line

社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2017年10月24日 RSS ATOM

HOME > 理事長室より

理事長室より

Vol.12-09 食糧難を想定して

     食糧難を想定して

   少年時代に味わった食糧難の時代を念頭に置いて、私は自分の責任を充分に果たすべく食べるための土地は確実に確保してあります。食べて消費した余りは、市場に売り出してもいいと思っています。その癖が潜在的にあるからでしょうか、拙宅には庭の約半分を畑に利用し、ほぼ一年を通じて野菜類の供給はこの畑地で賄っています。仮にタンパク質を必要とすれば、鶏を五、六羽飼えば卵と鶏肉で十分満たすことが実証済みです。更に食料補給の生産地が必要とあらば、地方に田畑に転用できる地目山林の多くの土地を所有する結果になっております。地方に取得した当時の山林は、持ち論平坦で道路付けの良いところばかりなので、中にはいつの間に市街化が進んで、地価そのものが上昇して、資産価値が上がって思わぬ利益を上げたりしています。ただし、これは余談であります。所帯を以て生まれ故郷の浅草を離れ、はじめ目黒の鷹番のアパート栗田荘の二階に住みましたが、しばらくして世田谷の等々力に180坪ほどの借地にある平屋の古い建物に移りました。知り合いの鋼材会社の社長吉川さんの買ったものでしたが、必要がなくなったので私たちが縁あって住むことになりました。妻と小さい子供二人の4人家族です。子供たちを育てるには絶好の環境の地です。宅地の先は広々とした植木畑でした。鶏を飼って育てていくのが子供のころからの趣味だったので、子どもたちの情操教育もかねて、鶴川の農協から白色レグホンの中雛を30羽買ってきました。庭の隅に寄せて4畳半ほどの鳥小屋を大工の大塚さんに建ててもらいました。好きな生き物を飼うことは、同時に家族が一度に膨れ上がってしまったも同然の喜びです。野良猫に襲われたりすることもなくすべてが大きく育ち、卵を毎日山ほど生むようになりました。別に卵をたくさん食べることが目的ではなかったのですが、そうした結果になって近所や友達に生みたての新鮮な卵を分けて差し上げることができました。鳥小屋の戸は朝から晩まで明けっぱなしです。鶏は小屋を自由に出入りし、思う存分自由に遊びまわっております。食べたい時に食べ、寝たい時に寝、生みたい時に卵を産んでいます。鶏は賢い動物です。可愛がってくれる主人を決して忘れません。それは子供たちにとっても例外ではありません。子供たちにとって生き物を可愛がるのと同じように、生き物から慕われる立場に立つことは、受け身に立つことになった、教育上大変教えられることがたくさんあります。時を告げる雄鶏は、広い空地が周辺にあるといっても騒音の一つですから、買わないことにしました。めんどりばかりですが、鶏同士、仲間同士のけんかは全くありません。車で国道4号線をひた走りして黒磯に出張した時のこと、帰りに荒川にかかる四つ木橋のたもとに小動物を売っている店がありました。そこに立ちよってたまたまチャボを三羽買ってきて一緒に飼っていました。茶色の毛をしたチャボは体が小さくて気性がおとなしく、人間の相手になってくれて癒されます。鈴与の社長さんの別荘を弟一家と借りた年の折、天城山荘である夏を過ごしました。その時十羽ほどのチャボが放し飼いされていました。そのチャボの有精卵を五個貰ってきてチャボに抱かせたことがあります。チャボは卵を抱いて子供を育てることが大変上手な鳥です。チャボはその有精卵の卵を一生懸命になって21日間抱き続け、可愛い雛が孵りました。親鳥が雛を育てていく様子を見ていると何という平和な世界かと思わずにはいられません。喜怒哀楽を激しくする人間と違って、チャボのかわいらしい世界が、神の妙手によってかくもうららかに作られたことに驚きと感嘆を覚えざるを得なくなってきます。鶏と一緒の生活は誠に興味津々飽きることがありません。チャボの甲斐甲斐しい子育てを見ていると、人間世界で起きる親の子供の虐待などまったく考えられないことです。仲の良い鶏ののどかな様子を見ていると、学校で起きている「いじめ」の問題もそうで、想像もできない事柄です。鶏を飼い、いつも放し飼いだったおかげで草花の花壇は微塵もなく荒らされました。しかし雑草は全て食べつくされて手入れの必要もなく庭は樹木を除いてきれいさっぱりでした。拙宅を訪ねてくる方は、尾山台駅を降りて直ぐそばにある尾山台駅前交番で、鶏をたくさん飼っている家を訊ねるとすぐに教えてくれました。今ではいい思い出の一コマですが、子どもたちが集まるとその時の話で持ちきりです。
