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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.18.10

猛烈な台風24号に驚く

  気象衛星からの観察で、太平洋上の雲の配置や、発生過程が手に取るように伝わってくる。南方洋上に発生した温帯低気圧が、やがて渦を巻いて大きくなってきた。大きな台風の目が出来上がり本格的な形で既定のコースを踏んでいくと楽観していたのが24号である。フィリッピン北東部に向かって台湾から中国大陸に抜けていくと思っていたら、沖縄沖で急に九十度に向きを変えて九州を目指す形に変わっていった。930ヘクトパスカル、最大風速60メートルと云った強い勢力を保ったまま、コースを東北に向けて進んでくる。付近を航行する船舶は、厳重注意するようにとの再三の警報である。

  中国に向かって抜けていくと思っていたこの台風24号、そのまま勢力を保ち日本本土に向かって上陸する気配に、多くの日本人が慌て始めた。四国、紀伊半島は次第に影響が出始めた。21号の時の経験から、関空では前日から航空機の発着を禁止する措置を取った。JRも早くから主要幹線の運行禁止を準備した。各自自体でも独自のマニュアルを使い、河川の氾濫、浸水、がけ崩れなど、不安な住民は勧告を受けて早くから避難所に移して万全の体制である。NHKは終日台風の進路を伝え、現地の状況などを視聴者に伝えながら危険な場所から移動するよう、防備と避難を迅速、的確に伝達していた。今回の台風に対する早くからの対応については、過去の経験を活かしたけっかである。先手を打って首都圏の交通機関は早くから運休を決め、利用者に周知を図った。鉄道の計画運休に合わせイヴェントを中止する等の動きもあった。首都圏の交通と、人の往き来の混乱を避けるためである。
  この24号台風は昨日、四国、紀伊半島を抜けて伊勢湾に上陸、そのまま進路を急速に進め東海、関東を直撃した。このため深夜、台風に襲われた東京では、強烈な風と雨に叩きつけられた格好となった。拙宅でも普段は雨戸を引かない部屋でも、すべからくスチール性の頑丈な雨戸を引いて、雨と風に備えた。打ちつける雨風の音は物凄かった。終夜眠れないような気分でいたが、夜明けの4時ごろになって雨風は次第に静まって、台風の中心が速度を増して東北地方に移っていく様子が感じれれたのである。しばらくすると東の窓から黄金色に輝く帯状の、太い光りが差し込んできた。 台風24号が迅速に去って行った後の雲間から差し込んできた、朝日の眩い光りである。 家のなかがまぶしいくらいの光りに満ち溢れていた。私は急いで重い雨戸を引いて、庭のみずみずしい樹木の様子を満喫して、安心したのである。
   台風は時速を70キロに上げながら本州を縦断し、明け方には東北地方を抜けて北海道に達し、飛脚のような速さで通過して行った。降雨量が心配されたが、ゆっくりどっかりと云ったものでなかったので、局地的大雨の被害はあったが、大規模に至らず幸いであった。  

台風はさまざまなことを残して行った。強風と、打ちつける驟雨は白く煙って、厳しさの内に何もかも洗い流してくれるようなすがすがしさがあった。面白いことに暖かな雨、風に当たりながら蟇蛙が浮かれて飛び出してきた。以前は多い時には十匹ほど生息していて面白く付き合っていたが、今ではせいぜい二匹ぐらいかもしれない。それも最近はほとんど見かけなくなっていたので、何となくさびしい気持ちでいた。ところが嵐が運んできた雨の中に悠然と、しかも相変わらず神妙で、滑稽な恰好をして芝生のど真ん中に鎮座ましましていたから、「いおー、お前さん出てきたか」と声をかけながら家内にも知らせたのである。蟇はこちらに向かって正座し、何やら話しかけるような姿勢でいた。実に愛嬌のある友達である。今では犬、猫と云った生き物は飼っていないが、宅の庭に生き物がいるような気がして、何となく落ち着く気分になるのは不思議である。
谷崎潤一郎が「猫と庄造と二人の女」と云う小説を書いた。話は違うが、語呂合わせで、「私と妻とひき蛙」と云うのも面白いかもしれない。 最近、電車の中でもひき蛙のような顔をしたおっさんやおばちゃんを良く見かける。これもスマホと一緒で、一つのはやりかも知れない。

我が庭に罷り出でたるひき蛙あぐらを組みて口上を述ぶ
台風が運ぶぬるめの雨かぜに罷り出でたるひきの殿かな
気分よく雨に当たりて蟇どのの庭の真中にひとり構へり

   大きく実って収穫期を迎えてきている富有柿と、次朗柿が、強風で落ちているのが分かった。庭に出てみたら可哀相なことに十個ほど芝生に転がっていた。取り上げてみると僅かに色付いてきていて、堅く締まった実が明るく光っている。身に飴色のこがふいている証拠である。赤く実ってくるとお尻に黒い線の縞模様が記されてくる。これを眺めていると、心が豊かになってくる。見上げると未だ十分な数の柿が、しっかりと枝にしがみついているから頼もしくなる。柿は、秋の味覚を代表する一つで、思い出がたくさん詰まっている。 嵐のあとに落ちた栗を拾ったりしたのは、遠い昔の少年の頃である。
  拙宅の表に面した塀は、今時には珍しい作りで、レンガを一つづつ井桁に積み上げて行ったもので、それ自体ちょっとしたぜいたくな趣きがあって好ましいと思っている。二段式に組み上げて、幅三十センチほどの植え込みを作ってある。この場所にも、花の好きな家内が四季折々に思い思いの花を植えて楽しんでいる。今年は、十株ほどの苗を春先に植えたベコニアが大きく育って、房が提灯のように膨らんで見事な花をつけて絢爛である。白と桃色の花を交互に植えたのが絶妙であった。それらが奇抜に咲き誇って見せている。帰宅して家に入る前に、得も云えぬ綺麗なベコニアの花を愛でながら、立ち止まって眺めている。  嵐で一部の房が壊れて崩れていたが、根元の土を盛って丈を直してやった。これで、もとに直ってくるだろ。花はベコニアだけど毬のような、提灯のような花の房に、又綺麗な明かりがともってくる。   


塀沿ひに妻が植えたるベコニアの誇らしく咲く花に魅かれり
桃と白ベコニアの花清らかに交互に植えて鮮やかなりき
ベコニアの花賑やかに咲く今朝も二色の色を確かめつ行く
ベコニアの花誇らしく塀沿ひに咲き朝に夕に手にも触れ行く    続   10月1日

   京都大学、本庶特別教授にノーベル医学生理学賞

  スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、2018年のノーベル医学生理学賞を京都大高等研究院の本庶佑特別教授と米テキサス大のジェームズ・アリソン教授の2氏に授与すると発表した。授賞の対象となった本庶氏の業績であるが、免疫の働きにブレーキをかけるたんぱく質「PD-1」を発見し、このブレーキを取り除くことでがん細胞を攻撃する新しいタイプの「がん免疫療法」の開発に結びつけた功績が評価された。
日本からの受賞は2年ぶり、名誉の受賞者は二十六人となった。 文献によると、本庶教授らの研究グループは1992年、免疫の司令塔を担うリンパ球、「T細胞」で働く「PD-1」なる遺伝子を発見した。PD-1が、免疫反応のブレーキ役に相当することが分かり、このブレーキを外せば免疫力が高まって、がん治療に応用できるのではないかと考えた。 素晴らしい発想の展開である。

