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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.10.1


大型 台風16号と岸田総裁の始動

  大型台風に発達した16号が本邦に接近、東日本にかけて太平洋側が強い暴風圏に襲われている。最大風速32メートル、一時間の降雨量100ミリを記録し、現在台風の目は伊豆大島辺りを東北にゆっくりと進んでいる。東日本は大荒れである。横殴りの雨の中、銀座の日比谷線を降りた私はそのまま数寄屋橋改札口を出、西銀座のインズの商店街を通って銀座一丁目の交差点まで雨にぬれずに着いた。雨を避けて行く、会社への至近距離である。外に出た後は、外堀通りを渡るだけである。自由が丘で客人と会って喫茶店「集」で要談のあとゆえ、時間は午後になってしまった。ついでに昼食を済まそうと大きな店を貼る銀座マックの隣りにある「琉之亜コーヒー」銀座インズ店に入り、サンドウィッチとコーヒーを注文して外の雨の様子をうかがいながら会社に電話、20分後に出社した。

   今日は気楽なスタバやドトールと云った店とは違い、高級な喫茶店の梯子であった。飲み屋での梯子は、今日から緊急事態宣言の解除で気楽に飲めるようになったが、このあらしの中では、粋人たちは久しぶりの酔いどれ天使にもなれず、はしごをしたりしていると風に飛ばされそうで怪我でもしたら大変である。折角の禁酒の解除も台風の影響をもろに受け、期待はずれで悲しいかな店はどこも閑古鳥だろう。現在、海上を進行中の台風の進路はあまり変わらない様子であるが、何時ものように各地に大雨をもたらしながら勢力を弱めつつ洋上に去っていくに違いない。

  猛烈な台風の影響下にあって、総裁に就任した岸田さんは懸命に党役員人事に取り組んでいる最なかである。発足する岸田内閣の前途を占うように、論功行賞は避けがたく前政権、前々政権の負の遺産を引き継いでいく感じで前途多難である。党の刷新と若返りを訴えた岸田さんとは裏腹に、前政権の安倍、麻生の色彩が濃く、早くも岸田・安倍内閣かと揶揄する人もいて何ら変化がないとみた東京株式市場は悲観的になっている。ニューヨークの株式が下落しているのは、経済的要因からである。自民党の総裁選挙で岸田さんが決まってから東京株式は昨日、今日と急落している。今日は取引開始と同時に500円安から始まり700円台安までに下げ幅を広げている。

  思い起こすのは、先週9月22日の午後11時から始まったテレビ東京のWBS の番組に出演した河野、岸田、高市、野田氏ら4人の総裁選の候補者に司会者が尋ねた質問があった。自分が総裁に選ばれたら株式は上がると思うかと云う奇抜で的確な質問に対し、✖、〇のうち全員が上がるという〇の札をかかげたのである。しかるに今日の株式の急落は一体何を示しているのか、総裁になって二日目の岸田さんに説明してもらいたいものである。株の上げ下げは、政治的要因が多少なりとも起因するだけに注目していく必要がある。

  岸田さんは母校の早稲田大学の出身で後輩にあたる。先輩づらして威張るわけではないが、野人的伝統のある学府である。たかが総裁の椅子、されど総裁の椅子だから仕方がないが、なった以上は身を賭して、国民が周知の政界の毒を吐き出させ、積年の膿を絞り出す、辣腕を発揮してもらいたいと思う。しがらみを絶つ蛮勇が欠かせない。謂うところの官邸主導の政治手法は長期政権の故にゆがみが鬱積し、官僚の忖度を以て行政の正常な機能を失ってきている。これを引き継いでいくとしたら、岸田さんの総裁就任の意味が失われてしまう。首班指名のあとの人事で本意を全うし、解散で民意をくみ取り、生みの苦しみのあとはすがすがしい心境での船出は、待てば海路の日和成りで、禍根無き海路が洋々として開けるものである。 

只、感心したことがある。総裁候補として名乗り出た時に、あれだけの権勢を振りかざし、事実上の一党支配を許してきた二階幹事長に立ち向かって、党執行部の一期一年、期限を二期までとする公約をかざして立ちあがった勇気出である。 金庫番を牛耳って何年もやられたからには、権勢を広げて我が物買いに跋扈し、コップの水も濁って公私混同となりかねない。岸田さんが一刀両断の元、この悪しき弊害を断ち切ったことは、自民党政治の浄化と活性化を図るうえで大きな力となる二tがいない。中央政治も派閥集団で支えられていることは暗黙の了解とするところで、致し方ない現実であるが、民主政治が国民の民意によって支えられている限り、今までの執行部の在り様は専制政治に近いもので受け入れることは出来ない。安倍長期政権が存続し得たのも、二階党執行部の独占的権力の行使に寄るからである。その間、日本の行政は完璧にゆがめられて恣意的に行われる風習みたいなものが醸成されて行った。つまり腐敗、堕落の温床となっていった。岸田さんに一事が万事、こうした弊害、弊習を断ち切っていくことが肝要である。

暗雲渦巻く大型台風は八丈島付近を通過、今は銚子沖200キロのところにあるようだ。当会、関東周辺の暴風圏では強風と豪雨をもたらし暴れ回っているが、やがて東方海上に去っていくことだろう。明日は台風一過、晴天の輝く秋空が展望できる。政界も、自民党も然り、積年の汚物を一気に吐き出す改革が必要で、一刀両断のもとの決断が求められる。 これからの組閣人事も注目される。今からでも遅くない。明々白々、巷の若者たちが求めているように、誰にも分かるように抵抗勢力を砕いて邁進してもらいたいものである。くどいようだが、旧態然を排し、岸田新政権の独自カラーを打ち出して総選挙を戦う準備をしてもらいたい。例えば「新資本主義」と云って新しい体制の躍動感を訴えようとしている、その意気込みには敬意を表したいが、国民に分かりやすく骨格を示したもらいたい。「 新しい酒は新しい革袋に入れろ」とは、昔からの箴言である。      10月1日


