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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.10-11 引き続き堅調な企業業績


引き続き堅調な企業業績

前々号の昭和経済並びにホームページにも論評しているように、上場企業の収益回復が続いている。七月~九月期の連結経営利益が昨年に比べ八割以上も増加している。この背景には、新興国の需要の拡大と、欧米での需要回復も大きな原動力となっている。同時に企業の徹底した合理化策が効を奏して、企業の体質改善もはかれたことが主な理由である。利益額はリーマンショック前の九八%までに達した。
  過日の日経の集計によると、全体の半数近い四七五社が増収増益となった。業種別では電機が四倍、自動車が三倍(前年同期比)となっている。猛暑で被害も出たが、逆に経済効果も部門的に上がり、全体的には悲喜こもごもであったが、概ね良好な収益につながった。
  ドル・円相場は大きく円高に振れる結果となった。対ドルでは試算基準を八六円で八円、対ユーロで二三円の円高となった。輸出企業にとってはマイナス要因だが、既述のように企業は販売促進と合理化でこれを吸収した。現在、八〇円台に突入している状況だが、既にホンダ、トヨタは七〇円台を想定している。競争力の強い企業は磐石の体制を敷いているが、弱小企業の打撃は大きく予断を許さない。下請けや、部品会社に皺寄せが来ないよう、充分な配慮が必要である。
  円高の日本経済に対するマイナス要因については毎日のように悉くこれらを列挙、強調されるところだが、一方に於いて、円高を利用して企業収益の拡大、恩恵に浴している企業も沢山ある。この際、円高が日本の企業と経済に齎す利益、メリットを全面に押し出し奮起をうながす必要がある。特にエネルギー資源、原材料資源に乏しい我が国に於いて、これを大いに活用して活性化をはかる絶好のチャンスである。 内需拡大、地方経済の回復につなげるという構図を鮮明に描いて政策的に実施すべきである。 
円高の被害を殊更に取り上げるばかりではない。円高の恩恵を享受する企業に目を向け、全体にインパクトを与える構図を描き、構造的な経済のフレーム・ワークの構築を、できるだけ迅速に構くべきである。この点についてさらに国民の視点の啓蒙に政、官、民一体となって努力すべきである。
  地方経済の疲弊は、目をおおうべくものがあり、こうした状況が長く続いてきて、もはや治癒しがたい段階にきている。経済評論家の三原淳雄さんが以前の当会の講演会で提案していた一つにも、例えば夕張市などは、移住してきた住民に対しては相続税他、非課税とする、とすれば金持ちがどっと流入してきて立ちどころに市財政の活性化につながるといって、大胆な発想の転換を述べていた。企業が税金の安い国に本拠地を移していくことと同じである。空洞化を止めるには、この方策が適而だ。そして税金の無駄を省き、行政の膨張を食い止めて縮小し、小さな政府をめざさなければいけない。


