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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.23.10

  アメリカの新会計年度の開始

  10月から始まるなメリカの新会計年度であるが、議会での議会での予算審議が暗礁に乗り上げて可決、成立が危ぶまれていたが、当面の政府予算を手当てするいわゆる「つなぎ予算」が9月30日にアメリカ議会で可決され成立した。期限ぎりぎりまでの駆け引きであったが、幸い政府機関の閉鎖と言った醜態を回避することができた。成立しなければ、予算切れで政府機関の一部がへいさされ、アメリカ社会に混乱をもたらすと同時に、来年に大統領選挙を迎えるバイデン政権にとって大きな痛手となるところであった。大統領選挙はただでさえバイデンの高齢を危ぶまれているのに、尚老骨の身に傷を負ったでは将来に不安を残すことにもなる。アメリカの政治情勢の混乱は、直ちに世界経済と流動する世界政治の混乱を招く結果になるので、掃除田自体はぜひとも回避してもらいたいと念願している。岸田首相の指導する新資本主義の促進も、ひとえに米欧の経済的安定が基盤である故に、そうした思考を抱かざるを得ないのである。願わくばバイデンの身に痛手を避ける状況を祈るばかりである。

  予算案の通過に一抹の不安を抱いていたのが、下院の新議長に就任したマッカーシー共和党議員の動向であった。大局に立ったマッカーシー議長は、共和党の出した予算の大幅削減などを撤回することで土壇場で民主党に譲歩した。マッカーシーの柔軟性に富み、その現実的政治感覚は立派である。下院で多数を占める共和党の一部の強硬派が、予算の大幅削減を求めて行き詰まっていたのである。土壇場にあって結果、下院、上院ともに民主、共和両党の銀の多くが「つなぎ予算」に賛成し可決された。政府閉鎖になれば、行政サービスが停滞するなど国民生活への影響があまりにも大きいため双方が妥協して合意に取り付けたわけだ。以て良しとし、民主主義と、アメリカ議会の良識が勝利したことになる。

  ただ、置き去りを食ったウクライナ支援の「国際公約」では、この「つなぎ予算」に組み込まれなかったことは残念なことに違いない。しかしバイデン政権はウクライナ支援についての追加措置として議会に支援策を求めていくことはできるはずだし、粘り強く交渉していくしかないであろう。つなぎ予算は11月半ばまでの臨時的なものなので、その間に本予算の成立を図らなければならないから、一層の努力の傾注を図る必要ある。ポイントは、柳の下のドジョウではないが、マッカーシーの英断的、勇断的協力を得なければならないだろう。共和党の一部の過激なグループを抑えながら、共和党との良識的な意見の一致をみて民生の安定に努めることが肝要である。政治の要は、お互いによる妥協である。
                              10月1日

大谷選手の快挙

 10月1日の朝日新聞の夕刊記事の一面トップは、大谷選手の大リーグでの本塁打王となった記事で埋まってあった。さほどに日本のマスメディアは、全部が全部と言っていいほどに大谷選手の大リーガーでの活躍と栄誉について語られて、日本中が湧きたっている様である。素晴らしいことこの上ない。それ以上にアメリカでの人気の沸騰ぶりは、筆舌に尽くせないものがある。

右腕の靭帯に損傷を負って途中休場を余儀なくされたものの、それまでの44本の本塁打記録を破る選手が現れずシーズンオフとなり、大谷選手の44本のホームラン記録が、今年のアメリカンリーグの大記録となる快挙と相成った。大谷選手の打力は、そのまま華麗なスウィングの一振りとなって、振り放った本塁打の44本のうちのどれを取ってみても、完璧なスタイルが非の打ちどころがなく科学的であり、同時に芸術的であって実に美しい。本塁打を打ち放った時の姿と、快音は、これを見ている人にとって言いようのない気持ちのよさを植え付けてくれて、限りない感激を与えるものだ。     10月3日
   

    マッカシー下院議長が解任される

  なんと先刻アメリカ議会で「つなぎ予算」の成立に協力した共和党の下院議長のマッカシーが解任を求める動議を賛成多数で可決してしまった。政府機関の閉鎖を回避すべく、大所高所から自分の見解に従って、反対すべきバイデンの支持に回って法案を成立させた立役者である。下院は共和党が多数を握っているが,共和党内の強硬派が提出した動議に、民主党が賛成に回って可決させた。何という理不尽なことか。否、理不尽というより民主党が打って出た政策的意図があったのかもしれない。先刻「つなぎ予算」でマッカーシーの支持を得た恩義といったものがあるはずなのに、手の裏を返すようにマッカーシー議長を解任するという、仁義なき戦いと言ってしまえばそれまでだが、いかにもアメリカらしい。下院議長が解任されたということは、アメリカ議会史上初めての奇遇である。下院議長を選ぶ時期は決まっていないが、虫が良ければ、議長の再選挙で民主党が僅差で議長の椅子を射止めることができるかもしれない。

  下院は定数が435で、うち共和党が221議席で民主党の212議席を上回っている。通常なら共和党議長の解任の動議は通らないはずである。しかし仲間割れして動議を提出した共和党議員の8人に、民主党議員のほぼ全員が賛成に回り、まさかの動議が通ってしまった。予期せぬ逆転劇である。驚いた共和党議員であるが、棚から牡丹餅で笑っているのは民主党議員たちかもしれない。前回の議長選出の時のように混乱は避けられないかもしれぬが、新しい議長の選出で、共和党の混乱に乗じて民主党に有利な結果を期待してもいいのではないだろうか。政界は一寸先が闇とは、アメリカの政界にも通じた話ではある。くじを引くようなものかもしれない。10月4日


ガザ地区から2500発の砲弾が

  長年対立状態にあるイスラエルとパレスチナの関係だが、昨日ガザ地区から2500発の砲弾が撃ち込まれ、ガザ地区からイスラエル領に、軍隊の一部が国境線を爆破し、兵士が侵入し、イスラエル兵士と多数の市民を殺傷、拉致する大事件となった。不意を突かれたイスラエルのネタニアフ政府であるが、直ちに大規模な報復措置に踏み切って、ガザ地区にミサイル攻撃を行い、激しい空爆を行って、双方に多数の死者が出ている。レタニヤフ首相は、目下戦争状態に入ったと発言し、国民に団結を呼びかけている。それにしても、なぜ今、イスラエルに対するかくも大規模な攻撃をハマスに許したのか、油断にしても信じがたい事態をイスラエルは負った

 つまり友音に臨戦態勢でいるイスラエルでは、何ゆえにイスラム主義組織ハマスによるロケット弾攻撃と、越境侵攻を防げなかったということで、ベンヤミン・ネタニヤフ政権と軍に対する批判が高まってきて、もしかすると、これは誰が見ても「歴史的な失敗」とも思われるし、ネタニヤフ政権の責任を問う声も激しさを増して上がってくるかもしれない。又、イスラエルでは軍の出動と民間人救出の遅さを指摘する声も出て、軍に対する非難が上がっている。

