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公益社団法人昭和経済会

理事長室より
LAST UPDATE: 2019年06月14日 RSS ATOM

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理事長室より

Vol.19.6

外国に保護主義を煽るトランプ氏

   日本での行事を終えたトランプ氏は、今、英国を国賓として初めて訪問中である。トランプは、英国のメイ首相との共同記者会見で、混乱が続く英国の欧州連合(EU)離脱問題について、「英国はEUを離脱するだろうし、離脱すべきだ」と迫った。強硬離脱を掲げる英国の政治家と相次いで接触を図り、支援する姿勢を鮮明にした。
   しかしこれについては、英国はいずれの方向に進むかは別として、自分自身でEU離脱問題を解決するだろうし、又解決すべきである。トランプの謂うことが全て正しいわけではないし、アメリカの過剰な保護主義政策は、次第に翳りを見せてきている。他国に行って盛んにけしかけている感じで、傍から見て居ても甚だしく見苦しく、不快の念を禁じ得ない。英国も往時の盛況はないし、それでいてプライドだけは過剰であり、今以て捨てきれないでいるから始末が悪い。
保護主義、単独主義は今の経済的に強大なアメリカだから云い得るものであって、どこの国にも可能なものではない。イギリスがEUから離脱することによって、自国の落日の日が早まるだけである。嘘かまことか知らないが、エリザベス女王は英国に動乱が起きた場合には、素早く退避する術を講じているとのうわさも流れる始末である。極右勢力の台頭で、それほど国内政情が悪化しているイギリスである。国内を説得し切れなかったメイ首相は調子に乗って舞い上がり、予告したように死に体で、政権を放棄してしまった。そんなメイさんに例えばトランプが何を云ったところで最早得るものは何もない。賢明なメルケルが忠告しているように、英国は、EU連合に参加していることによって、経済的には相互幇助、協力関係に立ち、安全保障上の擁壁構築にも役立っていることに気付くべきである。うっかり、がっかり、,ばったりを繰り返す英国の始末にはあきれ返る。
  が、しかし即ちEU結成の要因と成り立ちの原点に返って考えるべきであって、目先の利益にこだわると取り返しの着かない結果にもなる事を銘記すべきである。もう一度国民に賛否を問い、正気の沙汰を確認すべきである。前の首相で,、ついうっかりをやってしまったキャメロンが、EU離脱の是非を求める再度の国民投票を盛んに唱えている。
                                             6月5日


6月10日午後一時から、衆議院議員石破茂氏を招き定期講演会を銀座三笠会館で行った。安倍さんの後は石破氏と、政界は専らのうわさの大人物である。定刻十分前に見えた石破氏と初めて挨拶を交わし、今日の講話に謝意を述べてお茶を飲みながら親しく、三分ほど言葉を交わした。その間、石破氏の政治家としての信念を直接垣間見ることが出来た。三十年間議員生活を送ってきたが、今日ほど世界が悪く乱れていたことはかってみたことがないと述懐することしきりであった。憂国の念赤裸々に吐露されてくださった。
  この瞬間に私は、石破氏の政治家としてのゆるぎない素質、心情、信念を見て取ったのである。安倍さんは自民党総裁総理として立派な業績を上げて来ている。これは厳然たる事実である。しかし自民党々規によって総裁の任期もきびしく決まっている。今も、二年の任期を一年延ばした結果である。安倍さんが良いからと云って又任期を延ばすわけにもいくまい。安倍さんの後となると、それにふさわしい人材は雨後の竹の子でドングリの背比べである。背比べをしていい人材が豊富ならいいが、目に留まるものがいないとの感はいがめない。安倍さんの後を継いでいくとなると、人物的にスケールが小さく、今の自民党ではみつからない。しかし安定政権は国家と国民にとっていいことではあっても、長ければいいと云うことでもない。コップの水も長く置いておくと、濁ってくる。長期政権が続くと老朽化に病んで、士気のゆるみや組織の腐食が進み、活力を失って行くことになる。一方、長期政権は、独裁化への道に繋がらないとも限らない。気づかないことだが、それは安倍さんにとっても自民党にとっていいことではない。だからこそ自民党の総裁の任期が決められているのである。
  最近の言を俟つまでもなく、国民の前に出て堂々と自説を披歴し、総裁選挙に臨んで石破さんは戦って幾多の洗礼を受けてきている。党内の支持を訴え数で根回しした安倍さんが、運に勝って勝ったに過ぎない。石破さんは国会内では劣勢に立つが、地方党員では勝っている。政策自体に優劣があるわけでもない。政治家として、鍛錬された精神も揺るぎないものがある。安倍さんに次いで、石破さんの存在意義はもとより、自民党の中に厳然として、その標識は立っている。安倍さんが打ち立ててきた自民党の力は、それとして、混乱なくそれを引き継いでいくことも自民党の政治家としての責務である。政局の持続的安定こそ、自由改革の気風こそ国の発展の基礎である。今や内外の時局は重大な岐路に立っていると云っても過言ではない。一見派手に見える安倍政権に手詰まり感が漂って来ていることは、いがめない。これは安倍さんの責任ではない。事象の必然性である。聞き及んで久しいが、安倍さんの次は石破さんだと云う話も公然としている。熟慮して大観すれば反って即ち、抵抗勢力さえなければ、「安倍さんの後を継ぐのは石破さんでなければだめだ」と云うことである。それは小生の、大局的に見ての感じである。
                                 続く    六月十日

