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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.18.12

G20の開催と保護主義旋風

   米中の貿易摩擦が熾烈を極める中で開催された、G20である。成り行きが注目されたが、米中が火花を散らすことは回避できた。会議の趣旨、目的から逸脱し、多国間交渉など目もくれない会議であった。国際会議と云うのは名目だけで、会議が専ら二国間の会談に終始し、アメリカを巡る貿易交渉が焦点であって、その他はその間隙をぬって漁夫の利を得ようとする姑息な連中ばかりと思われた。G20の将来的発展と存在意義が問われる結果となった。ゆゆしき問題である。

   アメリカは中国に対する追加関税を先送りする形で、貿易戦争の一休止を図った形である。そして予定していた対中国制裁関税の措置を当面見送り、90日を期限に焦眉の知的財産権の侵害に対する対抗措置の発動を予定して、追加措置を決めると云う、発動を一時的に見送ると云う妥協案で矛を収めた。中国はその間、大豆などの農産物の輸入を図ると云った措置を提供したもようである。結果は薄氷を踏む思いの合意内容である。

   会議の要である大切な「反保護主義」の文言すら織り込めぬ体面を汚すものとなった。こんなG20ならやらなくても良かったかもしれないが、この機会を利用して米中首脳の両者が会談するきっかけも作れたわけで良しとしなければなるまい。要は、関係各国が集まって話し合いの時間を持つことが肝心なことかもしれない。昔なら即、ドンパチの銃砲を放つ戦争になっているだろうし、帝国主義的侵略戦争が公然と開始されているに違いない。国際間の結束の緩急はあっても、結束する糸目がついていれば、そうした事態は回避できるわけである。トランプの過激な行動に対し、受け身に立つ中国の自制が功を奏して会議の混乱を招かずに済んだ。中国も時間稼ぎで次の妥協点を探る事だろう。今回は、かろうじて開催国の議長が宣言文を発表して閉幕することが出来た。APECの二の舞いを演じずに済んだ。

   ところでG20が開かれたのは、12月1日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスである。因縁とはいえ、そもそも膨大な債務国であり破たん寸前の、アルゼンチンで開かれた国際会議の舞台である。会議の運営すら危ぶまれていたがゆえに、世界の首脳たちが良くぞ集まったものだと思っている。日本の安倍さんはもちろんトランプ、習近平、マクロン、メルケル、プーチンらの出席は無論であった。特に前向きに目立った成果は、日米に加えてインドとの三か国連携の動きであった。南太平洋に進出を企てる中国をけん制する意図がある。軍事拠点化を図る中国の行動については、多くの懸念を孕んでいる。
   来年の議長国を務めるのは日本である。開催して、日本への橋渡しが出来ただけでもいいと云わねばならない。自由で公正な世界経済の枠組みを標榜する日本にとって、いわば試金石ともなる重要な地ならしである。トランプの暴走はまだまだ続くことだし、少しでもそうした影響を蒙ることがないよう、このところの日本の役割が必要だし、世界の各国がそれを希望しているところである。先刻開かれたアジア太平洋経済協力会議、APECでは、米中の意見対立で首脳宣言すら出せない醜態を演じてしまった。この轍は何とでも避けたいところであった。

   G20が結成されたのは2008年である。リーマン破綻の結果、世界を襲った金融危機に対処するため、日米欧を始めとして中国などの新興国が力を合わせ、結束して解決に乗り出すために作られたものである。国際協調とグローバリズムにのっとって、世界経済の均衡と貿易の自由を求めたものであった。今回、皮肉にもそうした思潮を無視した保護主義的の台頭と、関税の引き上げを武器にした貿易戦争のさなかに開く、未経験の国際会議となった。しかも貿易戦争の当事国は、世界経済をけん引していくはずの二大経済大国の、米国と中国である。トランプ大統領の出現によって強烈な保護貿易を掲げる経済、貿易政策によって中国との間で熾烈な関税の引き上げの合戦の応酬が続いているさなかである。世界経済の減速が予測され始めている。そのつけは当然のことながら、アメリカ経済に暗い影を残していく要因である。世界の各国があらぬ悪影響をきたしている現状である。

   当事国の米、中の国内経済にも既に大きな影響をそれぞれに及ぼしつつある。目前の利益に目を奪われている欲張りり爺、もうろく爺と思って諦めていたが、最近になってようやくそうした国内の事態に気が付き始めた様である。しかし貿易戦争は、米中の間だけにとどまらず、大きく世界に影響を持ち続けていくに違いない。以前にも述べたように、企業は自己防衛を以て身構えていく必要が続いている。アメリカは、放った矢が自分に返ってきた次第を尊国に受けとめるまでには、もっと自国の傷に気づく時間が必要となるかもしれない。アメリカに今静かに迫ってきているものがある。
憂慮するのは最近続ける乱高下と、ここ四、五日のニューヨーク株式市場の急落である。世界経済の将来的な不穏な兆候と、アメリカ経済の跳ね返りを意味して心配である。おごり高ぶる、保護主義的な動向に対する警鐘と受け止めるべきだ。知、情、意に豊かに配慮する日本の、一段の勇気と努力が世界に試されるであろう。アメリカが良識を取り戻し、中国があらぬ野望を抱かなくなるまでに。そして美しい自由の女神が慨嘆、激高し、自壊しないように気を付けてもらいたいものだ。     続  12月4日


朋友、高木新二郎君

朋友の高木新二郎君は急性心不全である日、突然にこの世を去った。それについて彼からも話はなかったし、こちらからも話す機会がなかった。中学時代から今日まで何十年と連れ添ってきた友達である。何か一言ぐらい言い残して行ってもいいのではないかと、例えば、さよなら位と、思うくらいに不思議な思いに漬かっている。近頃になって彼の死ということに就いてようやく分かってきたようになった。自分自身を説得し、納得させるのにかなりの時間と云い訳を要したことになる。実のところ、彼とは話が通じなくなってしまったし、立ち話はおろか相談すらできなくなってしまったと、しかもこれから先いちどたりとも、そうした現実はかなえられなくなってしまったということである。何とも云いようのない現実である。
   くどいようだが、今となっては彼の存在は無であり、空であり、そう思うと余りにもむなしい心情がこみあげてきて、何とも言いようのない虚無感に苛まれてくる。彼の存在がそのようになって仕舞ったことは、僕と彼との関係も同じように途切れてしまったことになる。朦朧としたもので、この感情は幸いにも、不思議なくらい静寂に包まれている。しかも透明な思惟の世界である。

   中学を一緒に卒業して、彼は高等学院に入学した直後から空白時代が生じたが、それは十五年の長きに及ぶものであって、まさに謎の生活であった。曖昧とは云わないが彼なりに努力して、信念をもやし続けた期間であったに違いない。最近では冗談を交えながら人前で、ある程度までは謎の部分を語るようになってきた。小生には、核心部分について話していたことではある。三十歳になって弁護士の資格を得、弁護士を以て生計をたててきた。その十五年の空白を埋めるかのように、小生は付き合いながら、高木と、旧友の内山君らの三人は機会を捕まえては一心同体になって遊びこけたものであった。長じるにおよび弁護士として、金の儲かる民事専門の大型倒産事件にかかわるようになって名声を博するに至った。その後、努力研鑽が功を奏して、弁護士任官の第一号として東京地裁の判事になった。山形地方裁判所長官に赴任し、新潟のそれも務めてから東京高裁の判事になった。
   独学の彼の、学者としての実力もあったと大いに評価している。アメリカで名誉あるトリプルアイ賞を受賞した記念として、東大の中にある民事紛争処理解決研究所の中に、高木新二郎賞が設けられた。朋友の江崎一郎君がいたが、浪人中の高木の面倒を見てやってきたと、まことしやかに述べていたが、まんざら嘘でもない。気性の優しい友達の一人であったが、大言壮語の際立つものがあった。高木によると、世話になったことは事実のようだ。但し、話の十分の一ぐらいに聞いて置けば間違いないだろうとさえ言っていたから面白い。その江崎とも親友であったが、十年前に急逝した。彼が云うには、高木のとったトリプルアイ賞は、ノーベル賞級の権威のあるものだと、自分のことのように自慢していた。
   高木君はもとより基金の提供をしたが、小生も彼を支援して基金の一部を拠出した。学者、判事、弁護士や学徒諸君に懸賞論文の賞金を与えるものである。最初の授与式には、会場の如水館に誘われていった。百人ほどの人たちが参加していたが、彼は錚々たる学者たちが一堂に会しているよと云った具合であった。彼自身は法学博士の称号をもらっているが、東大とか中央大学ではなく、教授を務めていた獨協大学からであった。もとより東京大学や中央大学から称号を得た内容以上に、彼の実社会での功績を見れば、これを凌駕するものだと思っている。トリプルアイ高木賞は、法曹界において優秀な研究の論文を発表して、その成果をもとに立派な諸君たちを世に送り出す手助けである。この意義ある行事は、これからも延々と続いて行ってもらいたいと思っている。

高裁判事を退官後は、バブル期に発生した不良債権処理を目的に作られた産業再生機構の理事長を務め、その大役も見事に果し終えてた。その後、野村証券の顧問を務めたりしたあと、二年前から専らフリーの立場で公共性の高い仕事をしていた。そうした時に突然襲った病魔である。あっという間に黄泉に旅立って行ってしまった。 こうしてみると彼の一生は文字通り孤軍奮闘、無から有と云うべく、その間立派な業績を沢山残して行ったがゆえに、諸行無情の思いが一層悲愴感を以て身に迫ってくるのである。      12月5日

ひきがえる

   拙宅の庭に蟇蛙が住みついたのは、いつの頃だったかはっきりした記憶がないが、家を普請した時以来と思っている。というのも、この周辺は昔から農家を経営する人が大方で、未だに昔からの雰囲気がたっぷり残っていて、のどかな生活を味わってきていることは幸せである。その余韻が静かで素晴らしく情緒に富んでいるので、田舎に住んでいるような気分である。ひき蛙が住んでいるのも田舎生活の余韻が温存されている証拠である。ある日ある時、裏の小池さん宅で納屋を改築する工事があったが、その時、大きな庭石の上にひきが一匹あぐらをかいて目をきょろきょろさせていた。土の中で眠っていたひきが、驚いて飛び起きて出てきて仕舞ったのだろう。工事をしている人工はひきには気を留めず、無愛想にしていたから、早晩、ひきが傷を負っては可愛想に思ったので、そっとひきを掴んで茗荷の生えている土の中に埋めてやった。安心して、きっと眠りに就けただろう。庭にひきが出て来るときには申し合わせたように時間が一緒だから面白い。家族、親せき、仲間かも知れない。それぞれ楽しそうに夜を過ごしているから、なるべく音をたてないようにしている。

   ひきも周辺の住宅開発の影響で、樹林や草地の破壊が進んで住みづらくなってきているのは確かである。昔に比べると、大きな屋敷や農地がどんどん消滅してきている。相続が発生したりすると、そうした土地の処分が加速されるのはやむを得ない。しかし、都市の環境面からすると、もう少し行政が関与して、土地の自然確保と、保存方法を考えていく時期に来てる。山に蛍がいなくなってきてしまったように、都会でも日常親しくしていた生き物が絶えて行ってしまうことは、何とも侘しい気がして切る。いっそのこと、田舎に居を構えて来たいと思うくらいである。拙宅では、僅かばかりの畑を庭に作って耕しているが、ひきは、そこの主人を見守って住みついていることに違いない。ひきもわが家の住人である。今年になって寂しく思っていたひきが、束の間の温かい雨、風に何を間違えたのか、ひきが寝ぼけた顔で庭に出てきていた。いっときながら、愛嬌のある仕草を、いとおしく眺めていた。    12月初め

