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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.24.2

     梅一輪
 
  今朝家内が「お父さん、梅のつぼみが微かにに灯っているわよ」と知らせてくれた。食事前の朝の庭を眺めたら、梅の小枝にちらりほらりと白いものがついているように思えた。梅だ、梅の花が咲きはじめたか、と愛おしく感じながら見つめていた。梅いちりん一輪ほどの暖かさ 一句を思い出した。そういえば今日は二月に入って初めの日、これから先の日々、北風に寒さが残っっている頃合いである。しかし梅が一りん増えて咲くにつれ、暖かさも日ごとに増してくるといった風情である。二月は別名、きさらぎ、如月ともいう。ことのほか情趣に満ちた表現であるが、今見る月は空気が澄んでいるせいか、寒風の空に冴えて氷のように凍てつき、透き通って光っている。しかも満月に近いので、深夜といえど明るい感じである。だから二月のこの時期を、月の如く光っているというのだろうか。

  二月は又、衣更着と書いて、きさらぎとも呼ぶ。まだ寒さが残っているので衣を重ねて着るという意味である。そう云うえば今日、家を出る時に薄い下着を一枚重ねて着こんできたが、家内が、外の風が冷たいかもしれないというので、着重ねの薄いステテコのシャツを下に着こんできた。この上にコートをあおっていると体が温まって、湯たんぽを背中にしょっているみたいで、青年のごとく北風を切って歩いていても平気である。二月は春を待つ、明るく陽気な気分のする季節である。待ち焦がれて仲の春とも云うし、今は月もことのほか綺麗だし、梅見月という名前がぴったりである。      2月1日


    節分の豆まき

1月6日は暦の上で大寒である。お正月の七草迄が正月気分に慕っていて気付かずに過ぎてしまうあが、地方では冷水摩擦の訓練をしたり、心身を鍛える行事があったりする。小生も若いころは心身鍛錬の一環として、冷水を平気でかぶっていたが、大寒の日には朝早く起床し風呂場で水を桶に汲んで全身に寒の水をかぶっていた。冷水をかぶったりしたことは、遠い過去の話であるが、還暦を迎える頃には、医者から止められて中止してしまった。所謂「年寄りの冷や水」といった忠告に従ったまでである。しかしながら爾来、病身に陥ち入りだった体も、風邪をひかなくなって丈夫になり健康を保っていることは幸いである。
  寒の入りで、すぐに「寒たまご」を思い出した。少年時代にニワトリを飼っていたので、寒い朝、トリ小屋に入って巣箱から生みたての卵を取り出すのが楽しみだった。ニワトリも外で寒い風に当たり、吐く息も人並みに白く息を吐いたりしている。朝に暗いうちから巣箱に入って、敷き詰めた暖かい藁の上で産気づくまで身を沈めたりして卵を産むのを待っている。巣箱に押しくらまんじゅうしてたりしている時もあるが、何とも可愛らしい情景である。みかん箱の巣箱を三つ置いてあるのに、産気づいたニワトリが三羽仲良く一つの箱に窮屈な思いをして入ってたりする。寒い時期にきたえられて産み落とされた卵には、普段の卵より栄養が沢山含まれていて、これを食すると体が丈夫になると教わっていた。卵までが、寒さに鍛えられるとあっては、人間の心身にとって、大寒の季節はまたとない鍛錬と成長の季節といっても過言ではない。
  寒い季節も二月に入ると3日が豆まきであるし、翌4日は立春である。拙宅では昨日豆まきを終えた。節分の豆まきと称して、どこそこの神社で祈願を済ませて丁寧に売り出した豆袋もあるが、縁起ものなので何時もはあらかじめそれを用意しておいたが、失念してしまった。しかし普段から炒った豆が好きなので大袋を置いてあったので、それを使って豆まきを済ませた。昔は方々で豆まきの声が聞こえたけど、最近は全くしていない。大きな声を出して豆をまくのは憚るが、これも季節の風物詩である。遠慮せずに「福は内、鬼は外」と言っていたが、鬼はいないという思いで、「福は内」と連呼することに留めたのである。無論家内が手伝ってくれて、屋敷の全部の窓を開けてくれたので、そのあとを追うように小生が豆をまいていった次第である。罷り間違がっても大事な家内に向かって、鬼は外などと豆を当てるなど、以ての外というべきで、無論あろうはずがないのある。 開けた窓の近くに家内が立っている場合もあるから、豆が当たったりすると不遜なことにもなりかねない。不思議なもので豆をまいた後、風呂に入り、温まった体で夕刊に目を通していた。世間には相変わらず悪さをしている鬼を退治できずに、うろたえている話題がさまざまである。家内の用意してくれたビールを気持良く飲み干したが、つまみに沢山の炒り豆を口にして「無病息災」を願った次第である。豆まきが終わると、明るい春が駆け足でやってきてくれる様な感じがする。2月4日


