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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.8

個人的には殺人的猛暑

  先月、7月の1日の本欄には、冒頭から「記録的猛暑」と題して真夏の暑さを身に感じて綴っていたが、8月も期せずして1日早々から更にトーンを上げて列島を襲っているこの記録的夏の暑さを書く仕儀と相成った。気象庁の発表では「危機的猛暑」と云って暑さ対策を自ら講じてほしいと呼びかけているが、外に出てみると「殺人的猛暑」といっていいくらいの熱さである。既に体感的には殺人的といった方が警鐘力があるが、社会的に広く発信するとなると挑発的に響いて、聊か遠慮したくなるが、表面的な言葉とすれば、文字通り殺人的であって、熱中症にかかって死に至るものである。居間に居て、程よい冷房を効かせた環境に居れば全く別世界に感じて、この暑さを軽視しがちだが、いきなり庭に飛び出したりすれば、人によっては目が眩んでふらついて意識を失ったりする可能性があるから要注意である。ぶり返したコロナ感染も全国で20万人前後を往ったり来たりしており、東京では4万人余を記録してから、ほぼ3万5千人あたりをうろついている。これも要注意である。報道によると医療現場は崩壊、若しくは崩壊寸前だという。助かる命も助けられずに、多くの悲劇に直面しているという。こうして日本人は今、猛暑とコロナの両面から脅威にさらされているので、不要の外出を自粛するように役所からも促されている。今日、小生は猛暑の中、自由が丘まで出向いて用を足しそのままオフィスに向かうつもりでいたが、外の暑さに耐えきれず喫茶店に入りしばらく涼をとっていた。

  お昼近くに事務所に連絡をしたところ、職員の山本君が電話に出てその場で事務的な仕事を大方終えたので、この暑さだから特別な用事でもない限り無理して出勤しない方がいいとの忠告を受けて様子を見ながら再度の電話をして決めることにした。携帯電話を所持している限り「動く事務所」ではないが、顧客先の連絡は出来るし、顧客との面談の約束でもない限り半ば用事は果たすことができる。ここに来るまでに既に早くから在宅勤務を果たしてきている具合だから、午後からの仕事についても今日の日程としてはほぼ予定をこなすことは出来るはずである。気分的な問題で8月に入っての最初の日だから、大相撲の土俵ではないが初日は白星でスタートを切りたいといった情緒的な気分の問題だから、在宅勤務で上手に仕事をこなしていれば自分自身を納得させることは出来る。しばらくしてから山本君に連絡して、事務所には出向かずにここから帰宅することに決めたと連絡した。喫茶店では気持ちよく涼をとりながら、歌を詠んで次の淵に発表する作品がたくさんできたので、心のゆとりだ出来たという安ど感が収穫となった。

  街なかを見渡してみると、どこの喫茶店でも涼をとる若者たちで結構混んでいたりする。パソコンを打って仕事をしている人もいれば、書き物をしている人もいて、能率的に仕事をこなしている風景である。狭い自宅に居て冷房を効かせた部屋で仕事をしたり勉強したりしているよりか、一応なりとも外に出て仕事をこなしているという意味では区切りをつけて自分を納得させ満足させることができている。十分な成果を上げたとして自認することができる。私も一応家を出て職場に向かう途中であり、仕事の区切りをつけて何某かの成果を上げているとすれば、在宅勤務の延長として8月の初日を有意義に過ごし得たことになる。

  外は相変わらずの猛暑に変わりはないが、全国的に36度を超す気温であり、伊勢崎では39・8度という記録である。さらに上昇する気配である。日陰に居てもこの始末だから、日照りに当たったら直に卒倒してしまうだろう。救急車のお世話にならないとも限らない。街なかは目に見えないコロナ菌と熱中症の危機にさらされて、殺人的である。気象的には、いい塩梅の状況である。地上で熱された空気が上昇して、上空の冷気と合流し、大量の雨を含んだ雲となって上空を覆うと、局所的に大雨をもたらし、時には豪雨となって被害をもたらしたりする。分厚い雨雲や積乱雲が発生して、にわかに荒れた天気になって猛暑の日照りには警戒を要する。天候は変わりやすい。地震や火山の噴火もそうだし、疫病も含めて自然現象もそうだが、一面、怖い世の中に生きているものである。

  しかし、戦火を交えるウクライナの戦場よりは比べるすべもなく安全である。それは有難いことに、日本は平和だからである。昔、フランス映画の「天井桟敷」を見たが、出てくるタンブラン大通りが「犯罪者通り」と呼ばれていたが、あの人混みは、やくざ者のちょとした小競り合いがあって始末が悪い盛り場であるが、物語とはいえ理不尽な「ウクライナ戦争」のような悪さはしていない。白昼堂々と仕掛けた平和な地域と国家に対する無法な侵略であり、戦争である。今のほうが昔より悪質であり、それも国家が大々的に行っている蛮行であるから、しかも性懲りもなく繰り返されてきているのだから、悲しいかな、人間の性は一向に改良されていないことになる。プーチンがロシアの稀代の皇帝だからと誤って喧伝されて、そこで女好きのプーチンが遺伝子を保存されていて、同じプーチンが沢山の試験管を使って何匹も作られていったら、この地球はもはや地獄である。罪のないウクライナ住民多くが重火器で殺され、殺人魔に侵されながら国を追われて行くこの大きく矛盾した行為は如何ともしがたいが、さりとて今の国際社会がこうした蛮行を許すわけにはいかない。 ウクライナを強力に支援し、クライナ領土からロシアを追い返して悪しき策略をせん滅するしかないだろう。   

