎりて燧ケ岳の光る雪かな
やすらかに寝そべる春の至佛山きらめく尾瀬の沼ゆながめつ
山道を登り峠に妻とたち木の間に眺む尾瀬の沼はら
あかぼしのくれない染むる上越の空ほのぼのと明けたちにけり
さすらひの旅にしあれば麦の穂の貧しき飯もありがたきなり
上越の空にさまよふひとひらの雲の行方に思ひ託せむ
せせらぎにゆらぐもぐさのはかなさにされどさだめとまかせをるらし
雪解けの水そそぎ来てまこもかる淀に魚の泳ぐ影かな
録蔭の露したたりし木道を妻と踏みつつ湿原をゆく
さえずりに喜びみつる森にきて奥まに水のと聞くもさやけき
大清水登りてつきぬ長蔵小屋むかしの姿しのぶ夏の夜
ひるさがる日差しに白き日傘さし淑女が尾瀬の木道をゆく
山小屋の窓にくれないの入日さし今宵の月のあきらけくこそ
夕映えの入日の赤く燃え立ちて燧ケ岳の影におちゆく
思へらく世の雑ごとにかかわらで正しきことを為してゆくべし
聖霊のわれがあたりに留まりて神のご意思を常に伝へり
山裾の森の奥より重々しふくろう博士の声のひびくに
花びらの打ち重なりしぼふたんに白玉の露置きし今朝かな
ぼふたんの白き花びら重なりて秘めたる奥に神おはすらし
あかぼしのくれない染むる上越の空ぼのぼのと明けたちゆきぬ
朝ぎりの晴れ行くあしたほのぼのと雲間に出でし燧岳かな
山道を妻とともども辿りつき喜び充ちて眺む尾瀬沼
とろとろと燃えて落ち行く天つ日の大法界のおきてゆるまじ
満天の星をあほぎて億兆の隅なきはてに神の在りしも
雪解けのさらめく水のきらめきて尾瀬の沼ちに注ぎあふれり

かっこうの遥か遠きゆ聞こへきて尾瀬沼はらに霧わたりゆく   5月25日   

2015.05.07

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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