台風の雨横なぐる束の間に男ごころを身にそ覚へり

あめかぜのすさぶ街なかを一人行くしかも銀座の大通りをば

大型の16号の台風が最接近の相手ならなほ

人影のなき街かなを窺ひてオフィスの窓に当たる雨かぜ

日本の政治改革を民衆が自民に求む知らば現状

国難と捉ふ日本の現状を自民が認識するや否かと

国民に向けた総裁選挙での公約を岸田は忘るべからず

新しき構想のもと期待せん岸田内閣の若き陣容

執行部役員選定の穴埋めを組閣に生かし清新の気を

成長と分配を同時に果たし行く経済運営を唱ふ岸田氏

台風の一過のあとの秋空を遠くに富士を眺むあしたは     10月1日

   中国恒大集団の影響

   10日ほど前の新聞記事の一つに、中国の恒大集団の債務不履行のを懸念する記事が載っていた。恒大集団は中国を代表する不動産開発会社の一つであるが、積極的な不動産開発を手掛け膨大な借り入れが生じている。記事は、23日に迫った人民元建て債の利払いが、可能になったと伝える内容である。その記事以来、順次迫ってくる債務の利払いをはじめとする社債の償還日の接近で、恒大集団が債務不履行に陥るのではないかとする懸念が、金融市場を不安に揺さぶっている。思惑で金融市場が、第二のリーマンショックの引き金にならないか、市場関係者は神経を尖らしている。ニューヨーク市場に連動してか、東京株式市場も恒大集団の成り行きを見守ってこのところ危ない動きをしながら下落している。

   自民党の総裁選挙が終わって明日にでも岸田内閣の閣僚の顔ぶれがそろう感じだが、何だか新鮮味のないはっきりしない内容である。やたらに省庁のみの数を増やして穴埋めする感じで行政改革に逆行している。派閥への頭の割り振りに終始しているところが岸田色を出していて、既に独自色は失われて短命の評価である。加えて、森友、加計問題、桜を見る会や1億5000万の党費の件や公文書改ざん問題など、そのまま引きずっていくつもりなのだろうか。人事に脛に傷を以て人物の登用を許したりして、野党からの集中砲火を浴びて今後の政局を揺るがしかねない。まじかに迫った総選挙で、国民のどんな審判を受けるか、流動的である。それでも組閣を終えて記念撮影に臨んだ岸田内閣には、若手の登用で今までにない顔ぶれを感じて努力したあとが伺え、濁ったコップの水の入れ替えが済んだと解釈しなければ、我々の気が済まないといった好意的な気持ちである。      

  妻の実家である小島家の当主、小島康雄二兄の納骨式が横浜市西区の東福寺でしめやかに行われた。今朝は、昨夜からの台風16号が去った後の澄み切った秋の空である。東福寺で読経が始まるのが10時からなので、拙宅を9時に出た。息子と娘も一緒に出向くので、目黒から来た息子の車に便乗して出かけた。代官山で娘の明子を乗せてきたので、久しぶりの家族一緒の外出である。緊急事態宣言が解除されたが、朝から幸いにも車は空いており第三京浜をあっという間に通り過ぎて横浜市内にはいり、東福寺には早めについた。森閑とした境内に立つ母屋と仏殿の配置だが、名門にふさわしく、寺は静かな威光を放っていた。広い客間に入り悠々として寛いでいると中庭から涼しい風が吹き抜けて爽快な気分である。と同時に厳かな霊気を感じてくる。  

   小島家は代々、横浜切っての商家である。 亡くなった当主の康雄兄は知る限り三代目に当たり享年93歳であった。初代の源次郎は天保十四年、1843年八王子の千人町で生まれた。幕末以来、長崎、神戸へと開港機運が高まる中、横浜も強力な経済的好条件下で早くから貿易港として発展し、生糸の取引が盛んになり始めたころであった。明治九年には、源次郎も横浜に移住し定住した。横浜生糸で仲買業を営み財を成し、発展の基盤を築いた。 中区南仲通の交差点に三菱銀行の横浜支店があるが、その隣に小島周次郎商店のビルを構え生糸と証券の業種で繁盛した。

  二代目の周次郎は一橋大学を卒業後間もなく源次郎男死去に伴い家督を継ぎ、源次郎の事業を更に業容を伸ばし、戦前戦後の横浜経済の発展に寄与し、幾多の要職にもついて公私ともに活躍した。神奈川県証券業協会の会長や、横浜生糸取引所の理事長などを歴任、東洋信号通信社を創立、横浜港を出入りする船舶の往来を助けたりした。会社とその面影は、港の見える丘公園に隣接して今も建っている。又、小島証券を創立し、証券業にも進出した。

義兄の康雄氏は温厚にして勤勉であり、父の偉業を寡黙に引き継いできた。横浜青年会議所の議長を務めた見識は、高く評価されている。時代の変遷で、新しく生まれたナイロンによって生糸の実需は狭まり市場の凋落は著しく、加えて度重なる証券不況やバブルを乗り越え奮闘する道のりで、其れなりの苦労もあったに違いない。故人はリスクを負いチャレンジ精神を発揮し改革を断行、現在そうした企業は時代の波に乗って後継者に引き継がれ、それなりの道に生かされてきている。概ね事業から手を引いた義兄は、閑職にいて悠々自適の生活を送って8月に92歳の天寿を全うしてこの世を去った。

   コロナ禍で、葬儀も身内でつつましく行われた。一般に最近の傾向で、表立っての葬儀は行われないようである。お別れの会も省略し、納骨の儀を済ますと然るべき人たちには書状を以て生前にお世話になったことに感謝の意を伝え、恙なく儀を済まし終えたことを通知するようである。小島家の菩提である東福寺は野毛山公園の直ぐ下にある、横浜市のど真ん中と云ってもいいくらいの街なかに在って、通称赤門の東福寺と云いて立派な構えをしているので有名である。故事来歴も古く、元心が寛元年間、1243年~7年にけけて創建したが、度々の火災に遭遇しながら現在の地に移ってきた。正式には真言宗光明派東福寺と称し、境内中央にには閻魔大王が祭られている。寺社本陣の裏側に大きな樹木の繁る広い山を配している。そこに多くの菩提の墓地が置かれている。

  小島家の墓地はその山の斜面を登っていく一番高い場所に堂々と祀られている。昔は墓地から横浜の海岸が見越せたが、今では大きなビルが立ち並び、海岸と港の景色を眺め渡す風情はない。 横着になった現代人にとっては、むしろ頂上まで登っていくことが難儀に思われる。しかし都会の騒音から遮断されて、樹木に囲まれた閑静な雰囲気には、得も言えぬすがすがしさが感じられた。親戚一同が縁者一同が遺骨の埋葬を済ませ、謹んで故人の安らかな眠りを念じて、心から冥福を祈ったのである。