憂国の情切々たるや沛然と驟雨の如く胸に迫り来
我が国の前途を憂ひ梅雨入りの雨蕭々と注ぐ胸うち
憂国の情しきりなりしばらくの余に訴ふる時の束の間
梅雨入りの銀座の三笠会館へ行く道すがら紫陽花の咲く
敵味方なし自民党の政治とし国民本位の次期の政権
日本の人口減少に憂慮せり歯止めかからぬ先を憂へり
何十年あとの先には人口の半減なりと衝撃の弁
石破氏を讃えて俳句の三十句さりげなく詠み壁に飾れり
石破氏の政論正し皐月富士今朝の美空を望み作れり
人口の減少地域に経済の発展なきは時の必定
衰退の地に人影も畑もなき人口減少はその前触れなりき 
石破氏と語らふなかに憂国の士の燃へ滾る思ひ及び来
この国の波立ち騒ぐ在り方に幾重悩むや君が思ひの     石破茂先生の講話にて 6月10日



束の間の浅草


梅雨の間の12日の正午、所用のため浅草に行った。幸いにも午後から快晴となった。自宅から自由が丘の東横線、中目黒駅から地下鉄日比谷線で銀座に出、会社には寄らずにそのまま銀座線浅草駅行きに乗り換えて田原町で降りた。昔は国際通りと云ったが、その大通りをビューホテル方向に行って左側に一つ入ったところが現場である。浅草は近年観光都市として栄え、土地の公示価格によると、浅草の繁華街は値上がり率が全国一だそうである。実感こそないが、一部の土地が投機の対象になっているくらいで、それは景気の良さを反映したもので歓迎したいところである。美加氏は浅草の土地は「土一升、金一升」と云ったくらいであった。戦後の間もない頃の渋谷、新宿辺りは未だガさ藪で狸が出た時分である。

  地下鉄の田原町で表に出たところ、外国人の観光客で人並みの多いことにびっくりした。スタイルの良い色白の西洋人もいるが、中国人をはじめとして、概して東南アジア系の人たちが多いようである。耳に入ってくる周囲の言葉は、もはや何を云っているのか見当がつかない。英語でないことは確かである。色白の西洋人は、北欧系の人たちかもしれない。しばらく行くと雷門方角に行く交差点に出る。そこを見通すと、スカイツリーが大通りを押しつぶすように威圧的に突っ立っているのが先ず目に飛び込んできた。隅田川に寄って行ったらそのスケールが圧倒的につかむことが出来よう。パリのエッフェル塔や東京タワーのような気品の良さはないが、ずんぐり、むっくりの重量感は充分味わえる気がする。いなせな男も、たっぷりとした重みのある方が良いかもしれない。

  仕事を済ませた後、関係者の一人と雷門近くの喫茶店「珈琲館」に入った。並びには老舗ですき焼きの「ちんや」がある。客人は昼食を済ましてきたと云うので、洒落たつもりで名指しの「珈琲館」に入り、店が薦めるコーヒーのブルーマウンテンとケーキを注文した。物足りないので、結局、昼食の腹ごしらえの食べ物を追加して注文することになった。だったら最初から、すっきりとした昼食を注文すべきであった。その方がまとまりがあった。浅草は小生の生まれ育ったところである。訊ねてきたので聊か自慢げに、若者の客人に青年の頃の話をした。いささかなりとも参考になればよいと思ったからである。若者の客人が、今は勤め人でいるが将来何をしていったらいいか、戸惑うことがあると云うので、敢えて青年の話の相手をしたまでである。「人間万事塞翁が馬」、それを云ってみたところで判るはずがないと思ったので、どんな大不況が来ても家族を養えるだけの土地を買っておくべきだ。それには約六反歩の、田畑になるような土地を確保して置けば六人の家族を養って行くことができる。先ずそれから始めよ、と云ったのである。余裕があれば別荘代わりに質素な小屋を建てて使ったりすれば、子供の情操教育の一環にもなると。ところが青年は「そうか、自分は実家が農家なので畑を継ぐことが出来るし」、というので、「それなら心配することはない。思う存分金を使って行けばいい。それが君の場合には、人生の投資になるかもね」と。何故それを最初に言わなかったのだと、心中少なからずがっかりしていた。

