line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2024年02月28日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

Vol.15.11

文化の日

     11月3日は文化の日である。穏やかな晩秋の日差しに恵まれて、絶好の行楽日和となった。 この時期は七十二候でも、楓蔦黄と云う。「もみじつたきばむ」と読むが、季節は冬が迫ってきて木々の一葉ひとはが黄色や紅色に染まっていく風情の頃である。この日は、1946年、昭和21年に日本国憲法が公布された日で、戦争と悲劇を体験した国民が、真に平和と文化を重視して再建に取り組む姿勢を内外に示した記念すべき日であり、二年後に定められた国民の祝日である。画期的であり、文字通り世界に冠たる平和的、文化的憲法の神髄を示したものとして誇るべきものがある。心から祝福したい。
   テレビニュースを見ていたらこの日、マレーシアのくアランプールで加盟10ヶ国からなる東南アジア諸国連合の国防会議が開かれた。最近中国が、しきりと南沙諸島の岩礁の領有権を主張して埋め立て工事を進め来ている。そして案の定、12カイリの領海を主張してフィリッピンやベトナムと対立して小規模の衝突を繰り返してきている。エスカレートして緊迫の度を高めてきているが、会議では中国の海洋進出に警戒を強める国々が多く、軍事的に偶発的な衝突も懸念されている。日本も他人ごとではないということで、最近は安保法改正の論議を待つまでもなく、周辺も俄かに慌ただしさを禁じ得ない状況である。そこでアメリカも面子にかけて、中国に待ったをかけてきた。アメリカは中国が主張する造成した島の12海里主張の既成事実化を阻止すべく、イージス艦をその海域に派遣して国際法違反だとして中国を軍事的に牽制している。これに中国は猛反発しているが、お互いに自制してにらみ合いと云った状況である。冷静に対応しているといった方が良いようである。もっとも新鋭兵器を装備したアメリカのイージス艦には、中国といえども到底太刀打ちできないことは中国自身がよく知ってのことである。迂闊に手出しをすることはできない。アメリカが軍事的力に優勢に立って中国をけん制し、中国の暴走を不可能にする点で地域の安定に尽くしていることは明らかである。
    東南アジア諸国の意見も国によって見方が違ってきている。フィリッピンやベトナムは中国と対立しているが、ラオス、ミャンマー、カンボジアなどは態度を保留しており、他は中国との関係が密接なこともあって中国寄りである。核心的なところは、やはり米・中の対立構造である。この地域が第二のシリアになってはなら来ので、アジア諸国連盟は、目先にとらわれて失策のように賢明な協議と対応が求められる。この日にはアメリカ国防省のカーター長官と、中国国防省の常万全国防相が会談を行って打開策を講じているところである。険悪な状態ではないが、早く事態の収束策を講じてもらいたい。今の東南アジア諸国もそうであるが、世界の問題は経済一点に絞られている。折しも日・中・韓の首脳会談も成就されて日韓関係の改善が期待されているところである。流れに逆らって、南沙諸島で下らぬ軍事衝突を惹起せしめるような時局ではない。中国はもっと経済に主力を注いで、日米との経済促進を図らないと、減速はますますマイナス方向の展開となって、国益に反すること多大である。                  11月3日

      先月の中秋の名月が過ぎて、紺青(こんじょう)の空にかかる十五夜を眺めながら、盛んに鳴く秋の虫の音を聞く夜が、その後も続いた。久しぶりに秋の夜を落ち着いて楽しむことが出来た。明けて先日の日曜の朝、拙宅に出入りの庭師がやってきて、11月3日の文化の日に庭に入りたいと伝えてきた。まだ先になるが、休日なので合点だと云わんばかりに即答した。

