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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.24.3


弥生の空

芭蕉の奥の細道の冒頭には、歳月の瞬く間に過ぎていくことを哀歓を以て綴り、自分の生きざまに触れて述べているが、うらぶれた旅情も手伝って胸を打つものがある。曰く「 月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」と、残された人生の過ごし方を漂泊の旅に求めて、春も弥生となる季節を選んで旅支度を整えてせわしなく、春立つ霞の頃に、長年住み慣れた深川の自宅を出立するのである。
 凡人を以て任ずる小生は、無常観にさいなまれて放浪の旅に出るほどの風雅の心境には至らないが、幸いに健康の身に預かって精勤できる毎日であるが、不本意にして聊か世俗の波風に迎合しながら処世術を使っていたりすると、気力、体力は若い時のようなわけにはいかず、無理がきかなくなってきている。それなのに成すべき仕事は日々に増して困惑するばかりであるが、気の焦りもあってメンタルな疲労感が堆積する感じである。そうした状況を極力排除して自分なりに心身の休養と錬磨に努めているところである。 心の錬磨については、芭蕉の奥の細道を参考にして、かかる心境で毎日の過ごし方に対処していると、無欲恬淡として効果抜群である。片雲の風に誘われて漂泊の旅に出た気持にもなって、心は清浄に過ぎて爽快な状態でことに対処する心境である。精神的には斯様な処方箋を以て生活に立ち向かっていると、弱音を吐いたりくじけたりするようなことはない。積極的にものをとらえ志向することになり、どんな壁をも撃破して突破していくという意欲に代わっていくものである。
 体力の堅持については大方の諸兄がジムに通って筋トレに専念したり、歩行や競歩にいそしんで鍛錬の道を歩んでいる通り、実際的に体を鍛える日常的訓練が必要である。身体的、肉体的訓練を怠り惰性をむさぼったりしていると、体は自ずから弱体化してばねがきかなくなってくる。それを回避するために自己流ながら臨機応変、自在な訓練を行ってこれを続けている。加えて最近は高齢者向けのサービスの一環として、区の行政的指導も加わって、身体の訓練の道場に足を運んでいる。足を運んでいるとは抽象的な言葉で、実際は、道場の方から送迎バスが自宅まで向かってきてくれるサービスぶりである。迎えに来てくれるのでマイクロバスに乗らないわけにはいかない。毎週の土曜日の午後、家内と仲良くバスに乗ってトレーニング・ジムである駒沢道場の「正和クラブ」まで週一回だが約3時間にわたり、ぎっちりと基礎から教わって体をもみほぐし鍛えてきている。ジムには専門のインストラクターがいて健康チェックをしながら体調の変化をいち早くキャッチしたり、予防することもおこなっている。

 ジムは駒沢のオリンピックスタジアムに近い閑静な住宅街の中にあって、20名ほどのメンバーが集まって、和気あいあいのうちに行われている。男女ともほぼ同数で比較的高齢者のメンバーなので最初のうちは抵抗感があったが、次第に慣れて違和感を感じなくなった。インストラクターの振るタクトに従って器械体操と筋トレを主体に、途中のティータイムを含めて約三時の、謂わば身体の修行である。
 世間は狭いもので、メンバーの中に浅草ご出身の女性がいらした。あまりにも偶然な話であり、しかも象潟生まれで嫁いでこの地の世田谷の住人となった方である。小生は浅草の猿若で生まれ浅草で育ち、所帯を以て世田谷に移り住んだ。話を辿れば出た小学校も同じ象潟にある富士小学校であるということで懐かしさがひとしお増してきた。子供の頃の話題も共通していれば格別な感興も湧いてくるものである。周りは地元の方か、地縁話に余り関係ない人たちだから、Sさんとは幼馴染に出会ったような気持ちで時間を過ごす気分である。だから正和クラブのジムに通っているには違いないが、堅苦しさも解けて楽しく体操に没頭することが出来て幸いである。加えて最近は、偶然にも近所で長いこと親せき同様のK夫人が、送迎のマイクロバスに乗り込んできたには驚いた。楽しみが倍加したことである。多くの人がそうした年頃になってきて共通した意識を以て連携していくような感じがしてきたことも、芭蕉に近い心境が理解される結果になるもかもしれない。