  この年は、火傷をするようなこの猛暑のおかげで、いまだに蝉の泣き声を聞いていない。樹木の多いこの近所周辺では、今頃は驟雨のように蝉の声が聞こえるのだが、今年は確か一瞬の間に聞いたような気がするといった程である。一方、有難いことに、普段たくさんいるやぶ蚊もこの暑さで殆どいない状態だから不思議である。きっと熱い空気を吸って心臓が破裂してしまったのだろう。 さしずめ池の鯉は茹で上がってしまうかもしれないから、 水の入れ替えは必要である。そして人間社会であるが、海や山に出かける健康的な人たちにとっては、コロナ禍はどこにもあるご時世だから致し方ないが、自分の体調を見極めて準備を怠らず、さすれば夏の海や、夏山を十分に堪能してきてもらえるに違いない。    


大空に入道雲のもくもくと力みなぎる夏は来にけり  

匂ひ蒸す夏草の山登りきてはるかに望む大和まほろば

この暑き日差しに耐へて野辺に立つ仏の笑みて我を招けり                 8月1日

石油からできる製品のボイコット

窒素、リン酸、カリ、と云えば植物の生成、成長に欠かせない三要素ということを小学校の理科の学習で学んだ知識であり、農業従事者でなくとも知っている常識である。今「下水」が貴重な国内資源として注目を浴びている。今は下水に流される人間のうんこや小便には、こうした栄養要素を多分に含んでいるので、昔は近郊の農家の人が畑作の肥料として集めに来たものである。人の排泄物は流すものでなく、通常はためておく便所であった。東京でも終戦前は各家庭に「こいだめ」が置かれてあって、いっぱいになる頃に近郊の農家が荷台を引きながら「こうだめ」から糞尿をくみ取っていき、お礼に大根を一本置くいて行ったりしたものである。都庁の下請け業の清掃業者たちは、専用のバキュームカーを使って各家庭のふん尿を集めて走っていたものである。汚いものを扱う商売だから、事業としては大いに繁盛して利益を上げていたようである。都会の生活に下排水がなかったころである。辿れば江戸時代の中頃で、し尿は肥料の原料として当たり前に高値で取引されていたという記録がある。

  隅田川をのぼっていく「汚わい船」があった。平べったい大きな船が隅田川を川上に向かってポンポン船に引かれて登っていくのどかな風景があった。言問い橋から見ていると、その「汚いぶね」が通って行った後には必ずくさい臭いがしたものである。だから汚わい船が通って行ったらすぐに駆け足をして橋を渡っていく時があった。汚わい船は、今でいうと石油を積んだタンカーであった。それほど貴重なものを摘んで運航していたわけである。集められたうんこや小便はこれをしばらく放置して置き、発酵させてから畑に直かにまいていったのである。若しくは稲わらを刻んだり、落ち葉や干し草を積み上げて、そこに人糞をまいて発酵、熟成させて、つまり腐らせて細かく乾燥させて堆肥として田畑の肥料としたものである。実に高栄養素の肥料が自然に出来上がっていた。これ即ち謂うところの「有機農業」である。人糞の代わりに、牛や馬、豚やや山羊と云った動物の糞尿は、更に価値のあるものだった。こうした人間の排泄物は、現在は下排水が完備して全て浄化されて、或いは生放流されて肥料としては活用されていない。尾篭な話であるが、もったいないことである。

  ロシアによるウクライナ侵攻があって以来、戦火は収まっておらず天然ガスから作られる窒素系の肥料や、ベラルーシから原料を輸入しているカリウム系肥料も入ってこなくなったりして高騰を続けて農業従事者を困惑させている。ここに目を付けたのが国産の「し尿」である。まさに昔に帰れで、学ぶべきは循環型の自然回帰である。技術の進歩はそれを大いに拡大して、化学肥料からの脱却を促している。間接的に有機肥料をつかった 有機農業の推進であり、健康食品の拡大である。

  人は出来上がった食物を口にして、賞味しながら生命力を保持する。つまり栄養を補給して労働のためのエネルギーを摂取する。口にしたものは、のちに排泄物となって体外に出る。対外に出た排泄物には窒素、リン、カリなどの豊富な要素が含まれている。これらは植物の生成に不可欠なものである。農作物にとって欠かせない栄養素である。これを十分に与えて、植物は活発に実を結ばせる。それを収穫して、又人間が食べる。そして又栄養素となる糞、小便を排泄し、のちに大地に戻すといった好循環を維持して、廃棄物ゼロの人間社会を構築するすべを知る。乞食の糞、小便と、デヴィ夫人のそれとは、内容と質においても大して変わらず、贅沢していない乞食の方がむしろいいかもしれない。このように決心さえすれば我々は科学肥料のような無機質の世界から、有機質の息をする、生きた世界に戻れるのである。

