line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年10月06日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

Vol.13.06

   トップセールスマンの安倍さんの経済外交   原発の売り込みだけは、見ていても?

   もさもさ,もたもたしている民間人に代わって、我が国の首相の安倍さんが近隣諸国に自ら出張して、トップ・セールスマンの経済外交を展開していることは誠に心強いよいものがあって敬服しておりますが、逆に民間企業のトップ経営者は何を愚図愚図しているんだと、その怠慢さを叱咤激励したいくらいであります。しかしながら何でもかんでも売りまくったからいいというものでもありません。相手を見て品物を売っていくことが必要です。自分の国で事故を起こした原発を、何基も売り込んでいく実力は大したものですが、聊かやり過ぎの感無きにしも非ずです。経団連の米倉さんも一生懸命でありますが、時々何を言っているのかわからない時があります。右に行くのか左に行くのか意味あいまいなところがあって、だれか通訳を置いてもらわないと若い人にはわからないのではないでしょうか。どっしりとして何事にも動じない風格は頼もしい限りですが、日本のの大企業の連合を背負っていく姿にしては、あまりにも風格がありすぎて、短小軽薄をモットーとする i フォーンのスピード、画像時代に追いついていかなくなってしまうところに一抹の懸念を感じてしまいます。老人を酷使するのではなく、いたわる風潮が経団連にあってしかるべきであります。一種の社交場、ある種の名誉職かもしれませんが、なることによって頂上を極めた自己満足であってはなりません。年功序列式職場に執着していては、グローバル化についていけなくなって若者の出る幕を閉ざしてしまっても困ります。安倍さんのフットワークの軽さに比べていると、老骨に鞭をうちながら痛々しさが募ってきます。米倉さんは立派な人格者だけに、あまり無理をしないほうがいいかと案じています。思い切って若者を登場させることもあっていいでしょう。しかしそれではなかなかいうことを聞かぬ連中もいるから、大変なことであることを考えると、現状で行くことが賢いかもしれません。ただ色々な国際社会の活動の中にあって、各国の若い代表団の活動に伍していく場合に、連合部隊の看板となる人の明らかな老齢化は心配です。
   思うに、安倍さんの起死回生に似た復活劇は人知の及ばざるところがあって、颯爽としたデビューの後、半年が経過しました。矢継ぎ早に打ち出される景気回復策と、見事な国会運営は抜群の極みで誰も異論をはさむ余地がなく、むしろ官民一体となってこれを後押ししているところは、未だかってなかった政治舞台ではないでしょうか。小柄で細身の体で、難局に体当たりの戦法で国民を良い方向に鼓舞してきています。連発する積極的な政策には、理屈と信念が合致して、とにかく暗く沈滞していた日本の経済のトンネルを抜け出しただけで、その功績は十分であります。この勢いをどこまで持続していけるか、そして堅実な景気回復の路線に至らしめるか、それは今後の経済人の務めであり責務であります。短期間のうちによくぞここまで国民と国民経済を引きずってこられたもんだと感服しています。それを反映する株式市況も生き返ったように連日の活況ですが、論客もマスコミもとやかく言うすべはないでしょう。何かあれば足元をすくってけなす風潮がありますが、たとえば株式の上下の乱高下は当然の現象です。動き出した経済にはいささかも不安はなく、目先の思惑筋を振り落している動きであって、国民は目先の動きに振り回される必要はありません。内外の視点もそうですが、安倍さんにねたみ、そねみ、やっかみの気持ちを抱く人たちはしばらく口を閉ざしておいてもらいたいと思います。決して言論を封じいたりすることがいいというわけではありません。今のところ好調な出だしで推移してきているアベノミクスであれば、むしろこれを応援しなければなりません。アベノミクスを揶揄し、批判し始めたらいくらでも上げることができます。良くいけばたたかれ、悪く言ったらなお叩かれして、鍛え上げられていくのが世の常と思えば腹も座り怖いものはありません。政権担当者は常に奢らず、仕事には信念を貫いて実行していかねばなりません。次に待つ政策は成長戦略です。それを大胆に実行してその効果を見極めていくことでしょう。異次元の金融緩和でじゃぶじゃぶと市場にに金をつぎ込みようやく株式市況も活気を呈し、購買力につながってきました。此の初動段階をいかに解釈してあ、あまりこだわわず前に足を進めていかなければなりません。すべてがうまくいくものでもないし、副作用は見極めて治療しながら、おおらかに先ず行動することが大切です。   政策の実行は迅速を旨とし、それを裏打ちするように株式相場と一緒で、出過ぎた後には必ず調整場面が来ます。これをどう解釈するかは人それぞれに思いがありますが、常に冷静に対処し熟慮して反省の後に行動を起こすことが重要であります。相場は相場に聞けとはよく言われることですが、昨今の株式相場のちょっとした急落は、素直に次のステップに臨む調整場面ととらえるべきでしょう。・つまりアベノミクスで始まった今回の急激な相場の上昇は、一息入れる過程にあったもので決してこれが暴落する前兆ではないということでしょう。昨日、今日の世の中の変化で、自民党政権に大逆転して生まれた安倍政策が打ち出した経済財政策が変わるものではありません。スタートを切ってからの、まだまだ助走段階で、これから長きにわたって政策が実効的に行われていく過程で評価されていくものだからです。
   懸命に働いている安倍さんを見て文句をつける人はいないでしょう。之とは全く逆の話になりますが、日本維新の会の人気の凋落を目にして慌てだし、人目を引くために言った共同代表の一言で、世間の、否、世界の顰蹙をかって政治生命を危うくした馬鹿者がいましたが、国民の目は冷静です。此の男に、かっては引き回されたこともありましたが、口から出まかせの船中八策は飛んだ結果になってしまいました。日本を変えるといって維新と云う名をむやみやたらに使っていた小僧が、いまさら戦時中の日本軍の従軍慰安婦問題を持ち出して、あらたに奇妙な売春事件を日本に起こして、わが国の品格を貶めようとした輩であります。その上、こともあろうに血気盛んな在日米軍の軍隊の若者に、風俗業を活用するよう進言したという馬鹿者であります。品格を云々する以前に気の狂った政治家としか言いようがありません。これが日本国内の市長をし、政党の共同代表の一人に座っているというのですから、あいた口がふさがりません。人材不足を如実に表したものでしょう。世間の、世界の笑いものになっています。こんな輩が日本を背負っていくなどと、同調してブル下がってきた子分たちはすべからく議員を辞任すべきであります。国民を馬鹿にして、舌先三寸でだますにもほどがあります。昔、真鍋儀十という売春汚職事件を起こして逮捕された不潔な議員がいました。この人物も馬鹿丸出しでしたが、こうして仮面をかぶった輩が政治家の中には沢山います。品性に欠くけて困ったものです。言論の自由をはき違えた公的発言にしては、むしろ軽犯罪法違反にもなる、若しくは国民をないがしろにした侮辱罪で現行犯逮捕なんていうことだってあるかもしれません。誤解しないでください。私は決して右がかったものでもなく、ましてや官憲主義の支持者ではありません。その逆であります。人権擁護のれっきとした自由主義者であり平和主義者であります。過激な発言をしてはばからぬ天才演出家に登場してもらって、せめてもの抵抗的発言を願っているところです。ビートたけしさんではありませんが、「なんだこの馬鹿野郎、いいかげんにせい」、と叱りたくなります。      こんなくだりを昭和経済の賢人が、狂言を吐いて書いております。その時は従軍慰安婦の問題ではなく、何か虫がさしたのでしょうか、いやもっと以前から、大阪維新の会などと云い抜かして、あたかも憂国の士と云わんばかりに大言壮語して出てきたこの人物の本性に、どうもインチキ臭い疑いを持っていたので勇気を出して批判したわけですが、いまこんにち、化けの皮がはがされて醜態をさらけ出していますが、事の顛末はさもありなんであります。この人物については今まで一言も触れてきませんでした。世間では革新的に世の中を変えていく大人物ともてはやされ喧伝されていたころがありましたが、ちんちくりんの廊下トンビな感じで見ていましたが、舌先三寸でもうけ主義のいかさま道化師に見立てていました。それよりもこんなごろつきが善良な市民をだますどころか、どさくさに紛れて国政にまで口を出す始末は放っておけません。人目を引くために、また何を言い出すかわからぬ曲者であります。晩節をけがして石原までがすり寄り抱きついたりしていましたが、恐らく周囲の注意を無視して唯我独尊的に足を踏み外したのでしょう。政治家が失言して、指摘批判されたのち、それを取り消したから済むというものではありません。裏を返せば、それほど政治家の発言は重みがあるということです。
   クリスチャンであり温厚な妻をまえにして、今世間で盛んに物議を醸しているこの件で、私は話題に出すにもはばかっています。こんな下劣な感覚の話題は、このところしばらく見聞しませんでした。うちのマリアの話ですと、このところ私が夜中によく寝言を言って、怒ったような声を出したりしているそうですが、これに関連した夢を見て、腹に据えかねた結果なのしょう。もっと違った話題なりテーマなりで、論陣を張って貰えんもんかということでしょう。それ以外に考えられないからです。もっともどんな夢を具体的に見ていたかは幕を張った雲のような映像でさっぱりわかりませんが、フローベルの精神分析学入門を読んでみてからでないと夢の現象を見極めることは難しいかもしれません。現代医学でも分かりかねる案件で、緻密に分析する要があるかもしれません。その時は大学にかえってもう一度勉強してみようと思っています。ここ半年の間に、日本は目が覚めるように明るくなってきました。先ずもって経済を良くしたうえで何事も決まっていくのが世の常であります。マルクスがいみじく申していますが、経済社会において生産的諸関係と状況、つまり下部構造が、人間社会の政治的、文化的、文学、芸術的分野、即ち上部構造を決定するという原則を追認して、どんな社会にああっても人間の幸福を求めていく試行が大切であります。跳ね上がり分子はいつの時代でもどこにでも改革と称して姿を見せてきます。しかしこれを冷静に見抜いて人々を守っていく努力が国民の側にも必要でしょう。
   勉強のために、学舎の大学に帰って行って、そこにマルクスがいたら、日本に出てきたお化けの何とか市長の案件を聞いてみようと思います。愚かな民衆よと名指しして、嫌悪感を以て吐き捨てることでしょう。ケインズが出席していたら安倍さんの経済政策の根幹をなすアベノミクスについて同じ机に向かって高邁な理論の展開を繰り広げて、熱弁を振るってみたいとおもっています。そして今こそ日本にとって大事な安倍さんが、関西の市長のような軽率過激に走らないこと、高ぶらず慎重に、謙虚になって右傾化に傾斜せず、穏健な思想で、しかも現実的に対処してほしいと哲学者のソクラテスが言っております。付け加えるに、日本は歴史と伝統を重んじ理性的国家になって、良識と品格に於いて世界の模範となっていると申しておりました。      5月27日記