事業仕分け 第三弾  特別会計の怪

  民主党が全力を持って改革に臨んでいるものに、国民が注目している「事業仕分け」がある。先刻その第三弾が始まった。これにはもっと十分な時間があてがわれて良い。三十三兆円超と云われる特別会計のうちの殆どが、既得権と称して、いかがわしい金の使い道に、闇から闇に使いまわされている。大鉈を降ろして一気に廃止しても国民は困らないし、必要な事業は早い話、民間の専門家に分けてその分需要を喚起して国民経済の活性化に役立てたほうが国家百年の計に沿うものである。
     河川工事に絡めて、十三兆円の予算を計上し十年たった今も事業は遅々として進んでおらず、このままのテンポでいくと四百年かかるという馬鹿げた計算がはじかれた。これはイカサマとしか受け取れまい。驚くべきはもっと厳密に精査していけば、全ては氷山の一角である。この恐るべき実体を暴き、巨大な怪物を一挙に爆破するしかないだろう。
    法律は一旦制定されてしまうと、そのまま持続して改めることが困難である。世の中の変化についていかなくなる場合がある。そのまま放置するとこれが既得権化されてしまう。最近のように世の中の変化に加速が乗じてくると、硬直化したものに変質して動きが取れなくなり、そのまま壊死してしまう。シュンペターの言を借りるまでも無く、経済の中で機能する企業は、新機軸を起爆剤に身を以て創造的破壊に直面し、脱皮をしている。国は常に国の予算計画を白日の下に晒し、国民経済を明快に示さなければ、今の世界経済に益々遅れを取っていくばかりである。世の中が日進月歩の変化を遂げて居るときに、明治も古く遠くなりにけりどころではない。旧態も旧態、腐りきった構造にしがみ付く蛆こそが、獅子身中の虫である。
時の政府も行政も、国民も怠惰であった。自己覚醒の時代に、今やわが身を以て難問、課題に激突していかなければならない。為政者には緊張感が無い。時は刻々前に刻んで動いている。世界はそのように変化してきている。日本だけが、惰眠を貪っている余裕は無い。気がついたら日本は、世界の歴史の波に沈んで溺死しているかもしれない。現下の状況を直視したまえ。海外からの資本の流入は無く、流出のみである。優秀な技術、人材は有利に展開して規制のゆるい海外に拠点を移してきている。国富の喪失である。このままいけば、しまいには財布の中は空っぽになってしまうだろう。すっからかんのカラ財布・・・なんて呑気なことはいっていられない。覆水盆に戻らずである。
     振り返って悪しき慣わしの隠されてきた温床である特別会計は、国民の監視の届かない各省庁の勝手きわまるお手盛りであって、立入検査も無い聖域とされてきている。全面廃止で行くべきである。これこそが日本の明治維新前から脈々として築積されてきた埋蔵金であり、この財源を国民経済を荷う国民の手に戻すべきである。これは乱暴な表現だが、これを成し遂げるには体を張った志士の手による革命でしかない。最早、ここまで来れば改革は、革命である。その成果が求められる。
     ところで事業仕分けで指摘された部分は、いまのところ拘束力はないし、そのままだんまりを決めこめられては期待は絵に描いた餅に過ぎない。これこそ田舎芝居のいんちきであり、どさ廻りのどん兵衛役者にだまされたようなもので、国民を欺くもはなはだしいといわねばならない。折角の優秀な国会議員や民間人を登用して隠されてきた温床をあぶりだしたのだから、そこで出された部門の廃止、削減、統合といった結論なり決定は、これに拘束力をもたせ、処理の結果を国民に報告するものでなければならない。
11月5日 


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          奈良の美術展

 和歌(うた)を詠んだり、俳句を作ったり、エッセイを書いたり、時局を論壇したりしていると季節の移ろいに敏感になってくるのは当然である。今年の気象は異常であった。春先の冷たい長雨、梅雨が明けた途端に襲ってきた記録的な猛暑、彼岸が過ぎての残暑も異常な暑さだった。十月半ばが過ぎてようやく凌ぐやすくなったと思ったが、今度は急に寒々とした日がやってきて、慌てて暖房器具を取り出したりした。短い秋が、しかも駆け足で通りすぎ、すぐに降雪の報せである。気温がぐっと下がって、北海道はもとより東北地方は雪におおわれた。
そんな時、台風が発生して沖縄付近にあり、本邦を窺う気配である。雪と台風が一緒にやってくるなど聞いたことがない。確かに、異常気象に振り回されている。気象庁では、今年は寒い冬と予報している。天気予報は当てにならない。予想が当てにならないから異常気象なのである。恐らく今年から来年にかけて、暖かい冬となるだろう。一方、世の中もいろいろなことが起きて人々も右往左往し、このところ天も地も騒がしい。人々にストレスも溜っている。健康を損なうことのない生活に心がけたい。
     歌(うた)の世界では、奈良遷都千三百年を振り返って、万葉のこころを旅する日が続いている。先日まで「会津八一のうたにのせて、奈良の古寺、仏像展」が東京日本橋の三井記念美術館で開かれていた。会場が近くでありながら、なかなか見にゆく機会がつかめなかった。淵の同人の大野雅子さんからは、早くからお知らせ頂いて、広目天の写真の絵葉書まで送ってくださっていた。お気持ちに感謝している。
     又、先日は名古屋に住んでいらっしゃる杉村浩氏から、大仏さまのお顔を撮った大判の写真を送っていただいた。そこに会津八一の奈良東大寺の大仏さまを詠んだ名歌と揮毫があわせて載せられていた。余りにも見事な制作に感動を覚えている。かねてから思っていたことながら、同人短歌誌の淵に載せさせてもらうべく、同氏の承諾依頼の手紙を出したところである。以前も、二月堂から眺めた東大寺を写し取った見事な写真に、小生が詠んだ「る舎那佛」の和歌百首から十首を載せて寄贈してくださった。臨場感があって自分の和歌を居ながらに楽しんでいる。素晴らしい杉村氏の創作的な作品に惹かれ、取り出しては鑑賞している。私の、良い記念になって感謝している。
     ところで三井美術記念館の会場に出かけたのは結局、小生にとっては最終日となり九月十八日の金曜日の午後五時にオフィスを出て六時迄の四十五分間、充分に拝覧してくることが出来た。時間の長さではなく、受け止め方で心は充分に満たされるもので、満足して帰ってきた。
    とりわけ四天王像と、夢違観音菩薩の前では釘づけになってしまった。美の世界では、豪胆さと優美さの両極の粋を味わうことができた。いつまでも残る印象である。催しで惜しむらくは、八一の作品の展示が少なかったことである。しかしながら忙中の閑、天平の美の世界にしばし逍遥することができて感謝である。
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 奈良古寺と仏像展の開かるる八一の和歌にのせてゆかしき

