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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.18.11

今年も早や十一月に

まぎれなく霜月のあさ眺めける畑に光る初の露しも

今年も早や霜月を迎えた。霜の降りる季節を迎えたと云うことで、霜月とは、その文字のひびきから人の心まで寒々としたものに塗り替えるようでもある。一方で十一月と云えば色合い鮮やかに、行楽地はもとより、辺りの樹木を見渡せば、紅葉が真っ盛りの景色で、人の心を明るく華やいだものに塗り替えてくれる。にもかかわらず季節の移ろいは、無情にも何気なく過ぎてきてしまったような気がしないでもない。芭蕉は奥の細道の冒頭で 「月日は百代の過客にして行き交う人も旅人なり」 と慨嘆の思いを吐露している。動機は何かとあると思うが、芭蕉にしてみれば、寂寞とした無常感から抜け出そうとして、変化と動きにあふれた自然の中を旅してゆくことを思い立ったに違いない。芭蕉の旅立ちは今の季節ではなく、弥生も末の七日である。曙の空は朧々として旅立ちには絶好の日和である。旅先の不安を打ち消して、山河のふるさとを通り過ぎ、人の情けに触れながら、旅先での楽しみを夢見ての心境が先ず走る。旅支度の楽しみが膨らんでくる。

みちのくの尾花の宿に寝起きしてわらじを履きて旅に出でむや 続    11月1日

秋、そして初冬の空

秋の日の日差しのまろく身に触れて山河と野べは生きて輝く

柿の実の赤く色づき青空に影うるはしく映えにけるかな

柿の実の黒き紋様にゆたかなる甘みふくみて光るその肌

我が宅に次郎柿と富有柿立ちて豊かに実を結びけり

青空の隈なく晴れて秋の日のヴィオロンの音の身にそ響きぬ

讃美歌の二百八十四番を高らかに歌えば秋の空の澄行く

大いなる賜物を得て常日ごろ新しきこと活かし行かまし

信念と希望を抱き堂々とこの一生を貫き行かん

詩編第百章を読み喜びに満ちて全地を奮い立たさん

此の年も霜月に入り忙しなし大志を活かし少年の如

我らみな心一つに全能の神に従い力湧きゐず

秋の星きらめく宵に山の端に月あきらかに登り来るなり

おおてらのいらかの波の打ち寄せて月の光に磯ふりにけり

この寺の大きほとけは天つちにこころひらきて癒したまへり

秋の星きらめく宵に山の端に月上りくるいかるがの里

嵯峨野路の竹の林を分け入れば月の光の白く差しけり

この寺におはすほとけは天たらしすべてをみ手に治めたまへり

柿の実

  今年は柿の実が沢山なって、家内と豊作を味わっている。屋敷の庭には昔から、次朗柿と富有柿の二本が植わっている。日本とも樹齢は五十年ぐらいである。この種の柿は、普段見かけないもので、専ら自慢して物語ってきている。みのった実は大粒で申し分ない。真ん丸な実は固く締まって居て、身は飴色で霧を吹き、実に甘い。それを見事に示す黒い線の紋様が絵のように、柿の実のお尻に輪を描いていて美しい。もぎ取った実に刃を入れて、さくっと割るのも惜しいくらいである。二人とも柿が大好きなので毎日都合よくもぎ取って、新鮮な甘味を爽やかに味わっている。
  それにしてもあの黒い美しい線の紋様は、どうしてできるのか不思議である。天然のものものだからこそ、たとえようのない美しさだ。神様が作ったものでしょうと、家内が云う。彼女も柿が好きだから、この点に関しては完全に呼吸が合っている。あと三十個ぐらいは枝についている。他愛ない話だが、面白いものだし、柿をはさんで楽しいものである。秋の欠かせない、わが家の風物詩である。

おおらかに赤く色づく柿の実の美空に豊かに映える今朝かな
柿の実の熟れたる甘き実をもとめ啄みに来て騒ぐ鳥かな
歓びの声を上げつつ柿の実の甘きを知りて騒ぐ鳥かよ
                                           11月1日


茗荷

  茗荷の葉が黄色く色付いて、華やかな秋の日和を歌い上げている。今年は茗荷が沢山なって、毎朝の食卓を潤してくれた。茗荷の実が盛んにとれたあと、葉が一面に色づくころは、吹く風も遅い秋の訪れを知らせくれる。茗荷の葉の色づいたあとは、刈り取らずに暫くそのままにしておいて風情を楽しんでいる。庭の南西の隅に銀杏が植わっているが、赤く色づいた紅葉の葉が夕日に真紅に燃えている。柿の葉も紋様の柄を染め抜き始めた。庭は居ながらにして紅葉狩りうを楽しんでいる。
  