 ガザ地区からイスラエル領の2500発もの砲弾を撃ち込んだガザ地区とは、いったいどんな国なのか。パレスチナの行政区域であるが、実効支配しているのはパレスチナでも過激組織の武装集団のハマスである。領土は地中海沿岸に沿った東西に10キロ、縦に約50キロほどの細長い地域である。そこに約220万の人たちが生活している。イスラエルとの国境は10メートルからのコンクリートとスチール線の塀で囲まれており、文字通り経済的物流の道は遮断されており、イスラエルによって封鎖状態が続いている。報復に出ようとしているイスラエルにとって、ガザ地区に侵攻し実権を握ることはたやすいが、多くの犠牲者を伴って国際社会から非難を浴びることもそれている。ハマスの壊滅を公然と狙っているが、その後の扱い方をどうするかが問題である。不穏な事態をそのまま放置するわけにはいかないので、イスラエルに代わって統治権を誰にゆだねるか、穏健を目指すアラブ諸国を抱き込んで秘策を練る必要がある。そしてイスラエルに敵対するような勢力を一掃することが今回の反撃の目的と使命であると解釈すべきであるそれがイスラエルの平和と安定を維持することにもなるし、このあたりで終止符を打つべき時である。。

 我々は、昨年12月の選挙で勝って政権を打ち建てたネタニヤフ政権が、ヨルダン川西岸の併合を主張する極右と、宗教勢力と連立を組み、史上最も右寄りとされる強力な政党とすら認識している。ネタニヤフ氏は、パレスチナへの強硬姿勢で「治安対策の専門家」として国民から一定の安心感を得ていたはずである。しかし、まさかのハマスからの大規模な奇襲を受けて、防御と情報収集を怠っていたこの始末にあきれ果てている。攻撃を未然に防ぐことは、戦争と混乱の惹起を回避する手段でもあり、そう考えると今回の事態でネタニヤフの信用は大きな打撃を受けたといっても過言ではない。

  イスラエルはおそらくかってない反撃、報復に踏み切って、ハマス打倒に軍隊を進行させるのではないだろうか。想像するに「ハマスがこれほどの量のロケット弾を持っているとは思わなかった」と一般に解釈されている。政権にとって、今回の攻撃は想定外だったとみられるが、常に想定外の事態を想定して万全を期して国民と領土を守るのが、こうした状況下に置かれている政治家の使命ではないだろうか。

 一方、ネタニヤフ政権の進める最高裁判所の権限を弱める「司法改革」を巡っては、改革に反対する大規模デモが各地で起き、予備役を拒否する運動も広がっていた。こうした国内の騒動のスキを突かれた結果でもあるが、今回の事態で政権への不満がさらに高まるのは必至だろうと思われる。ネタにヤフが巻き返しに出て、国民の団結を以て目を外部にそらして切り抜けを図るし、それは成功するだろうし、国内の一致団結を図りハナス打倒に傾注するに違いない。いずれにしても報復と抵抗、反撃の繰り返しであり、一般市民の犠牲を伴い、悲惨な時間の審判にゆだねるという愚策に過ぎない。自制と理性を以て対応してもらいたいと思うばかりである。        10月9日


    国連安全保障理事会の開催

  大規模な軍事行動を開始するに先立ち、24時間という時間の制限をつけて、ガザ地区の北部に住む住民に対して、南部に退避せよとの勧告を突き付けたイスラエルである。種子島の半分ほどの地域から110万人の住民が退避することは危険であり不可能に近い。ガザ地区には人々がスシ詰めになって生活する人口密集地である。しかも強烈な経済封鎖を受けているうえに、今回はイスラエルの報復を受けて連日の空爆で激しい破壊が進んでいる地域である。避難を忠告、通知されても混乱を招くばかりで、住民の避難は不可能に近い。史上最高の地上部隊を国境付近に集結したイスラエル軍の侵攻が始まれば、人口密集地帯の破壊は火を見るに明らかであり、地下にはめぐされたトンネルで反撃するハマスの抵抗も瞬時にせん滅するには時間がかかる。イスラエルの軍事力、戦力をもってすれば、ハマスがごとき武装組織をせん滅することはできる。自明の理を以てイスラエルの勝利であり、この際自制すべきである。そこから何らかの譲歩を引き出し、国際社会を味方につけるべきだと思う。長期戦にでもなったら、中東情勢は緊迫し混乱の度を深めるばかりである。

 周辺のアラブ諸国もいきり立つことを避け、両者の穏やかな解決策を模索すべきである。国連のグレーテス事務総長も現実的情勢を見てイスラエルにハマスせん滅のガザ地区への攻撃を自制するよう呼び掛けている。ロシアは交戦の停止を呼びかけて戦闘の即時中止を宣言し採択を提示している。ウクライナ侵攻をして大規模な攻撃を行って戦争を仕掛けているいるロシアが、戦争の即時中止を呼びかけていること自体おかしな話だが、議長をつとめるブラジルが公平な提案を行っている。戦争の拡大を阻止して、住民の安全斯くを二務めてもらいたい。イスラエルにとって敵はハマスだけではない。反イスラエルを掲げるヒズボラが北に接するレバノンに控えて小規模な戦闘が起きている。ヒズボラはイランの支援を受けて反イスラエル武装勢力で共闘している。まさに前門の虎、後門の狼である。今回ハマスの奇襲を受けたに違いないが、そのことをよく認識して忍の一字に耐えて国際社会を味方につけ、イスラエルが外交努力を以て上手に有利な展望を切り開いてゆく努力を期待したい。目の前で起きているウクライナとロシアの凄惨な状況を見ていれば、何と無益にも、トンマナ連中が暴れているかが一目瞭然である。戦わずして勝つの教訓がある。戦争を、戦火の拡大を阻止するためにも、隣国に無益な刺激を与えないように熟慮すべきである。

  こうした中、アメリカのブリンケン国務長官と、中国の王毅外相がイスラエルとガザ地区との武力闘争について電話会談で意見を取り交わした。発言力を持つ両大国が、広く国際社会に平和と安寧、そして秩序の維持に努めることは重要である。頻発する局地的な紛争が、世界を巻き込んだりしないようけん制し、協力し合うことの重要性を再確認したことは有益である。。  10月12日

  

   柿の季節

 今、店頭に柿の実がきれいに並べられている光景が、美しく優雅であり、秋の味覚をそそるに十分である。優雅であると同時に、生活に一種の安らぎを覚え、秋の季節を静かに味わうことのできる幸せを感謝している。少し前にガザ地区のハマスと、イスラエルが戦闘状態に入って戦火を交え、罪のない老人や子供たちが犠牲を強いられていく悲惨な様子を目にしていることを思うと、日本の平和な様子を伝えて、彼らが地獄に落ちていくような戦争を交えていることの愚かさを悟ってもらいたいと思うことしきりである。暴力沙汰の戦争で私腹を肥やす破廉恥な奴もいれば、多くの住民の犠牲を強いて顧みない輩こそ、まさしく人類の敵であり、もし無敵で全能の神がいるとすれば、是非ともその神の手によって裁かれなければならない。
 イスラエルもアラブも所詮、宗教国家であり、戦争は単なる宗教対立であるとすれば、信仰の道に従って寛容と、受容と、愛和の精神を以て和解の道は開かれるはずである。色づき始めた柿の実を見つめて、自然のおきてと、大宇宙の真理を見つめていると、既述の真理に思い当たる気がしてくる。

