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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.19.8

俄然、猛暑襲来

  八月一日、朝から夏の当たり前な暑さである。一昨々日、関東甲信越地方に梅雨明けが宣言されて以来、予想もしなかったような猛暑の到来である。連日の晴晴天気で、気温も35度を超す猛暑日となっている。
  一昨日の夜、熱帯夜であった。たまたま徹夜で仕事をしてから、寝付けなくなってしまい、睡眠不足のまま出勤した。複数の昭和経済会の会員の来訪があったり、会社の客人が見えたりで根を詰めた時間が午前中から続きっぱなしであった。普段なら何もいとわなく仕事をこなしていくのだが、不利な状況にあってしかも緊張が続いたので頭がふらつく思いだった。加えて、午後のさなかを現地検証、内覧のことも重なって出先から4時過ぎに早めに帰途に就いた。しかしこうした体の状況が続いたことが、悪い結果を招いてしまった。経験もしない、高血圧の症状になってしまった。上が180、下が80という数値である。安静にしていれば治るはずのものが、一向に下がる気配がない。

  仕方がなく夜遅く、11時頃であったが、緊急診察という意味で、一番近い東京医療センターに行った。診察の受付をしてもらったが、患者さんたちが結構多くいて診察が何時になるかわからないという。しかも緊急者で運ばれてきた緊急患者優先だという。もっともな話ではあるが、私だって緊急だから、わざわざ深夜に自力で訪ねてきているのである。医師の増員を図って対応できないのだろうか。ぐったりして待っている患者もいる。殿様商売の一面を垣間見た。心もとない気がした。

  息子に電話したところ、ちょうど会社から帰宅して間もない時刻であった。親戚の医師に電話をしてもらい、白金台にある北里研究所病院に連絡を取ってもらい、受診してくれるという快諾であった。身内の息子は偉くなって内科部長をしている。心配してくれた息子はすぐにタクシーに乗って医療センターに駆けつけてくれ、私夫婦を白金台の北里研究所病院に連れて行ってくれた。信也の渋谷を抜けていったが、この時間にも混雑して不夜城の光景にもびっくりした。以前にも来たことがったが、ずいぶんと大きな病院に様変わりである。病院ではすぐに診察の手配をしてくださり、担当医師が対応してくださった。

   症状を述べた後、直ぐにCTを取ってくださった。その結果を踏まえ、脳には異常が認められなかった。症状を色々と検証してださったあと、血圧降下剤を投与して十五分ほど経過した数値を調べることにした。その結果、上が136まで下がってきたことが判明した。もしかすると一過性のものかもしれないということで、鎮痛剤など、然るべき薬剤必要とされる薬剤を用意していただき、経過を見ることにした。息子が自宅まで送ってくれ、帰宅したのは深夜の1時過ぎであった。医師の診察を得ることで、ひとまず安どすることができた。病院の手配をしてくださった親戚の医師、そして息子には感謝している。
   今までも経験しなかった高血圧の症状は、今日も完全には回復しない故、猛暑のさなか、一度は出勤しようと思って支度を整えたが、妻に止められて断念して家で休養することにした。目下は休養しながら、こうして執筆中である。 8月1日

     御前会議の真相 昭和天皇の葛藤


  連日の猛暑である。低温と、日照不足が続いた長い梅雨があけた。梅雨明けが宣言されたのは、三日程前のことである。やっと訪れた本番の夏と思う間もなく、今度は,突然に襲った全国的な高温多湿の猛暑で、これが宣言後四日目である。感覚的には、稲の生育の一ヶ月分を取り戻した感じである。今日は八月に入って二日目、午后現在、灼熱の太陽が中天にさしかかっている。このまま日中の外に出歩くことは、脳天を火炎にさらして歩くも同じこと、蒸し焼きになる
 
