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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL19.2

       
      ときめきの如月

  二月に入った。澄みわたる空が、春のときめきを伝えるように柔らかな光を放っている。春がまじかに感じる気配である。光は次第にまぶしさを増してくる。寒い北風と、春の光りの微妙に交錯する時である。今朝は二月に入っての初日の出勤である。久しぶりに降ったの昨夜の雨で、どの場所から見ても塵ひとつない、すっきりとした透明の青い空である。自宅でも、会社でもそうだから、春を待つこの逸る気持ちは何とも言えない爽快な気分である。
  テレビや新聞紙上に、このところ那須高原と、那須塩原の温泉地帯を紹介する報道が頻繁に出るようである。小生の目にも止まって、その映像と語り部を興味津々で見ているところである。那須塩原の高原は、東京、上野から新幹線でわずか一時間十分の至便な距離の場所である。那須塩原駅の広い新幹線の駅に下り立ってみると、駅前から一瞥する快晴の那須野が原は実に美しい。今の時期、前方には那須連山が白雪を抱いて光っており、その一つの茶臼岳の頂上からは、わずかに白い煙が上がって見える。爽快でいかにも勇壮な景色である。
   報道によると明治の初期のころから西洋文化を取り入れて、この地に魅かれて多くの有名人が移り住んできて、別荘を建て、牧場をひらき、田園生活を過ごしていたとのことである。大山巌、松方正義、山縣有明、乃木希典といった明治に活躍した錚々たる人物がこの地に移り住んだ。文明開化に倣って鹿鳴館の騒ぎもそうだが、一方で啓発された知識層は、風光明媚のこの地で、西洋の牧歌的な雰囲気を堪能したのである。今も当時の情況を伝える建物や、広大な敷地が多く保存されている事は幸いである。那須高原の魅力を今に伝える歴史的史実である。

  そうした魅力は今に引き継がれて、現在もリゾートとして多くの商業施設や、別荘がたてられて活況を呈している。旧市街の黒磯駅から那珂川を越えて、直ぐに左折して那須温泉地に方角に進んでいくと、長い松並木に入る。この綺麗な赤松並木の那須街道を登っていくと、一軒茶屋と云う名の場所がある。そこを右に向かうと広大な御用邸が広がっている。有名な那須御用手邸である。左に折れて進んでいくと、なだらかな丘陵地に広がる広大な別荘地帯が広がっており、ここから眺める那須野が原は、関東平野を一望するほどの雄大、且つ茫漠たる景色が鳥瞰できるのが素晴らしい。振り返って山なみを見ると、まじかに迫ってくる那須活火山の霊峰が澄み切って望んで見える。気宇壮大の極みを堪能できると云っていいだろう。翻って、そうした広大な地域と景色を背にして発展してきているので、どことなく女性的な那須連山と茶臼岳の噴煙は、何処に居ても遠望できる好条件にある。訪ねるたびに高原を渡る風を身に受けて、心身共に浄められる心地に清涼感を覚えて来るのである。

  那須連山のふもとには、沢山の豊かな温泉が湧出している。そこで栄えてきた古くからの温泉地が、那須の三大温泉郷としても有名である。北から茶臼岳のふもとに栄えた那須温泉、湯治場として古くからの板室温泉、渓谷沿いを訪ねていく塩原温泉である。温泉巡りが楽しめる行楽地である。松尾芭蕉は奥の細道で 「野を横に馬ひきむれよほととぎす」 と一句をものにしている。小生は若くして血気盛んなころ、明治の偉人にあやかって気宇壮大、悠久の大自然の生活と思い、この地に約五千坪の現状は綺麗な雑木林の土地を買った。那須野が原のど真ん中あたり、戸田貯水池の公園の前あたりである。湖水を前に那須連山を背景に風光明媚の地である。瀟洒な館を建てて、馬を放し牧歌的な営みを夢見て今に至っている。薫風の、光り輝く春をまじかに覚えて、情緒的な趣きを述べていくと更に切りがないが、時間があれば炉辺談話、もっと沢山の思い出話も含めて綴っていきたいと思っている。


澄みわたる美空の光る那須が原茶臼が岳に上る白煙
那須岳に白き衣のひるがへすもしか天女が忘れ去りしか
山ひだに積もりし雪のあやを織り手まねく旅の楽しかるべき
空高くきらめく春の訪れに那須高はらに聴くやさえずり    2月1日


     節分の豆まき

ここ数日異常な温かさである。春が一気にやってきた感じだ。天気図の等高線の配置で温かい空気が南から入り込んできた結果で、この陽気も長くは続かない由である。それもそのはず、こうした温かさがこのまま続いていくとしたら、我々人間もそうだが遠巻きに春を待っている草木や生き物たちが狂って、気候に対応できなくなってしまうだろう。しのぎやすいのは結構だが、天候の極端な変調は経済にも影響を及ぼし、生き物たちにも生理的な影響は大きいにちがいない。気性予報官は、こうした現象は地球温暖化によるものだと、力説していた。聞き慣れてしまったことながら、改めて言われてみると、どきりとして将来に不安を覚えて、焦燥感に苛まれてくる。事態は、確かに深刻である。自然現象は、自然そのままに恒常的な状態にあってほしいものである。

  今日は節分、豆まきである。家内がいつの間にか用意していた福豆を午後から撒くことにした。古くからの習わしと縁起で、節分にはやはり豆まきをしないと、腸内に便がたまっていたりするのと同じでさっぱりしない。家内と一緒に一階から二階へと、家じゅうの窓と云う窓を開け放って、鬼もろとも、埃も塵もいっしょくたに家から追い払った。厄払いの効果が即刻あがったらしく、前週に成し遂げた商談の成果が前倒しになってくるような感じ、否、自信が体の底から力となって湧いてくる感じであった。


     鬼との対話

木の陰に鬼らしき影見届けていきなり豆を叩きつけたり
豆粒を食らひ慌てる鬼どもに追い打ちをかけ撃ち払ひけり
尻もちをつく鬼も居てだらしなく慌てるさまのいとも可笑しき
鬼の子が楽しく遊ぶ物陰にそのまま愉快に慣らしけるなり
鬼の子が笛や太鼓を手にいたし上手に鳴らし春は確かに
鬼どもが酒酌み交はし騒ぎをる無断で館に入りし始末に
一陣を率いる鬼の棟梁がさすが畏き目つきいたせり
飲み食ひに連日騒ぐ連中の日本人のレベル堕ち行く
鬼どもの中に知人に良く似たるものの居りしも思ひつかずに
日が経つにつれてゴーンの目と鼻がくっつき始め離れ難きに
胸を張るゴーンの主張に影さして暴かれ続く不正行為が
日が経つにつれてゴーンの目と鼻がくっつきそうで離れがたきに
よくもまあ取るに取ったり報酬を今に気づきし間抜け社員ら
ゴーン氏の開く結婚式を宮殿に費用は会社の付けに回せり
トランプやプーチンに似たる鬼も居て習近平に仕ふ場面も
片隅に安倍と麻生がひそひそと口裏合はせ囁きあへり
メルケルが去りたる後のEUの箍の緩まず結束の有無
英国の伝統の議会民主主義今やいずくに在りしかと思ふ
不穏なる気色の広がる英国にEU離脱のあとの無秩序
チャーチルが居らばEUに鎮座して世界はそれなりに変はり居るしや
昔よりロシアはどうも気に喰わぬものをかすめて知らぬ素振りに
樺太も千島列島も満州も侵略同様に奪い去るなり
スターリン時代の独裁政治にて今も変わらぬ血を引き継ぎぬ
ロシアとの平和条約云々も約束破るは朝飯前と
和やかに酒酌み交はす席なれば何か嬉しきことのあるやに
豆をまく後から鳩がつつきに来ひよどりも鳴きにぎはいにけり
この宅に鬼らしきもの追ひ払ひすがしきあとの豆を拾いひぬ
盗賊の鬼らしきもの二つ三つ家をうかがふそぶる気色に
強欲にならず真面目に働きて神に仕へる身こそ楽しき
讃美歌を歌ひつつ行く我が道を鬼も自ずと従ひて来ぬ
大袈裟な声張り上げて鬼どもの逃げ行くさまにあきれ果てたり
地に伏して謝る鬼も中にいてまさか配下に置く能わずに
鉄砲にあらず豆鉄砲で撃ち負かすこれぞまことの鬼払いかも
鬼どもも改心致し候に互ひに和議を申し出でたり
桃太郎凱旋気分に我もなり雉、さる、犬の家来従へ
この世から悪童どもを追ひ払ひ良き仲間らと暮らす佳きかな
自ずから福はわが家に住みつきてほがらに居れば日々ゆかいなり 
豆まきを終えこの年も恙なく過ごし行かむと誓いひけるなり 
鬼退治済ませたあとの小気味良さおだけし庭に水仙の咲く   2月3日