  問題は人間の糞、小便だけの話ではない、生活排水をはじめとして不潔などぶの汚泥すら重要な毎日の問題である。ましたや無駄として廃棄される残飯を始め、ありとあらゆる有機的廃棄物を集めておけば、自然にバクテリアが分解して有益な物産に転換してくれるのである。知恵と発想の使い方でエネルギーすら微生物の活躍で膨大な量を確保できる世界であり、古くして新しき生きた世界である。今人類が標榜して期待している「循環型の経済社会」の実現である。思考のねじを巻き戻し、原点に帰るべきである。資源消費国は、他国の、地下資源に振り回される必要がなくなってくる。 今となっては夢物語的、原始的発想に近いが、大きな舌を出して笑っているアインシュタインの意味深な顔が浮かんできた。      8月2日


隅田川上る蒸気のポンポン船重き汚ん船を引きて喘ぎつ

大量の人のふん尿を満載すおん船を引くポンポン船よ

のどかなる春の裏らの隅田川ポンポン蒸気の船が往き来す

    ペロシ下院議長の訪台

  米国のナンシー・ペロシ連邦下院議長(民主党)は7月31日、下院の民主党議員団を率いて、インド太平洋地域に位置するシンガポール、マレーシア、韓国、日本を訪問すると発表外部サイトへ、新しいウィンドウで開いた。この歴訪スケジュールに、問題視する台湾は含まれていない。ペロシ議長が今回発表したプレスリリースでは、「議員団はシンガポール、マレーシア、韓国および日本でハイレベルな会合を開き、平和と安全保障、経済成長と貿易、新型コロナウイルスの流行、気候危機、人権、民主的な統治など、共通の利益と価値を高めるための議論を行う」として、アジア訪問はあくまでインド太平洋地域における米国の戦略的関与を強めるためのものと位置付けている。

  ペロシ議長のアジア訪問については、同氏がかねてから中国を念頭に米台連携を深めるために強い意向を持ってきているので、インド太平洋地域の訪問のスケジュールに台湾訪問を不問にしていることにむしろ強い疑念を表明する中国政府は、ぺロシ氏の訪台は、中国の主権を侵害するものとして今までにも激しい反対の意向を伝えてきている。しかしぺロシ氏はマレーシアの訪問を終えたあと政府専用機で、中国が実効支配している環礁地帯の南太平洋の上空を避けて迂回し、太平洋上に出た後向きを変え、2日午後11時に台湾に入国した。翌日には台湾の蔡総統と要談、記者会見に臨んで持論を展開した。台湾の併合に意欲を示す中国に対し、ペロシ氏は台湾の領土と主権を堅持して独立国家としてこの先も支援していくことを表明した。猛烈な反対を示す中国は、烈火のごとく激しい怒りをあらわにして、王毅外相の発表を行っている。      8月4日

  これに反発する中国は、4日から7日までの間、台湾を囲む形で6か所の海域で、実弾射撃を以て大規模な軍事演習を行うと発表している。この海域に向けたミサイルの発射も辞さない覚悟のようである。海と空からの攻撃的模写訓練になって一気に緊張が高まるが、今日の午後1時を以て開始する予定である。一方で今まで経験しなかった中国の軍事力の実態と、訓練を通じて、万一に実戦段階の様子が可視化されて便利な利点も生じてくる。双方にとっていい経験になると、冷静になってよく解釈することもできる。アメリカと中国が対峙してにらみあう形になっているが、偶発的な衝突を回避できるか、緊張が高まっている。

  ウクライナ戦争で世界が苛立っているときに、今度は近くの台湾を巡って米中が一触即発の状況となると落ち着くことができなくなってくる。平和であれば日本にとって、両方が経済的に大事な取引相手であってともに繁栄の道を歩んでもらいたいのが本音である。ロシアからは非友好国となり、中国ともぎくしゃくしてくると、日本の立ち位置は厳しく、極論すると敵に包囲網を敷かれたりする状況にもなる。利害対立が激しくなると、日本の安全保障の危うさが露呈されてくる。ウクライナ戦争開戦前後にも、中露合同艦隊の日本周回、爆撃機などの連携飛行、北海道東部での大規模演習などのロシア軍による軍事的圧力が行使されている。

何時の世も喧々諤々の状況だがこればかりは宿命とみて、我が国は、自由主義と、民主主義を標榜する国々と国際的に広く連携して国の安全と栄を確保し、国民生活の安寧を図っていかなければならない。岸田さんも大変な責務を担って日夜奮闘されているが、健康に留意して過ごされんことを願うものである。    8月4日

