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VOL.23.1.
新しき年を迎えて
元旦の空の隈なく晴れ渡り真澄の空に仰ぐ富士の嶺
一点の影なく澄みて元旦の空を仰げば希望新たに
太平の世の広がりを覚へ来て世は我がまほろばを習いゆくべし
戦争のなき世の中に我ら皆生きる権利を謳歌すべきを
争ひの耐えざる性に終始打ち太平の世を手繰り寄すかな
陽だまりに水仙の花咲きそろひ元旦の朝迎ふ我が宅
昨年の歳、大みそかの深夜に庭に出て空を仰いだら、穏やかな天地の間には、あたかも透明な精霊が舞って多くの星が濃淡の光を織り交ぜながら瞬いていた。月の影を追ってみたら、西かたの空に半月に近い影を残して金色に光っていた。全天が月と星々のまたたきによる、光の饗宴が繰り広げられていた。大自然が目に見えぬ、音にも聞けぬ息吹をして、遠大無比の生命を灯していることがわかる。悠久の力と知性の存在を感知する時、傲慢に構えている人間の存在の如何に小さく哀れなものに過ぎないかと思うのである。僅かの領土を奪うために、血生臭い殺傷を野蛮に繰り返し、数秒にも及ばない僅かな命を落とし、永遠の知性を抹消してしまう愚かな行為を繰り返している馬鹿者がいる。もったいない話である。全天には、闇の中に消すことができない星々の光が灯っている。幾億光年の、さらにもっと先の世界から放っている生命の影である。人は賢くなって、その先から来る永遠の光を求めて、もっと視野を開いていくべきである。
元旦の朝早く目覚めて東の窓を開けて空を見ると、紫紺の空の一部が藍色に染まって一線が引かれ、黎明の空の近づきを知らせていた。赤く灯り、しばらくすると金色に染まって、空には遮るものがなく、時を告げる真ん丸の朝日がそのまま昇ってくるはずである。完全な姿を見ることが、怖かった気がした。もったいない気がして、黄金の光を残しておきたかったのである。 その姿を見ることなく、私は余韻を想像の世界において再び床に入った。目覚めたときには、陽は高く昇り、障子の桟に太陽の明るい光が絡まって染みついていた。天気晴朗の元旦である。庭の縁側に立つと、庭畑の大根や小松菜の青々とした色が目に入ってきて、更には紅梅の固いつぼみが赤く灯って、鶯の声が聴けるような錯覚になったくらいである。悠久の時のあとに体験して眺めた、拙宅の見事な小宇宙である。天空の大宇宙と、拙宅の小宇宙の、一夜にしてまるで違った世界が広がっていた。
ひとり悠然と元旦の朝を過ごすべきだと合点した小生は、不遜ながら朝寝を決め込むことにしてお許しを頂き、先に家内を日曜教会に送るため玉川神の教会に車でサービスした。 清々しい朝の道行きだが、人通りはなく森閑としていた。敬虔なクリスチャンである家内は、元旦早々に礼拝に向かった。家内を送った後、小生は一階和室に居座って、のんびりと身体を休めてぼんやりと無想の念に浸っていた。今年の歳初めに願望したことは、謡曲を習ってみたいということである。鶴亀、四海波といった目出度い歌は、どんな席でも喜ばれるものだが、走入りの部分しか歌えないでいる。全体を歌うのは基礎から習得していく必要がある。
午後三時ごろ、息子の家族が来ることになっている。お年玉を用意しておかないといけない。きっと初詣に行こうというはずである。晩にはすき焼きお説料理を食べることになっている。娘の明子は年末年始をハワイで過ごしている。楽しい様子をメールでたくさん送って来てくれている。 元旦
書初め
初め書きに筆を上より書き下ろし初志貫徹を示す墨あと
一の字を直線にひき書きぞめの墨書のあとの良きや初春
元気良き若者からの賀状見て卯の飛び跳ねる年と願へり
印刷のほかに添え書きの楽しさよ家族のことも息災の報
鳩居堂より持ち帰る初め書きの用具をそろへ気構える我
己が身の思ひの丈を示さむと一気呵成に筆を下ろせり
ひと筆を和紙におろせば豪快にのびのびと染む墨のあとかな
濃淡の墨字のあとの床しさに惚れて匂ひを嗅いでみるなり
元旦の外の明かりをほのぼのと障子に灯し過ぐる午後かな 1月2日
初詣に地元の宇佐神社
元旦の日に、午後になったが目黒の花房山のマンションから息子家族が大みそかに引き続き見えて、近くの宇佐神社に初詣に行った。途中目黒の大鳥神社によって、そこでもお参りを済ませてきた由である。拙宅の近くには山王神社、等々力不動尊、九品仏浄真寺といった有名な神社仏閣が所在するが、初詣となると多くの参拝者で混雑し、参拝するにも列を作って待たねばならない。せめて雑踏を避けて清冽な気分で身を清め、心気晴朗の心境を以て新年の祈りをささげたいと思うのが人情である。宇佐神社は瀟洒な佇まいで、しかも尾山台住宅地の閑静な場に所在しているので、初詣にはうってつけの環境にあると思い、爾来、この神社を初詣に選んできている。
