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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.23.3

   
紅梅と白梅が今咲き競ふ弥生の庭のかすむ菜の花

目出度さも晴れて紅白の梅の花咲きそう庭に揺るる菜の花

見上ぐれば弥生の空のかすみたち天女の衣を引きて行く雲

中庭に立つすずしろの春の日に肌のつやめく頃となりぬる

銀色に輝く梅のつややかに目白飛び来てみつを吸ふらし

  今朝の出勤時、家内が玄関を出ていつものように、笑顔で見送ってくれたが、今日は三月の一日、小生の初陣である。多くの学び舎でも卒業式が行われているし、社会に飛び立つ若者たちの誉れの日でもある。戦争のない平和な日々を満喫している我われは、それだけを以てしても幸福である。今日の青空を見上げると、雲一つない紺青の空が広がって果てしなく輝くばかりである。「行ってらっしゃい」という家内の甲高い声が背中を突いてきて、つい前に突き進んでいくような力が全身にこもって、自ずと職場での闘志が湧いてくる。
  朝のテレビを垣間見たが、国会中継で野党の質問の追及に遭う岸田さんだが、役人の書いた答弁の書面を読むだけで何ら緊張感がないまま、内容はともかく、抑揚もなく味気ないものである。丁々発止で熱気を帯びたものだと身を乗り出して聞く気にもなるが、残念ながら一向に引き付けるものがない。それでいながら、国民に突き付けられている問題は深刻なものばかりである。曰く、ウクライナ支援の増大を始め、防衛力増強と予算の増額、原発問題の使用期限延長の問題、原発汚染の海洋への放出、出生率と人口減少の問題、顕著な物価上昇の問題など、身辺に生じてくる課題は山積である。おかげで巷の便乗値上げも国会までに飛び火して、予算案の公示額が百十一兆円をこえるものとなって最高額を更新、一向に気にならないのが岸田内閣の特徴である。
  使うべき必要な金は使って差し支えないが、大判振る舞いが嵩じて、悪徳商法が跋扈して、政治家や官僚の諸君たちに深くかかわりをもったりして、もらい得みたいな感覚が蔓延していくと、ことは国家の存亡にかかわるだけに十分に注意を喚起してもらわないと困る。国会で十分論議して最善の施策と成果を期待したいところである。膨大な国家予算と、さして関わりない中小企業のおっさん連中にとっても、商人にとって三月は、最終年度の大切な月であり、その一日の初陣にある小生にとっては気の引き締まる思いである。目出度さも中ぐらい也おらが春、庭に咲く紅梅と白梅の花の香りを嗅ぎながら、妻の笑顔で送り出される小生の気概は青年と同じである。中ぐらいどころか、十分に満たされている。

短歌同人誌・淵の創刊者であり、母校の早稲田大学で教鞭をとって、学園の教育と学問の発展に尽くし、和歌を詠み、学問と研究に一生をささげた植田重雄先生が亡くなられて十七年有余が過ぎてしまった。あっという間である。足跡をたどれば胸熱く、我が身にもせまること余りにも多く、過ぎ去りし思い出とともに枚挙にいとまがない。短歌同人誌の淵は、同人各位の研鑽と協力により、今回240号を迎えまことに祝福すべき発刊を行うことができ目出度き限りである。心から感謝して、敬意を表する次第である。

  顧みて、先般、早稲田高等学院の理事会の幹部から、早稲田大学元総長の西原春夫名誉教授が一月二十七日急逝された旨の報告があった。まさに青天のへきれきに感じた。
  小生が早稲田の政経学部に在学中のこと、恩師の酒枝義旗教授の大学院研究室で酒枝教授からお誘いを受けて、ドイツ語を学習していたことがあった。放課後、有志の五、六人が集まって先生を囲んでドイツ語の原書を解読する時間である。その中の一人に、若き日の西原元総長が参加していた。確か、法学部の助手をしていたころの姿である。西原先輩はその後、ドイツ留学を果たすまでになった。酒枝先生は早稲田が誇る著名な経済学者であるが、学習が終わるといつも二人で大学院の研究室を出て大隈講堂の方に向かって帰ったが、AUF WIEDER SEHEN、さようならといって途中、西原先輩はいつも未だ明かりのともる法学部の校舎に残っていったのである。私は大隈庭園の横の細い夜道を早稲田車庫前駅まで歩き、そこから15番の都電に乗って帰宅についた。懐かしい思い出があるので、訃報を知ったときは、ひたすら西原先輩のご冥福を祈ったのである。

  西原先輩には、確か我々同期の連中が、学院を卒業してから(孔子)が謂うところの「天命」の年配に達したことを以て、帝国ホテルで「半世紀を祝う会}を盛大に開催した時に、その時の西原総長を来賓に招き、祝辞を頂いたことがあった。半世紀、即ち五十歳である。僕が会を代表して挨拶したあと、その場面と全く同じステージに西原元総長の祝辞を述べる写真が出てきたので、びっくりした。自分で云うのも憚るが、若いときはやたらと雄弁家だったので、意気揚々と熱弁をふるう僕の姿にも複雑な思いを抱いたりするが、あの時は六百五十名からの参加者があって盛大であった。
  会場には有名なドラマーのジョージ川口と、その楽団をステージに呼んで名演奏を聞いて楽しんだりした。語呂合わせではないが、行きつけの銀座のクラブ・白いばらの店から五十名のホステスが接待役に出てきてくれて華やかに、席上注いでもらう酒も色ずいて絢爛で朗らかであり、ふんだんな美酒にしたることができた。名門の帝国ホテルでも、学校や、学生同士の同窓会の類で、今回のような盛大で粋な開催は初めてだと言わしめたほどであった。急逝された西原先輩とはそうした縁でもあった。その写真と僕の短い拙文は三月の学院のメールマガジンに載るそうだが、次の弔歌の一首を送って、西原先輩のご冥福を祈った次第である。

