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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.16.05


恩讐を超えて  ケリー国務長官の広島訪問

  日本は戦争で、人類史上最も悲劇な原爆の投下を受けた唯一の被災国である。その日本でG7・世界の主要7か国外相会議が10日から11日にかけて原爆被災地の広島で行われた。厳戒態勢の中、無事に会議を終えて「広島宣言」を採択して閉幕した。宣言では「広島及び長崎の人々は、「原爆投下による極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難を経験した」と核兵器使用の悲劇の悲惨なことを指摘した。しかしながらこの点に関連して会議では、世界の中で核を持つ国と、核を持たない国との意見の溝を埋めるまでには至らず、微妙な表現を以て苦渋の宣言を創案する結果にもなっている。つまり核の被災と脅威を経験した日本を初め、核を持たない国々が主張してきた「核兵器の非人道性」といった当然で当たり前な表現がなされなかった。残念ながら、それを根拠に核兵器の法的な禁止を盛り込んで、究極の核廃絶を訴えることはできなかったのである。
  宣言で盛り込まれたことではあるが、核使用の保有状況を公表すなどの透明性を高めることは、核の危機に対する世界の認識を高めるうえで重要である。特に中国の核保有量は判然としない部分もあって名指しはしなかったものの、これを各国の責務としたことは重要であった。
  複雑な国際情勢の状況にかんがみ、大国の思惑は致し方ないとしても、われわれの目的は、世界がこぞって核兵器使用の禁止、そして核兵器廃絶にまで持っていくところに、人類の英知の発揮を示すことが出来ると確信しているからである。そうでないといつまでも核の抑止力に依存する世界の大勢と状況は、依然として変わらないままになってしまうからである。世界平和の実現は、そうした信念と理念から始まらなければならない。被爆国日本での、別けても画期的な広島での開催であっただけに、勇気を持った宣言が行われてもらいたかったと思うが、しかし一方で核兵器のない世界を目指すという大きな目的の努力を払っていくことで、世界の、特に核保有国の認識が一致したことは有意義な前進であった。たゆまずに一歩一歩前進していくことが必要である。今回、原爆被災地の広島で宣言がなされたこと自体が画期的な出来事であった。
   今回、米国の国務長官のケリー氏が初めて日本の原爆被災地である広島を訪れてくれたことは画期的であった。次にはオバマ大統領が広島を訪ねて、犠牲となった慰霊碑に献花をする道筋を付けようと努力した居るようである。是非そうした方向に日米間の関係が建設的理解のもとに歴史的な一線を画し、今後とも発展拡大していけることをねがっている。そして米国をはじめとした世界主要7か国が、悲惨な惨状を原爆被災地の広島で、核廃絶の道を模索しできる資料館にもよってこられた。核使用の結果がどんな悲惨なものとして人類にとどめを刺すものかを目の当たりにして、等しく見聞できたことであったに違いない。これが有意義な平和への切実な道の起点となる出来事になれば、人類の英知の更なる一歩となるであろう。。
   原爆の投下については、加害者は米国であり、被害者は日本であるということは冷厳たる事実である。互いに苦い経験となって70年が過ぎた。意見の相違がる時には、必ずそれぞれの言い分があるものである。しかしながら、まさに「恩讐を超えて」、お互いに信頼関係に立って助け合い、それぞれ発展の道を歩んできたことは希有な歴史的事実である。その間、相互理解も進み、協力関係に立ってきたことは実に幸いなことであった。オバマ大統領の広島訪問を実現させれば、アメリカの現職大統領としては初めての広島訪問となり、文字通り歴史的、画期的記念として後世に有意義な教訓を記していくことになる。人類史上最も悲惨な原爆の当事国となっている日米両国が、率先して「核無き地球」の実現に向けて世界をけん引して行ってもらいたい。それを成果に日米が更なる発展の道を邁進し、以て将来の世界の平和に挺身し行くことこそ我々に、我々両国に課せられた人類の崇高な目的であり、歴史的使命だと確信して止まないところである。
私は、こうしたことをしたためたいと思い、いったん床に入ったが、気が高ぶって思念していたら、無為に時間が過ぎて行くばかりであった。思い余って深夜の3時にペンを執りパソコンに向かい、これを書いて納得し、気を静めてベットに寝入った次第である。 (4月15日記)