拙宅を出て尾山台商店街を抜けて環八通りを渡っていくと、昔、通っていたナザレン尾山台教会がある。そこの十字路を左にまがって田園調布に向かっていくと、雙葉学園の手前角に宇佐神社がある。人目に就かないくらいの閑静な住宅街の一隅に在って、瀟洒な佇まいである。通りから石段を三十段ほど登っていたところに、台地が開けて右手中央に小さな社が建っている。初詣は待つ人もなく落ち着いた気分で詣でることができた。願いごとを沢山込めて欲張ってしまうが、一言でいえば健康第一で家内安全、そして商売繁盛と月並みだが、世に出ては相変わらず生々しく、以て積極的と云うか戦闘的であり、現世的生きざまである。そしてここから遠望する景色は、絶景である。眼下には蛇行する多摩川を眺め、遠望には相模連山と箱根やまの峰々、そして白雪を頂き高くそびえる富士の霊峰を眺める景勝地である。私はこの神社と境内を斯様に説明し、親しい人たちに紹介している。
縁起の由来を見ると、宇佐神社は1600年代にさかのぼり、源頼義公が、永承六年安部一族平定のためにここ尾山の地に陣を張り勝利を誓い、そして康平五年(1063年)安部一族を平定し、凱旋したのち、ここに八幡社を建て神に勝利を報告し感謝したのが当社の起りと記してある。また境内に五世紀頃の八幡塚古墳があり様々な埋葬品や土器類が発掘されている、とのことである。 帰りには田園調布の銀杏並木を通り自由が丘に出、九品仏に立ち寄ったりして寄り道を楽しみ夕方に帰宅した。 風もなく暖かな日和を満喫し、元旦にふさわしい平和な時間を過ごすことができた。感謝である。息子家族は帰りに、家内が庭畑から引き抜いた大根を、摘み取った小松菜を、黄金の土産に持って嬉々として帰っていった。 元旦の初詣の一日を、かくのごとくして過ごしたのである。1月2日
初詣しに訪ねしは宇佐神社ひあたりの良き高台にあり
宇佐神社小さき社にいと恵み豊かに思へ愛しかりけり
此の年も心身ともに充実し思いのたけを満たし行かんと
おみくじを引き中吉にれいちゃんが笑ひてまろき顔を向けたり
元旦の空を望めば初富士の輝く果てに旨しまほろば
中一に今年成る身の孫なれど背丈の伸びて賢くも見ゆ
姉は又大学受験に没頭し医学を目指し頑張り居りぬ
明子らはハワイの地にて頼もしく過ごして居ればこれも又よし
正月の周辺散策
11時に出社して郵便物など開封、閑散としたビル内にてしばし用を足し、昼食のため外出した。淵の新春号の第239号が届いていたので、うち一冊を以て出かけた。有楽町駅前の交通会館地下一階の喫茶ロイヤルに入る。マスター並びに店員の人達と新年の挨拶を交わして、今年も世話になることを良しなに伝えた。テレビ局から賀詞交歓会に出るかと聞かれたので、出ないと伝えた。ロイヤルでは店長が、正月2日から店を開けたところ、その日の混雑ぶりにたまげましたという話を聞いて、ころなの対応の緩和でお客が戻ってきたという兆候を肌身に感じて、喜びを共にして今年の商売繁盛を願ったところである。仕事始めの日に昼食にきて良かったと思った。
長居しすぎて午後3時に店を出たあと、交通会館では、いくつかの催し会場が開かれていたので、そのうちの一つである「墨の輪五人展」なる書道展示場に入って、新春にふさわしい墨書の展示を鑑賞した。書道といっても極めて独創的な書法で、文字を絵画化して毛筆のあとを味わうといった趣向である。観る人によって書体がそれぞれに深く解釈できる感じがして興味をそそるところがあり、これなら自分でも書けると思うくらいに引き付ける深みがあった。会場では展示の準備が終わって来客を迎えるところに入ったので、縁起が良かった。目録をもらって土産にお茶のペットボトルを頂戴した。ふらっと気まぐれに入ったのに申し訳ない。
寄り道を楽しもうと思って、銀座並木通りから、大通りに出た。白いばらの跡地には大成建設が手掛けて高層ビルの躯体が出来上がっていた。大通りには結構な人出である。専ら外人観光客と思しき人達でブランド店の宝飾品などに列待ちをしている活況である。今訪日している観光客には富裕層が沢山いるようで、それに資金の円安が効いているようである。安い時には一時150をつけたりしたが、今は日銀の政策変更で円高に傾いて130円台である。銀座の和光のある交差点を渡り久しぶりに4丁目に入って、その先に行ってみようと思った。
