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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.16.04

    

      ( パソコンの不調に惑ふ春の雪 )  三郎

    春のかがやき

万象の輝きを見て胸ふかく春の息ぶきを吸ひにけるかな
蕗のたう摘み味噌汁に刻みいれほろ苦きあじ深くたしなむ
蕗の芽を味噌汁に入れわが妻と地味な暮らしも味はい深き
桜咲く花の命の短きを惜しみつ妻と眺め見るかも
うぐひすの声たどたどし初音にもあたりに春の盛り覚へし
ねこじゃらの花見にゆかむと裏道をそぞろたどれば妹とあひけり
詠み人の知らぬ万葉のうたにある人の心と花の色かな
気晴らしに仕事につきて外に出で花見に人と語りあひける
黒々とはたけの畝のひろがりて農家暮らしも良しと思ひぬ
われになほ時間のあらば広き土地たがやし稲と麦を作らむ
幸いなり和歌と俳句の楽しみを与へし神に感謝する日々 
                                              4月1日

    わたしの花見    

    今日は、花ぐもりに花冷えが重なってしまったが、近所のねこじゃら公園の桜がとてもきれいだから見に行きませんかと妻に誘われて行くことにしたが、それより先に、等々力不動尊の桜も見に行きたいということで車を出して先ず近くの不動尊の境内に向かった。満開の花を楽しんだ後は、渓谷に下って下を流れる谷沢川のせせらぎの音を聞きながら散歩を楽しむすべもある。規模は比較にならないが、ちょっとした奥入瀬渓流を思い出しながら歩くのも乙なものである。一帯は丘陵地を形成して地形的にも地球創世の古代の地殻・断層を観察できる貴重な場所にもなっている。切り立った地表を湧水が常に落ちて滝となり、その滝は不動の滝と云われている。白衣をまとった行者の滝業の霊場ともなっている。落ちた滝水はそのまま渓谷に注がれている。斯様に等々力渓谷と等々力不動尊は、地形的にも宗教行事的にも緊密に繋がっている。渓谷は樹木が深く茂って森閑とした空気が覆っていて清冽であり、都会には数少ない観光名所にもなっている。また近くには、御嶽山と云う名の古墳が史跡として保存されているくらいである。近頃は、特に四季折々に等々力渓谷を散策しに来る人たちが沢山いて桜の季節も例外ではない。東京、関東地方は今日が一斉に桜が満開となる日である。満開の今日を過ぎると、桜を遠くから見て楽しむのも、真下に立って見上げて楽しむのも逸してしまうことになる。気象状況は決して良いとは言えないが、このチャンスを逃しては勿体ないと出かけてみることにした。
最近、環状8号線に沿って付近の道路が大規模に整備されたおかげで、一帯が明るく清潔感にあふれて、多摩川を望む景色も素晴らしくきれいである。箱根山系を突き抜けて、遥かに富士の霊峰を遠望することが出来る。等々力不動尊の駐車場も広げられて、この日も楽々と乗り入れることが出来た。小手毬のように可愛らしい瀟洒で、しかし古びて重々しい山門をくぐると、圧倒するような古木の大樹が聳え空を覆うように枝を広げているのには、おのずと壮大な感興が湧いてくる。この日、4月8日の花祭りをまじかにして境内は色とりどりに沢山の花が飾られていた。子供のころから親しんできた花祭りは、釈迦の誕生を祝う日である。本堂の前には花に包まれたお釈迦様が置かれていた。小さなお体に甘茶をすくってかけながら手を合わせて、しばし澄み切った心境になって子供心に立ち返ることが出来た。この日、本堂では護摩焚きが行われていた。僧の読経の響きが重々しく、外に漏れてきた。花見代からの景色をがなめた後、公園内の長々とした坂を下りて南に下っていくと古木となったさくらが満開である。幹を見ていると風雪に耐え切ったような荒々しさが刻まれているが、枝ぶりは華やかな花びらを付けて若やいでいる。右そでを下っていくと等々力渓谷に至るが、行かずに元の場所に引きかえした。
    桜を見に行ったついでに早々と、お釈迦様に甘茶をかけて、花祭りの花見を楽しんできた。車に乗って、さらに近くの深沢の桜並木の花を見に行った。この辺りは昔、呑川が方角を変えながら八雲、柿の木坂の町なかをすぎて目黒不動尊あたりまで伸びていていたが、川の改修工事で川を覆ったその上に緑道が作られて、昔からあった呑川の川面を見ることが出来なくなってしまった。しかし両岸に植えられていた桜はそのまま残されたので、今の桜を楽しむことが出来たわけである。この深沢区域では、小さな深沢商店街があるので、毎年この時期になると花見と一緒に地元の人たちによるイベントが行われていてにぎやかである。芸能の舞台が設けられて、半ば喧騒気味に騒いだりしていて花の情緒にしたるどころではなくなって逃げ出したくなることもあった。今年も例外ではなかった。丁度上野の山あたりで、花の下の場所取りが大仕事であるのと、多少規模は小さくとも気持ちはおなじである。この時期、花見酒に興じるのも一興である。そうした場所を垣間見て、そそくさとその場所をすぎていったのである。
