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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.16.01


謹賀新年
紺青の空ほのぼのと明け初めて初の日の出に光るまほろば

会員各位の益々のご健康を祈りつつ
今年もよろしくご支援の程、お願い致します。
  平成二十八年元旦


  元日は、予想通り早朝の金色に輝く、大きな初日の出を拝むことが出来た。今年の新年早々から、こうした目出度いことは日本列島の津々浦々にかけて経験することがが出来たもので、これほどめでたく皆が一様に新春を寿ぐことが出来たことは珍しい。そして終日、真澄に広がる大空に恵まれ、穏やかな正月の始まりであった。朝早く、近くの多摩川の堤に立つと、全天空が、一点の雲の無き真澄の世界の展開である。はるか遠くを眺めると、紫色に染まる箱根、相模の連山の中に、ひときわ優れて高く聳える初富士の影が神々しく眺められた。空も、山も、海も朗々と明け初めた、一年の始まりである。初日の出は日本のどこにでも見られたことになる。人々の気力も充分、大いに気概を発揮して、この一年に臨みたい。そして初志貫徹の姿勢を貫いて、神は常に邪な偽善者を排除し、真面目な勤労者を以てことに臨むに、「神のなすことは万事を良しとし、益と為す」の信念を以て、勇敢に進んで行くことを希望している。
  昭和経済会は、この年を公私共々、進取の精神を発揮し、あらゆる困難を克服し、激浪を乗り越えて経済に立ち向かっていかなければならないと気を引き締めて向かう所存である。そして平和で安寧な毎日の年であるよう希望することを切に願っているところである。日本の内外の情勢は流動的であり、予断を許さぬ状況であるが、一方ではTPPをはじめとする経済連携が示すように、グローバル経済の規模は着実に広がりを見せて、国際化の波は日本にとってむしろ追い風になっている。千載一遇の好機と見て、各位には創意工夫して果敢にチャレンジ精神を発揮していって貰いたいと念願している。
  朗々として爽やかに明けた新年にあたり、各位各様の抱負を以て日々の活動に精進していかれることを目出たく願う次第である。今年の新春は、日本列島が概ね同じような雰囲気で各位が過ごされたものと思っている。
新年の挨拶に臨んで、各位のご健康と弥栄を心から祈念する次第である。

    尚、蛇足ながら、私は長きに亘り昭和経済の執筆を授かって拙文を乗せてきているが、当意即妙を以て現実に臨み真実に迫る姿勢に、多くの読者から多大な好意を以て愛読されていることを十分感謝している。又、縁あって十年前に短歌同人誌・淵を主宰する立場にある。淵は、日本が生んだ大歌人、会津八一の系譜を継いで愛弟子の早稲田大学名誉教授、文学博士の植田重雄教授が創刊された高名な短歌同人誌で、半世紀の歴史を持っている。不肖も和歌については、ことのほか独自の境地を開いてきたつもりでいるが、我流である故、独自の作品については全責任を以て自由奔放に詠んでるところである。自分に実直に過ぎて、且つ自然に詠んでいる気持の中に、楽しみと喜びが同時に湧いてくるので、私にとって和歌のもたらす効能はそこに尽きると単純に思っている。何も難しく考えることはない。それは創刊者の植田重雄教授の和歌を詠む基本的な思想、信念でもあることから大いに共感を得、自信を深め、務めを覚えている。和歌は、自由闊達に詠むことを旨として、自ら精進に励み、人間性の陶冶に努めるものと理解するゆえんである。
   和歌は己の精進、修業から生まれ出るものであり、その点が共感を呼んで愛読される人が居らっしゃるので、豪胆に、時には花鳥風月をはじめとして繊細優美に、人情もの、そして時事性も加味して広く経済、政治にまで踏み込んで気持ちを詠むことがたびたびである。一首には時にして小説以上の意味合いの深さを以て詠まれてくるときがあると、尊敬するさる先達が申して居られたが、意味深長性が反って興趣を呼び覚ましてくるのである。日本の伝統と美意識を守りながら、万葉集の詠み人にも勝る現代の大歌人を輩出させたいと、以て日本文化の高揚にと、同時に願っている。そこで厚かましく元旦を迎えた心境を、ある時には間接的に、ある時には直接的に詠んだものを載せることにしたので、しばらくお許し願いたい。   俳句については昭和経済の昭経俳壇の三郎、どんぐりの名は、不肖の俳句の雅号であることも付記いたしておきたいと思う。そうしたことを述べたりすると、昭経俳壇の選者をしてくださった、今は亡き清水渓子氏や、元学院時代の遠藤蘆穂先生を懐かしく思い出すのである。
                                              平成28年 元旦


