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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

vol.21.3

枕の草子    清少納言

   清少納言が表した枕の草子はあまりにも有名だし、多くの人々にこよなく愛されて詠まれてきた古典的随筆である。原文は前にも紹介して、趣きを以て情緒的に重ね綴ったが、今回は文語体でつづった枕の草子を、口語体で書いて当時の人々と生活の感興振りをやさしく味わってみたいと思う。作者の清少納言納言は「春はあけぼの」に始まり夏、秋、冬と季節の移り行く様子をまずは象徴的に書き上げて、趣きを生活の実情の中でつかもうとしている。

  清少納言が四季を紡 いだ情景を、現場に立って描いてみると、実に視点が繊細で鋭いものが心のうちに窺える。そのことを追っていると、千年の歳月をさかのぼって、当時の人たちは何を楽しみにし、どんな生活をし、どんな生きざまであったのかと思いを馳せてくるものである。

 規律、戒律の厳しい当時の人たちは、封建的な階級生活の環境の中であっても、現代のような機械文明とは無縁であり、競争や精神的なストレスは意外に少なかったのではないかと思える。階層にもよるだろうが、現代人に比べると我慢強さがあって、逆にある程度にも心にゆとりを持っていたのではないだろうか。そんなことを宗像し推察するのである。

 四季の変化についても、甚だしい気候変動にも悩まされず、ましてや、自然環境は豊かに生活の中に広がっていたであろう。寒暖や暑さ涼しさについても不安なく、心穏やかに生活を送っていたのである。産業革命の時期から物質文明の拡大は地球規模に及んで、今やいたるところに弊害をもたらしてきている。かくして現代の今のように大気、河川、土壌の汚染から始まり、大量消費に始まる産業廃棄物の毒性化が、喧々諤々として騒がれるようなことは、当時において全く想像できなかったことである。近ごろは四季の変化は乱れに乱れ、折々の繊細な節目も解らなくなってきた。  

   春の一番ゆかしく感じる時は、東の空がやや明るくなってきて、今まで暗く収まっていた夜が今にもほのぼのと明けようとする風情の頃が良いようである。もうそろそろ朝日が昇ろうとする頃になると、東の空も白々と明け染めてほのかな感じに、だんだんと白んで空に広がっていくようになり、沈んでいた山々の際の辺りがいくらか明るくなってくるにつれ、山の頂にかかっていた雲が紫がかって横に長々と尾を引く様子が様子に見とれてしまうほどである。

  ついでに夏はどうであろうか。

夏の気分を楽しめるのは、やはり解放された夜だろう。闇を照らす月があって、月が空に出ている頃は言うまでもないことである。ところが月が出ていない闇夜もまた見方によっては楽しいものである。蛍が沢山明かりをともしながら飛び交っている様子はなんとも言えない賑わいがあって風情よろしく心が弾んで来たりする。またたくさんの蛍ではなくて、ほんの一匹とか二匹の蛍が、辺りの暗闇にぼんやりと光って飛んでいくのも物侘しい趣きがあっていいものである。更に言うならば、しとしとと音もなく降る雨の夜も時にはは趣があって心に触れてくるものである。  3月1日


うららかに空明け染めし山の端に紫のこる雲のひとすじ

物憂げに明け染めて行くひむがしの紫しむる淡き雲かな

     緊急事態宣言の二週間延長

  3月7日に期限を迎える首都圏4都県に出されている緊急事態宣言が、先に開かれた政府の諮問委員会で二週間延長される決定がなされた。午後9時から菅首相の記者会見が開かれて、10時現在テレビ中継がまだ続いている。国民に迷惑をかけていることに陳謝しながら、それでも「国民の生命と暮らしを守るために、皆さんのご協力をお願いしたい」とのことである。コロナウィルスの感染拡大を何としても食い止めたいという菅さんの一念の程がうかがえ、途中であったがテレビを中座して部屋に入りパソコンを打っているところである。感染状況の統計の分析を行い、病床のひっ迫など厳しい状況が続いており、専門家の意見をくみ取って判断したものである。延期によって経済的被害を被る人々が沢山いることは重々処置であるが、ここは忍の一字を以て耐えるしかあるまい。

  不要不急の外出を避けて会社への出勤を自粛しているが、テレワークや在宅勤務に不慣れな小生などは、手足をもぎ取られたようなもので、同様に不自由を余儀なくされている人たちは多いに違いない。別に飲食業に限ったことではないが、人との接触を避けていたら、社会活動など根底から否定しにかかっているものと同じである。勿論、新型コロナウィルスの感染拡大が追い風になっている業種もあるが、それはそれで社会経済活動に何らかの意義をもたらしていることである。小生は相変わらず在宅勤務に努めているものの通勤、やむを得ぬ出勤に際しては、時間を大幅に調整して、人的移動に加担しないよう適切な行動をとっているところである。

ウィズコロナ宥め賺して取り込みて滅多打ちするほかに術なき

治療薬のないコロナに予防薬ワクチン処方の不思議なる説

ワクチンが先に打たれて治療薬未だに無きは不思議なりけり 

治療薬がない故にワクチンが必要なるは成程なりと      3月5日

心静かに

聖林寺十一面観音菩薩さまこの法界を観つむ隈なき

まほろばを豊かに眺むみほとけは蓋し十一面観音観音菩薩なり

あらたかに居はす十一面観音像この聖林寺の里の静けさ

あほぎみる十一面観音菩薩さまあらたかに世を治めけるかな

靜もりし鄙のおぐろを歩みゆく先に建てます聖林寺かな

法界の神のご意思に従ひて掟に動く軌道確かに         3月6日

    教会の窓

教会の窓と題してつれづれに和歌を詠みて行かんとすれど思ひは複雑に絡み合いて取り留めもなきに綴り行きしに、ふと思い出ずること有り。昭和の初めごろにて活躍したるフランス文学者の辰野隆なる人物、あまたの著書の中に「南の窓」と題したる古き冊子在りぬ。話題をつまみ小さくまとめて綴りたるものなれば、まことに読みやすく我が意に沿ひしものにてすぐさま買ひ求めたり。 そもそも神田のさる古本屋にて目に留まりたるは題名に惹かれて買ひもとめしに、昭和十二年六月に印刷発行されしものにて書店の主の曰く、この書物はなはだ古きものにて価値あるものゆへ大事に扱われしと励まし給へり。

