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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.05

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            情熱の高等学院時代

万人に共通する事柄であるが、勉学、学習の青春時代を多情多感の赴くままに過ごしてきた思い出は、人それぞれに感懐を以て想起されてくる。それが現在の自分に大いに刺激となって触発され、人生を更に積極的に生きて行こうと考えるきっかけを作ることは大いにありうることである。こうした契機を企業経営に積極的に援用していくことは、時代の苦難を克服し、開けた展望を図る上で極めて有効なことが分かる。
   そうした傾向を追い求めて 最近、 夢を大きく膨らませてくれた 学院時代と大学時代に、限りない憧憬を寄せている小生である。ロマンローランのジャンクリストフのたぎる青春時代に立ち返って、激動の世界を渡り歩いてみたいと思うこと頻りである。しかし周りを見回してみてもその頃の人物は殆どいないし、仲間がいたとしても風采はもとより,気迫が全く変わってしまって相手にならない場合が多い。人生の舞台装置を新しく変えることができれば,主役は同じであっても多少の良好な効果を以て、人生の舞台を演じることができるかもしれない。舞台装置を変える技術は、自分自身にかかっているので、心身の冷静な準備と判断が必要である。実現の可能性は何とも言えないが、私のジャンクリストフの舞台は、歴史をたどるとすれば高等学院時代からである。
   勉学の恩恵に浴して尊敬してやまぬ先生方の多くが、残念ながら既に鬼籍に入られている。一抹の寂寥感を覚えてやまない昨今である。近況を述べるとすれば、ありがたいことに大学で財政学の教授に授かった平田寛一郎先生、学院でドイツ語の教授に浴した高木實先生のお二人は健在である。多忙に事寄せ普段、疎遠の限りを尽くしていることを恐縮している。平田寛一郎先生は大学でゼミを履修した時の担当教授であったが、ヒックスの財政政策を中心に勉学し、有益な時間を持つことができた。卒業後も親しくコンタクトを続け意気投合して旅行にも出かけたりした。平田ゼミのOB界である平田会の会長を仰せつかり大きな組織となって今に至っている。ただし最近は平田会の総会を開かずに来ているが、機会を見計らっているところである。
   親しくお世話になってきた大学の大内義一先生は五年前に九十九歳で他界された。昭和経済会の月刊誌、昭和経済の巻頭随筆を三十年間にわたって書き続けてこられた。青春の気概を以て若々しく執筆してきた先生であるが、それをまとめた大内義一随筆集は九巻に及び、その麗筆は世に送られている。大内先生とは千葉の内房の大貫の別荘から釣り船を出して、海釣りに出かけたりした思い出がある。先生の叔父にあたる経済学者の大内兵衛の大内コーナーに倣って、大内義一コーナーを設けて恩に報いたいと思っていたが果たせなかった。残念である。
    学院時代に英語と英文学の教授を賜った遠藤嘉徳先生は俳句の大家である。二年間小生のクラスの担任を勤められた。先生とは卒業以来文通が絶えなかったが、特に先生が主宰していた句会の木太刀は名門であり、そこでたくさんの名句を発表し、又後輩の指導に当たってこられた。句集が発刊されるたびに小冊子を送ってきてくださっていた。途中から昭和経済の昭経俳壇の選者になっていただき亡くなられるまで約十年間にわたり懇切なご指導を願った。二年前黄泉につかれた。享年九十四歳であった。英文学者でありながら、一生を俳句の句作に喜びを持ち、俳句の世界を極めていきながら一生を全うされた。学者として教育者として、俳句の大家として尊敬してやまない恩師である。