初日の出

元旦の空朗らかに明け初めてこのまほろばに輝きわたる
大らかに明け初めにけるひむがしの今し初日の昇りつつあり
紺青の空ほのぼのと明け初めて初の日の出に光るまほろば
有明のそらあざやかに明け初めて初の日の出に光る富士かな
紺碧の空に差しいる天つ日の輝き渡る初春の空
初の日に恵み溢るる幸ひの輝き渡るうましまほろば
天つ日の輝き光る初春の富士が高嶺の綾かなる朝
筑波値嶺を黒く仕分けて紅色の初日昇りつ火の粉ちらせり
神々の宿る筑波の嶺高く縁を削りつ初日昇り来
東国の豊饒の地を良く治めこし筑波の山ゆ昇る初の日
初春の真澄の空に恵まれて我が家族らの笑みて集い来
元旦に我ら家族ら打ち揃ひ玉川神社に初もうでけり
玉川のやしろの古きクスノキに触れ願いごと秘めて祈れり
神妙に鳥居をくぐり境内に初の詣でに参りけるかな
境内の楠の巨木の幹に触れ我が願いごとこ秘めて祈れり
幹回り二十尺とも思えしか根元のこぶとも思い違へる
初春の玉川神社の楠の木に神おごそかに居ます覚へり
元旦に我らはらから集まりて良き新年を寿ぎにけり
雲ひとつなく元旦のおおぞらの隈なき果てに希望湧き出づ
紺青の空のゆらぎて初ひかり錦となりて織りそめにけり 
あでやかな光を放ち大空に今し初日の輝きわたる
大空の隈なく晴れて星ひとつ西方にあり初の日の出に    他二十首

     うぐひす
うぐひすの初鳴き高くこの朝の確かに春はこの日きにけり
鶯のひと鳴き高く鳴きこみていづくともなく飛び去りにけり
春きぬと人のうわさに逆らひて鶯の声いまだ聞かずと
柿山の煎餅菓子に茶を立ててなほ鶯の鳴くを聞くかな
打ち出でてみれば初音の清らかに聞く富士の嶺の白雪のあと
芦ノ湖の岸辺に立ちて松枝ごし山なみ高く望む初富士
年明けの空朗らかに照り染めて心置きなく春は暮れけり
元旦の夜空に光るオリオンのいつに変わらぬ君がかがやき
良く聞けば法華経とも啼くうぐひすのその鳴き合ひの不思議なるかな
オリオンの星座に神のみ姿を描きて己が思いひつづれり
日当たりの良き裏畑に蒔きし菜の育ちて抜けば赤きカブなり
一生に一度と思ふ損害をくぐりて抜けし去年の我なり
梅が枝に春まだ来ぬと鶯の鳴かずに止まぬ花の咲くまで
うぐひすの影いづくともまぼろしの訪ねて鳴かず枝に止まれる
うぐひすの後にメジロの家族来て仲間に入りて遊びけるらし
さすらいの旅先に鳴くうぐひすの声おちこちに重なりて聞く
静かなる山里にきて賑はひて朗らかにきく鶯の声
うぐひすの声の遮るものもなくしじまを衝きぬ高原(たかはら)の空
うぐひすの春まだ来ぬと鳴かずいて梅が小枝に待つはいとほし
せせらぎの林の奥ゆかそけきにしじまを破る鶯の声
谷川のとどろく音にうぐひすの高なきしつつ谷を渡れり
ウグイスのしばらく聞きておもむろに高なきて行く遠きたかはら
ひとり来てひとり暮らしのうぐひすの梅に止まりて鳴かむともせん
笹藪に飛び交ふ鳥のかげひとつ鮮やかに見し春を告ぐとり
今年また訪ねてきたりうぐひすのまだなかずとも影のいとほし
梅が芽のほころび咲きて匂ふれば時にあはせて鳴くやうぐひす
あな嬉し聞く鶯の初鳴きに静かに出でし藪の裏木戸
ささやぶに差し入る朝の陽のかげにかすかに動くうぐひすの影
新たなる道を求めて去年のこと埋めあわせむと念ずこの年
次々と心に描く良き策の新たにあればこれを活かさむ
待ちわびる心も良きやうぐひすの影にいつ鳴く時とはかれり
初鳴きのその束の間も類ひなき美しく聞くうぐひすの声
初鳴きの力こもりてうぐひすの後つづかずにあるもゆかしき
初鳴きに家内と耳を立てて聞く裏藪あさき場所にをるらし
初鳴きに家内と耳をそば立てて裏藪浅きそこと云ひつつ
庭畑に大根、春菊、小松菜と背丈そろへて皆そだちをり
縁側のそばの雑木を刈り払ひ明るく広げ憩ふ場とせむ
木の幹の間に身を置きて縁側にひとり座りて黙しけるかな         又、後程。
1月2日


波乱含みの年明け

新年幕開け早々から、世界の情勢は波乱含みの様相である。経済的には依然として原油価格が急落したままで年を越し、これが直接、間接に世界経済に暗い影を落としているし、同時に政治情勢の様相をも暗くしている。世界の経済的動向と中国の様相が大きく影響して、株価が昨年来大きく下げてきている。アメリカの利上げ決定がじわりじわりと効いてきて、金融と物流の世界的動きに大きく跳ね返ってくることも懸念すべき大きな点である。それが原因で関係各国の利害関係を一層複雑にしている。今世紀日入ってからインターネットの爆発的な普及で、世界の同時性、同一性、単一性、共通性が進んでいくと思われる最中に、逆進的な現象と傾向が著しく見受けられてくる世界の様相である。価値観の共通性を含めて、人類が基本的に正しい原理原則を打ち立てて行くと思われたのがそうではなくて、聊か矛盾した展開で戸惑ってしまうほどである。過敏に、過剰に反応しすぎて人間の正常な思考、判断、行動が作動しない姿が目に見えてくる気がする。逆に焦燥、猜疑、懐疑、不信、対立、抗争、暴力が代わって台頭するような人間社会は困ったものである。こうした社会現象を、何とか収束しないと思うのである。
   イスラム教国の大国であるサウジアラビアと、一方のイランとの関係が悪化している。サウジで王国批判、国家転覆を扇動をしたとして死刑判決を受けていたシーア派の指導者の刑を執行したことから、イランのシーア派が猛反発してサウジの大使館に放火した。サウジは、これを止めることが出来なかったイランに対して国交断絶を宣言した。もともと両国はイスラム教国でありながら宗派が分かれていて、サウジはスンニ派であり、これに対してイランはシーア派である。中東に新たな紛争を起こしかねない事態に、関係各国が懸命の改善策を模索している。