   そんなことがあって、約束通り文化の日に、拙宅の庭に植木屋が入った。大木造園の親方と若い弟子の二人が作業服を身に着けて、ともかく粋な出で立ちで朝早く見えた。教会に見える金城さんの紹介で、三年前から拙宅の庭に見えて植栽した樹木の手入れをしてもらっている。癖がなく、人柄のよい人で安心している。一般的に仕事人とか職方衆と云うと、とかく職人気質を以て、寡黙(かもく)で無愛想で一本気な人をつい連想してしまうが、使われている人はともかくとして、親方となるとさすがに苦労人だけあって人当たりはいい。いい人に当たれば、安心して仕事をお願いできるということにもなる。家に出入りする職方と云うことで親しみも大事であるから、そうした面で兎に角神経を配ることにもなる。教会で家内が親しくしている金城さんの紹介で来た植木屋の親方は、全体に明るく人柄もやさしく、一目で信頼できる人とお見受けした。その時以来、庭の仕事についてはお任せしてお世話になっている。一軒家で所帯を構えたりしていると付き合いやら、維持管理があったりして、きちんとした職方、仕事師がどうしても必要になってくる。一人で生活しているとしたら大間違いで、いろいろな人の手助けがある。だから家に出入りする職方衆には、いろいろな仕事師が居る。植木屋さんに限らず、家に出入りする大工さん、電気、水道なども然り、信頼できる人間関係が大切なことは言うまでもない。
   約束した日に雨が降らなければいいがと思っていたが、11月3日は、期待通りに秋晴れの穏やかな日和となった。庭師にとっては絶好の仕事日和である。朝早く、軽トラックに乗って颯爽と見えた。親方は子分一人を連れてきている。瀬宅では贅沢に凝った植木があるわけではないので、余り面倒な作業にはならないはずである。紺地の腹掛けをまき、脚絆をしめて青縞の地下足袋を履いて、同じく紺地の鉢巻を絞って頭に結べば、出で立ちは十分である。剪定(せんてい)ばさみを腰元に差し、梯子とアルミ三脚を庭に持ち込んで、全体を見回した後、作業に取り掛かった。低い植え込みから剪定をはじめるとパチン・パチンという剪定鋏の音が小気味よく聞こえてくる。多少の枝は小さいのこぎりで切り落としながら形を整えていく。自分の背丈より高い樹になると、素早く梯子を移動して、適当に枝を払いながら見るからに手際が良い。別に外郭を見ながらやっているわけではないのに、いつのまにかすっきりとした形に仕上がっていくから、植木師の感覚には素晴らしいものがあると思ってしばらく眺めていた。梯子から降りると自分のやった仕事を確かめながら、幾分距離を置いて植栽の全体像をじっと見て、納得がいくと次の植栽に移っていく。美的感覚を発揮している様子が仕事のしていく様子で分かる。庭師の無言で成し遂げていく業の結果を見て、熟練の度合いがはっきりした。切り落とした枝は、下に敷いた青シートの上に落とし、地面に降りた時には、それをすぐさまくるめて、車の荷台に運び込んでいく。散らかしながらやっていると、あとの掃除に厄介だからである。手際よい仕事運びであり、さすがに無駄がない。七つ道具がまんべんなく揃って、適宜使い分けながらやっている結果でもある。我々素人では、太刀打ちできない。
   拙宅では庭の一部を割いて、庭畑としてわずかばかりの菜園を楽しんでいる。これはむしろ贅沢な趣味である。上を見ればきりがないが贅を尽くした本格的な庭園だったら、そんな泥臭いことはできない。従って、もともと贅沢で高価な植木は植えていない。もっぱら雑木と称するものである。松に至っては手入れが肝心で、松の一本一本を指で細かく分けむしって摘んでいくようなものだから、見ていても飽きが来るくらいである。職人にとっては結構辛抱が居ることだろう。松を一本植えても、あるじとしても目が離せない。その手入れの仕方は植木屋の腕の見せ所であり、遣り甲斐もあるというものだが、面倒で手間の掛かる相手である。一本の松だけで二日はかかってしまうこともあるらしい。呑気に、根気よくやっていないと、松の手入ればかりは別だと云われている。