  すぐさま読まんと家に持ち帰り書棚の見やすきところに置きたれど、商いの仕事に翻弄されそのまま置き去りにして早や十有余年の歳月を経過しにけり。まことに気まぐれな性を悔やみつつ、されど愛着の念止みがたく、書物の題名に惹かれて、その字も辰野隆自身の書きたるものなりて、なほ奥ゆかしく思ひつつ始終わが目にとどまりて来ぬ。南の窓、とはいかにも温かき風情にて光りかがやき、明るきさまは春の先駆けにおぼへしものなり。心豊かに花に覆はれし野辺の草木の様子など思ひ窺ひ、澄み渡る空のおおらかに思へて、心も弾む気配になりぬ。

  斯く思はれしにも南の窓とは、さしずめ希望の窓と置き換えてはわが身を励ますものとなりぬ。つねに書棚のまじかに見るゆへにこれぞまことに書物と文字の実益をもたらすものにて、事やさし今様のスマホの時代にもいと勝るものと通じるものなりき。書店の主の申されし事、この書古きに在りて大事にされたしとの意味、正しくここに在りしかと、しみじみ思いつることなりき。

  南の窓なれど、月の光の差しいることもありき。折にふれ四季の趣きを伝へてことのほか楽しかりき。風のそよぎも目には見えねど、確かに見ゆることと思う時もありぬ。漂う雲のながれに亡き友の影をしのぶ時もありけり。この窓よりさまざまなこと思ひ出づるに、つれづれなるままに和歌を詠みたることお許し願いたきと思ひ候。

十字架のイエスの愛の激しさに打ち寄す波も引きて行くかな

多を利して己を滅し尽くす身のイエスの姿に重ねあはせり

喧騒の止まぬこの世に身を賭して十字架に立つイエスキリスト

教会の窓辺にイエスの光差し幸い覚ぬ今朝の祈り会

大学の我が学び舎に師と仰ぐ酒枝教授の笑みて立つなり

われが身に夢と希望を与へかし此のうつし世に尽くす道なば

さすらひの旅のみ空に友垣の浮かびてくれば手を合はせけり

十字架の主はいついずこにも輝きてわれに恵みを与へ給へり

とこしへの命を与ふ主につきて宇宙を治む神を見るかな

澄み渡る青きみそらに大いなる神の恵みに溢れみちみつ

説教の間にも冷たき風すぎて身に吹き返し荒るる今日の日

十字架の主に比ぶれば言うことのなき人々にかかる災ひ

夢に見る黄泉に旅立ちいくばくの時の過ぎたる友のおもかげ

憂鬱な春ともなりぬ杉の粉目にも鼻にも痒く覚へし

亡くなりし友ら夢にも現れて苦楽の時の俗世なりせば

この世にて働きつくし去りてゆく高木の篤き姿うかび来

終戦後慣れぬ百姓生活に寄りそふともの陽一君よ

心より招きを受けて旅の空北茨城の海沿ひの宿

大観が好みて住める海浜の渚の岸に建てる館は

荒波の打ち寄せ砕く岩礁に朱の六角堂の今朝の趣き

友がきの陽一君の通夜にて勝田駅頭に立つは悲しき

山寺の道を登りて行く先に出羽三山の嶺のそびえ来

天童の地にて採るれたるサクランボ食べつつ奥野細道を行く

王将を囲む飛車角を買ふてのち金銀桂馬に槍と歩を買ふ

天童の街は将棋の駒作り名高き駒の古里なりき

尾山台駅まで来たる臼井君なほ懐かしく語り合ふ日よ

古きこと昔のことを懐かしく追い求めては励まし合ひぬ

古きうた懐かしきうたテレビにて古関裕而と古賀政男らの

大正より昭和にかけて流行る歌情緒に溢れ細やかなりき

がむしゃらにがなぐりたてる今様の冠者の歌に寒気おぼヘリ

判然とせぬ男だか女だかおかま同士が歌ひあいけり

歌ふ歌詞にも味気なく湿りけもなき無味乾燥の歌を歌ふ子

    東京大空襲

  南の空から火焔の火の玉が天空の半分を覆い尽くすまでに広がってきた。その火の玉が如何にも崩れ落ちそうになるくらいに頭上に赤々と広がってくる。火焔のもとは、どこかで大きな火災が発生し、火の手が空を焦がしていると迄しか判明出来なかった。誰かが言った。大火災のもとは土浦辺りではないかと。

  その時我々家族は親戚を頼って茨城県の帰途に疎開していた。疎開お先のこと故、どうゆうわけか水戸市内を居を変えては転々としていた。そして中心部の泉町に移ってきていた。丁度その時空襲警報が出されていて、居を構えていた泉町から天王町の親戚に移動していたさなかであった。見上げる空の巨大な火焔に怯えながら、いつここにまで延焼してくるかもしれないという恐怖心であった。その夜の3月11日の灯から暫くたって、荒れは東京の街がアメリカのB29の焼夷弾の夜間空襲に遭って燃え上がっていた火の粉だったということが分かった。だとすれば一人東京に残って帝都空襲に備えて戦っている父はどうなっているのだろう。その日以来父の命の生存の有無について不安な日々を思い過すことになった。心の中で絶対に無事でいてほしい、神様に守ってほしいと祈る気持ちで何事にも手がつかなかった。あの巨大な火の玉の中で、何とか逃げて切って助かってほしいと思っていた。

  幸いなことに二週間が過ぎたある日の時、父が顔のひげを伸ばしたままで元気な姿を見せてくれた。常磐線が混乱を極め、途中乗り降りしながら、線路伝いを歩きつつ召しを食いつなぎながら水戸までたどり着いたのである。想像するだに辛い道中だったに違いない。B29の夜間空襲の猛爆のなかを勇敢に向き合い、戦いの上退避してきた父であったが、弱音を吐かず力強い姿をみて僕は涙をこらえて抱きついたのだった。生来病弱な小生であったが、疎開先でどうにか生きている小生を見て、父は安堵しきった様子であった。母と家族全員が、疎開先ではあるが元気に一緒になれたことをみんなで喜び合ったのである。