   今日の世界を揺るがした情報は、北朝鮮が突然、水爆実験を行ったという衝撃的なニュースである。正月早々もの騒がせな北朝鮮の動きである。北朝鮮の動向は常に世界を震撼させることが多く、いつなんどき暴走するとも限らないほどに深刻である。こうした暴挙に対し、国際社会がこぞって非難して対応を検討している。新たな強力な制裁措置を以て臨むことは必定な情勢である。驚くべきことは、厳格に監視している筈のアメリカをはじめとする国際社会が、こうした実験の模様を事前に察知し得なかったことである。中国についても、三回目の核実験については事前に連絡があったが、今回は連絡がなかったということで、かってない強い調子で非難を行っている。膨大なエネルギーの爆発を引き起こす水爆の実験は、その爆発力のからして規模からして、行動が事前にキャッチできるはずであるが、それが出来なかったことは、実験の技術的手法が巧妙になったのか、実験が水爆ではなかったのか、見方が分かれるところである。事が起きるたびに、この国を相手に国際社会が連携して制裁の実効を優先させているが、蛙の面に水で効き目がない。そうかといって放置するわけにもいかず、さりとて無謀なこの国をますます孤立化に追い込んで行くことにもなりかねず、実際のところ始末に困る国柄である。民意を反映したしっかりとした政治体制でないだけに、かねてからいつまでたっても危険な国であり、状況であると懸念している。窮鼠、猫をかむということわざではないが、徹底的に追い込んで行ってしまうと、癖のある、尋常でない国だけに何をするかわからない。平時での取り組みを、落ち着いて考える必要があるような気がする。つまり硬直的な戦術を取らずに、硬軟両刀を上手に使い分けながら、対応に機動力を発揮させることである。秘策はないものだろうか、つまり相手を増長させずに、何とか上手に我々の陣営に、穏便に我々の国際社会に引き込む手立てはないものかと、思案に暮れているところである。
   相手によりきりではあるが、逆療法も治療に役立つこともある。徐々にでも幾多の状況を緩和の方向に進めて人的交流を盛んにし、相手を互いに知り合うような機会を得、封鎖、閉鎖の状況を解くように持っていくことが、時には必要かもしれないと想像するのである。しかしそれが叶わないでいるところに、政治と外交の難しさがあるのだろう。外国との関係を断ち切って、閉鎖的、独善的な政治を維持しないと民衆を統治できないという、異常な独裁国家であるがゆえに、外部に対して懐疑的になりすぎて墓穴を掘っている感じである。その結果、国民は生活の困窮にあえいでいると云われている。軍事優先の経済を以て、今世界が激しい対立の構造に立ち向かっているとは思えないし、軍事優先を以て経済を運営して行くと云う前時代的な離れ業が通じない世界に変わってきていることは既に久しく、明白な事実である。約半世紀前1950年代から60年代にかけてたびたび水爆実験が行われたりしたが、特にアメリカのビキニ環礁の水爆実験があった。日本の第五福竜丸が近くを航行中に被爆し、さんさんたる経験を積んだりした。広島の原爆の1000倍の破壊力と云う。その後の旧ソ連が行ったのは2500倍ともいう。こんなことを繰り返していたら、自然界の均衡が保てずに地球が壊れてしまうだろう。たとえばの話、北朝鮮に言いたいことは、水爆実験をするくらいの技術と資本があれば、それらを民間の経済発展のために転用して行ったら、どれほどの国力増進と、国民生活の豊かな波及効果を齎すかしれない。そうした時になれば国際社会もこぞって、平和の手を貸すことであろうに。南北統一の悲願もまじかになるだろうに、独裁国の宿命であるが、残念な気がする。それこそ民族が被爆しかねないことになる。

   今又、世界が直面している難民問題であるが、毎日多くの犠牲者を出して悲惨であり、深刻である。難民を受けいれる方策も重要であるが、これとて難民流出の根源をはっきりさせて解決すれば、悲惨な状況を強いることなく、多くの人々が苦痛から解放さて、平和な暮らしに戻れるのである。長く続いているシリアの内戦状態が原因である。この混乱の解決を怠り、大国のエゴが災いして、小国のよわい民衆に災難が降りかかってきているのである。シリアのアサドの扱いに米・露の確執が原因で、これさえ大らかに解決すれば、双方が妥協して収束を測れば、容易に解決する話である。アサドに引導を渡してどこかに亡命させるか、余力をあるアサドを暫定的に使って国内の安定を図り、あとを新政権に移行させるか、またしばらく国際管理下に置いて社会秩序を保てるような機構にすることではないだろうか。国の脆弱ぶりに付け込んで、ISのような狼藉者がまたぞろ暴れまわって多くの犠牲者を出している。IS予備軍を出さないように、世界の安寧を図る努力が必要であるが、小国で起きている政治的、宗教的、民族的な対立、抗争を鎮静化することが、大国と先進国に課せられた責務であることの自覚を、先ず以て臨んでもらいたいものである。これからの世界はひとえに、そうした努力を払って、大局に立って、共通した認識を以て進んで行けるかどうかにかかっている。秩序回復が先ず望まれるところだが、嘆かわしいことは、決断を促す世界の政治家に、大物が欠如しているとしか言いようがない。

