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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.02

                      STAP細胞の大発見


      早稲田大学の理工学部に在学中はラクロススポーツに夢中になっていたと云う童顔の小保方晴子さんが、卒業後の所属する理化学研究所で若干30歳、実験チームの若いリーダーとして活躍するうち、「第3の万能細胞」を発見しました。「ES細胞」や、山中教授の「 i PS細胞 」の研究発表に次ぐ快挙です。彼女の実験では、ある細胞に対し、外部から単純な刺激を与えるだけで、細胞の役割がリセットされる初期化が起こります。こうした初期の現象が、今度はあらゆる組織や臓器に変化する「多様性」、即ち応用性を獲得するというものです。この発見は生命科学の常識を覆すもので、画期的な研究成果だと説明されました。そしてこのようにして造られた細胞を「STAP,スタップ」と命名しました。 このスタップ細胞の作成は、iPS細胞よりも簡単で、しかも効率が良いということです。課題となっているiPSのがん化のリスクも非常に少ないということです。ⅰPS細胞の場合は、遺伝子を使って作成するので、がん等を発症する傾向があることが分かっています。
     私たちも学生時代に 動物の身体は、元来、一個の受精卵が分裂と変化を繰り返して成長していくことは生物学で習いました。そして神秘的ですが、その過程で、血液や皮膚、脳や内臓など、必要とするもろもろの組織や臓器が作られていき、決してほかの細胞に変化することはないとされていました。その生成過程は、神の領域であり、犯すべからざる神聖なものと考えられていました。遺伝子操作や、体外受精も最初の頃は倫理的な観点から、医学はそこまで踏み込んでもいいのかと云ったことから、その是非をめぐって議論されてきましたが、最近は人類の進歩と強雨債といった観点から、ある程度まで応用が認められるようになりました。今回も、第3の万能細胞の発見は、生命科学の常識を覆すものです。
     人間の細胞から、多様性幹細胞を作り出す方法を発見し、従来の定説を覆したのが、ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の「iTS細胞」でした。限定されたものから、多様な組織や細胞に変化形成されていくという論理がなされて、医療分野での応用が確立されていけば、あらゆる疾患に対して再生細胞の活用が広まっていくことは確実で、その成果は計り知れません。今はマウスの実験段階で解明されたことですが、細胞に対してある種の簡単な刺激を与えることによって多様な細胞や臓器に変化させることができ、医療分野で将来に明るい兆しが出てきました。例えば切断された指の骨について、途中から蘇生させて元の指の原型を取り戻すこともできてきます。腎臓にがんが発症して、これを切除した後の腎臓の再生にも活用できます。全ての臓器に拡大されていくことでしょう。その源細胞は、簡単な刺激を加えることによって生成できるということなので、正に画期的な成果であり、応用範囲が容易に拡大されるでしょう。表現は判りにくい点がありますが、多様性が発揮されるということは、すべての場合に適応されるということで、これ即ち万能であるということになります。今回は、単純な刺激を加えて短い時間にそれが実現できるということで、正に画期的であり、効率的であります。
     今朝の朝日新聞で同時に知ったことですが、久保方晴子さんが、学生時代にラクロスのプレイヤーであったことも称賛に値します。恐らく早稲田大学の女子ラクロス部に所属して、リーグ戦に参加して他の大学チームと激しく戦っていたのだと思います。正に文武両道を行く才媛の女性、乙女であります。ラクロスは、今から26年前にアメリカから日本に持ち込まれたスポーツでした。250年ほど前からある伝統的なスポーツで、アメリカインデアンが力の競技にやっていたものです。したがってスピードと技と美しさを表現して過激なスポーツであり、またチームワークが第一に問われており、物凄くエネルギーを消耗します。私の息子が慶応大学3年の時にアメリカのジョンズホプキンス大学に留学した時に、たまたま全米で人気のある学生スポーツのプレイヤーに注目し、これに加わって練習を積み、日本に持ち帰ってきました。ジョンズホプキンス大学は、全米で最も強豪のチームであります。
    その頃私が主宰する社団法人昭和経済会の月刊機関誌「昭和経済」に、現地から「ジョンズ・ホプキンス大学便り」を息子に書いてもらい、それを一年間連載してもらいました。留学時代に人には言えない苦労もしていたに違いありません。勉学のほかにホームメイトとの交わりなど、外国故に努力しなければならないことが山積でしょう。彼の思考と行動は、はっきりしています。最初の頃は、「Yusuke is useless]だったそうですが、艱難辛苦に打ち勝ってのことでしょう、卒業するときは二番の成績にまで上り詰め「Yusuke is usefull ]というこのになって、仲間たちの間で絶大な評価と信頼と尊敬の念を持つに至ったということなので、イエス、ノーがはっきりしている国であり、社会であり、人間たちであるということであります。仲間たちのなかなかユニークな表現だと感心していますが、駆け引きなしの辛辣な意見でもあり、又人情の機微も垣間見てほほえましき限りです。当時の留学時代の便りを読んでいると、そうしたことが文章の隅々に伺えてきます。当時もわが昭和経済会の会員をはじめ読者諸兄に大いに人気があったことで、今読むとなかなか痛快であり、啓蒙的であることにびっくりしています。海外留学生を志す学生諸君には、大いに参考になるものと理解したいます。
     帰国して息子はその年に、慶応に初めてのスポーツとしてチームを創設し、各大学に参加を呼び掛けて懸命に普及させていきました。最初は道具もアメリカから持ち帰った数だけであり、集めた部員も数名しかいなくて、それでも多摩川の河川敷で練習をしていた光景を思い出すのです。息子と同志たちの最初の苦労を身近に見てきただけに、今に至って多くのプレイヤーたちがラクロス・メイクス・フレンズの標語のもと、グローバル精神を発揮して学生時代からそれを身に着け、社会に出てからは更に多くの分野で大いに活躍していることに感動を覚えています。ラクロスプレイヤーは社会に出てからも各分野で大いに実力を発揮して、社会のために大いに尽力していることは立派なあかしであり、我々もこのスポーツの振興に大いに支援していきたいと思っています。
     息子は当時多くの人の援助を得て、全日本ラクロス学生連盟を創設して会長になり、これに多くの大学が参加し、後には高校の学生諸君も加わり、賛同、共鳴して参加するプレイヤーは年々増加し、規模も拡大していきました。妹の明子も兄に従って、それまでバスケットに夢中でしたがラクロス部を学習院大學に作って練習に励み、全日本代表としてアメリカにわたり、熾烈なリーグ戦に参加してきました。フィールドを縦横に疾走して白球を追っていく明子の戦いぶりは凄まじく、流石に学習院女子ラクロスチームを率いる名プレーヤー、兼主将だと思いました。今では全日本の学生諸君のラクロスプレイヤーは10万人を超える盛況ぶりです。これに社会人も加わって大きな組織に発展し、毎年日本でも「世界ラクロスリーグ戦」が行われています。強豪の外国チームの選手らを日本に招へいして対戦し、日本チームも対等に力と技量を培ってきており、試合に臨んで、熱戦は強烈なインパクトを以て迫力があります。息子は今も激務な職務の合間を割いて、日本ラクロス連盟の理事を勤め、堪能な英語を活かして国際部長について、効率的に内外に活動しています。多くの友人を外国に持っていることは、今後の展開に置いて有力な武器であります。目的は、学生諸君がスポーツと学術を通じて国際交流を深め、真に国際社会に貢献しうる機会を得て、国際人として学識と教養、さらには国際感覚の涵養に努めることであります。そしてラクロスをオリンピックの競技種目にすることだと情熱を燃やしています。昭和経済会では過去、ラクロス振興を目指して海外留学生支援基金を設けました。主として息子が親交を深めてきている、ジョンズホプキンス大学に留学生を送り込むなどの支援を行ってきました。現在も続けています。
     こうした組織と活動から、多くの逸材を社会に送り出していることは喜びに堪えぬところであります。実業の世界に広く携わっていると、学生時代にラクロスに取り組んで練習に励んだ学生諸君に共通した点は、学業成績が優秀であり、身体強健なうえに人間的に柔軟性があり、明るく包容力があることです。そうした優秀な人たちを社会の現場に多く見受けるところですが、今回も又、小保方晴子さんのように我慢強い研究者を輩出した背景には、学生時代に培った「ラクロス精神」が、脈々として職場と研究室に生かされていることに違いありません。実験と研究には、知識と創造性はもとより、強い信念と忍耐、不屈の精神が求められるからです。既述の通り、日本におけるラクロスの歴史は浅いことは事実ですが、短い期間に爆発的に普及してきていることは驚異的で、公正で優れた組織的運営が、その背景にあるものと思われます。自信と誇りを以てスポーツに鍛錬の場を得てラクロス精神を身に収め、既に多くの若人たちが社会に進出して活躍中です。政治、経済はもとより、学術、芸術、文化の面で力強く自力を発揮して、世界に通用している、ラクロス・メイクス・フレンズの標語のもと、多くの学徒が文武両道を収めて、将来に臨んでくれることを熱望しています。                             1月30日

