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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.13.11

11月5日

列島が日本シリーズに沸騰


     東北の仙台市で行われた、2013年度のプロ野球日本シリーズは、楽天が追撃する巨人を3対0で下し、対戦成績を4対3とし見事日本一の王座を獲得しました。楽天がプロ球団の結成以来、悲願としてきた日本一の座は、星野監督のもと選手が一丸となって宿敵、王者巨人を破り、球団創立以来、9シーズン振りに手中に収めることが出来ました。称賛すべき初勝利であり、震災に苦しむ東北地方の人々に勇気と、喜びと、希望をもたらして余りある歴史的快挙であります。東北人の根性に徹した大和魂をまざまざと実感し、力溢れる演技の大舞台を見る感じがしました。中でも私が大好きな投手、田中将太君の力投が冴えてめざましく、日本一の王座を射止める推進力となって今日の栄冠を手に収めた功績は誠に大きなものがあります。
    田中選手の愛称をマー君と云うそうですが、飾り気ない将太君の風貌は素朴で力強く、男らしさは,粗削りな東北の大地を踏みしめてすがすがしく、年は若くともどっしりとしており、まさに日本一の風格であります。一球を投げる際の面構えは、青年の意気髣髴として巨人の打者を圧倒する気迫にみなぎっています。日頃の私は地元で巨人ファンでありますが、将太君のいつの間にか頑丈に大きくなった身体が象徴するように、人間的な成長ぶりと合わせ、マウンドに立った将太君の闘志むき出しの力投と努力の姿は、一般の人たちにも魅力的に、多くの共通した教訓を与えるものがあります。あの素朴な野性味を自分の姿に置き換えて見るとき、フィジカル&メンタルに爽快な気分になってきて、おのずから青春の気横溢して力がみなぎってきて30歳は若返ってくるようであります。最後の力投で打者を三振で打ち取った時には、喜びの将太君がマウンドでジャンプする前に、私の方が高々と両手を上げて先にジャンプしているのを見て妻が、「すごい跳躍力ね」と、私の若さの力にびっくりしていました。日本一の将太君のお株をとってしまった形ですが、これぞまさしく勝利の感動を共有した結果にほかなりません。
日本中の野球ファンが等しく、王者となった楽天の勝利の歓喜に酔うことが出来ました。3勝3敗のタイに持ち込んだ激闘の試合は、手に汗を握る展開となりました。その熱戦に惹きつけられて敵、味方なく白球を追って、野球の醍醐味を堪能した一日でした。地元では感動を共有し大観衆の喜びのうねりが、クリネックス・スタジアムから大きな希望の輪となって東北の空に広がっていきました。それは震災から3年半、いまだ艱難辛苦と戦っている東北の被災地の、明日への復興と建設の力強い第一歩となって、地域の躍進と発展の基礎を作ることになります。勇気と、努力と、忍耐と、喜び、そして成功への道しるべをはっきりと示してくれた楽天の選手諸君に感謝して万歳を三唱し、心から勝利を祝福しています。

    一方アメリカ大リーグで活躍する上原浩治投手が、所属するレッドソックスで対するカージナルスを6対1で打ち勝ち通算4勝2敗として、実に6年ぶりに8度目の優勝へと導きました。上原投手は、最後の打者を空振りの三振に撃ちとめ優勝を飾りました。レッドソックスに勝利をもたらした上原はMVP,最優秀選手に輝きました。体の大きな選手にまじって、大活躍する日本選手の逞しさに、大リーガーも翻弄されている様子は見ていて痛快であります。野球選手に限らず、世界のあらゆる分野に進出して活躍する日本人に、世界の人々が称賛と尊敬の念を以て注目しています。
    私たちも自国内に閉じこまらずに、世界に大きく羽ばたいて、実力を思う存分に発揮して地域の発展に貢献していくことは、平和外交を掲げる日本の姿勢に合致するものであります。若い諸君はしっかりとして目的を以て、どしどし世界に羽ばたいていくべきであります。それにはまず英語の基本を身に着けて現地で実際に活用することが一番の近道であり、現実的であります。先に単身アメリカに渡った先陣の野茂投手がいますが、トルネード、竜巻の異名をとった投球で大リーガーの選手たちを震いあがらせました。今また、上原投手の健闘でもらった沢山の勇気こそ大切であります。開拓者精神を掲げて、こうしたことに早くから気づいて実践することは若者にあたえられた特権であり、青春を謳歌して余りあるものだと確信しています。     11月5日

          稼ぐ力をつけたトヨタ自

     2013年度、上場企業の上期決算は相次いで発表になっていますが、その6割が売り上げを伸ばし、利益を伸ばす成長型に変わり始めています。三年ぶりの高水準で、円安による輸出採算の好転、さらには内需拡大の風に乗って企業業績はうなぎのぼりに好転してきています。リストラと、設備更新による合理化が奏功し、売上好調が追い風となって一気に企業収益を取り戻してきたのが特徴です。ちなみにトヨタ自の1014年3月期の税引き前の利益が2兆2900億円となる見通しです。これは前年同期比63パーセント増しとなります。これは円安効果に加え、北米市場が活況を呈し、企業改革の断行で一段と増した体質強化の努力によるものですが、jこうした傾向は一般企業にも及んで、トヨタ自の復活は産業経済の裾野に広く広がって、一般企業の回復を象徴するものであります。
     最近の経済回復の特徴は、国の税収をも押し上げることになっています。財務省によると、今年度上半期の国の税収は約13,5兆円となり、前年比4パーセントの増加となっています。企業業績の上振れに伴う法人税収の増加は約3兆円増えるも込です。したがって新規国債の発行を見合わせる状況も夢ではなくなりました。景気上昇と企業業績の向上、結果税収の増加によって財政再建の道筋が立てば経済運営はこれ以上のものはありません。同時に行政改革を進めて、国の財政負担を軽減していけば、長期的に財政再建の健全な道筋が確立されることになります。経済と財政の好循環で、このまま続いて行くようであれば、日本経済は飛躍的に伸長していく路線に乗っていると推論してもいいのではないでしょうか。一般企業に稼ぐ素質が定着することが重要ですが、最早その射程距離に入ってきたといっても過言ではありません。
     資産効果も加わって、堅調な株価の上昇、確実な地価の上昇がその裏付けとなり家計も、企業も自己資金、自己資産の増加となり、特に自信を取り戻した日本企業の基盤強化こそ重要であります。銀行の不良債権の増加と経営悪化は、専ら資産価値の暴落によって発生したものです。何らの手も加えずに、これが適正価格に戻って、さらに含み益が生じるような状態になれば、願ったったり叶ったりとなって、企業は投資に、家計は消費に余力が生じてくることになり、資金の流れも円滑に、信用の向上に寄与し、かくして全体的な購買力の増加につながってきます。
    更にはまた経済活動に活力を注入するためにも、規制緩和を進めることが肝要です。私自身、実際に企業活動に従事していると依然として無駄な、無意味な、古臭い規制や制度があって、これが企業活動を阻害している場合を具体的に色々と体験することがあります。ちなみに証券業務に携わる人たちは、たとえば東証の取引規制や監視が無駄で、無意味に感じることが多々あるとのことです。更には、投機的な動きをすると直ちに規制がかかったりしますが、そもそもそうした動きは市場が開催されている以上避けがたいものであり、寧ろ自然的な現象であって、それがあるときには市場の硬直化した動きを破る潤滑油の役割も果たしていると考慮すべきであります。これらを是正、排除することによって更なる証券市場の活性化が期待できるのではないでしょうか。今は世界的に資金の流通があって、瞬時にお金が地球上を回っている時代です。国は大きく広く開放されているのに、経済の役割の中枢を占める証券取引所が、旧態然としたことでは、世界に立ち向かっていくことはできません。いつまでも尊王攘夷の思想を抱いていたでは前途に暗雲の立ちはだかるばかりです。保守的傾向を排除し、東証幹部の斬新な改革意識の涵養が必要であります。
    ちなみの過去のグラフを見てみると、バブル絶頂期に就けた日本の株式、日経ダウは38,915円でしたが、その時のニューヨークダウは2,800ドルあたりを推移していました。アメリカでもバブルに似た状況は度々あって今日に至っています。現在、日本の株価は過去の高値の24,000円も下の、14,000円台を未だにうろちょろして、いまだ低い水準に甘んじているのに対し、アメリカの株価は高値更新を続け、15,000ドル台をつけて、その奔騰力は確実であり力強いものがあります。この落差はいったいどこからきているのか、 ちなみに東京証券取引所の機構そのものを再検討すべきであります。およそ投資家にとって魅力に欠ける点がさまざまにあって、これが日本経済の実体的実力を表現できない要因になっていることは明白であります。くだらない規制が前近代的組織を背負って投資家の目をだましている節があって、これが日本人の金融資産1400兆円の一部すら大胆明白、且つ安全に活用できない理由にもなって、足元で市場に呼び込めなでいるのです。
     片や企業はこうした背景に立って、これを弾みに、引き続きコスト削減と競争力強化の技術革新の努力を怠ってはなりません。必要かつ最低限の規制は必要なことは論を俟ちません。反社会的人物や団体の追放、排除は強力であってしかるべきです。いずれにしても経済拡大、市場拡張は、経済のグローバル化に合わせ、念願である日本の経済の輝かしい未来につながっていくことでしょう。予想が楽観的に過ぎるかもしれませんが、そうした時に留意すべきことは有頂天にならず、過去の歴史の教訓を思い起こし、自制した行動が望まれます。      11月7日


