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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.10

    10月に入った

10月1日である。深夜、9月30日を越したばかりで零時を過ぎたところである。暦の上では既に10月に入ったばかりで、初々しさがこもっている。懐中電灯を照らしながら、庭に出てみたが、真っ暗である。庭の芝生を照らす外灯が、心もとないが、反って深まりゆく秋の気配を心底から映し出していて感じがいい。ついこの前まで猛暑々々と云って騒いでいた夏が、はっきりした線を引いて晩秋を迎えていくような趣である。きんもくせいの香りが、夜の深まりとともに匂いが強くなってきた。草の葉かげで虫の音がひとしきり聞こえてきている。

  正面にある柊の樹を照らして樹の枝の間を見てみると、例のスズメバチが5,6匹身を寄せあって固まって静かに寝ている。ライトを照らすと、黄色と黒の色をした衣を着ていて矢張り不気味である。どうしたらいいものか、戸惑うことになる。ついこの間、満月を迎えたと思っていたら今のこの時、月の影もすっぽり消えた感じで深夜は闇夜である。馬場さんのメールも確認したし、Yさんの昨夜の遅いメールも確認した。娘のWBSも見て、あとは気を鎮めながら床に就くようである。しかし今日はまだ風呂に入っていない。何かと電話の忙しい時間に追われていたので、風呂に入ることができないまま夕食を取った。寝不足にならぬよう気を付けて床にはいろう。その前に風呂に入らないといけない。それでは。   1日AM0・20


    秋の雲には特徴がある。夏の雲のように活発に活動する形は、青い空に透かして見ると分厚く感じでごつい塊だが、秋の雲は形がすっきりしていて輪郭がはっきりしている。見栄えがいいと云うか、美人である。竹下夢二描くところの初々しき美人である。はっきりした面立ちに哀愁を帯びている。北斎や歌麿のそれとは違った趣があるような気がする。

名状しがたき爽やかな秋

  今朝起きてみたら黎明の空が真っ赤に燃えていた。今しも黄金色に染まった太陽が、一点の雲のない大空を目指して駆け上がってくる時であった。ぽっかりと浮かんだ天つ日影であるが、天空の見えざるみ手によって釣り上げられていくような浮揚感に魅かれて思わず息をのみながら、その一瞬をじっと眺めてゐたのである。錯覚に捕らわれて、ひょっとすると赤々と昇る朝日影が一瞬のうちに焼け落ちてしまうのではないかというような幻覚にすら感じた。数分ごろには黄金色に輝く太陽が、夜明けを告げてすっかり朝の大空に向かって規律正しく、力強く、万象を照らしながら朝の到来を告げて、太陽系の軌道に乗った感じであった。

  見ごたえのある黎明の瞬間を見て取った、今日の一日が始まった。晴れ渡った日本晴れが、実に爽やかである。庭の椿の樹に先日まで大きな巣を作っていたスズメバチの巣を、区役所の職員に取りはらってもらったが、難を逃れた残党組の5,6匹が庭を飛び回っているうちに、正面のひいらぎの樹に身を寄せ合って居ずいてしまったが、可哀そうな気がして自由にさせてやっている。好かれてしまった拙宅の環境だが、ありがた迷惑な話で余ほど住み心地が良かったのだろうか、家内が、「これから気温が下がっていき、いずれ寒い冬を間近かに自然と身を消していくはずだ」 というのである。そう考えると余命いくばくもないスズメバチであると感じて、区役所からもらったスズメバチ駆除対策の小冊子を不要と思った次第である。

  朝日を受けて金木犀の小さな花が黄金色に輝いて、爽やかなあたりに芳ばしい香りを放っている。黄色と黒のマントをひっかけたスズメバチがその微風に乗って、いかにも楽しそうに飛び回っている。これでいいのだと、抵抗なくうなずく気になった。空を見上げると真っ青な空が広がって自ずから、胸を大きく開いて大空を抱きしめたい気持ちにもなった。しかしスズメバチだけは、御免こうむりたい話ではある。 続、10月2日