絶え間なく降りしく花の下にゐて真砂の星をあびゆ心地す
よどみなく続けて詠みし和歌ゆへに己れながらによしとうなづく


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熊本地震の止まざるを憂う

  4月14日午後9時26分ごろ熊本県に始まった震度7・3の群発地震は前震であって、その後に起きた震度7・5が本震とのことである。以来3週間が過ぎた。今日現在もなお激しい余震が続き、震度1以上の揺れを感じた地震の回数は予想外の1200回余に及んで被害の拡大が起きている。死者は49人、行方不明1人、避難する人十万人に及んでいる。余震が続く限り、この先、各地で家屋の倒壊、土砂崩れなどで被害は続出する不安な状況である。地域も大分県に拡大し、阿蘇を中心にして、火山活動を誘発しかねないような不気味な激しさ、厳しさである。道路など寸断された個所は多く、救援物資の輸送にも支障をきたしている。電気、水道、ガスといったインフラの破壊もあって、多くの住民が困難な生活を強いられている。又負傷者や、病気の多発などに対応する医師や看護師の救援も要し、医薬品の不足も生じているがようやく復旧、改善の見通しがついてきたことは幸いである。避難先での共同生活にも心身の疲労はもとより、不安な状況が続きぱなっしである。こうした事態を克服するべく懸命の努力が払われているが、いつ止むともしれない今回の地震、むしろ日を追って不安が募るばかりである。産地農業や、地元観光事業に与える影響は深刻になりつつある。産業活動の停滞、中小企業への影響も深刻である。天災の影響が人災の始末に及ばないよう、中・長期的展望を描きつつ経済的支援活動を組み込んでいかなければならない。
   先日の朝日新聞、朝刊「天声人語」に、初めて川内原発の一時停止を訴えるそれらしい記事が目を引いた。自然現象である以上予測しない事態が発生されたら、と思うといたたまれない気持ちになってくる。活断層の帯の先が、原発基地のある川内地区に及ぶようなことがあっては一大事である。私もかねてから憂慮している案件だが、先に書いたように、そのほかに玄海原発、伊方原発などが近くにあって、活断層と何らかのつながりが生じては来ないかと憂慮していたことである。 こればかりは杞憂に過ぎなければと祈るような気持で一杯である。いつまでも地の揺れが収まらないと、不安は気の遠くなるほどに増幅してくる始末である。
   そこで想起して注目するのは1965年、即ち昭和40年に長野県長野、蓼科地方で起きた通称、松代群発地震である。この活断層地震の時は、足かけ5年半に及んだ。 今回の地震が松代群発地震に類似した事象でなければよいと願っているところである。間断なく続く活断層の揺れは、脆弱しつつある地盤に更なる力を加えることになり、新たな天災の誘発を招きかねない。だとすると地上の危険の度合いはますます膨れ上がっていくことにもなる。そうした事態に対しても、我々の心構えが必要である。天災とは云いながら、もしや長期化するようなことが・・・と悪夢を見るようなことが無いよう、人知の及ばざる地下活動の、自然現象であるが故、その暴れ方には手の付けようがない。毎日、祈るような気持で余震の止まることを願っている。

二週間活断層のずれ動く頻発回数千余を越す
活断層地震におののく住民の熊本、大分、阿蘇の地域に
活断層群発地震の活発に起きて二週間の早や打ち過ぎぬ
今むかし松代群発地震あり止むまで五年半を経過す
繰り返す活断層の揺れのもと巨大地震を誘発しかねん
幾筋に走る断層の地下深くあるこの国の在るを知るべし
油断せず先人の教訓を見習ひて素朴な教へに従ふがよし
活断層大きく揺れて川内を初め玄海、伊方原発
速やかに川内原発の運転を停止すべきが理に適ふとも思ふ
この国に福島原発規模の事故起これば経済は壊滅に近き
健やかに主の導きに今日ありてこの先も又かくあるべしと
日本の世界有数の地震国48基の原発を置く
この国の安きを祈りひなが過ぐ熊本地震の余震失せしと
ドトールの店に立ち寄り尾山台にわかの雨に雨宿りせむ
客人を良くもてなしてこころよき笑顔に送る事務職員よ
主と共に我が身の在りと恩恵に授かる日々の嬉しかるべき

讃美歌の四一五番を歌ひつつ大和の国を守り給へと
この国の荒ぶるなゐを収め得て代よに安きを与ふ我が神
讃美歌に大和の国の荒ぶるを鎮め給へと記しけるなり
災害の多きこのくにを見守りて幸ひあれと祈る讃美歌
熊本の被害甚大を憂へつつ讃美歌四一五番歌へり
礼拝に今日も熊本被災地の人の安きを祈りけるかな                                           (4月27日)

