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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.22.6


短歌同人誌・ 淵のあとがき

真夏日となって役所からは熱中症にかからないように注意が呼びかけられているが、新型コロナウィルス感染の度合いも落ち着いてきたし、蔓延防止法の履行もようやく解けて観光地は久しぶりに活況を取り戻してきている。
高齢者や基礎疾患のある人たちには、四度目のワクチンの奨励が言い渡されているが、中国のようにゼロ・コロナを目指すことも無理だし、以前にも申したようにウィズ・コロナの態勢で、いかにコロナ感染症の影響を少なくして経済社会生活を持続していくかに焦点を絞って本格的に動き出したようである。これは賢明な措置である。世の中は今コロナ感染症と暴虐のプーチンが起こしたウクライナ戦争によって混乱をきたして、「感染症と戦争」と云う今世紀最大と思われる課題に直面して、人類の存続の可否を象徴するような社会を過ごしているが、諦観的にならず、困難を克服して積極的に道を開いていくよう努めていかなければならない。

今日は真夏日となって日本各地は日照りの強い最高気温を記録することに相成ったが、これからこうした猛暑日が続いていくだろうし、いつ台風が襲ってくるかもしれない。しかし身近には、澄み切った夏の夜空が備えられているし、思索を遠大に使って夜空をみれば、無限の夜空に満天の星が輝いており、地上の下らぬ争いが実に些細で馬鹿馬鹿しく愚かなことに映って来るから、いっ時でもいいから地上から目を離し、悠久の空を眺めてもらいたいものである。四、五日前から急に血圧が上がりだし、上げ下げが激しくなってきた。心配になり尾山台の水吉内科に見てもらった。応対の素早い先生で的確に診断するので信頼しいている。診察の結果ストレスじゃないかなと仰るので思い当たる節がある。いい話だから良いようなものの、それが重なって時間に追われている状況が原因かもしれない。くよくよせず少しの間仕事のことから離れて頭を空っぽにして姿勢を正し、深呼吸してみてくださいと、極めて平凡かつ明快な処方を教えてくださった。患者の状態を見抜いて素早く的確な診断だと思った。血圧降下剤などを期待していたが、空振りだった。

淵の同人誌の二三四号に発表した木下容子さんの一首がある。「三六〇度の丸い風に抱かれて悠久の時間をこの身に刻む」を読んで感銘した小生は次の二三五号の前号の鑑賞の欄でこの秀作の一首を取り上げて感想文を書いた。木下さんが、見上げた宇宙の態様をいみじく詠んでいらっしたように、触発された小生はその時次のように記している。「三六〇度の丸い風の言葉に魅せられて、思わず黙想してみる。静まった深夜の空にきらめく星々の世界、例えばアルプスの槍ヶ岳に立って天地の間を大観するような包容力である。三六〇度の世界とはこの世のすべてであり、全宇宙を指す壮大なものである。全体を抱擁するエネルギーを追い風に未来永劫の世界を実感する。悠久のときを巡る風に、絶対の神の姿が浮かんでくる。深遠な思索の世界が繰り広げられて、一首は絶対で完全な世界の帰結である」と。
こせこせした気持など吹き飛んでしまうはずである。悪徳のロシアのプーチンが侵攻したウクライナでは今、双方が血生臭くドンパチやっている最中であるが、先に戦争を仕掛けたプーチンにしても、それを止めることができなかっら仲間の習近平にしても哲学的な思考に立ち返るべく姿勢を正すべきだし、正義をかざして立ち上がった我が自由と民主主義陣営のバイデンやマクロンにしてもドイツのショルツにしても、すべからく彼らに警鐘を鳴らしたいと思っている。戦争をやる暇があるならば、この世の中の、人の哀しみや苦しみと云った矛盾を少しでも緩和していくようなことを以て金を使ってみたらどうだろうか。とかく年を取ってくると欲と焦りが積み重なって、思いもよらない悪事を働く傾向がある。戦争を仕掛けた悪の根源、プーチンは正にその一人ではないかと思われる。
哲学的な深淵に触れて今この世に生きている自分を見つめてみると、なんと微細なチリのごとき存在かと、思うのと同時に、全宇宙を包含する思索も可能なのであると思うと、自分の実在が永遠の命につながってキリスト教的観念に及んで、地上の殺し合いなど吹き飛んでしまう気持ちになるのである。ましてや身辺をざわつかせる雑事など日常茶飯事であり、とるに足らんと、昼夜の天ちゅうを仰いで自らを陶冶すべきであると心得たのである。
イエス・キリストと十字架の教えについては無信仰だった学生の時、早稲田大学名誉教授の酒枝義旗先生から幾度となくお話を頂き、白鷺のご自宅にもうかがったりしてご自分で建てられた礼拝堂にも招かりしたことが夢のように思われる。待晨と云う機関誌を発刊され多くの学生諸君や親交のあった著名な人たちの尊敬を集められていた。社会人になってからも何かとご指導を頂き、政経学部の酒枝先生、大内義一先生、平田寛一郎先生らと千葉の上総湊の船場の船頭、五平次さんの船に乗って海釣りを楽しんだ思い出がある。若輩未熟な小生を仲間入りさせていただき今以て篤い恩義を感じている。信仰心の篤い家内に誘われて教会に通うようになったのも酒枝先生の人格に魅かれた点がかなり影響している。内山鑑三と並び称されている名高い宗教学者であり、敬虔なクリスチャンであるがゆえに、折に触れ懐かしく畏敬の念を抱き回想するのである。
畏敬する植田重雄先生が高等学院で教鞭をとられていたころの話になるが、そのころ大学の政経学部には僕の知る限りでは早稲田の経済学者の御三家と云われた先生方の教鞭にに浴したが、経済原論ではゴットル経済学の酒枝義旗先生、農業経済学ではケネー研究の久保田明光先生、財政政策では財政学の時子山常三郎先生がいらしたが、幸いなことに三教授の名講義を聞いて卒業することができた。他に年齢的に下っては英国産業革命史の小松芳喬先生、現代政治の解明の吉村正先生、貨幣論の中村佐一先生、更に下ってはマルクス経済学の堀江忠男先生、近代経済学の伊達邦春先生や我がゼミナールで恩師の平田寛一郎先生ら枚挙にいとまがない。平田寛一郎教授のゼミでは卒業論文に仕上げに傾注し、夏休みの全部を早稲田の図書館で地安結果になり、何と四百字詰め原稿用紙で700枚を超えるものとなった。「財政政策と歴史的意義」と題するもので、平田先生からは優れて独創的な論文だと格別な評価を頂いた。

