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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.15.02

立春

                 節分

     出勤前けふ立春のさわやかな朝のひかりに豆をまくかな
     豆をまく庭べに鳩のつがい来てついばみをれば妻となごめり
     豆をまく殿に仕へて奥方の豆を御わんに備え持ちをり

  今日は立春である。早朝、目を覚ましたら、春を告げるやわらかな日差しがさんさんと降りそそいでいた。気持ちの良い朝である。身だしなみを整えて庭に出ると、庭畑の土の表面がきらきらと光りながら、霜柱が崩れていく様子がうかがえた。見ていると、まるでちいさな音を立てているかのように聞こえる。ほおれん草の畑にかけたシーツを取り除くと、ほおれん草の子供が一センチほどに育っている姿が畝になって生えている。太陽の日差しを浴びて、これからはぐんぐん大きく育っていくだろう。
  今日は立春で「豆まきの日ですよ」、と家内が庭のテラスに立って云っている。お正月を迎えたとばかり思っていたら、立春か、早いものだなあと思いながら、青いハコベを摘んでみた。梅の根元には既に蕗の薹があたまをもたげている。紅梅の赤いつぼみが、膨らみかけている。立春のすがすがしさが感じられて、何度も深く息を吸い込んだ。
  豆まきなら豆を買ってきてあるかねと聞くと、既に豆やで炒り豆を買ってきてあるという。ならばそれを出して仏壇に供えてからまくことにしようと思った。普通は神棚に供えてからまくらしいが、邪気、鬼を払うと同時に、福を招く目的で昔から供えてきた風習らしい。我が家には小さな仏壇があるが、クリスチャンではあっても、それとこれとは別である。念仏を唱えたりすることはごく自然であって、我流であるが先祖伝来、守られた風習と云うものは尊ぶべき文化であり、学習の一つでもある。家内は敬虔なクリスチャンだし、小生も十年前に家内にならって洗礼を受けたけれど、異教を邪教とする考えと排斥には完璧に従わず、信心の修業はきわめて柔軟である。十字架の愛は永遠である。どんな宗教でも、基本は、行き着くところは、尊厳に価えする人間性の発露であり、それは自身の真、善、美、徳、そして愛を涵養し、広く社会にひろめて行くところに意義があるからだと思っている。
   窓を開けて福は内、鬼は外と連呼する声は近所でも全く聞かなくなってしまった。お寺や神社では、年中行事として大げさに行うものの、家庭的に行う家はほとんどなくなってしまった。一家団欒の和を象徴する節気の行事ながら、さびしいかぎりである。昔はこうした行事は華やかであった。豆まきは夜するものと思っているが、仕事の都合上、今日は何時に帰ってこれるか分からない。時を逃すと縁起が悪い。ならば会社に向かう前に済していこうと思った。赤い漆塗りのおわんに入れた炒り豆をもって、家内と一緒に家の中をぐるりと回って豆をまくことにした。一階の部屋や厨房、厠からくまなく豆をまいて最後に玄関のドアを広く明け放ち、でかい声を張り上げて思い切り遠くに豆を投げ飛ばした。不思議に思ったが、その時変な野郎の顔が浮かんできた。きっとそ奴の顔面にもあたって豆の跡が付き、鬼と一緒に逃げて行ったらしいが、仲間割れして、そ奴はそこからも追い出され、チリのごとく消え散ったことだろう。天罰である。

     私の生家は江戸の浅草の猿若町である。江戸時代から猿若三座と云って三つの芝居小屋が立っていた。歌舞伎の発祥地として知られており、町内には今も市村座、中村座、守田座のあった場所にそれぞれ石碑が立っている。そんなわけで家業は古いしきたりが大事に守られてきているところが一面、生活に情緒のあるゆえんかもしれない。代々履物卸問屋を経営してきた老舗であっただけに、古くからの伝統的なしきたりが残されてあった。立春の豆まきの時には、店では大きな神棚に一升ますに入った豆が供えられ、番頭以下、手代の丁稚まで勢ぞろいして威儀を正し、神棚から降ろした一升ますを恭々しく拝んだ。神棚の新しい大きな締め縄の匂いが、まだ家じゅうに立ちこめている感じであった。そのあと居並ぶ店員に向けて親父が豆を振ってまいたものである。店の者たちを大事にする主人としては当然のこと、一つの余興であったかもしれない。まずは縁起担ぎで、店員、従業員一同の鬼払いと福招きの願をかけ、無病息災、商売繁盛と願ったのである。

