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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.21.2

二月

   輝くばかりの空の青さと海の色である。太平洋の荒波の打ち寄せる水戸の大洗海岸から北上して白砂青松、時に岩礁の続く北茨城の大観堂の磯浜まで朋友の陽一君の案内で旅をつづけたことがある。気兼ねなく思い思い勝手な行動をとりながら、少年時代を回顧しながら放浪に近い旅だったが、もう一度繰り返してみたいと思うこと切なるものがある。空に漂う雲を眺めながら、ふと思いよぎることがあった。

今日も又心やすけく恙なく過ごし終へしとコロナ禍の日よ

いと高き岩に茂れる松の木の海のしぶきに蒼さたたへり

白き泡打ち立て寄せる沖つなみ北茨城の続く磯辺に

朋友の陽一君のあとに就き大海原を眺む在りし日

旅宿のあんこう鍋の席に着きひれ酒交はす今は亡き友

荒磯を舞台に「あんこうのぶった切り」解体作業の跡形もなき

あんこうを食する全てに無駄のなく人の口にそ利にて入るなり

あんこうを吊るして捌く手早さに痛々しくも見つめ居るなり

あんこうのぐづぐづと煮て柔らかくいつまで煮ても柔らかきかな

あんこうの骨の髄まで食べつくす骨柔らかく身に境なき

酒一杯また一杯と夜明けまであんこう鍋を前にして過ぐ

あんこうのグロテスクな身をことごとく腹に収める人の凄さよ

白砂に打ち寄す波に身を浸し雨情のわらべ詩を聞くかな

岩礁の入り江に淀む去る場所に夜な夜な月を愛でるひとあり

幟たつ大漁旗の白布に大海原に朝日昇り来

大漁旗かかげ海原に漕ぎ出でて打ち来る波に兆す豊漁

海原にわたつみの神海彦と西に筑波の山彦の神

海浜の岩場に砕け散る波に雨情のあはれ詩を聞くかな

浜の風匂ひ過ぎゆく爽やかに野口雨情の住まふ館に

さざなみの打ち寄す磯に海女の影あわびさざえを潜り採るなり

大寒の夜空の海を漕ぎ渡る月のひかりの透きて眺めり

朝ぼらけ水平線の彼方より大き日影の昇りくるかな     2月1日

   ミャンマーでクーデター

  希望を持たれたミャンマーの民主化は、又もや国軍のクーデターによって頓挫してしまった。2011年に政権の民政移管を成し遂げたミャンマー国は昨日、事実上の政府トップのアン・サン・スー・チー国家顧問、その他の25名からなる政府関係者を拘束しクーデターを実行した。国軍は、2020年1月に行われた選挙でスー・チー氏率いる国民民主連盟の圧倒的勝利が「不正選挙」によるもので結果を無効とし再度選挙を実施するとして一年間の非常事態宣言を発表した。先刻のアメリカのトランプ元大統領が始終口にしていた「不正選挙」を真似て引用したような始末である。「自由で公正な選挙を実施する」と軍事独裁者が云っているのだから、始末に負えない。相手は武器弾薬を持っているから、民衆が数の力を背景に、多数採決の民主主義的原則と手段を以て立ち向かっても、聞く耳を持たぬ連中だからいくら正論を吐いても相手にはならない。

  世界各国は軍事クーデターを起こしたミャンマーの指導者に対し、強烈な避難を向けており、アメリカのバイデン大統領は、以前に打ってきた経済制裁を復活させると宣明している。 日本からの民間企業の進出も、ミャンマーが民主化を打ち出してから盛んに現地での経済活動がおこなわれてきており、現在433社もの企業がミャンマーに進出しているので、受ける影響は計り知れない。 

  又、ミャンマー国の地政学的状況は重要な位置を占めており、背後からの中国の影響力はとてつもなく大きいことだ。ミャンマーは中国とインドに挟まれた位置にあって、中国の一帯一路の経済貿易上の一大戦略拠点になっており、いたずらに経済制裁を加えて軍事政権を追い込んでいくことは軽率である。東南アジアの均衡状態を損ない、不安定な状況をもたらすことにもなりかねない。

ミャンマーに又もや軍事クーデター起き民主化の道を閉ざせり    
米中の狭間に揺れるミャンマーの軍政敷かる混乱の渦
政治的後進性のあらわなり東南アジアの荒れしままなり
米中の狭間に生きるミャンマーの聞きぬビルマの竪琴の音を
ロヒンギャの難民生活の貧困を脇にスー・チー氏の豪邸に住む 
哲学を持つ政治家を待望す又も軍事独裁の国        2月2日


コロナ緊急事態宣言の延長

  この日、日本ではコロナ緊急事態宣言が引き続き延長となり、3月の7日まで我々も我慢を強いられることになった。飲食店の経営を厳しく直撃しているが、ただでさえ客足の激減で閉店を余儀なくされる店が続出である。国や自治体からの賢明な支援もあるが、焼け石に水である。なかには急激な変化に対応できず、倒産に追い込まれる店や企業も多く散見される。

  最近鳴り物入りで開店した銀座シックス、華々しく出店した名ブランド店の54店舗中、17店舗が撤退するという話である。銀座の一等地でこのありさまである。ましてや他は以てしるべしで、悲惨の声が沸き上がってきている。東京ばかりではない日本全国の悲鳴であり、否これは世界中で直面している大規模な危機の様相である。危機を叫んでばかりいても能がなさすぎるから、何とかこの人類初の大規模な危機を乗り越えて行くにはどうすべきか、熟慮に熟慮を重ねて危機打開の知恵を発揮しなくてはならない。

  ミャンマーの軍事クーデターの話どころではない。軍人など、とぼけた痴呆症患者が跋扈するのも、要は国民がしっかりしないからであり、平時に矛盾をさらけ出している国が多いからである。今や世の混乱に乗じてこうした不貞の輩が隙を突き、自国第一主義、自分第一主義をかざして民衆に攻撃を仕掛け欲望をほしいままに出てくるものである。しかし今我々は目に見えぬコロナ菌と日夜戦っている。戦況は厳しいが、打ち勝っていかなければならない。世界は、一億に達する感染者数と、死者220万人に及ぶ被害である。ワクチンの開発と供給を目指し、万人が早い段階で接種される体制を整えなけらばならない。

  WHOのテドロスさんや、日本の菅首相も小池地知事も、バイデンさんやイギリスのジョーンズさんもマクロンさんも皆懸命になってコロナウィルス感染症の撲滅に精力を費やしている。我々も事の重大性に鑑み日夜戸惑いながら、やるべき責務を果たし懸命に戦っている。この世で、公正や正義を叫ぶ皆が同じように、戦っているのである。ミャンマーのようにクーデターなど行っている時間はない。プーチンのように自己の利益を追いかけているような真似など犯してはいられない。何時どこでコロナに感染し、お陀仏とならざるを得ないような、今のご時世である。 平等に感染力を発揮しているコロナ菌だから、公正を書いた悪人ほどコロナ感染の憂き目にあうに違いない。心して反省すべきは、世界の権力をかさに生きている人物たちである。   2月2日