 良くも悪くもこれがもとで大学に残ってもっと勉強してドイツに留学を果たしたいと思ったリして道に迷う結果にもなる。大内先生は僕の行く先のことを心配して、大学は学閥の激しい学者の世界である。引き上げてくれる力のある先生について、それも何かと苦労が多いから自重するようにご託宣を得たりした。決定打となったのは頼りにしていた父が癌にかかって先が見えたことで、経済的に呑気なことを言っている場合ではないという重圧がかかってきた。そもそも僕の自信が根底から覆されるものであり、あっさりと学者の道を断念した。苦労してそれも金融会社に就職して、順風満帆の成績を上げて勇躍する毎日であったが、妬み、嫉み、やっかみと云った有象無象の世の中の厳しさを身にしみて感じ、五年の修行のあと、小生を熟知する母の一言の忠言で背中を押されて退職、自立の道を歩んでいくことにした。母の忠言は僕の人生を根底から変えるものだった。

 懸命にかつ情熱的に働く毎日のこと、独立自尊の気風に乗って運よく事業は信を得て拡大して努力がそのまま身についていったのである。ただし五年の修行は無駄ではなかった。自分でも気づかぬ力を、物心共に身に着けていたのである。日本経済新聞の社長の萬さんに助言を得たり、力を得たりして社会での活躍のウェデイング・ロードを進むような心境であった。確かにそれは現実となって小島陽子と結婚することになり、萬さんの仲立ちを得て帝国ホテルで盛大な挙式を行うことにも運命がつながって行った。顧みて大学を出、社会に出てからの小生は、当時、旧第一銀行出身の足立格平先生が主宰してた大蔵省の許可団体である社団法人昭和経済会に加わった縁で、のちに理事長の要職を拝命することになって事業以外にも社会的で大きな仕事をこなしていく運命に立たされたのである。

  なかんずく社会に出てからも大学の先生方との尊いつながりは更に独自のものとしての結びつきに発展し、中でも酒枝義旗先生と大内義一先生、堀江忠男先生には、卒業してからお亡くなりになるまで昵懇のお付き合いをさせてもらい、小生が主宰する昭和経済会の月刊機関紙、昭和経済には幾度となく、長年にわたり執筆、投稿を続けてご指導いただいてきた経緯がある。以て感謝であり名誉なことと肝に銘じている。英文学者の大内義一先生に至っては昭和経済の巻頭随筆を二十年にわたり執筆された。そしてそれ等の作品をまとめた大内義一随筆集は十三巻に及んで発行され多くの子弟や読者に愛読されている。大内先生が著名な随筆家として世に送り出される結果に、微力ながら聊かの功を尽くしたことに名誉なことと自負している。昭和経済会は、会員諸兄の協力を以て社会的認知度も上がり、今は公益社団の資格を以てますます公益性の高い団体として活動をしている。
翻って淵第二三八号の「あとがき」を原稿の期限が迫って書いているが、書き始めると学生時代を回顧して筆が止まらなくなる癖がある。先日、高等学院の同窓会の理事会が在って出席してきたが、早いもので再来年が学院の創立七十五周年になるという。現在の新しい卒業生は第七十三期生であり、小生は第五期生である。髪の毛を真っ黒に染めて出ていったら四分の一クウォーターは若くみんなの目を欺くことに成功した。小生はこの上石神井の校舎で学習したことはないが、新宿の戸山が原にあった戦後のガタガタ木造校舎を卒業して、その後二年ばかりして学院は上石神井に映移っていった。志を高くして卒業してから半世紀以上たつのである。おこがましくも図々しく未だ俗性の波に漬かって初志貫徹、毎日出勤して奮闘しているが、行き帰りは銀座の並木通りか中央通りを胸を張って歩いている。この一事を以てしても稀有なことと称さねばならない。今岸田内閣が地道に実績を積み上げて国民の支持率が高まってきていることは嬉しく頼もしき限りである。世界の岸田、知的な岸田としてエールを送りたいところ、馴れてしまったとはいえ邪魔に思っていたマスク着用も、適宜緩和されていくだけでもありがたいご時世だと思っている。
   六月一日


     祈り
  毎週日曜日に行われる玉川神の教会では10時半から、牧師による説教と祈りと賛美が行われている。コロナウィルス感染拡大と予防を巡って大きな社会問題となって、日曜礼拝も一つの集会であるから禁止される時期もあったりして苦労をしたが、その後漸次改善に向かいつつあって足掛け三年に及ぶが、福音、布教活動にも大きな影響をきたしている。その影響ではないが、我が玉川教会では一昨年の暮れに専任牧師が家庭の事情で牧師を辞任し郷里の愛知県に帰京された。その時以来無牧の状態が続いている。無牧とは、教会に専任の牧師が居ないことである。専任の牧師がいることは、その教会で毎週の礼拝や色々な行事に、そこの牧師が代表を務め、立ち会って教会の運営や行事について責任を負い、遠近を問わず地域活動に携わることになっている。牧師がいいかよくないかによって教会の発展がかかっている。今の状態はいわば社長不在の会社と云っていいだろう。財務内容はしっかりしていても代表者としての牧師が居ないので、倒産はしないものの対外的にも信用の度合いが違ってくる。僕が通っている教会がいつまでもそのような状態であることが、許されるわけがない。しかし教会には選任された一定の役員がいて、いわば執行部であるが、それな無能であったり未熟であったりすると、こうした県も含めて色々な弊害が生じてくることもある。自由が丘から近い立地に在り、ちゃんとした教会なのになぜ牧師が来ないのか不思議である。神の下ですべて明るく正義にかなった場所と家が教会のモットーであり、矢張り人の集まりだから多かれ少なかれグループ化されたりする時もある。それがネックになるかもしれない。陰で働く勢力争いみたいなのも起こったりするだろう。これが陰湿な雰囲気となってくる牧師の肌に触れて忌避されるかもしれない。牧師にも毎日の生活環境が自分の思いにかなったことが必要であり、職場環境によって左右される側面もあるから、今のままに続いている環境、つまり個人の生活環境や職員の構成や、従事している人事のしがらみと云った暗い面があるかもしれない。古くからいる人、新規に入ってきた人それぞれに。 古くからいる人にとっては、教会と自分とのかかわりで公私混同している面が多々あったりすると、錯覚して自分の財産を阻害されるのではないかと云う疑心暗鬼が生じて、防衛上本能的に取り巻き連を囲み作りたがるのがそもそものグループ化である。 これは始末が悪い。当人たちは気づかずにいるかもしれないが、教会を採りまく経済的なしがらみが、そもそも陰湿な雰囲気となってくるし、招聘される牧師に取っても汚らわしく映って忌避される原因ともなる。せっかくの抜群な良い条件に在りながら、教会が神の申しつけとしての役割を果たし得ないでいることは道に反しているといわなければならない。僕は争いごとが嫌いだし、第一意見を述べ合う会などには出席しないたちだから、総会にも委任状で済ませている。いわば中立である。普段そうした俗社会に未だに付き合っているのでせめて教会だけは静謐な場に在って静かに神様と向き合って、哲学的な瞑想を巡り、神様との対話を通じてその豊かな恩寵に浴したいという気持ちが強いのである。異論を吐くと立場上、ほか様に迷惑をかけることにもなるといけないと思って会議や会合には委任状でお任せしている。食事会とか親睦会などは別である。 そうした席ではお互いが打ち解け合って、喜びと恵みにあふれた雰囲気で過ごすことができ実に楽しいものがある。      六月五日


