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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.04

 奥山さんの美談    名門、 閉館の富士屋ホテル、


八重洲 富士屋ホテルの奥山仁さんが「私の人生の宝ものです」 と云って持ってきてくれたのは、約二十年前、昭和経済会が月刊誌として発刊している昭和経済の第46巻4号と、同じく47巻10号の二冊でありました。編集人であり発行人である私が、自分の事業のほかに会のために心血を注いできた仕事であり、自分の生きがいでもあることは言うまでもないことです。その作品を読者の一人が、「人生の宝」 として、自分の身から離さないで持っていると云われてみると、なるほどと他人事のように思いながら、ふと気が付いて感謝の気持ちが心の底から湧いてきたのであります。とにかくその雑誌のおもて表紙と、執筆した後記随想の一ページを、それぞれA4に拡大してその場でコピーさせてもらいました。歴史をたどれば第46巻は今から19年前の平成7年に発刊されたものであり、第47巻は18年前です。いずれも20年近く、遡った時のことが記してありました。奥山さんが今50歳になったといわれていたので、彼が30歳の時であります。奥山さんとは、連綿として続いてきた付き合いですが、優秀なホテルマンとして活動し、礼を以て情義に厚く、感性豊かな人柄がうかがえるのです。かえりみて惜別の思い、拭いがたきものがあります。
    一つは「講演と見学の旅」を綴ってあり、一つは富士屋ホテルで開いた「創立60周年記念祝賀会」の模様を描いたものです。二つの行事とも、富士屋ホテルの奥山さんの手にかかったもので、私の記憶にも鮮明にきざまれている思い出の行事でした。二つとも極めて詳細に書かれてあるので、目下のところ記した記事のコピーは途中までしかありませんが、読んでいると当時のことが懐かしく思い出されて目に浮かんできたのでです。これを手にする会員の人たちにとっても、きっと素晴らしい思い出の記録となって、奥山さんと同じように、この雑誌を抱きしめたい気持ちになるに違いないと思いました。
    講演と見学の旅では、富士屋ホテルの大型で豪華な観光バスを一台仕立てて一路筑波学園都市に向かいました。筑波大学で途中下車、同大学の教授であり、同病院の副院長の山下亀次郎教授の名講演を聞く機会を得ました。「成人病 その克服と予防」と題して約1時間の講義を有意義に拝聴しました。そのあとは再び常磐高速に乗って水戸偕楽園に向かいましたが、おりしも水戸偕楽園は、梅の満開の時でした。
    もう一つは恒例の講演親睦会を創立六十周年を記念して、富士屋ホテルの桜の間で開いた時のことを綴っている記事であります。盛大に開催されたものでしたが、会員各位のそれぞれの感動的な挨拶なども沢山あって実に楽しい場面が映し出されています。いずれも八重洲富士屋ホテルを思い出す場面の一つとして、改めて回顧する機会があれば幸いだと思ってます。
    その富士屋ホテルは今日を以て閉館することになりました。東京駅前の八重洲の一角を占めて、四十年の長きこと、名門の名をほしいままに、街を華やかに優しく灯し続けてきた姿は、さびしい限りですが、今日を以てこの街から消えていくことになってしまいました。私は今日の朝方、今まで沢山のお世話にあづかったホテルの人たちに感謝しつつ、最後に入館してホテルに別れを告げて来ようと思って立ち寄ったのですが、既に玄関前には多くの職員や関係者が集まって名門富士屋ホテルの最後の姿を惜しみつつ、閉館の締めをくくっていた最中でした。その様子を爛漫と咲く桜の花の下で感慨深く眺めていましたが、同ホテルの得意としたフランス料理のコック長を初め、調理の白衣をまとった料理人たちが一列に並んでいたのが印象的で、別離の時の、ひとしおの哀歓を誘ったのであります。奥山さんはじめ、親しく知り合いになった多くの職員たちの姿も、咲き誇った桜の,満開の花の間に見えかくれしていました。 

         名門の富士屋ホテルが幕を閉じ街の姿もかはりゆくなり 
         あるじなき富士屋ホテルの前に咲く桜の花が雨にうたるる
         半世紀近くに栄ゆ名門の富士屋ホテルの波にのまるる
         不動産開発業者に買い取らる富士屋ホテルのあはれ末路は
         近ごろの開発業者の気の荒くアベノミクスの良しも悪しきも
立ち退いた富士屋ホテルの周辺を手早く高き塀がかこめる
         エイプリルフールならば良しとも さに非ずホテルの桜の花と散りゆく
あと一年早く来たらばアベノミクス富士屋ホテルも身売りせずとも
         関西の金にめざとき会社来て馴染みのホテルを買いあさりゆく
         友ら来て人を招きて学び舎の富士屋ホテルの赤松の間よ
         師を招き友ら集ひて学ぶ日の富士屋ホテルの影は失せしも
         磯ふりに消えてホテルのあと虚し桜の花とともに散りゆく
                                                4月1日


消費税8パーセント 四月馬鹿、これは嘘じゃない

     4月1日から消費税が3パーセント上がって8パーセントに値上げされ施行されました。消費税が導入されたのは1989年の竹下内閣の時で税率は3パーセントでした。そして1997年の
橋本内閣の時に5パーセントに値上げされて以来実に17年ぶりの値上げとなりこれが二回目で税率は8パーセントになりました。消費税の値上げについては賛否両論、喧々諤々の世相でしたが、議論はだいぶ消化されたようで、世間的には抵抗感が薄れてきました。家計も企業も適切に対応して、消費者意識にも、企業家意識にも概ね浸透してきたことは幸いでした。消費税で得た税収はそのまま年金や医療、子育てなど全額社会保障に回されるということですから、意義あるものと考えなればなりません。あとしっかりしてもらいたいのは国自体であります。即ち、消費税の値上げだけで財政の健全化が図れるものではありません。政府と、行政機構の改革の絶え間ない努力が必要であります。行財政改革を着実に実行して、財政再建に繋げていくことが肝要です。小さな政府をめざし、同時に地方自治の確立のため、地方公務員のレベルアップに努め中央官僚機構からの脱却がなければなりません。
    今回の消費税率の引き上げによって納税者の税金に対する意識が、これほどまでに上がった経験がありません。国債残高が、国の借金が1000兆円を優に超す状況になって、国家財政はますます窮地に追い込まれれ、このままでは国際信用もままならない情勢です。いくら国債の消化比率が国民の貯蓄で消化されているとはいえ、残高の絶対額は世界でトップレベルと云ういただけない名声ぶりです。こうした状況は、何としても改善していかねばなりません。もとより消費税を上げたからと云って直ちに国家財政が改善されるわけではありませんが、国の借金に対する国民全体の心構えが違ってきますし、国家予算をどのように効率よく使っていくかと云う問題意識を高めることにもなります。国家の支出をできるだけ抑えて、国民の負託にこたえる工夫もなされていくでしょう。納税意識を高めることは、逆に収められった税金がどう使われていくかをくまなく監視していく機運にもつながります。これは健全な国家存立の基本条件なので、常にこうした国民的努力と心構えを以て赤字財政の慢性化から抜け出していかなければなりません。小さな政府の樹立は、国民の福祉国家の建設につながる前提条件だからです。   
    消費税が上がる前の庶民の買いだめ、買い走りは凄まじいものがありました。デパートやスーパーや商店街にはたくさんの人が詰めかけて、両手いっぱいに買いだめする風景がありました。景気の良さを物語って、気分は高揚していましたが、値上げが実施された後の反動について、みんなが不安視していました。施行前の駆け込み需要の反動で、客足が鈍ってそのまま不景気につながっては仕舞わないかと多くの人が思っていました。そうしたことが起きないようにと、国もいろいろとした景気対策を用意して見守っていますが、大した混乱もなく推移していくものと思われます。企業家意識も多くが賃金のベースアップに努め、購買力の向上に一役買っていることも明るい兆しです。日銀の黒田さんも定例記者会見で物価上昇の目標値はほぼ達成されていくと自信のほどを示しています。デフレ脱却は達成しつつあり、場合によっては目標以上に値上がりしているものもあって、弾みの怖さがむしり気がかりであります。大衆課税の普及が低所得者層の生活を圧迫しないよう、細心の注意を払っていく必要があります。
     拙宅でもトイレットペーパーや日用雑貨を買いだめするようなことはなかったものの、妻が消費税が上がる前に買っておきたいと思っていたものがあって、私には内緒でしかるべき時に決断して購入したものがありました。長い間使い切ってきたもので、既に切り替え時期を迎えているものばかりです。自由が丘のヤマダ電機に行って購入して来たものは、テレビに16万円、トースターや食器乾燥機、電子レンジそれに掃除機で、締めて約25万だそうです。3パーセントの増税分を節約したことになりますが、必要があっての購入で買いだめ、買い走りと云ったものとは違っていずれは買わなければならないものばかりでした。消費者の中には買わなくてもいいものまで買ってしまったという皮肉な結果になった人もいるのではないでしょうか。消費税で得したと思って今夜は外で何か美味しいものでも食べたいと云う妻の欲望で、尾山台駅近くの中華料理屋で夕食を済ませてきましたが、締めて8000円ばかり使ってきてしまい、何のことはない、得した部分は簡単に消えていました。野暮な話になりますが、私などは寧ろ家で一杯やりながら、のんびりと夕食を楽しみたかったのですが、妻にとってみれば家事が省けて外で楽に食事がたのしめたということでしょう。斯様に節税が逆に支出を促す結果になって、アベノミクスの景気刺激に徹底的に協力したことになったと、変な理屈をつけたりして一人合点しています。  