     私はまた短歌の同人誌に誘われて「淵」に二十年前に入会したが、その創刊者で主宰者の植田重雄先生は、学院時代の教師であったが授業を受けたことはなかったものの、同期のクラス会に呼ばれて昵懇を深めた。短歌で交流は一層深まっていったが、八年前に八十四歳で亡くなられた。会津八一の愛弟子であり、会津八一研究の第一人者である。哲学者として著名な学者であり、幾多の著書も頂いている。現在の淵は私が引き継いで十年近くになるが、植田先生の遺志を継ぎ、会津八一の古典的歌風と調べを後世にさらに広めていきたいと思っている。
    ハイデッカー研究で、実存哲学で教えを乞うた川原栄峰先生の思い出も熱いものがある。第二語学の授業を最初に受けた時の印象が強烈であった。それ故にドイツ語に多大の興味を以て勉強した。デカルトのわれ思う故に我ありの言葉は余りにも有名だが、これを最初にドイツ語で覚えた。おかげでドイツ語部に入部し、三年生の時には幹事長に就き、部員を百名以上に増やしたくらいであった。おこがましいが、ドイツ語で共産党宣言を教材として使ったのも私である。哲学者、樫山欽四郎の子弟に当たるが、青は藍より出でて藍よりも青しで、川原先生は優れた学者であり、人間的にも優れた教育者で畏敬の念を禁じえなかったのであった。ニイチェ研究の大家であった。 
    竹野長次院長は日本文学史の研究者であり、古典についての造詣は右に出る学者はいなかった。院長の書かれた日本文学史概論は格調高く、これを教材にして日本文学を論じたのは長老の都筑省吾先生であった。寡黙な先生にはおのずと威厳があって、授業には生徒はみな静粛に聞き入っていた。独特な書体を以て黒板に文字を書いていかれたが、歌人であり「槻の木」を主宰されていて、ご自宅に招かれたこともあり、帰りに先生の歌集「入日」にサインをして贈ってくださった。文芸論を講じていた浅見淵先生と同様、講議の内容は高尚なものであった。浅見先生とは学習もさることながら、修学旅行に佐渡にご一緒して一緒に記念撮影をした写真がある。北海道の修学旅行に詠んだ私の短歌を万葉調で味わいがあるねと評してくださったことがある。斯様に先生方の面影は枚挙にいとまなく、近くを思い起こすだけでも思い出はつきない。大学に及んでは更に感慨深いものがあって、書いているとあとからあとから話題が浮かんできて尽きないのである。
    学園を卒業し、学校と実質縁を切って私は実業の社会に出たにもかかわらず、むしろ先生方との交流がより深まっていくといったケースはあまり見かけないと思う。自慢してはいけないが、私ほど学園の多くの先生方と昵懇の中になってお付き合いをさせていただき、しばしば今の自分を振り返ってみて、懐旧の情に浸り、なお感謝して懐かしく思い起こすことができるのを、神様の恵みと導きだと思っている。その裏返しで、寂寥感も無常感も身に覚えることは避けがたい.。そうした先生が亡くなって自分から遠く手の届かないところに行ってしまったことは動かしがたい現実だが、それをまともとして考えずに、ものは考えようで、若いころの先生方はいまだ健在で身近におられると思っていれば、気持ちも平穏に収まってくるものである。かくしていつまでも青春の気でありたいものと念じている。年賀状を初めとして時候の挨拶など慌てて手紙で書いたりしないように注意さえすればいい。 うっかろ出したりすると家族の人も知っているだけに、誤解をされても困ってしまうからである。こうしたことは別に先生に限ったことはない。友人を初めとして沢山いるはずである。惜しむあまり名簿から消さずに身近なものとして置いておくと、亡くなったことを本当に忘れて連絡を取ったりすることだって無きにしも非ずである。そんなつもりではないと、状況を否定しにかかったりしている。