梅雨かな

   テレビで天気予報の気圧配置と雲の映像を見ると、大陸から張り出した前線が横に張り出してきて本邦の西から東に強くかかり始める様子である。これが長期に続いていくと本格的な梅雨入りとなる。東から南から暖かい空気が流れ込んで湿った空気がうっとうしさを加速する。アジサイの花の色が次第に濃くなり、梅雨の風情が味わい深くなって心にも詩情がわいてくる。しとしとと降りしきる雨は周囲の音をくまなく吸い取ってしまうので静寂さが漂い落ち着いたいい季節だる。アジサイの花の向こうに、傘を差した麗人の面影を夢に浮かべたりしている。

   今、スマホを見て為替の動向を検索していたら割り込んできたニュースがあった。ソニーの元社長、会長をしていらした出井伸之さんが亡くなられたというショッキングな報せで、エッセイを書いていた筆が止まってしまった。まさかと云う訃報である。心の中でいつも親しく思っていて、敬愛している人が又なくなってしまったという切なる思いである。心からご冥福を祈る次第である。
  出井さんとは、娘の明子がニューヨークで結婚式を挙げ、その後の披露宴では主賓として、はたまた仲人役として宴を盛り上げて下さり、その時に初めてお目にかかったのである。祝辞を述べられているときにも、小生がホテルで雑に読んだ短歌を綴って受付で明子に渡してもらうべく置いてきたものを目にされたのであろう。父としての思いを十首ほど読み上げたものなので滅茶苦茶な文字であり、その中から喜びの一首を取り出して披露宴の席で披露してくださったのである。出井さんの細かな目配りに驚き、感謝のしようもない思いであった。そのあとに行われたパーテイーでもお忙しいにもかかわらずご参加して、若者の門出を励まし祝ってくれたのである。

  それから何年かのちに、ご夫妻から銀座六丁目あたりの小料理屋に明子と一緒に招かれてご馳走になった。おかみ自慢の地酒を飲みながら、出される料理に舌鼓しながら幾何の時間を歓談した思い出がある。直にお目にかかったのはこの二回だけしかないが、出井さんは信念の人だから、特に若者の育成に心をかけ、事業を立ち上げて力強い活動をされていた最中である。しとしとと降る梅雨の雨は、出井さんの逝去を悲しむ涙の雨である。無念である。 

意表つく出井仁兄の訃報にてさめざめと降る窓の梅雨かな   六月八日 正午


    出井仁兄を悼む

早稲田での反骨精神を止揚して在野精神を貫きて行く

生涯の事業に新機軸を打ち出して改革革新の狼煙上げ行く

旧来の経営体制を改革しソニーを世界のそれに変えゆく

何かにと事業の業績評価してソニーショックを挙げる人あり

艱難を超えて人生を前向きに若者たちんを導かんとす

人情に篤く人心をとらえたるその人徳の類ひなきかな

ニューヨークでの娘の結婚式目出たき祝辞に盛り上がりけり

我が和歌を目にも留めて披露する見識高きさまに惚れたり

楽しさに魅かれ最後まで加わりて結婚式と晩さん会にまで

アメリカの愉快な時代を髣髴す場に結婚式を挙げる明子よ

教会の神父の熱き祝福にみな起立して祈りけるかな

ふと気づく出井氏もまた早稲田にて学院、大学政経学部とも

心にて触れ合ふ仲と云ふべきや付き合ひ疎く遠方の友

ご夫妻に招かれ銀座の小料理屋親しく会食いたす宵かも

   あじさい

  三井さんが昨年の春、庭に挿していってくださった「あじさい」がこの夏きれいに咲いている。普通は青むらさきの色で小手毬のように咲くあじさいをよく見かけるが、咲いているのは額あじさいである。紫陽花を沢山咲かせて観光の名所にしているお寺さんや、近くの公園など沢山あって、この時期になるとあじさいだよりが頻繁に身近に見聞きされる。紫陽花の花の種類も沢山あって、小手毬や額アジサイのほかにも鑑賞する人の目を楽しませてくれる。花の中には奇抜過ぎて違和感を覚えるものもあって、私には矢張り平凡で普通の形と色が好みにあう。今朝妻が、庭に咲いている額アジサイの花を一つ切り取って、花瓶にさしてテーブルの上に飾ったくれた。花の輪も大きく見事であり、目の覚めるような青むらさきの色が魅力的である。起きざまのぼんやりした風体の頭が、一瞬にして水を引くように冴えてきたのである。頭から水をかぶるより効果的である。

  NHKのお昼のテレビニュースで、梅雨入りした花の便りを伝えていた。こちらはあじさいではなく、花は「あやめ」であった。埼玉県も奥深く行った村の便りで、3ヘクタールの休耕田に三千株ほどのあやめを植えて、今が見ごろと伝えていた。近所の小学校の子供たちが見に来ていて楽しがっているところを伝えるものだった。あやめは青みががかった色のものが多いが、濃むらさきのものが好まれる。色の層は厚く、真紅の色から薄むらさきから白色まで幅広く、様々な濃淡が味わえて好ましい。この日には品種改良の結果かどうか知らないが、黄色の花が珍しい花として紹介された。この花に梅雨の小雨を重ねても、何となく湿ったような、日本人が好むような陰影のゆがぎがなく、趣きがずれているかなとも思われた。             6月9日