 その後、がん治療薬の開発が進み、小野薬品工業(株)が14年9月、PD-1の抗体医薬「オプジーボ」を製品化しそれを発売した。世界各地の製薬会社がよく似たメカニズムのがん治療薬の開発に乗り出しており、新たな治療法としての普及が期待される。NHKテレビでは、この薬品を使用する患者を紹介し、がん細胞に劇的に効く様相を語っていた。森、元首相も肺がんの治療にこれを使用し、すこぶる健康を回復してきている由で、何よりなことで喜びもひとしおのことである。一般論として問題は薬品の価格がまだ高額なことで、一般には使用普及されていない状況であるが、これが大量生産化して行けば、がん治療だけでなく、多くの免疫治療に広く応用されていくことになるだろう。三人に一人が癌でなくなっていくことを見れば、がん撲滅に気運は常にあると云って過言ではない。本庶教授も、自分の基礎研究が、多くの罹患者のいのちの救済に寄与することが出来れば本望であり、そのことを望んで地道な研究に没頭してきたと云う心境を述べていらした。

   医療の世界では癌の治療については従来、主として三つの処方を以て対応してきた。手術に依るもの、第二に、抗がん剤によって治癒するもの、そしてエックス線療法である。今回期待されている免疫療法が更に確実視されれば画期的成果である。がん治療については一般的には早期発見によって苦痛を伴うが手術を行い、がん腫瘍の部分と原発個所を完全に摘出することが有力であり、転移を見分けて術後の再発防止にもつながって完全ある。その他の方法だと、抗がん剤投与やエックス線照射による副作用が避けられないのが現状である。今回の免疫療法についても、オプジーボの投与による劇的な効果が分かったが、副作用も起きることは若干あるとのことなので、これを如何に緩和していくかの研究も必要かもしれない。いずれにしても劇的な効果を発揮する点は、がん腫瘍が縮小し、若しくは消滅と云った、体験者がまさに救世主だと云っているように人命救助に資すること大なるものがあって、研究成果はノーベル賞受賞に与えする快挙である。

  本庶さんは、ノーベル基金から授与される金員は、そのまま若い研究者たちのための基金に用いたいとのことである。真摯な学者らしい姿勢で、流石に立派である。持論とするところは、教科書を信用してはならないと、真理は事象を疑うことから始まると、そして自己の独創的発想を遺憾なく発揮して行くところに学究社、研究者の楽しみがあると喝破されていた。万事に通用する厳しい教訓、然り、至言である。      10月3日

誕生日祝い

  誕生日祝いをしたいと云う娘の有難い申し出があった。以前から家内の話として聞いていたが、今更誕生日祝いでもないと云ってた処、小生だけのものではないと云う。7月17日の自分も含め、娘、息子、孫を含め五人の誕生日を兼ねて一度に祝うと云う話であった。確かに家族の中で、秋に誕生日を迎えるものが多いことが分かった。自分だけのものと思っていたので、無理してやらなくてもいいと思っていたが、だとしたら勝手な振る舞いはできないと思って予定されていた通りやることにして子供たちに任せた。普段にしても親父だからと云って威張っているわけでもないが、こうしたイヴェントの時は虚勢を張ってでも心身ともに達者でいることを示さないといけない。
   常日頃、親父の威厳を保つべく努力の内に入れている。それと云うのも子供たちの方がどんどん成長して行って、社会的に充分活躍している実態があるから、それはそれとして嬉しいことに違いないが、年々歳々人同じからずを目の当たりに実感してきているので、自分としてはまごまごしていられない心境である。人生年齢百歳を唱えるご時世である。激励してくれるのは有難いが、それではぶらぶら遊んでいる心境にはなれないと云うものである。叱咤激励されて、これからも元気いっぱい職場に臨んでもらいたいと云う意味合いも深かった。色々な病いに遭遇しても、その都度名医に恵まれて完璧に立ち直って病棟から出てきている。人一倍若く見られる雰囲気も持っている。事務所に出れば、比較的若者たちと接する機会が多いからかもしれない。勤務条件は、自分で決めているから手抜きはできない厳しさがある。妥協は反ってできない。信念を貫いていく決心でいる。妻はもとより子供たちは、そのことを十分理解している。
   話が大きくそれてしまったが、10月7日に行ったみんなの誕生日会は、今を時めく渋谷の街で行なった。自由が丘に行ったら、ここでも女神まつりをやっていて、駅前から、周辺の道や路地裏まで大勢の人出でごった返していた。街全体が、色とりどりの幟や旗がはためいてカラフルに染まっていた。イヴェントが開かれ、路地の隅々までワゴンセールが置かれて人の波でにぎわっていた。例年にも見かけなかったようなにぎわい方である。人波をかき分けて自由が丘の駅に入りホームに出、東横線で代官山へ、そこから娘夫婦と合流して渋谷に向かった。大規模で再開発中の渋谷はかなり完成度を上げて来ている。地下から上空をめざし、開発は十年かけての大規模工事である。下準備を入れると三十年に及ぶだろう。地上に出た時は夕方、地下をくぐってハチ公前と反対方向の地上に出た。娘夫婦のあとについて行ったが、妻と二人だけだったら迷子になって仕舞う。
  ここも自由が丘と一緒で大混雑である。しかも規模はその何十倍かも知れない。大都市、東京のなかの大都会と称するべきか。林立する高層ビルと華やかさ、日常慣れきっている銀座とは又、違った街の雰囲気であり、様相である。大衆性、庶民性を剥きだしたところが嫌味なく親しみやすいし、何よりも若者の熱気が凄まじい感じである。活気にあふれて大衆性がある。その大衆性は、人気第一と称する浅草とは違ったものであり、文化である。池袋、新宿とも違う独自のものだ。ということは、等級を付けるわけではないが、感覚としてファション性、モダン性、リファイン性に於いて渋谷の方が独自性のもので洗練されているということにつきる。 銀座は海外の高級ブランドに侵食されて、街なかが日本独自の文化を表現しているという点では見劣りがするかもしれない。 渋谷は、近くに原宿、表参道と云った街があるから面白い影響を受けている。 
   その渋谷である。行ったレストランはブラジルが発祥の地で、東京にもここ、渋谷に支店を出しているバルバッコアである。目をきょろきょろさせながら光りの街中を歩いてきたのではっきりした場所は覚えていないが、先を行くとNHKがあると云う繁華街である。二十年前ぐらいに車で通ったことはあるが、その時以来だから発展ぶりは、変容ぶりは言わずもがなである。賑やかなビルの玄関を入ると、直ぐにエレべーターで上に運ばれた。開いたところが店で大勢の客が待っていたが、予約してあったので直ぐに大きなテーブルの席に就いたのである。店の雰囲気が、既に異国的である。アメリカとも違うし、ましてやEUとも違った面白い店である。それでいて嫌味なくシンプルで、溶け込みやすい感じが大いに気に入った。娘の選択は抜群で合格である。同時にブラジルという国はこうした感じのものかと、直感的に思ったくらいである。
   そこで食べたシュラスコと云うブラジルの肉料理だが、これは本格的だ。サーロイン、ひれ、ランプ、肩ロースと云った肉の部位のほとんどが焼かれて賞味される。上質の大きな肉の固まりを、長い大きな櫛に射してテーブルに運んでくる。食べたければその場でそれを注文し、ウウェイターが手早く肉をナイフで切り落として前の皿にのせてくれる。味付けのソースは好みに合わせて用意されている。焼肉の種類は色々とあって思う存分に味わえることが出来る。食べ方は楽しく、兎に角ダイナミックである。小生は主にひれステーキを注文し、白ワインを飲みながら肉を賞味していた。勿論、その前にみんなの誕生日を祝って祝杯を挙げたことは当然である。それぞれ持ち寄ったお祝いの贈り物を、私会っていた。息子の嫁殿もそうだが、娘は相変わらず心のこもった、豪勢な贈り物を妻に用意してきていた。小生には温かいクス舌をもらった。好物の甘栗もくれた。こうなるとお土産にお荷物の大変である。
  年を取っていくことは私たち夫婦にとってはあまり喜ばしいことではないが、綺麗に上手に取って行くことは必ずしも嫌なことではない。健康でいて、病気になったり死んだりしてはいけない。子供たちが百歳まではと云うから、百歳と決める必要はない。それ以上に努めて生き、兎に角若々しく生きていく、その単純な気持ちが大切だね、と云い返したら、さすがにお父さんの考え方だと、褒めちぎっていた。 生きている間は若々しく、若々しい間は生きていられる。これが鉄則である。昔、高等学院を卒業する際に、卒業アルバムに書いてくださったことばがある。「人生は己ながらに生きよう」という一行である。ドイツ語教師の逸見先生が送って下さったものだ。食事会は楽しく打ち過ぎて、所定の二時間が近づいた。早めに生産を済ませ店を出た。 
  夜の渋谷は未だ大勢の人たちで溢れんばかりである。街なかは昼を欺くばかりの明るさで、様々な照明で鮮やかに生き返っている。こうした状態が明け方まで続くと云うのだから、都会の生命力は底知らずである。そして老若男女、様々な恰好をして自分を表現して楽しんでいる。大威張りで現代を生きている頼もしい姿があった。これこそが渋谷の魅力である。人間性に溢れ満ちている。子供や孫たちに伍して、大勢の人の群れの中に入って広い交差点を渡っていくと、皆にこにこしながら笑っていて朗らかな出会いである。何となく不思議な仲間意識が湧いてくる。おかげで若々しい気持ちに浸っていた。 之なら百歳以上に元気に生きて行かれると確信した。まいにち毎晩、渋谷に入り浸っていても差し支えない。既に生命力は備わってきていると。ステーキをふんだに食べたからではない。若者に交じって行動していると自然に気持ちが高揚して、そうした環境に収まってくるのである。人間力と云ったものである。
渋谷のハチ公前のスクランブル交差点に入った。 慣れて入るわけではないが人の流れに乗って、スムースにわたっていくから不思議である。無意識のうちに秩序に従って、大衆が動いている。治安の良さである。突然、軽快な音を立てておもちゃのような車に乗ったドライバーが六台つながったまま、交差点手前に止まった。タイミングよくシャッターを切ってもらた。ものすごく良い出来栄えである。小生がミニカーの前に立っていて、赤いミニカーとネオンの輝く大通りが背景である。写真は、東京の大都会の風景とは思えない感じに仕上がっている。主役が良いからだろう。ダニーケーが立っているようだからである。お父さん、勇ましいわねと娘が云ってくれた。家内も満足そうである。退院して間もないころから、家族の心配をよそに会社に通勤して自ら鍛錬してきた結果である。


