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VOL.22.5
胡蝶蘭と牡丹の花
「めでたさも中くらいなりおらが春」 とは小林一茶の句であるが、拙宅に運ばれた大きな胡蝶蘭の鉢を三つも見たときは流石に 「めでたさも大きく先のおらが春」 とは咄嗟に浮かんだ小生の句である。これは祝いの贈り物のお裾分けで、家の中がその瞬間から華やかに輝いた。まさに花と新緑の季節、五月に入って初日早々、縁起がいい出来事である。小生の一句は、目出たいことは、持続可能なものであってほしいという祈りが込められている。
他に、家内の独唱会が新装なった世田谷の区民会館のせせらぎホールで行われたが、それには牡丹と薔薇をたばねた豪華な花束が二つ、娘の明子と春海ちゃんから、アジサイの鉢植えの花は近所の狩谷さんと斎藤さんから頂いて、身内のめでたい慶事に家の中はお祝いの花でいっぱいである。明子からは、花の舞台で独唱を終えた妻に渡されたものである。それにあやかって小生も豪華で身に余る法悦の思いにお裾分けを頂戴している。これは春から縁起がいいや、という心境である。
歌舞伎十八番の名台詞でもないが、月もおぼろに白魚の…に始まり、こいつは春から縁起がいいわいな、という場面があるが、まさにその通りの花舞台かとも心に描いてみたりしている。 家内が好きで植えたりして、もともと塀のうち外に草花がたくさん植えてあって、いつもなにがしの花が咲いているが、特質すべきは、拙宅の庭畑にも今、素朴で可憐な菜の花がいっぱいに咲いている。
目出度さの続く慶事に祝福の頂く花に充つる我が宅
5月1日
始まったゴールデンウィーク
意義深き憲法記念日
五月に入ってからの天候は、列島が高気圧に覆われて連日のように空いっぱいに青空が広がって、文字通りの五月晴れである。ゴールデンウィークは人によっては4月の30日から始まっており、連続して10日間に及ぶ大型連休に入っている。コロナ蔓延防止法の適用も解除されて、多くの観光地や行楽地では足止めを食らっていた人たちがどっさと押しかけて、コロナ禍の以前の水準にまで客足が伸びているという、久しぶりの活況を取り戻して、行く方も、迎えるほうも笑いが止まらないといった様子である。ただ惜しむらくはいまだに外国人観光客の出足が期待されないなか、その向きをあてにしていた地域では厳しい状態が続いている。ぜロ・コロナを目指す中国では、コロナウィルスの新規感染者が武漢で発見されて今、北京や上海などの飛び火して、上海では厳しいロックダウンが実施されていたりして深刻な様相である。その分、経済的にも落ち込みは大きく、更には交易的影響も重なって日本においても製品の流通過程に影響が出てきて消費者市場にも少なからず支障をきたしたりしている。
さはさりながら、今日は記念すべき憲法記念日である。広島、長崎で原爆の洗礼を受けたことをきっかけにして、目を覚ました日本がアメリカに降伏して第二次世界大戦が終わって、戦争の惨禍から抜けだして、ようやく「自由と平和と人権」を取り戻すチャンスを与えられた日である。そうした体験を経て、その意義を盛り込んで制定され憲法を内外に発布した意義ある日である。この貴重な体験と成果を世界に示して、同時に世界がその意義を理解し、その道に従って前進んしてもらいたいと世界の国々に呼び掛けた日でもある。さほどに日本国憲法は、民主主義の普遍的原理を盛り込んで、その崇高な理念を具現すべく新たな気概を以て努力していくことを内外に約束し闡明したものである。もって犯すべえからざる我々の信念、信条を吐露したものであって、すべての法律はこの信念と信条に基づくものと云って誇りとしている。自国に対し決意したことは、外国に対しても等しくその理念を求めていかなければならない。
すなわち我が国憲法の前文では、その一部に 「我らはいづれの国家も自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであって、この法則にしたがうことは自国の主権を堅持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」とある通りである。現在のロシアに対して、プーチンに対して日本国憲法のこうした理念を伝えてやりたいと思う。ウクライナの侵略がいかに違法な行為であり、且つ犯罪行為であるかが明確になるはずである。
大学に入学して必修科目の一つに「憲法」があった。高校までは主として社会科目の授業として憲法の知識を心得ていたが、大学では憲法そのものが必修科目として学習することになった。担当教授は憲法学者の大西邦敏教授である。比較憲法を専門として当時、日本の新憲法の成案の作成に携わった一人である。日本の憲法も斯くあるべきとして、世界の国々の憲法の内容と構成について詳述し、特殊性を列挙して特異な講義を展開していったように記憶している。自民党の憲法調査会に会長も歴任した人物である。従って憲法第九条についても持論を持っていたはずであるが、大学の学生に対する授業であるがゆえに、本旨に沿って私情を挟むようなことはしなかった。しかし当時から自衛のための軍隊を持つべきだという気持ちはあったに違いない。戦後の時代的状況では占領下でもあり、確か国の安全はGHQが総括的に行っていたし、地域の生活的治安は自治体による警察が主として携わっていた。地域の治安を維持する警察から一歩昇格して、警察予備隊と称していたころである。
それはともかくとして、私は憲法記念日が来ると、必ず六法全書を開いて前文を暗唱し、その高邁なる憲法の精神を味わいながら、体験した戦争の惨禍を思い出しては改めて多くの犠牲者を弔う気持ちになるのである。そして誓いの言葉を復唱するのである。しかしながら今、気の狂ったロシアのプーチンがウクライナに侵攻、侵略し、平和に暮らしていた国から多くの犠牲者を出しては残虐な殺傷を繰り返して、鬼畜な有様に、なんという愚かな人間どもかと慨嘆せずにはいられない。長年政権座のに停滞していると自己本位になっては改革、改善を忘れ公僕としての務めを放棄し、権威主義に陥ってくるものである。世界は今、スターリン時代の暗黒なソヴィエト社会を想起して、大ロシア帝国の再来を妄想する帝国主義的発想を繰り返すプーチンの思想をせん滅するための工作を、強いられているのである。
2月24日ロシア軍が国境を越えてウクライナの侵略を開始した時、其れから三日が経過してウクライナが侵略に強く抵抗してロシア軍に対峙し、このまま戦況は長期化すると予想していたが、事態はさらに深刻さを増して開戦以来70日が経過し、ロシアの冷酷さが今に及んでいる。米欧と、日本も加わってウクライナに武器や弾薬、そして膨大な軍事資金を以て支援しているが、常軌を逸したプーチンの戦争を止めることができず苛立ちを覚えている始末である。ロシアという国と、プーチンには、恥じ入るようなあからさまな嘘があまりにも多すぎる実際を見聞し、こうしたことが今世紀に入って現在にも、よくぞ国際社会に跋扈するものだと物凄く不思議に思うのである。ロシアの軍事侵攻を支持し、自国の領域を使用させた同盟のベラルーシのルカシェンコは今になって戦争が長すぎると、その難航を認めている。形勢は徐々にプーチンにとって決して好ましい状況ではない。製鉄所にはまだ数百人からの民間人が避難したまま閉じ込められている。この人たちの救済をめぐって国連の事務総長が先頭に立って懸命の努力をしているところであるが、相手が嘘つきのプーチンだから難儀している。
マルクス経済学を研究し批判した恩師の堀江忠男教授は、朝日新聞記者を履歴し北支に従軍した時の話をされたことがある。戦地に居る兵士はすでに人間性を喪失し無謀なことを行いながら進んでいかないと、生きるか死ぬかの極限に置かれているので、生きるために人を殺めながら行くという異常な精神状態におちいるそうである。まさに、人間性喪失の状況である。しかしそれはあくまで最前線にいる人間性の態様であって、指揮命令する上官の人間は後部の部隊に配置されているわけだから、指揮系統の遠隔操作は可能なはずである。すなわち最前線で戦っている哨兵の実情を上級の将官は監督、命令している。
