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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.13-5

現実的になってきた北方領土問題の解決と
     平和条約の締結

   安倍首相のロシア訪問を機に開かれた両国のトップ会談で、日露の平和条約の締結と同時に、北方領土の帰属に関して問題解決に向けた、最終的局面にいよいよ近づいてきました。日露間に存在する領土問題は、双方の認識の相違から長いこと懸案材料として両国の間に大きなわだかまりがあって、相互の不信をただよわせてきました。世界的実情は、すでに戦争終結宣言が出されているにもかかわらず、両国の間では67年間の長きにわたって、平和条約がむすばれていないという異常な状態が続いてきています。即ち両国の間には、未だに戦争状態が続けられているといっても過言ではありません。
    昨日はアメリカを中心とした連合国との間で講和条約がむすばれて、それを祝う式典が東京都内でありましたが、一方においてたとえばロシアとの関係については正常な国交がむすばれていないという状況が続いてきています。安倍首相が言われるまでもなく異常であります。そこには領土問題の解決がいまだになされていないからであります。いままでに何度もそうした機会が与えられていたにもかかわらず、歴代の政治家のトップの怠慢が許されてきました。今回、首相として訪ロしたのは安倍さんが二度目であり、しかも十年ぶりの首相のロシア訪問であります。世界がこれほど大きく激変してきているのに日ロの大国の関係が、隣国であるにもかかわらず、国交正常化が基本的になされていないということは悲しむべきことであります。
   さりとて問題を先送りしたり、安易な妥協は許されませんが、ここにいたり両国は大乗的な見地に立って、ことを決する英断を求めたいと期待しています。願わくばプーチン首相の大英断を期待したいところですが、それに引き替え、日本からの経済的、技術的支援を以て償うことは十分担保されると信じています。ロシアは広大な領土を持っています。さらには、シベリア地区を含め、極東アジア地域にはまだ未開拓の広漠とした領土が広がっています。そこにはエネルギーを初めとして、貴重な膨大な資源が眠っています。これを開拓して工業国の日本に大量に供給されれば、両国にとって些細な領土問題など議論に値しないほどの大きな含みがあります。それらを推進するためにもインフラの整備は、ロシアのこの地方にとって欠かせない大きな課題であります。
    日本は隣国として、ハードとソフトの面で最大限に寄与することができます。ロシアにとってこんないい条件はありません。北方領土の択捉、国後、歯舞、色丹などの開発価値など取るに足らないものでしょう。昔の冷戦時代であれば、確かに日本ににらみを利かせるための北方四島は、ロシアにとって戦略的価値として重要な拠点を構築したに違いありません。しかし今やかっての冷戦時代は過ぎ去り、経済は平和的、グローバル的に拡大されつつあります。さすれば北方四島を日本に返還し、高濃度の大胆な開発を日本に託して、その恩恵を最大限に受けて、極東地域の開発と発展に回した方がロシアにとって将来とも有益であるに違いありません。両国の緊密な関係が今日ほど期待されているときはありません。両国の利害関係が今日ほど共通した認識を持ち得ているときもありません。くわえて、プーチン氏が極めて親日的であり、日本との関係において良好な深い理解を持っている人は今までのロシアにはなかったと思われます。この機を逃しては両国の信頼友好関係を構築するときはないのではないかと思われます。絶好調の安倍首相の訪ロと、両首脳会談の模様をうかがうに、腱蜜な両国の関係の構築には、千載一遇の好機と見なければ、この好機を逃しては、将来に禍根を残す結果ともなってしまうでしょう。
   日本は経済国としても、貿易相手国としても、信義を重んじた商習慣に培われてきました。この商習慣は決して相手国を落胆させるものではありません。相手国の期待に背くものではありません。ロシアは首都モスクワを最も遠く置き、ヨーロッパ近くに持ち、遠く離れて極東シベリア地区には容易には手が及ばないのが実情です。行き渡らない力を、日本がカバーする務めと責務が、平和条約を締結すれば必ず浮上してくることは疑うべくもありません。余り述べたくないことですが、日ソ不可侵条約を破棄して、突如日本に侵攻して樺太、北方四島を占領してしまったことは紛れもない事実です。早稲田大学名誉教授の堀江忠男教授は私の恩師ですが、わが昭和経済会の機関月刊誌にいみじく書いています。