目黒通りに出たので、昼食にそば処の「ぎん屋」によって軽くそばでも食べて行こうかと話し合ったが、家にポテトサンドを作ってくれてあるので、それが食べたいと家に戻ってきた。昨年入れた植木屋が、二股に伸びた一方の大きな幹を伐り、枝を払ったとはいえ、拙宅の庭にある染井吉野の花も見事に咲いているし、花の量は少なってしまったものの、わざわざ外に出かけて花見に行く必要もないのである。人間の心理の可笑しさとでも云うべきか、宅のあるじが忘れているわけではない、その時わが家の桜がけなげなに咲く様子が愛おしく見えたので、二人で思わずじっと眺めていたのである。
   久しぶりに味わった休日である。午後3時を回っていたが、家内が云ってくれた「ねこじゃら公園」の桜を再び見に行くことにした。軽いスニーカーを履いて軽装な出で立ちである。この辺りにまだ残っている広い畑のなかの道を九品仏に向かって歩いていくと、向こうから狩谷さんの奥さんとぱったり出会った。自由が丘まで買い物をしに行った帰りで、やはりねこじゃら公園の桜を見ながら帰ってくる途中であった。 いい加減な年になっているのだが、童顔なうえに生来の明るい性格が得をして、若々しく見える。大きな屋敷に旦那さんと二人暮らしであるが、二人の息子はりっぱに独立して商社に勤めていてファミリーは安泰である。  猫じゃら公園はすぐ目の前だが、辺り一帯ににまだ残されている農地の様子を覗う楽しむのも一興である。盛りには色々な作物が栽培されて、即売の小さな小屋までたてられたりして人気を博している。今は耕されたあとがすがすがしく目に映って、黒々とした畝が見えるのが気持ちいい。たい肥小屋もたっていて、のどかな風景は牧歌的であって都会には珍しい風景で貴重である。満開な桜は圧巻であった。広い敷地に大らかに育った大木だけに、枝ぶりもきれいに広がっている。小さな人工の小川が流れて咲に入るため池となっているが、それに覆いかぶさるように、花の枝がしだれている。妻はこの様子を指して見事なので見に行ってみたらと云っていたことだった。まさしくその通り、豪華絢爛の風情に見とれて、しばし立ちすくんで眺めていた。しばらく界隈を散策していないので、九品仏の境内のわきを過ぎて尾山台駅まで歩いてみることにした。広い九品仏境内に入ってみるのも一策であったが、この日は寄ることをしなかった。
  見ないうちに空いていたと思っていた植木畑だった場所がいつの間にか立派な建売住宅地に変貌していたり、改装したとみられるきれいな屋敷になったりしていた。住宅環境の凄まじい変化を見た感じである。景気回復を反映してか、住宅産業は活気を呈してきている。日銀のゼロ金利で住宅ローンの金利を下げたさせたことが功を奏している向きもあるが、一方で原材料の高騰で建築費が上がって住宅価格に跳ね返っている。今、マンション業者が困窮しているのは、建築費が高騰して採算割れしてきてしまっていることである。同時に土地の入手が困難な状況が一方にある。相変わらずの都市集中化で、都市でも一極集中化の傾向が進んで地方では空き家続出で害が出てきている状況である。昔、都市機能の地方への移転が真剣に熱く論じられたことがあったが、この問題は慢性化し、気が抜けて今や惰性化してしまっている感がある。東京オリンピックが又拍車をかけている始末で、これから先かなりの混乱が見えて来るに違いない。こうした折、科学文化庁が京都に一部移転するという決定的に重要な発表がなされた。英断に対し、もろ手を挙げて歓迎したい。中央省庁の地方への分散は、地方活性化を進める点で重要であり、将来を展望した発想としても強力に推進していかなければならない事柄である。通信機能が格段の進歩を遂げている現在、瞬時にしてどこにでも情報伝達が可能である。たとえば税務申告すら電子化されてインターネットでの報告、相談になっている時代である。かように土地の値上がりも特殊事情を持った地域だけに限られていて、開発の手は地方に伸びてきていない。むしろ人口減少を背景に、土地価格は一般に下落傾向に歯止めがかからないでいる。本格的なデフレ脱却は、土地の価格が値上がりしないと決定づけることはできない。都市から地方への波及効果が必要な時期に、そうした決定打が打ち出せない難渋さがある。   消費者物価2パーセント上昇といった指標だけでは的はずれな議論に終わってしまうであろう。拙宅の付近で最近600坪ほどの植木畑が大手不動産に売却されて、あとに戸建て住宅が13棟建てられて販売された。きれいな植木畑であって、野鳥たちの憩いの場所であったが、こうした良好な環境が消滅してしまうことは残念な気がしている。土地は特別緑化区域に指定され無税に近い優遇措置が取られていたが、相続が発生してこれが解除された結果である。しかし上記のような最近の経済情勢だろうか、余りにも高い価格が災いして売れないでいるのが実情である。地方では空き家続出で、その対策に追われている始末である。地方にはもっと大胆な、税的優遇措置を取らないといつまでたっても解決しない問題である。