  東京の下町を襲った米軍の無残な無差別の大虐殺は、東京の下町全土を焼き尽くし、死者十万余を出し悲惨な状況であった。1945年3月11日の大規模な焼夷弾による夜間空襲である。七十一年前の今日の夜である。思い起こすも戦慄を覚えるのである。戦争のむごたらしさ、人間の残虐極まりない行為、今もって性懲りもなく繰り返している人間の、断末魔のあがきの歴史である。いかなる理由を以てしても戦争は残虐を極め、命をないがしろにする行為であり、大罪に与えするもので正当化できるものではない。まだに非人間的な極悪非道の行為が行われている現状は、以て神のご意思に反し道に外れた行為で在ることは明らかである。      

  無謀を極めた第二次世界大戦は悲惨な結果は、日本人だけでも参〇〇万余の犠牲者をもたらした。そして凶悪な原子爆弾の攻撃を受けてとどめを刺され、悲劇の幕は降ろされた。多くの国民が虚偽の情報の上に踊らされて舞い上がり、戦場へと駆り出されて無益に殺されていったのである。残された老人、女、子供たちも戦火に追われ銃弾を浴び、飢餓に苦しみ多くの人々が犠牲になっていった。小生は、71年前の東京大空襲の凄惨な様を遠くからこの目で確かめ、 はたまた疎開先の水戸で夜間に及ぶ焼夷弾攻撃の火焔のなかをくぐりぬけて助かった命であるが、戦争体験者もだんだんと少くなってきたし、悲惨な真実を語る人も遠ざけられていく時代になってきた。ありがちな油断が、人々の間に蔓延しつつあるような気がしてならない。 

  今日、新型コロナ感染症が地球全体を覆い尽くし、人類に無差別に攻撃を仕掛けて、従来型の社会活動、社会思想を根底から崩しかけてきている。これを先に述べた戦争の恐怖と、油断の隙間風に対するグローバルな警鐘としてとらえることも必要である。 新型コロナウィルスに対して人類が連帯して立ち上がり、一体感を以て対峙しているこの姿こそ、今までになかったほどの教訓的行動と姿だと認識している。すべての分野で我々が連帯して行動し、平和的生存と、日常生活の安全と安心のゆく地球環境を整えて前進する、覚醒的挑戦である。


またたく間に過ぎていく戦争の惨禍のあとの忘れ得まじと

戦争のたけなわの時少年の我にし在れば思ひ出近き 

焼夷弾夜間空襲の後に立つ焦土に焦げるしかばねの群れ 

黒焦げの死体をまたぎ焼け跡の匂いを嗅ぎつふらつきて行く

地獄にも似た焼け跡を照らしける夕日の真っ赤に燃え尽きにけり 

焼け落ちし家屋の下に蒸し焼きとなりし死体を取り出せる子よ

子を抱きて母の遺体の美しく野菊の花が添えてありけり       3月10日

3・11、十年目の今日

  十年前の今日、午後二時46分、マグニチュード9,0の巨大地震が福島県沖に発生し日本の国土を揺り動かした。日本は昔から地震国、火山国としてこの地に住み着いた人間に、多大な経験則を貴重な教えとして我々に残してきてくれたはずである。その教訓をないがしろにしてきたが故に東北、北関東を襲った地震と、巨大な津波に正しく対応できず、多くの人命を奪われ、財産を喪失するに至ってしまった。しかも予想されていた津波の発生を、未然に食い止めなかった東京電力の福島原発基地である。基地の一部は爆発を起こし、危険な放射性物質が広範囲に拡散してしまった。未曽有の被害と混乱は云うべくもない。十年が経過しているが、メルトダウンを興した原子炉内は依然として手つかずのままであり、放射能汚染水の処理問題も解決のめどが立っていない状況だ。 

  国連難民高等弁務官をされていた緒方貞子さんは、昭和経済に掲載する原稿に、大きな文字を以て原発反対の声を上げている。火山国、地震国に在って原発神話はあり得ないし、原発は危険極まる凶器であり、これを行うものは殺人、自殺を強いる行為であると申されている。原発こそは、人類が現代文明社会に残した最大の罪と云わねばならない。賢人の我々に残した反省の弁は、心して聞くべき警鐘の言葉である。

おうなゐの激しく揺れて波を打つ大地のすれて地鳴り聞こえり

海面の盛り上がりくる山のごと陸地に向けて迫り来るなり

おおなゐに大地が揺れて波を打つビルも横揺れて倒壊の鬼気

福島の原発基地の破壊さる巨大津波にいとも易しく

放射能拡散に危害の甚大に天地に及び収拾至難に

放射能被爆者を前に鎮魂の言葉を無碍に経産行政

未だなほ東北地方の復興の途上にあれば深し爪痕

現代の産業行政にブレーキを掛けて警鐘すコロナ禍の術

原発の危機のあらわに燃料棒、汚染水の処理むずかしく

この狭き貴重な国土を無益の地、地獄に落とす原発行政

美しき山河の果ては目に見えぬ放射能にて侵されにけり

原発の安全神話は崩れたり執着せずに原発廃棄に

東電の経営姿勢は刑事罪事案に等し虚偽と怠慢

東電の落ち度は許し難きにて弁解の余地最早あらざり

農民も漁民も放射能の汚染浴び生活の糧うしなひにける

放射能汚染を浴びて放浪す難民生活のどん底の人らよ

放射能汚染も新型コロナウィルスも同義語にして人類の敵 

人類の敵は愚かな人間の教訓として警鐘なりき    3月11日

懸念すべき東京のゼロ地帯

   所用があって今日の午後、東京はJR有楽町駅から秋葉原に出て、総武線に乗り替えて亀戸まで行った。そこから小村井、通称立花一帯をめぐってきた。その先を行くと曳舟辺りに就く。いわゆる一級河川隅田川の周辺に広がる下町地域である。下町地帯に広がる市街地だが、どこから見ても東京の名物と化して巨大なスカイ・ツリーが身近に見える。あれは本所の押上地区に在るものだ。東武鉄道が工場跡地として、寂れたままに持っていた未利用の敷地である。浅草橋から隅田川を渡って墨田区は両国駅に着く。