   節分の豆まき


   今日は節分の豆まきである。夕食の後、家内と一緒に豆まきを行って家の厄払いをした。今年は四年に一度の「うるう年」に当たるので、一日繰り上がって2月2日の今日が「節分の豆まき」に当たる。会社から帰宅して風呂に入り、夕食を済ませ、気持ちを新たに気構えてから、あらかじめ家内が用意してくれた豆の枡を以て、豆まきを始めた。家からコロナ菌を駆逐し、心身共に常に健康状態にあるように心がけて、念仏見たいなものを唱えながら一階から二階へと足をのばし、窓という窓を開け放ち、大声を以て豆をまいた。勿論、常識的に「福は内、鬼は外」と叫びながらである。

   例年だと「福は内、鬼は外」と勇ましく連呼して、確かにいると思はれれる鬼をめがけて豆をまくが、今年は様子がちょっと変わった感じである。 新型コロナ感染症のおかげで日常生活の様式が激変したせいもあり、マスク着用はもとより、唾を飛ばす会話を控え・・・となると、今までの豆まきの作法はご法度である。大きな声を出して怒鳴ることなど、近所に聞かれて交番に通報されたりしたら、思わぬ鬼がまかり出ることになって、事は左様にせちがないことになってくる。 幸いなことに拙宅の住まいの周辺は、樹木が多いのと、庭を構えたりして隣近所との距離が広いせいで互いに迷惑のかかるようなことはない。この際元気よく鬼以上に暴れてみたいと思って、コロナ退治に発奮してしまった次第である。久しぶりに大きな声を出して怒鳴る思いで声を吐き出したので、胸の内がすっきりして爽快な気分に浸っていたのである。  澄み切った夜空を通して、小生の声は遠くまで伝わっていったに違いない。豆に当たった鬼どもも、あわてて逃げて行ったことだろう。昼間の陽気と打って変わって、外は厳しく寒さが身に応える夜である。撒いて撃った豆の的中率は、百パーセント間違いない。小生がまいた豆の威力は大きく、打撃力、破壊力は甚大だから、この世の悪疫を払しょくすること間違いはずである。コロナ菌も勿論のこと、その対象に入っている。   2月2日

    2月三日の立春

  普通は2月3日の節分の豆まきが終わって、翌日に迎えるのが立春である。今年は四年に一度の「うるう年」なので一日繰り上がって早く迎えることになった。暦は正直である。立春をまじかに控えるころになると、心なしか暦は春めいて陽気は温かく、日差しが明るくなってくる。だから今日から春なのである。新型コロナ感染症の恐ろしさなど、どこかにすっ飛んで消えてしまったよう、すがすがしくあたたかな日差しと陽気である。文字通り、確かな春がやってきた。

  痩せ蛙負けるな一茶ここに在り、でもないが、家内から毎日のように「コロナか危ないから会社への出勤をやめるよう」に忠言を受けている。高齢者の感染は自業自得、社会から見放されるような深刻な状態だし、若し罹かってしまったら死を覚悟しなければならないから会社へ行くのは、今は用事があっても止めてくれというのである。 老人イコール痩せガエルだと思いながら、精神力だと思いつつ戦った来ているが、世間がそうゆうものでもない。今日は素直に家内に從った。陽気は春だし、紅梅の固いつぼみも早やほころびかけている。

  定期便のように会社に出勤して来て、公的交通機関を利用する以外、その間の距離はもっぱら徒歩である。エスカレーターやエレベーターは使わないことにしている。詰まり老化と称する肉体的な減退を少しでも阻止しようと、ジムに通うつもりで行っていると云えば言いすぎだが、やるべき仕事があるので、まだまだ仕事をしながら身体の定期的運動によってこれを習慣づけて老化を阻んでいるわけである。目下のところは、「一挙両得」と云ってもいいし「二兎を追うもの二兎を得て」といってもいいかもしれない。   

  一茶の句に、「立春や愚の上に又愚に帰る」というのがある。私はたまたま今日の立春の穏やかなはtるの様子にほれぼれしながら、ゆったりとしたおおらかな気分を想像したのである。しかし一茶の心境はさにあらず、次のように窺っている。「春が始まったが、愚かな自分は今年もまた愚かに生きることだろうよ」と詠んだのだそうである。在宅勤務と洒落たつもりで家にいて大した仕事に就かず、ぶらぶらしていると体がなまになっていく気がしないでもない。おまけに春の陽気である。猫の昼寝を奪うわけではないが、一茶の句が思い起こされてきた。  在宅勤務は小生にとって、もしかすると怠け癖を身に着けるものかもしれない。
そこで一句を試みてみると
「立春や愚者の身に又愚を重ね」という一句が出来た。  春眠暁を覚えず・・・・で、仕事など忘れて穏やかな春のひねもす陽気を思う存分味わってみよう。「春の海ひねもすのたりのたりかな」 眠り蒼むさぼりたくなるようなひとときである。

   夏目漱石の草枕の一説に 「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。」とある。

  在宅勤務、テレワークと云った洒落た言い訳で家にいるわけではない。ましてや夏目漱石の草枕の心境に在って、風雅をたしなむほどのご時世でもない。コロナ感染を恐れ、万が一の自分の死のことを考えて臆病風を吹かせて家内の声に驚かされ、勤務を中断しているに過ぎない。死したあとで「お父さんはこんな厄介なものを残して行って」と云はれるのが嫌で、金に換えられるものは金に換えるべく、整理という言葉を使うほどでもないが 、身の身辺のチリごみの類い、金品を整理しているのだある。幸いにして借財というものはなく、誇りとすべき唯一冥土への報告である。今更、利益追求という企業家倫理に燃えてのことではない。しかしいざとなれば清新の気旺盛な若者相手に、俗物的心理を発揮して、算盤に陥って頑張るつもりでいるから、だからちょっとした生命力につながっていることに違いない。 色もそっけもなくなってしまっては、精彩を欠き生きていても恥をさらすだけである。なれば孫正義とか柳井正とか言った人物を標的に蛮勇を振り絞って努力することは、資本主義、自由主義の美徳でもある。

  マスク着用の不甲斐ないご時世である。人の顔を見ていても、喜怒哀楽が読み切れない世の中である。人の表情は単に人の眼だけではない。コロナ禍の影響はさまざまで甚大だが、人の表情の
読み取りまで制約してきている。口の形が読み切れないと、口の動きが分からないと、人間の顔は死んだも同然である。近ごろは憂鬱な時間に苛まれて、下らぬところで労力を使うことになる。だから明るい春が来て、麦畑の麦の穂の波から飛び立った雲雀のような、さわやかな明るい心境になってみたいという一念である。 「雲雀が啼くのは口で泣くのではない。魂全体が啼くのである。」 長閑なヒバリの声が白い雲の裏に隠れてもまだないている。そうだ、確かに口で泣いているのではない。雲雀が空に向かって鳴きながら行くのは、心のうちの魂が賛美歌を歌いながら神様に近づいていくからだと思うことがある。さもなければ雲雀が雲の裏に隠れて消えていっても、あの美しい声だけが尚も聞こえるはずがない。魂の歓喜の叫びに違いない。言うなればベートーベン第九の歓喜の歌声だ。こうした解釈を、純粋な漱石も納得してくれるはずだ。   