消費税値上げに庶民の生活の防衛に立つ小さき戦ひ
        行財政改革に立ち財政の再建のため努力期すべし
        ド・トールのコーヒー値上げの一割に消費税率上げしこの日に
        消費税値上げの四月一日より便乗値上げの割高多し
        いざ金をわんさと使え国のためデフレ脱却の道をめざして
                                              4月2日


       緊迫のウクライナ情勢 G20の分裂回避

     ウクライナ情勢を巡って分裂騒ぎを演じていたG8に代わって、先進国と新興国が集まるG20が分裂を回避して共同声明を発表した。ウクライナ情勢の政治的対立を当面棚上げして、経済優先で危機を開始できたことは素晴らしい成果である。G20の崩壊の上、G20の会議もタイ理知船名の情報を受けてニューヨーク株式市場も。東京株式市場も急落して、世界経済に悪影響をもたらすことが大いに危惧されていたが、ひとまずこうした状況を回避できて、週明けの東京市場の反発が期待されるところである。それにしても民族主義から発した独立機運は、特に旧ソ連邦から独立分離した分派で、内紛をお越し民族主義を煽ってロシア編入を策謀するグループの台頭で不安定な状態である。民主主義制度になれず、経済基盤の脆弱な国家を直撃して、何かと騒動を起こしかねないでいる。その背後にロシアが関わっていることが多く、プーチンの領土拡張主義の旧態然とした帝国主義的思想が亡霊のごとく覆いかぶさっていることはいがめない。ロシアにしてもウクライナのような経済的困窮を極めている諸国は多いので、仮に併合しても財政危機を増幅しないとも限らず、米・EUとの妥協点をどこかで見出さない限り安泰とは云えない矛盾相克の事情がある。今やプーチンも、世界が経済的網が膨大複雑に張りめぐされてされて、複雑に相互に機能している実態を看過することはできない。単に天然ガスを武器にして戦えるものではない。他国の不利益は、自国の不利益に跳ね返ってくる経済である。冷戦時代に逆戻りするわけにもいかない。プーチンとオバマの云いあいは、ハブとマングースとのにらみ合いだったが、さしあたり双方かみつき合うこともせず、怪我がなくて妥協点をつかみえたことは良かった。これを踏み台にして、米ロが我慢図よく歩み寄っていくことだ。狡知的なプーチンの罠にはまることが最も危険だが、EUも対ロ決して一枚岩でないし、アメリカもいろいろなところで小競り合いが起きているから力の分散は避けられないでいる。そこを突いてくるプーチンには警戒が必要である。
自国の経済的不信を顧みず、やたらと大国の経済にすり寄って依存主義から脱却できない旧東欧諸国が物議を醸して後を絶たないでいる。いくらグローバルな世の中になってきたとはいえ、こんなとばっちりを受けていたのでは、たまったものではない。義務と責任をないがしろにして権利と金ばかり主張して暴れまくる連中が多く、知的レベルも低いから国民がいつも犠牲に立たされている。もっとも国民が一般的に高い教育制度の普及と自覚を持つに至っては、権力の行使をほしいままにする権力者にとって、好ましい状況ではないからである。勢い強権的政治を布くようになってくる。そうした政体には権力者にすり寄り、政治家や官僚の思想は腐敗が蔓延して汚職が絶えず、腐敗しきって体制は維持しえなくなって、いずれは崩れる結果になる。そうとはわかっていても一度味を占めた悪魔の誘惑を絶つことはできない。いみじくも、それは古今東西の歴史が物語るところである。世界の政治家には驕り高ぶった後の断末魔に気付かずに、最後まで粘るおっさんがいるが、大統領や首相の執務室の壁には、近くの歴史にあったチャウチスクや、アサドの肖像画と、その断末魔の状況でも大きく張っておいた方がいいのではないだろうか。権力の座にしがみついて暴虐の限りを尽くせば、奈落の底に落ちていくこと必定である。奢れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如しである。             4月12日

富士ビューマンション行

    富士ビューマンションの管理組合の年次総会が、11日正午から現地の御殿場ゴルフ倶楽部のクラブハウスで開いたので、朝9時半に家を発ち、車を運転して東名道路をひた走りして予定の時刻の11時に現地に着いた。富士ビューマンションは御殿場ゴルフ倶楽部とベルビューゴルフ倶楽部とがある敷地のなかにあって、同じ管理の中にある。マンション自体も完璧な管理運営を志しており、今までも無事故に来ていることは幸いである。この日は快晴に恵まれ、小田原を過ぎたあたりから雪を戴いた富士の麗峰を正面に見ながらアクセルを踏んで気分は爽快そのもの、浮き立つ気持ちを抑えることができないくらいであった。久しぶりに長距離の運転にひとり出発しただけに躊躇するところもあったが、思い立ってみたら気分爽快なドライブを味わってきた。家内からは途中の運転を無理せずに休み休み行くように言われていたが、大型トラックに追い越されると追い越し車線に出て、追い返して遠ざかっていく時の気分は醍醐味だった。だからと云って速度制限を違反してまで走ることはなかった。娘が好んで求めたBMWは車体が頑丈で走り出すとエンジンの快適な音もそうだが、タイヤが地べたに吸い付いて安定感があり、加えてスピード感が味わえるのが魅力であり、なおも安定感の増幅につながってくる。あっという間に御殿場インターについてしまった。通常は138号線を箱根の乙女峠に向かって途中から箱根スカイラインに入って長尾峠に向かうコースと、いきなり三島に向かって行く道を利用して途中から左折して御殿場ゴルフクラブに行く道に入っていくコースとがある。この日はあとのコースを選んだ。二岡の公民館まえを右折していくと、のどかな田園風景が視界に入ってくる。右手に大きく富士山を眺めながら折から満開の桜を楽しみ、春爛漫の季節を楽しんでいくことができた。この辺りに土地を広く持っていたならばよかったなあと残念に思いながら、若い時の意気盛んな行動を振り返ったのである。この辺りは古くから元首相の岸信介や日銀総裁を務めた一万田などが別荘を構えていた地域である。ここでのどかな風景を見つけた。田圃に入って土を耕す農夫を見つけて、何となく安堵感の湧くのを覚えたのも嬉しく、若い時から憧れていた百姓生活の楽しさに思いをはせたのである。南向きの屋敷を以て、広々とした田畑を前に控えて、そこから富士の山を毎日眺めながらの生活はなんと恵まれた時ではないだろうか。鶏を放し飼いするのも実に楽しいものである。計画は人生設計の一部であり、やってやれないことはないと、今からでも遅くないと思いながら車を運転していた。
     御殿場ゴルフ倶楽部について、早めの時間を利用してクラブの管理会社の社長と要談して話し合った。同倶楽部と、さらに上に広がるベルビューゴルフコースについて経営上のことも含めて話を伺ったりした。御殿場ゴルフのコースはすべからく、富士に向かって球を打つといわれるくらい、コースはアップダウンがあるものの常に富士山を左右前後にして球を打ってゆくので、気分は優雅であり豪快でもある。この日も晴れ渡った空に富士の麗峰を眺めながら、話し合いは滑らかに進んでいった。その富士さんは、真っ白な雪の頂がさんさんと輝いて、折から満開の桜の花に、巨大な冨士の山は他を圧倒し、雄大にして妙なる姿を置いていた。正午から総会がこのクラブハウスの会議室で始まったが、出席者時は三十余名、その前に豪勢に用意された昼食を戴いて和気あいあい、例年通り議長を務めた私は、事務局長の市川さんの司会で議事をスムースに進行し、議案である重要項目の議案であった各項目の審議と決議も順調に進めていくことができた。懸案のエレベーターのリ二ューアルの問題についても全会一致して予算の承認を得た。そこで東芝初め、SECその他の工事責任者から説明を受け、一気に決議に持ち込んで異議なく承認を得た次第である。このマンションには50世帯が利用して夏に避暑地として活用している。建物は古いが、私が理事長を務めている約15年間の間にも、三回ほど内外の改修工事を行ってきている。最初の時は、1億3千万を予算として計上、これを実施して完了したことがある。今回も例年通り決算、予算の審議と決議を経た後、全会一致で決議し、更にはエレベーターのリニューアルに取り掛かることも審議し、決議した。かくして閉会を宣して職責を恙なく果たしてきて、みんなの協力を感謝しているところである。富士ビューマンションの管理業務もこれから先一年間、これを以て円滑に進められていくことになる。いつ来ても快適安全なリゾート生活を満喫していただけることになる。