  茗荷と蕗の根は相性がいいらしい。毎年、繰り返し、繰り返し茗荷と蕗が入れ替わって育っている。面白い生きようである。茗荷が終わると、そのあとに蕗の葉が出て初冬にかけて勢いよく育ってくる。刈り終えて冬を迎えると、多少の冬眠の期間をへて、今度は寒い中から蕗の薹が顔を出してくる。春を告げる最初の芽である。何とも言えない愛おしさを感じるのである。       


頼もしく茗荷の粒の丸々と摘み取る今朝の愉快なるかな           
此の年は茗荷の豊かな収穫に妻が丹念に水を汲みたり
炎天の間にも家内が丹念に茗荷畑に水をまき居り
その甲斐があって茗荷のしほれずに勢ひ育つ炎天の日も
飴ゐろに艶めく肌の丸々と大きく堅く実を結びけり
しょぼくれて痩せ身の茗荷の店頭に並べておるも味はいがたし
実を採るに茗荷の草の幹を分け身をこごめてやあまた摘みけり
丸々と大きく育つ実を眺め良き飴いろに心ひかれり
今朝もまた籠いっぱいに実を積んで親しき友に分け与へけん
                                                11月2日


青空の隈なく晴れて秋の日のヴィオロンの音のひびき見にしむ
金襴の緞子の帯を打ち広げ佐賀の紅葉の斯くもあらんや
あでやかに燃ゆるもみじの色づきに思ふ千秋の恋心かな
嵐山より色づきて鴨川の水に浸して海に入る葉よ
おおてらを囲む紅葉の照り映えて和むほとけの安きひとみよ
秋の野をさまよふ鹿の鳴く声に我の心につのる寂しさ
大寺の屋根のいらかのさざなみに秋の日差しの温むひとととき
榛名湖の紅葉の錦照り映える岸辺に立ちて思ふひとかな

ブラジルに極右派の大統領が誕生


   資源大国のブラジルである。国民の政治意識が低いために、この国でも政治家や官僚による汚職が絶えない。経済発展の余力を十分に持っていながら、国民の教育水準が示すように、国力として活用する力に繋がっていない。経済成長はおろか、経済的不安定から抜け出せないでいる。そうした中では、得てして強権的な政治思考が醸成しやすい傾向があるのは致し方がない。御祝や腐敗を除去するには、過当的段階として、極右勢力が台頭して腐敗組織を一掃する役目を果たす時がある。今回当選した  大統領も元軍人である。政界、官界の腐敗分子を一掃して民意に応えるものと期待したい。当選の結果を得て、ブラジルのレアルも値上がりしているし、株価も堅調に反発している。持続性を持っていけば、民意も安定してきて、外国企業の進出も円滑に行え荒れて行き、経済の活性化に役立つことだろう。

ブラジルにトランプの子分が生まれけり強権政治の土壌にあれば
大統領選挙の結果ブラジルに極右勢力の政治敷かれる
民主主義土壌の市民に成就せで独裁政治を赦す定めに
強権の政治に市民も熱狂し政治意識のたらぬ国土よ
政治的安きを求め経済の安定を期すブラジル市民は
アマゾンの雄大な地を汚さずに地球環境の範となさしむ
アマゾンの密林を行く冒険家奥に知らざる部族住めるに
アマゾンの秘境を訪ね人類のルーツを求む若き学徒よ
トランプの子分にあれば才知長け治安と汚職撲滅に先ず
ブラジルの治安回復と経済の安定に帰す故もありなん
トランプの成否を測るアメリカの中間選挙の白熱を帯ぶ      11月2日

  
    大移動のキャラバン移民

   自由の国アメリカの国境を目指す移民集団、謂うところの移民キャラバンが9000人規模に膨れ上がって北上中である。例年の如く、猛烈な勢力を維持しながらアメリカ本土を狙って北上するハリケーンのような騒ぎである。しかし今回は形が違う。雨風とは違う。人間の集団である。犯罪と経済的貧困から逃れて、人間の幸せを求めて天地を訪ね、敢えて苦難の行進を選んだ民である。祖国を捨てて、自由の新天地を求めて行軍する女、子供たちも含まれている。迎え打って出るのは、トランプの号令に立つアメリカ軍1万5000人とも云われる精鋭部隊である。人海戦術だからとして無手勝の身、飢餓に消耗の体力、丸腰しの難民に、軍隊は銃を向けるのか。侵略者として砲火を浴びせる気か。非人道的な対応を採る気か。国境への軍隊派遣、とても正気の沙汰とは思えない。目前に迫ったアメリカ議会の中間選挙を意識した、選挙キャンペーンであり、トランプの持ち前の迫力に合わせた絶妙の演技である。