   木斛(もっこく)の樹にしても同様で、剪定は葉の一枚一枚扱っていくようである。幸いと云うべきか、拙宅の庭にはそうした手のかかる植栽はないので、豪胆に切ったり伐採したり、大して神経を使わずに済んでいる。今回も五十年は生きてきているだろう桜の木の枝を大胆に払ってもらうことにした。広く貼った枝は、庭に広く日かげを作ってほかの樹木に影響が出てきていること、目にもうっとうしい感じがしてきていること、桜の花を楽しむ時期は格別なのだが、虫がついたりしたときは駆除に大変なことなどから、太い横枝を切り落としてもらうことにした。仕事師の巧みな所作と、豪快に切り落とすのを眺めていたのである。三脚脚立を桜の樹木に寄せて親方がロープを体に巻きつけて、木に登っていった。左腕に電気のこぎりを抱えている。桜の木は五メートル先から大きく二枝に分かれて伸びている。太いところで直径四十センチはあるだろう。体を幹に寄せ付けて体に巻きつけたロープを外して一方の枝に巻きつけて支えとし、伐り落とす片方の幹に巻いて切った後にそのまま地面に落ちないように、別の木の枝に吊る仕掛けに括ったのである。切り落とす時に幹が弾まないように、そこから生えている枝はみんな切り落とした。習いを定めて電のこぎりの歯を当てた。スイッチが入りのこぎりがうなり声をあげながら樹に食い込んでいった。九分通りきり終わると仕上げに手のこぎりで切り落とした。太い幹はロープに支えられて宙ぶらりんとなったまま静かに地面に寝かされた。こうして次々と太い枝が電気のこぎりの圧倒的な力の前に屈して、地面に山積みに寝かされた。すごい量である。あとには太い幹が一本、涼しげにたって、天空には青空が広々として光っていた。
幹のてっぺんには、わずかに葉のついた枝が小さな房のような形で残されていた。このわずかな枝が来年の春になると、桜の樹木が水を吸い上げ力となって、又呼吸をし始めて生き返るというのである。このわずかな枝を残しておかないと、水を吸い上げることが出来なくなって、木は死んでしまうということであった。なるほど理にかなった説明だと、親方の話を聞いて頷いていたのである。この力のいる、技術を要した作業を、親方一人でやりのけてしまったのには驚いたのである。弟子は黙々として地べたの植木を刈り込んでいたが、時折、親方の指示が飛んで、それに従ってわずかに動くのみで、このこうした大仕事にはほとんど手を貸すようなことはなかった。やはり熟練を必要とする作業があって、そうした時には親方自身が先頭に立って、ある時には自分でこなしていくときもあることが分かった。下手をして弟子が怪我でもされたら一大事だからである。今回は、こうして全体に庭の繁茂した樹木を全て丈を短くしてもらったがゆえに、庭が明るくなり広々とした感じに早変わりして、我々の気持ちもすっきりしたのである。親方が笑いながら、茗荷が沢山出ていますよ、秋みょうがですね、と云われて、妻がにこにこしながら早速ざるを持って摘みに出てきた。茗荷(みょうが)の畑を刈ったりしないでよかったわねと云いながら、秋の収穫を楽しんでいた。
それにしても季節の巡りは速いものである。記録的猛暑に悩まされた今年の夏が、人の生活からすっかり忘れ去られている。貰う手紙には、早や向寒の候と記されて来ている。そういえば朝夕の冷え込みが気になってきて、少しずつ冬に向かっているのがわかる。異常気象と云って、今年の冬は厳しい寒さとなるのだろうか。それが地球温暖化の改善に役立つものなら、これもまた良しとするところだが、大自然の摂理は、人の勝手に思うようなわけにはいかないらしい。たとえば近年、縮小しつつある北極の氷河が大きく元に戻ってくれたりして、自然界のバランスを都合良く保ってほしいものである。それには巨大になりすぎた自然への、人間の作為による過度な干渉でを排除していく知恵が必要がある。  

