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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.06

         対外純資産の最高額

    日本の企業や政府、そして個人が海外に持つ資産から負債を引いた額、即ちこれを称して我々は対外純資産と云っているが、これが2013年度末で、過去最高の325兆円余に達したことが財務省の調査で分かった。これは前年度比で9,7パーセントの増加で、こうした傾向は今後も続くと思われる。更にはこれが日本の着実な経済の発展を裏付けていることになり、長期的な趨勢として底堅いものと思われてくる。対外純資産の増加は、特に海外で日本企業が事業を展開する勢いが増して、それに円安効果が加わって投資家がドル建てで資産を持つために、これが円換算して膨らんでいった結果である。世界市場に与える影響は大きく、良質な経済運営と活動が望まれるところである。
    円安にもかかわらず相変わらず海外でのM&A,企業買収も活発であり、新興国への投資も積極的であるゆえ、日本は世界最大の債権国となっている。こうした事実と背景を経済外交を通じてもっと積極的に活用していくべきであり、競争激化の国際社会において最も重視されて、信用の度合いを示す尺度であることを、先ず我われが認識すべき点である。裏返して云えることは、国内の経済活動の不振を海外活動で補ってきた証左で、日本の人口減少が顕著になってきている現状にかんがみ、海外の市場拡大を目指すこうした傾向はこれからも持続する可能性がある。 少子高齢化に伴う生産, 労働人口の減少は、趨勢的なものとなるが、 一方で技術開発と進歩によって産業界に省力化が顕著に進んで生産性がさらに向上し、全てにおいて省力化社会に突入していく状況にあるため、一概にマイナス要因としてとらえることもない。これに対応した政策立案に努め、制度の見直しが社会改革の一端として理解されていけば、常態的社会の到来として前向きに受け止め活用されてしかるべき要因である。  6月2日 続