元高島屋のあった一角には大型商業施設のビル銀座シックス、そして懐かしいサッポロ・ビアホールなど見ながら風月堂を右折して並木通りに出てみた。宝石、高級時計などの店が結構たくさん並んで出店している。あると思っていた画廊が、思ったより少ない感じである。時計商のウィンドウをのぞいてみたらローレックスが何と2500万の小札がついて居たりして、大体1200万から2500万程度のものが並んでいた。オメガも1000万前後のものが陳列していた。近ごろ時計は精巧なものが多く、しかも正確で長持ちする実用的なものと思っていたが、ここまでくると装飾品として扱われるから上限には際限なしと思った。投資用に購入する傾向にもなってきている。補足すると小生の腕時計は1万1000円である。一度も故障したことがなく、既に5年使っている。変わり者かもしれない。
古い昔のこと、並木通りの7丁目辺りにはモンテカルロがあった気がしたが、そうした豪華な店は跡形もない景色である。外人がひしめき大きな金が流れて、当時は豪奢な世の中と思いきや、今は何と寂しい限りである。当時の方が贅沢極めていたが、今は効率重視の世の中になってしまったし、男と女の区別ができなくなってしまうような頓珍漢な一面もあるから、迂闊にものが言えなくなってしまったきらいはあるだろう。情にほだされ女性に大金を使い果たす気風が無くなってしまったし、男は牙を抜かれた猪みたいなもんで器が小さくなってしまった。ただし金と物品に対する支配力は異常なくらい旺盛であり、一代で財を成すソフトバンクやSBI、ユニクロや京セラや王将などといったところから人物が出てきたりしている。日本の経済の力を示す一面である。個性的と言えば表現はスマートだが、強引さと型破りで偏屈なところがあって近づけないでいる。 1月5日
外人と思しき人のぞろぞろと行く繁華街の銀座通りを
赤信号変われば人群れのどっと寄せ蟻の穴から出てくるがごと
通勤路なれば日ごとの務めなり見慣れ飽きたるカルチェ・ティファニー
ティファニーの店のどこかと歩き見るダイアモンドを買わんとぞして
ルイヴィトンの店前に列なして客ができれば景気づけにも
旺盛な購買力もうかがえつ松屋店内を散策の日
品数の豊富な松屋地下一階食品売り場の人混みに揺れ
一階の化粧品売り場に外国の美人ぞろいに魅かれ行くなり
デパートを出で銀座大通りネオンに夕日の当たるきらめき
18歳、成人の日
今年から18 歳を迎えた若い人たちを含み、20歳を迎えている成人の日を祝う催しが各地で賑やかに開かれている。晴れ着姿の女性たちが社会に出ていく晴れの姿といってもいいだろう。男子諸君よりも、女性たちについ関心が行ってしまって、若い男子諸君にとっては割に合わないかもしれないが、ファッションを追っている割にはパッとしない感じである。流行を追い過ぎて、逆高価な感じである。昔の男子のダンデイーな姿と比べると、比較にならないセンスの野暮ったさである。特に金髪のざんばら髪に派手な服装には落ち着きがなく、社会に出ていく男子の姿としてはいただけない。風が吹けば、吹き飛ばされそうで信頼度に欠ける。初陣を飾る姿にふさわしい雰囲気が必要である。
街頭に出たテレビ局のインタビューでも、女性の方が男性諸君よりはっきりとした意見を述べて自らをしっかりと主張しているのに対し、男子諸君らは、自らの主張を明確に述べられず、自信のなさが伺えて頼りない気持ちである。20歳の男子諸君に比べて、女性の方が人間的にしっかりしているということは今に始まったことではない。昔から成熟度から女性の方が遥かに勝っていたし優れたものを持っていた。例えば20歳の女性は、30歳の男性に相当するものを本来的に備えていた。従って結婚適齢期にしても、男子と女子の年齢差はおのずと定まっていたようにも思う。
そもそも女子と男子とでは生理的、肉体的な構造が違っており、それに繋がって精神構造も違っていることは当然である。女性は肉体がしなやかであり、男は筋肉質で瞬発力がありハードだが、持続性がない。女性は脂肪質の柔軟性があってソフトであり、持久性に富んでいる。もとより女性は子供を産み、育て、守っていくという崇高な使命があって、情けない話であるが男には近づけない尊厳にふさわしい領域があることは言うまでもない。天地創造の主たる神は古くから、アダムとイヴの時代以来、男女の別を仕分けし、その特徴を遺憾なく発揮せしめることに成功している。女性の権利が男性の権利と比較して不当に抑圧されている歴史をたどってきているが、これは邪悪な悪の思想から人間が恣意的に齎していると申さねばならない。早晩改められるべきものである。