梅雨入り

  さつきの空と燃え立つ若葉の輝きを心ゆくまで楽しんできましたが、気象庁の発表によると、今年は全国的に例年に比べて十日間ほど早く梅雨入りとなったそうです。関東地方はここ一週間ほどははっきりしないお天気が続いていました。昨日は終日しとしとと霧のような雨が降りしきっていましたが、今日は打って変わってすがすがしい快晴のお天気になりました。最近は異常気象というわけではありませんが、気象予報もままならない状況のようです。空模様を眺めていても、雨の少ない梅雨になりそうな気がしてきました。田舎からの知人の便りによると、数日前にようやく田植えが終わって、身体休みをしているところだと伝えてきました。一町五反、四千五百坪の田圃を以て稲作をしている農家ですが、この地方では中くらいの規模になります。一家総出で親戚の手を借りたりして、決まった日にちに田植えをしてしまわないと、その後の生育に大きな影響を及ぼすともいわれていて、たかが稲、されど稲で微妙に手を下さないといけません。子供の頃を思い出しますが、当時は全て人力、馬力などの手を借りたもので、水呑み百姓は、貧乏の象徴みたいなものでしたが、今の農耕は全て機械化され、省力化されて今の労働力は昔の十分の一とも言われています。中には農業経営の形をとり近代企業として法人化されてきています。
   私も付き合いで、友人が立ち上げた農業企業に出資の一役を担っております。収穫時には配当の一部として袋詰めの新米が届けられてきます。これも昔は米俵が使われて、匂いを嗅ぎながら田舎の情緒が楽しめましたが、今は味気なさが先行しています。それでもピカピカに光った新米のコメを見ながら、炊き立てのご飯を食べる楽しみは格別です。そんなことを言っていると、あなたは農家出身ですかと云われたりしますが、農家の生活や、しきたりなどを良く知っていて、しばしば口にしたりするからでしょう。ごく小さな子供の頃、事情があって百姓生活を経験して、むしろ農作業の辛酸をなめているからに違いありません。忘れずにとてもよく覚えているのです。又私自身は、農業の生活が大好きで憧れているくらいですから、そのように言われたりするのも仕方がありません。それを満たそうとして大人になってから実際に土地を広く買い求めて夢を果たそうと思ったくらいです。
   世帯を持った時に生まれ育った浅草を出て目黒の鷹番の小さなアパートからようやく世田谷の等々力に移ってきました。何年かたって新居を構えましたが、幸い広い庭を持つことができたので、中雛に育っていた鶏を三十羽、砧の農協から買ってきて放し飼いにして飼っていました。手助けしてくれたのが大工の大塚さんです。高さまで同じ四畳半ほどの大きな鶏小屋を建築してくれて、それはそれは大変な生活環境に大変りしてしまいました。二、三日ほど小屋に住みつかせた後は一日中外に放し飼いの生活で、鶏にとってもこんな幸せなことはないでしょう。家の周りは一部を除いてほとんどが生垣で囲いがしてあるので、いつも内側で自由に遊んでいます。しかし手入れの届いた庭に生えている草花や、青い草はほとんどが食べつくされて仕舞いました。近所の米屋さんから優良な配合飼料を週ごとに届けてもらいましたが、餌代がかさんでしまいましたが、鶏と遊んだりしている楽しみには代えられません。それが何と大きくなってからは、毎日大きな卵を二十五個とか二十六個とか生み続けるので嬉しさも悲鳴に近いものになってきました。近所の方々に分けて差し上げたりしましたが、浅草の実家にも届けたりして大層喜ばれたりしました。小屋には産気用の大きな巣箱を三個揃えておきましたが、これだけでは足りず、夕方になると山のように積まれて産み落とされているのです。中には巣箱に入れない鶏が家の縁の下に産み落としたりしているうちに慣れてしまい、知らずにいると沢山の卵がごろごろ転がっているのです。一度に三羽のにわとりが卵を産むために押し合いへし合いして入っていることがありました。不思議と彼女たちは痛々しい喧嘩をすることもなく、みんなが仲良し姉妹です。姉妹と書きましたが、飼っていたのは全てめんどりだけです。おん鶏は時を告げて鳴いたりして近所迷惑になったり、そうでなくとも朝早く起こされてしまうのでかないません。
   それにしても当時の拙宅の住居環境は抜群でした。周辺には今と違って大した住宅はなく、周りは植木畑や農地に囲まれて、緑濃い閑静なところでした。手にして住んだ家のたたずまいも田舎びて広く、加えて大きな平屋ときて趣きもよく、とても都会の住宅地とは思えない環境でした。そこで飼っていた鶏たちも家族同様に生活して、面白い沢山の仲間たちですが、鶏といえどもそれぞれに個性があって、それぞれの癖が飼いなれてくると赤ん坊のように可愛くて仕方がなくなります。実に楽しい毎日でした。留守にしたりすると、私たちの帰りを待っているのです。暗くなるとすべて自分たちの小屋に入って止まり木に並んで寝るのですが、出かけたりしていると五、六っ羽の姉妹たちが玄関近くの安全な止まり木を探して、私たちの帰りを待っているから可愛いではありませんか。思い出していると尽きない感じです。そんなのどかな農村地帯の風景に親しんで、できればこれからもそうした冒険を試みてみたいと願望しています。目的は、三浦雄一郎さんと違いますが、いつでも、どこでも青春の気概を失わずに人生に挑戦してみたいものです。
   近所で長いこと親戚以上にお付き合いしている三井さん夫婦は真面目であり、勤勉誠実な人柄にひかれて学ぶところが多く、寡黙ながら情熱的なところがあっていつも惹かれています。「人に接するに春風を以てし」ということばがありますが、その言葉がぴったりとしてきます。朝早い時間に奥さんは明るい挨拶を掛けながらいつも拙宅に立ち寄ってくれます。菜園、庭畑の手伝いをしてくれて、おかげで畑はいつも青々としてすがすがしく、新鮮な野菜類を豊富に食べることができます。三井さん夫妻は今、家の建て替えに挑戦しています。私はその気概の若さに感服しているのです。四、五年前のこと、自宅の隣にたまたま土地建物の売り物が出ました。近くの地主が収益物件として持っていたものですが、ひょっとすると放送作家の菊田一夫さんかもしれません。亡くなってから随分経ちますが、家作に長年入居していた人がひっこそをしていき、しばらく空き家になっていたものです。建売業者が知らないうちにこれを取得してしまいましたが、それを是非譲ってほしいという三井さんの熱意に業者も根負けして、それなりに利益を載せて譲ってくれました。
   三井さんは太陽を買うのだと、長年の願望が果たせて満悦でした。それにしても、広い田舎のことならいざ知らず、世田谷の一等地で太陽を買うために大金を出して隣地を買うとは物凄い計画ではありませんか。別に今の自宅でも太陽の陽が充分にあたるのですが、二階はともかく一階になると前の家の影が落ちて、日光浴をすることができません。そこで隣地を手に入れることによって、太陽を買うという壮大な考え方に傾いたのです。これを綺麗に改装して賃貸に回すのかと思っていたら、サラリーマンの息子家族を呼び寄せて住まわしてくれたのです。息子家族は町屋のほうでアパート暮らしをしていたので、もちろん大喜びです。その代り息子には条件が付けられました。それは三井さん夫婦の家をちゃんと守っていくこと、先ずは用意したお墓を守っていくことでした。何と立派な話ではありませんか。それにしても用意周到なことで、すでにお墓を買っていざという時にも行き場所を用意しているのです。その話を聞いて最初は何と縁起の悪いことをしているのかと訝しく思いましたが、だんだんとそうでないことが分かってきました。遅い早いはともかくとして、当主であるからには、いくら核家族の時代とはいえ、一つの責任かもしれません。なるほどと云って感服した点でした。ご夫婦は二所帯住宅を造る計画です。そして息子家族の家は解体して広い空き地として庭を造り、さんさんと照る太陽を体いっぱいに浴びた生活をすることでした。そもそも隣の土地建物を買う時も、動機はその場所を更地にして日の当たりをよくしたいという願望からだったのです。つまり大金を出してまで自然の光、恵み溢れる太陽の光をそのまま買うという、素朴で贅沢な発想からでした。経済的な問題もそうですが、なかなか思いつかないことです。ちなみに三井さんはご主人が山梨の農家出身の次男坊です。奥さんは福島県は猪苗代湖の湖畔の広い農家が生家です。そんなわけで農業には大変詳しく実践派で、私どもが家庭菜園を楽しんでいられるのも三井さんのよき指導があるからです。もちろん小さいころ、私もある時期に農家の生活を経験したことがあって、田園生活には憧れを持っていますが、こうして等々力で庭畑栽培を楽しむ生活が毎日できるのは、決して自分だけの力と技だけではかなわないことであります。すべては勉強が必要です。生活の進歩もそこから素朴に経験できるものなのでしょう。
今年は 思い切って沢山撒いた肥料が効いているのでしょう、一か月ほど前にまいた種は、今収穫期に入って、野菜不足の情報とは裏腹に、新菊、小松菜、大根、ほうれん草、レタスなど拙宅ではみずみずしい菜っ葉をふんだんに食べることができています。とりわけ三井さんが苗で運んでくれたレタスは、今ではくるりと葉をまいて一丁前の出来栄えで楽しんでいます。時折娘の明子が寄ったりすると、畑に出ては思う存分、青野菜を摘んで袋づめにして持って帰ります。紀伊国屋のお店でもきれいな高級野菜が並べてありますが、それはそれとして、我が家の自家栽培は文字通り目の前で自分が勝手気ままに作り上げた自慢のものです。現実には無農薬栽培で安心できて、新鮮な野菜を手に入れることは難しいのです。加えて収穫の喜びを味わえて、こんな素的な生活体験はありません。自分一人で合点して喜んでいるので、もともと「手がかからず単純な人で扱いやすい」と妻は言っております。ほめられているのか、けなされているのかわかりませんが、もっとも若い時から褒めさえすれば調子に乗ってやるほうなので、おだてに乗り安い陽気なたちなのです。裏を返せば間が抜けてだまされやすいということにもなりますが、どっこい、悪い人が近づいてこないのは、愉快な人間にできているからでしょう。だましたり騙されたりしながら生きていく人もいますが、それは時間の浪費です。なるべくでしたら直線的に、目標に向かって進んでいったほうが効率的です。万事が効率的に考える人も、考え方では味気なく感じてきます。無駄のない、紙を食べているようなふがいなさを感じて面白くありません。有益になる寄り道は、寄り道でありません。試行錯誤の結果と見れば、それは目標への一里塚であります。いつでも油の切れないような、柔軟性に富んだ生活様式といった考え方でいたいと思っています。それは有機体の衝突的活力のエネルギー源でありますし、人間でいえば心身の活動の源泉であります。