ふりあほぐ君がみたまは春のそら高くのぼりて天つみくにに

  同じ引き出しから出てきた写真のもう一枚に目が留まった。新宿の中村屋で開いた短歌同人の会「淵」の総会の席の写真である。コの字型に配置された配膳の中央に、植田先生が座っていらっしゃるが、酔っぱらったほどでもない小生が、同人を巡って酌をしてサービスし、終わるたびに自分も飲んでいる有り様を心配げに見つめていらっしゃる様子である。個人的な接触とは別に、植田先生とご一緒に会食した席はしばしばあったが、それも植田先生が担任をされていたクラスの連中が創った「ドフロ会}に、違ったクラスの僕も同志として参加していたせいである。
 ちなみに僕はドイツ語のクラスで、担任の先生は、一年の時に川原栄峰先生、二年、三年の時に遠藤嘉徳先生であった。共に立派な先生であった。ドフロ会とは奇妙な名前だが、学院での必修科目に英語のほかにドイツ語、フランス語、ロシア語の三科目があって、そのうちのどれかを必修しなければならなかった。クラスを編成する時にドイツ語のクラス、フランス語のクラスといったように組むわけだが、どうしても半端が生じてしまう。その半端な数を一クラスに集めたクラスがどうしても出来てしまう。植田先生は、その三か国語が同居したクラスを受け持ったわけである。ユニークで秀才な学生が集まっていた。ユニークとは人情にたけた魅力のある連中であった。社会に出てからの人生の過ごし方で一番大切な要素である。

  植田先生の写真に重なって、先生から頂いた封筒が見つかった。差出場所は、先生が静養していた軽井沢からである。封筒の裏に、長野県北佐久郡軽井沢町假宿五〇五、と記されてあった。切手に押された消印のあとが不明瞭なので、出された時期がはっきりしていない。手紙に日付は書いてあるが、年譜が書かれていない。ただ推測されるのは、手紙の文言に「体調を崩されて追分に静養に来ている」とあるので、晩年の頃かと思われる。 心のこもったお手紙を頂戴して有難く思っている。
  書状には、先生が詠まれた和歌二首を頂いて嬉しく思いながら、次のように述べられているので、同人各位にはそのままにお伝えしたいと思っている。同人各位にとって、植田先生の、在りし日のお姿を偲ぶよすがとなれば幸いである。


                     *
「   残暑お見舞
 和歌によるお便り大兄の多才に感銘しました。当然返歌をしなければならないのですが、拙生少々体調をくづし追分の森で静養致し居ります。少しづつ快方に向ひ居り、いづれ大兄とお逢ひしていろいろ御話したいと思っております。(二十八日頃)