 いかるがの里におはせるみほとけに会ひぬ三井記念美術館

 いかるがのさとのおとめのつきそひにみほとけにあふ美術館にて

 天平の奈良のみやこのよみがえる今ふるさとは錦おりなす

 たほやかな指もとにふれ笛をふくいとしき童子の菩薩をります

 おほてらの屋根の瓦のさざなみの打ちよす先にひかるしびかな

 阿吽のいきをあはせてふるいたつ仏をまもる金剛力士よ
 
われもまたうつつごころに夢ちがい観音菩薩にひかれたつなり
                                       10月23日記


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          為替安競争 いずれ収斂へ


目まぐるしく変わる世界の金融市場、為替市場から少し目を離してその動静を伺っていると読むみ方に誤謬を生じないで的確な目安が立てることが出来るようです。世界の国々がこぞって為替安競争に入って自国の輸出競争力を優位に保とうと躍起になっているのが面白いくらいです。
昔、高等学院で教鞭をとっていた哲学者の川原栄峰教授は、ある随筆で、有名な中国の高僧が「自分でお化けの絵を画いて、それを見て怖がっている。これは愚かなことだ」と書いていました。自分で書いていながら、それを見て怖がっているのです。今の世界各国が行っているさまは、正にこの高僧に似ています。ましてや同じことを皆が行っている結果は、同じ結果を生んで、止まるところを知らないとでもいいましょうか。埒が明かず諦めて、そのうち収まるべくしてもとの均衡状態に収まるでしょう。それでは、それまでしていたことは何だったのでしょうか。無駄も無駄、正に無益でした。それが自由主義のマーケットの原理だからです。正しく機能している間は、自由主義は最大限の公正を発揮しているのです。
      今年は各国で世界首脳が集まって、と言うよりは巻き込んで、いろいろな会議が開かれました。これは大変に結構なことです。一国の首脳のスケジュールを追ってみても、大変な体力の消耗だと思います。型にはまった挨拶は得意とするところで問題はありませんが、多少の色ずけは必要になってくるでしょう。それよりも移動時間と時差の問題も含めて、身体のバランスの調整が大変だろうと思うのです。ともかく、グローバル化の時代だから、世界の各国が家族、親戚、知人、友人と気安く会う機会を得ることができるのは、大変重要なことであります。意見を交わし合っている時にはドン・パチの戦争にはなりません。お互いに理解を得て、共有していこうとする目的の為の会談であり、会議だから平和的解決を求めての努力であるからです。関係する国や、地域、経済、産業に留まらず問題は多岐に亘るので、もとより複雑になってきます。だからこそ意志の疎通を我慢強く続けて解決策が見出せるのでしょう。
      