様々な形の雲を眺め居るまどべに映るすずめばちかな

庭の木の蜂を駆除しに来る人の上手に取りて巣を持ちて行く

蜂の巣のかぼちゃの程の大きさにされど素早く取りしし職人

騒ぎ立つあまたのすずめ蜂の巣の瞬時にさせる針の怖さよ

毬ほどに育つ蜂の巣の樹の影にそれを誇示して飛ぶすずめばち

黄と黒の衣をまとひ目をむきて襲いひかかれるスズメバチらよ

物騒にもすずめばちらの飛び回る空に金木犀の薫る追い風

目に見ゆる心地こそすれ秋の日の金木犀の匂ふさやさや

すずめ蜂らの巣を壊されて戸惑ひつ飛び交ふ空の秋深まりぬ

匂ひくる金木犀の風に乗り巣を失いし蜂のあてなき

秋の空飛び交ふすずめばちの巣を取られて嘆くあはれその身よ

毬ほどに大きくなりぬすずめばちの巣を解かれ嘆く秋かな

思ふだにスズメ蜂とてはらからも居らば離散の悲しかるべし     10月3日


匂ひ蒸す夏草の山登りき手はるかに望む大和まほろば

虫の音のここかしこより聞こえ来て鄙の宿場の湯あみ楽しむ

名月の照らす三笠の山にきて古き都をしのぶ宵かも

早や雪を頂く富士の輝きにふもとの里の花は盛りに

草むらのそこかしこより虫の音の月の光に増して聞こえ来

爽やかに吹く秋風の野に満ちて道祖伸の笑みて立つなり

立つ秋の花咲く野辺の際に立ち赤き頭巾を被るみほとけ

みほとけの旅行く人を手招きて無事息災を与えけるかな


台風の風向く左旋回に分厚き雲の空を覆ひぬ

台風の左に寄れば風向きの右旋回になりて強しも

台風の進路の右に風向きの左に変わり立ち騒ぎける

息荒く燃える体にほてる身を重ねて喘ぐ夢路行くかな

蟻んこの頭脳の人のそれよりも優れて組織と細胞の在り

微小なる蟻の頭脳の精緻なり人のそれより勝るともいふ


ててははも逝きはらからも亡くなりて姉と二人の妻の秋の日

我もまた弟のみとなりし身に互ひに言葉を交はす秋の日

天命を尽くしそれぞれに行く秋の静かに栄ふ在りし日を思ふ

猪木テフプロレスラーが亡くなりてその人柄を偲ぶこの頃

貧しさの少年時代を努力して己の道を今に生かしぬ

人生の基を確と把握して元気ですかと皆に叫び来

波風の立つ海原を行く舟に乗り秋の日の磯に遊ぶ身

稲刈りし野づらのあとに雀らの下り来て籾をあさりけるらし


遅くまで商談を重ね、ようやく仕事から解放されたのはPM の11時であった。会社を出てからタクシーで帰宅し11時半には家に就いた。八重洲から直ぐに高速道路に入るといとも簡単に家に就くので眠ることもできない。途中降りしきる秋の氷雨で、タクシーの窓ガラスが曇って外の明かりがぼんやりと映っていた。夜空に赤く炎を上げる東京タワーも、夜遅くだと真っ暗な時がある。高層ビルの上層部を灯す明かりは夜中の闇でも灯っているから、大都会は生きていると思いながら頼もしく感じる。同時に資本主義は体を休める暇すらなく活動していると、忙しない世の中だとも感じてくる。そして働いている人もいれば、ウクライナの戦場では一人の無法者の独裁者によって、多くの人が無駄な働き方をしてエネルギーを使い、命を落とす危険な瞬間を過ごしている人もいる。

  下を見ても限り無し、上も見ても限り無しで、如何に中庸の大事なことが念頭に浮かんでくる。欲をかけばきりにないことであり、本性として際限がないことはよく承知している。仕事を共に進めてくれている友人の言葉に対し、今回の場合も、自分の利益計算よりまずは、顧客の希望に沿って誠実に仕事を果たしていくことが急務であり、自分の利益計算はその結果として生じてくるものだと持論を述べたところ、正論を軽んじるような返事が返ってきた。トランプの自国第一主義でもそうだが、 何かにつけて自己優先主義が横行しがちだが、小生に就ては、仕事をこなしていく楽しみが優先してあまり金銭的なこと、己の懐具合は考えていないことは、性分として幸いしていると思っている。 

