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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.13.09


緊迫のシリア情勢に待ったか!

    化学兵器を使用して1400人からの女子、子どもを殺害したとして、アメリカ軍によるシリアへの空爆が秒読み段階に入ったことから、世界が固唾をのんで、その成り行きに一喜一憂している。29日イギリス議会はキャメロン首相が提出したシリア攻撃に対し反対多数でこれを否決した。これを受けてキャメロンはアメリカとのシリア攻撃を断念した。オバマ大統領のショックは隠せない。アメリカ国内にもシリア攻撃に反対する世論が高まっており、大統領の決断だけでは、攻撃の正当性を訴える力はしぼんできてしまっているのが実情である。
   今から9年前の2003年3月20日、イラクの化学兵器使用を理由にサダム・フセインの打倒を旗印にアメリカとイギリスはイラクに攻撃を行って侵攻したたが、結局のところ化学兵器は見つからなかった。フセインは馬鹿だから、剣を振りかざし威嚇的に行動するばかりで、はっきり持ってないよと云って国連調査団を受け入れていればいいのに、馬鹿は死ななきゃ治らないで、振りかざした剣で自分の首をはねてしまった。あれほどの馬鹿はいないだろう。そのバカのフセインを倒したものの、戦後の収拾に大きな犠牲を課せられてアメリカは第二のベトナムに遭遇したのである。今また同じような理由でシリアへの攻撃を繰り返して、果たして目算があるのかとくれば、実質的勝算、成果は不透明である。国内外はもとより、厭戦気分が蔓延しているアメリカで、これらを打ち消すほどの資料と説得する力は、今のオバマにはない。中国、ロシアはもとより強く反対している。単独行動がどれほど危険をはらむものか、オバマ自身の苦悩は増すばかりである。
   アメリカ国内でも軍事介入に対して反対する民意が強く、是非を問い、国論は真っ二つに割れていいる。英国が既に議会の反対の決定を受けて、キャメロンがシリア攻撃を断念、振り上げたこぶしを下ろしてしまった。こうした状況を踏まえ一歩後退のオバマは、一種の賭けに出て議会の承認を求めて、自分の正当性に議会のお墨付きを得ようとしている。苦肉の策である。今のような状態で、議会の承認を得ることは難しいとするのが大方の見解である。オバマ自身、このことは百も承知である。既に、賢明な世界はこれを見抜いて、シリアへの攻撃は先送りされると見、それを期待して動いている。昨日、今日の日本の株式市況は、アメリカのシリアへの軍事攻撃なし、不透明で不安な戦争は回避されると見て、この二日間で600円近い上げを演じている。世界も厭戦気分でおおわれている。シリア攻撃が先送りされたことで、今晩始まるニューヨーク株式も、恐らく堅調に上昇すると思っている。見通しと期待を込めて、世界の目が賢く動いていることの証左である。
    私は江戸っ子育ちで気が短い方なので、解決を焦るあまり一気にシリア潰しに出て今の硬直事態を解決したほうが的確だとも思うが、しかし、シリアのアサドを消したとしても、あとのシリア国内の政治的、経済的収拾が問題である。フセインを倒した後のイラクに見るように、果たして国内の安全と戦後復興がスムースに行われるかと云えば、むしろ混乱を増長させるのみではないだろうか。アメリカが責任を以てこれを担保できるならば何ら否定することもないが、そこまで確証を得ることはできない。更に混乱を招いて、国民の生命財産を粉々にされる方が可能性としては大きいような気がする。戦争を回避し、シリアの混乱を他の方法で解決する手立てを立てるべきだと思う。仮にオバマがイラク攻撃を思いとどまった結果、イランや、北朝鮮が従来に増して狼藉を働くようなことがあれば、それは、オバマの行動を差し止めたプーチンと習近平の責任である。その責任を果たす意味で、プーチンと習近平はアサドをおとなしく従わせる努力と成果を果たさなければなければ、約束違いと云うことになる。
    アメリカが攻撃を断念したとしても、これはアメリカの勇気ある行動ととるべきである。力と理性を示した結果になって、シリアへの強力な攻撃に代わるものとなるに違いない。なぜなら、アサドは化学兵器を含め今までの自国民に対する蛮行は、政治家として断罪されるべきもの思っているからである。アメリカの軍事的攻撃は、アサドなど微塵もない存在だし、赤子の手をねじるようなものであるが、かといってアサドの野蛮性は決して許されるものではないからである。シリアの攻撃を断念すれば、イランの核開発や、北朝鮮の化学兵器の使用を野放しにすることにもなり、アメリカの安全保障上、これを容認することはできないとオバマは云っている。確かにそうであるが、一方、9年前のイラクの攻撃が、その後のイランの核開発や、北朝鮮の政治や化学兵器の疑惑を訂正する効果をもたらしたかと云えば、決してそうではない。イランと北朝鮮の問題は、アラブの春に始まった国民の民主化のうねりとは峻別されるものではないだろうか。
   アメリカが仮にシリア攻撃を断念すれば 反対していたロシア、中国は、シリアをアメリカの攻撃から救ったとして、シリアに対しアメリカ以上に貸しを作ったことになるから、その代償を大きく求めてもいいだろう。ちなみにロシアがアサドに反政府グループと和平交渉を呼びかけて、紛争を収束させる手立てもある。とにかく双方が殺戮の繰り返しを止めて、話し合いに入ることであろう。そのあっせんを大国であるロシアが仲立ちすればいい。それすらできないとすれば、ロシア、中国は、即ちプーチンと中近平は政治的、外交的に無能力者と云われても仕方がない。小手先で問題をかき回すもので大きな外交的決断はおろか、指導力さえ発揮できぬハッタリ、見せかけのチンピラにも等しいことになる。結局ロシアのプーチンも、中国の習近平も、口先だけで何もできないし、何もやらないことになっては、なにをかいわんやである。 経済的概念を無視した、単なる成り上がりの資源肥満体国、人口肥満体国で終わってしまう国と云うことになり、箸にも棒にもかからない薄っぺらな、反対を唱えるだけの脅し国家に成り下がってしまうことになる。品位欠落の脅し国家となれば、 レベルは北朝鮮と一緒だということになって、指導者は国際社会の信用を落し、ご退場いただくしかない分際となってしまうに違いない。 9月2日