ウクライナの惨状を見る限り、戦争を仕掛けたのはプーチンであり、以来残虐の限りを行っているのはプーチンそのものである。戦争犯罪人は先ず以てプーチンその者である。ウクライナへは絶対に侵攻しないといっていたのもプーチンであり、製鉄所への攻撃を中止させたのもプーチンであり、それらをすべて反故にしたのもプーチンそのものである。すべてをでっちあげて演出しているのもプーチンである。国内では言論統制を敷いて、戦争に反対するものは拘束し処罰している。カラマゾフ的思想を持ち、「神が居なければ何を犯してもよい」とする観念の根源にまで遡らないと、プーチンの思想には行き当らない。
しかし屁理屈を追っていても仕方がないが、現実は民主主義体制に反して権威主義をかざし、独裁、専制政治を敷き、市民生活を脅かして自由をはく奪し、人権を蹂躙してはばからない輩が、この地球上にはたくさんいることも事実である。そうした国が他国を侵略して多くの犠牲を強いている現状は、一向に改まる気配がない。日本を取り巻く周囲の状況も、不幸にしてますます厳しさを増す今日である。戦争犯罪行為を行っているロシア、そしてインド南太平洋、南シナ海の覇権をうかがい、尖閣諸島では領海侵犯を繰り返す中国、そしてミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮と、軍事的に威嚇する国々が存在している。日本は日米同盟に固い絆を以て課題に対応しているが、今回、ウクライナ支援に回っているため、ロシアあ我が国に対しても非友好国として厳しい姿勢を口に出すようになっている。アメリカとEUと結束を固めて、ロシアに対し毅然とした対応をとって言えることは当然である。
この際、飛躍して「日本もNATO に加盟」するくらいの気概があってもいいのではないだろうか。イギリスを訪問している岸田首相は「インヴェスト・イン・岸田」と経済提携を更に促進させ、強気の狼煙を上げて赤い気炎を吐いてきて結構な話である。民主主義の総本山である英国にならって、民主主義、自由主義、平和主義、人権主義を標榜する日本国意憲法は、寛容を基礎に世界を大観して地球規模で世界に臨むことをめざしている。世界を俯瞰してEUに科刑して自国の安全保障を構築するということ、これこそ憲法記念日にふさわしい発想の転換である。
民主主義と平和を目指す日本の憲法は不朽の、未来永劫の人類の平和的発展と平和を盛り込んだ最高の法規である。如何なるものにも代えがたき日本国の国是を高らかに歌い上げた理念であり、信念である。今こそこの憲法の精神を以て、すべからく他国に及ぼし啓発する好機である。国と国との付き合いも、戦争を武器として力と暴力で封じ込めるか、話し合いと交流でヒューマニズムの精神を示す舞台を深化させていくか、人間としての品性と知性の示しどころを問われている。
続 5月3日
子供の日
日常のこと、人混みの中を歩くことが好きでないので、ゴールデン・ウィークの行楽シーズンでは絶好の行楽日和となっている。私は毎日のほとんどを庭畑の耕作と整理に時を費やし、野菜の苗を購入して植栽したり、植木の剪定と手入れをしたり、緑陰で食事を楽しんだりして悠々自適を旨としている。新緑に彩られた拙宅で、箱根や軽井沢に行かないで済んでいる。ガソリン代も使わずにいるし、高速道路の料金も払わずに済む。なんといっても宅の随所で、気ままに居眠りができるのが最高のプラスである。
贅沢な勤労と思いながら、普段使いなれない身体の部分に、節々や筋肉が快感を伴って痛み、肉体的錬磨の効果てきめんである。仕事の途中で断片的に休養し、仮眠ののちに又仕事に取り掛かるといった具合で楽しんでいる。この仮眠が自然と一体となって心身に清涼感を齎し、劇的な効果を発揮してくれる。今までの疲れが、その都度吹き飛んでしまうから不思議である。
5月5日の今日は子供の日である。子供の成長を祈り、祝福する日である。今日の行楽地には子供を連れた親御さんたちで溢れている。遊園地や幼稚園、学校など、コロナ禍で、自由闊達な行動を制約されていた子供たちにとっては、コロナの蔓延防止法による外出規制の全面的解除は、解放された喜びの日である。久しぶりに外出が許されたせいで、子供たちはみな目を輝かせて生き生きとして闊達である。
未来の社会を背負ってゆく子供たちに、ウクライナのようなみじめな境遇を与えてはならない。それには大人たちの日ごろの訓練と心構えが必要である。いわんや、日常のように見聞する子供の虐待は、目に余るものがあって、親としての自覚と責任欠如がはなはだしき仮りである。身体を張って子供の命を守るというのが本来的本能にもかかわらず、其れすら果たせないようでは始末が悪い。経済的に困窮の身に追いやられた結果なら、子供を預ける保護施設もある。自治体の窓口に相談してみたり、口を閉ざさずに、身近に相談すべきである。
結婚した時、子供は多いほどいいと思っていたが、結局授かったのは息子と、娘の二人であった。自分が四人兄弟の三番目だったので、兄貴二人がいたためにいろいろな知識と体験をさせてもらった分、家庭教師を常時おいて修行を積んでたわけで得をした感じである。下に行くほど頭がよかったとは、長兄の言い分であった。実際には小生と次男との間に男の子がいたし、一番末に女の子がいたが、赤子のうちに亡くなってしまっている。下町も浅草の問屋街で生まれ育った身だから、隣近所でも子だくさんの家庭がずらりと並んでいた。「向こう三軒両隣」とはよくぞ言ったものである。互いに助け合う習性がついていた。家の中に閉じこもっているような雰囲気ではなかった。外で遊ぶことが多く、子供なりに工夫して遊んでいた。陽気な子がたくさんいて、云い合ったりするが、取っ組み合いのけんかをするようなことはなかった。かばい合ったり助け合ったりの気持ちが、おのずから身についていたものである。これというのも、子供は子供の世界があり、ルールとたしなみが暗黙の裡に培われていたのである。
街なかに子供を連れた親御さんを見ると、何とも暖かいほほえましさを感じて、ましてや三人のお子さんが母親のあとについていく姿は眺めていて頼もしく名状しがたい気持ちになってくる。強くて優しいお母さん、頑張ってくださいねと心の中でエールを送りたい気持ちでいっぱいになる。鯉のぼりが腹いっぱいに空気を吸い込んで、五月の空高く泳いでいる姿を想像して、通勤道は銀座の並木通りを帰途に就いた。既に、しなのきの並木が緑のトンネルをつくって、初夏の光がさんさんと降り注いで光の影が揺らいでいる。
万葉集に出てくる歌人の、山上憶良が次のように詠んでいる。
「白金も黄金も玉の何にせん勝れる宝子にしかめやも」 全くその通りである。子供の日に、当たり前なこの歌をもう一度、否、何度も繰り返し読んで、われわれの心にとどめておこうではないか。 5月5日
有意義に過ごしたドールデンウイーク
五月晴れに恵まれた大型連休であった。コロナウィルス蔓延防止による規制がすべて解かれて、最初の大型連休を迎えた行楽地であるが、人々の出足は好調で久しぶりに活況を呈し遠近を問わず人々で溢れかえった。弟が住む鎌倉は、連日のように溢れんばかりの人出でごった返し、外出も憚るといった感じだそうである。テレビでも小町通の人混みを伝えていたが、わが故郷の浅草の仲見世あたりも多くの人波で身動きもままならぬ有様であったらしい。どっと繰り出した観光客で、行楽地では久しぶりに活況を取り戻して、タイミングを待ち望んでいたあきんど達の笑顔が戻ってきて何よりである。