春の海ひねもすのたりのたりかな    何だかん眠くなってきたなあ・・・・・。 2月3日

舌禍事件

  昔から「口は禍のもと」とは良く言ったものである。人として持ち添えた常識に触るような言動は、夙に注意しなければならない。ちょっとした失言が、いくら弁明し釈明しても納得されず、もがけばもがくほど大事にいたり、結果墓穴を掘るケースが度々ある。責任ある立場に立つ人は、特に言動に注意しなければならないことは云うまでもない。「物言わぬは腹ふくるる業なり」と云わんばかりに云いたい限りを尽くすと、教養のなささをさらす結果にもなる。たまたま放った失言が粗暴な本性を明かしてしまい、暴露される始末は、最早失言と云ったものではなく、その通りだったということになる。

  舌禍時事件になってしまうと、収拾がつかなくなって、操縦不能のジェット機ではないが墜落の憂き目にあうこと必定である。りっぱな、社会的重責にある位置から、否応なしに引きずり落されて、天と地の差の、奈落の底に突き落とされる結果にもなりかねない。仮面が剥がされて悪事千里を走るではないが、悪の権化と罵られ、今までの努力と功績は一瞬のうちに水泡に帰してしまい、これほどの悲惨な運命はない。政界、財界を問わず世間にありがちな事案であり、枚挙にいとまがないはずである。

 オリンピック・パラリンピックの組織委員会の会長をされている森さんは、首相時代にも手紙を戴いたりしていて親しみを込めた間柄であるが、それだけに今回思わぬ失言をしてしまったことは悔やまれ点らない。会長になってから幾多の困難を乗り越えてオリンピック・パラリンピック大会の実現に奮闘してきた。新型コロナ感染症の拡大で昨年の大会が一年延期となり、今年もあと170日を余すところとなった。新型コロナ感染の拡大はその後も拡大の一途をたどっており、開催できるかどうか危ぶまれている状況である。目下は緊急事態宣言が発せられている最中である。そして世界の一部でワクチンの接種が始まっている。最中でありながら、ワクチンの効き目についても議論が重ねられている状況である。日本に至っては未だに接種が始まっていない。

政府もワクチン接種の問題については出来る限り速やかに、広範囲に実施したい意向で、その為に河野太郎氏を担当大臣に据えて事態に当たっている。すべては感染拡大の阻止と、まじかに迫るオリンピック・パラリンピック開催に向けて懸命の努力を行っている。 そうした中での、今回の森さんの失言で世の中に混乱が起きてしまっている。失言の問題が、オリンピック、パラリンピック精神の根幹に触れる問題だけに始末が悪い。そのように公正を欠いた女性蔑視の発言が許されないとして辞任を求める声が上がっており、SNSに拡散されて事態収取に翻弄されている。困った事態である。和やかな身内の雰囲気に気を許してしまったのか、失言は森さんの折角の今までの奮闘と努力が、水泡に帰す事態である。

   では失言癖のある森さんとは、一体何と云ったのだろうか。女は議論しだすと口うるさいから話が長引いて結論を出しにくいと、女性を軽蔑するような発言を公の席上でやってしまった。席上、他の役員も笑って済ませるような軽いものと思いがちであった。が、そうはいかなかった。オリンピック精神で規定している規約では、男女平等を目指し、委員会の女性参加を40%にすべきであると目標を置いて努力している最中である。アスリートの参加をもっと増やして男女平等の機会均等を目指すことを理想と掲げている。こうした目標に邁進するなら結構だが、つい日常的に自分の持論を吐いてしまい、本性を明かしたからには会長として適任ではないということである。世界的イベントだけに、またたく間に世界に配信されてしまった。世界の日本を見る目にも厳しいものがある。

  もともと森さんの失言は有名で過去の失言も枚挙にいとまがない。よく言えば、歯に衣を着せぬ剛直なところがあって単刀直入で聞きやすい。しかし的を外れたりすると飛んでもない方向へ矢が飛んで行ってしまう時がある。かつては「日本は天皇を中心とする神の国」であったり、選挙中に「無党派は寝ていてくれればいい」と浮動票を狙った発言だったり、「子どもを一人も作らない女性」などといった失言を連発したほか、東京五輪組織委員長に就任してからも、ソチ五輪における浅田真央選手の演技について「大事なときには必ず転ぶ」と云ってしまったり、「国民がどうしようかという時期に、なぜ調査が必要なのか」などといった失言が記憶に新しい。なかでも「日本は天皇を中心とする神の国」などの発言はある思想家が、狂信的な極右団体の前でいうならまだしも、思想的にも知識的にも頂けない話ではある。

  時には失言と云っても、誰もが心の中で思っていることを代弁してくれると云った類いのものもあって嘘ではないが、決して好ましいものではない。時と場所によって、公人としての云っていいことと、云っては悪いことと云ったものが、常識的にわかっていてもらわないと、要職に就く人、ましてや公人にとっては責任が付きまとうこともあって、順守すべき事柄である。さようの事は、オリンピック開催の推進者の責任の地位にある人が、オリンピック精神、理念に反するような、逆なでするような考えを持っているとすれば、また何をか況やである。

  世界はもとより、開催国日本の新型コロナ感染症の状況次第で、170日後に迫ったオリンピックそのものの開催の有無が云々されている時期である。ワクチンにしても日本人は未だ誰一人として接種した人物はいないのである。議論ばかりが先行しており、現実性に乏しい話に時間を割いている。一歩間違えれば喧々諤々の世のなかの事、開催時を云々するような微妙な時期に突入した感があるが、雲行きの怪しく成ってきた森さんの立場を考えて、ご自分が申しているように今までの努力の積み重ねと、多大な功績が無に帰することのないよう、そして成功への道筋を以て、飛んでもないことながら老害の粗大ごみと揶揄されて、不愉快な思いに扱われないように、知恵を絞ってもらいたいと思う一念である。  2月6日


月がとっても青いから

  昭和30年ごろに一世を風靡した懐かしい歌謡曲に、歌手の「菅原都々子」が歌っていた「月がとっても青いから」というはやり歌があった。軽快なリズムに乗って思わず恋人の手を引いて、小走りして行きたくなるような月の夜を思わしめるに十分な雰囲気である。月がとっても青いから、そして、遠回りして帰ろう と歌詞が続いていく。近ごろは遠回りして帰る人も少なくなってきた。全部が全部慌ただしくしているような気がして、遠回りしていく余裕などないと云った感じである。

出来るだけ近道をして効率よく右に左に駆けまわり、徒然草にも書いてあったような気もする。優雅を楽しんで時を過ごすと云った気持ちにもなれないと、現代人が呟いてツイッターしている。そもそもツウィッターなどと云って速射砲のように言葉をかけられても、握り飯を飲み込むつもりで対応しないと後に就いていけない。最近の人は、無口の人がいるかと思えば、早や言葉で結論を急ぐ風潮になってきた。乗り物に乗るといつも「マスクをして、会話はお控えてください」と言い聞かせられてばかしいると、人間と云うのは恐ろしく単純なもので、いつの間にか飼いならされてしまうものである。家に帰ってもマスクをし、会話を控えて食事とい具合の家庭もあるらしい。それが不自然なものと思わなくなってきている。ましてや一歩足を外に踏み出せば雑事に追われ、不便な世の中になってきたもので、相手の顔を認識するまでに時間がかかるので、会話をするどころではない気がする。せわしない世の中の風潮であるが、せめて月の青さにほれぼれするような感性だけは、自分なりに持ち添えていたいものである。  