いづこにてこの拙宅の庭うちに住みて居はせし蟇の若殿

ひとり身の蟇殿なればうやうやし扱ひ候趣きに在り

台風の雨激しくも打ち叩く庭の芝生の中に坐す蟇

刈り終えて雨打ちたたく庭芝に出たち蟇の気持ち良さそな

蟇のつら真面目に見えて坐りける広き芝生の青きまなかに

めづらしく主役の蟇のいでまして庭のまなかにあぐらかきをり

この年に始めてお目に掛かりたる蟇殿若君なれば構へり

台風の二十四号の荒れまくる夜に蟇殿のまかり出でます

あたゝかき南の風と雨に触れのっそり出でます蟇の若君

親しげに我に向ひて出で候蟇にて在れば出迎へにけり

何気なく慎ましくある蟇殿に久しく挨拶致し候

若君に南より吹く台風の雨にてあればしきり浴びをり

大型の台風二十四号を案じて蟇の罷り出でます

拙宅の庭に住みつき事あらば太刀もち出でる蟇にて候

げに惜しきあらしのあとに五つ六つ落ちたる次郎柿のまろき実

雨風の激しさに負け地に落ちる大きなまろき柿の実あはれ

ひとゝきの姿を見せし蟇なれば今宵いずこに隠れ候

あたゝかき南の風の雨なれば好みて出でしいとし蟇かな

ダニエルが遊びに来たるその昔、十匹程の蟇が住みをり

雨ごとにあまたの蟇がまかり出て並び揃えばさしもにぎはし

ひき二匹住みて主にことあらばいざ鎌倉に飛び跳ねて候

宅庭にひきの一座が住みつきて月夜に出でて揃い踏みせり

牡丹の華やぎ咲きてわら傘に身構へをるはひきの君かな

頼もしく立ち舞ふあとと思へかし納得を得てあぐらかく君

かみなりを太鼓とつつみに仕立て飛ぶひきの一座の楽しかりけり

夕立のあとの雫に濡れているひきの一座が月に遊ぶ夜


日本が温暖な気象に恵まれ四季の移り変わりを満喫できるのも、太平洋上を流れる黒潮の影響によるものである。南方洋上で発生した潮流はそのまま温かい温度を保って栄養たっぷりなプランクトンを運んでくる。これを追って大型の魚の大軍が日本近海にわんさとやってくる。又、日本近海で多くの魚介類が生息し育まれていく。銚子沖で大きく蛇行していく黒潮は、地球を反転してアメリカ大陸沿岸に沿って赤道直下に又繋がっていく。
  一方、カムチャッカ半島をめぐって発生した親潮は千島列島沖を流れて北海道北部を蛇行しながら、日本列島の沖合まで進んできて、合流する。豊かな海の恵みは、こうして大きな海流の進む中に雄大な自然資源を載せて、地球を育んでいた暮れる。有難い自然の哲理と恵みである。こうした綺麗な自然の流れに、人間の文明が残した老廃物を乗せて流すようなことがあってはならない。近年、快ryyに乗って岸に上げられるプラスチックの膨大な量が各地に見つかっている。中にはこうした廃棄物が微細に刻まれて細分化し、海中に漂って、多くの魚がえさと一諸に呑みこんでいると云うショッキングな報告が国際調査の観点から確認されている。ただならぬ汚染の実態が把握されている。海中に漂う巨大な量の微粒子は目にも見えないまま、結果、魚を常食とする人体に影響を及ぼしてくる。まかり間違えば、空中に散布されている毒ガスと一緒である。プラスチック製品の廃棄物処理は、人類にとって将来に対する警鐘である。

      黒潮、親潮  生きている海

太平洋海原に二大潮流のうねりてうまし大和まほろば

南より発つ黒潮と北に発つ親潮の会ふ海原近し

黒潮と親潮の二大潮流の我がまほろばを支ふ海ばら

岬より眺むる二大潮流の海は息して生きて居るなり

地球上大気の如く海流も地球を巡り動き居るなり

南北をつなぐ親潮くろしほの海の豊かな幸を運び来

海洋国日本の名高き水産業いにしえに継ぐ歴史見るかな

知床の岬に立ちて国後の影に広ごる海の幸かな

知床の羅臼こんぶの海底に繁る宝庫のたぐひなきかな

親潮に乗り来るさんまの大群に湧き立つ北の魚場のみなとよ

親潮に群れなし寄せる大群のさんまの影に揺るる海かな

親潮の流れに置きし定置網中に銀鱗の鮭の群れなり

親潮の迂回に育つ北海の羅臼の海に帰る鮭かな

透明の海流太く北海の岬を巡り親潮のかげ

親潮も黒潮も又両極に日本のヘリを流れゆくなり

遠き島より流れ来る椰子の実の黒潮に乗り長き旅なり

名も知らぬ遠き島よりたどり着く椰子の実の歌遥か聞こえ来

藤村の椰子の実のうた懐かしく歌えば子供の頃を思ひぬ

海底はあまた類ひの生き物の生息の場と思ひ知るなり

この国の海の紹介にまかり出る宇宙飛行士の毛利氏が何故

宇宙より海底にこそ謎多く興味津々と語る毛利氏

知床の海を遡上の鮭の群れ銀鱗光る河の高潮

知床の岬近くを迂回して鮭の銀鱗眺む漁師らよ

日本の太平洋の海底は海流ゆえに育つ森林

南方の海原に発つ黒潮の太き潮流は銚子沖へと

大陸の河川の土砂を遮断する役を演じる黒潮の帯

黒潮は幅百キロに六キロの深さの規模で海原を行く

黒潮の大河に沿ひて広々と育つ珊瑚の美しき群れ

黒潮の波頭高き海原の満月の影ゆらぐなべてに

小夜中のしじまに浮かぶ満月の海のもに照りきらめき放つ

もくもくと沈黙のあと黒潮の大河の如く行く月の下

さまざまに泳ぐ魚の群れに酔ひ竜宮へとゆく海亀につき

悠然としなやかに行く海亀のサンゴの森を幻のごと

絢爛の色彩豊かなサンゴ礁その上を行く海亀の影

竜宮の絵本をめくり海亀の背にのり花の園を行くかなり

海底の大きな森を大らかに豊かに守る黒潮の帯


    人間は生きて居る間は誰しも、豊かな生活をして喜びを満喫していたいと思うのはごく自然なことである。いわんや、自分の生活が、巨大な国家と云う化け物の犠牲になって仕舞うほど不幸なことはない。昔は個人が、国家と云う化け物によって過酷な生活を強いられ、挙句にはその犠牲になることが多かった。
   社会人としては、努力切磋していくと同時に、競争原理が働いて他人との競争に勝つためにいろいろな手段を用いて世の中にのぞんでいくことが常態化してしまっている。物財を支配するために人と争い、国同士が争うこともある。国同士が争うと、話し合いが出来なくなると戦争になる。昔はそうした戦争によって、尊い命が簡単に失われていったのである。今でもレベルの低い地域や国では、戦火を交えて、その裏でおびただしい人間の命が犠牲になっている。自分に置き換えてみたら、想像できない危機的な環境であり、雰囲気である。    続


人は皆生れし時より死ぬるとき定まり居れば止むを得ざるに

生きる間も定まり居れば自由自在身を尽くしてや悔いなきあらむ

死ぬるとき若し知りたれば人は皆生き行く術もなく死に至りけり

死ぬるとき知らぬがゆえに人は皆はげみて勤め果し行くべし

不如帰浪子が嘆く人は何故死ぬのでしょうとさもありぬべし

人は皆おのれながらに生くべしと思ひつ先を進み行くなり

悠久の星の大河を仰ぎみてわれが心も限りなく在り

我が思惟の及ぶ宇宙のその先の間に立つ神に我は逢ふとも

賢人の色即是空とのたまひぬ神ものたまふあからさまにも

ゴーンさんが再び再逮捕

   あの精力的に活動してきた日産のゴーンさんが、こんな惨憺たる始末になるとは思っていなかった。しかし彼自身は、自分が何をしてきているか、十分に知っていたはずである。十分に認識していていながら、もはや悪しき呪縛から抜け切れない状況に陥ってしまっていたのである。人間の悪しき性とでもいうしかない。拘置所にいるゴーンさんに同情しながらも、日産のゴーン容疑者の取り調べに対して、日本の検察もしっかりとした姿勢で頼もしく感じてくる。世界が仕向ける日本の検察批判を向こうに回し、毅然とした姿勢である。又、東京地検特捜部は、被告の拘留延長の申請を却下する裁判所に対し、別件で再々逮捕という手段に出た。検察側が、揺るぎない、余程の確証を掴んでいる自信の現れである。保釈が近しと云う状況であったが、今日の意表を突いた検察側のゴーン容疑者の再々逮捕の発表が、年末の巷を駆け巡って行った。

   三回目となる今回の逮捕の容疑は、私的損失を日産に転嫁したと云う、特別背任の容疑である。一回目と二回目は、ゴーン容疑者が、有価証券報告書に九十一億円の役員報酬を過少申告したと云う容疑である。これは金融商品取引法違反の疑いである。ゴーン容疑者については、その役員報酬があまりにも大きいことで世間の注目を浴びていたが、仕事を果敢に成していく反面、余りにも貪欲な金銭欲がたたってしまって自らの墓穴を掘ってしまったと云うものである。世間では残念ながら、時にしてありうる犯罪だが、ゴーンの場合規模があまりにも大きすぎることだ。外人のやることは凄まじい限りだが、やり口を見てきていると、弁明できないようなあくどさである。贅沢な私生活から、今は一転、一般の服役者と一緒に拘置所の三畳の寒い部屋で寝起きをして検察の厳しい取り調べを受けている。

   今回の再々逮捕でゴーンの保釈は夢に帰し、年末を過ぎて正月の十日前後に及ぶ可能性が出てきた。取り調べの動向に、世界の注目も熱を帯びてきている。激しい批判的論評を掲載する外国新聞もある。しかし日本としては、整然とした法的手続きを経て行っていることだから、日本の司法の判断に即すしかない。ゴーンの行為が法を犯した結果だと云う容疑を賭けられている以上、法的手続きを以て処していくしかないだろう。本人も早く保釈の身になって、身の潔白を晴らし、名誉回復の法廷闘争にのぞもうとしている。
続    12月21日