      武蔵野の常盤の森の中に建つ母校学院の誉れ高きに
素晴らしき施設をそなふ学院の学徒ら道に学ぶすがたも
      校庭をめぐりて立てる大けやき目にもあざけく若葉もゆる日
      建学の精神にたち実学を得て世にのぞむ若き学徒ら
      マルクスの思想に憑かれ活動し姿くらます友の在りけり
      音信の絶えて十年いづくにか若き力を燃やす友あり
資本論抱える友に遭遇す戦後間もなき朽ちる校舎に
      バラックの木造校舎に学ぶ日の教えを思ひ進む今なり
      門に入りうっそうと立つ大けやき並木をくぐり至る学び舎
      新しき土地に移りて学び舎の栄えのあとを知るもいみじく
      懐かしき遠藤、本間、都筑師ら思い出ふかき学び舎の森
博識と情義の教師ら多くいて人格形成に及ぶ大なり
      哲学を学ぶ樫山教授より受講者二人に深淵の時
      若きより気概の在りし友なれば天衣無縫に振る舞ふもよし
      歩むたび三十八歳と云い聞かせわれは勇みて胸を張りゆく
      東大の講師を務む藤田師にドイツ哲学を学ぶ夕べに
      大井氏に逢えて恩師らの古き日の姿いみじく語りあへしは
      教え乞うふ恩師のすがた偲ばせる学び舎のみち今に続けり
      久々にあふ友垣に過ぎ去りし面影あるもかすかなりしに
      乾杯の音頭をとりて立つわれに亡き恩師らも並び立つらし
 豪快に杯をかかげて乾杯すOB諸君の健康を期し
武蔵野の林のなかの学び舎を巡りてそよぐ初夏の風かな
      石神井てふ鄙地をえらぶ学び舎の教師ら高き理想かざして     
      早大のキャンパスに建つ学院を出でし我らが仰ぐ老侯
      余が学ぶ竹野長次院長に日本文学史概論を以て
      夕映えの教室に樫山欽四郎哲学序説の著書をひろげつ
厳かな趣きに建つ講堂をじっと見つめる大隈老侯
      名を記し一枚の葉を老侯の花のかしらにそっと置くわれ
      愚者もいて賢者もおりて学園の人さまざま道に就くよし
      仰ぎ見る大隈老侯の銅像の久遠の理想をかかぐ面差し
   