梅雨入り

    しとしとと、音も立てずに降りしきる細い雨が梅雨の雨である。しかもいつ梅雨に入ったかも知らないうちに、身近かにそれらしき雰囲気がしているうちに、気が付くと自分の身体が雨のしずくに濡れていて、知らぬうちにコートを身につけている。入梅の時期には農作業も始まって、農家の人は毎日忙しい時を刻むことになる。紫のあやめにふりそそぐ雨もそうだし、紫陽花の花にかかる細い雨もそうだし、港の街に霧のようにけむって、街路字を静かに濡らす白い雨もそうだし、梅雨の雨と聞くと、心の隅まで雨がしみこんでくるような物憂く、つい感傷的になってしまうものである。   
     気象庁が5日に発表したところによると、関東地方が梅雨に入ったとのことである。去年より5日早く梅雨入りした。しかし、翌6日からは俄かに天候が変わって空には黒雲が立ち込めて、突然に襲ってきた激しい雨に大地が土砂ぶれである。それというのも、本邦を梅雨前線が移動してきており、これに対して太平洋側に低気圧が停滞しているため、二つが重なっているところに、南から暖かい湿った空気が流れ込んで、関東地方に激しい大雨を降らしている。各地に大雨注意報が出て、土砂災害や、川の増水に注意を呼びかけている。交通機関にも、ダイヤの乱れが起き、外出した人たちの足にも影響が出てきている。しとしと降るべき梅雨入りの雨が、二百十日の嵐を思わせる結果になっている。
   こんな日に限って、妻と二人の友人が、かねてから計画していた会津若松の奥地の秘境を訪ねて一泊2日のバスツアーに出かけて行った。近畿ツーリストが企画したもので、朝早く7時に新宿駅前ターミナルから出発である。金曜日の朝、大雨の中、仕方がないから自由が丘駅まで車で送ってやった。車の中で慰め半分に、嵐のなかの旅行も冒険的で、違った意味で楽しみがあるもんだと無責任に言い放ってやった。どうせ大型観光バスで、途中の事故さえなければ、嵐が来ても濡れずに目的地の場所に運んで行ってくれるわけだから、呑気なものさと、ただしベテランと云えども運転手は大変であろう。費用は締めて19,500円だというから普通なら中止と云うことになるのだろうが、安さに惹かれて行く心境に、無理して行くなとは言えない。聞くところによると会津若松の東山温泉あたりでゆっくりとしてくるなら別だが、秘境を訪ねてと云うことでもっと山奥に入ってトロッコにも乗って深山幽谷をの地を行くというから、嵐の中、それは無理じゃないかと思ったが、云っても逆効果しかないと思ったので、あえて口にしなかった。18,500円もかけて美容院に行ってきた後でもあるし、少女みたいな晴れやかな格好をしていたし、逆にダイナミックに楽しんで来いよと励ましたやったのであ。車のフロントガラスに吹き付ける激しい雨粒と強い風を見ていたら、とてもそんな心境にはなれなかったが致し方がない。それにしても頭の髪の毛のセットに2万円もするにかと、そっちの方に気が散ってしまっていた。野郎なら最近は千円床屋がはやっていて、お粗末ながら簡単である。尾山台のハッピーロードにも千円床屋が出店していつも客が入っている。頭髪も手入れに金をかける御仁がいるが、もともと手入れの必要もない不細工な顔ではたいして風采が上がるわけではない。千円だってもったいないくらいだ。自分で鋏を使って適当にやればいいのである。それにしてもいい年をこいて、顔も頭も今はやりの無精ひげで覆い、いかにも不潔な人間が多くなってきた。これが初老のファッションだというのである。汚いスニーカーを履き、ジーンズをはいてリュックを背負ったりしているから、この図太い神経には何とも口の出しようがない。しかもおまけに、わけの分からないバッチをつけたりしていた。
   上さんの髪のセットから脱線して、また余計な愚痴になってしまったが、最近は上から下まで世のなか理解できないことが沢山あることは確かである。街の中をぶつぶつ言いながら歩いていくのもいれば、にやにやしながら視点の定まらない人もいる。もちろん携帯電話で話しながら歩いていく御仁もいるが、、これは一見してわかるからいいものの、夢中になって他の通行人とぶつかったりして因縁ををつけられても困る。この種の類には、大体が自己中心的な人間が多いからである。交通事故にならなければ幸いだという行為である。職場でも最近は変わった雰囲気のところが多くなってきたそうである。以前だったら叱られたようなことでも、最近はほったらかしのようだし礼儀もマナーもあったものじゃない。始末が悪くなってきた。こんな手合いに右へ倣えされたら、会社の業績は下方修正だろう。