   四海波

  謡曲に出てくる「四海波」は、目出度い儀式や行事の時に厳粛に謡って味わい深いものがある。鎌倉に住む弟は東京大学在学中に趣味として謡曲のクラブに在籍して腕を磨き、舞なども試みて粋を極め、社会に出てからもこれが仕事の上で大いに役立ったといっている。学生時代には謡曲部の部長を務めたりして、大曲に在った観世会館で披露することがあって、小生も鑑賞しに行ったぼんやりとした記憶がある。三菱商事に勤務し、出世してのち「サウジ石油化学」のCEOに赴任し、サウジアラビアの経済界では縦横の活躍をしてその名をとどろかせたくらいである。佐々木の名を知らぬものは潜りだとも言わしめたそうである。なかなか知被けないサウジの王様と昵懇になるには大変な努力が必要のようであるが、王様との付き合いで、趣味とする謡曲と能を披露して好評を博し、これが大いに受けて日本文化を広めていきながら事業の拡大を図ったとのことである。「芸は身を助く」 否、芸は身を伸ばすの典型かも知れない。

  親父の代から謡曲をたしなんできた家系的なものがあって、小生も時折口ずさんだりするが、中でも「鶴亀」とこの「四海波」は初歩的なのでうってつけである。ちなみに目出度い文言と云えば、

四海波静かにて
国も治まる時津風
枝を鳴らさぬ御代なれや
あいに相生(あいおい)の
松こそめでたかりけれ
げにや仰ぎても
事もおろかやかかる代に
住める民とて豊かなる
君の恵みぞありがたき
君の恵みぞありがたき

  実に内容の豊かな文言で謡うにも馴染みやすく、気分のいい時にはこれを口ずさんでいると、おのずから目出度い気分になって心が大きく広々と開けてくるから不思議である。日本は周囲を豊かな海に囲まれて、国の山河は峻嶮だが、尚樹木に覆われているし、相対的に僅かであっても平地は肥沃で緑にあふれている文字通り風光明媚の地である。

    「風と共に去りぬ」のペロシさん

  アメリカのペロシ連邦議会の下院議長が台湾を訪問したことで、中国がいきり立って居り、しばらくしないと怒りが収まらないようである。それでも自重しているようであり、ペロシ議長が次の訪問国の韓国に向けて台湾を去った後の4日から、本気になって大規模な軍事演習を広範囲に行うと発表している。台湾を守ろうとするアメリカ軍と不測の事態を招きかなないから、頭を冷やしながら演習してもらいたい。中国は、台湾の海を巡って周囲の6ヵ所の海と海域に向けて本土から11発のミサイルを撃ち込んだらしく、うち5発が日本国の排他的経済水域内に打ち込まれたという。由々しき問題であって、岸防衛大臣が抗議を申し入れたとのことのことである。飛ばしたミサイルの標的が誤ってしまったとすると、余ほど精度が低いミサイルと思われる。派手に行っている中国の軍事演習が、8日までと期限を切っているが、それ以降はあまり波風を立ててほしくないというのがほんいである。海と空で、中台を仕切っている中間線を何度も犯しているようだが、演習を含めこうした行動が常態化しないことを祈っている。約束の8日が過ぎたら軍事演習は即刻中止して、将来の展望を友好的に描く努力をしてもらいたいものである。

  国際情勢からして日米の強力な連携に対する嫌がらせかも知れないが、南シナ海で勝手に環礁地帯を埋め立てて基地化を図る中国に対し、日本だって実に嫌な思いをしていることを感じてもらわないと困る。人権問題もさることながら、力を以て一方的に現状変更を試みる海洋進出さえなければ、世界から友好的な姿勢を示されるのではないかと思うくらいである。日本が中国に対してG7と一緒になって中国を非難しているということで、予定されていた日中外相会談を前の日になって一方的に中止したことも嫌がらせである。腹芸が小さいと思われても仕方がない。ロシアにしても中国にしても広大な領土を有していながら、他国を侵害してまで尚今以上に領土を欲しがる動機が分からない気がする。国際社会を相手に、端正な風貌の王毅外相が、嘘つき爺さんのパプロフ外相と一緒に腕を組んで行動を共にする光景は、あまり似つかわしくないように思われる。

  ところで来日したおん年82歳のペロシ議長を間近かに見て、小柄な彼女の方が生き生きとして落ち着いており、立派なものである。今もなお瑞々しく気品があって、名画、「風と共に去りぬ」に出ていた女優の若きヴィヴィアンリーのような美貌の淑女であり、若い時の写真よりも今の方がお人形のような優しい顔をして超美人である。そのペロシさんは「夜間飛行」で台湾に入り、同じく夜の飛行で韓国へ、日本に来るときも昨日の午後10時過ぎで夜遅くであった。余ほどロマンチックなムーンライトがお好きのようである。そして今日は岸田さんと、官邸で朝食をともにして会談した由である。本来なら、「ティファニーで朝食を」と行きたいところだが、岸田さん相手では恋の芽生えも老いらくの恋、岸田さんも好男子だが、ペロシさんはさらりと受け流して、そろそろホームシックになって、政治のことは忘れて水に流し、「風と共に去って」 行くことが賢明かもしれない。あくまでヴィヴィアンリーの面影を引いて、気品のある思い出を残していくあたりは流石に役者である。