新しい戦争の形態


   戦争記念日、終戦記念日と云った昔の侵略戦争をいつまでも想起していると、認識がいつの間にかずれてきてしまっていることに気づくのです。目に見える戦争から、目に見えにくい戦争に代わってきて、その分恐怖感を禁じ得なくなってきています。今、アメリカがシリアに対して軍事行動をとろうとしています。地中海には既に攻撃用の駆逐艦が5隻配備されて、オバマがゴーサインを送れば、たちどころに火ぶたが切られて、一方的に何発ものトマホークがシリアに撃ち込まれるでしょう。目標とされた標的は瞬く間に火の海と化し、場合によっては多くの犠牲者が出てしまいます。軍事施設や、政府機関等が狙い撃ちとなり正確に攻撃が出来てアサド政権に打撃を与え、統治の機能が減殺されて当初の目的が完遂されればいいのですが、化学兵器の貯蔵場所などを矢鱈に攻撃して、毒性の化学薬物が拡散されては、別に大きな被害をもたらす事にもなります。 化学兵器が使用できないようにするのが攻撃の目的でもあります。難しい選択があって、悩ましい点でもあります。
   これからの国際情勢の中で懸念されることは、大国間同士の協調路線は、波風が立つ中でも基本的に崩れることはないでしょう。しかし米、欧と、片やロシア、中国といった大国間の利害得失を巡って、小国での混乱に便乗した駆け引きが続くことは大いにありうることです。地球上の国々に混じって、国際紛争の火種は尽きないことになります。これからの小さな複雑な紛争を契機とした新しい形での戦争が、何かと想定されてきます。それは見えない抗争、戦争となって、われわれ現代社会にのしかかってきます。これをいかに防いでいくかが、今後に残された大きな課題でしょう。これを防ぐための国際協調が必要になってきます。矛盾した感じですが、大国間の連携した防御体制の重要性が分かってきて、地球を囲むネットワークが相互の結束を固める結果になることもあります。
   第一に考えられる戦争とは、テロです。小規模ながら、事前に捉えることは難しい、見えないタイプです。 第二には生物、化学兵器を使った戦争です。影響が広範囲に及び、長期間持続する可能性がある、見えない凶器です。 第三には、サイバー攻撃です。これが又難解な代物で、国の行政機能を麻痺、壊滅させることのできる、見えない武器です。 世の中が便利に進歩していく副産物として、悪の温床、武器として登場してくるもので、市民生活にとって何時兇悪な凶器ににならないとも限りません。                                             9月5日 


2020年オリンピック・パラリンピック開催地が東京に決定

   日本時間で今日9月9日午前5時20分、2020年夏季五輪の開催国に東京が決定しました。私はこの瞬間を早朝のテレビで見て、歓喜と感激を隠しきれませんでした。猪瀬東京都知事を初め招致委員の皆さんの、これまでの一方ならぬ御苦労をねぎらい、国民の一人として深く感謝いたします。 日本の情熱的なプレゼンテーションの素晴らしさも深く印象に残っています。危惧されていた原発事件の汚染水の問題も、IOC委員からの質問に対し、安倍首相の的確な説明と自信に満ちた対応を聞いて、東京がイスタンブールに勝って大きな支持を得るに違いないと確信しましたが、同じようにこれがIOC委員の共感を買ったことが最大の武器となりました。安倍さんの国際的な大舞台での、面目躍如の演技でありました。
   国民も、この時の安倍さんの発言によって、暗然と悲観的に受け止めていた原発事故の処理については、日本の未来に光がさしたような感じがしましたが、これがその場限りでないこと、幻想でないことを願ってやみません。汚染水の問題はもとより、その原因となっている原子炉の燃料棒の完全な除去こそ問題解決の基本であります。一刻も早く実効的な問題解決に動きだし、国際社会の信託に答えていかねばなりません。これこそが東北被災地と被災者の真の救済につながり、強力な復興への道筋となるでしょう。五輪がもたらす経済効果も計り知れません。ひょっとすると安倍さんが政策として掲げている三つの矢の一つとして、即ちアベノミクスの第4の矢としての役割を果たすものとなるでしょう。
   今度の五輪の候補地として上がったトルコのイスタンブール、スペインのマドリード、日本の東京ですが、それぞれの間で激しい招致活動が続けられましたが、何とも皮肉な時代の巡り会わせで、奇妙な印象を与えられました。三都市とも,ディケンズの「二都物語」なら優雅な気分になりますが、お粗末ながら、それぞれ脛に傷を持った重大な欠陥を持っています。スペインは癒しがたい経済的低迷、不況と混乱、トルコも激しい政局の混乱とデモの続発、隣国のシリアでの内戦状態と流民の問題、日本は原発事故による放射能被曝の問題などを抱えて、普段ならすべて落第の憂き目にあう劣等生でした。この劣等生が持つ脛の傷は、現代人間社会の苦悩を現したいます。三つの苦悩と云っても過言ではありません。現代社会は深刻な経済問題、残酷な戦争、そして地球規模での環境汚染であります。五輪候補に挙がった3都市は、いずれも現代の苦悩を表徴するもので、人類にとって警鐘を打ち鳴らしています。五輪精神はこの負の遺産を払しょくし、克服して人間性を謳歌するもので、人間の尊厳を認識し、高めていくもので、これは希望と勝利への道であります。
   IOC委員の苦悩もわかるような気がします。劣等生を対象に、劣等生の間での激戦となり、消去法の形で最後に日本が残されたということでしょう。候補地の決定には、今どきの重要な世の中の関心を集めたような感じがして、大きな教訓を残してくれました。日本はこの放射能被曝問題の大きな国家的問題の解消が、国際的にも責任として課せられました。
   今、世界は二つの明暗に分かれていました。平和の祭典、五輪の開催地を巡る国際間の攻防、駆け引き、片やシリアの化学兵器使用に対し軍事攻撃をかけるかどうかの国際間の攻防と駆け引き。この二つの攻防と駆け引きが、同時進行で行われていました。表題は文字通り、文豪・トルストイの「戦争と平和」で、舞台は名作オペレッタの「会議は踊る」の場面でありました。アルゼンチンのブエノスアイレスの地で、片や、ロシアのサンクトベルクで愚か者が大きな課題を抱き込んで大騒ぎして暴れまくっていました。一つは絶滅すべき人間の戦争、一つは継続すべき平和の競技の祭典、人間の性丸出しの結果について、問題は複雑であります。
   安倍さんも国民も、政府と官民が一致団結してこの難局を克服しなければなりません。奇しくもこれは国際公約となりました。20年開催の五輪の各種会場と施設を含め、世界のアスリートを初め、応援に駆けつける沢山のお客さんたちを安全に迎い入れるため、万全の受け入れ態勢を構築すべく努力していかねばなりません。 希望と自信を以て明るく、五輪招致決定の後の、確実な建設に向かて進んで参りましょう。

