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Vol.15.09
決戦の九月入り (企業の決算期)
相変わらずやかましい世間の風潮、傾向である。そのやかましさは、台風の風圧に勝るものがある。自分自身が余程しっかりと腰を据えていないと、世間の風に振り回されてしまう。我々にとっては9月決算の締めを目前に控え、最後の瞬発力を出して会社の利益確定に目鼻を付けなければならない。大企業から中小企業へと収益向上の波及効果が及んできているので、各社とも懸命、持続的な競争力を維持し、従業員、株主に応えて行かねばならない。しかしまかり間違っても東芝の不正会計のようなぶざまな真似をしてはならない。日本を代表してきた大企業が、ああした不正会計をしていれば、日本の企業に対する国際的信認を失い、日本企業に対する見方が根底から覆されかねない事態である。不正会計と云えばまだ聞こえはいいが、一言でいえば粉飾決算である。社員はもとより、得意先、株主に対する重大な不信行為であって見逃すことが出来ないが、余りにも影響が大きいためにあいまいな処置をとらざるを得ないのである。会計の不正処理ならば、間違っても許されると解釈してはいけない。努力研鑽を以て会社の基礎を打ち立てた東芝の元社長・会長を務めた土光敏夫さんは経団連の会長を務めた立派な人物であるが、今日の東芝の堕落した姿を見て、あの世で嘆き悲しんでいることであろう。土光さんはかって昭和経済会の顧問をしていただけに、質素で素朴、質実剛健で温和な顔が浮かんでくる。歴史を軽んじ、先代の血と汗の努力をないがしろにする傾向のある昨今の経営者が、その教訓を収めずに勝手な振る舞いで正しい経営哲学を忘れ、乱脈を果たす結果である。
視点を転じてみると、周辺は相変わらず慌ただしいが、そうは言いながら、今日から九月に入った。この月は、台風の季節の二百十日、二百二十日を含み台風の多い季節である。長雨も多いが月見、彼岸のあと、いかにも秋らしくなってくる。気候の凌ぎやすさに乗って、我々の仕事もはかどると期待している。そう言えば夏の高校野球全国大会の熱戦が行われていた時は、特に今年は特別で、連日の猛暑は記録的となっていたが、立秋が過ぎてから苦痛だった暑さが和らいで、凌ぎやすくなったと思っていたら、ここ数日の気温は、慣れないせいかむしろ涼しげに感じてくるのである。時差ボケではないが、寒暖差呆けに気を付けないといけない。疲れて体調を崩していたりすると、抵抗力が弱まっているから病気にかかりやすい時期である。注意しよう。
時に、ひと雨あってから涼しさが目に見えてしのぎやすくなってきた。草むらでなく虫の音がいつになく賑やかで楽しそうである。いろいろな種類の虫が鳴いているようで音色はさまざまだが、一様に喜びを表しているのが伝わってくる。そんなある日のこと、みんなが、すべてが寝静まった後、真夜中にふと目が覚めた。覚めたというより起こされたといっていいかもしれない。玄関の外の辺りで夜中、あたりに響くような声で一匹の虫が鳴いている。確かに一匹である。秋の虫について知識が浅いのではっきりしたことは云えないが、くつわ虫かもしれない。ガチャガチャと云う乱暴な声でもないが、深夜、実に大きい声で鳴いているし、音が澄んで聞こえるのが何とも可愛らしい感じがして、この時ばかりは神経を集中して聴いていたので、眼が冴えてしまうかと案じられるくらいであった。妻は鈴虫だという。夜庭に出てみると今の時期、沢山の虫が鳴いていると教えてくれたが、最近帰宅しても夜、庭に出ることは余りないので気が付かなかった。
深夜こうして虫が一匹で鳴いていると主役も、一人舞台を演じている気になるのだろうか、オペラ歌手が広いコンサートホールで声を大きくして独唱しているのと同じである。まさに堂々とした雰囲気の一人舞台である。大きな声を響かせながら虫が鳴いているが、いとも不思議な世界に思えた。玄関の外と云っても、辺りは森閑として樹木に覆われている環境なので、普段でも気に入っている吹き抜けの高い天井をいかにも眺めているように夢想していた。虫の響きに、玄関の広い空間が太鼓の役を果たしているのだろう。玄関の外なのか、内なのか判らないが、びっくりするくらいの大きな声で鳴いている。ようやく眠りについた小生が、目を覚ましてしまうのも至極当然だと思った。今年は蝉の亡きがらがあちこちに見つかって、蝉が沢山鳴いていた証拠でもあるが、ちょうど蝉が鳴いている時のような音量であった。しかも一匹の秋の虫が、単独演奏をしている時である。姿を見たいという関心があったが、演奏の邪魔をしてはいけないし、動かずに静かな夜のしじまに、この素晴らしい虫の演奏を、聞いている方が、意に適っている。途中に間をおいてから鳴きだしたりして、七、八回ぐらい虫の鳴き声を堪能することが出来た。鳴き声はいつの間にか止んで、私もそのまま眠りつくことが出来た。
庭畑の作業