原宿や渋谷の繁華街でたむろする女性で異様な格好をして闊歩する人達がいるが、たいていは十代中ごろのミーちゃん、ハーちゃんたちで、成人式を迎えるような年齢に達すると自覚して、既に卒業している感じである。男の場合はますます低能ぶりを発揮して、20代半ばに至っても未熟児然として卒業でききないのものが多い。感情的に専ら行動し、理性の発揮するスペースに疎くなっている。自主独立できないで、そのままいつまでも幼稚性に纏われて脱却できないでいる。こうした層の人の、社会から乖離が激しくなっていくと、問題を起こす傾向がある。
繁華街の街頭で、成人式に参加した女性たちにテレビ局のマイクが向けられて、成人として今の社会に対してどういう考えを持っているかと尋ねている。男子にも尋ねているが、男子には問題意識として持っている課題が極めて幼稚なことが明々白々であり、問題にならない気がした。岸田内閣の岸田さんではないが、最近になって社会が少子化に進んでいることに危機感を持ち始めてきていることに問題意識を抱く女性が多くみられた。現実の社会に対する厳しい見方が伺えて、極めて安どの念を感じたのである。
女性の社会に対する問題意識を調査した結果を順位別に仕分けたところ、第一位に少子化問題であった。今の女性が少子化に対して極めて憂慮すべき観念を持っていること、それに最大の関心を寄せていることが分かった。第二に、金融と経済に関する問題である。極めて無関心のことかと思っていた小生が誤っていた。最近、日銀が長いことゼロ金利政策を用いてきたが、ここに来て急転直下、それを事実上撤回した政策にでい転換した。個人も企業も有利子負債が拡大して、家計を担う主婦として女性として、大きな影響を齎すこと必至と受け止めている。第三は、働き方改革である。男女雇用機会均等法の制定以来、女性に社会進出が顕著であるが、欧米先進国に比べて女性の活躍の場は、極めて遅れているし、男女との格差は広がっていて、意識は高まっていない状況である。成人式を迎えている女性から得たアンケートであるが、街頭で意識調査をした結果は、現代に日本を即座に反映して手厳しいものであって、将来の日本は幸先良い兆しと受け止めたのである。
第一の若い女性たちから深刻、且つ教訓的に指摘された、日本社会の少子化の問題である。若い人たちが子供を持つことをためらう傾向は近年、とみに多くなってきている。時代とともに変化してきた経過でもありが、女性の持つ価値観、人生感といった変化に注目する必要がある。ここで注目したいのは、主として女性の見解によるところが多いが、先の意識調査でもわかるようにそれではいけないという反面、将来子供を持つことに大きな不安を抱いていることであり、自分の人生をそれによって左右されることを忌避する意識である。
内閣府の発表によると、人口統計を取った資料から昭和の22年から24年までに起きたベビーブームの時の子供の出生数は、年間269万6、638人であったが、第二次ベビーブームの昭和48年には209万1983人にまで減少した。出生数は以来、今日まで低減傾向をたどってきている。平成29年には約94万1000人までに減少した。更に最近発表された統計によると令和4年9月までの出生数は59万9000人と推定されると、このままでいけば年間80万人を割ってしまうほどに深刻な事態であることが判明している。統計を知って慌てだしたのが岸田さんである。少子化対策に本腰を入れて臨まないと、人口減少によって国は衰退の一途をたどっていってしまうと気が付いたようである。防衛費の増額も大切だが、人口減少は動き始まるととどまるところを知らずに、若者の意識そのものまでに変えていってしまうから恐ろしい現象ととらえなくてはならない。
重大な関心を持っていながら、子供を持つことに生命の尊厳と大きな期待を持っていながら、家庭を持ち人生の奥深い意義を念頭に置きながら、不安を感じているとしたら、それは一体何かということを端的に突き詰めると、経済的要因で出産をして子供を育てていくことに対する経済的不安が主な要因と考えられる。だとしたらこうした不安の材料を取り除け、環境を確固たるものとすれば大方の女性の不安を払しょくし将来の展望が開けて、子供を持つことの幸福感を味わうことができるはずである。後の子供のことは、ことの流れに沿って幸福な家庭を経験していくことによって生活の意義を見出し、力が蓄えられ相乗効果によって社会活動に寄与すること大にして疑う余地がない。