+

これはさすがに私の愚痴になります。 今日6月3日、オフィスを出て帰路に着いた私は、地下鉄日比谷線で銀座から中目黒経由、自由が丘駅につきましたが、空がまだ明るかったので大井線に乗り換えて二つ目の尾山台駅で降り立ちました。自宅までは4分ほどですが、何時もは家内に自由が丘駅まで車で迎えに来てもらっています。中目黒から学芸大駅の間で、携帯で家内に電話を入れると、自由が丘駅で待ち合わせに間に合って、待ち時間もなくそのままスムースに帰宅することになっています。途中家内と雑談する機会もあって誠に円満な潤滑油の役を果たしています。帰宅後は風呂に入り食事をしてテレビのニュースに目を配り、その間残してきた仕事の三つを締めくくるべく、立て続けにを電話をかけて連絡を取りながら用事を済ましました。それからニュースステーションを見ているのを途中で切り上げて、二階に上がっていき、今こうして二階のパソコンに向かって即興の文字を打ち込んでいます。今日はなぜこんなことを書くかと云いますと、実は、十時半あたりから横浜で開かれていたアフリカ開発会議が三日間の日程を経て今日閉幕したことに触れて書いていたところ、ちょっとした拍子で打ち込んでいた文章が全部、消えてしまったのです。
    しまったと思って悔やんでも、後の祭りです。いくら探してみても画面には出てきません。鉛筆で原稿に書いていれば、こんなこと、こんな後悔の念にはならないのですが、横着して直接パソコンに打ちこんで手抜きをしているから、こんな目に合うのだと自戒しています。頭に浮かんだことを流れるように打ち込んでいくと、記憶をたどったり、モノを調べたりする時間がなくて済みます。出来上がった文章も引っかかることなくスムース身書かれているような気がして、自分でもこれでいいのかなと自認することがあります。最近は万年質や、鉛筆を以て原稿に書く小説家も少なくなってしまったようです。その代りパソコンに直接打ち込んでいってしまったり、中にはノートパソコンを携帯して思いついた時には即座に打ち込んでいる小説家や、物書きの人がいるようです。スピード時代に対応した合理性の発揮なのでしょうか。
    私の今のように、パソコンに向かって一生懸命打ち込んでいった文章が操作ミスで消え、あっという間に消滅してしまうことは大変ショックであります。パソコンの操作を熟知して、あまり長く打ちつけずに途中で保留にしたり、上書き保存のクリックをしながらやっていけば、こうしたミスは犯さないで済むことになります。たまにこうした焦慮に出合うと夜の睡眠がはかばかしくなく、浅い眠りに終始して夜を過ごすことになって、翌日の仕事に差障ってくるので、つらい気がしています。アフリカ開発会議について、私なりに折角その意義と成果を書いていたのに、ちょっとしたミスで失念してしまいました。悔しさと後悔は大きく、悔やんでみても仕方がありません。濡れタオルを額にのせて頭を冷やしながら寝ることにしましょう。そうです、今夜は心身の状態を自らうまく整えて、昂ぶりを鎮静化してから寝ることにしましょう。今は深夜に差し掛かっているのでここで閉じることにいたします。   6月3日23時52分記