短歌同人誌の原稿提出期限

   年末何かと多忙に打ち過ぎ、短歌同人誌に載せる記事を書かねばならず気をもんでいたが、その気になってペンを握ったところすらすらと執筆して行けたので、一気呵成で書き終えることが出来ほっとしたところである。一昨日、自分の和歌の分だけを整えて、大木さんにメールを以て送った。編集や印刷については大木静花さんに一切をお任せしているので、爾後、安心である。あとは新年号が一月半ばごろ発刊されてくるのみである。それまでに校正のゲラ刷りが出来上がってくるので、自分だけの作品に目を通すのみである。いつも慌てて書いているので誤字の多いことが気になっているが、読者諸兄は大目に見ていてくれるので、助かっている。今回は新年号である故、主宰者としての立場もあるので、前号の各位の短歌の歌評を受け持つことになった。幹事役の渋谷さんの要望である。渋谷さんにお願いしようと思っていたが、前回も渋谷さんにお願いしてもらっているので、我儘を云うわけにもいかない。受けてはみたものの、批評がましいことはできないので、内容は専ら作品の鑑賞と云ったものになって仕舞うが、これは性格上お許し願っている。
   あと小生が受け持っている記事は、あとがきである。これは先に書いて送ってあるので、最後の短歌を送るだけであった。しかし即妙に詠んだものばかりでまとまりがなく、どれを載せていいか、要はどんな内容のものをまとめるかだけの問題である。もともと整理することが苦手なので、本来は事務員さんに頼んでやってもらいたい部分である。事務員さんは、小生の和歌を詠んで整理して活字に打っていると、楽しくてしょうがないと云ってくれている。全てあからさまにわかってしまうし、結構、事象を面白くとらえているので、打っていると楽しい時間を過ごせて、仕事をしている気になれないとも言ってくれているので、気分的に助かっている。事務員さんが文学的素養があって、教養も身に着けているからだと、高い評価をしているわけである。ということは、自分に跳ね返ってきてることだと云う都合のいい解釈にもなってくる。
   あとがきの内容については、これといった制約はないので、自由自在にエッセイ式に書くことに決めている。勿論、同人各位も大いに関心を抱く内容のあるものにと腐心しているところはあるが、肩を張らずに楽しく書いて、読んでいただくものにしようと思っている。そうした場合に、一番適宜に適ったことは、偏見を持たずにさりげなく話題を取り上げて、思いのままに書き記していくと、きわめて満足のいく作品の一つとして残る場合が多い。
   昔、早稲田の名誉教授の大内義一先生は金をもらって書いていると、読者を気遣った書き方になって仕舞うが、金をもらったりしなければ自由奔放に書ける立場に立てるわけで、それは大いに結構なことと常々云っておられた。結果と云うものは気兼ねが無くて楽だし、その分、自分に対し活き活きとした姿勢の生きた、立派な作品が書けると云ってらした。その通りである。昭和経済の巻頭随筆を二十年近く書いてきていたら、いつの間にか夢に描いていたエッセイストになりきれたと、佐々木君のおかげで、佐々木君の持っている昭和経済のメディアのおかげで毎月の巻頭随筆を書き発表することが出来たと、その結果、大内義一随筆集全十一巻を世に送り出すことが出来たという喜びと満足の成果、結果になっている。そのうちの一巻、「文学碑」 は、小生があとがきを書いており、大内先生の生い立ちと経歴も交えて紹介している。有難いことであるが、大内先生に就いては、大内先生ご自身よりも佐々木君の方が良く知っているとまで云っておられた。その文学碑は、我が昭和経済会として小生が発行したものである。
   エッセイストとしての大内教授の登場は、小生も内心は喜びと誇りりとしているところであるが、かの著名な英文学者であり、大学の名誉教授の大内義一先生を、エッセイストとして世に送り出す貢献を果たしたと云う自負心は、おこがましくもわが胸の内にある。同時に別に堅苦しく師事したわけではないが、単なる師弟関係として恩師に対するお返しをすることが出来たと云うことでもある。つまり大学を出てからの、社会での大内先生との付き合いである。先生はいつも言っていらしたが、僕とは対等の関係であり、胸襟を開き合った仲間同士だと云ってくださっていた。国家から授かる勲章も断り、十夕菜立場で一生を全うされた先生は、九十九歳の時に逝去された。健在であれば、虚心坦懐に話し合えるのに、残念である。思い出は、ぎっしりと胸に詰まっている。
   同じようなことを言ってらした、尊敬すべき人がいる。日本経済新聞社の社長を務め、同社の中興の祖と云われた萬直次さんである。萬さんはいつも「僕の友達だ」と称して、人さまには紹介してくれていた。我々夫婦の仲人でもあるが、叔父さんと呼んで親しくお付き合いしてきたが、叔母さんも一層のことそうであったが、在りし日のことを思うと、目頭が熱くなってくる。一緒に田舎暮らしをしようとまで言ってくださっていた。親父がいなかったこともあって、萬直次さんは親父のようなつもりであったし、存在であった。忘れ得ぬ思い出の人として、お二人を上げて回顧した次第である。

短歌同人誌の淵を創刊した植田重雄先生が亡くなられてから、十二年が経つ。淵を創刊した頃の意気込みは相当なものがあって、当時の先生方が多く参加して澎湃としたものがあった。植田先生は早稲田大学で、かの有名な会津八一の薫陶を受け、のちに彼の研究の第一人者として、多くの著書をのこされることになるが、学者としては奥深い宗教学者である。退任後は名誉教授の称号を受けられた。淵の創刊の折には、斯界では著名な学者であり歌人であったことから、多くの知人友人が呼びかけに賛同して創立・発刊にこぎつけたが、そのご苦労は又大変であった。その頃の苦労談を語る先生の記事をどこかで読んだことがあるが、残念ながら痕跡をとどめるものがない。
   参加した人名を見ると、小生も知る教師が数人いることから、その人たちも大学の教授として活躍した人たちだから、何かとやかましかったことが推測される面もある。ところがそうした人たちが、創刊時の志とか情熱を失ってしまい、創作が続かなくなってしまった結果を物語るケースも多いことから、勿体ない話だと思っている。短歌を詠むことの楽しさ、意義の在るところを堪能する余裕を持つことが大切である。植田先生は常々そうしたことを力説されていた。だから人々の感銘を呼ぶ作品が多く読まれてたのである。 そして及ばずながら淵は現在も、何かとあろうと思われる試練を乗り越え、根本的に感動と喜びを詠み綴って、延々と存在を続けてきているし、将来も斯くあって行ってほしいと念願、確信している。
   
   友人の一人に川口力君がいたが、五年前に亡くなってしまった。川口君が云うには、「植田先生は困惑していたよ、君が速射砲のように沢山の歌を詠んできて圧倒される思いでいるんだ」と、半ば困っているみたいだぞ、という話なのである。小生は苦笑いして、即興詩人だから仕方がないなと、返事したことがある。ところがある日の植田先生を囲む同期会のドフロ会があった席上、壇上に立った先生は 「佐々木君は既に立派な歌人で、その作品は、一つ一つが活き活きしている」 と皆の前で確認してくれたので、赤面、汗顔の至りであったが、以来何かというと和歌を詠んでくれと人に頼まれることが多くなった。 川口君は、「植田先生のお墨付きだから、将来は天下一の歌人だな」と褒めちぎってくれたが、そばにいた友人が、お前は勘が鈍いな、今が天下一の歌人だと植田先生が云ったいるんだよ、と云って持ち上げてくれた。そのお世辞をまともに受けて、修業の道を楽しく歩み続けている次第だ。人間と云うものは簡単に言えば、何か励みになる標がないと面白い生活はできないのではないか。。
   植田先生がかって新潟市の海上で、会津八一についての講演をすることがあった。その時、新潟地方裁判所の長官をしていた高木新二郎君に、時間を割いて聞きに行ってやってくれと頼んだ。「八一も知らなければ、短歌もわからない俺が聞きに行っても仕方がないだろうけど、植田先生にも会いたいから行くよ」と云ってきた。高木が聞きに来てくれたので、植田先生は大層喜んでくれたらしい。ただ我々同期の友人では、高木一人しか来ていなかったと云う寂しさであったが、その高木も、八一を知らなければ短歌も知らないと云う始末だったから、何とも、らしからぬ茶番劇みたいな結果だったらしい。教え子とも云うべき同期の仲間から、和歌を詠むのは小生ひとりだけだと云うことだから、それに応えなければいけないと云う意味のことを言っていた殊勝な奴がいて、合点している。

   小生の唯一の趣味である和歌については、詠んでいることが生きがいにもなっている。生活に欠かせないリズムである。同時に俳句も作っていて、時間がいくらあっても足りないくらいである。平時は会社の仕事も重なっているし、こちらはいつもながら金銭が絡んでいるから、息を抜くことができない。来訪者も多く、人間との付き合いの場にのぞんで気苦労も多い。そうした時の和歌のたしなみは、一服の清涼剤となって勤労意欲を沸かすものである。 一昨日も既定の仕事を上手に済ませて夕方帰社したが、息つく暇もなく、その後は又付き合いもあって「採らぬ皮算用」のうち、向島の料亭で、商談を交えた席となった次第で。 
   芸妓に促されて、座敷から見たスカイツリーが綺麗に明かりを灯して、まじかに見ることが出来た。やはり圧巻である。九時過ぎにお開きとなって、帰路は料亭差し向けのハイヤーに乗って、今や観光スポットとなっているスカイツリーのたもとの向島から、隅田川沿いにそってふるさとの浅草の街の灯を見つめながら銀座に出た。そして赤くライトアップされた東京タワーを右に大きく眺めながら首都高速に乗ってドライブを満喫、夜の大東京をあっという間に横断して、ほろ酔い気分で世田谷の等々力の自宅に帰ってきた。妻の顔を見てほっとした次第である。   続   12月22日


   

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾

VOL.18.11

今年も早や十一月に

まぎれなく霜月のあさ眺めける畑に光る初の露しも

今年も早や霜月を迎えた。霜の降りる季節を迎えたと云うことで、霜月とは、その文字のひびきから人の心まで寒々としたものに塗り替えるようでもある。一方で十一月と云えば色合い鮮やかに、行楽地はもとより、辺りの樹木を見渡せば、紅葉が真っ盛りの景色で、人の心を明るく華やいだものに塗り替えてくれる。にもかかわらず季節の移ろいは、無情にも何気なく過ぎてきてしまったような気がしないでもない。芭蕉は奥の細道の冒頭で 「月日は百代の過客にして行き交う人も旅人なり」 と慨嘆の思いを吐露している。動機は何かとあると思うが、芭蕉にしてみれば、寂寞とした無常感から抜け出そうとして、変化と動きにあふれた自然の中を旅してゆくことを思い立ったに違いない。芭蕉の旅立ちは今の季節ではなく、弥生も末の七日である。曙の空は朧々として旅立ちには絶好の日和である。旅先の不安を打ち消して、山河のふるさとを通り過ぎ、人の情けに触れながら、旅先での楽しみを夢見ての心境が先ず走る。旅支度の楽しみが膨らんでくる。

みちのくの尾花の宿に寝起きしてわらじを履きて旅に出でむや 続    11月1日

秋、そして初冬の空

秋の日の日差しのまろく身に触れて山河と野べは生きて輝く

柿の実の赤く色づき青空に影うるはしく映えにけるかな

柿の実の黒き紋様にゆたかなる甘みふくみて光るその肌

我が宅に次郎柿と富有柿立ちて豊かに実を結びけり

青空の隈なく晴れて秋の日のヴィオロンの音の身にそ響きぬ

讃美歌の二百八十四番を高らかに歌えば秋の空の澄行く

大いなる賜物を得て常日ごろ新しきこと活かし行かまし

信念と希望を抱き堂々とこの一生を貫き行かん

詩編第百章を読み喜びに満ちて全地を奮い立たさん

此の年も霜月に入り忙しなし大志を活かし少年の如

我らみな心一つに全能の神に従い力湧きゐず

秋の星きらめく宵に山の端に月あきらかに登り来るなり

おおてらのいらかの波の打ち寄せて月の光に磯ふりにけり

この寺の大きほとけは天つちにこころひらきて癒したまへり

秋の星きらめく宵に山の端に月上りくるいかるがの里

嵯峨野路の竹の林を分け入れば月の光の白く差しけり

この寺におはすほとけは天たらしすべてをみ手に治めたまへり

柿の実

  今年は柿の実が沢山なって、家内と豊作を味わっている。屋敷の庭には昔から、次朗柿と富有柿の二本が植わっている。日本とも樹齢は五十年ぐらいである。この種の柿は、普段見かけないもので、専ら自慢して物語ってきている。みのった実は大粒で申し分ない。真ん丸な実は固く締まって居て、身は飴色で霧を吹き、実に甘い。それを見事に示す黒い線の紋様が絵のように、柿の実のお尻に輪を描いていて美しい。もぎ取った実に刃を入れて、さくっと割るのも惜しいくらいである。二人とも柿が大好きなので毎日都合よくもぎ取って、新鮮な甘味を爽やかに味わっている。
  それにしてもあの黒い美しい線の紋様は、どうしてできるのか不思議である。天然のものものだからこそ、たとえようのない美しさだ。神様が作ったものでしょうと、家内が云う。彼女も柿が好きだから、この点に関しては完全に呼吸が合っている。あと三十個ぐらいは枝についている。他愛ない話だが、面白いものだし、柿をはさんで楽しいものである。秋の欠かせない、わが家の風物詩である。

おおらかに赤く色づく柿の実の美空に豊かに映える今朝かな
柿の実の熟れたる甘き実をもとめ啄みに来て騒ぐ鳥かな
歓びの声を上げつつ柿の実の甘きを知りて騒ぐ鳥かよ
                                           11月1日