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      憲法記念日と子供の日

   子供の健やかな成長を等しく願い、男子はたくましく、女子は美しく、ともに頼もしい若者に育っていく過程こそ誉れ高く、希望にあふれたものはない。その姿は、日本国憲法の人間賛歌の精神を高らかに歌い上げた内容と一致して、日本の平和を象徴するものである。5月3日と、それに続く5月5日の子供の日の大型連休は、日本人の生活にとって忘れがたい楽しい日々の様相に、私の心も重なって映ってくる。そうだ、その前にはみどりの日がある。4月29日のみどりの日である。山川草木が一気に吹き返して輝き、力にあふれて躍動する季節として、文字通り心身ともに溌剌として、精気みなぎる万物の様相である。澄みわたる皐月の空と、草木の息吹に目を見張り、清水は奔流して山野を下り、鳥のさえずりに心躍らす季節である。大地に薫風と花を添えたみどりの日は、同時に太陽のさんさんと輝く光であり、紺青の海を渡る澄み切った月光を象徴する季節でもある。壮大な自然の営みの移りゆく姿を堪能できるときであり、人の思索が奥深く触発されるときである。時はまさにそれに続く憲法記念日と、子供の日である。この一週間は、この国の豊かな現実と、未来の輝きを象徴するものである。思いは我々の理念として、未来永劫にわたって大事にしていかなければならない。万物が神の豊かな恩恵に浴し、人間は限りない感動を覚え、感謝の念にしたる季節である。

   4月29日から始まった大型連休は、年末から新年にかけての連休の時と同様、新たな暮らしを求めて行われる国民の大移動でもある。勤労感謝の気持ちもあって、贅沢に休日をとれば10日間に及ぶ人もいる。職場を離れて一家団欒、故郷に帰る人もいる。潔く国外脱出を試みる人もいて、その間の暮らし方はさまざまである。ものを書くことが仕事の一つでもある私にとって、この連休は自由奔放に思索し、わずかな範囲で趣味に興じ、斯くの如く時間を与えられたことを深く感謝するときでもある。加えて4月29日のみどりの日は、私たち夫婦の結婚記念日である。妻は若い時と変わらずこの日を迎えて、気持ちは若々しい。男は現実を追い、女は夢を追っている違いである。だから一般に女は男よりも長生きすることが通説であり、これはいいことである。同時に夫婦善哉、夫唱婦随、いつまでも合い携えて生きてゆくことが切なる願いである。気持ちが若ければ、理想に向かって力強く進んでいくことが出来る。
  その努力次第で、夢を追っていくならば、いつまでも夢を追い続けて行くことが出来るだろう。今回、私は結婚記念日として別にエッセイをしたためてあるが、いずれここで掲載したいと思っている。拙宅の庭にはテーブルと椅子が置かれてあるが、薫風そよぎ、若葉薫るこの日の午後、私たちは休憩しながら庭でお茶を飲んでいた時に、教会の大沼さんご夫妻が京都名産の佃煮を持って訪ねて下された。全くの偶然とは云いながら、庭に用意されてあった四脚のうちの二つの椅子に座っていただき、輝き溢れる新緑の中で、お茶を飲みながらしばしの団らんに興ずる時を与えられた。神様からの豊かな癒しと恵みの贈り物だと思った。   5月5日