念願の景気回復を実現すいまだ助走の域なればなほ
     この先の景気回復を確信し企業の奮起を促すの時
     経済の暗やみを出で世の中の明るく成りぬ昨日けふかな
     くにたみがアベノミクスを選択す思い当りてとにもかくにも
     消費税値上げに庶民のふところのやりくり厳し世ともなりぬる
     昨日けふ人のはなしに弾みつき地方経済におよぶよしとす
     
     晩秋のあほひの空にまふ鶴の富士の高嶺をさして飛びゆく

中学校の同期会

    中学時代の同期会が昨日、日曜日のお昼から、渋谷エクセル東急のマークシティで開かれた。このところ楽しみにしている土曜、日曜の休日が仕事のためにつぶされて、謀殺のみとなっているが、アベノミクスの恩恵であればぜいたくは言えないと一般的な解釈をしている。健康だから休みも取らず仕事に従事できるのだと思えば感謝するしかない。一般的には人生の大半を厳しい競争に打ち勝って恙なく仕事を果たしてきた人たちであるが、その後の状況次第では人が変わったように変貌を遂げて、少年時代を髣髴とさせることができない人もいるに違いない。矢鱈と多い昨今の同期会だが、時間的になかなか付き合え切れない場合が多くなってきた。身体に異常をきたす年齢なので、その影響が随所に散見されることもあって、緊張の続く人生のありがたさを実感する昨今である。厳しかった勤務から解放されてゆっくりするうちに、そうした時間に慣れてしまって、暇から抜け出せなくなった人もいる。暇が昂じてくると怠惰な生活が身について、ぶらぶらするようになり非生産的地位に陥って誰からも相手にされなくなってしまうことが怖い。自己疎外に陥って、外部からも粗大ごみ扱いである。挙げ句に制御不能になって、御巣鷹山に激突した日航機みたいになっては困るのである。
    先日の同期会では、がんを患って余命いくばくもないと医者から宣言されて、がりがりになった体で杖を突いて、力を振り絞って出席した人がいた。みんなと会えるのもこれが最後の身納めと云うことであった。見るからに痛々しく、人生の無常を感じたのである。そんなことはないと励まし合ったが、言っている方もなんだか嘘をついている感じで空々しさがあってたまらなかった。重病患者を迎えてだから、静まり返ってしまい、同期会の雰囲気はこれで完全にぶち壊しである。余命いくばくもない人から元気で達者でなあと励まし合ったりして集まった全員が、余命いくばくもない連中で、与えられた時間を充分に楽しんでと云うことで合意したようで、なんだか変な同期会で、何のために出てきたのかわからなかった。飲む酒もすんなりと飲めず、食べ物も喉を通らず、騒ぐわけにもいかない会場で、みんなが余命一か月の重病患者に付き合って、本人出席のお別れ会みたいなものになってしまった。司会者も会場にあって打つ手を知らずに困惑していた。こうなったら自然に任せるしかない。そのうち当意即妙の技に出てくるに違いない。援護射撃に加わった人もいたが、結局y同じような病気に悩まされて復元に頑張っているといった激励とも、注意喚起ともつかないスピーチに終わった。いつ起こるかしれない成人病について医者の一人が話をしてくれたが、あまり芳しい話題ではなかった。かくして楽しいはずの同期会は、しめやかなお別れ会となって、重苦しい会場から抜け出す始末であった。期待したどんちゃん騒ぎは、ならずじまいだったのである。みんなに会いに来た人は予告通り一か月後に冥途に旅立った。