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      今、この時代的潮流に乗り切れないで、漂流している国があります。幸わいなことに、それは今のところ限定的です。強いて云うとしたら、世界の変化と潮流にきずかずにいる、北朝鮮、イラン、キューバあたりでしょうか。こうした国は外部との接触を遮断しているから、外部の状況の把握が出来ずに平和的解決がはかれず、疑心暗鬼で妄想に走り、いつ勝手に暴発するか判らないということが懸念されます。国民生活も困窮を極め、国民の犠牲は悲惨と言うしかありません。窮鼠猫を噛むではありませんが、みんな遠くから見ていて腫れ物に触れる気持ちでおります。北朝鮮のように専ら、一党独裁の専制国家で軍事優先の秘密国家と言うのは、誘いをかけても体制維持が優先ですから、胸襟を開いて素直に乗ってこないのです。まかり間違えば勝手な行動に走る、国際的危険分子であり、テロ的存在にいつ変身するか判ったものではありません。

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     一方、アジア、アフリカ南米等に台頭する新興国ではありませんが、おしなべて豊富な資源に恵まれていて、手付かずの状態にある国が多くあります。先進国が資源獲得競争に走っていますが、皆札束を以て買収に向っているのです。昔だったら侵略戦争に走るところですが、まさか帝国主義時代の再来はありません。但し、海洋での深海探査が可能になって、資源目当ての領土の問題が、なりふり構わず対立する場面が大国間でも起きています。経済的価値が判らないので、札束を以て解決するわけにもゆかないのです。 
    問題は領土確定によって排他的な水域が拡大されるから、それをめぐる思惑があるのでしょう。漁業資源、地下資源の確保で以てこれから益々領土問題で紛争が起きてくる可能性があります。紛争地での領土については、排外的水域圏を主張する地域については国際管理下に置くことにしたらどうだでしょうか。あくまで、その帰属が判らない場合に限ってのことであります。日本の場合は古くからのその歴史的資料を持っているのだから、遠慮などせずにそれを明快に公開し説明すべきでしょう。国民に対する啓蒙も怠っているような気がします。
     北方領土も然りです。昔、政治評論家の藤原弘達氏が当会の講演親睦会で吠えていました。「北方領土のあんな使用価値のないことで、今さら鉄砲や大砲でガタガタ、ドンパチやられてたまるか。金を出して島の四島ぐらい買ってやったらどうだ。日本は経済大国で金持ちなんだ。貧乏国のソ連や中国も然り、金に困っているのだから日本はケチケチするな」と。正に大上段から切り込んだ発言で良かったと思っていましたが、時の政治家や役人たちはそうした機敏な転換が全く出来ませんでした。日本にはごく一時期を除いては、姑息な小物ばかりで太っ腹の大政治家が居ないのでしょう。正々堂々と国際的に意見を言う、金を出す、取り引きをする、損して得しろ、といった考え方は浮かばないのでしょう。
     天下を登りつめようとする男が、たかだか四億、五億の金でくよくよし、金縛りにあっている始末であす。これでは国民のために良い政治ができるわけがありません。本人が幾らそのつもりで居ても国民が信用しないから活躍は無理ではないでしょうか。オバマ、胡錦濤、メドベージェフなど胸を張って風格が出てきているではありませんか。六〇〇人の子分を連れて中国詣でした小沢さんは云わずもがな、小沢さんのあの中国デリゲーションは何ともみっともない話でした。あの状況は漫画であります。ああした発想はどさ廻りの旅役者で、やくざ社会にも似た考え方です。特殊な政治感覚と臭覚を持つ小沢さんにしては残念なことであり、なんとも無粋でお粗末過ぎます。
小沢さんばかりではありません。今考えてみれば鳩山さんも腑抜けだったし、菅さんにしても昔日の元気闊達さはどこに消えてしまったのか、うろうろ、きょろきょろで風前の灯であります。 その前は自民党時代だったでしょうか。麻生さんも秋葉原族ではしゃいでいたし、福田さんは味も素っ気もなかったし、安倍さんに至っては鬱病で仕事が出来なくなって政権を放げ出す始末で、最近ではなりたがっていた首相の座が一年ももたず、国民をないがしろにするにも甚だしき限りでした。この先、日本はどうなるのでしょうか。