                                          5月1日



浅草三社祭り

     風かほる皐月に三社祭り来てはなやぎ過ぎぬふるさとの街

     夏を告ぐ三社祭りに若衆の二の宮担ぐ力まされり

     とび職と思へる人の花棒を粋にかつぎて足をふむよし

     六区より五重の塔の脇にたつスカイツリーの空に伸ぶ見ゆ

     澄みわたる皐月の空に浅草の祭りの幟立ちて夏来ぬ

   夏を告げる浅草の三社祭がやってきました。私は17日の土曜日、事務所に出社して客人と要談した後、久々に浅草に行ってみようと思い立ち,夕方の5時にオフィスを出ました。くまなく晴れ渡った五月の空は、絶好の祭り日和で、氏子の下町全体が祭り気分で沸き立っていることでしょう。京橋から地下鉄銀座線に乗っていくと十五分で浅草駅に尽きます。上野広小路あたりから車内は祭りを楽しみに行く人たちでざわつき始めてきます。稲荷町あたりからは神輿を担ぐはっぴ姿の若者たちが乗り合わせてきて、祭り気分は自然と伝わってきました。地下鉄を下りて人混みの中を雷門出口に出てみると、猛烈な人込みで前に進めない状態です。こうした光景は隅田川の花火大会と同じです。お祭り騒ぎの現場なので当然のことですが、景気の盛り上がりを感じて、街なかは活気にあふれています。天ぷらの三定の前を通り過ぎ、雷門の前に出ました。立ち止まって、ここから仲見世通りをはるかに見通した時の、正面に遠く見える観音様の、金竜山浅草寺の大屋根のいらかがいぶし銀の光を放っていました。左右に雷神、風神がいかめしく立つ、その雷門をくぐり賑やかな仲見世に入っていきました。仲見世を入るとすぐの右手に、幼馴染ではないのですが、高等学院時代のクラスメイトが店を出して商いをしています。代々続いているので、家業を継いだ「T?K」と云う小間物屋です。お母さんが色白で丸顔の美人で、お店を仕切ってやっていました。友人は、大学在学中は雄弁会に入ってかなり活躍していて、お袋さんに似て色白で、体の小さい割には演説をしたりするときはライオンが吠えるような声を出していました。当時の弁論の内容からすると、先ずは地元の発展を期して台東区長から都知事になって、末は総理大臣を目指しているような感じを受けていましたが、人間の一生は何とも測りがたいものです。鳥小屋のような店を張って小物ものを売って生計を立てており、今日はおそらく年寄り衆として静かに、仲見世商店街の裏方を務めているに違いありません。
   人混みをぬって先を担いでいく町内の奉納神輿のあとをつけていきましたが、群衆の中に見た法被姿の粋な女性に色気を感じ、一緒に肩を入れて神輿を担ぎたいと云う思いにかられました。年甲斐もなくと自嘲気味ですが、気合の入れ方は決して若者には負けません。昔とった杵づかで、神輿担ぎの雰囲気に馴染んで、ひたすらあとをつけて行ったところ、いつの間にか壮麗な宝蔵門のところまで来てしまいました。「獅子舞のあとに従ふ童かな」 とは恩師の遠藤蘆穂先生の一句ですが、ふとそんな情景を思い出しました。獅子舞も、神輿も、限りなく童心を呼び起こして、心は無垢に過ぎて楽しいものです。            

    宝蔵門を出たところから正面観音堂に向かって延々と続く行列は、開帳されている観音様を拝顔するために列を作って待ち時間をいとわず並んでいる参詣者です。 この境内で真夏に開かれる「ほおずき市」は、別名四万六千日と云うほどに、この日に参詣すると四万六千回お参りしたことになると云われています。無精者に限って欲張って一攫千金とはいかないまでも、労せず大金を手にしようとする魂胆なのでしょう。それと同じかもしれません。霊験あらたかなご本尊を拝んで、たんまりと御利益を頂戴していこうという算段なのでしょう。大小に限らず、お願い事を神仏に明かしてお願いするのも、傲慢のうちに限りを知り尽くした人間の本性として憎めないものがあります。不束な小生は賽銭銀貨を手にしたまま行列に驚き、隣の浅草三社の大権現様に向かいました。
鳥居をくぐると真正面に朱塗りの本殿を拝することができます。ところがここでも鳥居をくぐったところから、参詣客が百メートルほどの列を作って待っています。何と忍に耐えた信心深い人たちでしょうか。祭りにきて先を急ぐとは何と無粋なことだと思いながら、浅草神社の脇にある仮小屋を見たら周りを葭簀に囲まれて、そこには三基の宮神輿の一の宮、二の宮、三の宮の豪華絢爛の神輿が鎮座ましましているではありませんか。細工は繊細、優美に彫刻され、金箔に貼られて装飾された神輿は、それ自体が高尚を極めた工芸品であります。宮神輿の豪壮な思いの余り、近くで見ない限り決して気づくものではありませんが、日光東照宮の華麗な極彩色の陽明門を以て、舎利殿をそのまま小さくして花棒にのせた感じです。三社祭は、この三基の宮神輿が、早朝のお祓いを受けて浅草神社を宮出しと称して豪快に担ぎ出されてから一日中、各町内の氏子たちの肩に渡されて担がれていきます。そして夕方から夜にかけて宮入と称して竿灯に照らされながらいとも華麗にお宮に帰ってきます。実は、早朝からの宮出しと、夜の宮入りで、三社祭は最高潮を迎えます。
   今ここに奉納されている.三基の宮神輿は、いわば三社祭の主役であります。この境内で重さ一屯の神輿が大勢の猛者たちに肩を入れられて、もみくちゃにされながら境内を出ることが出来ず苦労するのです。境内は騒然として熱気にあふれ、三基の神輿がもみ合うなか、豪気な若衆の掛け声が雷神、風神の雄叫びと合わせ雷雲のように境内に渦巻いて唸りを挙げています。大勢の担ぎ手が神輿に肩を入れて波打つさまは、勇壮な男意気を示し、まるで玄界灘の荒波のような、怒涛を思わせてきます。更にはこれを取り巻く大観衆の輪が左右前後にうごめいて、担ぎ手と観衆の気合が一致して、正に火を噴いて爆発した桜島と云っても過言ではありません。金竜山浅草寺の巨大に反りあがった朱の屋根を背に、三つの宮神輿が華麗に担がれて、やがてゆっくりと浅草神社の鳥居をくぐって出陣していく光景は、小さいころからの強烈な印象で、いまだに消えることなく現実のものとなって跳ね返ってきます。明日のそんな光景を描きながら、私は三基の神輿が置かれた舞台を眺め、ここでお賽銭を挙げることにしました。一之宮、二之宮、三之宮の大きな神輿をしみじみと鑑賞して、早くも豪快華麗な神輿担ぎの心境に遊ぶ思いでした。