喧しき国際情勢の一端

ヤンキーの気性を存分発揮して進軍ラッパを吹くトランプよ

この度は喧嘩疾風のトランプが協調主義を一般教書に

トギャザーと頻りに唱ふトランプの第一主義の限界を知るや

トギャザーの国内向けのジェスチャーを外に向けても発信すればと

都合よく国内向けに発信すトギャザー精神をタイミング良く

降りかかる保護主義政策の弊害の自国に及び慌てけるなり

英国の議会民主のゆらぐいま往時の権威はいずく在りしか

英国の落日の影きはだちてEU離脱の末の混乱

表向き信頼し合ふ素振りにて互ひに腹をさぐりあひけり

陰湿な風土のプーチンにトランプのあけっぴろげな性格もあり

儒教的精神の涵養の習近平東洋思想の泰然たる風

役人の悪質極まる習性の不正統計と改ざん隠ぺい    2月6日

元号の改変

   平成の名とは裏腹に、内外を問わず災いのこと多く、浮沈と変化の激しい三十年であった。しかし顧みるとあっという間に過ぎた、慌ただしい三十年であった。 現在、消費税の10パーセント増税実施が予定されて、その動向が注目されているが、消費税が初めて導入されたのは平成元年であった。3%である。 
   平成二年にはベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの統一が実現した。歴史的、象徴的史実であり、あの時の感動と興奮は未だに覚えていいる。一人の若者がハンマーを高く振りかざし、分厚いベルリンの壁を勇ましく打ちたたいている光景である。 東西統一が残酷な戦争の処理を終えて、世界平和に向かって盤石の道筋を描くものと大いに期待したものであった。統一されたドイツは栄えたが、世界に戦争は止まなかった。その後、湾岸戦争が始まって、石油危機に日本は始終脅かされてきた。そして共産主義国家のソヴィエトの崩壊を見た。
   そして国内を見ると、平成二年に日銀による貸し出しの総量規制が行われて、日本は、ここから失われた二十年と云われるバブル崩壊の惨々たる経済の経過をたどることになった。平成に入り、我々がたった一年の間に経験したことで、内外の情勢はこの年からは大きく変転したのである。平成は平和の暁光を活かし得ず、この年が象徴するように終始、混乱と対立、低迷の暗い世に過ぎたと云っても過言ではない。 
   平成7年に起きたオウム真理教に依る地下鉄サリン事件は鬼気迫るものがあった。阪神淡路大震災が起きた。平成22年の東北大震災と、それに続く福島原発事件は、国の存立を脅かす大災害となった。 平成13年の9月11日アメリカにニューヨークに起きた同時多発テロは、全世界を震撼させるものだった。そしてテロの拡散が始まった。20年余を経過して、その残骸は徐々に鎮静化されてきている。
   世紀を揺るがした事件は、枚挙にいとまがないくらいである。勿論、世界の指導者と民衆の英知と努力によって、平和への基礎を固めることが出来たりしたが、しかしそれをまた破壊して対立と抗争の図式が性懲りもなく描かれていくような結果を繰り返す愚かなことをしたりしてきた。元号の最後になったが、原爆兵器を持ち、凶暴国家と思い恐怖を抱いてきた北朝鮮が、トランプの強硬な外交攻勢を以て軟化して、長年のそのヴェールを剥がして外交舞台に出てきたことは世紀の成果であった。今世紀の記憶に残る偉業であり、ましてや日本の平成に刻まれる歴史的出来事である。核兵器を持つ国が隣国に会って、しかも反目するような状況では、国も国民も休まる暇がない。非核化に向けて実現すべきことを、大いに期待したい。

   今、複雑に経験した平成の代と世が、終わりを告げようとしている。来るべき新しい元号となる年と世の中がどのような展開となっていくか、世界を少しでも輝かしい平和の日々となるような活躍を、日本が果たしていくべきであると期待している。 政治的にも、経済的にも、日本が国際社会で勇ましく生きていくには、選択肢はそれしかない。続    2月8日


平成の御代と別れて来る年は元号の名の何たるを問ふ
元号と西暦を交え煩はしなれど元号を呼ぶ重々し
平成は嫌なこと多く重なりし世の御代なればつと去り行かし
平成は初めに淡路大震災のち東北のおほなゐの来ぬ
おほなゐと津波が襲ふ東北に史上最大の被害とはなる
福島の原発事故に放射能被災にかかる国の存亡
立ち向かふ自然災害と人災に国と民とが心一つに
地震国、火山国列島の宿命に適ふ国策を如何に勧めん
放射能原発事故は犯罪にその後も顧みることの無き 2月13日

この度の平成最後の国会の開幕に立つ平成天皇
平成の日々振り返り何かにと波乱含みの嫌なみ代とも
年初め阪神淡路大震災、東北大震災となえのたびたび
年初めバブル崩壊に病む経済デフレの未だ脱却し得ずに
厚労省発表の統計の不正なる数字のあまた発覚したに
統計の不正さに立つ国民の実体生活の危機に晒せり
大東亜共栄圏の統計も嘘に始まり嘘に終へれり
統計の恣意と杜撰に始めたる対米戦争の敗北の元
日本の土台と基本の統計を恣意に用いて嘘を並べり
統計の不正の結果に立つ国の政策立案も信頼性に欠く
厚労省統計不正に官僚の怠惰、手抜きの悪性に病む
国民のその依って立つ根幹を揺るがす統計の不正発覚
この国の基本を示す統計の揺らぐ数字に不信募りく
年金の多額の不払い長年に続きその後の隠ぺいのあと
日本の景気回復最長と記録も不正統計の例
何もかも信用できぬこの国の不正統計の蔓延なれば      

声高に景気回復最長と不正統計のあとの虚しさ

鬼畜にも劣る幼児虐待のすさぶ人心のおぞましき世ぞ    2月13日

    バレンタイン・デイ

  家内からバレンタインのチョコレートをもらった。チョコレートを分厚く塗った焼き菓子で、ハートの形をしたもの、表面に「アイラブユー}と文字が書き込んである。帰宅して風呂に入り、夕食前の時間をくつろいでソファーに座っていたら、バレンタインなのでチョコレートを用意しましたと云う。素直に頂いて、ミートューと即座に返事した。
  若い時には、所帯を持ってからも、女性から随分と沢山のチョコをもらったりした。主に飲みに行った先の女将や仲居さんたちが多かったが、クラブやキャバレーのお嬢さん方からたくさんいただいて帰ったものである。もらったりしたチョコの数が多いと自慢していたものである。最近はそうした場所が少なくなってきたし、機会も少なくなってきた。何回やっても効き目がなければ、自然に少なくなってくるのは当たり前である。義理チョコも、女性の意識改革があったりして少なくなってきた。むしろ女性の地位向上の結果、この機を利用して逆に男性から女性へチョコを贈る傾向も出てきた。バレンタイン商戦を何とか維持しようとする企業にとっては、商機がすたれていくことが気がかりなことだし、一番心配だからである。女性からでも、男性からでも、どちらでもいいから沢山のチョコが動いてもらうことが肝心である。
  照れくさいが、われわれ夫婦のように、幾つになってもチョコレートを贈り合う風習があって良いし、別に若い時に限ったことではない。賞味期限はとうに過ぎているかもしれないが、するめいかのように噛めば噛むほどに味わい深いものになった居るかもしれない。普段云えない感謝の気持ちを伝えて義理チョコを以て確認し合うのも、自分自身が新鮮な気持ちで過ごして行けるような気がする。


