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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.17.11

       遅まきながらのフェイスブックへ参入

  先月25日から、遅まきながらフェイスブックに友達を作りながら投稿することにした。友人の勧めで、自分から好んでやったものではないが、試みてみるとなかなか面白い交信手段だと感心した。短文で発信し、写真や動画を以て個人情報を発信する仕組みである。甚だ以て面白い交信手段だ。相手は、先ず手じかな友人に対して発信し、受けた友達が良いと思えば自分の友達につなげていくと云う仕組みである。広がりを付けると扇型に、しまいには不特定多数の人たちに係わりを持っていくことになる。連鎖して波及効果を狙ったところは形としては同じであっても、謂うところの「ねずみ講」とは発想が違う。ねずみ講は簡単に言えば、連鎖的につながりが拡大して行って、そこから特定の金品を得るということで、これは法律に違反する。仕組み自体はこれと同じ解釈だが、別に金品の要求なり流れがないゆえ制限を加えられるものではない。当たり前な話である。

  影響力を考えると、ふざけ半分に、冗談交じりに発信することは慎まなければならない。そこでは自ずからマナーと云ったことが求められるから、いろいろな面で自分で制御してゆくべきだろう。出来るだけ好意的に、前進的に、発展的に発想して、自分としては簡略明快を旨として、文字通り責任を感じるものであることが分かる。そんな気難しいことを敢えてやる必要もないが、気楽に考えてやってみて、嫌だったら辞めればいいと思っている。手紙から、最近はスマホで瞬時に情報交換している世の中である。「葉書」が売れなくなっていると郵政省はこぼしているが、それが現実だから如何とも仕方がない。手紙はおろか、暑中見舞いはさっぱり来なくなったし、こちらからも出さない始末である。今に、年賀状もメールでCCを使って一気に発送することだろう。味気ない世の中になったものである。書く人も少なくなってきたので、漢字を正確に覚えている人も、書ける人も少なくなってきた。学校では子供たちに何を教えたらいいのだろう。全てパソコンの処理をして学習している「当世書生気質」である。A I を駆使してくると、益々怪奇な人間が出て来るかもしれない。

  幸い私は現在も依然として物を書いているから、直木賞をもらった小説家よりも書く内容とスピードは負けないだろう。短歌も俳句も、当意即妙に詠んでは紙に記している。早稲田大学の名誉教授で英文学者の大内義一先生は、かって短歌は読めるけど俳句は作れないと妙なことを言っていた。物書きにも厳しいジャンルを意識してのことかどうか、しかし作家でも短歌や俳句が読めない人が大方かも知れない。これは考え過ぎだと思っているが、現実はそうでもなさそうである。
  今の物書きや小説家は、パソコンを打ちながら直ぐにコピーして稼いでいるのが大方である。合理的であり、スピード感があって現代風である。昔の様に、文房四宝を持ち出して書くなどもってのほかという過激さである。モンブランの万年筆も通じない。小生も、遅まきながらとは云いながら、若者に交じって、積極的に交信することは、姿勢次第では社会に貢献する成果を作り出していると云うべきである。ここでも互いに切磋琢磨してという言葉が、いみじくも通じて来るから、先人の教えは素晴らしいものがある。

   ところでフェイスブックでの私の行動は、短文を以て発作的に書いて投稿している。使う道具はパソコンだから、しかも私のは速射砲だからいくらでも打ちこめて行ける。スペースが余って仕方がないが、息を切らしてストップさせることにしている。短文で発作的に書くものには、逆に素晴らしい情緒がこもっている。つまり事象を凝縮したものであり、とどのつまりは俳句に繋がってくる。だから情緒的だと云うのである。つまり日本人の持ち前の感性にも合っているということである。こうなれば、若者にも負けないでいられる。自慢げに話したり、逆に自虐的になったりすることもいけない。マイルドな気持ちで、若者を良い方向へ導くこともできる。それを以て高齢者を以て、遊びをそそのかすこともできる。これは大きな新発見である。やってみないと実際には判らない帰結である。 