     閉会後、私は素早くみづからの行動に移し富士ビューマンションに行って部屋に入り、ベランダのカーテンを引いて風を入れ軽く掃除機をかけるつもりでいた。瞬間、一瞥した富士の全容に改めて圧倒される思いで、その場に立ちすくんで雄大な絶景に見とれていたのである。富士の姿は刻一刻と変化して留まることをしない対象だから、鮮やかに。変幻自在にその姿を変えてしまう。いえることは、ここから眺めた富士の山は、四季折々を通じて天下一の景観だということである。
    遠くから遠望できるこの白亜のマンションは6階建てで、箱根連山のほぼ頂上に位置している。ここから伊豆スカイラインを通っていくのであるが、道路は延々として伊豆の最南端の下田に続いている。このマンションの玄関を出ると、すぐに長尾峠の長尾隧道をくぐりぬけると、その先は箱根仙石原と空を境に広漠とした箱根の大パノラマである。ここは長尾峠をトンネルで出たところの展望台だ。つい最近までここに峠の茶屋の店があって、軽いお茶が出されていた。今はその小屋が取り払われて、景色を遮るものがなくなり、眺望が開けて、視界は広々として爽快である。眼下は箱根国立公園を一望する絶景を鳥瞰し、芦ノ湖や仙石原に点在するゴルフコースや、モザイクのような平原に立つホテル群と、さまざまに眼下の遠望を楽しむことができる。正面には赤茶けた山肌を晒して箱根山がそびえ、火を噴きだすように煙がたなびいている。一望する全景は絵のように麗しく、三百六十度の半分を手中に収め、油絵をなぞったように堪能できるのが何とも言えぬ醍醐味である。背後は県境を示して屏風のように連なる箱根の山々である。仙石原には古くから名門の仙石原ゴルフ場があるが、これは富士屋ホテルの経営である。今回、富士ビューマンションの総会を現地で開いた理由は、先にも述べていたように、東京八重洲富士屋ホテルが閉館されてしまったからである。残念ながら、定例総会を開くことができなくなってしまった。私にとっては長い間、それこそ開館以来、愛用してきたホテルだったがゆえに、人手に渡ってしまった今の姿は耐え難く、且つ惜別の思い切なるものがある。
    ところで富士ビューマンションは、もともと暑さに弱い母のために買い求めたもので、つれてきては富士の麗峰はもとより、長尾峠のこの場所から、この絶景を楽しんでもらっていたが、その時に撮った写真が今でも大事に飾ってある。ここから仙石原に下って行く道は極めて狭く、蛇行を繰り返していく7キロほどの道のりだが、夏の間は蔽い茂った樹木でわからなかった景色が、芽吹く前のこの時期には枯れ木の間をすっかり見通せて、万感の思いで見ることができた。いつものコースだと、緑の並木道の138号線に出てから、仙石原までの緩やかな下り坂を走り、最初の交差点を過ぎてしばらく行くと、右手にハイカラな小田急ハイランドホテルが目に入ってくる。このホテルの雰囲気が気に入って、私はいつも庭に面した広いロビーでコーヒーを注文して、ゆったりとくつろいでくるのが楽しみになっている。家族と一緒の時も、もちろん楽しみのコースとしていた。毎年の夏を箱根の別荘で過ごす相互施設の城戸さんも、好んでこのホテルに立ち寄ってお茶を飲んで休憩をとっていくようである。夏の季節の間に何度か、ここでぱったり出会ったりしたことがあった。城戸崎さんは私の事務所のビルのオーナーで長年お世話になっている。
    ロビーから庭園に出て、せせらぎの地に足を延ばして奥まった川べりに赴いていくと、さわや時かな風に当たりながら、時折聞く鶯の声にじっと耳を澄ましているのも、都会では味わうことのできない自然の甘美な息使いを感じてくる。妻もつれてきてやればよかったと、しかし用事を控えているというから仕方がないとして、ひとり漫然として逍遥している気分も、自由放漫に過ぎて、まんざらでもない心境である。帰りには下ってきた庭園の坂道を一気に駆け上っていき、心臓のポンプを鍛えて若返ってきた。午後三時を回っていたが、あと一泊するのも用事を控えていたので断念し、そそくさと帰途につくべく、乙女峠を越えてくると御殿場の二岡で豪華絢爛に開かれていた桜祭りに気づいてハンドルを右に切ってUターン、満開の桜並木を潜り抜けてきた。豪華絢爛の桜の花の光景を心に刻みつけて一路、東名道路を快走して無事帰宅した。その間の所要時間は一時間三十分。あっという間の快適なドライブであった。総会の議事進行を無事にすませてこのたびの富士ビューマンション行は、世俗の騒情を離れて僅かな時間だったが、大自然の清澄な世界の空気に触れて、心身ともに充分に清め癒されてきた。そして明日への勤労に再び、清新な気分を以て努めることが出来ることを感謝している。   四月13日

      東名の高速道路を快走し真なjかに迫る富士の麗峰
      富士やまの七段目ほどの嶺になほ真白き雪の光るこの春
      桜咲く二岡をすぎて春かすむ雪の富士やまでかく迫りく
      二の岡を過ぎ里やまののどやかに春の峠をさしてゆかむや
      春の日の光を受けて里やまの人のけはひののどかなりけり
      御殿場を過ぎて二岡の里に出で桜並木の下を行くわれ
御殿場の桜まつりの花をめで二岡の並木みちを行くわれ
      ふかやまの人恋しさに山鳩のほろほろ啼くきて後につきてく
      にわとりの声のどかなりのびのびと昼のさがりの春の里やま 
      箱根路のみやげ屋に入り陶器場の素焼きの壺にえがく富士やま
      陶器場の素焼きの皿に富士やまを画き藍いろに染めて焼くなり
      里やまに青き夕餉のけむりたち地酒をつぎてひとり飲むなり
      せせらぎの音をたづねてふみいりし山路に咲ける白ゆりの花
      恋しさのつのる旅路の山の端の蒼きを見ればおもふふるさと
      久々に訪ねし御殿場ゴルフ場富士に向かいて打てる白球
      豪快に打てばみそらに富士が嶺の真しろき雪に消えし白球

韓国の海難事故


韓国の大型旅客船・セウォル号が乗客・乗員475人を乗せて韓国南西部の珍頭沖で沈没し,安否不明者が272人もいて、悲惨である。沈没寸前までの2時間余までに救助された人は179人と云われているが、なぜもっと多くの人が救出されなかったのだろうか。多くの疑問を残している。乗客の中には済州島に行く修学旅行の中学生たちが約300名余いて安否が痛ましく気づかわれてならない。全員が、一刻も早く救出されることを祈るばかりである。
     事故現場は海岸から20キロ程の沖合にあるが、悪天候で波が高く、もともと潮流の激しいところと云われている。現場海域には船舶170隻、航空機29機、約520名の潜水士が救助に当たっているが、横転した大型客船の中に閉じ込められた乗客を救出するべく必死の救助作業が行われているが、三日も経過した今、時間との闘いである。ちまちました船がいくら沢山出ているからと云って、十分で実効的な救援体制が採られているとは言えない。
日本は海上自衛隊の艦船派遣を含め、人命救助のためあらゆる技術を以て素早く救援の申し出を韓国政府に送ったが、なぜか今以て救援要請の返事がないでいる。アメリカも第七艦隊の派遣を申し出ている。こうして見ると、韓国政府は緊急時の危機管理と対応が杜撰で、忸怩たる思いである。素人考えだが、第七艦隊の巨大な艦船が隊列をなして難破船近くを近くを横付けするだけで、大きな横波だって多少は防げるのではないか。生存者の救出のために、早い段階で空気を送り込むことだってできるのではないか。船体が更に海中に沈まないように舟を支えたり、吊り上げることだってできるのではないか。なぜ救援の要請に素早くこたえないのか。
     船内に閉じ込められている乗員は、恐怖と戦い、冷水につかって激しい体力の消耗にさらされている。一刻の猶予も許されないはづである。緊急事態に政府関係者を引き連れて現場を訪れた朴大統領だが、被害者の家族たちが苛立ちを見せて非難し、救難、救助にもたつく政府、大統領に激しい怒りの言葉を浴びせている今日の各局のテレビ映像である。それらを見る限り、救援の決定権を持つ彼らが、のんびりしている状況ではない。危機管理体制の能力欠如の表れか。自国民の犠牲を最小限に抑えるためにも、韓国政府は全力を挙げて取り組むべきだ。若い学徒が、200名以上も船内に閉じ込められている。  4月18日     



