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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.13.12

            戦前の暗い社会、言論統制か・・・・・。


      特定秘密保護法案の取り扱いを巡って 世の中が 喧々諤々の様相である。国会も連日のように議論沸騰である。会期末を数日後に控え政府、自公与党が会期内の成立を目指し、これに野党が猛烈に反対している構図である。個人的にはあまり触れたくない問題だが、戦前の治安維持法に多くの国民が言論と行動に置いて制約を受け、挙げ句に権力者の暴走によってこの国が滅茶苦茶になってしまった歴史的事実を髣髴とさせるのである。その忌々しい体験を持つ人間にとっては、この種の法律が出来たりすると暗いイメージを抱いてしまうものである。詳しくは法律家に任せるとして昔の治安維持法は初め大正時代に制定された。共産主義の台頭で政治の世界も不安と激しさを増してきた。そもそも「万国の労働者よ団結せよ」の旗のもと、暴力革命も辞さないという思想だから、これを取り締まることは当然である。しかし法律は昭和16年ごろに改正された。軍国主義台頭の世の中になっていき、法の適用はどんどんと都合のいいように拡大されていった。やがて政府に反対したり異論を唱えたりする団体や個人が取り締まりの対象にまでなって、民意に反して恣意的に悪用されていくようになった。戦前を生きた人間は苦い経験を持っているから、それとこれとでは中身と目的が違っていると云われてみても、法律の名前を聞いただけで拒否反応を示してしまう。官が民を抑えた世の中になって、およそ主権在民、自由民権の思想に反する社会に成り下がっていくことは、過去の歴史を見ても判然としている。
    民主社会にあって公正と正義に基づき、法にかなった行動のもと、社会秩序を維持していくことは国民の義務であり責任であるが、それを持続的なものとするために監視カメラではないが、国家権力によって常に言動が監視しされ把握されているとなると、これは過剰な措置であり感心できない。国民の権利侵害である。国民の権利にはたくさんあるが、それを一つ一つ大事に守っていくことも国の責任である。今、国は対外的安全保障を前面に出しているが、それは当然のこととしながらも、跳ね返りが国内に向けてあるものだから、簡単にいいとも言い切れない複雑さが絡んできている。違った目的にすり替えられる可能性があるから、安倍さんも、国民の安全、安心と同時に不安、不信を払しょくしたいといつも付け加えてきている。まかり間違えば国民生活は、人権無視に過ぎて、油断も隙もあったものではない。昔、治安維持法の拡大解釈で民衆を網にかけて取り締まりの対象になってしまうような事柄が起きてしまっていた。憲兵、特高が跋扈した時代があった。気に食わなければ逮捕拘束だから、みんな我慢して口をつぐんだ時代である。臭いものにふたであったり、物言えば唇寒しであったりして、国民は委縮し覇気に欠けてきて,これでは死んだも同様の世の中になっていってしまう。何ごとに於いても改革は望めないし、ましてや社会の進歩、発展は望みようもないだろう。閉塞感が漂い、活気に満ちた国民性を望むことは難しい。世界の経済に伍して躍進していこうとする潜在的エネルギーを削いでしまって、落伍組に列して停滞に陥ってしまう国になっていってしまうことが恐ろしい。公務員が国の秘密をリークしたりした場合に罪に問われるものだが、運用の仕方次第では、国のために働く公務員の士気を抑圧してしまうことになる。安倍さんの登場で経済に活気が出てきたと喜んでいたら、余計なことに手を出して物議を交わし、業績的には帳消しになっていまうようである。歴史に汚点を残しかねない法律だからである。
    基本的人権である自由の剥奪の歴史がある。例えば、正しい情報をつかんで客観的に戦争が負けることが分かっていても、それを口に出したなら国家反逆罪でブタ箱行きである。そもそも正しい情報を得ることも難しい。情報が恣意的に隠蔽されてしまう場合があり、それを漏らした場合には法律に抵触する。一方、国民には知る権利があり、そこのすり合わせをどこに置くか、それが正しいかどうかも難しい判断である。時の権力者の判断が正しければいいが、そうでなかった場合には大変なことになる。又、この法律によって事実が隠蔽されて、その結果何十万人の命が犠牲になって貴重な財産を失い、国を守るべき法律が、逆に国を破滅に追い込む結果となる事例が過去の歴史を見ても歴然であることが分かっている。わかっていてても止められないでは救いようがない。そもそも主権在民、民権政治のもとにあっては、国民の自由が保障され、正当に選挙された国民の代表者によって国会が運営され民意を汲んだ法律が作られるべきものであり、国の情報は公開が大原則でなければならない。公開と制限・隠匿の線をどこですり合わせるかの問題である。防衛、外交、安全脅威活動、テロの4分野のうち特に秘匿すべき情報を、各省の大臣が特定秘密に指定することになっている。指定された法律が実際に実施されるのは現場の行政官、役人によってであり、政治家の手から離れてしまっている。この時点で法律や規則が官僚指導で実施されていくのは常識である。この特定秘密を外部に漏えいした場合、反した公務員が罪の対象になる。この拡大解釈が、究極的に国民の知る権利を制約し、言論の自由を制約し、歯止めが利かなくなる危険性がある。だから表現を盾として活動する人たちを含め、国民が一斉に反対している。