   尾山台駅にほど近く中堅のOスーパーが進出して3年になる。東急・東横沿線で巧みな商戦の展開で周辺地域の消費者を引き付けて活況を呈している。競争に負けて同様のスーパーが二つ倒産して引き上げて行ったが、競争の激しさを如実に物語っている。大手スーパーの離合集散も激しさを増しているが、努力次第で大手に戦いを挑む店も台頭して激烈な競争状態だと知った。実際地元の尾山台商店街も零細企業の小売店が独自の特色を生かして客寄せに懸命である。品質、価格、サービスの点で生きる道を模索して懸命である。私はできるだけ地元小売店で買い物をするよう家内にも言っているし、自分でもそうした店を選んで地元経済の発展に少しでも寄与したいと思っている。生鮮食料品などは、特に例を挙げれば魚類は昔からの尾山台駅前の市場にある「魚辰」は、魚の鮮度はもちろんのこと価格においてもOスーパーは勝負に負けている。昨日の日銀が発表した短観によると、景気動向指数が下降気味だという不気味な報せが入った。これではアベノミクスの失速につながって停滞感を示すことで重大である。現在のところ好循環が広がらないままだということである。つまるところ大企業の好調な業績が、中小零細企業に果実となって落ちてこないということである。こうした状況ではやむを得ないが、消費税の値上げはこの際慎重であってほしいと、庶民感覚で申したいところである。ノーベル賞受賞の経済学者から聞くまでもないが、むしろ巷の零細企業のおっさんに聞いた方が的確である。事は同様で、さもないとせっかくの景気対策に水を差す結果になってしまうし、財政問題もさることながら、景気回復と税収増を以て臨む本来の姿に帰って考えるべきである。安倍さんもアメリカのG7から戻ってきたばかりで、難問山積でご苦労が多くなってきている。ここは忍の一字で頑張ってもらうしかない。野党結集で政治も大きく動いてきているが、健全な野党の存在こそ大切であり、政権与党の充実を図ることにもつながっていき、国民的観点からして重要な事柄と受け止めている。トランプのような急進的な過激な発言や行動は、これを以て他山の石として厳に慎重にしてもらいたい。花見に出かけたつもりが、ナーバスな観想をする結果になってしまったが、憂国の情余りあっての結果である。 
    尾山台商店街のハッピー・ロードを歩いて通りにある世田谷区の区立図書館に入って3階の閲覧室の机に向かった。 2階に蔵書が沢山おかれて、大部分が閲覧・貸し出されることになっている。この日いつものように私は3階に上がって、大判の書籍を置いた書棚から、土門拳さんの古都の風情と称する写真集を取って作品を見ていた。古都の奈良の思い出を手繰りながら、昔そのままの法起寺の寺の様子が、懐かしく撮られてたのに見入っていた。館内はいつ来ても静かで静粛が保たれている。気持ちが落ち着く時間である。ここで何時間も時間を過ごす人もいるが、私は長くて一時間、要を済ますと人に席を譲って出て来る。借りたい本があれば借りて家で読むことにしているが、目的を達成したことはない。それにしても書物の氾濫は物凄さがある。図書館はさておき、田園調布にある三省堂に立ち寄ったりすると新刊書があたりかまわず並んで積まれている。有楽町駅前の交通会館にある三省堂も然り、出版界も大変だと思うが,出版物の発刊数は文化のバロメーターとは云うものの、その出版物の質にもよるし劇画・マンガの類いが多いのは子供たちの教育上、果たしてどんなものだろうか。本の読み方を先ず心得てからにしてもらいたいものである。スマホ時代に突入して、こうした世界の先行きにも懸念すべき事柄が多い。学校教育の先を行って、子供たちが基本を学ばずに軽薄な知識を追って悪癖を身につけてくようでも困る。CDを使ったパソコンでの読書、閲覧だって可能である。スピードを以て広がる情報化時代への対応は、中高年者諸君には不得手な分野には違いないが、情報ネット社会と、個人生活は切っても切れない社会に突入しているのが実際である。年齢に限らず、ということは若者にとって、これからの社会に挑んでいく若年、壮年の人たちにとって、機能化された構図の生活の中で、如何に個を維持し守っていくか、個の意識の持ち方を真剣に考えないと人生観に狂いが出て来ることになるだろう。組織化されて社会、地域から距離を置いて自分自身を、自分の姿と存在を凝視する時間を持つことが、その人にとって高度な生き甲斐を持つことにもなる。 