    いつのまに寒さ覚えて山茶花の咲きてこぼれる頃となりけり     11月3日

ミャンマーの議会選挙の結果   (スーチー氏の未知数)

  世界が注目し、一喜一憂していたミャンマーの総選挙が11月8日行われた。開票結果が着々として進み、その間の、緊張の度合いを深めていた。13日現在アン・サン・スーチー氏が率いる野党の国民民主連盟、LNDが圧倒的な勝利をおさめ、議会の過半数を占めて大勝することが分かった。与党は大敗を認めた。立派な選挙結果が得られて、世界中がほっとしている。50年以上も続いた軍事政権の幕が落とされた。民主主義の勝利である。
  一方、与党のインセイン大統領は、民意を尊敬し平穏かつ着実に政権移譲を行うと声明を出した。1990年の総選挙の時のように、LNDの勝利を無視したようなことはしないという意味である。今回の選挙では、LNDが3分の2を獲得する勢いで、結果として議会の過半数を占める数になる。圧勝を果したスーチー氏は国民と共に選挙の結果について勝利を喜んで、祖国の未来が開けて行くと第一声を放った。オバマ大統領もスーチー氏の人間尊厳の姿勢と、忍耐について世界を代弁するような賛辞と祝意を表したのである。
  スーチー氏も意気高揚して、興奮冷めやらぬ群衆を前に、自らも湧き出る情熱をひたすら抑制するような様子であった。大統領以上の地位に就くと宣言したりして、意味深なところもあって気にはなったが、あくまで民主主義の力強い浸透を目指してのことであろう。且つ活動家としての知名度は高いが、政治家としての力量才覚は別であって、不透明な点が多い。行政能力も未知数である。長年の軍政の仕返しに強権を以て臨んだりして、いたずらに国内の対立、混乱を招かないように、冷静沈着な手腕を望みたいところである。経済的には世界からミャンマーがアジアに残された最後のフロンチアと云われるくらいに熱い視線を浴びている。ミャンマーの将来は、輝きのある魅力に満ちた国造りに邁進してもらいたいものである。そしてアジアの貧困を駆逐して、民主主義を築いた豊かなミャンマーに成長することを、それはアジアの平和と安定にもつながることだし、その模範生となることを期待し、念願しているからである。                11月13日

    11月14日の各紙朝刊ではスーチーさんが率いる国民民主連盟が上下両院の664議席の過半数を取って、来春にはNLD政権が樹立すると報じていた。スー・チーさんには二人の子供がいてイギリスの国籍を有しているので、大統領にはなれない。国家元首である大統領と、スーチーさんの二重の権力体制になれば、内政が混乱しかねない。彼女も既に70才である。建国の志、将軍の出と名門を誇る出身である。ブルジュア意識が強く、老いの一徹をむき出しにすることのよう期待したいものである。1988年LNDの設立以来、党を支えてきた活動家は、既に彼女以上の高齢者ばかりである。党の中からいかに優秀な大統領を選ぶかが当面の課題である。大統領には権限がなくすべてを決めるのは私である、と云っている主旨はそこにあるのだろう。そして自分は大統領以上の地位にあるとも言って、伏線を敷いている。立ち舞が微妙である。
   良し悪しは別にして、ミャンマーは軍政によって治安を強力に維持してきた。力で国を抑え、反対派を抑え、民意を無視した政治をおこなってきた。それゆえに国際社会から孤立し、経済的には他国との水を大きくあけられてきた。しかし軍政によって一党独裁に似た政治体制を作り、国の分断もなく、分裂も起きなかった。来春からの政権交代によって、経験不足のスーチー氏の政治に拙劣性が炙り出されたりすると、その結果で、民意が混乱におちいるようだと、新政権に寄せる期待が大きかっただけに、その反動も危惧されるところである。軍政から軟禁状態にあったとはいえ、スーチー氏の上級階級の日常生活と意識から、貧しい民衆の心をつかむことが出来るかどうか気になるところである。ましてや大統領以上の存在になるというような言動を以て、軍と同じような独裁的な手法を以て臨めば、先が読めなくなってくる。先ず真に民主的な政治家としての志を堅持し、民衆の心をくみ取っていく雅量次第である。性急な改革を求めずに、穏健な体制作りに徹し、長年の軍政組織の弊害を解きながら、徐々に国内体制を民主化に進めて行くべきである。即ち軍と対立して、またもや民主化の道をとざされることのないように、慎重に対応すべきである。 軍を取り込み、政治的関与を徐々に排しながら包容力を以て対応することも、時に必要なことである。                                                    14日

ミャンマーの軍政下のもと公正に選挙を終えて幸いなりき
軍政の長き支配に幕を閉じ民主政治に開けるミャンマー
仏塔の黄金に光るミャンマーの古き文化に新しき風
ミャンマーに民主政治の光さし熱気あふるる青年の街
若者の力あふるるミャンマーの先に広ごる青嵐の地よ
熱狂的国民合意を形成すあとはスーチー氏の力量やいかん
ミャンマーの先に問題山積の政治、経済、外交のこと
大統領以上の地位にあるといふ意味難解のことば怪しき
国内の治安を保ち経済の再建こそは必須なりき
ミャンマーのアジア地域の安定に尽くし平和のかなめとやなれ
軍政の半世紀ののちミャンマーに民主政治の風吹き抜けり
仏塔の光る歴史に改革と民主の風の光るミャンマー
民衆の期待に応え政権の良き運営に徹し行くべし          14日