    法文の難しいことはさておき、思想的にも大体がこの種の法律については落としどころは決まっている。日本でも、この法律に就いて苦々しい思いをした人は皆死んでしまっている。かろうじて生きているとしても発言する権威は持ち合わせていない。老人性痴呆に陥ってしまって脳軟化症でいるのが多い。年老いて残された連中とか、半ばがん箱に足を突っ込んでいる連中とかわからない連中が、さも知ったかぶりをしてこの法律を世の中に出そうと画策しているが、そうした連中は、自分が支配者になっているつもりでやっていることであって、立場が変われば被支配者になることを知らない馬鹿が多い。立場が逆転したことを考えれば一歩踏みとどまるはずであり、そんなに急いで決めなくてもいいはずである。そうでないのは、自分のこと、自分の世代の自分のことしか考えない連中で子供、孫の時代を考えていない大ばか者である。ましてや将来の国家、社会、他人のことなどどうなってもいいという無責任な輩の考えることでしかない。世の中を自分の都合の良い方向へ持っていきたいために、他の人の自由な発言や行動を封じても正論であるという、いかがわしいたくらみが、その動機となっている。
    安倍さんはこの法律について、「国民の様々な不安や懸念を払しょくするよう、今後も丁寧な説明を尽くす」 と云っているが、不安や懸念があるからこそ、左様な発言となって出てくるので、運用の仕方によって不安や懸念のあるような社会にする可能性があることを自ら証言しているものである。今後の努力が実を結ばなくなる世の中だから、国民の大多数の人がこの法案に反対しているのである。安倍さんについては、この国の経済を回復軌道に乗せて国民経済を繁栄の道に導いてきた抜群の業績を称賛しているのに、大事な時に横道にそれてしまって、右がかった印象を植え付けて口惜しい気がしてならない。折角安倍さんのこれまでの功績を高く評価してきているが、こんなことでつまずいたではがっかりしてしまう。安倍さんのつまずきをほくそ笑んでみている自民党内の議員だっているだろう。戦後政治史が示すように、ややもすると数の驕りで、国会をわがもの顔に運営されていっても困る。こうした傾向は、華々しい安倍政権の誕生後に心配して本欄で書いた事柄であるが、そうした心配を抱かせしめないよう自重してもらいたいものである。
    おりしも尖閣諸島を中心に中国の台頭が災いして、外国に対する安全保障的な意味合いが先行している感じで扱われているが、大事な点は、これが国内に対する締め付けであって、突き詰めれば思想弾圧、言論統制につながりかねない。法律の反対を叫んで、今も外堀通りを市民のデモが続いている。その声がオフィスの仕事場にも聞こえてくる。大きい時もあれば小さい時もある。都合が悪ければ喧しいなあと思う時もある。大きくて響いて、言っていることが聞き取れないからである。騒々しいデモは、基本的にはテロと変わらないという政府高官の発言があった。既にこの始末である。ドイツのワイマール憲法のようにいつの間にかナチスか使いやすくなったことを真似ればいいのだと暴言を吐いた政府高官もいた。考え方がこんな程度だから、何が災いしないとも限らない。    テロとは法律に反し、言論に反して暴力的破壊、殺傷を以て相手を封じ込めようとする行為であって、平和と安全を脅かし、法の支配する正義と信義に基づく社会的秩序を破壊するものであって、これを禁ずる手当は当然行っていかなければならない。これは法律以前の問題であり、犯罪行為として糾弾されることは今までの法律でも自明である。ところが新たにできる法律は敢えてテロだと断じる基準はいかようにも恣意的に作れることになって、拡大解釈すれば際限なく権力が及んで取り締まりの対象になっていく。国会審議の場での大臣の答弁も二転三転する始末で、解釈はいかようにもできるということである。
    法律が通ってしまったら、安倍さんが言うように 「丁寧に説明していく」 なんて言うことはできない。説明する人間は安倍さんみたいに親切でお利口な人ばかりではない。権力を笠にして威張り散らし、抑え込む人間ばかりが登場してくるに違いない。各省庁の矢鵜人にわたって末端の現場に行き着くころは、現場の役人の裁量で取り締まりを行っていく流れであり、歯止めのきくものではない。戦前のあの暗い官憲跋扈の時代を思い出してしまう。今の政治家は道を外して歩いている。いったい何を考えているんだろう。日本には現在も国家公務員法や、自衛隊法など十分に法の役目を果たしている法律がある。特定秘密保護法案をごり押しで決めてしまおうとする意図が、他にぼんやりとしてあるはずである。自分のことを考えて必要だと思っていても、所詮右寄りの先の短い旦那衆が中心になってやきもきしながらやっていることだから、がん箱に収まればどうなってもいいから何でもないが、これから世の中を充分楽しんで生きて行こうとする若い人たちにとっては厳しい重しになって、清新な志向も後退して国家に活力も生まれず、時には全てが網にかけられて統制されて沈滞しきった、かっての日本が歩んできた官憲支配の陰湿な社会の到来となって、挙げ句には政治の無能化を来たし暴走して、我々国民の生命、財産を脅かす結果にもなりかねない。この国の将来にとって心配であるがゆえに、何を以て秘密を特定するか、範囲はどこまで及ぶかなどを初めとして慎重になって審議して、これに代わるべきスマートな道と方法の模索、若しくは第三者機関による厳正な検証を設けたりするチェック機能も考えてもらいたいものである。そしてその第三者機関のメンバーの選出についても、各省庁からなる官僚ではなく、政府機関からでもなく、民間から選出された厳粛な、独立と安全を保障されたものであることが望ましい。   12月2日