      沸き立ちて二千二十年のオリンピック東京招致に決まる瞬間

      オリンピック東京招致の七年後決まる瞬時の朝の五時半

      日本の五輪招致に成功すアベノミクスのさらに加速す

      日本の空に五輪の虹の花かかりて平和の軸足とせん

      くにたみの英知と努力でこの国の栄えの基礎を築く誉れは

      汚染水除去に決意の安倍首相五輪招致に功を奏しぬ 

オリンピック招致に安倍のプレゼンス大上段に見事なりけり

      頻発す原発事故の汚染水懸念払しょくに安倍の演出

日本の五輪招致に成功しアベノミクスのさらに加速す

      富士やまに光る朝日に五つの環めでたくかかり国は妙なり

      四海波静かに寄するまほろまに今し平和の音のとわにも

      しきしまの空に五輪の花の虹かかりて平和の軸足とせん 

      達成の歓喜に踊る若者の自由と平和の国なればこそ

  あと十年生きながらえて楽しまん東京五輪といふ友のあり

      千年も万年もわたし生きたいわ浪子の声の切にありしも

      われもまた千年も万年も生きたいと強欲に生きしみじみと生き

      しなやかな社会を築くこの国の先に新たな望み託して

      肉体の美と力とを競いあひさらに心と技も加へて 

      沈滞と閉塞感を打ち破り大空たかく飛べ鷹に似て

      祝へばや五輪開催の東京に力と技と美をあらはして

                                         9月9日  


戦争回避に急展開 米ソの現実的提案 

    オバマもプーチンも偉い。シリアを巡って攻撃するかしないかで戦々恐々だったが、二人の英知が勝って、話し合いが出来て、シリア攻撃を思いとどまることができた。相互理解と相互協力でできれば電話一本で話がつくのである。 戦争を始めれば、攻撃された方は必死になって抵抗し反撃してくるだろう。 攻撃する方は躍起になって弾丸を撃ち込むだろう。地中海に展開する駆逐艦にしても、莫大な金をかけているから必死である。双方の痛手は短期とは言ってもイラク戦争どころではない。イラクは化学兵器を持っていなかったが、シリアは持っていることが分かった。アサドの脅しはフセインの空だまと違って本気らしい。そこでシリアの持っている化学兵器を国際管理下に置くことにしようとプーチンの提案である。狡猾なアサドはプーチンの提案を受け入れることに同意した。オバマもこれに同意する形になった。 
    私は先の発言で、殴られたり、殴ったりして喧嘩をしなければ決着できない様では畜生の類いで屁にもならないといった。たかがアサドの一人に手ごまねいて、まさかオバマやプーチンが、こんな始末では大国のリーダーとして世界を指導していく資格がないといっていたが、互いにこぶしを振り上げた二人が、冷静になって、いい知恵を出し合って、わんぱく野郎の狼藉を止めることができたことは、G20ではだらしない振る舞いだったが、ここで男前を挙げた感じがして安堵している。 G20でも喧々諤々でオバマとプーチンが喧嘩別れしたような印象でがっかりしたが、水面下で交渉していたようである。
    貫禄と威厳がついてきた安倍さんが、人のうわさによると何でも二人の仲に立って、いい立ち回りを演じて、両方に妥協を迫ったようで、飛ぶ鳥の勢いはむしろ悠然として飾らずに、慌てず、ためらわず、ぼんくら連中をたしなめていることは立派な振る舞いである。格好ばかりの麻生さんと違って実利的で感じがいい。どうも麻生さんは貫禄をつけようとして、かえって失敗している。誰しもこんな欠点は持っているが軽妙に演じてくれればスマートでいいが、締まりがなくなって猿の尻笑いに終わってしまっても困る。安倍さんは飾らないところがあって明るく、結構庶民的であり、品の良さとなって癖がなく、こうした人柄が受けているかもしれない。シリア問題で、こわばったG20の雰囲気を和めてくれたのではないだろうか。国家としての品格といった言葉を思い出したが、こうした国際舞台に立ってみると顕著に目につくことでもある。一人の政治家によって国としての見識、品格、が、富や軍事力に勝って指導力を発揮するのである。
    先ずは混迷を深める中東地域の戦争回避と云う雰囲気になって、世の中がその分明るくなってくるだろう。これを突破口にして、シリア内戦の収束宣言に持って行ってもらいたいものである。野田さんの原発事故の収束宣言はインチキで、国民は騙されてしまった。あれ以来国民は放射能問題で散々な目にあっている。現実は使用済み核燃料棒の安全摘出と処理や、そこから今以て出てくる放射能汚染水は、執拗に生じて止まる気配は全くない。阿部さんは五輪招致に当たって、事故処理は万全ですべてはコントロールされているといって仕舞ったが、どんなことをしてでもコントロールして成し遂げないと、国際公約になってしまったから責任が大変である。
   アラブの春に咲いた民主化運動も、何が何でも欧米的な民主主義を進めろというわけではない。国それぞれの伝統と歴史としきたりがあるし、それぞれの国情に合った制度、政策があるから画一的にはいかない。しかしどのような状況にあっても、民意に沿って政治と政策が、公明正大に行われることが一番大切なことである。だからシリアの件についても穏健に、抗争のない国情と、民衆の生活向上に持って行ってもらいたい。国連もそうだが、やはりロシアとアメリカががっちりと手を組んで、地球規模の政治を心がけて行ってもらいたいと念願している。今回のシリアの件がこのままの勢いでうまく収まれば、米・ロの大国は、正気に戻ってやれば出来るんじゃないかと云うことを証明したことにもなって、オバマ、プーチンの男が大いに上がったことになり、めでたしめでたしで、これからの将来が建設的に、前進的に、平和的に進むことになろう。先の論評で鬼畜、野獣のアサドは仕方がないにしても、オバマやプーチンに八つ当たりしているわけではないが、世界の狼藉どもを抑えるには、今のところオバマとプーチンしかいないだろう。オバマとプーチンが手を握ったら、そして良識を以て行動力のあるわが日本の安倍さんが仲立ちに入って調整役ができれば、人類の幸福を願って平和の国際社会の構築に力を合わせて戦っていったら、怖いものなしだろう。それでこそノーベル平和賞に値するものである。八つ当たりが大当たりだったなんてことがないように願いたい。
   プーチンの匙加減で、世の中が良くも悪くもなるというのだから、プーチンも大したものである。大したものであるということは、佳いことをしてればと云うことである。今のところは、オバマとプーチンの努力と英知で不埒な世界からの突破口を拓けば、この先の人類の努力次第で、人類社会は「神の国」 に近い形で、まばゆい希望と光に満ちた輝かしい国の到来のごとく、平和で安泰な世の中になるだろう。国連の安保理に問題を持ち込んでみるのはベストだが、この場で大国がまたぞろかけひきに終始するようだと、折角のチャンスを逃すことになる。ここはプーチンも、オバマも大局に立って、腹を大きくして大雑把に決着すべきだろう。ここまで来たからには、解決のすべてはオバマとプーチンにかかっているからだ。G20の会で先頭に立って解決に当たるべきリーダーがふらふら愚図々々していたので、腹いせにオバマとプーチンを捕まえて、くそみそにけなしたが、これは取り下げておきたい。ご免ね。
   ただしシリアの問題を平和裏に解決して、アサドを心から改心させてもらいたい。この人間は修繕してみても、よい使い道はないだろう。親譲りで二代目の世間知らず、苦労なしの気の荒い男、世間でも良く見かける類いである。こうした輩が独裁政治のリーダーに立つと権力志向のみに走って手に負えなくなる。国民は悲劇である。そして国民を敵に回して残虐を繰り返して憚らぬアサドは、見せしめにやっぱり追放だ。残忍極まるナチのヒトラーと同じで見るからに冷血的であり、いつも蝋燭のように突っ立って温かみのない表情、そのアサドは吸血鬼以上にハイエナであり、民衆の敵となるゆえ、追放される身である。常に民主主義と人類の敵に立つ男だから。       9月11日  