   ところで一般の人が農地を取得することはできません。それなりの理由と準備は必要です。そして農業委員会の許可が必要です。ですからあくまで地目山林、原野、雑種地といったことが前提です。宅地は避けるべきでしょう。宅地の農転を図ることは贅沢な話です。拙宅で畑地があるのはあくまで狭小の面積で、庭の約三分の一ほどを畑地に耕作しているものです。小規模ですが、夢を見ていれば如何ようにも広がりが出てきて、農耕を通じて居ながらにして四季折々の生活のおもむきを楽しむことができます。してみれば誠に贅沢な趣味というべきでしょう。原価計算した友人がいましたが。世田谷の等々力といえば高級住宅地で坪当たり260万、トマト一個の値段は実に2万8000円だそうです。そんなことを考えていたら、土を掘り起こすことが出来なくなってしまいます。たとえば今年は小玉のスイカの苗を3本買って植えてみました。一本450円の苗です。今、スイカが実って実に可愛い光景を楽しんでいます。土地を除外したスイカの原価は500円です。スーパーで売っている値段は700円です。大きいのになると2000円前後はしています。家庭菜園は所詮採算が合わないことは自明です。ただ芝生を張ったり、庭石を置いたりするスペースが余分にあるときには一考に値するでしょう。余談になりますが、今から20余年前のバブルの頃は周辺の地価はうなぎのぼりでした。拙宅の周辺は坪1千万円前後しました。その頃、目黒通りに第一勧銀深沢支店が新たに開設されました。お得意の新規開拓と称し支店長が見えて取引を頼みに来ました。10億の根抵当権を設定してお金を活用してほしいとのことでした。実に気前のいい話です。バスに乗り遅れたら一生悔いを残すという風潮でした。そこで浮かんだのが賢明な友達の警鐘の言葉です。贅沢な話かもしれませんが、自分の城に傷をつけなければ商売ができないようなら止めたほうがいいというのです。城とは自分が住む家のことです。昔から大事な判子には上、下の印がつけてありません。判子を推すときは、上、下を確認しながら押すということ、即ち慎重であるべきことを意味しています。また、判子を自分の体と見立てると、利便性を以て軸棒にしるしを刻むことは、自分の体に彫り物を施したと同じで、真面目な堅気な人のすることではありません。同じように土地や建物の登記簿謄本の乙欄をを見ると、借金の片にとられた痕跡なり証明なりが歴然として記載されます。借金をしているか、していないかが直ぐにわかります。友達の云ったことは、まさに至言であって、できれば自分の城に傷をつけてまでしなければ商売ができないようなら初めからやめるべきだということです。長年弁護士をして多くの倒産事件を扱って高裁の判事まで務めたベテランの云うことですからかなりの信ぴょう性があるでしょう。借金は初めのうちは仕方がないとしても軌道に乗ってからは少しづつでも返済しつつゼロに向かっていくに越したことはありません。しかし借金の安易な方法に身を堕落させていくのがその傾向です。一度倒産すると二度倒産するそうです。人に迷惑をかけていくことが常習的になって、抜け出せなくなるというのです。借金もそうかもしれません。借金の常習犯。信用を落し、借金ずくめの人生は送りたくありません。経営者にとって借金は大概が浪費三昧の末にできた負債か、自分の判断を誤って作ってしまった負債です。こんなみじめな生活はありません。ところが世の中は借金ずくめの人が大部分ではないでしょうか。そうだとすれば極論して、汚らしい光景を見ることになりますが、彫り物をした体の人たちで、埋め尽くされているといっても過言ではありません。借金をする人がいるから金融業が成り立っているのです。もちろん金持ちがいて、金を預ける人がいることも事実です。世の中実にうまくできて動いているものです。借りた人が賢明な知恵で一時しのぎに借りたとしても、そこからうまく逃げだせるか、これが微妙です。欲につられて甘い汁をほしがって、つい安易な方法に手を出したがるのが人間の性でもあります。借金に悩まされていたでは良い知恵は出てきません。適正な判断を下すことはできません。窮すれば通ずということばも真理でしょう。追いつめられていかないと、いい知恵が出で来ないという人もいますが、それでは年がら年じゅう追い詰められていなければなりません。焦燥の念はいつも漂っていて、表情にも表れるようになって、人様の警戒心を募らせ、自分自身は猜疑と疑心暗鬼の塊となってますます窮地に追い込まれ、悶々として寿命を縮めて行くばかりでいいことはありません。そうした理由で私は銀行の支店長の提言を断りました。逆に気が小さかったから、家を担保に金を借りて事業の拡大を図り、或るいは値上がりを期待して安易に投資をするということが出来なかったのかもしれません。しかし銀行家の話をうのみにして貪欲をむき出しにして、走っていくバスに飛び乗っていたら散々な目にあっていたかもしれません。バブル崩壊で地価は釣る瓶落としで急落し、株に至っては十分の一、二十分の一はざらです。健全な住宅地であっても今や五分の一になってしまって復旧するめどが立たないままに十五年が過ぎています。これでは凍死してしまいます。金持ちの中産階級が日本から消え去ってしまいました。不良債権の増大で金を貸した銀行自体が破たんの憂き目にあいました。北拓や、山一の倒産が象徴的ですが、破たんまでいかないまでも資産の損失、整理を余儀なくされました。