  JR総武線から眺める外の景色はビルの林立だが、亀戸までに三つの掘割にかかる鉄橋を渡っていったのである。寒々としたコンクリートの堤防が掘割の増水による洪水を食い止めている。三つの掘割の間の地域には、最近になって後からあとから新しくビルがひしめいて立つようになってきた。ここ十年の間の、ものすごい勢いに乗って市街地が拡大してきている。都市開発が下町にまで及んで、狭い日本を象徴するような混雑ぶりである。この勢いはきっと、この先の江戸川の堤迄に及んでいると見た。 

  昔は浦安と云った地域は潮し狩りでにぎわったところであり、釣り船が出て船上で地元漁師の料理を味わったりしたものである。海に面して客をもてなす料亭もたっていた。オリンピック前後の高度経済成長によって埋め立てが進み、加えて幾多の公害も発生し、環境汚染の甚だしいところであった。都心に近い夢の島などは、パラダイスかと思っていたら、都内のゴミをそのまま放棄する場所であって、江東区や、夢の島はダンプが列を作って終日ごみを捨てに行く先の、一大ゴミ捨て場であった。 ダンプの激しい行き来で江東区は悲鳴を上げて、往来通行止めの措置をとったほどである。

  台風が来て大量の雨量を伴って暴れ回ったりすると、大小の河川がたちどころに増水し、氾濫し、住宅地の冠水はもとより日常茶飯事であった。水位ゼロメートル地帯ではその後、堤防のかさ上げの応急工事を以て、河川の氾濫による地域の浸水、冠水を防いでいるが、何時なんどきそうした災難に遭うとも限らない。日本はもはや戦後ではないと云われて三十年、膨大な規模で経済発展が進み、東京都もますます都市化が進んで広範囲に広がった今日であっても、その根本問題は解決されたとは言えない。 

  総武線に乗って、秋葉原、台東区からから隅田川を渡り墨田区、江戸川区、江東区と過ぎて、江戸川を渡る端まで東京湾にかけてゼロ㍍地帯はひろがっている。異常気象の発生は、想定外の降水量をもたらす時も出てくる。こればかりは神さまでない限り、人知を以てしても判明出来ない。それは今日、この地帯をさり気なく行き過ぎた一日の観察でも、確と確かめることが出来るし一目瞭然である。 

   それとは別に脅威となるのは、大地震と巨大津波の発生である。ひとたび巨大な東北、南海地震の規模が起きて3,11、のような巨大な津波が発生したりすれば、太平洋から東京湾に押し寄せた津波は、猛烈な勢いで水かさを上積みしながら、幾多の河川を通じて更に狭地の陸地に追い込まれて内陸に襲っていく。津波の高さは既に五十メートルに及び、押し寄せる海水はほとんどの場所で越堤し周辺のゼロ㍍地帯が水没である。 今やビルの林立で繁栄する都会の状況は、木っ端みじんもなく破壊されて壊滅状態になり、犠牲者も沢山に及ぶ。  こんな将来の懸念すべき状況を、都民は考えているだろうか。

   秋葉原から亀戸までの四つの駅を通過する間、総武線に乗車して直ちに感じたことである。太平洋沿岸はもとより、東京湾沿岸の受ける被害は天文学的数字の結果になる。国土沈没である。中央政府は有事に備え、都市機能の分散化を真剣に考えなくてはいけない。昔から東京都の人口集中を危ぶみ、地方移住政策を唱えてきて久しいが、地方活性化を促す上にも自治体が研鑽して奇抜な政策を独自に発案していかないと、地方の遅滞化がどんどん進んで活性化どころではなくなってしまう。自然災害による被害を最小限度にとどめるためにも、積極的に対策を講じるべきである。安閑としていてもいいけど、現実にそうした災難が目の当たりにするようだと、国土の狭い日本は、田中角栄の日本列島改造論ではないが、国土強靭計画を目指して抜本的に確たる政策を樹立しなければならない。

  日本に起きる水との戦いは、空と海とからの水の攻撃をいかに食い止めるか、如何に災害となさしめないか、将来の安全と安心の暮らしと社会の発展は、偏にそこにかかっていると云っても過言ではない。


洪水に備ふ堤防も大津波海より高く襲ひくるなり

襲い来る豪雨の山より増水し洪水と化す都市の河川は

増水す河川の危険水域を超え越堤と決壊の危機 

大なゐと巨大津波の発生に闘ふ姿勢を常に忘れで

おおなゐと巨大津波に心して国土強靭計画を立て

天下泰平と怖じるなく  

心してこの世の荒き波風を避けて賢き手を打ちて行く

さえずりにうぐひすの鳴く初めとも高鳴きは尚こころもとなし 3月13日

   春眠暁を覚えず

うつらつらしばし起きてもうつらつら春の陽気にうつらつらつら

  「春眠暁を覚えず」は中国の唐の時代の代表的な詩人、孟浩然の「春暁」の冒頭の一節の「春眠不覚暁」の中に詠まれたものである。爾来、多くの人に親しまれ愛唱さまれてきている。「春の夜はとても眠り心地がよく、朝が来たことにも気付かず寝過ごしてしまう」という意味のことを、自然詩人、吟遊詩人の孟浩然はありのままの心境を素朴に詠んでいる。

春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少


酒豪、李白
  
  唐の詩仙として名高い李白の酒好きは、一杯一杯また一杯と詠んで酒悦に慕っていることからして分かるように、一方で孟浩然とかかわりを持つほどに吟遊詩人であった。飲酒という詩の中には酒に酔ってうつらうつら余も上げる吟詠をすらすらと書き写す李白の粋人の様子が浮かんでくる。

おほらかに飲みて歌ひて舞ひしあと名月を愛で歌を詠むかな

   李白は一説にこうも言われている。 「一斗の酒を飲めば百篇の詩が吐き出され、酒場で眠り、天子の召し出しがあっても、自分は酒飲み仙人だとうそぶくと豪語していた。それを引き合いに日本でも川柳に、「李太白一合づつに詩を作り」 、「四日めにあき樽を売る李太白」といって洒落をもじった句がある。謂うところの李白の心境は、即席のところ多く詩を詠じ、流れるままに吐き出されるということで、詩人の確かな一面を物語っている。