そこで妙なことが浮かんできた。不特定多数の人に連鎖的に、拡散的に結びついていくものなら、広告使えるはずである。選択するのは見た人の意志と自由だから、良いものであればそれを拡散的に告知していくことは、むしろ社会にとっても良いことに繋がるはずである。私は自分でも考えてみるが、事務局の職員に、フェイスブックを活用して、これを私的に使用するのではなく、公的に転用できないかを考えてほしいと伝えたのである。昭和経済会のホームページの理事長室からの様に、実際に使ってみると自己保身ではなく、愛他の精神こそ大切なことが分かってくる。 11月1日

早稲田中学・高校の同期会

    朋友の村瀬を筆頭に三郎、武司と云った昔の同期の連中から、例年の同期会に誘う通知状が開催日の二か月前から届いていた。随分と気の長い話だと思って、直前まで返事を控えていた。小生にとって二か月先の予定など就くはずがない。最近は億劫になって、人様から予定を組まれること自体が、性に合わなくなってきた。つまり束縛されることが嫌いだからである。あくまで自由人でありたいという意識があって、人さまにも予定をお願いすることはめったにない。
   この件についても三郎からいつも、出席はどうなっているんだと催促を受けるので、恐縮なのである。同期会も年相応だが、年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからずで、最近はそうした感じが加速されてきているようだ。人相が少し変わったかなと思う人、面影がいくらか変貌を遂げてしまった人、病に伏して出てこれない人、この世から抹消されてしまった人、様々な人間模様である。切実な思いが増幅するような気持でもある。
   同期会は渋谷のエクセルホテル6階の間であった。受付には幹事役の顔が並んで賑やかだったが、会場に入ると出席者はいつもの半分であった。最近頻発する異常気象ではないが、それに似た現象が我々の時代にも起こりつつあるかと感じつつ席に就いた。でかい声で乾杯をしてシャンパンを飲みほした。乾杯の前に物故者たちの冥福を祈って、献杯をしたことはもちろんである。色々と名前を挙げていたが、云っている本人の声が小さくてよく聞き取れなかったが、意識しているのかもしれない、むしろそうした行事はそれだ厳粛であり幸いであった。これに長く時間がかかっているようだと、又、深刻な問題である。初めから雰囲気が変わってしまうのもどんなものであろうか。

   この同期会は、中学、高校の卒業生であるが、私は途中で中学から高等学院を受験して転校しているので、その後の高校時代の諸君とはあまり面識がない。しかし中学・高校の校友会では懐の深さを示してくれて、学校の方もわれわれのような異端者をも校友会のメンバーとしての資格を与えてくれている。感謝である。従って中学時代のクラスメイトと専らの付き合いで通してきているが、会っているうちに皆と親しく親交を深めてきていることは幸いである。私を誘ってきてくれる仲間の三郎は、昨年から足腰を痛め、外出が不能で今回も欠席となった。痛々しい報せであるが、うまく治療に専念し、一日も早く治ってほしいと思っている。幹事長の村瀬が帰り際に、佐々木君、三郎に電話してやってくれないかというので、分かったと云って返事した。フランス料理のフルコースで飲み放題の席であったが、若い時と違ってそうはがぶがぶ飲めるものではない。この日は土曜日で夕方から所要を控えていたので、終宴と同時に同志らと散会した。東横線に乗って夕方に帰宅した。自由が丘ではハローウィンが近づいてきて、楽しく仮装をして街なかを行く人でにぎわっていた。