   終戦記念日が、又近くめぐってくる。夏の暑さを見るにつけ思い出すのは、玉音放送のラジオの前に立った夏の暑い日照のさなかであった。人それぞれに、終戦の報せを知った場所はさまざまで、観相もそれぞれに抱くものがあったに違いない。小生は、疎開先の辺鄙な袋田駅頭であった。水戸から水郡線に乗って、福島県との県境日近寄った駅である。八月の、日照りの激しい昼頃である。母と弟の三人で、疲労困憊の体で袋田の駅に着いたところであった。小学生の小生と弟は、玉音放送の何たるかも判らぬ年頃である。駅舎の雑音の激しいラジオの音に、母は茫然と立ちすくんでいた。そしてひとこと、「戦争が終った、山奥へ逃げる必要もなくなった」と、目頭が熱くなっているのを見た。
   その足で三人は、父と二人の兄が頑張っている水戸に向かって、水郡線の機関車に乗っていった。石炭のばい煙がもくもくとふりかかってきた。硝炎のなかをくぐり、石炭ガスの匂いを嗅ぎながら、自由と平和の蒸気機関車に乗って山間を抜け、田園地帯を走り続けた。あの時の解放感を子供心に味わいながら、終戦の日のの思い出は、忘れることはできない。三月十日の東京の空襲に会い、八月三日の水戸の空襲にもあい、苦難を切り抜けてきた奇遇の運命を、今、身にしみて感じている。

   一昨日のNHKテレビで「ヒストリアル」と云う番組が、夜の九時からあった。スイッチを入れたら、たまたま目に飛びこんできた画面である。題して「昭和天皇の苦悩」とあった。話は、日米開戦の是非を問う「御前会議」の緊迫した生々しい模様を伝えるものであった。昭和天皇の心中は、それを見る限り、「戦争反対」の意向を如実に示したものであった。しかし政権を掌握する内閣、軍部によって、対・米英開戦に踏み決めざるを得ない立場に追い込まれていった大元帥、昭和天皇の心中を微妙に描くものであった。
会議の性格上、御前会議の中で、終始無言の天皇は、和歌の一首を詠み上げた。心して時局に臨んでもらいたいとの天皇の意向を伝えるものであった。唐変木の軍人たちに何を意味し、何を伝えているか、判るはずはない。米英開戦を強行していった軍人らの、狂暴と無謀さは知るよしもがな、その後の戦況と国軍の敗退は決定的となっていった。
  しかし、その後の四年に及ぶ国民の悲惨な生活と窮乏、どん底の社会は云わずもがなである。戦争による犠牲者は三百万人を数えた。国土は焦土と化し、日本と国民はどん底に叩きつけられた。

  昭和天皇が御前会議で、もっと明確に、もっと分かり易く、「この戦争は明らかに反対だ」と云ってくださったなら、と悔まれる。昭和天皇も、そのことを唯一、昭和天皇実録に述懐されていたと証言した番組であった。
昭和天皇が御前会議で和歌を以て心中を軍人指導者らに知らせたと云う一首は、テレビが先に流れてしまって、どんな和歌か、今、ここで正確に書くことは出来ない。ただ「豊かな四海に囲まれた平和な日本が、今、どうして波風をたてて世の中をさわがしくしてゆかなければならないのか」と云った内容に覚えている。その雰囲気を私なりに何首か詠んで、感覚の冷めぬうちに、ここにいしたためて置きたい。昭和天皇が心中に湧き抱く思いとは、全く同じである。

ゆたかなる海にめぐりてまほろばのなどか波風立ちさわがせむ

この国の世界を海にかしこくもなぜに波風たてむとせむや
                                           8月2日

尾山台ナザレン教会

  玉川神の教会では例年通り、二泊三日で夏の修養会を伊豆の天城山荘で行っている。今日の日曜日は、大方の人がそのために欠席する傾向がある。牧師も代行が務める。小生の体調不良を気遣って、妻は教会の修養会を欠席した。
  性格で,家で休んでばかりいると逆に気持ちがいら立ってくるので、以妻と一緒に、以前通っていたナザレン尾山台教会に行くことにした。当時、福江等牧師が居らしたころで、訪ねるのは二十年振りになるかもしれない。そんなことを思うと懐旧の念を通りこして、一変したであろう教会の様子が先行して想像され、不思議な気持であった。礼拝に臨んで、早めに帰るつもりで入っていった。一瞬、懐かしさがこみあげてきた。親しくしていた人たちはいるだろうか、騒ぐ気持ちを抑えるようであった。