    田園楽
  ここに紹介するのは、やはり唐の時代に自然詩人として孟浩然とともに活躍した「王維」の珍しい漢詩に、内容の似通った五言絶句があって、これも優れた自然観照をもとに粋人の域を遺憾なく発揮した詩として有名であり、多くの人々に愛唱されて来ている。


花の香に浸りてうれし夢うつつ朦朧の身に聞くやうぐひす

桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。  

桃の花は、夕べの雨を含んでつややかに一層色あざやかであり
柳は青さを増して、春のかすみにけむっている
花が庭先に散り敷かれているままで用足しの少年は掃き清めとようともしないでいる
うぐいすがしきりに鳴くのに、山荘のあるじはまだ夢うつつである


ざわごとは全て忘却の果てに捨て我は朦朧の春に在るかな

奈良は、若草のもえ出ずるなだらかな傾斜を登っていくと、二月堂の境内の寺のふもとに立ち至る。そこから明るい春の盛りの景色を、霞の中に眺めるのは格別な思いに浸ってくる。

二月堂より明けの空ながむれば狭霧に浮かぶ大仏の寺 3月16日


    陶淵明の帰去来の辞

嫌らしき世のしがらみを絶ち帰る悠然たりし我れがふるさと

騒がしきこの世を発ちてふるさとの山河の里訪ね行くかな

   孟浩然や王維は唐の時代を代表する自然観照の詩人であるが、宋の時代に輩出した「陶淵明」はあまりにも有名である。孟浩然や王維と同じような光景と重ね合わせ、陶淵明が心境を詠んだ詩に「帰去来の辞」がある。役人生活をやめて世のしがらみから抜け出した彼は、生まれ故郷の生家に移っていった。こんな僻地に何で好んで帰らんとするやという友人も居ったが、すでに心は雄大に溢れ、悠久の天地の狭間に在って、何と言葉にも表せられないくらいの清澄な心境であると、感嘆の辞を述べている。
  
  この漢詩であるが、高等学院の漢文の授業で、船津富彦先生の清楚で漢人そっくりの風貌に、陶淵明のこの「帰去来の辞」を朗々と朗読する様子は、今もって忘れない印象だが、あの時以来、早熟だが小生も暗記してその心境を味わっている次第である。志高くして世に出でんとする青雲の気横溢し、跳躍躍如たる少年時代に、世俗に疲労困憊の体で隠遁の情まさに身に詰まされる陶淵明の心情を知る由もなく、相通じるはずもないが、一首に詠まれる花鳥風月につながる光景描写の妙に魅かれたものである。其の後に至り船津先生によく似た風貌の人と出会うのであるが、そのたびに颯爽とされていた船津先生はどうされたであろうかと、懐かしく追憶の情に浸ることしばしばである。

結盧在人境、而無車馬喧、問君何能爾、心遠地自偏、采菊東籬下、悠然見南山

山気日夕佳、飛鳥相与還、此中有真意、欲弁已忘言 

  

蘆を結んで人境に在あり

而しかも車馬の喧かしましき無し

君に問ふ何ぞ能く爾かると

心遠くして地自おのずから偏なればなり

菊を采とる東籬の下もと

悠然として南山を見る

山気 日夕佳かなり

飛鳥相ひともに還へる

此のうちに真意有り

弁ぜんと欲すれば已に言を忘る
    3月18日

    盆栽

  BSテレビのチャンネルを回していたら、「さいたま市の盆栽美術館を訪ねて」という知らせが目に留まった。そのままつけっぱなしにしていたら、いつの間にか盆栽の魅力的な症例に惹かれて最後まで見てしまった。ついでに家内まで呼び込んで身の丈にもいかない樹木の、鉢植えになって見事に完成された枝ぶりの美しさを堪能したのである。盆栽師匠の手入れの巧みさもさることながら、幹や枝を柔軟に従わせ身を預けて人の心を演出できる樹木に、不思議な神の宿りすら感じたくらいに、驚愕の思いであった。

  何年かかるか知らないが、木のもとの姿を形どり自由に枝を伸ばし終えるまでに相当の手入れが必要だろうと思うが、見事な造形美を完成させた後の姿は、真、善、美の極致を体現するに等しいものを感じたのである。仏師の彫師が、少年、阿修羅を彫り上げたような感触である。さいたま美術館で鑑賞した古木は千年の歳月を経てきている圧巻であるが、その名を「轟」と命名していた。どのように保存されてきたものか、それすら謎であるが、霊気漂う神秘的雰囲気の、正真正銘の大・盆栽であった。一度観覧しに現地を訪ねたいと、家内と語っていたところである。

  ご近所で懇意にしている三井家では、ご主人が盆栽を趣味として造詣深く三十鉢のさつきと松の盆栽を置いて手入れに余念がない。散歩の帰りとか通勤途中に立ち寄って留守中にも勝手に庭に入り鑑賞してきたりしている。多少の知識を得て盆栽に興味を深めてきているが、手入れが大変だということが分かってきている。花の時期に鑑賞用として下手にあずかったりすると手入れを怠り枯らしてしまう心配があって、余ほどのまめな人でないと盆栽を置くことは不適である。生きものを飼うのと一緒で、余裕を持った愛情が必要である。盆栽に対する三井さんの日頃の姿勢からわかることが沢山あって、簡単に済ませられることでもないことも解ってきている。盆栽に対する知識と深い愛情が必要である。手入れの時期も決まっており、花の咲く前の枝の剪定、花の咲き終わった後の手入れ、鉢の土の入れ替え、堅くなった根をほぐす根払いなど、そのほかの色々な丹念な世話や手入れが必要である。横着だったり、小生のように仕事を持ったりしている人には不向きに違いない。