豆まきは通常、夕方から深夜にかけて行うものである。夜になると暗闇に鬼どもが潜んでいて、飛び出して家に侵入する機会をうかがっているからである。豆まきは鬼の出鼻を封じて、先制攻撃をかけるわけである。鬼が豆に打たれて辟易している間に、福を呼び入れてすぐさま戸を閉めて一家安泰を祈願するわけである。立春の寒さには冬の余寒が残っている。締め出された疫病、貧乏神を呼び込む鬼どもは、この夜のしんしんとした寒さには堪えられずに逃げ散っていくことだろう。親父からは番頭に祝い金が渡され、番頭はそれを小僧さんたちに分けてやっている様子を、私は恨めしそうに眺めていたのである。落ちている豆を拾っては口に入れ、早く大人になりたいと思う数だけ口に含んで、達成感を満たし喜んでいたのである。
   豆まきは通常夜に行うものである。鬼が昼間に出てくるはずがない。桃太郎が犬と,猿と,雉を供につれて鬼が島を攻略し、悪い鬼らを退治した時もやはり夜であったと思う。だから豆まきは夜すべきところであったが、今日は小生の帰宅がはっきりしなかったので、機を逃したでは縁起が悪いし、豆まきの効果を発揮しなくなっても困るので、節気に従って時間厳守はともかくとして、日にちだけは違わずに守るべきだと思った。その旨家内に告げると賛成してくれたので、出勤前に豆をまいていくことにした。家内を供に従えて、豆を漆塗りの御椀に入れ替え、神棚ならず仏前に寸時供えてから、家の中を巡っていくことにした。先ず一階の応接間から和室、厨房から風呂場、そして厠と順繰りに戸と云う戸、窓と云う窓をことごとく開けて、鬼は外、福は内と連呼して、後に従う妻がこぼれた豆のあと始末をしていった。最後に玄関のドアを広く明け放ち、大声を出して台詞を言い放った。その時、鬼に似た憎たらしい男の顔が数匹浮かんできた。女もいたらしい。
   小劇場の一場面を思い出すようだが、男は相撲取りみたいにでぶった奴で、コンサルタンツと云ってみたり、不動産開発業者と云ってみたり、国際的金の取引業と云ったりしていて、所詮、何だかわからない人物である。窃盗犯の経歴もあるのではないかと思われる。こうした手合いは世の中にたくさんいるようである。女の婆あは、中年と思われるが、可成りの精神異常者のようだ。大きいことばかり言って相手をはぐくらし、普段は何食わぬ顔をしているが、一皮むけば得体のしれない化け物のようである。ビジネスの世界でも、すました顔をしながら人の金をかすめ取ることに長けていて、中味は冷酷非情である。いずれも人を装って心は野獣に等しい類いである。こうしてみると、鬼が島の鬼どもの役者は一通りそろったような気がする。金にまつわるこの人物像が、すべての悪の根源を持っているから、ここに神と、博士とメフィストと神父を登場させれば、世界の文豪ゲーテのファウストに勝る大文学作品が完成するはずである。
   乱暴者の凶悪犯の予備軍が、秋葉原だけでなく銀座にも渋谷にもたむろしていると見ないといけない。多くは精神異常者である。差別だといわれるといけないが、突き詰めると、そもそも殺人を犯す奴は精神と性格に欠陥があると見なければならない。犯罪を犯す前に気が付いて、去勢できるものならしかるべく治療することが大事である。これを放置することは、むしろ社会悪につながってくる。犯罪予防と警備にあたる防犯警察官は休む暇もない。相手は異常者が多いから、どんな凶器を懐に隠しているかわからない。思い起こすのも嫌だが、オウム真理教のサリン事件が世界を震撼させたテロの始まりとも云われるが、普通の感覚であれば考え及ばぬことである。それに準じた怪しい行動を行っていたのだから、しっかりと内偵していれば事件を最小限にとどめられたかもしれない。犯罪者は押しなべて、人面心獣と云う言葉通りである。しかも毎日のテレビを見ていても一般世間の、そうした報道が多く、犯罪は若年化してきている事が恐ろしい。インターネットのウェブサイトを開けば、犯罪化への材料と誘惑は、目を覆うばかりに氾濫している。見ることも簡単で自由となれば、それだけ子供たちの心の汚染が進んでいることにもなる。馬鹿騒ぎを演じたり、殺人事件をドラマ化したりするテレビ番組も目に余りある。大人の責任は大きいし、心配でたまらないが、先日も地下鉄に乗っていたら、吊るし広告にラフの男女が絡み合う姿が大きく載っていた。性の刺激的広告である。テレビ朝日のセカンドラブというタイトルだったが、ああしたものが通学する小学生から目に入ってくる世情である。情けない話だが、世の中なんて言うものはそんなものかもしれない。世界を見渡してみても、戦争と云う名の下で残酷非道な行為が毎日行われているから、考え出したらきりがないが、せめて自分の周囲だけでも平穏でありたいし、広くとらえれば、今国会が開かれているけど、平和主義、民主主義の日本と云う国がそうした禍に巻き込まれないように、これだけは与党野党を問わず一致して、政治にもしっかりした指導力を発揮して、国民が安心して暮らしていけるようにしてもらいたいものである。暴力と貧困を排除し、この平和主義、民主主義を守り抜いていくことは容易なことではないが、この平和主義、民主主義に抵抗する悪魔の誘惑は常に我々の理性の隙を狙っている。一度羽目を外したら、今日の、世界の中の日本と云う国の品格と尊厳が失われてしまうような気がする。
   我に返って手元を見ると、豆がまだたくさんあったので、もう一度豆を握って力いっぱい投げつけた。顔面にあたったらしく悲鳴に似た感じの音がした。一目散に逃げていく亡霊のような影が見えた。世の中には人間の顔をした野獣や、悪魔みたいなのが結構いるものである。人の群れに紛れ込んで悪さをする、一見紳士、淑女のように見えるが、常習犯的なところがあって狡知的であり油断がならない。私は人は皆善人だと思って今までも来ているが、性善説を日常唱えているけど、しかし注意が必要である。節気の豆まきは、そのことを諭して、ご先祖さまが我々に設けられた大切な行事の一つである。うろうろしている鬼がまだいた。最近見かけるようになったやつである。ついでに追い払っておいた。
   二階に上がった。ここには昔、子供の部屋が二つあってそのままにしたある。沢山の書籍や荷物があるが、整理がつかないままに置いてある。部屋に入ると、それぞれ小さいころの息子と娘を思い出す。それと小生らの寝室とパソコン部屋がある。寝室は、ちょっとしたしゃれた書斎にも利用しようと思って、大きな部屋に作ってしまったが、有効に活用した覚えがない。学者や物書きではないので、そんなおおそれた部屋は必要でなかったが、若いころの夢だったが、柄になく、遅まきながらやってみたことなのだろう。以前から掘りごたつでも作って一杯飲みながら、緑豊かな裏の借景を楽しむのも粋かなと思ってりしている。娘の部屋は現在、妻が重宝して使用している。二階からの景色は、南側の視界が広く、九品仏の境内の森林が広く見渡せて見ていても飽きない。下を見れば、拙宅の多少の庭と庭畑が見下ろせる。普請した時はベランダを広くとっていろいろな用途に使うつもりでいたが、有益に使ったことはいまだにない。東側は全開の見渡す景色で、晴れた日に眺める朝日の趣きは抜群である。北側の小生のパソコン室は、元納戸であったのを取り払って、二年前に小部屋としたものである。四畳半ほどの小部屋だが、シンプルで無駄なものは一切置いていないのでゆっくりして過ごせる。裏の小池さんの豪邸と贅沢な庭を借景としたものだから、拙宅の中でも一番贅沢な部屋である。季節によって違うが、京都に行ったような感じもするし、軽井沢にきた時のようにも感じて、四季の移り変わりを己ながらにたのしんでいる。二階でもこうした部屋々々の窓や戸をことごとく妻が明けた後、豆まきの台詞を連呼して行事を終えたのである。厠も勿論である。
   一通り行事を終えてみたら、おわんにあった豆はきれいになくなって、赤い漆の御椀の底が、丸くきれいに光っていた。ルビーの底に吸い込まれていくような感じがした。鬼も、鬼の卵も打ちのめされ、追い出されて、家の中が大晦日の大掃除の後のようにきれいになっていたのである。そう云えば、立春とは新しい年と云う意味がある。しかも春になる前の日のことを意味する。お正月、元旦の前の日、即ち大晦日と同じ意味があるということ、即ち新しい年を迎える前の日と云う意味だそうである。鬼払いは大晦日の大掃除と云うことにとらえて、心身の浄化につながる。立春の豆まきは、明日から新しい年が始まるということに解釈して、周囲から邪気を払い、鬼退治をした意味合いがまた深くなったような気がしてきた。   

      神だなに供へし節句の豆まきに声はりあげて鬼を払へり
      鬼どもに豆をぶつけて追ひはらい慌て逃げ行くさまを見届く
      福はうち鬼は外とぞ連呼して無病息災を祈る節分           
      木の影にまだ隠れをる鬼を見て豆なげうてば慌て逃げゆく
      豆をまくあとにつがいの鳩が来てついばみをればのどかな
家のうち外より鬼を追ひはらい無病息災に打ち笑ひけり 
      木の下に鬼の子供が逃げ遅れ怯えておれば慰めにけり
      作戦を練り豆を炒る豆まきの鬼の退治に先制をを期す
鬼に似たわずかな人が居るがゆえ性善説もふらつきにけり
鬼どもの中にもおんなが正装し混じりていれば奇異におぼへり
      略奪す財宝を背の鬼どもに果敢にいどむ我が桃太郎   
      玄関にふんぞり返る赤鬼を諭してみればしほらしく聞く
      鬼が島鬼の退治に桃太郎家来を連れて凱旋の道
平和主義民主主義の日本と叫びて世界の鬼を退治す
    
