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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2018年12月12日 RSS ATOM

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理事長室より

VOL.18.12

G20の開催と保護主義旋風

   米中の貿易摩擦が熾烈を極める中で開催された、G20である。成り行きが注目されたが、米中が火花を散らすことは回避できた。会議の趣旨、目的から逸脱し、多国間交渉など目もくれない会議であった。国際会議と云うのは名目だけで、会議が専ら二国間の会談に終始し、アメリカを巡る貿易交渉が焦点であって、その他はその間隙をぬって漁夫の利を得ようとする姑息な連中ばかりと思われた。G20の将来的発展と存在意義が問われる結果となった。ゆゆしき問題である。

   アメリカは中国に対する追加関税を先送りする形で、貿易戦争の一休止を図った形である。そして予定していた対中国制裁関税の措置を当面見送り、90日を期限に焦眉の知的財産権の侵害に対する対抗措置の発動を予定して、追加措置を決めると云う、発動を一時的に見送ると云う妥協案で矛を収めた。中国はその間、大豆などの農産物の輸入を図ると云った措置を提供したもようである。結果は薄氷を踏む思いの合意内容である。

   会議の要である大切な「反保護主義」の文言すら織り込めぬ体面を汚すものとなった。こんなG20ならやらなくても良かったかもしれないが、この機会を利用して米中首脳の両者が会談するきっかけも作れたわけで良しとしなければなるまい。要は、関係各国が集まって話し合いの時間を持つことが肝心なことかもしれない。昔なら即、ドンパチの銃砲を放つ戦争になっているだろうし、帝国主義的侵略戦争が公然と開始されているに違いない。国際間の結束の緩急はあっても、結束する糸目がついていれば、そうした事態は回避できるわけである。トランプの過激な行動に対し、受け身に立つ中国の自制が功を奏して会議の混乱を招かずに済んだ。中国も時間稼ぎで次の妥協点を探る事だろう。今回は、かろうじて開催国の議長が宣言文を発表して閉幕することが出来た。APECの二の舞いを演じずに済んだ。

   ところでG20が開かれたのは、12月1日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスである。因縁とはいえ、そもそも膨大な債務国であり破たん寸前の、アルゼンチンで開かれた国際会議の舞台である。会議の運営すら危ぶまれていたがゆえに、世界の首脳たちが良くぞ集まったものだと思っている。日本の安倍さんはもちろんトランプ、習近平、マクロン、メルケル、プーチンらの出席は無論であった。特に前向きに目立った成果は、日米に加えてインドとの三か国連携の動きであった。南太平洋に進出を企てる中国をけん制する意図がある。軍事拠点化を図る中国の行動については、多くの懸念を孕んでいる。
   来年の議長国を務めるのは日本である。開催して、日本への橋渡しが出来ただけでもいいと云わねばならない。自由で公正な世界経済の枠組みを標榜する日本にとって、いわば試金石ともなる重要な地ならしである。トランプの暴走はまだまだ続くことだし、少しでもそうした影響を蒙ることがないよう、このところの日本の役割が必要だし、世界の各国がそれを希望しているところである。先刻開かれたアジア太平洋経済協力会議、APECでは、米中の意見対立で首脳宣言すら出せない醜態を演じてしまった。この轍は何とでも避けたいところであった。

   G20が結成されたのは2008年である。リーマン破綻の結果、世界を襲った金融危機に対処するため、日米欧を始めとして中国などの新興国が力を合わせ、結束して解決に乗り出すために作られたものである。国際協調とグローバリズムにのっとって、世界経済の均衡と貿易の自由を求めたものであった。今回、皮肉にもそうした思潮を無視した保護主義的の台頭と、関税の引き上げを武器にした貿易戦争のさなかに開く、未経験の国際会議となった。しかも貿易戦争の当事国は、世界経済をけん引していくはずの二大経済大国の、米国と中国である。トランプ大統領の出現によって強烈な保護貿易を掲げる経済、貿易政策によって中国との間で熾烈な関税の引き上げの合戦の応酬が続いているさなかである。世界経済の減速が予測され始めている。そのつけは当然のことながら、アメリカ経済に暗い影を残していく要因である。世界の各国があらぬ悪影響をきたしている現状である。