           あでやかな紅葉


    庭の手入れに庭師がまだ入らないので、その代わりの贈り物と云うわけではないが、庭の樹木の紅葉を毎日楽しんでいる。この時期には柿やもみじ、桜や梅の葉が一斉に色づいて華やぎ、得も言えぬ美しさである。毎日、紅葉の盛りの高原を行くような感じで、樹木のつややかな色づきを居ながらに楽しんでいる。菜っ葉が植えてある庭畑が一面に落ち葉で敷き詰められてしまい、刈り終えた芝の上にも紅葉の葉が一面に落ちて色鮮やかである。日差しを受けて家の中の気配までがくれない色に明るく揺らいでいる。
    妻には、熊手を使って庭の落ち葉を掃きよせないで、そのままにしておくようにと云っている。庭に出ていた妻が、紅葉した落ち葉を拾ってきて、食卓のテーブルの上に何枚か並べてくれた。粋なことをするもんだと思いながら落ち葉をじっと見ていた。さまざまな色の余りの鮮やかさに心を奪われて、一枚の葉っぱの中に極楽浄土の世界を見つめるような気持になってきた。一枚の紅葉の葉に見た天然の色の染め上げは、まさしく神の御業というしかない。いかなる人知をつくし、どんなに勝れた技工を以てしても、まったく及ばざる美の境地である。美しさにうっとりしていると、「世の中の雑念が払しょくされていく」 感じでいた。同じ言葉の使い分けながら、特定秘密法案の取り扱いを巡って、「国民の不安、懸念を丁寧に払しょくしてくれる」 という安倍さんの答弁だが、そうした世の雑念を払うには、紅葉した柿の葉の一枚の方がはるかに勝っていて明鏡止水、なんら言い訳する必要もない。「自然に帰れ」とルソーは云ったが、変な組み合わせで比較してみたりしている。

       野分あともみづとこはのみな落ちて柿の実赤く枝にのこれり
       柿の実の赤く色づく鈴なりに晩秋の陽に暮るる宅かな
       わが宅にめんこいおなごよたりきて双子の子にてにぎはいにけり      12月5日