     裏の庭に立つ大欅

     日曜日の朝、玄関のベルが鳴って裏のお宅の若奥さんが見えました。裏に高く立っている老木の欅の木を切ることになったという知らせでした。一瞬、やるせない気持ちになりました。今年になってそういう話が出ていることは、薄々知ってはいましたが、それが二十二日に予定していると告げられると、受け止め方に切実な思いがしてきます。最近の異常気象で、突然の強い雨、風に大木が吹き倒されることがしばしば起きています。欅の巨木は、云われてみると僅かに傾いてきていることが分かります。根元の地面に地割れを起こして、土が幾分盛り上がってきているようにも感じます。万一それが強風や、地震によって揺さぶられて、拙宅の上に倒れて来たら、もちろん我が家はその巨大な欅の重みに押し潰されてしまうでしょう。それを案じた屋敷のあるじの決断だったに違いありません。私は欅を伐る前に何とか他に打つ手はないものかと思ったりしますが、なかなか思いつくことが浮かんできません。伐り倒さなければならないとうわさに聞いていたときには、既に仕事師を手配してのことでした。窓から見る欅の全景は、そうした懸念など微塵も起こさせないほどに堂々として、圧倒的な力を以て迫ってきます。その姿を見ていると私は又、むやみに奮起づけられて若返ってくるのです。実は三十年ほど前の拙宅の普請の時に、この欅の木の全容を眺められるように、敢えて大きな窓枠を作って特殊なガラスを張ったくらいです。それほどに長い間、愛着のある樹木でした。
    周辺を見下ろして高く立つ欅の木は、樹齢三百年はあるでしょうか。幹回りは子供二人が抱えるほどです。少し離れて眺めてみると、拙宅の屋根の上にさらに大きく伸びています。その美しい先端の枝ぶりを見てからでないと、我が家の玄関には入れません。高さは20メートル以上はあるかと思います。長い歴史をきざんで、力強く育ってきた木の立ち舞い姿は、大空を指してすっきりと伸びきっています。屋敷のあるじが若い時から木に登って、自ら枝を払っては丹精込めて育てて見守ってきたと云われ、愛情をこめて手入れをしてきた様子がうかがえます。
    邸宅の庭は数寄屋造りに合せて、和風の優雅な作りになっています。大きな庭石を豪勢に配置した中には、四国から取り寄せた蒼石などもあって趣きがあります。植えられている樹木には松やマキノの樹など大小さまざまに、手入れの難しい名木もあって、贅を極めております。あたかも京都の茶屋の庭に入って庭を楽しんでいる風情です。そうしたところに、あるじの古風で豪壮な気概が伺えてきます。広い庭には毎年四,五人からの庭師が入って手入れを怠りません。そうした中でこの欅の大木は、どこか趣きを変えた雰囲気ですが、盆栽の欅をあしらうように手入れが行き届いています。丁寧に余計な枝を摘めてきたけやきの立ち姿は、ほっそりとして誠に優美であり妖艶の一面を持っているところが、何となくつややかな味わいを覚えて来ます。八頭身のファッションモデルを想起させます。
   欅の大木は、古くはこのあてりにケヤキ並木があって、この木はその中の一本とも言われています。ところが屋敷の立派な庭にふさわしく、造園の技を駆使して配置されているようにも思えます。見上げていると、孤高の趣きが凛として一段と輝きを帯びて我が身にも迫って来るようです。人様の屋敷の庭を身近に楽しみ、そこに力強く生きている大樹に触れては触発されている自分を、感謝しているのです。しかしそうした大樹も、玄人がみると風雪に耐えきれず、少しずつ傾き始めているというのです。万一にも倒れたりすると、その時の周りに及ぼす被害は甚大だとも言っています。ぶざまな姿は見たくないという主人のいさぎよさがあるのでしょう。けやきの気持ちを知っているのは主以上にないからです。
    春先のみずみずしい芽吹きは、樹木の冬眠からの復活を告げて躍動的です。全身が力強く、生命力で波打っています。桜が散って葉ざくらになる今が、ようやく欅の芽吹くその頃に当たります。うっそうとして生い茂る小枝の葉は、夏の風に吹かれてしなやかに涼しい風を送ってくれます。時には、たくさんの小鳥たちの憩いのかげでもあります。ある熱い朝に、太い幹には蝉が沢山止まってゆっくりと上に向かって登っていくのがみられました。日なかの猛暑に一斉になき出すこともあって、時には激しい夕立のように鳴きしきっています。夕日を浴びて聞く蝉しぐれは、拙宅での夏の風物詩でした。
    秋の紅葉の頃の美しさは又、想像を絶するほどに絢爛として、まるで屏風に描いた錦絵のように圧巻の風情すらうかがえます。黄金色に染まり始めた木の葉は次第に色を深めて、晩秋の頃は真紅に色づいて、いちもく全体が炎のように燃えさかります。その光景は、まるで速水御舟の描く「炎舞」そのものの妖艶な姿に変身して、神秘的です。そおした四季折々の様子を毎日何度となく眺めながら、私にとっても早や三十年余がたちました。憂い悲しむときには欅の大木を眺めていると、不思議と心の底から力が湧いてきて、艱難辛苦に打ち勝つことが出来ました。欅から云いがたい霊気のようなものを与えられ慰められたことは度々あります。思いは感慨深く、今朝もまた妻と拙宅の前に立ち、高くそびえたつ欅の巨木を眺めて、その木肌に手を触れて黙想し別れを惜しんでいたところです。 
    今日はイースターです。キリストの復活を喜び祝う日です。孫の二人、佳ちゃんと麗ちゃんが昨夜から拙宅に泊っていますが、今朝は双子の可愛い姉妹のあきちゃんと、ゆきちゃんが拙宅で合流し、一緒にイースターの教会に行くことになっています。聖書では次のような教えの言葉があります。目に見えるものはいつか朽ち果てることがありますが、目に見えないものは永続的な存在として永遠の命を与えられていきます。目に見えるものは肉体であり、目に見えないものは、その人そのものに備わって、神さまからあたえられた霊であります。私は考えました。神様の愛を広く万物に広げて、そうした力が、この愛する欅の木にも宿っていることを願い又信じてやみません。仮に伐られて、この地での生命が絶たれても、再びいつかどこかの大地で、きっと新しい生命の息吹を繰り返して、聖書が教えるように復活していくことでしょう。   続 

          ごつごつと豪気に枝をよもに張り太きケヤキの空に伸びたつ
          太古より語りつぎけむ生命の強き力を今に示せり
          太古より大樹の大地に立つごとく我も同じくここに立つなり
          宇宙さし空高く立つ大けやき四季折おりに意気をしめせり
          大ケヤキ宇宙に広くく葉をひろげ月と星とを憩ひ宿せり
          語り合ひ樹齢五百と数ふ歳 威厳に神のおわします哉と
          ふたりして抱えるほどの幹ゆへに見上げる丈も空に突き出て
大ケヤキまろき宇宙に葉を広げ長き銀河をからめ揺れをり
          豪勢に枝をひろげて碧き夜のきらめく星座をなべて収めり
          おとなりの欅の巨木立つされど傾きおれば伐らるさだめに
          大けやき巨木の幹の下の部のほくらとなれば神酒をささげり
          近ごろの異常気象のあほりとも強風、豪雨に命さらさる
          今むかし思い起こして大欅けやき仰ぐ我が身に奮起わきたつ
          大ケヤキ傾きおれば危うさに庭師によりて伐り倒されるると
          老木と云へど若やぎ生きかへり芽吹きのときのよみがへるさま
          高々と仰ぐけやきの躍如たりあな厳かに手をあはせけり

                                                四月二十日


オバマ米大統領の来日

     国賓としてオバマ大統領が23日の夕方羽田に降り立った。夕食を安倍首相と銀座数寄屋橋のすし屋(次郎)によって酒が入り、上機嫌の第一日目を過ごした。安倍さんの靖国神社参拝のあと、アメリカ政府に、日本のアジア政策の対応に(失望した)と言わしめて以来、日米関係は冷え切ってしまったが、今回の訪日の機をとらえて日本としても、起死回生に臨んだ安倍政権である。
     無駄な時間をすごしてきたが、その間、逆手をとって中国の海洋進出は拡大して周辺諸国を脅かしてきた居る。安全保障上、日本はアメリカとの同盟を強固なものとして自国の安全を確たるものとしなければならない。ここで中国の進出を食い止めなければ、千載一遇の機会を逸することになる。共同声明で尖閣諸島は日本の施政下にあり、当然のこととして、日米安全保障条約の対象になるとの認識で一致を見たことは、安倍政権にとって最大の収穫であり、歴史に残る快挙である。でせかしたぞ安倍ちゃん! とエールを送りたい。
     TPPで難航しているが、そもそも出遅れてTPP参加のテーブルに着いた日本である。多少のデメリットは仕方がない。しかしそもそもTPPの精神は、関税の障壁を撤廃して多国間貿易を円滑に進めて平和裏に貿易の拡大を図ろうとするものであって、例外規定を設けるようではその根本精神に反することになる。場合によっては段階的に進めていくことも議論されることであるが、自国のみの利益を優先して考えていくものではない。その精神はこれからも堅持していくべきである。前進のためには痛みを生じるが、より充実した環太平洋の経済連携協定を遵守して、発展的目標を目指さなければならない。
     今回の短期間の、オバマ大統領の訪日であったが、実に精力的に行動した成果は、安倍ちゃんとオバマちゃんとの誉れある合作であり、その成果は歴史に残るものと評価したい。問題解決の基本は、力による解決でなく、平和的に事を進めていくというもので当たり前なことを確認したわけであるが、その背景には日米同盟の揺るぎない姿勢を確認し合い、内外に発信したことである。オバマさんは、大役の成果をあげて、今日韓国に向けて晴れ渡ったアジアの空を飛び立っていった。
     随所で見せたオバマ大統領の風格、識見、品格と云った人間的な深い側面も見ることができた。日本の政治家に見習ってもらい、特に不勉強で、ぼやけている国会議員諸侯に警鐘を鳴らしたいところである。      

精悍なオバマ大統領に威厳充ちなほ親しみにあふる人柄
        国賓のもてなしを受け寿司を食ふ修行の若き日のあればこそ
        中国の覇権進出に狼狽すアジアにくさびを打てるアメリカ  
        日米の堅き同盟を打ち出して尖閣諸島の不安はらえり
        日米の安保条約を堅持して中国進出に向かふこの国
        アメリカの世界政策に山積す課題に取り組むオバマ政権 
        失望を抱くアメリカに安倍さんの真摯に向かふ姿勢良きかな
        口先の友情ぐらい軽薄に嫌味に聞こゆ言葉なきなり
        靖国の参拝以来この国に益をもたらしたるはなきなり
        これほどにTPPの重要性肌身に覚へ関わりあふに
        早ばやと日本を離れ韓国へアジアに飛べるバラク・オバマよ 
何かにと云ひ争ひつことをなし早くも五月に入りしこの年       4月27日