何年かにわたって見慣れてきた礼拝堂である。後ろのほうの椅子に、妻と並んで座った。会堂の広さ、見上げた天井、正面の十字架と祭壇、信徒が腰かける木製の長いすと黒光りした床、窓の明かり、窓ぎわに置かれた書棚、厳粛なたたずまいに懐かしい思い出がこみあげてきた。すでに礼拝の司会者のことが流れていた。
  式に従って、賛美に新聖歌を歌い、頌栄、信仰告白と続く。聖書を拝読してから、松実牧師の説教が行われた。背の高い若い牧師のように思われた。静かで、落ち着いた口調である。しかし言葉ははっきりしていて抑揚があり聞きやすかった。説教も理解しやすく、素晴らしかった。しばし目を閉じていると、昔、私が通っていたころの福江牧師が正面の祭壇に立っているように思われた。満子夫人もそばに立っているように感じた。

  礼拝が終わってすぐに帰るつもりでいたが、周りにいた信者たちから、お久しぶりですね、お元気ですね、会えて懐かしい思いですと、親しく声をかけられて席を外すことができなくなってしまった。隣の部屋でみんなと一緒に昼食をすませていってくださいと勧められた。私は、教会の月報に毎回和歌を詠んで居たので、みんながそのことを覚えていて下さりとてもうれしかった。印象深く受け止めていたことを知って、教会には知識人が多いのだなあと述懐したのである。小生の和歌を読みたいと申してくれる女性もいた。

  思えば当時のこと、礼拝中にしきりと和歌を詠んで書いている小生を見て、満子夫人が、その和歌を月報に乗せさせてもらいたいと頼まれたのがきっかけで、ナザレン尾山台教会が発行する月報に小生の教会で詠んだ和歌が毎回掲載されるようになった。顧みると、あの月報は教会の広報だが、薫り高い文学書に通じるものがあった。教会で詠んだ私の和歌が毎週四首ほどが選ばれて、一か月まとめて掲載されていた。だから十六首の和歌が、教会の模様をいみじく伝えられて詠まれてきたわけである。ナザレン教会は、小生にとって思いのほか懐かしい信仰の場所であった。
  そしてナザレン教会を惜しまれて去っていく福江牧師に、拙宅で受洗の洗礼式を上げさせていただいた。当時の教会の知人、友人たちがたくさん祝福しにお見えくださった。家内が、福江牧師にお願いして洗礼をしてくださいと言われなかったら、私は決心しなかったに違いない。妻に感謝している。
福江先牧師は、その後ナザレン大学々長をされたあと、故郷の高知日本キリスト教会で牧師をされている。満子夫人もお元気でいらっしゃる。       8月4日


真夏日の今日はナザレンの教会へ久しく妻と訪ね行くかな
懐かしき友らと出会ひ語りつるナザレン教会の朝の祈り会
ナザレンの御堂に立ちて偲びけむ在る夏の日の懐かしき人
ナザレンの教会近く住む画家の草間氏の絵に惚れて観るかな
松風のそよぐナザレン教会の十字架に立つイエスキリスト   以下二十五首

   トランプ氏が,中国を為替操作国に指定。
    中国の為替操作はトランプさんがやってはしないか...

   トランプ氏が今日、中国を為替操作国に指定した。中国の元を意図的に安く誘導して、自国に有利に利益を上げているというのである。中国に対する関税をいくら上げていっても、中国の元を安くされていったら、中国に対して行った関税の値上げが、相殺されてしまうというわけである。今日の中国の元安は、アメリカの、中国に対する経済制裁による一面がある。

   素人が見ても、トランプさんの論理は少しおかしいのではないかと思う。関税を引き上げていく結果、今の中国は一面において景気後退の局面にある。国内経済が停滞して、国民生活に大きな不安を抱えていることは自明である。こうした状態にあれば、世界のお金は自ずから中国から逃げて行ってしまうだろう。中国からお金が逃げていくということは、つまり元を売ってドルを買ったり、他の通貨に乗り移っていくだろうことは容易に想像される。市場で売られる中国元は、安くなるに決まっている。