    渋谷で開かれた中学時代の同期会であるが、戦後のどさくさに生きた連中で、平和国家、日本再建が叫ばれた時期で、食い物もなく教材にも事欠く時代であった。そうした中で早稲田精神を目指していったかどうか知らないが、兎に角、戦争の辛酸をなめてきた親父の意向もあって、これからの社会は、自由主義、平和主義に徹していくという思いで、在野精神旺盛の早稲田を選んだようである。だから三つ下の弟も早稲田中学に入ってきた。弟は兄貴の行く早稲田は大したことがないということで、そのまま受験校だった高校に進み東大に行った。私は中学から楽な道を選んで高等学院に受験して運よく入って、そのまま戦争反対の自由思想を謳歌する早稲田精神を身に着けて、社会のために立とうと誇大妄想ではないが、猛烈に勉強した。学院では素晴らしい教育勉学の機会を与えられて、特に立派な教授に恵まれて、その名も枚挙にいとまがないが、自分でも猛勉強して、自慢にもならないが卒業の時は右総代で式に臨んだ。これが変な自信となって大学では大隈奨学資金をもらってタダで大学を出た。当時バンクロフト奨学資金なるものがあってドイツのハンブルク大学に留学許可をもらったが、持病の喘息が災いして断念した。残念だった。そんな負い目もあって母校に目を配る情熱は人後に落ちないつもりだが、縁とは変なもので社会に出てからの付き合いの方がいよいよ勝って、師弟関係は雑ながら何かと得をしてきている。、才覚もないのに商売をしながら生計を立て、片や、昭和経済の月刊誌を編集発刊して世に送り出しており、もちろん母校にも贈呈している。又母校が生んだ会津八一の短歌同人誌・淵を編集発刊してその名を広く世間にひろしめている。強いて言えば母校にいたときに平田教授の財政学のゼミをとって長く、OB諸君からなる平田会の会長を務めてきている。又早稲田大学の名誉教授の大内義一先生とは不遜ながら肝胆相照らす仲となって、先生には昭和経済の巻頭随筆を毎月執筆頂き35年近くにも及んだ。その間9冊の大内義一随筆集となって世に送り出すことができた。また名誉教授の植田重雄先生は社会に出てから知り合ってご本人が会津八一の愛弟子でその流れをくむ短歌同人誌の淵に入れてもらった。学院時代,文芸評論家の浅見淵先生から「君の短歌は万葉調で素晴らしい調べがあっていいね」と云われたこともあって、得意に詠んでいたが、植田先生もそれは認めてくれたが、君は速射砲みたいに詠んでくるから圧倒されてしまうと皮肉られたことがある。先生が8年前に亡くなられた後、淵を引きつぐことになってしまったが、しかし、めぐりあわせをありがたく思っている。遠くからいつも温かく見守って下さっていた遠藤嘉徳先生がいる。学院時代に英語の教授を受け、二年、三年の時の担任の先生であった。俳句の世界では重鎮的存在であり俳句の作品は抒情的で優雅であり、「蘆穂俳論集成」は人生をかけた力作である。長いこと昭和経済の「昭経俳壇」の選者としてご指導をいただいてきたが、一昨年の夏に94歳で他界された。寂寞の感、拭いがたきものがある。又経済学博士で名誉教授の堀江忠男先生の寄稿は今以て続けられている。既に鬼籍に入られたが、いただいている遺稿を感銘深く昭和経済に発表して多くの社会人の勉学に供している。先生が求めて標榜するものは「一つの世界」であり、座右の銘は「真理は単純にして平凡である」の言葉のとおりであって、延長した先にはまさしく、今を時めく「グローバル」の世界である。こうして尊敬に満ちた教育思想は、母校に限るものでなく、社会に広く受け継がれて、人の世に役立っているのである。予想したように世の中はグローバルの波に洗われて常に厳しい試練に立たされているが、間接的に母校の建学の精神と理念を普及すべく努めてきている。そうした活動は母校のためのみならず、世界に通じた日本の思想と学問と文化を広く伝えるためでもある。又月刊誌昭和経済は内容充実はもとより、各界各層の著名な執筆、論文を掲載し権威ある主張を広く啓発に供ししているが、自論公論として、他紙に勝る内容は揺るぎないものとして注目されているところである。日本は世界に冠たる自由民権思想に立つ国であり、平和と安寧を求めて世界の模範的国家である。国による誘惑と詐欺と怠惰を排し、これからもこの姿勢を貫徹して揺るぎないもとしていかなければならない。中央、地方に限らず、この理念と志を忘却している政治家が多く散見されることは、慙愧に耐えぬところである。日々鍛錬して勉学に努め、天に恥じぬ信念と行動を以て人のため、国のため、そして国際社会のために尽力してもらいたいものである。

   中学の同期会はそうした心境の毎日であるがゆえに、久しぶりで出席するのを楽しみにしていた。近い距離にあるにもかかわらず、渋谷に出る機会はあまりない。家内は何だかんだの用事で渋谷に出ることが頻繁のようであるが、生き生きとした雰囲気の街だし、若者から大いに刺激を受けてきて達者の条件でもあるから結構なことだと思っている。ところが最近渋谷に行くことが大変苦労のようである。東横線が今までは渋谷どまりであったが、今年になってから東横線が通称、副都心線を経て西武池袋線につながっていく路線が出来た関係で、渋谷駅が地下5階にもぐってしまい、地上に出るまでが大変な苦労であると云っていたので、覚悟しながら出かけたのである。川越や、飯能、小手指行きの特急電車が走っているので、そちら方向に行く時は大層便利になったが、おかげで渋谷を素通りしていく客も増えたのではないかと地元では心配しているようである。私は従来通り自由が丘駅から特急に乗ると中目黒まで止まらずに行ってくれるから快適な思いをしている。中目黒からは始発の日比谷線に乗って銀座までくればいいから、極めて楽な思いをして助かっている。案の定、渋谷界隈は、継ぎ足し継ぎ足しで大きくなってきた街だと思った。最初から大規模開発で計画的に建設されてきたなら整然としてわかりやすいのだが、そうでもないところが欠点である。渋谷駅に降りてから地上に出るまでが大変だった。地下に張り巡らされた何本もの電車の線が交錯して、案内板を見ているだけで目が回りそうである。おまけに矢鱈と歩かされて、渋谷は老人子供にとっては苦難の場所である。二度ばかり駅員に聞いて出口5番を探し当て、地上に出ることができた。しかしここからが又大変わかりにくい。渋谷と云う奴は、扱いにくく厄介な盛り場である。こんなところをなぜ会場に選んだのか、素直に目的の場所に着けないところは幹事諸君の勘の悪さが目についた。しかしこの日は全員が無事に到着したところを見ると、方向感覚未だ作動中と云うことで、知能判断テストは合格と云うことに相成るか。