茗荷

  茗荷の葉が黄色く色付いて、華やかな秋の日和を歌い上げている。今年は茗荷が沢山なって、毎朝の食卓を潤してくれた。茗荷の実が盛んにとれたあと、葉が一面に色づくころは、吹く風も遅い秋の訪れを知らせくれる。茗荷の葉の色づいたあとは、刈り取らずに暫くそのままにしておいて風情を楽しんでいる。庭の南西の隅に銀杏が植わっているが、赤く色づいた紅葉の葉が夕日に真紅に燃えている。柿の葉も紋様の柄を染め抜き始めた。庭は居ながらにして紅葉狩りうを楽しんでいる。
  
  茗荷と蕗の根は相性がいいらしい。毎年、繰り返し、繰り返し茗荷と蕗が入れ替わって育っている。面白い生きようである。茗荷が終わると、そのあとに蕗の葉が出て初冬にかけて勢いよく育ってくる。刈り終えて冬を迎えると、多少の冬眠の期間をへて、今度は寒い中から蕗の薹が顔を出してくる。春を告げる最初の芽である。何とも言えない愛おしさを感じるのである。       


頼もしく茗荷の粒の丸々と摘み取る今朝の愉快なるかな           
此の年は茗荷の豊かな収穫に妻が丹念に水を汲みたり
炎天の間にも家内が丹念に茗荷畑に水をまき居り
その甲斐があって茗荷のしほれずに勢ひ育つ炎天の日も
飴ゐろに艶めく肌の丸々と大きく堅く実を結びけり
しょぼくれて痩せ身の茗荷の店頭に並べておるも味はいがたし
実を採るに茗荷の草の幹を分け身をこごめてやあまた摘みけり
丸々と大きく育つ実を眺め良き飴いろに心ひかれり
今朝もまた籠いっぱいに実を積んで親しき友に分け与へけん
                                                11月2日


青空の隈なく晴れて秋の日のヴィオロンの音のひびき見にしむ
金襴の緞子の帯を打ち広げ佐賀の紅葉の斯くもあらんや
あでやかに燃ゆるもみじの色づきに思ふ千秋の恋心かな
嵐山より色づきて鴨川の水に浸して海に入る葉よ
おおてらを囲む紅葉の照り映えて和むほとけの安きひとみよ
秋の野をさまよふ鹿の鳴く声に我の心につのる寂しさ
大寺の屋根のいらかのさざなみに秋の日差しの温むひとととき
榛名湖の紅葉の錦照り映える岸辺に立ちて思ふひとかな

ブラジルに極右派の大統領が誕生


   資源大国のブラジルである。国民の政治意識が低いために、この国でも政治家や官僚による汚職が絶えない。経済発展の余力を十分に持っていながら、国民の教育水準が示すように、国力として活用する力に繋がっていない。経済成長はおろか、経済的不安定から抜け出せないでいる。そうした中では、得てして強権的な政治思考が醸成しやすい傾向があるのは致し方がない。御祝や腐敗を除去するには、過当的段階として、極右勢力が台頭して腐敗組織を一掃する役目を果たす時がある。今回当選した  大統領も元軍人である。政界、官界の腐敗分子を一掃して民意に応えるものと期待したい。当選の結果を得て、ブラジルのレアルも値上がりしているし、株価も堅調に反発している。持続性を持っていけば、民意も安定してきて、外国企業の進出も円滑に行え荒れて行き、経済の活性化に役立つことだろう。

ブラジルにトランプの子分が生まれけり強権政治の土壌にあれば
大統領選挙の結果ブラジルに極右勢力の政治敷かれる
民主主義土壌の市民に成就せで独裁政治を赦す定めに
強権の政治に市民も熱狂し政治意識のたらぬ国土よ
政治的安きを求め経済の安定を期すブラジル市民は
アマゾンの雄大な地を汚さずに地球環境の範となさしむ
アマゾンの密林を行く冒険家奥に知らざる部族住めるに
アマゾンの秘境を訪ね人類のルーツを求む若き学徒よ
トランプの子分にあれば才知長け治安と汚職撲滅に先ず
ブラジルの治安回復と経済の安定に帰す故もありなん
トランプの成否を測るアメリカの中間選挙の白熱を帯ぶ      11月2日

  
    大移動のキャラバン移民

   自由の国アメリカの国境を目指す移民集団、謂うところの移民キャラバンが9000人規模に膨れ上がって北上中である。例年の如く、猛烈な勢力を維持しながらアメリカ本土を狙って北上するハリケーンのような騒ぎである。しかし今回は形が違う。雨風とは違う。人間の集団である。犯罪と経済的貧困から逃れて、人間の幸せを求めて天地を訪ね、敢えて苦難の行進を選んだ民である。祖国を捨てて、自由の新天地を求めて行軍する女、子供たちも含まれている。迎え打って出るのは、トランプの号令に立つアメリカ軍1万5000人とも云われる精鋭部隊である。人海戦術だからとして無手勝の身、飢餓に消耗の体力、丸腰しの難民に、軍隊は銃を向けるのか。侵略者として砲火を浴びせる気か。非人道的な対応を採る気か。国境への軍隊派遣、とても正気の沙汰とは思えない。目前に迫ったアメリカ議会の中間選挙を意識した、選挙キャンペーンであり、トランプの持ち前の迫力に合わせた絶妙の演技である。

  トランプの心情も分からないではない。しかし、強気一辺倒の姿勢にも疑問が残る。何か良策を以て臨めないものだろうか。二日後に迫った米議会の中間選挙で、状況は緊迫している。懸命に選挙戦を行い、精力的に遊説に回る姿には自信と期待が窺えるが、状況は共和、民主の接戦である。民主党の応援にはオバマ前大統領が繰り出され、前代未聞だそうである。トランプはこの時とばかり、オバマの失政を衝いて猛攻である。オバマは現在のアメリカの経済的好景気は、自分の在職中に成し遂げてきた政策の延長だと、トランプに切り返している。
  オバマだったら、この移民キャラバンをどのように解決するか、知りたいところであるが、オバマの声はここまで届かないのが残念である。トランプの実績を上げるとすれば、大型企業減税が功を奏して、景気が絶好調である事、雇用が急上昇していること、北朝鮮の暴発を防ぎ、非核化まで追い込んだこと、これは顕著で説得力があろう。トランプの弊害はと云えば枚挙にいとまがない位だが、それだけ政策を実行しているとの裏返しにもなる。
  政治家は秀才でなくてもよい。凡庸である事が大切である。だから常識に欠けては困る。凡庸な大衆を相手に司を務めるわけだから、大衆の気持ちがわからないと失政する。そこで大事なのは常識である。標準的知識と感性を持っていれば、間違ったことを大衆に強いることがないから、正しい政治を行いことになる。トランプの政治が上品ではないが大衆の心を上手につかんでいることだ。動物的臭覚が、民衆の心理を把握し、凡庸に立ち舞うところが受けている。

大移動するキャラバン集団は、アメリカの選挙を意識して行われたものではない。期せずして自然発生的に起きたものである。トランプはこれを選挙戦で政治的に利用しようとしているが、犯罪集団と決めつけてアメリカの民族意識を煽り立てている。しかしこれは誤っている。最大の誤算となるかもしれない。今回の騒動は、原因が重要な問題を孕んで、国際的に論議されなければならないものである。ロヒンギャの難民問題もそうであるが、犯罪と貧困、飢餓の経済問題がもたらしている人道上の問題だからである。看過するわけにはいかない。これをトランプは軍隊を以て応戦しようとするのか、アメリカはミャンマーのような国に成り下がったのか。
  トランプが入国を力ずくで阻止し排除しようとするのであれば、それに代わるもっと適切な判断に基づいて行動すべきである。アメリカの経済力をもってすれば、軍隊を以て敵対するよりも、人道的見地に立って善処する力を持っている筈である。彼らは丸腰である。恫喝、威嚇、脅迫でなく、寛容の精神を発揮して、国境の前で入国を阻止し、一時的難民施設を建設し、事態の鎮静化を図るべきである。 然るのちに、関係国と実際的な話し合いを行い、解決の糸口を見出すべきである。移民問題は、これに異議を持つのであれば法律を以て解決されなければならない。国境周辺で混乱を招かないためにも、それがアメリカの国益になる。   11月5日

トランプ、オバマの一騎打ち

  アメリカ議会の中間選挙の終盤戦は、共和、民主両党の火花を散らす選挙戦となり、別けても現大統領のトランプ、元、大統領のオバマ両巨頭の舌戦となっている。両者を並べると主義、主張も違えば、雰囲気も人間性も両極端である。いわば今のアメリカの様相を見るように、熾烈な対立と分断を象徴するように我々には映って来て心配である。トランプ米政権に審判は、日本時間で6日の今夜から、東部の各州から投票が始まる。アメリカの政治の選択の意志を表明する時間は、数時間のちからだ。即日開票で日本時間7日午後には大勢が判明する。
  議会は下院の485議席の全部が改選される。専門家の観測によると、可能性として共和党が194議席、民主党が203議席と推測され、38議席が激戦の対象である。これの状況がいずれかの勝敗を決定する模様である。この38議席を巡って共和党が確実に追い上げてきている模様だ。その差がどの程度になってくるかが焦眉の点である。理想としては民主党が下院の議席の過半数を取って、共和党の暴走を防ぐ砦となってもらいたいと思うのである。国内でも女性の候補者が多くなっていることが、今回の選挙の特徴でもある。我々にはあまり気付かない点だが、医療保険制度の賛否について極めて関心が強くなってきている。又、上院は100議席の三分の一に当たる35議席が改選される。上院は過半数を共和党が引き続き獲得する公算が大である。

   いずれにしろ、世界が注目するアメリカ議会の中間選挙の結果で、皆が固唾をのんで選挙結果に注目しているところである。現職の強みはいがめないが、トランプの実績はアメリカ経済を上向きに享受していることが大きな追い風である。雇用も絶頂な状況である。自国主義トランプの、底堅い人気を維持している所以である。乱暴で粗野な表現がトランプの魅力であり、力強さを感じさせるものがあり、これが現実である。今日の株式市場は上げ下げが激しく、結果について戸惑いの心境を表している神経質な動きに終始した。
  一か月前のこと、不透明になってきた株式相場から、投資家の資金が新興国の債権、とりわけトルコリラに注目が集まってきていることを伝えたが、その状況は変わっていないと思っている。トルコ債権を長期的に一部保有することをお勧めしたところであるが、その姿勢が正しいことを裏付ける状況になってきている。 

   長く熱く戦いあってきた選挙戦、分断と亀裂の深さを露呈した今回の激しい選挙戦であるが、世紀のイヴェントが終了した時には、アメリカの民衆の中に生じた対立と憎悪の念が一日も早く消滅することを願って止まない。 かって南北戦争の悲劇を味わっているアメリカの歴史である。国民を二分するほどの激しさを露呈した今回の選挙は、今までになかったことである。そもそも多民族国家として成り立っている国である。南部、北部の対立の勝手の歴史が髣髴されるが、人種、部族、種族の対立があってはならない。異色のトランプによって演出され助長されてきた今回の選挙、今や、アメリカ・イズ・ファーストではなく、アメリカ・イズ・ユナイツ を叫ばなければならない。   11月6日