              始まった大型連休

    消費税が5パーセントか8パーセントに上がって初めて迎えた大型連休は、人によっては昨日から始まりました。消費税が上がっても、大型物品は別として日常の消費行動にさしたる変化が起きていないことは幸いです。安倍さんの推し進めるデフレ脱却を目指す経済政策に少しでも影響を及ぼすことがあってはなりません。住宅や自動車などの大型の物品については、その後の売り上げに大きな減少がみられますが、その他の小額物品には大きな変化がみられないことは幸いであります。大型連休に入って多くの人々がたくさん、健康的に消費にお金を回してくれれば、景気の減速と云ったことは避けられて、この先安倍さんの勧める経済政策に確信を持つことになるでしょう。今後の景気動向を占う点で、この大型連休の消費行動に大いに注目したいところです。
健康的にお金を支出して安倍さんのアベノミクスに参加して、政治意識を持つことはそれなりに大いに意義があると思います。絶好調の安倍さんも休日返上で近隣外交を展開したあとは、ヨーロッパ各地を歴訪して、積極的平和外交を推し進めていくとのことで、休む暇もないほどに多忙な日程に追われています。ご苦労さんとその労をねぎらいたいと思います。暦通りでいけば4月の30日と五月の1,2日を上手に休日とすれば、11日間の大連休となります。しかし安倍さんと同様、実際に毎日仕事を続けている人にとっては、こんなに長く休日をとることは不可能なことです。日本だけに通用するこうした連休は、毎日動いて連動する国際社会ではなかなか応用しにくいものです。社長であれ従業員であれ、企業や事業に直接かかわっている人には、日本的な伝統に合わせて、お正月と盆の休暇が実際には有効に活用できるものと思われます。
     一年に一度のこの季節の連休は、列島が正に新緑に燃える絶好の行楽時期にも当たります。これに合わせて日本各地では、それぞれ郷土色豊かな伝統的行事が企画されて、集客に役立っています。久しぶりに海外旅行をする人たちも気候的には、この時期は最高なのではないでしょうか。丁度外国から日本に観光旅行に来る外国人が、最近とみに急増しています。東北大震災以降激減した外国からの観光客が盛り返してきたことは喜ばしいことです。私の職場のある八重洲、銀座界隈には、多くの外人観光客が目立つようになり、故郷の浅草でも最近に見ない大勢の外人観光客でにぎわっています。これから始まる浅草三社祭にはかってないほどの人気を博して地元観光連盟も多きな期待を寄せて、さらなる集客のために尽力しているとのことでした。
     最近考えることがあって私も、もう三十年歴史の歯車を逆に回せるせることができたなら、どんなに幸わせな男だろうと痛感する毎日です。今の状態で三十年前の時代に自分が立っていたなら、随分と大胆で、奇抜で成功率の高い仕事を仕掛けて駆けずり回り、大いに意気を高めているだろうと、かなり欲張った想像をしています。しかしそんな想像をしていると、だんだん現実に近い問題として、かなり高度な思考が働いてくるようにも感じてきます。自ら編み出した回春法とでも言いましょうか、決して効果の無いものでないこともはっきりしてきました。誇大妄想狂とは全く異なった次元の、精神分析学の分野に属するものです。小保方さんのスタップ細胞のイメージとも違います。私の方が極めて革新的な、確信的データに基づいており、実現性があります。私自身の意識のチェンジの可能性次第と云うことになります。老化した細胞を意識の持ち方で回春させることができれば、体内にみづからのスタップ細胞を作り上げていることになります。これを大脳に張り付けられれば尚好ましいことなのです。スタップ細胞の考え方、議論の仕方を見ていると万事に当てはまることなのだと、何もスタップ細胞に限ったことでなく、科学と云うのはある仮定を想定して実験を繰り返し、真実に迫っていくこともできるわけで、目くじら立てて云いあうことでもないようです。
    折角の大型連休を細切れにしてしまうのは実に、勿体ないことですが、俄かに考えてとった行動は、昨日から始まっています。相変わらず仕事上の忙しさで外国旅行ができないことから、周辺で消化できる行動範囲で、これから小刻みに連休を人様並みにつかっていこうと思いました。手際よく手当たり次第に、効率よく、満足度を高めながらだと思いました。ここまで書いて来たら一体何を云おうとしているのか、何を画こうとしているのかわからなくなってきましたが、これこそ一つの自己満足で支離滅裂を以て良しとする小生の思考であります。混とんの中から、真理を掴むことができるという弁証法であります。
     連休の第一日目の昨日、朝食をとってからとりあえずいつものように出勤体制を組んでみました。そこで今日は欠勤を決め込んだと想定して、朝の十時から二階の寝室のベットに横になり、約一時間の朝寝を決め込みました。特質すべきことは快便を果たした後の睡眠だということです。目覚めたときの、快眠のあとの何という爽快さでしょうか、筆舌に表しがたきものです。精神的余裕を持った睡眠の、いかに充たされたことでしょう。肉体の底からとてつもないエネルギーが湧いてくるのと同時に、精神的充実感を以て大脳が明晰に活動し、思考が積極的に動き始めていることが分かります。身心の爽快さを先ずもって味わうことが出来ました。
    まだ午前中の十時半です。かねてから気にかけていたことで尾山台駅前のアサオカ歯科医院に電話して、不要になって痛みを覚えていた親不知を先週抜歯したのですが、その後の治療はないのですが、検証に行くべく連絡して12時の予約を取りました。まだ親知らずがあるんですかと妻が笑っています。雲一つない爽やかな快晴の日です。若者が着るユニクロのはやりのスーツを身に着け、紳士靴を履いて出かけました。礼式ばった場所でもないのに、紳士靴を普段に履いて出かけるのはいかにもちぐはぐだと山の上が云うのですが、私の習慣と云うか好みと云うか、散歩用のスポーツ靴はどうも気に入らないので仕方がありません。昔友人の大塚さんからもらったメッシュの粋な紳士靴がありますが、これはかなり高価なものと靴屋さんが言っておりました。気が向くとそれを履いていきますが、履きつけてきたせいでしょうか大分気に入ってきました。道のりを丹念に調べていくと尾山台までのわずかな距離ですが、樹木が多く、いまだに畑が残っている環境は素晴らしく、田園調布よりも大変面白く散策を楽しむことができます。都会にもこうした環境が守られてきていることが不思議なくらいです。独立して縁あって浅草からこの地に住みついて四十年余が絶ちますが、いまだに新しく発見して感動を覚えることが沢山あるのです。
    そうめんを茹でてさっぱりと昼食をとりたいと思っていたのですが、家内が外で食事をしたいというので、蕎麦好きな私は、近くのぎん屋と云うそば処をたづねました。一方で久寿屋と云う老舗が尾山台駅にもあります。透かしやで大ぼらを吐いて、むしろ愛嬌のあった江崎と云う学友がいました。日吉からわざわざその蕎麦屋に食べに来る姿を尾山台で見て驚いたくらいです。外での食事に蕎麦やを選んだ理由は、一昨日、仕事上の先輩に誘われてフランス料理を思い切って食べてきたからです。銀座からJRに乗って川崎に行き、そこから南武線に乗り換えて武蔵小杉の二つ先の駅の武蔵新城と云うところまで出かけて行きました。フランス料理をだべるためにわざわざそんな遠くまで行く必要もないだろうにと思うのですが、それにはわけがあったのです。仕事上の先輩は御年、八十八歳の男性で、かくしゃくとした紳士です。私はどうゆうわけか若い時から年配の人に好かれるタイプで、何かと甘えては良き薫陶を得てきていることは大変恵まれた性格だと感謝しています。武蔵新城行は、大先輩の意向で、そこの若いママさんにどうも気があるようなのです。若くて独身のママさんがひとりで経営しているとのことで、私も大いに興味を惹かれてあとについていくことにしたわけです。そこでの艶めいた印象は別の機会に書くとして、私もその夜はフランス料理を楽しんだ折、上等のステーキを贅沢に食べてきたので、今日は粋なレストレンを訪ねて洒落ていくのに躊躇していたのです。蕎麦処のぎんやは、目黒通りに面した交差点に在って駐車場も広くとってあり交通至便で、普段でも時折行くことがあります。平屋造りで店内は広々として明るく、何時も来客が絶えません。ここの蕎麦は舌触りがよく、味に厳しい山の上がおいしいと褒めるくらいです。好きな具も好き勝手に注文することができ、蕎麦通にはもってこいのところではないかと思います。私はどこに行っても専ら盛そばに徹しています。おいしい具も私にとっては、本格的な蕎麦の味を味わうにはむしろ邪魔になってきます。
     二時を過ぎた昼食だったので、客人も少なくのんびりとすぐした後は、すぐ近くの等々力渓谷の散策に出かけることにしました。環八をわたると右手に等々力不動尊の境内があります、新緑の盛りを迎えて境内と周辺一帯はもえぎ色の色に包まれて目にも鮮やかに輝きわたっています。ここを参拝することの便利さは、清潔に行き届いた駐車場があることです。最近は等々力渓谷の名が観光的に知れ渡ってか、大型観光バスが横付けになって、参詣者が増えてきています。都会の中に今も清冽な渓谷美を満喫し、深々とした樹木の影に武蔵野の面影をしのびながら、優雅な時間を過ごすことができます。桜の時期には春爛漫の光景となって、馥郁とした香りを身に沁みさせてあたりを散策する気分は、みやびの世界を逍遥するようなものです。小ぶりな山門をくぐると、敷石が詰めれれ参道を本殿に向かって歩いていくと、本殿の奥まった拝殿に灯りがともされて、森閑とした趣きに厳かな雰囲気が漂っています。本殿右手には広々として庭園が野性的に広がっていて、見晴らし台から眺めると、武蔵野の雑木林は多摩川の堤まで続いていると思われるくらいです。この脇から階段を下っていくと深い渓谷の踊り場に出ます。下ってきた階段を振り返ると樹木のトンネルを見上げるようで、その落差は五十メートルはあるかもしれません。そこの岩肌を滴り落ちる湧水は一筋の滝となって、行者の水浴の霊場となっています。この辺りから渓谷の川上に向かって約一・五キロの澄んだ水の流れが、深い樹木に覆われた下に続いていき、東急大井町線の小さな等々力駅の袂のゴルフ橋まで繋がっています。
     この道のりをゆったりと歩いていくと、まるで十和田湖の奥入瀬渓流を小さくして、好きな恋人を連れて夢路をくぐっていくような錯覚を覚えてきます。今日の好きな恋人を演じてくれているのは、大事なわが山の上さんでありす。お不動様にも、この先の玉川神社にも、子どもの小さい時に良く連れてきました。小さいころから、素朴な信仰心を持たせることは、子どもの教育にとっては欠かせない大事なことであって、近くにそうした場所があることも人生の確かなめぐりあわせと、見えない糸の導きに感謝しています。テレビやスマホに夢中になってお宅族が増え、外で遊ばない子供たちは急増しています。お寺や神社の境内で、思う存分に遊んでいる子供たちのわんぱく姿をすっかり見なくなりました。これでいいのかと聊か心配であります。身心にいろいろと陰りが出てきて、子どもたちの見えないところで身心が侵されてきていることに専門家や有識者たちが警鐘を発しています。
     身心を強く鍛えていくには子供に限らず、大人たちのパソコンやコンピューター生活の依存度を切り下げて、現代病の克服に努めていく必要があります。徘徊は老人痴呆症患者の特権ではありません。逆に外部に刺激を求め、好奇心を以て徘徊することです。いろいろとした世界が広がっているという風に考えると、生きていることの楽しさを感じてきます。道端に咲く小さな花を見て、その世界を拡大していくことは可能でしょう。小さな生命が無限に拡大されて、アインシュタインのように宇宙の構造にまで広げていく時もあります。リンゴの墜ちるさまを見てニュートンは万有引力の発見にこぎつけました。かうようにローマやパリに行かずとも、近くの散策で大きな世界を見つけてきた事実は紛れもありません。都会の街なかに出ても、いろいろと自然の世界に接することができる場所が大変多くなりました。要は視点を変えて、安易で横着した手法を排して、思考と体を有益に活性化して消費していく道筋を、生活の中に取り入れていくことが大切かと思われます。
等々力渓谷に三時間ほど遊んできた私と妻は、あちこちと足を延ばすうち十キロ程は歩いているかもしれません。しかかも坂あり階段ありで足腰の筋肉を鍛え、肺活量も知らないうちに増加させてきたことになります。妻の提案で等々力渓谷に足を向けて遊んできたことは、爽快な結果をもたらしてくれました。今夜は月がほんのりと霞んでいます。庭畑一面に咲いている菜の花は、観賞しているには最高ですが、菜の種が出来たりして、その分畑の養分を吸い尽くしてしまいます。明るい日差しを受けて明るく咲いている花を引き抜いてしまうには忍びないので、月の明かりを頼りに引き抜くことにしました。引き抜いた菜は、山と積んでから大はさみで細かく刻んで、畑を耕すときに肥料として埋めることにしています。夜のこんな作業に一時間以上はかかってしまいました。しかし明日は庭畑の土おこしに専念することができます。例年はゴールデンウイークを前に茄子、キュウリ、トマトなどの苗を既に買って用意しているのですが、今年は一週間ほど遅れてしまっています。少なくともこの連休中には,夏から秋に向けて,収穫に準備のための庭畑の仕事は終えていなければなりません。そんなせわしい思いをしながら、月の明かりを頼りに庭畑の菜を引き抜く仕事をやっているのも乙なものだと、ひとり合点しているところです。                         四月二六日