そこで出産した場合の女性に対し、100万円の祝儀金を出さしてもらうことである。200万円でもいい。二人目には50万でも、80万でも心からのお祝いとして出させてもらうことである。知識的には門外漢ながら懐妊が確認された時点から即祝い金を渡すべきである。妊婦は安心して健康な赤ん坊を生むことができよう。財源はとやかく言わず、あとから考えるべきである。我々の社会に健全な子供が一人増えることによって、社会に与える大切な力、エネルギーの波及効果、相乗効果を考えれば、財源など吹き飛んでしまうくらいの潜在的力と、成長力を持っている。子供を100万人増やせて行けば、たかだか1兆円の予算の捻出で済む。こんなはした金は、今の日本の力からすれば朝飯前の事案である。政治家は、人口減少を嘆くのみではいけない。如何にしたら人口が増えていくか、そもそも出生率を如何にすれば高めていけるかを原始的に、素朴に考えてみることである。子供が生まれれば金が必要である。そのために出した金は以後、何十年と国家、国民のために還元されて、社会的有効需要となって拡大されるはずである。今や人口の増加が起爆剤となって、経済社会の活性化につながっていっている。社会の活性化はたちどころに実現される。
成人の日に街頭でテレビ局の取材に答えて居た若い、成人式を迎えた女性たちから得た、貴重な教訓である。岸田さんに提言したい。子供を産んで育てる目先の金さえ準備して差し上げれば、結婚を希望する人たちは増えていくし、新しいカップルの誕生につながる。カップルが出来て、子供を出産する経済的不安がなければ、若い人たちは子供たちを生むことに専念する気持ちにもなる。家庭を持つこととは先ず、将来に不安を残さぬためにも子供を作ることである。子供が出来れば、親父になった男は懸命になって働くだろう。
昔、我が恩師である高等学院の遠藤嘉徳先生は、「人間は、結婚して半人前、子供ができて一人前」 と常々そのように申しておられた。一人前となった男は、社会に出て初めて独り立ちの責任ある人物として活躍するだろう。さすれば少しずつでも金をためて、家を造ることも考えていくはずである。すべては子供たちのためにである。子供たちの出世にまで思いを燃やし、働く気概にもなって来るはずである。万葉歌人の大伴家持の歌にもあるように、 「白金も黄金も玉も如何にせん勝れる宝、子に然かめやも」 である。岸田さん!若い人たちにやる気を!そして将来の、子供たちの働きを想定して、「お祝い金100万」と云わず、200万円のお祝い金を出さしていただく、ただしこれは、女性に対してのみである。議論するより先、出産大賑わいの請け合いは間違いない。この種の大判振る舞いには、誰も文句のつけようがないはずだ。
1月11日
新しき所帯を持てる動機ともなる百万円の出産祝ひ
不安なく子供を持てる動機にもつながる祝儀の百万円也
子を持ちて一人前の人となり世に旅立ちの跳躍を踏まん
支援金ではなく祝儀の金として妊婦にこれを手渡すの是や
新しき子は新しき力なり国の栄へのしるべなりけり
産声を上げる命の新しく聞く太平の世こそ春なれ 1月12日
ウクライナ戦火の激化に
中国も今になってか慌てだす人口減少の深刻なさま
コロナ禍に死亡6万人と判明す死者ゼロからの突拍子な数
ゼロコロナ政策の失政に大転換中国当局の険し結末
習近平側近に経済通の役者なく権威主義のみ傾斜せる末
コロナ禍に経済低迷の鮮明に中国経済の先を憂へり
ウクライナ戦争に向くプーチンに異論を述べる可能の中国
狂暴に反省のなきプーチンのウクライナ戦況の先を憂へり
ミサイルをあまた打ち込む住宅地死臭の多数の死者に
壊滅の廃墟の街に顔を出す地下壕のからの女子どもら
空腹の老婆が一匹の猫を抱きよれよれと行く廃墟の街を
硝煙の中を戦車が疾走すキーウ郊外の荒れ果てた街
漆黒の空に大きな化け物の容顔見ればプーチンの影
何ものかと見ればミサイルの空を飛ぶ巨大な影に怯ゆ市民ら
夕暮れの空にクジラの影かともロシアが放つミサイルのあと
ミサイルの巨大な影が映る間に空に噴き上ぐ赤き火柱
ウクライナ全土を爆撃破壊すと馬鹿なプーチンが軍の幹部に
ワグネルが凶悪犯を狩り集め用兵士に使ふロシア戦法
刑務所の凶悪犯を登用すロシア兵士のウクライナ戦地に
無差別に老若男女を殺戮す罪は地獄に堕ちるプーチン
勇気ある政治家なれば行動を起こさむ臨機応変の術
木更津 行
木更津市の郊外の県道沿いに、僅かばかりの土地を所有して二十年がたつ。雑木と竹林の共生する野趣に富んだ平坦の山林である。雑木は太い幹に育って、見るからに巨木といっていいものが何本も植わっている。千坪ほどの土地で、隣の大岩さんが管理してきてくれた。毎年春になると竹の子がいっぱい出て来て、近所でも有名になっている。それもそのはず近所の人たちが、取り放題にとって持ち帰っていっても何にも文句を言わないからである。ちょうど近所に山菜取りの場所があるようなものである。だから自由でいいのである。野趣に富んだ竹の子は、自然薯と一緒で自然の味を存分に生かしているから、柔らかさと甘みは食べてみて絶品である。近所の人達も自ずから自制して、食べる分だけとっていくようである。それ以上はとったりしていかないから不思議である。だから自然の摂理で、最盛期にでも食べるだけしかとらないから、取る方からすれば食べる量だけしか生えないということで、何時行っても生えており、何時行っても取ってこれるのである。