   一通りの儀式を済ませた後、一行は十人足らずであったが、中華街に足を延ばし故人をしのんで会食の時を過して、しばし団らんの席をとったのである。 中華街は9月30日の緊急事態宣言が全面的に解除となって多くの人でにぎわっていた。久しぶりに見た街の活気で、明るい光景に皆が笑顔で街なかの散策を楽しんでいる様子に安堵したのである。これをきっかけに、コロナ感染者も漸次縮小の一途をたどって、願わくば東京や大阪で100を割り、限りなくゼロに近い水準に戻っていってもらいたいと思っていた。国民が一体となってコロナ禍に向き合い、人的物的にも大きな犠牲を払ってきているが、国難ともいうべきコロナ感染の克服の兆しが見えてきたことは、暗闇に見る一筋の光明である。                                         10月3日


日米首脳の電話会談

   米政府高官によると、バイデン大統領と、習近平中国国家主席との電話会談が年内にも行われることで合意したと発表した。オンライン形式だが、両国の衝突回避につながり、世界にとって朗報である。したがって10月末にイタリアで開かれるG20サミットでの対面形式の会談は見送られることになる。関与した米政府高官は、年内に行うよう国の協議が決まったことは大きな前進だと評価した。

  最近の中国の海外進出、とりわけ台湾海峡や、南太平洋での覇権的行動、ウイグル自治区での人権抑圧などをめぐってアメリアの反感著しいものがあって、外交上の大きな対立軸になっていた。両国の対立は世界にとって好ましいものではない。バイデンの強硬的姿勢が若干和らいで、習近平の歩み寄りも適宜を得たもので、両雄が賢明な対応に出たことは流石である。

  科学技術の躍進した今日、旧態然とした世界観では、指導者の理念と使命を貫くことは出来ない。転換する必要がある。最近、小生は世界を資本主義対共産主義に大きく仕分けする思想に疑念を持ってきている。分けても、身近にコロナ禍を経験して、机上に思索をめぐらしていると、この小さな地球に争いが絶えないことに、大きな矛盾を提起しないわけにはいかないと思うくらいで、その感を強くしてきている。、バイデンも習近平も以て範を示し、それぞれの執務室にこもって黙想してもらうといいと思う。大勢の装備した軍隊や、旗を振った民衆の喝采と喧騒を前にして、肩を怒らして閲兵、謁見していても、利己的で姑息な考えのみしか浮かばず、本来の雄大な思索は生まれてこない。思索を凝らし悠久の法界を凝視し、満天の星を仰ぐ時に、大人としての天を駆け巡る大いなる指導理念は生まれて来る。    10月8日

     10月の真夏日

   異常気象の一つだと片付けてしまえばそれまでだが、看過できないないと農家の人たちは言う。漁民の人たちも同じである。秋になってお天気が続き、気温がそれらしく下がってくることによって、熟成した農作物が順調に収穫できるし、漁業に携わる人たちも季節に合った魚類の水揚げを享受できる。しかし今日のように、秋の到来時期に、真夏を思わしめる気温が続くと異常気象による自然災害と受け止めなければならない結果をもたらして来る。いつもの年だと、秋雨前線が南下して本邦上空に北からの季節風が冷たい風を送り込んで正しく気温が下がり、秋がやってくる。実りの秋と称するゆえんである。自然現象、天然現象が正常に働かなくなると、地球上の万物に異常をきたすことになる。世界的気象状況の異変によって、今世紀はまさに地球上の大変化が音もなく忍び寄って、結果はこの先、人類の生存すら危ぶまれてくると云った深刻な状態であるあ。

   そうした矢先に、ノーベル物理学賞に日本人に真鍋俶郎さんが選ばれた。 真鍋さんは戦後~高度経済成長にかけての混乱期の中で就職先をアメリカ気象台に求めた。そして地球上の天気と気象の関係について研究を重ね、巨大なコンピューターを使ってモデル化に成功した。つまり地球の気候変動の複雑な仕組みを理論づけて、一律の法則を仕組みづけてわかりやすく解析したのである。真鍋さんが受賞の喜びを語った際に申していたように、気象学、地球科学、地球惑星物理学、大気循環学といった分野の研究がノーベル賞に選ばれる時代がやってくるとは思っていなかったというように、それほどに現在の世界が直面する深刻な気象状況のかく乱について、大いなる警鐘を鳴らしていることになる。その中で、大気中の二酸化炭素レベルの増加が、地球表面の気温上昇にどうつながるのかを示したのである。しかも今日を予測した1960年代には、気候に関する物理モデルの開発をリードしたのである。その先見の明たるや驚きに与えするが、真鍋さんの理論形成の成果に、今日のノーベル物理学賞が燦然と輝く光を当てたことは重大な意義があると思う。ご自分の仕事は全て好奇心から出発したもので、楽しみで引き出した理論形成であると、謙遜の弁そきりである。

   真鍋さんが理論づけた気象科学に関するモデルの空を仰ぎながら、前線の配置が狂っているとしか思えない今日の暑さである。温かい空気が依然として南から吹き込んで気温の上昇につながっている。先日、家内と一緒に耕作をp楽しみながら、庭畑を耕して石灰をまき、数日後に撒いた小松菜が勢いよく育ちすぎて食するに大変である。気温が温かく生育に勢いが勝っているからである。時期をずらして撒いたほうれん草も早々と芽を出して育ちすぎの感がある。この分だと冬場の収穫が楽しめず、寒に強いほうれん草の賞味期限の時機を逸してしまう。小松菜の畑を耕して、改めてほうれん草の種を撒くことにした。因みに北海道の気温が上がっているので、鮭の遡上も狂ってくるかも知れない。アワビやホタテの育成と水揚げも狂ってきている。サンマは手の届かないところで、食卓にものぼってこない。渡り鳥にも異変が起きていそうである。

  今日の日曜日は、狂った夏の蒸し返しで暑い日差しの中、麦わら帽子をかぶって汗だくの農作業に終始してしまった。昨日は家族の誕生日の祝い事で、代官山の有名な居酒屋で夕食を共にし、明子の住む高層マンションに立ち寄って美しい夜景を楽しんで、バースデイケーキを食べながらひとときをゆかいにすごしてきた。小生と、息子と、娘の、誕生日祝いを一緒にまとめて祝ったものである。
                                     10月10日