   ということは、トランプさんのやっていることが、逆だからだともいえる。中国の為替操作をやっているのは、実はトランプさんではないのか。自問自答すべきである。間違ったことをしていれば、世界経済の秩序も狂ってくるし、みんなが迷惑する。つまりアメリカ自身が、困ってくる状態になる。そのことに気が付かなければ、チャップリンのモダンタイムスの映画の主演者になって、大きな歯車に自分が挟まれて、くるくる回っているのと同じである。 

  そもそも人類史に画期的な革命をもたらした産業革命は、人間が編み出した機械に、人間が使われていく結果になった。使い方によっては逆の結果をもたらしたりする。今、機械の利便性によって人間の生活水準は格段の向上を成し遂げたが、それによって取り返しのつかない弊害を人類社会にもたらしてきている。CO" 排出は地球温暖化を加速し、将来悲劇的な状況をこの地球にもたらすということは、幼い小学生でも知っている。

  トランプさんはそんなことはないと云って、パリ協定から離脱した。実はそんなことがあるのである。とにかく離脱の好きな人である。自国第一主義だから仕方がないが、グループや協力組織に入っていながら主張して自国主義を唱えるなら話が分かるが、のっけから離脱してしまうので、つかみようがないし、話しようがないし、すべては一方的に決めつけたかかってくるところが手に負えないのである。世界を相手に喧嘩腰で問題の解決を図ろうとするのも、アメリカ経済が好調で強いからできる能力である。強欲にも、なお貧しい国を顧みずに自国のみが繁栄し生きていければいいのだと思っている。丸い地球でそんな発想をすることは不合理である。

  今回も,関税の引き上げが余り効果を上げていないので、中国に対為して、元の為替操作の結果だといって手法を変えて難癖をつけてきた。見方や意見を吐くのは自由であるが、一方的に掃くのは独善のそしりを免れに。いろいろな絡み合いや理由で経済現象は起きている。悪化していく経済の国の為替、貨幣価値が劣化し、価格が下がっていくことは当たり前な話である。今、中国は国内的にも後退気味である。為替が、どうして元安に下振れの傾向にあるのか、原因を検証すれば、おのずとわかるのではないだろうか。そこに今、アメリカの関税引き上げの悪影響が追い打ちになっている。中国の元安は、素人でも推測できるところである。元を買っていく理由は見当たらない。
  アメリカが中国を、為替操作指定国に指定したとたん、金融市場は又大荒れである。自国のニューヨーク株式市場は暴落に近いし、各国の為替市場や株式市場も、同じような状況であり混乱は収まらない。何事も度を過ぎた結果には、いいことはない。争っていても、モノには落としどころがある。
  トランプさんの思考を変えたほうがよさそうである。性格が変わらないから、仕方がないかもしれない。
  今回のことは、実に簡単な論理である。     8月6日

終戦記念日である。考え無量の思いが又、走馬灯のようにめぐってきている。

  大型の台風10号が、四国・中国地方を縦断して日本海岸に沿って北上していく気配である。先週の金曜日から始まったお盆休暇だが、今日で六日間が過ぎようとしている。いったい何をし、何をもって楽しんだのかと訝るような空虚な一週間である。空虚だと決めつけるわけではないが、全般は仕事の関係でいい加減な男の話に乗せられて応対していた結果であり、無為に過ごしてしまったと後悔している。気が付いてからの後半は反省、自覚して、仕事らしい仕事を成し遂げたと自分を納得させている。前半後半を含め、この間、オフィスもビルが全館閉館となって、出勤する会社のみが事前に届けることになっている故、緊急の要件でなければ原則休日である。昔なら、海外とはいかないまでも、近郊の行楽地に悠々と泊りがけで有閑の身を楽しんだが、年とともに億劫の身を感じてきた。早い話が、出不精ということだ。
  しかし趣向とモノの見方が大きく変わってきたということもできる。それも長い人生の一過程であり、変化は、自分自身の進歩だと思っている。それはそれとして、嵐が来る前のお天気ほど空の模様が面白く楽しく感じるというのも不思議である。終日眺めていても飽きないくらいの、すさまじい変化と活動である。黒く沸き立つ雲、それを崩す猛烈な風、大空から出る、物凄いエネルギーの噴出に感動し眺めている。この情感を、先ほど来、メールをもって便りを交信していた先輩に伝えたいと思っているが、なかなか難しい気がして遠慮しているところである。せめて一方的に、和歌をもって伝えようかなと思ったりしている。