  拙宅には恵まれた庭があって僅かな耕作をたしなみ、生りものの木々を通して自然の奥義に接することができ、ものは取りようだが本当に幸せに思っている。宅地には柿の木が二本、昔から植わっている。次郎柿と富裕柿である。土地を買って家を譜請した時に、庭の一角に植えたものでその時は十年くらいの若木であった。住んでいた前の家から移し持ってきたものである。したがって五十年は共に暮らしてきていることになる。愛着もひとしおである。丸い形をしているのが特徴で、肌はつややかに光って、食べる時期の実が甘くて固い。中は飴色をして水気が豊富である。丸かじりして割ってみるが、そのだいご味は柿の実自身と、かじってみた本人でないとわからないし、形容のしようもないくらいである。柿のことについて拙宅の庭の一部を既述した、、小さな橙いろの花をいっぱいにつけて、甘い香りを辺りに散らし馥郁として漂っているところである。 
  庭に出て庭畑を見る途中、こつんと頭に何か小石のような当たるものがあった。何かと思って見あげたら柿の枝にたわわに実った柿の実であった。ちょうど五つの実が一枝につながって、重みに枝が低く垂れてきたわけだった。通り道だし、下を歩いたりすると人の頭には必ず、こつんと当たる位置にあった。何とも愛くるしい風情である。近所の人が、今年もたくさん実がついていますねと、誉め言葉を残して通っていくのである。そんな時は誇らしく思って、柿の木を見上げている。   
                               10月15日 

柿の実のたわわに実る柿の木をひながに見ては過ごす秋の日

柿の葉の涼しく茂る枝もとに伐らずに過ぎて悔ひのなきかな

西かたの玄関わきと庭さきに植ふ柿の木の目出たかりけり

次郎柿、富裕柿てふ木を植えて普請の時ゆ共に暮らせり

夢に見てわらべの頃に柿と栗みのる苗木を植えんと思ひ来

柿の木のもとを通れば身に当たるしかも頭に固き柿の実

昨年は庭師も入れず伸びるまま樹木の茂り柿の木も又

放題に形佳ければ庭の木も風情よろしく云ふ方もあり

春先に落つる柿の実のもとの花はらはらと落つ人の泣くよに

植えものの豊富にありて喜こばし家内が誉めし一理ありしも

蕗、茗荷ひとところに生えめずらしき相性よしと成りものも良き

神無月初めに撒きてホウレンソウ、小松菜、春菊など撒き終へり

来年は田んぼを作りささにしき植えんと思ひ種子を揃えへり

匂ひきて金木犀のいずこより甘き香りに酔いしれし身の

放題に伸び金木犀の花ひろくあたりに甘き香り放てり

枝先に付けし橙色の花きんもくせいの名のもといとも

秋さめに濡れし金木犀の花あまき香りの濃くも深くも

月の夜のきんもくせいの花の香に触れてはそっと抱く心地に

悲しみの女がなみだをはらはらと落とすにも似て柿の花かな

さみだれに果てなく落つる柿のはな淡きがゆへに悲しみも又

朝まだき頃合いに見る柿の実の色づきそめし浅きその色

諸事雑感

  この夏は連日のごとく殺人的猛暑と言って、毎日苦吟していたのはつい一週間ほど前の時まである。台風13号が熱帯低気圧に馬鹿手本邦を縦断、その頃からどんどん気温が下がって、今では少々厚着をして出勤するほどに、すっかり秋の季節が深まっていく実感である。東北地方では一気に紅葉の時期が繰り上がって、旅行業者は紅葉の季節到来と旅行の勧誘にてんやわんやの忙しさである。うっかりしていると紅葉の季節を見逃してしまうほどである。気もそぞろに詩を詠んだりしているが、時期の経つのが早いことに驚いている昨今である。

  ウクライナ戦争が連日報道関係史をにぎわしていると危惧していたら、今度はガザ地区を持kぉう支配するハマスの奇襲攻撃を受けたイスラエルがいきり立ち、戦争状態に突入した。連日盲爆を以て反撃するイスラエルに、ハマスも攻撃を繰り返しているが、元もと戦力に大差があって、戦争となれば勝ち目がないことはわかっている。イスラエルはハマスをせrん滅すると事実上宣言して、陸、海、空戦力を結集してきている。国境を越えて地上部隊をガザ地区に侵攻する直前である。進路を作るために空から盲爆を行っている。会場からも砲撃を行っているようである。ガザ地区の住民に対し人道回廊を設けて南に退避するよう警告しているが、実際には不可能に近い混乱ぶりである。多くの住民の犠牲を目の当たりに考えれば、国連の事務総長の発言に従って、イスラエルに対し攻撃停止を決断してもらうしかない。イスラエルが圧倒的な軍事力を以てガザ地区と、ハマスの武装組織を撃滅することはできるからである。
  しかしそのために小さなガザ地区に密集して住む220万の住民を危機にさらし、何十万という犠牲者を出すとしたら、自衛的攻撃とはいえイスラエルは国際社会から轟々の非難を浴び、不利益を得る運命にあると思わなければならない。世界秩序を混乱に陥れる結果にもなりかねない。自重を促すゆえんである。この機に際し戦争には勝者も敗者もない結末は、目に見えている。イスラエルは戦わずして勝つ手段を選らぶべきである。

秋風に身も心をもぬぐはれて夕べの月をひとり眺めん

仲秋の名月と良く言い給ふまろく明かるく光る今宵は

名月にたはむる曇のあでやかに映る今宵の恋の夜かな

山吹の花の一つが咲く隅の暗がりに差す秋の月かな

山吹の花の一つが灯りける庭はし暗きこほろぎの宿

この時期に咲く花かとも疑ひつ灯る山吹に心ひかれり

記録的猛暑の過ぎて秋風のそよぐ終日の幸ひなりき

草の葉も木の葉も焼けてしおれたり大地の今しよみがへる秋

芝を刈るあとの涼しき色あひに寝ころびて見るここちこそすれ


  昨年の2月24日、ロシアがウクライナに侵攻してから今日で1年8か月が過ぎた。最初の予想ではロシアはウクライナに戦争を仕掛けて三日もあればウクライナ全土を支配下におさめられると豪語されるくらいであったが、粘り強いウクライナの抵抗にあい、戦意は喪失し今や長期戦の泥沼に入ってしまい、収拾が付かない様相である。欧米諸国の軍事的支援を受け、ウクライナが善戦し、反転攻勢に出る場面もあって、戦況は予断を許さない。
  そして今ガザ地区を実効支配するハマスとがイスラエルを奇襲し、それに対しイスラエルはかってない大規模な軍事作戦を以てガザ地区を攻撃しようとして緊迫の度を高めている。広大なウクライナの地と違って、ガザ地区はせまい地域で220万の人たちがすし詰めのようになって暮らす人口密集地域である。周辺を経済封鎖されているから逃げ場がない。イスラエルは軍事攻撃を開始するにあたって、地域住民に対し南部に避難するよう勧告しているが、猛爆を受けている街中の廃墟と混乱の地域を通過することも容易ではない。檻に入れられたままである死の宣告を受けているに等しい。何とか解決策はないものだろうか。やるせない気持ちである。
  