梅雨の間の快晴」

  日曜礼拝が終わった後、小生は中山君と礼拝での献金当番だったので神様にささげた献金の集計を行う役目に任じていた。二十分ぐらいの時間を要した後、中山さんとお孫さん二人を車に乗せて等々力駅近くの自宅まで送ってやることになって、途中拙宅によってみんなでお昼でも一緒に食べることにした。お孫さんは今年小学校一年に入学したばかりの裕介君であり、下のお嬢うさんは二歳である。元気はつらつとしてこちらまでが雰囲気にのまれてしまう始末である。思い通りに幾ら買っても大したことではない、近くのコンビニによって好きなものを好きなだけ買ってもいいよと唆したりしていたけど、子供ながらに遠慮しがちなところは反って愛おしく覚えて、純真無垢な心根にほれ込んでいたのである。家の前の玄関にに車を横付けにしてドアを開けたら、弾丸のように駆け足で庭に飛び込んでいった。気に追う三井さんの奥さんが見えて庭と畑を奇麗に掃除を敷いてくださった後だったので、梅雨の合間の夏の日照りに目がくらむような明るさだった。子供たちが本能的に飛び跳ねて喜ぶのも無理はない。白いテーブルと椅子を出して緑陰の下に席を定めた。裕介君は、大声を出して「こんな素晴らしいところがあるんだ」と云いながら席を独占する喜びに慕っている感じである。なるほど子供の感性は素晴らしいものだと感心しながら、人間と自然とのかかわり、環境影響説を最もな学説だとうなずいていたのである。庭全体を隅から隅まで駆けまわって、草臥れてくると今度は青い芝生に寝転んでくるくる回転したりしている。見ているだけでこちらの方も小躍りりしてくる。回転ボールの中に入って動かずに、地球儀を回しているみたいだ。360度プラネタリウム回転させているようにも思える。これじゃお腹もすくわけだどいうことで、テーブルに揃えられた食事にかぶりついた。外で食べる食事は実に美味しい。雲の途切れて真っ青な空が天空を覆って、直射日光が痛いくらいに肌を刺す。日射病になったら大変である。帽子を取り出して今年初めてとなる帽子の初かぶりである。蝉はまだ鳴く季節ではないが、真夏の気分が横溢である。無論、上着は薄着で短パンである。我が家の水道水の水圧は高く設定されているのでホースを引いて遊ぼうかと思ったが幼児には危険なのでやめた。空に向けて放水すると、霧のように落ちてくる水滴で芝生はますます青くなるし、きっと目の前に奇麗な虹ができるに違いない。子供は素直な空想家だから、出来た虹の中にもっと面白い画像を見るに違いない。         6月12日

    親友の訃報

  今日の教会でいつものように受付でもらった週報と献金袋を手に二階の礼拝堂に向かった。梅雨の合間に晴れた青い空が、礼拝堂の窓から明るい日差しが差し込んでいるので咄嗟に目に映った。今日は小生と中山青年が献金当番を務めることになっているので、一番後ろの長椅子に座って礼拝の始まる時間を待っていた。この席に座ると礼拝に見えた信徒たちが一目で見渡せるので、健康な日々を送ってこの一週間も礼拝のみ言葉に守られて、恙なく達者に過ごしていけるかどうかを窺いい知ることができる。献金当番の役目は、礼拝が終わったのち、会衆の皆さんから神様への感謝の捧げものを集めに回って、最後に献金感謝の辞を述べることである。今日の小生の教会での役目は大筋それだけである。お祈りの形式は決まっていないが、それぞれ主イエスキリストへの思いを託して慎ましく述べることであって自由である。おのずと慣例みたいのがあって、みなが同じような調子で述べることが多く従ってそれだけを聞いていると、一定の形式みたいなものがあるように思えるが、決してそんなことはない。誠におおらかで自由である。自分のことのために祈ってもいいし、他人のヒトを気遣って祈ってもいいし、世界平和のことを期待して祈ってもいいわけである。疫病がはやりいったいどうなるかと思って恐れられていたが、コロナウィルスが早く収まってもらいたいと真剣に祈るときもあるし、ウクライナで凄惨を極める戦争が続いているが、戦争の終息が早く到来知ることを願う人もいてさまざまである。ロシアや中国のように、専制国家に共通した言論統制みたいなものがあるわけでもない。キリスト者にとって、人としての道にのっとり言論と表現の自由はおおらかに認められている。絶対的な存在でありながら、神様は個人個人の自由をおおらかに許している。過ちがあれば、十字架のあがないによってご自分がその過ちと罪を背負ってくださる寛大なお人柄である。このお人にご迷惑をかけるようなことは出来なくなって、おのずから真正な人間に近づけるようになれるのかもしれない。 キリストをだましていたユダのような人物もたまに現れるかもしれないが、概ねキリスト者は云うところの善、真、美に於いて絶対なる神、その神の子として自覚しているから、俗に云うところの悪事を重ねる悪徳な人は居ないと思われる。    

  教会から渡される週報の一部に、訃報が載っていることに偶然気づいた。何時もあまり気にかけたりして読むようなことはなかったが、この日は小生がたまたま献金当番であったからである。 訃報に関連して、何と小生がこの教会で畏敬の念を以て接してきているご夫妻の名前が載っているのでびっくりした。かねてから長いこと愛妻を看病して来ている上田良治さんの名前があるので、奥さんの留美さんのことであれば残念ながら納得いけたが、御主人の良治さんまでが載っていることに腰が抜けんばかりに驚いて、週報を何度も繰り返し確かめたのである。しかし間違えなくお二人の名前がますますはっきりと解読し納得させるまでに至ったのである。遠慮し勝ちに謂われる良治さんは奥さんの看病に献身的であったし、4年前に都の職員を退職された後は専ら奥さんの看病にすべての時間を注いでいた。奥さんの留美さんはお元気なころは人懐っこい人柄でほほえましく、家内と一緒にいつも数名の仲間同士で教会で活躍し、旅行にも度々出かけて親密な間柄であった。病に伏してからは教会にも出てこられなくなって7,8年は経つだろうか、家内は電話でのやり取りとか、病院へ見舞に行くくらいであったが、 信仰心の篤い良治さんは愛妻の看病と介護で足がおのずと遠のいていってしまって、そのうち看病疲れが重なって体調を崩されていたことは知っていたので、見舞状を出したりすると丁寧な返事を頂いたりしていた。まさかお二人が共に時を同じゅうして天に召されていくとは想像すらしなかった。良治さんが5月に31日に、奥さんが後を追うように5月の1日に天に召されたとのことである。長年お互いに助け合い手を取り合って来た長い人生の伴侶として、この世を去る時も手を携えて天の神様の下へ旅立っていかれたことと思うと、絶句して、お悔やみ申す言葉を失い感無量のままである。 思い出が後から後からとめどなく続いて、ご夫妻の人柄が熱く眼がしらに浮かんできては過去をしのんで時が流れていく切なさに耐えきれない思いでいる。 教会での祈りの時間が無意識のまま過ぎていった。今教会は牧師が居ない状態である、それにしても教会の祈りが始まる時間の牧会祈祷の中で一言も訃報を知らせる祈りがなかったし、 ひたすら上田さん夫妻のことが頭から離れなかった。立派に功績を果たし役所を離れた上田さんはまだ若いはずだし、これから社会に自由に活躍していく立場の尊い人材である。 逝去の報せは、正に青天の霹靂と映ったのである。修行のたり舞い自分にとっては、悔やんでも悔やみきれない思いである。
 