家内よりバレンタインのチョコを手にアイラブユーのしるし在りけり       2月14日

国境に壁とは

   単なるけん制であり、気勢かと思っていたら、国境に壁を作ると称していたトランプ大統領の発言は本気らしい事がはっきりしてきた。妄想を強引な発想と手法でこれを押し通そうとしている。トランプの考え方は単純である。メキシコからの移民の流入が、アメリカ社会の犯罪の温床になっていてアメリカの秩序と道徳的破壊につながり、国家の存亡の危機に直面していると云うのである。
   長いこと国境沿いに壁を建設するための費用が、民主党の反対で承認が得られないでいた。議会で予算が承認されないため、巻き添えを食らって政府機関の閉鎖が長く続き、官民の経済活動はおろか、国民生活に重大な支障をきたす状況になってきた。窮地に追い込まれ重い腰を上げたトランプは、建設費の大幅の削減に譲歩して国家予算の議会承認を得た。そのあとトランプ大統領は国家安全保障上由々しき状況だとして非常事態宣言を発動して、何が何でもメキシコとの国境に壁を建設する費用をねん出すると云う手段に出た。下院議長のナンシー・ぺロス女史は、壁の建設はトランプの画策する扇動であり、状況は事実と異なるとして非常事態宣言を発動するに与えしないと主張した。民主党は憲法違反であり、更には議会軽視であり、権力の乱用だとして執行停止の仮処分を以て議法廷闘争に持ち込むことになった。共和党のなかにも、さすがにトランプの政治手法に異議を唱えるものも出てきている。
   良識を持ったものなら当然のこと、国境に壁を築いて移入を阻むと云った奇想天外な発想は浮かばないはずである。トランプは選挙での公約だとして支持者へのキャンペーンとして行って壁の建設の正当性を主張している。

知恵の無き幼稚な政治にトランプの国の境に壁を立てると       2月15日

取りこぼし

日中の貿易戦争の収まらずその不透明さに皆がふらつく
お互ひに疑ひあえばきりがなし落としどころを探るトランプ
トランプの自身の尻に火が付きてロシア疑惑に怯ゆ日に夕に
名宰のメルケル首相に翳り見えなほ活躍の惜しまるる身よ
EUの統合に力を発揮して平和への道示すメルケル

平成の御代と離れて来る年の元号の何たる年を迎ふや
平成は初めに淡路大震災のち東北のおおなゐ起きぬ
その間に普賢岳に阿蘇、あさま、霧島、海の火の山噴きぬ
平成の歳に悪ろきこと多く出で人のこころも荒むおぞまし
平成は忌々しきこと多く起き重なりしなばつと去りゆかし
元号と西暦を組み煩はしなれど元号を呼ぶは重しも

温かき日和となりぬ今日よりは大輪に咲く山椿かな
商いの成就をまじかに喫茶店椿に入りてひとり楽しむ
夢なかに死んだ奴らが列を組み踊りいだすは何のことかと
うららかな春の日和にいかるがの宮のほとけも笑みておられる

韓国の下院議長の暴言に甚だ侮辱と河野外相
韓国の非常識なる外交にあまり相手にせぬがよしとも
日韓の民間レベルは良識を以て交流の穏健なりし
何時までも慰安婦問題を掲げるに日韓関係の品の無きさま
北鮮の非核化問題の未透視の未だ立たずば不安覚へし
米朝の協議のまじかに迫り来て日本外交の神妙の体

良策は北鮮国家を立て直し民主陣営に組み込む先と
北鮮に資本と技術を投入し経済発展の試金石とも

  米国の大統領のトランプが非常事態宣言を出そた。その理由となったメキシコとの国境に壁を建設すると云う問題である。如何にも雄大な構想である。メキシコからの移民流入が止まらず、中には犯罪者や麻薬業者などが交じってアメリカ社会を蹂躙し、国家安全保障上、重大な危機を齎すのを阻止するのが主たる理由とされている。これに対しアメリカ国内の各方面から反対の批判が広がっている。

  国境沿いに高い壁を作って外からの不法な侵入を防ぐと云うことは古くから考えられてるし、民間でもごく一般的なことである。しかし国と国との間に巨大な壁を築くと云うことになると、ただ事ではない。だから問題の大きさと深刻な度合いを感じさせて、アメリカ国内を二分し喧々諤々と言った状況を作り出している。
  国境沿いに高い強力な壁を作った人物が要る。秦の始皇帝として名高い。紀元前259年から210年に生きた人で、史上初の中国統一を果し皇帝となった。今からざっと2270年前の国の話である。謂うところの万里の長城である。北から攻めてくる匈奴の軍隊をせき止める目的にあった。エジプトのピラミッドと同様、人類史上最も巨大な建造物である。
  統一後、始皇帝は、重臣らとともに主要経済活動や,政治改革を実行した。従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な転換(中央集権)を行なった。
  又、国家単位での貨幣や計量単位の統一。
  そして交通規則の制定などを行った。

  もとより有名なのは万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設などの大事業を行った。
  法による統治を敷き、自身の政治を批判する学者や本を始末した焚書坑儒を実行したことでも知られる。自分の気に喰わぬものであれば、絶大な権力を以て抹殺すると云うものである。形こそ違え、民主主義の原則を踏まえて権力者になったものが、権力を乱用して暴れるケースが多いのは、人間の性と云うべきか、今も昔も変わっていない。

  秦の始皇帝が国境に作った巨大な壁、万里の長城の時代から2300年近い時間が過ぎた。雲泥の差を以て今日、人類は進歩してきたかと思いきや、発想の源は未だ変わっていないのに唖然とする。もしかするとそれ以下かも知れない。万里の長城が重厚な建造物であり、築いた距離もはるかに長い国境である。それに比べて、胸を張るトランプの壁の規模の、何と貧弱で小さいものか。
  平板的に見てもがっかりする。しかも軍隊の侵入者でもない。圧迫に怯え、貧困に喘いで祖国を逃れてきた女性や子供たちもいる。職を求める若者たちもいる。そんな状況を見ると、トランプのやり方は非人道的であり歴史上、人間は少しも進歩してないと、こんなことを考えてしまう。弱者いじめ、経済大国の面目丸つぶれとでもいうべきか。

国境に壁を作るとトランプの前時代的おとぎ話に
中國の秦の大王が築きたる万里の長城の威風堂々
中国の万里の長城と並べ置きいかにも陳腐なトランプの壁
歴史上記す秦の始皇帝その名も万里の長城ときて
トランプの鉄板の壁は非情にて非人間性の象徴なりき
国境に壁を作った始皇帝今から二千三百年前     2月19日

商談の山場を越えてこれまでの耐えと努めを顧みるかな

商ひの成就をまじかに椿屋の珈琲店にてひとり楽しむ      2月20日

地球より三・四億キロの先宇宙の海に浮かぶ「りゅうぐう」

暗闇を進む探査機「はやぶさ」の目指すりゅうぐうの秘めた世界へ

はやぶさの宇宙の闇を突き進む目指すは夢を秘めたりゅうぐう    二月二一日


はやぶさ2未知の「りゅうぐう」の着陸に成功すとの報せ聞くなり

この青き宇宙空間におびただし小惑星の塵のごとくに

この青き空にまたたくあの星の一つを我れが手にぞ欲しきや

日本の科学技術の躍進を如実に示す宇宙探査機

夢に見る宇宙の妙なる在りように科学のメスが容赦なく突く     2月21日

     