                                                  2月3日


寒波到来

    立春の豆まきを終えて徐々に日差しが春めいてくるかと思っていたらさにあらず、その後の天候不順と、連日の寒波に驚きながら今日は今シーズン最高の寒波到来との報道である。北海道の5000メートル上空にマイナス45度と云う寒波が来ており、東北上信越にかけてはマイナス36度の寒波が広がって、こうした地域には豪雪を伴って暴風となっているとのことである。家内が東京駅北口で水戸から上京する友達とあって、久しぶりに歓談するというので出勤時に一緒に出掛けたが、春の行楽雰囲気に油断して薄着で家を出てきたので、地下鉄日比谷線で銀座を降りてからオフィスまでの間、おもったろり強い寒さの風がオーバーにしみこんで肌に触れてくる感じであった。薄着と云っても下着を一枚、それも夏に着るクレープシャツを一枚加えるだけだが、厚いのを一枚着るよりも、薄くても重ね着するだけで温かさが違う。
   それでもこのところの天気予報が、連日のように大雪になるという見通しが見事に外れて幸いだと思っている。この寒波の特徴は、例年だと北極圏からシベリアに下って、そこから偏西風に乗って日本周辺にやってくるのが、今回は、北極圏から直接南下して日本列島を直撃してきているためだという。温暖化が叫ばれて、その一つに北極圏の巨大な氷河が溶け出したり、崩れ落ちていく様子を見て心配する今世紀だが、出来ることなら日本や大陸にもたらす寒波が、そのまま北極圏に長期滞在してもらって、今の氷河の上に大量の雪をもたらし氷河の堆積をもたらしてほしいと思うのだが、なかなかそうはさせてくれないのが大自然のおきてなのだろう。豪雪地帯は既に3メートル以上の積雪があったりして、日常生活に大きな支障をもたらしているが、特に過疎地にある空き家などが除雪されないがために、屋根に積もった雪の重みて倒壊したりするケースが沢山あるようだ。一人暮らしの老人がこうした地域にはたくさんいるので、事故を防ぐための万全の配慮が必要である。冬になると、特に豪雪の時期には寒い北国に住む人たちの生活は大変だろうと思う。生産性は半分、生活費は二倍、と云うわけではないかもしれないが、効率的に見てそんなことを勝手に考えてしまう。温かい地方の人間は、のんびりしすぎて間延びして鍛えられず、頭に緊張感がわかず、結局人間的に見て比較論的には落ちるということになれば、単純に割り出せない理屈かもしれない。地球と生活環境と適合性から見て、うまく調和がとれているのかもしれない。大手商社のK氏と要談のあと予定をしていた所要で信濃町の慶応病院まで出向いた。二時間ほどの時間を食ってしまったが、いったん帰社するのを思いとどまってこのまま早めに帰宅しようかと思って、信濃町駅から代々木駅に出て山手線に乗り換え恵比寿駅で降りた。恵比寿駅のアトレの千疋屋に寄ってコーヒーでケーキを食べようかと思ったが、女性客で満員だった。外は相変わらずの冷たい風である。しかし空はすっかり晴れあがって、凍てつくような空には夕焼雲の色が鮮やかに光っていた。雪が降らなくて良かった。
   自由が丘で家に電話したら家内は出掛けたまま帰っていない様子であった。まだ5時をまわったばかりだったので、そのまま尾山台のドトールの店によって、いつもの席に座ってコーヒーを飲みながら歌を書き始めた。家にも近いし、憩いと安らぎのひと時である。思いつくままに、三十首ほど読んだであろうか。ゴルフでもなければ観劇でもなく、安上がりな趣味である。しかし知、情、意で得るところは比較にならないし、創造性の発揮であるから、偏りすぎないように努める努力は大事である。学者の偏屈、絵描きの目くらではないが、常識、良識を以て世の中に対応するには、のめりこんで独善的になることを避けなければならない。視野を大きく以て、広く知識や情念を社会に求めて一番大事な協調性を涵養していくことだりう。お父さんは大丈夫よ、明るくて人付き合いはいいし、もとより性善説の人だから大丈夫よと太鼓判を押してくれた。ありがたいのは女房の存在である。おふくろが亡くなる前に言った一言がある。夫婦仲良く暮らしていくんだよと云うことだった。残していったものは大した金目のものはなかったかもしれないが、この一言だけがいつまでも光っている。当たり前のことだが、家庭の基本である。このことを守っていくことが、例えば、男なら立身出世の道にしても家庭にいざこざがあってはかなえられない。又家庭を持っている男にはある程度の信頼性があって、自制心が働くから、人様に迷惑をかけることの確率が低いということになるかもしれない。いずれにしろ家庭円満が幸福の第一でなければならないし、そうした教育と環境を小さいころから植え付ければ自然と身について、教養として人柄にも反映してくるのではないだろうか。子供のころに両親が離婚したという話をよく耳にするが、子供にとってはこれ以上の悲しみはないだろう。そうした思いが大きくなってからも消えずにいる人だっているに違いない。学問を受けるばかりが教養ではない。家庭がしっかりしているから、地域社会が確たる発展を遂げ、地域社会は国の在り方に反映され、国が大いに平和の裡に発展していけるから国際社会に秩序と相互理解が築かれ、ひいては人類社会が幸福のうちに歩んでいけるとする友人の発言があったが、事は左様に大きく飛躍して演繹されて、かつ帰納されていく理屈だと思った次第である。家庭から養われていく、人としてのたしなみが大切であり基本でなければならない。「夫婦相和し、朋友相信じ」とはどこかで聞いた言葉であるが、決して懐古趣味からではない。
    天気予報が外れて、これがきっかけで春が来るようだといい。これを裏打ちするかのように今日のお天気は温かくほんのりと春めいた来て、梅の花がいっぺんにほころんでいく感じである。だとすると昨日,おとといの北国のあの豪雪の様子と、荒い吹雪はなんだったのだと忘れがちになってしまう。折角詠んだ雪の歌は、早く書かないと解けてしまうかもしれない。それでは・・・・と思って、家に着いたら時間を見て書き込もうと思っていたところ、メモ用紙に書いた紙切れを事務所においてきてしまった。明日、明後日の気温の温かさで、雪の歌は溶けてしまうかもしれない。不思議なもので、また書けばいいじゃないかと云われても、いくつも書いたり書き残したものを思い出して書くということは不可能に近い。つまり創作で、同じものを二度試せというもので意味がない。創作は一度だけの新鮮なものだからである。そこで納得してかけなくてもいいやと思うのである。雪の積もった季節ではあったが、地元の仲介業者からの誘いで北海道の十勝平野の広大な土地を買うために出向いた時の情景を思いだし、昨日までの寒さを重ね合わせて詠んだものである。あの時は一面の雪の大平原を雪上タイヤの車に乗って、帯広から上士幌までほぼ一直線の道を走っていったものである。そしてその夜は十勝温泉に宿をとってくれた。いずれ近いうちに気が付いて載せることにして、今夜はゆっくりと寝たいと思う。それにしても今日一日は上客が次から次えと来社され、千客万来の感じであった。上客なんて久しぶりに使う言葉だが、良いお客さん、お得意さんと云う意味である。商人がよく使う言葉で、敬意を込めたものである。今どきのサラリーマン、ビジネスマンはそんな言葉を口にしないだろう。ナイス・トュ-・ミーチゥーと云うに違いない。即ちグッドゥ・カストマーである。経済社会も、約束を守り、お互いにウイン・ウインの関係で理解しあい、そうした関係で商売を進めていきたいものである。渋沢栄一ではないが、取引きを通じて人の為になる、昔の商人には商人としての誇りを持っていたものである。それは今も昔も変わらないものである。
今日のニュースには戦後から絶大な力を誇って日本の農政に大きく影響を及ぼし、実質的にも農家の経営経済を支配して権勢を誇ってきた全中が、政府の改革案に歩み寄って大きく改革の道を進むことになった。全中の権力的な支配権を奪って骨抜きにする覚悟であったが、一度にはそこまでいかなかったが、全中( 全国農業協同組合中央会 )の農業協同組合に対する監査権を撤廃に追い込んだことは、安倍政権の勇気を買った改革、前進の大成功の事例の一つである。全中の監査部門を切り離し、独立した監査法人として一般社団法人化させることにした。そして各地に400からあるといわれる地域農協の選択に任せることにした。農業の近代化を図るには、保護政策から脱皮して、国際競争に打ち勝っていく体質改善への努力が必要である。農業従事者が自由に創意工夫を発揮する基盤を確立しなければ、若者の参入する分野にならない。画期的な出来事であり、前進である。日本の農業も、国際化の波に乗って大転換する時期に差し掛かってきた。日本の農業に黒船の到来と位置づけても、異論あるまい。
   北国を襲っている冬将軍が去って、早く春がやってくるように、祈るばかりである。豪雪は、その年の豊作の良い兆しと云われているが、豪雪で、過疎地の老人たちが取り残されたり、怪我をしたりしないように祈るばかりである。夜空を見上げると、今夜は風も収まって気温も多少上がり気味で、煌々とした月明かりである。     2月10日