花見に出かけたついでに、付近で有名な目黒川について述べないと片手落ちになってしまう気がしてきた。毎日の通勤でお世話になっている東横線中目黒駅である。目指す目黒川の桜並木の豪華絢爛たる美しさ華やかさは、圧巻の一言に尽きる。目黒川は私が住んでいる世田谷区の等々力近くの深沢辺りから発して目黒区、品川区を通って流れる全長8キロほどの川で東京湾に注いでいる。目黒川の桜と云うと、中目黒駅からわずか一分のところで鑑賞できる。川沿いの両岸には約800本を数える桜の樹が植えられており、巨木となった老木は元気であり、驚くほどに生命力が旺盛で、その分見事な枝ぶりで沢山の花をつけている。川をまたぐように花の枝をしだれて 桜は今日が花の最盛期である。普段から川沿いの桜の下には道に沿って、多くの洒落た商店が開かれている。屋台も沢山出て、観光に来る人たちに解放されている。夜には提灯が明かりをともして華やかに、桜の風情を一層引き立て、川を眺めながら一瞬、舟遊びと観桜の豪華な一夜の遊びにふけってしまうような世界に変容する。今日あたりは、最高の人出でごった返していることであろう。人ごみの混雑と、もしかするとおびただしい喧騒ぶりは、花の風情をぶち壊さないとも限らない。駅のホームは一杯で中目黒駅の入場制限だってあったりして、山手通りは人であふれてしまうだろう。花の下で飲食を加えたりして賑やかな景気付けには良いが、花より団子に走ったりして、もはや粋な花見どころではなくなってしまうかもしれない。この際はよっぽど贅沢かもしれないが、花に下にひとり立ち、真砂の花びらを天空の星になぞって、想像豊かに夢を追った方が良いと思っている。ねこじゃら公園にはわずか三本の樹しかなかったが、広い敷地に広がった花の枝は、大きな番傘を広げた様で絵も言えぬ美しさである。 酔狂によるが、花を楽しむ床しさは、この方が情緒があって感興よろしく、粋人にとっては勝っているかもしれない。 
東京の花の名所と云うと、この目黒川の桜がだんとつに受けているそうである。特に若者に人気があって、近くに代官山とか渋谷と云った若者の街があるからかもしれない。しかし桜は桜でその筆到をしのぐ華やかさは真価を発揮して都内随一を誇っている。その次に出て来るのが、千鳥ヶ淵公園の桜である。皇居のお堀に咲く花は絢爛とした錦絵を見やる気配で、絵も言えぬ豪華さである。皇居の周りの一部を彩るところで、普段はあまり人の散策するような場所ではないが、この時期になると観桜客がどこからともなく溢れんばかりに尋ねてくる。次に登場するのが、わが故郷の浅草に近い上野の山の桜である。 全山これ桜かなと云わんばかりに花に覆われて犬を連れた西郷どんも似際愚人で火はびっくりしている筈である。花の下の酒盛りも羽目を外さぬ限り大目に見てくれるし、花見は場所取りから始まるといった具合で、青シートを敷いて飲めや歌えやで宴会騒ぎで、その派手さは花に勝るほどのあけっぴろげな明るさである。六義園の桜も有名である。昔大学生のころ、アルバイトに家庭教師をして、巣鴨に住んで大きな屋敷に居を構えて、会社の社長をしていた息子を教えていたことがあった。駅にほど近くあたりの一角が邸宅街だった。週に一回頼まれて家庭教師をしていたのである。相手は慶応高校の一年生であった。一人息子ながら贅沢な生活をしていたにもかかわらず、ぐれることはなく一生懸命勉強していたことが記憶にある。全教学を教えるので大変だった。理数系に弱い小生はむしろ補修的に勉強させられる始末であったが、それでも楽しかった。大学の授業を終えてから、高田馬場から山手線で巣鴨に来ていた。帰りは巣鴨からトロリーバスを使って浅草の馬道まで乗って帰ってきたが、今思うと懐かしい気がしてくる。トロリーバスはそのあと言問橋を渡って向島の押上げまで走っていた。あの息子、高橋君は今どうしているかなと思うことがある。六義園は、そのお母さんから教えてもらって、ぜひ訪ねてみなさいと教わったことであった。あとは飛鳥山の桜だろう。行ったことはないがよく耳にする名所の一つではある。  
    近所の花見から、横道にそれて尾山台ハッピーロードを歩いて行った小生だが、話が迷子になってしまったようである。迷子になって疲れが出てきたようなので踏切を渡ってから図書館まで行かずに、途中の行きつけのドトールに店に寄っていくことにした。この店に入ると勝手知った店員の一人が笑顔で迎えてくれる。ちゃーん組織の店には機械的に働く店員が多く、特に女性に至っては愛想のない店員が多いが、彼だけはちょっと違っている。だから行きやすいのである。理由は判らないが、家内は苦笑している。ハッピーロードには他に上品なコーヒー店が数か所あるが、入りたがらない性分だから仕方がない。値段を比較しているわけではない。専門店だから当然だが、香りと味は、他の店とは別な感じがしているし、この店の入りやすさと従業員の応対があげられるかもしれない。中央の丸テーブルの隅の席を定め、物書きに没頭できるのは不思議とこの店だけである。家内は不思議がっている。あまり遅くなると家内はついでに、いつもこの店を覗きに来る。そんな時には私が紙とペンをって、必ずいるからである。私はドトールの店を出た後、尾山台図書館により相変わらず土門拳さんの故郷の風景写真集をめくって旅情にしたり、帰途についた。等々力5丁目の交差点の北西の角には600坪ほどの公園があるが、ここに植えられてからて五年ほど経つ桜の樹はなんと美しい枝ぶりで満座に花びらを付けて咲いていることだろう。丸く広く広げた花の枝の下をぐるりとめぐって見上げた空は、花の雲に覆われて見通すことが出来なかったほどである。まさに春爛漫の花の世界を見上げて、恍惚とした心境であった。夕方になってしまったが、帰宅して拙宅にある桜を静かに眺めていた。私は思いつくままに、いろいろな場所の桜を話してきた。拙宅の庭にも五十年ほど時を経てきた染井吉野が一本ある。見ごろになると、桜の華やかな風情と、散り急ぐはかなさを居ながらにして眺めてきた。昨年の手入れの時に一部の太い幹と、枝を切り落とした後で、今年つけた花はわずかではあったが霞がかったようであり、近寄って花びらを眺めると、反って気品に満ちて静かな風情が愛おしく感じたのである。そして幹をなでながら、いつものように拙宅の桜が一番きれいだと納得したのである。   四月三日