拙宅では大型連休の始まる先週の連休を、一族郎党連れ添って「先祖のお墓参り」を済ませ、そのあと千葉のソリルの杜に出かけた。前回訪ねたときは、宿泊の山小屋を二棟借りて、野趣に富んだ森の生活を存分に楽しんできたが、今回は勉強に忙しい孫たちが参加しなかったので、贅沢にソリルの杜のホテルの大型を貸し切って森の生活を楽しんできた。ソリルの杜の一角に長兄の家族が経営するホース・ガーデンがある。浅草の古臭い事業に見切りをつけて長兄が移ってきた場所だが、この大きな施設が又人気があって面白い。乗馬を楽しむことができる。預かっている馬を含めて厩舎には今、45頭の馬がいる。長兄の末娘の訓子ちゃんが采配を振るっているが、こちらのレストランに用いている山小屋が、西部劇さながらの雰囲気がこもっていて異国的な情緒を楽しみながら夕食をすることができるので、今回も満喫して夕食を皆と過ごしてきた。
息子、娘の家族は闊達の盛りだから、それぞれ自由に動き回って居るかもしれないが、そんなわけで小生と妻は、大型連休を改めて外で過ごそうという気分が出てこなく、専ら在宅しながら近所を調べ訪ねたりして悠々自適の時間を過ごして、時間の足りないことも感じたりして充実していた。その間、もちろん庭畑を耕し苗ものを植えたり、職人の真似事で庭木の剪定をしたり、清潔な気持ちをかみしめているのも、精神の涵養に大いに役立ったりしている。
連休の間、読書するわけでもなく、新聞の記事に目を通して、無法者のロシアのプーチンがウクライナに侵攻して残虐の限りを尽くして、既に70日間に及ぶ毎日の記事に、毎日真剣に吸い付かれたままといってよい。大胆な賭けに出て愚策を演じているプーチンだが、既に自国の人命はもとより兵器の大方を失い、これ以上の消耗戦に耐えられなくなってきて、敗色濃厚な状況である。喧嘩を売られたイクライナも必死の防戦を演じ、アメリカやEUなど、日本も含めて国際社会の支援を受けて善戦して祖国防衛に立ち上がって勇敢に戦っている。市民を標的にしたロシアの猛爆もあって悲惨な被害が出ていて、戦争の無残な光景である。ロシアの標的に在って不可能かと思われていたが、先頭に立った国連のグテーレス事務総長の賢明な仲裁で、巨大な製鉄所に避難していた民間人の救出に成功したとの朗報に、胸の内がすっきりして安どの念に打たれている。こうしてみると残念なことであるが、世界にはいまだに大小の紛争が起こっているが、日本国憲法の理念を再度読み返して、世界に冠たる平和憲法として誇りを抱き、世界の指標とすべく啓蒙していくべきだと誇りに思った次第である。
日本の世界に誇る憲法の広く及ぼし周知ならしむ
我々の自由と民主と人権の要塞と成れ日本国憲法
人類が争いのなき永久の世を平和に暮らすしるべ示せり
専制と権威主義を排除して自由闊達に生きる民かな
人の世の栄と平和を享受して歓喜と感謝の日々を過ごさん
日本の憲法を読む憲法の日、六法全書の古き思ひ出
崇高な理念を生かし日本国憲法を世に広め行くかな
不安なることもあるかし戦争の放棄を定む憲法のうち
恒久の平和を願ひ外国と愛和のきずな深めゆくかな
公正と信義にちなみ我が国と民の平和と安き求めむ
戦争の惨禍の再び起きぬよう我らが政府を監視すべきと
其れゆえに主権在民の政治的指導理念をここに定めり
国会は民の厳粛な信託によりその根源を忘るべからず
思ふだにその権力は国民の代表者らがこれを行使すと
然るべくそれより得たる大いなる福利は民が之を享受す
憲法の論理は人類に与えらる普遍の原理と留め置くべき
我らみな平和を愛し安寧の社会を目指し励みゆくかな
世界との協和に依りて我らみな成果と恩恵によりて生きゆく
国政の暴走を止め決定はわが国民の意思によるなり
名誉ある地位を生かして尽力す国際社会の安き目指して
専制と隷従より皆独立し自由と秩序の下に暮らさん
我ら皆恐怖と欠乏ゆ免れて平和に暮らす権利を有す
健やかに日々を過ごして喜びと希望にみつる道を行くかな
無謀にて暴虐非道のプーチンの他国を侵し破壊続けり
日本の安全保障の意義を問ふ露のウクライナ侵攻を機に
ウクライナ領土に戦火の噴き上げて惨禍の民に及ぼせる今
敢然と反撃に立つウクライナ祖国防衛に奮ひ立つなり
ウクライナ祖国を離れ避難せる数百万の民衆の群れ
想像だにし得ぬロシアのプーチンの戦争犯罪人の今のこの世に
無差別におんなこどもを殺戮す蛮族と化すプーチン独裁
侵略に国際社会が連携し経済制裁を科するロシアに
アメリカとEUに日本も連携しウクライナ国の支援に尽くす
勇ましく日本も米欧に連携しロシアの無法に対峙するなり
憲法の第九条は侵略に対し反撃の権利認めり
軍隊もそれ相応に我が国の安全確保の要諦なりき
精鋭の兵器所有も可能なり外部の侵略攻撃に対し
巨大なるマリンポリ製鉄所市民の多くが地下に避難す
幼な児と老人を診て介抱すやつれし人に何の罪ある
最初よりロシアの無差別攻撃の市民虐殺の戦争犯罪
飲むものに食べるものにも事欠きぬ地下に避難のおんな子供ら
二か月に及ぶ製鉄所の避難先これにロシアの猛爆のあと
意外なり旧式兵器で侵攻すロシア軍隊のお粗末なさま
軍隊の教育訓練と指揮指導お粗末すぎる実態さらし
露軍らの無差別攻撃に避難せるおんな子供らあまた犠牲に
国連のグテーレス氏が先頭に立ちて救済の道を開きぬ
死に際の避難民もあまた居て猛爆のなか救ひ出しけり
低空のヘリコプターが隊列を組み機銃掃射すキーフの街を
懸命に武器弾薬を提供す欧米諸国のウクライナ支援
面持ちに聊か老害の兆し見えプーチンの思惟も地位も危ふし
早期よりこの戦争の長期化に様々なこと思ひめぐらす
コロナ禍とこの戦争に世の中の激しく変わる様を見つめん
広々とした草原を耕運機でなくロシアの戦車隊がゆく
農民の平和に暮らす草原を踏みつぶし行く重戦車隊
銃弾を民家に打ち込むロシア兵罪なき市民を殺しゆくなり
プーチンがウクライナに居るネオナチス撲滅ゆえに侵攻すとも
ウクライナ領にナチスの影無きに嘘を表に仕掛く戦争
大儀なく他国の領土を侵略すましてや北方四島の如何にや
プーチンののらりくらりの裏技に北方四島の返還の謎
我が国の北方四島は軍事化にロシア戦略の基地と化したり
ウクライナ独自の豊かな文化にて国民も又おほらかなりき
青草をはむ放牧の遥かなり此処にナチスが居ると思へで
素朴なる農夫が鎌を振りながらロシアの戦車に立ちはだかりぬ
青々とせるウクライナの麦畑ロシアの戦車が踏みつぶし行く
改めて日本国憲法の神髄を人類生存の捉ふ要と
猛烈な支持を示してバイデンの政治体制の是非を問ひつつ
老骨の身のバイデンの戦場に馳せる思ひの如何あるべき 5月8日
ロシアの戦勝記念日
鳴り物入りで騒ぎ立てていた5月9日のロシアの対ナチス・ドイツとの戦勝記念日が、首都を始めとして各地で開かれたが、最新兵器を誇示させた軍事パレードを見て、個人的には、何ともやりきれないプーチン自身の自己満足に、よいしょして、ついていく気が全く起きない心境である。お祝いの儀式だから仕方がないが、勲章を下げ、仰々しく着飾った退役軍人の老いぼれたちが何人も並んで、プーチンの後ろに威儀を正して整列し、クレムリンの赤の広場を一糸乱れず行進する兵隊の隊列を閲兵し、「おもちゃの兵隊さん」で楽しめてよいとしても、大げさで幼稚な発想に、国威高揚を当て込んだ国内向けのデモンストレーションで、それも無味乾燥の感じを拭い切れなかった。プーチンの容貌も勝手のような精悍さはなく、年齢で如何ともしがたいが聊か老醜の影が灯って、強気を飛ばせば寧ろ哀愁すら感じるところが今の無益さがやるせなく思ったのである。