身体を使うことにいとわない近所の三井さん夫妻は、心身共に健康そのものである。明るい性格と人間的な素朴さは、持って生まれたものである。健康だから体を使うのか、身体を使うから健康なのか、いずれにしても車の両輪みたいなもので、身体を動かすことは健康の基である。決して難しいことではないので私も専ら、出来る限り三井さん夫妻の中庸を得た生活態度と、ものの考え方を見習って行こうと思っている。スポーツジムへ通うことも体を練磨することになるが、日常意識せずに連続して体を動かしていることが一番の健康につながってくると思う。重要なのは自然体である。無理のない自然体で体を動かしていることによって、心臓を適度に刺激し、血液の流れを円滑にして全身に行き渡らせ、脳の活性化につながり、五臓六腑に脈々として新鮮な血液を送り込んでくれるからである。無理のないということは、過度に陥らないということである。頭脳にも新鮮な血液を送り込んで、思考力も活発になっていい知恵が出てくる。だから勤務中も、出来るだけ身体を動かしている状態が続けていられれば理想的かもしれない。勿論その間の休息を取ることも、体のよみがえりを促すことになって、さらに若さを保つ秘訣である。体にも理にかなったリズムがあるように、物事は全てそうした循環に依っていることが多い。
先日のこと、隣接する前の佐伯さんのお宅に生えている竹の根が、いつの間にか南側の境界から拙宅の庭に忍び込んで、其処ここに芽を出すようになった。庭の隅に生えているものであれば別段気にも留めないでいるが、次第に屋敷に侵入し家のテラス辺りに根を張る始末に困惑していた。竹の根が辺りに張ってくると、何かにつけて邪魔になる。時には建物を壊すような力を持っているからたまらない。根に向かって試し掘りしてみると、頑強な根がむき出しになって、かなりの力を以て地中に張ってきていることが分かった。誰かの助っ人がないと、自分一人ではどうにもならないと思った。三井さんの奥さんが見て云うには、おじちゃんひとりでここまでよく根を掘り出しわねと褒められながらも、根が地の中を張ってかなり伸びてきているので、おじちゃんに見てもらうことにして、あとの処理をお願いすることにした。
数日後のある休日の午後、三井さん夫妻が七つ道具を持参して、重装備で竹の根退治に見に来てくれた。地表から5センチほどの深さのところに南北に渡り、幅50センチ長さ10メートルほどであるが竹の根が絡まり合いながら張っているのが分かった。根に添って丹念に土を掘り返し、辛抱強く竹の根を引き出し、又土を掘り、それを繰り返しながら途中、のこぎりで切断し、又繰り返しながら地中を這いずって伸びていた5メートルほどの根の5、6本をつまみ上げたのである。汗だくになりながら、巧みな技と全身の力を発揮した作業に、見とれるばかりであった。おばちゃんの竹の根を短く刻んで手早く片付ける様子にも感心して、息の合った夫妻の仕事ぶりにため息をつくばかりであった。ぼやっとして眺めているわけでなく、無論私も手伝ったが、余計な手出しをするようなもので、夫妻の作業の邪魔になる方が多かった。竹の根を抜いて片づけるのに二時間はかかったであろう。竹の根が見境なくゲリラ的に暴れ出したら手の付けようがない。不安だった竹の根を除去したことで、気持ちがすっきりして心から夫妻に感謝したのである。
わが家にとって三井さんは何かにつけて頼りになって下さる存在である。近所にこうした人が居てくれるということはなんという恵みだろうか。希望したから与えられるというものではない。自然と、漠然とした流れに、偶然的に与えられるものでもあるし、それは又偶然ではなく、以て備わったものであるかもしれないと考えると、神様に感謝したいという気持ちにもなってくる。庭畑の作業にしても然り、私の身体に何が効くと云うと、いろいろな知識を駆使して、薬代わりの自然食を薦めて、朝早くから食事時に朝食に出した煮物や漬物を持ってきて下さる。料理の食材と味付けは、私の好みに近く、先日の朝漬けの茄子は絶品だった。家内も一緒に楽しくいただいている。福島県の南諏訪町の出身なので、普段田舎から野菜などのなりものを送ってきたりするので、おすそ分けももらったりして季節感を共有したりするのが楽しみである。煮ると栗のようにほくほくしかぼちゃをもらって、同時に栄養価の高い食材をおいしく食べたりしている。お返しに今朝は、ひと雨あって庭畑の隅に沢山芽を出してきた秋みょうがを袋に入れて差し上げた。勿論平凡ながら、近くのスーパー大関でも沢山の品が揃ってはいるが、それとは違っておばちゃんからの頂き物には、温かい心のこもった、素朴な味わい方で格別な思いがしている。今よう、そんなことしてくれる人なぞありはしない。自民党の安倍さんにも、公明党の山口さんにも、民主党の岡田さんにも、共産党の志位にも味わってもらいたく、差し上げたいくらいである。本質をかぼちゃの味にならって、政治の世界でもみんな仲良く活躍してもらいたいからである。 体に良いもの、胃にいい効能があるとか、腸の活動を活発にする飲み物と云ってアロエの葉っぱを沢山持ってきてジュースにして下さったり、何かにと細やかに心配もしてくれて感謝の気持ちでいっぱいである。
ご主人はテニスの愛好家で、一週のうち何日かはそれに充てて、近くのコートで一日4時間テニスの玉を打って過ごしてくるというから、スタミナがあって大したものだと感心している。役所を定年退職した後も、昨年まで一反歩ほどの農地を耕してていたが、都合によって元の地主に返してしまった。それまでと云うものは休日は家庭菜園の野菜つくりに忙しくいそしむ二人の楽しい姿を見続けてきたが、そうした日にもテニスのスタミナはいつものように発揮されていた。運動を兼ねてマンションの管理人を勤め体を動かす、無理なく運動をしたり、労働に体を使った後には、風呂に入り昼寝を決め込む、そして若者に負けない健康なスタミナ食事と、何よりも早寝早起きと云う模範的生活である。くよくよすることもなく、ものにこだわらず大らかで、三井さんの一日の過ごし方の何と爽やかで健康的であり、充実感にあふれていることか、その実践的な様子に全く脱帽である。私のうちでは、三井さん夫妻をおじちゃん、おばちゃんと愛称を込めて、お互いに呼び合って40年になる。感謝である。