   
ワグネルの幹部を乗せたジェット機の見る影もなく落ちてゆくなり

案の定プリコジン氏の暗殺に等しき末路の疑ひのなき

プーチンに寝返りを打つプリコジン末は消される身とも知らずに

冷血気プーチンの仕業に異論なくプリコジン氏の暗殺の的

 プリコジン、ワグネルの棟梁と言っていいくらいな人のよさそうなおっさんである。ウクライナとの国境付近に陣地を構えていた場所に、反旗を下ろして帰ってきたときの村の住民たちの歓迎ぶりは、まるで凱旋将軍を見返るような熱狂ぶりであった。凶悪で野蛮な性格と思っていただけに、光景は意外な感じであった。その人物は、長年プーチンのもとで仕え、社会の暴れん坊の囚人たちを雇用し、軍人とそて体裁を整え、国内では治安を維持し、外国にあっては軍人としていいように使っていた差配師である。表はありふれたおっさんで凡庸だが、裏に回れば極悪非道のやくざ稼業を得意とし、プーチンに仕えてきた。プーチンも又その力量を評価して彼を上手に使って、甘い汁を舐めてきた間柄であった。その間、莫大な利権を手にし、ロシアの国防軍指揮官を相手に交渉をする巧みな戦術も習得し、飛ぶ鳥落とす権力までを手にした。国内外に莫大な資産を隠し持ち、自家用の字ジェット機を飛ばして各地を精力的に回っていた。
  プーチンに謀反を起こし、ウクライナ戦争は大義のない戦争であると言い残してプーチンに刃向かったが、宥められて本気に受け止め、モスクワにあと400キロに迫ったという地点で自分の軍隊を引き返した。二人の仲介に入ったチェルネンコだが、芝居上手に騙されたも等しい。その後ある日のこと、ロシア領内から飛び立った一機のプライベートジェット機が西を指して飛び立った。青い空を悠々と西を指していくジェット機が高度800メートルあたりを上昇しながらであったが、突如機体が爆発し、黒煙を吐きながらくるくると回転しつつ、真っ逆さまに地上に落下していった。機体は大きな衝突音とともに大地にたたきつけられたのである。そのジェット機にはワグネルの幹部ら数名と一緒に、親分のプリコジンが乗っていた。予想していたように、あっけない幕切れであった。    


  戦争の光景が、テレビや雑誌に映し出されるたびに思い出す少年時代である。遠く過ぎ去っていってしまったかの如く思われるが、決してそうではない。いまだに身近に感じてしまうほどに、同じような惨禍の繰り返す現代歴史が立ちふさがっている毎日である。そう断言してしまうほどに、必ずどこかで大小の規模で小競り合いや、大規模な砲弾の打ち合いが行われているといっても過言ではない。私は少年時代にそれと同じような体験を積んできているので、そうした映像を見るたびに、そうした渦中に巻き込まれているような錯覚すら覚える時がある。戦中然り戦後の混乱に始まって、立ち上がっていこうとする民衆の戦う姿を直ぐに回想してしまうのである。今でもその時の思い出は、鮮明によみがえってくる。戦火の中を潜り抜けて来たこと、焼け跡のバラックに生活したこと、食糧難の時に買い出しに行ったこと、学習道具も持たずに焼け跡の小学校に通ったこと、疎開先を逃げだし機関車の煤を吸いながら父母のもとに駆け付けたこと、畑仕事、百姓生活を送ったこと、田舎の友達と仲良くくなったこと、ストライキを起こし学業を放棄したこと、軍国主義の教師と戦ったこと等など、思い出せばきりがない。しかし、いつもプラス思考で思い出している。今では、長生きと健康の噴射機みたいなものである。