軍事パレードはどこの国でも五十歩百歩で大差ないが、ロシアがウクライナの戦争を仕掛けて侵略しており、何らかの方針を打ち出すのではないかと、世界が注目していただけに不発に終わった感じである。まさか大国のロシアが、弱小と思われるウクライナを強力な軍隊で力ずくで征服すると云う、旧帝国主義時代の行動を起こすとは夢にも思わなかった。しかしながら主権と領土を脅かされたウクライナのに起きたアンチロシアの感情の高まりは、独立意識の高まりとなって、クライナの予期せぬ抵抗にあって戦況が膠着し、更には欧米の軍事資金支援、武器援助で弾みをつけたウクライナの反撃に出会い、ロシアの後退する状況すらうかがえるに至っている。EUのより強固な結束を招いていることも、プーチンの意に反した結果になっている。むしろ演説では、プーチンの内心穏やかならざる心境を交えて、自信を以て展望を明確に打ち出せない節がある。評論家の木村太郎氏は、弱体化するロシアの現状に結び付けて、「がんの手術とかを理由にプーチンの引退か、もしくはほころびゆく軍内部でのクーデターの可能性も」と指摘するくらいのガタガタの状況である。
兵隊さんの行進は楽しめたが、そのあとに軍が装備する巨大な最新兵器の積んだ車列が轟音を立てて走って続き、ロシアの軍事力を誇示した。プーチンの祝賀演説は、皮肉にもウクライナ領土を無差別に爆撃するさなかに行われていた。外国からの要人の招待客の影はなく、11分間と云う演説には専ら国内向けに、自ら行った特別軍事作戦を正当化させる内容のものであった。ウクライナの名前さえ出していないことが、反って格別な含みを持たせているようにも思えて複雑である。特別軍事作戦と称して「戦争」とは言っていないし、軍事作戦の目的がウクライナに暗躍するネオナチスの掃討にあると云ったり、ネオナチスを支援するアメリカやEUとも対峙していると云ったり、事実に反することを国民に向けて発しているあたり、厳しい言論統制下にあるロシアの国民に真実を伝えるものでないことが歴然で、ありさまに愕然とする思いである。旧ナチスの幻影を、外部から見れば今のプーチン自身に重ねて思い出しているような錯覚であり、錯倒した世界に投げ込まれるようである。
プーチンがかたくなに強気を張らず、柔軟な思考を以て手際よく、この戦争の終結する着地点を模索することが賢明な措置である。 いたずらに領土拡大主義をとることは、誇大妄想の域を出ず、今の時代に通用するはずがない。まさかマルクス・レーニン主義にのっとった政治思想と国家主義が、他の諸国を以て追随させて、大ソヴィエト連邦の構想を以てロシア帝国を再建国しようとしているわけではあるまい。 国境を越えてウクライナに侵攻したこと、そして特別軍事作戦が失敗であることに気づき、プーチンは自ら仕掛けた対ウクライナ戦争を速やかに停止し、戦場からロシア軍を撤退させるべきで、体のいいそのタイミングを模索すべきである。 続 5月10日
ジョージアの独立堅持を
旧ソ連邦の構成国の一つであるジョージアについて、ウクライナ戦争をきっかけにして世界の関心が高まっている。バルト海と黒海に挟まれて、ロシアと国境を接する国であるが、2008年にロシアとの間で起きたジョージア戦争で、北部の領土の一部を不法に略奪され以来、ロシア軍が駐留している。国内に親ロシア派を唱えて分離独立を目指す南オセチアとアブハジアが在って、2008年8月にジョージア軍が攻撃した時にロシア軍が反撃し、ジョージア軍が撤退して以来、親ロシア派が一方的に独立を宣言して、ロシアがこれを承認し現在に至っている。その南オセチアで5月8日に大統領の決選投票が行われた。プーチンが推す現職のアメトリービヒロフ(52)と、対立候補のアラン・ガグロエフ(41)が争って、現職の候補が敗北した。もともとロシアへの併合を希望する南オセチアだが、ウクライナ戦争では自国から戦闘軍を派遣して軍人の死者を出したことが反発を買ったものと云われている。微妙な選挙結果を招いたことでプーチンも神経を使い、対抗馬のアラン・ガグロエフに手の裏を返して祝意を伝え、「これからもロシアと連携して共に発展を」と伝えたそうである。
旧ソ連邦の崩壊で、当時の多くの衛星国だった国々が分離独立して、旧ソ連圏当時の支配から離脱を図り、EUに加盟しNATOに参加する国々が増えてきている。時代の変化と、自国の政治制度をいかに図っていくかという問題に直面して、当然である。ロシア軍による今回のウクライナ侵攻についても、自国の安全を脅かすロシアへの警戒感からな塔に加盟する国々が増えてきた居る。ウクライナ侵攻によって、短期決戦の目論見が外れ、ロシア軍の残虐ぶりが露呈し、軍事力の意外な劣化が暴露され、核兵器の使用をちらつかせ、反面にEUの分断と、NATOの弱体化を狙ったプーチンの目的は完全に破壊された。更には国際社会からの激しい経済制裁によってロシアの経済的打撃な大きく、その凋落ぶりが次第に明らかになってきている。 5月12日
アゾフの鉄
戦場の生々しく悲惨な光景が、テレビやスマホを通じて連日の如く我々の目に飛び込んでくる。半世紀以上の前の世界は実に広く混とんとしており、人間社会で起きている事象については真偽のほどが掴み得なかったが、通信手段がいつも手元に置かれている今日、自身が望むところは即座にその状況が把握できる時代になった。従って、新聞やテレビやラジオと云った通信機器に頼らずともスマホを通じて瞬時に世界各地の状況をとらえることができ便利になったことと裏腹に、リスクを負った恐ろしい社会、世界になったといわざるを得ない。広かった世界は、狭く感じ、長い時間に生きた我々は、秒刻みの世界に自分たちの生命を預けていることにもなる。同時に真偽のほども実際と実態から把握することができるようになった。
ロシアのプーチンが大量の軍隊をウクライナとロシア国境に集結してウクライナへの侵攻をうかがっているということも、地上のプーチンがいくらこれを否定しても、衛星写真の画像から解析してこれは本当だということでプーチンのウソがすぐにばれてしまう時代である。侵攻が始まれば、三日間あればウクライナの首都キーフを攻略し、破竹の勢いでウクライナのほとんどがロシアの支配下に置かれるだろうと多くの人が推測したのである。しかし実際は強烈なウクライナ軍の抗戦に会い既に、3か月が過ぎようと居ている。ウクライナ軍が決死的抗戦に出てロシア軍の進行が阻まれているとすれば、攻撃を受けているウクライナ軍の犠牲は大であり、同時にロシア軍がウクライナ軍の抵抗にあっているとするロシア軍兵士の犠牲も五十歩百歩であり多大に達しているはずである。重火器の銃弾を受けてロシア軍の戦車が炎上破壊されれば、タンクに乗っていた兵士は攻撃の犠牲になっている。
言論統制下にあるロシアでは、真実が隠されてしまうから都合の良い情報の提供があればどんどんこれを出すだろうし、都合の悪いものはこれを隠ぺいして国民は真実を知ることができないでいる。はなはだ気の毒な話である。戦場はまさに死ぬか、生きるかの阿修羅のごとき様相だから、戦場に出されたら、死ぬ覚悟を以て兵士は望まなければならない。何時どこから弾が飛んでくるかわからない。 ロシアの若い兵士は「駆り出されたが、行く先も告げられずに戦場にきてびっくりした。危険な状態は死を覚悟している」というから、 もはや死人になった状態である。 死人に善悪、ことの良し悪しを決める思考能力はない。本能の及ぶままに行動する。銃を持った状態しか意識しないから、相手を見たら人間であれば打ちまくるしかないという。 さもありなんの心境である。
ロシア軍に包囲され実効支配されたウクライナ東部のマリウポリ地域は、戦火で悲惨な状況である。最後の砦となった巨大なアゾフスターリ製鉄所の地下に、80日間近くも避難し抵抗し続けたアゾビ軍隊の約2000名近い兵士が、最後の投降者を含めてロシア側に連れて行かれた。ウクライナの拘束されている捕虜と交換するという取り決めで行ったらしい。ロシアのこと、そうは簡単に応ずるわけがない。人命無視、信義無視、おそらく約束、取り決めがあったにしろ反故にするに違いない。 全てが嘘の塊であり、上はプーチンから、下は下々の民衆までが、である。プーチンを信じ切った民衆の一人ひとりが気づくまで嘘をつきとおすだろう。嘘がまかり通る社会は悲劇である。疑心暗鬼の風が、人々の上にいつも吹き過ぎている。昔から嘘は泥棒の始まりとならって来た箴言である。