等々力の夜空を渡る冬銀河合間を走る流れ星かな

轟きて流るる如き冬銀河凍てつく空に放つ帯かな

紺青の冬の夜空に飛ぶ竜の影を落として煌めきて在り

冬の夜の凍てつく空を金色の星を集めて大河とはなる   

等々力の住まいのうえに星々の光またたく冬の空かな

オリオンの星座に並ぶ三ッ星のわれが惚れたるひとと思へし

星々のまたたく空に火の星の月に寄りそひ語る何かを

死して尚わが魂は法界の星の間を行きとわの果てまで

濃くうすく光を放つそれぞれに我に語りかけたりし影

限りなき無窮の空を漕ぎ出でていざ我が小さき帆をかざし行く

大寒の夜のしじまを漕ぎ出でて今宵の海を渡る月かな

山の端に燃えて落ち行く今日の陽に感謝を込めて祈りけるなり

お互ひに手を取り合ひて眺めつる今宵の月の明かなりし

法界のあまたの星は北極の一つの星をめぐる掟は

仰ぎ見る北斗の星のきらめきに満座の星のこれに從ふ

われわれも又銀河鉄道の空の旅行かん光の林すり抜け

行き交うも皆旅人とのたまひし芭蕉の思ひの星に届けり     2月12日


菅原都々子の歌

歌ひつつ月がとっても青いからこの先月とともに行かむと

どこまでも青い光の月と行く何とゆかしき法界の果て

貴方だけ愛する人はあなただけ恋ひ慕ひゆく月の影かな

独特な声ふるわせて歌ひける都々子の歌ふ青い月かな

物がなしバーブ佐竹の口ずさむ貴方だけはと信じつつ

物語ることのあるらしこの宵の月のあはれに思ひそめしか

我が身の心の内を推し量る心地こそすれ月の影とも

命あるこの身の限りありしこと思ひつ今宵の月を眺めん

むら雲に隠れて恥じる月影の何ぞ艶めくことのあるらし

月に寄る身の一つだに恥らひて赤きひかりを灯す火の星

もろもろの星の互ひに道に就くしかも北斗の星をめぐりて

その星の如何にも厳し北天に不動の座をば占める冬の夜

見上ぐれば宵の星座の位置につき月は東に陽は西に就き

宵闇の道行くわれにふるさとの星は迎えへて誘ひにけり    2月13日

福島県沖震源とする地震

   ニュース23のチャンネルを回しニュースを見始めたところ、緊急地震情報という文字が画面左下に二重写しに映った。23時8分である。全面いっぱいに映ったものであれば直ぐにも気づくが、画面の三分の一ほどのスペースだったので、直感的に気付くのが鈍かったようである。家内と見ていたが、家内はそれに気づかなかったくらいだから、折角の緊急情報が視聴者にすぐに伝えられなかったかも知れない。ニ、三秒が過ぎて地震予報だと気づいた私は「地震が来るらしいぞ」と家内に伝えた。「来るかな」とつぶやいていたが、何となくそれらしき雰囲気になってきたようである。その時じっと神経を尖らしていたところ、じりじりという微かにきしむな音とともに、矢張り地震の揺れが体に伝わってきた。一階の広間にいたが、揺れはかなり大きく伝わってきて、いつまで続くのかと思うほど時間が長く、しかも横にかなりの揺れを感じて、本棚、食器棚など倒れたりしたりするものについて、部屋の中の様子は大丈夫かと不安な気持ちで眺めていたのである。広範囲にかなり大きな地震のようである。一分少々で収まったのでほっとしたが、揺れの長さから見て、かなりのものである。

気象庁発表によると震源地は福島沖、地下60キロと推定され震度7,1との規模である。かなり大きな規模の地震と感じたが、直後の気象庁の発表ではこの地震で津波はないとの事であった。福島、宮城などの現地の模様が報道されるが、具体的に被害状況などは入って来ず幸いである。深夜に起きた地震ゆえ被害状況を具に確認することは出来ないが、軽微であってほしいと祈るばかりである。しかし不安に思った事は、この地震は専門家によると丁度10年前の3・11の北関東東北地震の余震の範囲内ということで今更ながら驚いたが、10年周期、20年周期と云った長いスパンの単位の世界だから、さりとて明日にでも起きないという確証はないから始末が悪い。予測困難なこと故、常時、備えておくべき課題である。

  ロマンチックな話になるが、地震による少しの揺れは、在来工法の木造住宅にとっては家屋全体の木口や継ぎ目が揺れによって締まるので家屋全体が強度を増してプラス効果になるという話は、拙宅を普請してくれた設計士であり現場監督の臼井君が云っていたことである。我が家の揺れを見て、しみじみ思い起こしていた。小生の希望で、材木は切り出しから十年以上経過した無垢のモノを使ってほしいと、更には出来るだけ梁や柱は通常より太いものを使うことであった。木のぬくもりと美しい年輪や模様を生きたままに楽しみたいと思っていたからである。生活の拠点でありできる限り気宇壮大な気分を以て涵養に努めたい思ったからである。梁と柱と土台の組み合わせとしなり、家屋も乾燥しきった木材を使って組み上げていく時でも、長年の経過とともに微妙な緩みが生じてくるので、地震の効果はそうした点に最大のメリットがあるものだと変なところで感心していたものである。家屋にとっては構造上の塩梅の締め付けを調整するので、逆に耐久性が高まっていいらしい。その程度の地震なら結構だが、そうでなく被害甚大というようなことになると、「地震、雷、火事、親父」で嫌われ者扱いである。何しろ大地が揺れるのだから、地震に遭遇するとどこまでが限度なのかわからないだけに、恐怖心はつのるばかりである。お願いだから3・11の大地震と大津波の再来だけは御免被りたい。         2月13日

  

    以下爆発的に綴るうたと詠むべき近ごろの心境である。山道を登らずとも、銀座中央通りを歩けば自ずと世相の反映に愕然とする思いである。コロナ禍で経済は疲弊し、外出自粛がたたって人影はまばらである。銀座一丁目の大通りから、銀座七丁目までを直線コースに、目の前を遮るものなく見通せる世界一の繁華街の通りである。ゴーストタウンと化した大通りは恐ろしい光景を呈し、太陽の日だけがさんさんと照り付けている。目に見えぬコロナ旋風に脅かされて、人々は家の外に出ようとしない。皆がどこかにそれぞれ、おとなしく静かにうずくまっている。

  なのに株式市場だけが活発な動きに明け暮れて、連日活況を呈している。世界中が同じような動きだから、安心しきっている。経済的な根拠は鮮明にコメントされているのでなおさらである。しかし持てる者と、持たざる者との格差は拡大するばかりである。ヨットで海に出るものやセスナを飛ばして空を遊覧するものもいれば、逆に路上生活をしてごみの飯をあさる者もいたりする。ニューヨークに溢れる失業者を捕まえて、経済大国を象徴するとトランプ大統領はその見本だと云っても首をかしげたくなるような矛盾は何か。そのトランプは大統領選挙に敗北してワシントンを去った。巨万の富を更に築き上げて、大衆を路上に置き去りにした。最後には、その大衆をけしかけて連邦議事堂に乱入させ、議事を妨害し、民主主義の牙城を破壊した。しかしその史上最も恥ずべき罪状はとがめられなかった。無罪放免が直ちに決定した。塀を乗り越えガラスを破り、議場内に突入した民衆は、逮捕拘束され裁判にかけられるであろう。防犯カメラに映し出された彼らには、はっきりした証拠が突き付けられている。有罪確定の判決である。