関東地方に大雪警報

  節分の豆まきを終えてこれから徐々に暖かい春の近寄ってくることを楽しみにしていたら、とんでもない話になってしまった。今朝のどんよりと垂れこめた雲の重さに重苦しい感じがしていたが、お昼ごろ近くになって雪が降りだした。気象庁の天気予報では昨夜から盛んに大雪注意報を出していたが、明け方の薄日を見て又外れるに決まっていると高をくくっていたところであるが、こちらに期待が外れてしまった。メールを見たら事務局長から今日の出勤を控えたほうが良いという忠告が入っていた。今日はことのほかとり急ぐ案件もなかったので、雪の降り具合を見ながら在宅勤務をすることに決めた。仕事が始まると事務所にいる時も、自宅にいる時も同じである。携帯電話とパソコンを見ながら、送り込まれてくる情報を逐次チェックしながら商いを進めていくわけだから、仕事の態様はどこにいたも変わらない。大東建託の宇都宮支店から重要な商談が入ってきた。注いだコーヒーを飲みながら熟慮しつつ、はたまた間を置きながら神経をとがらしている。外を見ると、雪がしんしんと降り積もりつつある。関東地方全域にかなりの積雪を予想しているが、地震被害の大きな能登半島をはじめ、北陸や新潟の被災地にも大雪注意報が発令されて、そうした地域の人たちの身のご苦労が想像される。被災地の人たちの、生活の安全確保が求められている。東京の降雪は久しぶりだが、春の雪の風情は味わいよく、高まった神経を鎮めてくれる感じである。
                            2月5日

  日経平均の過去最高根に迫る

昨年十二月の末の本欄で小職は拙文にて、「株を枕に年を越せ」と意見を述べた記憶がある。昨年一年、紆余曲折を経て絶好調に過ぎてきた経済動向に向き合い、新年の株式市場の動向を見越して自説を述べたものであるが、年が明けて四十日目に日経平均が史上最高値に接近し、新年から戻り高値を更新してきている。因みに
1989年12月29日に、日経平均の高値38,915円を付けて以降、つるべ落としにだらだらと値を下げて、2009年2009年3月10日には何とたった 7,054円という血を吐くような安値を付けたのである。そしてそこから十五年の歳月をかけて今日日経平均で38,157円という値をつけてこの日の取引を終えた。過去の高値まであとに758円と迫ってきた。そこで過去の歴史を重ね合わせるといみじくも、いうところの失われた経済社会の三十年という空白と衰退の歳月が如実である。
1989年代の株式の奔騰は、謂うところの過剰流動性が主たる要因であった。政策的にあまり余った金が行き場を失い、物品の市場に奔流し、株式や不動産や金品に代わる物財に流れ込んだ。バスに遅れてはならないという風潮に、毎日が慌ただしくうごめいたのである。当時の特殊な事情としての背景がある。企業業績を調べてみると、当時の株式のPERは60、95倍であり、PBRは5、6倍であった。( 因みに現在のデーターはPERは16、9倍であり、PBRは5,6倍である。又、1株当たり利益は638円であったが、現在は2376円である。新j工場の建設や雇用、購買力は一段と高くなっている。)

 1990年になって日銀の総量規制が始まってピークを打った後は、途中で金融政策を弾力的に操作をすることを怠るまま、長年にわたり野放図にこれを放置され、未曾有の経済停滞期に入っていってしまった。ことごとく生気を失い政、官の職員たちは惰性に走り、怠惰をむさぼることをほしいままにしてしてきたのである。消費と生産は低迷して活力を失い、技術革新は立ち遅れてしまった。その間において、中国の活発な経済開放政策は功を奏して躍進し、日本を追い抜いて世界第二位の経済大国に躍り出た。そして幾星霜の経った今日、日本はGDPに於いてドイツに抜かれ第4位に転落する始末となった。
 円安の影響があるとはいえ、バブル崩壊から続く「失われた30年」の低成長がもたらした結果でもある。停滞が続く日本では賢明な回復への政策が政府によってとられてきたが、国民経済の痛手があま、自力回復が不可能までに痛め受けられてしまっていた。勤労者の賃銀は上がらず、国内消費は低迷し、人口減少は恒常化されていった。企業は設備投資を怠り国際競争力を失い、技術革新も後れを取っていってしまった。経済量の奪還は今も目指して努力されているが、米中との間で大差をつけられて購買力を失っている。輸出産業の自動車のみが限られて奮闘しているが、これとて競争力は限定されて為替の恩恵を受けており、円安が象徴的に拍車をかけている。