   即ち、「ソ連政府は八月八日次のように通告してきた。日本政府のポツダム宣言拒否により、日本のソ連に対する終戦斡旋の依頼は基礎が失われた。ソ連は明九日から日本との戦争に入いる」と。   敗色濃厚の日本は白旗を掲げ、すでに疲労困憊の状態で戦意はなく、満身創痍、死に体の状態でした。間抜けな軍人が、無謀にも仕掛けた戦争の降伏は、目前でありました。それを見抜いたソ連軍は、九日未明、一方的に満州進攻を開始しました。そして日本降伏の日、八月十五日の三日後のことであります。ソ連の軍隊は八月十八日になって、千島列島への侵攻を始めました。既に日本が全面降伏しているにもかかわらず、その三日後にソ連が一方的に、武器を捨てた日本に攻め入って、我が国固有の領土である択捉、国後、歯舞、色丹にまで侵攻し、これらを占領したのです。ソ連の作戦完了は九月三日でありました。 
   振り返ってみれば、この時点でも、日ソ中立条約は有効であったのです。失礼になってはいけませんが、火事場泥棒と同じだということです。病み上がりに鉄拳にも等しく、死に体に鞭とも云え、男の風上にも置けない仕業とは失礼になってはいけませんが、それが事実であることはロシアが当然知っていることです。勝てば官軍ということもあります。何をやってもいいということで、憎まれっ子世にはばかることも許されましょう。ですから今となっては相手の欠陥をあげつらうことではなく、過去のことは水に流して前に進む姿勢が大事であります。
   大領土を有する国のプーチン大統領は、たかがこのちっぽけな島々の、この歴史的事実を看過するわけにはいきません。 かって明治大学教授の藤原弘達氏が当会の講演会で吠えまくったことがありました。 「たかが北方領土返還のことぐらいで、鉄砲を構えて、ドンパチされてたまるもんか。魚しか取れないそんな島だが、金を出して買ってやったらどうだ、日本はけちけちするな、金を出して買ってやれ」と。あの時はロシア、旧ソビエトはぺロストロイカの真っただ中で経済の混乱期で貧乏していたので、そうした発想が湧いたかもしれません。   そんな時代もありましたが、今だって金を出して買ってしまってもいいんじゃないですか、それだけの価値があるなら、取引しても国益を害することはないでしょう。ロシアは広大な領土の持ち主です。それに比べ日本は四十分の一にすぎない領土の国であります。金持ちは、とかくけちけちするから、大きな運を取り逃がすことだってあるのです。この際は体裁ばかり考えずに、ざっくばらん現実的な取引も考慮に入れて出たとこ勝負で話を進めることも必要でしょう。回りくどい経済支援関係の構築と合わせ、現ナマ決済という 「混合方式」 もあるかもしれません。まあ、お互いがあとは事務次官に任すといいますが愚図々々していて先に進まないかもしれません。大ナタを振って張り合う場面には、安倍さんとプーチンさんとの直談判と、腹の座った同志の手打ちだけで決められるのじゃないかと楽観的に思っています。   
解決策の一つに等分分割方式というものがるそうです。面積を二分して返還するというものですが、そうなると日本にとっては歯舞、色丹、のほかに国後が加わってきて、なおかつ択捉島の三分の一くらいが面積的に含まれてきそうです。今まではまず二島返還ののち、あとはうやむやの線が濃厚でしたが、等分分割方式の案をもってすれば、お互いに「引き分け」ということになります。形式的にも気持ち的にも四島返還が達成されたというわけで、これが一番現実的であります。プーチン提案として出てきた場合は、これに妥協して日本は乗るべきでしょう。私はそう考えております。プーチンさんが、かって森元首相に柔道式「引き分け」と称していたことは、きっとこのことを指していたのかもしれません。不足する部分は金銭外交、即ち安倍さん云うところの経済外交の腕の見せどころではないでしょうか。
    アベノミクスの遂行に登壇した太っ腹の日銀の黒田総裁に訊ねてみたいと思います。「どうだ!やってみないか。北方四島に投資してみないか。株だとわからないが、相手は無くなるものではない。ちびちび、ケチケチしないところが黒田さんの真骨頂だろう。話がつかないところがあったら、大判振る舞いで助けてやってほしい。片や安倍さんの経済外交だ。エコノミック・デイプロマテイーを成功させるためにも、金をふところに入れて、プーチンさんと渡り合ってみたら、決してわからない人じゃないはずだ。 意気投合して、簡単に話が判って、すぐに決着がつくはずだ」。これは名案です。藤原流現ナマ決着外交が、今になって生きてくるかもしれません。 考え直して頑張ってみたらどうでしょうか。 ロシアの現地人も考え直すかもしれません。      5月1日