わが窓の間近くに来て鶯の朗らに鳴きて夏深みゆく

ためらはずおそれず力一杯に鳴く鶯や夏の森影がげ

大兄のよき夏を念じます。くれぐれも御自愛ください。

    八月十四日     植田重雄

  佐々木誠吾 雅兄        」


野蛮な戦争が未だ

ウクライナ戦火と同じ米国の襲撃を避け逃げし山河

ウクライナ戦場に在る人々の苦しき日々を思ひやるかな

ウクライナ侵攻以来一年をロシアの策謀の被害甚大

プーチンの破壊、虐殺を繰り返し暗黒の世と化せるサタンよ

忘れ得でしばしば思ふ米軍の空襲の日々を重ねあはせて

この国もかつては侵略戦争を謀り他国を苦しめにけり

しかばねをまたぎ焼土の街をゆくやる瀬なき日の我が少年期

文明の利器を用ひて何不自由なく暮らす世に殺りくの日々

いがみあひ争ひあひて殺しあふ人の恐ろし性の今にも

久慈川のほとりの小屋に仮寝してほたるの影を追ひし夏の夜

仮寝せる部屋のあちこちに灯る火のほたるの影をじっと見るかな

久慈川の岸の笹木に秋風のさざめく夜の寂しかりけり

かやを吊る座敷にほたるの光る夜はらからの顔でかく映らぬ

馬がひく荷台にのりて太子駅より久慈川を渡る夏の日

久慈川を渡りしばらくとうきびの畑をゆきぬ一里程先

人家なき山河を逃げ人里の離れし家に泊まる恐ろし

悪知恵の働らく人の手を借りて知らぬ里にも入りしはらから

馬の背を後ろから見て汗だくの真夏の太子の野辺をゆくかな

うらさびし太子の夜の安宿に泊る親父(おやじ)と共に在りし日

  亡き友を偲ぶ

与ふらる今日一日を悔ひるなく過して夕日の落ちる影かな

ドイツ語の若きヴェルテルの悩み読む大学書林の対訳の書

懐かしきドイツ語四週間の本を手に大学書林の門をくぐりぬ

学院のドイツ語研究部に入りし時佐藤先輩に相まみえけり

浅草の自宅に訪ね来らる身の政人先輩と母堂のおもかげ

佐々木君と優しく呼ばるご母堂の親しく世話になりしこの身の

学院のおんぼろ校舎に恩師らの面影しのぶ学びやの地よ

何かにと世話になりたる先輩に在りし日の身の得忘れまじ

穏やかに笑みを湛えて親交を授かりし身のありがたき日々

ふところの塩をなめつつ八ツ岳槍をめざしてけはしその道


思ひ出は遠く山辺の空にまでその人柄の今に至りて

懐しさこみあげてきぬ朋友の訃報に在りし日の山の旅

秋盛る裏磐梯の旅の日の友の招きに頼る我が身の

一切経を経て裏磐梯の美しき五色沼へと辿る山路を

ふるさとのあちこちの山辿る日の峰を極めて喜びも又

勇壮な磐梯山を目の前に友と語りし旅の人生

山小屋の明りをめざし山道を歩く先輩のあとにつく我 三月四日

私がお世話になっている玉川神の教会には、教会の花ともいうべき女性が沢山いるが、そのうちの一人のNさんは熱心なクリスチャンで、教会活動にも積極的に参加して、協会員の親睦にも勤めて多大な貢献をされている。あたしも家内も熱心で敬虔なクリスチャンで、過去には全国の神の教会の女性からなる連盟の会長を務めたりして、福音、宣教に尽くして大いに活躍していた。至らぬ小生などは長いこと随分とはっぱをかけられて、教会の道を歩むこと多々であった。馬にひくかれて善光寺、とはよくぞ言ったものだと、小生のためにあるようなものだと変なところで納得して居る始末である。その玉川神の教会では、コロナ禍で協会員同士の親睦の輪が三年余にわたって途絶えていたが、コロナ感染がやや収まってきた昨今であるが、親睦の輪を取り戻すにはなかなか困難な点があって、お互いの理解を深化させていくような状況には至っていない。更にはオンラインが普及して復元力に乏しい昨今でもある。

  オンラインで礼拝に臨むとは、真に信仰に至る道とも思えない気がする。しまいに無精とまではいわないが、それが嵩じて在宅修行、在宅礼拝が普及定着して、教会がいらなくなってしまう可能性を危惧するのである。大学のオンラインでの授業とは違って、十字架に向き合い、牧師が厳粛に神のみ言葉の取次ぎを行い、祈りを通じ宣教に勤めるものでなくてはならない。同時に、教会での献金が清められて神の御国、即ち教会の建設に寄与するものでなければいけない。教会での礼拝が亡くなってしまい、結果、教会が財政難の陥って、存亡にかかわる事態になっては何をか況んやである。Nさんや、うちの家内のような立場の人は、教会にとっても重要な存在である。

  そのNさんだが、今日の教会の礼拝に可愛い二人のお孫さんを連れて、教会に見えていた。二才になる愛生ちゃんと、小学校一年に入った僕少年である。Nさんはいつもどっちかのお孫さんを連れて教会に見えるので、礼拝中でも元気な声がするので直ぐに来ているのが分かるのだが、今日は二人が見えてNさんも大変に違いない。これから二人の面倒を見ないといけないというので、家内が誘って、拙宅によってお昼をみんなでたべることになった。Nさんは喜んだ。教会から小生の車に乗って近くのコンビニによってお昼の弁当を買ってハイキング気分である。もちろん子供たちは大喜びである。なんでもいいから好きなものを買っていいよと、購買意欲をそそのかして、勘定はおじさんが払うから、今日は変ったサンタクロースがついて来たと思っていいよと云うわけである。子供たちはビニールの袋にお弁当を慎ましく詰めていた。買い終わってから車でわずかな距離を走って家に着いた。そして拙宅の玄関に入ると、子供たちは飛び跳ねるように庭に飛び出して、休む暇なく駆けずり回っている。教会で大人に交じって退屈して、あまりたまったエネルギーを発散せんばかりである。

   家内が庭に白いテーブルを出してお弁当とお茶を広げて準備してくれた。計画通りのコースが出来上がって、Nさんも家内も意を満たしたとばかりに子供と一緒になって喜んでいる。子供たちは回転遊戯に乗ったようなつもりで自家発電しながら、相変わらず庭を飛び回ったりして、挙句に家の中にまで飛び込んで駆けずり回っている。気が付くとテーブルの食べ物を加えて、又ものすごい勢いで走りまわってまるで太陽光発電機を背負っているみたいで疲れを知らない。二階に行くと居間と部屋は誰もも使っていないので走り放題である。加えて臨時に使う部屋にもなっているので、それなりの体裁を整えてあるので格好の遊び場である。広いベランダに出た僕ちゃんは、広い景色を見ながら、こんないいところがあるんだと感嘆することしきりである。子供にとっては世界が広く見えるから、好奇心の旺盛な子供の胸をくすぐってしょうがないかもしれない。