地元尾山台の休憩室

  地元、尾山台駅の踏切りに近い場所にドトールの比較的に小さな店がある。駅に近いと云う心やすさもあってか、店員との馴染になっていると云う親近感もあってか、親しく店に出入りして長い年月がたっている。会社からの帰り道、休日のひと時などをを利用している。私はここの店で、他の客に迷惑が掛からないように、コーヒーの一杯で一時間ほど過ごすことが多い。その間に、好きな短歌を即席に速射砲とでもいおうか、無造作詠みまくってくる。これが自分にとって頭の中の雑念を洗い流してくれる、一服の清涼剤となっている。ありがたい天賦の配剤だと感謝している。
  そうした臨機応変な場所なので、原稿用紙に正規に書くものではない。メモ用紙であったり、裏刷りに使ったコピー紙であったり、もしかすると慌てて店のテーブルの敷き紙であったりする。そこに乱雑に書いている。そのことは、決して乱雑に粗末に扱っていると云う趣旨ではない。瞬間にひらめいた対象と文章を即、書きこんでいく過程で生じたもので、自分にとっては真実として書きやすいと云うことである。勿論頼まれれば、文房四宝を以て正座の上、威儀を正して和歌を書いても差し支えない。その時には、例えばドトールで書いた和歌の一首を丁寧にしたためて遊び心も楽しんでみるはずである。昨夕会社からの帰途、雨宿りをしながら、ドトールの店で詠んだ和歌をちょっと載せてみたいと思う。


秋雨のしきふる夕べの商店街ドトールの灯の目にもちらつく
敷石の濡れてそぼ降る秋雨に花屋の明かりまたたき見えり
夕暮れの街を小雨がしめり降る我の心の芯も濡れけり
ドトールの椅子の多くが空きておりその静けさが雨に濡れをり
秋雨の悲しき時と覚へけむ店に人影なくば更にも
満員の客に尻込み外に出で見る月影の如何にさびしき
眺めゐるカップにコーヒーの焦げ茶色渋く映りて身にも染み入る
コーヒーの豆の匂いの茶の色の滲みて染まりぬわれの手のひら
山あひの夕空紅く染め抜きて棚ぐも長く北に尾を引く
コーヒーの豆の茶色に染まりたるテーブルに着き物思ひせむ
厨房の客席よりも広く取り手早くつぎぬ熱きコーヒー
寝入るひと読書する人パソコンをたたく人など過ごすこの店
ささやかな心のなごむこの店に魅かれて今日も通い来るかな
こひーはおのれひとりで味はふを良しとうなずき今日も訪ね来
ペンと紙一、二枚を持ちて来ぬ思いの丈を今日も書かんと
コーヒーにミルクを注ぎ白き帯カップの中を動き巡れり
コーヒーの香り漂う尾山台ハッピーロードの街の角かな
目の前にコーヒー喫茶のありしかどこの店にいるさしも故あり
この席の我になじみて居心地の良ければたとえ小さき椅子とも
コーヒーのカップに白き帯を引くミルクをつぎて鮮やかなりき
鉛筆の先にかすかな女の影とどめつ詠みぬ恋の歌かな
赤とんぼ動かず空の宙に浮き夕べの雲とともに行くかな
我もまたトンボのあとを追いかけて田舎の空を泳ぎ行くかな
コーヒーを飲みつ山茶花の咲くあさに懐かしき人思ひ偲べり
ルオーてふコーヒー喫茶に待ち合はす当時治美てふ子は今如何に
治美てふ子はま近くのオフィスの受付に居て我の目を引く
騒がしきアメリカ選挙の最終戦静かに思ひコーヒーを飲む
コーヒーを飲めば心も落ち着きてトランプの声確と聴くかな
激しさを増すアメリカの選挙戦幕を閉じれば高き青空
激しさも幕を閉じれば平静に気を取り直す民主主義とも
アメリカに自由、博愛、平等の多少の兆しに安堵いたせり
三日前山茶花の花一つ咲き今年の末もあはれ過ぎゆく
山茶花の二つ目に咲く花の枝を手折りて供ふみほとけの前
ててははの面影若く映りしに山茶花の花愛ほしきかな
ドトールのケーキのケースが涼しげに蛍光灯に白く映れり
新栗の出荷にあはせモンブランケーキの旨し栗色の色
気休めに訪ねる客の多く居てコーヒーを飲むドトールの店
ドトールの黄色のテントがせり出して街路の人の雨宿りせむ
ドトールの前を東工大学生カバンを下げる人は皆無に
学帽に学生服に革鞄、黒短靴にて通学し候
学帽に学生服は着用と当時の規律の在りてやかまし
中学の母校の電話に事務長の中江氏出でて親しかりけり
中江氏に母校の様子を伺ひて昔を偲び胸熱きかも
東大の進学校となりにけり今早中の学習レベルは
今は早や書物に代はりパソコンに知識を収むことも知らずに
学徒らは書物の匂ひを知らず過ぐそのうち在宅学習時代に
ドトールの店前を行く学生ら皆真面目にて寡黙にて過ぐ
この中にひとさまざまに見受けしに、貧乏の人、裕福の人
学園の近くに唯一ハイカラなコーヒー喫茶のモンシェリの窓
モンシェリてふコーヒー喫茶に招かれて哲学のこと語る教授は
哲学者藤田赤二を思い出す学ぶドイツ語の楽しき頃よ
コーヒーの香りと藤田先生の思い出深く我に覚へし
青春は逸るこころを抑え得ず空飛ぶ鷹の眼光にも似て
山中湖湖畔にヒュッテの憮岳荘林間学習の良き少年期
朝日影山中湖畔にきらめきの朝を迎えて眺む富士の嶺
岩間より光る清水の湧き出でて我が心を洗ひ浄めり
岩間より湧くま清水の清らかに川に流れて海にそそぎぬ
主の声とかすかにききぬ山あひの深き森よりま清水の音
コーヒーの上等の味試し得で飲み物ならば味噌汁の代
革カバンふくらまして行く学習の身を懐かしく思ひ入るかな
ある時に雨宿りせる客の来て空気せはしく揺れにけるかな
自動ドア開けたるたびに雨脚の激しく聞きて心せはしき
尾山台駅踏切の遮断機の下り人並みの途切るひととき     
夕時に都市大学の学徒らの人の流れの絶ゆるなき群れ
トランプの品無き政治に立ちあがるアメリカ市民のブルーウェーブ
トランプの貿易戦争を撒き散らすガメツイ一国主義の悪ガキ
ドトールのコーヒーを飲みつ安堵せりアメリカ議会の選挙結果に
民主党下院議席の奪還にねじれ国会と結果を評価す
貧しさと治安の悪さを逃れ来てアメリカへの道目指す移民よ
子供らのコーヒー色の肌をして陽気な仕草の太陽の顔
昔聞くコーヒールンバの南米の陽気な仕草の移民キャラバン
潜伏す凶悪犯罪人もあまたいるキャラバンを指しトランプの言
アメリカを目指す移民の大挙してコーヒールンバを踊る人あり
ドトールのコーヒーを飲み大移動民主日本の列島を行く
コーヒーのまろき香りの店先に匂ひ漂う今朝のドトール
ドトールの店にプチットなおなご居てもてなしおれば和むひととき
尾山台ハッピーロードを象徴すコーヒー匂ふドトールの店
鉛筆と用紙を持ちて店に入る文学青年の活躍の場
自らを三十八才と名乗り出て医師の訊ね答えけるかな
早中の中江事務長と電話にて学舎の詳しきこと訊ねけり
青山の土地建物の取引に大手の二社の仲介に立つ
道ゆきにドトールよりも高級の幾つかの店あれど地元へ
ルノワール、椿と云った高級のされど馴染のドトールの店
体裁を繕う人の他の店に粋に経つ身を味はふも良し
この仕事成し遂げてあと人生の休養とすべく思索練るなり
我が道の大成を手に将来のなほ多きなる夢を描かん
庭に咲く小菊の花を二、三本手折りて供ふみほとけの前
二葉亭四迷の訳す「あいびき」を読み恋人の昔思い出づ
「あいびき」てふなほ慎ましき言の葉に心の端の潤ひにけり
この国の先を危ぶみ煩いの米中大国に押され潰さる
大国のせめぎ合いにも失はで自主独立の威厳示さん
この国に偉人の無きは慙愧にてドトールにて我コーヒーを飲む
そぞろ行く街路の花壇にサフランの花咲き匂ふ休日の午後
晴れ渡る秋の美空に吹く風の光の帯を中天に見ん
我もまた学徒の列に加へりて若き群像の人とたらんや
秋晴れの今日国立競技場ラクロス試合を楽しみ行かん
紅葉の半ばの駒沢公園のマラソンコースを走る若者
我もまたはや走りしてコース上一周すれば自信湧きくる
青春の群像の列つながりて夕空のもと学徒らの行く                 11月7日

早中、早高の同期会

  十一日の日曜日の正午から、中学時代の同期会が渋谷のエクセルホテル東急で開かれた。卒業生は三百数十名居るはずだが、参加者は三十一名であった。年々減少気味なのは致し方がない。物故者が百余名に上っているから、ざっと三分の一があの世に旅だったことになる。その上、連絡不能の者もいるので、三十一名の出席者が要ることを以て良しとすべきだろう。
  日曜教会に妻と一緒に行った後、先に失礼して自由が丘駅から東横線に乗って渋谷に出た。この街は、今日も相変わらずの混雑である。せっかくの連休であったが、昨日は駒沢球場で全日本ラクロス競技大会があって、全く久しぶりに妻と一緒に観戦しに行った。秋晴れの絶好日和であった。この日は日本関東地区代表のチームの優勝決定戦であった。午前中に早稲田大学と東京大学の両チームが決戦に臨んだが、早稲田が六対五で東大を下した。この熱戦は見過ごしてしまった。
  午後の試合は女子チームの対抗試合で、慶応大と青山学院大の熱戦であった。試合は四対四で延長戦に入り慶応が得点を挙げ、関東地区の代表に選ばれた。試合の観覧席は慶応の応援団席に入ったので、賑やかであり、応援のチェアガールの女の子たちの振る舞いが楽しかった。閉会式には関東地域の学生チームが勢ぞろいしてグランド一面を埋め尽くして圧巻であった。これから先全国の地区に渡って代表チームが選出され、全国一を決める大会に進んでいくらしい。この時は国立競技場だそうだ。約30年前に初めて、ラクロスが日本に入ってきて少人数で組織したことが今日、かくも盛大な全国的規模に発展していくとは思わなかった。小生の息子が、留学先のジョンズホプキンズ大学から初めて持ち込んだものであるが、娘もラクロスプレイヤーとして学生時代は大いに活躍した。ラクロスプレイは、競技のスマートと品の良さもあって人気はうなぎ上りであり、破竹の勢いの感じがした。

  そして今日は中学時代の同期会で、自分の時間が今週はすっかり奪われてしまったが、それでも奪われた時間は内容の濃いもので、大いに満足のいく連休であった。

  同期会だが、最近は「年々歳々人同じからず」を実感するばかりだが、今年は親友の高木新二郎君が八月に亡くなったばかりで、席にいないのがさびしい限りである。別けても小生はこの早稲田中学を卒業して高等学院に移って行った関係で、中学の上の高校には進学していない。その分同志との関係の希薄があっても仕方がない。友達の松広君から、亡くなった高木の思い出話を席上語ってもらいたいとの依頼を受けていた。高木との交友関係を語れと云われても何を話していいか掴みようがない。中学時代から彼が死ぬまでの間に亘って付き合ってきた生涯の仲なので、余りにも茫漠としている。校友とは概して、表はきれいごとであるが、全てが異色であり、奥と裏を知りぬいた奇想天外のものかも知れない。話しにくい。しかし承知したと返事をしておいた。席上では、高木の奥さんから云い使ったことを皆に伝えた。 「生前は皆さん方に大変お世話になってきたことを感謝して心から御礼申し上げる」という趣旨を伝えた次第である。

   もともと早中は、おかしな話だが国立大学を目指す受験校である。戦後入学したばかりの年に大学の付属校になるかどうかで意見の対立があって、学内の大騒動になっていた。一年の時に生徒会から全員が講堂に呼び出されて、喧々諤々の論議が交わされていた。三階と称する講堂は屋根もなく天井もなく、青空が広がっていた。戦後間もない時期で、米軍の空襲で校舎の屋根がすっ飛んだままであった。その講堂に呼び出されたものの、事の次第については何も理解できなかったが、今になってあの時の騒動は、早稲田中学の将来を決める転換期だったことを理解するのである。守旧派で独自路線を踏襲するとする教職員と、改革して大学の付属になると云う生徒と父兄と若手職員との対立であった。結局守旧派の主張に押し通されてしまった。
   