誕生日祝ひて家族打ちそろひ夜の渋谷をぶらつき候

誕生日祝ひをまとめて一括し秋の連休の日を過ごしけり

渋谷てふ街は活気に満ち溢れ多種多様の世界にて立つ

ブラジルで名高きステーキハウスとも東京に出でて繁盛致すと

面白きステーキ料理をたしなみて我が誕生日にふさはしきかな

余をはじめ妻と明子と佳、麗の祝ひに在りて勢ひづきぬ

わが妹も喜寿を迎へて知らぬ間に光陰素早く時の過ぎゆく

さはされどわれら夫婦は定めにて命をたっとび充たし行くなり

大病を患ひながら打ち勝ちて今現在も健常の身に

此の年は野分の多く襲ひ来て強き力を保ちつつきぬ

台風の遠くを走る影響に陽気は夏を思はせる日に

シュラスコの店はあたかもブラジルの国に旅しているがごときに

目の前で厚き牛肉をカットして豪快に食み腹を充たせり

渋谷てふ街は不夜城と噂にて今しうつつに確かと認めり

若者の行き交ふ街は年配の男女を問わず今を遊べり

不夜城の渋谷の街は人ざまの昼夜を問はずあらは示せり

この街に入りし途端に若々し自由を得るは我のみならんや

それぞれに個性を示し奔放におのれに仕へ自由人なり

妻と行く渋谷の街は初めてに違和感無きに落ち着きにけり

健やかに皆が過ごせば幸ひと神のご加護のしるしなりけり

街なかのスクランブルの交差点渡れば人の波に押されつ

ミニカーを運転致す六台の車に出会ひ楽しかりけり

さしもこのまつならではの光景に楽しき世界の存分なりき

七色の原色光る輝きに躍動感を覚ゆ街なか

渋谷てふ街は万華鏡の中に居てメリーゴーラウンドに乗る心地なり


                                    続く


   ところが現実には、周囲で付き合っていた友人が昨今、次から後へと亡くなっていく様相に、脅かされているのが実情である。これでは安倍さんの働き方改革の意義も含めて、人生百年説とは程遠いものに感じてくる。この間も長いこと付き合ってきた親友の高木新二郎君が亡くなってしまった。7月119日、急性心不全だと云う。あっという間の出来事ゆえに信じられない心境で、そのこと自体が非現実的なのである。互いに話す機会もなくなってしまった。しばらくは感傷気味に、人生を回顧する時間的拘束から離れられないかもしれない。しかしそうした事態に埋没されないように、五体揃えて踏ん張っていく必要がある。陰、陽の綱の引き合いである。あの世と、この世との綱の引き合いである。万象の世界を陰陽の仕分けとして考えれば、誰にでもいずれは陽から陰に転じていく現象が厳然としてあるから、生命の力を蓄え、培養して陽にかじりついていることが人間の努力として求められてくる。
   先日、高木君の霊前にお香を上げてきた。自分は洗礼を受けたクリスチャンであるが、小さな骨壺に収まってしまった高木君を前に、正座してお香を焚いていたら、自ずから般若心経の念仏が口から出てきて、経典の中にある色即是空と繰り返し唱えることになった。まさか佐々木から、自分が念仏を唱えられるとは思っていなかったに違いない。修行僧ではないが、それは今現在生きている自分に対する念仏でもあった。帰りの車を運転しながら、讃美歌の312番を歌って十字架の贖いによって、高木君のみ霊を慰め、神のみもとに旅立ちの祝福を送ったのである。  「いつくしみ深き友なるイエスは 罪とが憂いを取り去りたもう 心の悩みを包まず述べて などかは知らねど下ろさぬ重荷を}