  トランプの心情も分からないではない。しかし、強気一辺倒の姿勢にも疑問が残る。何か良策を以て臨めないものだろうか。二日後に迫った米議会の中間選挙で、状況は緊迫している。懸命に選挙戦を行い、精力的に遊説に回る姿には自信と期待が窺えるが、状況は共和、民主の接戦である。民主党の応援にはオバマ前大統領が繰り出され、前代未聞だそうである。トランプはこの時とばかり、オバマの失政を衝いて猛攻である。オバマは現在のアメリカの経済的好景気は、自分の在職中に成し遂げてきた政策の延長だと、トランプに切り返している。
  オバマだったら、この移民キャラバンをどのように解決するか、知りたいところであるが、オバマの声はここまで届かないのが残念である。トランプの実績を上げるとすれば、大型企業減税が功を奏して、景気が絶好調である事、雇用が急上昇していること、北朝鮮の暴発を防ぎ、非核化まで追い込んだこと、これは顕著で説得力があろう。トランプの弊害はと云えば枚挙にいとまがない位だが、それだけ政策を実行しているとの裏返しにもなる。
  政治家は秀才でなくてもよい。凡庸である事が大切である。だから常識に欠けては困る。凡庸な大衆を相手に司を務めるわけだから、大衆の気持ちがわからないと失政する。そこで大事なのは常識である。標準的知識と感性を持っていれば、間違ったことを大衆に強いることがないから、正しい政治を行いことになる。トランプの政治が上品ではないが大衆の心を上手につかんでいることだ。動物的臭覚が、民衆の心理を把握し、凡庸に立ち舞うところが受けている。

大移動するキャラバン集団は、アメリカの選挙を意識して行われたものではない。期せずして自然発生的に起きたものである。トランプはこれを選挙戦で政治的に利用しようとしているが、犯罪集団と決めつけてアメリカの民族意識を煽り立てている。しかしこれは誤っている。最大の誤算となるかもしれない。今回の騒動は、原因が重要な問題を孕んで、国際的に論議されなければならないものである。ロヒンギャの難民問題もそうであるが、犯罪と貧困、飢餓の経済問題がもたらしている人道上の問題だからである。看過するわけにはいかない。これをトランプは軍隊を以て応戦しようとするのか、アメリカはミャンマーのような国に成り下がったのか。
  トランプが入国を力ずくで阻止し排除しようとするのであれば、それに代わるもっと適切な判断に基づいて行動すべきである。アメリカの経済力をもってすれば、軍隊を以て敵対するよりも、人道的見地に立って善処する力を持っている筈である。彼らは丸腰である。恫喝、威嚇、脅迫でなく、寛容の精神を発揮して、国境の前で入国を阻止し、一時的難民施設を建設し、事態の鎮静化を図るべきである。 然るのちに、関係国と実際的な話し合いを行い、解決の糸口を見出すべきである。移民問題は、これに異議を持つのであれば法律を以て解決されなければならない。国境周辺で混乱を招かないためにも、それがアメリカの国益になる。   11月5日

トランプ、オバマの一騎打ち

  アメリカ議会の中間選挙の終盤戦は、共和、民主両党の火花を散らす選挙戦となり、別けても現大統領のトランプ、元、大統領のオバマ両巨頭の舌戦となっている。両者を並べると主義、主張も違えば、雰囲気も人間性も両極端である。いわば今のアメリカの様相を見るように、熾烈な対立と分断を象徴するように我々には映って来て心配である。トランプ米政権に審判は、日本時間で6日の今夜から、東部の各州から投票が始まる。アメリカの政治の選択の意志を表明する時間は、数時間のちからだ。即日開票で日本時間7日午後には大勢が判明する。
  議会は下院の485議席の全部が改選される。専門家の観測によると、可能性として共和党が194議席、民主党が203議席と推測され、38議席が激戦の対象である。これの状況がいずれかの勝敗を決定する模様である。この38議席を巡って共和党が確実に追い上げてきている模様だ。その差がどの程度になってくるかが焦眉の点である。理想としては民主党が下院の議席の過半数を取って、共和党の暴走を防ぐ砦となってもらいたいと思うのである。国内でも女性の候補者が多くなっていることが、今回の選挙の特徴でもある。我々にはあまり気付かない点だが、医療保険制度の賛否について極めて関心が強くなってきている。又、上院は100議席の三分の一に当たる35議席が改選される。上院は過半数を共和党が引き続き獲得する公算が大である。

   いずれにしろ、世界が注目するアメリカ議会の中間選挙の結果で、皆が固唾をのんで選挙結果に注目しているところである。現職の強みはいがめないが、トランプの実績はアメリカ経済を上向きに享受していることが大きな追い風である。雇用も絶頂な状況である。自国主義トランプの、底堅い人気を維持している所以である。乱暴で粗野な表現がトランプの魅力であり、力強さを感じさせるものがあり、これが現実である。今日の株式市場は上げ下げが激しく、結果について戸惑いの心境を表している神経質な動きに終始した。
  一か月前のこと、不透明になってきた株式相場から、投資家の資金が新興国の債権、とりわけトルコリラに注目が集まってきていることを伝えたが、その状況は変わっていないと思っている。トルコ債権を長期的に一部保有することをお勧めしたところであるが、その姿勢が正しいことを裏付ける状況になってきている。 