ISによるテロ事件

   花の都パリで14日午後9時ごろ、銃撃、爆弾テロが起きた。パリ街の6か所で起きた同時テロである。ISが、フランスによるIS施設への空爆攻撃に対する報復であることをインターネットで発表した。犠牲者は129人、負傷者は253人、そのうち重傷者は99人と伝えられている。痛ましい事件であり、悲劇である。平和を愛する全世界の人々に対する挑戦であり、その残虐、蛮行によて多数の犠牲者が出てしまったことは痛恨の極みである。憎むべきこの暴力の惨劇を、何故食い止めることが出来ないのか忸怩たる思いである。犠牲者を悼み、愛すべき人々の命を奪った憎むべ暴力行為を何としてでも排除しなければならない。自由、平等、博愛の精神を象徴するフランス国旗を世界に高々と一致団結して掲げようではないか。同時に、その根源を断ち切る努力が国際社会が連携して追及していく必要がある。その場限りの、対症法的手法を以てしてでなく、抜本的な解決を真剣に考えてい適えならない。そうでないとテロの流れが止まず、暴力の繰り返しを演じて、真の解決が得られない世界になってしまうことを憂慮するのである。世界の、別けても大国の指導者たちが、こうした惨劇の発生を英知を以て解決する努力をしないといけない。
   テロの発生の根源は明らかである。フランスは当然のことながら、国を挙げてこの憎むべきテロに対しフランスへの宣戦布告と受け止めて、断固、テロの敵の殲滅を図るとオランド大統領が宣言した。米、英、ロシア、フランス、トルコと云った国々が連携して既にISに対する軍事行動を行って、その拠点に対して激しく空爆を行っている。IS包囲網の作戦が徐々になされつつあること結構なことである。テロの拡散を防止して、テロの温床を育てる貧困、格差、独裁を生む土壌を作らないように国際社会が連携することも肝要である。今、テロに対する国際的な軍事的連携が進められている。同時に大規模の空爆で上手に凶暴なテロの拠点を襲撃していればいいが、標的を外して下に居る民衆をまきこんだりしないか心配でもある。杞憂に過ぎなければと思っている。
   ISは、国内の混乱と脆弱化した国の間隙をついて、徐々に勢力を伸ばしてきている。特にイラク北部辺りから出て、更にシリアの国内事情に浸潤して、その震源地であることも疑いの濃い地点である。シリアの関与については米、露の対応に相違があって、 この調整を優先させなければならない。アサドの取り扱いが問題である。しかし解決できない問題ではない。シリアの内戦と混乱が続く限り、大量の難民が欧州に流れ込んでくる。難民の問題解決もさることながら、難民に紛れ込んでISの武装勢力と組織化されたテロ集団が紛れ込むことは大いにある。中東、EU各地に拡散されているISであるが、その正体がなかなかつかめないでいる。そして攻撃は極めて組織化され、高度化されてきている。ロシアの旅客機墜落事件も、ISのテロの関与が濃厚である。ロシアを含め、テロを企てているISに対する連携と包囲網の構築が、米ロ和解へのキッカケとなるようならば、世界にとって大いなる一歩前進である。   
   現時点でも、例えばアメリカとロシアの大国が、オバマとプーチンが、額を突き合わせてフランクに政治的解決を優先させていけば、混乱の続くシリアの問題にしても解決は可能である。自国のことのみに、自国の利益のことのみを考えていたのでは、世界の平和と安寧の社会を手にすることはできない。歴史が諭すように人類は英知によってのみ、生存を維持していけることを理解しなければならない。 パリのテロ事件の悲劇を目の当たりに見て、言葉にならない悲しい気持ちで一杯である。               11月17日