続・シリア問題について


    米国のケリー国務長官と、ロシアのラブロフ外相との会談が精力的に行われ、シリアの化学兵器に関して両国の間で合意に達したことは喜ばしいことである。合意の内容は、シリアが保有する化学兵器を軍事的攻撃と破壊によるのではなく、外交的な手段で廃棄するというものである。しかもこれを確実に履行させるために、国連安保理で決議を採択し、速やかに実行すると云うものである。これによって危惧されていたアメリカによるシリアへの破壊的な武力行使は、確実に回避されることになった。オバマとプーチンの指示を受けて、ケリ-とラブロフが懸命になって英知を絞って得た結論であり、両者の利害関係が一致したとはいえ、近来にない素晴らしい平和的な外交的成果を見せてくれた。大国らしい毅然として姿を演じて多くの共感を呼ぶものであり、歴史的教訓を見せて広く将来の展望を明るくするものである。 何かと国家間の紛争の火種が絶えない中、それ故ぎくしゃくした世界情勢だが、しかしこうした紛争の解決に当たっては、大国の力と指導力を互いに強調的な姿勢で解決に努力することが重要であり、これは世界的潮流として把握することが大切である。
    昔と違って迅速かつ多種の複雑な情報が錯綜する時代である。事象の認識も異なった次元でとらえていかないと、方向と指針の判断を誤ってしまう可能性がある。その結果は予想をはるかに超えたものとしてすぐさま自国に、自分自身に降りかかってくるものである。 大国はそれにふさわしい姿勢と行動をとることが、局所的に頻発する紛争解決に入る場合の大きな武器となって、いわゆる交渉力を発揮してくることになる。今回はアメリカの強硬姿勢に、世論を気にしたイギリスが議会の反対を受けてあっさりと攻撃参加を中止したことが大きな前進となった。この冷静な判断が、強気のオバマを後退させた大きな節目であり、原因であった。 キャメロンの民主主義的選択と判断は、いさぎよさとスマートさに感服しているし、戦争と混乱を避けた歴史的功績として残るだろう。つまり冷酷無比の殺戮戦争を避けることができたし、地球の表面に戦火の及ぶことを回避し、秩序と平和をその分手中に収めることが出来たのである。
    くどいようだが、アメリカの決断も、冷静さを取り戻し勇気ある決心であり、これは反ってアメリカの政治力と軍事力の大きさを実証するものとなり、アメリカはじめ同盟国の攻撃に対しては、直ちに報復措置をとるというメッセージになって、現実を知れば知るほど彼らにとって選択を誤らせないものとなり、無駄な選択は自国にとって決して利するものでないということの明白な忠告となったであろう。大金をと威信をかけて地中海に艦隊を集結し、準備万端、攻撃を目前にして思いとどまるエネルギーの消耗は決して侮れないものである。シリアは無論のこと、これを傍観している核開発のイランや、北朝鮮は寧ろ無言の脅威を見せつけられたのではないかと、アメリカの信念と決意を甘く見てはならないと警告したいところである。 今回はオバマの勝利だと、私は断言して憚らない。戦わずして勝利するということだってある。アメリカは、オバマはその道を選んだことになる。
    シリアは、アサドは最後のあがきを見ずに済んだ。この際悪事に走らず改心し、国内の内戦状態に終止符を打つべく、反政府側と和平交渉の道筋をつけるべきである。そして自国の民衆の女、子供たちの犠牲をこれ以上増やしてはならない。アサドが今後において選ぶ道は一つしかない。穏健な退陣道を敷くのため、神の許しを乞うて、過ちを改むるに憚ることなかれの東洋思想の教訓を 実践すべき時である。そして犯してきた数々の罪を謝罪し、大虐殺について明らかにし、神の審判に服すべきである。                            9月14日 

  