       角刈りの鳶の親父が花棒を粋に担ぎてはしゃぎ行くなり

       若衆の担ぐ神輿に魂ふりの激しく振れば利やく多しも

       お神輿を祓いひ清めておごそかにみ霊をおさめ担ぎ行くなり

       浅草の三社祭に参詣の列の社殿に長く続けり

着物着る乙女がふたり鳥居前たたづみおれば艶めきにけり

       狛犬の遠きに見ればめんこいに近くに寄ればいかめしく居る

       花棒を担ぐ旦那が威勢よく雄叫びあげて仲見世をゆく

若武者の声勇ましくお神輿をかつぎ魂揺れに乗りていくなり

       魂揺れに乗り担ぎ手の勇み立ち我が二の宮の街を巡りく

       あさくさの三社祭の人波に我ももまれて良きやふるさと
      
       浅草のみやちに祀る宮みこし三基ならびて華やぎにけり

       風かほる五月に三社祭り来てはなやぎ過ぎぬ浅草の街

       境内にたてば朱色の観音堂おおき甍のさざなみにけり

       朱に染まる五重塔にいぶし銀スカイツリーのひかる夕陽に

       下町を渡る三基の宮みこし三社祭りに夏はきにけり

 5月17日  続


エッチ氏の投資戦術 ( 平和な資本主義国家)