    自由が丘駅に朝早く送っていく時に、こんな嵐時に一体どこに行くんだと聞いたら,会津若松の奥だというから、奥だといっても広いし、それ以上聞かなかった。上さんは、真面目で効率万能主義で、成果主義の亭主の性格を知っているから、それ以上云ってもくどくなるので云わないのだろう。敢えて成果主義を主張するゆえんは、なんだってスピード時代で、もたもたしていたら限られた人生で、時間がもったいない。簡潔明瞭で行くべきで、勿体づけられていては身がもたない。それが主たる理由である。会津若松から奥に入って途中トロッコにも乗っていくというから人間の住んでいるところにはちがいなさそうである。携帯電話のように便利なものが出来ているから、全国どこにいても所在が分かるし、何かあれば連絡しさえすればすぐに対応できる世の中である。それだけ人間が横着になってきた。横着と云えば小生はステテコでクレープシャツの姿で運転中である。それに短靴を履いているので、土砂降りの外には出られない。出るつもりはないから、こんないでたちで車を運転してきたのだろう。上さんはこんな旦那の姿にも気が付いていないし、気が付くとすれば真面目で勤勉な交番のお巡りさんしかいない。公序良俗に反するとして職務質問されるかもしれないが、その時は誰にも迷惑をかけているわけではないし、これは自分の主張する衣裳だし、車からわざわざ小生を呼び出した君が悪いので、反対に人権侵害だと主張するだろう。君の行為は夜這いに等しいと。もしかすると変態じゃないかと。仕掛けた君の方が、トイレにいる女性を盗撮しているようなものだと。それは校長先生がすることであってお巡りさんがすることではないと。天才の山下清やチャップリンもこんな恰好をしていたようだぞと、彼をたしなめて交番に戻り、誠実に職務に就けと、しまいには命令するに違いない。だからこんなことは起こりえない。
   家内から電話がないところを見ると、無事バスに間に合ってみんなと楽しく目的地に向けて出発したに違いない。私は早朝、中途半端な時間帯に起こされて、妻を駅まで送っていったことを以て既に通勤前のウォーミングアップをこなした程度の行動に入っている。改めて寝ることもできないし、このまま起きているより仕方がない。用意された朝食を早めにとって今週最後の精勤を果たして来ようと思った。小降りになった頃合いを見て、傘をさして庭に出てみた。こうした時には番傘をさして庭に出て、かすかな雨脚の音を聞いてみるのが乙なのだが、ご時世で近ごろは番傘を買うこともままならない。女性の差す和傘は綺麗で風情があって、梅雨時の風物詩である。昔若いころに京都に旅行をしたとき、傘陣の店で和傘を土産に買ってきたことがあった。普段は床の間に立てかけてあるが、お正月にはこれを広げておくと風情があって、京都の宿にきているような気分になる。これに会津八一の墨書の掛け軸を駆けたりして遊んでいる。あの和傘を広げたときの油のにおいが好きであったが近ごろは嗅げなくなってしまった。凝った和傘になると蛇の目傘とも言ったが、広げると蛇の目のような白い輪の模様が細い絹糸で編むんである。粋な蛇の目傘を京都の舞子に差させると、梅雨時の古都に風情が増す。
    だみ声の田中角栄が骨組みの太い番傘をさして得意げに、目白の屋敷で池の鯉に餌をやって悦に入っている姿が氏の専売特許であったが、角栄に限らず、歌舞伎に出てくる助六だって廓の前で番傘をさして見得を切っていたはずである。吉田茂は羽織袴、白足袋の姿にパイプだったが、角栄は下駄と扇子とステテコ姿が良く似合った。これに番傘をささせれば合格だろう。角栄は今太閤の出で立ちで庶民の立志伝として人気を博したが、ロッキード社のコーチャンからもらったピーナッツを口に入れたがために、政治家としても、人間としても晩年が気の毒であった。しかし一生、権金がまつわるついていた感じで残念だった。漫画のサザエさんのお父さんの波平のステテコ姿は、庶民派を代表するもので親しみがあって自然であり、好感のもてる雰囲気である。チャーチルは燕尾服にシルクハット、パイプをくわえステッキを手にした得意絶頂の肖像画だが、モダンタイムスのチャップリンの姿は、これを風刺したものだとも言われている。そう言えば,ふうてんの寅さんだって個性的な役を服装を以て任じている。しかし梅雨の間に冥想して浮かんでくるのが、やはり日本人には番傘の風情が一番合っていて、男らしさを演出するにふさわしい。番傘は浮世絵にもよく見かけるが、昔の人は番傘をさしている姿が気に入っていたようである。番傘に落ちる雨の音には格別な思いを抱いていたようである。番傘と風呂敷さえあれば、志高く、人生いたるところ青山あり、なんて寝言にしか聞けない当世書生気質かもしれない。
    濡れた飛び石をまたいでいくと、折から紫陽花が真っ青に染まって咲いている。これを見る限り、やはり梅雨に入ったのだなあと思ったのである。気象予報のように、願わくば梅雨入りが大雨になって、河川の氾濫や土砂災害が起きたりしないように、人命に被害が及んだりしないよう、心の中で神さまにお助けを乞うたのである。もちろん嵐の中を突撃していった、妻と友人二人のバス旅行の恙なきを祈ったことは当然である。一行がどういうコースを踏んで行くのか知らないが、バスの運転手の無事な活躍も一緒である。蕭々と降っていた雨が、又強く太い雨に変って、音を立てて滝のように降り出した。 例年と違って局地的、集中豪雨で始まった梅雨入りである。しっとりとした情緒も吹き飛ばされてしまった。このところ味気なく、篠突く雨に紫陽花の花が台無しである。  6月6日