            富士山が世界遺産に

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    麗しき富士が高嶺に朝の陽のかがやき染むる大和まほろま

  富士山が来月、世界遺産に登録される見通しとなりました。富士山は日本人の心のふるさとであり、日本の、「美と力」 の象徴でもあります。世界の人々に広く富士山の名前と姿を伝えることは、世界に平和と、安寧と、栄えを心から祈ることになります。世界遺産登録を機に、われわれのふるさと、この国の弥栄を祈って止みません。 この国に、神のご加護あらんことを。   5月2日


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     憲法記念日

   日本国憲法を勉強しようと思って、書棚から久しぶりに六法全書を取り出してみました。冒頭の日本国憲法の前文を読んでいくうちに、文字を追わなくてもすらすらと頭の中に全文が浮かんできました。名文だからかもしれません。格調高く、文学的にも価値ある作品であります。とやかく難癖をつける人もいますが、この半世紀以上にわたって不動の信念と確信の礎を以て、日本の国家像を、理想像を高々とうたい上げています。一庶民としても、はやりの小説を読むより身に染みて、なお理性的であ、情緒的であり、精神と思索の陶冶に充分であります。前文はもとよりですが、第一章の天皇から、第十章の最高法規まで文字を追わなくとも流れるように頭に浮かんでくるということは、即ち憲法の条文を一字一句間違わずに暗唱していることだということです。学習当時、憲法の講義を受講するには欠かせない勉強方法であります。幸いなことに学生時代に頭に叩き込んだ文章なり知識といったものは、長く記憶の中に生き続けてきていて、忘れることなく必要な時にはすぐに役立つことであります。大學の受験にとっても同様なことで、兼好法師の徒然草の全段を、先ず暗唱することから始めるのと同じでしょう。必要な知識として、世界史をやみくもに暗唱したころの勉強方法と同じかもしれません。若い時に学んだ知識は、老いてからも消えることなく頭の中に生きています。
   やみくもに世界史の知識を暗唱したのとは違って、日本国憲法は、その意味の重要性を理解して心に抱き続けてきていることは、また別の意味で重要な事柄です。我々日本人が、法治国家に置かれて、現実の生活を行っていく規範と規律を順守していく決意を表明し、これを遵守していくことを誓ったものとして理解しており、また、憲法によって我々の立場が時の不当な圧迫を受けることなく守られていることを意味しています。そのことは憲法が我々国民にとって最高の意思決定を形成している基本であり、我々共同生活体にとって欠くべからざるものであることを意味しています。同時に我々は一国内に置かられているばかりでなく、数多く存する数多くの諸国と共存共栄を旨として生きた行かなければなりません。そのための諸外国との関係に向かって、国内と同様に、われわれの基本的姿勢を表明するものでもあると思っています。自国を制御すると同時に他国に対しても 我が国の主権が犯されることのないよう要望するものであって、自国には相互信頼と、共存共栄をを図ることがうたわれています。ということは自らの国を律すると同時に相互依存関係にあって、他国をも律することになります。国の交戦権はこれを認めないということは、他国にもこれを求めているわけで、自国のみを律するものではありません。 
   国同士の交戦が惹起されるような事態は起きてはならないという意味にも解釈できます。武力によってこれを解決するのではなく、あくまで話し合いによって、外交努力によって解決されなければなりません。 そうゆうことを犯すべからざるものとして、高々と謳っていることになります。あってはならない事態が発生した場合は、主権が外国によって脅かされる事態を避けるために、相手方の出方によっては自国の軍隊を以てこれを排除しなければなりませんが、すでに殺人行為を国家権力によって強制する事態であり、我々にとって好ましい状態ではありません。日本国の憲法を以てしても、国の交戦権はこれを認めないと記されていますが、日本国民が殺傷されるような事態を甘受せよとまでは言い切れていません。常識的にも当然のことであります。現在我が国は、自衛隊を持っています。自らを守るという名の隊、即ち軍隊と称しても一向に差し支えありません。これを国防軍と命名するかどうかの問題であって、仮に国防軍と命名するとしたら、それなりの内容充実した装備を求めなければならないとしたら、それはそれでかまわない問題だと思っていますが、果たしてこれでは間違いなのでしょうか。装備を超近代的にするとしても、それではどこからどこまでが自衛隊であって、どこからどこまでが軍隊なのかといったことは、仕分けができないのではないでしょうか。自衛隊であっても軍隊以上の装備をつけることは可能ですし、軍隊であっても旧式の装備を持っている国もあります。
   日本はこれからの将来にかけて、外国を侵略することは絶対にありえません。ましてや大国同士の戦争が勃発するような事態は、国際的、または広く地球的状況からしても不可能ではないでしょうか。今、世界各地には百五十基以上の原発基地があります。それと一万7000発以上の核爆弾が世界に退蔵されています。これほどのかずの核弾頭の安全管理はもとより、その廃棄処分も難しい状態です。ひとたび地球的規模で戦争が起きたとしたら、これらの基地が相互の攻撃対象となり、退蔵されている核弾頭が攻撃の対象になったりして、何万発の核弾頭に匹敵する破壊力を持つ原発基地の爆発の影響は、戦闘で使う核弾頭の数どころではありません。地球は壊滅状態になります。無益な戦争の意味がここに隠されています。核戦争に、勝者も敗者もありません。無益、無であります。文字通り「無」の世界であって、一切の生物の存在の確認すれできません。素人が考えても、これほど馬鹿げたことはありません。だから戦争と称するものは、これから先ありえないと思います。又、そうした努力をしなければなりません。
   地球人はそうした試練を今まで幾度となく「無駄と、残虐」を通して野蛮的に嫌というほど経験して来ました。結果ようやくにして大規模の戦争は、原爆の使用を許したら、瞬くもなく人類破滅の道を滑り落ちていくことを知りました。無知蒙昧の民衆による小国の民族争い、対立抗争は頻発するでしょうが、それとて大国の相互連携によって最小限に食い止めて、和解の道を模索する手立ては自ずと用意されていると確信しております。悪童、悪質な場合には、狡知的大国が裏手に回って糸を引き、馬鹿な小国同志が口車に乗って戦いあうといった構図は、これから先も頻発するに違いありません。そうした問題解決にも大国が、正当な圧力を加えて回避していく道は必然的に生じてくることでしょう。
  従って我が国の平和憲法には、神聖にして犯すべからざる精神と行動の規範の基本が随所に述べられています。 最近、憲法改正の声が上がってきています。時代に合わないからといった平面的な理由を以て改正するということが如何なものでしょうか。そもそも時代の変化に順応して考え方が変わっていくようでは、原理原則を否定するものであり、普遍的な理念を物語る憲法とは相いれないものかもしれません。人間社会の現実的な事象は常に変化してきているがゆえに、揺るぐことがない、いわば普遍的思想が述べられていると思っています。 日本国憲法も第九条の戦争放棄のみを取り出して論じても正鵠を得ることはできません。全体を包含し理解して第九条を論じてみていくと、自ずと理解されて、九条の扱い方もわかってくることでしょう。向い半世紀前にもなりますが、比較憲法論で日本国憲法を論じていた憲法学者の大西邦敏教授が、私の憲法の授業を受け持っていました。世界各国の憲法を精査分析し、我が国憲法はいかなる形態に類し、どうとらえるかを論じていたことがありました。国の憲法調査会の会長もされていましたが。抜群の記憶力を以て憲法論を講じていましたが、立派な学者であったことを今になって思い出しています。思い出すことは単純ですが、憲法の全文をくまなく、繰り返し、忘れずに暗唱し、その意味するところを常に想念しております。   続