学び舎の友ら親しく集ひきて酒杯を交はし寿ぎにけり

恙なく今に至るは自らの努力研鑽の賜物なりき

学び舎の校歌にしるす鮮やかに「誠」の文字に豪気覚へり

                                              以下三十首

   幹事役を務める人たちの労苦には敬服し、感謝している。実際煩わしい一面もあって、小生も昔は良く引き受けたりしたが、いつの間にか、立ち消えてしまったものもある。

   小生が幹事長を務めていた時、高等学院時代の同期会で稲志会を創立して30周年を祝う会を行ったときがある。その時は、会場を日比谷の帝国ホテルで華々しく開催した。家族同伴は大歓迎と銘打って、出席者は五百名近くになって盛大であった。幹事でもあった川口君の兄にあたるジョージ川口のバンドが入り、出席者の人気は上々だった。大学からは当時の西原学長をはじめとして教授連の多くを招待し、校友会からも幹部連中が沢山招かれた。銀座の「白いばら」からは接客役に綺麗どころが三十名ほどサポートに加わってくれ、会場に一段と花を添えてくれた。これには当時の山崎店長が大いに支援をしてくれた。自慢するわけではないが、あの時は勢いに乗って、私も億尾もなく自信満々、堂々の開会の辞を述べて喝采を浴びたものであった。あれを最後にして小生は幹事長を退任、あと他の者がついでやってきて下さっていたが、つい三年前ごろから、とうとう開かれなくなってしまい、いつの間にか閉会続きとなってしまった。
    その白いばらも先日、嶋田店長から丁寧な連絡があって、来年1月10日を以て閉店するということである。銀座から名門の白いばらが創業86年の歴史を閉じて明かりを消すことになった。立派な経営と接客ぶりは定評があり、勿体ないことこの上ないが、私は、銀座にこの店の名を長きにわたって継承してくれるものと思っていただけに、報せは衝撃を以て聞いた次第である。銀座「和光」の裏の超一等地である。得意先の接待用にしばしば使わせてもらってきていた。いずれ再開発をすることだろうが、高層ビルを建てて、最上階に「白いばら」を開いて欲しかった。 あの店は、これからも長くやって行けるはずである。昔のこと、山崎店長が退任するにあたって、東京新聞のインタビューを受けたが、その記事は評判であった。彼は引退に当たって私に短歌を詠んで色紙に書いて下さらないかとの懇請を受けて、私は心を込めて一首詠んで差し上げたが、調子に乗って思い出をこめて詠んでいくうちに、自分から云うのもおこがましいが、五十首ほどの名歌を詠むに至り、それを差し上げた次第である。感激された店長は、それをコピーして裏方の壁の端々に貼って皆に読むようになさったそうである。自分でも納得して、ある雑誌に発表したことがある。教養の高い店長の、さしもの対応に感服した次第だ。    続      11月4日

     フェイスブックの楽しさ、面白さ

   友達に誘われてフェイスブックを立ち上げて投稿しているうちに、しばらくのめりこんでしまった。簡単に思いついたことを書きこめばいいので、これこそ文章の速射砲でうってつけである。ところがこのフェイスブックというのは、投稿者の傾向を見ていると、主に写真や動画を以て伝達し、文章を書いている人はほとんどいないのである。私の場合は全く逆であって、専ら文章を以て投稿しているので、フェイスブックの人たちには、そもそも慣れないのではないかと危惧している。スマホを所持していないので、友達の様に瞬時を捉えて写真を撮ったり、話題性を加味した映像を投稿することはできない。それでもいいと思っている。一方的に文章を以て伝達する楽しさは、また違った意味で楽しさ、面白さがあって、新たな趣味が出来たものと独断的に合点している。

   連日にかけてフェイスブックに文字を打ちこんでいるので、このところの話題を独占している米国大統領のトランプさんの来日模様の一端を、次に乗せてみることにする。ご興味のある方は、フェイスブックに友達として参加されてみることをお勧めする次第である。但し何事も細心の注意を払うに越したことはないが、不特定多数の人たちに連鎖的に広がりを持ってくるので、矢鱈な内容を投稿することは差し控えた方がよさそうである。
    フェイスブックを以て商業的に活用して、広告代わりに使っている人もいるようだ。それはそれである種の目的を以て参加しているので、適うことも大いにあるだろう。ただ選択する人の意志次第であって、それは常識的な事柄である。世はまさに情報化時代だから、人のために少しでも役立って、世の中に尽くすものであれば、啓蒙的目的を以て情報を提供することも大事である。要は、植えきれるか入れないかを選択する人は多くの第三者の判断に任せてあるので、自己責任と云えばそれまでであるが、その逆を行ったりすることは、倫理上好ましくないことは事実である。