梅雨明けとワールドカップ・サッカー それに大事な平和五原則

  
 世の中のことが、予期せぬ番狂わせの展開である。
大雨で始まった梅雨入りが、一転して梅雨明けの展開かと思わしめるここ数日の真夏のカンカン照りである。一昨日、庭畑に出て草むしりをしていたら、十分もたたないうちに目がくらくらして,頭も朦朧としてきたので、慌てて家の中に引っ込んだ。テレビの天気図を見ても北から南まで、本邦が赤い太陽で埋まってしまっている。雨を示すところが一か所もない。真っ青の空と灼熱に日照りに、梅雨明けかなといったら、家内が梅雨入りになったばかりで、雨はこれからですよと云うのである。上さんの云うこととはいえ、俄かに信用できないような有様である。
   攻撃力を以て優勝高い前評判の日本チームが、ワールドカップの初戦でまさかの敗退をきした。相手はアフリカのコートボジュアールである。馬鹿にするわけではないが、アフリカの中部南海岸に面した国で、面積は日本と同じくらいである。スポーツは経済力と関係ないが、経済力と知名度からすれば比較にならない国に、日本国があっさりと負けに甘んじてしまった。印象的にはこの先の戦いにに苦戦を強いられてしまう可能性を否定できない。日本のチームの団結力と連結に何となく重苦しいイメージを払しょくできないからである。初戦の勝敗にはがっかり、気分は落胆である。ザッケローニ\が戦術を間違えて、攻撃力を出し切れず何とも情けない話である。素人目で恐縮だが、この一戦で見る限り、選手に元気がないし、ボールをつなぐこともできないし、パスしたボールをカットされて相手に盗られたりして、初歩的に疑問を感じた。その証拠にゴールを目指して蹴ったシュートの数も、相手が20回なのに、こちらは7回にとどまっている。前半本田の得点で1-0で終了したが、後半に入ってもたもたした試合展開に、敵のエースの登場で形勢は一気に逆転し、2分間のうちに2点を採られて2-1で敗北した。第二戦はギリシャとの戦いである。高温多湿のグランドだが、態勢を立て直して実力を発揮し、懸命に応援する我々のためにも、初戦敗退の雪辱を晴らしてもらいたい。