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   種まき

薫風が窓を吹き抜けて行った。連休から続いて、五月晴れのさわやかな気候になった。萌黄色にそよめいていた樹木の若葉が、あっという間にうっそうと茂ってしまった。明るく広がっていた庭が、生い茂る樹木で一気に狭くなってしまった感じである。土曜日の朝、庭の芝刈を済ませ、庭畑に植えたトマトやキュウリの苗に支えの竹を立ててよかったと思った。一日遅れると緑の茂みに圧倒されて、気勢をそがれてしまうくらいである。今年は畑がつかれていると思ったので、砧の農協の販売店で余分に肥料を買ってきておいた。チッソ、リンとカリの有機化学肥料はどうしても必要である。それに鶏糞、馬糞、牛糞と云った家畜肥料に油粕を豊富に撒いて土を起こした。その前に石灰をまいて一週間ほど土を寝かせておいた。掘り起こすと飛び出してきたネズミが慌てて飛び跳ねている。ミミズも元気で生きている。なりものの樹木も今年は豊富である。梅、柿、蜜柑、金柑、と云った木は、実を結ぶ頃が楽しみなので、春先から初夏にかけて花の咲き具合が気になるところである。
桃栗三年、柿八年と云うように、芽が出て実を結ぶまでに何年かかかる。中でも金柑は柚子の一種なので十八年の歳月が必要である。柚子の木の花の香りは香ばしく、高貴な趣きがある。最近どこともなく匂い漂う香りを感じていたが、金柑の白い可憐な花からだった。十年ほど前に尾山台駅近くの花屋さんで鉢植えの金柑を買ったことがある。その時は確か五、六この橙色の小さな実を付けていたが、土に移しかえてやったら、その年から実を結ばなくなってしまった。それから十年がたった。その間、伸びる葉っぱを刈り取るばかりで、何ら面白みがなかった。しかも幹だけが勇ましく太くなっていくばかりであった。小ぶりな木であっても花が咲かずに葉が茂るばかりで平凡であり、一向に面白くなかった。いずれ邪魔になったときには、一番に切られてしまう可能性があった。
その気の毒だった金柑の木だが、恐らく植木鉢の木は接木であった関係で早くから実をつけていたのだろう。地べたに植え替えてから実がなるまでの歳月が、計算通り、余分にかかったのかもしれない。嬉しいことに、去年から金柑の実が沢山付くようになった。実質、実がなるまでの十七年が経過したのである。私は好き勝手にもぎ取っては口に含んで、薄い皮と、甘い果汁を楽しんでいたが、今年も甘い香りを放って、小さな白い花をたくさんつけている。蜂が気付いて金柑の木の周りを盛んに飛び回っている。去年、金柑の根元にたくさんの肥料をまいて置いたので、花の咲き具合が旺盛である。今年の秋には、きっと甘い金柑の実を沢山付けてくれるだろう。甘酸っぱい汁が喉を通るときは何とも言えない清涼感を感じる。ところが家内は酸っぱくて食べられないと云うのである。従って私自信が専らこの甘い清涼感を味わっているのである。未だに他の誰もが体験しないでいる。熟した甘い金柑の実を、アイスクリームの上にそっと置いておいたらと思うのだが。
今年は、耕作方法を若干変えることにした。
限られた土地なので、どうしても欲張って苗を沢山植えてしまったり、種をまきすぎたりして、後になった後悔している。そこで三井さんから貰ったサラダ菜の苗を畑の周りに十センチの間隔に置いてぐるりと植え付けた。二百本ぐらいはあったかもしれない。大きくなってくると青い葉っぱをくるりと上手に巻いて育ってくる。出来上がると、ふっくらとした小さいキャベツに似た形でになってくる。この苗を植えているときは、もっと間隔を狭めてと思いながら植えていたが、そう思うくらいでいいのである。それから東側から、大根、春菊、ほうれん草という順に種をまいた。虫が付きにくい野菜類である。春菊の畝の隣に、肝心のトマトを一メートル間隔に縦に並べて六本植えた。二本余ってしまったので別の場所を選んで、敢えて一本ずつ離して植えてみることにした。ほうれん草をまいた隣りは、そのままスペースを設けて遊ばした。そして最後の畝となる西部分には、キュウリの苗を五本、トマトの苗と同じように縦に並べて植えてみた。きゅうりも、トマトも接ぎ木の苗である。普通の苗より三倍の価格であるが、やはり接ぎ木の苗だと成長が強いし、早いし、実も沢山なるから得である。これで庭畑の仕事はほぼ終了である。あとは暇を見て支えの竿を組んで、木が倒れたりしないように施してやればいい。途中、二回ばかり追肥をするが、雑草をとる以外は何もしないで菜っ葉の成長と、キュウリとトマトの収穫を待つのみである。成長していく楽しい様子を堪能して目の保養と、出来れば心身の涵養に供することである。こうして一年の季節の大半を折々に味わうことができるのだから、小規模の田舎生活の醍醐味は、それなりの値打ちがあると思って感謝の毎日である。ものごとは考えようである。土の豊かな湿りを足裏に感じて、目を閉じて広大な大地を足下に踏みしめていることを創造していれば、心は無限に豊かになっていくものである。気宇壮大の思いも限りなく生まれて、情熱と喜びはこんこんとわいてくる。

   安倍さんがアベノミクスの成長戦略に農業の新・近代化を提唱している。敢えて「新」となずけたが、例えばTPPに絡んで盛んに農業団体が反対してきたが、農業の競争力を高める方策を置き去りにして、農業の旧態な生産、販売の経営方式にしがみついていたでは世界に伍して貿易を挑むことはできない。日本農業の質の良いことは、世界周知のことである。これを活かして大規模農業経営に転換していくことが大切である。同時に効率化を図るため、個人経営から法人経営に仕組みを変えていくこと、そのための障害をなくしていくことが重要である。農地の適正な売買も円滑に進めていくことも重要である。安倍さんが、懸命になって農業の輸出競争力を高めていこうと呼びかけていることに大いに賛同したいところである。

  那須塩原市の木綿畑に住んで周辺に広大な田んぼを耕作する知人の大内さんは、五丁歩,つまり1万5000坪の田んぼに水を張って田植えの真っ最中である。家族総動員で親戚の手も借りての超繁忙期である。田植え機を運転しながら、携帯電話をかけて関係する仕事の打ち合わせをしているから、呑気なおっさんである。那須岳の頂上付近には、まだまっしろな雪が輝いているとのことである。今年は珍しい現象で、山の残雪の輝きを見ながら田植えをするのも乙ですと、トラクターのエンジンの音に混じって元気な声の便りである。昔、血気盛んだったころにロマンを求めて広い那須野が原の高原を走りまくっていたが、その土地の一部を何十年ぶりにか下刈りをしようと思っている。那須塩原観光道路に面して五千坪ほどの立派な土地だが、道路を隔てて南側には戸田貯水池公園が広がっており、又ここから北に眺めた那須連山は四季折々に趣きを変えて実に優美である。人目につかないから、山小屋を建てて好き放題の生活をしたいと思っていた場所である。今となっては、大事業家の別荘と勘違いしかねない規模と贅沢さだろう。分不相応である。