   日本では今日から国会が始まった。2015年度の補正予算案に対する代表質問が行われた。論議すべき課題は山積だが、空回りせず、建設的論議を尽くして、この国を国民のための、立派な民主主義国家としての立法府の機能を発揮して行ってもらいたいと念願している。    1月6日

祝  成人の日

    今日は祝福すべき成人の日である。この日に成人に達して立派な社会人として現実の社会に参加すべき若者たちは、120万人強の数である。心から祝福して、君らの洋々たる人生を歩んで行かれることを切望する次第である。その洋々たる人生は、君たち自身の努力によって、君たち自身が自ら築き上げて行くものであり、他から安易に与えられるものではない。社会人となることは、私たち先達たちの英知と努力によって築き上げられてきた実社会に、実質に於いて参加することであり。多くの権利を手中に収めると同時に、公私に責任も果たしていく義務があることを忘れてはならない。権利と責任は表裏の関係にあり、その仲立ちをするのが、義務だと考えれば、簡単なものである。しかしこの簡単なことが容易でないことも事実である。一人の人間として社会生活に参加することは、そうした認識の上で、人間としての尊厳も維持していかなければならない。共同生活には当然正義に立った秩序が求められる。社会秩序を健全に維持しながら、自覚を以て自らを更に開拓、陶冶していく努力が必要である。陶冶、開拓するところに真の意味での自由がる。勝手な振る舞い、勝手な行動は真の自由ではない。それは許されなくなってくる。鷹の雛が、巣立ちして、自然界に生きて行くための、親元を離れて飛び立って行く姿に似ている。厳しい自然の掟が前に立ちはだかっている。成人になるということが、そう考えると容易ならざるものであることを認識しなければならない。
    今日の午後、拙宅を妻と出た私は車を飛ばし、多摩川の堤に出てみた。尾山台商店街を通り抜けて環8を渡っていったが、途中左手にナザレン教会を懐かしく見て行った。尊敬する牧師の福江先生が昔、牧師を務めていた懐かしい教会である。広い礼拝堂は森閑として、常に霊的な漂いにあった。そうした時の福江先生の説教は、わたしの心を深く打つものがあった。故郷の高知の教会に帰えることになって、私は拙宅で先生から洗礼を受けたが、その日には多くの友人知人が祝福に参加してくれた。私が洗礼を受けたことを知らせたところ恩師の一人である早稲田大学名誉教授の故・酒枝義旗先生の現子未亡人から感激の祝福のお手紙を頂いたのである。このナザレン教会で、聖路加病院長の日野原先生を紹介してくださったのも福江先生である。懐かしく一礼して多摩川の堤の方に下って行った。
   正月から続いていた快晴の空は、この日も相模連山を通してはるかに富士山を見渡せるほどに澄み切っていた。多摩川浅間神社に立ち寄って、高台の境内から更に遠望を堪能した。田園調布に向かうため蓬莱公園に沿って行ったが、静かな池にカモが数羽、羽を休める姿を見て通り過ぎた。蓬莱公園は格別に広い感じがする。車を駅前の駐車場に止めて田園調布駅前のエピドールの店に入り、コーヒーとケーキを注文してしてばらく憩いの時間を過ごしたあと、自由が丘に向かった。自由が丘の街なかには、晴れやかな着物姿の沢山の乙女たちが明るい表情で散策する姿を見ることが出来た。成人式を祝った後の、喜ばしい晴れ着姿の乙女たちで街なかがにぎわっていた。世界に飛躍していく日本の、若々しい将来を託せる頼もしい姿である。若い男性諸君の姿も沢山あったが、成人式を祝った若者たちに違いない。
   これから日本の国と、広く世界を託していける意気軒昂な青年たちが、こぞって知性を発揮して、溌剌とした進取の精神を堅持して、平和な民主社会の建設と維持に努力されんことを願い、私たちは、若者たちの今日の日を迎えて、その洋々たる人生と前途を心から祝福していたのである。
    