盆栽に樹齢千年の蝦夷松の幹は勇壮に松は清爽

千年の齢を今に老松の宇宙の真理を全て包みて

千年の松に威厳を醸しつつ尚千年の先を暗示す

盆栽の名匠の手に育まれ人の何十倍もの命灯せり

根を抓めて樹齢千年の古木植ふ生気に充つる松の青さよ

「轟き」てふ名の盆栽の蝦夷松のよわい千年の風格あらん

丹念に名匠の手を煩はし生きる力の「轟き」の松

美しさ力強さの如実にて比類なき身の鉢の「轟」

老骨をあらはに示し「轟き」の幹の太さにしなやかな枝は             3月22日

    テレ東の番組の枠の変更

  テレ東にとっては40年振りの番組の枠組みの変更になるらしいが、伝統的なWBS,通称ワールド・ビジネス・サテライトが従来の23時開始が一時間繰り上がって22時から開始されることが知らされた。この4月1日付けであらなにスタートすることになった。独自の路線を進んで独特な味を発揮して多彩な娯楽性を有し、知識層の支持を集めているテレ東であるが、テレ東の専門領域は、何といっても経済ニュースである。日本経済新聞がバックに控えている関係で、その分野での適格性、迅速性はもとより、専門とするニュースヴァリューは他局の追随を許さぬものがある。ちなみに古い話になるが、東京都知事の小池百合子さんは、WBSのニュース客たーを努めて大成して今日の活躍している姿は周知のとおりである。

  そのWBSが一時間繰り上がって午後10時から始まるということは小生ばかりでなく多くの視聴者にとっても好都合と受け止めてられている。午後7時から始まって10時までは視聴率の高い時間帯であって、しかも高度な視聴率の支持を得たニュース番組がこの時間帯に集中しているからである。小生のことを以ていうならば、7時のNHKニュースを見ると8時に終わるが、続いてBSテレビにチャンネルを切って8時からのニュースを見る。9時からは当然のことながらNHKのニュース9を見ると後は10時から始まるテレビ朝日の報道ステーションである。これが終わるとテレビ東京のWBSを見ないと一日の経済ニュースと明日の関連ニュースが頭に入らないことになる。ニューヨークの株式市場の動向を察し、明日の仕事に備えてベットに着くというのが定番である。未だに世になかの事から離れて暮らすことが出来ない状態だから、せめて無難な職場をこなすためには、最低限の知識と心の準備を備えていかないと一日が終わらない状況だから、宿命とあきらめて続けてきている。

無論、その間の休憩的な時間は十分整えての事であり、そうでないと息が詰まって憩う時間すらなくなってしまっては元も子もないというべきか。常に、余裕を持った時間の過ごし方を考えての行動である。家内に云わせるとテレビを見ているのかと思っているといつの間にか居眠りをして白河夜船の時が随分と在るやに聞いている。しかし負け惜しみではないが、肝心なところはちゃんと心にとどめているから、長年の訓練でもある。コロナ禍でこの一年半のうちに個人的なことも含めて世の中の生活の仕方が逆転するようなスピードで変化してきている証拠である。事情によって、いろいろなところで変化を余儀なくされてきている。コロナでつぶれる事業は沢山出てくるに違いない。町中を歩ていて気が付くことはいつの間にか店じまいする小売店が出てきていることだ。街の活性化どころではない。

   22時に繰り上がったテレ東のWBSを見るには、証左詠の場合は4月からは今まで見てきたテレ朝の報道ステーションをあきらめるしかない。報道ステーションは最近月並みなものになってきてしまい、通常のニュース番組を重ねて幾度も見聞きしている感覚であるから、二者択一を迫まられるとすると小生の場合はテレ東を選ぶことになる。今まで、テレ東のWBSの開始時間はちょっと遅すぎたきらいがあった。多くの人たちはそろそろ床に就く時間である。12時を過ぎたりすると人間は元々備わった生理現象で、睡眠に入る時刻でありそれを逃すと調子が狂わされて、体に大きく差しさわりが出てくるものである。これは病理学的に実証済みである。

  新規に生まれ変わるテレ東のWBSは、コロナによって世の中の仕組みが激変するのと同じように、時代的な大変革を画した勇断だとみて差し支えあるまい。中興の祖と云われた日本経済新聞の社長していた萬さんが居たら、どのような方針を打ち立てたであろうか。親父に代わっていろいろと叱咤激励してくださったかずかずの思い出を振り返り、懐かしさがこみあげてくるこの頃である。ご子息、お嬢さんもどうしているだろうかな。達者で過ごしていることを念じている。萬さんの健在な時にはまだテレビ事業には実質立ち上がっていなかった時代だから、何とも言えないが、報道事業として大きな役割を占めてきている今日を見て、何と判断し、大きな一手を打って出ているか知りたいものである。 テレビ事業もネット社会の拡大で大きく変革を求められている。それゆえに先見の明を持つ萬さんの力量才覚の発揮を実は期待したいところなのである。 