いかならむ時をすごして苦しみの折に励ましくれし友垣

ほがらかに光るひとみの類ひなき陽一君の今に浮び来

小学生陽一君と中学生新二郎君の魂の友

陽一君、新二郎君らの先に逝き友らの遺志を果たしゆかむと

仁和寺の脇を流るる御室川音にも浄土の調べ聞くかな

住み難き村にしあれど少年の力を借りて己れながらに

飯田村字中新田に住まふ身の陽一少年の居りて今にも

ほがらかに広ごる秋の空高く偲ぶ陽一君の少年の顔

稲の穂の波うつころに目に浮ぶ陽一君が畔を行く道


三味線のつま弾く音に合はせ聞く津軽の唄の調べ悲しき

座敷にて踊る津軽三下りを障子にともる秋の月かも

三味線に合はせ津軽三下りを踊る芸者の細き身の影

つややかな舞妓の舞ひに胸に秘む人の姿の浮かび来るなり

死してのち世の新しくよみ返るいずくに在りや知るよしもなし

幾億光年の彼方に美しき光の世界の在ると謂ふかな

美しき天然の世に生(あ)れて生きこの身を満たし終りけるかな

何気なく秋の駆け足でやってくるこの二、三日の変り身のよさ


何気なく秋の駆け込む気配しておしろい花の匂ふ夕べに

茄子の木に惚れて浮き立つ我が身に貧乏という字の無きは嬉しき

なすの木を他に植え替えあとの地を耕す折に時雨降るかな

麗しく黄(きい)の花咲くなすの木に夕日の差して夜となりける

なすの実のあまたに実りたれさがる濃むらさきの暮るる夕べに

心持ち水を注げばながらえるみょうがの実り続く日々かな

なすの実を籠に収めて物価高ふと頭にも重くよぎりぬ

売れ残るスーパーの生鮮食料品皆無駄にして処分とはなる

貧しさの楽しきことも身に置きてみょうがの五つ摘みし今朝かな

暗やみの茂みに黄色の布まとひ花咲くみょうがの光るつやいろ

満月を見たる赤子が取ってくれとせがむ理由にうなずきにけり

満月をよぎる大型ジェット機の影おもしろく味わひにけり

仲秋の名月の輪を飛びてゆく影美しき渡り鳥かな

余りにも大きな月の輪を眺め膨らむわけの謎と思へり

月の輪の普段に増していとでかく膨らみ居れば何かあるらし

灼熱の連日襲ふ猛威にて大地をうるほすよみがへりの雨

飲む水を買ふとはまさか予想だにせず昔をば懐かしく思(も)ふ


商店街にて催す盆踊り踊り手多く加はるはよし

浴衣着て踊る娘(こ)も居てなまめかし盆踊りの輪の伸びてにぎはし

踊り出た娘(むすめ)の上手な手さばきに踊り上手の娘(こ)が続きをり

月が出た歌に浮かれた女の子おどり上手のキャリア生かして

庭畑の黒ぼくの地を掘り返す赤きみみずのはねて飛びける

手にのせて摘みしみょうがを数えては妻の笑顔の幸はせ多し

三井家に採れたみょうがを手みやげに寄らば子犬を育て居るなり

テリア種の子犬は二十三万円也と申して可愛がりをり

人は皆和み付き合ふ仲間にて親友と呼ぶはふさはしかりき

集ひきて初めは知らぬ仲なれど次第に親しくなるは良きかな

いろいろな立場の人の在りなせば人の誰しも面白かりき

利害なく直き心を開き聞く話に熱く情のかよへし

古きこと子供の頃の思ひ出をたぐり互ひに語りあへるは

おごそかに礼拝堂に立ち入りて仰ぐ高きにイエスおはせり

見渡せばエッフェル塔の夕焼けの空に浮かびて月の灯りぬ

さまよひてモンマルトルの街に立ちムーランルージュの恋に燃える夜

この世にて憂き事失せて主の恵みみちて栄光の光る世にとぞ

動乱のパリーにたまたま遭遇す旅の途上の友を気遣ふ

動乱のパリーを旅す今日の友いかにおはすか案じけるかな

妻と来てセーヌの湖畔に立ちてみるエッフェル塔の立ち舞ひのよき

平安を常に与えたもう主の前に居はせば奮ひ立つかも

手のひらに打ちつく釘と脇腹につく槍あとの傷の痛まし

晴ばれとした気分にて目覚めけり講演を了し重荷とけたり

よい企画せるも参加者の少なくばやり甲斐失せて身に悪ろきかも

若き娘の希望をかなえ来てくれる益荒男(ますらお)よりはましと思へり

幾ばくの死者を葬りさりげなく振るまふ奴の鬼畜にも劣る

戦場に死臭ぷんぷんと悪臭の悪魔のあとのおぞましき世は


いかならむ人の彫りたる聖観音菩薩像ともしばし思へり

無為夢思に静かに居はす聖観音菩薩にまみえ嬉しかりけり

類ひなき姿に立ちてこの世をば眺めたまへり菩薩像かな

つややかに立つ聖菩薩観音像袖振り返へし秋近きかも

見つめればマリアにも似て聖観音菩薩立ちますいともすこやか

しなやかにみ手をひらきて映しける世の安けきをひとへ祈りて

左手を天に伸ばして右の手を地にさし示し悟しけるかな

美しき姿に立てる聖菩薩なんぞ請ふべきことのなきかな

廻廊を見上げて軒の美しき先の雲井に秋のすぎゆく

廻廊の板踏みしめてゆく音に昔の人の声を聞くかな

薬師寺の塔を見上げて空高きところの雲に思ゆ秋かな

もみの木の枝にもかかる白雲のみ寺の屋根をかすめゆくなり

いかるがの里を訪ねて法華堂のほとけにまみえ秋の風吹く

夢殿は内なる高座にたちおはすほとけのいまだいねておはすや

夕立ちの止む夢殿に松風のすぐる夕べとなりにけるかも

ひるどきの暑き日差しに黙しおる蝉のにわかに鳴きぬ夕べに

あたたかきうちを示して面ざしのやさしきさまに立てるみほとけ

正門の近まに仰ぐ五重の塔松風過ぐる秋の空かな

聖観音あたかも人の彫り刻む仏の姿あらはなりけり


遥かなる宇宙の果ゆ光さしほとけのみ手にたはむおもむき

たんぽぽの咲く畦(あぜ)道のみほとけのかしらに止まる赤とんぼかな

  

   ラクロスがオリンピックに参加

  2028年に開催されるロサンジェルスオリンピックに、何とラクロス競技が参加することになった。まさに快挙の朗報である。その時に登録された競技は、野球をはじめ五種目であったが、バッハ会長はその中にラクロスの競技が含まれていることを宣言した。朝のNHKのテレビニュースで知った。まさかと最初のうちは信じきれなかったが、落ち着いてくるとさもありなんと確信を持つに至ったのである。息子の裕介には早速祝電を打って、こちらから知らせるような仕儀であった。
  息子の裕介は、慶応の普通部に在学中からサッカーを得意として、学業と同時にスポーツにも励んでいたようである。しかし膝の半月板を痛めてしばらく落ち込んでいたが、活路を見いだせずに苦悩する時期があったようである。大学3年の時に突然アメリカのジョンズホプキンスに留学したいので、行かせてもらいたいと熱心に申し出たのを受けて、しぶしぶ了解した。しぶしぶといった消極的姿勢だったのは、疑うわけではないが、本人の語学力である。家内が横浜生まれの横浜育ちで、近所では日頃からヤンキーとの付き合いもあったりして、生粋の浜っ子であり英会話は得意であった。インチキな単語を使って片言の英語をしゃべる小生と違って、流ちょうに会話ができる環境に育ってきた。わたしは引っ込み思案で、会話をすることが苦手であった。息子の裕介はもしかすると、家内の才能の血筋を持った人間かとも思った。そこで未熟な英語は現地でとにかく習得しながら、問題は安心して生活し、学習できることが重要である。それは裕介自身が十分に配慮し、努力して開拓する以外にない。一抹の不案を抱く小生は、自分自身にも自信をつ納得ささせたのである  
  自由な学生生活を送ってもらいたいと熱望する以外に、息子の教育については全く関与しななかったし、自分の仕事で精いっぱいであったがゆえに、親としての義務と責任のそしりを受けることを承知の父親であって、新天地を求めて留学の意向を示す息子には、この際少しばかりは協力してやるべきと反省を含めてそう思ったのである。そして、外国に留学する決心をした息子については、いつの間にか度胸と勇気のある人間になったことに驚いたのである。身体は健康で頑丈だし、心配したのは精神力だと思ったが、こちらの方も頑張り屋だから大丈夫だと自分で納得し、裕介の意志と行動について内心、立派だと思ったのである。息子は本気なのかと疑いつつも、生活環境の良好なこと、地域に治安の安全なことを主体に考えて、この際是非とも息子には留学を実現してもらいたいと内心願うことしきりであった。