       *    青春賛歌

成人式終えて社会に参加せる冠者ら今日を寿ぎにけり

心より迎へ喜ぶ青年を社会が強き力得る日よ

現実の社会の権利と責任を担ふ資格を得たる君らは

成人となりし君らを歓迎し日本の新たな力ならむや

新しき世界を迎へそれなりに人生観をもちて行かまし 

我もまた成人たちと乾杯の盃交わし歌ひけるかな 

我ひとり成人たちの輪に入りて乾杯の歌高く合はせり

薔薇を持つ着物姿の成人の列に交じりて喜び合へし

あでやかな着物姿の成人に入りて言葉を交はしけるかな

我もまた成人の日を迎へたる意気軒昂に思ひ浸たりし

若者に負けじ劣らじこの先を進みて行かんと吾も覚へし

憂きことも辛き思ひも身にあれど冠者につきて勇み行かまし

若者の力と意気を身に覚へエンジンふかし行かんと思ふ

殺傷の戦場を避け安寧の職場に立ちて国を築かん

成人となりて社会に参画す未来を目指す道を拓きて

この国に新たに若き人たちの加わり大河の流れとぞなる

若人の群れに交じりて行進す凱旋の日を夢に描きつ

      1月11日  成人の日


あきほちゃん、ゆきほちゃんの初出勤

   拙宅に英語の勉強にきているあきほちゃん、ゆきほちゃん両姉妹が今年初めての勉強に見えた。毎週水曜日の5時ごろから約二時間、家内から英語の会話と学習のために、学校の授業が終わると熱心に通ってくる。なかなか自主的に、熱心に勉強する子は少ない。自分の経験から云えることであって、今の子はそうでもないかもしれないので、一概に断言することはむしろ間違っているかもしれないと思った。人の話などを聞くと、学校の勉強のほかに塾通いする子が沢山いて、むしろそれが普通らしい。
   この間家内が話したところによると、区立の中学校へ入ると都立の受験が厳しいので、猛勉強をしないと高校に入れないというのである。だから最初から高校につながっていて、すんなりと進学できる中学に進んだ方が良いというのである。その上、高校から大学につながっていればそれに越したことはないと云う。大学まで話が進むと、それぞれに事情が出て来ることは仕方がないにしても、高校へ進むのに激しい受験があって、落ちたり、漏れたりした子は一体どうなるんだと、今の教育制度について疑問に思ったのである。そんな状況だとしたら、国の教育政策が間違ってはいないだろうかと、尋ねたのである。中学と高校がつながっている一般的な学校は、私立でもない限りないのではないか。大学は自主的に受験して行くものだから、場合によっては激しい受験競争に晒されることもあろうが、高等学校ぐらい、受験に漏れるようなことがあってはならないと思ったのである。
   義務教育ということよりも、高校くらいまでは差別なく、子供の希望に沿って勉強できるような仕組みでないと、文化国家などとは言えない。私立に優劣があって希望する生徒が受験するというのは理解できる。私自身も中学から私学を希望して早稲田中学に受験して入学したが、中学からは早稲田大学付属高等学院に受験して、つまり他の高校に受験して転向した。受験勉強はその都度経験してきたところであるが、大学受験はしないで済んだ。その代り高校時代から、大学教授が教師に向けられて、程度の高い授業を受けることが出来た。たとえば英語のほかに第二語学が必修であったり、早いうちから高度な専門的な知識を身につけることが出来て、私自身は満足であった。
   私学ならいざ知らずである。即ち国の予算がついたり、税金を使っている公立の高校位までは、中学同様に自由に勉学できる制度が望ましい。中学から高校は進学するときに受験があることは判るが、学校別に優劣があるので、そうした結果が起きているかもしれないが、事、教育に関する限り、高校での優劣が起きているようでは、国の教育制度を改める必要があると思った。つまり高校での教育のレベルに格差の問題があるのかもしれない。ならば、優秀な教師を行き来させて、押しなべて平均的なレベルを維持させることではないだろうか。その間に生徒は、次第に自分の得意とする勉学に、実力を発揮し磨きをかけて、更に進学する方向性を求めて行けるような環境にすべきである。生徒の個人差を認めるとしても、高校の学術、学力の機会均等を図り、国民のすべてが平等に教育を受ける制度を現実的に図ることが重要である。素人ながらそのように考えたりした。そもそも総花的な知識のための勉強は、所詮無駄だと思っている。或る程度の社会的、人間的、文化的常識は必要だが、例えば医者が、大工や建築士のような知識をやたらと持っていたところで、話題にはなるが直接には役立つようなものではない。そうした事例は、社会にはマンとある話である。高校までは社会人として健全な生活をしていけるような知識と教養を身につけて、専門的な得意とする分野は、その後の機会を得て適宜選択して、それなりに道を拓き目的を成し遂げて行けばいいものである。
   今日、私は帰途の途中、いつものように尾山台で自宅に電話を掛けたところ、あきほちゃんと、ゆきほちゃんが勉強にきているというので、今日がいつもきまって英語の勉強をする水曜日の日であったことに気が付いた。お土産を楽しみにしているかもしれないと思って、アーモンドチョコレートの箱を二つ買って行った。ケーキ屋さんがやっていなかったからである。家の前に着くと、ちょうどお母さんが車で迎えに来ていて、帰るところであった。偶然にも間に合ってよかった。新年早々の、今年初めての挨拶を元気に交わして、手に持っていたチョコレートを二人に渡した。礼儀正しく、「今年もよろしくとお願いします」と礼儀正しく挨拶するので、「今年も元気に朗らかにたのしんで、勉強していくんだね」と云ったところ、姉妹は「ハイ」と素直で爽やかな言葉を返し、にこやかに帰っていった。お母さんの運転するライトバンの車に乗って。礼儀正しい少女は純真無垢で、天使のように輝いている。     1月13日