良識の府である参議院の委員会で、特定秘密保護法案を巡って審議が行えわれていたが、賛成の与党と、反対の野党の対立で挙げ句に法案の採決を巡って乱闘まがいの混乱になった。衆議院で行われた時のビデオを見ていたのかと思ったら、さに非ずでびっくりした。審議打ち切りを力で押し通そうとする与党に対して、劣勢の野党としては、審議を伸ばしたり、否決して衆議院に差し戻そうとする戦略では、どうしてもこうした混乱に終わってしまうことにもなる。議会主義の壇上で、両方とも主張を通すために懸命なのだから、これを良しとするしかない。だが、重要な法案の賛否を問う国会なのだから、十分に、慎重に審議したと、国民の目にも映ったものであってほしいと思うが、結果を見る限りそうした印象は残念ながらもてていない。欠陥があればその時になって改めて、丁寧にわかりやすく説明すればいいではないかと云うけど、いったん法律となって成立してしまうと、あとは実施を待つばかりである。行政機関に移って実施されていってしまうと、今度は、そう簡単には改めたりすることはできない。曖昧な点があったりすると、移った先の現場では裁量権と云ったものも働くであろうし、拡大解釈がなされたりして、どんどんと先に進んでいってしまうはずである。広く言えば、誰かさんが言ったように、ドイツのワイマール憲法が、いつの間にかナチスのヒトラー憲法に変容していってしまったことにもなりかねない。まさかそんなことに倣っていったのではかなわない。与党の安倍さんは経済回復を旗に掲げて圧勝し、飛行機が離陸して水平飛行に入ろうとする前で、一番エンジンをふかしていなければならないのに、とんだところで浮気をして横道にそれてしまって、勢力を削がれた結果になってしまった。人気的にも景気回復は助走段階であって、これからは正念場であるから、経済は、成長戦略を怠らずに蛮勇をふるって頑張ってもらいたい。社会生活の毎日に不安や懸念が潜在し、自由にのびのびと活動できなくなるような社会であっては、いくら働いても楽しみも望みも持てなくなっていってしまい、挙げ句に閉塞された社会活動、経済活動に甘んじなければならなくなってしまうのでは、将来に向けた前進はできない。国家の安全、安心も大事だが、そのためには国民の安全、安心があってのこそでなければいけない。国が優先するのではなく、しっかりした国民の生活があってこそ、国家安泰の基礎が確立できるのである。順位は逆でなければいけない。国に引きずられていくのではなく、国民の一人ひとりが国に対してどう向き合って自覚し、責任を果たしていくかの理解と認識がなければならない。国家が過度に走りすぎては、角を矯めて牛を殺す結果になって、これでは何をかいわんやである。個の創意工夫の精神と、民意の自由な発揚こそ、愛国の情豊かに、安倍さんの経世の施政の真骨頂ではないのだろうか。   続 12月13日


              北朝鮮の暗闘


    北朝鮮のナンバーツーの指導者、張成沢(チャンソンテク)が3,4日前に議場から二人の兵士によって連行される様子を映像で見たばかりだが、12日の特別軍事裁判で彼に国家転覆の陰謀罪の判決が下され、判決後に死刑が執行されたという衝撃的な報道を今日の午後の夕刊で知った。背筋が寒くなる気持であった。恐怖政治を敷く北朝鮮のすごさに慄然とした。報道では張成沢は実力ナンバーツーで故金正日総書記の妹の夫である。つまり正恩第一書記の義理の叔父にあたる。穏健派で金正日総書記を支える有力者であり、後見人と見ていたが、政権内の激しい権力闘争の粛清の犠牲になってしまったようである。昨日まで権力の座の中枢を占めていた人物が、手のひらを返すように政府転覆、国家反逆者の烙印を押され寸時に消されてしまうのだから、恐ろしい限りである。同時に権力の座にあるものは、常に周囲の行動に目を光らせていなければならない猜疑と警戒の真っただ中に置かれているのも悲劇的である。明日はわが身に跳ね返らないとも限らない。消される前に消すということは、世襲的独裁政治にとって常套手段である。今後の北朝鮮の激しい粛清が昂じて、これが引き金となって軍部の独走を許す結果にならないことを願っている。
    この国は何が起こっても不思議でないがゆえに、周辺諸国に緊張が高まっているが、軍の暴走に対して万全の注意を払っていく必要がある。彼は北朝鮮の鄧小平と見られていたほどに、経済開放を突破口として、民衆の貧困を何とか解消したいと、先ずは中国との貿易拡大を進めてきただけに、中国にとっても今回の張成沢のあっという間の死刑執行には何らかの反応があるに違いない。謎に包まれた戦慄の国に、軍部の暴走を予感して、我々は常に警戒を怠ってはならないと思うのである。今は世界のグローバル化が常識のように叫ばれているが、一国の政治は国際舞台に於いても力関係で繰り広げられているのが現実である。和解と協調が国際政治の舞台でいつもながら自然に語られているところに、むしろその必要性を実感する昨今である。     12月13日