     

                脱・デフレ経済の正念場


    日本の経済産業を代表する企業のトヨタ自動車が、6年ぶりに過去最高の営業利益、2兆3000億円を計上することが分かりました。これは過去に、大打撃の影響を受けたリーマンショック以来のものです。トヨタは金融危機の影響で2009年3月には4、610億円の営業赤字に追い込まれたのです。そこからの今回の変身ぶりは、驚異であり称賛に値するのもです。   トヨタ自動車は2009年3月に営業赤字に転落したことを契機に、徹底した構造改革に着手しました。一般的な原価低減に加えて、生産ラインの配置を変えたり、製造ラインの長さまで変更たりして合理化を図ったのです。結果、前期までにコストを累計に1億3000万円の規模にまで削減することが出来ました。そこに景気回復が追い風となって、販売増加につながり、又円安効果が重なって収益力が一段と高まったのです。
    又、日立製作所も営業利益が何と23年ぶりに最高を更新する見込みです。鉄道インフラや、自動車関連事業などが好調です。こうした傾向を反映して企業の7割が増収増益を確保することが分かってきました。日立製作所もリーマンショックのあと、2009年3月には7873億円の営業赤字を計上して最悪な最悪でした。そこで経営の徹底した合理化を図りました。日立マクセルなどの上場子会社の5社を完全子会社化しました。又ハードディスク駆動装置の事業を米企業に売却したりして、事業と、グループの両面で再編に取り組みました。一連の改革が奏功し、たとえば国内のビル用のエレベータや、海外の鉄道システムのインフラ事業の拡大につながっていきました。もとより景気回復と円安効果が、大いに貢献したゆえんです。
      トヨタ自動車や、日立製作所といった日本を代表する企業が、過去の業績を更新して最大の営業利益を出すまでに至ったことは、日本の企業がたゆまぬ自己改革に努めて獲得した成果であり、不屈の企業家精神を発揮した所以であります。 これは現在、日本の優秀な企業にあまねく普及しつつある現状と見ても過言ではありません。そして特徴としていえることは、なおかつ今回の歴史的経過を翻って云えることは、今までは企業が長年のデフレ経済に苦慮して、もっぱら苦しいリストラを以て利益を捻出してきた局面から、売上高を伸ばして利益を拡大させるという本来の事業に立ち返り、積極的、好循環型の経済に立ち戻ったということではないでしょうか。これは企業が脱・デフレ型の収益成長へ、着実に移行してきているといってもいいのではないでしょうか。即ち、企業が高収益型経済に安定した姿となれば、労働賃金の上昇に結びつき、家計経済を潤すことになります。可処分所得の増大は即、国民生活の向上につながり消費を刺激し、企業の新たな設備投資につながって、研究開発も遅れずに進んで、国際競争力をつけていくことになるでしょう。
    かくして上場企業の約7割に相当する企業が、増収増益を見込めるに至りました。我々事業家としても将来の景気動向に一段の自信を以て、経営に専念できる様相となってきたことは喜ばしきことであります。経済は、もろもろの要因を抱えて時々刻々変化をしております。激しく動く世界経済の中にあって油断は禁物であり、常にリスクを負っている現実を直視して、私たちは足元を固めて努めていかなければなりません。
                                                 2月1日。


大荒れの天気

     関東地方は大荒れの天気となって、2月7日の夜から降り出した雪は明け方いっぱいに降り積もって、東京に25センチの積雪を記録し、47年ぶりの大雪となった。朝、目が覚めて窓を開けてみたら外は一面の銀世界だった。吹雪いた雪は庭の東北にかけて山と積もっており、長靴を履いて出て行ったら膝まで浸かって足を取られてしまった。昨日は温かい日だまりに出てきた蕗の薹を摘んだばかりなのに、想像もできない雪の深さであった。外に出た私の姿を見た雀やヒヨドリが、庭の梅の木に止まって、パン粉を欲しがって鳴いている。吹きつけた吹雪で、庭のテラスまで雪が迫っていて、ここからは外に出ることもできない。横殴りの風でお向かいの屋根に積もるはずの雪が、猛烈な風に吹き飛ばされて宙に舞いあがり、渦を巻きながらこちらの庭先に転げ落ちてくるので、真っ白な雪が庭畑に分厚く層をなして積もってしまっている。雀たちはけむりのようにけむって吹き付ける吹雪に吹き飛ばされて、いっときいなくなってしまったが、身体の大きなヒヨドリが枝にしがみついて餌を待っているのがいじらしい気がして、何とかしてやりたいと思っているが、この吹雪ではどうにもならない。可哀そうだが、窓すら開けられないでいる。長靴が埋まってしまうくらいだから、宅の庭には40センチは降り積もっているに違いない。気象庁の観測だと25センチの積雪としきりに発表中だが、実際にはそんな量ではなく、場所によってはもっと降りつもっているはずだ。しかも止む気配はなく、これから夜にかけて未だ激しく続きそうである。
    大雪のいたずらは本州の南海上を強く発達した低気圧が北からの寒気を受けて大雪に代わり、太平洋側を東北に進んで大雪や暴風になって大暴れした結果である。雪に弱い東京は、電車が止まり、ところによっては停電となって、交通機関はマヒ状態である。これを知っている人たちは既に早く帰宅したり外出を控えたりして、防衛体制を敷いて自らを守っているので、幸いにして大した混乱もなく、けが人も居ずに済んでいる。もっともこんな吹雪の前兆と、さなかを出歩く馬鹿もいまい。寧ろ鉄砲や爆弾ならいざ知らず、この冬、いくら大荒れと云ったところで雨、雪、風に「豪」の一字をつけるか付けないかで済むのだから、自然の猛威は家の中にいる限り、眺めるゆとりもできて久しぶりの自然の猛威を眺めて楽しんでいる。ただし地震、雷、火事、親父と昔から言い伝えがあるが、その類いになるとそうも言っておれない。久しぶりに眺めた吹雪は、爽快な気持ちであり、大自然の奥義に触れて、たまには外に出て吹雪に当たっていたいと思うくらいであった。雪もここまで積もれば雪だるまも作れるし、子供たちと雪合戦もできるだろう。さはさりながら休日なので休養を決め込む小生は昼間から風呂に入って窓を開けて、裏庭の雪景色も堪能できるし、考えようによっては箱根の野天湯に浸かっていることもできる。墨絵のような幽玄境の世界に逍遥して雪見酒と洒落るかと思って立ち上がり、朦朧としてお湯から出た途端、あなたいつまで入っているんですかと女房の鋭い声がした。豆をまいて追ったばかりの鬼でも出てきたのかと思ひきや、私のとんでもない白日夢で、場所を間違えて湯船で居眠りをしてあらぬ夢を見ていたのである。鋭い声と映ったのは、激しい吹雪で大欅の枝に積もった雪が、ドスンどすんと落ちてきた音であった。
    