日本は、ロシア旧ソヴィエトに随分と騙されてきた歴史がある。戦後政治史を解くまでもなく、多くに民衆が騙されてシベリアに連行され、強制労働のあとに亡くなっている。旧満州国はもとより、南樺太や千島列島は日ソ不可侵条約を破ってソヴィエトが侵攻し略奪した。 返す返すといって来た政治家は、日本の政治家を操ってはその都度、金を引き出して今日まで来てだまし続けている。嘘と泥棒は、日常茶飯事である。 民事でも嘘をつくやつは信用できないことはもちろんだし、泥棒の始まりと極論するわけではないが、それに近い人物であり、例えば商談のあとは戻ってこない場合が多い。心して取り組むべき事案である。 政界も、国と国との話になれば、しょせん自分の懐にch苦節には関係ないことであるがゆえに、罪もなければ責任もないから軽い気持ちで折衝の場に就くことになる。 来日したプーチンをもてなして故郷の自宅にまで招待し親密にもてなして、北方領土返還交渉に臨んだが、反故にされたままである。 だからと云ってそうした経費は国の予算で賄って済む話だし、損失は国民の経費である。
ロシアの領土拡張政策は、いまだに虎視眈々として他国に言いがかりをつけては領土の略奪を狙っている。ウクライナに対しても住民に一部が、身内のような言い訳をして、ネオナチスに虐待を受けていると称し人命保護として干渉して軍隊を送り込んできた。 人権擁護を理由に他国に侵略してきている。ネオナチスの存在も嘘であり、巨大とか身内とか称しながら拳銃を振りかざし人を殺めることに聊かの反省もない。嘘と泥棒を働きながら、逃げ出した嫁を必要に追う亭主と同じで、復縁を迫る男のだらしなさと同じで、女々しく仕草が気に入らない。
嘘と泥棒に愛想をつかした彼女に逃げられたプーチンである。フィンランドとスウェーデンは18日、米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)への加盟を正式に申請した。両国は、西欧とロシアの間で非同盟・中立政策を長年維持してきたが、2月下旬に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、わずか3カ月ほどで路線転換に踏み切った。両国とも女性リーダーであり、プーチンのウソと泥棒に実態を見抜かれて、今回の決断に踏み切った。歴史的な出来事といっていいだろう。
加盟が実現すれば、NATO の集団的自衛権が適用されて、例えば外国から攻撃された場合、NATOによる軍事行動が可能となる。 フィンランドとロシアとの国境線は、全長1340キロにも及ぶ。 この国境線で、ロシアが侵攻しようとすればいとも簡単にフィンランドに牙を向けて略奪に入ってこれるわけである。嘘と泥棒の権化、ロシアを矢鱈に信用することは出来ない。国連のロシア大使や、 ロシア外相 ラブロフの親父の嘘つきは評判で、今や子供でも知っている。
アゾフスターリ製鉄所の地下から解放されてやっと出てきたウクライナの兵士たちは、相互の捕虜の交換の担保として開放されることを期待して出てきたわけであるが、約束を破りがちなロシアによって、実際に実行されるか先行きは極めて暗い感じである。 旧満州国で捕まった多くの日本人は、その後多くが極寒のシベリアに送られ、満足な食事も与えられずに重労働の役務に服し死亡していった。ロシアはその常習犯であるから、今回も鵜呑みにすることは出来ない。自由の身になって喜んだ兵士たちは、ロシアの支配地域に運ばれて選別され生死の間を行き来することになる。それこそナチスのホロコーストと同様である。スターリンの真似をしているのがプーチンであり、スターリンはヒトラーに学び、ヒトラーの真似をした非情な人物である。くどいようだが、スターリンのやり方をそのまま踏襲しているのがプーチンである。
救い出されたと思いながら運ばれたウクライナ兵士がロシア兵に、「歩けるかと云われて無理だ」と云ったら即、背後から打たれたという。 使える人間は生かして使おうとする。医療とか治療といった観念はさらさないだろう。若い女性に至っては、拉致された挙句、暴行されて殺される運命とは、鬼畜の扱いを受けて今も昔も変わっていない。生き延びて生還したとすれば、奇跡である。戦場はもはや人間性を喪失した阿修羅だからである。 子の世にてまず戦争を仕掛けた人物こそ、即位座に罰せられるべきである。
マリウポリ巨大製鉄所の地獄より生きた兵士の命いずこに
ウクライナ・アゾフ大隊の勇ましき徹底抗戦の如何に捉へん
願わくば気迫の高き兵士らの命を救ひ出したくぞ思ふ
投降す兵士の疲れ果てたるを捕捉の身こそ案じらるるに
幸ひに死を免れて捕虜の身のあとの扱ひの死にも等しく
約束を守らぬロシアの扱ひに敗残兵士の命いかにも
悪臭の地下より生きて出でし兵の祖国の英雄と呼びてむなしき
いさかひの耐えぬこの地に神居らば救ひ給えへや人の命を
善戦すウクライナ兵士の銃を持つ先にロシアの死せる兵士が
敵味方別なき戦地の戦ひにはらからのこと思ひ偲べば
撃つ方も撃たるる方も人なりき父母、妻、こどもの家族なりせば
悪童のさまあらわなりプーチンの世界を敵に回し暴れる
ゼレンスキー大統領の英雄と兵士を称ふも何とむなしき
投降す愛国兵士のウクライナ先の命を守り給へや
前線で命を落とすその間にも酒飲みかはす悪しき将軍
「悪い奴ほどよく寝むる」とは言ひぬ正にプーチンとその家来ども
賢明な選択肢なりスウェーデン,フィンランドらのNATO加盟の
NATOへの加盟申請の両国を恫喝いたす悪しきプーチン
NATO加盟申請済ますスウェーデン、フィンランドらの女性指導者 5月17日
恫喝に耐へてNATOに加盟する決意のリダーに敬愛の念
プーチンの恫喝に耐え決断の北欧二国のNATO加盟に
賢明な選択肢なりスウェーデン,フィンランドらのNATO加盟の
NATOへの加盟申請の両国を恫喝いたす悪しきプーチン
NATO加盟申請済ますスウェーデン、フィンランドらの女性指導者
戦場に死臭芬々のしかばねを嗅ぎて進軍のあはれ兵士よ
愛国の精神を掲げ進軍す如何にむなしき殺戮のあと
自問して愛国精神の実現に人を殺せと顧みるなり
どうぼうも敵も死体を山と積みみどりの大地の墓場ぞと化す 5月19日
君や死に給ふなかれと絶唱す与謝野晶子の戦地への子に
君臨す独裁者が居て戦争を常に仕掛ける性のあさまし
絶唱す天皇のため死することなかれと我れが子に託すうた
天皇に預けし子とは言わずがな我れが宝の子にしかめやも
君死することなかれとぞ歌ひよむ晶子の汝れが子に当てし文
いかさまの軍部の策に乗せられし若者たちが戦場に散る
激戦の火ぶたの戦地の兵士らに慰問袋を送る昔日
戦地にて敵を殺めてくるなかれ人を殺せる罪の等しき
恐るべき天皇万歳と死してゆく兵士のされど人の尊き
日の丸の鉢巻きを締め出陣す神風特攻隊の夕焼けの雲
敵陣に丸太を担ぎ撃ち果てし即ち肉弾三勇士なり
日の丸の旗を掲げて盲進す陸軍歩兵に敵の砲弾
日本にもかっては肉弾三勇士敵陣じかに殴り込みゆく
日の丸を赤く染め抜く鉢巻きを結び学徒が戦ひにて死す
戦争のなき時代こそたっとけれ平和憲法のもとの日本 5月20日
敵陣に突撃の時叫びゆく天皇陛下万歳の辞
突撃に天皇陛下万歳と叫ぶ青年に謂う術のなき
空高く飛ぶB29に向かはんとする我が戦闘機の及ばざるなり
終戦のまじかの空を高く行くB29の巨大編隊
雲の間を飛びゆく我らが戦闘機南の空目指し行くなり
銀翼を連ねて飛行す隼の南の海へ帰還するなく
若き日のかのヴぇルテルのライデンを読む我が情熱のいずく在りしや
若き日に読むゲーテ、ハイネの熱き詩の今にし思ひ迫り来るかな
亡き友にアウフ・ヴィーデル・ゼーンとぞ振り返り見て後にするなり