テレ東ビジネス・フォーラム2015


   建国記念日の休日である。穏やかに晴れ渡った空が久しぶりに春めいて、輝いている。建国を祝うにはふさわしい感じがして11時に家を出た。この日が何で休日なのかと云う質問に対して正しく答えられない人がたくさんいたが、若い人にとっては無関心の人も多いようである。国の成り立ちに異論を唱える人、これを祝う人が居て二つの意見に分かれているが、戦前のように神国日本を唱え再び万世一系の天皇を頂点とした国体を危ぶむ人にとっては、苦々しい思いがするのであろう。軍国主義の復活は、今の国民にとっては大多数が望まないところである。反対する人のいることも貴重である。さりとてまた国の成り立ちと一緒に神々づいて、国の在り方について謎めいた議論を仕掛けてくるのもおかしいような気がする。目くじら立てて口角泡を飛ばして言い合うことではない。そうした意味で今の若い人の受け止め方が無難であって、自然なところではないだろうか。平和な日本の国としての気持ちの持ち方が素直に表れていて安心した。
逆だといわれても困るが、家に歴史があって、先祖をまつることがあるように、国の成り立ちがはっきりして、それを国民が正しく把握することも必要である。昔あった紀元節の歴史に求めたにしても、神武天皇を持ってきたからと云って今更、だからと云って、国の成り立ちを神格化する人もない。これを勝手に悪用しようとする人が居るから、事が歪曲されるのである。歴史の古さは、紆余曲折ではあるが国の確信と品格の一つの表現として、守っていくべきもので、ないよりはあった方がよい。正しき道に統合する意思を持つことは、グローバル化を前にしても必要なことである。これからも紆余曲折の歴史を繰り返して、進歩と発展の道を冷静に品格を以て進んでいくエネルギーとしなければなるまい。国の起源を以てこれを恣意的に解釈利用を試みたりしてはならない。戦前の教育制度や、教育手法を以て思想的、政治的に利用することがあってはならないと思う。

   テレビ東京が開局して今年で50年になる。50周年を記念して特別企画が六本木ヒルズのANAホテルの会議場で開かれた。800人の招待客で会場が埋まった。会場からあふれた人は熱心にモニターを見て場内の様子を受け止めることができた。
   テレビ東京ビジネス・フォーラム2015と銘打ってモーニングサテライトが、東京とニューヨークを結んで約二時間を要してエコノミストたちが出席して論議が交わされた。総合司会を娘の明子が務めた。私が言うのもはばかるが、司会と議事の進行は余裕綽々でよどみなく、さすがに完璧であった。モーニング・サテライトは毎週月曜日から金曜日、朝5時45分から約一時間、東京とニューヨークを結んで日々刻々として変わる経済情勢と最新の経済ニュースを中心にした報道番組で、明子がその総合司会を務めている。企業家はもとより、ビジネスマンはこれを見逃していくと、その日の勤務に事欠くことになり、必見の経済番組である。
   東京の会場には4人の著名な若手エコノミストがコメンテイターとして参加し、ニューヨークからは元東京大学教授で、このほどコロンビア大学教授に赴任した伊藤隆敏先生が参加した。第一部では主として伊藤先生が赴任した先のコロンビア大学の様子と、学生諸君の学習生活についてビデオを流しながら興味深い話がなされた。研究の傍ら26人の学生諸君の指導に当たり、日本からの留学生5人を含めたクラスを持ち、週一回二時間の講義を持つという。コロンビア大学ではアジアからの留学生が多く、特に中国からの留学生が際立っているとのことであった。伊藤先生の将来の経済に対する見方は、依然としてアジア重視の姿勢であって、アジア経済圏の教育 (EDUCATION)、人口 (POPURATION)、投資 (INVESTMENNT)といった観点で世界経済の流れをとらえていくことが重要な三つの要素と指摘、やはり今後の課題は中でも教育であるとした点が注目された。アジア各国とも教育の向上を目指して、将来の発展の大前提条件にして考える傾向にあると指摘していた。伊藤先生は、そうした世界的傾向にある大きな流れを凝視し、その使命感に触発されて今回、コロンビア大学に行かれた大きな理由の一つかもしれないと、私は思った。伊藤先生には、昭和経済にも論文を掲載させてくださり、感謝に堪えない。

   第二部では、原油価格の下落について、現状の分析と将来の動向について議論された。4人のエコノミストがそれぞれの見解を披歴したが、不確定要素が多く、見通しが流動的であったりしたが、今後の傾向としては、下が40ドル、上が65ドルあたりが見込まれるが、今年の動向はその範囲内と思われるというのが結論であったように思われる。パナリストの意見がそれぞれにあって、違った見解が確信的に持っているところが大変に面白く受け止めたのである。原油価格がこの半年間で半分になるという激しい動きは誰しも予想しなかったことは確かで、それだけに世界経済に与える影響、衝撃度は大きいことは確かである。99%を輸入に頼る日本にとってはメリットは甚大であるが、反面円安も大きく影響し、実効的なメリットがその分相殺されてしまっていることも事実である。円安と原油安を一度に享受して順風満帆の企業、円安と原油安に苦しむ企業と、経済界も産業界も明暗が二つに分かれて、容態はさまざまであり、悲喜こもごもで大荒れと云ったところであるが、アベノミクスにとっても追い風となっていることは好ましいところである。会場を埋め尽くした聴衆に、日常生活において原油安のメリットを実感しているかどうかを訊ねたところ、わずか二名の人が賛成の挙手をして、ほとんどの人が実感していないという結果であった。原油安が実感として、国民生活に良好に影響してくるのは、タイムラグでこれからかもしれない。かくして二時間に亘る白熱したフォーラムは有意義、かつ盛会のうちにめでたく終了し、テレ東の開局50周年・特別企画、モーニング・サテライトは大成功であった。スタッフ一同はもとより、明子の大役の労を多としたい。

     