大空に入道雲の騒ぎたち崩るる果てに嵐去り行く

立秋ののち襲い来る台風の雨かぜに皆覆ひつくせり

嵐去り夕立も止み忽ちに滝のごとくに蝉の鳴き立つ      8月15日


    日韓問題

  日韓関係がただならぬ雲行きである。ただでさえ深刻かつ微妙な国際情勢の中に立っている今、日韓関係が敵対関係に立つようなことがあっては、国際的な政治状況に与える影響は甚大である。
  政府間の意見対立で会って、民間の交流、経済は別だと言っているわけにはいかない。影響は双方の国にとって、各方面両に徐々にかつ顕著に出てきている。憂慮すべき事態である。河野外務大臣を筆頭に、両国との改善に奮闘願っているところであるが、事態は悪化するばかりである。もっぱら韓国の文政権の姿勢に改善の兆しが見えないところから事態の悪化をもたらしているが、最近の彼に危険な思想が芽生えているところに危惧するものがある。
  すなわち、文大統領の北朝鮮寄りの突拍子な考え方が突出してきていることである。北朝鮮との統一を直ぐにでも図って朝鮮半島の経済的発展を期すといった、寝耳に水の発想である。金正恩氏はすぐさま反論し、米韓合同演習をしていながら、何を矛盾したことを言っているのかと一蹴しているが。
認識のずれもあって歴史問題から端を発して、日韓の問題は根本的に仲の良い関係には立っていないできている。日本は基本的に1965年に締結した日韓基本条約においてすべての面で債権債務の関係は合意、約束して履行し、解決済みという認識に立っており、これを崩すことができないはずである。竹島の領土問題、元慰安婦の慰謝料請求問題、哨戒機への照射問題、元徴用工の賠償請求問題、司法判決と差し押さえ事件と枚挙にいとまがないくらいである。

  こうした態度を取り続ける国に対して、安心して付き合っていくことはできなくなるのが当然である。常に敵意を持ち、敵対意識を持つような国に対しては、警戒して付き合わざるを得ない。日本は貿易優遇措置を講じてきた韓国に対して、これを改善することに決した。日本から韓国に輸出する品目について、あらかじめ検査を厳しくして対応することとした。韓国企業に与える影響は相当なものがある。韓国は直ちに報復措置に出て、例えば検査の厳格を命じ放射能汚染食品の輸入禁止といった、上げ足を取る対抗措置を講じたりした。

   そして日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)なるものについて、韓国は一方的に破棄する旨を日本政府に伝えたのである。ジーソニアと称し、日韓両国が軍事機密情報の漏えい、流出を防ぎ、保護を義務付けるために締結した協定である。もっぱら北朝鮮を意識して結んだ協定である。
  日韓の紛争は、米国が最も心配しているところである。日・米・韓の連携の緩みに付け込んで中国、ロシア、北鮮の動きが活発である。安全保障上の心配が、増幅してきている。