      共に学ぶ
あきちゃんの明るく無垢な心根に加え礼儀と作法すぐれし
ゆきちゃんの前にし居ればいつにしかあきちゃんの身のそこに居るなり
あきみほの未だ前髪の愛らしき風情に乙女のかほり匂ひく
乙女らの吉永小百合ぼ若きころ思ひ出させる清々しさよ
あきちゃんの素直な黒き前髪のまなこにかかり春あたたかし
二姉妹の心やさしく澄みてなほ礼儀正しく作法すぐれし
前髪のまだいとほしき姉妹らのまことに天使の顔とうつれり
綴る字はよく性格を表すとあきゆき姉妹に当てはまりけり
あきちゃんの今日に限りてひとり来ぬ学ぶ机に我も向ひぬ
あきちゃんの学ぶ英語に我もまた負けじと共に語るたのしき
懸命に学ぶあきちゃんの意気にふれ吾も勇みて英語学べり
あきちゃんと向き合ひて書くそれぞれに英語のスペルと和歌のひらがな     1月15日

     
    ニューヨークで活躍される
  ジャーナリスト、岩本ランコ先生への手紙
 

  岩本ランコ子先生

  お元気で、新しき年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
いつも意義深く、温かきご指導を頂き、深く感謝申し上げます。
今回発行の昭和経済では、ラン子先生の貴重な記事を載せることが出来ずに、大変失礼しました。
いつも頂いている原稿を有意義に載せてきておりましたが、今回、担当事務員から直前になって、先生からの原稿が英語で送られてきている報告を受け、困惑しましたが、対応が間に合わずに失念する結果になってしまいました。誠に残念至極、且つ申し訳なく思っております。

  ところで英文の場合に、日本語に翻訳するとなると、技術的な点もあって、先生の微妙な表現を適切に表し、読者に伝えることが難しく思う次第です。日本語でお書きになったレポートがございましたら、是非お伝え下されたく、宜しくお願いいたします。

  図らずも今日は、日本の関西地方、とりわけ阪神、淡路周辺を強烈に襲った震度7強の巨大地震があってから丁度21年になります。日本列島には多く存在する、活断層地震でした。地震は大都市を襲ったがゆえに、甚大な被害に及びました。日本のマスコミのニュースでは今日、阪神・淡路大震災の、その時の状況を盛んに報道しているところです。

  あの時は丁度、ラン子先生と、先生のお姉様、寺島祥五郎先生のご一家と、目黒雅叙園で昼食をとっていた時でした。結構長い時間にかけて、ゆらりゆらりと気味悪く揺れていて、これは大きな地震ですねと、話し合っていたことを思い出しました。食事中でしたし、まさかあの揺れが、大災害をもたらした阪神淡路大地震とは思いもよりませんでした。
  それとは別になりますが、当日は皆さんと楽しく会食、歓談をしたあの時のことを、時々懐かしく思い出しています。それに全くの偶然ですが、昭和経済の表紙の絵について、前号から寺島先生が生前、私に贈って下さったスケッチブックの中から選んで載せています。私は先生の絵が大好きで、面影を懐かしく偲びながら載せて行くことにしました。今まで書いてくださっていた画家の関根常雄先生は、古くから昭和経済会の会員であり、有難いことに私の大ファンでしたが、先生の体調不良で断念せざるを得なくなった次第です。関根先生は寺島先生の友人で、そのご紹介で昭和経済会に入会しました。油絵が得意でしたが、寺島先生の後を引き継いで表紙の絵を描いて下さいました。四年前に有楽町駅前の交通会館の展示会場で、盛大な個展を開かれました。その時パリの街中を描いた10号の油絵が、すぐれた作品として大変気に入り、初日の会場を訪ね、お祝いと記念のために譲ってもらい、幸先よく売約済みの札を下げさせてもらいました。そのあとそれをオフィスの部屋に飾って、お見えになるお客様方に楽しんでもらっています。

  新年を迎えましたが、世界の政治、経済の動きも慌ただしい感じです。
台湾総統と、議会の総選挙が昨日、投開票されて女性で民進党の蔡氏が圧勝し、議会も過半数を越えました。 台湾政治の大きな変化ですが、これからも中國との関係を平和的に維持、発展させてもらいたいと願っています。台湾海峡に緊張が走り、波浪が荒れてきては、たまったものではありません。

  この度は、昭和経済の雑誌のことでメールさせていただきました。担当事務員の中村女史、又は尾形女史からもメールにて連絡致す所存ですが、今後とも宜しくご指導賜りたくお願いいたします。
感謝しつつ、益々のご健勝を祈っております。   敬具
   2016年1月17日
   