   当事国の米、中の国内経済にも既に大きな影響をそれぞれに及ぼしつつある。目前の利益に目を奪われている欲張りり爺、もうろく爺と思って諦めていたが、最近になってようやくそうした国内の事態に気が付き始めた様である。しかし貿易戦争は、米中の間だけにとどまらず、大きく世界に影響を持ち続けていくに違いない。以前にも述べたように、企業は自己防衛を以て身構えていく必要が続いている。アメリカは、放った矢が自分に返ってきた次第を尊国に受けとめるまでには、もっと自国の傷に気づく時間が必要となるかもしれない。アメリカに今静かに迫ってきているものがある。
憂慮するのは最近続ける乱高下と、ここ四、五日のニューヨーク株式市場の急落である。世界経済の将来的な不穏な兆候と、アメリカ経済の跳ね返りを意味して心配である。おごり高ぶる、保護主義的な動向に対する警鐘と受け止めるべきだ。知、情、意に豊かに配慮する日本の、一段の勇気と努力が世界に試されるであろう。アメリカが良識を取り戻し、中国があらぬ野望を抱かなくなるまでに。そして美しい自由の女神が慨嘆、激高し、自壊しないように気を付けてもらいたいものだ。     続  12月4日


朋友、高木新二郎君

朋友の高木新二郎君は急性心不全である日、突然にこの世を去った。それについて彼からも話はなかったし、こちらからも話す機会がなかった。中学時代から今日まで何十年と連れ添ってきた友達である。何か一言ぐらい言い残して行ってもいいのではないかと、例えば、さよなら位と、思うくらいに不思議な思いに漬かっている。近頃になって彼の死ということに就いてようやく分かってきたようになった。自分自身を説得し、納得させるのにかなりの時間と云い訳を要したことになる。実のところ、彼とは話が通じなくなってしまったし、立ち話はおろか相談すらできなくなってしまったと、しかもこれから先いちどたりとも、そうした現実はかなえられなくなってしまったということである。何とも云いようのない現実である。
   くどいようだが、今となっては彼の存在は無であり、空であり、そう思うと余りにもむなしい心情がこみあげてきて、何とも言いようのない虚無感に苛まれてくる。彼の存在がそのようになって仕舞ったことは、僕と彼との関係も同じように途切れてしまったことになる。朦朧としたもので、この感情は幸いにも、不思議なくらい静寂に包まれている。しかも透明な思惟の世界である。

   中学を一緒に卒業して、彼は高等学院に入学した直後から空白時代が生じたが、それは十五年の長きに及ぶものであって、まさに謎の生活であった。曖昧とは云わないが彼なりに努力して、信念をもやし続けた期間であったに違いない。最近では冗談を交えながら人前で、ある程度までは謎の部分を語るようになってきた。小生には、核心部分について話していたことではある。三十歳になって弁護士の資格を得、弁護士を以て生計をたててきた。その十五年の空白を埋めるかのように、小生は付き合いながら、高木と、旧友の内山君らの三人は機会を捕まえては一心同体になって遊びこけたものであった。長じるにおよび弁護士として、金の儲かる民事専門の大型倒産事件にかかわるようになって名声を博するに至った。その後、努力研鑽が功を奏して、弁護士任官の第一号として東京地裁の判事になった。山形地方裁判所長官に赴任し、新潟のそれも務めてから東京高裁の判事になった。
   独学の彼の、学者としての実力もあったと大いに評価している。アメリカで名誉あるトリプルアイ賞を受賞した記念として、東大の中にある民事紛争処理解決研究所の中に、高木新二郎賞が設けられた。朋友の江崎一郎君がいたが、浪人中の高木の面倒を見てやってきたと、まことしやかに述べていたが、まんざら嘘でもない。気性の優しい友達の一人であったが、大言壮語の際立つものがあった。高木によると、世話になったことは事実のようだ。但し、話の十分の一ぐらいに聞いて置けば間違いないだろうとさえ言っていたから面白い。その江崎とも親友であったが、十年前に急逝した。彼が云うには、高木のとったトリプルアイ賞は、ノーベル賞級の権威のあるものだと、自分のことのように自慢していた。
   高木君はもとより基金の提供をしたが、小生も彼を支援して基金の一部を拠出した。学者、判事、弁護士や学徒諸君に懸賞論文の賞金を与えるものである。最初の授与式には、会場の如水館に誘われていった。百人ほどの人たちが参加していたが、彼は錚々たる学者たちが一堂に会しているよと云った具合であった。彼自身は法学博士の称号をもらっているが、東大とか中央大学ではなく、教授を務めていた獨協大学からであった。もとより東京大学や中央大学から称号を得た内容以上に、彼の実社会での功績を見れば、これを凌駕するものだと思っている。トリプルアイ高木賞は、法曹界において優秀な研究の論文を発表して、その成果をもとに立派な諸君たちを世に送り出す手助けである。この意義ある行事は、これからも延々と続いて行ってもらいたいと思っている。