地価が五分の一に下落して含みが減ってしまったことと同じように、日本の経済規模が5分の一に減ってしまったことと同じだと考えると、その損失たるや天文学的数字になってしまいます。仮に自分が借金をし事業の拡大を進めていたとしたら、そうした世の中の激変に翻弄されていたとしたら、今日、呑気に畑など耕しておれなかったことでしょう。むろん私自身も甚大な被害を蒙ったことは事実です。これが借金経済を甘受して生活していたら、以てみじめなどん底に落ちていたかもしれません。こうした状況をもたらした責任の一部が時の為政者だとすれば、それはそれなりにとがめられてもいいのでしょう。しかし現実の世界は責任を持たされないままでいます。民主主義だからです。自由と人権を堅持するための犠牲かもしれません。とんまな政治家にかかったがために世の中が暗くなって、みんなが迷惑を被ったとしても、それを選んだのが自分たちだったとすれば何をかいわんやであります。とかく世の政治家に頼ったり、政治家の世に頼ったりする風潮がありますが、これもまた危険であります。人間何が幸いするか、一寸先は闇のうちであります。しかしそに闇のうちに光明がさすのは、先人や、良き友達の教義、忠告であり、普段からの努力研鑽ではないでしょうか。とはいっても世の中の厳しい中を悠々として、畑を耕すことは物凄い労働力を必要とします。この労働力こそ生産的努力であり、消費であり、再生産を可能にする消費ではないでしょうか。片や体を動かして健康増進にも役立ちます。ゴルフを終日かけて2ラウンドまわったエネルギーの消耗に値します。畑地の面積は僅か15坪ほどですが、やはり庭の四分の一に相当します。これによって一年を通じて新鮮な野菜の供給を図る楽しさは格別です。僅かな自然とのパイプを維持して、田園交響曲のひと隅を味わっております。昔から土地は縁ものといいますが、地元の猿若町で堅実に経営していた業者の方を通じて得た土地がきっかけで、私はロマンを追って伊豆、箱根、軽井沢、那須塩原、青森、そして北海道にまで奔走していきました。若い時のその馬力を思うと今なおうらやましく思いますが、当時の痕跡は、いまだわが心のうちに如実にほむらとなり執拗に燃え続けています。
  牧歌的な土地に魅力を感じて夢が昂じ、あの壮麗なベートーウ”ェンの田園交響曲を連想し、本邦に飽き足らず北海道は広々とした十勝平野まで素っ飛んで行きました。小児ぜんそくが大きくなっても続いて自信がなく、学生時代に試験に受かって資格は得たものの、健康上の理由でドイツ留学を断念した悔しさは今なお残っていて、異郷を求めていった一つの理由がこうした意欲を掻き立てていた遠因にあるかもしれません。少年時代にゲーテや、ヘルマン・ヘッセの詩や小説を読み漁り、詩的旅情を身に染みて感じあこがれていました。私は決して重農主義者ではありませんが、農業を経験した者のみが味わうことのできる謂わば特権であります。晩秋の頃十勝の地に踏み入れた私は、帯広で今でも健在ですが、知人で不動産事業を経営している末谷さんを介して30万坪の地目で原野、山林を買い求めました。自然の神秘的な奥義からほとばしる美しさから大いなる魅力に魅せられた、まったくの衝動買いでした。帯広から延々として北上していった先の上士幌という地名です。その先に然別湖があります。然別湖から幾条にも清冽な流れをつくり、一部が広大な敷地の中を、澄み切ったせせらぎとなって流れています。手入れの行き届いた庭園を思わしめるような、しかし神秘的な自然の雑木林が、原生林が手付かずに斯くも神々しく目にしたことはありませんでした。天然の深遠、かつ雄大な世界、そして自然がかもす繊細優美で静寂荘厳さに取りつかれた私は、哲学的且つ深淵な田園生活をも夢見ていたのですが、叶うことが出来ず特別土地保有税なるものが嵩んで払う結果になりました。しかし林の中を流れる清冽な水の音、小鳥たちの囀り、リスなどの小動物の姿を見届けると心は浮足立って、自然と共生の喜びと感謝の念に満たされてくるのを感じて、いまだに忘れずに、その夢を持ち続けています。清れつな林を出ると境界を挟んで広々とした緑の牧草地が広がり、豊かな農地がはるかかなたに続いています。光と緑の大地が緩やかに起伏し、境なくどこまでも広がって幾光景は気宇壮大の極みです。真っ青な大空に姿を変えていく雲の動きもすがすがしく、牧歌的な雰囲気に満ち溢れています。正に、田園交響曲第五番に続く躍動と歓喜を禁じえませんでした。あの時に得たその衝撃こそ、その後の私の活動と仕事と、生きる力の原動力となっています。これからの時代を担っていく若い人たちにも直接、間接に私の拙い経験と感情の一部でも伝えて、それを聞いた私より若い若者たちが、少しでも奮い立ち、観念的に将来の映像を描き自分なりの世界を築くことが出来ればいいなと強く思っています。たとえ狭いアパート暮らしでも、1DKに住む諸君たちでも、今、青春時代を迎えている若い人たちは、豊かにして洗練された感性の持ち主であり、頭脳明晰で向学心に燃える諸君ですから、少しでも咀嚼、吸収して将来の発展の糧になることと理解し期待してやみません。  9月3日 続く。