人類を襲った新型コロナ禍であるが、このところ感染者が減少傾向にあることは、何よりの朗報である。一時の感染爆発でこの先一体どうなるのかと毎日憂慮、狼狽の日であったが、東京では今日初めて今年最低の感染者数の発表があった。それによると60名の感染者数であった。小池さんの安堵する笑顔が浮かんできたし、辞任した菅さんの渋い顔だが責任を果たした顔も浮かんできた。尾身さんの温かい顔のほころびも浮かんでくる。このままウィズコロナで結構だが、減少傾向が続いて経済社会活動が快復して倒産や失業者が増加せずに済むよう願っている。喉ぼと過ぎれば…ではないが、気を緩めずにマスク着用、三密を避けることに皆の努力、協力が欠かせない。

   世界的に見ても、日経の8日付け朝刊̪紙の報道にもあるように新規コロナウィルス感染者が減少に転じて、世界120か国、地域で確認されたという。欧米中心に経済再始動が始まっている由である。しかしながら世界の貧困層を抱える国と地域では、ワクチンに支給が進まず、ワクチン接種が行き渡らないがゆえに感染者が続出しているところもあって、速やかな接種可能を実現すべく、国際社会が連携して救援に当たるべきである。                  10月10日

     国会の施政方針演説と代表質問

    衆議院の解散総選挙を前にして、岸田首相の施政方針演説を終え、国会は今日から代表質問が始まった。聞く耳を持つことが岸田首相の政治的信念と訴える国会に朝日新聞の夕刊のコラム「素粒子」は皮肉を込めて富裕層に優しい政治と云って、首相がかかげていた金融所得課税の見直しを早々と棚上げしたと書いていた。このところ株式市場がさえない理由の一つに、この件が重くのしかかっていたが、中間層の所得層を大事にして長期的な消費と投資を持続的循環を図る秘策であったが、事はなかなか難しいようである。ところが日本国民が景気よく一億総株主と喧伝されて久しいが、現状は政権の国民的人気を図る尺度として株式市場が値上がりしていくことが大きな要素になってくる。そうしてみると金融所得税を先送りするという首相の見解が明らかになった瞬間、今日の日経平均の500円近い反騰ぶりは岸田内閣の人気を裏付けるもので穏当である。新資本主義のはっきりした定義と実効的見通しが期待されるが、腰折れにならないよう、頑張ってもらいたい。

性急に施行する政策ではないことは承知であるが、一定額以上の金融所得税に付加することは、政策的に許容できるものかもしれない。中間層の投資家のすそ野を広げてていくためにも、金融所得税の早急な実施は慎重であった方が好ましい。岸田さんが総裁選挙の前に語ったように、「自分が総理総裁になった場合には株価が上がる」と云った公約は一時的かもしれないが上昇したものと受け止めて、これからの経済政策、財政々策の発表と実行に注目していきたい。

  総選挙を控えて野党の諸君も、各党の連携を強化して候補者が重なって共食いにならないよう調整を図ったりして奮闘中である。健全な現実的野党として、巨大な勢力を持つ自公政権に対峙するには、本来なら一党にまとまるべき野党が乱立している指導者がバラバラな現状では、仮に政権の座に就いたとしても安定政権を望むことは不可能である。そうした状態が続く限り、野党の諸君の政権奪還は難しい。「天下を睥睨して一世の間を逍遥す」ではないが、「小異を捨てて大同につく」気概が野党の諸君にのぞまれる。立憲民主党に合流して、一大勢力となって、グローバルな視点に立つ国民政党として脱皮する必要がある。 しかし、目前に迫った総選挙に果敢に望んで戦わねばならない。対立を煽るようなことを戦略として訴えるのではなく、自公政権以上の、国民に感動を与えるような現実的識見と展望、闘志を見せてもらいたい。            10月11日


横浜駐車場の土地の境界の立ち合いに10時半現地の赴いた。お世話になっている管理会社からの要請である。混雑を予想していたが、週明けの第三京浜が意外と車が空いていて運転が楽だった。気分よく第三京浜を走って行き横浜市街地を抜けて山手の住宅地に入った時には、昨夜からの寝不足が解消して気分が爽快であった。運転していると気持ちが飛ぶように和らいでくるから不思議である。もともと車の運転が好きな証拠である。箱根行の時でも途中休憩するようなことはなく、疲れを感じないからそのまま目的地に直行である。今日も運転している間に疲れが取れてしまった。

   仕事を終えて若い人たちを誘って昼食に行こうかと思ったら、未だ11時半を過ぎたころだった。いつもの昼食が二時前後の癖がついていて、食事にはまだ時間があるから次の機会にしようということで、作業の測量士たちと現場で別れた。作業中、一人の紳士が車から降りて訊ねられたが、マンションが建つのですかと云うので、よくわかりませんがと返事をした。この駐車場がなくなってしまうと近所の人たちが困ってしまうのでね、と心配げな顔をしていた。確かにそうに違いないが、いろいろな人からそうした話が耳に入る。

  横浜の元町を散策したいと思い、元町の綺麗でエキゾチックな街なかを中ほどに路上パーキングが空いていたので車を止めて300円のコインを入れて一時間の休養を取ることにした。カフェ・ラ・ミルを見つけて二階の店に、幅のある古びてエキゾチックな階段を上って店に入った。調度品もクラッシックで、仕切った先にスマートなカウンターもあって、なにがしか大正ロマンを掻き立てるような豪華な雰囲気の喫茶店である。夜の時間も素晴らしいに違いない。今までに何度となく元町を訪れてきているが、こうした喫茶店を見つけたのは初めてである。

   客人の姿はなく、「ご自由にお席をどうぞ」と云ってくれたので、窓際の真紅のビロードを張った安楽椅子のテーブルに席を取り、ゆっくりと身を沈めていると、元町の店に適ったかわいいウェイトレスが注文を受けに来た。喉が渇いていたので、アイスコーヒーを頼んだ。静かな時が流れていった。じっと目を閉じて物思いにふけっていると、疲れた後のせいか、昔のことが走馬灯のように頭をよぎっていく。ふとイタリアのミラノに立ち寄った夕暮れの町を連想した。元町通りにはミラノに似た雰囲気があって、趣向を凝らした店が軒を連ね、見ているだけでも時の流れを忘れてしまうほどに、ここからも窓の外を楽しく窺うことが出来る。銀の食器に乗ったアイスコーヒーがはこばれた。白いエプロンを胸にかけた乙女に、ほのかな郷愁を感じ、レトロな清涼感が伺えた。若菜集を綴った島崎藤村がこの席に居たら、どんな詩を詠んだだろうかと思いながら、この雰囲気が深く気に入ったのである。   10月11日