萬氏を偲び話題を交はす身の人の心は斯くもあるべし

大人の風格になほ素朴なる気概も貴し富士やまのごと

今居らば萬社長の大人の風格に寄り我は如何にも

日経の中興の祖とも呼ばはれし後に大軒、円城寺らが

荻原てふ専務は豪傑の風格にされど優しきもてなしを受く

周恩来、石橋湛山にも見習ひて政治家への夢抱く我なり

苦労せるてて母を見て報はんと励む少年の日のいまだ達者に

茅場町より大手町に日経の本社移築に近代化の道

日経の今の礎を築く氏の名前の如くよろずよの世に

さっそうと銀座通りをかっ歩するダブル背広にドイツボックス

良き人は次々と去る寂しさに無情の世とはよくぞ云ひける

我を指し逃がした魚は大なりと世に出でしのち常に口にす

天空を仰ぐ夜空の星々のきらめく果てに神のまします

いざゆかむと立ち思い立ちけり将来の道こそ夢と希望に在らん

この年になほ将来に望み得て余は三十八才と決めて掛かれり

大人の言葉少なく知を内に秘めてみなぎる力知るなり

結婚の祝賀は帝国ホテルにて三百余人の人ら招きぬ

仲人の日経新聞社長にて萬ご夫妻に紹介の辞を

仲人は日経新聞社長にて朝早くより見えて下さる

満開の桜の花に包まれて華やぐ祝賀の宴のめでたき

あの時は旧帝国ホテルにて解体近き頃の春の日

婚礼の式は帝国ホテルにて解体前のゆかし旧館

フランク・ライト・ロイドの古典感覚を帝国ホテル旧館に見ぬ

旧館はロイド設計になるものと古典感覚のゆかしきを今

木造ののきしむ廊下をそろりそろ花嫁姿の妻が笑みて来

陽子てふ乙女が我にほほえみてマリアの胸にすがる心地す

仲人に立てる萬ご夫妻に思い出多く語り尽きせじ

新幹線ホームに立ちて笑み返す妹子のマリアの如くありけり

日経の萬社長のご夫妻の我ら二人の見送り給ふ

信を置き親しく接す萬氏に恩に報ひしと精を出す我

上原の屋敷を訪ねご夫妻としばし夕餉の席に過ごせり

思ひ出の篤く心に浮かび来て萬夫妻とたびたびの席

今は亡き萬夫妻の暖かき心に接しかへりみるかな

古への奈良の都の五重の塔桜咲く日の青き空かな

春盛る奈良の都に訪ね来てほとけの笑みに会へて嬉しき

観世音菩薩にまみへ人の世のすさぶる風に想ふ時かも

安き得て仰ぐみやこの中空に高くそびゆる薬師寺の塔

菜の花の咲く野辺の畔行く先に法起寺の塔うららかに建つ

法起寺の三重に重なる高き塔なのはな畑にかすみ立つなり

竹垣を越えて訪ね来この寺の幼きみこはいずく居りしや       3月23日


険悪を極めるミャンマー国軍の市民弾圧

  2月1日にミャンマーでクーデターを起こした国軍が、その後において連日のようにデモ制圧を続ける姿勢を示してきて事態は険悪の様相である。デモを繰り返す市民に対し国軍はなりふり構わず、全権掌握の既成事実づくりを頑なに進めつつある。一方で、民主化勢力は「臨時政府」を立ち上げ、統治の正統性を主張して対立に拍車がかかっている。現状から判断するかぎり、ミャンマーの混乱状態が長期化しつつあるなかで、隣国、中国の姿勢が注目されつつある中国の一帯一路政策を進めるルートに、ミャンマーの地政学的位置づけは極めて重要であり、国内の混乱に乗じて画策を図っているという見方も出てきている。

  一方、バイデン政権は、ミャンマーでの国軍の正当化は許されないし、市民に対する弾圧を厳しく非難して新たに強力な制裁措置を準備している。

 ミャンマーを重視する中国側は、国軍に対する関与を否定しているが、これは俄か信じがたい。ミャンマー市民が神経を尖らせている理由の一つに、中国のミャンマーの強力な進出と関係を警戒している。3月11日、ヤンゴンで国軍のクーデターに抗議する数百人のデモ隊が中国大使館に対する抗議活動を行った。中国製品の不買運動を呼びかける声も上がっていた。竿う舌最中にも先の14日、ヤンゴンにある複数の中国系の工場が何者かの襲撃を受け、多くの中国人従業員が怪我をするという事案も発生している。

 ミャンマーは中国にとって手放すことが出来ない要衝の地である。中国はミャンマーが民主化プロセスを進める中、同国のインフラ整備などに総額1000億ドルの巨額の資金を投じてきている。「一帯一路」の物流ルートとして「中国・ミャンマー経済回廊」の建設を進めている。これが完成すれば中国は内陸部からインド洋に抜ける大動脈と、海洋進出の強力な足がかりを得ることになる。

  知人の商社マンの話によると、原油・天然ガス輸送におけるマラッカ海峡の依存度を低下させるために、ミャンマーのチャウピュー港から中国雲南省につながる原油・天然ガスパイプラインも整備してきたが、クーデターによる政情不安が、中国の「虎の子」である資産にとって脅威になるとの懸念を強めているとのことである。

 商社マンの一説によれば、中国はアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD)政権との関係は良好だったことが裏目に出てこれを警戒し、国軍は「NLDが中国と近すぎる」として中国との関係を修正しようとしてクーデターに踏み切ったというわけである。

 中国は国軍に対しても軍事協力を提案してきたが、国軍は中国と協力しながらもその影響力拡大に対する警戒を怠ることはなかった。中国は海洋輸送路確保に向けた「真珠の首飾り戦略」の一環として、ミャンマーの主要な港湾に海軍の駐留を望んできたが、ミャンマー軍は外国軍の駐留を禁止した憲法を盾にこれを拒否してきた経緯がある。

欧米諸国と中国の対立激化は、事ミャンマーに関しては、一概に国軍を非難するわけにもいかない裏の事情があるようだし、さりとて国軍の弾圧的独裁志向を看過するわけにもいかない複雑な事情が見て取れる気がする。さりながらミャンマー国軍の自国民のデモ隊に対する容赦なき銃撃は、鬼畜蛮族の行為にも劣るものであり、野蛮性を糾弾した厳しい法の裁きがあってしかるべきである。国連決議もあることだし、この時こそ実力行使の国連軍を立ち上げて現地に派遣し、治安維持と難民救済に即刻行動を起こすべきである。北朝鮮に向ける大7艦隊のかじを大きく切ってミャンマー軍に圧力をかけることも空想ではない。バイデンのミャンマー軍への制裁が、犬の遠吠えに終わってはならない。.    

即ち、平和的外交をかかげる中国と、片やアメリカが、地球温暖化対策では足並みをそろえるわけだから、況や社会主義民主制と資本主義民主制を唱える両国が、ことは、標榜する民主化のことゆえ、米・中艦隊が共同してミャンマー沖を通過しミャンマー国軍に圧力を加える大作戦に踏み切れば、南太平洋の自由航行作戦につながって、中国の一方的海域支配を阻止することにもつながっていくだろう。両国の狭間に在る日本が、両国を使って、南太平洋の自由航行作戦の展開を提案してみたらどうかな。 2プラス2が提案するとよい。 夢みたいな話であるが、そこを標榜して交渉していく余地を作っていくことは、心理的に重要である。すべてのドアを締め切ってしまうのではなく、米中の間に隙間風を通しておくことが大切である。

東南アジアでの政治的的安定が確保されないと、日本を含めたこの地域に新たな火種がいつ発火するかわからない。軍事的圧力を強める中国の台湾政策も微妙だし、ミャンマーの政治的混乱が長引けば中国の出方も懸念されるし、第二のシリア、イエーメンになりかねない。ミャンマーの今回の軍事行動を見ても、軍人の知的レベルの後進性は明らかである。軍がデモ隊に対して銃砲を向け、既に500人以上の死者を出している。野蛮的行動は断じて許されない。もとより国民の政治的意識が乏しい故に、スー・チー女史に期待して体制の民主化を急ぐといたずらに混迷を招きかねない。 当面はスーチー氏の拘束からの解放を目指し、軍政府に圧力をかて政治から手を引かせ、新し新しく樹立させた新党に合流を測ることである。  