*

       尖閣諸島の大百科事典記述

    昭和8年(1933)2月19日、株式会社・平凡社から発行された大百科辞典の全115巻が、私の本棚の一番奥に長いこと眠ったままに置かれております。古くして膨大な量の大百科事典は、当時の多くの学識者を総動員して編纂されたもので、その権威は以て知るべしです。115巻の中にそれまでの人類の歴史と知識が隈なく網羅され、遺憾なく発揮されています。その内容たるや圧巻の極みです。
   この膨大な図書は、私が等々力の借地に立つ敷地180坪の平家80坪に引っ越してきたときに、前の住人が残して行ってしまったものですが、捨てるに忍びず大事に保管して来たものであります。A4版で、一冊は約350ページに及ぶもので、細かい活字で全面が埋め尽くされ、項目はきわめて詳細に解説されています。この大百科事典は多くの学者、研究者、専門家、そして多くの学究者によって活用されたものに違いありません。今となっては古臭く、黴臭く、一部は装幀が壊れてしまうほどですが、私なりに修繕しております。    しかしさほどに利用していないのが現実で、此れほどの宝の宝庫であってみれば勿体ないと最近では思うようになりました。ただアレルギー症の潜在的にある私には、この黴臭い埃っぽい大百科事典のページを開くのが億劫な気分が先行してしまうのですが、余り気にすることではないと最近は思うようになりました。そこで、やおら色くすんで黴臭い、この歴史的価値にみちた大百科事典のうち、第十五巻の第一冊を取り出してみました。全304ページのサ行のセンカクショトウを目当てにめくっていくと、まさしく134ページに尖閣諸島の項目が目にとまりました。この時点で、ここにある歴然たる記述が、そのまま恐らく歴史的事実として認識されていいものだと、私自身は確信するに至りました。そのことに基づいて、この権威ある大百科事典に広く認知されてきたこととして載っているはずであります。だとするとそれ以前から歴史的事実として内外に認識されてきたことではないでしょうか。もちろんこれに遡る史実を既述した者があるとすれば、この辞典についてもそれなりの事実を含めて書いてあるはずであります。そのことを第三者がいかに解釈するか、そのことはこの大百科事典がどの程度の信憑性を以て当時の人たちや、ひいては現代に生きる我々に対して説得力があるかが試されるものとなるはずです。
   そこには次の説明がなされていたので、これを正写します。