いまだ我が感情移入の旺盛に見目麗しき人にときめく
岩波の文庫本に挟みたる色あせたりし熱き恋文
ヴェルテルの悩みの若き日を明かすそのときめきの絶ゆることなき
我が道を一筋に行く人生の思ひ尽くして悔ひるなきかな
懐かしき面影を追ふ青春の初夏の若葉の燃えるふるさと
物価上昇率2,1パーセント
消費者にとって際立って目に映るのは下疎林の価格の上昇である。一定価格の上昇については、政府が補助金を提供してい消費者の負担軽減に努めている。食品価格はコロナ禍で消費減速が当然と思われたが、逆に軒並み上昇して2割から5割上がっているように思われる。常識的にはコロナ禍による滞留がもとの物流コストが大きく、また、原油価格の高騰が拍車をかけている。
日銀の発表に依ろると、4月の物価上昇率が2.1%となった。これは7年1ヵ月ぶりに政府・日銀が目標とする2%目標を上回った数字である。発表は、物価上昇の主な要因が、ロシアのウクライナへの侵略と、拡大する戦争の影響がもたらしたもので、時空にわたる将来のウクライナ危機が影響する世界的な資源高である。かねてから政府が重要な金融政策の一つとしてかかげてきたことであるが、長期にわたるデフレが継続してきたのである。数値的には掲げてきたほくひょうちの2パーセントは達成したが、物価の半平雄は景気回復によるものではなく、世界的な資源高によるもので悪しきインフレであり、賃金上昇によって需要が大きく回復してきているのとは違って経済成長に裏付けされたのものでないことは記述した通りである。脱デフレの目安として重視する需要の強さは不十分で、賃金上昇を伴う経済の好循環が物価を安定的に高める流れにはなっていない。高いインフレが続く米欧と異なっているので、国内的には物価上昇が長続きしないとの見方が市場では多い。
勤労者の賃金が上がり、購買力が上向きになって、供給に対する需要が勝ってきて、製品の調達、即ち在庫投資と、在庫不足を補填するための生産拡大の設備投資が、循環的に増加する傾向が続いて、購買意欲、投資意欲といった面で、適度な物価上昇が見込まれていくのが望ましい景気回復期である。 適度なインフレが、経済成長を促していくわけである。先行き物価が上がると思うから安心して物が買えるし、市場は安心して在庫投資ができるし、企業が安心して生産拡大の設備投資ができるわけである。お金の周りがスムースにめぐって経済の拡大が円滑に行われていくわけである。これが逆で物価下落が想定される社会では、消費、つまり人は物を買う気が起きないし、生産、つまり企業は物を生産する気力が起きないから、経済は全体的に縮小気味になってくる。すなわち恐慌への道である。
アメリカは良質で、理想的な物価上昇にある。すなわち賃金が上がり、企業業績が上昇し、追って在庫投資と設備投資が拡大されている背景がある。ものを増産する発展途上にあるから、加えて研究開発による新機軸の活用に刺激的企業経営が行われている。景気が過熱しないようにFRBが、金利の引き上げに踏み切って、金融引き締めに乗り出した。景気を長引かせるには、打ってつけの判断であり決断である。
5月20日
バイデン大統領の来日
ウクライナ情勢を巡って多事多難なバイデン政権であるが、バイデン大統領が昨日の夕刻に来日した。アメリカの大統領は、超多忙な日程を組んでの来日である。スリムな体格は79歳の高齢とは見えぬ容姿に、世界の期待が込められている。自由、民主主義体制の堅持を前面に、専制と権威主義を標榜する、共産、社会主義国の中ソに対峙し、前者の連携を強固ならしめEU、NATOとの結束に振る舞い、立派な指導者である。ロシアのウクライナ侵略はプーチンの下劣な野望を粉砕するため、強力な武器と資金の援助を惜しまないでいる。多くに犠牲者を出し、今世紀始まって以来の危機的状況となっているが、ウクライナで失敗するようなことがあっては、ならない。幸いウクライナはプーチンの思惑に反し、徹底抗戦に徹し奮戦し、ロシア軍を追い返して有利な戦況に立っている。不法にも他国の自由と独立を踏みにじり、領土略奪に暴虐の限りを尽くすプーチンを撃退し、平和の構築を願ってやまない。
我が国の岸田内閣も、G7と連携し勇猛果敢に悪者に対し立ち向かっている。米国の傘の下に在りながら、これも核兵器を持つ軍事大国おロシアに媚びず又、立派である。北方領土を返す返すと云って置きながら既に77年が過ぎている。盗っ人だから、返すはずがない。それどころか最近に至り、北海道に対し領土を請求する権利があるとまで暴言するに至っている。暴言も度を越して、不届き者と云わざるを得ない。旧ソヴィエト時代の衛星国と間違っているわけでもあるまいに。としたら素朴に歴史を紐解いて勉強するがいいだろう。なんにでも言いがかりをつけては、人の懐に手を突っ込んでくる。
侵略魔で戦争の好きなのロシアに対し、隣接する北欧のスウェーデン、フィンランドの両国が揃ってNATO加盟に踏み切った。平和を愛し永年中立国を堅持してきた両国だが、他国を侵略しては、核使用すらちらつかせる凶悪なロシアの狂態を目の当たりにして、かの国を信用できなくなった結果の決断である。プーチンにとっては身から出たさびで、他人のせいにして非難することは出来ない。永世中立国として名だたるフィンランドではあるが、NHKのテレビを見て、広い国土に在って個人の多くが、戦時に備えて自衛手段を講じ核戦争にも耐えるよう核シェルター付きの別荘を地方に所有したりしている実情を見て、自国の防衛意識の高いことに気づき驚いたのである。司馬法の言葉に「国大なりといえども戦いを好めば必ず滅ぶ」とある。古くにはいろいろとそうした国々が脳裏に浮かんでくるが、今、ロシアのやっていることは正にこの言葉に倣っている気なしてならない。 5月23日
仕事で外出
大手不動産会社の執行役員と担当者と一緒に、これまた上場企業の会社社長と要談のため本社を訪ね、久しぶりに歓談してきた。小生の役目は、両者の商談を進めるための仲立ちを務めることであった。午前11時に上野駅近くの本社を訪ね、会議室で約1時間ほど話し合った。会議室からは下町一帯を鳥瞰してそびえたつスカイツリーが真正面に見えるところである。先週始まった浅草三社祭も一昨日の日曜日に、朝早くから豪快な宮出しが行われたようである。コロナ禍もあって、二年立て続けに中止になった三社祭は今年、ようやく三基の宮出しが朝早くに始まって、そのあとは町内渡しが車台の車に神輿を乗せて行われた由である。浅草生まれの浅草育ちの小生は誇らしげ、に若いころの神輿担ぎを話題にして話したのである。
用事を済ませて本社前で別れた後、小生は河童橋商店街に向かって西浅草の国際通りの方角に歩いて行った。五年前にM社に売却した土地あとが気になって見に行ったのである。約300坪の敷地には12階建てのマンションが建っていて素晴らしかったが、一階から4階までが簡易ホテルとして使用したため、コロナ禍が災いして休業中であった。全部をマンションに使っていたならば完売し、或いは満室の状態でフル稼働という結果であったに違いない。聊か気がかりなことではあった。浅草観音様をお参りしていこうかと思ったが、賑やかな三社祭の終わった後の寂しさが想像されたので、寄り道せずに田原町に出て地下鉄に乗って京橋で降りるところを、乗り過ぎて銀座まで行ってしまった。そのまま下車して逆戻りしたが、中央通りを爽やかな初夏の風にあたりながらルイヴィトンの前を通り帰社した。
途中、腹ごしらえにコンビニによって握り飯を二つ買って帰った。銀座2丁目にあった行きつけのセブン・イレブンが閉店になってしまったので、随分と不便している。ちなみに小生が主として済ます昼食は、交通会館の喫茶ロイヤルと、近くの名物の蕎麦処の「恵や」と、このセブン・イレブンのコンビニである。銀座二丁目の角にあった「カフェ・ドュ・銀座」はコロナが始まってすぐに閉店になってしまい、後に訳のわからない喫煙所ができたりして、実に殺風景な雰囲気である。あれで一億していた地価は二割以上は下落しているのではないかと想像している。あるいは買い手がつかないかもしれない。近所では大いに迷惑した結果を及ぼしている。