一本の大根

    帰宅後風呂から上がった私に「おいしそうな大根でしょう、こんな大きな大根が何と百円よ」と家内が台所から見えて得意そうに話しかけてきた。まっ白なみずみずしい大根を持ち上げてみせている。太くて長く、見るからに立派である。確かに眼が覚めるような大根だ。しかもたった百円か。「そこまで大きくするのは大変だなあ」と、思わずため息をついた。一本の大根を見て、大根づくりに精を出す農家の苦労がしみじみと湧いてきたのである。丹念に畑を耕し肥料をやり、種をまき土を寄せ、暑さ寒さの気候に堪えて、労働を通じた体力の消耗も大いにあるだろう。小さい時に疎開先で百姓をした経験がある私にとって、土を相手に働く農家の苦労がすぐに浮かんできた。勿論当時と違って、今は農業技術の近代化が普及して、特段の進歩を遂げている今日、比較にならない生産性の高さを誇っているものの、大地を相手に働く農家の人の気持ちは一緒であろう。昔も今も、大根には変わりがないからである。
   収穫時を迎えて大根を抜く作業、綺麗に洗ったりして出荷するまでの作業は一貫して大変な労働である。多くの時間を割き、労力を使い、流通機構に乗せて市場に出荷するわけである。わずかな庭畑を耕して四季折々の野菜の収穫を楽しんでいる自分だからこそ、大根一本にかけた農家の人の苦労のほどが分かるのかもしれないと、変なところで何となく自分を誇らしく思ったのである。良い土で、深くまで柔らかなものでないと、大根はこんなに大きく育たない。半年、時には一年をかけた生産者の意気ごみの結晶である。拙宅の庭では、いくら丹念に手入れをしてみても、こんな立派な大根を作ることが出来ない。出来た大根は、しかも一本百円である。自分だったら千円でも売れないだろうし、愛おしく感じて売ることはできない。一瞬ではあるが、都会の人たちの為、言うなれば多くの消費者のために、新鮮で栄養たっぷりのおいしい野菜つくりにいそしむ農家の気持ちを、共有するようにも思えたのである。仲買業者を通して、産地から運ばれ、そして消費者の手に渡るわけである。そして今夜の夕食の添え物にも、好物の大根おろしがついてくるはずである。食べ物がおいしく口にはいるまでには、何人もの人の手を通して届くわけである。なんと複雑な人間の労力と、物流の過程を通して運ばれてくるのかと思うと、たかが大根一本と軽んじるわけにはいかない。家内が大根を褒めちぎって私に差し出すのも、むべなるかなと思ったのである。多くの人たちのこもった意気ごみを感じないわけにはいかない。だから一本の大根が、斯くも美しく輝いて見えたわけである。しかも百円である。       11月20日