9月1日
終戦記念日、七十周年を迎えた先月の猛暑は、内外に強く印象付ける行事が行われた。そして今日世界が注目してきた中国北京の天安門広場での記念が開かれた。「中国人民抗日戦争、世界反ファッシズム戦争勝利七〇周年」と銘打った式典だった。テレビでその模様が大きく伝えられた。パレード観覧には、日本と欧米諸国が欠席するものとなった。ロシアと急接近する関係が目立ったのと、韓国が出席して中韓関係の親密を打ち出していることが目立った。国内的には、とかく取り沙汰されてきた江沢民・元主席や、胡錦濤・前主席を横に並ばせて、習主席の力と抑えを印象づけている気がした。一方パレードでは、中国の軍事力を強調して各種の最新兵器を披露した。習近平主席の演説では「列強の侵略の歴史から決別して、平和の台頭を目指すとして、二三〇万の兵力を三〇万減らす」ことを発表した。削減すると云ってももともと大規模の兵力である。全体の1地割強にしかない。削減した部分で兵器の近代化に経費を振り向ければ、軍拡競争に火をつけるばかりである。軍事力を誇示した今回の「抗日戦勝」軍事パレードは、我が国に対して決して好意的なものではない。拡大化する軍事費、国際社会で高まる中国脅威論は、周辺諸国に不安を与えている。演説には、これを払しょくする狙いがうかがえる。中国は、大国としての平和的国際社会の秩序の維持を果していくべき責任がある。演説の要旨を、現実的なものにすることが重要である。今日、世界は大きく変容してきている。かねてから中国が云っているように覇権主義を排除し、隣国と友好関係を深めてもらいたい。そのことを大きく期待したい。
通常は大気汚染で北京市民の健康被害が心配されるところだが、この日に向けて周辺の約二〇〇〇社からの工場が、空気清浄化のために操業を中止して備えたという。号令一下、一糸みださず対策に乗り出す力も大したものであるが、これを機会に、政府の押さえつけに寄らずに透明性のある改善を目指して、こうした問題に取り組んでいくべきだとの思いを強くしたのである。大量に排出する二酸化炭素など有害物質が地球上に散布されて、温暖化に拍車をかけている状況を、もっと真剣に除去すべきである。パレードは力を誇示する一方で、解決すべき問題の道筋の重要性を印象付けるものと映ったのである。国際的な環境汚染、公害対策に乗り出す力も、大国としての責任がある故に、自覚して大いに発揮してもらいたいものである。
スモッグで灰色の空が、この日はさすがに北京秋天を思わせる澄み切った空であったが、これが今後も続くものであってほしい。即ち習主席の「平和の台頭を目指す中国」と内外に宣言したように、その期待が今後の世界に向けて続くものであってほしいと思ったのである。それを象徴したと解釈したいが、習主席の演説には、過去の歴史的事象についてはともかく、現在の日本を名指しして非難するものがなかったことに安堵したのであった。将来の日本との友好関係の構築に、水を差すようなことになってはならないし、意見と行動に於いてお互いに異常に反応することなく、両国は共に習主席が云うように「平和台頭」への、そうした努力を払っていくべきであると確信するのである。軍事パレードに披露された巨大な各種新兵器より、戦争をしない「平和」の一文字を染め抜いた小さな旗の方が、私には将来の道しるべとして、これを実現するための巨大でゆるぎない、広大な力として映るような気がした。過去の反省に立って、其処一点ばかりににとらわれていたら、いつまでたっても相互不信を増幅するのみである。相互理解の道と共存共栄の道は遠のいてしまう。
現在、将来に対し、ウィン、ウィンの関係を構築して相手に対し尊敬の念を以て業績を果し、貢献を積み上げていくことが、過去の反省と償いを果たしていくことになるのではないだろうか。中国の記念式典は、中国指導者が、硬軟両刀を使い分けた演出だが、将来に向けた共存的発展を志向することの意義の重要性を、痛感させて結果としては、複雑な印象を与えさせる記念行事であった。 しかしあまり気にすることもなかろうし、それに翻弄されて、日本の進むべき正しい道を誤ってはならないと思う。国も個人も、誘惑や挑発に乗ることほど、愚かで浅はかなことはない。日本は自由で民主的法治国家である。立憲主義の国家である。日本は首脳をはじめ誰も出席しなかったが、これからの日・中・韓の関係修復の兆しが見えてきているこの機会にこそ、行事の興奮から覚めて、冷静になって理解と協調的努力がさらに必要になってくる。行事は済んだら、中国に、また大気汚染が戻ったりしないこと、このままあの北京秋天の空であってほしいと思うし、これが軍事パレードに勝る教訓的暗示である。 9月3日
日経平均株価が猛反発
中国経済の減速懸念と、アメリカの金利引き上げ観測が交錯して、世界のマーケットは上下に大幅な動きを繰り返しながら、この一か月弱の間、急落の一途をたどってきた。しかし今日の株式市場は一転して2000年以降、最大の大幅高を演じ、昨日に比べ1,343円43銭高の で今日の取引を終えた。株式市場は、世界的不安心理からようやく底値を確認したというムード一色となった。投資家の不安心理は払拭されはしたものの、その原因は大きく二つあると思う。