  皆から尊い献金を集めて感謝の祈りを述べるにあたり、通常通りの祈りを述べて、物情騒然としたこの世の様相、人類を襲っている飽くなき疫病と戦争、そして食糧危機が一日も早く解決され平和の訪れを心から祈念する旨、一首の和歌を添えてお祈りした。「艱難と辛苦に耐えて主の道を歩むわが身に迷ふなきかな」と即興歌で締めくくった。そして畏敬してやまぬ上田さご夫妻の訃報について、自然に触れて追悼の意を簡単に述べるような流れになった。私は、この教会で親しく付き合ってお互いに認め合う仲間の一人として尊敬していた上田良治さんが亡くなられたことの慨嘆の念を禁じえない心境でいること、愛妻の留美さんが長い闘病生活に伏している事を承知して、奥さんの回復をひたすら祈っていたことを述べ、お二人の天に召されたことは正に突然襲った雷鳴の如くかんじたことの心境にて思いの丈を語り、追悼に和歌の二首を詠んで鎮魂歌として十字架の前にささげたのである。
 
訃報なり上田夫妻の天に召す主のみもとにて安くあらまし

たましいを交わす親友の天に召す惜別の情耐えがたきかな 

しめやかに上田夫妻の在りし日を今にし覚へ惜しまるるかな     6月13日

一気に0,75%の大幅利上げ


  今朝に新聞各紙に一面には大きく、アメリカの金利引き上げ0,75パーセントの大幅引き上げと云う字が大きく踊っていた。FRBのインフレ抑制に対するままならぬ信条が伺えて、それを受けた世界各国の金融担当者は、この先の経済見通しに対し容易ならざる危機意識を持ったに違いない。

  思うに、アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会は15日まで開いた会合で、およそ27年半ぶりとなる0.75%の大幅な利上げを決めた。記録的なインフレに収束が兆しが見えないなかで、市場が予想し、FRBも事前に示していた利上げ幅をさらに拡大するという異例の対応に踏み切った。FRBが事態を深刻に受け止ている小差であり、短期決戦に臨んだ措置で、今後の物価上昇の推移を見ながら更に利上げに踏み切る可能性を残しているといはねばならない。これに倣って欧州各国を始め利上げに踏み切る国が後に続くと思われる。世界の金融市場に与える影響に注目すべきである。

  それにしても通常の3倍にあたる0.75%の大幅な利上げは1994年11月以来、およそ27年半ぶりである。これによって、政策金利は1.5%から1.75%の幅となる。FRBはインフレを抑制するため、先月の会合で0.5%の利上げを決めたうえで、今月と来月の会合でも同じ幅の利上げを続ける見通しを示していた。しかし、先月の消費者物価の上昇率がおよそ40年半ぶりの8.6%に拡大するなど、エネルギー価格の高騰や、人手不足に伴う賃上げの動きを背景にインフレに収束の兆しが見られないことから、事前に示していた利上げ幅をさらに拡大する、異例の対応に踏み切ったのである。
また、保有する国債などの金融資産を段階的に圧縮していく「量的引き締め」と呼ばれる対応も、続けていくことにしている。

  又さらには、今回の会合では、今後の利上げのペースについて参加者の予測が示され、ことし末時点の政策金利の見通しは中央値で3.4%と、前回3月時点の1.9%から大きく上方修正された。

日銀の政策決定会合

 アメリカのFBRが金利を大幅に引き上げて世界の金融市場に激震が走った。コロナ感染状況がウィズ・コロナに世評が短観して経済政策のかじ取りが大きく緩和された結果、旺盛な需要の高まりで企業収益が上がり、賃金の上昇もあって消費が活発な動きを示している。加えてウクライナ戦争で資源が高騰し、全般的な価格上昇につながって、特に消費者物価の上昇が顕著である。利上げに踏み切るにはs絶好のチャンスと見たFBRは果敢に利上げに踏み切ったのだろう。

  世界の主要な中央銀行が引き締めに動く中、我が日本の日銀が金融緩和をかたくなに堅持している。黒田総裁の説明によると、物価は目標の2%に上昇したものの、主として原油高によるもので、景気自体はこの異常な原油高で下押しされている、とする判断である。物価は上がっても、景気はぜい弱であるため、金融緩和で景気を支えたい、というわけである。金融j緩和で消費者の購買力がついて景気が良くなり企業も儲かっていく要は循環を経て、賃金が上がり、そしてまた消費者のものを買う力がついてくれば酔う性格の物価高となり、消費と生産の好循環に入るわけである。懐が寒いのに弁当や交通機関が上がったりすると、これは悪性インフレである。最近はどれもこれも値上げ旋風で消費者を圧迫しているが、賃金が上がりさえすれば、値上がりは圧迫にならないで済むが、ここに黒田総裁に失言が出てしまった。