当日は44名の出席であった。いつも見える高木新二郎君が見えなかったので心配して家に確かめたところ、奥さんが出て所用のため今朝ニューヨークに立っていったとのことで安心した。現役で働いているのは彼と僕の二人かもしれない。会場は思い思い好き勝手に座るのではなく、くじ引きで席があてがわれたので自分の意志で決めるものでなかったので、席の場所も曖昧で滅茶苦茶な会合となったが、それはそれで酒が入りさえすれば、どうにか雰囲気が保てたようである。小生は早中から学院に行ってしまったので高校の連中とは顔見知りがいないので、ミキサーでまわしたような席の決め方にはどうも都合が悪く合点がいかなかった。両方に座った同期の友は幸い隣の一人が早中で同じクラスなので助かった。その彼も最初は誰であったかわからなかった。彼は背骨に腫瘍が拳大にできて摘出手術を行って、悪性ではなかったが抗がん剤を飲んでいたので頭がすっかり丸剥げになってしまったので最初は誰だか分らなかった。一方の人は初めて会った人で元気そうに見えたが、うつ病で夜が眠れなかったり、歯が大体なくなってしまい総入れ歯で食欲が出なかったりで、様子から見る限り、そんな風には見えないが、云うことがちょっと外れたような感じがするところを見ると、本人が言う通り、うつ病jかもしれないと思った。うつ病の人は壮になることもあって、ハイテンションになると気分的に元気が出過ぎてこれもまた困るらしい。かなりはっきりして大きな声で喋っているところを見ると、今日は鬱の反対に、壮の高ぶる気分の病であるらしい。しかしこの病は結構本人が自覚しているらしく、全部が全部わからないことを云ったりしたりするものでもないらしい。知り合いの一人の奥さんがうつ病にかかって、病院通いをしていてかなり経つが、病院を出たり入ったりしていて、現在は入院しているそうである。私も付き合っていてよく知っているので、その人の病気については実のところ心配している。ハイになると確かに精神が高ぶって、人の家にやたらと電話をしてきて話が止まらないらしい。たまたま電話に出たときがあったが、面白い話を交わしたりして長談義になってしまったが、奥方とあんなに愉快に話し合ったことはあまりないので楽しい思いをして喜んでいたのである。比較的裕福な家なので、奥さんがハイテンションの時は注意していないといけないらしい。買い物も気前よく、衝動的に高価なものを何でも買いまくってしまい、あとで旦那が困ってしまうらしい。大きなダイヤを指に着けているので、いまさら結婚指輪でもあるまいにと思うかもしれないが、ハイテンションになると気分が高揚してやたらと見境なく買い込んでくるらしい。懐にも通帳にも、うかつに金を持たせられないということである。そうすると本人は鬱になって、それが昂じてくると入院することになるらしい。そうした循環も止めようもなく、困ったものである。旦那はひとり嘆いている。如何にも現実離れした話に聞こえるが、本当の話で、先日のNHKのクローズアップ現代でも取り上げられていたが、日本には今、潜在的患者を含めて500万人近くもいるそうである。世の中にはたくさんの症例がありメンタルな治療である故、個人差があって治療はなかなか難しいようである。
   そういえば隣の御仁は如何にも高揚して一方的に大きな声で喋っているし、うつだとすると、次は躁にスウィチして隣で止まらなくなっても困ると思ったのである。色々なメンタルな病気もあるものだと、当日の同期会の席は両脇に座った連中がすでに斯様な状況であるから、八人が丸テーブルで向き合ってはいるものの、彼らの様子に何かしら病の感じがしたりしていたので、話題はガキの頃の悪さにおよぶのではなく、深刻な現状のような気がしたので、私はここぞとばかりワインをがぶがぶ飲んで気分を高揚させ、暗い話題は極力避け、生真面目な話は極力聞かないことにして、面白おかしく話を下げて自分をも惑わしていたのである。そういう私も胸に圧迫感を時々感じていたので、慶応病院に行って徹底的に検査してもらったばかりで、一時的にもらってきた薬を飲んでいたら直ってしまった。その後の診察では、心配するデータの結果ではないとのことで、先のような症状は仕事のストレスからきているものだといわれて、納得する面が多々あったことに気が付いた。うつだという友人は10年前に医者からタバコと酒を絶てと云われて、以来タバコは無論酒もたっているので一滴も飲まなかった。がぶがぶワインを飲んでいる小生を見て、随分飲むなあ、酒に強いなあと感心していたが、そんな様子を見て連中は僕のことをうつにかかった人間だとみていたかもしれない。そしてこの時は、躁状がたまたま出てしまって喜色満面となって騒いでいるとでも思ったかもしれない。だとしたらそれは酒がもたらす光明であって、こんな愉快なことはない。うつ病は壮状の面もあって微妙なメンタルの問題である。ストレスもその中に入るとしたら、感情論としては微妙になってくる。貴方の性格と神経なら、そうした病にはならないわよと、ありがたいお上の御託宣である。色々と症状があって、人によって千差万別なので誤解されてきたかもしれないが、しかし現代医学がかかわってもこの病気は治るのがなかなか難しいようである。簡単なようで、どうもつける薬はないみたいである。
    会場を出た私は酔いも十分まわって渋谷のハチ公の銅像の前に座り、若者の歩く様子を眺めていたら、人混みの中を若い女の子たちが派手な衣裳をこらして,思いきり着飾って堂々として人混みの中を行く姿を、まるで仮装舞台を見るようなつもりで、しばらく楽しんでいたのである。自分自身をありったけ着飾って見せびらかしていく若い女の子には、どこかあどけなさがあったりして、しかし中には色気の匂いを発散させながら大人びたところは表現力も確かで立派なものだと感心していたのである。ハチ公前のトライアングルの交差点は、その昔映画、「天井桟敷の人々」で見た、「パリのタンブル通り」、通称、「犯罪通り」の人混みを見るような感じがした。芝居で観たものだから比較にはならないが、絶世の美女ガランスはいないかと、やおら雑踏に交じってみると、昼間から居た居た、目を見張る美女が沢山に出くわしたので、芝居で観たタンブルの犯罪通りは決して仮想のものではなく現実にあるんだと理解したのである。そこで渋谷の人気ぶりが分かったような気がして、この日の収穫は早々と同期会を抜け出して、溌剌とした若者たちと行動を共にして若返り、友人のうつ病ではなく正真正銘の若さとハイがいっぱいになっておのずから意気高揚し、その意味するところ誠に大きなものがあった。 席が予めくじで決めたものなので、逆な意味で滅茶苦茶だったので、この日の同期会ではだれと会って誰と話したのかさっぱりわからなかった。他の連中にはどう映ったかしれないが、 こんな滅茶苦茶な同期会は今までに経験しなかったことである。演出いっぱいに真面目くさった話が合って聞き飽きていたが、みんなのくだらない話を面白おかしく話し合って過ごしたほうがよっぽど楽しいのにと思いながら、部屋を出た私は、晴れ上がった空のもと、パリのタンブル通りではないが、渋谷の犯罪通りの雑踏の中の散策が、ことのほか愉快に感じて帰ってきたのである。   11月11日