バイデンが大統領に就任して早や3か月が経過するが、経過日数に比例するが如くに米・中対立の火花が交わされている。米中間の覇権争いは民主主義か専制主義かの二者択一を求めている。そうした問題は貿易をはじめとして、科学技術の競争的関係をはじめとして、外交的には香港での体制維持を図る中国は、自自国内の体制秩序の維持はもとより、新疆ウィグル族に対する弾圧や、香港市民の政治的締め付けに躍起となっているし、台湾は中国領土の一部であると主張して譲らない姿勢である。南支那海、南太平洋の海洋進出を図る中国を上手に抑えていくには、米国の熾烈な中国体制の批判を段階的に緩めて、抱き込んでいくような包容力がないといけないし、米国にそうした自信がないと、これも又一つの懸念材料である。中国の4000年の歴史と、14億からの国民を擁して経済発展を考えている中国は、アメリカとは違った時代的背景と考え方が定着して、梃でも動かせない鉄則みたいなものがあるからである。概念的にとらえれば、東洋的思想と、西洋的思想の対照的な対応と対立である。 

この7月には、中国は中国共産党創立百周年を控えている。聞くところによると、記念祝典には軍事パレードを行わないことにしているらしい。中国が、欧米諸国をいたずらに煽ることを避けているきらいがある。大人の風格然としたところがあるにや、近ごろの習近平が、いつも無言、沈黙の写真が多いような感じがする。天気晴朗にして波静か、と云った風景をバックにした表情である。いたずらに期待的想像をたくましく広げてみたが、習近平とお会いしてじっくり話し合ってみたいと、1984年5月4日に中国を訪問し、折からの北京大会堂で旺陽鄭副主席と会談した時の模様を、写真を見ながらふと脳裏に思い浮かべたのである。日中友好使節団を組んで北京を訪ねたのは、田中角栄が日中国交回復に中国へ渡った時から4年後のことであった。 3月28日

コロナ感染第4波か

  感染拡大が止まぬ日本列島の憂慮すべき状況である。一都4県の緊急事態宣言が解除されてから、感染の波が都市部から地方都市に伝播しつつある。東京都の感染者の高止まりを早くから警戒していた小池都知事であるが、このところの感染の下げ止まりと、上向き傾向の感染状況に懸念して、都民の安全安心の生活について憂慮して表情もこわばった感じである。内憂外患の菅さんも、夜更かしした酒飲みのふざけた厚生労働省の役人には辟易の体である。気の毒に、役人の下衆な仕業に国民の顰蹙を買っては、総理が頭を下げて謝ってばかりいる。このところ緊急事態宣言が解除されたからと云って、一気に街なかや観光地に人出が膨らんで、市井の人の気持ちは自制するどころではない。折からの堤の桜の花は満開で、陽気になって人出を誘うには絶好の日和である。

  目黒川の桜を見ようとする人たちで、地下鉄の日比谷線中目黒駅のホームは、平日と云いながらこのところの在宅勤務、テレワークに飽きた人たちでごった返すありさまである。最もあの華やかな桜の絢爛たるさまを眺めては、家に閉じこもっている方がおかしいかもしれない。風雅を趣味として誇るつもりはないが、春宵一刻値千金で、粋人たらずとも緑酒を飲んで浮かれたくなるのが人情である。

  今日は会社でいえば多くが決算の締めをする最終日であり、大晦日に当たる。コロナ禍で需要が落ち込み多くの企業が辛酸をなめて苦戦しているが、国も自治体も企業救済の為の膨大な支出で、財政的に苦行を強いられている。この先コロナ感染状況の終息が先延ばしになると、国も自治体も、企業も家計も、相当な苦境に追い込まれていくことは如実である。何としても三密を避けて、コロナ予防対策を徹底的に実行しなければ窮状を打開することはむつかしいことになる。

  速報として午後3時現在、拡大傾向にある大阪府の関係者によると、大阪府では今日3月31日に新たに590人前後の新型コロナウイルスの感染が確認されたという。大阪府で500人以上の感染が確認されるのは1月23日以来である。感染が確認されたのは10歳未満から90代の414人で、先週の水曜日から5人減った。前週の同じ曜日を下回るのは12日ぶり。直近7日間の1日あたりの平均は360,7人で、前週(309,7人)の116,5%となり、増加傾向は依然として続いている。

 又、東京都によると、31日に都が確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は414人だった。大阪府の方が東京都より逆転して多く、この先大阪は更に予断を許さない状況である。小池都知事は昨日の記者会見で、宮城県の動向が危険だとする意見も述べていた。都市の仙台市の感染状況は確かに懸念される動きである。こうした状況が日本全国で、これから沢山出てくる可能性が大である故、一日も早くコロナワクチンの全国的接種と、治療薬の開発を期待しながら、引き続き警戒態勢で対応しなければなるまい。
     
  空を見上げると、真っ青な空がさんさんと輝いて、健康的な初夏の兆しである。中国は、ゴビ砂漠から延々と飛来してくる黄砂が例年より深刻に観測されたが、いい塩梅に吹き飛んで言った感じである。スエズ運河で座礁した大型貨物船が、一週間目に離礁に成功したという朗報も入ってきた。日本の船籍だが、これが原因で世界経済が混乱に陥るところだったが、大潮の力を借りて無事に難関を突破出来て幸いなことであった。自然の力の偉大なことも関知し得た。悪いこともあれば、良いことだってあるのが世の中である。 今日は早めに会社を出て、人混みを避けて帰宅しようと思っている。 午後4時半を過ぎているが、空を見上げるとお昼前後の感じすらある。地下鉄日比谷線は中目黒駅で東横線に乗り換えて自由が丘駅までい行くが、丁度車内からも、駅のホームからも、目黒川岸辺の爛漫の桜並木を眺めることが出来る。ちょっとしたお洒落な観桜だが、人手を避けて花を見ながら帰ることにする。        31月31日



社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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