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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2023年06月09日 RSS ATOM

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理事長室より

VOL.05.06

尾瀬沼の旅

  冬の間、厳しい寒さに沈黙を続けていた尾瀬沼が雪解けから目を覚まし、楽園の季節を迎える時期になった。尾瀬沼を旅したのは遠い昔のことである。記憶は山並みの遠くに消え去っており、おぼろな影となって同行した三人の友達の姿が懐かしく浮かんでくる。

  宿泊先の宿を早朝出発して大清水の村から、きつい山道を登り五時間ほどかけて三平峠にたどり着いた。そこから緩やかな山道を力を抜きながら歩くこと一時間、やっとのことで尾瀬沼の長蔵小屋にたどり着いた。山小屋の薄いランプのともりを見たときは、ほのかな旅情を感じたのである。山小屋に、夕方の日差しが光っていた。途中の、清々しい白樺林やブナの林を通り抜けて、雪解けの清らかな清水の流れをたどりながら、水芭蕉の花に迎えられての旅先である。

  あれから六十年近い歳月が流れた。人は変わり、世の中が変貌しようとも、尾瀬沼を行く先々の景色は依然と変わりなく、神秘的に、我々を優しく迎えてくれる。一大観光地として周辺の模様は変わったし、整備されたに違いない。ただ気を付けないといけないことは、長い間に作られた失言を一旦傷をつけたり破壊されたりすると、元に復元することは不可能に近い。我々が昔、尾瀬沼を訪ねたときはまだ開けない自然のままの姿が映し出されて、天然の美の宝庫だった。尾瀬沼に古くある長蔵小屋にたどり着くまでは、容易ではなかった。今では交通機関が便利に開通して、誰もが簡単に、現地に苦労なく近づいて行けるようである。便利になったことはいいとしても、その分、自然破壊が進まなければいいと思っている。長い時間をかけて作られた湿原は、一旦傷をつけられたり、破壊されたりすると、元に復元することは不可能と言われて居る。あるがままの自然の奥深い魅力を、後世にいつまでも残しておきたいと思うこと切なるものがある。


    尾瀬沼

大清水より山道を登りきて三平峠にたどる夕べに

峠より眺むる広き尾瀬沼の黄昏どきの茜色にも

尾瀬沼の三平峠に立ちて見る長蔵小屋の淡き山の灯

懐かしき友の面影浮かび来て尾瀬に旅した遠く去りし日

しとど降る時もありぬる山道の雨なればまた止みて日の差す

重ね合ふ岩間の隙に湧く水の集まりて行く平なめの滝

木の間より霧とも見ゆる平なめの滝の優雅に流れ行くなり

雲間より微かに望む燧岳流れる霧の白き流れに

水色の雨蕭々としきる日の音なく明けし尾瀬沼の朝

霧の間の朝より昼にかけて降る木道を我ひとり行くかな

木道に踊り出でたる青ガエル一息つきて水に潜れり

朝明けの霧の中より現れし燧ケ岳の黒きその影

かっこうの霧の狭霧を分けて聞くなんぞ哀しみ伝え聞くかな

山小屋を五時に出でれば早や白き霧にまみえる燧岳かな

雪どけの水きよらかに流れゆく先に平なめの滝の音しぬ

疲れきてたどる尾瀬沼の木道に水さはやかに流れ行くかな

木道の際に群れ咲く水芭蕉雪どけ水に身をさらしける

霧の中より生まれくる尾瀬沼の乳白色の時の間を行く

かんかーんと鐘なり響く尾瀬沼に霧立ち上る朝明けの頃

霧の間の朝より昼にかけて降る白き狭霧に濡れて行くわれ

わびしさに心も濡れて蒼然と雨の降りしに行かば朝なり

足元の霧を払ひて木道をゆかば妖精の花浮かび来ぬ 6月1日


    我が住まいの地

不思議なことがあるものである。地元の会合にちょっとしたことで出かけたことがある。世田谷区が支援する企画で、高齢者を対象に器械体操を指導してくれる団体である。二十名ほどの小規模の会場ながら初めての参加であり丸テーブルに家内と座った。その席に高貴な感じの高齢な女性と、七十歳を過ぎたと思われる男性が席についていた。参加者は二十名ほどのざっくばらんな雰囲気の会合である。小テーブルであったが、こちらから進んで自己紹介するつもりはなかったので黙って成り行きを見守っていた。家内とその高貴な女生が親しく会話をしており、小生も何げなく隣に座った旦那とも挨拶を交わしていたところ、ずーと世田谷にお住みですかと、家内と会話を交わしていた女性から尋ねられたので、いや、所帯を持ってからこの地に移住して来ましたと答えた。すると女性は何やら安心したような気色であった。