株式の乱高下

   茂木経産大臣が株式の急落にについて言及を促されて、「我が機体は間もなく乱気流から抜け出す見込みです。今しばらくお待ちください」といった趣旨の珍問等を強いられていたように思います。急落が止まらずに慌てふためいている目先の投資家が、いたたまれず助けを求めたような感じです。「株は上げ下げするのが当たり前で、いちいちjコメントすることはない」とは麻生財務大臣の返事だったと思います。「株の上げ下げについてはノーコメントです。アベノクスの政策は変わっていません」は、安倍さんのコメントでした。朝日新聞は1万6000円目前で一気に1140円ほど急落した日の翌日の朝刊の大見出しに、東証株式「暴落」として報道しました。私は暴落とした文字にためらいを感じていました。だからでしょうか、次からの報道には急落とあたかも訂正したかのような文字に感じて、記事を読みました。新聞記者のベテランの慌て振りが垣間見えました。確かにこの水準で一日、千円幅で上げ下げを繰り返すのはただならぬ市場の雰囲気でしょうが、そもそも昨年の11月16日からダウにして8000円近くも上昇してきた市場です。いくら期待が大きいとは言っても急激にあげてきた相場ですから、仮にまだ行くと仮定しても、だとしたら一呼吸入れたのちと見るのが妥当ではないでしょうか。うなぎのぼりに、天井知らずに上がっていくものではありません。登り基調にあるときは、あたかも天井知らずに上がっていくものと思い込んで、買いに出て見たり、売ることをためらって勝機を逃すといったことは、人間の心理として仕方がないことでしょう。所詮自分との戦いであります。売って出てもダメ、買って出てもダメ、株で財を成した人はいないということわざすらあります。しかしこれが止めようにも止められないのは、人間に元来ある賭博性がその病原であることは周知の事柄です。又人間はできるだけ楽をして贅沢な暮らしがしたいという怠けぐせがあります。身体を動かさずしてもうかる仕事があれば、飛びつきたい気持ちであります。しかしどっこいそうは簡単に問屋が卸しません。「とかくこの世は住みにくい」とは夏目漱石が小説草枕の冒頭に嘆いて書いている通りです。
   しかし株式でも、今まで書いてきたことを念頭に置くならば、決して悲観するものでもありません。じっくり儲かることもあります。焦らず、人の流言飛語に惑わされず、自分の責任において努力して投資に臨めば、着実に利益をはじいていけるかもしれません。つまりあなた自身の見識と努力の結果だということです。そして安くなったら買う、高くなったら売る。この鉄則を守ることにつきます。欲をかかず腹八分目が一番居心地のよい処方箋であります。これを自信を以てできますか。大方の人が辛抱強く向かっていくことができないのです。それと一番大事なことは、正業を持って堅実に働き、勘定を別において投資をすることです。投資家になって、売ったり買ったりして財を残すほど阿呆な結果はないでしょう。又人間として零落した自分の姿を頭に描いてみることでしょう。証券会社はお客に株の売買を進めるのと同じように、決して自分で株式投資をしてはいけません。証券会社はあくまで、お客さんから手数料収入を以て正業に励むことが鉄則です。証券会社は、あくまで鉄火場の胴元になっていなければなりません。してみれば証券投資とは口先三寸で生き馬の目を抜くしがない商売であります。実業と虚業の差ですね。資本主義の社会の裏表を地で行く象徴的姿であります。
   安倍さんも、麻生さんも、茂木さんも、こうした相場の世界を大変腐心して弁護をしなければならないので、実に気の毒であります。まかり間違って言葉を誤れば、人の損得の勘定につながるので、責任にまで発展して始末が悪く、命取りにもなりかねません。上手にあしらったりしても、言葉の微妙な使い方で、時にはアベノミクスを達成することができません。痛し痒しは世の常ながら、株式の上昇によって自民党安倍政権の人気があがっていることも真実です。これをないがしろにしていては、経済の歯車が円滑に回らなくなってしまいます。今、株式市場には莫大な金が奔流しています。ものすごい量のお金が、物凄い勢いで市場に入ってきています。又逆に出ていく時もあります。その時は海の潮が引くように御しがたいものです。誰のお金か見境がつかないことが、また個人情報を逆手に取るわけではありませんが、しっかり守られていることであります。
   安倍さんが言っていることは、株式の上げ下げによらず、アベノミクスの推進で景気が徐々に良くなりつつあることは明らかであり、この方針は微動だにしていないと断言して、目先にとらわれないよう暗に注意を促してくれました。有象無象の愚民にとっては(これは失礼)、耳に痛い教えに違いありません。ジョージソロスとか、大手の仕手ファンドとか、国際的資金を使って相場を操っている輩なら別ですが、一獲千金を夢に、当てもない相場に身を沈め、わずかな資金を以て株の売買で飯を食っているなどということを真面目な先祖様が聞いたら、身を震わして怒り嘆くに違いありません。ご先祖様には、現代はピープルス・キャピタリズムの、或いはまた株主資本主義の、しかもグローバルな世の中だと粋がって云ったところで判るものでありません。暇人が身を落して、日陰者と極評されるのが落ちでしょう。とかく暇な人は、古今東西、ろくな考えしか起こさないのです。悪銭身につかずです。しかしこのところの株式上昇によって民主党時代から、私たちは、その暗いトンネルから抜け出すことが出来ました。安倍さんの打ち出した素早い政策が国民に受け入れられて、外国にも高く評価されて、それを反映して壮大に株式市場が活気を盛り返しし、活力がよみがえってきたことは紛れもない事実です。これを持続させて本来の目的に近く持っていくことが大切であり、今はようやくそのスタートを切ったばかりです。それを如実に示しているのがここ一か月に及ぶ株式の奔騰と急落を演じている株式市場であります。地下のマグマがせり出して地表にその動きと威力を示す日は、そう遠くはないでしょう。それが期待できないとすればアベノミクスの失速であって、それを以てアベノミクスを極評することは当たっていません。良くいけば何かにとケチをつけたがるのが無用の外野陣(これは失礼)です。経済政策でお金を大きく動かすような世の中に変わっていく時に注意しなければならないことは、お金の、ましてや公金の使い道に悪に手を染めた関係に流れないこと、真に国民のために公正な使い道を打ち立てていくことが肝要であります。同時に、問題となっている財政再建についても、「出るを制して、いるを図る」ことがことが、国家財政の健全な運営の基本であります。税金の使い道については常日ごろ喧しく云われていることです。何かにつけて、喉元過ぎれば、ではありませんが、今までの暗い経済の長いトンネルに入ったきりで、動きのとれなかった苦渋の時を思い起こすことでしょう。期待を込めて動き出した株式市場です。目先にとらわれず、正に資本主義経済社会での、諸現象の正直な生き物として、活力として長期的展望を描いてとらえるべきでしょう。   6月4日


日本W杯出場決定

   4日、埼玉スタジアムで行われた対豪州サッカー試合で、日本は後半戦で1対0のまま先制点をゆるし、残り3分、本田がPKに持ち込み、会心のPK弾を正面に深く打ち込んで同点とし、待望のW杯出場を決めました。日本国民の胸を震わし感動させた本田の会心の一打でしたが、それは正々堂々と正面を狙って爆発した一打であり、無心の神技かもたらした結果であります。
   試合は日本の息の合ったパス交換から終始、豪州ゴールを脅かしていましたが得点には結びつかず、運の悪さが感じられて敗北は宿命かと思われていたくらいでした。妻も試合の一部始終を観戦し、盛んに声援を送っていましたが、私もつられて懸命に応援していました。妻がこんなに真剣にスポーツ試合を観戦しているのを見たのは、初めてでした。私もつられて懸命の応援していました。試合中、何度も豪州のゴールを襲って日本の素早いシュートが打たれるのですが、幾度どなくミスが重なって得点に結びつくことがありませんでした。声援とともにいらだちも次第に募ってきました。しかし度重なる選手たちの好プレーは次第に収れんされていったのでしょうか、何かのきっかけで得点に結びつく気配が漂ってきました。しかし試合終了を告げるホイッスルの、切羽詰まってくる重圧に耐えられるものではありません。緊迫した時間は、選手はもとより応援する我々も剣が峰に立たされて次第に息苦しさを感じてきました。
   その時です。幸運の女神が日本選手と我々サポーターに微笑んでくれました。無我夢中の想念の中でしょうか、勝利の栄冠を持った女神が、清冽な勝利への祈りと、おびただしい声援の渦の中、我々の前に忽然と現れて、感動と感激の舞台にそのまま手招いてくれたような感じを覚えました。それは本田選手による、同点PKゴールを決めた一瞬であります。この得点の意義は大きく、気概は以て情熱的であります。この瞬間、日本が国内の試合でワールドカップ試合の切符を手にしたのは初めてになります。そしてドイツ大会、南アフリカ大会に続き世界で一番目の予選突破チームとなりました。若い青年諸君の活躍と、スタジアムに集まった熱気あふれるサポーターたちの応援をを目の当たりにして、今回のサッカー戦を観戦して感じ、学んだことが多くあります。永続的努力と研鑽を以て、いざという時の瞬発する力を平時に蓄え、私の仕事も、この幸運の波に乗って順風満帆、より充実した成果を獲得していくことを目指したいと思っています。スポーツから学び取ることは事は私だけでなく、多くの企業家や勤労者の人たちの生活と活動も、堅実、遠大な構想のもと、希望と勝利の女神の手招きに、望ましくあってほしいと願っています。    6月5日