  消費者物価の値上がりは、家計が許容する範囲であると、あたかも所得が上がって懐が値上がりを許しているかのごとき印象を与えてしまったので、非現実的発言で庶民の感情を逆なでするものだと非難されたのである。総じて物価は全て上がっているといっていいだろう。上がらないのは勤労所得、即ち勤労者の賃金である。賃金が上がることは企業の業績がいい証左であり、そのことは企業の国際競争力が高い水準にあることであり、将来に向けた経済発展の大きな基盤を形成していることにもつながってくる。いい意味での物価上昇であるが、現実は全くその逆であるから始末が悪い。前述のような失言で、総裁は発言を撤回してお詫びした仕儀である。日銀総裁を何年務めているか知らないが、たぶん6,7年にはなるだろう、その間記者会見なるものは50回前後に及ぶ。その間同じことを繰り返し述べてきていることも、その辛抱強さは特筆すべきことである。
 
  金融政策で対処するのは物価か、景気か、との選択において、日銀の判断は間違ったものではないと思われる。しかし、金融緩和だけで景気を支える力は弱く、実際に黒田日銀の政策は10年近くも大規模緩和をやってきているが、現実には力強い景気回復と、賃金上昇に駆動された物価の上昇、という当初の目標を達成するには至っていない。
 更に言及すれば、持続的な金融緩和の姿勢は、金利を引き上げて欧米中銀がどんどん引き締めに動くことで、内外金利差がますます拡大していき、円安に加速がかかって、外為市場で「悪い円安」が進む、という副作用が生じています。すなわち過度の円安は輸入物価の上昇につながり、原材料の原価に跳ね上がって消費者を圧迫していく懸念がある。副作用があまりにも増大していくことになれば、逆に日銀は現在の金融緩和の修正を迫られる恐れがある。いたずらな乱高下を招き経済政策の失敗にも跳ね返ってくる心配がある。黒田金融政策の失敗の積み重ねである。出口が見いだせない、失敗であることは自明である。    6月18日


日常、家庭の主婦が経験している消費者物価の高騰ぶりは、黒田日銀総裁に聞いても分からないということである。先日の国会審議で野党の質問に黒田総裁は、自らスーパーに出向いて買い物をしたことがなく、家内に任せてあるので仔細については存じ上げないという旨の珍答弁をやりかわす羽目に相成った。日銀総裁だからと云って、台所事情が分からないようでは勉強不足であり、庶民感覚からほど遠いと揶揄されても仕方がない。トップの発言は、謝ったからと云って済むものでもない。そんな姿勢でいると、物価が値上がりして三浦大根一本が二パーセント上がったとい端的な結論は得ることは出来ない。大根一本が上がったとすれば三割か四割の上げ下げである。それほどに家庭の主婦は旦那さんの知らないところで苦労しやりくりしていることである。黒田さんにかぎったことではないし、岸田さんも気を使って発言しないと国民の怒りを買ったりするから迂闊にものを言ったりして失言しないことである。

  玉ねぎが二倍近く高騰している。ガソリンもしかり、資源ばかりではない消費財、生産財の両面での中間財を含めると、日銀の目指す二パーセントという数字は幽霊みたいなもので、いつまでたっても掴みどころがないガスみたいな気体である。もたもたしている間に取り返しにつかないことにもなりかねない。マルクスは共産党宣言の冒頭に、幽霊がヨーロッパに現れた。共産主義と云う幽霊であると述べているが、世界的な規模の幽霊が現れた、物価高のインフレと云う幽霊である。幽霊は幽霊であって消えたり出たりしていて掴みどころがない。だからと云って曖昧な説明をしていると、その間隙を縫って、投機筋が巧みに円を売ってくることもありうる。要注意である。  6月19日

ねじばな

  拙宅の庭の芝刈りは例年だと既に4回、芝刈り機を使って済ましてあるはずだが、今年は先日の三回目の芝刈りを済ませたあとは、芝刈りを見合わせている。と云うのも実は根の強い芝生のなかにいつの間にか生え出した「ねじばな」がたくさん生えて、花のつぼみを付けた細い幹が、このままだと一面に生えるくらいに可愛らしく茂ってきているので、芝刈り機を使って一気に芝ごと刈ってしまうのが可哀そうに思って刈れないでいるのである。せっかく芽を出して何回か駆られてしまったはずが最終的にか細い幹だけが痕跡を残し、しばらくすれば桃色の愛らしい小さな花をいっぱいつけて捻れたままに咲くはずである。その間、芝生が生い茂ってしまうのは仕方がないとして小さな野生の赴くままにさせておきたいと思ったからである。ねじばなについてものの本によると次のようにしたためてある。
「ねじばな」は、湿っていてしかも日当たりの良い、背の低い草地に良く生育する。花色は通常桃色で、小さな花を多数細長い花茎に密着させるようにつけるが、その花が花茎の周りに螺旋状に並んで咲く「ねじれた花」の形がその由来である。「ねじればな」、「ねじりばな」、「ねじり草」とも呼ばれる事もある。

  確かに背の低い草はらに細い根を下ろして可憐に咲く立ち舞いは、ほっそりとした可愛らしさで小雛のようにも感じてくる。ちょうど我が家の庭の芝生に咲く「ねじりぐさ」は、ものの本の紹介に出てくる説明のさまにそっくりである。青々と広がって敷かれている芝生のふちを芝刈り機で刈って、ねじり草の生えているところは刈らないでそのままにしておいてやった。中央の芝生の日当たりのよい処では、桃色の花をつけた花の細い棒が沢山立ちすくんで咲いており、如何にも楽しそうな風情である。ねじり草を踏みつけたりしないように、気を配りながら芝生の上を素足で歩いて、夏の感触を味わっている。緑の芝生に散りばめた桃色の小さな花に、明るい夏の日差しの組み合わせは如何にもメルヘンチックで、身をこごめて眺めていると知らずうちに童心に帰る気がしてくる。何とも言えない心境になって 「ねじ草にとなりてねむる胡蝶かな」の一句がふと浮かんで出たが、よく考えてみると与謝蕪村が詠んだ一句に似たような有名なものがある。「釣鐘にとまりてねむる胡蝶かな」の一句である。ふと、熊谷守一の版画絵を思い出しても見た。すると小生の一句の方が写実的で、身近に覚えて暖かい気持ちになる。