          教会の創立60周年の記念礼拝


     私が通っている玉川神の教会の創立60周年記念礼拝が今朝、いつものように10時半から行われました。教会は拙宅から徒歩5分ぐらいのところにあります。 丁度、玉川聖学園の隣に接してあります。私が教会に通う道も徒歩で行けば良いのですが、近いくせにいつも慌てていくものですから横着してクルマを飛ばしていくことがしばしばです。しかし自転車をこいでいく時もあります。勿論、運動のためと称して歩いていく時もあります。その時々の気分次第で、通い方が微妙に違っています。
     徒歩で行く時は拙宅を出てからすぐに、農園の間を走る狭い静かな道を 「ねこじゃらし公園 まで行き、そこから九品仏浄真寺の境内の裏道を抜けて、自由が丘に向かっ行くその途中に目指す教会があります。この道のりは田舎的な雰囲気のする気分の爽快なところで、畑や植木畑や、雑木林が広く広がっている地域で、思わず少年時代のおおらかな気分を思い出させてくれるのです。こうして礼拝に通じた道は、おのずから神様からの恵みと癒しに包まれて、心身ともに浄化されて、新たな力を授かるような至福の時間でもあります。普段の勤労の毎日は、俗世にどっぷりと深く浸ってしまい、自分ではなかなか拭い去れないことが沢山ありますが、雑念から解放されてしばし十字架に向き合っていると、魂の生き返りと解放感に浸ることができ、再び生命力がふつふつとして湧き上がってきて、迎える新しい一週間と立ち会うことができることは深い喜びと感謝の何物でもありません。ありがたいことですが、こうして心からの感謝と静謐な祈りを用意されて、不思議と礼拝堂に入る自分の姿があります。
玉川神の教会では三年前の春に著名な牧師であり学者でもある山口昇先生の後任に、宣教師として約30年前に日本に赴任して、神戸の垂水教会の牧師をしていたバーナード・バートン先生が正式に牧師として専任することになりました。三年ほど玉川聖学院の院長をしておりましたが、今年4月に理事長を務めることになりました。牧師就任とともに愛妻のチェル夫人も副牧師に就きました。夫妻は流ちょうな日本語を使って、日本を中心に十字架を身に着け、国際的にも宣教、伝道の道を強烈、熱心に勤めていました。バートン師の「道」を行く逞しさは,荒れ野に立つパウロの姿を追うような信念の岩に立ち、情熱的なものです。又愛妻のチェル姉は明るく優しく、信徒を大きな愛を以て包み込む清楚な人柄でした。副牧師に就任後の間もなくチェル姉は癌を患い、バートン師の懸命な看病と努力と、医師たちの献身的な治療にもかかわらず、二年後に天に召されました。その悲しみは多くの人たちの心に深くきざまれて,忘れ得ざるものですが、チェルさんは皆に親しみ深く温かく、微笑みながら、神のみもとに行く喜びを私たちに云い残して、永遠の命に戻っていかれました。文字通り神のしもべとしてチェルさんの人生は、愛と光のなかに一生を全うされたものです。一人になってしまったバートン先生ですが、心のうちの深い悲しみを打ち消して日々の言動に表すこともなく、いつもイエスのみことばを取り継いで、そのみここをいみじく実践されています。礼拝での情熱的な真摯なメッセージは、あたかも神のみこころと力が牧師の体に乗り移ったようです。同時に、愛妻のチェルさんの面影を重ね合わせて、私は見ることができます。それは信仰と宣教の道を歩む、愛と光の面影が、バートン牧師の上にも注がれているからです。その愛と力が神の深遠な御言葉の取り次ぎに、ご自分の生命をもやし続けてきている原動力となっているのでしょう。それからのバートン先生の宣教と伝道活動はさらに大きく燃え盛り、迫真の気迫に満ちた信仰生活と伝道の毎日を続けておられます。今年5月からアメリカにわたり各地の教会を巡って宣教活動に精力的に専念され、先週帰国され再び力強く講壇に立っておられます。
   この日の礼拝では創立60周年を記念して、玉川神の教会の名誉牧師のフィリップ・キンレイ先生がみことばの取り継ぎをしてくださいました。キンレイ先生と云う名前は随分と昔から耳にしていて聞き慣れた名前ですが、背丈の高い、年齢も83歳になられましたが尚かくしゃくとして、かつ気品に満ちた人柄です。心静かな優しさで、皆から親しまれています。 娘の明子がこの教会に属する「子羊幼稚園」に通っていたころに、この幼稚園の園長さんをしていた方が、キンレイ先生でした。そうした理由で私は35年前に一度、キンレイ先生に会ったことがあります。ちなみに腕白小僧の息子の裕介の幼稚園は、すぐそばの九品仏幼稚園でした。広い境内の中に立つ二階建ての大きな園舎があって、遊びまくっていた腕白時代を過ごすには格好の、優れた環境にあったというべきでしょう。住職が厳しい修行の延長と考えて、園児の教育指導に当たっていたといわれています。元気に走り回る男の子は、それでいいのです。家内は女の子の明子については、キリスト教的教育を植え付けたいと考えていたようです。そんなことがあって明子は、小羊幼稚園に二年間楽しく通っていました。その時、私はクリスマス・イブの舞台で、サンタクロースを演じて園児たちにたくさんのプレゼントを配ったことが昨日のように思い出されてきます。サンタクロースの演出を予定していた父兄が都合が悪くなったので、急遽私が代役として頼まれてやったことも、楽しいひとこまとして思い出されます。純真な子供たちを相手に、大きな袋にお土産を沢山詰めて、今でもサンタクロースの役はやりたいと思っています。
    ところでキンレイ先生はこの日の祝賀のために、飛行機を乗り継ぎながらアメリカの中部アンダーソンからお祝いに駆けつけてきてくれたのです。説教の題は 「わたしにとどまりなさい」 という内容のメッセージでした。わたしとは、イエスキリストの指しています。物静かな語り口調でわかりやすく、イエスの言葉がそのまま心に呼びかけて来るようで、しみじみと受け入れられるものでした。私は妻と一緒に前の方の席に並んで聞いておりましたが、キンレイ先生の言葉が子守唄のように聞こえてきて、その調べについ誘われて、みことばの取り次ぎを、昔聞いた母の子守唄を聞くような気持になってうっとりするうちに白河夜船をしばらく決め込んでいたことに気づきました。こんな至福の時は、私だけのものに違いありません。
    負け惜しみではありませんが、十字架を前に安穏の心境で聞くイエスの御ことばには、快く惹かれてまことに心を揺り動かされるものがあります。「三つ子の魂百まで」の日本の伝統的教訓」ではありませんが、その時に胸に抱かれて聞いたと思われる母の「揺り籠の唄」の甘い調べのように、私の気持ちを快いものにいざなってくれるのです。素直な気持ちになって真実の言葉を聞くことは、何という喜びで消化。妻はこうした際には決して指をつついてたりして、たたき起こすようなことはしません。私が普段から仕事で疲れていることを思わんばかりの配慮だと思いますが、しかしこうした時のイエスの言葉は、私が特別に許されて聞くものであって、イエスによってわたしが癒されている瞬間と受け止めているようです。勿論私も心得ていて、辺りかまわず白河夜船を決め込んでいるわけではありません。 尿意をも擁して頻繁に席をたたりしてくると全く別の問題になってきますが、幸いなことに健康的にも年齢的にも恵まれた状況にあるので、体質的に養分の摂取能力も人一倍あるので得をしています。私が一番欲張って、一番実り豊かに、イエスのみことばの恵みと力を頂いてきていると信じて疑いありません。そして夢と希望に燃えたその心境を沢山和歌にしたためて、イエスに心から感謝しております。これを目にとめてくださる方には、さらに大きな将来の展望と力を差し上げることができていると確信しております。そして、精神的にも肉体的にも「人間賛歌」の毎日を過ごすことができれば、これに勝るものはありません。  
     
    この日には又、畏敬する牧師の神田英輔先生にお会いすることが出来ました。神田先生は前にも国際飢餓対策機構で長いこと活躍されていましたが、三年前に退かれました。東北大震災の時にはいち早く現地に飛び、危険をいとわず救援活動に従事され、大きな感銘を受けたメッセージは、わが昭和経済に掲載れて多大な感銘と影響を与えました。現在は「声なき者の友の会」を主宰され、実践活動をキリスト教の信念として第一線で奉仕活動を行っている、まさに実践的クリスチャンの先駆者です。久しぶりに会えたことを感謝して、一足先に出かけた妻からの連絡で「神田先生がお見えになっている」とのことでしたので、昭和経済と、短歌同人誌・淵を持って出かけ感謝して差し上げました。
    礼拝後は「玉川神の教会」の創立60年を記念して、第二部の愛餐会が開かれました。この日は敬老の日でもあったので、重ねてお祝いの行事がありましたが。信徒が持ち寄った自慢の料理が沢山並べられて、豊かな秋の実りの季節を肌身に感じましたが、しばらく歓談・祝賀の後、私は次の大事な用事が控えてあったので途中で失礼しました。
    案じられた台風18号の接近でしたが、途中から日差しが射したりして、この日はどうにか無事、激しい雨、風に会うこともなくつつがなく時が過ぎたことは幸いでした。相変わらず大量の雨を含んだ台風18号は、今夜から本土に接近して本邦を直撃、そのまま台風は本邦を縦断して東北地方を荒れまわっていく気配です。だとすると台風は今晩から明日一日、大荒れの模様となって大雨被害に備える必要があります。各地に大雨洪水注意報が出されていますが、大型台風の本邦上陸だけに心配であります。 既に今年の夏の驚異的猛暑は峠を越して、次第に秋の気配ですが、台風一過の後は、秋晴れ続きの空となって、天気晴朗の本格的な秋を楽しむことになるでしょう。異常気象の続くさなかであるだけに、どんな規模のものか、台風の目が膨張変形し、想像外に急変して悪質化する可能性も無きにしも非ずです。台風の被害が少なく済むように、祈るばかりです。
                      *
    昨日から、地元の玉川神社でお祭りが開かれています。妻を誘って玉川神社に行ってることにしました。空模様を見ながら夕方暗くなりかけたころに出かけていき、人の群れに混じって玉川神社に行ってみました。境内には所狭しと屋台の店が沢山出ていて、明るいランプが賑やかに灯されて、人出も多く活気に満ちていました。夜遅くまで少年少女たちが群がっているのには驚きましたが、別に不良じみたところはなく、大きな笑いに包まれた雰囲気には、つい童心にかえって、私も仲間に入りしたいような気持にもなりました。私の時代には戦前戦後の世の中自体が暗かったせいでしょうか、意外と不良じみた友達が多かったようにも思えて、大人ぶって生意気にタバコをふかしていたガキがいたことを思うと、今の少年たちの方が健全で、明るさがあふれているようで楽しく感じました。賑やかな境内の様子を見ると、アベノミクスがこうしたところまでに効てい来てるのでしょう。例年になく景気が盛り上げっていました。 
    ところが今日はお天気の予想が大雨到来と云うことで、強行すればできたかもしれませんが、地元の玉川神社の秋の例祭に出る、お神輿の町内渡御が中止となってしまいました。毎年のこと拙宅の玄関前で、町内を渡ってきたお神輿が休憩して、その間、飲み物や食べ物が担ぎ手に振る舞われるのですが、今年はその賑やかさも台風18号のせいでお預けとなってしまいました。お向かいの小池さんの屋敷の庭の前には、「おみこしの担ぎ手を募集しています」との知らせの看板が事前に立ててありました。家内がそれを見て、お父さん、募集に応じて見たらと促してくれましたが、昔取った杵は、浅草三社祭の三之宮とくれば、自然と腕がむづいてきますが、いい年をしていまだに何だといわれかねません。せめてもの奉仕と償いに、例年通り拙宅の玄関先にお神輿が回ってくるので、休憩場所に拙宅の玄関先を広く開放して、しばらく皆さんに寛いでもらっているのです。
    この日も私はあらかじめ車を他に移動して、きれいに掃き清めて待機していましたが、その思いは空振りとなってしまいました。台風襲来、土砂降りとなっては神輿担ぎもままならないこと、玉川神社の御託宣は、気持ちの優しいお祓いを示してくれました。これが浅草の三社祭だったら、そんなことはお構いなしです。土砂降りの雨が降ろうが嵐が来ようが、お神輿はずぶ濡れになって氏子に担がれていきます。私も長い氏子をとして町内に回ってきた神輿を待って、粋な花棒を狙って肩を入れていましたが、土砂降りの中をずぶ濡れになって担いでいたことがあります。お神輿を担ぐときの気概は、何時でもどこにあっても変わりません。そういえば今年の浅草の花火大会も大雨が降りだして始まって間もなく中止になってしまいましたが、前代未聞だったそうです。そうはいっても、花火だけは雨の中を打ち上げるわけにはいきません。花火が湿気てしまっては花咲かせるくこともできません。仕方のないことで、見物にやってきた人たちにとってはがっかりだったでしょう。私が浅草を出て等々力に移ってきて30年以上たちますが、玉川神社の今日の神輿担ぎの中止、こんなことも今までになかったことです。この頃、日本の各地での異常気象の影響も、思いもよらない様ざまなところに出てきて悪戯していることが分かります。    9月15日