衆議院の解散

   今日、10月 14日国会は午後一時、日本国憲法第7条によって衆議院を解散した。19日に公示、31日の投開票である。衆議院465名の議席を争う選挙戦へと突入である。議員諸侯はバッチを外し国会を出、選挙区に向かった。空は秋晴れの快晴である。胸の内は複雑だが各人各様、今日の空のようにすっきりとした気持ちで自説を唱え選挙民の賛同を得るよう悔いのない奮闘を願っている。総選挙は、自公と立憲などの野党対決の場だが、問題の焦点は自ずと明確である。コロナ対策と、コロナ禍以降の経済回復を問う論戦である。き

   岸田内閣は首相就任後10日にして国会を解散するという異常事態である。解散から投票まで17日間と云う最短の選挙戦である。国会開会と首相の施政方針演説があって、これに対する野党の代表質問があって、直後から解散である。野党は予算委員会の開催を求めて集中審議を求めていたが叶わず、国民も与党の所信演説と、野党の代表質問の内容から判断して審判の一票を投じることになる。選挙戦ではおそらく、コロナ対策や景気回復といった問題の他にも森友・加計や桜を見る会や汚職や公文書改ざんと云った以前から引き継いだ格好の問題が訴状に上ることだろう。自民党にとっては逆風である。選挙は、国会の機能と、国会議員の資質を定期的にふるいに掛けたりすることのできる、絶好の機会である。国会運営の改善と、議員の優劣の選別である。

   聞く耳を持った岸田さんが、新資本主義と云ったテーマをかざして、これらの問題について野党の攻勢を上手にかわし、乗りきって過半数を維持するかどうかである。選挙協定を結んだ野党諸君がどこまで善戦して、自公政権の打倒に肉薄するか今回は千載一遇のチャンスと受け止めている。公示前だが夕方には、拙宅でも選挙戦の一報が早くも届いているらしい。議員にとっては、平生の毎日が選挙活動のようなものだから、地元民に分かりやすく日頃の政治活動を伝え、選挙活動に臨む必要がある。

  テレビ放映では、各党党首がこぞって選挙民目当ての資金援助や、支給金をかかげているが、人気取りの公金のばらまきは今に始まったことではない。 経済の発展は中間層を上手に育てていく政策であり、いろいろな方策があるはずである。「成長と分配」は場当たり的でなく、持続可能で効果的な施策を以て、真に国家的経済発展に寄与する力となる、中間層の育成に心を配るべきである。現時点での国家的発展とは、地方の経済力を意味するし、地方の活性化を促すものである。                                                 10月14日


一気に寒さが

  今朝の寒さに驚いた。空を仰ぐまでもなく、晩秋を通り越して、冬将軍の寒い風が一気に流れ込んできた。冷たい雨は午後には止んで教会からの帰りに、近くの食事処で昼食を済ませた。今日は8人の仲間である。三組の夫婦と、女性が二人の計八人である。遠方は神田明神の裏手の本郷から来る夫人もいる。朝が早いからお昼頃になると、おなかが空いてくるという。高名なお茶の師匠である。なので、いつも和服を召してこられるが、着付けが慣れているので着こなしが艶やかである。

  冷たい雨、風の中、店の席に落ち着いたが、今日の寒さは厳しいと異口同音であった。猛烈な猛暑に見舞われた今年の夏の反動かも知れないが、これからの寒い冬の季節を思うと身震いする。山の紅葉も一気に進んで、紅葉を鑑賞する時期は短命に終わってしまうことだろう。 那須塩原市の市街地に持つ三か所の約15000平米の土地のうち、二か所について伐採と伐根の整地を地元の会社の藤栄土木に依頼したが、現地では既に紅葉が過ぎ落葉が始まっているという報告である。小生は、数日中には東京駅発新幹線に乗って現場に赴くつもりである。那須茶臼岳に積もった白雪も眺めたいし、散り急ぐ紅葉も楽しみたいからである。

   幸い、コロナ感染者数の減少は、驚くほど急激に始まって、ここ一週間で100分の1にまで減少した。アフリカやアジアでは、新型コロナウィルスが猛威をふるって深刻な状態だが、日本は今になって、世界なびっくりするくらいに感染者数が激減して成功しているという専らの情報が世界を駆け巡っている。嬉しいことである。日本では、ワクチン接種の普及と、平凡だがマスク着用と、三密回避の励行が功を奏した結果である。油断は禁物だが、このまま限りなくゼロに近づいて、経済活動の回復につなげていきたい。       