    大雪に見舞われた東京は、案の定、交通マヒの状態であった。幸い土曜日であって、みんなは手持無沙汰の暇人ばかりである。テレビではソチの冬季オリンピック開催で、話題はメダルの獲得に滑っていて空回りしている最中である。安倍さんは国会開催中の忙しさを割いてプーチンの顔を立ててソチ迄出ていって開会式に臨んでいる。人権問題をたてにとって、欧米諸国の首脳はソチへの参加を拒否して欠席している。そうした中での安倍さんの出席は、慎重な判断に建っての決断であったが、立派である。日ロの関係構築も大事である。ソチオリンピックの開会式が終わると現地でプーチンと首脳会談を行う予定になっている。北方領土返還を胸に秘めて首脳外交を通じて自分の政権担当時代にこれを解決して、日ソ平和条約の締結まで持ち込みたい腹である。日ソ指導者の求心力のある今を利用して果たせるものなら果たしておきたいとする思惑が両方にあって、これがうまく合致すればそれに越したことはない。戦後70年近く経っていて、日ロ両国の関係は口先ばかりで、その間少しの進展も見せずに今日まで来てしまった。確かに今のこの機を逃してしまうと将来にわたり、解決すべき適当な機会は持てそうにもない。これを機に日本のシベリア開発はもとよりロシアに対して積極的平和外交を展開し、ロシアの膨大な未開発資源は魅力だし、ロシアも日本の資本と技術はこれを必要としているので、双方仲よくドッキングするいいチャンスでもある。
    喧しさはこれだけではない。東京都都知事選挙が大雪のたまった翌日に行われている。幸いなことに、大雪が止んでからは、温かい南からの風が吹いて気温がどんどん上がっていったし、晴れ間も出て陽が射してきた。道路の雪も溶け出して、投票に出かけていくには何とか格好のつく日和にもなった。どっちでもいいと思いながら、それでもこの日は家内に促されて八雲中学校の投票所に出向いて一票を妻と一緒に投じてきた。都知事選挙はこの先3年間はないと思っていたが、猪瀬がとんでもない醜態を演じて、自ら都知事の辞任に追い込まれて、まさかと思う昨年末の断末魔であった。公正と正義を振りかざして行政の改革の士として獅子奮迅の活躍を期待したのに、汚れた金に手を染めてしまって内外から糾弾を受け、満身創痍での退陣劇になってしまい、都民の落胆は大きかった。人騒がせであり、都民の税金と時間の無駄も大変な犠牲を払っていることになる。唐突なそのあとの出直し選挙であるがゆえに大した人物も出てこずに、誰が出ても同じこととマンネリであった。しかしここで選手交代をして政治と行政に明るく、経験済みの舛添に都政を任せることも気分転換になっていいようである。石原から脱皮して出てきてやっている猪瀬とは言っても、石原の陳腐な系統をひいているから、今回のような感覚で墓穴を掘ってしまうのである。原発反対は社会的、時代的意義をはらんで大事なことではあるが、事は都政に関することであって、原発反対だけでは務まらない。いくら小泉がそばで吠えまくっても、政界を離れて久しく、長いこと高尚な趣味の粘土いじりに明け暮れていた細川が、ぼさぼさ頭で俄かに娑婆に出てきて俺に任せろと言われても、ハイそうですかと云って簡単に任せるわけにはいかないだろう。小泉のマントヒヒの髪の毛だって同じこと、云うことは理解できるが、もっとしっかりした若い人が街頭に出てきて議論を湧かしてもらいたいものである。細川が原発反対を日常訴えていることが分かっていれば又別だろうが、選挙になってトず前でてきて云われても、いくら民主主義だといわれても、それではマック赤坂と変わりがない。
    どこもかしこも同じことで新鮮味に欠けること甚だしき世の中だが、しかし救いは安倍さんの経済政策である。ひとり気を吐いて頑張っているが、ここでもし安倍さんがいなかったら、どんな世の中になっているかと思うと身の毛がよだつ思いである。たった一年余の登壇で世の中の経済の動きが天と地のように変わったことである。これは安倍さんの功績である。三つの矢が用意されて、あとの一つがどのような結末になるか、その行方をかたずをのんで見守っている。
    ただ、懸命な安倍さんも物事に憑りつかれてはいけない。最初から指摘している通り、大政治家として歴史に名を残すには、どう見ても鬼門である国内の右傾化に自重すべきことである。靖国参拝が将来にいろいろな波紋を残し、悪い影響を起こさしめることが懸念されることになってしまった。国のために尊い命を落した人たちに対して尊崇の念を込めて,み霊の安かれと気持ちを表すのは国のリーダーとして当然の事柄である。どこの国でも行われているという安倍さんの弁明である。その通りである。世の中には当たり前に思っていることが沢山あって、多くの人は敢えて口に出さずともわかっている事柄がある。暗黙の裡に収めて益とすることが大人の世界には沢山あるものだ。ましてや外国に対しては尚さらのこと、折角おさまっていたかに見えた日本の右傾化に、喧々諤々の論議と非難が、あらぬ誤解を増幅させて、国際社会で大いに宣伝する材料にされてしまう懸念もある。無駄な軋轢を起こさしめないことも必要である。靖国参拝の件では、あれ以来何ら益することはない。一方で反対の感情を持つ人たちもたくさんいることだってある。そうした時の配慮もリーダーとして必要である。いたずらに傷口を大きくして取り返しのつかないことになってしまうこともある。さわらぬ神にたたりなしとでもいおうか、今回の靖国参拝は、関係国の感情を逆なでしていたずらに軋轢を助長させる結果に終わった。分けてもアメリカ政府の「失望した」と正面切った批判は、信頼関係を崩し日米両国の間を割くような事態すら惹起せしめてしまった。アメリカは日本にとって最大のパートナーである。そのアメリカの不信を買ってしまうような行為は、外交上好ましいものではない。安倍さんの読みは浅かった。巷間伝えられているところであるが、古い時代の岸信介の亡霊に憑りつかれても困る。本来の安倍さんに立ち返って新しい感覚で、この問題は取り組んでもらいたいものである。 安心なことは、国民はこの問題に振り回されている感じは全くないようである。刺激欲しさ、話題欲しさに迎合する浅はかな連中がことさらに騒ぎ立てていることではある。安倍さんは大人の風格を以て、そうした連中の仲間入りされないようにしてもらいたいものである。 
    大吹雪、大嵐のときにはじっと家に閉じこもって無聊を楽しむことも乙なものであり、必要なことである。雪が止んで穏やかな翌日を迎えたので、女房と一緒に通りの積もった吹き溜まりの雪かきをしていた。通る人が困らないためである。自分たちも含め、前の綺麗なパナホームに住む住人達や、奥に住む人たちだって困るだろうにと思ってのことである。しかし誰も出てこなかった。若夫婦たちも何人かほどいるのにと思いながら、きっと未だのんびりと雪見酒をたしなんでいるのかもしれない。巷では舛添、細川、宇都宮、田母神と、その他の泡沫候補が沢山立ったりして、どうでもいいが騒々しい都知事選挙の投票日であった。投票に出かける人たちの足元が、少しでも安全なものでなければならない。雪が沢山積もっていたのでは、投票所に行く気にもならなくなってしまう。だからどうでもいいと思われる雪かきも即、都政にも反映されてくるかもしれない。都の行政の最高責任者を決める選挙でありながら、原発の是非をめぐって都知事選挙が国レベルの議論になってしまったような内容で、身近な地方自治の根幹に触れないことも気がかりである。論議し合う課題は多くあったものの、今回は大雑把になるべくして成る人が知事になった。 元厚生大臣を務めた国際政治学者の舛添、65歳が他の能力なき候補者たちを蹴散らして、東京都の新しい知事になった。 せめてもの救いであった。猪瀬がずっこけなければ都知事の椅子は手にすることはできなかった。他人の失敗や不幸を踏み台にして登るわけではないが、そのままだったら、一生素浪人で終わるところであった。運よくチャンスが巡ってきたからには欲をかかず天命に従って行動することが大事である。これ以上偉くなろうと思わないで、有終の美を飾るつもりで都政に尽くしてもらいたい。ぎょろ目の舛添には鉢巻の方が睨みが効いて良く似合う。都の役人も当てにならないから綱紀粛正を図り、媚びることなく実績主義で臨んでもらいたい。言うなればご自身は褌をしめなおして立ち向かい、期待に背かないよう都民の負託にこたえて誠実に、初心を忘れずに努めてもらいたいと思うのである。      2月10日