    主とともに歩む我が身に怖れなし愛と光のなかを生きゆく

    玉川の神の教会祝賀会むとせの歳を今にきざむに

    むとせ経し創立記念礼拝に神田牧師に相まみえけり

    滑らかな口調に語る意義深きキンレイ牧師のみことばを聞く

    聖さんの儀にイエスの食卓に招かれけふを喜びあヘリ      九月十五日

              

                       月下美人


    友人の三井さんから預かった大きな鉢植えの月下美人の花が、今日か明日の夜にも咲きそうな気配である。住まいを新築するため旧家屋の解体工事が始まった三井さんから大切なものとして預かったもので、二か月前から庭のテラスに置いてあったが、まさか月下美人の花の木とは知らなかった。台風12号の嵐が来るかもしれないから、家の中に置いてもらえないかと云う三井さんからの電話があって、帰宅後、玄関の間に移してやった。改めて良く見ると、一枚の分厚い葉っぱのひと隅から、鉛筆ほどの太さの蔓が5センチほど伸びてきて、先に小さなつぼみがついているのに気が付いた。開花の頃になると動く植物とでもいおうか、これが、2,3日するうちに、みるみる大きくなってくるのが分かった。鶴のように長く伸びた首先に、小さいつぼみが膨らんでくる様子が目に留まるほどである。大小合わせて全部で6つのつぼみをつけているのが分かった。遠い昔のこと、知人宅で一度だけ月下美人の花の咲く時を見せてもらったことがある。
    月下美人は夕方、日が暮れてから夜にかけて咲きだして、深夜の12時ごろに全開して、その夜のうちに息を引き取り、はかない命を終えてしぼんでしまう花である。その最後の時は、煌々とした月の夜に白い羽を広げて空高く、まるで天女かシラサギが遠い世界に飛んで行ってしまうように思えてならない。引き止めようとしてもかばわず、宿命的なものを感じないわけにはいかない。連想していると、何ともはかない命を誇らしげに、この世の華と開かせる月下美人は、怪しいくらいにふくいくとした香りを放ち、純白の花びらを広げて筆致しがたきまでの華麗絢爛の趣きに、思わずその生き様ざまらしきものに心を奪われてしまうのである。開ききった時の花の命を完璧に全うし、深いため息から放つ匂いは強烈である。今日の夜に咲くよりも、明日の夜浅い時刻から咲いてもらえないかと祈っている。と云うのも、明日の晩餐に、,わたしの教え子でドイツ人のラインハルト君が美人の妻のエリザベートと、彼らの小さな家族を連れて拙宅に来ることになっているので、できれば、あしたの夜に定まった時間に、この月下美人の優雅に怪しく咲き誇る純白の花の様子を、ぜひとも見せてやりたいという思いからである。
    
    思えば,明日は仲秋の名月である。青く澄みきった秋の夜空に、銀いろに輝く月の下で、滴り落ちる月の光を浴びて、静かに息をして咲く純白の花の、何とも言えぬ妙なる取り合わせではないだろうか。静かに更けていく秋の夜に、神秘的な息づかいを感じないわけにはいかない私の心には,秘めた秋の夜のささやきと、いざないの時が訪れている。 9月18日

       消費税の値上げは既定の路線

    税金が上がることは古今東西をとわず、国民から忌避されてきたものであるが、専制独裁政治家のもとならなら大いに抵抗して、デモを起こして反対し、場合によっては騒乱となって、社会不安を呼び起こしかねない重大な問題になってしまうが、開かれた民主政治のもとでは、国民によって選ばれた政治家たちが、議論を通じ正しい方向性を決めていくものだから、増税がどうしても必要だと云う解決方法として決定されることであれば、これを是として受け入れなければならないだろう。それが民意にのっとった正しい制度の在り方でなければならない。一方で内外の目が見てきた既定の路線とはしながらも、他方、経済の動向と客観的整合性を求めることが必要であって、それがその後に発表されてきた幾多の経済指標であった。それを見る限り、デフレ脱却と、経済的回復を示す確たる数字が、3パーセント消費税値上げの許容範囲を示すものとなって、特に安倍首相の決断を確たるものとしてのだろう。折しも国土交通省の発表によると地価が、商業地を中心に上がり始めてきたという朗報である。一般的に余り口に出したがらない地価の上昇こそ、デフレ脱却の大きな援護射撃である。地価の上昇はデフレ脱却の確定的指標にもなる。安倍さんのこのところの活動と流れは全体に憑いており、渡りに船といっていいくらい運についている。もちろん本人の洞察、判断、意思、決定と云った政治家としての素養に依るところばかりだが、気運は破竹の勢いであり、しかし高ぶったところなく冷静さは頼もしい限りである。
    目下、東奔西走の超ご多忙の身だが、昨日も国連総会に出席のためワシントンにに向け首相専用機で羽田から出発した。同行する賢婦人、愛称・アッキー、昭ちゃんの笑顔と姿を見て道中を安堵した。家庭内野党を以て任じる昭ちゃんは率直であり、それを許している首相は寛大であり包容力があって、ともに最大の理解者であり、日本の良き家庭の模範生である。奥さんの言動はつつましやかなものであり、なお正鵠を突いていて異論をはさむ余地は全くない。消費税についても、奥さんのささやかな家庭の範を示して大いに意見を申し述べているに違いない。何よりも、首相の原発推進に、涼しい顔で原発反対を唱えていること自体、概ね安心して重要な立場の信頼に値するものである。内助の功の大いなるものを感じさせて、安倍さんの心身の状況は奥さんがついている限り安泰であり、我が妻にも似たところがあって同感し、うなずくところところ頻りである。横着になってきている自分自身に気づくこともやるせないが、信頼するかあちゃんがいるから何があっても安心である。昭ちゃんと一緒で、知的であり品があってどこに出しても安心である。さてここで良妻は宝である、なんてのろけていたのでは、外に出て女性から振り向きもされないおっさんになってしまうことも心配である。飛行機のタラップを登って振り向いた笑顔の夫妻のスマートな姿に、今の日本の、日本らしい姿を感じてわれながら享けに入っている。イギリスの諺にも簡単明瞭なことばがある。「良妻は家の宝」と云うことである。日本の古くからの「子は宝」と同様どこの国でも家庭の切り盛りをして、家内安全、健康第一と云って夫を上手に働かせているこの秩序こそ、社会の国家の原点である。阿部さんの女性の積極的な社会進出の提言は、アベノミクスの有力な政策提言の一つでもあるが、ひょっとすると昭ちゃんの思いを表しているに違いない。     9月23日