  
       
           浅草散策

    所用があって浅草に出かけた。相変わらずににぎわいである。外国人観光客が、今年が急増してホテル不足だということらしい。俄か仕事ではないが、民泊を奨励するような政策が政府、自治体で検討されているようだし、増加する空き家対策にも活用しようとしているらしい。増加する外国人観光客についてはひところ騒がれた中国人の爆買いと云った傾向は鎮まって、極めて質素なものになってきたらしい。浅草雷門あたりに沢山の観光客が集まってきているが、ホテルからはみ出された人たちは一体どのような場所に宿泊先を求めているのか、心配である。旅行先で嫌な体験をして、不愉快な気持ちを抱いたりしなければよいがと願っている。日本人は親切で優しいと云われているが、内気なところがあって、行動に移すことが下手な面を持っている。国民性だから致し方ないが、訪れた観光客を町内や、商店街の人たちがグループを組んで教えたり誘導したりする活動が実際的でいいような気がする。昔から向こう三軒両隣と云った意識が根強いゆえに、現実味がある。
   雷門から人力車に乗って一斉よく飛び出していく人もいたが、人力にもぐりが出たりしないように鑑札を下げて、それがない車には乗らないように案内してやることも必要である。都内の一部で地価が上がってひところのバブルの様相だが、日本がかって経験したように、金融都市のニューヨークでも、最近の中国のように経験済みな話なのに、目先に飛びつく投資家の人がいまだに多いようである。時代が変わっていつバブルがはじけないとも限らない。この二、三年は要注意である。最近知人が浅草に持つ土地を売った方が良いかどうかの相談を受けて、私はしかるべく自信を以て名回答を出しておいたつもりである。ケースバイケースだが、逆もまた真なり、騒ぐ時こそ慌てるなといった素朴な教えに従って告げたのである。人間の心理には微妙なものがあって、学校で教わったようなことが即、有象無象の人間社会に当てはまるとは言えない。取捨選択の賢明な判断が必要である。新仲見世通りに古くからあるうなぎの店「つるや」に入ってお客さんと一緒に昼食をとった。昔から鰻と云うと、母が良くこの「つるや」さんからうな重の出前を取ってくれていたことを懐かしく思い出した。店の鰻は美味しく上等なもので、浅草に来ると良くこの店によって入る。知らない店に入るより、勝手知った店が一番安心してはいることができるものだ。古くから行きつけで馴染みの店に「きく川・日比谷店」がある。うなぎの老舗である。この店の特徴は、うなぎの絶妙な旨さである。うな重を注文してやおらふたを開けると、かば焼きが箱からはみ出さぬように尻っ尾が折りたたんで出て来る。大きな上等なうなぎを惜しみもなく使っている証拠でもであり、ほかの料理にしても味覚が味わえて心が行き届き、客人を温かくもてなしていることが良く感じて来るのである。そして店の落ち着いた雰囲気はもとより、仲居さんはじめ職人の客人に対する、心のこもったもてなしである。仲居さんたちはいつも温かく、笑顔を以て出迎えてくれる。だからこそ、その気になると贅沢な食事であるが、自然と足が「きく川」の暖簾に向いてしまうのである。
   舟和と云う店も和菓子の老舗であるが、すぐに浮かぶのはこの店の芋羊かんである。虎屋の羊かんと並べて置いたら客人が、芋羊かんがうまいと云って先に食べていたという話を友人がしていたくらいである。一階には和菓子を販売する店になっているが、二階に喫茶室があることを知って、仕事疲れの解消にコーヒーをのみたいと上がってみることにした。自動ドアが開いたのでそのまま飛び込んだが、客人はみんな女性ばかりで満員であった。さすがに甘味処の店だけにとは思いながら、入ってしまったからには引き返すわけにもいかず、空いた席が一つあったので、これも観察と勉強だと思いながら店の逸品を注文することにした。付き合いだと思ってみんなが食べている「あんみつ」を注文したところ、思ったよりボリュームがあって、人気のあるわけが分かった。童心に帰って甘いあんみつの中味を賞味していた。
舟和を出て仲見世の通りに出た。噂の通り外人観光客でにぎわっている。人形焼きを焼く職人の手さばきを興味深く眺めて、買って行かないところを見ると、観光客の懐具合も渋ちんになってきているかなと思った。浅草寺の広い境内には、宝蔵門をくくり正面に壮大な本殿を拝することが出来る。左には華麗な立ち舞いで、朱の五重塔が高く聳えている。きらびやかな朱色の極楽浄土の世界を地上に再現したものだが、その中にたたずんでみると、一瞬ながら脱俗の気持ちに誘われることが不思議に思える。学生時代の友人の一人が、この参道の仲見世通りに小物屋の店を出している。今日は娘が出て手伝っているらしく、本人がいなかったので、そそくさと通り過ぎて急ぎ雷門をくぐって表通りに出、地下鉄に乗って会社に帰ることにした。堂々とした雷門と大きな提灯を振り返り、仁王さんに手を合わせ神谷バーの方角に歩いて行った。隅田川にかかる吾妻橋が、ここでも朱に塗られて鮮やかである。そうした下町の庶民的な情緒をぶち壊すように、今や観光名所となった東京スカイツリーが無骨な骨組みの姿を天空にさらして聳えていたのが印象的であったが、それは、界隈の古い町並みと浅草浅草寺あたりの雰囲気からいきなり抜け出してきたがゆえに抱いた、違った意味での違和感である。   4月5日