トランプ、金首脳会談、イン・ハノイ

米朝簿首脳会談の不発にて今後の成果に成果期すべし

   ベトナムのハノイで開催された米朝首脳会談は残念ながら、大山鳴動ネズミ一匹はおろか、目的とした合意事項について何一つ着地点を得ることなく物別れに終わった。問題が大きく一気に踏み出すには準備が足りなかったと云うことか、兎も角問題点をあぶり出したことで先送りしたことを以て良しとすべきである。功を急ぐあまり,後に禍根を残すことがないよう懲りずに、次回のチャンスを辛抱強くうかがうことが大切である。この点だけはかろうじて合意に達したようである。

   金氏はピピョンヤンを必発して陸路三日間の長旅であった。中国内陸部を経てハノイに着いたときは平和の使者の面目を保って早くも凱旋気分で嬉しかった。一方、国内の問題を抱えてロシア疑惑の追及の渦中にもまれるトランプ氏は、ハノイでの成果を引っ提げて一気に汚名を挽回しようと、意気高揚、ハノイに乗り込んだ。我々も難関を突破して、終戦決議を以て朝鮮半島の平和的基盤を築くものと期待していた。期待が大きかっただけに、会談が不調に終わったことは一時的にもショックであった。雨降って地固まるの喩えがある。 両首脳があっただけでも両国の事情があからさまになって、良しとすべきである。 

   北朝鮮の非核化を目指すアメリカ、経済制裁の全面的な解除を求める北朝鮮。両者の思惑が叶わずに別れたが、金氏がアメリカの大幅な譲歩を期待しすぎた感がある。ともあれ軍事大国を目指してきた北鮮が、経済発展を目指す方向に大きく舵を切ったからには日本も、千載一遇のチャンスと受け止めて、経済交流と拡大を目指して、積極的に金氏との接触を伺っていった方がよい。 何はともあれ、北鮮が核実験やミサイル発射をやらないと云いきったからには、再び緊張の罠に追い込むことだけは避けて、窮鼠猫を噛むの事態だけは絶対に避けて、門戸開放の道を開くべく最大限の協力を図るべきである。日本のとなりで核兵器使用の情況だけは何としてでも阻止したいし、それは極東の安全保障上欠くべからざる条件である。平和の希求を目指す国としても、在ってはならないものである。
     続 3月1日

雨音の久しくたたく夜半より耳に妙にも聞こえ来るなり

春雷を伴ふ雨の吹き止みて光みなぎる午後の空かな 3月1日


米朝会談の不発

  米朝会談は不発に終わったが、就中、金正恩の姿がどことなく憂いを含んで見えたのが印象的であった。貧苦にあえぐ人民の生活を何とか救済しようと頑張って出てきたはずだが、トランプとの会談の結果は、期待に反し裏切られた感じはいがめない。金正恩の落胆がにじみ出るような思いが、胸中に透かして見えるような感じを受けて、金青年が好意的に見えて、何となく不憫に思ったのである。トランプに比べてみると、人間的に純粋、清潔に見える感じがして、世間で云う程の悪人然としたものでないことが分かってきた。指導者とか国家のありようとかを度外視して考えると、レベルの高い育ちのせいだろうか、素直な表情から、そうしたことが窺えるのである。
  取り巻きやヴェールに隠れたところがあって、一般的な思考から隔離された悲劇的なところもないではないが、人間的な温情主義を感じる。そうしたところが老練、狡知的なトランプをして、彼は素晴らしい優れた指導者、好きなタイプだと云わしめる点かも知れない。北鮮の、今まで隠されてきた一面が明らかになりつつあることは好ましいし、これからの外交関係を前進させていくためにも明るく良い結果をもたらしてくれるのではないだろうか。会談は決して失敗、失望に終わったのではなく、お互いの信頼関係を更に進化させていくものと確信したい。     3月2日


温厚なまろき面ざしに少年の愁いもありて親しみ安き

老練のトランプ大統領に立ち向かふ東洋人の若き指導者

民衆の苦難の生活を先ず先に窮余の策に挑む金氏よ

ふくよかな好青年の金正恩不憫にも思ふ会談のあと

会談の不発に終わる結末を憂ふ金氏の胸中の如何や

非核化と制裁解除を天秤に最善の道探れ米朝

ベトナムの政治と経済の成熟を確と見つめる機会得るなり

ベトナムの過去の悪夢の戦争を乗り越え進む現実を見ぬ

どちらかが手の裏返す結果なりどちらか問へばトランプなりしや

野次うまがうるさく騒ぐ米朝の首脳会談のあとのあれこれ

雛祭り

   折角の雛祭りの日が、雨となってしまった。子供が大きくなってしまったので、雛段を作り全ての雛と小道具を箱から出して飾りつけることをせずに、内裏雛だけを床の間に飾ることが多くなった。但し、三人官女や五人囃子たちを箱から出して、包みの白紙をといてやるとやると、嬉しそうな顔をしているのが印象深い。ひな壇に並べないまでも、やわらかな春の日差しを一緒に楽しんでいるのである。雛祭りが終われば、また一年、箱の中に納まって過ごさなければならない。眠りに就いて、又箱から出て来るまでの長い間、そんな雛たちが愛おしく思い出すのである。箱から出てきたばかりの雛たちを、大事に手に取って見ている。
  そんなときほど童心に帰り、心が温まると云うものである。嫁いだ娘のこともどうしているかと思いがちだが、それは今の娘の姿ではなく、小さい頃の可愛らしい姿を追っていくもので、自分自身の若い時を思い出す時でもある。更には童謡を歌って楽しんだ幼い頃を思い出すきっかけにもなってくる。だとすると私は雛祭りに雛を飾るたびに、自分の過去を顧みて大きく成長した娘の行く末の恙なきことを祈念する日として心に抱いているわけである。

ぼんぼりに明かりをともし内裏雛かざる座敷にみやび楽しむ
桃の花生けるたもとに春の陽の注ぐみやびの雛の段かな
古き書の並ぶ部屋にて新しき知識を得るは楽しかりけり
ひな壇にひな人形と小道具を飾ればまことに春は来にけり
我が妻の娘を思ふ母としていまだに雛を飾り祝へり
世間にて娘は達者に致しをる有難きかな雛を飾りつ


   

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾

VOL.19.1

新年あけましておめでとうございます。
 今年も皆々様のご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。

  大空に隈なく照らす初日の出輝き染むる大和まほろば     元旦

大晦日に息子の家族一家が泊まりがけで来た。夕刻、近所の蕎麦処「ぎん屋」で年越しそばを食して帰宅したあと、大晦日恒例のNHK紅白歌合戦をテレビで観戦。毎年のことながら出場者の入れ替えが激しく、今年は新規参入の若者たちが多くにぎわっていたが、その歌にはついていけないので、テレビは専ら孫たちの独占下に。これがうたかと思うような知らない歌が多く、総じて思うことは言語不明、意味曖昧が特徴のご当地ソングが専ら、が殴り放題の振り付けリング。あっと出てきた石川さゆりとくれば「天城越え」、熱唱もさることながら妖気、鬼気迫る顔に、それだけはもう勘弁してくれとばかりに扇子で顔を覆うほどの凄まじさ。
    ゆく年くる年の鐘の音に聞きほれて庭に出れば、近くの九品仏寺の鐘の音が夜空を渡って響いてきている。空を仰ぐと澄み切った紫紺の空一面に星が瞬いて、赤い星も見える。清浄で穏やかな大晦日の夜である。真砂の星の中を幾つかの人工衛星が飛んでいるかもしれない。人間が勝手に作り出していく「宇宙時代」が、これから華々しく世間を騒がしていくだろう。綺麗な夜空を汚さないでほしいと願うばかりである。つい愚痴が出てしまうが、宇宙時代と米中が、ここでも競い合って人工衛星を沢山飛ばしあっている。平和的開発を目的としたのであれば大いに結構であるが、地上ではドンパチの戦争ができないからと云って、宇宙で肝試しに代理戦争を繰り広げられてはたまったものではない。宇宙での覇権争いと云っているからには、否定できない代物である。ロケットの代わりに、かぐや姫の方がどんなにいいかわからない。