   直近のフェイスブックのことを載せてみることとする。開けてみたら小生の趣味とする和歌、短歌を以て投稿していた。 いいね、とコメントしてくる人もいる。      11月8日


        *


麗人を伴ひアジア歴訪のトランプ外交の粋な立ち舞
イヴァンカ嬢メラニア夫人と麗人を身内に揃へアジア外交
麗人を伴ひゆかば過激なる発言もなく和みけるなり
麗人を前に要人のふにゃふにゃと影をひそめる威嚇挑発
日米のアジア太平洋の強固なる経済圏の構想ぞ良き
経済の真の成長のいしずえを築く試しとならん努力を

幸ひに北朝鮮の言動の挑発無きに安らぎにけり
願はくば朝鮮半島の平和的統一こそが願望なりき
このところ人気のかげる兆しにて小池旋風のいずく去りしや
短日の都知事の派手な振る舞ひの長続きせで色あせにけり
思ひはす月を眺めついにしえの人のめでたく過ごしけるやと

ご存知の五七五七七の短歌の言葉のリズムで詠んでいると、不思議に、対象と事象を的確に捉えることが出来るので、楽しい結果が出て来ます。五七五の俳句もそうですね。

穂の波にへのへのもへじ案山子立つ
習近平トランプ両雄の案山子かな     三郎



     アジア歴訪中のトランプ氏

     来日した後のトランプ大統領。韓国を経て今日、中国に入る。その中国では今、習近平氏と中国々民の熱烈な歓迎ぶりに湧き立っている。両大国を意識した世界の外交舞台である。事実は事実で、今や米中の親密な関係が、将来の長きにわたって世界にとって必要不可分な状況にある事は常識である。故宮を案内する習近平氏、受けて立つトランプ氏、両雄が利害対立を避け、相互理解と協力関係を樹立することは、世界経済のより良好な環境維持と、ひいては戦争のない、共存共栄を目指した世界の恒久平和の確立につながってくる。米中の結束に対抗する勢力は、今の世界では皆無だからである。それほどの強大な力を誇示している。
   一帯一路を以て、世界経済に進出しようとしている巨大中國である。一方でEUを始め、アジアでは、日米印比などと連携してインド・アジア太平洋経済圏を以て対峙しようとする巨大米国。トランプ大統領の訪中の歴史的意義を大いに高め、両国の平和外交の推進を以て、これからの国際関係の平和と繁栄につなげて行ってもらいたいと願っている。      11月8日

連発すトランプ発言の激しさのこれも相手によりきりなれば

北鮮の過激反発にトランプ氏追い打ちをかけ更に激しき

壮麗な歴史を刻む中国に立つトランプ氏の何をか思はん


        フェイスブックへの投稿より


   アジア歴訪中の東洋の情緒的啓発を得て、攻撃的でなくなったトランプ発言。北京で28兆円の商談成立で気を良くしている。北朝鮮など相手にしておれん。変じてトランプ氏のラッパ節。何も吐かない寡黙な習さんに勝負ありか。莫大な投資の呼び込みに成功。「穂の波にへのへのもへじ案山子立つ。」 俳句で案山子と書いて、かかしとよ読む。
   アメリカ抜きのTTPは日本の努力で大筋合意。参加国11だが発展的結束にこぎつけた。茂木の努力を大いに評価。規模は小型だが、足腰はしっかりしている。脱退したアメリカの焦りが見える。

...
   短歌を詠み始めたのは小学校六年ごろからと記憶。つまり若い時からです。詠んできた詩の数は自分でも判らない。今となっては、なかなか整理のつかないダイアリーだ。独学だが鼻紙や、メモ紙にも書いた私の和歌は、私の宝。俳句も然り。
    短歌は、短歌同人誌「淵」の編集、発行を引き継いで十年余になる。「淵」は近代歌壇の巨峰、会津八一の系譜で、八一の愛弟子、早稲田大学名誉教授で歌人の故・植田重雄が、五十年前に創刊したもの。万葉調の格調が特徴。但し、模倣、継承の必要はなく、独自の、創造的詠法を以て臨むを旨とする。現在まで隔月で、218号を発刊してきている名門誌。宣伝するわけではないが、短歌愛好家の同人を、常に募集中。