  オリンピック組織委員会の会長を務めてきた元首相の森喜朗さんが、ここに来てしくじってしまい辞任に追い込まれてしまった。女性蔑視の発言で、オリンピック精神と理念を侵すものであるとして、辞任の憂き目にあってしまった。残念で、気の毒であるが仕方がない。お孫さんからも始め、家族からも痛く叱責を受けたらしい。苦労して立派な立場に立ってきていながら、あんな単純なことの発言で身も蓋もない落ち目を味わうとは、何とも情けない話である。オリンピック、パラリンピックという世界的イヴェントだけに世界が注視しており、大事な職責を傷つけ国民的、世界的痛手は甚大である。そんなことを言ったら、どうゆう結末になるかぐらいは考えないのだろうか。良し悪しの判断がつかなくなっているとしたら、やっぱり老害と云わざるを得ない。それは真面目な高齢者に対しても老害という言葉で片付けられて屈辱的扱いで、この方の問題も大きな波紋である。 尊敬すべき高齢者に対し、はなはだ失礼な仕打ちになる。    2月16日

雅叙園で昼食中にゆらゆらと揺るる大地に気づくおおなゐ

三十年前の阪神大震災寺島、ランコ氏と昼食の時

おおなゐの恐怖の今に覚へかし阪神大震災の被害甚大

十年前東北大震災のおののきを今に伝えり昨夜の地震は

荒漠と襲ふ東北大地震、津波の惨禍今振りかへり

福島県沖合を震源とマグニチュード7,1に津波起きずに

ゆらゆらと揺るる館の中にいて無為と無策の我に気づけり

昔より地震、かみなり、火事、親父とは我が内に語り伝へり

ニューヨークダウ上昇の新高値二極化進む世界経済

東京の株式市場も上昇し三十年来の高値更新

驚きぬコロナ経済のことごとくGDPの超下落化にも

札束の乱舞が見舞う株市場バブル再来と述べる人あり

コロナ禍の景気を支え大量の札の発行と財政出動

執拗なコロナ感染に輪をかけて変異種菌の市中感染

ワクチンの世界争奪戦の激しさに漸く日本も接種始まる

地上にてコロナ地下にて大地震いづくに居ても災はい多し

おおないとコロナに怯え安らぎの癒える場のなき地球とはなる

何かにと気ぜわしきかなこの世にて漱石の居らば何と書くべし

水仙の日だまりにさく朗らかに肩ふれあひて匂ひ放てり

そこここに顔を出したる蕗の薹摘みたる妻の白き顔かな

吹きたまる豪雪地帯の人々の寒気南下に怯ゆ日々かな

コロナ禍の謎に抗する手立てなく現代人の矛盾あらはに

スマホにて家族同士が語り合ふ天真爛漫の画面眺めつ

大いなる恵みの時に我在りてイエス降誕の謎に置かるる 

いづくにも主に付きて行くこの道を日々の苦楽を共に抱きて

今日も又安けき日をば恙なく過ごし終へしとコロナ禍の日よ

トランプの国家転覆罪の明らかにされど不条理に無罪とはなる

トランプのデモを煽りて議事堂を襲撃破壊の凶暴に出でし

大罪を侵すトランプの歴史誌に連邦議会の攻撃のあと

私利私欲にも気付かずに民衆の危機に直面の大統領選挙

トランプの断末魔ゆへ狂ひたる悪しき行動の手にも負へずに

トランプの共和党にも恐怖心抱かせ正気を失せる政党

大統領弾劾裁判をすり抜けて院政を敷かんとするやトランプ

ヒトラーの再来かとも思わせる恐怖政治のアメリカにも又

アメリカの民主政治の崩壊を食い止めたるやジョー・バイデン氏

いと高き岩に茂れる松の木の海のしぶきに碧み湛えへり

さざ波の打ち寄す磯に海女の影あわび、さざえを潜り採るなり   2月15日

ワクチンの接種

   新型コロナ感染対策の決め手となるワクチンの接種が漸く始まった。長いこと待ち望んでいた薬の第一便が、米国ファイザー社から一昨日成田空港に届けられた。所定の各所に運ばれて、今日から早速、国内での接種が開始され、先ず医療従事者をはじめ関係者から逐次接種が続けられていくことになる。

  拙宅から近く、いざという時にはお世話になっている東京医療センターでは、新木院長が率先して第一号の接種を開始して、その模様は報道陣に公開され広く一般に伝えられた。先行接種は、国立病院気機構など全国100か所の医療機関など、対象者は約4万人とのことである。ワクチンについてはその効用と副反応が未だ不安視される中、一刻も早く接種を広めたいという願望があって複雑な心境であるが、とにかく他国が接種を開始してから五か月以上の経過を見て日本も実施できる段階に至った。

  自国生産による接種が望めないところから、他国の製品に頼る現状であるが、ワクチンの不足から世界的な争奪戦が始まっており、わが国でも関係当局の懸命な努力によって国民皆接種の必要量は確保できているとのことである。しかしワクチンの確保が足もとに確定して用意されたものでないだけに具体的なスケジュールが立てにくい状態である。親しくしている河野太郎ワクチン担当大臣もいらだちと苦悶を隠し切れず、その毎日の様子が目に浮かんでくる。何しろ他国の生産を当てにしているだけに、期待を込めて入ってくるワクチンに対応するしかない。おおよそ8月ごろまでには国民全体が接種を済まし得るのではないかとのことであるが、ワクチンの必要量もさることながら、接種そのものを了する準備態勢が未だ確立されていないことに不安が付きまとうところである。全国的には津々浦々、過疎地を含め一刻も早く実現可能な接種医療体制を整えてもらいたいものである。

  たとえワクチンが百パーセントの効果を発揮する薬であっても、治療を受ける対象者の身体の状況によって受ける症状と効果はまちまちであるから、微量のアレルギー反応を起こす事例が発症するのはやむを得ない。事例的数字が微妙であっても、ワクチンの効果を否定するものではなく、すぐさま副反応の症状を抑える適切な対応によって問題は解決されるものである。安全かつ安心な医療体制をバックに、ワクチンの接種が国民全体に円滑に行き渡ることを切望している。

  新型コロナウィルス感染の防止対策の決め手となるワクチンについては、いろいろな問題提起が交わされてきているが、有事に際し的確な対応が即座に取れるよう、これからも国内の危機管理体制を改めて見直し、万全を期して改革を断行し新たな診療、医療スキームを構築していくことが喫急の課題ではないだろうか。科学、技術立国として日本の立ち位置の水準を切り上げて行く努力が必要である。 医療関係にとどまらず、安全保障上の観点も含めて総合的に危機管理体制の脆弱性、遅滞性が指摘されるところから、この際、菅内閣で、そうした作業を進めて完成させてほしいと願っている。   2月17日



      野鳥の巣箱

  親しくしている近所の狩谷さんから、庭に来る小鳥たちの巣箱を用意したから付けに行ってやるという電話があった。仲間のカッチ小父さんが私の留守中に巣箱を持ってやってきた。家内が応対して何処の木に付けたらいいか相談して、正面に在る梅の木の枝に就けることにして上手に就けおいて帰っていった。今しも梅の木は満開の時である。鮮やかな純白の光を放ち、神々しさは云うべくもない。辺りに芳しい匂いを放ち春爛漫の時期である。