  会心の勝利を手にした日本チームの記者会見がありましたが、席上、本田選手が真剣な顔をして、「チームを勝利に導く原動力で、一番大切な要因は、選手自身の「個の表現であって、それが重視されなければならない」と力説していたところです。個人々々の技が発揮されなければ、チーム全体として活躍して成果を上げることはできないから、選手は如何にして自分の力を発揮していくかに心していくべきだということを云っていました。こうした席で立派ないけん、信念を吐露できるのも、自分に実力があるから言えることだと、我が山の神が申しております。そうかもしれません。
   私も同じ意見で、幾度となくそうした趣旨を誌上を通じて述べてきております。自分自身の足元をしっかりと堅固ものとさせて人生に臨むべきだという考え方でおります。そうすれば仮に、社会に何が起きようと不安を持たずに済み、それがやがて来るであろう次の飛躍に備えていることができるからです。その自分の足元を固めておくということは、決して個人主義に傾斜するということとは違います。社会や会社に全て頼り切った生活をしていてはいけないということ、大きく言えば時の政治や、具体的には、時の行政に頼っていくようなことがあっては、危機管理にミスを持ち、さらには自分の進む人生に前向きに立ち向かっていく、想像力、創造力すらない、無味乾燥の人生ではつまらんでしょうということです。その具体的処方一つを各位に提唱しております。知った方には、耳にタコのできたことかもしれません。しかし人間いたるところ青山ありの、悠然とした気概を持つ楽しさは格別です。
   「個」の価値観、これは大切は事柄で、いみじくも本田選手と一致する点を共有することができて本懐であります。聞く人、読む人によって多少のニュアンスの相違はあるかもしれませんが、基本的には同じ概念だと思っております。それよりも熱い思いを以て時を同じくしたことが、本田選手の溌剌とした若さも共有しえたと思って満足しています。年齢に関係なく、実力を持った人はしっかりした意見を吐くものだと、えらく感動しているところです。   6月6日


    空梅雨のこの頃

    庭の雑草をむしっていても砂埃が立つほどに、土が乾ききっています。拙宅の庭では毎日夕方になると野菜の育つ畑に水をまいています。地方の農家では、田圃は水を張ったりすることができるけど、この乾燥しきった毎日の連続で困っているのが野菜畑だそうです。野菜類を作っている農家は一様にまとまった雨がほしいと、天を仰いで心中は雨乞いの心境だそうです。気象予報官が実際に梅雨入り宣言をしてから、雨らしいお天気に出会ったことがありません。むしろ快晴のお天気続きで、近藤マッチの唄ではありませんが、ぎんぎらぎんの毎日であります。乾燥時期は、街なかをゆく美人の肌に皺を作る原因にもなります。こんな状態がまだまだ続くとすれば、動物だけでなく、ホモサピエンスの鼻孔も乾ききって臭覚も衰えてくるようです。昔のこと、近藤マッチはアクロバットのように踊りながら軽快に歌い上げた後は、さりげなく済ませたでしょうが、日照り続きのぎんぎらぎんではたまりません。幸い台風3号が南太平洋上に北進中です。お影で梅雨前線が九州南部から関東南岸にかかり、お天気が崩れ始めて、梅雨らしい雨が午後から降り始めました。ほっと一息ついているところです。日本列島の地が豊饒のゆえんは、四季を巡る季節の変化にあります。これが狂ってしまうと、日本国の経済にまで及ぼすことになってしまいます。微妙な季節の綾に私たちは感謝して生きているのです。こんもりと茂った禄陰に降り注ぐ白い雨足のあとは、大地を潤す、まさに恵みの雨であります。新聞の天気予報図を見ると、この先一週間ほどは雨模様の天気が続くようですが、あまり長く続いたりしてくると、人間というものは勝手なものです。梅雨の鬱陶しさが鼻についてきます。まるで健康を阻害するような感じになってきて、梅雨が早く開けて、からりとした真夏の季節が暦通りにやってきてほしいと思うようになります。
   ちょうど三日前の日曜日に、私は教会の日曜礼拝のあと都合をつけて早く帰宅しました。庭畑に出てあいている場所に春菊の種をまきました。春先にまいた春菊は今が食べごろで柔らかく、盛んに食していますが、夏の野菜としては虫が付きにくく、夏野菜の不足となる時期には大変に重宝なものです。いま蒔いた種はすぐに芽が出て生育が早く、春菊だけでも継続して食べていけます。苗で植えたトマトは生育が止まってしまった二、三本を除いて順調に育って青い実をたくさんつけてきました。きゅうりは余り大きくならないうちにもぎ取って、もろきゅうにして食べています。青く新鮮な香りがして口当たりもよく、味噌をつけて食べるのも初夏に味わう風物詩の一つであります。したたる梅雨に濡れながら、大地の滋養を多分に吸い取って育っていく、恵みの季節に感謝したいものです。6月11日


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

安倍首相の奥さんの家庭内野党


2,3日前の小さな新聞記事に安倍さんの奥さんの昭恵さんが、NPO主催の講演会に出て、そこで発言した内容が載っていた。記事は小さかったが、素晴らしい内容のものだった。この賢婦人にしてこの旦那ありの感を強くしたのである。「私は家庭内野党だ」と、誠におおらかな文言を使って云った上で「原発反対なので日本が原発輸出を推進する安倍内閣に非常に心を痛めている」と持論を述べていたことが、良識ある人々の心を揺さぶったに違いない。原発再稼働をほのめかし、原発の輸出を推進して日本の経済力を高めようとする安倍さんだが、奥さんがこれに反対している。ヒューマニズムの精神からすると、奥さんに勝負あったである。それに逆らうように旦那さんが、訪日中のフランス大統領と原子力協定を結んだ記事が新聞の一面を大きく飾っているが、時代認識のところで奥さんがはるかに勝っている。その差は歴然である。安倍さんは、成長戦略の柱に、原発輸出を位置付けている。原発に生きる国のフランス大統領だから、こんな協定を結ぶ結果になったんだろうけど、ドイツのメルケル首相の訪日だったらこんなわけにはいかない。安倍さん夫妻はおしどり夫婦で見ていて頼もしいが、再び繰り返し言うけど、この奥さんにして、この夫ありであることに間違いない。ほほえましい夫婦である。この国の経済を建てなおそうとして懸命になっている晋ちゃんを、私は一生懸命になって支持しているけど、晋ちゃんより昭ちゃんのほうが好きである。
    日本の戦後政治史に長期政権を記録した佐藤栄作は、その時、「私は栄ちゃんと呼ばれたい」といったが、これは栄作さんの名セリフとして残っている。何を期待していったかはわからないが、そのまま素直に聞いたほうがしっくりとわかる気がする。日本の原発事故の収束宣言を出した前の首相は自分勝手であり、阿呆であった。この方は佳ちゃんと呼ぶにふさわしくないし、又は呼ぶ気にもなれない。事故の収束は、この先何年かかるかわからない深刻な問題である。その認識が全くない、わからやずのへなちょこ総理であった。どう見てもその前の総理もそうであったし、その前の前は特にひどかった。お母さんに甘やかされてお育ちになった人で、我々は世間知らずのえらい人を総理に奉ったものである。歴史的政権交代で期待したのに、日本に民主政治の基礎を築くことが出来なかった。政治家に自覚がなかったからである。というよりは政治的無能力者であった。その民主党は自己制御が出来なくなって国民の期待を裏切り自壊したも同様である。情けない話である。そうしたなかで、日本人は原発事故の洗礼を受けてしまったが、日本はその十字架を背負ってこの先を生きて行かなければならない運命にある。無私、無欲の昭恵ちゃんだったらこの深刻な原発事故の問題収束に一番いい解決策を出してくれるに違いない。そしてとにもかくにも政権を担当して働いている、敬愛する晋ちゃんが毎日の激務を乗り越えて、この国の真の発展のために働いてくださるよう、家庭内活動を通じてサポートを続けてくださるようお願します。昭ちゃんの家庭内野党は健全であり、高邁な理念に立っています。昭ちゃん、頑張ってください。    6月12日