春になると家族そろって、時には友達も連れて行って竹の子狩りを楽しんでくるので、皆が春になると木更津に行こうと言い出すのである。そのころになるとお隣の大岩さんから電話が入って、筍が出てきているから取りに来てくださいと優しい連絡が入るのである。好きだからといって、旨いからといって、竹の子を何本もとってみたところで、そうは食べられるものではない。最初の頃は欲張って何本もの竹の子を取れるだけ、車に詰めるだけとってきたが、食べきれずに近所の人達にも分けて差し上げたりしたが、近所の人たちにとってもそうも沢山食べられるものではない。多すぎて処理しきれずに、うんざりして無駄にしてしまったこともあったりした。子供たちや孫たちや友達たちも、筍を掘る楽しさも味わったりして、木更津の土地はみんなの良い思い出になっている。
先に申した通り、友人から買った土地だが、あれから随分年月が経過した。大岩さんはいろいろな知識があって山の管理を一手に引き受けてきてもらい、台風などが来たりすると多くの老木が倒れたりして近所に被害をもたらしても困るので、結構難儀していたらしい。近所からの懸念があったりすると何本かの老木を切ってくれたりしていたが、今回も何本か切る必要があるといわれ、この際きれいさっぱりと樹木を切り倒し、売却も含め土地の有効活用を図ろうかと決心して、子供たちには木更津の竹の子狩りはもう出来なくなるかも知れないとあらかじめ話していたところである。大岩さんに相談して、地元で信用のある土木業者を紹介してもらう決心をした。千坪の土地に鬱蒼と茂った樹木の伐採、伐根、整地となると結構な費用が掛かることは致し方ない。特に老木は根が深く張っており、又孟宗竹の根は辺りに周辺に強く根を張っている。昔から地震が来たら竹やぶに逃げろといったものである。
工事契約をして着工してもらって以来一年三ヶ月が過ぎた。大型の起重機が入って現場は慌ただしくなったが、急ぐ理由もなかったので工事屋さんに一切を任せて信用し、現場に視察しに行くこともしなかった。途中の進捗状況については逐次写真で状況を知らせてくれていた。今回は先に述べたように、ほぼ工事が完了したことを確認し、最終決済をする必要げあってのことである。愛車のBMWを運転してほぼ二年ぶりかに行く木更津までの道行きである。アクアラインに入れば、ほぼ一直線に云ってしまう単純なコースである。しかもスピード感を満喫しながらのドライブ気分である。いつも避暑がてらに、箱根の富士ビューマンションに行くのとさして変わらないコースである。アクアラインに無事に入れば難儀は不要である。
家内の見送りを受けて家を出発、途中自由が丘に出て土産物を懐い、環八に出て羽田方向に車を飛ばす。途中の田園調布に差し掛かると左手に三菱建設が手掛けて大きなマンションが建ってしまったが、元はと言えば、一代で財を築いた桂川精螺の社長、石井義昌さんが自慢していた屋敷跡である。昭和経済会の理事を務めてもらって居たりした。ねじの製作ではネジの塑性加工を技術の中心にして世界一を豪語し、株式は門外不出を旨として借金はゼロという立派な会社の創立者であり現役の社長でもあった。石井さんは斯様にして、小生が尊敬する偉人の一人であった。箱根湯本のホテル天成園での夏季講習の親睦会にも講師として来ていただいたりした。晩年はがんに侵され病床に伏されたが、日ごろ12時を過ぎると度々電話がかかってきて個人的に、無念の心中を語られるのであった。その都度、奮起を促し再起を信じていたが、剛健な精神も天命に従わざるを得なかったのである。1983年のことである。顧みて残念な気持ちでいっぱいである。昔のこと、広大な屋敷のあった前を通る時は、必ず手を合わせて魂の安らかなことを祈って過ぎていくのである。今日は、その環八通りを抜けて走り第一京浜に出る。第一京浜を川崎に、多摩川を渡る。しばらく行った先を左折すると、川崎大師を過ぎ、扇島の工場地帯を抜けていく。重化学工業の日本の国力を象徴する膨大な工場地地である。見慣れぬ無機質の空間を通り過ぎていく感じで、まさに異次元の世界である。身体の血管の流れを停止し、温かみ、柔らかみを失った岩盤の中の延長とも思われた。鉄塔と電線の張り巡らした広大な工場地帯はには、人影もない。息苦しさを身に覚え車のハンドルが硬直してくる。車を開ければ、アンモンニャの匂いとco2NOのわずかな流れを感知して煙突から出る白い煙が無闇に不気味である。工場を囲む鉄柵からは、ヘルメットをかぶった人らしき物体が見えるが、もしかしたら宇宙人かも知れない。巨大なタンクを巻いて昇る階段は上から下る感じで冷たさが噴き出てくる。一瞬鉄柱の碍子が、白く閃光を放った。心臓が瞬間の衝撃に止まりそうになって、車のアクセルを深く踏んだ。スピードを上げた車は無機質の世界を疾走して突き抜けて、アクアラインの巨大なトンネルの中に吸い込まれるように突入していった。息が止まらない間でよかった。