コロナ禍で小さな規模で店を閉めるケースが最近、又出てきている。オミクロンのコロナ感染が収まってきているが、ゼロにすることは可能性として少ないことも分かってきた。毎日発表になる感染者数字の横ばい傾向がずっと続いて収まる気配がない。忍の一字で耐えるしかないが、感染しても大事に至らずに、世の中に有効な治療薬が出てきて治せるものになればしめたものである。インフルエンザと同じ感覚に受け止められるようになればいいが、いまだウィルスの実体が掴めていないので、新規に変異して拡散されるケースが心配である。中国はゼロ・コロナを目指しているが、そのための過剰な防疫体制を敷き、上海や北京のようにロックダウンを行ったりすると、経済に与える影響は看過できないし、市民生活も反って苦しく反応してくる可能性が大である。
今日の外出は久しぶりに長距離を歩いた結果、自分では健康持続に役立ったのではないかと満足している。自己流ではあるが、毎日一定の運動に心がけている。ゴルフに行くとかなりの距離を歩くことになるが、会社への行き帰りの歩数も含めて、階段の上り下りでも結構体を鍛えていることにもなる。寝不足がたたったり、疲れたりしているときなどは、息切れがしたりする時には逆に200メートうほど駆け足をして心拍数を早めて、その後の深呼吸を繰り返すことで不快な気分を解消してしまうのである。わが身を心得た治療で、特技の一つかもしれない。 5月24日
哀しみに訪ぬる寺の庭はしにむらさきの花あやめ咲くなり
めくっていた帳面の端に書き込まれていた歌である。いい歌だなあと思いながら気づいて改めて書き留めておいたが、こうして書き留めておいた歌が又どこかに置き忘れたり無くしてしまったりすることが多い。性分で、メモ帳を以て常に準備しておけばいいものを、メモ帳をポエットに入れて持ち歩くことが嫌いなものだから、失念した名歌が沢山あるんじゃないかと、もったいない話だと自分では思っている。メモだけでない、財布を持つことも嫌いだし、学生時代以外に、第一カバンを持ったことがないと云っていいくらいカバン嫌いなので、仕方がないと思っている。ふくらますほど入れるものがないのである。では普段手に持って歩いていることはないのかと聞かれれば、ないというしかないだろう。では持ち物は全くないのかと聞かれれば、困らないように金だけは持っているというし、其れも剥き出しで、そのままポケットにしまって入れてあるというだろう。事実であって実に簡単であり、簡単に答えるしかない。ほしいもの、必要なものは身に着けておかねばならないが、大概はお金で済ませるものである。お金はいつ何時入用になるか分からないから、必要なものとしてポケットには然るべく常に入れてある。以前、まだ機械化されていないとき、つまり自動支払機などなかった時だが、慶応病院で会計窓口で診療費を払う時があった。内ポケットから二十万円かのお札を無造作に出し、そこから三万円を出したときに、会計を務める女の子に、くすくすと笑われたのである。よほどおかしかったのだろう。そしてポケットに大事なお金のお札を剥き出しで入れてることに違和感を感じたのかもしれない。そうゆうお金の持ち方をしていない子だからかもしれない。この子は財布にお金をきちんと収めていることだろう。それよりも何よりも、カードで決済しているはずだ。カードを持たない人なんか今いないかもしれない。家内はよく言っているが、カードを持たないでよく生きて居られるわねと、極端にさえ聞こえるようにさえ言っている。銀行を利用するにも現金を引き出してそれを以て支払いに充てていることに何ら不便を感じていない。ATMを使ったことがない。あれは確か一回の支払いに上限が定められているから不自由な思いをしなければならず、操作を知らないから面倒である。横着な性分から出てくる言い訳かもしれない。横着と云えば今のところはそれで済ませるが、事務員がすべて完璧に対応しているから可能なのかもしれない。メモ帳を持たないことからとんだ方向に話が行ってしまったが、要は几帳面な記録をしていないから咄嗟に思い付いた上手な歌が、たくさん失念しているに違いないという論法から、其れならお粗末ながら与えられている才能を十分に確保しないで消滅してしまっていることは惜しいことだということを主張して、少なくともメモ帳ぐらい常時持ち合わせて居ようかと思う次第である。たくさんの歌を残してきているが、これと云った師匠についたわけでもなく、さしたる説を注いで磨き上げてきたわけでもないが、歌を自然体で詠むことの瞬間を楽しんできていることが、心身の状態を上手に維持して一日の生きる活力となっているような気がするだけである。 時々思うことがある。小さいころから病気ばかりして虚弱体質で過ごしてきていながら、社会に出てから体を鍛えることに心して日常を過ごして今日まで来たことを思うと、自分一人だけの努力とは決して申さないが、家内の面倒見と、医者の恩恵の賜物と思いながら、なお斯様に自覚する心境である。すべては記憶にとどめておこうと思っているが、頭の脳みそにも萎縮する運命にある故いつまでも当てにはできないが、メモ帳を持つことが嫌いで、金は貴重だと思いながら財布を持つほどのことでもないと思っている性分だから、要するに余計なものを手に持つことが嫌いで、手はいつも自由に開放しておきたいという信念にも思いを抱いているので、これからもそうありたいし、そうあるだろうと確信している。 人によってはくだらないことをくどくどと書いていると、エッセイに近い小品として出来上がる証拠だと思いながら、物書きは別に材料を要することなく所得を得られるゆえに良い立場にあると羨ましく感じている。名が通ってしまえば一枚の原稿が何万円で売れてしまうほどに読者も定着し、なお広げて行くことができれば、小説家はいい商売だと思ってみたりしている。あまつさえ格付けともなる何とか賞とか、色々な懸賞がついたりしてコストなしの所得となって金銭の蓄積にあやかることができるわけである。鉛筆と原稿用紙がコストにはなるが、今小生が打っているパソコンを使えばコストゼロで済むわけである。コロナゼロ目指す中国はそれ自体は結構な話であるが、膨大なマイナスを生じているが、あれはどのような計算方式を使えば国民に説明がつくのかわからないが。しかし異論が出ることもある。小説の題材を調べるために自分を色々と体験させるための費用である。単なる空想とは言いながら、飲んだり食べたりすることを含め、知識の集積は自然に出来上がるものでもないし、体験が積み重なって自分の知識の集積になる。書物を読んで知識を得るにしても書を購入する時もある。してみればそうしたコスト計算は、小説を書いていく場合の原価になるかもしれない。生きるためには何かと原価が生じているし、つまりはこの世で物が動いた時にはエネルギーが発生するがそのためには必ず原価がかかっているという理屈である。アインシュタインの相対性理論にも会い通じる話になってくる。運動の法則は物理学の基本として小学校で学んだが、大きくは宇宙の構成体と力学同様に、我々の経済社会生活の上でも働いているから、がんじがらめの中に閉じ込められて、われわれの意識の及ぶ限りのことをしながら生きているのである。金の動くところには必ず国に払う、或いは公共的自治体に払う税金がついていくことも念頭に置いておかねばならない。 つまり金を動かせば、動かした奴に税金がかかってくるということである。ところがこの金をかすめる奴もいるから国も注意の目を光らせておかないといけない。大概のヒトは税金のない国に住みたいと思って、その国は幸福な国だと思っている。 