  打ち返して、奥さんはずーと世田谷区に住んでいらっしゃるのですかと云うと、違うんですよと落ち着いた様子で同時に何か安心しきって誇らしげな素振りをしていたので、更に追い打ちをかけて畳み返して、ご出身はどちらですかと尋ねたら、浅草なんですのと答えるではないか。これには聊かびっくりした。下町の隅田川に近い浅草ですか、浅草のどちらですかと云ったら千束町ですというのである。何か最初から気が通じ合うような雰囲気を持っている人だと思っていたが、やっぱりそうだったか。いやあ、実は私も浅草で生まれ浅草で育った江戸っ子のしゃきしゃきなんですと云ったら、小さめな目を丸くして驚いてあらまあ、そうでしたかと、世間は狭いと云いながら、偶然にしても不思議なご縁ですねというのである。実は前に居るご主人も浅草なんです、それでびっくりしていたような次第なのに、と別に尋ねもしないのに奥さんの方から小生の隣に座っている御仁も実は浅草出身なのだそうですよと説明を受けたのである。

  奇しくもこの四人の席は、家内を別にしても、浅草育ちの人間同士が一緒の席に座ってるという不思議なめぐりあわせを思ったのである。隣の旦那は浅草の象潟である。今でも植木市がありますねと云うと、開かれるのは六月末ですとその男性は答えた。観音様の境内の裏手にある馬道、象潟、千束といった町なかに開かれる植木市で夜店も出たりして賑やかでである。夏の風物詩である。植木の商いも気前がいい。浅草の三社祭とは違った風情である。だとすると小学校はどちらですかと尋ねるまでもないことで、きっとそうだろうと思いながら、富士小学校ですかといったところ、まさにその通りであった。小生は猿若町ですと云ったら、聖天横町の隣ですねというので、聖天横丁は猿若町の裏手の横になりますと、変なところで気張って見せるような感じになった。これがご自慢の故郷への郷愁のようなものなのである。

  高貴な奥さんは佐野と云ってらしたし、隣の御仁は中田という名前であった。佐野さんには旧姓があるに違いない。そこまで尋ねる必要もないと思われた。 家内は別として、佐野さんは幾つの年か知らないが落ち着いて気品のある人でまあ美人の類であい、最初から感じが良かった。小生は専らこの佐野さんの人となりについて大変興味を以て、しばらくしてから自然に言葉を交わしながら、もう少し詳しく知りたいもんだと思った。

  区の指導員によって器械体操のエックササイズが始まったので、テーブルの会話は中断されてしまったが、立ちざまに佐野さんは一人で出席して、今までが寂しかっただけにこんな出会いは夢にも思わなかったわ、とっても楽しかったわと、有難いわとまで言い切って感動の思いを本音で表していた。 そんな言葉を返されると、ますます興味が湧いてきて、エックササイズは面倒だなと思っていたのが逆になって忘れてしまい、楽しみが込み上げてきた。家内もとても楽しい時間だったわねと感想を漏らしていたが、 こんなことも身近にあるんだなあと思っている次第である。エックササイズは2時から始まり4時過ぎに終わったが、結構ヴォリュームのある内容で遣り甲斐があった。普段使わない筋肉だとか関節の運動に繋がって、体を伸ばしたりすると気持ちのよい痛みを感じて刺激的快感をおぼえるのである。この分だと体の骨格だけでなく内臓や消化器にまで刺激になって活力を生じ、全体にいい結果をもたらすのではないかと、今から大いに期待しているところである。この調子で行けば、週一回はもの足りない気がして週三でもいいかなと思っているが、そうなると自分の都合がつかなくなってきて、逆に仕事に支障をきたすことにもなる。まあしばらくの間このペースで無理なく続けてみようと思っている。会場までマイクロバスで送迎してくれる、超サーヴィスぶりである。 続

ささやかな樹木と畑を庭として森と農地を体現いたす日

あるがまま自然の掟に従ひて生きる日々にて有り難きかな

此の年に悟りて畑の生活に根を下ろしてや生きるとも知る

不思議なる縁にてこの地の等々力に移り住みたる我ら夫婦は

振り仰ぐ空にも高き十字架の影美しきわれがふるさと

十字架の恵み豊かに充ち満ちて振り返り見る初なつの空

うぐひすの声に目覚めぬふるさとの水豊かなる等々力の地よ

十日ほど早く梅雨入りとなる年の何やらせはし心地するなり

我が宅の裏手に確か滾々と湧きし清水のあとの在るらし

湧き水の近くに在りて洗ひ場の水滾々と流れ入るかな 

洗ひ場と称さる場所が在りしかど止めてしまふは悲しかりけり

    6月3日


公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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