       バレンタインの雪

     又、雪である。今朝起きて窓を開けたら雪が舞っていて、庭一面が雪で覆われていた。先日の雪が解けずに残っているうえに、また雪が積もり始めた。こうなるとシャーベット状になった上に雪が積もると、更に固まって簡単に解けそうにもない。普段は寒気に鍛えられて、柔らかい冬菜が雪に埋まって今や仮死状態である。熊の冬眠と同じで、その間は時間が一時中断、停止されたと同じで、外部の時間の経過が有効なら、生き物にとってはその分寿命が伸びて、長く生き延びることができる計算である。人間も熊のように冬眠が出来て、この時間帯は、この時代は、生きていたくないと思った時には、仮死状態になれるのであれば、そして好きな時に生き返ることが出来たらいいなあと思うのである。
     昨日出張があって那須塩原市の若草町と云う場所に行ってきた。今日は未明から雪となって、予報によると大降りとなりそうである。那須行は今日ではなく、昨日でよかった。今日だったら行く先で大雪にであって、仕事にならなかっただろう。新幹線で1時間10分、那須高原のど真ん中にあるその駅に降り立った時には、空が真っ青に晴れ上がって、うっとりして眺めた那須連山は刷毛で書いた墨絵のような景色だった。ここから若草町の場所まで車で12,3分のところにあるが、昔は黒磯市であったが、那須町と黒磯市とが吸収合併して那須塩原市と名前が変わった。それまでは御用邸のある黒磯と云う知名度は高く、観光客や住人転入を誘うにそれなりの効果があったが、那須と塩原と云う温泉場の地名だけをとって、知的レベルがその分下がってしまったようにも思う。確かに黒磯の町には歓楽街的な店はなかったところを見ると、そうした店の出店については行政的に厳しい規制がかかっていたのかもしれない。汚されない、破壊されない自然環境の保全を図るという意味では、お手本みたいなところもあったのである。
    生まれ育ったところが東京でも賑やかな下町の浅草だったので、若いころから自然に恵まれた豊かな田舎の地方にあこがれていた。たまたま母のところに話を持ちかけてきた不動産業者に連れられて、今度は自分が勧められるままに買っていく羽目になった。ちまちました街に育ってきた環境の反動もあるかもしれないが、将来の豊かな森の生活を胸に秘めて、自分なりの人生観も育んでいったのである。先人に倣って、気宇壮大な気概を持つことにも大きく影響されたともあるだろう。色々なことがあって吟味すれば、よくも悪くもあったが、土地を買っていったこと自体は決して悪いことではなかった。それに若し父から授かった遺産や、自分で稼いだお金を、そのまま現金で持っていたとしたら、遊びまくって使い果たしているに違いない。昔から資産の三分法なる教訓があった。現金、預金だけでもいけないし、株式、有価証券のみでもいけないし、さりとて土地、不動産だけになっていてもまずい。世の中が常に変化して一定した条件でないということを前提にして、単純明快に教え残したものであろう。資産は大きくても、小さくても分散して所有することが安全だと教わってきた。つまり慌てた資産の持ち方を戒めたものである。私の場合、頭の中に「森」と云うイメージが強く、そもそもがそうした動機で土地にあこがれていたものだから、偏重したきらいはある。土地で金もうけをしようと思っていたならば、そんな田舎の土地は買わなかっただろう。やぶや畑だった渋谷、新宿、世田谷に安い土地はワンとこさあったから、そうしたところに目を付けたに違いない。時代が変われば、田舎に買った土地が、昔は綺麗な雑木林だったものが、自分の夢とは違って周辺がどんどん開発されて、良くも悪くも今では貴重な住宅地になって、現実に投資対象として生き返ってきたのである。
    何年かたってみてこうした土地は自分では使い切れるものではないことが分かってきて、手放していく運命になってきたのだと思う。縁あって売却できるものであれば処分したいと思っているが、景気、不景気の波があって、なかなか思うようにはいかないのが世の常である。そんなわけでそうした土地に目をつけてきた不動産開発、住宅会社がここに賃貸用の住宅を建ててもらえれば家賃保証の一括借り上げをして、オーナーに不動産所得が入るようになるという説明なのである。こうした話は色々と取り沙汰されてきている。しかし真面目な話がないので、よほどしっかりした、信用のおけるところでないと、ついうっかりが飛んだ怪我のもとにもなりかねない。それと、余計なお世話だと申したいが、小生がお陀仏の時の相続税対策にもなるというのである。お陀仏とはなんだ、まだそんな歳でもはない!ふざけるな、と云うところではないだろうか。未だ若いつもりで森の中を馬に乗って、否、白馬に乗って駆け回りたいと思っているくらいである。三十年間の一括借り上げと称しているが、それを云うあんたがたは生きているのかと問い返したやった。年はどのようにも変えられるが、六十、七十鼻たれ小僧、九十になってお迎え来たら、百まで待てと追い返せと、さる御仁がの給うていた。人間なんてそんなものである。私はいつも若造のつもりで働いている。若造のつもりで勉強している。若造のつもりで人様と接触させていただいている。今回の事業は、第一部上場会社がやっていることなので、慎重な調査のもと、確信を以て臨んでいることだと思うからこそ、世の中、疑ぐってばかりいたでは何もできないことゆえに、一部簡単に合意した次第である。土地をむやみやたらに遊ばしておくことをしないで、有効利用しなければならないという煩わしい話に乗ってしまったがゆえに、若草町の建築現場に工事の進捗状況を見に行ったわけである。建築資金はその会社が紹介してくれて銀行が資金を出してくれて、その銀行も名の通ったメガバンクなので信用状態はまあまあだと思ってのことである。若いころは借金も信用のうち、借金も財産のうちといたずらに借りまくったこともあったが、借金はあくまで借金であって、決して資産と称するものではないことを肝に銘じて、十年前ごろから、借金はしないように努めたのである。借金で火だるまになった人を、この目で確と見てきているからである。肩に重荷を背負うことなく一日を過ごすことの何という身軽さ、軽快さだろうか。街なかをあるいていく時も、足取りは軽く、昔、青い背広で心も軽くというはやり歌があったが、銀座通りを飛び跳ねていくような感じである。だから精神状態もいいし、おのずから肉体状態も内臓も含めて爽快である。もちろんこうした動機は、欲をかかず人様のことも考えて、程々にした金銭感覚を持つことである。
    昔当会の顧問をしていた参議院議長の安井謙先生が「ほどほど人生」と云う本を書いて出版した。頂いた本は、先生の述懐、告白録にも思えた。その後しばらくして亡くなられたが、気づくのが遅かったようにも思える。飛ぶ鳥跡を汚さずではないが、お陀仏の時は、ゼロで行けば神様も同情して天国の門を開いてくださるだろう。亡くなった税理士の鈴木先生は相続税法の大家であって、人生に臨んで厳しく公正な観念を持っていたが、人間が経済社会生活を営みながら、一生を全うした時は、その人の人生は清算して残があったら国家に返して行くべきだという思想を持っていた。マルクスも、プーチンもびっくりするような思想で、なかなか妙を得た考え方だと納得していたが、さりとてそれを他の人に勧めることもできないでいる。そのように主張していた先生は、可愛いい一人娘のために、それ相当の相続もあったから何とも言えないことである。安倍さんとか、ソフトバンクの孫さんとかが率先してやって範を示せば又違ってくるかもしれない。
     金を出す銀行も、工事の進捗状況が心配だろう。現場を見に行きたいということらしい。そこで小生も余り任せっぱなしでもいけないと思い、同行することにした。2月13日、東京駅から11時20分発新幹線やまびこに乗って那須塩原駅まで行くことにした。銀行から出てきた人は何と若い女性行員一人であった。勿論才色兼備であり、話していても知的レベルは高いし、野暮な男と一緒に行くよりも道中が楽しめて愉快だし、ウハウハな気分で行けると思っていたところいたところ、思い違いもいいところで、失敗だった。座席指定の自分の切符を銀行から用意してもらっているとのことで、自分の分は自分で用意しておかねばならなかった。銀行の無粋で何とも気の利かぬことだと思いながら、自由席に甘んじて乗っていくことにした。女性が一緒の時はエチケットとして必要な出費は男が持つものだという観念があるし、いいところを見せて気取ってみたいことだってあるが、それは俗っぽい男の甲斐性であり、独りよがりな思い過ごしである。そう思ったらかえって気が楽になってきた。最近では時代的傾向であって、日本も欧米なりに考え方が変わってきている。銀行、証券会社、商社では専ら女性勤務の職場となりつつあり、結果は好評である。勤労女性は現代の表徴であり、女性の地位向上は無論、アベノミクスの第三の矢の看板政策でもある。奥さんが働いて旦那が家庭で炊事の仕事をしている場合が多くなってきている。安倍さんはこうした傾向をご存じだろうか。しまいに女性ではなく、男性の雇用機会均法が叫ばれて、地位も男女逆転になっていくような社会になりかねない。生物学的には女性の方が、男性よりも生命力は強いし、一般的な能力の点も勝っているのである。「シュバッハハイトュ・ダイン・ナーメ・イスト・バイプ」 弱きもの、汝の名は女なり、は昔の話である。     
     所要時間1時間10分、その間彼女から離れて、短歌同人誌に投稿するために、思う気ままに和歌を詠んでいた。途中、居眠りも仕掛けたりしたが、東京駅構内で買った駅弁を食べたりしているうちに那須塩原駅に着いた。楽しみに買った弁当だったが、払った値段ほどには美味くはなかった。京橋の弁当や金兵衛で売っている弁当はさすがに美味い。車中で弁当も食べたという女子行員と、降りたホームで行きあい、改札口を出た。怪しかったお天気が、那須につくと空がくまなく晴れ渡って快晴の空が上空に広がり、高原一面に光が広がっていた。駅頭に立つと、澄み切った心地よい空気が気に入った。若い二人で向き合って吸った山の冷気は、新鮮な二人を迎えるに充分な景色であった。那須連山は雪をかぶり、まるで真っ白な和紙に墨を刷毛で流したように、あたかも墨絵の屏風を立てたように、まぼろしのごとく見えた。ロールスロイスではなく、つかの間の夢は砕かれて、出迎えてくれた会社の野暮な車に乗って後部座席に座ったが、そのまま早速現場に向かったのである。  続く   2月13日