東京湾海底トンネルを斯くまでに仕上げる人の業にたまげり
人間の成せる業とも思へかしアクアラインの海底深く
扇島化学工場の一帯を埋め尽くしたる鉄骨の街
鉄柱と碍子と電線の交差せる感情抜きの間隙を貫く
明治よりこの一帯を開発す百五十年余の歴史留めて
日本の産業基盤の役果たし興業立国の栄えとはなる
広大な工業地帯の拡張に電柱・煙突の地帯今にも
さび付いた赤き鉄板に囲まれし工場閉鎖の倒産のあとも
幅広き道路に面し白き塀花王せっけんの工場のあと
木更津の土地の整地の完了す足掛け二年と長き時経て
天然の森に生えたる竹の子の勇ましければ歯ごたえもあり
掘り起こす竹の子なれば初々し青きしるしの芽の地に出して
足元をずらし竹の子に触れとき産声を聞く微かなる音
ほかの株見なくても良し帝国の株価の動き新しき先
帝国の株価久しく奔騰に息吹き返す命新たに
積年の期待今しも露はなり新リーダーの理念示して
新しき酒は新しき革袋にぞ入れてこそ旨し味かな
リダーに就き四、五年は経過しぬ宿命を負ひ蓋しその道
信念の古きを尋ね新しきを知る術のリーダーに有り
リーダーの人柄に触れこの日まで株主となり支援して来ぬ
出生の地に人なりの及ぼさる生まれ育ちの良きやふるさと
之もまた付き合いなりぬ人生の優良株主に訳は知らずも
付き合いて惚れたる社長の人柄に欲得なしの澄める秋空
一献を傾け合いひて人生の奥義に触れし時もしばしば
見回せば我よりもみな若きひと力あふれて若やぎにけり
われもまた皆の気分に同調し同化し飲めば皆のレベルに
芸術は爆発と云う岡本の至言に倣ひ歌を詠みけり
ドイツの高性能戦車
膠着状態にある攻守のウクライナ戦場に、ドイツの高性能の戦車レオパレス2が登場することになって、戦況の展開は嵐の前の静けさに備え、内心は喧々諤々の様相である。EU諸国には既にこの種の戦車が2000台配置されているというから、EU各国が所有する台数の一割を提供すれば200台以上になって、対ロシアとの地上戦に於いてウクライナ軍は相当の戦力アップにつながっていくだろう。そもそもこの戦争はロシアのプーチンの誤算から始まったもので、短期決戦で決着がつくと思われていたが、ウクライナの予期せぬ抵抗にあって、プーチンの思惑は外れてしまった。今のこの時期にあからさまに他国の領土に侵入して領土拡張を成果に掲げる馬鹿がいることに世界は驚いたし、結果、世界の良識を敵に回したプーチンは、自ら自滅の道を転がり始めて居たのである。裸の王様を演じてしまった。あまつさえ自国の兵士の多くを正義なき戦場の戦いで喪失し、多くの物財を喪失した結果はロシア国民にとって許しがたいものである。今頃になって虚偽の宣伝戦に振り回されていた実情を把握してきた国民には、憤懣が爆発寸前である。
ロシアンっプーチンにとって、対ウクライナ戦は新興企業のオルガヒと、民間軍事会社のワグネルの腕にかかっているというしかない。両方ともグレーゾーンの活躍を通して生きのびている集団である。質が極めて低く、暗躍を旨としているから永続性がない。プーチンと、その政権は共にこうした二つの集団を相互に操りながら、その性格を以て暗躍してきているとみていいだろう。文豪のドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」的な、独特の陰湿な社会の裏面をなぞったようなものに感じてくる。現代に登場する人物は、プーチンそのものの風貌と性格者である。
ここでワグネルとはどんな実態の組織なのか、検証してみたい。ロシアの民間軍事会社とされる「ワグナー・グループ」は、ロシア政府の傭兵として、親ロシア派の武装勢力と共に戦うことの多い準軍事組織だとされている。名前の由来は、アドルフ・ヒトラーが好んだ作曲家「ワグナー(ワグネル)」だとしている。構成員、即ち社員は5000人ほどで、そのうち戦闘員は2000人ほどと言われている。実際には数万人もの雇用兵を抱いている。裏を返せば悪質な潜在的な犯罪集団である。プーチン大統領と親しい人物が経営しているとされており、「ロシア軍が公式に介入しない場合に派遣される軍隊」と見られているが、実戦に駆り出されているのが現状である。