  長年、権威ある下院議長を務めてアメリカ議会の象徴的で見ていても美しい存在だが、個人的な意向の強かった今回の実際的な行動とは言え、ここまで国際政治を動かしていく力量の大きさは、特に中国の反応だが、これ又別な思いがしてくるのであ る。アメリカ連邦議会の下院議長としてアジアの友好国との連携促進のため儀礼的に訪問したはずと思っているのに、難題を置きものに残して立ち去って行かれては、あとが在らぬとばっちりを受けかねないので、日米連携で動いている日本にとっては、結果として困惑が増すばかりで迷惑千万な話でもある。夜間飛行を楽しんでもらって、品の良い「お遊び旅行」であって、習近平氏が語るところの「火遊び旅行」でないことを期待したい。   8月5日

パソコンの不具合

   パソコンの不具合で先週末から始まったお盆休みを有効に使えなかったことは、返す返すも残念な気持ちである。思いついたことを昭和経済会のホームページのの理事長室から連発して、謂わば連載的な感覚で受け止めているので、これがストップしてしまうと結果として思考停止の状態になってしまうから、習慣というものは恐ろしいものだと思った。恨めしく過ぎ去った日々をカレンダーで見ていると、11日から16日の丸6日間を、極端な話、無思無為に過ごしたということになる。無思無為とは、恩師の早稲田大学名誉教授の大内義一先生が昭和経済の巻頭随筆の載せたエッセイの題名であった。大学を定年退職された先生は、昭和経済会にエッセイを連載されるようになって二十数年の年月を重ね、麗筆を綴り多くの愛読者を魅了したものである。毎月、昭和経済に発表された随筆はこれを一つにまとめて一冊の書物として毎回編集発行を重ね、終いには十三巻にまで及び、人生の対策として大内義一随筆集となって世に出された仕儀である。又、若いうちから作家、小説家を目指してきた大内先生にとっては、希望していた作家、随筆家として業績を世に発表することによって、教育者、研究者としての功績に名誉あるある地位を更に重ねたことになった。その大内先生がめでたく八十八歳の喜寿を迎えるにあたり、東京八重洲の富士屋ホテルで盛大な祝賀会を催うさせていただいたが、その時の記念講演の題名の「無思無為」であった。先生は大学の教授を定年退職してからしきりと脱俗の念を持たれるようになって、孤高の境地を志すようになっていかれた。幾度も校正をされた 先生の原稿は最終的には先生の手によって清書されて事務局に送ってこられたが、不要になった後は必ず大事に小生が保管して、オフィスにしまっておいた。いつの日にか果たしたいと思っていた小生の夢の実現に大事に保管していたのである。積もり積もった原稿は膨大な量にかさんでいった。大内義一随筆集全十三巻の下の原稿が寸分の間違いなく保存されていること自体が素晴らしいことだと勝手に解釈して、それは正しかったが、将来に抱く夢の実現の用いたいと考えた居たのである。
手紙を簡単に書いて意思の疎通を図ることが先生の特技でもあったが、先生と公私ともに合わせて電話をするのは月に内三,四回はあったと思う。僕は電話よりも手紙の方が早いんだが先生の口癖であった。作家志望も書くことが早いという理由の一つだったから当然かもしれない。

   大内先生と電話で話をしていたある時、たまたま小生が先生の書かれた作品の原稿用紙を大事に保管していると打ち明けた時、可成りの量に達しているのじゃないかね、と言われたのに対し、段ボールにきちんと保管してあって、二箱になりますと話したところ、佐々木君それは大変なことだよと言われたが、僕をねぎらう意味かとも解釈して、そうですねと曖昧な返事をしていた。先生は時に少年のように闊達であり、時に恥ずかしがる内向的なところもあってりしたので、それは先生の人としての人間的な魅力でもあった。先生が住んでおられる市川の菅野の閑静な住宅地は、もともと赤松の立つ林の中にあった住宅地で、昔から湘南の葉山とか、箱根の別荘地と称されるほどに優雅な住宅地として栄えてきたところである。京成電鉄で江戸川を渡ると国府台の駅に着く。その次が菅野の駅である。江戸川を渡ると京成電鉄の窓から見る景色が一変するくらいである。小生の実家の菩提は国府台駅から松戸の方向に行く途中に在って、即随時という名刹である。昔から行きなれた道すがらなので、小さい時からの多くの思い出が閉じ込められているところである。伊藤左千夫の名作の部隊となった野菊の墓が近くにあるし、里見公園は江戸川べりに在って今でも多くの人が訪れている。その江戸川を渡しに舟で渡ると、向かいの岸は葛飾の柴又である。大内先生の菅野の松林一帯は、電車でで一つの駅を過ぎた場所だが、駅からすぐ松の木に立つ優雅な邸宅がひっそりと佇んでいる。その辺りをしばらく行って二つ三つの角を曲がった奥に先生の趣きのある平屋の屋敷があった。木戸の横に大きな松の木が一本立っていた。瀟洒な玄関を入っていく左手に先生の和室があり、和室の周り廊下の前に明るい庭があしらってあった。菅野のあたりを散歩のコースに選んで、毎日のように身体を鍛えながらご自宅の周辺一帯を遊行されていたのである。その様子を先生はいくつかのエッセイに記述されている。奥さんに先立たれてから、米寿を過ぎた後は専ら高齢者ホームの柏井の場所で過ごされることになる。市川の菅野では、先生はいつもこの和室で和服を召されて読書をしたり寛ぎの場所とされていた。日当たりのよい縁側で、庭に向かって寛がれる大内先生を思い出す懐かしい風景である。