         積年の思いを果たし事業化す那須塩原の土地を用いて
         メガバンクより大金を引き出して勝手に商ふ新手あらはる
         蒼山譲てふ早乙女と那須の地に訪ねし時に空澄みわたる
         清らかな森の小道を行く先にせせらぎの音聞くもかそけき
         若き頃手当たり次第買い求むあまたの土地に手こづりてゐぬ
         森の風 せせらぎの音、鳥の声うるはしき地に住みたしと思ふ 
         さおとめと奇しくも訪ひし那須の地に手を引き行かば遠き果てまで
         銀行の融資係の早乙女と事業現場の那須に来たれり
         銀行の変な野郎と幸いに行かずに済みて楽しかりけり
         おほらかな気概湧き出づふつふつと冬空高くけむる火の山
         安倍さんの憲法解釈わがままに迷惑気味の大方の民
         奢るもの久しからずと物がたる祇園精舎の鐘を聞くかな
         政権の権力を得て憲法の勝手に釈すは好ましからず
         妄想と暴走運転の安倍さんにお手上げ幹部と閣僚の仲間ら
         安倍さんの無理が重なるごり押しの焦る気持ちも分からぬでなし
         中国の尖閣諸島の領海を犯す軍艦の日々に増しける
         日中で無人島の領有権あらそふ先に愁ふ衝突
         アメリカも日・中・韓の仲裁に立ち苛立ちのさまあらはなり
         かく悩む那須たかはらに来てもなほ国の怪しき先を案じて
         民主主義立憲政治の我が国に専制政治の道の立たずや
安倍さんの「私が最高責任者」当然の弁に危ふさのあり
         ヒトラーも東条も最高責任者暴走のあとかかる始末に
         愚かなり海の孤島に莫大な金を使ひて争ひにける
         国会の答弁に立つ安倍さんの横に麻生の苦虫の面
         国会にあまたのサルが騒ぎおる吉田茂が馬鹿野郎解散
         駅頭に草餅だんごを三つ買ひ二つを蒼山譲に差しあぐ
         草餅の大福三つ駅頭にもとめて二つを連れの子に置く
         遠山の雪をかすかに田ばたの枯れ野に眺むあし屋わびしき
         那須岳の雪のまだらに冬ざれのきびしさに立つすがた重しも
         雪雲のにはかに立ちて山すその風すさぶらし横になぐりて
         遠山の雪のかそけく照りはえて山里なごみ冬に眠れり
         黒磯の建築現場に銀行の女子行員と確認に行く
         北風の吹く黒磯の現場にて担当者らの説明を受く
         わづらはし事もありぬる西那須野土地を扱ふ昔思ひて
         蒼天に火の那須山の嶺たかく輝やく雪に春近きかも         