    初戦で勝っていたなら日本中が湧きかえっていただろうに、株だって上がっていたかもしれない。経済に繋げて申し訳ないが、勝っていれば確かに世界一を目指した前哨戦、さすがはご祝儀で、いろいろな物品が売れるから消費景気につながって、経済効果は上がるだろう。消費税値上げも難なく消化して加速し、次のステップに向けた取り組みもかなえたわけである。心理的、間接的影響は大きい。安倍さんの第三の矢は株価上昇によって景気刺激を促す点にある。負けてしまったので、がっかりと落胆を織り込んで今日の東京株式相場は日経平均で後場の取引は150円以上も下げてしまっている。イラクでのアルカイダ系武装勢力が進撃を開始して、南下して首都のバクダッドに迫っていることも影響しているかもしれない。ニューヨーク株式市場ではクリントンを次期大統領として予測し期待しているわけではあるまいが、現実、経済力の回復を期待して連日の高値更新できている。
    今、日本の国会で論議されている集団的自衛権の行使を、仮に閣議決定だけで発動するような事態になったら、少なくとも今の自衛隊は外国に行って戦闘に参加して戦場で相手と銃火、砲火を交えることだってある。死傷者も予想される。あらゆる武器を使って敵方の報復だってあるだろう。平和憲法のもと戦争をしてこなかった日本にとって、今の集団的自衛権と閣議決定の事案は、日本の姿勢を根本的に変えることになって、両案とも歯止めが効かなくなってしまうことは明らかである。閣議決定を以て憲法をないがしろにする人物が、将来わんさと出てこないとも限らない。安倍さんみたいな平和主義者なら権限を大きく付託することはできても安心できるとして、ヒトラーみたいな人物が国民をだましだまししながら出て来たら、いつの間にか戦争の好きな東条英機みたいな国にまたなってしまうだろう。戦争によって我々国民が犠牲を負うことはまっぴらごめんだ。シリアやイラクがそうであるように、大量の難民が隣国に押しかけてきている。
   日本でも戦時中は都市部から避難する疎開族が沢山発生した。これも難民と云って差し支えない、。国内の農村地帯に、大量の疎開族が発生して、飢餓に耐えながら困苦の生活を余儀なくされたのである。集団疎開で地方に行った女、子供たちは、みんな散々な目にあったのである。いい加減にしてもらいたい。更には戦火を交えることによって、平和の裡に発展してきた日本経済は混乱状態になるだろうし、アベノミクスを云々しているどころではなくなってくるだろう。安倍さんの政権担当の責務はたちどころに消滅していまうことになる。平和の状態であるがゆえに、アベノミクスのような効用が発揮されるのである。本末転倒の論議をしているようで虚しさが先に立ってくる。集団的自衛権の問題を解決するに単なる閣議決定で決めていいものか、大いに疑問である。それは時期尚早として、平和憲法を堅持して、経済優先政策に時間を割いて、真の国益に寄与してもらいたい。紛争の絶えない昨今の世界だが、個別的にそれだけをとってみれば、集団的自衛権を容認することがいかにも喫急且つ不可欠のことのように思えるが、こうした時こそ戦闘行為の誘惑的挑発に乗らないように自らを戒め、日本の持つ平和憲法の真価を世界に訴えて、発揮していかなければいけないではないだろうか。