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     その上に日本が何時までたっても不景気だから、優秀な企業や工場が、その上、人材までが海外に出て行ってしまったりして日本は空洞化が激しさを増しています。失業率も高く、一向に改善しないでいます。大卒はむろんのこと、現役の学生諸君が就活と称して勉強そっちのけで職探しに懸命で、実力低下は言わずもがな、知的、学術的領域では海外どころではなく、お隣の中国にどんどん出向いて、自活のために、はたまたお世話になる中国のために働いている構図ということであります。グローバル化に乗って中国にどんどんと差をつけられていくのも当たり前でしょう。人口の自然現象のある国で、経済が成長、発展して行った国は歴史上見ることは出来ません。ましてや、日本は資源のない国です。優秀な人材と、技術、学術的知識が国家的資源であります。金融大国の資本を云う人が居ますが、これとて怪しいのもであります。これらの貴重な資源が、いとも簡単な国外流出が横行するようではこの先が見えてきてしまいます。
    前回の講演親睦会で、講師の林・東京大学教授は、日本の学生諸君の学力低下は甚だしいことで、これは由々しき問題だと指摘していました。外国に留学しようとする意欲に燃えた学生が年々減少し、今年度はゼロだったと、アメリカの有名な大学であった驚きのひとつだったともらしていました。逆に中国の学生諸君は知識欲旺盛で元気があります。日本にもアメリカにもどんどん留学して新しい知識に、情報に躍起になっているとの事でした。早晩、この差は歴然として国力に跳ね返ってくるとの推察です。規模からすると2020年代にはアメリカをぬいてGDPで世界一に躍り出るのも決して夢ではなさそうです。そのときには量的な測定だけではなく、勿論GDPの内容とか、質が問われてくるでしょう。そして中国はいま、日本と逆の方法をとって積極的に海外進出を奨励しているとの事です。何しろ十三億の人口を抱し、日本の三十倍もの国土を有する膨大なマーケットを持つ国です。このところのグローバル化は、何だかんだ云っても中国の追い風になっています。世界の市場もそこに注目して、激しいつばぜり合いを演じながら、専らエネルギーを注いでいるのです。それは徐々に中国の実力を付けていくことになっています。沿海周辺から今度は内陸にかけて、産業と国民生活の向上にも努めています。これを揶揄して色々と揚げ足を取っていますが、胡錦祷に不動の風格が出てきているというのはこうした事柄が原因しているのです。大変化を遂げている今、国内的にも問題山積にあって、難しい舵取りをを強いられているにが実情ですが、これからは国際社会において国としての風格に勤めてもらわないといけません。学生時代には日本国憲法の序文を初めすべての条文を暗記しましたが、その中で「いずれの国家も自国の事のみに専念して他国を無視してはならないのであって、」とある通りで、これは普遍的、基本的な原則であります。
    ひと昔でしたら全て欧米が憧れの的でしたが、実質、いまや中国がそれにとって代ってきているのが現情です。そうした認識を持った責任ある国家観、経済的、政治的社会スキームの構築も大事ではないでしょうか。それと将来は人口十億とも十二億とも云われているインドでしょう。ホモサピエンスとしても頭の良い思索的な素質を持った民族です。中国とは別の意味で強烈な存在感をもってきました。それに気付かずにいるのが、今の日本の状況ではないでしょうか。うろうろ、きょろきょろをまねしていたでは、外国にどんどん遅れを取っていってしまいます。簡単な話、日本は今までの政治、経済、社会、文化の日本の良い点を生かし、悪い点を革命的に切り落としていく確たる決心と、その実現に向かっていいかなければなりません。何時までも萎縮して惰眠を貪っているわけにはいきません。健全性を回復するには、人間の体を例に取るまでもなく、冒された後の回復力、自然治癒力が大切であります。国家を例えれば、国力の回復力、回帰力が問題であります。国力とは、自然に衰えていったもの、国外に出て行ってしまったものが色々とあります。先ず出て行ってしまった優秀な人間と頭脳、そして企業と工場の日本への回帰でしょう。帰って来いよ、帰って来いよの歌ではありませんが、国力が日本に里帰りしてくるようでなければなりません。ああ、あなかしこであります。 11月22日


 

平成22年11月4日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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