十字架のイエスとほとけの蓮の花いずれも深しおはす処の
みほとけのなさけも広し天つちに及ぶイエスの愛と同じく

   昔、彼が山形地方裁判所長官をしていた時、山形の庄内地方を案内してくれたことがあった。悪童が十人ぐらいで押しかけたことがあった。二泊三日の旅であった。泊った先は蔵王温泉である。昼間は名所旧跡を丁寧に案内してもらった思い出がある。芭蕉ゆかりの山寺を登り、最上川を屋形船に乗って下った。そのあと出羽三山の内、羽黒山に登って、険しい山道を駆け下りた時があった。巨木が林立し、峻嶮な山道を修行僧が法螺を吹きながら懸命に下って行った先である。 我々にそれを強いていながら、彼はマイクロバスを運転して下山先まで回り道してわれわれを待っていてくれた。それは意味深な、絶妙な配慮であった。 あの時の世話になったことを、つらつら思い出したのである。  続く

ニューヨーク株式の急落   当然の調整

  昨日の株式が急落した。10日のニューヨーク株式市場は、米長期金利上昇への警戒感が強まったことなどから全面安の展開となった。前日比831・83ドル(3・15%)安い2万5598・74ドルで、この日の取引を終えた。下落幅は史上3番目の大きさである。内容的には、ダウ平均を構成する30銘柄すべてが値を下げた。これを受けて今朝始まった東京株式市場も、寄り付きから大量の売りものを浴びて急落した。この日の取引は、おおむね1000円幅を往来する展開で下落して終わるに違いない。相場観としては、今まで調子に乗って急ピッチで上げてきただけに、ここでの下落はあって当然だし、良い調整場面になるだろう。景気の持続と同じで、株式相場の堅調な持続を保つには、リズムが必要であり、リズムは上げばかりではない。下落もあってしかるべきであり、一番怖いのは、相場に動きが止まってしまい活力がなくなり、死に体の様相になる事が一番の危険である。好調に上げてきた株式の調整的反落であり、景気動向を分析して打って出た当局の金融政策に対する投資家の見方が変化したことが重なったまでのことである。目先調整場面の激しい上げ下げが続苦だろう。貿易戦争が、実体経済に重くのしかかってくることもある。高値を付けた株式市況は大きく反落する場面が出て来るが、次のステップへの小休止と見て差し支えない。

  米国の長期金利は今年に入ってから徐々に上がってきており、インフレ抑制のための健全な指標の現れとして把握してきたところである。各種の経済指標も経済の拡大傾向を映すものとして推移してきている。現在は政策を駆使して景気動向を修正することもできるが、ケインズ的観測からすると、景気拡大と同時に目標とする完全雇用の達成は、インフレ懸念を増長し、景気後退への不可避的シグナルとして把握しているところである。目ざとい株式市場では、景気の先行性を示して頭打ちの格好になる事が多い。長期金利の上昇は反面に於いて、景気過熱の兆候を表す物でもある。資金需要の旺盛さを示し、早晩景気過熱感が出てきて政策を警戒する段階である。FRBは適切な判断で金利政策を行っているものと解釈している。景気の過熱を防ぎ、経済の安定的成長を持続させるためにも、金利の引き上げは必要な措置である。トランプはFRBの金利引き上げをけん制しながら、激しい非難を行っている。クレイジーだとまで言って、11月の選挙への影響を気にしている。しかし金融当局の金融政策に関して、政治がとやかく干渉することは好ましいものではない。
  朝方発表の9月の米卸売物価指数が前月比0・2%増と順調な伸びを記録。米国でインフレが進むとの見方などから、米長期金利の指標となる10年物米国債の利回りは一時、年3・24%前後まで上昇した。市場では、金利上昇が米景気や企業業績に悪影響を及ぼしかねないとの懸念が強まった。これはないも昨日、今日に始まったことではない。何かと取り沙汰されてきたことである。利上げは三回目だが、年内にもう一度行われると云う観測である。詩情が改めてその影響するところに気が付いて動揺したものである。

  米中貿易摩擦への懸念もくすぶり続けている。米大企業の2018年7~9月期決算発表が今週後半に本格化するのを控え、米中の高関税の応酬が企業業績に与える悪影響も意識されたもようだ。ここにきて米中貿易摩擦が企業業績に、さらには景気動向に影響をきたしてきている。航空機大手ボーイングや建機大手キャタピラーなど、中国ビジネスの割合が大きい銘柄の下落も目立った。米中貿易摩擦の影響をもろに受け始めてきている。こうした傾向が拡大していくことが心配である。

   トランプの過激的発言が、政権の運営に少しずつほころびとなって影響が出てきて心配である。昨日は国連大使のニッキー・ヘンリー氏が年内を以て辞任を表明した。トランプ政権発足以来、国連を舞台に外交面でめざましく活躍していた人物である。女性として有能な政治家であり、まだ若い。国連では、トランプの代弁をしていると云っていいくらいに激しい舌鋒を繰り広げてきた。イラン合意からの撤退や、パリ協定からの撤退など、世界にとっては決して功績とは云えない代物であり、とかく評価の二分する活躍を通して名を広めてきた人物でもある。どのような先を歩むか、将来が注目に値する。
このヘンリーが辞任すると云うことで、中間選挙を控えまたまた風向きが怪しくなってきたトランプ政権である。昨日の株式急落は、ヘンリー辞任の報せがあって起きたものかと、最初は勘ぐったくらいである。しかし、彼女の辞任が、多少は影響した部分があったに違いない。しかしトランプはお構いなしの相変わらずの言動ぶりである。崩れるようなことがあっては共和党政権の瓦解に繋がることになって仕舞うから、この先も、あくの強いトランプ在任中はアメリカ第一主義の利己的政策は変わらないだろう。われわれ民間と、国際社会は既にそうした事態に適宜対応して、独自の長期戦略を練ってきている。日本もしたたかに振る舞わないといけないし、この先も要注意である。
                                               10月11日

高等学院の理事会

  
  小生の母校で十月十三日、十時半から高等学院時代の同窓会の理事会が、上石神井にある母校のマルチメディア多目的教室で開かれた。最近は校友会にはご無沙汰しがちだったので、今回、通知があってから行くことに決めて事務局に出席の返事を出しておいた。六月十五日に病気治療で入院していた慶応病院を退院してから、早や三か月が経過した。肉体的にも、精神的にも力がついてきて体重も4キロほどついて、体力に自信がついた。だから行く気にもなった。車を運転していくつもりでいたが電車の便が良いと云うので、九時半に家を出て自由が丘に、ここから練馬区上石神井駅まで直通の特急便があると思っていたら、ラインを間違って記憶していた。西武池袋線にはつながっているが、肝心の西武新宿線にはつながっていなかった。止む得ずコースを月並みな線に切り替えて行くことにした。
  東横線経由で中目黒駅に出て、地下鉄日比谷線で恵比寿に出てからJR山手線内回りに乗って高田の馬場に出た。母校の早稲田大学に近い駅である。高田の馬場から西武池袋線の急行に乗ると二つ目の駅、目的の石神井駅に着いた。乗ってみれば意外と便利で簡単に思った。その昔、この西武新宿線に乗った時は、豊かな緑の畑が沿線に広がっていたが、今ではぎっしりと住宅が立ち尽くして、どこにでも見受ける郊外の沿線風景である。駅前の商店街を歩くこと五分、新青梅街道を挟んで高等学院の正門が目に入った。正門から先は、高いけやきの並木が続いて森閑として清々しい雰囲気に魅かれた。広い敷地で良い環境の場所に移ったなあと一瞬のこと、我々の高等学院の往時の貧しさを思い出した。