羽生選手、最高の演技

     素晴らしいの一言です。ソチ五輪で羽生選手がフィギュアスケートの男子SPで世界最高点の101・45をマークして首位に立ちました。五輪と国際スケート連合大会で100点を超えるのは史上初めての快挙だそうです。パリーの散歩道の曲の調べに乗って軽快に氷上を舞う羽生選手。スリムで長身の体型を上手に生かし爽やかで優雅であり、両手、両足も水澄ましのように伸びきって空を切り、繊細な感覚で、スピードをつけて氷上を鶴のように舞う姿は、羽生選手ならではの持ち味です。羽生選手は、力と技術もさることながら、人間の美しさをスポーツの上に芸術的に表現して完璧の一語に尽きます。私は14日の午後6時からNHKのニュースでその全容を知って感激のあまり、この時の思いを忘れずに、こうして文字を打ち込んでいます。見事に収めた4回転ジャンプと、後のトリプルアクセルも、続く三回転ルッツからの連続ジャンプも流れるようなリズムで見事につながって、その魅力にひきこまれて見つめていました。最高傑作の演技を以て、恐らく今後の競技においてもこれを凌ぐものは出てこないと思われるほどに一分の狂いもない感動的場面でした。美の極致を見せつけられた思いで見る人に、魂の飛翔を覚えせしめて止まぬものがあります。人間賛歌と魂の覚醒を促すものとして、私の胸に力強く且つ優雅に収めておきたいと思ったからです。
羽生選手は仙台出身の高校生で、若干19才です。三年前の3月11日に起きた東北大震災の津波で家を失い、仮設住宅の生活を余儀なくされました。苦難の体験から不屈の精神を身に着けた羽生選手は、被災地の人たちの打ち砕からた心を奮起させて、希望を捨てず勇気を以て将来に臨むことの大切さを植えつけてくれたに違いありません。応援するふるさとの人たちの明るい笑顔に、そのことが深く刻まれていました。東北地方には未だに15万人の人たちが故郷に帰れず、避難の生活を強いられていることを思うと胸が張り裂ける気持ちになってきます。羽生選手のオリンピックでの活躍は、この後もソチの大舞台で完璧な演技の披露が続いて、きっと金メダルを勝ち取って故郷に持ち帰ってくることでしょう。東北の人たちだけでなく、日本中の人たちが、その大活躍に刺激され、勇気づけられて明日からの生活に自信と誇りと、喜びと勇気をもらって進む人たちが沢山いることでしょう。わたしも若者たちの活躍に奮起づけられて、これからも与えられた道に邁進していこうと少年のような気持になって思っているところです。 
      
         
    職場の部屋の外は暗くなって、雪が激しく降ってきました。交通の混乱をきたす前に、なるべく早く帰宅の道に就こうと思っています。家内から電話連絡があって、早く帰ってきた方がいいと忠告を受けており、七時過ぎに仕事を終えて会社を出ることにします。   2月14日


    会社を出ると、思いのほか外は吹雪いていて、路面も雪に覆われて滑りそうです。見上げると激しく落ちてくる雪が、結構なエネルギーを包んで地上に落下してきます。このままいくと相当な量に積みあがっていくと思いながら、シャーベット状になった道路を、足元の踏み場を選んでいきました。バレンタインのこの日は雪さえ降らなければ、チョコレートを贈ろうとする若い女性たちににぎわうはずが、この日ばかりは銀座プランタン通りには人影もまばらで帰途を急ぐ人が、傘で吹雪をよけながら急いでいます。酔興にも落花を思わしめる雪の中、口笛を吹きながら人気の絶えた街なかを楽しんで帰りました。ともあれ、今日の仕事のしめくくりに感動的な羽生選手の神技に心酔して、ものは考えようで心にとめた女性からチョコレートをもらったつもりで、仮装の振る舞いに感動を覚えながら帰宅に就くことができます。  

    吹き付ける雪をオーバーに受けながら、今にも傘ごと飛ばれそうな感じです。外堀通りを素早く避けて、銀座INZワンを通り抜けて地下鉄日比谷線に乗るべく、明るいショッピング店の通りをすり抜けていきました。銀座駅の改札を抜け、エスカレーターでホームに降りましたが、地下鉄線日比谷線は雪のためダイヤが乱れかなり混雑していました。中目黒についてからもホームに乗客があふれて危険なので、列車の運転間隔の調整を行って遅れが出ていました。それでも東横線に乗り換えて、自由が丘駅で降りて改札口を出たところは、帰りのタクシーを待つ列が長く続いていました。いつもは家内が車を運転して迎えに来てくれるところです。今夜は大雪のため、それがかないません。路面に積もった雪で、うっかりするとタクシーのタイヤもとられて空回りしたりして危険です。携帯電話が鳴って、心配している妻が車が出せずに迎えに行くこともできないと、困惑と心配の体です。仕方がないのでこのままタクシーに乗れるのを待つしかないと、吹き込んでくる雪の中、かれこれ30分は待ったでしょうか。ようやく乗ったタクシーも、積雪と吹雪の中を安全運転で、普通なら5分かからない道のりを10分以上もかかって家の前に無事着くことが出来ました。慎重に運転する運転手さんに感謝して心ばかりのチップをはずみ「気を付けてくださいね」と、ねぎらいの声をかけて車のあとを見送りました。雪の積もった帰途の道行きに、滑って転んだりせずに無事家にたどり着きました。雪を払いながら家のドアを開け部屋に飛び込んだ私はすぐさま上着を脱いで、そのまま風呂場に直行、冷え切った体を温めるべく風呂に入って、気持ちよく首までつかって温まっていました。風呂から上がり、やおらビールで喉を湿し、のんびりと食事にありつけたときは、心から幸わせだなあと思ったのです。妻がバレンタインのチョコレートを忘れずに渡してくれました。これもついでに、幸わせだなあと思ったのです。                                                                            2月14日、雪のバレンタインデイ。


      大雪の日の教会

    大雪となった翌日の朝からの日曜教会に行った。先日の大雪の日も車が雪で出せずに欠席したので、今日は長靴を履いて歩いて出かけることにした。朝起きたときは目も覚めるような快晴となり、加えて南からの暖かい風が本邦を吹き抜けていたおかげで、積雪もだいぶ和らげられたようである。それでもまだ宅の玄関先は分厚い雪に覆われていて、車を出せるような状態ではなかった。この際は運動を兼ねてと思い15分ばかりの道のりを歩いていくことにした。妻は私より先、10時には家を出て行った.教会に着いた時には鐘がうち始まって、鐘の音は澄み切った今朝の空に鳴り渡っていた。今日は聖餐式が厳粛に執り行われた。
    今朝の説教は、この教会の主任牧師である、バーナード・バートン先生である。アメリカから宣教師として来日して三十有余年、人格識見稀に見る誇り高き牧師である。説教は、豊かな実を結ぶ人生、と云う題であって、是非とも心にとめておきたいものであった。バートン牧師の説教は、どんな場合でも明るく積極的であり、信仰を以て力強く現実に立ち向かい、自分自身を強く鍛え、もろもろの社会の道を着実に進んで、これを全うする恵みと力を供えてくれて、常に格調高い響きに溢れるものである。
    先だって、聖書を拝読した。今回は新約聖書のガラテヤ人への手紙のうち、第五章十八節から二十六節までを会衆一同が声を以て朗読し、牧師がみ言葉の詳解をしながら、教えを取り次いで下さった次第である。私は聖書をいつも文語体のもので読んでいる。今日拝読した個所は極めて具体的であり、読んでいて若年の人にはともかくとして、実社会に籍を置いて働いている人や、人生経験をかなり積んできた人たちにとっても極めて教訓的な教えである。牧師の説教は、それによってさらに深まり、迫真的なものとなって意義深い印象を抱くことになった。  曰く、
   「 我曰く、汝らもしみ霊に導かれなば、おきての下にあらじ。それ肉の行ひはあらはなり。 即ち淫行、穢れ,好色。 偶像崇拝、まじわざ、うらみ、争ひ、妬み、憤り、徒党、分離、異端。  嫉み、酔酒、宴楽の如し。我既に戒めたるごとく、今また戒しむ。 かかることを行ふ者は神の国を継ぐことなし。  されどみ霊の実は愛、喜び、平和、寛容、なさけ、善良、忠信。 柔和、節制なり。かかるものを禁ずるおきてはあらじ。 キリスト・イエスに属する者は、肉とともに、その情と欲とを十字架につけたり。 もし我らみ霊によりて生きなば、み霊によりて歩むべし。 互ひに挑み互ひに嫉みて、むなしき誉れを求むることをすな。」