   外に出ると,まだ温かい日差しであった。六本木ヒルズのゴールデン・ガーデンに出て名店街の一つの中国レストラン、陳痲婆豆腐と云う名の店に腹ごしらえに入った。婿殿と会社の友人のT嬢も誘って妻と4人である。T嬢は東大大学院からコロンビア大学に留学したという明るい性格の才女である。勉強好きな子だなあと感心した。最近の女性の中にはこうした子を多く見かけるようになった。明子を尊敬していて自分もアナウンサーを希望しているのだといっていた。目下、明子の婿殿が在籍する外資系の大手証券会社に勤務している。宣伝するわけではないが、いい人が居たら結婚したいとも言っていた。ここの中華料理はさすがに六本木ヒルズに構えるだけに実にうまかった。明子の住む代官山近くまで婿殿の車で送ってもらい下車の後、代官山界隈を散策した。本屋の蔦屋によってあたりをぶらつき、若者の街を一緒に楽しんだが、今様の人気の高い界隈だが、一風変わった得体の知れない街だなあとも思った。華やかなブティックの店が並んでいる隣に、ぼろくその家屋があったり、旧式の印刷工場があったりして見栄えを損なう感覚が不可解である。あんなのは邪魔だから早く撤去してさっぱりとすべきだろうが、住んでいるのが変人だったりするとお手上げで、どうしようもない。だから逆に面白いのかもしれない。東横線に乗って午後6時に帰宅した。
   今日のフォーラムを見ていても娘は、難しい経済の問題の仕事をよくこなして頑張ってやっていると、内心思っていたのである。私事になるが、おじさん、おばさんとして尊敬していた日本経済新聞社の社長、萬さんが生きていたら大層喜んで下さったに違いないと、昔のことがまた懐かしく思い出されたのである。私は夢ばかり追っていて、しかしながら志を高く抱き、大学を出たらマスコミの世界に入って、有能な経済記者になって、ゆくゆくは大蔵大臣を目指してなんて、若者にありがちなでかい夢を抱いていたが、所詮夢は夢でかなわなかった。就職先に朝日だけでなく、日本経済新聞社もその視野に入っていたが、駄目だった。
   萬さんは日本経済新聞社の歴代の社長の中でも、中興の祖として尊敬されている。昭和40年代初めのころと思うが、茅場町から現在の大手町に本社を新築して移し、設備の近代化に努め、その後の大発展の基礎を打ち立てたのである。茅場町の古い本社に社長を訪ねたころ、その設計図面をテーブルいっぱいに広げて誇らしく説明してくださったものである。卒業間近かのころ大学でのこの成績ならぜひ我が社に来てくれと云われたが、期待に添えず夢がかなわなかった。学者になるならいざ知らず、マスコミの世界は大学の成績が良くても、一般常識が豊かになければ駄目である。学者はもとより、マスコミを断念して馬鹿馬鹿しいと思ったが車馬に出た。しかしそのことが幸いして萬さんとは社会人として付き合いを深めていった。三男坊だから親父の意見も制約もなく、もともと自由の身である。サラリーマンと云う姿を商人の立場から見ると、大会社も中小会社も同じこと、使われている身だから大差ない。そんな時親父ががんで亡くなってしまった。不安だった。しかし大学時代の延長線に乗って、己ながらに研鑽に努め、盤石の基礎を得たので全てに悔いはなかった。残されたお袋にできるだけ心配をかけず、孝行に努めなければならないと思った。そして独立してからは自由闊達、面白いように商売ができた。結婚の仲人も萬さんにしてもらい、さらに家族ぐるみの付き合いになっていろいろとお世話になった。大学とグット・バイして社会に出、数年間は下積みの苦労をし、付き合いくださった人たちの恩義を忘れない者に成長したつもりである。独立して事業を営むようになってからの萬さんと、家族同士とも親交はいよいよ厚くなって多くを勉強し、楽しい思い出が作れた。
   萬さんは私のことを信頼し、そのうえ息子のように思ってくださっていた。いつも僕の友人だといって、親しい人に紹介してくださっていたことも懐かしく思い出い出されるのである。大手町に日経の新社屋に本社が移ってからも、4階にあった社長室に幾度となく尋ねたりしたが、その都度楽しく迎えて下さった。そうだ、あの時の秘書課長をしていた金子さんはどうしているかな。萬さんが社長、会長を辞めて顧問にしばらくなっていた時には、日経をやめたら二人で共同して今の僕の事業に参加して、新たに事業を始めようと、希望を膨らましていたが、それを果さずに、ある日、忽然とこの世を去って行かれた。無念である。振り返ってみると万感胸に迫るものがある。子供たちも萬さん夫妻から可愛がられて、たくさんの思い出を作ってもらっている。
   顧みて今の明子の仕事とその成長は、私の若いころの夢と志の半分くらいを代わりに満たしていてくれているに違いない。女性の品格と生き生きとした華やかさも加わっているから、魅力はそれ以上かもしれない。曲がったことの嫌いな子で、性格もいいし頭もきれるし、周囲の信頼を受けて、よくやっていると感心している。                                                                                 
    
*******コヒー・ブレイク  **********

触発された小生は、コメンテーターのようなつもりになって次のような時事意識を以て
会場を出た。いずれ問題にして拙論を素人として書いてみたいと思っているが、
小生の近辺は、下らぬ雑事に巻き込まれて、これを以て時間を費やされてきており、慙愧に
堪えぬ。この状況から一刻も早く脱却したい一念である。春にちなんだ香しい花の心境にも 
ほど遠く残念であるが、豆まきを終えて、鬼の悪童ものを追い払ったあと故、いずれ捲土重来、
奪還は一気呵成で臨んでいきたいと思っている。ならば世界に大きく視点を移してみると

責任重大の安倍首相の施政方針演説の意義     
    あっ晴れ! 全中、全国農業協同組合中央会の解体か
    ウクライナ東部戦闘状態の止揚・四者会談
    イスラム国の矛盾と瓦解           
    原油安と円安の相乗作用の日本経済

と云うことになって、超多忙を極めてくる次第だが、むしろ早くそうなってほしいと思う。

 **************    2月11日


{ お詫びとお願い }


     この続きを沢山書いてきたと思うし、またほかのことについてもかなりの紙面を割いてつづってきたのであるが、昨日のギリシャの債務問題について自分の考えを書いていた折に、機械の不具合か操作のミスか知らないが、ざっくりと消えていまい、さらに今まで書いてきた文章が大部分消えてしまって、頭の中が白くなってしまった。今月は自分なりに力作を乗せ、量も書いたつもりでいたので落胆は激しく、しばらく呆然としていたのである。私は資料を調べたりせずに、自分の頭の中にあることしか書かない主義なので、書いたものはその場限りの作品なので、改めてする修復がきかない。いったん消されてしまうと、取り返しがきかないのである。もう一度書けばいいじゃないかと云われるが、それが出来ないのである。
もちろん、保存とクリックしたりして操作はミスがないと思っているが、こうした突発的なことも生じるという認識を持った次第である.或いは、保存とクリックすべきところを、右に並んである削除と云うところに触れてしまったのかもしれない。どんなことを前に書いたか痕跡を知る由もないので、仕方がない。もし二月に入ってからの私の理事長室からの記事を閲覧された方が、万一、コピーに取っていらしたら、ぜひご連絡賜りたいと思う次第である。情報を最初にご提供くださった方に御礼を出させていただきます。宜しくお願い申します。   6820-6000佐々木まで。     2月17日
                    2月18日