秋雨の降りしきる日の祈りえに受付に妻迎え居りしに

主の里に妙なる調べ聞こえ来て心靜もる今朝の祈り会

新しき生きた言葉を賜りて人それぞれに書を読み解きぬ

新しき知恵をば今日も授かりて旧き聖書にみ言葉を汲む

平生の道を行くこそたっとけれ愛と喜悦に浸り生き行く

去り行きし友のみ霊の安かれと心の底ゆ祈る今朝かな

常日ごろ真摯に向きた学び舎の恩師の姿思ひ浮かび来 10月17日 


万葉の世の生きざまに教へ乞ふ今より豊かな詩情求めて

万葉の世にさまよひて我ながら味はい深き人と逢はめや

富士が嶺に夕べ笠雲のかかる見ゆ黄昏時の秋ちかきかも

柿の実の色づきをりしいかるがの里にたたずむ法起寺の塔

法起寺の庭に散り敷く落ち葉掃く僧侶がひとり経を唱えつ

善と云う字に喜びと云ふ意味も刻まれしとぞ覚へ過ごさむ

み心に從い世に神の国築かんと日夜励みて務め行かまし

自民党総裁選挙に河野氏の変わりものゆへ適任なりし

腐敗せる安倍政権の長期下に忖度官僚の組織歪みぬ

玉川の神の教会に新たなる牧師のいまだ招かざるとは

良き牧師与えられよと祈るのみ、ではなく求む努力するべし

官僚の自主的努力の欠如にて日本の先の進路危ふし

上越の山路を登る友がきと訪ぬる四万の湯宿目指しつ

上越の空の雲まに山肌を垣間見る日の榛名山かな

山宿のともしび灯る渓谷にせせらぎの音近く聞く夜は

眺めつる谷川岳の秋近きしぐれ行く間を憩ふ茶屋かな

ヨーデルの歌口ずさみアルプスの山あい近き里に寄らむや

軽井沢駅頭に立ち様がわりする街なかに浅間山見つ

滑らかな浅間の山にしらゆきの積むる夜なべに草履編むなり

北軽の山あい深き庵より青き煙の立つ夕べかも

雪国の月の夜に鳴くふくろうの意味のありげげに啼くは怪しき

訪ね来し夕べの宿に出迎へし若きおなごの色に出でけり

今むかし横山駅の釜めしを乗り継ぎて買ふ時もありけり

軽井沢駅までリアル式電車乗り継ぎ越える碓氷峠を

峻厳の山を貫きトンネルの雪国までの恋の旅路よ

トンネルを出て一面の銀世界記す川端の麗文のあと

にぎわひの町なかに立ち戸惑ひぬ東京銀座と変わり無きさま

からまつの林の中をさまよへる手に白秋の詩集携へ

カラ松の林にかかる浮雲の動かずをれば愛しかりけり

落葉松の林を過ぎて野分あと浅間の山に煙り立つ見ゆ

見上ぐれば浅間の山の色付きて秋の気配の身にも覚へし     10月18日

中国の海洋進出

   平凡こそ真理に近いと、恩師の早稲田大学名誉教授の云われたことである。昭和経済会で箱根のホテル天成園で開いた夏期講習会の席上、教授から頂いた一枚の色紙にも、そのように書いてある。「真理は平凡にして単純である」と。それは懐かしい思い出である。思い出すままに、当時は夏期講習会が親睦を兼ねて、常設会場に箱根のホテル天成園が一泊二日で催うされていたが、充実した内容であり時間をかけていくに十分与えするものだった。講習会が終わった後は、温泉に入り寛いだあと、大広間で宴会を楽しんだ。参加者は会員の60余名、芸妓の酌を受けながら宴たけなわとなり、例えば堀江教授は「義経の八艘飛び」を勇壮華麗に演じて皆からやんやの喝采を浴びていらした。講師の方は話を終えると大体がその日に帰っていかれるのが普通であったが、親しみ深く過ごされた堀江先生は、皆と歓談を共にされて行かれた。

   先生の生涯の学問と研究の課題であった、「マルクス経済学とその誤謬」は、世界の経済学の研究に対して大きな指針となって、未だに問われているところである。講演では、これ以上分かりやすく説明できないと、「マルクス経済学の理論と」を論じ、現代経済学と社会について情熱的にお話をされて、聴講者を満足させたのである。先生は、大学に帰れば学徒たちを前にして、社会で実際に経済活動を通して活躍されてる人たちの姿から、逆に実践的に学習されたことを学問の府で解き明かされることだろう。先生はそうゆう人柄の学者であった。

 堀江教授の中国観と云ったものも当然、お持ちであった。現在の中国についてどのようなお考えを持っているか、ご教示頂きたいという一念である。堀江教授は母校の早稲田大学に却って来る前は朝日新聞で記者を務めていた。戦時中が従軍記者として中国の戦線に派遣され縦横の活躍をされて凄惨な戦地の情報を生々しくい報道してきたのである。日本の中国に対する侵略戦争であることに間違いなく、良心の呵責に苛まれる日々であった。勇敢なスポーツ選手であり、サッカー日本代表としてベルリンオリンピックにも出場した。シベリア鉄道経由でロシアの国情の貧しさを目の当たりにして、これがマルクスが説く夢の共産主義国家の現状かと慨嘆を禁じえなかった。    10月19日

阿蘇中岳の爆発

阿蘇山が爆発、噴火した。中岳第一火口付近である。噴火は今日の午後1時43分ごろである。黒煙は3500メートルまでに達し、火砕流が西側に100メートル程流れているとのことである。

  目も覚めるようなすっきりとした青い空である。太陽の光が、大気の中でリズミカルに踊っている感じである。丁度NHKのテレビにスウィッチを入れて、お昼のニュースを聞いていた時に知った。現地の生々しい、生きた放映で、阿蘇山の豪壮な噴火の様子を目の当たりにして、災害無きを祈りながら、地球は生きている、力強く活動していると云った躍動に満ちた感動の方がむしろ強かった。地下に大量の熱水がたまって起きた水蒸気爆発らしい。カメラを回す場面では、噴煙を上げる中岳の手前が、なだらかな、広々と広がる長閑な牧草地帯にも映って、火山国日本の原風景にふさわしい美しい一服の絵にすら見えた。学生時代、仲間と九州旅行を続けたこともあって、その時の阿蘇岳周辺の美しい外輪山の遠望の景色が重なったせいである。躍動的な阿蘇中岳の噴火を、ほとんど瞬間的に知るだけで、今日一日の大きな意義を自分なりに持ち添えた。幸いなるかな、噴火による被害は軽微にとどまるとの観測である。  


黒煙の太く高々と吹き上がり阿蘇中岳の爆発の空 

豪快に太き柱の噴煙ののぼる中岳の秋の空かな

天空を突き吹きあげる噴煙の高く積雲となりて乱れり

収穫の時期にキャベツの葉に積もる降灰を見て嘆く畑子よ

降灰のキャベツ畑に降り積もり嘆く畑子のあはれなるかな  
                                          10月20日

昭和経済の11月号の出版について、奈良東大寺の得も言えぬ陰影の写真に、自分の詠んだ数種の和歌を載せたいと思い、どの和歌がいいか迷いに迷ったのである。こんなことは珍しいし、いつもなら当意即妙、印刷屋さんを待たしておいて寸時に、おもむろに書いてさり気ない恰好なのだが、今回ばかりは不思議と迷いに迷ってしまった。

  心に描いている陰影を表面に出して具象化しようとすると、既に出来ている写真に揺さぶりをかけられて和歌の調律の難しさが際立ってくるのである。作品に漂う詩情との調合が難しいからである。こうした時はしばし黙想の時を設けて心の揺らぎが収まるまで待つに越したことはない。席を立って自分の机に向かった一点を見つめていると、苛立ちが収まってくる瞬間を捉え一気に詠み上げることである。これに添削、校正は最早必要がない。そのまま席を立ってしまうことである。つまり雑念を払った末に歌い上げ書き上げたものなので、悔いがない。写真に乗せた和歌の余りだが、二、三首ほどあるのでそれを書置きしておきたい。