  帰宅して服を脱いでいたら、家内が部屋の引き戸を開けて庭から声をかけている。何だと思いきや、梅の木の枝に据えた巣箱を見てほしいというのである。カッチ小父さんが付けていった巣箱を暗闇の中に見届けたが、興味半分に確認して家に入った。果たしてあの箱の中に本当に小鳥が巣を作って雛を育てたりするものかと、半信半疑だったからである。狩谷さんのところでは、アカマツの太い木の枝に巣箱を置いたところ、四十雀が居ずいて毎年雛をかえしたというし、しかも十年前からのことだと、その光景を妻が嬉しそうに話すので、家にも作ってみたいといつも言っていた。

  確かに家の庭には、色々な小鳥の野鳥が遊びにやってくる。たまに気が向くとパン屑をやったりしているが、ムクドリなどはいつも朝早くやってきて催促がましく鳴いたりして待っている。朝起きるのが遅いじゃないのと云わんばかりに目の前で飛び回ったりしている。だからと云って拙宅の庭に巣箱を付けたものの果たして狩谷さんの言う通り、四十雀が巣箱に居ずいて雛を育てるまでに見届けられるかが、見ものである。狩谷さんの庭では、かわいい雛が巣箱の穴から顔を出したりして、とても可愛いと専らの評判である。   2月18日


組織委員会長に橋本聖子さんが就任

   女性蔑視発言で責任を取って辞任した後に紆余曲折のあと、オリンピック、パラリンピック担当大臣の橋本聖子さんが正式に就任が決まり、政治的中立性を担保して自民党を離党した。森元首相の舌禍事件で人事の決定まで紛糾したが、これでようやく開催準備に向けて全力投球で傾注する準備が整った。コロナ禍の収まらぬ状況で開催に向けた国民の期待も半々であるが、将来のことは分からないとして、やるだけやるしかないだろうというのがもっぱらである。何か祟りでもあっての事か、あとからあとから問題がこじれて生じてくるのが苛立たしい。今問題になっているのは、「多様性と調和」である。地球上には多くの民族が大小さまざまに存在している。地球は円球であり、円球の上に大地が広がっている。そこに立つ人類は以て、様々な個性と文化を構成してその存在価値を互いに広め、たっとばねばならない。同時に様々な価値観を有するなかに在って、調和即ち平等と公正の理念が色濃く刷り込まれていなければならない。結論は「平和」の一字である。このことをしっかり認識して居れば、森さんのようなしくじり方をして追放されないで済む。

   しかし今のところ橋本会長の誕生については異論がない。スポーツ選手として過去オリンピックで活躍しただけに動作がきびきびとして清新な気がするし、発言にしても余計なことを言わず、的を射る発言で分かりやすい。議事のとりまとめもスマートに行って、人心を掴むに長けていると見たい。若いからフレッシュで言動に聊かのよどみのないことから、難問も良くこなして行けるはずだ。大いに期待したい。但しコロナ感染拡大が止まないときは、潔く決断したほうが良い。世界的なコロナ感染S号に悩む現代の様相である。あえて火中の栗を拾う、役目を買っての出場である。開催までにあと残す處150日間を切っている。新型コロナ感染と、対抗策のワクチン接種の綱引き合いである。大会憲章に反して、大会開催が、コロNナ感染を拡大するようなきっかけになっては、本末転倒だからである。   2月19日

平穏の都

  山茶花の花が散り終えて、本格的な春の温かさを肌身に感じるころ、奈良の都の寺の境内には、香り豊かな梅の花が咲きほころびて、辺り一帯を妖艶の匂いに包んでいる。そんな思いを託した手紙が友達から届いた。東京でも三寒四温の繰り返しの日和だが、今日は昨日と打って変わり暖かい陽気に上着を脱ぎたくなる気分である。この暖かさ、あとに、三日は続いて又寒さがやってくるという。 拙宅の梅も咲き出して、太陽の光に照らされて白銀の色を艶やかにはなっていて、庭の風情は格別な思いで眺めている。

二月堂より法隆寺の裏を過ぎ唐招提寺に行く春の道      2月19日


教会の日

   受付当番に妻がついて今朝早く家を出て行ったが、温かい春の陽気に自転車をこいで颯爽と行くのも気分爽快に違いない。小生は朝に届いた新聞を読んでから身支度を整え近いのに横着して車を使って教会に行った。マスク着用はもちろんであるが、新型コロナ感染防止のためいつものように入り口で消毒液を以て手を洗い会堂に入る。入口では礼拝にやってくる信徒たちを妻が笑顔を以て出迎えている。一番大事な場所だから、それなりの人しか努められないようである。私はいつも時間ぎりぎりで通っているが、番人が教会から出てきて建物の脇に在る鐘を撞くことになっている。それに合わせるように小生は教会に入ることにしている。小生の玉川神の教会では牧師が女性である。しかもいまだ独身である。外人の宣教師が牧師として6前まで勤めていたが、愛妻を亡くされたあと九州の地に移って宣教伝道に就くことになった。日本語の上手な牧師であった。そのあとに就任したのがその時の外人牧師についていた今の女性牧師である。だから今の牧師は丁度6年務めたことになる。

  事情があって今の牧師が今年の4月に退任することになった。事情は良くわからないが、信徒の一人がある席で、なぜおやめになるのですかと尋ねたところ、神の御意思に従ってのことです、と意味不明の説明をしていたので、それ以上尋ねることはしなかった。牧師に辞任を認める総会の席上の事であった。私は、教会の総会には、原則欠席して委任状を以て評決を任せている。後に来る牧師が決まっているのかどうか、妻はしきりと気を使って居るようであるがまさか、無牧の状態になっては困ると心配しているようである。心配は無用、私自身は十字架に向かった時の感謝の祈りがしっかりしていればそれでよしとしている。信仰とは難しい論理や理屈を述べ立てるものでなく、心の在りようでどうにでもなるものであると、しかしどうにでもなるようなところに、そうではないよという道筋が描かれていれば、それについていく意思と信念の醸成に励む結果になることだから、要は、自分自身の心の在り様で、祈ればそれで良しとすことになると思っている。

自分勝手な考え方かもしれないが、真善美の極まった実体に向き合えることは幸せだと思っている。父と御子と精霊の三位一体性、神の絶対性は揺がない不動の真理である。生死の境を苦悶し、死の世界を恐れた哲学者、科学者は沢山いた。絶対的存在の神に対し、死を以て自らの実存を肯定しようとした人間が、逆に神の存在に屈服したサルトルや、キェルケゴールが居る。哲学者の川原栄峰先生は当時大学の助教授であり、実存哲学の大家でハイデッカー研究の粋を極めた学者である。高等学院の在学中に担任の教諭に就かれ、同時にドイツ語を学んだ。 学識と思惟の深さに惹かれ学習のあとに就いた。選択科目には樫山欽四郎教授の西洋哲学を履修した。 そして歌人で槻の木の主宰する都筑省吾先生について、例えば源氏物語を耽読する毎日であった。 神に対峙した哲学者の、深刻な思惟と瞑想を学び、 デカルトの観念論を諸先生から学ぶ機会に浴した。青春真っただ中の、旺盛な活力のなかに在った。