高裁判事を退官後は、バブル期に発生した不良債権処理を目的に作られた産業再生機構の理事長を務め、その大役も見事に果し終えてた。その後、野村証券の顧問を務めたりしたあと、二年前から専らフリーの立場で公共性の高い仕事をしていた。そうした時に突然襲った病魔である。あっという間に黄泉に旅立って行ってしまった。 こうしてみると彼の一生は文字通り孤軍奮闘、無から有と云うべく、その間立派な業績を沢山残して行ったがゆえに、諸行無情の思いが一層悲愴感を以て身に迫ってくるのである。      12月5日

ひきがえる

   拙宅の庭に蟇蛙が住みついたのは、いつの頃だったかはっきりした記憶がないが、家を普請した時以来と思っている。というのも、この周辺は昔から農家を経営する人が大方で、未だに昔からの雰囲気がたっぷり残っていて、のどかな生活を味わってきていることは幸せである。その余韻が静かで素晴らしく情緒に富んでいるので、田舎に住んでいるような気分である。ひき蛙が住んでいるのも田舎生活の余韻が温存されている証拠である。ある日ある時、裏の小池さん宅で納屋を改築する工事があったが、その時、大きな庭石の上にひきが一匹あぐらをかいて目をきょろきょろさせていた。土の中で眠っていたひきが、驚いて飛び起きて出てきて仕舞ったのだろう。工事をしている人工は無愛想にしていたから、早晩、ひきが傷を負っては可愛想に思ったので、そっとひきを掴んで茗荷の生えている土の中に埋めてやった。安心して、きっと眠りに就けただろう。

   ひきも周辺の住宅開発の影響で、樹林や草地の破壊が進んで住みづらくなってきているのは確かである。昔に比べると、大きな屋敷や農地がどんどん消滅してきている。相続が発生したりすると、そうした土地の処分が加速されるのはやむを得ない。しかし、都市の環境面からすると、もう少し行政が関与して、土地の自然確保と、保存方法を考えていく時期に来てる。山に蛍がいなくなってきてしまったように、都会でも日常親しくしていた生き物が絶えて行ってしまうことは、何とも侘しい気がして切る。いっそのこと、田舎に居を構えて来たいと思うくらいである。拙宅では、僅かばかりの畑を庭に作って耕しているが、ひきは、そこの主人を見守って住みついていることに違いない。ひきもわが家の住人である。今年になって寂しく思っていたひきが、束の間の温かい雨、風に何を間違えたのか、ひきが寝ぼけた顔で庭に出てきていた。いっときながら、愛嬌のある仕草を、いとおしく眺めていた。    12月初め