四天王、増長、多聞、広目に持国天と姿猛きも
桜咲く便りに浮き足たちぬけふ旅の備へに妻とせはしき
誰にかと問はればいとし恋人の名をあげ文を書き添へけり
敬愛す尾張りの友ゆ巻紙の床しき文に花の報らせ来
花の空おぼろにかすみ上りくる月さへにじむ宵のかげかな
芙美子抄花の命は短しと嘆く女のさもあらなくに
古里の村を訪ねてしみじみと林芙美子の歌に魅かれし
火の山のけむり立つ見ゆ古里の鄙路に覚ゆ人のはかなさ
隅田川岸辺に春のそよかぜに歌ひて遊ぶ童たちかな
下町のまどろむ宵の花のころ隅田の川に舟遊びせむ
願はくば桜の花の下にゐて美女に囲まれ酌をうけたし
今むかし歌ふは春の隅田川調べに言問橋を渡りぬ
欲深く桜の花のもとにゐて長寿ととわの命ねがへり
驚きて言問橋の交差点立ちてスカイツリーを見やるに

よろこびのあと悲しくもちりいそぐ花のいのちのかなしかりかり
花びらの吹雪く桜の樹の下に立ち爛漫に遊ぶ如何にも
目黒川沿ひのさくらの爛漫とひときはしだる枝の川面に
なぐさめと癒しに詠みぬ歌なれば日常茶飯にならひ常にも
散り急ぐ花の我が身にふりそそぎたださへ悲し声を聞くかも
これほどにあまたに詠みしうたなれば揃へ置くべく努めゆかめと
さりげなく詠みたる歌のさまざまに我がいのちの尽きるはてまで
なにゆへに斯くもにはかに散り急ぐわれにそのゆへ語りあかせや
はなびらの降りしく下に我たてばちさき天使のすすり泣くこえ
喜びのあとはかなさをこめて散る花の命の悲しかりけり
花びらの音なく散りし桜にもなどかはかなき声の聞きしに
野草摘むわらべを見つめ微笑みしおほきほとけの宏き法界
たんぽぽの道べに沿いひて咲く夕べ空に浮かびし半月のかげ
はかなくも花のいのちと思ひけむ散りしきる日の姿あはれに
華やかに桜の花の燃え尽きて急ぎな散りそ斯くもあはれに 4月7日

人々に慈愛を示しこの世にそ栄への道をさとしたまへり
天平のみ世を治めし聖徳像すぐれて描く杉本画伯は
一瞬をとらへ絶妙の作品に杉本画伯のすがた写せり
天平のみ代を治めて類ひなき聖徳太子を描く巨匠は
写真家の冥利に尽きぬ斑鳩の里を撮らるる杉村大兄
いかるがの里を写していみじくもあまたの作を世に残し行く
感動を以て楽しむ作品に在りしこの身を嬉しとぞ思ふ
流れ書く墨字に友のこころねに床しくふれて学び習へり
素晴らしき友の便りを爛漫の桜の花の下に読みけり
こころねのやさしき文に何気なく返歌を一首詠みてしるせり
渾身の筆に画伯が描きたる太子の気高く立ちてまします
ありがたく思へし友のなさけにて手あつき文に学び習へり
すぐれたる写真にわれの和歌一首詠み添へ載せし情けあつきも


たまたまに観るダビンチの絵画なり何かと思ひ浮かびける身に
ダビンチの最後の審判の大壁画その圧巻に思い迫れり
美しき妃と共に立ちまする聖徳太子の貴きみすがた
この絵にも画伯の深き思ひあり心の花と謂ひし壁画に
天上のみ国におはす太子とも己ながらに思ひこがれし
得も言えぬ色合いの世を背にいたす太子に深き思ひ偲べり
渾身の筆を振るひて六年の歳月をかけ描く太子を
人々に慈悲を示して限りなく安寧の道ねがふ太子は
レオナルドダビンチ巨匠と大和絵の杉本健吉画伯合はせり
六年の歳月をかけ描き上げし壁画に示す大作のあと
両雄の宗教観は違へども畏敬の念を対象化せり

われなりに思ふ人間性の顕はなり今に杉本画伯とダビンチ
システィーナ礼拝堂の大壁画かたや四天王寺の障壁画像と
歴史的傑作となるそれぞれに並べて見しは意義深きなり
キリストを真なかに庶民の有象無象三百九人を描くダビンチ
天国と地獄へ人の喜怒哀楽描く最後の審判の絵
六年の歳月をかけ大作を違ひはあれど史に記しけり
東西の巨匠は世にそ崇高な世界を描きのちに残せり


      改めて聖徳太子像

    六年の歳月をかけて昭和五十八年に完成したといわれる杉本健吉氏の大作、四天王寺の絵堂の障壁画の聖徳太子像は、天平のみ世を安寧に治め日本の国の礎を築いた名君であり、それを回顧顕彰して、画伯が渾身を以て描いた傑作である。その聖徳太子像は気高く威厳に満ちて崇高であり、観る人を以て等しく畏敬の念を禁じ得ない心境に導いてくれる。その深遠さに、強く魅せられるものである。私は今回、そのいきさつとあるがままを、杉村大兄から頂いたいくつかの書状で学び知ることが出来た。蓮の花に立ちます太子の姿は高貴に満ちて、み顔は名状しがたき程に聡明さと気品が漂い、これを描いた画伯の太子に抱く熱い思いも、まぶしく伝わってくる。
   杉村大兄は、その太子像を写した美しい写真の一枚に、私が詠んだ和歌のうち六首を載せて、このほど送ってきて下された。なんという光栄かと、汗顔の至りに武者震いするありさまである。大兄から頂戴した作品を見ながら、不遜にも聖徳太子のみ姿を頭に置きながら、無念の心境で何首かの和歌を朗詠する結果になったが、それを本欄に載せて各位に鑑賞願いたいと思って先に掲載した次第である。大兄はその中から次の和歌の六首を選ばれて、上記の作品をお作り下さった。光栄この上なきことと思い、ありがたき幸せでいっぱいである。 作品は次の月刊誌、昭和経済に掲載したく思っている。各位には大兄の写真を以て広く、改めて聖徳太子の威徳を偲んでいただきたく思っている。 次に六首の内の二首を記して、各位にお読みいただきたいと思う次第である。