因みに税金のない国と云えばナウル共和国、アンドラ公国、そしてモナコがる。しかしナウルは潰れててしまったし、他の国は一国として独立をなすほどの大きな国ではない。そうした国でも全くないと云うわけではなく、税によって有るもの無いものがあって、或いは税がよりゼロに近く低いというだけであって、全くないというわけではない。多くの金持ちがうらやましく思って移り住んでいきたいと思っているだろう。要は人間が集団生活を形成するかぎり、それを維持する何らかの公共的な経費が生じてくるから、少しでも、それをまかなう金を持ち寄ってみんなのために平等に負担し合うということになる。無人の孤島に住んでいるなら税金の心配をする必要がないが、我々はそうでないし、自然環境がそれを許さないからやはり税金は一生付きまとうことを承知しなければならない。車の免許書ではないが、税金を払っている限り、一人前の人間として扱えてもられるし、人間として生きている証明にもなるかもしれない。多額納税者が、たくさん働いているとはまた違うし、少額納税者が少ししか働いていないというわけではない。ぼんやりしている人間が多額の金を持っているかもしれないし、一生懸命に働いている人間が少しか金を持っていないと云う状況が生じている。理不尽で不公平と思うかもしれないが、これが現実である。自分で得た金に常に税金はかかるということ、これは当たり前の常識として我々は常に念頭に置いておかねばならない。優雅な思いで霞の国に行って住んでみればいいかもしれないが、霞の国はあくまで霞の国であって、ひばりは舞い上がって夢想にふけり囀りながら住むことができるかも知れないが、我々は舞い上がっても地球の引力によって地上引き戻されてしまうから、所詮無理な話なのである。 霞は奇麗だが汚いのは金である。とことん金に執着するのが人間だから、幾らきれいごとをの給てみたところで限界がある。灰皿と金はたまるほど汚くなるという。ためたところでいつまでも永らえて満足していられるわけではない。あの世に行く時は全てのものは捨てて丸裸である。神様は上手に平等にこの世と人間を作り給うたものと思う。ゴーンと云う物凄い人間がいたが、あの人の鼻の穴は吸引機のようにでかいが、吸い込むのは金そのもののように思うくらい毒々しく、かわいげがない。いくら吸い込んでも吸い足りないといった感じである。その人間はsじゃ会で普通以上のことをしながら金に執着しすぎてお縄頂戴となった。冷や飯を食わされていたたまれず日本を脱出する返送し音響箱にはいって税関をすり抜け専用機、プライベート・ジェット機を使って飛行場を飛び立ちレバノンに逃れた。逃亡劇は痛快を極める手を使って完成度百パーセントであった。再興を図った日産自動車であの手この手を使って横領して、蓄えて手にした金で悠々と暮らしている。 経済界では斯くの如しであるが、氷山の一角で金にまつわる汚い話は枚挙にいとまがないだろう。政界では昔、田中角栄のロッキード時間が有名である。政界を揺るがした巨大汚職事件であった。一国の首相が外国の企業を巻き込んだ事件だから、犯罪の重みは格別である。つみかっさなた業績をいっぺんに吹き飛ばし晩節を怪我してしまうことは口惜しい気がする。人間の一生で使い切る金と云ったものは、飲む、打つ、買うといった強欲を言えばきりがないが、そうでなければ一定額で収まるものでそれ以上は不要な金と悟ることができる。しかしそれの裏を返した欲が人間に付きまとって悩ましい所業を繰り返すのである。飲む、打つ、買うといった欲望にはこれまた限界があるが、権力欲、支配欲、名誉欲が在って蓄財に励む結果となる。生き物のうち物財をためておく習性があるのは人間だけである。すべての財物を一つの表示にすり替えて於ける今の時代と社会にとって、大事なのは貨幣であり、更に紙幣であり円、ドル、ユーロ、元といった流通可能に表示された紙幣であり、それは預金になっている。金さえあれば何でも欲望を晴らすことができる。だからアダムとイブの時代から、禁断の実を食べてしまったことから、人間の歴史は欲望、即ち金を巡った闘争史と表現することが一番適切かもしれない。
5月26日
日曜礼拝に
真夏日となって熱中症にかからないように注意が呼びかけられているが、新型コロナウィルス感染の度合いも落ち着いてきたし、蔓延防止法の履行もようやく解けて観光地は久しぶりに活況を取り戻してきている。高齢者や基礎疾患のある人たちには、四度目のワクチンの奨励が言い渡されているが、中国のようにゼロコロナを目指すことも無理だし、以前にも申したようにウィズ・コロナの態勢で、いかにコロナ感染症の影響を少なくして社会生活を持続していくかに焦点を絞って本格的に動き出したようである。これは賢明な措置である。世の中は今コロナとウクライナ戦争によって混乱をきたして、人類の存続の可否を象徴するような社会を過ごしているが、諦観的にならず、困難を克服して積極的に道を開いていくよう努めていかなければならない。今日は真夏日となって日本各地は日照りの強い最高気温を記録することに相成ったが、これからこうした猛暑日が続いていくだろうし、いつ何時台風が襲ってくるかもしれない。しかし身近には、澄み切った夏の夜空が備えられているし、思索を遠大に使って夜空をみれば、無限の夜空に満天の星が輝いており、地上の下らぬ争いが実に些細で馬鹿馬鹿しく愚かなことに映って来るから、いっ時でもいいから地上から目を離し、悠久の空を眺めてもらいたいものである。淵の会員で木下容子さんが、見上げた宇宙の態様をいみじく詠んでいらっしたように、こせこせした気持など吹き飛んでしまうはずである。木下さんの歌に触発された小生はその時次のように記している。「三六〇度の丸い風の言葉に魅せられて、思わず黙想してみる。静まった深夜の空にきらめく星々の世界、例えばアルプスの槍ヶ岳に立って天地の間を大観するような包容力である。三六〇度の世界とはこの世のすべてであり、全宇宙を指す壮大なものである。全体を抱擁するエネルギーを追い風に未来永劫の世界を実感する。悠久のときを巡る風に、絶対の神の姿が浮かんでくる。深遠な思索の世界が繰り広げられて、一首は絶対で完全な世界の帰結である」と。哲学的な深淵に触れて今この世に生きている自分を見つめてみると、なんと微細なチリのごとき存在かと、思うのと同時に、全宇宙を包含する施策も可能なのであると思うと、自分の実在が永遠の命につながってキリスト教的観念に及ぼされて、地上の殺し合いなど吹き飛んでしまう気持ちになるのである。一女性がかかる遠大な思想と思索を披露してくれていることに感謝して、世界の多くの指導者たちが、斯かる観念に多くを学び取ってほしいと思うのである。肥沃に与えられたウクライナの地に今、諍いあっている双方が血生臭くドンパチやっている最中であるが、自分がその当事者になってみたら、犠牲にいつ会わんとも限らない舞台を想定したらたちどころに一目散に脱兎のごとく逃げまくっていくに違いない。プーチンにしても習近平にしても哲学的な思考に立ち返るべく、我が自由と民主主義陣営のバイデンやマクロンにしても警鐘を鳴らしたいと思っている。戦争をやる暇があるならば、この世の中の、人の哀しみや苦しみと云った矛盾を少しでも緩和していくようなことを以て金を使ってみたらどうだろうか。より大きな気概を以て世の中に臨むことが今の、否、いつもの時代の政治家に望まれることである。とかく年を取ってくると欲と焦りが積み重なって、思いもよらない悪事を働く傾向がある。プーチンもその一人ではないかと思われる。自分はただ手を振ってどぶろくを煽り、人を使って人を殺すなどまるで暴力団の胴元みたいなもんで下劣極まりない所業である。 続く
情熱のロマンロランのジャンクリストフ小説を手に渡るこの世を
我ながらジャンクリストフに見習ひて愛と情熱を灯し生きゆく
我が歳に気づく身に未だ失せぬ火の胸に灯して進み行かまし
社団法人 昭和経済会
理事長