内外で頑張っている安倍さん

   最近の国際情勢を眺めていると、日本の政治家で安倍さんの一人勝ちの活躍が際立っていて、他の政治家の影が薄れていて、しっかり働いているのかと心配である。安倍さんの憂国の士は右傾化されない限り内外の称賛を浴び、国際的にも受け入れられること間違いないと思っているので、あまり欲を出さずに、先祖のことも考えずに己の良しとする道を突き進んでもらいたい。ものごとは調子よくいっていると兎角過激になりがちだが、孔子の曰く、われ日に自らを三省すと云う通り、常に自制心を以て政治に向かうべきことは、歴代の名宰相が述べているところである。絶好調に推移してきたアベノミクスだが、2週間前に襲った株式の急落で、政策批判が満を持して湧き上がってきた。あたかもアベノミクスが今にも崩れ落ちるかのような騒ぎである。株に一喜一憂された政策では心もとない。。マスコミから散々な質問攻めにあっているが、株の急落は安倍さんのせいではないし、矛先の向けるところが違っている。矛先を自分自身に向けたほうがいい。そして目先にとらわれず、相場の行く先を自分自身で考えてしっかりと見据えて対したほうが勉強にもなるだろう。
   麻生さんもさすがに首相経験者であるがゆえに、安倍政権で落ち着いた名演技を演出しているが、安倍さんの影の力となって流石に人間的である。黒のコートに黒のハット、白いマフラーはダンディーであり、英国のチャーチルの往年の姿を髣髴させるくらいである。パイプをくわえれば云うことはない。ヨーロッパで開かれているG8,先進国8ッか国会議で安倍さんが打ち出した経済政策が世界的に注目と高い評価を寄せられていることが分かって、麻生さんが堂々としたコメントを流しているが、さもありなんである。このところ日本という国は、その力、分けても経済的力をうわさされることが少なかった、と云うよりも全く耳を貸す事柄に欠けて、やる子となすこと全てが華々しくなかったのである。世界の噂にも上らない歳月が過ぎて行ったが、ここにきてアベノミクスの登場で、日本の真価が問われるようになって、影響力を期待する国々が沢山出てきたのは素晴らしいことである。同時に責任の重大さに改めて心して、批判は大いに結構だが、国内で矢鱈に足を引っ張るような姑息な真似は現に慎みたいところである。アベノミクスの失敗が万が一にも出てきたりしたら、事は国内のみに止まらないことが分かってきただけでも、我々にとっても大きな進歩でり向上である。世間では、「好事門を出でず、悪事千里を走る」とはよく言われるところである。兎角良いことは世間に伝わらず、悪いことはすぐに遠くまで伝わるものである。アベノミクスも同じで、ねたみ、嫉み、やっかみで、揚げ足を取って騒ぐほうがむしろ多いとみて注意すべきである。こうしたことは国際的にもとかく厳しく問われることにもなりかねない。
   先進国首脳会議が英国の北アイルランドで今開かれているが、押しなべて安倍さんが打ち出した金融政策は好意的に受け止められていて、むしろアメリカとともに、日本のこの金融大緩和政策と、財政再建と成長戦略が、停滞気味の世界経済に好影響をもたらすものとして注目を浴びていることは、喜ばしい限りである。日本が久々に撃って出た快挙が、国際舞台でも喝采を浴びて支持されたことは、近来、否、二十数年見なかったことである。自己宣伝も大いによし、日本の力量と、潜在力を世界に示して、平和外交を以て将来に世界をリードしていく方向に模範を示してもらいたいものである。世界には国民、市民のことを無視した政治家が、自己保身のために手段を選ばず、狼藉を繰り返して、国と国民を血で染める悪役を演じて醜態、残虐の極みである。シリアのアサド然り、近時ではトルコの政情不安が懸念されている。してみると奢るわけではないが、巷間言われるように、日本は平和で自由で住みよい国である。何かにと課題は多く、不平不満も当然内在しているけど、一つ一つこれを改善しして、自由と秩序と平和を堅持して、国の内外に貢献する日本の姿に自信を以て称賛を送ってもいいのではないでしょうか。
  
    ところで安倍政権下で放たれた三つの矢の一つ、財政再建だが、この問題、何も今に始まったことではない。国の借金の累積は、ゆうに一千兆を超えている。年々増えるばかりである。プライマリバランスの実現がいつも先送りされてきている。そして日本の財政状況は先進国中最悪である。厳しい状況にもかかわらず、政治と国民の間に危機感が一向に盛り上がらないわけには三つの理由が挙げられる。第一には日本の国債は全て国内貯蓄で賄われているのだから、ギリシャのようにはならないと考えている人が多いからである。そうはいっても海外おの投資岡が一定の日本国債を保有しているし、日本の投資家にしても損をしてまで国債を所有するものではなく、危ないとみれば国債をいつでも手放してくるだろう。今の日本人は自分の金をすってまで我慢して、国のために自らを犠牲にしてまで日本国債を保持しようと、愛国心がそれほど濃厚だとは思わない。持っていて損すると判れば、いち早く売って逃げるだろう。そこに見逃している大きな落とし穴がある。
    二番目には、予定されている消費税の値上げで楽観的になりすぎているきらいがある。多くの人は気分的に消費税の切り上げで財政再建に概ねめどがついていると思っていて将来の財政再建が落着すると思っている。これは大きな間違いである。
   それに本気で財政再建を実現させるには社会保障の削減を含め、本格的な歳出削減を試みないとだめだという暗黙の了解があって、これは更なる消費税の引き上げを以てしなければならないという思いが大勢を支配していることである。しかし膨大に膨れ上がった国の債務は、消費税の値上げだけでは到底解決できるものではない。スリムな政府と官僚組織、それに反し企業の活性化とよりすぐれた活動を以て、民間企業の税負担能力を量的に高めていくことにある。
   くどいようであるが、成長戦略の主眼は、企業業績の回復と税収の確保にかかっている。多くの企業がタックスヘイブンを狙っていることも厳格に調査し、加えて法人税の引き下げを以て、海外から企業の復帰を目指す必要がある。海外での安い賃金は、上昇に転じて魅力が次第に薄れてきている。生産コストが上がってきているこの時期に、流出企業の回帰を促す方法も講じなければ好機を逸することになる。さらには規制緩和によって公務員の雇用数を減らし、民間に受け入れを促進することも急務である。安倍さんがいつも口にしているように全ては実行である。王道を行く政治の実行がすべてである。この日本にもようやくそうした気概を感じるようになってきた。
   G8サミットが北アイルランドで始まっているが、中国に押され気味だった日本も巻き返しに転じて、自由と平和を基調とした民主陣営を代表し、堂々のリーダーシップを演じていることは歓喜に絶えない。経済力、技術力だけでなく民生の安定と平和国家を標榜して発展する国の姿を世界に示し、以て範となすべき道を築き上げなければならない。安倍さんと随行している昭恵夫人の,お二人共々の道中のつつがなきを祈って止まない。6月19日


くすぶっている政情不安の中東に一縷の光明か

    イラン大統領選挙の結果、保守穏健派のロウハニ氏が当選した。同氏はイランの最高安全委員会の事務局長をしていた人物である。前の大統領は、真っ黒な髭でかみつきような怖い顔をしていた対外強硬派のアハマディネジャドだったが、この人に大差をつけて勝利した。好き嫌いを云っては申し訳ないが、どう見てもあの顔は好きになれない。ドイツのヒトラーがそうであった。北朝鮮の軍人が出てくるときは、鍔の広い帽子をかぶっていかめしく出てくるが、某氏がいかにもでかすぎて格好のいいものではない。終戦を迎えたころの日本には、アメリカ兵士の軍服がむしろ解放感があってよかったように思う。ジープに乗って颯爽と行くヤンキー帽のアメ校は一種のファッション性すら感じたものである。服装も好き嫌いを決める前提にもなる。シリアのアサドもそうである。吸血鬼のような面構えで、性格が良く出ている。内乱で国民を敵に廻し、化学兵器まで使用しているという残虐さで、悪魔的である。これを擁護しているロシアや中国についても、少しばかりの兵器売却で儲けさせてもらっているとはいえ、もう少し大国らしい振る舞いをしてもらいたいものだと思っている。
   イランについても前の大統領はどう見ても扱いにくい風貌で、この顔で核開発を進めていくというのだから、危険的な要素は濃厚であった。一方的な情報だから何とも評価しがたいが、しかし恐喝的に世のなかに向かってきたようで、ヒステリックで挑発、マムシみたいに好戦的で好感が持てなかった。核開発に狂奔したため、世界から経済制裁を受け国内経済は疲弊し、恐怖政治を敷くに近く、北朝鮮のような雰囲気であった。指導者としての人相は荒々しく、国民自体も煽情的に写って、決して得する面はなかった。あまつさえ暴君のシリアに武器輸出を行い、中東に混乱と混迷を招く人物の一人であった。それが大敗したことは、国民の意識が大きく変わって、隣国と欧米諸国と友好関係を築き、経済発展を築きたいという思いが実った結果で、われながらほっとしている。
   イランは宗教国家としての一面を持ってはくいるももの、一方において歴史的に見て大国的価値を持っており、極右的に走らない限り国際的尊敬の念を以て、世界平和に貢献していくことのできる国である。イラン国のこれからの展開に大いに注目したいと思っている。  6月20日