    現実の波にさらされて生きていく我々にとって実に厳しい注文の内容ですが、しかしながらクリスチャンとして日々の修行の中で、聖句は、道に外れず善であり、全能なる神のみ心に従って純粋に生きていく姿を示して核心的であります。いつものように私は、素直にその場でこれをうたに託して詠みましたが、この聖句は事業家としてさらに厳しい規範を求めるもので万事に通じるものであり、日々の教えの言葉として胸に刻んでいこうと思って今までも来ています。

      ガラテヤの人のたよりの第五章十九節をしみじみとよむ
すべからく心して読めガラテヤのたより五章の人の道をば
      人はみな肉と霊との戦ひの惑ひの日々に身をしたしけり
      悪びとは肉につかりて争ひつ例へて述べしもろもろの悪
      良きひとは霊につかりて主に仕へ例へて述べしもろもろの善
 
      主とともに歩む我が身に迷ひなし愛と光のなかを生きゆく 
十字架に捧げしランの鉢の花力さかりて開き咲くなり
      霊的な主のおほひなるみ恵みを常に覚えてうれしかりけり
      キリストの血とパンを受けインマニエルよみがえる身をとわにおぼへり 
さまざまに煩らふ事の多き世に晴耕雨読に活を見出す  
こなゆきの吹雪く田園調布にて古びし駅のやかた見つるも
      こなゆきの舞ふレピドールの窓辺より見る駅前の池の水どり
      雪降りて友のあなひに最上川舟に下りし景色うかびく
       2月16日

2月の講演親睦会

     第一生命経済研究所の主席エコノミストの熊野英生氏に講演をお願いし、そのあと楽しい会食会となった。会食会の出来でも講演の話が続いた形で質疑応答が盛んであった。熊野さんも、講演会でこんなに皆んなが質問して来たり意見を述べたりする会は初めてですと云われる通り、お互いが素直に快く意見を交換し合ったりして、充実して過ごすことができた。情報交換もあったりすると、世の中がどんな具合で進んでいるかが分かったりして、先を打つ手も見えた来る。このp日は富士屋ホテルの過大なサービスもあって、出されるフランス料理のうまさは格別であった。料理がうまいですねと異口同音の言葉がきかれた。ビールもワインも好きなだけ飲んでいる会場だから、息が盛り上がって、熊野さんも気持ちよかったであろうと思う。熊野さんは時折大事なコメントを求められたりするときには、必ずテレビの画面に映し出されて来るが、その的確な論点のコメントに私はうなずいて、気持ちよく聞いているのである。若いのにしっかろした考え方を持っているし、感じもいいし、肩を張っったところがなく、それに童顔で温かい親しみ深さがあった。人間的に素晴らしいところが又魅力である。そんな印象を抱いていたので機会があったら、親しく話を聞きたいと思っていた。私の考えはまさしく的中した。講演は自由奔放にお願いしたいという趣旨であったので、今を時めく「アベノミクス」と云う題であった。安倍政権の主題である故に仕方がないが、既に耳にタコができるほどに聞き飽きているので、裏に隠されて肝心のことが明らかにされないままに看過しやすいことがあるだろう。要は国内の経済問題に捕われて世界の動きを知らないままに、取り残されていくことがあってはなららい。そこで世界の情勢を大観して、これからの日本はどのように対処していったらいいかと云うことも重要なので、これからはその所が重視されなければならないと思っていた。そこで、「世界経済の潮流と、日本経済の展望」と付け足して、熊野さんの話を聞きたいと思った次第である。貴重な統計やグラフの資料をたくさん用意されてきたが、資料にはあまり目を通さず滔々と、立て板に水のごとく判りりやすく話をしてくださったので、満足であった。
    