  そもそも小生は高等学院時代からドイツ語を学び、著名な先生にもついたりして、ゆくゆくはドイツに留学したいと途方もない大きな希望を胸に抱いて結構、真面目に勉学したのである。大学に進学することが決まり、卒業の時の右総代を務めたという理由で学院から内定をもらっていたバンクロフト奨学資金を以て、ドイツのハンブルク大学に留学する資格を得たのである。しかしながら生来病弱な身に小児喘息を潜在的に持っていて、留学するに健康上の自信が持てなかった。悶々の末断念せざるを得なかった。そうした経緯が過去にあったので、息子には是非とも自分の代わりにしっかりして地に着いた海外留学を経験してもらいたいと、ひそかに願望するところであった。
  小生の学生時代に希望していた海外留学の情熱は果しえなかったが、当時、小畑実が軽快に歌っていて流行していた「憧れのハワイ航路」ではないが、小生の留学は、あこがれだけに終わってしまった経緯がある。それともう一つの理由に、家業が、業界を巻き込んだ金融詐欺事件に巻き込まれて莫大な不渡りを食らったことがあった。親父の苦悩する雰囲気がそれとなくわかって居り、そんな時期に、親父に金をかけてまでのほほんと留学などしていられるかという気持ちも無くはなかった。少なからずブレーキになっていた。小生の至らぬさまがあって、留学を断念したのである。だから子供にはもしそうした機会があれば、小生の思いを果たしてもらいたいと十分に思っていた。
  息子が旅立つときは家内が成田まで見送りに行ったが、私は所用で行くことができなかった。息子の自信たっぷりで一人旅立っていく姿を見て、妻は安心して、お父さん、裕介は堂々として笑顔で出かけたわよ、大丈夫安心だわとしきりに小生の気づかいを静めようとしているかに見えた。なんでもいいからGOOD,THANK YOU,と言ってればいいんだと教えたが、それで済むわけがない。大学に転入して現地の学生たちと勉強し、試験を受けて合格点を採ってこなければならない責任がある。小生のような気休めを言っているわけにはいかない。最初はキャンパスに近いアパートメントに入ったが、その後はしばらくしてから大学の寮に入ることを許可されたという。大学の寮に入るということは、可成りの実力と本人自身の評価の高いことの裏づけでもある。アパートよりも実学的な雰囲気に合って生活できる方が有益だと安心したのである。
   留学してから三か月はまるで音信不通であった。何かあれば連絡するようにと申し付けてあったが、家内は毎日心配してばかりいた。便りのないのは佳い便りという昔からの言い伝えがある。心配ばかりしていたらきりがない。関心を他にそらして文学全集でも買ってきて、全読してみたらどうかと、愚にもつかない能書きをこいていた。そうした意味で当時、息子は相当の努力を払って猛勉強した記述が、ジョンズホプキンス大学便りとしたエッセイを書くようになって、それが毎号昭和経済に掲載されるようになった。息子が、達者でいることが分かってきた。そのエッセイは若者らしく不屈であり、生き生きとして筆が弾んでいたし、我々にとっても安心のいくものだった。忙しい合間を縫って執筆してくる努力と精神は、代えがたいものがあった。
  昭和経済会にとっても、外国からの新しい新鮮な情報として会員各位に愛読された。あれを今読み返してみると、実に充実した内容の提供におどろくばかりである。余裕も出てきたのかもしれない。毎日深夜まで学習に没頭し、休眠はわずか3時間という日もあったりして学習に猛烈に励んでいったそうである。みんなとの学習にも慣れ、現地での生活にも慣れたりしたころであろう、ラクロスというスポーツの盛んなことにも目に触れ、なぜこの競技が日本では知らされていないのだろうと疑問を抱くようになった。珍しさと好奇心からラクロスのプレイをクラスメイトと一緒にするようになった。
  若いから学習にしてもスポーツにしても吸収が早い。たちまち選手として正式にメンバーに登録されることにもなった。文武両道の道を力強く歩んでいくようになって、留学生活は極めて充実していく様子が感じ取られていた。片言しか話せないだろうと思って心配していた英語も、学生寮に入りますます上達し、流暢なしゃべり方も習得していったのだろう。現地の学業と寮での毎日の行動にも慣れて、多くの友達を得て友情を分かち合いながら、アメリカの生活に溶け込んで、上達していく若者の勇気ある姿を垣間見て安堵したのである。 続 10月17日