    除夜の鐘が止んで、新年を告げる時報である。力強い響きが籠っている。みんながお互いにおめでとうの挨拶を交わし合った。すると電話のベルが鳴った。ニューヨークの明子からである。娘夫婦は今、ニューヨークに居る。この時、ニューヨークは朝の十時、十時間の時差がある。ニューヨークからの、明るい溌剌とした明子の電話である。貰ったのは、爽やかな年賀の言葉である。
   娘の明子は、ニューヨーク証券取引所の取引開始と終了を告げる鐘を鳴らすために、28日のテレビ番組を終えた後、すぐにニューヨークに飛び立って云った次第で、大役を果たしたあとニューヨークに一日滞在して、二日の日に帰国する。忙しい中、時間に合わせて新年のあいさつの電話を入れてくれた。有難いことで感謝である。今年一年が、何事が起きても勇敢に乗り越えて恙なく、皆が邁進して行けるように祈りつつ安穏の床に就いた次第である。      元旦


    元旦のお昼過ぎ、皆で裕介の車に乗って近くの宇佐神社に初もうでに行った。宇佐神社は世田谷の一番南に位置した場所にある神社で、環八を渡った先の尾山台の静かな住宅街にある。多摩川に向かって下って行く途中にあり、瀟洒なたたずまいが気に入って、数年前ここにお参りした時から初詣の場所としている。最寄りの玉川神社、等々力不動尊、九品仏寺と云った有名なところもあるが、正月三が日は初詣の人たちで込み合っているので、混雑を避けて静かな宇佐神社を初詣に一家団欒して楽しみに参上している。
   小さな祠の周囲はこんもりとした樹木に囲まれているので、まるで奥山に来たような感じである。静かな台地となっている境内も含め、多摩川を見越して遥かに相模の連山を眺め、富士の霊峰をはるかに見つめることが出来て、眺めた景色は雄大であり素晴らしい。穏やかな陽気に、遠大な希望も湧いてきた次第である。ここで古いお守り札など改めるものを返して、新たに破魔矢とお札を買い求めた。こうした縁起物は、いつも息子が買ってくれるので、遠慮なく息子にまかせている。
    元旦の夕餉は、暮に準備しておいた食材で、孫たちの好きな「すき焼き」を楽しんだ。妻は発奮して正月のお節料理を作り、食卓を囲んだみんなを喜ばしてくれている。

    今日は仕事始めである。十時に出社した。何本かの電話があって、会員の東武都市開発の夫社長を始め、二組の年賀の来客があった。しばらく、事務所あてにきた年賀状を整理して知人、友人の様子を楽しみながら拝見する。年々減少気味の年賀状であるが、スマホやメールでの交信は何となく味気ないない気がする。世相を反映して年賀のあいさつ回りがなくなってきているのと同様、年賀状もお互いに失くしていくような気がする。以前は年初めには年賀のあいさつ回りで忙しかったし、年始は正月の風物詩の一つであった。いつの頃からか、年始に回る人や車はすっかり消えて行ってしまったようである。銀行に借金がないから、弊社の場合はあいさつ回りをする必要もない。
   若いころはむやみ矢鱈に借金をして事業拡大に走ったが、状況はそうではなくなった。社会も、イケイケどんどんのがむしゃら時代と違って、経営者や従業員の考え方が大きく変化してきた結果である。がむしゃら時代に蓄積してきたものが大方充たされて、いかにしてスマートに働いて生活していくかという考え方に変わってきている。丁度、産業構造が重工業経済から軽工業時代に、そしてソフト社会に移行していくようになって、結果、今や長寿社会と人口減少社会にいかに対応するかという見方に時代が変わってきた。  そうした変化、現象は、我々の日常生活の足元でまざまざと見せつけられており、体験することが出来る。そうした時に一番重要なことは、単純なことながら自分のしっかりした価値観を以て、周囲の変化に翻弄されないことである。

   今年は、銀行や証券会社を除くと、7日から営業を開始するところが多い。その証券会社だが、大発会の今日、いきなり700円以上も急落して始まったが、昨年の大納会の日経平均から470円前後の下落を以て、この日の取引を終えた。昨日3日のニューヨーク市場が600ドル以上急落したことから、その流れを受けて東証も大幅な値下がりとなった。FRBの金融政策に一喜一憂する神経質な展開だが、今年は加えて米中貿易摩擦の激しさが、株式市場に暗い影を落としてきていることはいがめない。その影響でアップルの業績予想が下方修正されたことが、株価急落の引き金になった。    1月4日


水仙のわが家に咲きぬこの土地の南西の隅に穏やかに咲く
すがすがしクリーム色の水仙の花咲きにけり二つかたまり


昭和天皇の和歌

元旦早々の、朝日新聞の第一面のスクープに目を見張った。昭和天皇の詠まれた和歌の幾つかが大事に保管されていたのである。天皇の、内面的な様相を記した貴重な和歌である。歌を味わいながら、学者たちもこの一連の和歌に就いて歴史的に捉えようとするに違いないが、大元帥として絶対的権力を行使し得た天皇としては、大戦を交えて如何に苦悩を続けていらしたかを、一連の和歌から推察することが出来る。開戦、敗戦に深くかかわってきた身だからである。もっともそこから自戒と反省の記録を教訓として、日本と国民が、これから如何に進んで行ったらいいかを探求するよすがとすることが出来れば、大きな意義を持つことに違いない。
   記事では、どのような歌が詠まれているかの全体像を未だつかみえないでいるが、陛下の二首を拝読すれば、作者の心の内と、人がらと、和歌五七五七七のしらべが推測される。万葉調の格調の高いしらべが、小生の性分にもあっていて、これからの機会を捉え、いみじく詠んで味わってみたいと思っている。戦中、戦後の混乱期に会ってご自分の心を示して卒直に詠んだ歌が多く含まれているものと思う。従って、これから朝日新聞がどのように昭和天皇の和歌を取り上げていくか、大いに関心のあるところである。天皇の和歌の調べとしては、ご自分の気持ちを平易に素直に詠んでいるので親しみやすく、且つ情緒的に心に深く受け入れられるものである。      一月三日

  国民の祝ひを受けてうれしきもふりかへみればはづかしきかな 
  あゝ悲し戦いの後思ひつつしきりにいのりをささげたるなり       今上陛下


     ニューヨーク証券取引所の鐘を打ちに

  ニューヨークに飛んでとんぼ返りしてきた娘の明子が、その時の様子をメールで送ってきてくれた。日本の女性がニューヨーク証券取引所の取引開始と終了のベルを打つと云ったこと自体、大変名誉なことであり、大きな意義があると思っている。

https://livestream.com/NYSE/TVTokyoCB
上記のURLをクリックしてください。

お蔭さまで、爽やかな新春を過ごすことが出来ました。
尚、
上記のURLをクリックすると、不肖の娘、明子が
ニューヨーク証券取引所で取引開始と終了のベルを鳴らす場面が出て来ます。
中央、青いスーツを着ています。
   1月5日    佐々木誠吾


          波乱相場の幕開け

   今年の波乱相場を占うかのように、東京株式市場の新年大発会の取引は一時730円近い急落を演じたが、結局この日は、昨年の大納会の終値より477円安い1万9561円96銭で取引を終了した。抵抗線と云われている2万円台を割ってしまった。投資家の心理が大きく揺れて、大発会の取引を終えたが、今年は何かと気をもむ相場展開となりそうである。