               あわただしさの増す年末

    長く猪瀬都政が続いて、安倍政権も大過なく、景気回復路線を進んで、紆余曲折はあっても世の中がオリンピック開催の2020年まで安泰に過ぎるかと思っていたら、予想もしなかった展開になってしまった。ごたごた続きの特定秘密保護法案の国会審議で安倍さんに対する国民の信認も雲行きが怪しくなってきたところに、猪瀬都知事の辞任劇である。しぶとさと自信のみなぎる安倍さんについては此の先期待して、まだ頼れるところ大であるが、都知事選で500万票近い都民の投票を獲得していながら、反骨精神旺盛で、権力に鋭く切り込んでいた猪瀬さんが事もあろうに金でつまずいてしまった。徳洲会から受け取った不明朗な5000万円の金で、まったく逆の結果で都民の期待に反し、都知事就任一か年ののち醜態の結果となってしまったのである。残念である。どこでどうギアを入れ間違えて、狂っていってしまったのか、この一か月の間と云うものは、本業そっちのけで自己保身と弁明に苦しむ猪瀬さんは、激しい都議会議員の追求に憔悴しきっていた。
    朝日新聞がスクープした記事で、徳洲会からの猪瀬さんへ渡した5000万円の疑惑について、最初はさっぱりわからなかった。まさかあの猪瀬さんがと思ったりもして何か間違えではないかと思い、猪瀬さんも否定していたが、事実であることが分かって正直のところ困惑気味であった。猪瀬さんとは副知事就任の間もないころ、青山の事務所で二度ばかりあってもいるので、その後の活躍を見たりして、今回の疑惑は想像もできないでいる。その後の猪瀬さんは都議会の厳しい追及にあって釈明に四苦八苦の体であったが、とうとう刀折れ矢尽きて降参し、憤死した。信念堅持を全うできず、無念であったに違いない。副知事の5年間は石原慎太郎都知事のもとで良く奮闘した。石原退任のあとの都知事選で勇躍の登壇である。気負いと慢心があったかもしれない。魔がさしたかも知れないとは本人の述懐であるが、言うなれば言葉は吐いても人間としての修行の足りなさである。驕りとか慢心とか青臭い話ではない。巨大な都政を担う人物は、私心を捨てて公務に没頭し、都民の信託真摯になって応ええなければならない。それは動かしがたい責務である。権力の牙城に切り込んで、役人の組織と構造の暗部に鋭く迫って、庶民と納税者の味方として見せた姿は、逆の立場に立った時には作家であっただけに良心と期待に背き、人間として全て脆弱なもので醜い恥部をさらけ出して痛々しかった。彼に対する期待は、単にオリンピックのことだけではなく、彼には広く将来を見通して、もっと大きな活躍を期待していただけに一票を投じた都民の落胆も大きい。しかしこの事件が闇のうちの閉ざされたとして、この先彼に、このような感覚で都政を行っていかれたら、さらに腐敗して恐ろしい結果を招くと思えば、ここで辞任してもらわないと、先の世の中に正義と秩序の破壊があるのみである。地方自治の雄、巨大都市、東京の都政は日本国の主権在民の範でなければならない。同時に日本の世界に向けて地方自治の精神と指導理念を示し、範となって広く啓発するものであり、その品位を世界の示すものであることを忘れてはならない。初志貫徹、信念堅持を忘れた彼に、慨嘆あるのみである。都議会はわれわれを代弁してよくぞ戦ってくれた。悪の温床は徳洲会と彼の関係だけではない。根深いものがある。
    徳洲会からの不明朗な資金の提供は、政治資金規正法違反や、後にわかった東電の所有する東電病院の売却に絡む疑惑など取り沙汰されているが、百条委員会の設置が決定打となって知事を辞任に追い込んだとも言われている。いずれにしても公人としての責任はもとより、都政の混乱と遅滞を招いた責任は免れない状況である。この事態を早く解消し、一日も早く都政の機能を正常化して貰わないと、これ以上の遅滞は都民の生活に悪害をもたらすばかりで決していいことはない。選挙のたびごとに云われることであるが、次の都知事は有能且つ清廉潔白な人物で、しがらみのない人物に託したいものである。        12月20日