感謝です

    上記の知らせとお願いを発信したところ、今日さっそく閲覧者からご親切なご連絡をいただき、誠にありがとうございます。助かりました。迷子になった我が子が戻ってきたような喜びで、読み直して安堵しております。インターネットの素早さを実感する時代です。本欄について、ありがたい支持者がおられるということ、親切のありがたさを身に染みて感じています。ありがとうございました。         2月19日

短歌同人誌・淵の合評会

   短歌同人誌・淵が発刊されると大体翌月の二週目の火曜日に、合評会が開かれる。参加できる同人が、随意に会場に集まって昼食を共にして約二時間ぐらいお互いの歌を干渉しあう。会場は決まっていて、銀座6丁目の角にある資生堂パーラーの3階の場所を借りて行っている。17日の午後一時に出向いたところ、会場となる資生堂のビルが、電気工事の定期的な点検で休館であったので、ちょうど居合わせた仲間と一緒に他の適当な場所を探しながら銀座道りを散策を兼ねて4丁目の方角に歩いて行った。お天気も良く風もない穏やかな日和で気持ち良かったが、銀座通りは多くの人で混雑な感じがするくらいであった。それと云うのもアジアからの観光客と思しき人たちがぞろぞろと外国語を話しながら見物がてら買い物を楽しんでいて、お店は軒並みお客さんでいっぱいで、盛況である。中国では昨日から春節に入って、休暇を利用して過ごしよい日本にどっと押し寄せてきたようだ。買い物目的の人たちもわんさといるようで、商店街も受け入れ準備に大わらわである。中国のお客さんに更に景気づけをしてもらって、アベノミクスの後押しをお願いしたいものである。
  そんなことを思いながら銀座4丁目交差点にある和光の店の前にまで歩いて来た。そこで近くにある銀座ルノワールの店を思い出し寄ってみたのであるが、ちょうどタイミングよく居心地のよさそうな席が空いていたので二時間ばかり御厄介になった。比較的広いフロアにみんなが同じように雑談しあっているので、さして長居したとも思えないままに時間が過ぎてしまったのである。合評会は久しぶりに充実したもので、みんなと過ごした時間は実に楽しかった。午後三時から来客が三組予定されていたので、その時間に間に合うように、先に失礼してきた。いつもの会場には私が一番近いので先に席を立つのも恐縮である。会計幹事を務めて下さっている松田さんは、群馬の高崎から上京される。新幹線で快適と云われるが、この日のためのことながら、その労を多として感謝している。
  席上、渋谷さんから次回の短歌鑑賞は、今年最初の号となるので、淵の代表の小生に書いてもらえないかと云う提案であった。責任者として辞退するには及ばないことゆえ、引き受けて書くことにしたが、各位の作品に目を通す責任が生じてきて、鑑賞の記事を書くとなると、はてさてどうしたもんかなと少し神妙に思ったのである。夕方、事務所で若干の時間ができたので、机に向かって書き始めたら一気に筆が運んで面白いように自分の思いを書くことができた。A4のコピー紙に息つく暇もなく書き始めて1時間ぐらいして全部書き上げてしまった。13枚書き上げた。内容は即席なので、十分に自分の考えを正直に記すことができ、これで責任が果たせたと思った。書いているとこんなにも楽しいものかと、同人各位が提供してくれた歌題と、内容に触発されたものとなった。
私流にいえば、俳句にしても短歌にしても、その一句、その一首を以てして、長編小説以上の意味合いと成果を持っていることがある。聖徳太子は一を以て十を知る、とも言われたが、あるいは祭神、歌人は、一を以て万事を知ると云ってもいいかもしれない。言葉を極限までに削ぎぎ落として、一つの核に近いものを取り出したようなものである。昔、東大の総長をしていた物理学者の有馬朗人教授を講師に迎えて、当会の講演親睦会を開いたことがある。その時、宇宙のビッグバンのことについて興味深い話がなされた。有馬さんは俳句に造詣を深くし雅号を朗人と称して、多くのいい句を残していらっしゃる。会食と懇親会に移って歓談するうち、芭蕉の名句、静かさや岩にしみいる蝉の声 の一句がある。文字通りに感じ取れるが、蝉の声が岩にしみいるという心象とは別に、芭蕉はもっと深く洞察して、宇宙の実態についてある種の知識を持っていたのではないかと疑問を呈したのである。そして芭蕉が大宇宙を前にして、その悠久の静寂さを感じながら、宇宙の果てから飛んでくる粒子を感知して、粒子が岩を透視して抜けていく物理現象を感知していたことをもじって詠んだのではないかと云う拙見を、物理学者の有馬教授に試みたのである。教授は一瞬驚いたように沈黙の後、それは又後の機会にお話ししましょうと云ってその場を濁したのである。これは今も忘れない歓談の一幕である。ただしその後、教授とこれについて意見を述べ合う機会がないままに過ぎてしまった。
   想像力豊かな芭蕉が、旅先で満点にきらめく星々を眺めながら、そうしたことを考え、宇宙のことについて天文学的に観相を深めて思索にふけったとしても何ら不思議はない。空に煌々として浮かぶ月の存在について、なぜあの物体が浮かんで天体の軌道に乗って動いているのか、少なくともその謎に迫ったとしても不思議ではない。だから静寂の間に、宇宙の果てから目に見えない物体が岩を貫通していく痕跡を感知して、俳句の世界に季語として蝉の声、その声そのものを一句に挿入したのではないか。そんなことを考えていくと、思索は無限の広がりとロマンをを追って限りがない。例えば私は人間の、その思索についても、いつも思って人に話していることがある。人間社会で文明が急速に進んで、歩くことから始まって、速度を競い合ってきた歴史がずーっと今までにあった.。
   人類の歴史は、生活的にはこのスピードをいかに現実のものとして結び付けていくかにかかっていたととらえてもいい。自転車、自動車、汽車、飛行機、比較してみると面白いことがわかる。音より早く飛んでいく物体を発明した。それを我々は器用に利用している。音速を超えるジェット機であったりする。音より早いものは光だろう。これ以上に早いものはこの世の中にはない。と教えられてきている。宇宙のひろさ、そこに点在する無数の星々、宇宙の存在とその解明をたどろうとすると、すべては謎である。神の創造物として人知の及ばぬところである。私はいつも友人や知人とそうした話になると云うことがある。先の芭蕉の俳句の蝉の声に象徴される意味合いを、別に考えてみたりするのと同じように、この世の中に光より早いものがあるというのである。なんだろうか。以前にも言ったりしているので、もしかすると答える人がおられるかもしれない。遊びごころと云うわけではないが、真剣にお考えいただくのも楽しいのではないだろうか。ところで有馬先生には訊ねたいと思っていた芭蕉の蝉の声は、果たしてその実体とは宇宙から飛んでくる粒子なのかどうかを芭蕉が考え及んでいたか、物理学者であり、俳人である有馬先生のお考えを聞きたいなと思っている。
   翻って、1月15日に発刊された、短歌同人誌・淵の冒頭には年改まると題して植田重雄先生の歌が載っている。「 雨の夜の一夜明くればわが前にはてなく広き世界のひらく 」 新年を迎え元日に目覚めた作者が、希望を抱きすがすがしく朝に目覚めた心境を表していて尽きないものがある。
広々とした宇宙の悠久の果てにこころするとき、一切の雑念を打ち払い、清澄な心境で世に立ち向かうことができ、力強く大地を踏みしめて立つ自分をしっかりと掴むことができるのである。おのずから祈りに通じて、感謝である。
脱線ばかりしてここまでたどり着いたが、さて淵に乗せた私の同人の歌の鑑賞は、いずれ他日その原稿を事務員に打ってもらい、淵に発表することになるが、本欄にも転載して各位に楽しんでもらいたいと思っている。乞うご期待を。
                                      2月20日