     アベノミクスの経済財政政策がここにきて小康状態なので、それに敏感な証券市場も動きずらい局面にきている。ニューヨーク株式市場が相変わらず堅調な動きをして力強く史上最高値に挑戦しつつあることは、本欄で以前から繰り返し詳説しているいように、ここ数年、アメリカ経済が仔細な政策と相まってダイナミックな新時代を見越しつつあることの証左である。ニューヨーク市場が、昨今の世界各地で起きている不穏且つ不安定な政治情勢をみながらも、たとえばテロの発生や暴動、政変や、領土問題で国同士の衝突など緊張する事件の発生にもかかわらず、堅調な上昇傾向が続いていることが心強いが、こうした傾向は経済が政治に勝る事案として喜ばしいことである。ここまで株価水準を上げてきたアメリカ経済は、仮に何かが起きたにしても「官民天晴れ」と、称賛を送って惜しみないものがある。ちなみに東京株式市場は過去バブル期に付けたとは云え高値の38,915円を奪還できずにいるどころか、25,000円もの下値で、14,700円台をうろちょろしている始末である。政権交代を果たして一年六か月経つが、アベノミクスで奇跡的に浮上した東京市場である。
    堅調を続けるニューヨーク市場を受けて日本も現在、中国、韓国との関係がぎくしゃくして先鋭化する中、不穏な様相を呈することなく経済優先に推移して、国内の企業業績が顕著に上向いてきているので、好循環過程に入れば、懸念されるアベノミクスの第三の矢が弓を離れて、快調な滑り出しを期待することもあながち無理な話ではなくなってきた。企業家の間でも次第に現実の話として確信に満ちたものとなってくれば、積極的な投資に向けて動き出すはずである。政治家は心して「経済は政治に勝る」と云う原則を以て、政権運営に臨むべきである。アベノミクスの成功の成否は、株価水準の上昇の成否にかかっているといっても過言ではないがゆえに、我々もダイナミックな株式市場の動きを大いに期待しているところである。そして平和と経済は表裏の関係にあって、力学的にも相互依存関係にあると認識すべきである。
    つい最近までは、日銀による大胆な量的金融緩和政策が功を奏し、加えて内需拡大の財政出動も八分通り行われ、待つばかりの第三の矢である成長戦略が、弓から離れないままに模索中であったが、企業の半数が増配、復配に踏み切ってくる情勢にかんがみ、これが株式配当の向上と相まって、家計に及ぼす影響は大きいものがある。加えて賃金も若干ながら上向き、ボーナスの支給も増額傾向にあるので、家計を潤わして消費を刺激し、有効需要の増大につながっていき、消費税の値上げも次第に吸収されていく感じである。第三の矢の目的は、日本経済がデフレ状況から完全に脱却して、世界経済の構造的枠組みに在って、継続的指導力を発揮していく基礎を築く大事な戦略的政策である。従って証券市場のもっと勢いをつけた展開が望まれるし、その期待を裏付けるのが成長戦略の行方にかかったきている。この行方がはっきりしないので、今までは株式もこの先行方がはっきりせずにもたついてきているが、早晩安定した上昇機運に入っていくものと思われる。こうした中での違和感のある話が随所に出てきているが、例外的なものとして扱ってみたいと思っていることがある。株式の新規上場の中で、久しぶりに重量感を感じて株価の動きをじっくりと眺めてきたのが、西武コーポレーションである。売り出し募集価格1600円で妥当な水準であったが、過熱せずに穏健に1600円で初値を付けて始まった。その後堅調な動きをしながら最近2000円台に乗せた株価は実に魅力的であった。さすがに健全で、王者の貫録である。
     最近、聡明なエッチ氏が気づいたことは、部分的かもしれないが証券市場の不健全な状況である。こんな状態だと世界市場を目指す東京株式市場の信頼性を損ねるのではないかと、H氏はしきりに憂えているのである。最近、大型の新規上場を目指す会社が増えてきている。先に挙げた西武もそうであるが、証券会社から盛んに新規上場会社の株式の募集の勧誘が入って、募集に応じたほうが得策であると訴えてきている。上場する前に募集価格に参加して、上場した時には人気が先行して募集価格より高い値段で寄り付くのが常識であるから、投資家はその話に乗って購入するのである。証券会社にしても、特に幹事会社としては銘柄の推薦に当たり、顧客サービスの一環として投資対象として、優良会社としての推薦を当然行っているわけである。投資家は証券会社に払う手数料もないし、初値は何パーセントか高い値段で始まると期待するのが当然である。だからこそ幹事証券会社が自信を以て上場を進め、事業会社が自信を以て社会的認知を受けたいと大衆から資金を集めるわけであるから、会社の存在価値を貨幣的価値を以て、社会的信用を得なければならないはずである。同時に事業会社は、それによって莫大な資金を手中に収めることになる。   