頂戴す掛川の茶を煎じ飲むそのひと浅草育ちにてなほ

浅草に生まれ育てひとゆえに同じ郷にて覚ゆ愛しさ

ふるさとは同じ浅草を名のるひと今し逢ふへるも不思議なる縁

まぼろしの如く覚へし浅草の幼き頃の生きし有りさま

まぼろしの日となる下町浅草のひと今ここに居はす不思議さ

ふるさとは遠きに在りて浅草のその頃の女今に逢えるしは

今もなほ幼き頃のおもかげをおもろに生きて居りてゆかしき

今は佐野てふ名前にて世田谷のこの地に移り暮らし居たまふ

ヨーヨ取り金魚すくいなどをしたる子に違ひなし小さき頃には

おしゃれして上品なればおのづから浅草生まれで粋に育つと

今はこの等々力地域に住はれて品よく暮らす人と見受けぬ

つどひ合ふ時に合はせて服を変へ周りの人となごみすごせり

良き性と思へる人と巡りあふ時さまざまに和みあふ身よ

ふれあひの縁とも云ひて掛川の茶を給へるはありがたきかな

象潟のお富士さまをば語りあふ宮あたらしく直しけるとも

お富士さまてふお宮のふるさとの近くに夜店の立てばふさはし

学び舎の富士小学校のはすに建つ小高きお富士さまのみやしろ

階段をのぼれば小高き丘に建つ社に拝む時もありけり

富士やまを祀る宮にてせんげんの神社と人の申し伝へり

猿どもの三座の芝居を楽しみてのち𠮷原に訪ぬ客あり

昔さぞにぎはひ立てる歓楽地にて人の波絶えざるあらむ

おいらんに惚れて散財尽す身のおちぶれ果てて消ゆるあきんど

猿若で商ひ橋場に居を構へのち財閥となりし人あり

この年に正和クラブに入り励む身体錬磨の道場の間に

衰える肉体に生気を吹き込みて青春の期を奪ひ返さん

足腰のばねの強化を図らんと正和クラブの道場に行く

ジムに行く習わしに似て毎日の通勤に身を置きて鍛へり

自宅より八重洲の事務所に朝な夕な精勤の身に心満たせり

東京駅発の新幹線を見送りて湘南電車の時をしのべり

この事務所に出入りの人の懐かしく思い起こして過ぐる春かな


春かすむ海辺に立ちて青春の熱き思ひのいまだ止まざる

急行が踏切を過ぐ音をたて軽快に行く等々力の駅

乗り心地良きや東急東横線二子玉川より尾山台駅

文字通り田園と云ふ名にふさはしき緑のなかを走る電車よ

澄み渡る大空のもと那須岳の真白き雪の凍てて輝やく

高原に連なりそびゆ那須・茶臼冬のまさおの空に光りて

吹きおろす吹雪のやがて収まりて真澄みの広き那須の高はら

幾そたび那須高原の土地に立ち光る草原に夢を抱かむ


青春の輝やく日々は過ぎさりてまたたく夜の星のみぞ在り

我が手にてつかまえ難く星々の名を呼び求めその淵をゆく

闇の夜を飛びかふむ虫の光跡を追ふもはかなき春の宵かも

冬枯れの木がらしすさぶ山肌に雪のけむりの滑り落ちゆく

追加して三千坪の畑地買ふ信ある人に話まかせり

雪けむる茶臼ヶ岳に入日さし今宵の月のあきらけくこそ

入日さし茶臼ヶ岳の雪の色あかねに染めて炎燃へ立つ

火の山の如くそびえて那須岳の雪山高き夕焼け空かと

いざ行かん笹やぶ茂る山道を雪の那須岳目指しこの朝

山肌をなだるる雪のかたまりを強く踏みしむ我れが足どり

青春の足取り高く地に響きわが庭と惚む那須が高原


人生とはあたかも宇宙を仰ぐごと掴み難しと恩師のたもふ

野辺に咲くタンポポもまた空の星またたく花の同じなりけり

    政治家の裏金つくり

  政治家が裏金つくりに加担して多額な政治資金の流用を図ってきていたことがばれて、自民党内が大荒れである。主に安部派を中心としてパーテイー券の販売で得た金員を猫糞していたということである。パーテイー券の販売で得た金は政治資金規正法にのっとり収支報告書に記載しなければならないが、これを隠蔽し族議員がそれぞれ売上高に比例して猫ばばしていたということで悪質である。この種の金は主として私人、企業法人から支出されているもので公明正大に処理されなければならない。急遽節された政倫審などでは、旧安部派に属していた主要の議員に対し説明責任を果たすよう国会に呼び出して調査したりしている。
自民党総裁として、はたまた内閣総理大臣とした権限を行使し、不正事件に立ち向かって調査し、国民の納得の得られる結果を引き出して、それ相応に対処すいることは当然の責務でありながら、立場は以前と逆転してしまったような感じである。何かと機嫌を伺っていた相手に対し、今は全く逆な立場で相手を威圧し裁く権勢ぶりである。岸田が強くなったわけではない、呼ばれている偉かった安部派が、ボス亡き後崩壊し分裂したさまを、いみじくもその醜態を演じているのである。事情聴取と称して一人ひとり呼び出され踏み絵うを踏まされている、言うなれば罪状認否を確かめられている始末である。
 例えば五人衆は、大臣の椅子を経験した人物ばかりである。今は俎板の鯉ではないが、猫のようにおとなしくなって岸田の云うことを聞いている。立憲民主党が裏金作りの容疑者として調査を要求している安部派を主とした議員は50名以上に及んでいる。政治資金収支報告書成るもの、遡って集計したその不記載の総金額は6億円以上に及んでいる。つまりこの金額が裏金と称するものであり、各人が好きなように山分けしていたことになる。自浄作用を失った自民党の悪しき習性が炙り出された格好である。長年政権を担当してきただけに、日本の民主主義、民主政治の危機といってもいいだろう。

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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