   僕らが高等学院を卒業したのは、学院が大学のキャンパスにある頃だったので、その時から三年後辺りに学院が今のこの地に引っ越ししてきた。だからこの新しい校舎で学院生活を過ごすことはなかった。それゆえ、現在の学院を考えると、聊か遠い存在になって仕舞った感はいがめない気がする。学院の敷地と校舎の全体像も掴みえないので、一部を垣間見て来るしかないが、正面からのけやきの並木道を通ってきただけで、高尚な雰囲気が掴みえたことは良かった。約十二、三年前に訪ねた時と変わっていなかったことが幸いであった。そのまま第一校舎の守衛室で、開催の場所を聞いて会場に入った。申し訳ないが十五分ほどおくれてしまって、会議は始まっていた。

  理事会の議題は四つあった。それではいけないのだが、僕自身がとやかく言う筋合いではなく、準備万端、執行部が恙なくやっていてくれることである。専ら報告を聞き提案があれば自由に発言し、あとは決議の賛否を問うだけであるが、今回は学院が創立されてから来年で七〇周年を迎えると云うことである。そこでこれを節目に新たに新事業を盛り込んだ事案もあるので、普段よりは若干違った姿勢を以て臨まなければいけないと思った。理事の諸君たちも、はっきりとした共通認識を以て臨んでいる。頼もしいことである。
  高等学院長の、本杉先生とははじめてお目にかかった。明るい表情をしてすぐれた人がらの人とお見受けした。レベルの高い学院の教育指導に携わって、明るい将来を展望できる方である。学院の発展に頼もしい限りと思った。書類の中に学術研究奨励金に関するものがあった。学院生が研究テーマを設定し、個人的に研究し論文化して提出するものであるが、優秀な成果について奨励金を授与すると云うものである。研究作品の一覧表があったが、今年度は申請件数が三十件に達して学生諸君の学習意欲も旺盛である。しかも小生が一瞥しても興味津々の課題について、熱心な研究成果を発表している経緯が分かって素晴らしいと思った。全ての研究課題について奨励金が付与されていて感動を覚えた。中には身近な問題も取り上げらて現実的であり、課題から読むとベンチャー企業が注目するものもある。あるいは医学、化学、宇宙学と云った分野でも一向に差しつかえない。発想が斬新だから、例えば即百万で話を付けて、事業化が可能かもしれない。企業はこれで何億と儲けていくわけで、可能であれば、社会に還元されて素晴らしい成果であり、以て範とすべき点である。これらの論文は後日、おそらく一冊の本に集約されて発刊されるに違いない。待望するところである。

  戦後の話になるが、学院は新制高等学院として戦後新たに創立された。来年に創立七十周年の記念すべき年を迎える。理事会の執行部として、それを祝福する記念行事を検討中との事であった。光陰矢のごとし、人生を含めてつらつら思う所以である。一年後輩で長く理事を務め尽力していた久保田庸四郎君がいて親しくしていたが、過日訃報を知ってがっかりしていたところである。実は彼も早中出身であるこyとは、今年の理事会では是非逢いたいと思っていた矢先であった。残念だが、早稲田中学・高校の校友会便りで知った次第であった。

  思い起こすに、高等学院時代の学習生活は何と充実していたことか、回顧の念熱きものがある。幸いなことに当時の学院では腹はすかしていたが、立派な先生がたに恵まれ、誇りを持って思う存分に学習に励むことが出来た。これに勝る宝はないと思っている。一人一人の先生方の姿が浮かんできて、しかも鮮明である。それぞれの先生方の熱い指導を得て、学習した内容は未だに忘れないでいる。そうしたことが今以て日々の生活と、事業活動を進めていく際に現実的、実際的に係わってきて、自分にとっては無意識の内にも大きな推進力になっていることは、有難い教訓の知らしめるところである。即ち大きな生活力となって、自分の体内で培養されている。これは決して大げさなものではない。わが青春のロマンである。これこそが真の学問だと、勝手に思っている。ちなみに社会に出てからも、そうした先生方とは交流と接触を続け、実益と云うものではないが陰に陽に大きな成果となって実を結んできている。人間は、メンタルな要素を以て生きて行く面が物凄く大きい。思索が、精神的状況を以てして、肉体的環境を支配する要素がきわめて大きいことも知っている。人間は考える葦であるとはパスカルの言を俟つまでもない。気分が血の巡りを良くすると、隣りのおばちゃんの言でもある。

  学院の理事会では同窓会のすべての事案について慎重かつ、円滑に審議され、全てにおいて決議された。その後の親睦会が開かれたが、しばらく皆と歓談ののち失礼してきた。場所こそ違ってはいるが懐かしい、学院の高邁な雰囲気にも触れて、今日は大いに触発されて帰って来た。折角外出したついでであり、余力があったので寄り道をしてきた。高田の馬場から車で母校のキャンパスを訪ねた次第である。実に何十年ぶりである。終身代議員を仰せつかっていながら、ご無沙汰をお詫びする気持もあってのことである。キャンパスは想像していたよりは昔の面影を残す努力が払われていることに気が付いた。高層の校舎が建っていたが、学部や図書館の外郭が大事に保存されて、新規に建築がなされていた。大隈銅像も、大隈会館も、図書館も無事であった。学生運動の激しかったころ、この中央広場にはいつも赤旗が林立して騒然として授業どころではなかったことがある。混沌の中に過ぎた時代があった。

母校は、箱モノとしてみると現在の方が大きいかもしれないが、小生には昔の方がもっと大きかった感じがした。休日かも知れないが、昔の方が活気があって青春の舞台としては雰囲気がでかかったのである。昔の呼称だと、本部の一号館、法学部の二号館、そして三号館の政経学部が往時の面影を残してあったので安心し、誇らしく思った。昔、大学院の建物も大隈銅像の前にあったが、無事であった。この建物の四階にあった酒枝教授の研究室で四,五人の有志が参加してドイツ語の原書を読んで共に過ごした時間があって、懐かしく思った。任意の参加であったが、のちに総長になった西原氏も参加して懸命にドイツ語を習っていた。彼が法学部の助教授をしていたころである。大学では必修にゴットルの経済原論を学んだが、酒枝先生は敬虔なクリスチャンであった。尊敬する立派な先生のお一人である。
  会津八一記念館に寄ったが次回の展示準備中とあって、別に一枚のパンフレットを貰ってきた。「大山郁夫と学生たち」、というものである。この人物の名前も時代も、懐かしく思いとどめてきた。大正デモクラシーを育んだ時代的政治、思想家である。大山郁夫が戦後、亡命先のアメリカから帰国した時は大変な歓迎ぶりであった。迎える学生の人の波と、左右になびく赤旗であった。今は想像もできないほどに、キャンパスは森閑とした学府と、純粋培養された学生諸君の往き来だけで穏やかである。思想的には賛同し得なかったことは無論である。

   振り返って情熱の旗を振ったあの時代、あの気概と熱気に触れてその後の人生は長く、しかしあっという間かも知れないが、尾崎士郎の青春篇、愛欲編より、云いようによってはもっと凄まじい道のりを歩んできたように思うのは自分勝手なものかもしれない。そして今、健康であることを感謝するのみである。五体満足にして活発に活動しなければ、思惟も思索も勘もひらめかない。そう思いながら古本屋によって思い出の本でも探し当てて買って行こうかと思った。帰りは高田の馬場行きのスクールバスに乗ってきた。通りの両側には、未だに古びた書店が散見できたことに、安堵感を覚えたのである。