渋谷駅迷路に入りて会場へ五番出口に這ひ出して来ぬ
     群衆の群れのなか行く一人にてしばし疎外の思い起きてく
     交通の網の目地下にめぐらしてむしろ過大に疲れ覚へし
     学び舎の友集まりてけんたんを競ひあへしはいとも頼もし
     人生の半ばを過ぎてそれぞれに道を選びて味わいふかし
     友がきの隣におれば少年のまなこ相みて思ひ出ふかし
     相まみえ戦後どさくさの生活に学びし友とたぎる思ひ出
     早中の歌高らかに歌ひつぎ誠のなさけ今に燃え立つ
     早中より学院に行く学び舎の豪気に満ちて日々を過ごしぬ
     教壇に立つ大学教授らに授業を受けて栄えたつなり
     小学校より早中に入りしとき世界のがらりとすさぶ心地す
学問の自由独立を理念とし睨みを利かす大隈老侯
     建学の心を活かし世に臨む我が人生の大いなるかな
     さすらいの旅人に似て啄木の悲しみの歌うたふ時あり
     東海の打ち寄るす波に手を浸し秋の悲しき調べ覚えへん
艱難と辛苦にたえて少年の日をおおらかに過ごしみたせり
     病弱の身体を覚へ改めの道を探りて奮起する日々
     逆境に身をさらしつつ奮起して己ながらの道を行く良し
     少年の頃に見初めし魚屋の娘にいつの日にか会はめや
     何かにと思いめぐらしその時の願いを瞬時に詠みし我がうた
     初恋の乙女はいずく在りしやと秋の明かりに探し求めん
シュトルムの恋物語る少年の「みずうみ」を読む芦ノ湖の岸
     ウェルテルの恋の悩みを打ち明かす人妻ゆへに望み絶ちける
     人の世のいついずこにも欲望の限りを求め生きる人らよ
     誘惑に落ちゆく人のあはれなり己が信念のかるがしきゆへ
     正直に世をわたりゆく鉄則をててははに就き学びとるなり
     学び舎へ都電に乗りて通学す広き世界に経つ心地して
     あちこちに体の故障を訴える友の多きに驚きにけり
     天命を知る年ごろに色に堕ち命を絶てる人の多きに
     東海道五十三次の日本橋初めの歌の初のぼりかな
     口づさむお江戸日本橋七つ立ち羽織はほりて粋に行かむや
     絶世の美女を探してハチ公前どきもを抜かれ見とれおるなり
     たくさんの美女が過ぎ行くハチ公前最前線の衣裳凝らして
     絶世の美女ガランスをためさんと目を凝らし行く雑踏の中
     人込みに絶世の美女見つけたり惜しくも風のごとく過ぎ行く
     目鼻立ちはっきり刻む面立ちの色彩化粧につやめき映る
     ほう友の身体に変なできものの摘出のあと頭はげおり
     うつ病と云いし隣の同期生饒舌なれば仮病とも思ふ
そううつの病と云えばこの席の若衆もみな持ち添えてをり
     躁鬱に気分の激しさ加わりし友よりはなれ酒を飲むなり
     飲み過ぎがもとに肝臓を患いし老いの一徹がさらに昂じて
     心身の健康なるを良しとせり気遣ふ妻に口に出さねど
     青空をはるかにながむ果てに飛ぶ飛行機雲を白く残して
     おさなごにわれを重ねて在りし日をしのびてつきぬててははのかげ
     めずらしき病ひにふれて朋友の話にしばし耳をかたむく
     物故者の既に七十余名なりまるで葬儀の同期会とも
     早中の少年時代を物語る成瀬の恩師の見方正しき
     早中で教鞭をとる八一師の奇抜な手法に物議かもすと
     何かにと物議を醸す会津師の早中時代の教鞭の頃
     酒に酔ひ少年時代を物語る物に事欠く日の苦労をば
     早中の校歌を歌ひ懐旧の熱き思ひに肩を組みけり
     学園の夢多き日に師と学ぶ大隈講堂の鐘をききつつ
     聞え来る大隈講堂の鐘の音に夢膨らみし学び舎の日々
     哲学の川原教授に招かれて大隈会館のケーキいただく
     サルトルといかにも会えぬ教室に樫山教授の晩夏の講義
     デカルトに実存哲学の淵源を求めて解きぬ川原先生
実存の哲学を説く識者らの玉石混合の世にも流布せり
     魅せられし魂を読む青春の思いも猛く燃え上がりけり
     情熱のたぎる青春に読みふけるジャンクリストフが信念の書
     悪がきもいて学習院の校庭に入り女子学生をおびき寄す奴
     赤々と夕日のかげる教室に立てる都築先生の影
     頼もしく少年の日を追い求め偲ぶさまざまに学ぶ良きこと
     学び舎の時を求めて詠むうたを泉のごとく湧きてつづれり
     高校の時の教材を再読し頭の中を風通り行く
     教材のジャック&べティを風呂敷に包み希望に満ちて学ぶ日
     高貴なる図書館に我いつの日か入りて書を読む日を追ひにけり
     早中の校歌に「誠の志」高くつづれば永久のひびきに  
     職を解く友の周りにあまたいてわれ一人のみ職にありしに
     うつ病になる暇もなしわれが身の日ごとの業を果たし生きゆく
     鉄拳てふあだ名の体育教師いて池田カラスの老教師も居ぬ
砂利てふあだ名の教師も確かいて無垢で素朴な人柄のよき
     校庭をめぐる競走の苦手ゆへ喘息もちの弱き我にて
     競走中常套手段の立小便ふりして校庭隅の便所に
     病弱のわれを気遣ふててははの通学距離の長ければなほ
     早中に入学当初学園の騒動ありて肝をつぶしぬ
     早中に入学の日より騒がしき授業ボイコットの騒動の中
     小学生五年の時を思い出し授業放棄はお手のものとの
     復員の軍国教師の教育に授業放棄で向かふ少年
     新しき風を起こして学び舎に臨みはるかに先を見るかな
     芳野村小学校での教育に授業放棄で臨む子供ら
     敗戦のあとの民主国家建設に望みを託し学ぶわれらは
     竹やりで米英鬼畜を刺し殺す訓練の日に敗戦の報
     天皇のあらひとがみの声を聞き茫然自失のわれら国たみ
     敗戦の飲まず食はずの飢餓の日に自由と平和の望みかける日
     馬鹿どもに騙され命を落したる若き学徒の痛ましきかな
     見上ぐれば斯くも妙なる富士やまに瑞雲みえく敗戦の日
     敗戦の日が国たみの勝利の日大なる皮肉に喜び浸る
     にわとりの小屋に遊びて鶏の親と雛とのたはむれ親し
     社会党浅沼委員長の演説に心を寄せて及びきくかな
青春のみなぎる意志のはけ口に学園騒動に垣間見るなり
     激しさの嵐のあとのむら雲に夕べの月の朧なるかな
     学園の秩序乱れて収束の見通しつかで早稲田騒動
     学外の応援部隊がかき回す自主独立の心いづくに
     大隈の老侯の像も沈黙す暴徒と化せる学生の群れ
     早中に学びし時ゆまざまざと学生運動の渦中に入りぬ
     アメリカを日中共同の敵と云ふあの失態の口惜しきかな
ランドセルより手提げの皮カバン下げて颯爽と通うふ学び舎
     早中に入りて何か大人びて肩いからして通ひいくなり
     教材もグレード高く詰め込みて英訳和訳のコンサイス辞書
ドイツ語の先輩格の佐藤氏と交誼にあまたの知識得るなり
     八ヶ岳縦走ののち山小屋に泊まり満座の星を見るかな
     夏山にアルプスの嶺越へゆかむ先ず槍ヶ岳めざし登れり
     野天湯に浸かりて仰ぐアルプスの山なみ高くはてに続けり
     早中に入りて何やら雑然とその雰囲気に惹かれ行くかな
     学院の大雑把なる校風に物に執着せぬは良きかも
     少年の頃なつかしく思へきて徘徊すれば至る学び舎
     われら皆大志を抱き学び舎に通ふ務めの世にも通じぬ
     カラスてふあだ名の数学老教師むちを振りふり脅し教へり
     焼け跡のさままざまざと野に晒し屋根なき校舎の勉学の日々
小学校より中学に進学すあたかも籠より広き世界に
     浅草の寺と聖天さまの間にありて猿若町に生まれ育てり
     聖天を祀る丘より隅田川眺むる春ののどかなりけり
     兄二人それに弟とよたりして遊び疲れて帰る夕べに
     浅草の町より都電を乗り継ぎてぶる下がりゆく早稲田車庫前
     穴八幡より学び舎の早稲田村眺むる先に大隈のたう
早稲田より高田の馬場の道行きに古書の匂ひに店に入りけり
     道行きに古き書籍を山と積み売る店あまた並びおるなり
     名著なり現代政治の解明を著す吉村正教授よ
     ドイツ語を学ぶ機会を授かりて熱血授業の川原先生
     木造の平屋校舎の古板をはがして薪と燃やす悪童
     裏山の枯れ木を倒し薪として暖を取りつつ学ぶ寒き日
     木造の校舎に当たる北風の隙間の多く身にもこたへり
     われ思ふ故に我ありのデカルトの基本を語る川原先生
     金城庵蕎麦処に入りて酒を飲む青臭き夜の人生劇場
     星空を見上ぐる先に大隈の講堂のたう黒く浮き立つ
     哲学の教鞭をとる老教授なつかしき名の樫山欽四郎
     モンシェリの喫茶に藤田先生と入りし夕べのコーヒーの香
ドイツより帰化して靖国神社にて奉仕の阪女史に会話学ぶ日
     ドイツ語の会話を習ふ阪女史に雀に餌を与へ遊べり
     週一度阪女史に会ふ靖国の社に寄りて学ぶドイツ語
     都筑師の源氏物語の購読渋き面差しに匂ひ覚へし
     つらつらと我が学院史に思い出をつづる教師の姿いみじき
     大學に入れば更なり教授らと交誼に尽きぬ思いでありて
     紳士靴磨く交通公社前帽子もあひし竹野院長
     靖国の鳥居をくぐり手を合はす戦地に倒る人のみ霊に
     てて母に仕ふ多くの店員のみ霊安かれと祈る道ゆき
     阪女史のいつしかたよりなくなりて寂しくひとりいづくありしか
靖国の社に仕ふ阪女史にドイツ語会話を習ふ若き日
     靖国の鳥居をくぐり阪女史にカント哲学もあはせ学べり
     待乳山より眺めやる墨東のかすみに暮れて昇る月かな
     言問いの橋をわたれば墨東のつつみにともる花街の灯よ
     浅草の芸者を連れて言問いの団子の店によりし夕べに
     月の夜に隅田の川を漕ぎゆかむ渡しに芸妓と袖すりあひて
     言問の橋に止まりて浅草を眺むる空に夕日落ちゆく
     言問の橋の半ばにとどまりて船の行き来を眺め飽くなき
     浅見師の講義の重くたどたどしノートに記す教へたっとき
     浅見氏の文芸評論家の足跡の大なるかなと覚ゆその日よ
     とつとつと述ぶる浅見氏の文芸論一言一句をもらさじと書く
     大学の教授ら見えて講義せるグレード高くこころみたせり
     共産党宣言を読む原書にて習ふドイツ語の研磨めざして
     シュトルムのインメンゼーを読み終えて夕陽の坂を下りていくかな
     哲学の書を手に抱え足早やにキャンパスを行く川原先生
寒月を見上げて食ひぬ焼き芋を大隈老侯の銅像の前
     道人の天下の揮豪の書を掲ぐ大隈会館のしをどりの上
     いかるがのさとをこのみてうたをよむ八一のにほふしらべよきかも
会館のしおどりに置く豪気なる思いをしるす道人の書よ
     天と地の間をへいげいしうたに詠む八一の豪気をしるすふでよふ
     ふでよふの妙なる墨に濃淡を和紙にしまして美麗なるかな
     高きより一世の上を逍遥す大和おのこの達者なるかな
意義深く記すに日本文学史竹野先生の高き学識
     三泊の修学旅行の佐渡の旅宿屋で騒ぐわれら悪がき
     海深き尖閣湾の岩頭にいさをしく立つ浅見先生
     浅見師の指差す方に樽舟をこぐ海女ひとり佐渡の入り江に
     大佐渡の山なみ暮れて紫の色に染まりて鷺の消へゆく
板の間で踊る芸者の佐渡おけさしなやかなればつやめきにけり
     踊る輪の月の渚の佐渡おけさ波の悲しき音もきかなや
     とつとつと述ぶる浅見氏の文芸論一字一句をもらさじと書
     教材を求めて入りぬ友がきと前野書店に夜の遅くに
     趣きのある教材に教師らのそれぞれに就き意義深きなり