   二階の冒険を済ませた子供たちが下に降りてきて庭に出てきた。畑の野菜類に目を転じて、植えてある野菜類がなんであるかに大変興味を抱いている。冬から春にかけての庭畑には、今のこの時期、派手なものはないが、3月に入ってからの気候の暖かさで、青物が勢いずいて育ってきている。感想な時期にも入ってきているが、充分に水を散水して水けをふんだんに与えているから、植物にとっては申し分ない条件である。蕗のとうが今盛んに取れているが、畑には小松菜、春菊、ほうれん草、大根といった菜ものが立派に育っている。食卓に載る野菜類は全て自家栽培で、新鮮そのものである。野菜とその名前を教えながら、実際に畑に育っている様子を、子供たちは地面に寝そべって根元から眺めるように観察している。不思議に思ったのは大根だろう。身体の半分以上を土のなかに埋めて三分の一を地上に突き出し、先に青々とした葉っぱを広げて威張っている感じである。その大根を根元から観察しながら凄いなあと、感心している。八百屋やスーパーでは収穫された大根を見ているから、もともとの原始的な姿を如実に見たことはない。今回のようなときでもないと実際を直視することはないだろう。大根についている葉っぱも珍しく、葉っぱは息をして大根の実を育てていることも分かったようである。活き活きとして確かに息をしていると納得したようである。そして葉っぱが生きて息をしているので、きれいだなあとも言っていた。

 子供たちに大根をお土産に持って帰ってもらおうと、ひそかに思った。畑に入って、子供たちに大根を素手で掴んで引き抜かせてみるのだ。普段無意識に食べている大根を始め、自分の周りの実態に就いて根本から考える知恵を授けることは、子供の頃の養育、教育について大きな意義を齎すに違いない。大切なきっかけである。僕ちゃんたちは勇躍して畑に入り、先ず僕ちゃんから大根を両手でしっかりつか掴み、両足を大地にしっかりと踏みつけて腰に力をいれ、腕に力一杯ため込んで一気に大根を抜こうとしたが抜けないでいる。一回、二回と繰り返すうちに突き刺さっている大地が緩み始めた。もう少しで大根が抜けるぞと懸命になった僕ちゃんは、抜き取ったはずみで仰向けけに大根もろとも倒れてしまった。完成が上がった。大変な力を消耗したことを、僕ちゃんは理解したようだ。次はそれを見ていた妹の愛ちゃんの番である。愛ちゃんはあらかじめ大根を揺さぶっていて、直ぐに抜けるように準備をしていたようである。二才になって賢いさまを見せつけた一幕であった。大根を見事に収穫した兄弟は、お母さんの記念撮影に上手に収まって、傑作な写真が撮れていた。


教会の祈りのあとに子供らと遊ぶ恵みを授かりにけり

庭の端から端にまで駆けまわり勢ひずきし子らは勇まし

春浅き畑の土のぬくもりに育つすずしろの日ごと大きく

我が宅に幼き兄といもうとが遊びに寄れば共に騒ぎぬ

寝転がり駆け回りして部屋割りをくまなく遊ぶ子らの頼もし

転んでももすぐ跳ね起きる少年に真似て吾輩も試さんと思ふ

わけもなく大声を上げ遊ぶ子に合はせて我も意気高まりぬ

我もまた子供の頃に立ち返り素直に騒ぎ遊びけるかな

雲間より明るき春の日差し差し柔軟な子ら跳ね回りける

楽しみに我が家の庭にくる子らのバッタの如く跳ねて飛びをり

庭畑の野菜にふれて名を覚へ実体験に学ぶ子供ら

引き抜いた大根を手に高く上げ雄たけび上げる中山少年

アイちゃんのおどけた顔をして見せるその愛らしき仕草賢き

愛ちゃんと兄貴が抜いたすずしろをそれぞれ大事に持ちて帰りぬ   3月5日


 

      シリコンバレー銀行の破綻

リーマン・ショックを想起させるような金融破綻が先週末にアメリカで起こった。経営破綻したのは中堅の米シリコンバレー銀行(SVB)である。1980年代から主にスタートアップ企業向けの貸し付けを手掛けてきたが、ここにきて預金流出が拡大したのを受けて破綻。10日、連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれた。米銀の破綻としては2008年の金融危機以降であり、最大規模となった。事態の深刻さを受けて、イエレン長官はもとより、バイデン大統領までが緊急の発表を行って預金者のすべてに対して健全かつ安定した保護を行うとした談話を発表した。当然である。

   又、イエレン財務長官は12日、連鎖破綻は回避したいとしつつも、公的資金による救済は考えていないと明言した。 CBSテレビのインタビューで、「1銀行の問題が、他の健全な銀行に波及するのは避けたい」と強調する一方で、IT・金融業界からSVB救済を求める声が上がっていることについては、2008年の金融危機後に実施された改革を理由に「検討していない」と述べている。金融機関に対する救済のための公的資金の投入はないということである。そしてバイデン大統領も事態の深刻さを受けて預金者は全額保証されるという記者会見での発表を行った。信用不安をあおるような、取り付け騒ぎなど生じないことが急務である。

  アメリカでは昨年末からIT企業の中には人員削減に伴う大量の解雇、整理などが続き不穏な状況が顕在化する傾向にあったが、これが愈々金融界にまで波及する結果となった。スタートアップの企業の脆弱性が露呈され、関係の深くなったシリコンヴァレー銀行の預金引き出しが大量化し、その調達が不能の事態に追い込まれた。政府は、懸命に事態の鎮静化に勤め、市場が大きく動揺しないよう発言に勤めているが、FRBの急激な金利利上げの金融政策の失政を招いた結果と解釈できるして、信用不安の拡大を危惧せざるを得ない一面がある。