一つには、中国経済の減速に対して、中国政府が本格的な財政出動に出て、これ以上の経済の減速を止めることに具体的に乗り出すのではないかと云うきたい。二つには、米国による金利の値上げがやや遠のいたという観測である。
こうしてみると中国経済の動向も、アメリカ経済の動向も、世界を同時に動かす市場であることは鮮明の事実で、日本経済はもとより、他の経済圏諸国も、現実に両大国の経済動向のはざまにあって動いていると云っても過言ではないことが分かってきている。両大国の動き次第で世界が変わり、動きが左右されていく構図がはっきりしている。同時に両大国の立ち位置もさることながら、世界に対して大きな責任を持っていることも事実であり、わがまま勝手な振る舞いは許されないという自覚を持ってもらうことが最重要な事柄である。世界は多くの国々がそれぞれ別個に自立の形態を以て形成されているとは云いながら、世界の底流は、グロール化して一衣帯水で結ばれていて、決して切り離すことの出来ない相互依存関係のスキームに組まれているということである。政治的に対立抗争することのできない、それによって破壊することのできない仕組みに組み込まれているということである。世界の指導者は、こうした時代的巨大な潮流を認識して、それぞれの政治に取り組んでいかねばならない。日本国憲法の序文には、「自国のことにみに専念して他国を無視してはならないのであって」と崇高な理念を掲げてあるが、これは単なる理念ではなくて、今の世界が現実的規範として尊ぶべきものである。これは七十年前に作られた我が国憲法である。世界が学ぶべきで、堂々としたものではないか。いまだに地域的紛争の絶えないところでは、日常茶飯事の如く殺傷が行われ、経済は混乱、疲弊し、貧困を生み、多くの難民を作り出し、悲劇が繰り返されている。私はいつも思っている。戦争は飢饉を生み、難民を作り、悲惨で悲劇的状況を地球上に繰り広げていると。アフリカや中近東からの難民が、ヨーロッパの豊かな国を目指して、命を懸けた逃避行を続けている現状は忍びがたいものがある。
日本では今、国会で集団的自衛権の行使を容認する安保法制の審議を巡って大荒れの状況である。参議院でこれを可決通過させようとする政府与党と、これを阻止しようとする野党と、激突の様相である。その是非をめぐって世論も真っ二つである。政治、軍事優先か、経済優先か、単純に考えてみる必要がある。今、中国の南沙諸島への無謀な進出が取り沙汰されている。周辺諸国に対し、大きな不安を与えていることは歪めない。こうした行動は中国政府が大国としての権威にかかわるものとして、即時、中止すべきものである。又先鋭化する現地の暴発の挑戦に乗せられるような、軽軽な行動をとることも慎まなければならない。いわんや、中国は、世界に対して今日、万が一にも無謀で破壊的な行動をとる様な事でもあれば、自然と自国の秩序を破壊し、13億の国民の統制は困難を極めてくる。国内の政治的困惑を惹起し、権力闘争を強めることにもなる。民主主義制度の国と違って、政治制度の必然性である。経済的混乱を惹起せしめることにもつながることは、世界の現状を見ればわかりきったことである。今日の株式市場の動き一つをとってみても、世界に国々はお互いに依存する緊密な関係に立っており、対立、いわんや抗争などの無駄を排し、平和の話し合いで、解決すべきことだ大切である。互いにいがみ合い、刺激して挑発し合うことも排除しなければならない。軍備の増強と強化が、抑止力につながるということは、相互的に考えて適った手段であるということも言えない気がしてくる。安保法制関連法案は緊急事態の発生を取ってつけた理由のようにも思えて、憲法の根幹を揺るがす問題にまで踏み込んできている。むしろ敢えて敵国を作り出して行くように感じて、それこそ日本の安全保障にとって危惧すべき問題かもしれない。日本国と国民がこうした問題に騒ぎを大きくしている間にも、法案成立に仮想敵国されている北朝鮮、中国が沈黙を図っていることは又不気味であり、一方の米国も然りである。内政干渉と揶揄されるかもしれないが又、そのために用意する莫大な資金が出て来るとすれば、それを友好関係の緊密化に使って行った方が、より効果的、効率的とも思考される点である。そのための財政負担についても論議されていない。世界の株式市場がそうであるように、今や同一な経済的関係で世界が結ばれている以上、そうした意味からすると、中国自身も、この国際的なスキームに組み込まれていると考えなければならない。世界の金融関係においても、国際通貨基金もあるし、先の中国にAIIBの設立もあったりして、お互いに共存共栄の構築を目指した巨大な流れの傾向である。日本は、アメリカとも中国とも経済的には緊密な関係と連携に結ばれているのが実態で、これはもはや動かし難いものである。
今日の東京株式市況における1,300円からの急騰は、昨日のニューヨーク・マーケットの反騰、そして中国株式市場の急騰を反映したものであり、又それは直ちにヨーロッパに波及している。実体経済を左右し、上下の値幅の動き、紆余曲折はあるが、いずれにしても今日の世界の平和時に於いて、世界が個別的に存立しているのではなく、お互いが無関係ではなく、緊密につながっており、大国間の力関係は、お互いに手を差し伸べ合っている証拠である。 九月九日
常総市の洪水
