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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

VOL.11-06 続いて原子力発電の安全性について

 

続いて・原子力発電の安全性について

  日本経済新聞の朝刊、大機小機のコラムは有能な識者が論評すること多く、関心のない内容はともかくとして、現場に立って経験的であり、多くの示唆に富むもので時折目を通して読んでおります。
  五月十一日付の同欄で、原子力政策再出発の前提と題して論評が載っていました。原子力発電政策は、福島原発基地の事故以来、その将来性について多方面から沢山の意見がなされています。再出発の前提と云うからには、原子力エネルギーの平和利用が必要だという前提に立っているので、その安全性を確保することに議論の重点が置かれていることは自明なので、ここでその賛否を問うものでないと考えています。
しかしながら筆者は冒頭で、「原子力は危険だと云うのが本来の姿だと云うことが判った」 という東海村村長のコメントを引用し、否定はしないものの、政策当局や電力会社の意見(特に臨界事故)を取り上げ、今回の一連の事故が「原発施設」ではなく燃料加工という裾野で起こった事故であり、原発の信頼性とは無関係だとしています。
   結語として筆者は「原子力は安全。そのことを国民に正確に理解してもらう努力をしなければ」という認識を、「原子力は危険、どう克服するか」 に大転換をする必要がある、としていることにそもそも問題提起の誤謬があると私は思っています。
基本的に原子力は危険であり、人為を以てしては御しがたいものであります。エネルギーの遠因を放射性物質から出る熱エネルギーを、即ち燃料棒を高温に保つことによって継続的に蒸気を発生させ、これによってタービンを駆動させて電気を作り出すという工程です。その工程の将来にわたる事故発生の可能性の占める割合が問題なのかも知れませんが、仮りに九十九パーセント大丈夫だが、一パーセントの危険の可能性があるとすれば、完全に克服できるものとは云えない故に、エネルギーの源である燃料棒の危険性を全く消去できるものではありません。その際の死に至る病いをとしての覚悟があるかという結論になります。
     もっと豊かな生活を、もっと贅沢な社会をと言う人間のあくなき欲望を満たすために、もしかすると壊滅的な危機を犯してまで原発を選ぶ勇気があるかどうか、問うて見たいものです。幾らクリーンなエネルギーと称しながら、現代の文明が依って立つところのエネルギーが原発と言う安易な麻薬的な手法を以て成り立っていることも消しがたい事実であります。麻薬に犯されて際限なく蝕まれていき、あしたにも突如として危険が発生しないとも限りません。その際の危険はあくまで危険なものであって、消して安全と言い切れないものであります。メルトダウンによって起きた膨大な放射性物質は炉心の底を破って地中深く浸潤し、地下深く、高温のマグマはおろか地球内部の核をも通過し、逆に地球の裏側まで一直線に貫徹して及ぶものであります。
     世界的に見ても原発についてはドイツのような脱原発の国もあれば、フランスのような原発推進の国もあって事情は複雑な状況です。日本だけの問題ではないだけに、この件については残念ながら目下のところは制御不能といわざるを得ません。現在日本だけでも原発基地は54箇所あります。アメリカ、フランス、ロシア、中国等々、世界にこうした危険基地に人類の生活が頼っていることを考えたとき、万が一の事故の連鎖で破滅的な状況を考えただけでも慄然としてきます。そのうち臨界に達した、でも困ります。
    六十六年前に日本は広島、長崎の原爆の地獄的惨状の洗礼を受け、下ってスマイリー島、チェルノブイリ事故などと、人類は原発被害の洗礼を受けても懲りないものであり、社会スキームであることからして、この問題、全知全能の神をもって代行できるものなら別ですが、これを確信する人がひとりでもいたら、会って確かめてみたいものであります。 6月6日