               家庭内の犯罪

  
    男女同権だから、両方の立場に立って言えることで、良夫は家の宝も然りである。飲んだくれの亭主で、飲む打つ買うときたら、通俗的には男の甲斐性にも聞こえるが、こんな亭主にありついたらそれこそ六十年の不作である。悪妻は六十年の不作ともいうけど、たとえば悪妻とは一体どんな人を指して云うのか思いつかないところを見ると、物凄く手におえないのだろう。  しかも六十年と云うことは、一生と云うことであって、機械でいえば必要で稼働する間でも補修も修正も修繕もできないと同様、ポンコツ同様の役立たずの、粗大ゴミと云うことなのだろうか。そうだとすれば、いないほうがその人のためになることだから、むしろ一人でいたほうがよいということになる。別れ話が起きて、うまく話が進めばいいがそうでないと喧嘩になってしまう。
    最初のなれそめを考えたら、とてもじゃないが想像できない光景だが、お互い飽きが来たら仕方がない。相手の欠点が浮き彫りになって、馴れ初め時のあばたもえくぼどころではない、痘痕は痘痕であって、、痘痕はえくぼではないという認識を相手について考えるようになって、全てがはげ落ちてしまう。年を取るにつれて肉体のたるみも出てきて、亭主の方は腹デブの不格好なさまだから、猿ではないが、両方とも相手の尻の赤さを笑っているようなもので、こんなはずではなかったというわがままな結果で、亭主も、上さんも糠味噌臭くなって、しまいには近づくのも、顔を見るのも嫌だという羽目になってしまう。そこはいまさら愚痴を言ったところでどうにもならないと、我慢と、愛和と、寛容の精神を以て、などといったところで馬の耳に念仏の状況で、もしかすると後ろで悪玉の悪魔か、善玉の神様が糸を引いているとしか思えない関係になって、結果の良い指しは別として、両者の関係はおじゃんとなる。こうして見ると、男と女の関係は、昔から合縁奇縁であって、なるようにしかならんと云うことかもしれない。しかし一緒になってみないと本当のことはわからないし、本当のことが分かったからと云って、それではさようならと云うわけにもいくまい。
    一番厄介なことは、所帯を持っていながら愛人、好きな相手ができることであって生理的、本能的恋におちること、そうなると恋は盲目で滅茶苦茶になって何をするかわからない。草津の湯につかっても直せないかもしれない。 若者に限らず、老いらくの恋もあるから、考えようによっては痴話げんかの取っ組み合いとなって、それを見ている子供には決していいものではない。子はかすがいと云うけど、何本ものカスガイがあったにしても、最早手が付けられない重病患者である。親がだらしがなく、動物的になって欲望をむき出してくると解決の道はないだろう。家庭の破壊にもなる。こうなると人間的にも欠陥車であって、既に恐らく社会的にも大した活動も果たせない代物である。会社でものけ者にされてしまうだろう。家を出た後も人との関係もうまくいかず、ましてや競争社会とくればなおさらのこと、評価表を突き付けられて、厳しい扱いを受けなければならない。繕う暇もない。厳しい目を向けられて、悪事千里を走るで、世間は広いようで狭い。
    家庭がしっかりしていないと、男にとっては生涯をかけた事業もうまくいかないのは当然である。だらしない体形になって信用を失い、第一取引先が信用しなくなってくる。銀行はもとより仕入れ先、販売先、挙げ句には会社の従業員までが染まっていってしまうことにもなる。確りした家庭の男の仕事や事業は、倒産する確率は極めて低いことが、統計上立証されている。当たり前なことが当たり前に処理することのできない人は、世の中にたくさんいる。他力本願ではなく自力本願の、しっかりした処方術、処方箋を身に着けることも、人間としての日々の修行ではないだろうか。


     最近のテレビ報道で出てくるのが忌まわしい家庭内暴力、そして想像もできない親族間の人を殺めた犯罪である。倫理、道徳教育の欠如も大いに原因するところだが、こうした事件や犯罪をむやみやたらに報道する姿勢にも問題があって、もともとの犯罪予備軍を刺激して事件を誘発する結果にもつながる。そうした点で、最近の低劣な報道規律に軽率感を覚えるのである。同じ事件を未解決と称して幾度も繰り返し報道する姿勢には、聊か食傷気味になって嫌悪感を覚えてきている。低劣な娯楽番組で視聴者の悪弊化した興味を矢鱈と煽るような番組が後を絶たない。およそ感性を高め、品位を養うような番組や報道がないことは、言論の自由とは言え、度が過ぎる場合は、子どもの情操教育に大きな弊害をもたらしている。良質の番組をいくら提供してもらっていても、愚劣な僅かな番組報道で全体の苦労が水の泡となりかねない。きれいなコップの水も、汚れた一滴の汚水で濁ってしまうものである。悪事千里を走るの戒めがあるが、とかく悪いことはすぐに伝播し染まりやすいものである。しからば良き仕事を積み重ね、世の中に警鐘を発して啓発すべく、経営者の品位向上にも努めてもらいたいものである。
    そうした影響は、大人の社会でも無意識に出てきている。北海道JRの頻発する事故の釈明に立った社長が、だらしない弁明に終始する有様は、人命を預かる企業の組織のトップに立つ人とは思えない体たらくである。東電の社長も然り、能力欠如も甚だしき限りである。いずれも事故を起こしていながら、自己責任を回避し、気が付かなかったで収めようとして、改心の跡が見られない。良識なし自覚なしの無責任者であり、厚かましき振る舞いは言語道断である。トップがこうだから下々は云うべくもないだろう。いくら大きなな組織を持っていても、トップの教養と品格が欠如していると、組織を統治し、コントロールすることはできない。組織も次第に右に倣えで悪弊は全体に蔓延し、企業統治はおぼつかなく、不祥事、事故の頻発はさもありなんである。失礼かもしれないが、彼らの家庭はどうなっているのか参考のためにも知りたいことだが、個人情報と人権侵害にあたったりしてこれはやばいかもしれない。
    かくのごとく報道に関する限り、こうした実態を報道することは、直接、間接に於いて世の人々に大きな警鐘となって有益なところもある。娯楽番組とは言え例えばの話、くだらない大食い,早食い競争など番組としては愚劣、低劣であり、見識を疑うものである。野次馬も加わりただ騒がしいだけで無味乾燥なものもある。同じ役者がばかげた演出を繰り返し、低劣なままマンネリに堕ち、その結果は嫌悪感すら覚えてくる。新鮮味に欠けはなはだ馬鹿げたものである。世間にはもっと取り上げて、掘り下げなければならない問題、我々視聴者が見聞したいと思っている課題が沢山あるはずである。バランスを考えて画面のチャンネルを回せるようにしてもらいたいし、狭い世間のことも大切だが、それに執着するあまり、広い世界の動きを知らしめることを怠り、忘却されたのでは、グローバルに立ち向かい競争の激しさを克服していかねばならない人たちにとっては無味乾燥であり、迎合的であって、報道の使命を全うすることはできない。澄んだコップの水も、一滴の濁りで水は汚くなる。影響力の大きい報道関係ゆえに、横の広がりと、立ての高さを求めて全体のレベルアップに努め、広く視聴者の涵養と教育と啓蒙に努めてもらいたいものである。  9月25日 続