愛らしきねじ草生えて可憐なる花をつければ見つめ惹かれり

ねじ草の慎ましく立ち芝生より刈らずに置けば競ひ咲くなり
                                            6月20日

乱世のこの今に生く道のべにイエスも絶ちてともに在りけり

今ここにおわすイエスに呼びかけて神のみ言を現せんとて

今ここにイエスとともに触れあひて心ひとつに歩みむかまし

十字架の愛と恵みに満たされて心の底ゆ祈り給えへり

大いなる主のみ言葉に誘われ愛と恵みに満ち溢れたり

敬愛す上田夫妻のここになく天井の人となりて遠くに

誠実な影を残して天に召す上田夫妻に安き癒しを

寄贈さる分厚き聖書を開くたび夫妻の豊かに偲ぶよすがに

愛妻よりいっとき早く逝く君に追ひつく君が愛し妻なり

天井の真砂の星のきらめきに時に涙となりて落ち来ぬ

上田氏の面影あつく在りし日の友ゆへ今もしきり祈れり

主は皆に貴方方はと呼びかくる宜しくと云ひてを差し伸べり

我れが書く昭和経済を理解せる唯一の友は天のみもとに

速やかに君逝くあとに追いひつきて携へ行きぬ汝れが妹かな

思ふだに泥田に生きて咲く花の蓮の花こそ愛でしまことに

現世も捨てたもんじゃないないと云う手を携えて生きるこの道     6月22日


        
        
       プーチンの残虐性

戦争を巧みに仕掛け侵略すロシア・プーチンの王国の妄想

少年の頭巾をかぶり当てどなく難民に入り泣きながら行く

哀しみと痛みにくれる少年のててはは居なくなりぬあとなり

無差別に砲火弾薬を浴びせ撃ち廃墟と化しぬ美しき街

プーチンの暴虐非情の仕打ちにて老若男女の皆殺しに会ふ

旧式の武器消耗のあと核兵器ちらつかせける極悪プーチン

穂の波の小麦畑の上を飛ぶミサイルの弾轟音残し

夏の日の日照りの下に泣き叫ぶ赤子が弾を受けて野に立つ

容赦なく弾を撃ち込む砲弾の庶民が住めるマンションの壁

侵略者プーチンが行く式典の赤き絨毯ににじむ血痕

我が神よ心の底ゆ褒め称えこの世に平和をもたらし給へと

全能の神にこたえて進みゆく真砂の星の果てを求めて

有限の我かもなれど主につきて永久の証しを知るよしもがな

死の淵よみがえりたる全能の三位一体の君に付きゆく

この世をば荒らしまくれるプーチンの悪行に討つ神の鉄槌

非情なり非人間的な振る舞いに恐怖を覚ゆプーチンの業

同朋の救済と称し侵略す民衆を討つ暴虐のプーチン

何かも捨ててわが身に付いて来よ主イエスが斯くの給へり

美しき花と緑の時は来ぬ我が宅の辺のあたり見まはし

庭畑のおおばを摘みて誇らしく妻が笑み立つ夕映えのもと

草刈りの点検に来てたまらに妻と一緒に作業し出せり

幸いに駐車場にも雑草はさほど生えずに掃除澄ませり

立ち草を引けばたやすく根から抜け鎌刈る要もなくて楽せり

さんさんと照り付ける日の真夏日に昨日の作業を良しと思へり

情熱の男と高木弁護士の余に評伝を賜りし身に

長老の高木国男弁護士に久しくあえて嬉しかりけり

有難く評価を高く賜りて高木先生より講演の会

会場は平和と希望と喜びに満ちてあっこの先を祈れり

豊かなる三笠の山に夏は来ぬ栄ゆる緑に光みちみつ      6月22日


   梅雨明

   今年の梅雨は、時期がずれたのかと思うほどに雨らしい雨に会わずに、むしろいつの間にか真夏の日差しに照り付けられて辟易とする日々を迎えることになってしまっている。今年の梅雨は、しとしとと糸のような細い雨に濡れながら紫陽花の色のうつろいを楽しむようなことはなかったような気がする。梅雨前線が停滞せずに、本邦をそれて北上に向かって停滞してしまい、そこに南に張り出した高気圧の影響で、南からの熱い空気が流れこんで一気に気温が上昇して、そのままの状態がつづいている。これは西から流れている偏西風が今年に限って大きく蛇行した結果である。なが雨が降れば降るで憂鬱な気分になるし、晴れ上がった灼熱の青空を見れば外に出るのももどかしく思うといったように、人間の気分は都合のいいように勝手であり、気にしたらきりがない曲者である。今年の梅雨時の気圧配置も勝手な振る舞いをして肝心の必要な雨をもたらさずに真夏が来てしまったわけである。

  週明けの今日も、暑い日照りの中を家を出て家内の車に自由が丘まで送ってもらったが、車からいきなり出ると熱い日照りに目が眩むようであるから、ふらつきや熱中症には十分気を付けないといけない。家内の気を付けて行ったくださいという励ましに胸を張って出てきたが、この日照りの熱さに気づいたら、気抜けのするような気分になってくる。比較的空いている地下鉄を乗り継いできたが、車内の冷房は効きすぎるくらいにサービス過剰のもてなしに感謝した次第である。おかげで直接頭から気持ちが引き締まって勇躍し、オフィスに向かうことができた。スマホを見ていたら、今日は気象庁が梅雨明けを宣言した由である。早い梅雨明けに戸惑いを感じていたが、世間の景気観測を気にしたら、早い梅雨明けの方が活気がついて世の中に良い結果をもたらすに違いないと思った。ただし梅雨時期の降雨量が少ないと電力会社の発電機能に影響を及ぼして、電力不足を齎しかねないので、これも又心配の種である。
                                       6月27日