     あけて今日の日曜日には十時半から、日曜礼拝に玉川神の教会に行ったが、礼拝後はみなとお茶を飲んで歓談して、そのまま昼食を取らずに早々と帰宅した。と云うのも昨夜から続く庭畑の作業が気がかりだったからである。しばらく気ままに休憩のあと、12チャンネル・テレビ東京のなんでも鑑定団にチャンネルを合わせて、すっとんきょな美術・骨董収集家たちの、すったもんだの爆笑を共に楽しんで過ごした。800万円と自信を以て値踏みをした所有者だが、果たして鑑定はいかにと、結果は2千円と出て本人の失望を前に、会場は大爆笑、私も大爆笑で世の中さまざまだと味わいの深さに悦に入ったり、うなずいたりしてした。この番組は人間の素朴な欲と絡んで、その滑稽さを演出して笑いを誘い、私の唯一楽しみとしている時間帯である。
午後三井さんの奥さんが見えた。前日に菜の花を抜き取って耕すばかりになっていた庭畑を見て、手伝いにやってきてくれた。やせた土地に栄養を補給することが必要で、肥料を買いに近くのダイクに車を使っていった。化成肥料を一袋、馬糞、牛糞をそれぞれ二袋づつ載せてきた。それに茄子、キュウリ、トマト、ゴーヤといった苗を5本から10本ほど買ってきた。作業はこれからが大変である。自分ではやるつもりでいるが、何時取り掛かるべきか思案のしどころだ。とりあえず三井さんの考えも十分に取り入れてと、殊勝なことを言っているが、内心は実質的に支援を願っているのである。とにかく今日のところは作業の準備をしておいて、連休に、遅くとも天気予報では二、三日中にお天気が崩れて雨になるということだから、それに合わせて土お越し、肥料の施肥、苗植え、種まきなどを済ませておく必要がある。土おこしは、半分程度はすでにやってあるから、せめて残る半分も自分でやろうと思っていた。月夜の作業になるかなと思っていたが、風呂に入ったらその気がなくなってしまった。翌日、朝早く三井さんの奥さんが作業の支度をして見えた。手際よくやってくださる三井さんに全てを任せた方がいいかなと、助っ人に出て、反って足でまといになってもいかんと思ってお任せすることにした。と云うのもこの日は会社に出勤しなければならないし、月末故に多忙な予定が詰まっていたので早めに家を出なければならなかった。私が帰宅するころには、すべての作業が終わって一つとして手を加えずに済んでいるに違いない。そのことだけは確信を以て断言できることであった。三井さんが、途中で仕事を投げ出すような人でないことは十分知っているからである。

   会社でのお昼休み中に友人の桜庭君から電話があった。あすの高等学院のホームカミングに出席するかどうかということであった。そのつもりでいると云って、二、三の仲間に連絡したところ彼らも行きたいということであった。こうした時でないと、お互いになかなか会えないだろうからと云うのである。それは確かであった。既に大方の連中は悠悠自適であったり、隠遁の身であったり、反省して蟄居の身であったり、はたまた雲隠れであったりする。と云うのも行方不明のものが多いことも社会現象と同じで、中にはあんな活発だった男が、うわさによると一切の人的関わりを絶って、生きているというので仙人みたいな風貌に変ってしまったのかと、人生色々だと思うのである。しかし状況が変化して、どんな状況になったにしても、そうした変化にに振り回されないでいる自分を堅持して、身体健康に過ぎることが大事だと、それが生活の基本でなければならないと、教えは平凡で判り切ったことだが、これが実践となるとなかなか難しいことでもある。大正製薬のリアップではないが、すべてに効くリアップ効果の薬がないものかと探していたら、それはやはり自分自身の中にあることが分かった。チルチルミチルの物語と一緒である。意識の持ちようですべての環境も変わるし、環境を変えれば、自分に有利に動いていくはずである。仕事を終えて一杯飲んで帰ろうかと思ったが、悪い癖が出て不義理をしているところにと、そのまま渡り歩いて午前様になっても、明日のことを考えると、このまま家に帰った方が良いという虫の知らせで、白いバラの前の道を避けて銀座中央通りを抜けて地下鉄日比谷線のホームにもぐり込んだのである。
    銀座四丁目交差点は、ちょうど和光の前に当たるが、日本一の華やかな銀座通りにもかかわらず、ここから地下鉄に乗るために階段を降りていくと、ここだけが何だかモグラが地下に入っていくような感覚になるのである。いくら改装しても構造的に変わらないわけだから、本体の姿は昔の旧態の儘で変わっていないことになる。先日安倍さんがオバマさんを誘ったというすし屋のあたりも古臭く、たまたますし屋の店が、古いビルの地下一階が地下鉄の道につながっているだけで、少しばかり暗がりで同じような感じのするところである。決して素晴らしい環境のところではない。薄暗いし、極端かも知れないが、昔,上野駅の地下道がこんな感じであった。だからねずみが端を走っていても違和感を感じないはずである。そんなむさくるしいところで貧乏くさく,TPPの話を持ち出しても決まるはずがない。まだ帝国劇場の地下二階の、きく川で極上のうな重を以て歓待したほうが良かったような気がする。普段から礼儀正しい仲居のきれいどころもいるし、芸者の追加だって可能である。なんだったら、上の帝国劇場から、出演中の役者連中を呼んでみたって楽しかったのではないか。きく川だって上のクラスで飲み食いになれば三万円はとるだろう。きれいどころを呼べば七万円だ。芸者衆を呼んで遊んだとなれば、国会が又喧しいに違いない。無粋な議員が猿みたいに沢山いるから厄介である。しかしTPPを日本に有利に仕上げれば、莫大な国益につながるはずなのに、それが分からない馬鹿者が沢山いるから仕方がない。百年の計と云いながら、目先にとらわれているから駄目なのである。
    高等学院の同窓会に是非出席して、私に乾杯の音頭を取ってもらいたいという連絡が同窓会の主催者の幹事長からあった。理事会、総会のあとの懇親会の冒頭である。判りましたといって、懇親会だけに出たのでは悪いので、どうせのこと12時からの理事会と、一時からの総会にも出席することにした。練馬区の石神井まで行くことになるが、環八を回って車で行くことも可能だが、先では酒が入ることなので電車に乗って気楽にいくことにした。我々が卒業して二年後に早稲田から上石神井の広い敷地に学院は移っていったが、樹木の多い環境抜群の地で、立派な校舎も建って生徒たちは恵まれている。学生も当時から見ると優秀な諸君がどんぐりの背比べで競い合っているそうだ。その分生徒には個性に欠けて味気ないし、面白くなくなってしまったと私のかっての恩師が嘆いていたことを記憶している。見方がいろいろあるが、面白い人間と云えば我々の時代は違っていた。不良の学生をいかに更生させていくかが教師の主たる目的であり教育だった。多種多彩な生徒がいて、その中から独特な才能を見つけ出して、それを育てていくところに教師の楽しみさがあったという。全て判子を押して出来上がっていくような、人間教育は本当の生きた教育でないということも言っていた。それが証拠に、手のかかった生徒ほど、卒業後も師弟関係は続いて、人情に溢れ社会に出てからも自分の技能を生かして人の上に立ち出世していくものが多いというのである。がり勉一辺倒でもダメだということだ。人間性を養っていくことも学校教育の大事なところである。優秀校の特色かも知れない。 4月28日