高々と繁るけやきの並木道ぬけて学院の校舎ありけり
上石神井てふ環境の良き地にて学ぶ諸君は幸ひなりき
仰ぎ見る秋のけやきの並木道物思いに過ぐ時もありなん
学院の同窓会も七十のよわいと聞きて熱き思ひに
小生は戸塚の木造校舎にて学習致す当時偲べり
学院の多くの教師浮かび来て未だに忘れ得ぬ人なりき
木造の校舎に学ぶ貧しさに生きる力も与へ給へり
穴八幡境内に立ち学園の秋の妙なる景色眺めん
若者の研究論文を読みて思ふ独自の道を開く学徒ら
斬新な学徒諸君の研究の成果を示す論文ありき
学院長なる本杉氏の童顔に親しみを得語りけるかな
充実す施設の校舎に学ぶ身の学生諸君の学習盛れり
どの人もみな後輩にて戸惑ひぬ長老と見る諸君らも居て
名指し得て余は三十八才と申し上げ皆合点してうなずきにけり
人生はよわひにあらず気迫にて心身ともに充たし行くよし
不図よぎる往時の教師の懐かしく我が身に迫り手を握りしむ
おもむろに三十周年記念誌を学院時代を偲び読むなり
奮起してその三年間の学習の成果の如何に道に占めるや
勉学にいそしむ学院生として自信と誉れを授かりにけり
恩師らの鬼籍に入りて久しきに学びし書籍を未だ求めり
名著なり日本文学史概論の竹野教授の思い出熱き
卒業の式に右総代を務めしに竹野院長の面影あらは
政経に進めと遠藤先生の助言の篤き思ひいまだに
著名なる学者、教師の授業にて幸ひなりし学習に就く
認知症にて長生きはご法度に呆けず人生を全うすなり
伝え聞く虎は死して皮残す人は千載に名を残すとは
亀の甲より年の功とも申しえて豪胆に生くこの先も又
同窓の学舎に入りて頼もしく互いに語り合えるこの日に
見渡せば世界は広しグローバルに冠者にとりて絶好の道
賢明な学徒諸君にこの先を託して我は遅まきながらも
青臭く常に生きろとのたまへる田舎教師の至言今にも
ふまれても踏まれても直ぐ立ち直る路傍に咲きぬタンポポの花
紅葉に燃える谷間に仰ぎ見る富士の高嶺に光る白雪
志高く掲げて今日もまた富士の高嶺を仰ぎ行かまし
プーチンもトランプも良しその上を行く大物もこの場より出ん
安倍さんや習近平にも助言して裏で糸引く学院生かな
学院の著名な教授に学習す誉れも高きことと覚へり
満天の星を仰ぎて我が思惟のきらめき過ぎて果てに及べり
英文学専攻の遠藤嘉徳師俳句にのめり末を楽しむ
平成二十四年十一月の追悼記慕ふ遠藤先生の影
貧乏の世帯に学習致す日の戦後間もなくゆえに意義あり
学院のことを語れば限りなき思ひ出ふかく偲ぶ我が身に         十月十四日

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美智子皇后八十四歳の誕生日

  来年は天皇の退位が決まっていて、新しい元号の年となる。平成からどういった年号になるのか、期待を込めて待っている。それと同時に,平成天皇、美智子皇后の姿が公の場所から去って行かれる。一抹の寂しさがあって、惜しまれるところである。
  天皇陛下は平成の最後の年となるが、美智子皇后にとっても、在位中に最後の誕生日となる十月二十日に、目出度く八十四歳を迎えられた。正田英三郎氏の長女として育ち、民間から皇室に入り皇太子殿下の妃として、異例の人生を歩まれてきた。そして昭和天皇の崩御のあと、皇后として公私に亘り天皇陛下を支えてこられた。象徴天皇の務めとは何かを模索されながら歩まれる陛下と共に、美智子妃は陛下に寄り添い、常に深い気遣いを示され共に支え合って来られたのである。

平成は、元号の名に逆らい、波乱万丈に過ぎた年であった。神戸淡路大震災を始めとして、東北大震災などの自然災害が続き、各地に自然災害が多く頻発した。心を痛められた両陛下は、その都度被災地を訪れ、被災された国民を慰め励まされたのである。多くの国民が勇気をもらい奮い立たされたことは言うまでもない。又、戦争で亡くなられた多くのみ霊の慰霊の旅に、内外に足を運ばれた。そうした両陛下の心労のほどを察して、余りあるものがある。

  元侍従長の渡辺允さんが朝日新聞に寄せた記事の中に、結婚前の陛下には、孤独な雰囲気が漂っていた。関係者に「自分は生まれと境遇から、どうしても世情にうとく、人に対する思いやりの足りない心配がある。どうか人情に通じた思いやりの深い人に助けてもらいたいものだ」という希望を持っていらしたそうだ。美智子妃は正にご自分が伴侶として決めた、期待通りのお人であったと云うことである。私たちはいつも目の当たりにしてきたが、人格的に陶冶された人として、国民から親しまれ尊敬されてきた両陛下、そして美智子妃の温かい人柄に魅せられる国民も、又幸せである。

象徴としての天皇陛下を考える時、国民統合の象徴と云う新しき理念と理想を読みあげた日本国憲法の素晴らしさにも、改めて目を向けた次第である。八十四歳の誕生日を健やかに過ごされた美智子皇后をお祝いし、末永き健勝を祈念する次第である。
            
             *
皇后の八十四歳の美しきよはいを巡り寿ぎにけり
いみじくも八十四歳の間を重ね妃の務めを果しこられり  
                                     短歌同人誌・淵、主宰

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トランプの相次ぐ脱退劇 今度は(IFN破棄と離脱)、次は? 地球離脱か!
そして、中国政策に徐々に軸足を。

   奔放に外交政策を進める経済、軍事大国のアメリカ大統領のトランプが、TPP,パリ協定などを始めとして、次から次へと国際協定からの離脱、脱退を進めてきている。自分だけでは飽き足らず、終いにフランス大統領のマクロンにまで、「EUからの脱退」をけしかけている。一種の病気と見ていいかもしれない。昨今では、旧ソ連と交わした中距離核戦力の全廃条約(IFN)から脱退すると云う意向を発表しているということだ。長年にわたって築き上げてきた核兵器廃絶の努力を、一夜にして潰してしまうことになる。不満があるならテーブルの上で論議するべきで、それからでも遅くない。トランプの発言は、核戦略と軍拡競争時代に逆戻りか。 ふざけたことを言うなと云いたい。

   トランプ氏は大統領就任直後から、
1) TPP離脱を表明した。
2) パリ協定から離脱した。 地球温暖化を阻止しようと国際社会が一体となって努力して作った、3) イランとの核合意からの脱退 
4) ユネスコからの脱退も宣言した。
5) 国連人権理事会からも離脱した。
6) 郵便条約からも脱退した。
7) 又、WTO,国際貿易機関からの離脱とまで言っている。