  一方、カリフォルニア州のベイエリアではスタートアップ企業の創業者たちが資金調達や従業員への支払いを巡り動揺している。不安はカナダやインド、中国にも波及し、英国ではSVB・UK部門の破産手続きが申請される見込みだ。同部門は既に取引を停止しており、新規顧客を受け入れていないとのことである。11日にはハイテク企業約180社の経営トップらがハント英財務相に介入を求める書簡を送ったりもしている。ブルームバーグが確認した同書簡は、「預金の喪失により、同業界が活動不能になり、業界のエコシステムを20年後退させる可能性がある」と指摘している。「多くの企業が一夜にして不本意な清算に追い込まれる」と訴えている。

  これはほんの始まりに過ぎない。SVBは中国やデンマーク、ドイツ、インド、イスラエル、スウェーデンにも支店があった。創業者らは政府の介入がなければSVBの破綻が世界中のスタートアップ企業を全滅させかねないと警告している。SVBの中国合弁会社であるSPDシリコンバレー銀行は、業務は独立し安定していると説明し、地元顧客を落ち着かせようと夜通しで取り組んだそうだ。われわれもまさかという思いで、シリコンバレー銀行の急激な業績悪化と資金繰り状態の緊迫性を、予想しえなかった意外性を感じている。

   創業者らはSVBに託した預金がどう扱われるのか情報を待っている。英国に拠点を置く教育ソフトウエアの新興企業リングミのトビー・マザーCEOは、自社の現金の85%をSVBに預託しているという。マザー氏はいくつかの口座を移そうとしたが、11日夕方時点でそれがうまくいったかどうか不明で、「われわれにとっては生きるか死ぬかの問題だ」と語った。企業経営者にとっては紛れもなく死活問題であって、夜も寝られぬ事態である。新規事業も立ち上げは中小企業が多く在位しているはずである。アメリカで第26位のSVBの破綻といっても、新規企業の参入を生かした関係で成り立つ銀行の破綻は、経済の革新の破壊にも通じるもので、こえを過小評価して全体的波及の深刻さを疑ってはならない。投げられた一個の石の輪は、波の方向次第で大きく広がっていく場合がある。過去の金融危機に体験した教訓を生かして、極力被害を最小限にとどめる努力が必要である。 

   今日のニューヨーク市場の動向がはっきりした先の見通しを位置付けてくれるはずだし、それを受けて明日の東京市場がかなり動揺した相場展開になるだろう。金融株がこのところ急ピッチで上げてきている反動持てずだって急落する場面があるかもしれない。日本郵政が放出する、ゆうちょ銀行の値決めを1131円に決めたことで、この数字の攻防次第で金融株に激震が走らないとも限らない。小生も付き合いで些少の申し入れを行ったが、急落に抵抗してかなり無理な買え支えをするかもしれないが、明日以降の値動きを注目するところである。                                                        3月12日

    中国全人代の閉幕


  第三期に入った習近平の長期政権の動向を注目していたが、中国・北京で開かれていた全国人民代表大会(全人代)は13日、今年の経済成長率目標を「5%前後」とした政府活動報告案などを可決・採択して閉幕した。国家主席に3選された習近平(シーチンピン)氏は「習近平氏はまず、「3度目の国家主席という崇高な職務」と自身の立場に触れ、「人民の信任が、私が前進する最大の原動力だ」と、異例の3期目の国家主席就任が、国民の支持を受けたものだと表明した。その上で「全国人民の重い負託に決して背かない」として、「強国の建設と民族復興に向け、我々の世代がなすべき貢献をしなければならない」と呼びかけた。

   5日に開幕した全人代では、政府活動報告案や国防費を前年比7・2%増やすとした予算案などのほか、中央政府の幹部人事案を審議して決定した。新たな首相には習氏の側近で、昨年の党大会で党最高指導部入りしていた李強氏を選んだ。李強の首相就任は、元より習近平の直属の部下であり即ち異例の抜擢でである。通常は副首相を歴任すした人物がなるが、今回はその役を飛び越していきなり首相に就任したことで注目された。人事の決定については、習近平主席に権力を集中し習近平体制を確立した結果が顕著である。

 習氏は閉幕式の演説で「人民の信任が私が前進するための最大の動力だ」などとあいさつし、対米対立を念頭に、会期中も強調し続けた科学技術力の向上による「自立自強」を訴えたほか、社会的な富の再配分を通して格差の解消を目指す「共同富裕」の取り組みで、「明確で実質的な成果を得ていかねばならない」と強調した。

  ゼロコロナを目指して経済の停滞を招いた習近平だが、人口減少と小子高齢化が激しく進む趨勢を如何に食い止めるか、若者の価値観が急速に変化を遂げる中、国内の経済的な軋轢と矛盾の解消こそ重要である。台湾の統一問題は国民すべてのゆるぎない念願であるとしているが、台湾市民の念願であるかどうかの検証も必要である。対米戦略を念頭に軍事増強を図る習近平政権には難題が山積している。ロシアとの接近を図ろうとするかどうか定かでないが、モスクワ訪問に応じた習近平が、ちなみにウクライナ戦争の泥沼を目の当たりに、プーチンの邪念、妄想と誤算を他山の石とすべきである。                 3月13日

    大江健三郎の死去   

  ノーベル賞作家であり、日本を代表する知識人の一人がこの世を去った。享年88歳の大江健三郎である。東大在学中に作品を発表して有名受賞対象になり早熟な作家的地位を確立している。爾来、新しい文学の旗手として、豊かな想像力と独特の文体で、現代に深く根ざした作品を次々と発表して社会的問題を提起していく現実的な骨子を打ち立て旺盛な作家活動を展開していった。
  