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バカヤロー解散、吉田茂の国会議員の評価

六月二日、自民、公明などから提出された菅直人内閣不信認案が衆議院で否決されました。民主党内の内紛については何かと喧しくきており、前日までに民主党内の小沢、鳩山の反政府グループが八十名からの賛成票を投ずることが俄かに現実性を帯びてきました。
    二日午前、それまで賛成していた鳩山が菅と会談、重要法案の国会での承認を条件に引退すると云う約束を取り付けて、民主党が一致団結して反対票を投じることで菅内閣不信任案は大差で否決されたのです。政界の一寸先は闇とは、あの頃の寝業師、椎名悦三郎の吐いた言葉であります。鳩山の動きがなかったなら、衆議院での不信任案はごたごたのさなかで可決されて事態はどのような方向で行ったか、良くも悪くも神のみぞ知るところろとなったに違いありません。
    菅は国会で信認を得たとして原発事故の事態収束をはかるまで、政権を担当し責務を果たすと表明して、今度は辞任の時期をめぐって鳩山と菅との間で、云った、云わないの口論となり、騙した、騙してないの喧嘩になってしまいました。まるで田舎芝居の茶番劇であります。よせばいいのに失敗続きの鳩山がしゃしゃり出て、調整役を買って出だつもりが逆に菅の権謀術数の手にはまっただけの事で、無能の役者が舞台から転げ落ちたのと同様、割って出た鳩山がおっちょこちょいなのは誰の目にも明らかです。
    そもそも政治家が正直であるはずがありません。本職は別名、税金収奪人であると、さる評論家が云っておりましたが、常套化した凄まじい予算の分捕りあいを見ていてもさもありなんと思います。そのための熾烈な権力闘争が常に行われているわけでしょう。しかも民意そっち抜けの権力闘争に明け暮れて、所謂、国会はサルの群れで鳥合の衆であります。本気で構えて見ていたら阿保らしさ蔓延の状態で、馬鹿を見るのは国民であります。
    ましてや今日、大震災と原発事故で苦悩する被災地の人たちは、復興支援の実行予算が遅れるばかりをみて落胆するのみで、毎日の切羽詰った生活を見るにつけ、まことに気の毒の極みであり慙愧に耐えません。働かない国会議員に歳費を払う必要はありません。きれいごとばかりのたまわないで、現地の復興支援にグループを組んで、瓦礫の除去に汗水たらしてこそ渋々ながら歳費を払おうではありませんか。国民の税金を何と思っているのでしょうか。
    昔の賢人は云ったものです。概して、馬鹿につける薬はないと。吉田茂が生きていたら開口一番云ったに違いありません。「国会の猿につける薬はない」と。吉田は云い放題で涼しい顔で居るでしょうが、何時も我慢を強いられて迷惑するのは国民で、泣き寝入りするしかありません。
    しぶとい菅さんのことですから、ちっとやそっとで政権を手放すはずがありません。菅は戦後、市民運動の草分けであり、女性の地位向上に活躍した女代議士の市川房枝の秘蔵っ子です。貧乏の書生から苦労して政治活動に参加、天下を取った苦労人で、安倍や、福田や、麻生や、鳩山といった二代目三代目を襲名してきたようなお坊ちゃま首相とは違って、その生い立ちは只者ではありません。踏まれても蹴られても起き上がってくる意志強健の持ち主です。そこに亀井の勝ちゃんが加わって、大胆に政権を担当して行かせるのも、菅の単なる軽薄な延命策でなく、流れが変わって時局重大な時、むしろ追い風に乗って時間の浪費を避けるためにも必要なことでしょう。
      誰が首相になっても同じと言うのであれば、この国難のさなかに置かれて崖っぷちの日本であります。私利私欲なく、しがらみのない政治家が、勇猛大胆に政策遂行に当たっていくことも一つの選択肢だからです。馬鹿げた権力闘争で政界が右往左往している間にも、原発基地の放射線物質の漏出は続いているのです。危険極まりない汚染の拡散の事態です。
     原発基地の破壊の収束と同様、一刻も早く菅内閣の混乱の収束が望まれます。問題は国民の目線に立って、志高く、国全体を指導していく力量があるかないかに架かっており安閑としておられません。その間にも、原発基地には、刻一刻と悪魔が忍び寄ってきて、その対応に試行錯誤している惨めな状況で、国民は不安の連続の毎日に置かれています。目下の深刻な状況は、寸分の時間的猶予もありません。。
    この先、退陣要求が一段と強まっていく中、首相周辺の四面楚歌、艱難辛苦に耐えて未曾有の災害、国難に立ち向かっていこうとする気迫が出てくることでしょう。菅なきあとに一体首相候補になる者が居るでしょうか。見回したところで、後釜につく男が見当たりません。状況が流動化するなか、菅の知られざる素性がだんだんと判ってきたときには勢いずいて、「原発賛成か、反対か、自然エネルギーへの大転換の政策か否か」を国民に問うて、衆議院解散に打って出る可能性も否定できません。菅はかねてから「脱原発」で来た男です。男気を出してやって見てはどうでしょうか。
    そのときの猿どもの狼狽振りは言わずもがな、吉田はあの世から苦虫を潰ししてあきれ返っていることでしょう。但し吉田にしても、菅が解散に打って出ることに反対はしないでしょう。反対をしたところであの世からでは打つ手はありません。そして日本の行く末を案じて悲観しているに違いありません。せめて菅さんは、その好機到来のときこそ、吉田をはじめ、我々国民を悲観のどん底に突き落とす事のないように心してがんばってもらいたいものです。      六月三日