      高値更新中の東京株式市場とニューヨーク株式

    昨日のニューヨーク株式が市場高値を再び更新して154ドル67セント高くなって、1万8140ドル44セントで取引を終えた。財政破綻に追い込まれて2月末の期限切れの債務償還を前に、EUが開いたユーロ圏財務相会議でギリシャの支援策を4か月延長することを決定したからである。これでギリシャの財政破綻は一応回避できたが、その間ギリシャはEUや、欧州中央銀行からの金融支援を持続的に可能な緊縮財政政策の内容と規模を準備しなければならず、ギリシャの努力が期待される。ギリシャの借金は日本円にして35兆円に達している。
    若者たちの失業率が50パーセント以上にも達しているといわれるギリシャである。これ以上の緊縮財政を求めて国内景気をさらに悪化すれば、国民の不満を高めるだけである。さりとてこのまま野放図に放置したら、ギリシャ政府はどのような対案を持ってくるか、それによっては再びギリシャ発金融危機が世界の摩ーっケットに影響を及ぼさないとも限らない。さらにEUやIMFなどから借りているユーロについても支援中止とか、受け入れられない対案を持っていったりしても、ギリシャの景気は悪化して取り返しが付かない構図になっている。前門の虎、後門の狼と云った具合で、そのかじ取りは難しい。基本的には構造改革を断行しない限り、先の望みはない。公務員の給料をカットし歳出削減に立ち、規制を緩和して民間企業の優遇策を以て活性化を図り雇用の確保を目指すべきである。同時に外国資本を入りやすくするための、思い切った構造改革が必要である。
    ギリシャは先の議会選挙で政権が交代した。新政権は緊縮政策の中止と、対外債務の返済条件の緩和を掲げてきている。しかし金を出している方としては胆略に受け入れることはできない。ギリシャにもそれなりの痛みを伴った自助努力は必要と云うわけである。ギリシャ政権与党でも、自国の銀行部門の崩壊や、EUやユロー圏からの離脱は考えていない。またEUにしてもその逆もあって思惑が交錯している。ギリシャにしても若者を中心に、EUから離脱して自力で立て直しを図れるとは夢にも思っていない。彼らは賢明で現実的である。むしろ選挙を終えた今、矛先は新政権の手の打ち方に厳しい目を向けてきて居るはずである。ノー天気の日本議会と、若者たちとは、現実をとらえてみると心配な差が出てくる。
    国債の超発行残高で名高い日本である。平然としているが、今の安倍ノミクスを達成するまで何でもありの金融政策で、景気底上げを狙ってきているものの、幸い追い風となった円安と、欧米の好景気に輸出産業の順風満帆で業績は向上してきている。トヨタは2兆7000億の利益を上げる具合である。賃上げの労使交渉もうまくいって満額回答続出で、やがてこれが消費に回って、さらに企業の設備投資へと廻って好循環である。片や企業、家計からの税収増しにつながっていけば財政再建と、基礎的財政収支の黒字を目指していくことになる。  
    地方企業の再生には時間がかかるが、これには地方活性化の政治課題がある。規制緩和を推し進めて金を有効にだし、全国隅々までに景気上昇の実感を味わえるようにすることがアベノミクスの肝心である。しかしそのための金融の垂れ流しもいつまで際限なく、制限なくにやっているわけにはいかない。先の財政諮問会議ではオフレコと称して黒田日銀総裁が挙手の上、5分以上にわたって「日本の国債の格付けについて、国債信用の暴落する可能性について論究した」そうである。民間の格付け会社の言うことだからと云って放置するわけにもいくまい。国債の暴落を、世界の投資家がいつ狙って仕掛けてくるかわからないが、目下はその危険性は低いとしても、心して対応していく必要がある。いくら民間の格付け会社だからと云って、これを軽く扱うことが出来まい。結果警戒し始めた外国投資家はもちろん動きだし、足元から日本の銀行が買ってある国債手放すようになったら大変である。ないとは言えないということを黒田総裁はいみじく忠告したのであろう。だから財政再建もしっかりとやって下さいよ、と云いたかったに違いない。さもありなんである。    
会員の方々からいろいろなことについて相談を受けたりして、事務局は私中心に適切な対応をに努めてきた居るつもりである。なかなか神経を使う仕事でもある。同時に勉強にもなって充実感を味わうことも出来る。中にはもっと早く相談しに来てくれればよかったのにと思うこともあってすべてが満足と云うわけでないにしてもおおむね感謝されている。先日ある資産を持った会員が余談的に、今アメリカの投資信託を大手証券会社から進められているがどうだろうかと云う話を仕掛けられた。昨年十月初めごろである。経済の見通しを話し合い、納得して帰ったその人はためらうことなくその外国投信を購入した。配当付き株式を多く組み入れた投資信託らしい。一昨日見えて結果を報告するところによると株式配当金が約5パーセント入って、値上がりが17パーセントに及んで好調だという。4か月でその率だと年換算すれば60%の利益になってしまうではないかと、いささかびっくりした。買った時期がたまたまタイミングが良かったこともあるが、これから同じような成果を得られるかどうかはわからない。取れる時にはとっておかないと、いつまた逆に行くかわからないが、日本の場合を想定してオリンピックの2年前までかなと語り合った。
   日本の日経平均株価もここにきて連日高値更新を続けている。リーマンショック以来の18年ぶりの高値をようやくつけたのである。過去にはバブル時代だが、3万8、915円の史上最高値からすると、まだ半分にも戻っていない。その時のニューヨークダウは、2800ドルあたりであった。なんと今の6分の1である。ニューヨークの株価はあれから6倍になっているが、日本の日経平均は2分の1にもなっていない。すさまじい経済指標の落差である。アメリカ経済の堅実な実力を反映している指標であることがわかる。数字的に見て、だからと云って別に日本の経済政策の成否が世界を動かす、なんて言う妄想は持っていないが、足元の好調がなんといっても重要である。果たして日経平均が2万円行くかどうかだが、株価が上がって文句をつける人はいない。生活必需品が上がったり、土地がバブルで上がったりすると困るが、そうでなければ、インフレ率の2パートトセント位、物価の上がることも成長にとっては必要なことである。正誤のほどは分からないが、ひところ株式資本主義と云う言葉が流れたが、全員参加型資本主義の総称として結構なことである。ましてや株価などは、景気よく上がることによって社会がウハウハになるなら、沈んでしまうよりましである。ただ過ぎたるは及ばざる如しで、行き過ぎると反動もあるから気を付けなければならない。贅沢を云ったらきりがないが、労せずして儲かるというのも、持たざる人のやっかみであって、そこはうまく政治が政策的に平均値を以てならしていけばいいことである。
   株価にしても動きは思惑だから、実体経済と乖離して動くこともある。最近のアベノミクスに批判的なエコノミストの五十嵐さんが本欄の「講演記録」で云っているように、経済は魔物である、いつ期待に反して回転始めるかわからない、と批判的な意見もあることを忘れてはいけない。そこで、あの時は有資源国として人気があって好調だったオーストラリアについて、今を検証してみたい。
今、豪ドルが下落している。石油の急落で資源を持つ豪の為替が対円で買いやすくなってきているし、株価も下がっているので、原油価格が落ち着いてくれば、この辺りが面白いかなと云うことを暗示的に言った。友人は説明に合理性があったので購入を決めようとしている。合理性があるからと云って経済の思惑が当たるとは限らない。合理性が通じないこともある。人の行く裏に道あり花の山、とか、木の葉が沈んで小石が流れるといったことも相場の世界にありがちなことである。株式相場は思惑で動くからであり、よく言えば株価の先見性と云う言葉に置き換えられている。それにしても昨年の10月初めに買った外国投信が、そんな素晴らしい結果をもたらしていることを聞いて、小生もあの時買っておけばよかったなあと述懐していたのである。      2月19日