  大内先生の書かれたエッセイの原稿については、その後、大内先生からとの電話の時にたまたまその話が蒸し返されて、佐々木君、そんなものは破棄してしまい給え、と申されていたやり取りを事務員が聞いていた事務員が、先生の云う通り、私もそう思うと頭の隅に付着していたのだろうか、事務所の片付けをと掃除をしていた時に、仕事のはかどるように原稿を収めていた段ボールの箱をあっさりと片付けてしまった。段ボールのないことに、ある日のことそのことに気付いたのである。幸い先生とやり取りしていただいた手紙は、手元に残してあって思い出の一端を残しておいてくれている。実は将来に抱く夢というのは、風光明媚な那須の土地に、昭和文学館なるものを立てて、基金は今のSDGではないけれど、末永く持ちこたえられるように資金を用意して世の中のために使ってもらいたいと思っていたのである。しかしそうした思いは今も脈々としてこの胸に燃え続けており、小生の夢でもある。軽井井沢にも良い場所があったが、縁とタイミングで売ってしまった。

  昭和経済会の役職を仰せつかって機関誌の昭和経済を執筆し、編集発行することも仕事に一つになって以来、原稿用紙とペンは離さずに持ち添えるようになって、小生もある時は物書きで生計を立てたいと思っていた時期もあったので、今の状況を満足に思っている。会う人は天職を身に着けて幸せだといってくれるが、若い時期には長編小説を書いて内容も素晴らしい作品として、世界を震撼せしめようと大志を抱いていた時期もあった。叶えられずにいるが、しかし、立派な格式ある機関誌を持ち、自由にものを発言できるメディアを持っていることは、責任はあるものの、自由人として人生を全うできることであって幸いである。言論の自由を自ら体験し、他者への啓蒙にも供することができ、民主主義の根幹を維持するためにも必須な要件であると確信している。一冊の本もいまだに出していないが、月刊誌の昭和経済に載せる文言は、大内先生ではないが、これおまとめてみたりすると何十冊になってしまうだろう。加えて詠んできた短歌、和歌の数々を載せたらきりのないことである。そうした実績こそは、自らの心身の練磨につながっており、自己主張と存在の証しだと思って自信を深める次第となっている。そのことを若いこれからの諸君に対して、訴えてゆきたいと思っている。目先の物欲に拘らず、志を大きく秘めて、心身の練磨に勤めてもらいたいものである。

   今、プーチンがウクライナに侵攻し、これに抵抗するゼレンスキーとと対峙しているが、どちらが善で、どちらが悪か、決めつけは自明の理である。過去の史実を蒸し返し、自国の領土だといって力ずくで他国の主権と領土を捻じ伏せようとする、プーチンが悪いに決まっている。悪いと知りながら、これを支持する奴も出てくるから、その上を行って更に悪く烙印を押されれても仕方がない。火事場泥棒をたくらむ陰湿な分際である。理不尽な戦争を仕掛けたロシアに対し、弱者に立つウクライナを支援しようと今、国際社会が一致団結して立ち向かっている。窮鼠猫を噛むではないが、悪徳極まるロシアは、無差別攻撃を仕掛けて、多くのイクライナ市民を無差別に殺傷し、社会生活を破壊し、多くの難民を作り出して人道主義に大きく違反して残虐非行に走っている。ウクライナに居る友人を救済するという口実をつけて、逆に友人と称する人たちを虐殺する行動に出て、己の悪行を正当化しようとしている。以て言語道断と云わねばならない。戦争は長期戦の構えであるが、平和的交渉は未だ見通しが立っていない。美しき山野は死臭芬々、地獄同様のありさまで直視すらできず、このまま消耗戦が続いていくのだろうか。老若男女の、罪のない市民たちの犠牲者の更なる続出が危惧されるところである。

    ウクライナ原発基地の危機

  激しい戦闘が続くウクライナでは、ロシア軍が占拠するザポロジエ原子力発電所を的に絞ってミサイルを発射したり、無人機を使って攻撃を行って原発基地の危機を煽って互いに戦略的にけん制し合っている。目下のところロシアからの攻撃なのか、それともウクライナ、双方が相手の戦略だと言い張って判別できないでいる。そのうち攻撃が激しくなって原子炉本体に直撃し、破壊されて放射能が拡散されるような危機的事態は何としてもはけなければならない。ウクライナの発表ではこの25日、施設に電力を供給する4本の送電線のうち、損傷を免れていた最後の1本が一時切断されたという。これにより同原発は初めて予備電源に頼らざるを得ず、重大事故を起こす可能性があるメルトダウンの瀬戸際に追いやられたと発表した。

   連日攻撃の停止を呼びかけている国連の原子力発電監視委員会では査察団を数日中に、ザポロジエ原発に出動させ調査を実行する可能性があるとし、査察団は、現地での調査が急務だとしている。

  同原発では戦略的攻撃による爆発のリスクが高まっている。施設に給電する4本の送電線のうち、損傷を免れていた最後の1本が25日、一時切断されたという。これにより同原発は初めて予備電源に頼らざるを得ず、重大事故の可能性があるメルトダウンの瀬戸際にまで追いやられた。