             *
 「 尖閣諸島   琉球孤状列島の西南端を占める小島嶼群で、先端諸島と臺灣島との間に点在する魚釣島、尖閣諸嶼、久場島(或は黄尾嶼、底牙島、吾蘇島とも呼ぶ)及び赤尾嶼を総称し、行政上は沖縄縣八重山郡石垣町に属してゐる。最大島の魚釣島さへ四平方粁に過ぎなく、いづれも第三紀層を貫いて噴出した海中火山の頂で湧水を欵くも、屢々降雨あるためロビー、アカー、籐鐡砲百合等よく繁茂し、海禽特に信天翁が甚だ多い。近海には原生の珊瑚礁が盛んに生存し、就中赤色の管珊瑚は美麗であり、夜光貝、鰹も産する。羽毛採取或は鰹漁等の目的で訪れる者があるが、定住者はない。」


   私は一字一句見落とさずに正写しましたが、短い文章のなかに群島の様子と、行政上は沖縄県八重山郡石垣町に属すると、明確に書かれております。この小列島群の創世記の説明は極めて精度の高いもので成り立ちが海底火山の噴火によって頂の部分が海面に突き出たものであることが興味深く記されています。魚釣島の面積にも触れて僅か4平方キロと記されて生態系なども書かれており、これ以前に日本によって調査された痕跡を示しています。 当時もそうでしょうが、それ以前から遠海の孤島であって、あまりにも取るに足らないものとして扱われ見向きもされていなかった節があります。地学的には本邦をはじめとする日本列島火山帯の最南端部に位置するものであり,日本列島の一部と理解されます。
   中国は日清戦争のどさくさに紛れてあるいはそれ以前に日本が奪っていったとしていますが、年代を遡っていったらきりがありません。中国はその時に、この狭小な孤島を熟知していたか、1860年代にそうした事実があったことは訝しいことで、そんな島の所在すら定かでなかったのではないでしょうか。もしかすると私が持っている大百科事典よりも古く、事実を証明する文献などはまだあるかもしれませんが、今から80年前の権威ある大百科事典に正確な記述があって、すでに世間一般に周知されていたことは確かです。記述には戦前から石垣町の行政下に在ったこと、定住者はないものの海禽類の羽毛採取の小事業や鰹漁業など小規模ながら行われていたような痕跡があります。戦後の一時期には鰹缶詰め工場なども操業していた由であります。又、敗戦後は米軍の統治下にあって、戦後の日米交渉でも沖縄返還の際には、尖閣諸島も含まれて日本への返還の対象になったいきさつがあります。
   こうして見ると歴代の政府や行政は、領土意識が乏しく、国家としてこうした辺境の土地に対しても放置したままでなく、国家として統治義務を果たして何らかの措置を講じておけば、今のような事態を起こさずに済んだはずであります。外国による侵略にも等しい屈辱を経ずに済んだはずであります。今になって事態の急変に慌てふためき、こうした列島群の国有化に踏み切りましたが、今まで放置してきた災いが一挙に噴出した感じです。中でも中国の反発はものすごく、中国国内では多くの反日デモが発生して邦人の安全を脅かす事態となっています。反目する事態は経済的にも多くの損失を招く結果になり、決して得策ではありません。又中国の暴徒化したデモの一部については、当局の取り締まりによって鎮静化されることを望んでやみません。暴徒化したデモ隊による日本企業への破壊と略奪が続いていることはゆゆしきことであります。こうした状況が、ネット社会で即座に世界に発信されていくことを思えば、大国としての中国の風格、品格を損なうも甚だしきものがあり、それを憂えるのみであります。   
   1960年代から、こうした海洋孤島の周辺に海底資源の膨大な埋蔵が発見されるに及んで、その領有権の争いが頻発されるようになりました。尖閣諸島の海域には、今日から中国の漁業操業の解禁に当たり一千隻からの漁船がこの海域に出漁すると伝えられています。緊迫した状況ですが、領海侵犯で、お互いに主張を譲らず対立激化の果てに国家間の衝突事件だけは回避すべく、冷静に対処すべきであります。
   古臭い、しかし貴重な昔の大百科事典を紐解いて、真実に基づいて冷静かつ良識ある行動をとってもらいたいと思っています。加えて竹島についても学説を紐解いて歴史的に検証してみようと思っています。竹島は今、韓国が実効支配しています。先日はこの島に韓国大統領が上陸して、竹島が自国の領土だと宣言して見せました。一国の元首がかような行動に出ることはいかがなものかと思いますが、国民の高ぶりを沈め冷静になるべき立場の人のとるべき行動ではありません。日本はそうした挑発にうかつに乗ってはいけません。これからのいろいろな知識の集積に、古色蒼然の大百科事典がその威力を発揮してきました。新旧の時代的経過がある以上、検証や、知識に関しては、含まれていないものがたくさんあると思いますが、それまでの当時の状況を知るには権威あるものとして利用することができます。民間にいきわたっている古文書なども、真贋のほどを精査して取り上げることのできるものがあれば大いに参考となるのではないでしょうか。 見回したところ、この大百科事典を凌駕する出版物は、目下のところ見当たりません。                          9月18日  