表紙の絵の関根常雄さんの言葉に代えて   

  表紙のスケッチと、表紙の言葉で長年親しまれてきた画家の関根常雄さんが体調を崩されて今、秦野の介護施設に入所されている。穏やかで、誠実な人柄が先生の魅力であるが、絵画の世界でもその魅力を遺憾なく発揮されて、多くの素晴らしい作品を残してきた。驚くことに最近初めて知ったことで、ご自身の告白でもあるが、若い時から片目の視力が失明に近いと知らされた。極端な話、先生は片目であの素晴らしい迫力に満ちた絵をかいてこられたわけで、天才、奇才に与えられた奇跡としか言いようがないと思った。繊細なタッチで描かれたスケッチは、少年の心のように純真、無垢な描写であり、詩的な情緒にあふれんばかりである。少年時代の憧憬を追いかけてゆく姿に似て、つつましく清冽である。
  油絵に至っては表現の技能はまさに真骨頂であり、色彩の機微は云わずもがな、画面にあふれる情緒を以て、見る人の心深く吸い込まれていく感じである。
  一昨年のこと有楽町駅前にある交通会館で関根さんが立派な個展を開かれたが、多くの作品は多くの来場者の感興と感動を奪って、驚かした。上野の絵画美術館で開催された展覧会に行ったことがあるが、この時は100号の大作を出品し最優秀賞を受賞した絵を見て、迫力に圧倒される思いであった。幾多の展覧会に出品されて最高賞をとること多く、常に高みを目指す寡黙な画家の一徹な気持ちを表すものばかりであった。
   昨年の春に、長年住み慣れた世田谷の経堂を離れて神奈川県の相模は、秦野の里に引っ越して行かれた。大山に程近い風光明媚の地である。近くには鶴巻温泉もあって、気候も温暖であり、老後を過ごすにはうってつけの場所である。経堂から秦野に移ってからも昭和経済の表紙の絵とエッセイを書いて、銀座まで届けに来られていたが、体の不調もあって、これから出す昭和経済の表紙の絵は郵便で届いた。全号と同様、大山を遠望して描いた作品は、その(二)として書かれたものであるが、そうした思いの影に、関根さんの故郷を偲ぶ熱い詩情があふれているようにも感じた。高村光太郎の知恵子抄ではないが、故郷の安達太良山は、作者の生家の少年時代からの幻影であり、スケッチされた大山の姿はその安達太良山にそっくりである。なだらかに牽く裾野の形を見るにつけ山の気性のやさしさが同じようである。
  楽しみだった昭和経済の表紙のスケッチを描くこと、そしてエッセイを書くこと、それは生業を辞めてからの関根さんの生き甲斐でもあったが、寄せる老いの波には勝てないものがあったようである。今年に入ってからは、もっぱら奥さんとのコンタクトで、電話にも出られない心境にも感じ取れて、私は心を落としている。今回の作品を最後に退きたいと伝えきた。残念である。こうした時、当会の会員の住産サービスの鈴木さんが、関根画伯の十号の油絵の大作、二点を購入された。エジンバラの街の光景と、ばらの絵である。                                    2月27日


          欧米株式が軒並み上昇  最高値をつける

    ギリシャの目先の債務不履行の問題を解決して懸念が後退したことを受けて欧米各国の株式相場が堅調に推移し、アメリカなどをはじめとして史上最高値をつけるところも出てきて、様変わりの様相である。原油安に見舞われた産油国は別として、先進国のマーケットが好調なことは雇用改善を目指す国々にとって朗報となっている。世界的観点からしても、雇用水準の回復と生活の安定が、治安悪化を食い止め、結果としてテロの機会を根絶する要因ともなるからである。米、英、独が先導している感じである。日本もリーマンショック後の高値を更新する勢いだが、バブル期の最高値3万8935円迄には程遠く、2分の1に行かぬ水準である。日銀に超金融緩和政策によって市中銀行には金融の大量の融資政策を行っている最中だが、実体経済にうまく取り込まれていない節がある。日本では東北大震災による国力の喪失や、東京電力の原発事故があったりして、その後遺症が怪しく影を牽いており、経済の構造的要因に起因しているところが大と見なければならない。地震国日本の宿命と、ごり押しの原発基地の再稼働の実態に、潜在的危機意識がトラウマとなっていることもいがめない。これをいかに克服して経済発展と、経済成長の道を大胆に改革して進んでいくかにかかかっていると思うのである。
    欧州ではECB(欧州中央銀行)が、量的金融緩和を打ち出してから、さらなる持続的金融緩和への期待が、全体の株式相場を押し上げた格好になっている。EUとギリシャ政府との間でくすぶっていた金融支援の延長も合意を見たので、安心ムードが広がってきている。こうした傾向はEU全体の経済環境を良好なものとして、ウクライナ問題で不利に立つEU側を鼓舞するものがあって、ウクライナの軍事的紛争と停戦合意の問題で、軍事的圧力をやめないロシア側をけん制するためのいい材料になってくるに違いない。なんといっても経済的安定が全ての基礎につながっているから、株価先導による人心の安定も局面打開に大いにつながって、金のかからない、かつ平和的解決策と云うことになる。呼び捨てでなく、敬語をつけたりするとかえって嫌味っぽく見えるが、プーチン先生も、共産主義の神様、経済学者のマルクス先生が、社会の経済的諸条件が、人間生活の、ひいては人類の存在と品格を決めるといったことを忘れてはいまい。謂うところの下部構造と上部構造の理論である。戦争ばかりやっていて人殺しの先頭に立って気狂い沙汰を演じている奴は、必ず地獄の底に落ちていく姿を自分の頭に描けないのだろうか。多くの罪のない人たちを無残に殺していく蛮行に、気づかない野蛮人である。戦争と云う破壊行為が鬼畜にも等しく、いかに馬鹿げたもので野蛮、かつ極悪非道の手段であるかがわかる。意見や、思想、信条の対立を話し合いで和解をするのでなく、暴力と戦争で勝敗を決めようとする愚行は、なんとしても手に負えず、癒し難いものである。戦火を交える下に、老若男女、罪のない人たちがいることを知るべきである。馬鹿につける薬はない、馬鹿は死ななきゃ治らない、などと云われないことを望む。
                                   2月25日

    


 

2015.0201

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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