  ロシア軍は今年3月にザポロジエ原発を占拠しており、ウクライナの技術者がロシア軍の指揮下で運転を続けている。同原発は欧州最大規模の原発であり万が一の事態発生に戦々恐々としている。ロシアとウクライナは、互いに相手が同原発への砲撃を行っていると主張しあっているが、こうした無知の軍隊がし放題を行っている限り原発事故への懸念が日を追って高まっている。 8月26日


FRBパウエル議長のインフレ抑制継続

  昨日の日曜日午後11時から義兄で小島証券の社長だった小島康雄の一周忌を、横浜の赤門東福寺で親戚が集まってしめやかに行った。線状降水帯が発生して荒れ模様の天気が続くという天気予報であったが、幸い炎天下の猛暑を逃れ、しかもにわかに降った朝からの雨も上がって一陣の風は初秋を思わせる爽やかな清々しさであった。一周忌法要にふさわしい気候になった。

  私ども夫婦は迎えにきてくれた明子夫婦の車で、息子の裕介も同乗して第三京浜を経由して一路横浜の東福寺に向かった。第三京浜を走行中、車の全面ガラスを叩きつけていた強い雨が横浜市内に入った時には小雨に代わり、ほぼ10分後、目指す東福寺に着いた時にはすっかり止んでいた。個人の遺徳のおかげかと思って感謝した。11時から東福寺の高僧の読経が始まり、やがて参列者がそれぞれ香を焚いて合掌した後、高僧から一堂に対し先祖の供養と、個人の法要の意味について話が合った。東福寺のお墓は、本堂の背後にある山の傾斜に張り付くように立ち並んである。小島家の墓は、この山の一番高いところに立っていて、昔はさぞかし景色の見渡す景勝地ではなかったかと推察されるゆえんである。墓に行く途中にも歴史を思わせる大木の樹木がたち、鬱蒼とした場所もあったりして霊場にふさわしく森閑として趣きである。たどり着いた墓前では、子供たちが墓の周りを奇麗に清めて香を焚き一周忌の法要の締めくくりとなった次第である。

  法事の会席は横浜中華街の老舗の「同発」で昼食をとって歓談し、久しぶりに落ち着いた雰囲気に、楽しく時間を過ごしてきた。コロナ感染者数の毎日の発表が気になるが、このところ第7波の増加が懸念されるところであるが、顕著な感染力に比し症状が軽度に終わる特徴があって主に在宅治療で済むことがある。しかしながら軽微に終わったはずの症状が、その後になって後遺症となって長きにわたり罹患者を悩ます点が危惧される。そしてまた感染者の絶対数が増加しているので、病床数がひっ迫し医療現場は満床時が多く、助かる患者が命を落とすケースが頻発していることは看過できない。

  こうした状況にもかかわらず、出向いた横浜中華街の人出には驚いた。街なかは多くの観光客で溢れんばかりに混雑を極めていた。最近は流行なのだろうか、サイケ調の服装が若者の間に目立ってきている。そして服装の女性化が際立っているようで、氷川きよしではないが細身の男装の麗人が多くみられてきて、目を奪われてしまうくらいである。出会い頭に、まるでアムステルダムの街中を行く感じの時もある。映画の@天井桟敷の人々」に出てくる犯罪者通りではないが、人通りの多い猥雑な混雑の中だから、これではコロナの感染力も広がってしまうかもしれないと思った。


  証券金融市場はこのところ一喜一憂した相場展開であったが、明けて始まった今日29日の東京株式市場は、前週末の米国株が大幅下落した流れを受けて、全面安の展開となっている。日経平均株価は一時、前週末終値と比較して800円超下落して始まっており、午前の終値は、789円70銭安の2万7851円68銭だった。12時のNHKニュースがそのように報じた。

 急落の原因は、米連邦準備制度理事会のパウエル議長が26日に行った講演で、インフレ(物価上昇)の抑制に向けて利上げを続ける姿勢を強く打ち出したことであった。市場ではFRBの利上げペースが鈍化するとの楽観的な見方をして期待していただけに急ブレーキがかかった感じである。こうした発言を受けてニューヨーク株式市場では、ダウ平均株価が1000ドルを超す急落となった。26日の午後11時から始まっていたテレビ東京では、12時の終わり頃になって娘が速報として伝えた。
パウエル議長のインフレ抑制の強い金融政策の発表で、金利の引き上げがこの先も続くという見方で、ニューヨーク株式市場が一気に暗転し、400ドル近く急落してきていると報じていた。12時が過ぎて深夜である。パウエル議長の講演は始まったばかりであるが、市場にとっては800ドル近く下げていくのではないかと、思っていた次第である。当たらずとも遠からずで、勘の鋭さは今以て健在である。だからなんでも鑑定団という番組ではぴたりと値段を当てて、一緒に見ている家内が驚くくらいに、見事な鑑定ぶりを発揮して、その道で生計を立てられるかもしれないと安どしているような次第である。