  大学に進んで酒枝義旗教授に師事した。もとよりマルクス経済学、ケインズ経済学、下ってサミュエルソンやシュンぺーターなどの投資と新機軸理論を研究しての話であるが、それより先にアダムスミスの自由思想と富国論も含めて、歴史的思想体系を考察しそれなりに把握してのことである。マルクス経済学とケインズ経済学が巨峰を築く当時の風潮に在って、一般教養科目としてはゴットル経済学は異色の学説的存在であった。経済の構成体論的把握と題し、経済活動における経済の組織と構造が、国民と国家に対していかなる仕組みと姿勢を以て使命を果たすかを徹底的に把握し、そこから経済のあるべき基本的なスキームを構築するというものであった。その酒枝先生は現子夫人とも親しくお付き合いさせていただいたが、敬虔なクリスチャンであり鷺宮の自宅を開放して待辰会なる礼拝堂を提供し、多くの信徒が参加して宣教と伝道に努められた。酒枝先生が、内村鑑三と並び称されるゆえんである。 

果てしなき旅の空にも主がゐまし濃きまなざしを注ぎけるなり 

今や資本主義も、社会主義も経済政策としては大きく変貌をきたした。現実には米・中の経済システムが対峙して世界経済を覇権的に存命を図ってきている。 そしてデジタル社会の出現によって物流経済から貨幣経済へ大飛躍したスキームは、 新たな変革の波にさらされている。加えてその波は今世紀最大の危機と称される新型コロナ感染の世界的拡散によって大きくうねりを変えて、これからの人類社会に大きな変貌をもたらそうとしている。現実には、際限なく膨張する紙幣発行時代である。限りなく多額な借金政策であり、財政の膨張は弾むばかりで出口が見えないでいる。それは、実体なき株式相場の上昇と乱舞に象徴されている。 しかも世界的規模においてである。しkもデジタル化によって大衆が全員参加しうる経済スキームが、暗黙の裡に形成されつつある。気球に乗って空高く漫遊する大衆は、ガスを使いきるまで有頂天である。ガスが切れた途端の悲惨を夢想だにしないで恍惚としていると云っていいだろう。

  アメリカ第一主義を唱えて一世を風靡したトランプが去った後に、全く違った政策を持つバイデンが打って逆転させたアメリカである。全く正反対の価値観と理念を持った政策が、一夜にして転覆を試みた。議会主義を標榜しながら一気に革命的スピードを以て政策を転換した。生きた民主主義の、恐ろしき決定の瞬間と転覆である。 我々はつい最近の出来事として、その様相を目の当たりにしている。勝利を手にしたバイデンは、民主主義はもろく崩れやすいと喝破した。今天空を飛んでいる気球には多くの大衆が乗っている。しかも全員参加である。皆がスマホを手にして株式市場にラインをつなげて自己の意志を発信している。発信する意思は別々でありながら、一つの籠の容器に収められているから不思議である。 

民主主義破壊寸前に救はるるアメリカ大地の自由の女神像

ウィールスの感染力とワクチンの接種の綱の引き合いとはなる

ワクチンの世界に並べて普及して構造改革に世の進みゆく

人類の存亡の危機と認識す二酸化炭素とゴミの集積

膨大な消費社会を是正してあくなき欲望を制し行かんや

人間のあくなき欲を制止して物質文明を制御すべしと 

トランプの異常性格の大統領選ぶ市民も現実なりき 

感染者2400万人に死者50万米の惨状の現実なりき  続く     2月21日

    米長期金利が上昇か

   米国の長期金利が上昇気味である。長期金利の上昇は、銀行業務にとっては追い風である。昨年の暮れから注目していたが、例えば三井住友銀行の株式を購入してみたいと思っていた。金融株一般については、もともと地味な株式で動きの鈍かった銘柄で、先行する主流の銘柄から無視されがちであった。そうしたソフトバンク、ソニー、ファーストリテイリングと云った急上昇中の株には最早手が出ないから、どちらかと云えば低迷続きの金融株などは素人には持って来いと思っていたが、これも買い損ねてしまった。新年に入ってから、3000円割れの株価状況を掴んでいれば良かったなあと、後の祭りで現在は3700円台に乗せている。ざっと3割からの値上がりである。

   コロナ禍に在って景気回復など程遠い現状からすれば株価上昇など考えられないが、景気対策で打ち出す財政出動と、超金融緩和でだぶつく資金が株式市場に一気に流れて連日来の高値更新を続けているのも、世界的傾向で潤っているからである。しかし、長期金利の上昇は、株式市場にとっては無視できない下落要因である。債券市場へ株式市場から大量の資金がシフトしていくようだと、株式上昇にとってマイナスであり、ましてや高値圏にある株式市場にとっては整理、調整場面が引き金となって急落の原因ともなりかねない。巷では、経済の実態と乖離した今の株式市況の活況を疑問視する論評も盛んである。株式市場の上昇、下落は当たり前のことながら、つかみどころはなかなか至難の業である。       2月22日

アメリカの惨状

   昨日のテレビを見ていたが、胸が張り裂くける思いであった。新しくアメリカの大統領に就任したバイデン氏が新型コロナ感染で、死者を追悼して祈りを捧げるシーンである。コロナ感染者の死者が50万人を超してしまった。この数字は第一次世界大戦と、第二次世界大戦、それにヴェトナム戦争で亡くした戦死者の数をはるかに上回るものであると述べ、アメリカの悲劇であると沈痛の表情であった。それを聞く我々も驚愕と恐怖の念に苛まれ、コロナの恐怖と防衛策に改めて心を深くしたのである。 
 
   思い起こせば中国の武漢市から発した新型コロナウィルスは、またたく間に世界に拡大しパンデミックの様相は、人類を恐怖の世界に追い込んで、早い一年が過ぎた。その間、世界の感染者数は1億117万人を越え、死者数は何と3百59万人を超える状況で、今後も傾向は続くものと思われる。そうした中で米国は世界で最悪の状況である。 経済軍事大国で科学技術の先端を切って驀進している米国が何故そうした状況に甘んじなくてはならないか、理解に苦しむところである。偏見と貧富の差を如実に表した結果を指摘する識者が居るが、大きな理由の一つである。しかしそうした状況をもたらした遠因が、アメリカ国内にあるはずである。その改善こそ、怠ってはならない深刻な事案である。

   トランプ大統領がアメリカ合衆国の最大の権力を掌握し、権力をふるっていた時期に何故アメリカに斯くもも急速に新型コロナウィルス感染者がアメリカ全土に拡大し、大きな犠牲者を出すに至ったかを検証することは、アメリカ国民の最大の屈辱である以上、その検証は最大の責務である。世界に感染拡大が続く中、トランプ大統領は当初、アメリカにはコロナウィルス感染者はいないとまで宣言し、アメリカは偉大であると星条旗を抱きかかえることまでして国民に油断を与えてしまった。そして感染経路を科学的に検証することを怠り、最大の防止策であるマスク着用といわゆる謂うところの「三密」を無視し、國民に誤った情報を流し続けたのである。これは大きな失政であり、大統領の免責事項と云いながら、無視することは出来ない。