  
              日経ダウ一万五千円乗せ、為替の百円が妥当

   昨年の十一月十四日、野田さんが安倍さんとの党首討論で、衆議院解散を表明して丁度半年、六か月が経過しました。今や世界的な言葉になってしまったアベノミクスの起点は、丁度六か月前の、その時であります。以来、日経平均株価の上昇率は七割に達しました。為替相場では約二十円もの円安・ドル高が進みました。この「鮮やかな株高・円安」は企業や個人の心理状況に大きな明るい変化をもたらしたことは鮮明、如実であります。最近発表される経済指標には、既にその兆候がはっきりとしてきました。
企業の決算発表にも、例えばトヨタ自動車は最終利益が一兆六千億と試算されています。ちなみに一円の円安になると、四百億円の為替収益をもたらすそうです。こうしたことを背景に、今まで鳴りを鎮めていた輸出企業、特に大手企業の中では、史上最高値の利益計上を発表してきているところが陸続と続いています。明らかに景気回復は鮮明になってきました。一般の消費意欲も活発になり、デパートの売り上げには高級志向商品の売り上げが二十パーセント以上も高く出てきています。
    急ピッチで進んだ円安で株式相場も大幅高となりました。今日の十五日の前場取引には一万五千円を突き抜ける場面です。日銀の緩和政策と安倍政権が進める経済政策で、正に今まで苦難を続けてきた庶民にとって、景気回復の期待は高まっています。それにしてもあまり急激な円安は、逆効果も否定できません。100前後で落ち着かせないと、色々な面で影響が出てきて問題の解決にマイナス要因となって、決して良い結果をもたらしません。株式市場では今日も幅広く買われていますが、特に自動車を始め輸出産業の銘柄が続進しています。昨年11月14日以来ダウで七千円も上げているさなか、市場には特に過熱感はありません。これは将来に自信を得た相場展開なのでしょう。期待感がかなり先行して株高、円高に反映しているところもあって、こうした数字だけを追っていても危険性があります。特に個人参加が鮮明になってきた株式投資では、冷静な判断を下して長期に立って経済の行く末を見据えて行うべきであります。私はとりあえず、昨年の安値から倍に値上がりしたものについては手持ちの株数を半分に減していく体制に入りました。相場の世界はいつ気分が変わって逆の方向へゆかぬとも限りません。人気と、期待の行き過ぎは必ず修正されて、自づと均衡点に回帰していくことは、どんな場合でも自然の摂理であります。
    日本の景気回復路線を模索する相場展開とは違って、アメリカ・ニューヨーク市場の史上高値更新の勢いは、異質の要素をもった新しい傾向です。たとえば今までのアメリカ産業経済を支えてきたエネルギー資源は、アラブ中東諸国に大きく依存してきた体質が大きく変貌し、大転換をしてきていることです。アメリカ国内に噴き出る膨大な安いシェールガスに、産業経済のエネルギー源が大きく転換して依存し、産業コストが安く安定的に供給されるめどが、ここ百年にわたって持続的保証が付いたことです。
   言うなれば日本の戻り歩調の、奪還していく力と、アメリカの新たな道に向かって前進していく力の相違であります。この質的ギャップは容易に埋められるものではありません。新機軸の開発を手掛けていく壮大な計画が民間企業の間で行われていく道筋が求められます。同じようなことをやっていたのでは真に奪還する力とは言えません。従って日本も今までのような旧態然の施行を繰り返すだけでは、これからの変革の社会ニーズにこたえていくことはできないでしょう。斬新で清新あふれる日本の、これからの頭脳が試されるところでありますが、新たな分野を開拓していくことに尽きるでしょう。つまり、企業でいえば社会の変化に対応できず、況や消費者の新しいニーズを掘り起こしていく努力に欠けたパナソニックとかシャープに表現されるような後れを取った企業、発想の転換ができないスキームは、遅れの道を歩んでいつかは死滅の道をいくしかないという、非情な、異質の競争社会であります。新分野への転換ができない企業は、真の競争社会から取り残されてしまいます。
   世界の市場も、日本のアベノミクスの今後の展開を注目しています。鬱々とした状況からようやく脱却して、久々に日本経済の活躍が、世界の檜舞台に登場してきました。新しい発想を以った日本の資本と、技術と、経営能力が、世界の各地から脚光を浴びてきました。使命感を新たにした、官民挙げての新世界の開拓であります。目下のところ、安倍さんがその突破口をひらいてくれました。動き出したお金もそうですが、東証株価の推移は11月14日から、驚くなかれ百兆円に上る含みが出てきております。この資産効果は馬鹿になりません。企業業績に直ちに跳ね返って、増配を意図する会社、社員の賃上げを実施する会社が流れとして出てきています。経済的には有効需要の増加に及び、企業の設備投資に火がつくようになれば景気回復はまさしく軌道に乗っていくことになります。外に出て行った企業も里帰りをするようになって、国内に活気が出てきます。人口減少に歯止めがかかるところまで期待するのは無理かもしれませんが、将来の暮らしに希望が持ててくれば若者の意気も盛んになって、大いに励んでもらうきっかけともなるでしょう。後ろ向きの考え方を払しょくして、未来に賭けた前向きの発想への転換を図ることが大切です。
私の持論を敢えて申せば、時代や世界の潮流に振り回されることのないように、とにかく自分自身の足腰を鍛え、先ずもって自づからの力をつける事が先決です。これぞ経済的独立心の確立です。而してそうした気持ちの持ちようは、独立自尊の精神につながっていくことになります。いざという時には愛国心を発揮して、この国で自給自足の生活も辞さない決意が必要です。むしろこの地上での自分自身の楽園の建設です。経済的には生産と消費を同時に行う工夫を、だれの助けも得ずに実らしていくことです。そのために若い時に手の届く原野、山林を手にしておくことを勧めます。生活の立地条件を有益に充たし、利便性を考慮して良好な環境を選択することでしょう。同時に環境を良好なものとして自ら作り出していくことにもなります。土地の取得の基本となる規模ですが、昔でいえば僅か三反歩、約千坪弱の土地を耕作して自らと、家族の食いぶちぐらいは確保しておかねばなりません。そして狭くとも大地に心を置いた生活意識を持つことは、自分の職場がどのようなフィールドにあったにせよ、人生にとって大きな武器となるでしょう。その上で例えば安倍さんの経済政策である成長戦略に乗っていくような人生を歩んでいけば安泰であり、常に意気高揚して、まさに鬼に金棒であります。   五月十五日