   びっくりしたのは、今日の朝日新聞の一面記事である。今国会で紛糾している集団的自衛権の問題である。憲法解釈をめぐっても、論議されている事案である。新聞の一面記事とは、アメリカ軍の艦船は、仮に朝鮮半島での有事の際に、米軍艦船が邦人を救出して日本に送るようなことはしないという過去にあった説明と事実である。だとすると安倍さんが国民に対して熱心に説いている集団的自衛権がなぜ必要なのかと云う問題に対して、その前提が崩れているのに、それを論議しても始まらないということである。たとえばアメリカの艦船が日本人を救出して、我が国若しくは安全な地域に搬送中に、敵軍から攻撃を受けた場合に、日本の軍隊は何もしないのか、何もできないのかと云うことで、安倍さんの持論は展開されてきている。そしてそれでもいいのかと、その是非を迫ってきている。
   そこで、米軍艦艇が、朝鮮半島の有事の際に日本人を乗せて助けることは状況的にないとするならば、安倍さんの主張する前提が崩れてきて、いったい何のための主張なのかわからなくなってくるではないか。だとすると安倍さんが想定する前提条件が全くないことになって、この論議はかみ合わないことになって、例えとしては適切でない。ありえない事例を以て、集団的自衛権を容認することを迫ることは国民に対しての説明にならない。これは困った問題である。
   と云うのはこの事例を以て安倍さんは、この事案にたいして全面的に信認を寄せているからである。 私はかねてから、判りやすいが、しかし安倍さんの説明に疑問を持っていたのである。邦人を救出中のアメリカ艦船が攻撃を受けた場合と云うたとえである。アメリカ軍が日本人を救出する前に、なぜ日本人は自ら危険な地域を脱出しないのか、脱出すればこうした事態は想定されないではないかと云う素朴な考えがあった。そしてそうした事態は現実に起こるのだろうかと云うことである。又、韓国に居る日本人を北朝鮮が攻撃してきて、日本人の生命と平和が危険にさらされた時、アメリカ軍が日本人を保護して艦船に積んで日本に運んできてくれるのかと云うことである。繰り返して云うが、アメリカ政府高官は、かってこうした時に邦人救出を断っていたというのである。別に朝日新聞と歯車がかみ合ったというわけではないが、小生の考え方は正しかったということになる。そうだとしたら、こんな論議をしていても始まらないことになる。なんだか尻取り合戦みたいなことになってきて、馬鹿馬鹿しくなってきた。ふりだしに戻って関係者は頭を冷やしてくる必要がある。憲法を一政党によって、一政治家によって恣意的に解釈されたのでは、憲法が幾つあっても足りないだろう。馬鹿馬鹿しい次元の低い論議を以て、憲法問題にまで影響するようなことがあっては、それこそ日本を守ってきてくれた先輩たちに申し訳ない気がしてくる。    
     シリアでもイラクでも、未だに殺傷が続いている。戦争が続いて、飢餓で死んでいく子供や女性が、そして避難民が50万、60万という群衆をなし、戦火を逃れて悲惨な生活を余儀なくされている。戦争をしない、戦争をやらせないという教えを綴った憲法が、どこが悪いんだ。外国から侵略をされないためにも自ら平和の旗手となって世界に飛び回らなければいけない。輸出国日本と云っても新幹線や、航空機などいろいろ商品はあるが、、原発や、武器輸出に一国の首相が世界を飛び回っていては困るのである。限定した商品の売り込みをしなくとも、良い商品なら商談は民間レベルで達せられるからである。もっと次元の高い使命を以て、弾みをつけた安倍さんの積極的、世界平和外交を展開してもらいたいのである。日本国憲法の平和主義を世界に輸出することである。そして侵略に対しては、断固として自衛のための軍事力の行使を決めればよい。自衛隊の諸君の意気はしっかりしている。国民の生命、財産を守るために、その根底をなす日本の平和を堅持するために先ず、わが自衛隊は高度の戦力を以て戦うだろう。前時代的発想を以て領土拡張をもくろむ中国は、近隣諸国のみならず世界に対して狼藉を働く国家として非難されなければならない。南沙諸島の沖合で、ベトナムやフィリッピン国と領有権争いを演じて一触即発の緊張状態となっている。軍事衝突にならないうよう中国は自制すべきである。でかい体を誇示するだけが能ではない。中身が問題である。
    それを正当化するように、国内では言論統制を強め、対外的にはいたずらに緊張を作ったりしている。中国各地でも抵抗勢力に対して激しい弾圧を行い、流血殺傷事件が起きて、反政府活動の圧殺に懸命な中国である。尖閣諸島の問題もあるが、わが国もいたずらな挑発に乗ってはいけない。対立と混乱を治め、平和裏に解決する方策をとるべきである。そうならないように努めるのが政治家である。ローマ法王も平和を説いて、戦争を仕向ける国や、混乱の続いている国々を回って救済すべきである。ローマの宮殿に居座っていくら叫んでもダメである。世界の宗教家が、その指導者が無知蒙昧な民衆を煽るのではなく、知性と感性を以て民衆を一つにまとめていくべきだ。宗教家である以上己を無にして、よりどころとするものは絶対者の愛と慈悲に向かって思いを一つにして、人間性を賛歌するものでなければならない。その上でお互いの立場を尊敬しあって、国々の自立の道を互いに模索していけばいいのである。
昔、世界でしきりに謳っていた平和五原則なるものがあった。私が懸命に勉強し、血気盛んだった学生時代の頃だったと記憶している。1954年、中国の周恩来首相とインドのネール首相とが合意した原則である。それは立派な理念であり文言である。そしてどこの紛争地にも通じる現実的なものである。曰く、相互領土と主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、そして平和共存の五つの原則である。今の時代にピッタリである。政治家がだめなら,純粋な宗教家たちが、そのリーダーたちが宗派を超えて一致団結し、誉れ高き平和五原則を確立し、お布施と献金で集めた膨大な資金を世界平和のためにどんどん使うべきである。世界宗教会議と云ったものがあったような気がする。国民が過去において戦争で散々に苦労をし、凄惨な原爆の洗礼を受けた日本の、国会議員にしたってそうである。 集団的自衛権の行使を容認するかどうかを閣議決定で持っていくというが、
仮に国連の安保理事会の決定に従って日本に自衛隊派遣を要請してきた場合はどうなるのだろうか。日本に対して国連が武力行使を求めてきた場合は、これに従って、日本の自衛隊は軍事作戦に加わって、直接関係のない国に対して武力行使を行うのであろうか。国連決議に従って、自動的に集団的自衛権の発動となるであろう。日本は、これを拒否することはできない。拡大解釈していったら、歯止めが効かなくなってくる。例えば安保理の要請に従って地球のあらゆる地点で紛争に巻き込まれ、戦場に出兵しなければならなくなるだろう。グローバル経済の解釈されるように、かかわりのある国はグローバルなものとなって、全ての事案にかかわりを持ってくる。拡大解釈の落とし穴はそこにある。恐怖を散布するばかりとなるであろう。世界に敵を作るばかりである。こんな落とし穴にはまってしまっては悲惨である。この法律を通すことは世界に戦争参加を表明することである。
    一度川を渡ってしまったら引き返すことはできない。憲法はそうしたことをあえて禁じているのである。時間に拘束されず、そうは云っても判り切った問題について、いつまで貴重な時間を浪費しているんだろう。議論している間も君らを養うために金がかかっているんだ。それは我々国民の血と汗の税金なんだぞ。無駄使いをするんでない!と云うことである。
   何事も、やってみてからでないと分からないことだらけである。 しかし、やってみなければわからないなんて、それで失敗ばかりしていたらどうするんだ。 国は破滅である。   6月16日