 明けた今日の東京市場でも、取引開始直後からほぼすべての業種で売り注文が膨らんでいる。半導体に関連する電気機器や精密機器、情報・通信などの値下がりが目立つ。

 またこれを受けた東京外国為替市場では、日米の金融政策の違いから、金利差が拡大するとの思惑が出て、大幅に円安・ドル高の方向に振れている。円安に振れると、自動車をはじめ、輸出の割合が多い銘柄では採算の改善が見込まれるが、今のところ日経平均全体を下支えする力にはなっていない。

 ジャクソンホール会議とはアメリカのワイオミング州にある都市ジャクソンホールであって、この風光明媚な土地で毎年夏に開かれる金融・経済シンポジウムのことである。FRB議長や各国中央銀行の要人や経済学者らが多数参加し議論することで知られている。今年の夏はそのジャクソンホールでのパウエル議長の発言が行われて、インフレを抑えることに重点を置いて金利を持続的に引き上げていく状況にあるという認識で、引き続きインフレの抑制を優先することが伝わり、株式市場では景気後退懸念が強まり、瞬時に株式市場が急落の反応を示した。インフレ抑制の持続的政策を堅持するという発表であるが、その影響はまだ続く可能性がある。通常なら好感される材料があっても相場下落の流れに逆らえないエネルギーがある。米国株がさらに下落すれば、日本株の一段安にも注意が必要だと思われるが、深押しをした後は目先の弱気筋のガス抜きになって反転することもある。また、主とした市場を国内で持っている企業や、堅調な決算と強気の先行きを示している企業の株については強い物色人気が継続することになる。

  時に、世界的なインフレの昂進をぜひとも食い止めようとするパウエル議長の胸中には中立的金融政策を堅持して、残雪に光るロッキー山脈を背にして不動ともいうべき、否定しがたい並々ならぬ情熱が込められている気がする。  8月29日

8月も最後の日

  ぐずついていたお天気も次第に雲が途切れて明るい日差しが差してきた。この二、三日は気温がぐっと下がってきた感じで、秋の涼しさが肌身に感じるくらいである。昨日の朝札幌片帰郷した大手企業の社長さんと電話をしたが、札幌は寒いくらいだといっていらした。気候変動はいろいろなところで身近に感じてくる。猛暑で泣けなかった蝉が気が付いたように鳴き出したが、日ぐらしが一緒になって鳴いている。日暮らしの声を聞くと、夏の終わりを告げるせいか、なぜか感傷的な気持ちになってくる。気温の上がり下がりの順序が定まらないので、生き物たちも戸惑っているようである。やぶ蚊も余りの暑さで居なかったが、ここにきて気が付いたように増えだして襲ってくる感じである。ちょうど活躍しやすい気温になったからではないだろうか。暑さが和らいでしのぎやすくなってきた。明日から月替わりとは云え、しかし今日はまだ8月である。九月と聞くと、一年の総決算がやってくるという忙しなさを覚えてくる。

  今日は朝の9時半からの予約を入れてもらって、慶応大学病院を訪ねた。手術を終えてほぼ四年が経過するが、一年に一回になって定期的に検査をして診断を仰いでいる件である。脳神経外科の名医であり、著名な戸田教授の検査と結果の診断である。下垂体腫瘍の摘出手術であった。素早い回復で順調な経緯をたどっており、心配するところは全くないとのご託宣である。もとより自分自身の感じる状況もあって、全ては以前より順調に来ている。感謝すべきことといつも心得ている。慶応病院は相当の年月をかけて改築してきているが、全面的な改築も終了した模様で、医療設備の設置はもとより完璧な医療体制の充実を図って機能的にも整備され、その威容を誇っている感じである。思い起こせば小さいころから病弱で両親を困らせてそだってきた私であるが、社会に出てからは不思議と身体を鍛えるようになって仕事に励む環境を作ってきたように思う。その基礎となるのは自分自身の心身の切り替えと比較である。同時に周囲の人々から受ける教訓とそれを生かしていく術を会得すること、そして生身の身体を粗末にせずに、大事に遭遇した時には迅速にお医者の力を借りて常に健康な状態であることが理想である。畏敬する大内義一先生は昭和経済のエッセイに「老いをいかに美しく生きるか」という内容で自らを律し高めるかを綴っておられるが、その時は一体何を意味するか釈然としなかった。最近になって言葉の意味することを感じ取るようになったのである。年を取っていくことは人間の宿命であるから病に打ち勝ち、歳にますます磨きをかけるといった考え方で世間に臨むことが肝要である。

  最初の頃は日赤広尾病院にお世話になった。消化器外科部長の竹中良夫先生である。ご自身の体験を綴った心構えの書であるが「医者が癌にかかった時」という題名の著書を頂いたりした。竹中先生に紹介された板東先生に直接お世話になった。竹中先生が亡くなられて、板東先生が確か静岡の日赤病院に赴任されて懇意の人がいなくなってしまった時期があった。息子を通じて慶応義塾大学病院の高石先生のご紹介で菊池栄次先生に大変お世話になったのは始まりである。依頼幾星霜、慶応の先生方に度々お世話になっている仕儀である。おかげでその都度適切な処方を仰ぎ大過なく毎日を健康に過ごし、小事でも社会のために役立ちたいと思いを込めて勤務している。
                                         8月31日  
  

  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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