    トップセールスマンの安倍さんの経済外交

   もさもさ,もたもたしている民間人に代わって、我が国の首相の安倍さんが近隣諸国に自ら出張して、トップ・セールスマンの経済外交を展開していることは誠に心強いよいものがあって敬服しておりますが、逆に民間企業のトップ経営者は何を愚図愚図しているんだと、その怠慢さを叱咤激励したいくらいであります。経団連の米倉さんも一生懸命でありますが、時々何を言っているのかわからないt時があります。右に行くのか左に行くのか意味あいまいなところがあって、だれか通訳を置いてもらわないと若い人にはわからないのではないでしょうか。どっしりとして何事にも動じない風格は頼もしい限りですが、にっぽんの大企業を背負っていく姿にしては、あまりにも風格がありすぎて、短小軽薄をモットーとする iフォーンのスピード、画像時代に追いついていかなくなってしまうところに一抹の懸念を感じてしまいます。老人を酷使するのではなく、いたわる風潮が経団連にあってしかるべきであります。一種の社交場、ある種のの名誉職かもしれませんが、なることによって頂上を極めた自己満足であってはなりません。年功序列式職場に執着していては、グローバル化についていけなくなって若者の出る幕を閉ざしてしまっても困ります。安倍さんのフットワークの軽さに比べていると、老骨に鞭をうちながら痛々しさが募ってきます。米倉さんは立派な人格者だけに、あまり無理をしないほうがいいかと案じています。思い切って若者を登場させることもあっていいでしょう。しかしそれではなかなかいうことを聞かぬ連中もいるから、大変なことであることを考えると、現状で行くことが賢いかもしれません。ただ色々な国際社会の活動の中にあって、各国の若い代表団の活動に伍していく場合に、連合部隊の看板となるかたの明らかな老齢化は心配です。。
   思うに、安倍さんの起死回生に似た復活劇は人知の及ばざるところがあって、颯爽としたデビューの後、半年が経過しました。矢継ぎ早に打ち出される景気回復策と、見事な国会運営は抜群の極みで誰も異論をはさむ余地がなく、むしろ官民一体となってこれを後押ししているところは、未だかってなかった政治舞台ではないでしょうか。小柄で細身の体で、難局に体当たりの戦法で国民を良い方向に鼓舞してきています。連発する積極的な政策には、理屈と信念が合致して、とにかく暗く沈滞していた日本の経済のトンネルを抜け出しただけで、その功績は十分であります。この勢いをどこまで持続していけるか、そして堅実な景気回復の路線に至らしめるか、それは今後の経済人の務めであり責務であります。短期間のうちによくぞここまで国民と国民経済を引きずってこられたもんだと感服しています。それを反映する株式市況も生き返ったように連日の活況ですが、論客もマスコミもとやかく言うすべはないでしょう。何かあれば足元をすくってけなす風潮がありますが、たとえば株式の上下の乱高下は当然の現象です。動き出した経済にはいささかも不安はなく、目先の思惑筋を振り落している動きであって、国民は目先の動きに振り回される必要はありません。内外の視点もそうですが、安倍さんにねたみ、のねみ、やっかみの気持ちを抱く人たちはしばらく口を閉ざしておいてもらいたいと思います。決して言論を封いたりすることがいいというわけではありません。今のところ好調な出だしで推移してきているアベノミクスであれば、むしろこれを応援しなければなりません。
   それを裏打ちするように株式相場と一緒で、出過ぎた後には必ず調整場面が来ます。これをどう解釈するかは人それぞれに思いがありますが、常に冷静に対処し熟慮して反省の後に行動を起こすことが重要であります。相場は相場に聞けとはよく言われることですが、昨今の株式相場のちょっとした急落は、素直に次のステップに臨む調整場面ととらえるべきでしょう。・つまりアベノミクスで始まった今回の急劇な相場の上昇は、一息入れる過程にあったもので決してこれが暴落する前兆ではないということでしょう。昨日、今日の世の中の変化で、自民党政権に大逆転して生まれた安倍政策が打ち出した経済財政策が変わるものではありません。スタートを切ってからの、まだまだ助走段階で、これから長きにわたって政策が実効的に行われていく過程で評価されていくものだからです。
   懸命に働いている安倍さんを見て文句をつける人はいないでしょう。之とは全く逆の話になりますが、日本維新の会の人気の凋落を案じて、人目を引くために言った共同代表の一言で、世間の、否、世界の顰蹙をかって政治生命を危うくした馬鹿者がいましたが、国民の目は冷静です。此の男に、かっては引き回されたこともありましたが、船中八策は飛んだ結果になってしまいました。日本を変えるといって維新と云う名をむやみやたらに使っていた小僧が、いまさら戦時中の日本軍の従軍慰安婦問題を持ち出して、あらたに奇妙な売春事件を日本に起こして、わが国の品格を貶めようとした輩であります。その上、こともあろうに血気盛んな在日米軍の軍隊の若者に、風俗業を活用するよう進言したという馬鹿者であります。品格を云々する以前に気の狂った政治家としか言いようがありません。これが日本国内の市長をし、政党の共同代表の一人に座っているというのですから、あいた口がふさがりません。人材不足を如実に表したものでしょう。世間の、世界の笑いものになっています。こんな輩が日本を背負っていくなどと、同調してブル下がってきた子分たちはすべからく議員を辞任すべきであります。国民を馬鹿にして、舌先三寸でだますにもほどがあります。昔、真鍋儀十という売春汚職事件を起こして逮捕された不潔な議員がいました。この人物も馬鹿丸出しでしたが、こうして仮面をかぶった輩が政治家の中には沢山います。品性に欠くけて困ったものです。言論の自由をはき違えた公的発言にしては、むしろ軽犯罪法違反にもなる、若しくは国民をないがしろにした侮辱罪で現行犯逮捕なんていうことだってあるかもしれません。ビートたけしさんではありませんが、「なんだこの馬鹿野郎、いいかげんにせい」、と叱りたくなります。   こんなくだりを昭和経済の賢人が、狂言を吐いて書いております。その時は従軍慰安婦の問題ではなく、何か虫がさしたのでしょうか、いやもっと以前から、大阪維新の会などと云い抜かして、あたかも憂国の士と云わんばかりに大言壮語して出てきたこの人物の本性に、どうもインチキ臭い疑いを持っていたので勇気を出して批判したわけですが、いまこんにち、化けの皮がはがされて醜態をさらけ出していますが、事の顛末はさもありなんであります。政治家が失言して、指摘批判されたのち、それを取り消したから済むというものではありません。裏を返せば、それほど政治家の発言は重みがるということです。
   クリスチャンであり温厚な妻をまえにして、今世間で盛んに物議を醸しているこの件で、私は話題に出すにもはばかっています。こんな下劣な感覚の話題は、このところしばらく見聞しませんでした。妻の話ですと、このところ私が夜中によく寝言を言って、怒ったような声を出したりしているそうですが、これに関連した夢を見て、腹に据えかねた結果なのしょう。もっと違った話題なりテーマなりで、論陣を張って貰えんもんかということでしょう。それ以外に考えられないからです。もっともどんな夢を具体的に見ていたかは幕を張った雲のような映像でさっぱりわかりませんが、フローベルの精神分析学入門を読んでみてからでないと夢の現象を見極めることは難しいかもしれません。現代医学でも分かりかねる案件で、緻密に分析する要があるかもしれません。その時は大学にかえってもう一度勉強してみようと思っています。ここ半年の間に、日本は目が覚めるように明るくなってきました。先ずもって経済を良くしたうえで何事も決まっていくのが世の常であります。マルクスがいみじく申していますが、経済的諸関係と状況、つまり下部構造が、人間社会の文化的情緒的、文学的芸術的分野、即ち上部構造を決定するという原則を追認して、どんな社会にああっても人間の幸福を求めていく試行が大切であります。跳ね上がり分子はいつの時代でもどこにでも改革と称して姿を見せてきます。しかしこれを冷静に見抜いて人々を守っていく努力が必要でしょう。
   勉強のために、学舎の大学に帰って行って、そこにマルクスがいたら、日本に出てきたお化けの何とか市長の案件を聞いてみようと思います。愚かな民衆よと名指しして、嫌悪感を以て吐き捨てることでしょう。ケインズが出席していたら安倍さんの経済政策の根幹をなすアベノミクスについて同じ机に向かって高邁な理論の展開を繰り広げて、熱弁を振るってみたいとおもっています。そして今こそ日本にとって大事な安倍さんが、関西の市長のような軽率過激に走らないこと、高ぶらず慎重に、謙虚になって右傾化に傾斜せず、穏健な思想で、しかも現実的に対処してほしいと哲学者のソクラテスが言っております。付け加えるに、日本は歴史と伝統を重んじ理性的国家になって、良識と品格に於いて世界の模範となっていると申しておりました。      5月27日記