ラクロスのオリンピック競技に採用さる歴史を変える益荒男の立つ

オリンピック競技種目にラクロスの登録されて快挙なるかな

ラクロスの2028年のオリンピック・ロスの競技に参加するとは

ホプキンス大学留学中ラクロスを日本に最初に持ちてくる人

立派なりラクロス競技を我が国に持ちきて普及に努力するさま

面白きジョンズ・ホプキンスの留学中便りのエッセイを改めて読む

ハレルヤー・ジョンズ・ホプキンスの名を馳せる世にラクロスの名門大学

ラクロスの元祖のジョンズ・ホプキンス常に優勝校の世にそ名を記す

秋空に球を飛ばして疾走す縦横無尽のラクロス・プレイヤー

多摩川の端で最初はプレイする五、六人でのラクロス・プレイヤー

今何と一万三千人のプレイヤーが大学、社会人が活躍の場に

オリンピック参加種目に日本のラクロスもまた世界の舞台に

裕介の尽力により日本のラクロス競技の世界舞台に

裕介の見事に果たす二刀流会社とラクロス双方に遂げて

何かにと苦難もありて克服す希望と夢を灯すその道

艱難と辛苦に耐えて学習すひとり米国に渡る裕介

アメリカで綴るジョンズ・ホプキンス留学日記の今よみがへり

情熱と努力を以てアメリカの大陸を行く息子裕介

活気あるスポーツとなるラクロスのあたかも日本発祥のごと

快挙なりラクロスのことNHKテレビに広く伝えられたり

裕介のコメントも載るラクロスの五輪競技に参加する報    10月17日

  ガザ地区の人道回廊

  バイデン大統領が戦乱中のイスラエルを訪問し、イスラエル首相のネタニアフと会談して、緊迫の度が増すガザ地区のハマスとの戦争について話し合った。イスラエルがハマスの奇襲を受けてすでに10日間が過ぎる。両国の応酬で戦火はいまだに止まず、犠牲者は1万人に迫る勢いで、国際社会は重大な危機を迎えている。ウクライナ戦争でいまだ当事者の双方の交戦が続く中、新たな戦火が懸念すべき中東に起きた。予期せぬハマスの奇襲を受けたネタニアフ政権は、戦況の挽回に攻撃を集中し、ガザ地区に侵攻してハマスのせん滅を図ろうとして、国境近くに大量の戦車、軍事装備品を集積中である。同時に激しい空爆を行っているので、ガザ地区の市街地や住宅地に至るまで甚大な被害である。罪のない住民の、人口の集中する地域を、イスラエルからの南部に避難せよとの予告を受けながら、厳しい経済封鎖を強いられて、行き場のない地域をさまようばかりである。
  現状は強力な軍事力を以てガザ地区に侵攻し、暴力的軍事組織のハマスせん滅に動くイスラエルである。せめてガザ地区の住民が南部に避難する間だけでも、空爆を中止するべきである。北部の住民は南部に避難せよと時間を切って忠告したのはイスラエルである。避難する先々を空爆するのであれば約束が違うし騙しであり、これこそ野蛮的攻撃としか言えない。即刻、空爆を中止して、必死の思いで人道回廊に立つ住民たちを救済すべきである。
  水も食料も欠乏し、治療に当たる医師は不足し、非衛生的な環境で医薬品は無きに等しく、怪我をし、避難する住民たちは死の恐怖に立たされている。バイデンとネタ二アフは、そのことについて話し合ったのではないか。世界のユダヤ人たちも、イスラエルの攻撃即時中止を訴えてきて、その声は日増しに高まっている。アメリカ議会の中央広場に、ユダヤ系アメリカ人たち300名余が集まり、イスラエル攻撃の反対のプラカードを以て、警備員と対立したりしている。ハマスの奇襲攻撃を食らって戦争を仕掛けた奴は、自衛権の行使を即刻以て打ち返すのは当たり前だが、これはとりもなおさず、イスラエルの攻撃が、ハマス集団に関係のないガザ地区の、善良な住民たちの殺戮的攻撃に繋がりかねないとする危惧の念からである。既にイスラエルの攻撃は、狭小のガザ地区のインフラを、壊滅に近い作戦行動を遂行している。重爆を繰り返すのみで、これ以上の爆撃は無益である。あとは住民に紛れ込んだり、網の目のように張り巡らす地下壕に潜伏するハマス集団を目的とするだけであろう。目当てとする作戦行動の相手を間違えてはいけない。
  インフラの壊滅的な破壊で、支援物資も現場に届かない情況である。イスラエルの圧倒的な軍事力で以てする攻撃で、狭小な国土に閉じ込められた住民は、飛び交う砲弾のもと死の宣告を待つばかりなのか。むごたらしい事態を回避することは我々の人間性を問われているのであって、人道主義の観点からしても、喫急に解決すべき懸案である。イスラエルの寛容な決断を求めてやまない。振り上げたこぶし、諸悪の根源を抹殺する、その地上作戦の遂行は、それからでも遅くにはならない。    10月20日


凄惨な犠牲のもとに子を抱く母の号泣の空に響きぬ

屍を踏む兵士らにミサイルの閃光を引き倒れけるなり

砲弾の炸裂止まぬ戦場の夜に瞬く諸星の灯よ

戦争と無縁なはずの民衆が戦火に死して不条理なりき

戦争を仕掛けてあまたの人が死し陰で私腹を肥やす人あり

弾を撃つ兵士に罪を課すよりも後ろで弾を撃たぬ奴こそ


    砂丘を行く日の丸観光の女性ガイド

  上野発の夜行列車にのって、直江津についたのは夜が白々と明け染める頃であった。寒い国を通て来たせいか、列車の窓ガラスには白い露がしたたり落ちていた。大学時代を振り返りながら、高望みしてきたバツがたたって、ありきたりの社会に放り出されることが分かって失意のどん底から這い上がってきたが、それが現実だと言い聞かせて、見ず知らずの土地を訪ねて一人で旅行に出たのである。そもそも学院時代にさかのぼってみても、文学に進むか、商人になるか戸惑っていたのである。大学に進学する際も担任の遠藤先生はもとより何かとご心配をかけたりしてきたが、古典文学の著名な竹野長次先生から成績がいいから政経学部の経済学科に行きなさいとダメ押しをされてやっと決心がついた意気地なしの青二才であった。経済学科に進んでも本人がその気になれば幾らでも小説なんか書けるし、文学部に行かなければ書けないということはないという、ごもっともなご説法であった。
  大学に進学して猛勉強に励んだが、ドイツ語を主として当時著名な経済学者であり、神学者で盛る内村鑑三と並び称されていた酒枝義旗教授にも師事して磨きをかけていた。先生は敬虔なクリスチャンであり、待辰会を主宰し宣教に努めておられた。キリスト教の信仰に関する「酒枝義旗全集」全十三巻は先生の信仰告白の粋を成すものである。ドイツ語については先生の研究室で少人数であるが、定期的に原書の読書会が親しく開かれ勉強にもなった。三年の時にゼミで平田寛一郎先生の「財政学」を履修し、先生のドイツ語の研究所の翻訳についても聊かお手伝いしたりもした。そんな思いでもふと頭をよぎったりして、我ながら有意義で充実した学生生活を
振り返ったのである。
  学生生活を終了し、勇躍して社会に飛び立っていく友達が多かった。ぐずっていた小生だったが学校に残る一策もあったが、この世界とて難儀することを諭されて断念した。人生の相談の相手を務めてくださったのは、畏敬する大内義一先生であった。傷心気味だった小生の青春時代を、明るい気分に誘導してくださった恩義を忘れたことはない。上総湊の五平次船頭の漕ぐ船に乗って海釣りを楽しんだ思い出がある。同行された酒枝教授、平田教授との釣り仲間に接して学問と研究以外にも親しく人間性にも触れて啓発されることが多かった。
  素晴らしい成績だといって、日経の萬社長にも勧められてトライして編集を受けたが期待に沿えなかった。就職難の時期が重なった時代でもあったが、いざ就職先が決まってしまうと、何だか自分の一生が決まってしまうような錯覚にやる瀬なく、一抹の寂寞とした感情に襲われて、漠然として捉えがたい変な気持ちが湧いてきたりしたものである。勉学もそうであったが、負けず嫌いの一面もあって、縁あって職についた道でも一番の成績を採って表彰されることもあった。ロマンチックな文学思想にしたり切った精神面に、現実的な感覚もついてきたりして、思想的に学んだ経済学が、社会に出て日常の実践的活動に援用されていく様相を実感していくのであった。
  金融業務の職について目覚めたことは、人生観の大転換を示唆する大きな含みがあった。書生的な幼稚性から抜け出して、夢想の世界から脱却して地に足の着いた生活を実践していく心構えもついていくように感じた。しかしベートーベンの田園交響曲ではないが、あの躍動感あふれる世界を忘れることが出来ないでいる。早世した父のわずかな遺産を以て、縁あって土地に興味を抱き、田園交響曲の世界を追って、綺麗な地方の土地を買い求めていく仕儀と相成った。土地を紹介してくれた不動産業者の人は活発であったが、その人を通じて購入し、幸いな運命のいたずらにも乗って富の増殖を享受することが出来た。のちにそうした人たちが大きな顧客として力を貸してくれたことにもなる。共通の意識と感動をもった友人や、親せき、知人が賛同して一緒に地方の緑と水と光を追って憧れの毎日を求めていったのである。今の言葉でいえば、リアルエステートへの投資である。そして開発の事業である。しかし、不肖の焦点はロマンを求めて、沸き立つ思想でいまだに燃え上がっており、事業は経済的利益の追求ではなく、ひそかな内面的思いで動いていると云っても過言ではない。