知多半島に上陸した台風18号は大量の降雨量を通過地点にもたらし、早々と日本海に抜けて行った。しかし南からの湿った空気が台風の進路に沿って流れ込み、折からの秋雨前線に重なって東海、関東地区に縦状に停滞し、各地に大量の雨をもたらした。関東東北地帯に次から次へと発生した秋雨前線、線状降水帯とも云う聞きなれぬ名称だが、これが長時間上空に停滞して記録的な降雨量をもたらした。多いところでは一時間に100ミリを超す大雨となり、浸水個所も各地に起きた。危険水域を越えた鬼怒川では、未曽有の降雨量をためきれず、堤防が一部100メートルにわたり決壊し、あふれた水が濁流となって茨城県南部の常総地帯を襲った。水は南に広がる低地帯に広がり、江戸川区に相当する面積が冠水し、40キロ㎡に及んだ。濁流は民家を流し、田畑を冠水し、甚大な経済的被害をもたらしている。又、豪雨による死者は7人、行方不明15人となって、警察、自衛隊、消防による懸命の救助活動が行われている。東北地帯にも豪雨が広がり、宮城県大崎市では渋井川が決壊、多くの住民が水害を受けた。ここでも本流に流れる支流で、河川の水が逆流し、支流の水が堤防を越えてしまった。越水による堤防破壊が起きたということで、きわめて特殊な現象だそうだ。
関東、東北を襲った豪雨は、関東平野や東北地方の河川にあふれた。河川の越水や氾濫、堤防の決壊を免れたところは幸いであった。今の日本の国情からする限り、未曽有の降雨量や強風、高波に対する防御が万全であると証明できるところはどこにもない。近年の異常気象の襲来は、過去の記録を踏襲して図れるものでなくなってきている。過去のデータによって現在、未来の状況を推論することは可能であっても、現実に対応できる保証はどこにもない。気象状況の異常な変化ばかりではない。地震の規模と頻度も同様である。火山活動気に入ったと称される火山列島国の日本である。一昨日も早朝5時、東京を中心に震度5の揺れで目が覚めてしまった。震源地は東京湾で地下70キロと想定された。二階寝室で寝ていたが、びりびりと云う音の響きの後、上下にどすんと云う揺れに目が覚めてしまった。直下型地震ではないかと思ったくらいである。この地震のエネルギーは、3・11の東北大震災の地震の1000分の1でしかないという。おのおのがた、心しておくべき事態である。今日は又、阿蘇山が噴火した。 広大なカルデラの内側に生まれた豊かな緑の草原は、巨大な噴火の灰の下に埋もれてしまうのだろうか。 阿蘇の草千里、夏目漱石の小説、「二百十日」の一場面を思い出した。
厳しい日本の自然環境である。国土の脆弱は、国家存立の危機と云ってもよい。国土強靭計画は、視点を改めて検討し、予算を使って大規模に行うべきである。被害が起きてからでは遅い。足元から、国家存立の危機と称しても過言ではない。どこかで聞いた言葉だと思ったら、今国会で論議のさなかの安保法制法案の審議で、安倍さんが耳にタコのできるほどに使っている言葉である。耳にタコのできるほどに繰り返し安倍さんが云っているにもかかわらず、聞いている国民がこれを理解できないでいる。不思議な現象である。安倍さん自身が、国民の多くが、八割の人が理解されていないし、十分に説明がされていないと述べている通りである。又、権威ある調査によると、憲法学者の一三七人が違憲であると云い、合憲とした学者はたった三人だという。そういう状況なのに、政府与党は、問題の集団的自衛権の行使を含むこの法案を、何が何でも今週中に法案を通す構えでいるが、反対する野党諸君はこの法案の成立阻止に向けて奮闘中である。国会周辺では連日のように反対デモが繰り広げられている。今日も平日のこの時間、夜の10時半を回っているが、戦争法案反対を叫んでサラリーマン、学生、主婦たちの大規模のデモが行われている。大江健三郎も先頭に立っている。大阪でも三筋通りで大規模なデモが行われ、ほぼ全国的にデモが広がっている。国会周辺でのデモについて主催者側の発表で4万5000人、警視庁の発表で1万7000人と聞く。近来に見ないデモの熱い光景である。鉄砲も担げない老人が地球の裏側まで廻って、戦場に赴くようなことを国会で論議している。老醜を晒す亡者がいっぱいな連中の国会である。危機存立の状態を想定するような事態ではない地域、一体何のことかわからない。
公明党の山口代表が安倍さんに質問する中で「ホルムズ海峡で日本の自衛隊が機雷の除去に係わる事態を想定しているのか」とただしたことに、現段階では想定していないと云ったこと。これは一体なんなんだと思った。安倍さんはホルムズ海峡を通過する日本の油送船、タンカーが、機雷に触れて損害を受けることは,原油に依存する日本の経済に重大な打撃を与え、しいては日本の存立を脅かす・・・」と云って、外国軍隊の後方支援はもとより日本の自衛隊が紛争地域であっても機雷除去に参加するようにしたい、そのための集団的自衛権の発動を・・」と理由付けしていたはずであるが、その後の国際情勢の変化であろう、その機雷除去の状況は今想定されないと云っている。だとしたらそのための立法措置が必要でなくなっている筈である。掌の裏・表の相違である。黒と白を識別できないのと同じである。政治用語の難しさは、法律用語が難しいと思っていたが、もはやそれ以上である。自民党と連立政権を組む公明党の山口代表は、これをどう受け止めたのだろうか。これでは国民が理解出来る話ではない。言葉をもてあそび、言葉に翻弄されている、大臣諸侯の国会答弁で国会が紛糾している。滑稽である。私は依然何度も指摘していたことを、公明党の山口代表が今になって取り上げている。もっと早く気づくべきである。