   長く熱く戦いあってきた選挙戦、分断と亀裂の深さを露呈した今回の激しい選挙戦であるが、世紀のイヴェントが終了した時には、アメリカの民衆の中に生じた対立と憎悪の念が一日も早く消滅することを願って止まない。 かって南北戦争の悲劇を味わっているアメリカの歴史である。国民を二分するほどの激しさを露呈した今回の選挙は、今までになかったことである。そもそも多民族国家として成り立っている国である。南部、北部の対立の勝手の歴史が髣髴されるが、人種、部族、種族の対立があってはならない。異色のトランプによって演出され助長されてきた今回の選挙、今や、アメリカ・イズ・ファーストではなく、アメリカ・イズ・ユナイツ を叫ばなければならない。   11月6日

地元尾山台の休憩室

  地元、尾山台駅の踏切りに近い場所にドトールの比較的に小さな店がある。駅に近いと云う心やすさもあってか、店員との馴染になっていると云う親近感もあってか、親しく店に出入りして長い年月がたっている。会社からの帰り道、休日のひと時などをを利用している。私はここの店で、他の客に迷惑が掛からないように、コーヒーの一杯で一時間ほど過ごすことが多い。その間に、好きな短歌を即席に速射砲とでもいおうか、無造作詠みまくってくる。これが自分にとって頭の中の雑念を洗い流してくれる、一服の清涼剤となっている。ありがたい天賦の配剤だと感謝している。
  そうした臨機応変な場所なので、原稿用紙に正規に書くものではない。メモ用紙であったり、裏刷りに使ったコピー紙であったり、もしかすると慌てて店のテーブルの敷き紙であったりする。そこに乱雑に書いている。そのことは、決して乱雑に粗末に扱っていると云う趣旨ではない。瞬間にひらめいた対象と文章を即、書きこんでいく過程で生じたもので、自分にとっては真実として書きやすいと云うことである。勿論頼まれれば、文房四宝を以て正座の上、威儀を正して和歌を書いても差し支えない。その時には、例えばドトールで書いた和歌の一首を丁寧にしたためて遊び心も楽しんでみるはずである。昨夕会社からの帰途、雨宿りをしながら、ドトールの店で詠んだ和歌をちょっと載せてみたいと思う。