     秋雨の晴れて日差しのさすあした菊のかほりのみつるわが庭
     朝の日に柿の実赤く青空にたわわに映し輝きにけり
     ひひらぎの香りすがしく匂ひきて終わりの秋を告げて咲くなり
     不二やまの裾の駿河の海にまで空を大きくまたぐ虹かな       11月12日


         
           歌舞伎十八番勧進帳
     
     年の瀬の歌舞伎十八番の勧進帳紬羽織りて見にもゆかむや
     弁慶が勧進帳を読みあぐる勇む構へに気品あふれり
     弁慶のまなこ鋭く立ちまへる千両役者のにほふ出で立ち
     弁慶の飛び六方に見得を切るとっと幕切れの突っ込みの舞ひ
     弁慶に扮する市川団十郎いでたち勇み気品みちみつ
     弁慶の見せ場を作る団十郎仁王立ちにて睨む形相
     大見得を切る弁慶の立ち舞ひにまなこ鋭く髪逆立てり
     大男弁慶役に幸四郎顔涼しげに立ち舞ひのよき
     ツケ打ちに勇む弁慶が見得を切る飛び六方に幕をひくかな
     大見得を切る弁慶の立ち舞ひに猛夫巧者の役者千両
弁慶を演じる役者それぞれに味はい深く所作のおもむき
     義経をむち打ち叩く弁慶の折のこころのいかならむかや
     関守の富樫の調べをすり抜けて安宅の関を越へて行くなり
     高らかに笑ふ弁慶のはしゃぎ行く安宅の関を無事すりぬけて
     花形の役を演じて団十郎水もしたたるいいをのことは
写真家の杉村氏の撮る団十郎花形役者の見ばえうつして
     たびたびのたよりに惹かれ山茶花の色はなやかに燃えさかりけり
     和紙に書く墨のたよりに大和絵の源氏の君より受けるここちす
     いかるがの里を愛して優れたる写真を残しのちに告ぐるは
     掛け声のかかる桟敷の大むこふ歌舞伎役者の尽きぬ名利に
     その昔堀江教授が飛び六方演ずる天成園の大座敷にて
     壮年の松本幸四郎弁慶の微妙に変化のうかがふはよし
     涼しげな面立ち光る弁慶の柳に風の幕の花道
     豪快に飛び六方を座敷にて演ず教授の豪気なるかな
     弁慶を演じる教授に芸者衆惚れて囲みて酒を注ぎける
雄叫びにかんらからからと高わらひ飛び六方に花道をゆく
颯爽と花道を行く弁慶の団十郎の大見得のあと
     弁慶が大見得切って関守の富樫と荒く立ち合ひにけり
     義経を救ひ弁慶の高らかに飛び六方を繰り返しゆく    11月13日 