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                 義援金募集の応募に感謝


私は福島原発事故の発生以来、一貫して一市民の立場から憂国の情を以て、焦燥、慨嘆、慟哭の極みを拙い一首を以て心中を吐露してきました。数多く詠んできておりますが全て直感的、直情的であり、時に冷静を欠く場面のあることを感じております。千年に一度ともいわれているこの大震災の出来事は、日本国民がいまだかって経験したことのないものに違いありません。私事になって恐縮ですが、そのように考えていくと、この機を捉えてできるだけ多くの歌を詠んで記憶に留めていくことは、私に課せられた責任だとも考えております。
     顧ると天災に続くおびただしい人災で、今までに積み上げてきた国民の努力のあとは微塵もなく、焦土と瓦礫のあとは取り返しようもありません。敗戦当時とは違った意味で歴史に刻み込まれ、むしろそれ以上の敗北感に苛まれて、暗澹たる気持ちであります。愚かな戦争も同じですが、人間のおごりに乗った科学技術と、強欲に走った企業経営の失敗ともいえる負の遺産の余りにも膨大なさまに、一時は茫然自失、国家滅亡に立つ運命と、敗者の捕囚の身を嘆いていました。その余震は未だに続いておりますが、被災者の悲しみと絶望の淵から這い上がっていく果敢な姿に自らを奮い起こす気持ちで居る昨今であります。
こうした時、当、昭和経済会は、会の内外で若者たちが懸命になって窮状を支え、微力ながらできる限りの支援隊を現地に送ったりしておりますが、二階から目薬の感なきにもあらずですが、しかしこうした気概が大きな輪となって世の中に及んでいくことを期待し、懸命な姿勢で臨んでおります。那須塩原市の観光地、那須高原に取得した宅地二三五〇平米と、館三棟延べ五二九平米の施設を、被災地からの避難民に供すべく、去る三月末に市役所の担当課に申し入れました。昨年春、当会のテーマの一つとして「都会と田舎暮らし」に理解を得、地方の活性化を目指して会員が購入したものであります。

又、会員の各位にお願いした尊い義援金の募集も、各位の暖かい支援を以て、これを現地に届けたいと思って、その具体的方策の検討を幹事諸兄に依頼しているところであります。各位のご支援に対し、心から御礼申し上げる次第であります。追って結果をご報告いたす所存であります。

尚、私の拙い一首を、犠牲者の「鎮魂のうた」として此処に謹んでお捧げする所存であります。一首は、時に長編小説、私小説を凌ぐ内容を持つ時があります。私の拙い歌から、一首を取り出してその状況なり、意味なり、内容に就いて少しでもお汲みとり頂ければ本懐であります。 ( 昭和経済5、6月号に三百余首を掲載, 若しくは4、5月ホームページ理事長室)              6月8日。


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平成23年6月6日

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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