    4月29日は昔、昭和天皇の誕生日の祝日であったが、崩御された後みどりの日と名前が変わった。昭和天皇は何かと苦労が多かった。馬鹿者の側近と取り巻きが多かったがゆえに、善良な国民を誤った方向に導いて、国民に大変な損害と犠牲を与えてしまった時代である。命を落した民衆は300万以上と云われ、悲惨な戦争に明け暮れた時代であった。その時の最高指導者だった人の生誕をお祝いする日が、みどりの日に変わった。暗澹とした時代から、かがやくばかりの新緑のみどりの日に名前が変わったことで、むしろ悔悟の念を持った人の気持ちが生々しく浮かんでくる。悔悟を繰り返すようなことがあってはならない。みどりの日を以て民主主義、平和主義を標榜しかがやく日本を目指して行く日としなければならない。

    4月29日が季節的にも良いし、覚えやすいということで母校の高等学院の全校規模での年一回の同窓会の日が決まったように思う。我々の時は高等学院の校舎は早稲田大学のキャンパスにあったが、卒業して二年ぐらいしてから二年ぐらいしてから練馬区の上石神井に移っていった。緑豊かな武蔵野の面影が残る、環境の良い場所に移っていった。以来大学に所属する昔の東京専門学校と云うイメージが薄れてしまったように思う。教壇に立つ教師は、大学から派遣されてくる教授が多かったので、一種独特な雰囲気の授業であって私としては大いに満足であった。しかし述べたように大学から遠く離れてしまったことで親近感も薄れて、何か行事があって招待されても、なかなか行く気になれなかったし、行くにしても時間がかかるのに抵抗を感じていた。早稲田キャンパスあたりなら懐かしいし、近隣にある古本屋に寄ったりして、昔使った教材などを見つけたりすると思い出がたくさん詰まっているので、何となく高尚な気分になったりするのである。高田馬場あたりから鶴巻町あたりまでの間には、供出と図書館の匂いがぷんぷんする。
    上石神井にはそんな趣きは全くない。因みに拙宅から出かけるとすると、今日は10時半に自由が丘から中目黒に行き日比谷線に乗り換えた。ここまではいつもの通勤区間である。日比谷線を恵比寿で降りて、恵比寿駅からJRで新宿、池袋方面行きの山手線に乗って池袋で降りた。そこから雑踏の駅構内を通り西武池袋線の急行に乗って、次の停車駅、石神井公園前で降りたのである。時に11時40分であった。 しかし、これが間違っていた。

     外回りの山手線を新宿高他の馬場で降りて、そこから西武新宿線に乗りかえていかなければならなかったのである。全く気付いていなかった。そもそも高田馬場駅で乗り換えることとは最初から思っていなかった。乗り換えるとしたら大きなターミナルの新宿駅であるはずだ。なのにこんなちっぽけな駅で乗り換えるなんてローカル線に乗っていくならまだしも、そうか、西武新宿線はローカル線か、それでわかった、これから行く早稲田高等学院は田舎の学校なんだと、そのように考えたら苛立ちの気持ちも収まってきたのである。大学だって大隈重信が腹いせに時の政府に反旗を翻し、反骨精神を養うのだと、その昔、田圃の中に校舎を建てて、東京専門学校なるものを作って地方の田舎から「求めるものには門を閉じず」と称して貧乏な学生を集めて、困苦の財政を潜り抜けてきたのである。だから、福沢諭吉の慶応に比べて野暮ったさは歴然である。歴史を振り返って、早稲田のローカル色は仕方がないと思いつつも、創立者の大隈にまでじゃ、八つ当たりはまだ収まらない。
    石神井公園前駅の若い駅員に聞いて、早稲田が学院はどこだと聞いても、そんな学校はないというには恐れ入った。同僚に効いたり、インターネットで調べたりして、ようやく西武新宿線にあるということが分かった。こりゃあ一体なんだ、伴淳のギョッではないが、それ以上に舌が出たきり口の中に納まらない感じである。地図を見ながら教えてくれたことは、駅前のロータリーから吉祥寺行きのバスが出ているので、それに乗っていくと早稲田高等学園前と云う停留場があるからそこで降りてくださいというのである。学園前と云うから降りたらすぐ近くだろう。定刻の12時には間に合うだろう。律義なつもりはないが、折角出かけてきたのだから遅刻しないに越したことはない。どうせ暇人ばかりが来ていることだから、きちんと定刻には始まるに違いない。座席に座ったりするとバスに揺られて気持ちよく眠り込んでしまっては失敗だから、座らずに立っていた。ちまちました閑静な住宅地をすり抜けて行くあたりは、やっぱり田舎の雰囲気である。田舎の雰囲気と云えば、のどかさは、拙宅あたりの等々力の方が一段と上だろう。まだ周辺に古くからの農家がいて健在だし、広々とした畑や、植木畑や、ブドウ菜園を営む農家もあって、農地と云っても手入れが繊細で品がある。金も持っていそうだ。拙宅でさえもちろん、庭畑を持ってて楽しんだりしており、野菜だって何も八百屋やスーパーで買わなくとも、栽培の畑で直接分けてもらった方が品物は安いし、新鮮だ。産地直送を直に手にするようなものだ。一帯は奥沢、田園調布と一緒のようなものだから、高級感はある。練馬大根とは違う。    その昔、やはり新興財閥系の東急の五島慶太、片や西武の堤康二郎とが対峙して地盤の奪い合いを演じてきた歴史がある。箱根の合戦で血みどろを演じたが、喧嘩両成敗として自分たちで手打ち式をやって相打ちになるのを避けたところはさすがであった。東急も西武もそれで今日があるが、西武は身内の下らぬ財産争いが災いして、よそ者のつけ入るすきを与えてしまった。鉄道会社だから放置はできず、公的資金でつながっている。しかし堤の資金と称するものは姿を変えてしまった。今は一般的に言って先代が残した財をもとにした個人商店らしき企業は、成長に限界がある。それ以上に大きくしていこうとすると、それが原因となって破裂して借金だけが残ってしまう仕組みになっている。気が付いた時は万事休すである。近くにはダイエーがあるし、ワンマンだった中川がいい例である。世界戦略で世界の各地に出店するユニクロもそうである。組織に乗ってうまく稼働していることが、即、自分自身の力だと錯覚し、拡大路線をまっしぐらに突進する経営者がいるが、これとて限界がある。適正規模と云う経営観念を忘れると、行き着くところは必然である。ソフトバンクの孫氏も危ない。栄枯盛衰の流れに気づいたら、先は坊主になるしかないから、それを云っても無理である。大小に限らず、世の中はなかなか思うようにはならない。思うようになるものであれば、オバマだってプーチンだって苦労しないだろう。麻生が投げやりになって放言するのもむべなるかなである。しかしいくら口が滑ったりしても、ドイツのヒトラーに習ったりしてはいけない。世の中、あとさき真っ暗になってしまうからだ。
山手線の外回りに乗っていったら、結果とんでもない場所に行って困惑してしまったが、おかげで云っていること、書いていることも少々脱線気味に来てしまった。だから学院前で降りるべき停留場もうっかりして通り越してしまった。商店街通りの石神井小学校前で降りて、一停留場をバックして歩いて行った。大した距離ではなかった。井之頭通りをわたるとすぐに高等学院の正門である。
そこから欅の大きく育った並木三井をあるいていくと立派な校舎が目に入ってきた。以前に来た時よりも雰囲気はだいぶ変わっていたが、大きな欅の並木道は長く続いて,以前どおりだった。立派な並木道で、武蔵野の面影を映す貴重な自然環境である。12時5分過ぎに理事会を行っている会場に入った。すでに総会前の議事の審議に入っているようで、次期理事長の後任の新理事長の名前が挙がって決議に参加した。五期生ともなると古参の部類である。勢い余って出過ぎないようにしないと嫌がられるから慇懃自重していないといけない。現在のところ六十五期を数えるまでになって、びっくりした。まだそんな年でもなく、いつもドイツ語で 「 イッヒ・ビン・アッハト・ウント・ドライシィッヒ・ヤール」 と自分自身に言い聞かせているので、若者と平気で対等に話したりしているので、頭が剥げになってしまっていれば仕方がないが、そうではないので今年社会人になったペイ助に対しても自信満々である。このドイツ語の意味は 「私は三十八歳です」 と云う話である。型通りの総会が,別に新しく建てられた講堂で行われた。斬新な設計によるものと学校側は頻りに自慢して強調していたが、全体がコンクリートの打ちっ放しの建築物で、内装も、2メートル四方のコンクリートの板版が壁と天井全面に波打たせて張り付けてあり、なんだか巨大なコンクリートの箱に入れられたような感じで、寒々としている。椅子にに座って総会の審議にに付き合っていたら、足元から冷え込んできて次第に体が冷え切ってきてしまった。見上げるとその大きなコンクリートの板が落下でもしてきたら大変な惨事となってもおかしくないと思うほどで、人によっては恐怖感を覚えてくるものである。。  隣の友人のT君は建築物に玄人肌の専門家であるが、彼も同じ意見だった。早く終わってほしいと願っていたのである。どうせ食事会もあってごちそうも出ると思って朝食は軽く済ましてきて、昼めしもまだ済ましてないのに、時間は2時30分に近い。飲み物も欲しくなってきた。終わりが近づいてきたので、もう終われという催促の拍手が後ろの方で起こったので、それに合わせて手を鳴らしたら、拍手が大きくなって総会はその時、閉会に追い込まれた。これこそ余計なことを排除して効率、迅速を旨とする、早稲田式議事進行法である。総会には思ったより多くの校友が出席して、発表によると370余名もいたそうである。閉会して懇親会の用意されている食堂の会場に向かった。