優雅なり聖徳太子のみ姿の気高く人のよすがなるべし
かしこみて仰ぐ聖徳太子像わがまほろまに今もあられり        四月十日  

九州熊本市を中心に震度7の地震発生  

  NHKテレビのニュース・ウオッチ9を見ていた。突然のニュース速報が飛び込んできた。地震発生のニュース速報である。
 今夜、21時26分過ぎに震度7を観測する強い地震が熊本市を中心に発生した 。震源地は熊本市の益城町で、震源の深さは浅く10キロと推定される。熊本市を中心とした周辺の広い範囲にわたって、震度4以上の地震を記録し、今の時間、23時28分現在、震度3以上の余震が14回も発生している。その中には震度6強の揺れが二回も含まれている。震源地が浅い特徴である。活断層がこの地帯に幾つも走っており、 地震は横ずれ断層型とのことである。地震によって各地に家屋の倒壊が起き、火災が発生したりして、多くの被害が発生している模様で、正確な情報はつかめない状況である。 報道に依れば警察、消防、自衛隊が出動して懸命な救助、救援活動を行っているとのことである。ふと阪神淡路大震災のことが頭によぎった。地震発生地域の住民に対しては、先ず身の安全を確かめ、慌てた行動をとらないことである。家屋の倒壊は、古い木造建築に多い。また、山間地ではがけ崩れなどの発生が起きたり、防災上の注意が必要である。家屋の倒壊や、土砂災害の発生しやすい場所には近づかないことである。 普段の災害訓練で覚えている対応を以て、この緊急時に臨み、先ず人的被害を食い止めることが大切である。
    政府は直ちに官邸内に、緊急災害対策本部を設置して安倍首相が陣頭指揮にあたっている。 夜間の発生であり、情報の入手が極めて困難な状況であるが、官民一体となって救出、救援活動に取り組んでいこうではないか。震度4以上の余震はこれから一週間以上、頻繁に続くとの観測が気象庁から発表された。心配であり、不安である。情報の共有に努め、一層の警戒が必要である。夜が明けてみないと周辺の被害状況は確かめ得ないが、迅速、適切な対応をお願いしたい。 近くの、川内原発、玄海、伊万里と云った原発基地は、幸い今のところ影響を受けていない模様である。一般市民生活の被害の拡大が予想されて、尚心配である。倒壊家屋の下敷きになっている人たちが10名ほど確認されている模様であるが、一刻も早く救出されることを祈るばかりである。     
四月14日   23時45分