秋雨のしきふる夕べの商店街ドトールの灯の目にもちらつく
敷石の濡れてそぼ降る秋雨に花屋の明かりまたたき見えり
夕暮れの街を小雨がしめり降る我の心の芯も濡れけり
ドトールの椅子の多くが空きておりその静けさが雨に濡れをり
秋雨の悲しき時と覚へけむ店に人影なくば更にも
満員の客に尻込み外に出で見る月影の如何にさびしき
眺めゐるカップにコーヒーの焦げ茶色渋く映りて身にも染み入る
コーヒーの豆の匂いの茶の色の滲みて染まりぬわれの手のひら
山あひの夕空紅く染め抜きて棚ぐも長く北に尾を引く
コーヒーの豆の茶色に染まりたるテーブルに着き物思ひせむ
厨房の客席よりも広く取り手早くつぎぬ熱きコーヒー
寝入るひと読書する人パソコンをたたく人など過ごすこの店
ささやかな心のなごむこの店に魅かれて今日も通い来るかな
こひーはおのれひとりで味はふを良しとうなずき今日も訪ね来
ペンと紙一、二枚を持ちて来ぬ思いの丈を今日も書かんと
コーヒーにミルクを注ぎ白き帯カップの中を動き巡れり
コーヒーの香り漂う尾山台ハッピーロードの街の角かな
目の前にコーヒー喫茶のありしかどこの店にいるさしも故あり
この席の我になじみて居心地の良ければたとえ小さき椅子とも
コーヒーのカップに白き帯を引くミルクをつぎて鮮やかなりき
鉛筆の先にかすかな女の影とどめつ詠みぬ恋の歌かな
赤とんぼ動かず空の宙に浮き夕べの雲とともに行くかな
我もまたトンボのあとを追いかけて田舎の空を泳ぎ行くかな
コーヒーを飲みつ山茶花の咲くあさに懐かしき人思ひ偲べり
ルオーてふコーヒー喫茶に待ち合はす当時治美てふ子は今如何に
治美てふ子はま近くのオフィスの受付に居て我の目を引く
騒がしきアメリカ選挙の最終戦静かに思ひコーヒーを飲む
コーヒーを飲めば心も落ち着きてトランプの声確と聴くかな
激しさを増すアメリカの選挙戦幕を閉じれば高き青空
激しさも幕を閉じれば平静に気を取り直す民主主義とも
アメリカに自由、博愛、平等の多少の兆しに安堵いたせり
三日前山茶花の花一つ咲き今年の末もあはれ過ぎゆく
山茶花の二つ目に咲く花の枝を手折りて供ふみほとけの前
ててははの面影若く映りしに山茶花の花愛ほしきかな
ドトールのケーキのケースが涼しげに蛍光灯に白く映れり
新栗の出荷にあはせモンブランケーキの旨し栗色の色
気休めに訪ねる客の多く居てコーヒーを飲むドトールの店
ドトールの黄色のテントがせり出して街路の人の雨宿りせむ
ドトールの前を東工大学生カバンを下げる人は皆無に
学帽に学生服に革鞄、黒短靴にて通学し候
学帽に学生服は着用と当時の規律の在りてやかまし
中学の母校の電話に事務長の中江氏出でて親しかりけり
中江氏に母校の様子を伺ひて昔を偲び胸熱きかも
東大の進学校となりにけり今早中の学習レベルは
今は早や書物に代はりパソコンに知識を収むことも知らずに
学徒らは書物の匂ひを知らず過ぐそのうち在宅学習時代に
ドトールの店前を行く学生ら皆真面目にて寡黙にて過ぐ
この中にひとさまざまに見受けしに、貧乏の人、裕福の人
学園の近くに唯一ハイカラなコーヒー喫茶のモンシェリの窓
モンシェリてふコーヒー喫茶に招かれて哲学のこと語る教授は
哲学者藤田赤二を思い出す学ぶドイツ語の楽しき頃よ
コーヒーの香りと藤田先生の思い出深く我に覚へし
青春は逸るこころを抑え得ず空飛ぶ鷹の眼光にも似て
山中湖湖畔にヒュッテの憮岳荘林間学習の良き少年期
朝日影山中湖畔にきらめきの朝を迎えて眺む富士の嶺
岩間より光る清水の湧き出でて我が心を洗ひ浄めり
岩間より湧くま清水の清らかに川に流れて海にそそぎぬ
主の声とかすかにききぬ山あひの深き森よりま清水の音
コーヒーの上等の味試し得で飲み物ならば味噌汁の代
革カバンふくらまして行く学習の身を懐かしく思ひ入るかな
ある時に雨宿りせる客の来て空気せはしく揺れにけるかな
自動ドア開けたるたびに雨脚の激しく聞きて心せはしき
尾山台駅踏切の遮断機の下り人並みの途切るひととき     
夕時に都市大学の学徒らの人の流れの絶ゆるなき群れ
トランプの品無き政治に立ちあがるアメリカ市民のブルーウェーブ
トランプの貿易戦争を撒き散らすガメツイ一国主義の悪ガキ
ドトールのコーヒーを飲みつ安堵せりアメリカ議会の選挙結果に
民主党下院議席の奪還にねじれ国会と結果を評価す
貧しさと治安の悪さを逃れ来てアメリカへの道目指す移民よ
子供らのコーヒー色の肌をして陽気な仕草の太陽の顔
昔聞くコーヒールンバの南米の陽気な仕草の移民キャラバン
潜伏す凶悪犯罪人もあまたいるキャラバンを指しトランプの言
アメリカを目指す移民の大挙してコーヒールンバを踊る人あり
ドトールのコーヒーを飲み大移動民主日本の列島を行く
コーヒーのまろき香りの店先に匂ひ漂う今朝のドトール
ドトールの店にプチットなおなご居てもてなしおれば和むひととき
尾山台ハッピーロードを象徴すコーヒー匂ふドトールの店
鉛筆と用紙を持ちて店に入る文学青年の活躍の場
自らを三十八才と名乗り出て医師の訊ね答えけるかな
早中の中江事務長と電話にて学舎の詳しきこと訊ねけり
青山の土地建物の取引に大手の二社の仲介に立つ
道ゆきにドトールよりも高級の幾つかの店あれど地元へ
ルノワール、椿と云った高級のされど馴染のドトールの店
体裁を繕う人の他の店に粋に経つ身を味はふも良し
この仕事成し遂げてあと人生の休養とすべく思索練るなり
我が道の大成を手に将来のなほ多きなる夢を描かん
庭に咲く小菊の花を二、三本手折りて供ふみほとけの前
二葉亭四迷の訳す「あいびき」を読み恋人の昔思い出づ
「あいびき」てふなほ慎ましき言の葉に心の端の潤ひにけり
この国の先を危ぶみ煩いの米中大国に押され潰さる
大国のせめぎ合いにも失はで自主独立の威厳示さん
この国に偉人の無きは慙愧にてドトールにて我コーヒーを飲む
そぞろ行く街路の花壇にサフランの花咲き匂ふ休日の午後
晴れ渡る秋の美空に吹く風の光の帯を中天に見ん
我もまた学徒の列に加へりて若き群像の人とたらんや
秋晴れの今日国立競技場ラクロス試合を楽しみ行かん
紅葉の半ばの駒沢公園のマラソンコースを走る若者
我もまたはや走りしてコース上一周すれば自信湧きくる
青春の群像の列つながりて夕空のもと学徒らの行く                 11月7日