    こんな調子で書いてくると脱線も含めて、いつまでたっても筆が終わらない。坊ちゃんを書いた夏目漱石も、三等重役を書いた源氏鶏太もこんな調子でものを書き稼いでいたのだろう。堅苦しく、もっともらしく政治経済のことを書いて金をとっている商売もあるが、小生の場合はこれを以てしては金を稼げない。稼がないから、つまり人様から金を頂戴しないから思い切ったことが書けるのであり、理解ある友人の云うように純粋だということになる。世の中には口やかましいやつも沢山いるから、それでまた食っている奴もいる。評論家と称する人種である。評論家同志戦わせてショバ代を稼ぐ奴もいる。雑誌、新聞、テレビの類いである。それを利用する奴もいる。喧嘩しながら回り巡って世の中がうまく収まっているのが資本主義である。このバランスと均衡が崩れると、本当の喧嘩になって世間的な秩序が失われてくる。
    世の中的にも、世界的にも通じるところは同じである。向こう三軒両隣、長屋の強い上さんと、意地悪婆さんの口論から始まって、オバマとプーチンの電話会談にまで至る対立抗争である。全て金と利益追求で動いている喧嘩である。マルクスやエンゲルスのように一生をかけて、何も膨大な量の書籍を以てを書かなくても、資本主義の実態を簡単に解説できるというのが小生流の見解であり論理である。物書きで食っていくには、夏目漱石や源氏鶏太のよう、軽いタッチで触れた書き方が呑気でいいのではないか。それには経験を積んだ人間ほど、題材や視点が豊富であり、深さがあって内容に面白さが加わってくるものである。永井荷風などは豊かな経験を積んで麗筆を以て磨きをかけているいるので読みごたえがあり、簡単な日記がいみじくもそれを表している。欲で渦巻く世の中だから、そこを中心に四方八方に書いてていったら無限の広がりが見えてくるし、想像力の養成もあって筆は加速されるに違いない。しからば欲とは何か。
    人間の本性をたどっていくと欲には限りがないし、欲が無くなることは、死に至る病と考えてよい。逆に死に対峙したものは、即ち生である。生きることそのものであると、認識しなければならない。実存哲学者、ハイデッカーではないが「死に至る病」に付き合っていかなければならない。そんな高尚な余裕は私にはない。この際、神経衰弱的思考を払しょくするために、性に対する生々しい欲望の研究に没頭したほうが有益かもしれない。さしあたり人間の通俗的欲望の最たるものは金、性欲、名誉欲と云ったところであろうか。この三つの欲望の渦巻く中で、厄介な問題が起きて人間の浅ましい葛藤が続いているのである。欲望は年齢とともに減退していくものだが、個人差があることはもちろんだが、だから面白いのである。欲のDNAを持ったまま生殖によって人類が継承されて、世の中がうけ継がれていくから、何時になっても争い事が絶えないのである。その個人差が、人間の喜怒哀楽をもたらして、生活を面白くさせてくれるものということである。
    愚にもつかない話だと永井荷風は墨東奇譚の世界をうろついて、欲望の一つに預金通帳を持ったまま怪死していた。当時としては一般庶民がうらやむような高額の一千万余の残高が打ってあったという。節約してひたすら貯めたお金に違いない。貧しい暮らしをしながら、世捨て人のように振る舞いながら、そのように世間から見られていた荷風も、やはり金が最後まで付きまとっていたことを考えると、マルクスの学説が原則的に正しいことが分かってくる。
    懇親会会場の入り口で、係員から飲み物を進められて小さなカップのワインをもらって飲みながら会場に入っていったところ、僕を探して慌てていた理事の一人につかまってしまった。乾杯の挨拶をしてもらいたいと云うのである。承知したといったものの、すきっ腹に赤ワインをグイッと飲んだ後なので、一瞬、酩酊気味である。しかし元気よく乾杯するには多少の酒が入って、解放感があって度胸のついている状態の方がいいかもしれない。先ほどの総会の報告では、盛んに箱モノの立派さを宣伝していたきらいがあって、もちろんそれは大切なことであるが、それだけでは物足りないし、説得に欠けるような気がする。端的にそれを述べるだけでも意気込みが違うだろう。尚、酒を腹に入れてもらっているので滑らかに言うことができるだろう。司会者が早速小生を紹介してくれた。司会者にビールをついでもらったグラスを以て壇上に上がった。見渡すと、広い会場は大勢のOB諸君で一杯で、立錐の余地すらなかった。
    「 高いところから失礼します。只今ご紹介頂いた昭和29年卒業で第五期の佐々木誠吾でございます。ご指名なので乾杯の音頭を取らせていただきます。ご唱和ください。 我らが母校の早稲田大学高等学院が、学問、研究、教育の分野で大いに活躍されんことを。 将来のわが学院がますます発展していくことを願い、あわせて満場の諸君の健康と弥栄を祈って乾杯いたします。 乾杯 !」 と云って締めたのである。 みんなの乾杯の唱和が高らかに会場に響き渡った。 「 ありがとうございました」 と云って私は壇上を下りた。


即興の和歌             

      武蔵野の常盤の森の中に建つ母校学院の誉れ高きに
素晴らしき施設をそなふ学院の学徒ら道に学ぶすがたも
      校庭をめぐりて立てる大けやき目にもあざけく若葉もゆる日
      建学の精神にたち実学を得て世にのぞむ若き学徒ら
      門に入りうっそうと立つ大けやき並木をくぐり至る学び舎
      新しき土地に移りて学び舎の栄えのあとを知るもいみじく
      懐かしき遠藤、本間、都筑師ら思い出ふかき学び舎の森
      若きより気概の在りし友なれば天衣無縫に振る舞ふもよし
      大井氏に逢えて恩師らの古き日の姿いみじく語りあへしは
      教え乞うふ恩師のすがた偲ばする学び舎のみち今に続けり
      久々にあふ友垣に過ぎ去りし面影あるもかすかなりしに
      乾杯の音頭をとりて立つわれに亡き恩師らも並び立つらし
 豪快に杯をかかげて乾杯すOB諸君の健康を期し
武蔵野の林のなかの学び舎を巡りてそよぐ初夏の風かな
      石神井てふ鄙地をえらぶ学び舎の教師ら高き理想にもゆるも
      早大のキャンパス建つ学院を出でし我らが仰ぐ老侯
      余が学ぶ竹野長次院長に日本文学史概論を以て
      夕映えの教室に樫山欽四郎哲学序説の著書をひろげつ
厳かな趣きに建つ講堂をじっと見つめる大隈老侯
      名を記し一枚の葉を老侯の花のかしらにそっと置くわれ
      愚者もいて賢者もおりて学園の様ざま道に就きてゆくよし
      仰ぎ見る大隈老侯の銅像の久遠の理想をかかぐ面差し
   
                                          4月29日


夢を大きく膨らませてくれた 学院時代と大学時代に、限りない憧憬を寄せている小生である。
その恩恵に浴して尊敬してやまぬ先生方の多くが、既に鬼籍に入られている。一抹の寂寥感を覚えてやまない昨今である。ありがたいことに大学で財政学の教授に授かった平田寛一郎先生、学院でドイツ語の教授に浴した高木實先生は健在である。多忙に事寄せ普段、疎遠の限りを尽くしていることを恐縮している。親しくお世話になってきた大学の大内義一先生は五年前に九十九歳で他界された。昭和経済会の月刊誌、昭和経済の巻頭随筆を三十年間にわたって書き続けてこられた。それをまとめた大内義一随筆集は九巻に及び、その麗筆は世に送られている。学院時代に英語と英文学の教授を賜った遠藤嘉徳先生は俳句の大家である。卒業以来文通が絶えなかったが、途中から昭和経済の昭経俳壇の選者になっていただき亡くなられるまでご指導を願った。二年前、九十四歳であった。英文学者でありながら、一生を俳句の句作に喜びを持ち、俳句の世界を極めていきながら一生を全うされた。学者として教育者として、俳句の大家として尊敬してやまない。 私はまた短歌の同人に誘われて淵に二十年前に入会したが、その創刊者で主宰者の植田重雄先生は、学院時代の先生であったが授業を受けたことはなかったものの、同期のクラス会に呼ばれて昵懇を深めた。短歌で交流は一層深まっていったが、八年前に八十四歳で亡くなられた。ハイデッカー研究で、実存哲学で教えを乞うた川原英峰先生の思い出も熱いものがある。先生方の近くを思い起こすだけで思い出はつきない。
    学園を卒業し、学校と実質縁を切って私は実業の社会に出たにもかかわらず、むしろ先生方との交流がより深まっていくといったケースはあまり見かけないと思う。自慢してはいけないが、私ほど学園の多くの先生方と昵懇の中になってお付き合いをさせていただき、しばしば今の自分を振り返ってみて、懐旧の情に浸り、なお感謝して懐かしく思い起こすことができるのを、神様の導きだと思っている。その裏返しで、寂寥感も無常感も身に覚えることは避けがたい.。そうした先生が亡くなって自分から遠く手の届かないところに行ってしまったことを考えずに、ものは考えようでいまだ健在で身近におられると思っていれば、気持ちも平穏に収まってくるものである。慌てて年賀状を初めとして時候の挨拶など手紙で書いたりしないように注意さえすればいい。 うっかろ出したりすると家族の人も知っているだけに、誤解をされても困ってしまうからである。こうしたことは別に先生に限ったことはない。友人を初めとして沢山いるはずである。惜しむあまり名簿から消さずに身近なものとして置いておくと、亡くなったことを本当に忘れて連絡を取ったりすることだって無きにしも非ずである。
         


     


    
      
      



    

     

2014.04.01

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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