与えらる今日の仕事を成し終えへて誠実に生き不満なきなり

しとど降る秋の氷雨にあの猛暑まだ忘れ得で急ぐ道ゆき 

HBの鉛筆を持ち和歌を書くパソコンの音の味気なきなり

HBのトンボ鉛筆を指に挿し何げなく詠む和歌のいみじき

懐かしさこみ上げて来ぬ鉛筆の滑りの良さも味はいにけり

想像だにせぬ奇人変人の世の中にあまたに居らば心許せで

三ヵ月の早や西方の闇に消え夜長にしきり虫の鳴くなり

寂しさに打ち出て眺む秋の月何故に雲間に隠れけるかな

横浜の本牧原の不動産媒介業務に精を出す秋

洗面所の紙に優れた和歌を詠む水を流せるままに詠みゆく

秋雨のしきふる街のドトールの店にて憩うふコーヒーの香に

客人に玉屋の和菓子を買ふてきぬ最中の味はふうまき秋かな

モンブラン万年筆を買はんとてとんぼ鉛筆を求め出でけむ

滑りよく書けるトンボ鉛筆をしみじみと見て惚れにけるなり


プーチンの精神状態を疑ひて綴る五か月前のこの筆

ウクライナ侵略殺戮を推し進む戦争犯罪の責任を問ふ

ウクライナ軍の反転攻勢に撤退続くロシア軍勢

プーチンの老害しみじみと表面化して国内の反戦運動

国外へ陸続として脱出すロシア市民の国境の列

罪のなき貧しき市民を牛馬の如く使用すプーチン独裁

戦争へ人海戦術の露はにて徴収令状を乱発のプーチン

反撃に士気高揚のウクライナ軍に祖国奪還の進軍ラッパが

併合さるクリミア半島の奪還も示唆して進むウクライナの兵

我のみに返りて思ふ己のみことを思ひて道を行くべし

近ごろの矢鱈と飛ばすミサイルを北朝鮮の何をたくらむ

独裁の政治を引きて国たみを貧しきままに放置する奴

今のこの世にプーチンの恥知らず侵略政策の愚行の蛮行


   10月7日


    ウクライナ軍の反転攻勢

  思うに映画の「史上最大の作戦は」、小生が少年時代に見た記憶にある名作として、今に思い出した。そのきっかけとなったのはロシアが建築したクリミア大橋であるが、これが何らかの手段によって大きく爆破されたことである。2018年クリミア大橋は、これが開通した時にはプーチンが、ロアシアの勝利を意味するものとして自らトラックを運転して初渡りするという祝賀儀式を行った。クリミア大橋は謂わばロシアの存在と力を誇示する象徴的なものである。爆破はプーチンの誇りを踏みにじる結果であり、ウクライナの戦況でプーチンが如何に追い込まれてきているかを象徴するものでもある。

  2012年にロシアがウクライナに侵攻し、クリミア半島を不法に占拠してのちに一方的に併合した不法行為は、未だに鮮明に脳裏に残っている。振り返ってみて、あれからロシアはクリミア半島を実効支配し、住民投票でロシアに一方的に併合する決定をして不法な手段を以て領土を略奪したことは記憶に新しい。ウクライナのゼレンスキー大統領は、EUや民主主義国の支援を受けて、自国の反転攻勢を進めてロシア軍を追い詰めてきているが、今やクリミア半島もウクライナの領土であり、奪還を目指していると公言している。

  昨日、クリミア半島とロシア本土をつなぐクリミア大橋が爆破、ウクライナの特殊部隊によって大規模に破壊され、橋の一部が崩落した。た。ウクライナ侵略にとってロシアの重要な軍需物資の調達ルートとして、クリミヤ半島とロシア本土を結ぶ全長19キロに及びぶ大動脈であり、ロシアにとっては欠かせないクリミア大橋である。アゾフ海峡をまたぎ、プーチンが威信にかけたクリミヤ大橋であるが、ウクライナによる攻撃がロシアにとっては大打撃であり、今後の戦局の展開に大きく影響してくるだろう。反転攻勢を続けるウクライナ軍の、快進撃を裏付ける重要な戦果を示すものである。  