  ざっと取り上げてみても斯くの如くで、やりたい放題である。最近では事もあろうに、NATOからの脱退もちらつかせて同盟であるEUまでも脅迫する有様でいる。二国間条約も破棄するかもしれない。外交は時によって成功するが、場合によっては対立、混乱を招いて不成功に終わることもある。トランプの手法は、最初からみっともないが、ゆすり、たかりの類いである。国際的な相互連携、友好、協力主義の姿勢は、微塵も見られない。北朝鮮の脅威に対しては、互いに恫喝的な、一触即発の展開を繰り広げた。こうした手法は、北朝鮮に対しては効を奏してきたが、結局は互いに話し合う場面に移ってきている。今になって思うと、あの気違いじみたやり取りは何だったのか、互いにつるんで芝居を打っていたような気がしないでもない。
  トランプは大国米国の厳とした大統領である。その発言は、もとより重いものがある。国内の国民的人気は決して衰えていない。多くの支持者が大統領を支えている。他方、国際社会において、同盟国を敵に回してまで、自国第一主義を唱えて、あからさまに自国の利益追求に走り、未だにアメリカ雇用優先とがなぐり立てている。こうした理論も、理屈から外れてきている。国内は兎も角として、国際外交の舞台から遠心力で、自分の身体が外れた方向に吹き飛ばされていく感じである。この調子で行くと終いには、「国連脱退」まで云い出して来るのかもしれないと危惧するばかりである。

   そこで私は言いたい。国際社会からの離脱を叫び、そのために余りふざけたことをして、これ以上国際社会の緊張を煽り立てるのであれば、トランプさんよ、もっと大規模にどうだ! 潔く地球から離脱してみてくれないか!。 そうすれば文句はないだろう。

   幸いにもアメリカは今、FRBの絶妙な金融政策を得て、かってない景気回復を経て、好景気を享受している。民間経済の賢明な働きと努力によるものだが、無論トランプの進めた大幅な企業減税が、寄与していることもある。好調な国内経済の指標をみる限り、何も国際的非難を買ってまで慌てることはないはずである。そうした国内事情にありながら、国際社会においては矛盾した保護主義政策を強行し、品格を損ない欲張った守銭奴丸出しを演じ、孤立化を招いている。今日こそ国際社会が連携して安全と平和を確保し、地球規模の均衡的な発展を期さなければならない時に、国際社会でひとり、保護主義政策を継続、強行していくトランプの頭の中を疑わないわけにはいかない

  米中との激しい対立と貿易戦争が、どこまで拡大していくかわからない状況でもある。その影響は発展途上国にも徐々に影響を及ぼしてきている。貿易戦争は、仕掛けたアメリカの国内産業にもマイナスの影響を齎らしてきている。キャタピラが、値上がりする鋼材のためコスト高に見舞われて収益が悪化する模様である。日本のコマツも連動して収益を脅かされる結果にもなる。左様に、貿易面でも、日本に対する風当たりも強くなってくるだろう。安倍首相は三日後に中国訪問に旅立つ。米中関係が根本的にきしむ中、日本はどのような対中国政策を展開していくかが、焦眉の点である。いつまでもがむしゃらなトランプに追随しているわけにはいかない。民間は既に、採算の合わないアメリカからの脱出を図りつつある。貿易戦争で、景気、経済が減速気味の中国からも拠点を外に移ししつつある。ここで日本は、世界を広く大観して、中国が進めていく「一帯一路」の沿道のインフラ投資に対して、共同して参加していくことも考えられる。アメリカは既に貿易戦争の一環として、日本に対しても従来と違ったイメージを持ってくる可能性大と考える時、対米一辺倒でアジア政策から大きく後退することは得策でない。この際中国との関係促進を以て、アジア地域の安定を模索することが重要である。機は熟してきつつある。
   即ち、アメリカの保護主義政策の展開と日本への攻撃、中国の経済的悪化と日本への協力要請の姿勢。この二つの要因がうまく合致してきて、日本は動きやすくなった。

   二週間後に迫ったアメリカ議会の中間選挙に向けて、がむしゃらな宣伝効果を狙っているという観測が専らであるが、トランプの性格からして、そうとばかり云えない。民主党に対して勝とうが、負けようが、今迄のような外交姿勢は執拗に継続されていくことは確実である。その先にあるものは、再び相手を罵倒して喧嘩腰の力外交であり、核兵器の小型化を表明したり、核兵器製造の競争にまでなって、かって経験した馬鹿げた暗黒の国際社会に逆戻りしていくことが心配である。

   熾烈な米中貿易対立、米ロ関係の悪化、火薬庫となりつつある中東問題など、見回しただけでも問題は山積である。そうした中で期待されるのが、日本の安倍さんの積極的平和外交である。福田さんが首相をしていた時代に「全方位外交」が大きく注目されたが、これはその時以来の日本の外交政策の基本を成してきている。我が国の外交的理念を注いで、安倍さんの国際舞台での政治的真価を問われると云っていいだろう。  民主主義政治を貫き、友好的国際関係を構築していくことは我が国の国是である。安倍首相と、首相率いる政権が、日中国交40周年を記念して、更なる進化を遂げる必然性を感じてくる。そうした中で懸案となってきた尖閣諸島の問題、東シナ海のの石油発掘問題の解決、更には歴史認識の問題などが交流の深化の中で自然に解決していくものだろう。先ずもって日中両国が強靭に連携する時代の模索、それが極東、東アジアの安定と繁栄につながっていくものである。

中国の[一帯一路]の遠大な構想についても,理解を深めていく必要がある。保護主義を掲げて腕付くで妥協、後退を強いるアメリカの露骨な一国主義に、多くの国々は辟易して非難している。強情なアメリカはそれに耳を貸そうとする雅量が、もはやないと見なければならない。だとすれば友好な国際関係の構築を目指す日本が積極的に進出するべく、経済連携と平和外交の楔を打ち込んでいく時期に来ている。アメリカの一国主義の体質は、トランプ政権下で少なからず根づいてしまう傾向がある。そこにアジアの新興国は、日本の活躍を期待している。時局は安倍首相を始め、我々が支援して止まない河野太郎外務大臣の清新溌剌の大活躍がある。高邁な理念を絶やすことなく、極東アジアを始め、広く世界に窓を開き、啓蒙の外交を展開して行ってもらいたい。

                                      10月21日


日中首脳会談の成果
 
  日中平和条約締結40周年を記念して訪日中の安倍首相が、習近平主席と歴史的会談を行った。米中貿易摩擦に揺れるなかで、日中両国が微妙な利害関係の一致を見た絶妙のタイミングであった。   長い歴史に立って日中両国が理解を深め、協力体制を敷いて国際社会に臨めば、アジアの平和と繁栄に尽くし、以て世界の安寧にきよすること、これに勝るものはない。安倍首相と習近平主席との固い握手によって我々に未来は大きく開けて難問を克服し、展望は明るく、更に前進してゆくに違いない。

首脳会談に先立ち安倍首相は、李克強首相との首脳会談に臨み、「競争から協調へ」など、関係発展に向けた新たな3つの原則を確認した。また、両首脳は、東シナ海を「平和、協力、友好の海」とする決意や、朝鮮半島の非核化に向けて北朝鮮に対する国連安保理決議の完全な履行の重要性も確認した。これは両国にとって確信的な前進であり、両国の経済発展と、地域の安全にとって大きな改善の一歩前進となる画期的成果である。
  私は21日の記述の中で日中間の経済問題をはじめとして連携の更なる深化について述べた通り、その趣旨については何ら変わった点はなく、希望を以って将来を観測したところである。日本にとって米中双方を睨んだ微妙な外交関係を模索する結果になるかもしれないが、決して悲観すべき、消極的な観測には終わらない。むしろ米国によって引き起こされている、緊張する貿易摩擦の問題について緩衝地帯の役割を演じていくものと思考している。 新しき時代の到来を展望し、日本外交の面目を発揮する大舞台ではないだろうか。         続    10月27日