高等学院時代の学生時代に立派な哲学者、川原栄峰先生の教鞭に浴したことがある。早稲田大学名誉教授で文学博士であり、畏敬する教育者であった。拙宅の浅草にお見え下さったことがあった。その当時、小生が学院文化祭に出した小冊子がある。思い出の記念として、いまだに大事に持っているが、先生が寄稿してくれた文章の冒頭に、「ある有名な僧侶が自分で自分の似顔絵をかいて、これを見て怖がっている。これは愚かなことだ。」とのべている文言を思い出した。緊急事態を自分で勝手に作り上げて、自分で怖がっている。これは愚かなことだとして、今の国会の論戦を馬鹿馬鹿しく見ているのである。米国も中国も、笑ってみているのではないだろうかと心配している。。こんな程度だと、相手はますます増長して、いろいろなことをしでかしてくるだろう。昔、吉田茂は、国会には猿が沢山いると云っていたが確かにそうかもしれない。今南沙諸島では、中国の統率力を疑うような海洋進出が行われているが、この問題は一人我が国に限ったことではない。東南アジア全体が危惧している点である。ある主婦がテレビの取材で云っていたが、対中国に対して仮想敵視して、その準備のために法案を作ろうとしていると、日本だけが突出して、対峙しているように思えてならないと。だとしたら大人的な考えになった中国は、日本を仮想敵国として向かってくるのではないかと。これでは抑止力にはならないというのである。他にもっと賢い打開策がないかと云うのである。
経済で大きく手を結んでいながら、政治で対立する構図がどう見ても理解しがたい。政治学者で東大名誉教授の御厨貴氏がテレビのニュースステーションで述べていたが、国会の外で多くの反安保法制のデモに参加している人たちと、国会の中にいる人たちの意識の差が、余りにもかけ離れていることに民主主義の崩壊を見るような気がすると危惧していたことも鮮明である。たかが島の一つや二つのことで、と子供を抱えながら訴えていたのが気になってならない。尖閣諸島は無人島である。そこから広がる海底資源のことも問題ではあるが、昔、政治評論家の藤原弘達が講演会で、当時、千島列島の返還問題で、「島のことでソ連とドンパチやられたらたまるか」と、がなぐり立てて吠えていたことを思い出した。何かと問題は複雑ではあるが、社会秩序、国際秩序を維持するため、国会で日本が、正しい方向に舵を切っていくことを願い、決して他人事の話ではないが、混乱がないことを切に願っている。
そして対・中国の、謂わば軍事同盟をアメリカと強化しようとしているさなかに、9月23日からは中国の習近平がアメリカを訪問して約一週間滞在し、25日にはオバマと会談することになっている。会談で何を話し合うのかわからないが、この日・米・中、三国間の状況も確かに複雑である。国家間の毒々しい、否、生々しい駆け引きも生じて来るに違いない。仮に習近平とオバマとの間で解決すべき経済的、政治的な問題があるとして、話し合いをし、友好関係の促進に向けて努力しているとしたら、日本の対中国の敵視政策とも受け止めれる状況は、如何にも矛盾しているし、相手を極度に刺激していることだってある。こうしてみると、簡単に独自の政策を一方的に進めていくことは危険であるし、果たしてそういう時局なのかどうかの検証も必要である。安倍さんが尊敬している祖父の岸信介の時との国際情勢は、格段の隔たりがある。否、異質のものになっている。当時の尺度で現在を測ろうとすること自体間違っている。素人にも分かることだが、二転三転して、しどろもどろの国会答弁は、議事進行を務める衆参両委員会の委員長が指摘して明らかなところである。国民はますますわからなくなってきている。祖父の亡霊に憑りつかれて、安倍さんの妖怪な姿を見るに忍びない。今や遅きに逸したかと思うが、賢明な対応を求めたいところである。 9月14日
記録的豪雨と、安保法案審議
記録的な豪雨で鬼怒川下決壊し、茨城県の常総地方を襲った濁流と浸水の被害は拡大しているが、行方不明だった14名の人たちが無事であるとの確認が取れたという知らせが入った。幸いなことである。濁流にのまれずに、無事でいてもらってよかった。私も数人の知人に連絡を取ったりしてが、被害は近くまで来ていて幸い、わずかなところで止まったという友人もいて、恐怖の模様を語っていた。一週間が過ぎたが、常総地帯、常総市では、うずたかく積もった大量のごみの漂流物が、がれきの山となって、現地の復旧の妨げになっていることも心配である。この膨大ながれきを、出来る限り早く撤去しなければならない。被害を免れた知人たちも、現地に赴いたりして懸命の復旧活動に尽くしている。
安保法制と平和憲法
安保法可決を前にデモの波国会周辺に盛り上がりきぬ
良識の参院審議が滅茶苦茶に何がなんだか判らぬままに
憲法の第九条を死守せんと声たかだかにデモる冠者ら
日本の平和と安全を放棄して戦場へ行く安保法案
戦場に赴くところに区切りなし範囲は広く地球の裏まで
日・米の軍事同盟の強化せる最中に米・中経済の強化
法案をめぐり与・野党の激突す強行採決の良識の府は
キューバとの国交回復の米国に敬意を表し称ふ英断
如何せん日本の平和憲法を戦後七十年の不戦の証しを
日本の自衛と称し外国に戦い挑むことの必然
子を抱き雨の夜寒に法案の反対叫ぶ若き母親