   というのも、これまで拡大を続けてきた世界経済も、好景気から減速状況に入りつつあること、インフレを懸念するアメリカ経済がFRB(連邦準備制度委員会)の金融政策の動向に過剰反応しつつあること等に加えて、米中貿易摩擦の影響が中国だけでなく、仕掛けたアメリカ自体に及んできていることなど、相互、相乗作用で混乱し金融情勢だけでなく、実物経済にまで及ぶに至り、将来に対する見通し確たるがつかないことが原因である。ここしばらくの間ニューヨーク株式市場の下落傾向は鮮明になってきていた。加えて相場の味を悪くしたのが3日に発表されたアップル社が業績予想が下方修正されたことである。この下方修正が嫌気されて急落したことで、それが投資家の予想を超えたものだったので全体に売りが拡大していった。
   株式の上げ下げは、刻一刻変化するもので今更一喜一憂しても仕方がないが、大勢は投資家が資金を株式よりも安定資産にシフトしてきていることは一年前から小欄でも云ってきているところである。証券会社の諸君が盛んに株式を進めてきているが、保有している株式は兎も角として、新規に投資する危険性は高いから、リスクを回避してきている。なかなか難しい選択だが、多くの投資家は既に資金を安定した資産に切り替えているか、若しくは現金として確保しているかである。ゼロ金利の異常な事態だが、忍の一字で現金で保有して次のチャンスを待つよりしかないだろう。現金の目減りを回避していると考えればいい。


     地方自治体の規制緩和を
大都会から田園地帯への移住政策を


 少子高齢化がますます進んで、労働人口が減少し、介護を必要とする非生産的人口ばかりが益々増大していくことが盛んに説かれているところで、これについては聊か食傷気味になってきているが、もう少し発展的な意見が出てこないものだろうか。例えば、少子化の問題である。昔はどこの家庭でも子供の三人や四人はいたものだ。しかも貧乏の子沢山と云われるくらいだったから、子供が沢山いたからと云って、それが原因で貧乏になっているわけではない。問題は他にあるのではないだろうか。一人の子供を育てるのと三人の子供を育てるのと経済的負担が云うほどに大きいものではない。環境的には兄弟が多い方が、子供を育てていく過程でより大きな成果と果実を得られることが多いのである。子供たちにとっても兄弟愛はもとより、お互いにしのぎを削って生きていく術を体得していくし、そこには無意識的に生きる事に対して正しい動物的本能が培われていくものである。

教育の方針を、「スマホを見るより土を耕せ」に切り替えてみることだ。精神衛生上にもこの言葉を実践していった方が、その人の人間的成長と能力的観点からして、大きな貢献を齎すこと必定である。従って生活の実態を大胆に転換させていく政策を、一部に取り入れて啓蒙を図るべきである。個人では出来ない問題故に、国の方針を転換していく必要がある。それを実現するために、補助金のような資金を思い切って放出する政策を実行すべきである。これに絡ませて地方分権、地方自治体の強化を図り、地方への人口移動を強力にはかることも良い。過疎化が進み、森閑とした地方の開発の、大胆な規制緩和が重要だ。昔、田中角栄が列島改造計画を打ち出して選挙戦に臨んだことがある。列島改造を図ると云う騒がしいものではない。少子高齢化にのぞんで如何に日本列島を飛躍させるか、人口移動を図って、養育費負担を軽減させて質的向上を図り、充実した生活を味わって行くかの課題である。スマホの社会生活から、スマホ社会を踏み台にして豊かな自然環境の生活へと転換させる政策である。

のんべんだらりんとした自治体の、特に行政に携わる役人の意識改革が必要である。一例には、地方の住宅地の土地開発規制が、東京の住宅地の土地開発と同等の扱いをしていると云ったちぐはぐな状況を即刻改めるべきである。国の規制ももちろんだが、地方に即した行政を敷いていくことが肝要である。地方自治体に権限の委譲を図って、活性化させること。それには地方自治体の行政能力を啓発して向上させること。地方自治体の怠慢と勉強不足が、地方の発展を阻害している現実がある。

地方で土地開発を行って、住宅建設を行っている会社がある。一角の土地に戸建て住宅を建てようとすると、1000㎡(300坪)以上の土地になると開発行為の申請をして許可をもらうわないと着工できないと云う。これは東京の世田谷、目黒、杉並区と云った高級住宅地、はたまた都会の密集地の事例であるから、そうした地域と同じだと云うことで誰も手掛けることができない。せめて地方都市とか地域の場合は3000㎡(1000坪)位に、或いは1万㎡に緩和しても差し支えない。狭い道路や公園や、公共施設をを沢山散らばしていくようでは機能的にも活動し得ない。広大な地域に在って、これをちまちま細分化するような愚策を弄してはならない。将来に禍根を残す結果になる。こうした規制は地方自身が自分たちの首を絞めている結果に繋がっており、発展を妨害しているようなものである。都会も田舎もネット化されて、同時性の度合いが高まってきて地域の区別がつかないはずである。

   税制負担についても然り、貧乏な財政にありながら、人口減少に悩みながら、広大な土地を放置していながら、何ら打つ手も打たずにのほほんと体たらくの地方の政官財の指導的な諸君たち。県民、市民のために、破綻、消滅することがないように、地域が衰退していくことがないように頭をもっと使ってふるさとの再生に取り組むことである。外部から移住をしてくるように積極的に誘致策を図り、移転してきた企業や移住してきた所帯に対しては、一定期間住民税をゼロにするとか、各種の税金を軽減すると云った優遇措置を採れば、地域の魅力を増して新規の住民が増えていくことになる。かって夕張炭鉱が破たん先自治体に指定されたとき、奇抜な、勇気ある構想を提案したことがあった。相続税をゼロにすると云えば、金持ちがわんさと移住してくるだろう。彼らに生活のための金をどんどん落としてもらえば、例えば豊富な土地を買い、家を建て、自治体に参加してもらえば、たちどころに再建可能であると。

   若者の家庭にとっても、更にインパクトは強いものとなってくる。インターネット、スマホ、パソコン時代では在宅勤務が可能であり奨励されてきているから、息苦しい雑踏の都会に住む必要もなく効率的である。地方に移住したいと云う若者所帯が、徐々に増加しつつあるやに聞いている。この機に当たり、地方は積極的な人口の誘導政策を考えるべきである。インフラとソフト面で拡大充実を図って、移住希望者の受け入れ可能な条件を整えることだろう。安閑としていないで国のため国民のため、公務員としての意識を以て働けと檄を飛ばしたい。好環境に在って豊かな生活を経験できでれば、健康で安全な家庭生活を維持できるし、生産性向上にも寄与する。経済的環境が整えば、これもまた出生率の向上にも大きく寄与するはずである。 安倍政権も、安倍首相も地方に檄を飛ばして、改革に一肌脱いでやるといいのではないかな。  

勇壮な富士の高嶺の白雪を仰ぎつ大きく育てわらべら

那須岳の連なる嶺に白煙のなびくこの地に力みなぎる

山川と大地のひらく高原の緑の風に向かふ人らよ                      1月8日

大相撲春場所開く

   このところ人気沸騰の大相撲である。先場所も連日、満員御礼の垂れ幕が大屋根にかかり盛況であった。三横綱が休場する場所であったが、若手力士の台頭で、星のつぶい合いとなり、結局、小結の貴景勝が優勝して賜杯を受ける結果になった。若手陣の奮闘が、相撲ファンの目を引いた近来にない相撲展開であった。今場所はようやく三横綱が土俵に復帰することになって、久しぶりに賑やかな土俵となった。これに若手陣の活躍が加わって、大相撲の春場所は人気上昇、活気を呈する場所と期待できる。何しろ横綱稀勢の里が回復、復調の成果が如何に発揮されるか、今場所に正念場をかけての登場である。その行方が気にかかるところである。久しぶりに出てきた日本人の横綱であり、大事に見守っている。ファンの注目も熱気を帯びている。