早中、早高の同期会

  十一日の日曜日の正午から、中学時代の同期会が渋谷のエクセルホテル東急で開かれた。卒業生は三百数十名居るはずだが、参加者は三十一名であった。年々減少気味なのは致し方がない。物故者が百余名に上っているから、ざっと三分の一があの世に旅だったことになる。その上、連絡不能の者もいるので、三十一名の出席者が要ることを以て良しとすべきだろう。
  日曜教会に妻と一緒に行った後、先に失礼して自由が丘駅から東横線に乗って渋谷に出た。この街は、今日も相変わらずの混雑である。せっかくの連休であったが、昨日は駒沢球場で全日本ラクロス競技大会があって、全く久しぶりに妻と一緒に観戦しに行った。秋晴れの絶好日和であった。この日は日本関東地区代表のチームの優勝決定戦であった。午前中に早稲田大学と東京大学の両チームが決戦に臨んだが、早稲田が六対五で東大を下した。この熱戦は見過ごしてしまった。
  午後の試合は女子チームの対抗試合で、慶応大と青山学院大の熱戦であった。試合は四対四で延長戦に入り慶応が得点を挙げ、関東地区の代表に選ばれた。試合の観覧席は慶応の応援団席に入ったので、賑やかであり、応援のチェアガールの女の子たちの振る舞いが楽しかった。閉会式には関東地域の学生チームが勢ぞろいしてグランド一面を埋め尽くして圧巻であった。これから先全国の地区に渡って代表チームが選出され、全国一を決める大会に進んでいくらしい。この時は国立競技場だそうだ。約30年前に初めて、ラクロスが日本に入ってきて少人数で組織したことが今日、かくも盛大な全国的規模に発展していくとは思わなかった。小生の息子が、留学先のジョンズホプキンズ大学から初めて持ち込んだものであるが、娘もラクロスプレイヤーとして学生時代は大いに活躍した。ラクロスプレイは、競技のスマートと品の良さもあって人気はうなぎ上りであり、破竹の勢いの感じがした。

  そして今日は中学時代の同期会で、自分の時間が今週はすっかり奪われてしまったが、それでも奪われた時間は内容の濃いもので、大いに満足のいく連休であった。

  同期会だが、最近は「年々歳々人同じからず」を実感するばかりだが、今年は親友の高木新二郎君が八月に亡くなったばかりで、席にいないのがさびしい限りである。別けても小生はこの早稲田中学を卒業して高等学院に移って行った関係で、中学の上の高校には進学していない。その分同志との関係の希薄があっても仕方がない。友達の松広君から、亡くなった高木の思い出話を席上語ってもらいたいとの依頼を受けていた。高木との交友関係を語れと云われても何を話していいか掴みようがない。中学時代から彼が死ぬまでの間に亘って付き合ってきた生涯の仲なので、余りにも茫漠としている。校友とは概して、表はきれいごとであるが、全てが異色であり、奥と裏を知りぬいた奇想天外のものかも知れない。話しにくい。しかし承知したと返事をしておいた。席上では、高木の奥さんから云い使ったことを皆に伝えた。 「生前は皆さん方に大変お世話になってきたことを感謝して心から御礼申し上げる」という趣旨を伝えた次第である。

   もともと早中は、おかしな話だが国立大学を目指す受験校である。戦後入学したばかりの年に大学の付属校になるかどうかで意見の対立があって、学内の大騒動になっていた。一年の時に生徒会から全員が講堂に呼び出されて、喧々諤々の論議が交わされていた。三階と称する講堂は屋根もなく天井もなく、青空が広がっていた。戦後間もない時期で、米軍の空襲で校舎の屋根がすっ飛んだままであった。その講堂に呼び出されたものの、事の次第については何も理解できなかったが、今になってあの時の騒動は、早稲田中学の将来を決める転換期だったことを理解するのである。守旧派で独自路線を踏襲するとする教職員と、改革して大学の付属になると云う生徒と父兄と若手職員との対立であった。結局守旧派の主張に押し通されてしまった。
   
   早稲田中学は明治38年、1895年、坪内逍遥によって創立された歴史と伝統に基ずく名誉ある学校である。大隈重信、高田早苗などが創立に支援した。今年は123年に当たる。2020年は創立125周年になる。私が早稲中から高等学院に行ったが、学院は戦後の新制度で作られた故、それでも来年が創立70周年記念の年になる。大学は1876年に創立されたが、元東京専門学校であったが、その後改名された。大学が学問の自由と独立を標榜したのに対し、中学は人格の独立、陶冶を目的とした教育を標榜するものだったと聞いている。中学の校歌は坪内逍遥の作詞だが、その中にも「誠」の文字が中心である。建学の精神と相通じたものがある。小生が標榜として掲げる人生句、人は全て己ながらに生きよう、である。