早中時代の同期会のことについて書き始めて、思い出すままにこれを和歌に詠んでいたら、早中から受験して高等学院に進学していった学び舎の舞台に移っていってしまった。それほどに私にとっては早中と高等学院との間に違和感がないのである。距離的にも近いし、早稲田村の中にあって、大学を中心にして周辺には中学、実業、学院とほぼ並んで建っていたようなものであった。それと当時、学院には早中で教鞭をとっていた先生方の多くが学院に移ってきたからである。ただ学院に在学してからは、通常の高校で学ぶ学科に比べて専門化されていたような気がする。先にも述べたように授業には大学の学部から派遣されてくる先生方が多くいて、中には博士号を取った経済学者や歴史学者、物理学者などといった具合である。自分の学説を享受する先生もいて、もとより文部省推薦の教科書でないことは明白であって、それだけ学習は大人びていたといえよう。ドイツ語を初めとしてフランス語、ロシア語は第二語学として必修選択科目であった。昔あった東京専門学校のような類いのもので学院はその名残かもしれない。高校時代から英語のほかの外国語を必修とするからには、それなりの理由があっていいはずである。
   それはともかくとして、特に云えることは、早中は唯一進学校であった。早中、早高の目指す大学は東大、京大、教育大、一橋と云った国、公立大学が主な進学先で、そのための猛勉強が必要であった。良いか悪いかは別として、我々は受験勉強の段階から早くして専門的教育を目指していたといっても過言ではなかった。現在はどうなっているか知らないが、一般校に比べて高等学院は大学の付属であり、グレードの高い専門分野の科目を履修していくところに特徴がある。中学から学院に進学することで私は第二語学のドイツ語を選択したが、ちょうどそのころ東大の文学部の大学院に在籍中の小笠原雅人氏に、不得手の数学と幾何を勉擧するためにいわば家庭教師をつけてもらった。しかしその学生からドイツ語を教わる結果になって得意満面、夢中になってドイツ語を学習したのである。それが大きな起爆剤となって学院での勉強に火がついて猛勉強するようになって、すべての科目で優秀な成績を得ることになった。人生何が幸いするかわからない。勉強が面白くて、努力することが人間にとっていかに大切かと云う極めて単純なことが、その後においても続いて行ったのである。そして自分の目的に邁進するだけでなく、人のため、世のために尽くすことの喜びも、身についていったのである。
    もちろん小学校の時代をあっという間に駆けすぎて行った特殊な環境で、空襲に明け暮れて毎日ながら、へこたれず、戦火に会いながらも命からがら逃げて行ったことも、少年時代の飲まず食わずの深刻な状況を体験してきたことも、人生の教訓として大きく手伝っている。そうしたことを考えると、その後の私の早中、高等学院時代は充実して悔いのない日々であったと思っている。何か人生哲学のような教えを背負った、孔子の言葉ではないが、十五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず・・・・・と云った規範を目指していたことは事実である。常にそうした思想が小さいころから身につけて教えられてきたからであろう。優れた教師について学んできた思い出は走馬灯のように巡ってくるが、いまだにその頃の先生方の姿を思い出して、不思議と忘れないでいることが、自分をいつまでも若い学徒のような気持に置いていて、これが又未来を目指す青年のような若さを醸していてくれていることを感謝している。そうしたことを考えたりしていると、しきりと懐旧の情抑えがたきものを感じて、先にいろいろと思い尽くした和歌を詠みあげたが、まだまだたくさん出てきてきりがない。頭の回転にもつながって、精神衛生上こんな良薬はないと思っている。

   庭の紅葉が鮮やかである。それに今年は柿の実が大豊作である。庭には次郎柿と富有柿の二本があって、この秋は大粒の丸い実をたくさんつけて赤く染まり、見るだけでも絵のように鮮やかに輝いている。一昨日の強い風で紅葉した葉っぱのほとんど落ちてしまった。柿の実だけが枝にへばり付いて、鈴なりである。澄み切った空をバックに、見るからに絵のようである。毎日もぎ取って食べているが、柿の実のお尻に丸い縞模様をつけているのは、中味が飴色にこがふいて甘く、しまった実は堅く、噛んでもゆるゆると崩れることなく歯ごたえは十分である。うちの柿は天下一品だといって、訪ねてくる人にもぎ取った柿を洗って皮をむかずに、そのまま天然の風情を味わいながら食べていただいている。庭に出て柿をもぎ取ってはその場でかぶりついているのが私である。熟した柿はメジロが来てさかんにつついている。柿をもぎろうとして庭に出て行った私は、柿の木の下でメジロが一生懸命に柿の実をつついている様子を下から眺めて楽しんでいる。三匹来ている。メジロたちは夢中になっているので私が静かに近づいてきていることに全く気が付いていない。腹いっぱい食べるだけ食べさせてやろうと思っているので、こちらも木の下で静かにして動かないでいる。鳥は甘い柿を見分けるのが上手である。つついた柿の実は見るからに甘そうで、中身が飴色に光っている。食べ残して飛んで行ったが、夕方頃には又やってきて、ほとんど形をとどめないままに食べつくしていってしまう。11月27日

海洋進出の中国  力による高圧的姿勢

    海洋進出を図る中国に対し、周辺諸国が警戒をしている。領海侵犯すれすれのことをしているので、現場での万が一の予期せぬ衝突があってはならないと、神経をとがらしている。日本でも尖閣諸島の領有権の争いで近年この地に緊張があって、日本は連日のように、中国の領海侵犯に対して警告を発して領海外へ退去をさせているが、中国の艦艇の執拗な行動に緊張が高まっている。中国の意図するところは、尖閣諸島は自国の領土に組み入れようとすることであり、力ずくでの勝手な行動は許されない。日本は歴史的に見ても日本の領土だと以前から主張してきており日本の主権が及んでいることは明白である。中国の複雑な国内事情もあって外部に対して挑発的なところを示してきているが、大国にあるまじき行動は理解に苦しむが、否、むしろでかい国だけに将来を見越した資源獲得に出てきていることであって、国際法規を遵守する国にとっては派手さはないが、かっての帝国主義的政策の亡霊としか映らないのである。しかしまかり間違えば、武器の進歩は質、規模ともに格段の違い故に、当事者にとっては致命的ともなりかねない時代である。しかも中国の軍事的圧力が日増しに増してきていることを考えると、挑発に乗らず慎重かつ賢明な対応をしていかなければならない。
    こうした状況で中国国防省が東シナ海に尖閣諸島を含む 防空識別圏を設定した。日本がすでに設定している防空識別圏と大きく重なってくる。中国はこの防空識別圏に入ってくる航空機には、軍用機で対応することも示している。日本も同じ立場である。理屈の上では、物理的に野、双方から緊急発進した軍用機が衝突しないという確信はない。こうなると常時、尖閣諸島の上空の侵犯事象について日中の間で極めて高度の緊張が発生する状況である。この区域に入ってきた航空機が、中国側の指令に従わない場合には中国の武装力を持った軍用機が直ちに対応するといっており、事前にツ位置しない航空機が入ってきた場合にはスクランブルを以て攻撃する可能性を明言している。事態は混迷して緊迫してきた。双方で相手方を上空侵犯と判断して緊急発進し、両方で相反する指示を発して従わなかった場合を想定すると、既に衝突してしまう可能性大である。更にこの区域は米国が以前から訓練飛行区域の設定をしており、問題は複雑である。
あんなところで国益を左右するような戦争の発端を作られたではたまったものではない。藤原弘達が生きていたら、ふざけるな、あんな海の断崖絶壁の孤島でドンパチ始めるなら金で買ったほうがましだ、両方が主権をかざしてやったところで相手はチンコロだし、死者が増えるばかりだ。相手は意味が分からないしろものだと一喝で終わるだろう。その一喝が問題だが、云って物議を交わしてもまた問題であるから、しばらく静観するしかないだろう。豊富な海底資源の争奪戦で欲張りな連中が闊歩する外交舞台だから、ルールもへちまもあったものではない。略奪が横行する世の中だから、せんだって一橋大学の学長をしている山内先生に講演していただいたが、そもそも経済の発端は略奪から始まってこれが合法化された時代があったそうであるが、中国の領土拡大政策が如何に野蛮な発想から出ているかが分かる。中国に進出する企業が沢山出てきているが、どこでも当初のような夢が抱けなくなって困惑する企業が多くなってきている。13億の国民を統治する一党独裁政治がもたらす弊害はこれからもたくさん出てきて、なかなか統治しきれなくて矛盾が湧出して始末が付けられなくなってきているので、そうした被害を受けないような工夫がこれからは必要である。
    思えば過去において日本が金を持ちすぎて、旧ソビエトや中国が金を持たずに貧乏に甘んじていた時代が長く続いたころがあった。政治評論家の藤原弘達が言ったように、そんな時にこそ政治家が有能な姿で出てきて、札束をはたいて買ってやっていれば平和外交の成果を上げて、北方四島の問題も、尖閣領土の問題も、竹島の問題も今日のようにごたごたしないですんでいたはずである。私腹を肥やすことのみの専念する野暮な政治家ばかりだったから、大英断が下せなかったのである。英知を持った太っ腹の大人がいたならば、今になってこんな問題でガタガタ言われずに済んだはずである。
     今の中国は急激な経済発展を成し遂げてきたがゆえに、その反動として国内に多くの解決すべき深刻な問題くはらんでいる。景気の減速による国民の不満、沿岸経済圏と内陸経済圏との経済的落差、不健全、不透明な金融問題、民族的差別と慢性的所得格差、高級官僚と政治家の汚職の蔓延、偏向する経済発展の各層、大気汚染と各種公害の問題、少子高齢化の問題など深刻な状況が、この国の潜在的課題となりつつある。私が中国に渡った時の、38年前の中国は素朴に生きる民衆と国家があった。我々はその時、経済友好使節団を組んで北京にわたったが、民間経済交流の端緒を切り開くことに成功した。田中首相が日中国交を果たした三年後の思い切った行動であった。大歓迎を受けたが、当時の中国の様相を想起するとき、今日の中国とは天と地との差があることに驚くのである。経済発展の恩恵を受けるもの、逆にその犠牲にあえぐもの、対立的様相は深刻であり、その度合いは増大しつつある。民衆のそうした不満爆発のエネルギーのはけ口を、今海洋領海の拡大に求めて国民の視点を外に向けた政治を行っており、国内の民衆の不満を封じている。防空識別圏をあえてこの時期に設定した理由の一つに掲げられるが、先鋭化した軍部の暴走、これは領海を巡るものとは違って極めて危険な火遊びであり、万が一にも武力衝突に発展しないことを願っている。
                                     11月25日