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オバマ米大統領の広島訪問

   NHKのニュース9が始まった途端、冒頭に 「只今、歴史的ニュースが入ってきました」 と女子アナウンサーの声に何事が起きたかと、一瞬ではあったがドッキとして身構えたのである。そのあとオバマ大統領が主要7カ国会議が開かれる伊勢志摩サミットの会議に参加した後の27日に、現職の米大統領としては初めての広島訪問が決まったとの、アメリカ政府高官の話が伝えられた。私は何かホットした感じで、報道を聞いていた。広島訪問は、オバマ氏が大統領に就任した2009年の時のプラハでの演説で「核無き世界」の実現に向けた理念の格調高い表明以来の念願であり、核無き世界を標榜して世界に発信してきた大統領自身の信念であって、その意志のゆるぎないことを内外に示したものである。そして大統領在任期間に唯一の被爆地である広島訪問を是非ともはたして、その意義を歴史に残したいという熱い情熱の表れであった。
  私は四月十五日付のホームページで、別に次のように期待を込めて記している。そのことが実現することになって大いに満足し、深い感動を覚えているところである。 先に書いた記述とは次の短文である。  「 原爆の投下については、加害者は米国であり、被害者は日本であるということは冷厳たる事実である。互いに苦い経験となって70年が過ぎた。意見の相違がる時には、必ずそれぞれの言い分があるものである。しかしながら、まさに「恩讐を超えて」、お互いに信頼関係に立って助け合い、それぞれ発展の道を歩んできたことは希有な歴史的事実である。その間、相互理解も進み、協力関係に立ってきたことは実に幸いなことであった。オバマ大統領の広島訪問を実現させれば、アメリカの現職大統領としては初めての広島訪問となり、文字通り歴史的、画期的記念として後世に有意義な教訓を記していくことになる。人類史上最も悲惨な原爆の当事国となっている日米両国が、率先して「核無き地球」の実現に向けて世界をけん引して行ってもらいたい。それを成果に日米が更なる発展の道を邁進し、以て将来の世界の平和に挺身し行くことこそ我々に、我々両国に課せられた人類の崇高な目的であり、歴史的使命だと確信して止まないところである。
私は、こうしたことをしたためたいと思い、いったん床に入ったが、気が高ぶって思念していたら、無為に時間が過ぎて行くばかりであった。思い余って深夜の3時にペンを執りパソコンに向かい、これを書いて納得し、気を静めてベットに寝入った次第である。 (4月15日記) 」

  人類史上もっとも悲惨な殺傷の被害をもたらした原爆が広島に投下されたのは、1945年8月6日8時15分であった。一瞬の閃光のもと十万人余の人が焼死し、かろうじて生き残った人々は放射能の被爆者として原爆症に苦しみもだえて行かなければならなかった。原爆が投下されてから早や70年が過ぎた。原爆が投下されてようやく第二次世界大戦の終結となったが、原爆を投下された日本も、原爆を投下した米国も、それぞれ苦渋の道を歩みつつ良心の攻めぎあいに立たされてきたのである。日本は経済的には焦土と化した廃墟から奇跡的な復興を成し遂げてきたし、アメリカは経済大国として偉大な発栄の道を歩んできている。ともに戦争を反省し、手を携えて友好、協力関係を打ち立てつつ経済発展の道を歩んできているのである。
   一方において、原子爆弾の悲惨な悲劇を経験しながらも、気の狂ったような世界の核兵器開発競争は止まなかった。核拡散防止条約が国際的な努力によってなされたが、核兵器廃絶の趣旨は伝わっても、その使用禁止まではいまだに実現されていない。膨大な量で核兵器を保有する大国の思惑があってのことである。核兵器の廃棄に向けた努力もなされているが、生産する以上の莫大な費用を賭けながらの苦肉の作であり、長い戦いである。核分裂と放射能の応用を一歩間違うと、地球上の致命的な損害を与え与えかねない危険な物質であることが認識されながらも、悪魔の麻薬的甘い誘惑の手から離れられない現代人の愚かさは、何ともしようのない姿である。堕落した人間とかかわりを持つ麻薬と同じで、その象徴的なのが核兵器である。
   その恐ろしさを知ってか知らぬか、広島、長崎に原爆が投下されて以来、全く幸いなことながら使用されずに今日まで来ている。神から与えられた、人間の理性と正義と良心の、唯一残された救いどころである。しかし無益な核開発競争は、幾たびとなく人間の手によって続けられた。核実験と共に、それによっていかほどに地球環境の汚染と破壊が進んだか測り知れない。天文学的な規模での、利益の喪失と、危険物の蓄積と、廃棄の始末の困難な道である。悪魔に憑りつかれた、浅ましき人間の愚痴、愚行の止まない点である。そうして考えてみると、アメリカのオバマ大統領の「核なき世界の実現」は、きわめて常識的であるところに大きな問題をはらんでいる。常識的なことが、常識的に行われないところに、難しさがあり、危険がある。その難しさを切り開き、危険を突破していくこと、それを政治家として敢えて行動に起こそうとする理念と勇気と信念こそ、尊敬と賞賛に与えするものである。