梅雨の間の熱き日差しにねじ草の小粒の花の咲くも見事に

かれ梅雨となりし今年の水無月の未だにらしき雨のなきかな

火照る日の猛暑到来に辟易し熱中症に気を配る日々

ねじ花の小粒の紅き花を見て避けつつ青き芝を刈りゆく

ねじ草の花そこここに咲き居れば庭の芝生を刈り能わずに

ねじ草の身をくねらせて細く立つ赤きリボンをあまた飾りて

生い茂る芝生のむせて吐く息にうなだれて咲くねじ草の花

可憐なる花の小房を丈に着け身をくねらせて幾重にも咲く

ねじ草の花咲き居れば自ずから芝を刈りとり道を作れり

紅色の小粒の花ゆ立つ蝶の飛ぶ天上の白き灼熱

ねじばなの何時より斯くも可憐なる花咲かせしや我れが庭にて

ねじ草の一株分けて鉢に置く似合わず元の場所に戻せり

細き身にしがみ付くよに咲く花の小粒に詰めて狂ひ触れあふ

ねじばなの米粒ほどの大きさに線香花火のやふに灯せり

細き身の女が踊るフラダンス似合ふその名もねじり花かな

照り付ける日差しに伸びるねじ草の紅きつぶらな瞳付けおり

夏ぐさの茂みに負けでねじ草の優しく伸びて花をつけ居り

芝を刈る先にねじ草立ちければ小粒の紅き花を避けたり

猛烈な夏の日差しに咲く花のねじ草ゆえに愛しかりけり

飛びたてる夏の日差しに耐えられず蝶の一羽がねじり花より

白蝶の熱さに気づき飛び立ちぬ真紅に咲けるねじり花より

照り付ける熱き日差しに白チョウの紅き花より飛び立ちて行く

モッコにて冷やしパスタを食べて出る猛暑に蓋しふらつきにけり

風絶えて青きみ空に光のみ白くただよいひ猛暑止まざり

猛暑なり何事もなく街を行く烏の一羽の吐きしその声

厳しさにねじり草より飛び立ちぬ白き蝶々の焼ける天上

伊勢崎に四十・五度を記録せり心身ともにだるむ心地す

猛暑来て町の日照りに人影のなきもコロナに馴れし身なれば

伊勢崎に四十度を超す暑さにて麻の背広も湿りけるかな

酷暑なり骨身に応ふ日頃にて外に出でずに読書するなり

裕介の猛暑の中をボルチモアの空に向かひて飛び発ちにけり

ボルチモアのホプキンズ大学は裕介の第二の母校なれば頼もし     六月二十七日

   プーチンの対応  

  最近のむくんだプーチンの顔から、高齢にありがちな血症的欠陥か重い糖尿病の兆候が伺える感じである。以前のような精悍な顔つきからすると、識者が指摘するように何かしら衰えみたいなものを感じてくる。焦りが嵩じて、ウクライナの戦況では耳目を疑うような乱脈非情な攻撃を指示しているようだし、政権内でのほころびも見えてストレスも加わって、焦燥気味なところも推察される結果かもしれない。普通の神経の持ち主で、常識ある人間なら、ウクライナ戦争に見るような蛮行は出来ないものだが、古今東西の政治史を見ても、遺伝子的な欠陥から来るものと、後天的な環境支配説にのっとって表れてくる症状とがある。プーチンの場合、長年の専制、独裁的政権の座に鎮座し蛮勇を振るっていると有り勝ちな独善的思考と妄想で狂った判断に傾斜することがある。プーチンは後者の事例である。

  病的疾患があることも確かである。顔全体に現れてきたむくみである。肥満したわけではない。顔の身に出る不健康なむくみが感じ取れる。血症的疾患があってくるものと、内分泌症疾患から来る病的表れである。専門医の診断と治療が必要であるが、常時プーチンについているという話もある。いずれにしろプーチン自身の個人的環境もあまり芳しいものではないゆえに、病的症状はウクライナ情勢についてプーチンが一喜一憂することにかかっているといっても過言ではない。受け身に立っているゼレンスキーの方が元気があって活発である。ゼレンスキーは私利私欲がないから、毅然とした姿勢を貫いて、祖国と国民の生命財産の死守のため健闘することができるからである。若くして公正な信念を堅持して文字通り命を懸けて弾丸のように戦っている姿は共感を呼び立派である。


戦場と街なかに落つミサイルの硝煙に立つゼレンスキーよ

無差別の砲火に向かう兵士らの麦の穂なびくウクライナの地に

森を越え畑の大地をすれすれに飛ぶミサイルの無差別攻撃

兵士らのしかばね山と積まれたる中に子供のあはれすがたよ

罪のなき庶民が多く放浪の民と祖国を追われゆくかな

いたずらに武器弾薬を撃ち込みて他人の領地を攻めるロシアは

奪い去る他人の領地と財産を強盗に似る悪しき国家よ

異常なり雨なき梅雨の去りしあと烈火のごとき猛暑襲ひ来    6月28日


  パソコンの機能の操作については苦手な小生であるが、約一か月の間、昭和経済会のパソコンが正常な機能を発揮できずに困惑していた。このプログラムを立ち上げた業者に聞かないと不可能だということが分かった。その時のプログラマーは既に連絡できない状態である。周辺の人たちにも聞いたりしていたが無理だし、取引先の大塚商会の専門家に聞いてもこの点については分からないというお手上げの状態でいたところ、当会の職員の友達にプロラムを立ち上げ等を趣味にしている人がいるので聞いてみてくれると云いうので一縷の望みをかけていたところ、果たして昨日の深夜には、当会のプログラムの立ち上げを修理して元の機能に戻してくれることができた。深く感謝しているところである。

直ったというメールを職員からもらって、つかさず「それは良かったり、流石な人がこの世に在り」と打ち返したのである。パソコンの販売をしたり修理したりする人は沢山いるが、それを駆使する工程を作成する、いわゆるプログラマーと称する人は限られているからましてや趣味としてやっていると云う今回のケースは稀である。こうした器具によほど精通した人でないと、機能を立ち上げっることは難しいようである。常識的に認識してはいたが、今回こうした世界の一端をのぞいてみて、まるで生き物のような働きをするコンピュウター、パソコンの世界の深さと広がりに気づいた次第である。頭の脳みそを授かった人間のありがたさを実感したが、象にしても、蟻んこにしてもそれなりにち密な働きをして生存競争に打ち勝ってきていることを思うと、脳の組織のち密さと、不思議さと、有難さに畏敬の念が湧いて来たのである。この度のlプログラマーの人の脳の働きを見て、コンピューター、パソコンの摩訶不思議な働きを制御して、矢張りわれわれ人間の脳に勝るはないと思って安心したのである。ましてや情感の世界になれば、我々の尊い脳神経の作用に勝るものは未来永劫に現れないだろと確信するのである。がしかし、そんなことが過信につながらなければいいがと、ふと複雑な心境になってこの先の精密機械の世界の発展、例えばアインシュタインのような人物が沢山現れて、ロボット化されてゆく超革新的世界を前にして思ったのである。       6月29日


  未だ気づかないプーチン

  天才はなかなか人の意見や忠告を受け入れない性格があるが、一科学者や芸術家と云ったいわゆる一匹狼な立場ならいいが、人を引き連れて社会に臨む者にとっては、引き連れられて行く人々に対する責任と云ったものが生じてくるので、天才と云った天ぶのものを絶対視して発揮することは先ず不可能と断じていいだろう。
  


               
                             

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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