秋冷の朝

晴れ渡る秋のみそらに不二が嶺の高くそびえて仰ぐ空かな

讃美歌の二百八十四番を高らかに歌えば空の光る果てなき 

美しき調べに魅かれ踊り出る秋の花咲く野辺の道かな

秋の野の花咲く里に生れし身のさえずり叶ふひよどりの声

秋の日の光る日差しに身を向けてイエスの道のかくも清しき

                                       十月三十日


地下鉄駅の改修工事

  毎日の通勤の乗り降りに使っている地下鉄日比谷線だが、構内の改修工事が大々的に進められている。地下鉄線から、他の地下鉄線に通じる通路も同様である。改修後は見違えるように綺麗になって、利用者の満足度は満点に近い。因みに銀座浅草線の各駅構内も、ほとんどが回収作業が終了した持余である。先日久しぶりに浅草銀座線に乗って、京橋から稲荷町駅まで乗車した。京橋もうす暗く地味だった駅構内が、ファッション的にも感じの良い駅に様変わりしていた。下りた稲荷町の平凡な駅も同様、明るい照明と壁面が、狭い駅の模様を大胆に変えていて立派である。外国からの観光客の増大と、オリンピック、パラリンピックの開催を二年後に控え、更には景気拡大を反映して、東京の大都市の建設ラッシュが続いている仲の、時代的象徴の光景と認識している。
  
  今朝、家内が月島まで行くと云うので一緒に家を出た。地下鉄日比谷線で降りた後、地下鉄有楽町線に乗り換えるため、接道の地下道を歩いて行ったが、かなりの道のりであった。加えて階段での登り下りが多く、この駅に関する限りエスカレーターの設置に乏しい点が欠陥に思われた。浅草銀座線のように、古い路線の改修工事はかなり難点なところもあって、新たに進出する路線のように施設や設備の近代化に沿わない点は致し方がないが、比較的新しい路線にエスカレーターの設備に乏しい感をいがめない点は惜しまれてくる。家内に付き合って地下鉄日比谷線は日比谷駅で降りてしまったので、有楽町線の日比谷駅にたどり着くまでにかなりの時間を要してしまった。そのまま会社まで歩いていく羽目になって大分歩かされてしまった。東京の中心街だと云うのに、この周辺も天井から壁面にかけて工事用の覆いがかけられていて、地下道を歩くようで一帯に暗い感じがしていた。

  月島まで行くのに、以前に六本木駅で降りて大江戸線に乗り換えて行ったことがあった。これがまた難儀であった。六本木で降りたから大江戸線にるまでの道のりが長かった。しかも深海にもぐって行くような感じでエスカレーターを下って行く始末である。何となく恐怖感を抱いてしまった。六本木周辺には地下鉄線が南北線を加えると、三本の線が地下に交差していることになる。一番下を走る鉄道は、最も深い地層を、モグラが進んでいくように土を掘りだしながら工事を進めていくわけだ。地下の掘削技術が格段の進歩を遂げた結果で、地下を奥深くしかも水平に掘り進んでいくことが出来る。出水などの処理も進んで危険度はかなり軽減されてきた。しかし強度の地震があった場合には、どのような状況になるかが心配である。地下鉄線の建設は、これからも地方の都市に普及していく可能性がある。

  昔は路面電車が地上を網の目のように通っていた。面白く各線がつながっていたものだ。街なかを風を切って軽々と走っていた光景が懐かしく感じられる。ちんちんと鈴の音を鳴らしながら走っていたので、ちんちん電車と親しく呼んでいた。そのちんちん電車は自動車が走っていく時代に厄介者扱いされて、次第に街から廃線されていく運命になった。線路の間に敷き詰めてあった膨大な量の御影石も、建築材料に転用されていった。経費を賭けないために、線路の路上をそのまま埋めてしまった線もあったらしい。最近は復古調の兆しもあってか、路面電車の復活の声が上がってきているようである。世の中が落ち着いてきた証拠であり、時代の変化で、都会での車の運転が非能率的だと云うことが、徐々にわかってきたものらしい。車での都会の乗り入れは、むしろ難儀である。路面電車なら生活に直結して来るし、窓から街の景色を見ながら走っていくので、乗り物の楽しみが大いに体験できる。
小生は、中学時代は都電を使って通学していた。22番線は南千住から日本橋行きか、新橋駅行きの路線であった。この線を使って近くの聖天町から日本橋まで行く。そこで15番線に乗り換える。この線は日本橋から、若しくは深川不動前から出て、早稲田車庫前まで走っている線である。この線は大手町を通り神田、九段、飯田橋を経由して終点の早稲田車庫位前まで行っている。かなりの距離であるが、当時はこの線を利用して勉強に通っていたわけである。その後通学で利用する線は、戦後の路面電車の復旧、復活の波に乗って変わっていった。浅草橋乗り換えで早稲田まで言ったし、また厩橋から36番線に乗り換えて早稲田行きに乗っていった。通学路は次第に短縮されていった。この線は上野広小路お通り本郷三丁目、淑徳学園前を過ぎてから坂を下り大曲経由で終点の早稲田車庫前に走っていた。この線は女学生がたくさん載っていて楽しかった。淑徳学園前から下り坂を大きく曲がっていくのを、電車の運転席傍に立ってスリルを感じながら見ていたものである。よく脱線しないで降りていくなあと感心していた。

  京都や広島、富山と云った古い町並みには路面電車が人気で、今も街なかに活き活きとして走っていて人々に親しまれている。外国でもオランダのアムステルダムにはトラムと云って路面電車が有名である。小生も全線通用のチケットを買って、街中を巡って楽しんできた。ドイツのハイデルベルクでも路面電車に乗って街なかを楽しんだ。東京に再び路面電車が簡単に敷くことが出来れば、ラッキーな話である。三の輪から早稲田まで唯一、昔の都電が走っているが、この都電は街なかの裏通りを走っていたので運よく撤去されずに助かった。昔の政治家や役人は馬鹿が多かった。矢鱈に近代ぶって、路面電車や、運河を潰し、都会の景観を失って行った。昔は東京の中に幾つもの掘割とか運河に準じたものが沢山あって沢山の橋がかかっていたものである。その通り、町の名前に川や掘、橋が末尾に就く地名が沢山あった。しかしその面影もなく、今はそのほとんどが埋められたり壊されたりした。その最たる醜態が、御江戸「日本橋」である。幸い川は助かったが、日本橋を高速道路が跨いでいる。あの橋の上を22番の新橋、南千住間の都電が走っていた。あの橋を見ると、その当時の懐かしい様子がまざまざと浮かんでくる。そして広い東京で唯一残された都電、その都電が、今では人気を博して多くの人たちに愛用されていると云うことである。巣鴨の地蔵通りを通って行ったりしているので、一つの観光名所になったりしている。
  一時の懐古趣味ではないが、都電が通れば、街なかの風景も、人情も良い方向へ変わって好影響をもたらすに違いない。地下鉄が多くの地点で連結されて便利になってきて居るが、昔の都電のような安直さはない。障害物を気にする必要もなく定刻に走れる地下鉄、しかし商業的には建設費が莫大でいつ回収されるかわからない。都電はその気になれば、都会では実に効率的な運搬手段である。 逆に都市機能を活況化させるかもしれない。一部の要所に実行してみることも面白いだろう。都市の美観にもつながる可能性が大である。
 10月31日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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