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慨嘆 感動 そして被爆者冥福の和歌   20首

現職の米大統領の広島に慰霊の旅の今し果たせん

原爆の投下に多くの民衆のもだえ焼死す地獄絵図とも

悲しみの嗚咽の声の止まざるに乳呑み児を抱く母の焼死体

原爆の加害者、被害者に七十年恩讐を越へ今手を交はすとも

悠久の宇宙の果てを仰ぎ見てみ霊の光る星になぞへむ

オバマ氏の被爆地ヒロシマ訪問の今に記すは意義の大なり

オバマ氏の日米両国の恩讐を越へ真の手を交はしけるかな

核のなき世界平和にオバマ氏の広島慰霊の悲願果たせん

広島で無言に立ちぬオバマ氏の犠牲者追悼のそこに意義あり

核兵器使用禁止と廃絶の声たからかに響けこの地に

原爆の被害惨状を世に伝へ広島長崎の名をきざめかし

日本に近ごろ驕る政治家の散見するは嘆かわしきに

原爆の被害に遭ひて黄泉に発つ民のみ霊の安きあらまし

伊勢志摩のサミット会議に指導者の平和のための実り多きを

私利にたけ私欲をふかす政治家の世界に多きことを嘆きぬ

結末を自ら汚す政治家のあはれを見ては国の恥なり

権力の座に就く人のすぐさまに初心を忘れ驕る姿に

加害者の米大統領のオバマ氏の広島訪問の意義は普遍に

人類の破滅と地球の破壊断て核の兵器の廃絶の歌

意義深し原爆被爆地の広島に現職大統領の初の訪問

伊勢志摩の風光明媚の地に開くG7大国らの集う指導者

指導者ら集ふ世界の先進国世界経済の発展を期しつつ

大統領就任以来の核のなき世界の理念の思ひたっとき          5月14日


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明日26日、伊勢志摩サミットの開催へ

伊勢志摩の風光明媚の開催地サミットの場に初なつの風

薫風のそよぐ若葉のまほろばにサミット開催の意義は深きも

伊勢志摩を訪ねし我れが青春の輝きみつる日々は今にも

各国の首脳もそれぞれ訪日す準備万端のサミット会場

会場は国益を捨てすべからく地球と人類の生存を問へ

人類と地球の存立を問ひ指導者ら真の平和の道を探らん

経済とテロと難民と温暖化、核など課題の目前に在り

協調す世界経済の成長へ自由と平和と公正のもと

先進国首脳会議の開催す世界経済の発展を期し

格差無き世界経済の発展の持続化にこそ平和への道

グローバル経済の公正に拡大し構造改革の道を行くべし

妙案につとむ経済を中心に世界の包括的課題に対処し

それぞれに世界の賢者が集い来て平和と秩序の確立を期せ

暴力と腐敗を排し我ら世の平和と秩序を築く良きかな

感慨を深く刻みて大戦後七十余年の過ぎて今にし

日米の共に経済発展の戦後の民主の道を歩み来

恩讐を互ひに越へて経済の発展の道貫きてきぬ

戦争の大なる犠牲を払い得し日本の自由と平和たっとき

経済の平和産業への転換に心して行け福祉世界へ

画期的転換となれ経済の世界を見渡し先を読むべし

サミットが改革改善をモットーに世界経済の発展を期さん

難問に英知を以て解決せん諸国の相互協力のもと

暴力と紛争のなき社会こそ世界繁栄の基礎とならんや

敗戦を経て廃墟より復興す我がこの国を見習ふも良し

大戦の勝者と敗者が手を結び栄へを辿る七十年余

恩讐を越えて互いの良きところ汲み取り合ひて省みるかな

サミットを成功裡に終へ次の代に大なる成果を収め行くべし    

 5月25日
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伊勢志摩サミットが開幕

今日、5月26日伊勢志摩サミットが開幕した。日本でサミットを開催するのは2008年の北海道・洞爺湖サミット以来、8年ぶりである。当時はロシアが参加して8カ国であったが、ウクライナ問題をきっかけに8カ国から外されている。朝から各国首脳が伊勢志摩に参集して重要議題について議論を交わし2日間の日程を終えることになるが、議題は山積している。議長国を務める日本だが、安倍さんも大変な心労に立って、各国の足並みを揃えさせて大筋合意を取り付けて、世界的協調を以てこれからのかじ取りの指針を定めなければならない。恙なく2日間の日程をこなし、大きな成果を上げてもらいたいと念願している。気になったお天気も、今日は晴れた昼間を過ごすことが出来た様である。明日の天気はあまりよくない予報であるが、せいぜい一日でも快晴に恵まれてほしいと祈っている。