猿沢の池より眺む興福の塔のゆかしくそびゆ秋の日

ほの暗き居間に居はして幾とせや世の平安を祈るみほとけ

うららかに建つ興福の五重の塔しばし蔽いの掛けらるる由

豊かなるこのまほろばを守り来て幾年を越す古きみほとけ      10月22日

庭畑の耕作

   教会で親しくしている松本さんは、自宅を新築する前は宅地に庭畑を作って菜園を楽しんでいたが、建て替えた家が大きかったがために菜園の場所が狭められてしまって農作の楽しみが半減してしまったと、嘆いている。拙宅では以前から相変わらず庭畑を耕して、僅かであっても四季折々の野路野菜の収穫を楽しんでいるので、松本さんは拙宅の畑について興味深く訊ねたりしている。この間の教会でも拙宅の庭畑の状態を話したばかりである。今は水々しい小松菜がふんだんに取れて、いろいろな食材に利用して食卓を飾っている。春菊もたくさん採れたりしている。

   先日、一枚の畝を耕して石灰をまき、同時に油粕を栄養素として畑にまいた。時間的な感覚を置くべきであったが、作業をしたその日がすでに暗くなりかけていたせいもあって、スピードを上げるために小松菜の種を撒いて後日に備えた。あとの後悔、先に立たずで、種を撒く前に少なくとも二、三日は土が熟れるまで置くべきであった。特に油粕は、撒いた直後に土と一緒に醗酵して熱を持つため、まいた種が熱に負けて駄目になってしまうことが多いのである。撒いた後既に10日ほどたっているが一向に目が出てこないので思い切って再度蒔きなおしてみようと思っていたところ、今朝畑の畝の様子を見に出たら、小さな芽が時を同じくして一斉に発芽していることが分かった。小松菜の目が、油粕の熱に勝って辛抱して発芽を待っていたことになる。この分だと年内には新しい小松菜がふんだに食べられる見通しが立った。

   油粕は畑にとって栄養価の高いもので、野路野菜にとって欠かせない栄養素の一部である。
馬糞、牛糞、鶏糞と動物の排せつ物を肥料用として消毒、乾燥させた畑の栄養素は沢山ある。鼻漏な話になって恐縮だが、極めつけは人糞、即ち人間の排泄した糞尿である。昔は畑の中に肥桶が掘っておかれていた。糞尿をここまで運んで長く置き腐敗させたあと肥料として畑にまいた。町では近郊の田舎からこの糞尿を集めに来た農家の人がいた。戦前戦後まで、下排水の完備していなかった都会では、トイレは汲み取り式だったからである。大八車に肥樽を六個ぐらい載せて各家庭から集めた糞尿を汲み、摘んで持ち帰ったものである。糞尿の提供を受けた代わりに、採れた野菜を返礼に置いていく農家もあった。今では想像できない珍風景である。 後になって近代化されて、都の清掃局から配車された、都会の糞尿集めにバキュームカーが走るようになった。ホースを以て駆けまわっていた都の職員の姿が懐かしい。今はそれもなくなり、そのまま生放流で流され浄化されて下水に排水されている。便利になったもので、済ませた後には尻を拭いてくれる洗浄機まで付いた、即ち東陶の便器である。

   農作の自然的有機栽培の極意は、何と言っても土の持つ本来の滋養である。植物はその地味から栄養を取り大きく育っていく。土地には無限的に栄養素が蓄積しているわけではない。畑地の場合には、農作物によって十分な栄養を取られて後にカサカサな土地になる傾向がある。したがって次の農作物の栽培に不調をきたすことはないように栄養を補強しておかなければならない。その時に重要なのが肥料である。有機農業が叫ばれているが、本来あるべき大地と、土の性質を奪還すべきものなのである。追肥である。土は生きているので、掘り起こすと色々な虫や微生物が生息している。土が有機的に作用しているからである。しかるに、化学肥料のみに行われている土には、こうした生き物は活躍し得ない。

   人間が耕作地として活用していない自然的な状態では、例えば森林地帯を例にとってみると、土を掘り起こしてみると、植物が枯れて葉が落ち、そこに鳥獣類たちの糞尿が大地に落とされ落葉と交じって醗酵し時間の経過とともに、豊かな滋養が蓄積されていく。腐葉土に変化した結果である。春には樹木がそれらの滋養を吸い上げて、再び葉が茂り実を結び、鳥獣たちの豊富な餌となる。毎年同じような繰り返しで樹木も鳥獣類も成長を繰り返すことが出来る。つまり、自然的な営みの循環で、万象が秩序だって成長を繰り返している、理想的な均衡状態を維持することが出来るのである。

   しかしながら、こうした自然的循環の間に人間の手が加わって、自然的秩序の均衡が破れ、破壊されてしまうと自然環境は直ちに狂い始まっていく。今日、気候変動と地球環境の改善が叫ばれてきているのも、足元の土地の変化を見れば歴然である。土地に、自然的滋養を加えなければ土地は痩せて、耕作不能となってしまう。そこで一番いい大地の取戻しには、動物類の糞尿を植物類と混ぜ合わせ醗酵させて大地に戻すことである。昔の農家では、もみ殻や稲のわらや落ち葉などを、牛馬、豚、八木、鶏と云った飼育する生き物の床に敷いて、それを後日清掃の際に集めて堆肥として積み上げ醗酵させたものである。天然の滋養を豊かに蓄えた肥料となって、のちに畑にまいて戻されたのである。この有機的堆肥ほど植物に取って貴重なものはない。

  農作物の肥料となる油粕は、窒素、リン酸、カリウムを含んだ有機肥料である。 アブラナや菜の花、大豆、綿実、米ぬか、ごま油、落花生、ひまわり、とうもろこしなどの植物が原料で、種や花から油を絞りとった残り物を使っている。 元肥や置肥として土に混ぜ込むことが多く、肥料成分が多すぎない使い勝手のよい有機肥料として人気があるし、何と言っても衛生的である。人気のあるのも、むべなるかなで消費量がますます高まってきている。加えて馬糞と化牛糞と云った肥料も販売されているので、これも重宝に使って居る。衛生的に処理されているので安心して使える。結論として化学肥料、いわゆる一般的に農薬と称されるものは一切使って居ない。殺虫剤も、むろんのことである。虫が付くのは新鮮で生きた有機的な野菜だからである。虫の駆除には、野菜に網をかけて蝶々などが卵を産み付けて行かないように予防策を講じて置くことである。