日韓の外交問題の険悪に憂ふ市民の良識に期す 

韓国の文化人らが憂慮して文政権に異論呈しぬ 

政権の人気凋落に国民の緊張意識を外に転じる

間違った政策変更に憂慮すと日米高官の口調激しき   8月23日

南大門の燈籠

松が枝にほのぼのと建つ南大門金剛力士のいかめしく立つ

豪壮の構へに迫る南大門ずすりと大地にすえる柱は

阿吽の息を大きく合わせ立つ金剛力士のすごむ面差し

南大門より進み出て中門に歩むこの身のきびしく在らむ

西かたの持国天の立ちをはす柱と梁に時を刻めり

燈籠を見上げ衣をひるかえす笛を手に舞ふ音声菩薩は

燈籠に彫らるる音声菩薩像笛をかなでつ春日野をゆく

たほやかに舞うふは音じょう菩薩かなでる笛の音も妙なり 8月24日

  この二、三日の気候はなんとしのぎやすいことか、吹きそよぐ風に秋の気配を感じて空を見上げると、心なしか雲の形に優しさがうかがえた。威かついた入道雲ののしかかるさまとは程遠く、控えめに引き下がる気色である。猛暑の日照りに気が狂いそうになるあの時の湯ストは打って変わって、そのすがすがしさがうそのようである。暑さで泣くこともできなかった蝉が、一斉に鳴き始めた。涼しさに浮かれたオーシンツクが悲しそうな泣き方をしている。いや何となく小生が受ける感じが悲しさを漂わせて受け止めているのである。等々力5丁目の公園のベンチに座って、さくらの木にとまって鳴いているオーシンツクを探していた。アブラゼミはよく見かけるが、オーシンツクの姿を見かけたことがない。公園の中を子供たちがサッカーのボールを追いかけて走り回っているが、そんなことは気にもかけずに蝉が盛んに鳴いている。このさわやかな涼しさに気づいた蝉が、力いっぱいに泣き叫んでいる。アブラゼミが、蜩と競い合って鳴いている。 めぐる季節の短さを嘆いて、惜しんでいるのかもしれない。切なさが、こみあげてきているようである。

   夕方、妻が庭の芝を刈り始めた。このところの猛暑と驟雨の繰り返しで、庭の芝生が刈るには難しいくらいに伸びてしまった。うっかりして刈らないでいたらこの始末である。内心、植木屋に来てもらって刈るしかないなと思っていたが、いたたまれずに妻が刈り始めた。使ってきた芝刈り機はすでに十年は経つだろう。手入れもせずにましてや、近ごろは砥ぎ屋さんが回ってこなくなってしまったから、刃の切れ味が良くない。長く育ってしまった芝の葉を、容易に刈ることはできない。足腰を痛めるのは落ちである。近くの目黒通りのダイクの店に行って、芝刈り機を新しく買ってきたほうが得である。思い立って家内と一緒にダイクの店に車を飛ばした。同じ機械の芝刈り機が、現品限りと称して半値で売っていたのでそれを買ってきた。早速芝を刈ってみたら、軽々と滑るように芝が刈れていくのでうれしくなってしまった。 刈った芝をすぐに受け止めるバスケットもついているので、刈った芝を大きくつかみ取っては袋に入れてそのまま庭先に運び出した。きれいに刈り上がった芝生を見て、夕方の庭が広々として見えた。気持ち良い汗を拭いながら、現品限りの整理品を半値で買ってきて、切れ味は最高とくれば、大当たりである。気持ちの良い労働を積んで、久しぶりに快感を味わっていた。        8月26日


日米通商交渉の大枠合意


   トランプ大統領が「中国が買ってくれないトウモロコシを、日本が代わりに買ってくれた」といって大喜びである。G7終了後、日米首脳会談で、日本がアメリカの要請でトウモロコシ250万トンを緊急輸入することで話が決まった。菅官房長官によると、7月の時期に11県にわたり蛾が大規模に発生してトウモロコシを大量に食い荒らされて、減産に追い込まれているという。だとすれば渡りに船である。これで日米の貿易交渉が丸く収まっていくとすれば、安部さんの言葉ではないが「お互いにウィン・ウィンの関係」で、こんなめでたいことはない。

  中国が買えないトウモロコシを、日本が代わって買ってやったわけだから、中国も含めて、こうしたときは助け合い精神が必要である。となればまことに結構な話であった。話し合いは太っ腹で臨むことも必要である。回りまわって自分に利して帰ってくるものである。