そして今回のウクライナへの侵攻では当初、ゼレンスキー大統領の暗殺部隊として派遣されたが、いまだに実行しえないでいる。大統領の警護が厳しく犯しがたい固い警備に実行できないでいる。
ただし、ワグネルはゼレンスキー大統領に対して何度も暗殺を試みているとのことである。
ロシアの正規の兵士は表に出ないものも含めると膨大な犠牲者と傷病兵とで、戦場での兵士不足に追い込まれており、ワグネルの暗躍する領域は政府の正規の軍隊を凌ぐ力をつけてきており、軍部内部の勢力紛争にも及ぼしかねない要素となっている。プーチンの要請で兵力増強を図るため徴兵制度を試みているが、国民の反対運動にも発展して、なかなか思うようにならない。そこでワグネルからの補給を求めているが、囚人に恩赦を与え兵士に採用するという荒っぽい手法を試みている。手に追えぬ狂暴、凶悪犯罪者が、より優遇される。ワグネルだからこそ取りうる手段である。ただし訓練無しの未熟な兵士ばかりで、戦場では役立たずの場合が多いとされている。窮鼠猫を噛むではないが、追い詰められたプーチンの断末魔の気がしてならないが、それが平和への道筋になろうとは、身から出た錆で如何ともしがたい仕儀ではある。 1月26日
豊田章男社長の引退
トヨタ自動車の豊田社長が社長職を退くことが明らかになった。リーマン直後のトヨタ自動車が販売激減で4000億からの赤字を出すに至って急遽、創業者の系譜にある豊田章夫さんが社長職に就任し業績の立て直しを図ることになった。爾来今日にまで14年余の間、身を削る努力の結果、世界のトヨタに復帰させた。EV自動車の開発と普及の時代に突入して、業界は熾烈を極める競争時代に突入しているが、66歳のご自身は新しき時代に応えるには限界の身と弁じ、知力、体力、情熱の欠如を挙げて、新しい感覚を持った若手に地位を譲るという決断をした。筋の通った話ではあるが、66歳の脂ののった人間的魅力は唯益々弁ずの感なきしにもあらず。余力充分にして、引退は惜しい限りである。
世間では辣腕家を以て経営に任じている兵、別名に強者が多くいる。身体健康にして年齢を感じさせないで社会に貢献している、表現を誤れば叱責を受けかねない、即ち現職に就く老兵である。この老兵も日々鍛錬を通じ自己研鑽に勤め、若者に負けない功績をあげて且つ、若者の目標とされるほどに活躍している、見事な御仁である。老害どころではない、老益である。思うことは誰しも同じで、老人にはなりたくない。何を以て老人と称するか、年齢も一つの尺度であるが、それだけではない。年を重ねて失うものに、確かに体力、気力の減退が挙げられる。同時に目的を失ったりすることが一番大きいかもしれない。目的を失ってしまうと、おのずから気概も無くなってきてしまう。気分とか、神経は、大脳から発して体全体の神経細胞に及んでいく。
身体全体の神経細胞は、即、体力に還元される要素を持っている。しかも、最大の要素といっていい。気の持ちようだとよく言われる言葉である。基本は、若々しい精神状態であることが肝要である。そうした環境造りが決め手になるかも知れない。ということは、事業者はあくまで事業者として追及の手を緩めないことである。気負うわけではないが、現職を維持することは喜びに繋がってくる。喜びはヴェートーベンの歓喜につながってくる。人生の肯定派である。永遠の命と、輝きである。そこには老害もなければ後退もない。
自重すべきは年寄りの冷や水だが、反面、年寄りの蓬莱ということもあって、 「60,70は鼻たれ小僧、90になってお迎え来たら100迄待てとと追い返えせ」といった豪壮な台詞がある。もう20年まえあたりに聞いた話であるが、昔の人は食べるものは質素だが心身ともに溌溂として吹くラッパも違っていたように思う。 1月27日 1月27日
いずくにか旅に出でむと山路行く鄙路の里に煙立つ見ゆ
雲間より月の光のまろやかに差して更け行くいかるがの里
那波旅に疲れし身をば古き湯に沈めて憩ふ今宵月の夜
春日野に降る白雪の穏やかに過ぐる夕べとなりにけるかも
懐かしき友を偲びつ旅にある日のいずくにか遠くなりけり
刈り終えし田舎の畑の遠目見るお寺の塔の春がすみかな
春かすむ夕時近きふるさとの寺に囃子の音の聞こえ来
わらべ歌聞くたびに思ふ幼児の愛しく通う学び舎の道
雪積むる痛き学び舎の道を行く腹空かす身の辛く堪えり
千波湖を過ぐる列車の水戸近く避難に逃げし洞穴のあり
雨あられとも落ちて来る焼夷弾の間を走りゆく命からがら
アメリカの敵機B29の編隊に太刀打ちできぬ我が航空隊は
火の海と化す街なかを手をつなぎ千波湖に向け走るはらから
火の海の中をば無事に逃げ切りぬ我が一族の神のご加護に 1月31日
社団法人 昭和経済会
理事長