  少年時代に見たという、映画「史上最大の作戦」とは、第2次世界大戦の運命を決定づけた連合軍のフランス・ノルマンディ上陸作戦の全貌を完全再現し、俯瞰的パノラマ構成で描いた、文字通りの戦争映画スペクタクル超大作であった。 監督はケン・アナキンなど4名である。キャストも名優ジョン・ウェインをはじめとする48大スターを配して激戦の模様を描き出して熾烈な映像である。しかし、一方で名もなく死んでいく兵士たちの悲惨な情景も描写されて、観方によっては類い稀なる「反戦映画」としても傑作品であり、見事に卓越したヒューマニズムの作品としての評価も高いことで記憶に蘇ってくる。この映画のクライマックスのシーンには、敵軍の物資弾薬の補給路となっている難攻不落の橋を巡って、ジョン・ウェインが演じる奇襲部隊の爆破する決死の姿が描かれている。

製作のダリル・F・ザナックは、この戦いに20世紀の祭祀姓を持たせることで、戦勝国の人間も、敗戦国の人間も等しく、映画の虜となる画期的な戦争映画をモノにし、その名を映画史に残したのである。 反戦の意図明白な映画として、現代にも多くの教訓を残してくれている。  10月9日 


  国境を越えてロシアを脱出するロシア住民だけではない。ウクライナ軍の受け、武器弾薬を置きっぱなしにして逃走するロシア兵が沢山出てきている。戦車で乗り付けた兵士たちが白旗を振って投降することもある。兵役を拒み、無理やり戦場に連れ出された兵士が逃亡、民家に駆け込んでかくまってもらう若い兵士。まだ十八歳そこそこの若者で大した軍事訓練も経験していない。銃を持たされて、いきなり戦場に狩り出された感じである。 兵士たちの士気の低下は明らかであり、兵器の使い方も知らない若者がいたりするそうだ。武器は旧式のものばかりで、役立たずと来ては、そもそも戦闘能力を疑がわれても仕方がない。 祖国奪還を掲げ士気高揚のウクライナ兵、今となっては劣悪な環境と共に加速する士気の低下に在ってはロシア軍は、ウクライナに立ち向かうことは出来ない。

  迎え撃つウクライナであるが、ロシアからすっ飛んでくるミサイルを、着弾前により精密に迎え撃つ手立てはないのだろうか。飛んでくるミサイルを途中で確実に打ち落とすことができるのではないかと、かねてから思っていたことであるが、軍事技術はそこまで行っていないのか疑問に思っていることである。今日も報復措置に出たロシアが、首都キーウに三発のミサイルを撃ち込んでウクライナに死傷者が出ているという。 

  ゼレンスキー大統領は、今日の報復措置としてロシアがウクライナ全土に向けて無差別に発射したミサイルは 83発であったという。ウクライナはそのうち45発を迎撃して打ち落とした。又、ドローン24基の撃ち13機を撃墜したと述べて、攻撃にくじけず、最後の勝利に向けて突き進んでいくとウクライナ軍隊と国民を鼓舞していた。ロシアの攻撃によって14人が死亡し97人が負傷したということである。こうした犠牲を少なくするために、ウクライナが地上戦で着実に前進し優位な立場に立ちながら、防空に於いて抜け穴があったりしていては戦略的にもマイナスである。確実にすべての飛んでくるミサイルを打ち落とすのでなくてはならない。EUやアメリカと一緒になって、更に一考を要する案件だ。    10月10日

    中小企業のコロナ対策

金は天下の周り者、悪銭身に付かず、阿弥陀も金で光る、金があれば馬鹿も旦那、地獄の沙汰も金次第、稼ぐに追いつく貧乏なし、「ありそでないのが金 なさそうであるのが借金」・・・。生きるために稼ぐ商人の現実が、職種を問わず厳しい昨今である。勤労のそばから、商売柄そろばん勘定は日常茶飯事で、商人からそろばんは離せない。お金にまつわる古事・名言はこのほかに沢山あるに違いない。ひょっと思い出してもこの程度は直ぐに浮かんでくる。人間万事金の世の中、そうだ宵越しの金は持たないとばかり花街に通ってすってんてんになったのは、若かりし青年時代の話であった。今はけちけちムードのスッピン時代だから、豪快にも札束を懐に、暗くなるのを待って楽しむような男もいなくなった。楽しいキャバレーが姿を消して安直な居酒屋が栄え、銀座から高級クラブがいつの間にか消えて外灯が空しく灯り、華やかなクラブが廃れていくはずである。