     一例をあげてみると、最近の新規上場会社のマーケットの状況は極めて不自然であり、且つ不健全であり、投資家を結果的に裏切る場合が多い。これでは新しい市場の開拓は実現に程遠いものとなってしまう。ちなみに、最近上場した日本ディスプレイと云う資本金968億円の会社があった。中小型液晶ディスプレイの製造で日立、東芝、ソニーが事業統合して作ったもので出資割合は残りの70パーセントを産業革新機構が出資している。 国が関与し、有名な一流会社が名前を連ねている。売り出し募集価格は900円であった。最近はどこの証券会社でも、大卒の女性社員の登用で活気があり、特に営業に配属されているケースが多い。男性と違ってやんわりとソフトムードの営業で殿方の投資意欲をそそっていることはいいのだが、厳しい訓練に不足がちで物足りないところもあって、顧客としても閉口することがある。 厳しい相場の世界だからしっかりとした基本的な教育が必要なのに、それがないまま営業の実践に出されるわけであろう。若い営業レデイーを前面に出して、こうした弊害は得てして顧客の泣き寝入りになることがある。そして男性は管理職として専ら奥に収まっているケースが多い。 女性登用も、女性の地位向上をめざし、自意識の高い環境を作っていかなければ、折角の機運を損ないかねない。
余談になって仕舞ったが、資産株として女性営業レディーが投資に奨めた優良会社が、期待した立会日に、初値750円で初めから公募価格を二割近くも割って150円安であった。鳴物入りで、900万を投資した投資家は上場初日にあっけなく150万円を損したことになる。それ以降株価は戻す気配なく、つるべ落としで下がりっぱなしである。加えて、その後に決算発表になったが来期の予想が減益、下方修正ときたからひとたまりもない。安値更新で499 円まで下がってしまった。今日現在340円安の560円である。短期間に4割と云う損失に、しかも鳴り物入りで新規公開した株だけに、エッチ氏は不審の念を強くし、これは証券市場を悪用して、事業会社と証券会社が仕組んだ新しい経済犯罪行為であると息巻いている。女性に甘く親切なエッチ氏は怒り心頭であるが、若くて可愛いい女性営業マンに愚痴をこぼすわけにもいかず、ひたすら忍の一字に耐えている。冗談まじりに株主代表訴訟を提起してみてもいいくらいであると、自問自答している。女性営業マンがこんなことで落胆し、社会に対して不信の念を抱くようになってはと、正義感の強いエッチ氏は考えて深刻な心境のようである。これが大した会社でなければエッチ氏もそんなに怒りを覚えないだろうが、日本を代表する企業と、国が関与している企業だけに、納得できない心境のようである。エッチ氏だけでなく、多くの投資家が初めから思わぬ大損失を被っていることになっている。確かに実情を知ってみると、エッチ氏の言い分に共感を覚えるのである。
    もう一つの実例を挙げてみたい。新技術を売り物に、将来性が大きく評価される会社の新規上場である。ベンチャー企業の新規上場である。将来性を買っていくだけにリスクも多い。売り出し価格1800円、上場日の初値が2230円で立派であったし、その三日後に2460円の高値をつけた。しかしその後は惨々たるもので、ベンチャー企業であるという特殊な性格を持つことに投資家は戸惑ったきらいがある。何かのきっかけで株価は、急な坂道を転がり始めたように転がって急落した。不安は不安を呼んで、株価は気が狂ったようになって下げ止まらない。株式を以て喜んだのもつかの間、エッチ氏は内心穏やかでない。将来性を煽ったわけではないが大手証券会社に申し込んだ株式は3000株だったが、僅か100株しか割り当てが来なかったほどの人気ぶりであったが、今やその面影はない。今にして思えば100株しか割り当てが来なかったことが幸いであった。二か月足らずにたった520円まで瞬間下がったのである。何と株価は5分の一にまで急落した。人の思惑とは恐ろしいものである。