成人の日に大相撲春場所の輝く空の澄み渡りけり
この場所に激励を受く稀勢の里土俵にかける勝負如何にも
めずらしく三横綱の土俵入り進退如何の稀勢の里んり
強力の栃の心の悪ろき癖引き技出でて押し出されけり
錦木の豪栄道を上手投げ見事に決まり躍進の先
高安が巨艦逸の城に突き出され土俵も狭く迫力ありぬ
三大関破れて初日大荒れの出足とねりぬ初日春場所

進退を懸けた横綱稀勢の里この一番に何としてでも
敗れたりああ敗れたり稀勢の里皆の期待に背く結果に       1月13日

昭和天皇の晩年の和歌
痛ましい戦争の傷跡


打ち明かす昭和天皇の人として己が思ひの赤裸々なりき
たびたびの和歌を詠まれる天皇の立場にあればいみじくありぬ
皇后の表に出でず天皇のその妹子失くし傷む胸うち

常ひごろ打ち悩む身のあればこそひとへに民の安き祈らむ
今様の皇室ならで戦中の現人神にあらばいかにも
幼少の頃の馬上の天皇の国の押しつけなればいじらし
民草の祝ひを受けて恥ずかしく思ふ天皇の胸のうちかも
さもありぬ幾百万のしかばねののちにも生きし時の人ゆへ
アメリカの資源大国を相手にし神風吹くと戦いいどむ
無計算、無節操なる指導者の集合なれば末の恐ろし
すめらぎの務めの堕落したるさま周りの馬鹿に従ひし末
民衆の犠牲と国の壊滅を目の当たり観てすくむすめらぎ

雨のなか足ふむ学徒出陣の戦火にあはれ命果てなば
陸海空、軍指導者の馬鹿者の揃いて民を皆殺しせり
善良の罪なき民を皆殺しのち逃亡に走る指導者
日本の陸海空軍を統率す大元帥の天皇の責
痛恨の極みに思ふ戦争に兵士のあまた壺に入りしは

みずからは戦争犯罪人の一人とし名乗る天皇のさしもあるべし
弾丸の雨打ち鳴らす野戦場わが友軍のしかばねの山
精鋭の陸海空の軍隊の暴走の末の断末魔とも
苦しみの日々の生活にあえぐ身のあえて民草と国を統治す
豪族の乱立の地を平定し国を治むる聖徳太子よ
この国の安き栄を祈りつつたけき勇夫を説き伏せにけり
聖徳の御代に習ひてすめらぎの斯くも落差の激しかりしに
あゝ悲し陛下の嘆く心中の自戒の歌をしきり詠みけり
今上の陛下に比して聖徳の太子の如何に優れたるかな


   黄昏のしじまの野べにひろごりてひとり旅路の宿につきしも
   日暮るれば自ずと胸のさわぎ立ちこの身を救ふひとのあらなで
   思ふだに人を恋する能はずの身の上なればなどか虚しき
   年老ひて施設に入りて知り合える異性を慕ふ美恵子姉妹は
   世に生れてはじめて人を恋すてふよわいの卒寿の人にこそあれ


   空襲の戦火に資産の悉く失ふ父の思ひ如何にや
   東京と水戸の夜間焼夷弾受けて九死に一生を得ん
   戦中の苦労を重ね心身を既に費やす父と思へし
   四人の子を守り育てしちちははの力尽きしと思ふこの頃
   よはい五十九才にて癌に病む手遅れなれば命運つきにし
父ははのことを思へば懐かしく打ち寄せて引く波の如くに
梅の咲く水戸偕楽園に父と立つはるかに筑波の峰を眺めつ
   はらからのこと今に思ふ余に力あらば何なりと助けはべるに
   今までに十億ほどを失ふも無借金の身の生活あるは
   ありがたき神のご加護と云ふべきや恙なき身にありし今ゆえ
浅草を離れこの地の等々力に移りて住むは深き縁かな
   寄り合ひて家立ち並ぶ所帯ゆえ花、植木など頼む能はず
   この地にて土を耕し菜を植えて田舎暮らしの僅かながらに    1月11日


十七年ぶりに日本人力士出身の横綱となった稀勢の里であるが、2017年春場所に天皇賜杯を手にした時の一番で負った肩の傷が癒されず苦難が続き、同時に多くのファンを悩ましてきた。その影響で翌場所から8場所連続休場。昨年秋場所は10勝を挙げたが、翌九州場所で初日から4連敗の末に休場し、今場所に進退を懸けていた。今場所も初日から黒星先行での土俵となった。協会からは[激励]の条件を付けられての土俵入りであったが、三連敗を記して引退を決意するに至った。残念である。
   それと最近の特徴は、下幕力士の活躍である。予想もしていなかった力士が出てきて相手力士の星を潰して土俵をにぎわして盛り上げているのが相撲の魅力となっている。小さい力士が、自分の身体の倍もある様な相手を翻弄し、見事な取り口で勝ち名乗りを上げたりする小気味よさは見ていても圧巻である。こうした土俵を沸かせてくれる場面を見るのも愉快である。動きも俊敏だし、決めても技能的なものがあって小兵ながら頼もしく感じる。横綱の力士が優勝するのは当たり前のように言われているが、むしろマンネリ的なところがあってその分興味は減退してしまう。しかし大関、関脇、小結、前頭と云った力士が活躍して賜杯を手にする光景もファンとして大いに期待するところである。
    かっての北の湖、そして今の白鵬など強い力士の賜杯独占が長く続くのも、大相撲の発展のために好ましいものではない。負けたり勝ったりするところで新鮮味も湧き出てくるのである。努力研鑽して下の力士が上位の力士を倒していき番付けで上位進出、出世街道を進んでいく姿は、万人に共通する嬉しさがある。横綱がいなくとも、弱い横綱を見せつけられるより、思いもかけない力士が出てきて土俵を沸かして賜杯を手にする場所こそ、大相撲の真骨頂であってもらいたい。横綱、大関が冴えない場所で、小結の貴景勝が13勝2敗で先場所で賜杯を手にした。このところ連日満員御礼の垂れ幕が下がっている大盛況の意味がここにある。今場所もきっと横綱、大関以外の力士が、若手力士が活躍することだろう。相撲界の活力につながっていく。
   そうした意味からすると、横綱になると終身横綱の地位に就くこと自体違和感がある。あまりひどい成績が続いたりすると、今回の稀勢の里のように協会から「激励」と云う忠告的な意味合いの提言があったが、注意、引退勧告と云った順位で横綱の地位に就いて規定されている。力士の力量を問われるような不適格な取り組みの在った何場所以降は、番付が下に落ちていくこともあってもいいような気がする。それによって横綱の権威が損なわれるものでもない。横綱になったから、肉体的にその地位が保障されているわけではないし、横綱も番付が下に転落していき、再起していく様子を見るのも劇的な感じがする。本人の意思が固いものであれば仕方がないが、例へば稀勢の里にしても、これで相撲人生が終わりだとは云いきれない。一旦大関、関脇に下がって、再度復活する素地、可能性は十分にあるはずである。興行的には勿体ない気がする。

敗れたりああ敗れたり稀勢の里初日黒星で剣ヶ峰なり
                                        1月9日

    