   早稲田中学は明治38年、1895年、坪内逍遥によって創立された歴史と伝統に基ずく名誉ある学校である。大隈重信、高田早苗などが創立に支援した。今年は123年に当たる。2020年は創立125周年になる。私が早稲中から高等学院に行ったが、学院は戦後の新制度で作られた故、それでも来年が創立70周年記念の年になる。大学は1876年に創立されたが、元東京専門学校であったが、その後改名された。大学が学問の自由と独立を標榜したのに対し、中学は人格の独立、陶冶を目的とした教育を標榜するものだったと聞いている。中学の校歌は坪内逍遥の作詞だが、その中にも「誠」の文字が中心である。建学の精神と相通じたものがある。小生が標榜として掲げる人生句、人は全て己ながらに生きよう、である。

   同期会の中で優れた友人に出会えたのは、小生にとって大なる収穫であった。事の次第は単純だが、その松広哲平君から貰った絵葉書である。会津八一は早稲田中学の教頭を務めた時期があった。松広君の葉書には、その彼の学規の書が映してあった。彼の心構えも窺えて感服した。あまたに居る友人から斯様な文書を受け取ったのは初めてで感動を覚えたのである。八一の学規については曰く、 「深くこの生を愛すべし  かえりみて己を知るべし   学芸に励みて性を養ふべし   日に新面目あるべし 」  である。年相応だが我々の年配になってくると、「深くこの生を愛すべし」とでもいうべきか。美しく、厳しく、誠に良い言葉である。同期会での収穫は、周りを気にせず沈思黙考の黙念の時間が多かったこと、のんびりできたことであった。二時過ぎ土産の月餅菓子をもらって、そのまま寄り道することもなく帰宅した。庭に出て山茶花の花を見ながら、縁側で一人座って酒の酔いを醒ましていた。今朝の朝日新聞の朝日俳壇の一句に、こんな句があったのが目についた。
   九十を過ぎて爽やか所作動作     良い句だし,、元気な旦那だなあと思いながら、この句は全ての人の範になる一句だと思った。小生は自称三十八歳、尾山台駅まで駆けて行こうかと、ドトールのコーヒーでも飲みに行こうかと、きっとそこで沢山の短歌が詠めるはずである。そう思ったりすると、夕暮れが待ち遠しく思ってきた次第である。  

   高木を弔う和歌をみんなの前で詠みあげた。無二の親友だから実感として詠めるのである。いまさら美辞麗句を盛り込むことはできない。慙愧に耐えぬが、何故神様は彼をこの世から連れて行ったのか、それに抵抗することのできない人間の非力を嘆く思いで詠んだ。既に百首以上の和歌を詠んでいるが、当日席上、信を置いた友達だから思いつくままかかる心境で詠めるものかもしれないが、詠んだ三首をみんなに披露して、故人の冥福を祈った。   

   艱難と辛苦の底に立ちあがり信念の道拓き行く友
   足跡をこの世に記し忽然と黄泉に行きしは悲しかりけり
   白骨の身となり壺に納まりて色即是空の掟しみじみ          11月11日

第一次大戦、終結記念日

   十一月十一日、パリの凱旋門に向かったシャンゼリゼ通りには、そぼ降る秋雨のなか、関係した六十カ国以上の首脳らが隊列を作って行進していた。第一次世界大戦が終結して百年目にあたる今年、終結の勝利を回顧して記念式が行われた。戦争では一千万人とも云われた犠牲者をだし凄惨を極めたが。その人たちを追悼し、戦争の悲惨な状況を振り返り、無益な戦いを根絶する決意を以てこの日を記念した。今までも幾度となく、二度と戦争の惨禍を招かないように決意した歴史がある。しかし人間は、以て生まれた愚かな性を断ち切ることができない。その後ドイツのナチスが現れて、再び第二次世界大戦が勃発した。ドイツの保護主義政策、自国第一政策を採った結果であり、覇権主義から戦火を交えた凄惨な破壊時代へと突入していく。加えてイタリアではムッソリーニの独裁ファッショの政治が敷かれたし、日本でも国連脱退を始め孤立主義の道を歩み軍事政権を生みアジア大陸へ侵攻していく結果になった。結末は悲惨そのもので敗戦を迎えたのである。今日のこの日は、第一次世界大戦が終わって丁度百年となる。復雑な国際情勢のなかでの行進は、晩秋の底冷えの小雨の中で行われていた。
   フランスのマクロン大統領が呼び掛け、トランプ米大統領やロシアのプーチン大統領、日本の麻生太郎副総理兼財務相らが参加。大戦後、国際連盟創設につながった国際協調の動きを改めて擁護し、現代への教訓としたい考えだが、米ロ首脳は遅れて会場に到着した。午前11時すぎ、雨の降るシャンゼリゼ大通りで移動のバスを降りた首脳らは並んで凱旋門へ歩き、協調を演出したが、空目を浴びるトランプ、プーチン両氏の姿はなかった。国際社会の不協和音を象徴する、ちょっとした光景であるが、一つの火種に過ぎない。しかしマッチの火が大きな戦火に広がって、人類を抹消し、地球を火の海に変えることも出来る。保護主義の火が、地球の上に蔓延しないように英知を以て食い止めなければならない。
  式典では、マクロン氏は演説で 「愛国主義はナショナリズムと正反対のものだ」 「かつての悪魔が再び現れている」 と現在の国際情勢に警鐘を鳴らした。むべなる哉である。経済大国のアメリカのトランプ氏が、声高かに掲げるアメリカ第一主義と、仕掛ける貿易戦争を考えると、マクロン氏の演説と警鐘はあまりにも的を射すぎたくらいである。「 保護主義の悪魔を射抜くマクロンの世界に鳴らす警鐘の声 」  と小生も声高に和歌を以て、この日本国からマクロンを支持したい。参列の群れは、大戦後に戦死者を弔うため設置された「無名戦士の墓」に献花した。 またこの後、マクロン氏の発案で安全保障や環境、開発などの問題を話し合う「平和に関するパリフォーラム」が13日まで開催される。ドイツのメルケル首相やグテレス国連事務総長らが参加する。国際協調の強化を目指す場となるが、これに冷ややかなトランプ氏は欠席する予定である。 友情も協調も、平和への行進も知ったこっちゃねえと云った無教養の田舎者である。
                                             
   国際協調を掲げる隊列から孤立するアメリカのトランプ。アメリカ第一主義は、行ってみれば金第一主義、しかも自分だけの集金、錬金術。金権政治の権化と誤解されやすいトランプ。札束で人の頬をはたく、傍若無人の振る舞いとしか映らないトランプ経済外交とさまざまな悪評である。大統領の椅子に座って、仕事師を顎で使っている間は何とかもつが、ひとたび祖国を離れて国際舞台に出て、世界の民衆の中に立つ時のトランプは孤立してみじめである。ふてくされた表情は、時代的潮流に逆らう独善者の虚勢を張った姿で、余りにも哀れである。こうした危険な人物は、得てして自分で焚きつけて他国に及ぼしていく傾向があって心配である。マクロンの演説に見られるように、「アメリカの第一主義を悪魔の到来」と一刀両断する姿勢こそ右顧左眄せず、人類的見地に立つ雄々しい姿だと受け止めたのである。日本に古くからある諺だが、長いものには巻かれろ、泣く子と地頭には勝てないと云った風潮こそ、国際社会が連携して打ち破っていかなければならない。
11月13日

不発に終わったAPEC会議

  十一月十八日、パプアニューギニアで開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が閉幕した。日本や米国、中国など21カ国・地域が参加した。会議では米中が互いの通商政策をめぐって対立し、首脳宣言の採択を断念する異例の事態となってしまった。首脳宣言が採択されなかったのは、第1回の首脳会議が開かれた1993年以来で初めてである。代わりに議長国のパプアニューギニアが議長声明を発表することになった。議長の采配、手腕にもよるが暫定措置であって、結末は醜態であった。会議をぶち壊したのは米国と中国であった。陰湿な貿易戦争をそのまま会議に持ち込んだ形である。以て甚だしき迷惑千万な話である。誇りを持った大国の体を成していない。まるで後進国の最低を行く、なりふり構わぬ独善的行動である。

   会議の議論で米中が激しく対立したが、米国の主張は主として、中国が国有企業に巨額の補助金を出していることや、国外の企業に技術移転を強要していることを批判した。そして中国を念頭に、共通の貿易ルールを定める世界貿易機関(WTO)を改革する必要性を宣言に盛り込むよう提案した。これに対して中国が猛反発した。そして米国を念頭に起きながら、保護主義や単独主義的な動きを採るしせいを批判するとともに、米国の提案に反対した。議長国を務めるパプアニューギニアもこれを調整しきれなかったのである。

   15日に開かれたAPEC閣僚会議でも、米中双方は互いの批判を展開した。閣僚声明の調整は難航し、発表されていない。17日には習近平国家主席とトランプの代理役のペンス副大統領がそれぞれ現地で演説し、貿易紛争や地域構想で応酬を繰り広げるなど、米中の対立が浮き彫りになって会議全体に影を落として、協調姿勢を示すことはできなかった。

   期待を担って首脳会議に参加した安倍晋三首相である。米中が激しく自国を主張する間に立って、調整役を演じて世界にその存在感を示したいところである。席上、安倍首相は 「世界中で保護主義による貿易制限的措置の応酬が広がっている」 との懸念を示したが、対立を解く役割は果たせなかった。残念である。しかし米国に対して姿勢を崩さず、自由貿易と国際連携の必要性を説き、自らの信念を強調したことは立派であった。米中の狭間に立って、将来を展望すると、両者を上手に立てて解決のお糸口をつかみたいところだが、痛し痒しの体は、十分に理解できるところである。アメリカ第一主義を強烈に打ちだす現状において、安倍首相の自由貿易の重要性を力説するところは、他国のうろうろきょろきょろする中で毅然としており、とりわけ光って見えた。落ち着いて今後の政策を以て説き伏せて行かなければならない。
   11月末からアルゼンチンで20カ国・地域(G20)首脳会議が開かれる。それに合わせた米中の首脳会談で対立を和らげる道筋を描くことが出来るか注目されるが、現在のところ、双方の主張の隔たりが浮き彫りになっていて予断を許さない。トランプに比べて穏健なペンスかと思ってせいぜいミニトランプとも思っていたが、想像していた以上にきつく、具体的な表現に徹して驚いた始末であった。舞台はトランプの二乗に等しく荒れ方もひどい状況を作り出している。時間的に緩衝地帯を作り、お互いに頭を冷やすことも重要である。。     11月21日

企業再生の神様  ゴーンさん


  なんともはや嘆かわしい事案であり事態である。胸を張って堂々と世の中を渡り歩いていたと思っていた日産自動車の会長のゴーンさんが東京地検に逮捕されたと云うのである。まさかあの実力者が、世界的に名をとどろかし、飛ぶ鳥落とす勢いで怖いものなしと云った男である。びっくりで、まさか嘘ではないかと一瞬のニュースを疑っていたくらいだ。しかしニュースは時間の経過と共に本当であることが分かって、又驚いている。日産だけでなく、三菱自動車やルノーまで傘下にして全従業員数十万人を率いて自動車業界世界第二位の規模にのし上がった会社復活の実力者である。一体何があったのか。会社の行く末を案じないわけにはいかない。