                      公益社団法人・ 昭和経済会   佐々木誠吾


大関・琴奨菊が優勝した

   今日、春場所の千秋楽を迎えた大相撲春場所の土俵で、大関の琴奨菊が14勝1負で見事優勝し、十年ぶりで日本出身の力士が優勝するという快挙を成し遂げた。しかも大関にとっては初優勝である。生き返ったように獅子奮迅の活躍ぶりであった。福岡県出身の、既に三十一歳であるが、今場所は豪快な面構えに力と技が冴え、迫力に満ちた土俵であった。白鳳、日馬富士、鶴竜の三横綱を次々と破り豪快であり、痛快極まりない琴奨菊の、土俵の立ち舞であった。あの筋骨隆々たる身体に、大和魂が奔流し、久しぶりに味わった国技、圧巻の大相撲を堪能することが出来た。土俵に向かって座布団が飛んでいくのも、確かに見届けた。
   昨日のテレビ東京の「アド街ック天国」に、拙宅近くの尾山台商店街が取り上げられたことで、その尾山台商店街のハッピーロードは、今日は沢山のお客さんでにぎわっていた。私は所要があって建築設計士のO君と、ハッピーロードにあるフロンティアで二時に会う約束だったので、やおら出かけて行った。途中、大庭さん所有のブドウ園を過ぎて行った辺りに、紅梅が咲いているのに気付いた。昨日の氷雨も運よく晴れあがって、今日は透き通るような快晴の空である。しかし吹き付ける風の余波があって、まだ冷たさが残っている感じである。強烈な寒波が大陸から日本列島の上空に、更に沖縄にまで下ってきて、列島は記録的寒さである。九州では例えば、長崎や福岡に20センチから30センチの積雪があって、福岡では100年来、経験しなかったことである由だそうだ。だとしたら、地元の人は今まで雪を見たことがないと云うことになる。 又記録的な寒波は九州の宮崎で氷点下12°を記録し、勿論史上最低を記録する気温である。車に積もった30センチほどの雪を掻く地元の人が、テレビにも映ったくらいである。宮崎と云えば、常夏の南国の日南地方を思い出すはずである。まさかそうした国にまで厳冬が襲っているとは、想像することが出来ない。
   この日出かけた先のその喫茶店は、小生も日頃たびたび行っている店であるが、今日のように混雑しているのは初めてであった。テレビで話題になった店は同じような状態で、訪ねてきた大勢の人たちの憩いの散策場所となっているようで、テレビの影響力のすさまじさを、まざまざと見せつけられた次第である。今日の大相撲春場所は4時ごろから観戦することにして、O君と要談した後は雑談をしきりに、社会評論に費やされ、尾山台商店街の人混みの中を帰っていった。
   十年にわたって土俵の優勝は、外国人出身の力士に取られてきて、聊か食傷気味になっていた。久しぶりに今日は、今までになく興味津々で観戦した。マンネリから脱する気持であり、大興奮の大相撲春場所の熱戦を堪能し、別けても琴奨菊の優勝戦を堪能し満足する結果となって、われながら安堵している次第である。歴史的に見ても画期的な琴奨菊の優勝であり、14勝1敗の賜杯は実に重みのあるものである。おめでとう! 大関・琴奨菊君の優勝を心から祝福したい。

     喜びの和歌   三十首
大相撲十年来の優勝に日本力士の琴奨菊よ
立会いの前に静かに手を合はせ琴奨菊の祈る姿は
仁王立ちする琴奨菊の土俵上優勝をかけ立ち合ひにけり
優勝に王手をかけし大関の乾坤一擲の土俵人生
土俵際まで追い詰めし琴奨菊、豪栄道を引き倒しけり
座布団の舞ひ飛ぶ土俵に喜びの琴奨菊の勝ち名乗りかな
豪気なり琴奨菊の面構ㇸ大和力士の本領発揮す
久々に大和力士が優勝す思へば十年ぶりの快挙と
がぶり寄る琴奨菊の迫力に連日土俵を沸かす白星
大関の外人力士の連勝を食い止め十年振りの快挙に
毎場所の決まって白鳳の優勝に飽きて興味の薄れゆく日々
心身のよみがえる身に実力を示す今場所の琴奨菊は
土俵にて清めの塩をわし掴み高々と撒く琴奨菊よ
わしつかむ清めの塩を豪快に撒けば館内の湧きてたつなり
立ちあふに琴奨菊が身をそらしす仕草に支援の声高まりぬ
不思議にも三横綱が悄然と力を失せて転げ落ちけり
後続の大和力士に稀勢の里更に奮起を促して見ん
後続の大和力士の励みなり琴奨菊の春の優勝
大関の豪気に塩をわし掴み白房高く撒けるしぐさに
栃東いらいの土俵に湧く優勝大和力士の琴奨菊に
がぶり寄る豪栄道を俵まで瞬時に引きて突き落としけり
燦然と賜杯を胸に琴奨菊、艱難辛苦に耐へて今しも
幾たびそ負ひし怪我をば乗り越へて土俵に励むこの力士こそ
カド番を五たびも迎え立ち直り鍛錬のすへ賜杯を得たり
土俵上三横綱を打ち倒し優勝賜杯を抱く大関
満場を沸かす琴奨菊の豪気なる立ち会ふつらに鬼気の迫り来
白房の立ち会ふ前の大関の身を反りかへす動作頼もし
面差しの野武士の如く時に又童の如く笑みし間もあり
十四勝一敗にて優勝の琴奨菊十年ぶりの大和力士に
優勝す賜杯を胸に喜びの顔に満ちみつ初々しさよ
満面に笑みをたたえる大関の初々しさを何と云ふべき        1月24日

上空に大寒波到来

   日本列島上空に強烈な寒波が到来した。それが偏西風の変化で南下して沖縄周辺にまで広がって影響を及ぼしている。沖縄の那覇市で10センチの積雪を記録し、雪になれない地域を脅かしている。雪を見たこともない鹿児島、熊本、宮崎、そして広島などが20センチ以上の雪に見舞われるという異常気象である。史上記録を記す地方が続出している。この二、三日は日本列島が寒波に襲来を受けて、冷凍庫にとじこめられてしまったようである。交通のマヒで輸送機関に大きな影響を及ぼし、生鮮食料品の高騰が出てきて市民生活を圧迫し、主婦を翻弄させている。こんな状態が一週間も続くようだと大変である。幸いあと一両日中には寒冷前線が北上する見込みだから、そのあとに太平洋上の高気圧が張り出してきて、次第に寒さが和らぐという予報である。