 核兵器や天皇制などの社会的・政治的な問題にも積極的に関与し、知識層の結集を図り、時の政治勢力にも対抗したりした。知的な障害をもつ長男との運命的な共生を克服して人生に果敢に挑戦して活動をいとまなかった。望郷の念厚く、故郷の四国の森の谷間の村の歴史や伝承、などの主題を重ね合わせた独自の作品世界を作り上げた  

  かって私は大江健三郎氏を昭和経済会主催の講演会に招き話を聞きたいと思っていたが、都合がかなわなかった。というのも彼の作家活動と、現実の果敢な接点を窺いたかったからである。心にふれた幾多の作品を想起し、同時に広く世界の平和的活動に専心されたことについて敬意を表し、謹んでご冥福を祈る次第である。                                                                  3月14日

プーチンに対し逮捕状

  ウクライナを侵攻して一方的に攻撃し多くの市民を逆位殺するプーチンに対し、当然のことながら、しかし現実になってみるとこんな恐ろしい事件が白昼公然となされていることに愕然として言葉が出ないでいる。一国の元首であり政治家が、国際社会から極悪非道の戦争犯罪人として逮捕状が出された由である。逮捕状を出したのは、オランダのハーグにある「世界の法廷」、国際刑事裁判所である。ICC、国際刑事裁判所は、2003年の国連会議で採択された刑事司法機構で、「国際的に重大な関心が寄せられる刑事犯罪」に関して、「個人」を裁くために設置された。

 主な対象は、
第一にジェノサイド罪、即ち集団殺害罪:特定のグループを狙った集団虐殺や集団レイプなどである。
第二に人道に対する罪即ち拷問や、女性や子どもの人身売買、強制失踪である。つまり国家や政治組織によって行われる強制的な逮捕や誘拐のことなどである。
第三に戦争犯罪、即ち武力紛争下において罪のない一般市民の殺害、平和維持活動をしている人への攻撃、学校や病院などの軍事目的ではない建物への攻撃などを指している。

  具体的には「大量殺戮」「人道に対する罪」「戦争犯罪」「侵略犯罪」などを対象とし、同様の犯罪を裁く国際司法裁判所が「国家」などの法人を対象とするのに対して、「個人」の犯罪を裁くことに焦点が当てられている。

 だから今回のプーチンに出された逮捕状は、あくまで人道に対する罪で、「戦争犯罪」を犯した容疑であり、ロシア連邦のウラジーミル・プーチンと、マリア・リボア=ベロア個人を国際手配することに重点が置かれている。 国際刑事裁判所に加盟している国は現在のところ世界123か国にのぼっている。プーチンに逮捕状が出たということは、国際社会から強烈な糾弾を浴びたに等しく、個人的に極悪非道の鬼面獣心を抱いた人間としてとらえられることになって、内外に影響を帯びてくるに違いないし、そうあってほしいと思っている。                  


プーチンに国際刑事裁判所より逮捕状いよよ出しに

銃弾を受けるに勝る逮捕状プーチン抹殺の最後通告

プーチンの司直の手にも囚われの残虐行為の糾弾に遭ふ

司直よりプーチンに出る逮捕状これこそ神の告示なりけり 3月16日

 

    WBCの祭典

第五回ワールド・ベースボール・クラッシック、WBCが愈々開催された。栗山監督のもと、選抜された選手たちはいずれも第一線で優秀な技量を発揮して活躍する兵たちばかりである。即ち侍ジャパンのの陣容である。今回はアメリカの大リーグで活躍する選手ら、大谷、ダルビッシュらの華やかな超一流選手も加わって、優勝への確信と期待を膨らませてくれている。若干21歳の佐々木投手も含まれている。投手と打撃戦で、各地の、満場のマウンドを沸かすことだろう。世界一の侍ジャパンの実現に向けて優勝へ一直線、驀進する雄姿を楽しみにしている。

 説明によると、世界一を決める熱戦に参加するチームは20か国、第一ラウンドでA,B,C,Dの4組に分かれ選抜チームを決めて準々決勝に進む。4チームの決定後は2チームを準決勝で決めて、最終的にその2チームが決勝に進み、優勝を決めるという展開である。決勝は21日と推定され、アメリカのマイアミのローデンボ・パークで決勝緯線が行われる。小生は、侍ジャパンの猛者たちが日の丸を掲げて必ずマイアミの地を目指して向かっていると今から信じて止まない。