梅雨入り

  さつきの空と燃え立つ若葉の輝きを心ゆくまで楽しんできましたが、気象庁の発表によると、今年は全国的に例年に比べて十日間ほど早く梅雨入りとなったそうです。関東地方はここ一週間ほどははっきりしないお天気が続いていました。昨日は終日しとしとと霧のような雨が降りしきっていましたが、今日は打って変わってすがすがしい快晴のお天気になりました。最近は異常気象というわけではありませんが、気象予報もままならない状況のようです。空模様を眺めていても、雨の少ない梅雨になりそうな気がしてきました。田舎からの知人の便りによると、数日前にようやく田植えが終わって、身体休みをしているところだと伝えてきました。一町五反、四千五百坪の田圃を以て稲作をしている農家ですが、この地方では中くらいの規模になります。一家総出で親戚の手を借りたりして、決まった日にちに田植えをしてしまわないと、その後の生育に大きな影響を及ぼすともいわれていて、たかが稲、されど稲で微妙に手を下さないといけません。子供の頃を思い出しますが、当時は全て人力、馬力などの手を借りたもので、水呑み百姓は、貧乏の象徴みたいなものでしたが、今の農耕は全て機械化され、省力化されて今の労働力は昔の十分の一とも言われています。中には農業経営の形をとり近代企業として法人化されてきています。
   私も付き合いで、友人が立ち上げた農業企業に出資の一役を担っております。収穫時には配当の一部として袋詰めの新米が届けられてきます。これも昔は米俵が使われて、匂いを嗅ぎながら田舎の情緒が楽しめましたが、今は味気なさが先行しています。それでもピカピカに光った新米のコメを見ながら、炊き立てのご飯を食べる楽しみは格別です。そんなことを言っていると、あなたは農家出身ですかと云われたりしますが、農家の生活や、しきたりなどを良く知っていて、しばしば口にしたりするからでしょう。ごく小さな子供の頃、事情があって百姓生活を経験して、むしろ農作業の辛酸をなめているからに違いありません。忘れずにとてもよく覚えているのです。又私自身は、農業の生活が大好きで憧れているくらいですから、そのように言われたりするのも仕方がありません。それを満たそうとして大人になってから実際に土地を広く買い求めて夢を果たそうと思ったくらいです。
   世帯を持った時に生まれ育った浅草を出て世田谷の等々力に移ってきました。何年かたって新居を構えましたが、幸い広い庭を持つことができたので、中雛に育っていた鶏を三十羽、砧の農協から買ってきて放し飼いにして飼っていました。手助けしてくれたのが大工の大塚さんです。四畳半ほどの大きな鶏小屋を建築してくれて、それはそれは大変な生活環境に大変りしてしまいました。二、三日ほど小屋に住みつかせた後は一日中外に放し飼いの生活で、鶏にとってもこんな幸せなことはないでしょう。家の周りは一部を除いてほとんどが生垣で囲いがしてあるので、いつも内側で自由に遊んでいます。しかし手入れの届いた庭に生えている草花や、青い草はほとんどが食べつくされて仕舞いました。近所の米屋さんから優良な配合飼料を週ごとに届けてもらいましたが、餌代がかさんでしまいましたが、鶏と遊んだりしている楽しみには代えられません。それが何と大きくなってからは、毎日大きな卵を二十五個とか二十六個とか生み続けるので嬉しさも悲鳴に近いものになってきました。近所の方々に分けて差し上げたりしましたが、浅草の実家にも届けたりして大層喜ばれたりしました。小屋には産気用の大きな巣箱を三個揃えておきましたが、これだけでは足りず、夕方になると山のように積まれて産み落とされているのです。中には巣箱に入れない鶏が家の縁の下に産み落としたりしているうちに慣れてしまい、知らずにいると沢山の卵がごろごろ転がっているのです。一度に三羽のにわとりが卵を産むために押し合いへし合いして入っていることがありました。不思議と彼女たちは痛々しい喧嘩をすることもなく、みんなが仲良し姉妹です。姉妹と書きましたが、飼っていたのは全てめんどりだけです。おん鶏は時を告げて鳴いたりして近所迷惑になったり、そうでなくとも朝早く起こされてしまうのでかないません。
   それにしても当時の拙宅の住居環境は抜群でした。周辺には今と違って大した住宅はなく、周りは植木畑や農地に囲まれて、緑濃い閑静なところでした。手にして住んだ家のたたずまいも田舎びて広く、加えて大きな平屋ときて趣きもよく、とても都会の住宅地とは思えない環境でした。そこで飼っていた鶏たちも家族同様に生活して、面白い沢山の仲間たちですが、鶏といえどもそれぞれに個性があって、それぞれの癖が飼いなれてくると赤ん坊のように可愛くて仕方がなくなります。実に楽しい毎日でした。留守にしたりすると、私たちの帰りを待っているのです。暗くなるとすべて自分たちの小屋に入って止まり木に並んで寝るのですが、出かけたりしていると五、六っ羽の姉妹たちが玄関近くの安全な止まり木を探して、私たちの帰りを待っているから可愛いではありませんか。思い出していると尽きない感じです。そんなのどかな農村地帯の風景に親しんで、できればこれからもそうした冒険を試みてみたいと願望しています。目的は、三浦雄一郎さんと違いますが、いつでも、どこでも青春の気概を失わずに人生に挑戦してみたいものです。