暖冬と告げし予報に逆らひて史上記録の寒波襲ひ来
九州の宮崎市にも積雪の30センチの記録報じる
常夏の九州日南海岸の地にも積もりぬ雪の厚きに
宮崎の常夏の名の青島に真白き雪の降り積もりけり
ビロー樹の並木を抜けて春の日の潮騒の音のゆるく聞こへ来
火の島を訪ね行く日の桜島北へのどかに煙ながれり
桜島船ゆ下り立ち眺むらば火の山黒く前にはだかる
古里の名にほだされて訪ねきぬ林芙美子の碑の寂しさよ
古里は林芙美子のふるさとに貧しき地にも生れにけるかな
この世にて人の命のなかなさを放浪記にも記しけるなり
芙美子碑に「花の命は短くて」記せるあとの悲しかりけり
潮騒の騒ぐ磯辺に立ち眺む鬼押し出しの溶岩の後
火の山の騒ぐ海辺に溶岩の流れしあとの長く続けり
上空に大寒波の波下りてきて沖縄那覇にまで及ぼしぬ
東京の雪にも弱き公共の交通機関に直きに及べり
友がきと九州周遊の思いでの学生時代の今に覚へし
長崎を経て大牟田ゆフェリーにて熊本経由阿蘇に行きしは
中岳の噴煙高く立ち昇り真澄みの空を揺るがしにけり
云いがたきこの美しき夕映えの阿蘇外輪山の赤く燃え立つ
長崎の坂を上りてグラバー邸異人の住みし時のおもむき
グラバーの屋敷ゆ眺む長崎の霧の港に泊まる船かな
ぼた雪のしきりに降りて長崎の埠頭の白くおぼろ眺む日
南海をはるかにわたる潮風を開聞岳のもろに受けおり
指宿の名のおもむろにふさわしく豊かに暮らすうましまほろま
薩摩富士とも人々に親しまれすり鉢型のいとほしきかな
南海に生まれし野分いつしにか目指して薩摩富士のかげなり
菜の花の咲く池田湖の水青く色彩の濃き油絵のごと   1月25日


暖かい南の国の九州地方に思わぬ大雪が降ったことを書いていたら、知らず知らずに学生時代に九州地方を友達と旅行をした時の思い出が脳裏をかすめて行った。大学3年生のころだったと思う。当時は石炭ブームであった。戦後の産業復興には欠かせない唯一のエネルギー資源として脚光を浴びていた時代である。その石炭ブームで財を成した友達のお父さんが目黒の高級住宅地の八雲の大きな屋敷に住んでいて、友達もそこから学校にかよっていた。九州地方を旅行するに当たっては、そのお父さんの尽力もあって取引先に紹介してくれたりして、現地に着いたときは、大歓迎を受けてもてなしに預かった記憶がある。何も知らない私は、その友たちに素直についてゆくだけであった。行く先々が私にとってまるで初めて経験することばかりだったので、この時の九州一周旅行は、ことのほか熱い思い出となって未だにに鮮明である。
   小さい時から喘息持ちで長期の旅行については自信がなかったので、誘われたときは行かないつもりでいた。しかしみんなの計画しているのを見て結局決断して一日遅れで私一人が皆とは別に電車に乗っていくことになった。東海道線の夜行列車に乗っていったが、その時の記憶はあまりない。不安な旅であったに違いない。九州の福岡駅で一行の五人と会うことが出来た。携帯電話もなかった時代にどうして会うことが出来たのか不思議である。一行は世話になった川滝信義を初め、渡辺節、鈴木貫太郎、舘昭二、武田なんとかであった。彼らは第一日目に、八幡製鉄の工場を見学して有意義な体験を積んでいた。福岡についた小生は夕方一行に合流し、その夜は博多にある安川電機の立派な寮に宿泊した。贅沢な部屋に通されて、贅沢なご馳走のもてなしを受けたことを覚えている。そこは会社の負担であったそうである。おそらく就職活動の一環として、優秀な大学生を招へいするための経費として落としたに違いない。しかし一行のうちだれも安川電機に就職した者はいなかったので、会社としては単なる宣伝費として経費に落としたに違いない。ひょっとすると景気のいい川滝君のお父さんの会社で、気前よく出してくれたのかもしれない。この夜、一行の一人が体調を悪くして急遽、病院に運ばれた。誰だったか覚えていない。飲みすぎかもしれない。翌日、長崎に向かった。石畳の坂道を登って、グラバー邸に向かった。異人さんが住んだ家だと聞いたが、オランダ人で、商館として使ったモダンでユニークな作りの建物だった。海と郊外に延びて起伏のある山なみが際立って美しく、港の景色に溶け込んで、一幅の絵を見るようであった。歌劇バタフライ、「蝶々夫人」の舞台ともなった由緒ある場所である。そこから雲仙を経由して大牟田の港についた。

 

2016.0104

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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