  新型コロナ対策で始まった中小企業に対する無担保、ゼロ金利の融資制度が9月末で終了した。融資額は42兆円にも上った。来春に向けて、企業の銀行への利払いが始まり、順次返済が始まる。

  コロナの終息が長引いて、未だに回復の兆しが不透明な時期である。売り上げが伸びずに、物価高のあおりを食らって、返済計画の見通しを立てられないでいる企業が大半である。ゼロ・ぜロ融資の延命策ではないが、金融機関と政官が一体となって当面の対策を出さないと、一気呵成に債権を回収しに出たりすると、混乱が生じて傷口を広げるばかりである。 

  斯様に中小企業に対する特別融資制度は2020年3月に始まったが、今年の9月で新規受付は終わった。利子を3年間、国や都道府県が負担する。返済できない場合の補償もつている。安易な企業経営に走るのは困る話だが、今までに多くの企業が、この制度で苦境を切り抜け、倒産をしないで済んできているが、問題の発生はこれからである。法案と制度の柔軟な対応が望まれるところである。 

  プレミアム上場の大企業は別として、弊社に出入りする多くの中小企業は、ここにきて資金繰りに悩むところが多く、 銀行の融資条件も厳しく慎重な姿勢を示すところが多いという。期限返済を迫る銀行も多く、融資条件が確りして結ばれている場合には、他行からの借り入れによって融資の肩代わりを行える場合がある。銀行間の顧客の移行ないし変更を行ってスィッチすることも可能である。上手に対応すれば、銀行の顧客獲得の絶好の機会を提供することにもなる。金融機関が新規顧客の開拓を始め、将来にかけて有望なベンチャー企業への新規投資を目指し、融資市場の開拓に向けて励むべきことは当然なことではある。        10月10日

相撲取る秋の土俵に身を倒す土柔らかき鎮守祭りは

コスモスの揺るる野づらを力士らの地方巡業の秋は暮れゆく

阿武隈の山並み低く見えしかも野分の雲の垂れるこの頃

牧歌的絵を描き旅の空を行く関根画伯の軽き足取り

エリザベス女王の棺を担ぎ行く歩測の遅き儀兵隊長

厳かに棺をかつぐ衛視らが深々被る黒き帽子の

揺れて行く棺をかつぐ衛視らの黒きハットと紅き軍服  

何世紀前の世界に戻りたる儀式のおとぎの国に居るかも

昔日の大英帝国に戻りたる豪華絢爛の舞台演じて

ロンドンのウィンストミンスタ寺院にて厳かに行く女王のひつぎよ

緩やかに行く葬列の足並みに高貴なさまのありてゆかしき

王冠に散りばむ石の光より野辺の彩る花の飾りは

しかばねとなりし棺に重く置く何んと王冠の煩はしきや

何のことはなき相続人が王冠を手にす習いひの結末とはなる

莫大な資産を保有し民衆の貧苦を上に宮廷の立つ

王冠を被りて狭き門に入ることの能はで天つ掟に

この世にて身にも着けたる財物の皆土に帰し空しかりけり

あの世まで運ぶダイヤの色あせて天に着く間に砂利となりはつ

王冠のダイヤに比して満面の女王の笑顔に心魅せらる

散りばめしダイヤの王冠よりもなほ女王の笑みに勝るものなし

あの世までこの世の財を運ばむと思ふも同じ狭き門かな

高貴なる役を済まして主は汝れを自由の身にと放ち給へり


だらしないトラス首相の辞任

  首相に就任して僅か四十四日目の首相辞任である。就任時もそうだが、ジョンソン首相の辞任のあとの党首選出の時から、この人はサッチャーとは違ってどうも長持ちしない政治家であったと記憶しているし、人材不足になりがちな英国政界で、政情は不安定になる可能性を早くから抱いていたのである。エリザベス女王が彼女の首相就任を承認して二日後に逝去されたが、女王もさぞかし心配であられたに違いない。言動に浮つきが顕著なところがまずもって散見された。 経済政策にしても持論の展開はいいとしても、現実世界において常識的な基本が欠けていた感じがして独断専行のきらいがあった。短期間で彼女のそうした性癖といったものが躓きの原因を作ったに違いない。 長く椅子にとどまって、頓珍漢な行動をとっていたずらに混乱を深め傷口を広げるよりも、自らが早くから気付いて辞任したことは得策であった。 政界にこれといった人物が見当たらず人材不足なところを見ると、ジョンソンの帰り咲きということになるかもしれない。