   同期会の中で優れた友人に出会えたのは、小生にとって大なる収穫であった。事の次第は単純だが、その松広哲平君から貰った絵葉書である。会津八一は早稲田中学の教頭を務めた時期があった。松広君の葉書には、その彼の学規の書が映してあった。彼の心構えも窺えて感服した。あまたに居る友人から斯様な文書を受け取ったのは初めてで感動を覚えたのである。八一の学規については曰く、 「深くこの生を愛すべし  かえりみて己を知るべし   学芸に励みて性を養ふべし   日に新面目あるべし 」  である。年相応だが我々の年配になってくると、「深くこの生を愛すべし」とでもいうべきか。美しく、厳しく、誠に良い言葉である。同期会での収穫は、周りを気にせず沈思黙考の黙念の時間が多かったこと、のんびりできたことであった。二時過ぎ土産の月餅菓子をもらって、そのまま寄り道することもなく帰宅した。庭に出て山茶花の花を見ながら、縁側で一人座って酒の酔いを醒ましていた。今朝の朝日新聞の朝日俳壇の一句に、こんな句があったのが目についた。
   九十を過ぎて爽やか所作動作     良い句だし,、元気な旦那だなあと思いながら、この句は全ての人の範になる一句だと思った。小生は自称三十八歳、尾山台駅まで駆けて行こうかと、ドトールのコーヒーでも飲みに行こうかと、きっとそこで沢山の短歌が詠めるはずである。そう思ったりすると、夕暮れが待ち遠しく思ってきた次第である。  

   高木を弔う和歌をみんなの前で詠みあげた。無二の親友だから実感として詠めるのである。いまさら美辞麗句を盛り込むことはできない。慙愧に耐えぬが、何故神様は彼をこの世から連れて行ったのか、それに抵抗することのできない人間の非力を嘆く思いで詠んだ。既に百首以上の和歌を詠んでいるが、当日席上、信を置いた友達だから思いつくままかかる心境で詠めるものかもしれないが、詠んだ三首をみんなに披露して、故人の冥福を祈った。   

   艱難と辛苦の底に立ちあがり信念の道拓き行く友
   足跡をこの世に記し忽然と黄泉に行きしは悲しかりけり
   白骨の身となり壺に納まりて色即是空の掟しみじみ          11月11日

第一次大戦、終結記念日

   十一月十一日、パリの凱旋門に向かったシャンゼリゼ通りには、そぼ降る秋雨のなか、関係した六十カ国以上の首脳らが隊列を作って行進していた。第一次世界大戦が終結して百年目にあたる今年、終結の勝利を回顧して記念式が行われた。戦争では一千万人とも云われた犠牲者をだし凄惨を極めたが。その人たちを追悼し、戦争の悲惨な状況を振り返り、無益な戦いを根絶する決意を以てこの日を記念した。今までも幾度となく、二度と戦争の惨禍を招かないように決意した歴史がある。しかし人間は、以て生まれた愚かな性を断ち切ることができない。その後ドイツのナチスが現れて、再び第二次世界大戦が勃発した。ドイツの保護主義政策、自国第一政策を採った結果であり、覇権主義から戦火を交えた凄惨な破壊時代へと突入していく。加えてイタリアではムッソリーニの独裁ファッショの政治が敷かれたし、日本でも国連脱退を始め孤立主義の道を歩み軍事政権を生みアジア大陸へ侵攻していく結果になった。結末は悲惨そのもので敗戦を迎えたのである。今日のこの日は、第一次世界大戦が終わって丁度百年となる。復雑な国際情勢のなかでの行進は、晩秋の底冷えの小雨の中で行われていた。
   フランスのマクロン大統領が呼び掛け、トランプ米大統領やロシアのプーチン大統領、日本の麻生太郎副総理兼財務相らが参加。大戦後、国際連盟創設につながった国際協調の動きを改めて擁護し、現代への教訓としたい考えだが、米ロ首脳は遅れて会場に到着した。午前11時すぎ、雨の降るシャンゼリゼ大通りで移動のバスを降りた首脳らは並んで凱旋門へ歩き、協調を演出したが、空目を浴びるトランプ、プーチン両氏の姿はなかった。国際社会の不協和音を象徴する、ちょっとした光景であるが、一つの火種に過ぎない。しかしマッチの火が大きな戦火に広がって、人類を抹消し、地球を火の海に変えることも出来る。保護主義の火が、地球の上に蔓延しないように英知を以て食い止めなければならない。
  式典では、マクロン氏は演説で 「愛国主義はナショナリズムと正反対のものだ」 「かつての悪魔が再び現れている」 と現在の国際情勢に警鐘を鳴らした。むべなる哉である。経済大国のアメリカのトランプ氏が、声高かに掲げるアメリカ第一主義と、仕掛ける貿易戦争を考えると、マクロン氏の演説と警鐘はあまりにも的を射すぎたくらいである。「 保護主義の悪魔を射抜くマクロンの世界に鳴らす警鐘の声 」  と小生も声高に和歌を以て、この日本国からマクロンを支持したい。参列の群れは、大戦後に戦死者を弔うため設置された「無名戦士の墓」に献花した。 またこの後、マクロン氏の発案で安全保障や環境、開発などの問題を話し合う「平和に関するパリフォーラム」が13日まで開催される。ドイツのメルケル首相やグテレス国連事務総長らが参加する。国際協調の強化を目指す場となるが、これに冷ややかなトランプ氏は欠席する予定である。 友情も協調も、平和への行進も知ったこっちゃねえと云った無教養の田舎者である。
                                             