ビジネスの忙中の閑、余暇の仕事が多すぎるが、いい意味で爆発的。

  因みに、会津八一の名歌は、奈良の東大寺や興福寺をなど、「いかるがの里」の古寺を訪れると、必ず八一の和歌の「石文」に巡り逢える。 岩波文庫の「自註 鹿鳴集」は余りにも有名。


かすがのにおしてるつきのほがらかにあきのゆふべとなりにけるかも

(春日野に押してる月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)    八一

わたしの短日、長夜

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仲良しの近所の奥さんから、銀杏の実の炊きご飯を頂いた。大きな粒の、銀杏の入った炊きご飯の美味しさに驚いた。
銀杏の実は、近くの九品仏境内で拾った秋の収穫である。今年は実の粒が大きいという朗報である。幹回り4,4メートル、樹齢三百五十年という大木の木の実である。例年より沢山の大きな実を付けて、木の周辺にばらばらと落ちていた。強烈な匂いだけど、銀杏拾いは、近所の人たちの楽しみの一つである。敷地七万五千坪と云う広大な境内の紅葉は、今が錦秋の盛りである。

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   最近、小池百合子の人気が衰え気味である。自民党政府を潰すと赤い気焔も消滅。力以上に、何もかもと手を出し過ぎたとは自戒の弁。嵌めた結果か、嵌められた結果か。今はその事後処理が大変。総選挙では希望の党は敗北、小池は代表を辞任、事実上退陣。今になって都政に専念と。気が付いただけでも、良しとせねばならぬ。
  今、民進党は四つに分裂。散々な目に合っている。性急に走った前川の責任は重大な失態。
何事も、おごれるもの久しからず、「われ日に三省す、の孔子の教えが脳裏によみがえってくる。

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広大な敷地の九品仏寺の境内には、二本の大いちょうのほかに、樹齢七百年と推定される大きなカヤの古木がある。幹回り5,5メートル、高さ28メートル。堂々たる立ち舞いに圧倒される。豪壮な風情である。見上げていると気宇壮大の心境に。いずれも天然記念物に指定。
北鮮のミサイルなど、陳腐なおもちゃに見えてくる。おもちゃでも実際に使われたら大変だ。だからと云って脅しや県政のために使う手段だと云っても始まらない。いまさら核開発と云って、金のかかる無駄なことはやめた方がいい。
早くテロ支援国家の、再指名の汚名返上を。対話に動きだせ。


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周近平の特使が北朝鮮にむかったが、何らの成果もなかったことから、トランプが激高。7時間後に北鮮を再度テロ支援国家に指定。強烈な一発だが、どこまで効くか。話し合いに引き出すための演出とも。むしろ汚名を賭けられて、面子を潰された北鮮の反応である。拙速な行動をとらないように望む。

又騒ぎ出しても困るが、もはや実験済みという北鮮、これ以上やる必要もないだろう。何もしないで二か月。何もしないのが賢い。

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広大な敷地の九品仏寺の境内には、二本の大いちょうのほかに、樹齢七百年と推定される大きなカヤの古木がある。幹回り5,5メートル、高さ28メートル。堂々たる立ち舞いに圧倒される。豪壮な風情である。見上げていると気宇壮大の心境に。いずれも東京都の天然記念物に指定。
天然の悠然たる古木を見上げていると、北鮮のミサイルなど、陳腐なおもちゃに見えてくる。いまさら核開発と云って、金のかかる無駄なことはやめた方がいい。
早くテロ支援国家の、再指名の汚名返上を。対話に動きだせ。