乳呑み児をかかえてデモに加わりつ戦争反対と叫ぶ主婦なり
何ゆへに対中敵視政策をひとり日本の推せる不思議さ
中国の南沙諸島の進出に不信不安のアジア諸国は
繁華なる銀座に出れば中国の人らにぎはひ和やかに行く
中国の観光客らにぎはいて銀座通りに出でて溢れり
爆買ひと云ひて手荷物持ちて行く景気づけにも中国のひと
中国の景気減速の報に触れ一喜一憂の株式市場
日・米・中今や大国の風格に世の混乱を収め行くべし
険悪のテロ頻発の中東の地域の轍を踏まじアジアは
最悪のシリア難民の流入に特にのドイツの困惑顕は
戦争は飢餓を生み出し民衆を罪なき難民と生み出すあはれ
われもまた戦争の惨禍の余波を受け飢餓に苦しむときもありしに
戦場と同じく弾のなかを逃げ今にしあるは神の救ひに
小学生時代に肉弾三勇士特高教育を日々に受けしも
難民の犠牲の多く痛々し四年に及ぶシリア内戦
暴君のアサドを操る大国の裏で戦ふ米ソ両国
中国の無謀な海洋進出を国際社会が叫ぶ時なり
日本の国際紛争に関与せぬ専守防衛の自衛隊ぞ良き
大東亜戦争による犠牲者の三百万と云ふはおぞまし
憲法を国際憲法に昇格し平和と安全を永久に守らん
我が国の平和憲法を国連の基本精神のかなめとやせん
雨のな深夜の国会周辺に安保反対の市民らのデモ
老醜を晒し中年の無知に乗り国会議員の安保議論の
ホルムズの機雷掃海の想定をせぬでは安倍さんの矛盾あらはに
国民の八割が今理解せぬ安保法案をごり押しで行く
ホルムズの機雷掃海の要なきに向きは南沙の中国にあり
日本の憲法のもと七十年平和の理念を貫きて来し
鈴虫の鳴く小夜なかの思いこそ冴えて日本の先を思慮せり
焼夷弾攻撃をさけててははとはらからの手を握り逃げたり
祝すべき平和憲法七十年されど破壊の年となりけり
日本の戦争の惨禍をいみじくも今のシリアの国に重ねり
シリアより多く難民のEUへ逃れし旅の悲惨なるかな
中国の海洋進出を即時止め習近平は語れオバマと
柔軟性、弾力性を発揮して日本外交の真の基軸に
習近平・オバマ会談を注目し両者をまたぐ日本も在り
自衛隊戦場派兵の現実味戦火を交ふ時の恐ろし
いつに間に国会議員となる髭の隊長が指揮の安保国会
イラク派遣髭の体長の強烈なパン意を食らふ野党議員よ
戦場は殺し殺さる場面なり互ひに話す余地はなかりき
この国の憲法破壊を試みる悪しき政治に怒る民衆
歴史的暴挙となりし国会の強行採決のあとの始末は
これまでの悪しき戦争に加担せで平和日本の誉れ高きも
七十年前の戦争を知る人も無くなりしころ出でし亡霊
世の中に人さまざまに居ればこそそれぞれ思い違ふありしに
中国を名指しで敵視政策をとるのはまずし日本外交
ホルムズに非ず中国にすりかえし安保の対象国に中国
国民と国会の現状を見るほどにたかが尖閣の島なんぞ何や
尖閣を理由に挙げて争うも憲法違反を犯してまでとは
初めより中国敵視政策をとるは拙速の日本政府よ
今もなほ親中国の関係にこれを壊せる理由なかりき
中国に敵視をすれば中国も日本を敵と見なし来るかも
尖閣を理由に憲法の根幹を揺るがすほどのこともなかりき
国会が日米同盟を目指すなか平和交流を推せる米・中
習近平主席が米を訪問す安保法案が通るこのあと
摩訶不思議国際情勢の変化なり読めぬ安倍さんに先を憂へり
逆行す日本が米軍の肩代わりアジア友好を叫ぶ流れに
原爆の洗礼を受く日本の平和の騎手となりて尽くさん
戦争の惨禍を忘るこの国の戦後七十年のされど如何にや
米国の軍事費削減に呼応して我が自衛隊に肩代わりの日
日・中の経済友好関係の先に戦争の抑止力あり
警鐘を鳴らす日本経済の経営トップらの安保反対
日本の軍事費負担の増大に財政再建の道の遠のく
日本の平和憲法の恩恵に戦後栄えし国と国たみ
楽園の東北の地に震災に神も佛もなきに等しき
日本の狭き国土に原発の廃棄の場所に可能性なし
原発の残滓は強き放射能帯びて地上のすべてに及び
地上にて処理のし難き放射能蓄積のみに捨てる術なし
この国のひかりと平和を求めつつ経世の道をともに行かまし
願わくば戦争・飢餓を地上より払ひて平和と安寧に生きん
戦争と飢餓の連鎖を断ちて世の平和と栄えを築きゆかまし
会津八一系譜 短歌同人誌・淵主宰
又参議院の特別委員会で審議されている安保法案の審議を巡って、自民公明が今日中に採決を目指している中、野党がこれを阻止しようとして、委員会は午後11時現在中断されたままであったが、更に緊張が高まっている。国会の周辺では雨のなか、続々とデモ隊に参加する人々が膨れ上がって、警察の調べで1万7000人、デモ参加者の云うには3万5000人と云う規模である。日本の政治の今の状況を、なんと評すべきか。気がかりであり、苦悶するばかりである。深夜に近く、窓を開けて外を見た。再び今夜の雨が、一段と激しさを増してきている。 戦争反対、安保法制反対、憲法を守れと、デモの叫ぶ声が、雨の中を衝いてここまで聞こえてくるような気がした。 9月17日
今国会にて安保法案の成立す戦後政策の大転換なり
こころして世界に臨め日本の内外情勢の波たかき折
幸いにわれが周りに笑顔ありけがれなき子の澄めるまなこよ 9月20日
鈴虫
鈴虫が,今夜もきれいな声で鳴いている。じっと耳を澄ませていると、りーん、りーんと鳴いて、聞くにも愛おしく、しきりに誰かを呼んでいるようにも聞こえる。今、夜の12時になろうとしている。今日は彼岸明け、明日は十五夜である。こうして今夜も深夜、静かに、鈴虫の綺麗に鳴く声を聞いている。すると、疲れて乱れた心も鎮まって、どこかにいる小さな鈴虫が、われが身を慰めて、癒してくれるように思えて嬉しくなってくる。何やら素直に、平凡に歌を詠みたくなった。心の赴くままに、鈴虫の声を聴きながら、読んでみようと思うが、なんと贅沢な時間だろうかと思った。神様に手を合わせて祈り、感謝するのみである。