    アベノミクスも道半ばで、問題はこれから先、確実なデフレ脱却を目指して行ける状況で進んでいくかにかかっているが、このところ有頂天になりすぎて横道にそれがちの安倍さんである。腰折れがあるとすれば、経済問題ではなく、あらぬ浮気がそうさせないとも限らない。ここらあたりで、だれか注射をしてくれる人がいないと、本人にはだんだん気が付かなくなってきている節がある故、かなり問題だと思っている。そこで熊野さんには失礼を承知の上で、有頂点の安倍さんに弯曲的な意味で内外の動向にも気を付けてもらいたいという意味を込めて、「世界経済の潮流と、日本経済の展望」と云う副題を勝手に付けさせてもらったところ全く異論がなかった。実に包容力のある人だとおもった。アメリカから失望を感じたという名コメントをもらった安倍さんだが、大方の日本人も左様感じているのではないだろうか。なんで今さらこんなことをするんだと、タクシーの運ちゃんが素朴に言い放っていた。こんなこととは、靖国参拝のことである。その運ちゃんの父親と、弟にあたる叔父さんも戦地で亡くしたそうである。旧満州と云うから、終戦間際の北支戦線だそうである。悲惨な体験を積んだ人が、安倍さんの靖国参拝はまずかったというので確かな一面である。落ち着いて考えてみると、今までもそうだが日本の首相が靖国参拝をしたからと云って、日本と日本人にとって何かいいことがもたらされているかと云えば、何もないし、何も変わったことはないし、毎日がそう変わらずに来ていることははっきりしている。これに関してはいつも逆に想定外の軋轢をもたらして、国民が迷惑を受けていることの方が大きいようである。これを正しく見極めることができるかどうか、情緒的思考が先走って、あとになって問題の難しさを感じるようでは、これでは政治家としての資格があるか、ないかにかかってきてしまう。そのことは国民にとって残念である。
    先に述べた運ちゃんの話に戻るが、終戦間際になって、日ソ不可侵条約を結んでいた旧ソビエトが、突如侵入してきた。その時に戦死したそうである。墓に納めた骨つぼがあるそうだが、中身はさっぱり分からんと云っていた。東条英機の手先が勝手に作り上げたものだから信用できないが、さりとて骨ツボを開けてみたところで何の益にもならないから、そっとそのままにして手を合わせているそうである。心の持ちようだからねえと吐き捨てるように言っていた。こんな事例は沢山ある。南方初頭に派遣された遺骨収集団が、懸命になって遺骨を集めてくれている。戦死した人たちのことを思えば頭が下がってありがたいと思うが、掘り出された遺骨は身元が分かるのであろうか。はっきりしていじょくのもとに届けられるのであろうか。DNA艦定が徹底的に駆使されれば別だが、心もとない気がしてならない。父も、店で預かった多くの店員を赤紙一枚で戦地に送り出し、戦中を通じてほとんどが戦死して英霊を迎える運命に立たされて、陰で苦悩の毎日だったと述懐していることを知った。
     太平洋戦争は中国、朝鮮を初め南洋諸島が侵略の対象であるが、敵対したのはアメリカやイギリスなどもその対象国である。そのアメリカが安倍さんの行為について、「失望した」とあからさまに言ったことは珍しい。よほど気に障ったのだろう。アーミテイジ補佐官も副大統領も靖国参拝を避けて、千鳥ヶ淵にある戦没者の慰霊塔の英霊に参拝し、あえて牽制球を送っていたのに「聞き分けのない子だ」と、困り果てていた様子であった。もちろん許し難い行為として、アメリカからは、広島、長崎に落された原爆で、おびただしい数の日本人が一瞬にして亡くなってしまった。又聞くところによると3月10日の東京大空襲では焼死者の4割が未成年の子供たちであることが分かった。学童疎開で少年たちは助かったかの如く云われてきたが、実際はそうではなかった。学童疎開や縁故疎開に行けなかった少年たちもたくさんいたし、中学生以上は学生勤労奉仕で、都内に残っていた相当数の少年たちがいたのである。加害者に立った日本も被害者の立場に立っていることは、明々白々のことである。戦争は当事者に夥しい悲劇と損害を残しているのである。何という悲惨なことではないか。
「最高責任者は内閣総理大臣の私です」と,安倍さんは盛んに強調しての給うていたが、何だか大人げない感じがして、やんちゃ坊主の憎めないところもあったが、しかしヒットラーだって、東条英機だって一国の最高責任者であった。それが傲慢になり、人の言うことを聞かずに暴走し、野蛮的になり、無様な真似を以て国を滅ぼし、民を悲劇のどん底に陥れたのである。 以て銘記すべきなのになり、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、同じことを繰り返し断末魔を迎えるのである。独裁的になってくると大体が初心を忘れて権力志向になって、じゃまっけな民衆を弾圧して、猜疑心が強くなって、イエスマンだけを周りに集めて自己防衛に走り目がくらんでくる。機が狂ってきて挙げ句には、最高責任者が自らを絶ってみたり、反権力者によってギロチンにかけられてしまう。結末は東西古今一緒である。そう知ったからには、心して愚行を繰り返さぬように自重するのが賢者の道である。
    いま日本で問題になっているのは、集団的自衛権の行使である。これについて「私が全ての最高責任者であって、閣議で決定し国会で審議して決まったことは、私が責任を持つ」といわれても、国民はハイそうですかと云うわけにはいかない。問題は憲法の根幹に触れるものであって、一般の法律のように、同じレベルで扱われたりするものではない。ここがどうも国民の感情と一致しないところで、安倍さんはき違えているようである。やはり国民の意思を問うべき重要な問題である。今まで日本は他国から孔隙を受けたり侵略を受けたりしたときには、そうした侵害に対して自衛権を発動して、軍隊を以て反撃することまでは是と解釈されてきた。しかし日本と同盟を結ぶ国、たとえばアメリカが他国から攻撃を受けたりしたときには、これが日本に対して行われたものと解釈して、その国に対して軍事的反撃を行うことができるとするもので、極めて大きな決断を迫られることになる。この決断を内閣総理大臣の判断を以て行うことができるという法解釈だから、ちょっと待ってくれと云うことだろう。余りにも飛躍した考え方だからである。憲法第九条は、いかなる戦争もこれを放棄するとうたっているが、しかし自国の攻撃に対しての自衛権の行使までは禁止していない。日本と日本国民にとって、集団的自衛権の行使は、やっぱり国民の信を問う問題であって、一内閣の決定に任されているものでないことははっきりしている。半世紀以上にわたって日本は戦争なくして、戦わずして国際紛争は平和的に、外交的に解決してきている。この歴史的教訓は何人にとっても否定することはできない。たかが最近の領土問題の紛争が原因で、日本の政治姿勢の根幹に関する決め事を簡単に変えていいものではない。日本は外交的手段で平和裏にことを解決してきている。人を殺さずに、もめ事を解決してきている。どうしてもやりたければ、先ず安倍首相以下、これを推し進めようとする連中が、アメリカでもイギリスでも何でもいいから軍隊に入って訓練し、エジプトや、シリアや、アフガニスタンと云った戦場に赴いて実戦に参加し、敵対する軍隊と生きるか死ぬかの劇場に立って、戦争とは一体どうゆうものかを体験してくるべきである。その背後に国益とは何ぞや、個人とは何ぞや、国家とは何ぞやと云ったことを勉強してくるべきである。それから論じてみても決して遅くはない。連中の殆どは戦争体験がない。他人にそれをやらせようとしないで自らその極限の場に立って、生きるか殺されるかの場面に立ってくくるべきである。これをごり押ししていこうとすると無理がたたって、政局の混乱を来たし、安倍内閣は経済政策で打って出るべきものが、あらぬ政争を招いて溺死する原因ともなりかねない。これを以て無謀とする所以である。それがしたければ、憲法が集団的自衛権の容認をしたとして、先ほどの連中が率先して軍事作戦に参加し、」実践について法がいい。彼らはいったい誰のために戦っているか、わかることだろう。話せばわかるといった男に問冬答無用と云って、いきなりピストルの弾を撃ち込んだ男がいた。これではヤクザ、暴力団と一緒ではないか。そんな連中に法律の適用は通用しない。
    よくよく考えてみると、集団的自衛権の行使は、同盟国である日本にとって最大の友好国であるアメリカを意味しており、そのアメリカの軍事作戦に一緒に加わろうとする意味合いがある。他国に駐留するアメリカ軍隊が第三国から攻撃を受けた場合、日本と関係のない事案で起きた戦争について、これは日本に対する攻撃とみなして軍事的反撃を行うという拡大解釈だってできるし、それが本当かも知れない。こんなバカな勝手なことが許されていいのだろうか。
    人間社会の下部構造の矛盾なき確たる構築を果たし、初めて民衆の意識の涵養につながり、もろもろの価値創造につながって上部構造の豊かな構築に寄与することができるのである。この考え方は一人マルクスの理論のみとは限らない。普遍的な真実として心に銘記すべきである。 浮気をせずとは、右顧左眄して横道にそれずということであり、とりもなおさず経済回復の一字を以て良しとして、あまり手を広げて功績を欲張らずに実効的に事を進めていくべきである。 人間生活の根幹をなす経済問題の解決さえ得れば、国際社会で健全、頑丈な砦を構築し、信篤くして、難攻不落の国を築き上げて、国民の安寧をもたらすことができるからである。安倍さんの使命はそれの一字だと信じて疑わない。        2月28日


        春はあけぼの・・・・・

   
    春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて、むらさきだちたる雲のほそく
たなびきたる。枕草子の冒頭にかかれたた、春のうつりゆくさまである。空も、山も、海もゆったりとしておぼろげに霞み、太陽は青嵐に浮き立ち、月も朦朧として青い海の夜を、静かにわたってゆく。海もひねもして波さざなみ、人間はもとより欲を失い、猫はねずみを捕ることを忘れ、犬もあくびをして寝そべっている。こんな静かで平和な世界はないだろう。動くことさえ忘れて、みんな静かにした居る。動かずにのどかである。雪がようやく解けた昨日きょう、庭の土にかすかに動くものが私の目にあった。黒い土から頭をもたげた、蕗の薹である。一つ二つと地上の暖かさに気づいて出てきている。梅の花も一つ二つと開き始め、数を数えたりしている。春は音もなく、すべてが少しずつ動いているようである.
おぼろげな霞の中の世界だから、はっきりしたことは判らない。この朦朧さが生きた人間にとっては、何とも味わい深いものを感じてくるのである。 冬の間から春の初めにかけて、生きとし生けるものが、うごめきざわつき始める前の、わずかなしじまの時の、安らぎの時間の移ろいである。    3月1日

2014.2.1

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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