最高のドラマを作り演出す侍ジャパンの味はい深き

それぞれに持ち味生かすWBC選手に触れぬ侍ジャパン

感動の渦に巻き込む観衆を大谷選手の一振一投

素晴らしき人間性を表現すトップ選手の天性の美よ

さくら咲くふるさと来て活躍す侍ジャパンの猛き益荒男

列島の野球ファンが熱狂す大谷選手の快打、快投

見上ぐれば快音にアーチを描くあと大谷選手の本塁打なり

さすがなり代表選手に生かされし華麗な技に魅かれ観るかな

大谷のひと振り高き球のあとWBCに見たホームラン

これ以上褒むべき寿の我になき侍ジャパンの一打快走

勢ぞろいしたる野球の快男児染井吉野に侍ジャパンら

満開の染井吉野の羅生門前に揃へる侍ジャパンら

同じ名の佐々木投手の素晴らしき一投ごとに歓声を上ぐ

侍の奮起促す韓国戦平和友好の国を相手に

心意気高久く勇夫の好青年大谷投手のマウンドに立つ

一、二塁走者一掃のホームラン大谷選手の快打響きぬ     三月一七

   日韓新時代の幕開け

韓国の尹大統領の来日す連携を期し道を拓かん

積年のわだかまりをも脱ぎ払ひ日韓友好の基礎を固めん 

海峡を隔てて眺む韓国の空に大きく虹の渡れり

韓国の尹大統領のこの度の英断により約す栄へを

日韓の政治の和解に期待せん国の友好と経済発展  三月一八日


   侍ジャパンの優勝

  今日の午前8時から始まったWBC、対アメリカ戦は手に汗を握る激戦の末、3対2でこれを撃破して日本の侍たちが優勝し見事、世界の栄冠を手にした。万々歳である。午前中は会社を欠勤し、妻と一緒に夢中になって世紀の熱戦をテレビを以て観覧した。行きたかったが、マイアミ迄はどうしても行く時間がない。しかしテレビを通じて平和日本の、世界に冠たる象徴の優勝カップを手中に収めた若者たちの雄姿を見届けることができ幸いである。

  この時、岸田首相はウクライナに電撃的訪問を敢行し、ゼレンスキー首相と会談、大なる意義を収めてきた由である。殺傷を繰り返す戦場に日本の首相が訪れるのは極めてまれであるが、G7の議長国としての責務でもあろう。危険を冒して激戦地に赴く首相の積極的な行動に、敬意を表したい。一方で今、習近平もモスクワに飛んで侵略者プーチンと会談を行っている。国際刑事裁判所から戦争犯罪、重罪を以て指名手配されている容疑者に対して、習近平がどのような策を練って対応しているか知らんが、反人道的ロシアは今や中国の十分の一の国力、富しか持っていない国に転落している。恫喝と謀略を以て外交を行っている成り下がりの国である。

  WBCの平和の祭典で日本は、弛まぬ努力と研鑽のあと、平和の使者にふさわしく大成果を挙げてきている。戦場の大砲の音より、ホームランを打ち放った剛球の快音と、その白球のあとがダイヤモンドに輝いて、大空に弧を描いているではないか。

  うららかな春分の日の休日は、夕方から始まったWBCの対メキシコ戦に釘付けになって観戦し侍ジャパンの奮闘ぶりに感動しきっていた。明けて今日は、強豪のアメリカチームとの決勝に臨むが、昨日の対メキシコ戦の疲労を癒し切ること半ば、しかし気力で相手を圧倒して頑張ってもらいたい。
                                                 3月22日