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

秋季・講演親睦会

 平成23年3月11日、東北北関東を襲ったマグニチュード9,1の大地震と巨大津波は東北経済に壊滅的な打撃を与えました。加えて東京電力福島第一原発事故の爆発による放射能の拡散と汚染が重なり、恐怖の被害は地域の膨大さと長い将来にわたって重大な影響を与える結果となりました。ただ今、官民挙げての賢明な汚染作業と復興計画の実行が叫ばれ実施に移されております。政府予算も19兆余に上り、速やかな効果を期待しております。
    課題山積の状況ですが、地元は無論のこと、広大な資源を擁する北海道からの支援の重要性も指摘されなければなりません。地政学的には、分けても釧路のインフラを最大限に活用することが急務であります。将来を遠望して、ロシアからの積極的な資源外交と極東地域の開発は重要であります。そのため、樺太を通じ釧路を基地とした本邦へのルート、さらにはカムチャッカ半島から流入する経済金融と資源的な物流の基地として北海道の最南端の釧路は俄然脚光を浴びて、しかるべき役割をダイナミックに果たしていかねばなりません。
    今回は当会々員の株式会社太平洋興発株式会社と連携し、講師の月尾嘉尾夫先生から、同社を中心に地域経済と北海道の経済発展を期して現在、将来にわたって大胆な構想を展開し、広く日本経済の発展的スキームを組み立てていただきます。
    月尾嘉夫先生を招いてそのご賢察をうかがうこととしましたので、ご期待ください。。 

   今日、日本を取り巻く国際情勢は緊迫且つ複雑多岐にわたっています。一方において日本の国内政治情勢はかってないほど改革、改善の余地が多く残されています。民主党の総裁選挙も終わり、野田さんが地方で圧倒的な得票を獲得して総裁につき、引き続き首相の座につき政権を担当していくことになりました。そして9月30日の今日、内閣改造の骨格を発表し、新しい布陣を以て内外の諸問題の解決にあたることになりました。
   片や、自由民主党の総裁選挙も、候補者5人を擁立して一位、二位の決選投票の結果、元首相の安倍晋三さんが総裁の座に就きました。これで国内の最大の政治的行事はほぼ終了し、本格的に国内政治に注力していく基盤が出来たことは、喜ばしき限りであります。しかし政府と与党民主党と、野党の自民公明との対立は続き、国会の召集は解散含みの波乱に満ちたものとなる状況であります。
   ところが国内政治の混乱と空白は、現下の情勢からして決して看過できないものであります。一刻も早く、国内の経済、行政の進捗を進めていってほしいと願うものです。TTP,放射能汚染と除去、デフレ脱却と景気回復と問題山積の中であり、そして尖閣諸島の件を初め、懸案の対・中国、韓国との外交問題についても英知を絞り、平和的解決を以て事に当たることを求めてやみません。9月30日



2012.09.12

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


copyright (c) Showa Economic Study Association サイトマップ プライバシーポリシー お問合せ