    成人式の教会

  このところ馬鹿馬鹿しい世評に愛想をつかし、取り上げていると際限ないので書く気にもなれなくなってくる自分を案じて居る。役人の文書改ざん、廃棄焼却と云った犯罪行為にも等しい行為。間延びした役人の精神状態を見るにつけ、この国は一体大丈夫だろうかと案じて来るのである。甚だしき限りは、厚生労働省の調査、作成して発表する各種の統計である。これが誤った数字に基いていることが分かった。国が発表する統計が誤っているとしたら、国の指針も狂ってくるし、民間がこれを信用して行動すること自体が狂ってきてしまう。大変な事態で看過できない。
  経営の神様と思っていたミスター・ゴーンの大胆な報酬は兎も角としても、次から次へ出てくる背任行為の報道などなど、うんざりである。こうした時は何もせず、何も考えずに居ることが安直だし、精神衛生上も適っていると思うので、最近は本欄に書くことを慎み、自分の原稿と云う欄に自在に書きこんでいる。ホームページに書き込む前に、失敗、散逸を回避するための謂わば予備ランと云うものを設けておいてくれたものだが、下書きをしたりすることがないので、あまり利用することがない。たまに書きこんだりするときには専ら外部に発表しない私的なものメモ的に書いている場合が多い。

  いつものように教会の日曜礼拝に出かけた。新たに成人となった諸君を招いて「新成人祝福の礼拝」が席上行われた。教会には昔から幼児教育の一環として幼稚園を持っている。名前を「子羊幼稚園」と云って聖書からとったものだが、ここから小、中学、高校の玉川聖学院に進学していく学生が多いのが特徴である。学園は高校までしかないので、そこから大学に進学する生徒が概ねである。今日は6人の若者が招かれていた。五人が女性である。教会の牧師から成人となったことの祝福を受けて、共に聖書のみ言葉を学ぶ機会を与えられた。
  礼拝が終わった後、教会員一同が用意した愛餐会が開かれて昼食を共にし二時に終宴したが、若者たちも参加した愛餐会は意義深いものがあって勉強にもなった。私は、若い女性に囲まれた席だったので終始ご満悦の体であった。自分で選んだ席ではないので、偶然の結果そうなっただけのことで、これこそ神様の恵みとしか考えられないと、皆には云いきっていたのである。六人ほどの綺麗なお嬢さんたちとは和やかに話を交わすことが出来満足であった。成人式に出席した諸君たちにあやかって、この日には若い人たちの感性と精気までも吸い取ってこようと意気込んでいたので、若やぐことが出来た自分に対して大いに納得して帰ってきたのである。


晴れ渡るみ空に光り溢れ充つ成人の日にふさわしきかな
祈り会にむたりの冠者の将来の栄えを願ひ祝ひけるなり
人として立つ成人のこの日より希望に満ちて岩に立つ君
人の世の風雪に耐え先を見てくじけず行くは若者ゆへに
なつかしき讃美歌の節うたひつつ身は晴ればれと覚へくるかも
美しきよわひを刻み祝ふ今日人として世にのぞむ汝が身よ
実力を身につけ嵐に立ち向か浮沈の激しき世にあらばこそ
世に歌ふ美しき年に飛び立ちて自覚と責務に立てる君らは
藤村のみめうるはしき二姉妹の宮本さんらと語る親しく
二十四、五と思へかし二姉妹の優しき仕草に見目うるはしき
各々の名を呼び上げて祝ひけりむたりが神に誓ふこの席
讃美歌の二百二十一番を歌ひつつ主のまなざしの我にそそげり       1月20日
若者と会ふたびうれしその意気の横溢のさま我に及べり

普遍的教えを説きて熱弁をふるふ講師の今朝の説教
こころから三位一体の汝が前に進みて喜び祈る席かな
こころよき眠りに入りて説教を聞く礼拝に招かれし身に
今もなほ生きておられるキリストの神と我との仲立ちに居て
揺れ動く我れが心の生死感まはりの友ら天に召さるに
目の前の壺に納まる友を見て色即是空の思ひ湧き来る
念仏と讃美歌をあひ合唱し友の冥福を乞ひ願ふなり
エベレスト目指す三浦雄一郎八十六のよわい刻みて
目標を掴みチャレンジ精神の横溢の身の生きる統べなり
渾身の精神力と思ひしが体がつかず断念の末
あっ晴れとその意気ごみに感服す八十六歳の身にもめげずに
棕櫚の木の枝を切られて伸びるまま先に僅かの芽を残してや
植田師が訳すブーヴァーの「我と汝」対話を巡り思ひめぐらす
肉体と意識を巡り自らを問ふも謎めくことの多きも
人間の存在を問ふ我、汝その根源に迫る道かな
フヴァ―の生死を論ず難解の問題ゆへに自問自答す
実存を問へば難解に戸惑ひぬ古今東西の人が悩めり
人は皆己ながらに生くべしと思ひつじっと空を仰げり
単純な教へなれども正鵠を得おのれながらに生くを良しとす
主のもとに帰れやとなほ呼び給ふゆかしき名こそ永久にあれかし   1月26日


  我が国と、国民生活の存続と維持の基本である公的統計の信頼性が今、大きく揺らいでいる。厚労省の発表してきた不正統計の実体が、次から次へと暴かれて事態は深刻である。国と民間企業と、国民生活の根幹を揺るがすこと、全ての活動の指標となるべき統計が狂っているとしたら、これ以上の憂慮すべきことはない。政府の政策決定についても、甚大な誤りに帰することになる。何が原因でこうした事態を招くことになったか、国民の不安を払しょくするために、政府には最善の措置を速やかにとってもらいたい。
  厚労省の不適格統計が、長年に亘って行われてきて、誰もこれに気付かなかったと云うこと自体考えられない。隠蔽されてきたと云われても仕方がないような事件である。恣意的に成されては、たまったものではない。日本は過去の戦争に於いて、大きな過ちを犯してきた。それは誤った統計によって、国と国民が誤った進路を歩む結果になったと云う紛れもない事実があることを忘れてはならない。今日においても、たまたま厚労省の斯かる不正な統計を行って発表していて事実が発覚したが、これが各省庁全般における統計の信ぴょう性について不正、錯誤が蔓延化している可能性を危惧するのである。昨年の国会では、例えば行政の雄たる財務省に於いて、書類の調査の隠ぺいが組織的に公然と行われていたくらいである。一事が万事の風潮を阻止しなければならない。今回の不正事件、隠蔽の風潮は、我が国の内外に亘る信頼性を、大きく損なうものである。官庁は信用できない、役人の謂うことは信用できないとなったら、国の存立すら危ぶまれてくる、由々しき問題である。及ぼすところの影響は、何とも計り知れないものがある。憂慮に耐えない。  続    


乾燥の続く日頃に流行すインフルエンザの過去の最高とも
水仙のクリーム色の花房になごし日差しの降り注げけり
立つ春もまじかに覚へ梅の木の堅きつぼみも透かすほのかに

この度の平成最後の国会の開幕に立つ平成天皇
平成の日々振り返り何かにと波乱含みの嫌なみ代とも
年初め阪神淡路大震災、東北大震災となえのたびたび
年初めバブル崩壊に病む経済デフレの未だ脱却し得ずに
日銀の総量規制に端発し不良債権に泣く我が経済
競争の激しき国際経済に日本独自の活力に立て
米中の貿易摩擦の狭間にて独自の経済政策を行く
日本のアジア外交の尚浅く中国、韓国と隣国なるも
厚労省発表の統計の不正なる数字のあまた発覚したに
統計の不正さに立つ国民の実体生活の危機に晒せり
統計の不正の結果に立つ国の政策立案も信頼性に欠く
厚労省統計不正に官僚の怠惰、手抜きの悪性に病む
国民のその依って立つ根幹を揺るがす統計の不正発覚
この国の基本を示す統計の揺らぐ数字に不信募りく
年金の多額の不払い長年に続きその後の隠ぺいのあと
日本の景気回復最長と記録も不正統計の例
何もかも信用できぬこの国の不正統計の蔓延なれば
声高に景気回復最長と不正統計のあとの虚しさ

1月31日


   


 

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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