七五三のお祝い


11月3日は勤労感謝の日で休日である。おかげで三連休となった。24節気では、この日は小雪に当たる。寒いはずである。この日から急に寒くなったような感じで、出かけるに際し妻から初めてオーバーを出してもらった。
   朝から曇天模様の日であったので、終日肌寒い一日となった。それでも幸いなことに雨とならずに良かった。この日は孫の麗ちゃんが、七歳になって七五三のお祝いをする日になっていた。晴れ着姿を着るのを待ち遠しくしていたので、我々も又その喜びの綺麗な姿を見るのも楽しみにしていた。姉の佳ちゃんも一緒に晴れ着姿で出て来るらしい。私の娘の拝借ものである。拝借でも、生きていた母が奮発して作ってくれたものだから、上等品である。着物の生地は、鹿の子の絞り染めである。
   十一時に妻と一緒に家を出た。自由が丘から大井町線に乗り大岡山でおりて、そのまま南北線に乗り換え高輪白金台まで直行、わずか二十分足らずで白銀台駅に着いた。地下鉄の連結、乗継は便利になったものである。横浜片すっ飛んできた東横線だが、自由が丘を経由して川越まで一直線で特急が出ているというのである。川越は今宿場町を再現して観光地として脚光を浴びているそうである。是非とも握り飯弁当を以て行ってみたいところである。こんなにも便利になったのだから、この前も妻と話し合っていたところである。白金台駅の3番の改札口を抜けて通りに出ると、三分ほどのところに氷川神社がある。幾多の火災に見舞われてきた神社であるが、日本武尊をまつってあるというゆかりのある古い神社である。鳥居を区切って広い石段を登っていくと、高台にある氷川神社は周辺が高層ビルに囲まれているものの、広い境内であって、古い大木が沢山茂っていて、静まり返る雰囲気に自ずと厳粛な気持ちを抱かせるものがあった。広い境内を進むと正面に本殿が厳かに鎮座ましましている。上品で且つ豪壮な趣きの建物である。白金の氷川神社にお参りに来たのは、過去三回ある。お正月と、孫の佳ちゃんの七五三のお祝いにもこの氷川神社に来た。だから何となくなじみ深く、親しみを感じるのである。一一時少し前についたが、途中で娘の明子に出会って一緒に境内に入ったが、既に嫁さんのご両親も来ていて、みんながめでたく落ち会えたのである。
   長岡剣太郎夫妻に会うのも久しぶりである。剣太郎さんは王子製紙の副社長を務めた後、中越パルプの社長を務めその後に退職して十年近くになるだろうか。悠々自適の身である。健康に恵まれているので外国旅行に時間を費やして楽しみを持ち、ゴルフにもはげんでいる。俳句の句作にも励んで、句作は既に名匠の域である。昭経俳壇の投句者で同志である。その他、知られざる趣味を沢山持っているに違いない。好きな酒を初めとして。誠実で温厚な人柄が、気に合っている。長岡夫妻は極めてシンプルな出で立ちで見えたが、この日は小生らは威儀を正して正装し、初めて出したオーバーを着てこの日はやってきたのである。このオーバーはいろいろとお世話になった関根常雄さんが丹念に仕立ててくれたもので小生が大変気に入っている。さすがに立派な才能を持った画家だけに、仕事ぶりも個性があって完璧である。これを着ると小生が「ずーっと若く見えていいわよ」と妻が云うので、今日も若やいだ気持ちで着てきた次第だ。
   氷川神社の本殿に案内されて、みんなにが並べられた椅子にそれぞれが腰かけて、神主が現れるのを待つこと一分ほど、恭しく正装した高齢の神主が威儀を正し私たちを神殿中央に迎えてくれた。神主が一同を祓い清めて、重々しく祝詞を告げてくれた。本殿に神主の声が朗々として響いて、素直に聞くことが出来た。難しい言葉が告げられていたが、それをじっと清聴してよく解釈して聴くことが出来た。この日の主役の麗ちゃんは、きれいに着物を着こなして、髪形も可愛らしく結い上げて、髪にはかんざしや飾り物が華やかに付けてあった。神主が「こちらにいらっしゃい」と云うと、立ち上がって恥ずかしげに、アヒルが歩くよな恰好をしてよちよち歩きをしながら寄ってくる様子に神主が真似をして、顔を左右に振って見せて喜んでいる。立ち舞う様子も子供らしく、神主が惚れ込んで、はしゃいでいるようにも見えた。神主には有難く、手厚く丁寧な祝詞をして頂いた。記念撮影には、息子の友人で女子ラクロスの選手で後輩のKさんが付きっきりで写真を撮っていてくれた。神主も親切に、わざわざ本殿の引き戸を開けて下さり恐縮する次第であった。Kさんは写真のプロだそうである。如何にも好々爺とおぼしき神主は、最後まで笑みを絶やさず「みなさん、お元気でね」とやさしく、温かい言葉を以て結んでくれて私たちを見送ってくださったのである。時計は1時半を回っていたが、一連の行事は思い出深いものとなった。そのあと楽しい昼食をとるために、我々一同は近くの白金台の都ホテルの会場に向かった。多忙の中、お祝いに見えてくれた明子は、この後の会社の仕事のため私たちと別れて、中座して神谷町にあるテレビ東京に出かけて行った。親が云うのもおかしいが容姿端麗、利発で、気立てのいい娘である。    続   十一月二三日
都ホテルは氷川神社を目黒駅方向に行った途中にあり、すぐ近くにあって徒歩でも行けるところであった。ちょうど来合わせたタクシーを掴まえて長岡夫婦と一緒に行ったが、息子家族は自分の車に乗ってホテルに向かった。娘の明子が、仕事の都合で途中で帰ってしまったことが残念に思われた。久しぶりに会ったものだから、積もる話もあったりして楽しく話を聞きたかったのである。妻は比較的連絡を取り合っているらしいが、私にはそうした時間が取れなくて明子には済まないと思っている。元気ではつらつとした様子を見届けて、安心した。車で二分足らずの都ホテルは、いつの間にかシェラトン都ホテルと名前が変わっていた。京都にも床しい建物で都ホテルがあったが、それと同じ系列だから、ひょっとすると京都にもローマ字で頭に名前が付けられているかもしれない。雰囲気としては似つかわしく思えないが、最近はいたるところでローマ文字が氾濫して、日常生活になじんできたとはいえ読みにくい場合も往々にしてある。そのシェラトン都ホテルは、ロビーから向かった正面のラウンジが広々としており、ラウンジ全面が日本庭園で埋め尽くされて、奥深い四季折々の風景を楽しむことが出来る。先の八芳園と庭園き気になっているがゆえに、こんもりとした築山が一段と風情をにじませているのが奥ゆかしい。木立の風情は八芳園に続くように、奥深い森を感じさせるものがあった。この日は、専ら樹木の紅葉が鮮やかに楽しむことが出来た。24節気では小雪に当たるこの日はどんよりとした空模様で、今にも空が崩れて細かい雪がちらつくのではないかと思われるほどの寒さも感じられたくらいであった。初冬の木洩れ日を楽しめるとしたら、庭園の紅葉はさぞかし鮮やかな輝きに揺らいでいたに違いない。深々とした椅子に身を沈めて、移りゆく色のもみじを終日朦朧としながら楽しんでいてもいいなあと思ったのである。三連休が続く中で、館内は結構な客人でにぎわっていた。今までにもたびたび立ち寄って用を足したりしていたが、いつ来ても落ち着いた雰囲気があって、日本らしい雰囲気が生かされていることは結構なことである。