エッチ氏は、100株しか割り当てがなかったことを神に感謝したのである。ところが不思議なもので潰れてしまう会社なら仕方がないが、そうでないのなら、二カ月前、1800円の順番待ちの割り当て株を、今なら割り当ててもらわなくとも600円そこそこで幾らでも買えるはずなのに、人間とは何と不思議な欲張りな生き物なのだろう、何とエッチ氏はこんな安い値段でも買えないでいるのである。エッチ氏はそうした自分自身について、気の毒に嘆くことしきりなのである。それにしても1800円が配給制で奪い合いみたいだったのが二か月後の今、まだ三分の一のコストで買うことができるとは、資本主義の社会は矛盾だらけだが、欲の突っ張った人間にとって面白い社会であることは疑う余地がない。しかし云えることは一獲千金を夢見る亡者は有象無象だが、実現できた人は稀であり、ほとんどいないに等しいということである。これもまた面白い真実で、人間の思惟と欲望は正しく、又これほど当てにならないものはない。
冥想して博打性を取り戻したエッチ氏は、人間的品性を捨てて620円あたりで思い切って買って出た。この品性を捨てた行動が現在のところ当たっているかに見えるという。結果は天のみぞ知るの心境だそうだ。 ここ数日、自己自身の内部に、欲望をむき出しにしたエッチ氏だが、下劣にして最も忌むべき博性と、獣性をあらわに出してマーケットに挑んだのである。しかし間もなく自分自身を取り戻し、品格こそ人間にとって最も重要な要素であると反省して、修行の道に戻ったそうである。上品を装い、虫も殺さぬ顔をしながら善良な投資家を欺く日本ディスプレイの社長さんたちの品の低さは最早言わずもがなである。日本を代表する企業のトップの人たちが合法的とはいえ莫大な資金を吸い上げていくような、略奪に等しいようなことをして、悪いお手本はオレおれ詐欺にも等しく、 これではみんなに対する示しがつかなくなってきて道義的責任を問われても致し方ないだろう。略奪行為と云えば、一橋大学の山内学長はこの前の講演会で、経済行為の初期の段階では、略奪行為が経済的活動の一つであるとモンテスキューの学説を紐解きながら申していたが、事はこれほど金融経済が発達した中での現象だとすると考えてしまう。こうした風潮が蔓延していくようだと、内外に対する影響も大きく看過できないことであって、誰かが勇気を以て指摘して再発防止に努めてほしいものである。市場の信認を得るためにもお互いにそうした認識が必要である。相場の世界だから上げ下げは当然なことながら、あまりにも露骨だとマイナス面が大きすぎる。新規上場を果たした株には、これにかかわって儲けた投資家もいれば一方、逆に大損をした投資家もいて、世は様ざまだが、しかし時代に乗った気鋭の会社は、業績の回復を以て吹き返すことがあるので、会社の実態を良く理解して根気よく待つことは株式投資の鉄則かもしれないし、自己責任でもある。。
時代の潮流から外れて旧泰然とした企業は、保全の身に意を注ぎ、縮小均衡に甘んじて、概して没落していく運命にある。シュンペーターの創造的破壊ではないが、常に新しい視点に立って競争に打ち勝ち、時代的要請にかなった企業活動を演じて利潤の蓄積を図っていくことが大事である。そのための資本調達を健全、円滑であるべきの株式市場だが、資本主義の発展過程で、株式市場ほど目まぐるしく変遷の歴史を踏んできた事例はないだろう。資本蓄積の手法は、過去の教訓にならっていくだけでは駄目だということ、事業家も、投資家も、過去の経験則が確実でない理由がそこにある。資本主義の中身が変わってきたこと、資本主義の制度が社会の発展とともに変わってきて、証券取引そのものが大きく変わってきたことを篤と理解することが必要である。そうでないと大やけどをすることがあるということを、極端な株価の推移を見ても分かるのではないだろうか。
   エッチ氏の述懐はまだ途中だが、大観して云い得ることは、 日本は自由で平和な資本主義国家であり、これは世界に冠たるもので、エッチ氏は、株式投資でなかなか満足のできる結果は手にできないながらも、株式投資を以て日本経済に前向きに参画していることを誇りに思っている由である。 5月26日 続く


    

2014.05.01

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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