   国際協調を掲げる隊列から孤立するアメリカのトランプ。アメリカ第一主義は、行ってみれば金第一主義、しかも自分だけの集金、錬金術。金権政治の権化と誤解されやすいトランプ。札束で人の頬をはたく、傍若無人の振る舞いとしか映らないトランプ経済外交とさまざまな悪評である。大統領の椅子に座って、仕事師を顎で使っている間は何とかもつが、ひとたび祖国を離れて国際舞台に出て、世界の民衆の中に立つ時のトランプは孤立してみじめである。ふてくされた表情は、時代的潮流に逆らう独善者の虚勢を張った姿で、余りにも哀れである。こうした危険な人物は、得てして自分で焚きつけて他国に及ぼしていく傾向があって心配である。マクロンの演説に見られるように、「アメリカの第一主義を悪魔の到来」と一刀両断する姿勢こそ右顧左眄せず、人類的見地に立つ雄々しい姿だと受け止めたのである。日本に古くからある諺だが、長いものには巻かれろ、泣く子と地頭には勝てないと云った風潮こそ、国際社会が連携して打ち破っていかなければならない。
11月13日

不発に終わったAPEK会議

  十一月十八日、パプアニューギニアで開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が閉幕した。日本や米国、中国など21カ国・地域が参加した。会議では米中が互いの通商政策をめぐって対立し、首脳宣言の採択を断念する異例の事態となってしまった。首脳宣言が採択されなかったのは、第1回の首脳会議が開かれた1993年以降で初めてである。代わりに議長国のパプアニューギニアが議長声明を発表することになった。アクマデ暫定措置で、醜態であった。会議をぶち壊したのは米国と中国であった。すぃてつな貿易戦争をそのまま会議に持ち込んだ形である。以て甚だしき迷惑千万な話である。誇りを持った大国の体を成していない。まるで後進国の最低を行く、なりふり構わぬ独善的行動である。

   会議の議論で米中が激しく対立したが、米国の主張は主として、中国が国有企業に巨額の補助金を出していることや、国外の企業に技術移転を強要していることを批判した。そして中国を念頭に、共通の貿易ルールを定める世界貿易機関(WTO)を改革する必要性を宣言に盛り込むよう提案した。これに対して中国が猛反発した。そして米国を念頭に起きながら、保護主義や単独主義的な動きを採るしせいを批判するとともに、米国の提案に反対した。議長国を務めるパプアニューギニアもこれを調整しきれなかったのである。

   15日に開かれたAPEC閣僚会議でも、米中双方は互いの批判を展開した。閣僚声明の調整は難航し、発表されていない。17日には習近平(シーチンピン)国家主席とトランプの代理役のペンス副大統領がそれぞれ現地で演説し、貿易紛争や地域構想で応酬を繰り広げるなど、米中の対立が浮き彫りになって会議全体に影を落として協調姿勢を示すことはできなかった。

   期待を担って首脳会議に参加した安倍晋三首相である。米中が激しく自国を主張する間に立って、小生厄を演じて世界にその存在感を示したいところである。席上、安倍首相は 「世界中で保護主義による貿易制限的措置の応酬が広がっている」との懸念を示したが、対立を解く役割は果たせなかった。残念である。米中の狭間に立って、将来を展望すると、両者を上手に立てて解決のお糸口をつかみたいところだが、痛し痒しの体は、十分に理解できるところである。アメリカ第一主義を強烈に打ちだす現状において、安倍首相の自由貿易の重要性を力説するところは、他国のうろうろきょろきょろする中で毅然としており、とりわけ光って見えた。落ち蔦今後の政策を以て説き伏せて行かなければならない。
   11月末からアルゼンチンで20カ国・地域(G20)首脳会議が開かれる。それに合わせた米中の首脳会談で対立を和らげる道筋を描くことが出来るか注目されるが、現在のところ、双方の主張の隔たりが浮き彫りになっていて予断を許さない。トランプに比べて穏健なペンスかと思っていたが、身にトランプ以上にきつく、具体的な表現に徹して驚いた始末であった。時間的に緩衝地帯を作り、お互いに頭を冷やすことも重要である。。     11月21日


公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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