  意気揚々として掲げた持論の成長戦略が、ウクライナ戦争をきっかけに高騰した原油価格と原材料の諸資源の価格の急騰、そして連鎖的な消費者物価の激しい上昇といった現実を無視し、足元のインフレの経済状況を無視した成長戦略が、市場に通じるわけがない。EUを離脱して独自の経済政策に固執していたトラス首相、就任後に打ち出した減税約7兆5千億や、電気、ガス代金の支援などのばらまき姿勢に金融市場は疑念を示し、英国通貨ポンドや、国債価格が急落して混乱していく。国際通貨基金も政策に苦言を呈し、減税政策などあまりにも大規模で適性を欠いていると批判した。

  するとトラス首相は、次々に減税政策を撤回し財務省を更迭しハント元外相に交替させて政策の発表を謝罪した。朝令暮改と称する箴言がる。まさに定見を失った言動が噴き出して、トラス首相は内外で苦境の剣が峰に立たされて、もはや救命の道を絶ったのである。もとよりトラス女史がサッチャーのような聡明で意思堅固なことを以て国際社会に貢献し、内外の政治経済に大きな良き影響力を行使しうることを願っていたことは言うまでもない。しかしながら天命というべきか、あまりにも短命に終わってしまったことは、能力の限界であって避けがたいことではあった。気づいた英国議会と与党議員の見識の未だ健在といわねばならない。      十月二十日


当り前田の・・・・・円安

  昔の広告に「当たり前田のクラッカー」という文句を引き合いに出すまでもなく、今日の円安は自ら招くして招いたもので、当たり前田のクラッカーで、何年も前から予想できたものであって、誰だか知らないが、何の対応もなさずして王様の地位についた者の仕業であり、取り巻き連の馬耳東風の仕儀である。昨年の末から本欄でしばしば指摘してきたところであるが、アメリカの長期金利が上昇していずれ世界的景気減速を招くような事態になると警鐘してきたが、ウクライナ戦争が引き金に原油高に始まり資源価格が軒並み高騰し、それが追い風になって世界的な物価高に悩まされ始めた。抗しがたきインフレに今、世界が混乱しており、インフレと気候変動による被害は、特にアフリカ諸国を始め貧困地域に及び、深刻な食料飢饉に襲われて経済は人道問題にまで発展しつつある。インフレと気候変動が一緒に一緒になって、世界的規模で経済を襲ってきている。

  アメリカの経済指標はこのところ消費者物価指数をはじめとして、活況な経済拡大の材料は長期にわたり続いて頼もしい限りであるが、この主たる原因は、勤労者所得の上昇と相まって、好調な企業業績が裏付けになっており、行き過ぎた景気上昇ととらえられている。この行き過ぎた部分を除去するために連邦準備制度理事会、FRBが今年に入ってからも毎回のように大幅な金利引き上げを実施してきているが、目下のところ強力な物価上昇を抑えきれずにいるところである。

  しかるに日本の場合には、この金利を軸とする金融政策が日銀の判断によって運営されてきているところ、依然としてゼロ金利政策が続行しており、日米の金利差はますます乖離する事態になってきている。これが解消しない限り円安はますます進行するはずであることは、小学生でもわかる事案である。今年になってから円はドルに対して三割近く下落している。国民生活に与える影響はでかすぎる。もとより金利を上げることによってマイナスを来たす影響力は当然思料されるところではあるは、経済的な状況と影響を案分して判断されるべきではある。

  日銀内部ではトップから下まで、長きにわたりこの金利差の拡大要因について、何ら異論を唱えるものがいないということも世界の七不思議といっても過言ではない。平成二年に始まった日銀の総量規制があった。バブルがはじけ奈落の底に落ち込んでいった日本経済は、その後引き締めにずっと苦難の道を歩まざるを得なかった。総力規制を長年にわたり、ほったらかしたことに原因がある。今回も逆にゼロ金利をほったらかしたままで手をこまねいている。その間に企業の活力はそがれ、消費の復活はままならず、正常な金融市場の機能が果たせないままである。そして円の価値、即ち円の購買力は下がるばかりである。