いや気が射してきた昨今

    いやな雰囲気の世の中である。経済は幸いにして好調になってきたが、殺傷事件の犯罪が相変わらず日常的である。簡単に人を拉致したり、殺したりしたいる。彼らには罪悪感がない。金銭トラブルで会ったり、怨恨であったりするが、専ら動機がうっぷん晴らしに行って、その事件に巻き込まれているケースが多い。薬物使用者の増大もあって、気晴らしに犯罪行為をされていたら、善良な国民はたまったものでない。銃刀所持違反で捕まる若者も多い。巡査が職務質問をするうち、何等かの理由で危険を示唆する被疑者を確認するそうである。中には薬物使用で発作を起こす人間もいて、うかつに不審者に接触することもできないようだ。治安に当たる人間がそうした状態だから、普通の人間はうかつに人の群れに入れない。ましてや深夜の一人歩きは危険である。数日前も脱法ハープを使用してクルマを運転、通行人を跳ね飛ばしながら迷走して建造物に激突して止まった事件が起きている。若い女性がひとり病院に搬送中に死亡して痛ましい。
    中東の国々で起きてる戦乱、戦火の模様を伝える報道が過熱して、連日のごとく生々しい情報を伝えてくる。それだけを見ると実に戦争の好きな人種だと思うし、人を殺すことに何らの罪悪感もない、民族性と云うか、国民性と云うか血肉を散らし飛ばし合う連中が多いことに唖然とする。まるで柵の中に彫り物をいれた暴力団の物凄い連中を入れて、掴み合いの喧嘩をさせているようなもので、殺傷を戒める宗教を逆手にとって、救世、布教と云う美名に隠れて、武器を以て殺し合いを正当化しているものである。神を冒涜する以外のなにものでもない。神を語る資格もない人間が、逆手にとって人殺しをして憂さ晴らしをしているものである。こうした輩がグループを以て集団化して脅迫的行動に出てきている。この集団化が拡大して世界に広がってきている。テロがその最たるものである。従来の国家的軍事力を背景にした暴力行為と違ったものとした現れてきたものが、テロである。近代兵器、大量破壊兵器の脇の甘さを突いた、新しい形の暴力行為である。だからアメリカが手こずっているのである。宗教的妄動を駆使して、犯罪地区の無知蒙昧な民衆を駆り立てて、混乱を拡大して社会的な権益、利権の収奪を目論んでいるにのである。たとえば、イラクで起きているスンニ派、シーア派の対立抗争はまさしくそれであり、一方で民族主義を絡めたクルド人が領土占有をもくろんで動いている。その間隙をぬって、大国の思惑が複雑に絡んできている。
    暴力の好きな人間がいるし、それがグループを作り地域に根を張って公然とした行動をとることもある。意識の進んだ地域や国ではこれが沈められているが、未開発的な地域や社会では、こうした暴力的なグループが幅を利かせて君臨し、支配勢力を醸成していくようになる。暴力的関係は体裁を隠すために組織つくりを試み、地域で集団的認知を得ようとする。地域に溶け込んで民衆を味方につけて勢力拡大の基盤を作っていく。極めて原始的発想だが、この野蛮性が、今日の資本化され金融化された社会経済組織と、国家形成を果たした国々に挑戦し、勢力を発揮して各地の混乱に乗じてゲリラ活動を惹起せしめている。大量破壊兵器を使えなくなった大国は、自ら買って出ることもできずにいらだち、手も足も出ない皮肉な状況となっている。ブッシュが気違いじみてイラクに進攻していったようなことは、あらゆる観点からして不可能なことである。さらには民族対立、宗教対立も複雑に絡み合って、かってのようにアメリカもロシアも、治安回復、秩序維持を名目に軍事介入することの難しさが、そこにある。
    こうした世界的状況を踏まえてみれば、政治家の英知を以て外交を通し、平和的に話し合う解決の度合いがますます大きくなってくるはずである。そうしたことを踏まえて考えれば、交戦権を否定する我が国憲法の精神は、ますます世界の注目をえて、重要度が増してくる潮流にあることも落ち着いて考えたらどうであろうか。国の借金1000兆円を抱えてこの先、他国との軍事行動に参加して敵と戦争に加わるなんて無茶苦茶な話は、結局国民にそのつけが回ってくるのと同じ、加えて戦闘に参加する日本兵士の戦場の死を、再びみる悲惨な結果になってしまい、過去に辛酸をなめた日本人の経験と教訓は一体なんだったのだろうか、と云う女性の素朴な意見があったが、実はこれが正しいのではないか。NHKの日曜討論で、いい年をこいたおっさん達がテーブルに並んで口角泡を飛ばして議論しなくとも、そんなことは中学生だってわかることである。九死に一生を得て帰還した旧兵士は、好きこのんで勝手にそうした道を行こうとする今の政治家の気がしれないと、あいつらは戦場の怖さを知っていないから平気であんなことが言えるんだと、一発の銃声が原因で戦争がはじまり、世界が混乱して野獣のごとく殺し合うのはいつに時代でも同じこと、この最初の一発の銃声を止めることができない人間なら、人に迷惑かけないでさっさと先に死んでいただいたほうが良いと、大胆にbつぶやく賢人の姿が印象的であった。