  喫茶店を出て、店先でそれぞれに別れた。小生は何気なく歩を進め、雷門をくぐり仲見世に入って行った。仲見世通りは、外人観光客で一杯である。中には安っぽい借り衣装の派手な浴衣を得意げに着込んで行く外人が結構いたりした。日本の羽おる着物が面白いのだろう。行き交う人たちはさまざまで、不図戦後のごった返していたロックのあたりの光景を思い出していた。正面に宝蔵門と、浅草寺の本陣の高い大屋根が目に入った。

  学友の一人が、この仲見世通りで装飾品とか小粋な小間物の店を出している。店の屋号を「たかしま」と云った。彼は子供たちに店を譲って、最早店には出ていないだろうと思いながら、店の前を中を覗きながら通って行った。女性が一人、店内にいたが、やはりいないやと思いつつ過ぎて行った瞬間、「いよおー」と、店の奥で手を振る男の影があった。良く見ると友達の高島だった。表に出てきて「懐かしいなあ、久しぶりだなあ、元気だなあ」と云いあって、飛び出してきた高島と握手した。「今日は所要があって浅草にやってきたが、帰り際、浅草から地下鉄で帰るので途中懐かしく寄ってみたんだ、仲見世に入ってきてよかった、まさか店に出ているとは思わなかったよ」、と云った次第であった。
  小さい店なので立ち話だったが、そこにやたらと派手な服装をした女性が自転車に乗ってやってきた。高島は小生を指して「学院の佐々木君だよ」と云うなり、「まあお若い」と云ってその女性が近付いてきた。「俺の上さんだよ」、と高島がいうので、見たところ思わず「奥さんも若いですね」と云い返して励まし合っていたが、意外にも元気で感じの良い明るい上さんだなと思ったのである。下町っ子らしい小柄でしゃきしゃきした上さんである。「ここでは狭いから、どこかでお茶でも」と上さんは高島に勧めてくれていたが、小生があとに用事を控えていたので、「もうしばらくしていとまを」と云って高島と立ち話を続けていた。昔からひかえめで遠慮がちな高島だったが、商売柄、その後の如才ない仕草が身についてきたのだろう、安心して思いついたことを話し合い、再会を約束して別れてきた。

  学生時代から高島は小柄で青白い友人だったが、そのくせ当時から弁論部に所属して盛んに声を張り上げていた記憶がある。弁論大会などに出たりして、小さな体からどうしてあんなどでかい声が出て来るのか、とてもそんな光景を想像することができないくらいに思っていた。浅草の仲見世で、昔同様、お土産品や小間物品など扱って、達者な姿が嬉しく思ったのである。ご承知の通り仲見世は、小さな間口の店が軒を連ねて長屋敷に張り出している参道である。六坪ほどの間取りで、賑やかでちまちましている店が並んでいて、店を覗きながら本堂までの長い道のりを楽しんでいける。高島の上さんが派手なのは、店の小物の売りものを好き勝手に身に着けているからではないかと、思ったりしていた。

それにしても下町の歴史的な繁華街、しかも仲見世に代々店を張って生計を立てていると云うことに就いて驚きを禁じ得ないで、妙なところに感心していたのである。伝統的な風習を継承していく中で、派手で賑やかという感覚を通り越して、目の前に行き来する大勢の人並に年がら年中晒されているわけである。最近に至っては、グローバルの観光客の波に乗って多種多様の人種を相手に、気が狂わずによくぞ努めている、あっ晴れと云うしかない。高島は、こうした地元の街の発展に尽くし、五月は浅草三社祭を始めとして 四季折々の観光行事に長老として采配を振るってきている。 学校こそ違うが、他に浅草富士小学校時代の佐野君が居て地元で頑張っている。昔から青年たちの先頭に立って、金竜の舞など演じたりしていた。益々の健闘を願っている。  6月12日

浅草の幼馴染があきんどで達者にをるは頼もしきかな

仲見世の人混みのなか会釈する愛嬌のある外人美人よ

われもまた羽織はかまに雪駄履きかんかん帽で行かんべえかな

縮緬の羽をり袴も甚平も風情よろしく仲見世を行く

浅草の仲見世は今外人の観光客のスポットとも謂ふ

スマートな若い女性の外人の観光客の微笑みて行く

愛嬌をふりまく明るい外人の女性に挨拶交わす親しき

仲見世の人混みに立ち遠く見る観音様の高き屋根かな

青空を我がものと飛ぶ鳩ぽっぽ寺の敷地に住みて慣れしに

豆を買ふ素振りをすれば立ち寄りてポッポポッポと鳴きてねだれり

ふるさとは遠きに在りて思ふとも近きに見るは粋に思へり

大寺の屋根のいらかのさざなみて初なつの空あやに光れり

初なつの仲見世通りを人混みに紛れて行くは愉快なりけり

公益社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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