シリアの化学兵器


    化学兵器を使わなければ戦争を続行してもいいのかといった矛盾が、独り歩きしていっても困る。国連の安全保障理事会に化学兵器の全廃を義務付ける決議案が、シリアに対して行われることになり、シリアはこれを受け入れることになった。シリアの蛮行は現地の戦場で凄惨を極めており、化学兵器を使って民衆を虐殺した証拠は確実になって、安保理で決議されることになった。大国が一致して大局的に行動すれば、世界の秩序は懸命に維持されるはずなのに、利己的行動に走っているから、小国の争いと不安を断ち切ることができないでいる。言うなれば大国が操って小国同士の対立抗争に、裏方で思惑に走っている大国同士の図式が鮮明で、小国はいつもその犠牲になっているのが、現状である。あさもしい気持ちを持たずに、堂々とした気概で事に当たれば、外交交渉は成就するものである。
    シリアの化学兵器の全廃にこぎつけたのだから、さらに踏み込んでシリアの内戦を中止させなければなるまい。今のロシアのプーチンなら穏やかにアサドに言って、攻撃中止をやめさせられないことはない。いい意味で政治的圧力をかけてアサドをものにすることができる。オバマだと力でこれを決着させる以外にその手立てはないので、皮肉で結構な話になってしまうが、今のところは面白い力関係の構図になっていて、ここはプーチンの腕の見せどころである。世界的状況は両国にとって利害が一致しており、時に話が合って仲よくすることもできるのだから、この際はオバマとプーチンが手を組んで、シリアの内戦を解決することができるはずである。そうなれば、これは世界の構図の大転換の発端になりだろう。
    無益な戦争で両者を傷つけ合い、戦費の浪費を図る代わりに、国民の平和的生産と消費に向けて、大転換をはかるのであれば、新しい世界の構築に両巨頭の功績は人類不滅のものとして歴史にその名が刻まれるであろう。大国の指導者が、その気になってやれば、決してできないことはないのである。アメリカとロシアが手を組めば、世界は政治的にも経済的にも,宗教的にも対立抗争の図式は次第に緩和されて、明るい人類の住処となるに違いない。中国だって同じこと、同じ理屈である。

    それを象徴するようにイラン大統領の選挙の後のイランの変化は、同じように世界の流れを変えてくれるに違いない。イランと米が直接待羽を行うのは1979年の米大使館人質事件以来のことで34年ぶりである。イスラム教の教義の厳格さはあるが、宗教的対立ほど馬鹿げたことはない。平和と人命を、神が希望し保障することの意義を、宗教間の一致で見なければ、宗教の本質的教理にも反してしまうことになる。人間の信仰は壮大厳粛なものであり、薄っぺらなものではない。宗教に関し、イランと、イスラエル・アメリカの対立構造に見られるように、しかし信仰と宗教の基本的路線は、そして目的は、人類の愛和の精神を通して、より安寧の次元の高い世界を築くことにあるはずである。そこに神の存在があり、しかも神の意志と目的は普遍的かつ一つである。
    人類は宗教を通じて対立するのではなく融合、統一されるべきものである。近年経済的格差は、経済発展と同時にますます大きくなってきているが、宗教的観念が高度の意識をもってすれば、これをも解決していく課題と可能性を抱しており、穏健且つ人道主義的な手法を以て解決しやすいものとなるであろう。宗教の本格的出番はそこにあるというべきである。いくつもの宗教があるが、そしていくつもの教理と宗派があるが、神の意思と目的は一つである。一つに収れんしていけば人類の、国家の対立抗争は無くなってくる。神の意志と目的を実現すること、これが人類にとっての普遍的信仰心でなければならない。イランと欧米との対立は、キリスト教とイスラム教との長い歴史的対立である。根深い宗教的対立と歴史の溝を埋めるオバマとプーチンは、この神の意志に一歩近づいて、人類の救済に手を貸したことになる。立派である。核開発と原爆製造の疑惑で対立し、一触即発の危機を常に持ってきたイスラエル・アメリカとイランが対話路線に踏み出したのも、良き兆候である。世の中が戦闘的武器の製造に躍起にならずに、その資本を建設的方向に使っていくならば、この地上から貧乏を追放しすることができる。経済格差を是正するグローバルな結果ともなるだろう。
    経済的自由競争を基盤として、話し合いの国家間の構図を強化し、民間企業の活躍を期待し、小さな政府を築き上げていくことが出来よう。経済学者で恩師の堀江忠男教授がかって、人類と国々は、矛盾を制し一つの世界をめざた歴史的潮流が必ず来ると、多くの学徒に教えていたことをふと思い出したのである。ソビエト共産主義は解体し、中国は市場経済を導入し、欧米は独占資本主義の帝国主義から脱却し、新しい技術革新のもと厚生経済学的要素を取り入れて、経済社会の機構を改革しつつ人権の尊重をうたい上げながら福祉国家へと変貌しつつある。経済発展の歴史の上で、資本主義、共産主義の相対立してきた構図は自力で修正しつつ、その上で相互の利点を吸収しあってきた。世界は、お互いに接近し融合を試みてきており、これからもその先の道を進んでいくことであろう。近時の世界の硬直した構図から、解き放なたれていくような気配に安堵して、希望を以て考え及んだことである。
     そこで英知ある日本国と日本民族が、国際舞台で大いに活躍する政治的、経済的、文化的活躍の舞台の幕が上がってくる。それは核兵器を所有する以上の、話し合いによる実践的平和外交の活躍する華々しい舞台である。           9月28日



2013.09.04

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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