       久しぶりの梅雨らしい雨


   異常な雨不足に見舞われている本邦の農家の悲鳴が続いていましたが、台風3号の北上と、張り出してきた梅雨前線が本邦上空に停滞して大雨をもたらしてくれました。埃っぽい都会の空気も一気に湿り気を帯びて、心なしか、自分の心までが湿り気を帯びて爽やかな感じがしてきました。大きな仕事を終えて途中から帰途に就いた私は、早めに降りた尾山台駅の踏み切りの上がるのを待っていました。梅雨の合間に見た晴れ間の空に、夕日が射して瑠璃色に光っていました。遮断機が上がって踏切を渡るとき、私はいつも線路の真ん中に立ち止って、等々力駅に向かってまっすぐに伸びている線路を眺める癖があります。そこから見る景色には、何となく昔見た少年時代の鉄道列車の面影を垣間見て、素朴な旅情を味わう気持ちでおります。力強く、まっすぐに光って伸びていく線路、それは人生の希望をさして伸びていく道筋に似ているものがあります。その先の風景が、あるときは光満ちた空と丘があったり、ある時は暗雲の垂れ込めた空であったりして、千差万別意であり、さまざまな思いが込められていますが、日本の鉄のレールは確固たる意志を示すように動じることなく、目的を指して伸びています。僅かな、一瞬ともいえる時間ですが、それでもって遠い時間を追いかけて行くことができるから不思議な感じがします。今日見た、その一瞬に近い時間帯ですが、心に投影された映像は名状しがたい感興がありました。
    踏切を渡った先の交差点を過ぎた右手に、瀟洒なレスロランがあります。店を覗くと一組の客がいるほかは誰もいなかったので、疲れた体を癒す思いでコーヒーを飲みに入りました。グランドピアノが置いてあって、時折音楽の演奏などもしてくれて、味わいのある喫茶店にも早変わりします。椅子に身を持たれてしばらくの間うつらうつらしていましたが、コーヒーの香りが何となく朦朧として、鼻孔を通ったあと、頭脳の中を通り過ぎていく感じがしていました。気が付くと気が付くと丁寧な茶卓の上にコーヒーセットが置かれていました。そして机をひとつ隔てた席に中年を過ぎた女性が四人、かしましく話している声が聞こえてきました。「FRBのバーナンキの政策が変わりそうね」という会話がそのまま飛び込んできました。驚いたことに会話の内容がとても高度な事柄だったので、聴くともなく聞いていました。バーナンキが年内にも金融緩和の引き締めに入るというので、世界的に株式が動揺して、又下がる気配に話が集中しているのです。家計を預かるご婦人方にとって、今や株式の上げ下げは、大げさに言えば死活問題でもあります。株が上がって家計が潤うことに異論を唱える人は誰もいません。景気回復が期待できるとしても、旦那さんの月給が上がるまでにはまだまだ先の話でしょう。それまでは株で幕間つなぎということでしょうか。世間では、いかにも景気のいい話が湧きあがっているので、傍観しているわけにはいきません。世の中の流れについていかないと、バスに乗り遅れては後の祭りでしょう。賢明なご婦人方の奮闘は、もっともなこととうなずいた次第です。
今日の話題に乗った株式相場ですが、昨日のニューーヨークの今年最大の353ドルの大幅の下げを演じた後を受け、東京市場は最初は300円強の下げで始まりましたが、午後は一転して上昇に転じ、結局250円ほど高い値段でこの日の取引を終えました。上下の幅は何と500円強の振幅で、かの貴婦人たちも気をやきもきさせたことでしょう。今日の疲れを癒そうと思って久しぶりに入った喫茶店でしたが、刺激的な女性たちの話を耳にいていたでは休むどころではありません。そして雨宿りのつもりでしたが、店を出たときは細い雨が再び降り始めて、足元をぬらしながら家に帰ってきました。昨夜の9時に家を出た妻は迎えの車に乗って羽田に行き、10路30分発ニューヨーク行の飛行機に乗ってアメリカに行きましたので、ここ一週間ほどは一人暮らしになります。彼女は敬虔なクリスチャンで、神の教会の年次総会がニューヨークにあるので日本代表で出席するためです。いろいろな会議のほかにもエベントがあるそうですが、そこでどうやら彼女は独唱をするようです。青いロングドレスを気張って買い込んできたところを見ると、ひとり壇上に立つつもりでいるのかもしれません。最近は人目、いや人耳の憑かないところで、ひそかに一生懸命声を張り上げて練習していたところを見ると、やる気満々のようです。好きこそものの上手なれとはよく言ったものですが、最近の彼女の場合は、それが当てはまっているように思うので、やりたいようにやらせている、というのもおかしな話ですが、自由にしてもらっています。それにしても今夜はこれから自分の食事の支度と、その飯を食わねばなりません。今回は、留守中の毎度の食事の支度をせんでいいから、と申しつけたのです。作って用意されたりすると、いくら冷蔵庫にしまっておいて・・・と云われても、食べ残すわけにもいかず、反って気になり落ち着かないから止めてくれと云って、実はそのようになったのですが、毎晩冷麦ばかり食べているわけにもいかず、食べ物は外でたくさん売っているし、中でも寿司弁当が一番気楽で汚さずにいいと云う決論づけをしました。しばらくは、おさんどんを勤めていくことにもなります。若いうちなら、この時とばかり羽を伸ばして午前様続きで過ごすことになったのでしょうが、最近はそうもいかなくなりました。変化と刺激を求めて前向きの生活を志向していますが、結構定期便で真面目に、且つ平凡に帰宅することが多くなってきています。体調は徐々に向上してきているので、これではいかんと思っています。 消極的姿勢を排し、積極的前向きの志向で立ち向かっていくこと、これは今にして行うことでなく、常に心掛けていかねばならぬ、人生訓かもしれません。 6月21日


別段、復古調を目指すわけではありませんが、先週の日曜日に浅草富士小学校6年生時代のクラス会が、浅草雷門に近い、老舗の割烹料亭の一松の二階座敷で開からひらかれました。幸い朝から降っていた小雨も上がって薄日が差して、傘なしで出かけることが出来ました。この日にはいつも見えていた女性が三人、都合がつかずに欠席となり、先生を入れて総勢14人があつまり、懐かしい団らんの時を過ごすことが出来ました。欠席できなかった女性の一人は、歌舞伎を見に行くのでできなかったと、もう一人の女性は、コンサートがあって、音楽の好きな旦那と聞きに行くためと称していずれも優雅な欠席理由で、みんなの了解が取り付けたことになりました。これが骨折だとか、糖尿病だとかいうことになると陰気くさくなりますが、そうでないところがうまく合点する理由ではないでしょうか。
   このクラス会は青空会と称して毎年一回地元の浅草を選んで行われてきていますが、恩師の先生は女性教師で、一生を独身で通されてきました。静かで気品のある先生で、いまだにその面影があって生徒から慕われている大きな原因なのでしょう。今年卒寿を迎える先生ですが、年よりもずっと若く見られて、その点でも模範となっています。同期会、クラス会といっても昔は恩師を招いてやっていたものが、先生なしの同期会が普通になってきました。爺さん婆さんだけでごろごろするクラス会となっていくようだと、欠席の理由の一つになって足が遠のいてくこともあるでしょう。青空会は、宴会が済むと二次会のカラオケの店に行くのがいつものコースですが、席上促されて清楚な先生が歌う歌が、別れの朝という歌のところを見ると、若い時のお色気はまんざらでもなさそうな気がします。きっと意中の人がいて忘れられなかったのではないでしょうか。湖畔の宿を唄った時もありました。静かに歌っていますが、むしろ哀愁のこもった雰囲気になるところを見ると、参加者にはそれぞれの思いがあるので、昔を振り返る機会となるクラス会にはうってつけの雰囲気です。[
   未だに先生のことを思ってこうして多くの教え子に取り囲まれて贅沢に懇談の席を持つことができるなんて、教師名利に尽きますね、とあからさまに申し上げたのであるが、先生はにこにこされてその通りです、と率直に喜びの気持ちを述べておられた。これを裏返せば、生徒冥利に尽きる話になるのですと、私は率直に申し上げたのである。
   昔、石坂洋次郎の書いた青春小説、青い山脈が映画化されました。女教師扮する原節子が出てきましたが、相手役が池部良でした。その生徒に杉葉子が女学生として出てきました。恋文が見つかって、変しい変しい新子さんに始まるものですが、我々の先生はこの時女学生に扮した杉葉子にそっくりなのです。清楚で明るい、静かな面立ちがとても似ていてほんのりとした思いと、温かい好感が持てるのです。優れた教育者としては必須の要件でしょう。原節子は一世を風靡してあこがれの女優でした。いまだに謎に包まれた美しさを秘めて、脳裏を離れないでいますが、池部良はすでに鬼籍に入ってしまいました。杉葉子はある時期から姿を消して久しいが、最近になってアメリカに永住していることが分かりました。二人ともいまだ独身です。永遠の女性像として壮年の、否消え去らざる女性像として男性諸君の活きた歴史的記憶に止まることでしょう。美的意識、ヒューマニズムを謳歌する歴史的教訓は、その人の人生にとって大きな影響力を持ち、かけがえのない宝物として写ってきます。これは子供のころに聞いた両親の温かい教訓、叱責と一緒で、忘れ去ることのできないものでしょう。父親の云った「馬鹿野郎、しっかりせい!」の一言が何かにつけて思い起こすのは、親父の厳しい一言が、孟子や、孔子の教えよりも深みがあって、強烈なものであることがいつも指導理念として生きてきます。