   昨日の夜に来日下オバマ大統領は、訪問先のベトナムからで来訪であった。休養をとる間もなく安倍総理と日米会談に臨んだ。オバマさんには全く気の毒なことであるが、米軍基地の軍属が沖縄で殺人死体遺棄事件をおこし、ちょうど一週間前に日本の警察に逮捕されるというショッキングな事件に見舞われてしまった。原爆被災地の広島に慰霊することを決め、戦後初めての現職の米大統領の広島訪問と云う歴史的意義を両国が経験するときに、水を差すような結果になってしまった。そのこともあって到着早々に急遽、日米会談と云うことにもなったに違いないが、運命のいたずらとはいえ何とも情けないことである。会談ではこの事件についてかなりの時間が割かれた模様である。それほどに事件は両国にとって深刻な影響を与えたことであり、これを以てして悪影響を最小限度にとどめようとする両首脳のギリギリの努力が見られた。
   会談が終わって午後11時近くに開かれた両首脳の記者会見では、何とも重苦しい雰囲気で始まった。安倍さんが事件を踏まえて、冒頭から安倍さんが可なりきつい厳しい言葉で今回の事件を取り上げオバマさんに迫った一幕もあったが、受けて立ったオバマさんも沈痛な言葉を以て犠牲者に対し心から哀悼の意を表し、日本国民にたいし謝罪をこめて答えていたが、大事な会議を目前にしていきなり悲痛な場面に直面し、オバマさんが気の毒に見えて仕方がなかった。事件そのものは決して許されるものではないし、毒牙に襲われた被害者にとって痛恨の極みであり、安倍さんの云う通り、犯罪者に対しては物凄い憤りを感じることは当然である。記者会見は最初から苦悩の色が濃く漂い、どうなるのかと心配していたが、幸いことなくお互いの心遣いで切り抜けてくれてほっとしたところである。
   明けて今日は午前中、各国首脳が打ち揃って伊勢神宮に参拝したとのことである。深緑に輝く森閑とした境内は、日本と日本人の精神性を醸して外国の人に説明するにはもってこいの雰囲気である。首脳たちが打ち解けあって、写真に納まる風景も見て安堵した。そのあと一行は、直ちに会場に向かい、世界経済の問題やテロ対策についての協議に入った。会議は当面緊急を要する議題で一杯である。経済問題を中心にして、テロ問題や、難民問題、地球温暖化、北朝鮮の核開発問題、中国の海洋進出問題、租税回避問題、又中東紛争とIS問題など、広きにわたって議論されることであろう。
午後からの会議もスムースに進んでいる。夕方から夜にかけて強い雨が降ったりしたが、朝には雨が止んで薄日が差してきている。幸いなことに雨も上がって雲も切れてきているし、伊勢志摩あたりのお天気も回復して、明日には青空が広がっていることだろう。わずかな時間であるが、世界の指導者が一堂に会している時であり、折角この日本に訪れて、同時に良い天候に恵まれて風光明媚の豊かな風土と景色を十分に楽しんで行ってもらいたいものである。一方で今、日本全国で厳重な警備が敷かれている。不穏な行動をとるものがいないよう、街の至る所で警察官が目を光らせて警備にあたっている。私の気持ちだが、狼藉者が出たりすると日本の恥である。いうなればこのわずかな二日間が早く無事に過ぎてもらいたいと念願している。そしてサミットでは議論が大きな成果を齎してもらえればそれはそれで結構だし、共同宣言に盛り込まれて、日本での開催を早く閉幕してもらいたい。余り贅沢を望まないし、その間、世の中が平穏無事で、恙なく過ぎて行ってもらえさえすれば、開催は大成功だと思っている。
   オバマさんにはそのあと,原爆被爆地の広島訪問と云う大事な仕事が残っている。大統領就任以来、「核無き世界の実現」を理念として、これを世界に高く掲げてきたオバマさんにとって、被爆地の広島からの平和発信の言葉、即ち核兵器の脅威と廃絶、戦争反対という、燦々としてかがやく理念と信念を歴史にとどめ、而してそれは人類が永遠に心にとどめるものとなっていくに違いない。その意義は誠に遠大なものがある。オバマさんの勇気を讃え、英断に心から敬意を表したい。まさに今回の、歴史的訪問と云われるゆえんである。これも無事に目的を達して、急かせるようで恐縮だが、会議の全てが恙なく終わって、各国首脳たちには早くこの国から離れて平穏無事、あっという間であるが日本での有意義且つ楽しい思い出を持って帰国の途に就いてもらいたいと願っている。それが私の、そして国民の偽らざる願いだと思っているからである。 

   オバマ氏の核無き世界の実現を広島からの声とせんとや                                                                      5月26日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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