   近所で長いこと親戚以上にお付き合いしている三井さん夫婦は真面目であり、勤勉誠実な人柄にひかれて学ぶところが多く、寡黙ながら情熱的なところがあっていつも惹かれています。「人に接するに春風を以てし」ということばがありますが、その言葉がぴったりとしてきます。朝早い時間に奥さんは明るい挨拶を掛けながらいつも寄ってくれます。菜園、庭畑の手伝いをしてくれて、おかげで畑はいつも青々としてすがすがしく、新鮮な野菜類を豊富に食べることができます。三井さん夫妻は今、家の建て替えに挑戦しています。私はその気概の若さに感服しているのです。四、五年前のこと、自宅の隣にたまたま土地建物の売り物が出ました。近くの地主が収益物件として持っていたものですが、長年入居していた人がひっこそをしていき、しばらく空き家になっていたものです。建売業者が知らないうちにこれを取得してしまいましたが、それを是非譲ってほしいという三井さんの熱意に業者も根負けして、それなりに利益を載せて譲ってくれました。これを綺麗に改装して賃貸に回すのかと思っていたら、息子家族を呼び寄せて住まわしてくれたのです。息子家族は町屋のほうでアパート暮らしをしていたので、もちろん大喜びです。その代り息子には条件が付けられました。それは三井さん夫婦の家をちゃんと守っていくこと、先ずは用意したお墓を守っていくことでした。何と立派な話ではありませんか。それにしても用意周到なことで、すでにお墓を買っていざという時にも行き場所を用意しているのです。その話を聞いて最初は何と縁起の悪いことをしているのかと訝しく思いましたが、だんだんとそうでないことが分かってきました。遅い早いはともかくとして、当主であるからには、いくら核家族の時代とはいえ、一つの責任かもしれません。なるほどと云って感服した点でした。ご夫婦は二所帯住宅を造る計画です。そして息子家族の家は解体して広い空き地として庭を造り、さんさんと照る太陽を体いっぱいに浴びた生活をすることでした。そもそも隣の土地建物を買う時も、動機はその場所を更地にして日の当たりをよくしたいという願望からだったのです。つまり大金を出してまで自然の光、恵み溢れる太陽の光をそのまま買うという、素朴で贅沢な発想からでした。経済的な問題もそうですが、なかなか思いつかないことです。ちなみに三井さんはご主人が山梨の農家出身の次男坊です。奥さんは福島県は猪苗代湖の湖畔の広い農家が生家です。そんなわけで農業には大変詳しく実践派で、私どもが家庭菜園を楽しんでいられるのも三井さんのよき指導があるからです。もちろん小さいころ、私もある時期に農家の生活を経験したことがあって、田園生活には憧れを持っていますが、こうして等々力で庭畑栽培を楽しむ生活が毎日できるのは、決して自分だけの力と技だけではかなわないことであります。すべては勉強が必要です。生活の進歩もそこから素朴に経験できるものなのでしょう。
今年は 思い切って沢山撒いた肥料が効いているのでしょう、一か月ほど前にまいた種は、今収穫期に入って、野菜不足の情報とは裏腹に、新菊、小松菜、大根、ほうれん草、レタスなど拙宅ではみずみずしい菜っ葉をふんだんに食べることができています。とりわけ三井さんが苗で運んでくれたレタスは、今ではくるりと葉をまいて一丁前の出来栄えで楽しんでいます。時折娘の明子が寄ったりすると、畑に出ては思う存分、青野菜を摘んで袋づめにして持って帰ります。紀伊国屋のお店でもきれいな高級野菜が並べてありますが、それはそれとして、我が家の自家栽培は文字通り目の前で自分が勝手気ままに作り上げた自慢のものです。現実には無農薬栽培で安心できて、新鮮な野菜を手に入れることは難しいのです。加えて収穫の喜びを味わえて、こんな素的な生活体験はありません。自分一人で合点して喜んでいるので、もともと「手がかからず単純な人で扱いやすい」と妻は言っております。ほめられているのか、けなされているのかわかりませんが、もっとも若い時から褒めさえすれば調子に乗ってやるほうなので、おだてに乗り安い陽気なたちなのです。裏を返せば間が抜けてだまされやすいということにもなりますが、どっこい、悪い人が近づいてこないのは、愉快な人間にできているからでしょう。だましたり騙されたりしながら生きていく人もいますが、それは時間の浪費です。なるべくでしたら直線的に、目標に向かって進んでいったほうが効率的です。万事が効率的に考える人も、考え方では味気なく感じてきます。無駄のない、紙を食べているようなふがいなさを感じて面白くありません。有益になる寄り道は、寄り道でありません。試行錯誤の結果と見れば、それは目標への一里塚であります。いつでも油の切れないような、柔軟性に富んだ生活様式といった考え方でいたいと思っています。それは有機体の衝突的活力のエネルギー源でありますし、人間でいえば心身の活動の源泉であります。

2013.5.1

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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