いづこにてこの拙宅の庭うちに住みて居はせし蟇の若殿

ひとり身の蟇殿なればうやうやし扱ひ候趣きに在り

台風の雨激しくも打ち叩く庭の芝生の中に坐す蟇

刈り終えて雨打ちたたく庭芝に出たち蟇の気持ち良さそな

蟇のつら真面目に見えて坐りける広き芝生の青きまなかに

めづらしく主役の蟇のいでまして庭のまなかにあぐらかきをり

この年に始めてお目に掛かりたる蟇殿若君なれば構へり

台風の二十四号の荒れまくる夜に蟇殿のまかり出でます

あたゝかき南の風と雨に触れのっそり出でます蟇の若君

親しげに我に向ひて出で候蟇にて在れば出迎へにけり

何気なく慎ましくある蟇殿に久しく挨拶致し候

若君に南より吹く台風の雨にてあればしきり浴びをり

大型の台風二十四号を案じて蟇の罷り出でます

拙宅の庭に住みつき事あらば太刀もち出でる蟇にて候

げに惜しきあらしのあとに五つ六つ落ちたる次郎柿のまろき実

雨風の激しさに負け地に落ちる大きなまろき柿の実あはれ

ひとゝきの姿を見せし蟇なれば今宵いずこに隠れ候

あたゝかき南の風の雨なれば好みて出でしいとし蟇かな

ダニエルが遊びに来たるその昔、十匹程の蟇が住みをり

雨ごとにあまたの蟇がまかり出て並び揃えばさしもにぎはし

ひき二匹住みて主にことあらばいざ鎌倉に飛び跳ねて候

宅庭にひきの一座が住みつきて月夜に出でて揃い踏みせり

牡丹の華やぎ咲きてわら傘に身構へをるはひきの君かな

頼もしく立ち舞ふあとと思へかし納得を得てあぐらかく君

かみなりを太鼓とつつみに仕立て飛ぶひきの一座の楽しかりけり

夕立のあとの雫に濡れているひきの一座が月に遊ぶ夜

      黒潮、親潮  生きている海

太平洋海原に二大潮流のうねりてうまし大和まほろば

南より発つ黒潮と北に発つ親潮の会ふ海原近し

黒潮と親潮の二大潮流の我がまほろばを支ふ海ばら

岬より眺むる二大潮流の海は息して生きて居るなり

地球上大気の如く海流も地球を巡り動き居るなり

南北をつなぐ親潮くろしほの海の豊かな幸を運び来

海洋国日本の名高き水産業いにしえに継ぐ歴史見るかな

知床の岬に立ちて国後の影に広ごる海の幸かな

知床の羅臼こんぶの海底に繁る宝庫のたぐひなきかな

親潮に乗り来るさんまの大群に湧き立つ北の魚場のみなとよ

親潮に群れなし寄せる大群のさんまの影に揺るる海かな

親潮の流れに置きし定置網中に銀鱗の鮭の群れなり

親潮の迂回に育つ北海の羅臼の海に帰る鮭かな

透明の海流太く北海の岬を巡り親潮のかげ

親潮も黒潮も又両極に日本のヘリを流れゆくなり

海底はあまた類ひの生き物の生息の場と思ひ知るなり

この国の海の紹介にまかり出る宇宙飛行士の毛利氏が何故

宇宙より海底にこそ謎多く興味津々と語る毛利氏

知床の海を遡上の鮭の群れ銀鱗光る河の高潮

知床の岬近くを迂回して鮭の銀鱗眺む漁師らよ

日本の太平洋の海底は海流ゆえに育つ森林

南方の海原に発つ黒潮の太き潮流は銚子沖へと

大陸の河川の土砂を遮断する役を演じる黒潮の帯

黒潮は幅百キロに六キロの深さの規模で海原を行く

黒潮の大河に沿ひて広々と育つ珊瑚の美しき群れ

黒潮の波頭高き海原の満月の影ゆらぐなべてに

もくもくと沈黙のあと黒潮の大河の如く行く月の下

さまざまに泳ぐ魚の群れに酔ひ竜宮へとゆく海亀につき

悠然としなやかに行く海亀のサンゴの森を幻のごと

絢爛の色彩豊かなサンゴ礁その上を行く海亀の影

海底の大きな森を大らかに豊かに守る黒潮の帯


人は皆生れし時より死ぬるとき定まり居れば止むを得ざるに

生きる間も定まり居れば自由自在身を尽くしてや悔いなきあらむ

死ぬるとき若し知りたれば人は皆生き行く術もなく死に至りけり

死ぬるとき知らぬがゆえに人は皆はげみて勤め果し行くべし

不如帰浪子が嘆く人は何故死ぬのでしょうとさもありぬべし

人は皆おのれながらに生くべしと思ひつ先を進み行くなり

悠久の星の大河を仰ぎみてわれが心も限りなく在り

我が思惟の及ぶ宇宙のその先の間に立つ神に我は逢ふとも

賢人の色即是空とのたまひぬ神ものたまふあからさまにも


   

公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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