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日本を代表する名門企業の不正行為が相次いで発覚している。神戸製鋼を始め、三菱マテリアルの不適格製品の製造、販売が見つかって、このところ会社幹部が謝罪ばかりしている。禿げ頭を見るのは飽き飽きだ。素材産業に大きな汚点となって、日本企業に対する信頼が揺らいでいる。犯罪企業によってつくられた製品の納入先は、多岐にわたっている。分けても飛行機や新幹線、船舶、自動車と云った機器の重要部分につかわれているわけだから、即人命にかかわる事ばかりである。恐るべきは利益優先の悪徳企業の、傍若無人のあくどさである。
経産省などによる監督指導には限界がある。根本的に企業家精神の喪失、堕落であり、倫理観念の欠如甚だしきものがる。経営者らトップらが頭を下げる事案が多すぎる。これも氷山の一角で、見逃している案件は多いだろう。役所の目を盗んで犯していることなので、全体を把握することは至難の業。企業家自身の良心に訴えていくしかない。以て猛省すべきである。
神戸製鋼の社長などは、欲張って会長職まで手にしている。それでこの始末だ。馬鹿者!


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先週、教会で日曜礼拝が終わったあと大沼夫妻から、奥入瀬渓流の豪華絢爛の紅葉を写した和紙を頂いた。それは丁度、四ページの新聞紙を横に広げたほどの大きさである。広げると長さ六尺ほどの蒔絵である。精緻に印刷されたものだが、まるで小さな屏風を立てた感じだ。
奥入瀬渓流が始まる手前に、森閑とした蔦温泉があって、昔から一軒の宿がある。私は学生時代に訪ねている。近くに蔦沼という名の沼があって、清澄な気が漂ってい神秘的である。和紙にうつして、炎と燃え盛る紅葉のさまは、その蔦沼の絶妙と云っていいくらいの光景である。蔦沼は、明治のの詩人、歌人、随筆家の大町桂月がこの地を愛して、終の棲家とした。
歩け奥入瀬三里半、という歌がある。道のりは約十二キロ、奥入瀬渓流は、焼山から始まって、十和田湖の子ノ口までの渓流に沿った道のりである。紅葉時の渓谷は、目を疑うほどの艶やかな色彩で、この世とも思えぬほどに錦絵の世界である。頂いた写真の絵は、八畳間の和室の襖に飾った。京都は祇園の茶屋の席で、金襴緞子の帯を締めた舞妓を前に、ふと酒を飲む雰囲気にも思えた。
蔦沼の宿には、今になっても訪ねてみたいと想っている。    
                                         以上フェイスブックより


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     三横綱休場の今場所


   日本大相撲の九州場所は、昨日26日に千秋楽を迎え、結局、14勝1敗で白鵬が優勝し賜杯を手にした。史上初の40回目の優勝と云う大記録をなしとげた。筋骨を鍛えあげた力士の登場、相変わらずモンゴル出身力士に圧倒される場所が続いている。それにしても相撲道に向き合う白鵬の、意地と力量は抜群であり、気迫がこもっている。
   白鵬の横綱としての土俵に向き合う姿勢にケチをつける気は毛頭ないが、横綱の白鵬に勇み足が多く散見されたことは惜しい気がする。見方によっては遺憾ながら、白鵬に驕りと高ぶりが、出てしまった場所と云えないこともない。それは白鵬自身の横綱としての風格を損なうものでもある。残念であった。品格とかなんとかと云った気難しいことではない。横綱力士に限られたものではなく、いわんや一般人としての見識でもある。
   嘉風に寄り切られた一番で、白鵬は嘉風に軍配を上げた行司に対して物言いをつけた。土俵下の勝負審判員も物言いを付けず、軍配通りであったが、白鵬は態度を変えず、土俵下に立ってなかなか上がろうとしなかった。その間77秒という。しかも嘉風に勝ち名乗りを上げる行司にたいし、これを従わずに相変わらず抗議の手を挙げている。無様である。白鵬の執拗に抗議する異様な場面に驚いた。今まで経験しなかった事態である。仕方がなく、白鵬はようやく土俵にあがって、それでも不満たらたらの様子を誇示していた。
   そもそも行司の軍配に異議を唱えることが出来るのは、土俵下の審判員と土俵下にゐる力士のみである。相撲を取った力士が、軍配に対して物言いをつけることはできない。これは相撲規則で決まっている。まして横綱ともあろうものが、こうした行動をとることなど規則違反だし許されるはずがない。公正潔癖なな土表に対して、非常識な行動であり、許すまじき態度である。取り口についても相撲規則に触れなければ問題ないとしながらも、立ち会いざまに張り手を打つことが常道になってしまった。たまに打つ戦術ならばいいが、それが常態化すると手荒な風にも見えて、如何にも暴力的な感じである。横綱らしい相撲を、ファンは期待している。