熊本に震度7の地震なり活断層に重なり起きぬ

おおなゐの激しく襲ひ地の揺れにおののく人の逃げ惑ひけり

震度7地震に揺れる熊本のかの天守閣も荒れにけるかな

おおないの余震に怯ゆ熊本の活断層の横にずれしと

活断層幾層にも揺れこの先の起きぬ頻度に不安抱きぬ

倒壊の恐れのありし家を避け身を安全な場所に置くべし

この度の地震に似たる地の揺れの日本各地に在りし定めに

墨の夜に映し出されし天守閣屋根の瓦も滑り落ちけり

しゃちほこも落ちて行方の知らずとも地震の揺れをあらは示しぬ

被災者の救助・救援活動の素早く望み夜の深みゆく

慈悲深きほとけはこの世を哀れみて悩む人をば救ひたまへり

くずれ落つ家屋の下に赤子いて助け求める母の声なり

慈悲深きイエスは深く衆生をあはれみ救ひ助けたまへり

被災者のたっときいのち救はむと夜をば徹して皆がつとめり

川内の原発基地をはじめとし玄海、伊方の基地は事なき

熊本の活断層の震源地北と東に移りゆくかも

震度七余震の絶えず続く夜をいかで過ごさむ被災地に子ら

一刻も早く地の揺れ収まりて安寧のとき授け給へや

熊本地震から早や一週間

    4月14日午後9時26分ごろ熊本県に始まった震度7・3の群発地震は前震であってその後に起きた震度7・5が本震とのことであるが、以来一週間が過ぎた。今日現在もなお激しい余震が続き、予想外の活発な地震活動が続き、頻度も800回余に及んで被害の拡大が起きている。死者は48人、避難する人十万人に及んでいる。この先、各地で家屋の倒壊、土砂崩れなどで被害は続出する状況である。地域も大分県に拡大し、阿蘇を中心にして、火山活動を誘発しかねないような不気味な激しさ、厳しさである。地盤が緩んおだ上に重なる地震と、大雨の到来が重なって、土砂災害が起きている。道路なども寸断され、救援物資の輸送にも支障をきたしている。電気、水道、ガスといったインフラの破壊もあって、避難した人たちはもとより、地域住民たちは困難な生活を強いられている。又負傷者や、病気の多発などに対応する意思や看護師の救援も要し、医薬品の不足も生じている。こうした事態を克服するべく懸命の努力が払われているが、いつ止むともしれない今回の地震、不安が募るばかりである。
私は奇しくも学生時代に友人たちと九州一周旅行をした時の思い出の記を、半世紀ぶりに懐かしく書いたばかりであって、当時の楽しかったことを改めて思いだし、感興に浸りながらエッセイを綴ったばかりであった。阿蘇から先に向けた旅行記は鹿児島、指宿、霧島と続いて書いてゆくつもりで、阿蘇で中断されていたのである。その熊本、阿蘇といった地域であるが、それが何故こんな悲惨な自然災害に遭遇してしまったのか、残念でたまらない。しかも熊本から蒸気機関車に乗って阿蘇の外輪山を越えて、風光明媚を以て天国のような雄大華麗な阿蘇地方を走っていった時のことが鮮明なだけに、今回の状況は、楽園から崩壊に転げ落ちるようで、まさに天と地であり、あまりにも隔たりが大きすぎて唖然たる気持ちである。そして阿蘇五岳とこの地球創世の、太古の火山の大噴火から出来上がった世界最大級のカルデラ湖であることも、知識としてものの本から学んで述べ伝えたばかりである。半世紀以上が経過して、世の中と状況は格段の変化を遂げたとは言っても、自然の威力の前で人間は全くの無力である。自然の力は人知の及ばざるところであることを当然とは知りつつも、如実に示していると痛感した。そのことを以て、以下のことが又気になったのである。
    今日の朝日新聞、朝刊「天声人語」に初めて川内原発の一時停止を訴える勇気あるそれらしい記事が目を引いた。原発基地の安全性を強調することが、如何に虚しいものか、ひとたび災害時となった時の自然の恐怖を思い起こし、私たちには傲慢を避けた謙虚な姿勢が必要である。私もかねてから憂慮している案件だが、先に書いたように、そのほかに玄海原発、伊方原発などが近くにあって、活断層と何らかのつながりが生じては来ないかと憂慮していたことである。 こればかりは杞憂に過ぎなければと祈るような気持で一杯である。そこで想起して注目するのは1965年、即ち昭和40年に長野県長野市、蓼科地方で起きた通称、松代群発地震である。この活断層地震の時は局地的自身ではあったが長期にわたり、地震の収束までに足かけ5年半に及び、その間激しい地震に見舞われたのである。群発地震の怖さである。 被災地の人たちの速やかな安寧を願うばかりである。 
    
      熊本地震を憂ふ和歌三十首

一週間活断層のずれ動く頻発回数八百余回に
活断層地震におののく住民の熊本、大分、阿蘇の地域に
活断層群発地震の活発に起きて一週間の早や打ち過ぎぬ
今むかし松代群発地震あり止むまで5年半を経過す
活断層揺れて案じぬ川内を初め玄海、伊方原発
この国に福島原発規模の事故あらばこの国たみの如何に処すべき
健やかに主の導きに今日ありてこの先も又かくあるべしと
教会に熊本被災の義捐金多くの人がこれに参加す
被災地の被害を食い止め生活の安きを与へかしと祈れり
この国の国民生活の安全を図り経済の安寧を得るべし
原発の稼働ゼロにも耐えて行く潜在能力のありし日本
今もなほ余震頻発におののきぬ熊本、大分、阿蘇の人らは
松本市群発地震を想起しぬ活断層の熊本地震
ないになく世界の人の暮らしにも自然と共生の知恵を示せる
人類の科学万能の依存症自然の威力の脅威試さず
若しやもし熊本地震の長期化を松代地震になぞらえて問ふ
三十瀬の間チェルノブイリの原発の巨大石棺のまま過ぎにけり
荒廃すチェルノブイリの石棺を不気味に照らす赤き月影
放射能障害症の子供らに現地の人らに受け継がれしに
子供らの未だ放射能の障害に生死を分かつチェルノブイリよ
現代の文明を生む原子力逆に文明を破壊せんとも
中国の南沙諸島の造成の先に原発建設の報
大波に揺れる海上に原発を作る暴挙はまさかとも思ふ
よくもまあ他人の領土の岩礁を勝手に埋めて占拠するとは
日本の世界有数の地震国48基の原発を置く
原発を抱きて死するか放棄して生を選ぶか民の選択
この国に千代萬世にみ栄へをあらしむ尊き神のおはしぬ
国たみの英知を絞りこの先の栄えの道を与えへたもふや
神仏のなしと思へばそれもよしあると思へば人のかしこし
星々の打ち寄す波の間を抜けて宇宙探査機の旅の果てなし
法界の星座の一つオリオンに語りかけつつ尚さきを飛ぶ
法界の動く掟の厳かに北斗の星を中にめぐれり
見あぐれば果てなき思惟の法界に神の居まして豊かなりけり
活断層無数に走るこの国に多くの原発あるを気にせり
この国に鎮座まします神々の安きがために力得さしむ
ドトールの店に立ち寄り尾山台にわかの雨に雨宿りせむ
白き雨ふりしきる日に熊本の被災地のことしきり憂へり
雨脚の強くしなれば九州の地震の被害の人ら思へり
九州に起きる余震の激しさと戦ふ人の日々の暮らしは
被災地に続く余震の止まざるに不安に過ぐる日々のうとまし
東北の地震の復旧いまだしに尚放射能の追い打ちにあり
主と共に我が身の在りと恩恵に授かる日々の嬉しかるべき         
                                             四月二十三日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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