        傘寿の天皇陛下を 慶祝して

    天皇陛下は12月23日、満八十歳の誕生日を迎えられた。快晴のこの日、皇居前には多くの国民が祝賀に訪れた。これに先立ち陛下は、緑青の松風が吹きすぎる皇居・宮殿の間で記者会見をされた。時代の大きな変化とは言え、思うに歴代の天皇の中でも、これほど温和で心優しく、国民に親しく身近に接して、親愛の情あつい天皇はいなかったのではないだろうか。国民と苦楽を共にしてきた心の深さを感じたのである。
    陛下は過ぐる八十年を振り返り、悲惨だった第二次世界大戦で多くの犠牲者をだしたことに触れて、「夢を以て生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と、その心情を切々と述べられた。そして、「戦後、平和と民主主義を守るべき大切なものとして憲法を守り、荒廃した国土の復興に尽くした人々に深く感謝の気持ち」を示されたのである。私は陛下の誕生日を心から祝うとともに、陛下が無慈悲で悲惨な戦争がもたらした惨状を振り返り、二度とこうした戦争を繰り返してはならないと、不戦の勝利を掲げ、一人の人間として深い心の思いを示されたことに感銘を覚えたのである
     陛下のご様子を思い浮かべるとき、 天皇の国事行為に関する仕事は色々とあって、儀式的でいかめしく映るときもあるが、私の勝手な想像で恐縮だが、陛下の家族団らんの時とか、皇后とそろって散策するときの様子と云った平和な光景がまず浮かんでくる。穏やかな幸せなひとときの、ひとこまである。周りに仕える律義な多くの職員らを、私なら煩わしく思って、自由に開放してもらいたいと思うので、陛下の心中も察して余りあるものがある。先に述べられた所感の通り、人柄は普通の、人間味あふれるものである。そして深刻に悲痛に止めるものと云えば、たとえば過去の戦争を振り返り、今以て胸を痛めることは、若くして戦地に向かって尊い命を絶った多くの若者たちであり、焦土と化した敗戦の地に悄然として立ったときの切なる思いと、その後の復興に尽くした名もない多くの人たちであり、そして災難に苦しみ悩む人々に向かう切なる姿であり、貧しい人々に思いをはせた愛の手の姿である。しかもご自身について云えば自らが孤独であると、心境をのべられている。しかしながら、孤独と思う陛下の、その時にも必ず皇后を勤める美智子さんの、陛下に静かに寄り添う姿がある。美智子さんは、聖心女子大を出て、愛の教育を得て気品豊かに、静かに日々の生活の中に受け入れているのであろう。そして陛下を影で支えられているのである。
    平和と民主主義の新憲法が施行されて六十有余年、日本国の象徴として、政治的発言を慎まれる立場にありながら、内外に向かって日本国の憲法に記された「恒久平和の維持と、民生の安寧を希求して」、陛下の精いっぱいの気持ちと思いを述べたことに、むしろ真実として、多くの国民の普遍的理念として胸に深く、感動を以て刻まれたのではないだろうか。被災した東北の人たちにも常に温かい心を配りつつ心配していらっしゃる。これからの人生についても「八十年の人生を歩み、やや戸惑っています」としたうえで、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思います」と、つつましく述べられたのである。
    喧々諤々の世の中の潮流であるが、陛下の物静かな語らいに、言い知れぬ温かみを感じたのである。冷静沈着な日本の行く末を決めてゆかねばならないことを、目先にとらわれず、政治家はもとより、役人も、民間人も共に自覚して、太平の前途に臨むべきことを知らしめたのではないだろうか。
    陛下の傘寿のよわいを心から祝って、健康の日々を過ごされんことを祈念申し上げて切なるものがある。                                             十二月二十三日


2013.12.2

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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