             戦前の暗い言論統制か・・・・・。


      特別秘密保護法案の取り扱いを巡って 喧々諤々の様相である。あまり触れたくない問題だが、戦前の忌々しい体験を持つ人間にとっては、暗いイメージを抱いてしまうものである。戦前を生きた人間は苦い経験を持っているから法律の名前を聞いただけで拒否反応を示してしまう。憲兵、特高が跋扈した時代である。気に食わなければ逮捕拘束だからみんな我慢して口をつぐんだ時代である。正しい情報をつかんで客観的に戦争が負けることが分かっていても、それを口に出したならブタ箱行きである。そもそも正しい情報を得ることも難しい。その結果何十万人の命が犠牲になって貴重な財産を失い、国を守るべき法律が、逆に国を破滅に追い込む結果となる事例が過去の歴史を見ても歴然であることが分かっている。わかっていてても止められないでは救いようがない。防衛、外交、安全脅威活動、テロの4分野のうち特に秘匿すべき情報を、各省の大臣が特定秘密に指定することになっている。この特定秘密を外部に漏えいした場合、反した公務員が罪の対象になる。この拡大解釈が、究極的に国民の知る権利を制約し、言論の自由を制約し、思想的弾圧にもつながっていき、歯止めが利かなくなる危険性がある。自由放銃は困るが、人間にとって自由こそは最高の価値の表現であり、基本的権利であることを忘れてはならない。 
    審議されている法律には、もっと検討すべきところが沢山あることは専門家が指摘するところである。今までの法律で十分適応していけるのではないかと思うところもある。安全保障に関する秘密の保持にかんしては、国家公務員法や自衛隊法などでも十分ではないかと思われるし、仮に充分でないとすれば、時代に応じた内容を以て改正したり補充したりすればいいわけである。
    法文の難しいことはさておき、思想的にも大体がこの種の法律については落としどころは決まっている。日本でも、この類いの法律に就いて苦々しい思いをした人は皆死んでしまっている。かろうじて生きているとしても発言する権威は持ち合わせていない。老人性痴呆に陥ってしまっている。年老いて残された連中とか、半ばがん箱に足を突っ込んでいる連中とかわからない連中が、さも知ったかぶりをしてこの法律を世の中に出そうと画策しているが、そうした連中は、自分が支配者になっているつもりでやっていることであって、立場が変われば被支配者になることを知らない馬鹿が多い。立場が逆転したことを考えれば、そんなに急いで決めなくてもいいはずである。そうでないのは、自分のこと、自分の世代しか己を考えない連中で子供、孫の時代を考えていない大ばか者である。ましてや将来の国家、社会、他人のことなどどうなってもいいという無責任な輩の考えることでしかない。世の中を自分の都合の良い方向へ持っていきたいために、他の人の自由な発言いや行動を封じても正論であるといういかがわしいたくらみが、その動機となっている。
    安倍さんは「国民の様々な不安や懸念を払しょくするよう、今後も丁寧な説明を尽くす」 と云っているが、不安や懸念があるからこそ、左様な発言となって出てくるので、不安や懸念のあるような社会にする可能性があることを自ら証言しているものである。今後の努力が実を結ばなくなる世の中だから、国民の大多数の人がこの法案に不安を抱いて反対しているのである。日本の景気回復で抜群の手腕を発揮して大きな信任を得ていながら、そうだ、折角の安倍さんのこれまでの功績を高く評価してきているが、横道それてとは言わないが、こんなことでつまずいたではがっかりしてしまう。懸念したことではあるが、数の驕りで国会をわがもの顔に運営されていっても困る。こうした傾向は、華々しい安倍政権の誕生後に心配して書いた事柄であるが、そうした心配を抱かせしめないよう自重してもらいたいものである。おりしも尖閣諸島を中心に中国の台頭が災いして、外国に対する安全保障的な意味合いが先行している感じで扱われているが、大事な点は、これが国内に対する締め付けであって、アンチデモクラシー、突き詰めれば言論統制につながりかねない。
    法律の反対を叫んで、今も外堀通りを市民のデモが続いている。その声がオフィスの仕事場にも聞こえてくる。大きい時もあれば小さい時もある。騒々しいデモは、基本的にはテロと変わらないという政府高官の発言があった。既にこの始末である。テロとは法律に反し、言論に反して暴力殺傷を以て相手を封じ込めようとする行為であって、国と国民の平和と安全をもととした秩序を破壊する行為、これは法律以前の問題であり、犯罪行為として糾弾されることは今までの法律でも自明である。ところが新たにできる法律は敢えてテロだと断じる基準はいかようにも恣意的に作れることになって、拡大解釈すれば際限なく権力が及んで取り締まりの対象になっていく。大臣の答弁も二転三転して、解釈はいかようにもできるということである。
    法律が通ってしまったら、安倍さんが言うように「丁寧に説明していく」なんて言うことはできない。説明する奴は安倍さんみたいに親切でお利口な人ばかりではない。権力を笠にして威張り散らし、抑え込む人間ばかりが登場してくるに違いない。戦前のあのくらい官憲跋扈の時代を思い出してしまう。今の政治家は道を外して歩いている。いったい何を考えているんだろう。今は自分のことを考えて必要だと思っていても、所詮先の短い連中ばかりだから、がん箱に収まればどうなってもいいから何でもないが、これから世の中を充分楽しんで生きて行こうとする若い人たちにとっては厳しい重しになって、時には全てが統制されるようなかっての日本が歩んできた官憲支配の陰湿な社会の到来となって、挙げ句には政治の無能化を来たし暴走して、我々国民の生命、財産を脅かす結果にもなりかねない。この国の将来にとって心配である。   12月2日

    

2013.11.05

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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