鈴虫よせわしく鳴くな先がある翅擦り切れて落ちてしまうぞ
竪琴を聞く鈴虫の哀しみの調べ涙となりて落ちゆく
深みゆく夜のしじまに鈴虫の声のかなしく聞くは何ゆへ
あまりにも悲しく鳴くな鈴虫よ月のひかりをあびて喜べ
鈴虫の今にも翅が擦り切れてしまふと思ふほどに鳴きをり
二階まで高く伸びたるしゅろの樹に居づきて高く鳴ける鈴虫
すずむしよ無理せず鳴けよ限りある命に妙な調べかなでよ
鈴虫よ慌てて鳴くなこの俺も余裕をもちて動かむと思ふ
声のみを聞かせて姿いずこにも示さでかなし影の鈴虫
木の間より明るき月の影さして次第に高く聞こゆ虫の音
あまりにも寂しすぎるぞ鈴虫よいかにまずしいきいほりなるとも
どこで鳴くこちらにくればそちらにてどこにでも鳴く鈴虫の子よ
鈴虫の耳を澄ませばささやかな月の動きに鳴くやしきりに
我が宅に住みつく秋の虫おほく楽しみて過ぐ月の夜かな
虫の音の次第に高く鳴き初めて折しも昇るまろき月かな 9月26日
中秋の名月 十五夜
澄み切った夜空に煌々と光を放って、真ん丸な十五夜の月が登ってきた。きれいなお月様が昇ってきたわよ、と台所で夕飯の支度をしている妻が教えてくれた。大相撲夏場所の千秋楽の幕内小結戦あたりから最後の一番をみたあと、早めに湯船につかって外でなく鈴虫の声を聴いていた。すると妻がお月様がきれいに見えるわよと云うのである。「何、月見が出来る?」と不思議に思って、急いで風呂からあがって庭に出てみた。すると気づかなかったが、曇天の空はいつの間にかすっかり晴れあがって、真っ青な夜空を真珠のように輝く満月が掛かっているではないか。なんと綺麗な輝きの月だろうか。今までにあまり見たことのない神秘的な光景に、思わず立ちすくんで、心が奪われて陶然とした心境でしばし眺めていたのである。妻も庭に出てきて「きれいな月ね、それに金色に光って素敵ね、」とつぶやいている。こちらに来てみると尚きれいよと云うので、後についていった。玄関の正面に出て、お向かいに向かう敷地に立ってみた。自慢の拙宅の全景の上に、十五夜の真ん丸の月が煌々と光を放ち、辺り全体が光に包まれているさまに、神々しい思いが自ずと湧いてきた。世界が、滴り落ちる月のしずくに濡れている。それに加えて、秋の虫の声が盛んに聞こえてくる。妻と一緒に十五夜のお月様を、こうして眺めるなんてなんという清々しさだろうかと、このまま時間が止まって、いつまでもこうした世界に心を置いておきたいと感じたのである。十分に堪能していても尚飽き足らない気持ちだが、再び家の庭に立って見た月が、一点の雲も寄せ付けずに紺青の夜の空の海を静かに昇ってくる様子に、思わず手を合わせて、やはりじっと眺めているほかになかったのである。こうした時に、草葉の陰で、盛んに鈴虫が鳴き始めた。
このところはっきりしない天気が続いて今朝から、今夜の月見が危ぶむられていた。昼間にはどんよりとした雲行きになってきたものの、十時半からの教会の日曜礼拝の済んだ後、ティータイムでお茶と和菓子を御馳走になっていた。藤沢から見える内科医の大武先生、それに菊山、大村先輩らと歓談していたが、[大武先生、今夜は十五夜ですよ]、と云ったところ、誰もが気づかずにいたのである。日本の昔からの言い伝えや、節気などが次第に忘れかけてきていることは、どう見ても殺伐として情緒にかけているような気がして、何となくさびしさがあって、切ない気分になってくる。多くの人たちは団地住まい、マンション住まいとなって、自然と季節感を味わえない生活になってなってきているから、秋の虫の鳴く声を話題にすることも叶わないし、中秋の名月と云ってもピンと来ないかもしれない。仕方がない。住まいに庭があり、庭畑があり、自然の妙味を毎日味わうことが出来ることは実に幸わせなことに違いない。大武先生は御年九十才になられ、玉川神の教会では最年長者である。いつもダンデイーな服装で、しかも背広姿にネクタイで正装してインテリであり、実に若々しいことを以て、女性の方々から尊敬と敬愛の念を持たれている。皆と今日の曇り空を見ながら 「この調子だと今夜の十五夜は見ることが出来ないかもしれませんね」、と話し合っていたのであるが、きっと神様のおぼしめしに違いない、今夜、こんなに素晴らしい十五夜の月と、魅惑的な夜の風情を堪能できるとはと思い、私は神さまにひたすら感謝の一念であった。真ん丸な月が今、ちょうど真上に差し掛かって、紺青に澄んだ夜の海を静かに渡っているところである。 庭の鈴虫が、一段と澄んだ高い声で鳴き続けている。
しかししばらくするうちに、空が西の方からうすく霞みが掛かって来て、そのあとに一団の雲の影が忍び寄ってくる気配に気が付いた。先ほどからの月見が、もしかすると絶好の月見だったかもしれないと、妻と運がよかったね、話し合ったのである。灰色の雲の影に重なって、やや黒い雲が見えるところを見ると、その雲が真上にも広がってくるかもしれない。残り少ないきれいな月見の時を惜しむ気持ちでいたが、銀色に輝く月を改めて見直し、願い事もかけて感謝して家に入ったのである。 9月27日 中秋の名月
2015.09.01
社団法人 昭和経済会
理事長