  心配した小松菜の芽が、確実に出てきて安堵した。細かくて小さな芽であるが、一つ二つ確認したあと、今日は畑一面に勢ぞろいして芽を出した。種を撒いた後は寒さが続いて発芽を妨げていたが、自然は正直である。時間がたてば必ず報いてくれる。これでお正月は立派に育った小松菜を具にして、お雑煮を食べることが出来るというものである。  今朝も早く起きて畑の様子を確認してきたが、東の空に金色の朝日が昇ってくるのを見て、今日一日、小さな目の小松菜が勢いを増して伸びるに違いないと思って、やおら己がが髭ずらの顔を見て剃刀を当ててさっぱりとしたのである。   10月25日

歌会始の詠題

 来年の歌会始の詠題について、ふと目に留まったが、何の勘違いしての事か、「行」と云う文字にこびりついて、ふと何首か読んでしたためたところであった。「行」と云う文字には色々と解釈されて幅の広い詠題だと思っていたが、実際には「窓」であることに気が付いた。行となれば修業的な行いが浮かぶが、将来に向かって行くという抽象や、山を登ってゆくという行動的な解釈もされて面白い。「窓」にもいろいろと状景が浮かんできて、際限がないことにも気が付いた。辰野隆が「南の窓」と云う随筆集を出して、以前その古書を物珍しく買った記憶がある。世間には希望の明るい窓もあれば、捕囚の暗い窓もあるだろう。さまざまに解釈されて色々な窓の歌も詠まれるに違いない。10月27日


みちのくの旅路に発ちて触れにける行く先々の人の情けに

行く先に真善美を貫きて行ひゆくは何と楽しき

はなやかなあんずの花の下の道友と行く日のみたしけるかな

支えらる今日一日の行いひを果たしみたして友と語らむ

人として品位を保ち世に臨む平和に生きて行ふは良し

行くべきか行かざるべきか我が道の試行錯誤の試練きびしき

月よりの使者に仕へて月に行く夢のまことに宵の月かな

満月の光にひかれ飛び行かむ姫の迎へもきっとあるかも

将来に向け行く道はおほらかにたくましく日々あらすほしきと

真子殿の嫁ぐ日の来て慌ただし秋篠宮の難雑な内

真子殿の縁談に触れ親として戸惑ひ案じけるはなほ又

婿どのの言動、噂の腑に落ちぬことありぬれば深くあんじぬ

真子殿のいささか常軌を逸したる所見も天賦のものと諦らむ

さりながら二人の門出を心から喜び先とを寿ぎにけり

真子殿の天真爛漫な素性にて宮家なんぞの風に合わずとも

結婚は当事者同士の通じ合うこころと決意こそが要と

姑の金銭問題が浮上して二人の愛に関わりの無き

姑と、もと彼の間のたわごとの物見高くも騒ぎけるなり

しきたりといと堅苦し宮うちの己が自由と生き甲斐の無き

行ふは我がゆく道も信念を貫き通し真正なるべし

登りゆく富士の嶺まで目的を定め遂げしはいとも楽しき

振り返り見て我が行ひの是か非かを問ひこの先を進みゆくべし

等々力の滝に打たれて心身の練磨に勤む今朝の行かな

等々力の名瀑にふれ神妙に願ひをこめて霊水に立つ

友とゆく学び舎の道はるけきに幾星霜ののちの今にも

行く雲に我が恋ゆえの願ひこめいとしきひとに伝へゆかばや

主の愛に生きこの一日をみたし行く喜びみちて云ふべくもなき

ふるさとの森に湧き出づ等々力の滝に打たれし今朝の行かな

生きざまのあらはに行を果たす日に悔ひなき証しと道を進まむ

碧天の空に隈なく光さし天つちの間に広くみちみつ

暖かきマリアの胸に抱かれて心ゆたかに生きてゆくかな

行く秋を心静かに味はひて稲田の里をひとりゆくかな

流れゆくひと重の雲に願ひこめいとしき君に伝へたまへや

与へらる道に真しに向きあひて勤め果たしてゆくは悔なき

行く道は太く大きし果てに向き良き行ひを果たし行かむと


ひむがしの窓を開ければあかときの雲井に雁の北をさす群

聞き覚ゆ昔の著書に辰野氏の南の窓てふ語る思ひを

あたたかき南の窓にひよどりの枝に止まれし影の映れり

人生は孤独なりと文豪のヘルマンヘッセが語る如実に

霧のなかてふヘッセの詩につづる一生はアインザムと語句を強めて

人生の心の窓は南向き時に西方に向く時もあり

洛日を映す西方の窓赤く染みそめてゆく時のあはれに

茜どきの東の窓のカーテンを引けばまばゆく朝日昇り来

明けそめる雲井に朝の日のさして黄金に光るまたたきの空

東大の藤井総長にしたためる書状に覚ゆ親愛の情

京大の山極教授にいつの日か講話を頼む時もあるべし

懐しく想ひ起こしぬ森総長、有馬総長のよきぞお話

霊長類人研究に権威を発揮する山極教授のけだし学説

総長の多様性を説き包摂を理念と致す時代認識

現代の時代に必須の多様性それを包摂いたす説法      10月29日

注目の衆議院選挙

  衆議院議員の選挙が始まった。岸田内閣が10月4日に成立し、間髪を入れずに総選挙に踏み切った岸田内閣である。その信任を問う総選挙に国民の関心は大きく、政局は一気に流動的である。自民党の追い上げも激しく、立憲民主党と共産と云うの野党共闘との対峙も明らかになり終盤は予断を許さない状況である。岸田さんの顔にも柔らかさ、穏やかさが消え、鬼気迫る様相になって来た。リングに上がって漸く戦意をむき出した感じである。総裁としての風貌も間と真tt北。云うことに筋を通して、聞く耳を持つ姿勢に真剣実がわいてきた。過半数を取れが上出来と、余裕すらもせている。仮に過半数を取って選挙戦を乗り切った暁には、今まで政界のしがらみを断ち切ることが必要である。その準備をしてもいいのではないか。8時の投票締め切りと同時に、開票を進める選挙統括本部に集票結果が続く中、我々も凝視して行くへを見守っている。過半数を取って、これに公明党が参加するので安定政権と解釈していいかもしれない。

国民に向けた総裁選挙での公約を岸田は忘るべからず      10月31日

                  

 

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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