  日銀の政策決定会合に参加しているメンバーは、何もせずにここ十数年近くを過ごしてきている。何もしないのも仕事の一つとでもいうのかもしれない。デフレ経済脱却を目指すのはいいが、そのために失われた三〇年の損失は甚大である。会議は踊るではないが、踊りもしなければ動きもしない、謂うべきことは金融緩和の持続という、馬鹿の一言の言いっぱなしである。よくも飽きずに、手も足も出さずの達磨さんを決め込んで来られたものと思っている。 

  おかげで銀行は、金の貸し出しで金利を稼ぐことを忘れ、企業家は借りた金の金利を払わずに世渡りしようとするケチな根性を植え付けられた。緊張感がなくなって、銀行員は働くことを忘れた、歌を忘れたカナリアではないが、えげつない根性のカラスになり果ててしまってきている。起業家はリスクを取って技術革新を決心する情熱がなくなったし、その機会も失ってきている。ゼロ金利と云えば、かの中国では全人代が開幕したが、習近平が異例の三期連続の党主席に就任し、権力の集中を図ることは既定の路線である。何も言えない取り巻き連中だけで、政策執行の意思の最高決定機関である常任政治局員が決まるだろう。 

習近平が推進してるゼロコロナ政策で、中国の経済成長は低下傾向に在って回復が難しくなってきている。日本はゼロ金利政策で国力の一層の低下をもたらして来ており、今日の円安が一五〇円台に突入し、円安が加速して経済が疲弊し始めている。 長年権力の座に居座った二人のそれぞれのゼロ金利、ゼロコロナ政策。 ゼロという言葉で凝り固まり、石頭を持った二人の人物による共通した二つのケースだが、ゼロという数字がいかなる事態を経済社会に齎すかを如実に物語っている。     一〇月一八日

    中国党大会の閉幕

開催される中国共産党大会では、習近平が党中央委員会で慣例を破って三期目の党主席に就任されることは既定の路線と称してきたが、いざそれが決定されると、現実的に極めて異様な緊張感を覚えるのは何故だろうか、色々と先行きのことを慎重に考えなければならない羽目に陥った。七人いるトップの意思決定機関である政治局常任委員のうち、今までの活躍と功績からして留任が有力視されていた李克強が、事実上引退を強いられた形で驚いた次第である。若者の登用は一人も居ずに、70歳近い老人ばかりである。人事の結果は明らかに習近平に権力を集中した構図になっており、常任委員のうち3名が習近平の子分であり他3名もそれに近い人物である。

  大会は終了したが結果は毛沢東に倣い、習近平主席を神格化した独裁政治の助走である。大会の席上、人事に不服を唱えていたらしく、習近平の隣に座っていた元主席の胡錦涛が何やら隣席の習近平に文句を言っているうちに、習近平が関係者に促したところ、警備員らしき男に腕を取られて半ば強引に席から引き出されて、退場を命じられた。本流から外されたかっての実力者の哀れな末路というべきか、あまり抵抗すると消されてしまう運命にも立っていると思われる。権威をかざし、独裁専制国家に共通した様態であるが、地球上の人口の三分の一を占めるまでに至っていることは悲劇というほかない。五年に一度に開かれた最高意思決定機関ともいうべき、中国共産党大会の最終日に露呈された異常な光景であるが、中国共産党幹部らの権力闘争の凄まじい一幕を垣間見た感じである。

  権力の独裁的集中化を見て取った外国勢からは、中国の先行きを懸念する声がすでに上がっており、中国市場から資金を引き揚げる投資家や起業家の動きが活発化している。小生が当事者であったとすれば、同じような気持ちに動いていくに違いない。たいほ、拘置、留置所、裁判、判決、実刑、服役とみんなが恐れている将来に光はない。それを象徴するように目ざとい投資家たちは中国から投資資金を引き揚げているし、既に中国国債や株式などは急落を演じていることで明白である。経済の開放、改革を掲げた鄧小平の流れをくむ経済通の元首相の李克強は、主流から完全に下ろされてしまった。

 中国経済の低迷が続く中、強権と独裁に走る中央政治の先行きは危うい気がして不透明感がいがめない。プーチンの独裁者が目に余る行動をとる中、ルカシェンコ、そして習近平と奇人変人が罷り通る国際社会の課題は、非情、理不尽を孕んで、厄介な問題を各方面に投げかけ始めている。  10月24日   

      


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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