  結果昨年の11月3日の大統領選挙に敗北してからも、勝手な行動をとり国内の対立を煽り、分断させて連邦議会を襲撃させ、彼は政府転覆をはかったとして大統領弾劾裁判までに追い込まれた。冷静になって考えてみると、アメリカ大統領として不適格な発言と行動については正常な判断のものとは言い切れない、常軌を逸し、犯罪行為になりかねない事ばかりを犯してきている。トランプ支持者のアメリカ国民は、そうした過ちに不感症になってきている。 この調子であと4年、トランプが最高権力者として横暴を果たして行ったら、世界は大利地構想の上にますます混乱して狂気のカイオスに至り、人類は破滅のどん底に突き落とされてしまうかもしれなかった。バイデン新大統領の落ち着き払った冷静な言動に、世界はもとより、自国第一主義がそのうちに、あたかもアメリカ国民を潤すかのごときアメリカ第一主義をとって世界連携と協調を抹殺してきた錯覚を、払しょくするに違いない。

  アメリカ市民の多くは、まだ気づいていないようである。依然として共和党内のトランプ勢力の残骸は、恐ろしいほどに滞留しているとのことである。バイデン政権になってから、本格的に稼働するようになってからまだ一か月少々だが、多様性と調和を重視した組閣の陣容を以て、懸命に修復を図っていることは、まことに頼もしい限りであるが、側面から大いに声援を送りたい。多くの民衆もアメリカが、トランプ政権時代の施政から大きくかじを切って世界と連携し、困難な諸問題を解決する決意を発見して、安堵の念を隠し切れないでいる。正しくグローバル化してきた世界観が、この小さな球体の地球を救済し、地球改良への偉大な道筋を示してくれることを願っている。そして一日も早く地上から新型コロナ感染者が消滅していくことを念願している。

   新型コロナ感染者と、結果の死者数を見るにつけ、日々現実に起きているアメリカの悲劇は終わっていない。そして世界の数字も人類の悲劇であり、最大の危機である。対峙してコロナワクチンの開発と、認可と、製造と接種が今、急ピッチで進められている。ばらつきがあって忸怩たる思いだが、わが国でも一昨日、ファイザー社からワクチンの第一便が空輸された。先ず医療従事者に先行して接種され、順次一般国民に接種が行われていく。そして緊急事態宣言は発令されて3月7日にはその期限を迎えるが、幸いにして注視する新規感染者数が漸減しつつある傾向が分かってきている。当局による賢明な対応を期して、是非とも感染拡大を阻止し、一日も早く皆が正常な経済社会活動に従事、復帰できるよう願っている。    2月24日

このまろき地球を分断破壊せるトランプ政治に神の鉄槌

議事堂の襲撃煽るデモ隊にトランプ大統領の反乱の罪

ヒトラーの再来かとも思わしむあとの四年の施政許さば

アメリカの民主政治の崩壊を回避可能としたるバイデン

弾劾の行方に怯びゆトランプの政治生命をたたる道ゆへ

何ごとも引き際の良き男こそ清廉潔癖の証なりけり

化けの皮剥がされ狼狽ふトランプのアジテーターの危険なる性

冬去りて春来たりなばやまかわの冴える光に満つる我が世は

吹き溜まる豪雪地帯の人々の寒気南下の報に怯へり

円空の修行の篤き厳しさに他人を利せる福音のあと

円空の己を滅し他を利して内に秘めたる力大なり

凛として天空を突く大杉のあたかも宇宙を包する如し  2月25日

    決算発表の株価

  引き続き決算発表に揺れる株式市場である。同時に過日、本欄で述べたアメリカの長期金利の急激な上昇が、株式市場を揺さぶり、ましてや実態を無視した株式上昇をの懸念と同時に、早晩急落するのではないかと懸念していたことがここ二、三日の急落ではっきりしてきた。コロナ禍の下で経済が減速する中、世界的傾向として、史上高値を更新してきた株式相場は、早晩整理、調整の局面に在る。長期金利の上昇が、そのことを如実に物語っているからである。

  株式投資で売買を激しく繰り返す投資家と、そうでない投資家が居て千差万別だが、昔、優良株であった会社の株式が、一向に上がらずに置いてきぼりにされるケースが多いのも事実である。こうした投資家はいったん所有するとなかなか手ばさない部類の人である。そうした人は、現代の急激な変化についていけずに、時代の潮流に乗ることが出来ず、その恩恵にも浴すごとが出来ないでいる。リスクを負って素早く時代の先行性について株式に切り替えて投資を行っている人は、莫大な利益を手にしているに違いない。GAFAに代表されるデジタル社会の通信機関係を持っている人は、短期間の間に膨大な利益を確保しているし、これからも間違いなく利益を確保するに違いない。株価の先見性を見抜いて、成功している投資家である。若く気分な投資家である。それを反映して、今たやすく企業を興す若者が多い。発想と決断が速いし、デジタル社会に良く適合し訓練を積んでいるからである。適格な判断と決断とスピード感に優れた才知を発揮して社会に臨んでいる。良くも悪くも、そうした社会に変容しつつある世界だから、大勢に乗り遅れないためにも努力するしかない。大勢に迎合するわけではないが、批判的精神を発揮して、いたずらに抵抗するばかりが能ではないし、大船に乗り遅れてしまう。寄らば大樹の影という言葉もある。

  持ち株の一つに…という会社がある。昔成長性を期待されて勧められたが、性分で、持つとなかなか手放せないで、会社からは優良株主と見立てられてしまって猶更処分しきれないものである。それが最近の景気後退で波に呑み込ま呑み込まれ、加えてコロナ禍に在って業績不安で資本金の倍以上の赤字を出して、長いこと低迷を強いられてきたが、ここで最後のとどめを刺された格好であった。長らく株価も膠着状態で最早これ上は下げなくなったものの、新鮮味に欠け、出来高も少なく市場からも、投資家からも見放されてきていた。ところが最近決算発表が行われた。会社四季報でも市場でも最悪の内容は知り尽くされていた。つまり悪材料は織り込み済みであった。

  しかし前々期も同様の赤字であって、続く前期は斯様に更に失望的な内容であったが、会社の発表による今期の予想が、黒字転換であったがゆえに俄かに株価は回復気味の兆しに転じてきた。成程、前期がダメであっても今期に持ち直すことが出来るという期待感、株価はそれに気づいて動意含みとなってきたようである。安心感からであろう。期待感も込められている。将来に対する夢と希望、これがやはり人間社会にとっては最大の価値判断につながって、流れは好循環的状態の軌道に乗っていくものだと感じたわけである。最近は見方も強弱分かれてあやふやな相場展開になってきたが、大きな調整場面に遭遇しても、それがガス抜きになって、結果が良い方向になってくれれば幸いである。株価も高原景気を持続して行くところに景気回復の維持と推進につながっていくからである。今日は2月28日、明日から三月の締めに入る企業会社が大方である。雨降って地固まるの、定石通りで推移してくれればよいと感じている。


決算は今期の黒字転換に株価は俄かに陽転の兆

・・・・の赤字拡大に資本金二・五倍を食ひ潰しけり

・・・・の二十八億の欠損にたった十一億の資本金にて

・・・・の一株当たり純資産三百七十円とは如何に候

浮き沈み示す会社の将来性然り株価に示す如実に

社会的存在意義を重視して地球環境の改善と維持

半減の株価もあれば十倍となりし株価の会社もありぬ 

何時何処にても企業家精神をシュンペーターを思い起こす日    2月28日


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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