根性と気迫にこもる選手らの一振りに期す走者得点

アメリカと決勝戦に立ち向かふ侍ジャパンの真価発揮す

1,2塁村上が打つ逆転劇メキシコに勝ち明日アメリカと

世界一侍ジャパンの優勝しWBCの平和祭典

アメリカを破ったとアナウンサーが絶叫す3対2にて侍ジャパンが

大谷の本塁打を期待して心浮きたちテレビに見入りぬ

爽やかな面立ちも良き大谷の颯爽としてボックスに立つ

男前絶品なりしダルビッシュ春の風呼ぶマイアミの空

1,2塁走者いっそうの一打にて乾坤一擲に岡本が打つ

得点に結び付けたる大谷の常にチャンスに腕を生かせり

選手らのおのおの個性を持ち添へてまぶしきまでにこれを生かせり

日本のチームに女神が微笑みて勝利の道を行かせ給えり

人の良さやさしさもあり大谷の大物ゆえの器なるべく

大谷がポイントメーカーに登場し快打を浴びせ豪快なりき           3月22日

大根と菜の花咲きし庭畑に桜も満開なれば楽しき

卯の花の匂ふ垣根に顔をだす妻うつくしき化粧あとかな

植え揃う花の豊かに咲き競ひ誇らしく妻愛でつ語れり

咲きそろふあまたの花のたぐひ植え宅の豊かに栄へあるとも

目黒川堤に今宵満開の桜並木を妻と行くかな

雑踏の中目黒駅ホームより花のうねりの雲を観るかな

花を見るより人混みの足元に気付かれ何ぞ帰り来るなり

花を見ることより人の混雑にあきれ疲れて慌て帰り来

おまわりの吹く拡声器に怯えつつ花見も人の渦に成し得ず

これほどの人のどこより出でしかと人口減少のまことしやかに

ふるさとの上野の山も賑はいて花見のあとの浅草寺まで

浅草寺伽藍に入りて極楽の浄土に遊ぶ思ひ耽るも

さくら肉食らい吉原遊郭に昔の姿偲ぶ今宵に

仲見世を行く花魁ののっそりとさくら吹雪を待つまでもなき

隅田川のぼりて日本堤まで吉原目指す江戸のあきんど

浮世絵を一枚めくり歌麿の次の筋へと触れてみるかな

あやふやな空の気配に眺め入る桜の花に一喜一憂

助六も上野の山の桜見にのち遊郭に遊び耽るも

桜見に花より団子と云ふべき哉のち吉原に足を運べり

団子喰ふおなごに似たり花の下吉永小百合の若き頃合い

緋牡丹の固く赤き芽の未だ出ね老衰のあと気遣ひており

三十年有余のよわいのこれまでを生きとし来たるぼうたんの樹よ

去年咲きぬ緋牡丹の花華やかにその面影を望むこの年

ぼうたんの冬の寒さに古木ゆへ耐へで枯れしは寂しかりけり

緋牡丹の花の王者も老木となりて生気の失ひしゆく

長きこと我が子の如く愛でて来しぼうたんゆへに病むは悲しき     3月24日

     井浦康之先生の誕生日

  ファイスブックに井浦先生が九十五歳の誕生日を迎えられたことが記載されていた。「いいね」と打ち込んで、お祝いの一首を詠んでお祝いに捧げたのである。病床に伏していた時もあって、最近の在宅勤務も重なって、あまり外出をされていないようであるが、青年の意気を失わずに、唯ますます弁ずの心境にあることは誠に幸せなことと嬉しき限りである。フェイスブックにも時々投稿して近況を知らせていただいているが、カメラに収めた花々の美しさを知らせてくれることもほのぼのとした近況の証しと安どしている。最近は依頼された講演先で、ますます燃えていらっしゃるようで何よりの朗報である。背広姿に赤いネクタイ、黄色いハンカチを胸ポケットに挿して颯爽とする様子は、御年九十五歳を窺うことは出来ない。先生に捧げたお祝いの一首である。

さくら咲く堤に立てば富士の嶺の気高くそびへ似合ふ汝れなれ

王道を行くその人に自ずから気品あふれて臆すことなき

情熱を絶やさずに行くその人の道高ければ甲斐高まりぬ

  井浦先生は、昭和経済会の古くからの会員であり、指導者として大役を果たしてこられた。度々講師としてお招きして多くのファンをお持ちになっている。先生の場合、誕生日を迎えるたびに、逆説的に年齢をはぎ取って「年を取っていく」といった姿勢に共鳴を感じて、謂うなれば脱皮して更新していく位といった意味合いに受け止めている。したがって先生は常に後期高齢者としての立場を堅持して、その意義を顕揚し、ますます意思堅固な姿勢に帰っていくのだと思う。若者に対して常に自信を植え付け奮起させる趣旨が歴然として好感を抱かざるをえない。

  不フェイスブックにはヒマワリの写真と、九十五歳になった旨の報告がされていたので、更に一首を追加したいと思う。

ひまわりの光を放つ天と地の間に立つ大師のつつがなきかな


  余談になるが、思想は違っていても長寿な偉人で、若いころ親しく接した中村天風氏がいた。足立前理事長に紹介された。常に肉食を排し菜食主義者であったが、企業家に帝王学を提唱していらした。つまり利益追求を目的とするのではなく、広く現実社会の救難済民といった思想かもしれない。同じような指導者に宮田信念氏がいらした。気合術を心身に吹き込んで精神の一統を図り、肉体の強堅を得んとする術の習得である。信念堅持を旨として立派な肉体を作り上げ、以て経済社会活動に臨んでは功を成していくような人間を標榜していたのである。世田谷の砧あたりのご自宅に訪ねたとき、親しく酒を飲み交わしたが、和室に構えた炬燵の中で裸であり、障子を開け放って寒風を吹き込ませていたには驚いた。これまた逆説的対応と云って然るべきか。足立前理事長がご一緒だった。確か歓待されてすき焼きをご馳走になったが、冬の夜の吹きさらしの部屋で、足立さんはその後風邪をひいてこじらせてしまい辛かったそうである。思想的にはお二人に心酔するような気持にはなれなかったが、当時は大先輩には好感を持っていただき、かわいがってもらったような気がする。
                                        三月二八日


さくらのみやこ

  今の時期、都会も村も桜の花で埋まっている。暖冬のあとの花冷えだったりして、今年は花もちがよさそうであと四、五日は余裕を以て花見ができそうな感じである。というのもまだ花見に出かけたことがないので、このまま終わってしまうのも寂しい気がするからである。一昨年、庭に古くから植えてあった染井吉野の樹を、老木で如何にも倒れそうだったので出入りの職人と相談した結果、止むを得ず切ってもらってしまったので、居ながらの花見ができなくなってしまったからである。土地柄、未だ近所に広がっている畑のすみずみに咲いている花を観るだけでも楽しいが、大きく固まって咲いている場所も絢爛たる趣きで、つい名所にもいってみたいと思うことがある。いちぼくの桜の下で一人静かに眺めるのも優雅な趣に浸れて、これも大和おのこの味わえる花見の風情である。    3月30日

満開の桜並木の下に立ち極楽浄土の斯くもあるかな

留め差す我れが命の永久なれば桜の花の下に眠らん

上野より地下に潜りて目黒まで川辺の花を見に行かんかな

川幅の狭き岸辺に咲く花の枝垂れるままに今日も過ぎけり

中目黒駅を出でれば人込みに押されて花のルート踏むかな

花見より人の混雑に見る間なく押されて元の場所に戻れり

風もなく静かに行くは目黒川桜並木の爛漫の下

しだれ咲く花の命のいくばくにはかなく消ゆる先を思へば

花冷えの街をそぞろに行くあたりいずこにも咲くさくら花かな

街を行くひと美しく皆見えて花の等しく恵みあたヘリ

近ごろのはやりと思ふ花見つつ団子を口に致すおなごよ

象潟の待合の間の横道を抜けて表に出るも色めく

浅草寺より聖天さまへ道行きに花の通りを行くは床しき

隅田川花の堤に出でしよりかすみに揺るる頃となりけり

我が宅の庭にひとりに眺め入る雲のながれをしばし思へり     3月30日

  
  

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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