逮捕というけど何かの間違えではないか、どこか他のゴーンさんではないかと。一瞬我が身を疑わしく思うくらいの複雑な気持ちである。特徴のある面ざし、トランペットをいつも吹いているようなでかい鼻と穴、つり上がった眉毛と、鮫の目のような鋭い視線。活気のある力強さを持った風貌は、演出効果、押し出し共に充分である。ブラジル出身者だけに面ざしは彫りが深く情熱的で、異色的な雰囲気が我々の関心を引き付けてきた。オフィスの女子事務員は、フランスの俳優のアランドロンに似ていると云う。見る人によって随分と違った印象になるが、確かに一見してアランドロンに似ているが、彼の方がゴーンよりももっと甘いマスクをしていたと思う。しかしゴーンの方はいくら見ていても、かの動物的な風貌は何となく馴染む顔つきでないことは致し方ない。高額の報酬を自負して、逆手にとって自信満々経営を加速させている役者である。欲に頂きなしというし、蛇は口の裂けるのを知らずとも云う。逮捕容疑は有価証券不記載ということらしい。根深いものがあるに違いない。
  新車発表と云えば得意満面に消費者に訴え、一方で明るく分け隔てない正直な性格をいつも滲ませていた。企業家として才知にあふれ洞察力抜群である。規模を大きくとらえ、グローバルな感覚は以て範とすべき新しいタイプの企業経営者であり、革新的な思想を持った大人であった。今回、それが何故と思わしめるような結果である。逮捕、拘置場に拘束され、一転して奈落に突き落とされて、容疑者として取り調べを受けていると云うのである。堕落した世の中の風潮は消し難いが、落とし穴もある事だから、これを以て指導的立場に立つ人の自戒、自重の機会とすべきではないだろうか。

衝撃的なニュースが伝わった後、会社の社長の西川という人物が記者会見に臨んだ。いがくり頭の風采の良くない男である。社長が会長が逮捕されたと聞いて、早速の記者会見と云うのもおかしな雰囲気である。用意周到に準備してきたと云った状況が窺えた。マイクを持ちながら側近の者にマイクは入っているかと荒い口調である。高ぶっている状況だから致し方ないが、トップに立つものの冷静さが問われてしまう。記者会見では、ゴーン氏が東京地検の逮捕され、誠に残念であり、憤りを覚えていると、きわめて感情的で高ぶっている発言は冷静さにかけているような雰囲気である。会社の会長が逮捕されたということは、社長にとっては一蓮托生のかかわりを持っているが、逮捕の原因となった三つの案件を硬い表情で述べている。事件は内部通報で明るみになったとし、調査の結果、十分な証拠をつかんだので逮捕に踏み切ったと云わんばかりである。
  記者会見の雰囲気からして、会長の部下の社長が云うのだから、謀反の結果の、いわばクーデターと云ってもおかしくない。本来なら会長をフォローし、援護すべき立場である。しかしそんな呑気な状態でもなかったようだ。ゴーンの過大な報酬は、もともと評判が悪かった。顔の面に水ではないが、平気なところがあるのを見ると、もっと他に隠されたものがあるに違いないと、憶測してしまう。そうでないと特捜部とは云え、自信満々にいきなり逮捕というショッキングな状況を作り出せるものではない。でかくなり過ぎた会社のこと、要は権力闘争が根底にあったに違いない。日産の再建に手腕をふるったゴーンは、その名を世にとどろかせた。起死回生に打って出たゴーンであったが、誰にもできないコストカッターの務めを発揮し、輝かしい功績を収めた後の強欲さは、なかなか理解できないものがある。そこに付け込んだ取り巻きが悪知恵を仕掛け、それにゴーンが飛びついて尻が割れた結果である。 

それと容疑者となったゴーンの法律を犯した事案があるとすれば、それを長年にわたって許し、看過してきた会社内部にも問題がある事だろう。司法取引をして協力を得たものの、検察は、法人の立件にも踏み込んでいかざるを得ないとの報道も流れている。沈没寸前の会社の再生に成功し、自ら強大になった権力と、奔放な暴走を止めることが出来なかったと云う、言うなれば会社上層部のガバナンスの問題も浮上するに違いない。今や単なる日産だけのことではない。三菱自動車もそうだし、何よりもフランスのルノーを控えている。検察庁による勾留は長期化するかもしれない。
   三社共同の連携と結束を維持していくには、だれが統率者として有能、且つ有益か、ゴーンが去った後の空洞はあまりにも大きい。良くも悪くも剛腕を発揮してきたゴーンを追放することはできたが、そのあとの大きな空洞をいかに埋めることが出来るか、影響するところは深刻であり、且つあまりにも大きいと云はねばならない。 日産、ルノー、三菱自動車の三者のトップ会談を速やかに開いて、この突発的事件の発生に対処すべく努力してもらいたい。 続     11月21日


  早中時代の同期会が先日渋谷のエクセルホテル東京で開かれた。当時の在校生は三百余名だったが、当日出席したメンバーは三十一名だった。だんだんと顔を出す人数が減ってきてさびしい限りだが、他の人に言わせると、佐々木を別にして、そもそもその年代でそれだけ集まるのは珍しい方だと云って下さった。さもありなんで、物故者が百二十名以上に及んでいると云うし、行方不明者が三分の一もいると云う報告である。寂寞の感は歪めない。年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず、毎年復唱している始末だ。しかも今年は親友の高木君が亡くなってしまったことが、痛ましく胸を突き刺す。まさかと云う気持ちがあって、なかなか信じられないでいたが、日にちが経つにしたがってようやく胸の痛みがはがれてきたようである。死という現実を目の当たりにして、深刻に自我と向き合って考え込んだりしていたが、これも漸く暗闇から抜け出してきた。肉親に近い友達が忽然として黄泉に下った。その遺骨をまじかに見ながら念仏を唱えていたが、あの機敏な動作をして大活躍していた人間が、ある日突然息を引き取り無言のまま小さな骨壺に収まってしまっている状況は、どうしても信じがたいことである。早中の同期会で高木を偲んで少しばかり話をしてくれと頼まれたが、どこから手を付けていいかわからない。まとまりなく話したが、釈然としない気持ちで、酒を飲んでいた。高木だけでなく、ここ二、三年で肝心な友達が次から次えと亡くなってしまった。高木で打ち止めしてもらいたいと願うことしきりである。野田、川滝、高鳥、臼井、安らかに眠っているか、思い出も多いし世話になったなあ。知り合いで他にまだ物故者はおられるが、名を列挙して心から冥福を祈りたい。