木守の実

   拙宅の庭のほとんどの落葉樹が見事に紅葉した後、すべての葉が落ちてしまった。連日、熊手を使って落ち葉を集めては庭の隅に寄せて積み上げていたが、このところ二、三日続いた小春日和に、真っ青に輝く初冬の空を見上げることが出来た。落ち葉焚きという子供のころの懐かしい歌を思い出した。そして今夜はあと三十分もすると、明日からは師走である。今年も慌ただしい年の瀬を迎えることになる。朝の澄みきった空を仰ぐと、青く輝いた空に、赤い柿の実が一つ、くっきりと浮かんで光っている。富有柿の大きな実が、枯れ枝に一つ残っているのが何とも奥ゆかしく、愛おしく感じる。普段、騒がしい小鳥たちが不思議と突きに来ない。傷を受けずに、このままいつまでも枝についていてほしいと思っているが、そうもいかないだろう。木守るとは古来、ある地方にはその家を守るという素朴ないわれがあることを昔聞いたことがある。なんだか、わが家を懸命に、毅然として守っているように思う。そう思って眺めていると、木守が厳かに見えてきてた。そして深夜、そろそろこの月が明けるころであるが、懐中電燈を持って庭に出てみた。丸坊主になった柿の枝を照らしてみると柿の実が一つ、深夜の月の光を浴びながら粛然として目の前にあったのである。鮮やかな様子に、あたかも息づいているように見えた。静寂しきった庭だが、しばらく木守に語りかけるような気持で立っていた。 11月30日  23時半   


 拙宅の庭のほとんどの落葉樹が見事に紅葉した後、すべての葉が落ちてしまった。連日、熊手を使って落ち葉を集めては庭の隅に寄せて積み上げていたが、このところ二、三日続いた小春日和に、真っ青に輝く初冬の空を見上げることが出来た。落ち葉焚きという子供のころの懐かしい歌を思い出した。そして今夜はあと三十分もすると、明日からは師走である。今年も慌ただしい年の瀬を迎えることになる。朝の澄みきった空を仰ぐと、青く輝いた空に、赤い柿の実が一つ、くっきりと浮かんで光っている。富有柿の大きな実が、枯れ枝に一つ残っているのが何とも奥ゆかしく、愛おしく感じる。普段、騒がしい小鳥たちが不思議と突きに来ない。傷を受けずに、このままいつまでも枝についていてほしいと思っているが、そうもいかないだろう。木守るとは古来、ある地方にはその家を守るという素朴ないわれがあることを昔聞いたことがある。なんだか、わが家を懸命に、毅然として守っているように思う。そう思って眺めていると、木守が厳かに見えてきてた。そして深夜、そろそろこの月が明けるころであるが、懐中電燈を持って庭に出てみた。丸坊主になった柿の枝を照らしてみると柿の実が一つ、深夜の月の光を浴びながら粛然として目の前にあったのである。鮮やかな様子に、あたかも息づいているように見えた。静寂しきった庭だが、しばらく木守に語りかけるような気持で立っていた。 11月30日  23時半       


   

2015.11.02

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