喫茶レストランで中年の女性たちがFRBのバーナンキ議長の発言について議論し合っている情景を見て、正直のところ私はびっくり仰天してしまいました。日本女性が物凄い勢いで男性の地位に追いついて、これを追い越そうとしていることについて、改めて女性の社会進出の実態を垣間見た次第です。安倍さんが三つの矢の政策発表の一つに、女性の社会進出を大きく掲げていますが、政府の援助にかかわらず、すでに情勢の社会経済の意識は男性のそれを凌ぐに十分の実力を備えつつあります。安倍さんの奥さんの家庭内野党ではありませんが、経済的意識と同じように政治的意識の高まりは顕著なものがります。旦那の指示に従って行動する奥さんはあまり見かけなくなりました。ややもすると奥さんに従って行動する旦那衆が潜在的に多いかもしれません。
   昨日の都議会選挙でも、安倍さんの経済政策をじっと見つめてその効果を確かめて自民党に入れた女性が多かったはずです。その反面、慰安婦問題の女性蔑視で人品をうたがわれた橋下なにがしの、維新の会は醜悪的惨敗であります。脳梗塞で倒れた石原も、この間抜けな橋下と策動を画策しましたが、晩節を汚す結果となりました。もう、おしまいでしょう。こんな連中が維新の会だとか抜かしおって、この日本をあたかも改革していくような頓珍漢な妄想でしたが、賢明な女性たちの厳しい鉄槌にくじかれました。事を荒立てて人目を引くとは言いながら、問題意識の低劣さは目を覆いたくなるものです。売春擁護と同じの屁理屈をこいて、何が憲法改正ですか、とんでもない連中です。かろうじて二議席を取りましたが、すでに抹消されたようなものです。薄っぺらな理念を誇張し、はったりをかまし続けて、民衆を翻弄してきましたが、いつもながらのあの発言と格好付けた振る舞いは、国民を見下げるにもほどがありす。思いつきで非実現性のことを厚かましく、しかも勝海舟の名を借りて、船中八朔と、実は古めかしく仰々しい立ち振る舞いは身の毛がよだつ思いで、私はチンピラと初めから見下げていました。大阪市民を馬鹿にするどころか国政にまで口を挟み、正体を見抜いた東京都民はこれを排撃しました。これにブル下がったのか、抱きついたのか知りませんが、その石原さんも憑きが悪かったのでしょう。欲に絡んで大局を見誤ったのか、今回ばかりは同情する人も見かけず、随分と名を下げ落ちぶれたものです。何時までも権力に執着しようとするあがきで消化。太陽の季節も過ぎ去った感じです。
  維新という名に乗った立候補者は、己の政治理念も持たず泥船に乗ったがゆえに悲惨な結果をなめました。いかなる政党に属するにせよ、己の政治信条なるものは己ながらに堅持していなければ、選挙民の支持を得ることはできません。惨敗した民主党にしてもそうですが、責任を感じていると云いながら、責任を果たすべく党主としてその後も政権の運営は続投するというのですから、厚かましき限りで一体何を考えているのかわかりません。こんな感覚で政治を行われたでは、国民が迷惑するばかりです。人材不足なら解党したほうが税金の無駄使いが避けられて、国民の福祉にどれだけ寄与するかわかりません。準国政選挙として都議選を戦った結果は、次の参議院選挙の勝敗を裏付るものですが、破れたままの顔を引きずって選挙に臨むつもりなのでしょうか。一つも反省の色がうかがえません。

   自民党の安倍さんを全面的に贔屓するわけではありませんが、去年の解散以来、自民党の掲げる政策が国民の大多数にしみこんで、ここまで景気が回復してきたことは、安堵の念を隠し切れません。願わくばこの傾向を持続的に運営して、循環的効果の上げられることを期待するのみです。色々の軋轢は生じてくるでしょうが、それを乗り越えて先に進んでいくことが肝要です。その軋轢を取り上げて危惧したり批判したりしていては、全体のすう勢的効果を見失うことになります。これからの株価の推移は、先の賢明な奥さん方ばかりでなく、多くの国民が注目するところでしょうが、従来の持論の通り、先行きの経済、景気回復については期待と自信を持っていいものと確信しています。少なくとも従来の日本経済の混迷、低迷状態から脱却できたことをもって良しとし、これから先のより積極的な政策の実行を考えていかなければりません。そうすれば相場に自信もついて、下がれば自立反騰し、過ぎれば反落し、それを繰り返しつつ上昇的均衡を模索していくことでしょう。、
   強気の理由として若干の条件があげられるでしょう。第一は、昨年の総選挙の結果、自民党の圧勝という我が国の政治的安定が背景にあって、外国はこの実態を見逃していません。第二は、安定した安倍政権の打ち出した政策が強力であり実効的政策で、次第に経済界に顕著な回復の兆候が得られてきたことです。第三は、アメリカの金融政策の変化が逆に、アメリカ経済の回復を裏付け、日本にとって強力な景気回復の後押しの結果をもたらすことです。第四は企業業績は今後大幅に回復して好調な決算が期待されることです。アベノミクスで放たれた異次元金融緩和で大量の資金が市場に流れていまさら後戻りはできませんし、これが需要を喚起していること、そして更にこれが企業の設備投資を促す方向に向かっていること。第五に、株価は過去二十年の景気後退とデフレを経てきて十分に鍛錬され、投資家が完全に交替して新しい時代形成に入ってきていること。等などがあげられます。
   こうしてみてくると、ダイナミックな新時代の幕開けにふさわしく、急激な株価の変動はしばらく続いて行くとしても、一月に述べたとおり長期的に堅調な経済指標を繰り返し、次第に収れんして次の発展段階に進んでいくものと思われます。今まで新興国の経済発展に余りにも過分に期待してきた市場ですが、FRBを中心にした金融緩和策の縮小が世界に拡散したいる大量の資金を吸い上げになるのではないかという観測が流れて、世界的に株式市場の乱高下が続いております。特に今まで世界経済の拡大をけん引してきた発展途上国では、資金の吸い上げに遭遇する場合、その影響するところは大であります。これからは日本の質的、量的、効率的高度の経済的潜在力を発揮して世界に臨んでいく状況に徐々に変化するとみるべきでしょう。世界経済に貢献する日が着々と迫ってきています。私たちは、先の喫茶レストランで懸命に議論し合っている女性たちの会話に耳を傾けて、その議論の賢さに驚きましたが、聴かずとも耳に入る言葉は、今までのやり方では片手落ちで法人税の軽減を欧米並みに持っていかなければいけないとか、新しい産業の育成でもっと規制緩和が必要だとか色々と議論する内容を聞いていると一つ一つもっともなことだとうなずいて聞いていました。そうするうちスーパーで新じゃががおいしいのが出たのでふかして子供たちに食べさせたいという話題になって、優しい主婦の姿の一面をのぞかせていました。経済の力強い復活と改革を、別に女性に頼るわけではありませんが、多くの主婦が家計を切り盛りし、家族を懸命に守っている様子を知りながら思っていることですが、我々経済人も大和おの児に恥じない見識と努力を以て、明日の日本を支えて行こうはありませんか。    6月24日
   

2013.6.

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