早中の五十六期の同期会顔合はせする晩秋の午後

それぞれにいわくのありてこのとしにでるあたわずのひともしだいに

さむざむしとしになりたるおもむきにせいきのなきはいたしかたなき

げんきだせしったげきれいのたかぎしがおのれのふほうをしらすはめにも

ともがきにやいちのがっきをりかいしてわれにかたるはいともたのもし

五六(ごろく)かいひらくしぶやのほてるにてたっしゃなとものつどふあかしと

あしもとのふらつくしぐさはやむをえずよはいの八十三ときくなば

われはなほ三十八さいとみずらをしょうしてなんらいわかんのなし

まなびやのともとしたしくかたらひてあつきおもひのわれにうかびく

ほとばしるはじめのころのこころざしたかくかかげていまもすすまじ

はらいっぱいたらふくたべてすごすよりいっさつのほんをむねにいだきし

そうちゅうのこくごたんとうのろうきょうしいしいまもおもかげかえりみるなり

いにしえにたつつくばねとふじのねのあいだだにありしわれがふるさと

しょうがつをみなとほがらにすぐすけさとこのまにさくふくじゅそうかな

あらたまのとしをことほぎはらからとめでたきさけをかはしけるなり

うれしきやあなたのしきやふるさとのあさくさのちにあれしわれかな

とこのまにやいちのわかのしょをかけてかすがのさとにおもひはせしも

かすがのののべにつもれるしらゆきのきらめきひかるはるのきにけり

こうかいすあのときにっきをやすまずにつずけておればいぎふかきかも

やまかわのふるさとわれにあらずともこころはくもにのりてはてなし

さんちょうわんそばやののれんをくぐるさきゆげたちのぼるかまのゆだちの

よみにたつとものおもへばあまたいてわれひとりたつあめつちのまに

のべにさくはなをたむけてなきともにささげしときにやまばとのなく

やまばとのかくもかなしくなきいなそはるかにとおくとものこえきく

ほねつぼをあたまにえがきふじがねにかさねしおけばおもひつのりぬ

こすもすのはなをそえたりほねつぼにむくにもみえてわらべうかびく

ゆくひとのあまたにおればどうきかいおのずとわびしくなりにけるかな

あさくさゆともにかよひてそうちゅうにそやつもゆきぬしちねんまえに

いせいよきがきのおもいでうかびきてとっさにとなりのともとかたりき

まいくもてえんえんとかたるとものいてしまいにくちゃくちゃむにゃむにゃなりぬ

おとめらもおりてしのべばこいしけれわれわかきひになれそめしきみ

にんげんはこころきもちでわかやぎぬじもんじとうしはげましにける

てーぶるにわれは三十八さいとゆびでかきじもんじとふをくりかへしけり

ふんいきにのまれてならじおのがみのよはひのわかくつねにたもたん

ひらがなでわかよみつればおのずからやさしきことばうまれくるかな

あさくさのおさななじみとつれそひてしょうてんさまにまいりしたきに

そうちゅうになつかしきともあまたおりされどきせきにいりておしくも

このとしにどうきかいにでるつらさかなともみなすでにさりしあとゆへ

はじめみるわせだちゅうがくのやけつくすあといたいたしやかたゆへにも

きょうしつのみなやけただれまなぶへやなくばがくしゅうのままならずかな

そうちゅうとなみだながれにわかれきてがくいんにきてまなぶわがみよ

なつかしきせんごのしゃかいにもまれしにかんなんしんくにきたふわれなり

たたかひにやぶれてのまずくわずのみててははのみをあんじけるかな

あめりかのてっきのこうげきをのがれきていのちにありしかみのごかごに

せんじょうでせんしのひとのあまたいててんのうばんざいとさけびしすなり

あめなかをがくとしゅつじんにおもへらくわかきいのちのむしのごとくに

いたましきすがたのがくとのせんじょうにたふたきいのちのむしけらのごと

しほんかとぐんぶがつるんでにっぽんをひげきのくにへつきおとしけり

いかさまのせいじのあとにわるだくみするしどうしゃのあしきふるまひ

はんこつのせいしんいまだもえさかりわがこうはんのじんせいをゆく

てんのうせいはんたいをかってさけぶひといまそのくんしょうをたてまつりけり

わがうたをめいかとしるしつたへけるすぎむらけいのおもひたずねん

みちのくをたずねてゆけばなつせみのいわにしみいりいかにしずけき

おもざしはもとよりどうさしぐさにもとしをかさぬるあかししめせり

てーぶるにつきたるとものおもざしにしみしわはだのゆるみきはだつ

おしなべてあるくあしもとふらつきつゆくとものさきあんじけるかな

てーぶるにつきたるとものおもざしのつやにかえたるいろのけはしも

あしこしにきたるととものことのはにうなずくけふのとものそぶりに

たかぎしをとむらふうたをさんしゅよみあつくしのびぬかれのじんせい

せいしゅんのじきをいささかないがしろしたれどどくじのみちをすすめり

ちかかつどうせいじかつどうにみをおきてせいぎのはたをふりかざしゆく

じんせいのせいしゅんへんをえんじゆくかりのぶたいのやくしゃえんじつ

まちなかでころぶさとうのこういしょうあしこしうでにいたみはしりて

としよりのなみのながれにおぼれずにぬきてをつかひあおぐさのなか

こうひつのジャーナリストのかんだしがまいくをもちてかたるむにゃむにゃ

はなみずをたらしいくどもせきをしてなにしにきたかろうじんもおる

なまいきにひげにあごひげをながながとのばしておるはいまのはやりと

あるとものせをまるくしてとうだんすかたるはなしもなにがなんだか

かいじょうにこきゅうのがっきをもちだしてえいらいしゃんのきょうくをきかせり

さんかしゃはさんじゅうよめいときろくしてみなよろこびてことほぎにけり

しぶやがいすくらんぶるのこうさてんむれにまじりてわかやぎにけり

げにおもふおおくまこうどうのかいかんにやいちのぼくしょのちからしめせり

ひらがなをじざいにたえにかきつづりやいちはわかをよみてあそべり

うつきしきひらがなをもちわかをよむやいちはさすがとうなずきにけり

せんさいにことばをもちいわかをよむやいちのうたのたぐひなきなり

いかるがのさとをたずねてよどみなくこころのうちをうたふやいちよ

ひきつぎてわかどうじんしのふちをよみひひょうをかくもたのしかりけり

さまざまなとくいをしめしどうじんのうたのとほとくよみぬわれかな

いっせいのうえをしょうようしあめつちのまをへいげいすとはいかにおおきや

ふじがねをあほぎてこころうるわしくこのじんせいをつらぬきゆかん

ゆうやけのそらあかあかともえたちてかりたびたちぬきたのそらさし

たかぎしのおもひでをのべしらしけむかなしみふせてわらひとばせり

さざんかのはなひらくあさひよどりのさえずりきたるにわのにぎはし

さびしさのつのるにわはにさざんかのはなやぎひらくうすつきよかな

ひだまりにさくべにいろのこぎくみてにしろいろもありめでたかりけり

こうはくのにしょくのいろをあでやかにうつしてさけるにわのこぎくよ

おくがたがひわにうえたるべこにわのはなのおおきくふさをひろげる

はなやかにけふもうつりてさきほこるべこにあのはなかくもいとほし

おもひだすのぎくのはなのしょうせつをいとうさちをのつづるこいのひ

こうのだいちかくにありぬぼだいじのててはははらからいますはなのち

ぼだいじのそくずいじにてててははとなきはらからをしのぶさとかな

あきふかしさとのおとめらいまいずこにしきのいろをめでてあそべり

なるかねはゆうべをつげてさびしさのむねにこもりてゆくたびじかな

やまあいにのぼるけむりのしらじらとけむるあさこそあめをむかへり

あきさめのしとどふるよはなにげなくことのねきこゆまちあいのひよ

いかならむひとのひきたることのねのたえにもきこゆゆうづくよかな

しんしんのけんこうこそがにんげんのおほきなたからとたぐひなきなり

しんしんのさはやかにあれつねひごろつとめにはげみおもひみたせり

ひとのよのなさけみだれてあはれなりうぬぼれこそがおとしあななれ

たかぎししのちいくばくのひがすぎてゆえにらくたんのうすれゆくなり

ともゆえにわだかまりなくよむうたのしんにせまりてなやましきかな

これこそがらくたんなりきにっさんのゴーンがしちょくにたいほさるると

ごうまんがまねくさいなんとけつろんすすぽいるさるるこころまでにも

ひきぎわのわろきひとこそかえりみておのれのみちにあやまちなきと

いまさかりなるひとらにもつうじたりゴーンたいほのすがたかいまみ

こころしてそなへることのだいじなりひびにただしきみちをあゆむを

このとしのもみじのいろのさえざるにたいふうによるえんがいともいふ

みちのくのもみじのいろのあざやかにふかきたにまにほむらとぞなる

やまざとはかきのみあかくてりはえてすずなりのきにおもふふるさと

わがいえにかよへるみちはたのもしくほとけもたちてえみにけるなり     11月22日

大阪万博の決定


   でかしたぞ、目指すは2025年の万博の誘致成功だ。それが大阪に決まった。日本での開催決定を手にしたことは世紀の快挙であり、20年東京オリンピックのちの飛躍台として日本の存在感を世界に示しながら驀進していく盤石な地盤が出来た。大阪府や経済産業省、そして大阪財界の人たちの関係者の努力を多としたい。
政管は2兆円の経済効果と試算しているが、それどころではない。大阪湾に埋め立てた390ヘクタール、117万坪の敷地、この死に体の土地の活用を生かすだけでも莫大なメリットがある。埋め立てた膨大な敷地の活用だけでも、関西経済圏にとって膨大な利益に繋がってくる。特段、関西圏にとどまらず、日本経済の躍進にもつながって世界に羽ばたく日本の姿を知らしめる契機にもなるはずである。国を挙げて事業の成功を期し、その準備に取り掛かるべきである。関西経済の大きな負の遺産であった土地は、企業で云えば赤字を吐き出していく根源的な負債の厄介ものであった。大阪万博の誘致成功は、この腐った土地を金の卵に転換させる計画だ。起死回生の起爆剤となるもので、将来の広大な活用にもつなげて、その爆発的な波及効果は底知れない。

述べたように、万博誘致の経済効果は約2兆円。これは政府の試算である。一方で大阪府の試算では,、具体的には地下鉄の延伸や道路の拡幅といった交通インフラ整備に700億円以上を見込んでいる。関西が強みとするiPS細胞(人工多能性幹細胞)や、再生医療といった健康・医療、環境や、そしてエネルギー分野などの技術やサービスを切り口に、日本が世界に向けて未来の姿を示す絶好の機会として、これを具現していかなければならない。夢は膨らむ一方であるが、現実に地に着いたものとして着実に推進していくべきである。

  開催期間20日間余のオリンピック・パラリンピックと違って、開催期間は約6ヶ月である。経済効果を発揮する期間の長短からして、万博に金をつぎ込んだ方が日本にとってよりいい結果を齎すに違いない。半世紀ぶりに訪れた万博は、時代も大きく変わって、現代社会における意義と貢献度は計り知れない。インフラ整備と計画があってもたかだか2000億くらいである。6ヶ月と云う、その間の活用利潤と経済効果はオリンピックの比ではない。万博の終わった後はRI計画がある。賛否両論はあるものの、カジノ誘致で持続的な活用が望まれる。地盤沈下で憂慮されていた大阪、関西地域の経済発展計画は、これを以て飛躍的に、着実に推進していくことが出来る。でかしたぞ、関西経済圏の人たちよ。褌を締めなおして、万博の準備に取り掛かれ。 

二千二十五万博決まる大阪に経済起爆の浪花開らかん 
町内の友達と行く万博に母が昔の大阪の旅
でかしたぞ大阪万博の誘致策実を結ぶ今乾杯々々
昔より浪花商人の意志堅く気概の高く望みも広し
海上に埋め立て造る休眠地百万余坪の生きた土地へと
死に体の腐った土地を黄金の地所に変え行く万策のわざ
眺めれば茫洋として海上に浮かぶ夢洲の活路示さん
ケチ付けて文句たらたらの能無し野郎カジノ誘致の効果無視して
建設はどうせ海上の離れ島客の誘致も富裕層のみ
試算して経済効果二兆円わが推測は5兆円也
数えれば117万坪と云ふ土地の埋め立てた島荒れしままなり
昔より土を埋めつつ大阪の街造り今息吹き返す
万博の意義高らしめ日本の存在感も示す内外
大坂の夢洲は浪花風受けて万博栄えの花と咲くかな 
人類の英知を広めグローバル世界に光りの窓をひらかん
大いなる夢を託して万博のそれぞれ国の栄え期すかな
浮島の空の満座の星分けて真ん丸の月浮かび来るなり
保護主義と自国第一主義を否定して皆友人と助け合ふべし
万博の意義を正しく置き換えて新しき世を求め行かまし
万博の機を活用し人間の在るべき姿を確と捉へん        11月25日

母校の高等学院

  昨日、母校の高等学院の院長殿から親書を頂いた。去る理事会で小生が司会者の指名を受けて駄弁を弄したことに違いないが、学院の歴史が刻んできたアカデミズムと、ヒューマニズムの奥深さを感じているとの感想を頂き光栄の気持ちで有難いと思った。
  高等学院に通って誇りに思ったことは、先ず学院の校章と学帽である。聞いてみないとわからないが、今の学生諸君はあまり気にかけていないようである。時代の流れ、世相とでもいうべきか、学帽を被っている学生を見たことがない。
書状の用紙には、高等学院の懐かしい校章が記されてあった。「高」の字を稲穂が左右から丸く囲んだもので、簡素で剛毅、実直である。実に誇り高き印象である。この帽子を被っていくと、昔の一高生ではないが、将来に対する希望と学習にのぞむ期待は大きく膨らんでくる。感慨を以て、デカルトの{省察}を抱え、西田幾多郎の「善の研究}を抱え、ニュートンの「自然哲学の数学的諸原理」、プリンシピアを抱えて学園の道を歩いていくような感興を持つにいたるのである。その瞬間、ひらめくものを感じて直ぐに万年筆を採り下記のように思いの一首を詠んでしたためた。
短歌同人誌・淵 主宰


蒼々のときわの森に学び舎の高等学院のわれがふるさと

学び舎も誉れも高き学院の七十周年を迎ふこの春

大いなり七十周年を寿ぎて常盤の森に聳ゆ学び舎

石神井の駅を降りれば学院の学び舎のある深き森かな

蒼然と仰ぐけやきの並木みち七十年の重き歴史も

高邁な気概も生まる自ずから並木の先に在りし学び舎

それがしが通ふ校舎は古材の木造平屋の質素、陳腐に

穴八幡境内に立ち学園を眺め夕べの鐘をきくかな

まだ消えぬ当時の戦後の爪痕の生々しくも戸山が丘に

雨風をしのぐ屋根さえあれば良し皆学習に励む日々なり

木造のカマボコ兵舎の趣きに戦後の時代を映し返せり

思ひ出に残る教師のさまざまに熱き教鞭の胸に迫り来

悔いの無き学習の日々を過ごし来て今なほ手にす古き教材

先達の多くが既に鬼籍にて偲ぶもさびし心思ひに

ありがたき教鞭を得て今にあるわが身を更に研磨すべきと

学院に大隈建学精神のみなぎる創立七十周年

大いなり人に倣ひて学院の古希を祝へる春を迎へり

天空に北斗の星の輝きを厳かに観ん学院の園

学院の学徒に授く勉学の道を究めて世にそ立つべし

おほらかに学ぶ学院の学徒らに幸い多きことを祈らん

素晴らしき設備の学院校舎にて学ぶ学徒の夢広きかも

悠然と見る法界の果てに立つ己れながらに我が姿かな

人生に倣ひて古希を迎ふるに学院創立の意義高らしむ

面目を新たに我の道を行く温故知新の教へ習ふて

学問の道おほらかに踏みしめて努力研鑽に励む世の道

いみじくも竹野初代院長に日本文学史を学ぶあの日よ

願わくば我がふるさとの学院の机に向かい授業受けたし

めでたくも学院七十周年に我がよわひ重ねて万感胸に迫り来

一寸の光陰重く身に刻み学院生活を充たし励まん

人生は思ふに我のものなりき正義に根差し闊達に行かん

人生は己ながらに生きて行き世のため人のために尽くさん

細心の気を配りつつ大観しこの世の道を歩む雄々しく

おのおのの道を独自に創造し個性発揮の成果収めん

大隈の五つの精神健康法活かして日々の務め果たむ

掛け軸の八一の学規をじっと見て高き理念の身にそ覚えへし

伝統を誇る学院の末永く光りを放ち世にそ尽くさん

一世の上を逍遥すとは何たるや気概のでかく八一のたまふ

天つちの間に我ひとり立ちてもふこの人生の如何にあらめや

学徒らの持てる才知は輝きを放ち後世のしるべと為さん

学問の自由独立を堅持してわが学び舎に光輝在るべし

元号を新たに迎ふ世に臨み学院創立の七十年も又

うつし世の荒波越えて突き進む獅子奮迅の男子たるべし

一枚の柿の紅葉に真ありて森羅万象のおきて知るかな

志一つにありぬ学び舎の散りじりなるも友の面影

オフィスの机に置きし一葉の柿の葉に知る法界の理を

ガリレオもパスカルも又何と云ふ色づく柿の一葉を見て

変転す世の習ひこそ幸ひと思ひて波に乗りてゆくべし

学院の勉学の日の尊きに心身共に鍛へゆかまし

学院に熱き院長の居りまして進取の精神つねに謳歌す

青春の日を謳歌して世にのぞむ励みてすすむ王道の先 11月28日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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