  今までも聖域なき構造改革、働き方改革、異次元の金融緩和・・・日本経済の長期低迷から脱しようといろいろな政策が打たれてきているが、日本は30年の失われた貴重な競争時代を失って体力を喪失してきているがゆえに、つまりは悪循環から抜け出せずに、世界に太刀打ちできないでもがいている。その茂垣から何らかの転機のきっかけをつかみさえすれば、歯車は動き始めて好転し、良い方向へと持続的に回り始めるだろう。

  きっかけは少子化対策である。人口減をどこかで食い止め、増加に転じるような人口政策の抜本的な改革を図ることである。かねてから提言しているところであるが、若い男性、女性諸君たちが、結婚して赤ん坊を生み、赤ん坊を育て、子供の教育を図り、家族を盛り上げていく喜びを、真から味わうことが出来る環境を作ることである。赤ん坊の懐妊を知った時から若者たちに須らく「五百万の祝儀」を贈ることとし、先ずは、赤ん坊の出産について不安なきことを、国家が確約すべきである。経済社会の構造改革は、現下の情勢にかんがみ、先ずもって出産奨励策を大胆に行うことではないだろうか。

  二番目の子にも、三番目のこどもにも、同様の、もしくはそれ以上の祝儀袋を送って差し上げるべきである。政治資金で年寄りが裏金をためても何ら役立たずに、ゴミくずと化すだけである。因みに二階派の二階さんに幾ら金を与えても、高齢化した身辺では、自分自身は使い道がないだろう。猫に小判である。それよりこれから伸びていく新家庭に有効に届けて、積極的に使い果たすべきである。少子化対策は、これを以てするしか方策が見当たらない。子供を以て初めて人間の努力も、喜びも倍加するとある。金で釣るわけではないが、出産の喜びに金銭的に振る舞ったご褒美が付けば、それが動機になって子供を産みたい、更には沢山産みたいという話にもなる。昔は5,6人の兄弟は当たり前だった。上品上品ひ弱に育つ一人っ子よりも、貧乏人の子沢山ではないが兄弟同士せめぎあって逞しく生きていく子供が頼もしかった。子供の養育施設だ、学校だ何だかんだといった問題は、それからの話であり自然に解消されて行って終うだろう。活性化された経済社会になっており、その時はどうにかなるもんである。その結果が、世の中の活力に、何十倍になって跳ね返ってくることは明白である。ケインズの明快、素朴な学説に従い有効需要となって乗数効果を発揮して、社会に還元されていくはずである。

 万葉集に出てくる歌人の山上憶良も、かように和歌を詠んでいるではないか。真理の一面を表して如実である。        2月15日

しろがねも、こがねもたまも、いかにせむ、まされるたから、子にしかめやも


34年来の東京株式市場の新高値更新

  記念すべき改革の年としたい日経平均株価であるが、今日22日に1989年につけた38,915円を抜いて今日、39,098円68銭で、この日の取引を終えた。文字通り歴史的新高値である。新高値といっても大した高揚感もなく、極めて冷静に市場の動向を狙って付けた感じである。最も、新年あけ早々から30年間続けてきた経済の低迷期からの脱却、言うなれば失われた30年間をいかに取り戻すかという命題を抱えたまま脱デフレ経済の課題を突破せんとする意気込みが多分に込められている感じの向き合い方である。
  その間にも中国には十年前にGDP世界第二の地位を奪われ、はたまた最近に至りドイツに世界第三位の地位を奪われ、日本は第四位の地位に滑り落ちてしまった。失われてきた過去三十年の間には悲しいかな、技術革新と生産性の向上に立ち遅れて、人口減少に悩む悪循環にさいなまれ、閉塞感に陥ってきた現状は浮き彫りである。しかし東証株価の日経平均が、過去の新高値を抜いて躍り出たことは、そうした鬱積した環境と状況突破のいい起爆剤となって躍進の機会となれば幸いである。背景に、活発な企業業績の回復と向上があり、賃上げに耐えうる力を蓄積してきているし、新技術に対する政官一体の財政的支援が顕著で、新しい分野での開拓、躍進が目覚ましいものがある。
  先ずもって期待していた日経平均の突破を演じて意気高揚の気分を絶やさずに、正常な金融市場の育成と拡大に努め、自由資本市場の健全な一歩を力ずよく踏みしめて将来の展望に資してもらいたいと念願する次第である。     2月22日

公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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