      学童疎開船、対馬丸の沈没

    天皇、皇后両陛下はこの日、沖縄を訪問された。70年前の太平洋戦争中に撃沈された、
学童疎開船の対馬丸の犠牲者を慰問するためである。昭和16年12月8日、日本のハワイ真珠湾の奇襲攻撃に始まった太平洋戦争は、19年7月7日にサイパン島が米軍に占領されてから、米軍の日本本土に対する攻撃は日増しに激しくなり、沖縄はもとより本土でも都市からの学童疎開が始まった。私はこれを称して難民と云って憚らない。敗戦の色濃くなった状況で、軍と政府は19年8月ごろから、本土決戦に備え女子、子供、老人を避難させる措置を取り始めたのである。先ず至近の沖縄から開始することとした。
    昭和19年8月22日夜10時過ぎ、疎開学童児ら1788人を乗せた学童疎開船、対馬丸が、鹿児島県、悪石島の北西10キロの地点を航行中、米潜水艦の魚雷3発の攻撃を受けて沈没、学童800名を含む1400人が犠牲になった。痛ましいこの事件は、戦争の被害が予想もつかないところまで及んで家族離散、多くの人命が失われ、人々の間に悲劇が及んでいくことの事例である。実際の惨状は云うべくして語りがたく、生存者たちの口は堅く閉ざされたままで、既に70年余の歳月が流れているのである。今、戦争の惨禍を思い起こし、平和の大切さを両陛下が、慰霊の念を以て熱く国民に語りかけておられるのである。卒寿を迎えられたときもそうであった。記者の質問に対し、過去を振り返って思い起こすことは痛ましい戦争の惨禍を忘れることはできないこと、そして平和の大切さを経験し、それを心にとめて強調されていた。
    喉もと過ぎれば熱さ忘れるで、人間の悪い癖が日本人の多くに身についてきているようである。戦争体験者も少なくなってきて、平和ボケの今の多くの人たちには戦争の恐怖を口にする者もいなくなってきているのが現実である。平和の裡に均衡した諸国間の関係を構築し、経済的繁栄がいかに重要なことであるかが、混乱して、不幸にも内戦状態の多くの国々に、我々は教訓として体得しなければならないはずである。 過去の戦争を反省し、平和を愛する両陛下の、つつましやかな祈りに深く感謝している。      6月27日

好調な決算発表

    私が主宰している短歌同人誌、淵の五月号に気前の良い和歌を載せていますが、そのうつの一首をご紹介します。

     思ひきりよたりの子らと買いものし金をゆたかに使いはたせり

   休日の運動会に付き合って、可愛い双子の姉妹が参加するレースを応援するため、孫の佳ちゃんと、麗ちゃんを連れて玉堤小学校に出かけました。多摩川に程近く、環境は抜群に優秀なところにあって行楽にも絶好なところです。校庭も広く、子どもたちがのびのびと勉強に励んでいる様子が一瞥してわかります。学校の敷地の周囲には畑が広く続いて、都会の騒音から解放されて、自ずと田舎の風景を満喫することができます。文化祭とは違って競技を競い合うものなので、トラック一杯を競技場として使ってしまうので、食べ物などの売店は一切用意されていません。そのため朝から始まった協議の項目は、午後一時ごろまでにすべて終了して、解散するように組まれていました。
   ところで、あきほちゃんと、ゆきほちゃん姉妹の競争とマラソンレースを充分に応援したあと、みんなで腹ごしらいをする予定を組んでいたので、運動会のあとは、車に乗って食事の支度をするために、沢山の食材を仕入れることになりました。運動会で頑張って優秀な成績を収めた、あきほちゃんと、ゆきほちゃんにたいしては努力、敢闘賞に値いするもので、何らかの敬意を表する必要があります。今日はできるだけの買い物を思い切ってして、夕餉までに備えることにしました。
  
    休日をよたりの子らと過ごすあと夕餉の庭に卓をそなへり

    すがすがしいお天気になりました。拙宅の庭の中央に橋脚ように煉瓦を積んで、細工した大きな一枚板を渡して十人ぐらいならでも、ゆとりを以て向き合える食卓を準備しました。真ん中に焼き肉をする近代的用具のプレートを揃えて、準備は万端です。子供たち四人を連れて近くのスーパー・オオゼキにいざ出陣です。車の中でも買い物のことで話題は持ちきりです。今日は好きなものは何でも買っても構わないからね、とこちらも意気揚揚です。上場会社の好調な決算の発表で、配当金が沢山入ってきたので懐ぐあいは好調です。何ぼ使ったって子供たちのこと、たかが知れてるし、三越とか高島屋で買ったりするものと違い、別にびくびくすることはありません。四人がそれぞれ籠を以て好きなものをぶち込んで、おじさんがあとは責任を以て清算していくからと伝えました。あきちゃんが心配そうな顔をして「 いくら持ってきたの?」 と訊ねます。ゆきほちゃんが「予算はいくらなの」と聞きます。「大丈夫さ、好きなものを好きなだけ籠に入れてくればいいさ。あきほちゃんは牛肉のたんが好きなんだろ?。食べたいだけ買って、焼いて食べれがいいさ」、と云ったりしていました。野菜類は畑になっているものを摘んで来れば幾らでもあるから、他のものがいいねと云うことでした。アベノミクスがこんなところにも好影響をもたらしてきています。結構なことであります。  


 



                                              


2014.06.02

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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