  上野から夜行列車に乗って直江津についたが、白んでいく空を見ながら上越の山から朝日が差し込んできたときは、輝く大自然の営みを実感して旅路の先を思い描いたものである。東海道を選ばずに敢えて山陰地方の旅路を選んだ理由ははっきりしないが、陰鬱な世界から抜け出していく春先の海鳴りを聞きたかったに違いない。西日本からいきなり京都に足を延ばして西陣の機織り元の松本信一商店によって行くことにした。松本さんは父の会社に出入りしていた絹織物の卸をしていた。もとは読売新聞の記者生活を経験している人だったので、小生の学生時代からいろいろと現実的社会の刺激的知識を伝授してくれた人でもあった。近所の大徳寺に行きたかったので立ち寄ったのかもしれない。一泊ご厄介になった。
  翌日は南禅寺を訪ね、時刻表を見ながら夜、京都から夜行列車に乗って山陰地方へ行くことにした。たまたまに合わせた同席の若い二人の女性であったが、窓際の人が感じのよい綺麗な人に思われた。薄暗い電灯のともった普通列車である。青臭い若造だったし、学帽をかぶり学生服だったので、所在はすぐに分かったに違いない。大学を卒業して就職も決まり、残り少ない時間を有意義に過ごそうと、思い立って一人で旅行に出かけてここまで来ていると話したことは覚えている。無計画でどこに行ってもいい旅路である。どちらまで行くのですかと聞かれたので、松江に降りてみたいと思っていると答えた。松江では小泉八雲の住んでいた場所も訪ねてみたいと云ったりした。疲れも出ていたせいか、これからの旅先のことも考えて、自分から先に、それでは失礼しますと言って眠りについた。何だかぐっすりと深い眠りについてしまった感じであった。説明のつかない安堵感でもあったし、安心感、いや感傷気味の、満足しきった感じだったのかもしれない。あこがれていたような人に出会えて、何気なく話し合うことが出来、鬱積していたものが吹っ切れたような開放感があった。心から打ちとけ会えて旅先で接した友情みたいなものだったかもしれない。
  朝方松江駅に着いた。名残惜しくも感じたのでお互いに住所を聞いて、又いつの日にか会える機会でもあったらといったささやかな望みを託して手を振って別れた。黒い煙を吐きながら、汽笛を鳴らしながら走ってゆく列車が消えるのを見届けて、ふと我に返り旅の先を急いだのである。旅の工程はつぶさに覚えていないので仔細に記すことはできないが、駅頭に立ってからバスに乗って宍道湖を眺め、小泉八雲の瀟洒な住まいを訪ねたりした。特別な目的を持っていたわけでもなかったので、何の感興もなくそこをはなれたのである。そして目指したのは近くの皆生温泉である。山陰地方になじんだような海辺に近い温泉の名前が気に入った。北海道の函館に近い、静かな湯の川温泉を慕ってのこともあった。海にそそぐ川べりそそ温泉宿でであった、月の出ていた海の景色と、青みがかった風情が何とも言えなかった。

たわゝなる柿の実の木の遠きより眺めてたのしつれづれの旅

道の辺の咲くたんぽぽの愛ほしく覚へてしばし立ちて見とれぬ

興福の宮に入らむと中段に立つ足元にたんぽぽの咲く

猿沢の池のたもとの宿を出で朝まだき日のひとり旅かな

上野発夜行列車で京都まで直江津経由金沢を経て

夜を行く列車の席に真向ひて見知らぬ女と語る縁かな

この先を夜行列車に京都まで途中鳥取で降りしその人

京都より列車に乗りて松江まで見知らぬ女と相席なりし

その女の鳥取駅に降りてのち我は松江に乗り継ぎてゆく

松江にて文豪の宅を訪ねむと宍道湖の波ひたひたつ寄す

瀟洒なる舘に入りて襖絵に松をあしらえ鶴の止まれり

戸を引きて小さき茶室に入り待てば和菓子を持ちて乙女現はる

自ずから住む人柄のうかがえて部屋、庭、渡りなどのゆかしき

日の丸の旗持つ乙女が鳥取の砂丘の果てをなどかかけくる

鳥取の砂丘を登る我を追ひ昨夜の女の遠く駆けくる

鳥取の日の丸観光バスガイドよく逢うふ瀬の我と次の日

数々の思ひ出深き青春の旅にて今はなどか悲しき

あの時の青春の気の横溢しさは戸惑ひの時にあらばや

言葉にも口にも出さで身に秘めて強がりに出て失いにけり

薄生地のレースはさらに艶めきておんなの肌を透かし見るかな


  ガザ地区の難民収容所の攻撃

  イスラエル軍がガザ地区の難民収容施設に対し意図的に空爆を行っていると云ことは、人道上、軍法規上、消して許されるものではない。思想、信条を超えた人道上の尊厳に触れて、これを根底から侵すものであって許し難い行為である。即刻中止すべきである。
  攻撃を受けるハマスは作戦上、軍事行動に関係ない住民施設に身を寄せて、イスラエルの攻撃を避ける作戦をとる場合がある。イスラエルの軍事的作戦行動は、こうした要所を避けて敵の重要地点を攻撃する技能を持っているはずである。軍隊が民衆の紛れて行動をとる場合について、住民もろともという胆略的思考をを排除して、軍事的作戦の厳正な規範を確立するべきである。
  ネタニアフは戦争は停止しないと明言し、国境を越えて地上戦に転じているが、ガザ地区の死者は住民が多く8000人余を数え、内子供が3000人以上に達していると云う悲惨な状況である。戦争遂行者の気狂いを相手に正論を吐くこともないが、しかし、こんなバカげた仕儀は許されない。戦争は軍人同士の戦いであって、無防備であり罪のない素朴な人間を殺めたりしてはいけない。バイデンにしても、習近平にしてもボンヤリしてないで、当てにはならないが、駄目なことは駄目だと明確に釘を刺す必要がある。都合の悪いことは見て見ぬふりをする癖が、大国の主導者にはよくあることである。そうした時でも、弱い立場に置かれた人々が、戦争の犠牲にさらされて、如何に苦ししみ狂いながら、命をなくしていく民衆が多いことか、自分の家族同様に考えてみて、そうした人たちのことを思えば、ゆっくりと寝食すらできないはずである。

罪の無き女、子供が殺められ戦火で笑ふ奴が背後に

犯罪を犯して罪の意識無き奴を相手に諭すむなしき

猛爆に耐えて赤子を胸に抱く母の瞳になんぞ罪なき

民衆に紛れ砲弾を撃ち込める兵士に何の軍律も無き

民衆を襲ふ奴らのけものみち行く野獣としか見えで如何にも

戦争てふ軍人同士の争ひに市民の何の関わりの無き

殺しあふ軍人同士のいさかいに女子供が死ぬる不条理

指定する難民キャンプにミサイルを撃ち込む奴の即死刑にも

農民の農地に砂塵を上げていく戦車が走り汚す大地を

砲弾を打ちながら行く重戦車あとに市民の死骸あまたに

無残なり破壊と殺傷を繰り返し地獄の口を開けてゆく奴


  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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