  幸いに、米国と違って日本は、中国との関係が穏やかに良い方向に向かっている。日中関係の歴史的友好関係の展開にあって、歴史上かってなかった痕跡である。対中国とは、日本は米中と違って不思議な立場に置かれているが、なんだか意味深な感じがしないわけでもない。日本が、米中の中に入って呑み込まれないように、両大国の円満な関係の樹立に向けて尽力していくことは大きな使命になりつつある。
経済大国の米中が、いつまでも相手を打ちのめすことにのめり込んでいては、地球が混乱していくだけで得るものは何もない。そればかりか、資源が乏しい弱小国に対して示しがつかない。打ち合いも程ほどにして、大国らしい風貌と姿勢を示してもらいたい。トランプと習近平さんに手を結んでもらえば、この地球上は円満に収まって、調和のとれた発展と平和を維持していくことができる。そこで調整役を任ずる、安倍さんの奮闘ぶりにエールを送りたい。 
   又、イランとの緊張関係もなんとなく改善に兆しは感じられてきている。トランプさんの考え方も今までの恫喝的な場当たり的は力づくでは、まとまりがつかないことに気づいてきているに違いない。東洋的な思想の駆使も、演じるには絶妙と思しき時期に来ている感じである。   8月27日

自動車の運転免許更新

  高齢者に対する自動車の免許更新の、最初の通知をもらって三か月が過ぎた。役所のほうからは前もって懇切丁寧にに通知を出してくれるので、うっかり見逃すということはない。但し手続きが以前に比べて煩雑になった感じである。しかも高齢者といっても、更新をする人が結構いるので、どこの受験所も講習所も満員のことが多く、申し込んでも難儀をする始末である。一か所で事が足りればいいのだが、小生の場合は結果として三か所の別々のところに申請を出しに行くことになった。
  実地試験の今日は、殆どの人が運転を頻繁に行っていないという話であったゆえ、小生のように仕事のために運転していると答えた人はいなかった。日常的に運転しているので、実地の運転検証では、すべての点でスムースに合格した。池上自動車教習所は、東京都公安委員会の指定であり、講習を受講完了した証明書を今日の時点でもらってきた。

  講習では、高齢者の自動車運転は今受難期にあるという話も出たりした。つまり高齢者による自動車事故の報道がマスコミで頻繁に取り上げられているので、風当りが強く、逆風にさらされているというわけである。百歳人生といいながら、働き方改革と言いながら、それ相応の対応がなされていないという話になると、世相は確かにうなずける。肩身に狭い思いをしながら、運転免許の更新を受ける人は多いだろう。統計的には若年層の人たちによる運転事故が遥かにに高いことは事実である。ただ歩行中に事故に会う高齢者が統計に多く含まれているということである。ただし高齢者の単純な操作誤認で事故を起こす場合が多いので、報道に大きく扱われるのは,今のこの時風潮としては仕方がない。暗に免許返納を促す雰囲気が漂っていると、これも人権にかかわることにもなるので、迂闊なことは言えない。

  高齢者のそうした報道も、最近はようやく沈静化してきたが、これは最近発生した「あおり運転」が極めて悪質な犯罪行為として世の批判を浴びているがゆえに、関心がそちらに向いている結果である。常磐高速で行わたりれていた「あおり運転」の容疑者が捕まったが、あの一件は社会の不安を一般に起こさしめた点で大きな社会問題となっている。極めて悪質で、許しがたい行為である。繰り返し放映される現場でのフィルムは、暴力的振る舞いであり、それ自体恐怖であり、幼少期の子供たちはもとより、若年層に与える影響は無視できまい。暗黒社会を想起させて、極めてよろしくない。別件では死亡事故にまで至って、何の罪もない母と子供を死亡させてしまった。アメリカで頻繁に起きるピストル乱射事件と全く同じである。 社会に暴力的犯罪を起こさせるもので、看過できない。この際、野放し状態になっているああした事件を厳しく取り締まり、犯人に対しては厳罰をもって対応してもらいたい。 安全運転妨害であり、脅迫行為であり、めぐりめぐって平和な市民生活を脅かすものである。  8月30日

  


社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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