   嘉風との一戦。相撲自体も睨めあった仕切が続き、制限時間いっぱいとなった。仕切った両者は、両手を土俵ついて同時に立ちあがっている。立ちあがると同時に、白鵬はいつものように張り手を一発撃って組み合った。嘉風は素早くもろだしとなって、有利な体勢で白鵬の上体を上げさせて土俵の俵に押して行った。もろ出しを赦した白鵬は、気合があっていないと右手で嘉風の背中を叩いて一瞬力を抜いた格好である。立会いを正しいとみた行司は、残った残ったと云い続けた。嘉風は勢いに乗ってそのまま白鵬を土俵下に押し倒した。勝負は一瞬てあったが誰が見ても明らかに、嘉風の勝利である。
   今、相撲協会は日馬富士の暴力問題で大きく揺れている。真相究明には未だはっきりした答えがないままに、千秋楽を終えた。暴力を受けた貴の富士は、貴乃花親方と一緒に福岡警察署に被害届を出している。警察はこれを受理、既に捜査に乗り出している。日馬富士は三連敗のあと休場していた。日馬富士が起こした暴力事件は角界の底にある悪しき性であり、根は深い。横綱云々する以前の事柄である。今場所はそうしたことで一般論としても毒々しく感じ、後味の悪い波乱の場所であった。三横綱は休場し、大関も全員が怪我で休場。幕下の若い力士が期待を背負って頑張った。今後警察の捜査も進んで、相撲協会の調査も進んで、日馬富士に対して処遇を巡り、横審がどういう判断と決定がなされるか物議を醸すだろう。不安に思いつつ、注目しているところだ。
     
   明けて優勝を決めている千秋楽の白鵬と豪栄道との一番は、投げの打ち合いから、白鵬が豪栄道を左上手で投げを打って勝利した。14勝一敗の成績で優勝し、史上初となる40回目の優勝賜杯を手にして快挙であり、立派であった。

   土俵下で優勝を果たした白鵬に対するインタビューがあった。喜びを語った後、日馬富士の暴力事件に触れて、残念なことが起きてしまったが、日馬富士と貴の岩が早く土俵に上ってきてくれるよう頑張りたいと、そして警察からの事情聴衆では、あったことをありのままに話し、膿を出し切りたいと、思いを語った後、自ら万歳を三唱する場面となった。土俵上の成績は独壇場だが、自分からする万歳三唱は異様な行動である。これには違和感を禁じ得ないものがあった。そうした行動をすること自体無理があるし、いわんや今暴力事件で相撲界が大揺れしている中で、万歳はないだろう。快挙を成し遂げた裏には、横綱白鵬に見識を疑われるようなことがあって、後味の悪い場所であった。
                                          11月27日


北朝鮮がまたしても新型の弾道ミサイルを発射した。七十五日間の沈黙を破ってである。沈黙を続けていたから、何もしないでいたから、良い方向へ向いていくかもしれないと期待していたが、裏切られた。ろふてっどミサイルロフテッドミサイル・即ち多段式ロケットである。
高度4500キロまで打ち上げた。53分間飛行して日本海の秋田県沖海上に落下した。推進力と、飛行能力からして1万3000キロの飛行距離になりアメリカ全土を攻撃できると誇示している。益々窮地に立たされていく感じで、平和的解決が遠のいてしまうのではないかと心配である。しかし囃し立てずに、話し合いの糸口を求めていくべきだ。
外交は、時にデイールである。何かいい取引のすべはないだろうか。 11月30日


  
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社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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