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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.15.10

           中国経済の減速とシリアの難民問題

今世界で問題になっているには、二つの現象がある。一つは、経済的には中国経済の減速であり、世界経済に与える影響は誠に大きい。二つ目には、ギリシャ、イタリアを経由してヨーロッパ諸国に入ろうとする、わけてもドイツを希望するシリア難民の増大である。二つの問題とも、対応次第では長期化する可能性がある。しかしそうした問題についても、これからの国際社会は英知の発揮によって、歴史上の事象の必然性として会得し、影響を最小限にとどめて問題を解決していくことは間違いない。
13億からの人口を抱する中国の経済動向は、もはや減速状態に入っていて、危惧されるところである。中国政府は今、バブル状況を上手に克服して軟着陸を目指している。日本は過去、政策の拙速もあってバブル経済の破たんを経験し、その後の長いデフレ経済のトンネルをくぐってきた。その結果、日本人は多くの苦しい体験を経てきた。中国は軍事大国を目指すことなく経済の発展に専念し、過去の日本の轍を踏まずに、政策が後手後手に回らずにクリアして、景気回復に着実な経過と成果を収めてもらいたいものである。経済が後手に回って、軍事優先になったりしたら、それこそ皮肉である。今の中国が目指すところは旧態然の思想から脱却して、軍事大国にならずして、経済大国に盤石の基盤を作ることではないだろうか。経済社会の構造改革に努める時期に来た。驀進を続けてきた中国経済で、今回の経済の減速は、次のより高度な経済大国に成長するための試金石と解釈すべきであろう。階段を上り詰めて踊り場に出て、やや後退気味の足取りである。十年後の中国の経済はアメリカを抜いて世界トップだという人もいるし、十年後には今の中国はないという人もいて、評価はさまざまである。それだけに政治の舵とりは難しい。共産主義的教条主義をかざして硬直化していたら、覇権主義的な思想を持っていたら、十三億の人口を擁する中国が、いつまで続くかわからないグローバル経済の真っただ中にいることは事実である。

EUを巻き込んで国際的論議になっているのが、難民問題である。悲惨な難民の多くは、長期にわたり内戦状態が続くシリアからの難民であり、国際社会にとってもはや人道的に看過できない問題となっている。救済する方法と、問題発生の根元を断ち切らないとこれから先多くの犠牲者が絶えないことになる。幾多の困難に遭遇しながら危機を乗り越え、自由の地を求めて先ず目指す国は、余裕のないギリシャやイタリアである。そこから多く人々が裕福なドイツを目指している。難民の多くは祖国の内戦や政治的混乱を避け、食料不足、医療不足、 そして飢饉から逃れてくる貧しい人々や、弱い人々である。問題の発生の根源を解決しない限り、難民の発生は続くであろう。それはシリアのアサドに対する対応である。革命の発生以来既に五年近くなるが、依然としてアサド政権が内乱状態の中でも存続している。そこに米ソの戦略的対立があって、問題を複雑にしている。大国同士の思惑を排除して、柔軟に考える時期に来ている。米ソとも読みを誤った結果が、ここまで事態を悪化させたことを反省すべきである。アサドに期限的条件を付けて、暫定的に政権を認め、安定した基盤を作り、混乱に乗じて介入してきている不穏分子を排除すべきだろう。先ずシリア難民を食い止めるには、シリア国内の安定が必須条件である。米ソが互いに協定し合えば不可能なことはない。オバマ、プーチンのかたくなな態度を改めるべきである。アサドの身柄を米ソが考慮して、協定に協力させればいい。さもないと人命を軽んじて、更に蛮行を繰り返しかねない。

   世界的な株式市場を震撼させ連鎖的急落をもたらした中国経済の減速については、先般カトマンズで開かれていたG20の財務相・中央銀行総裁会議でも議論された。実効的な協議はなされなかったが、中国の当局は、中国経済にバブル化現象があって、近年過剰な設備や不良債権が発生し、この調整を余儀なくされている認識を示した。日本でもかっては長い間これを経験して、しかも長い間これを放置した苦い経験があるが、中国に対しては、同じ轍を踏むことにように忠言したい。2002年に不動産バブルを抑制するため総量規制を行ったが、長期間そのまま愚策に放置し、軟着陸に失敗した。そのため企業は委縮し、消費は低迷し、生産活動は停滞し、設備の改革的更新は遅れ、長期にわたるデフレ経済に陥った。金融引き締めから経済の緩和への軟着陸に失敗したのである。これに依って日本経済は多大の損失を蒙り、結果、国民は苦渋を強いられてきたのである。その間にも東北大震災の大被害にあい、国力は衰退し、国民生活は深刻な状況にあった。20数年の間のデフレ経済からの脱却が出来ずに、安倍政権の誕生と、アベノミクスの登場によってようやく経済に日が差し込めて、折からの急速なグローバリズムの波に遅まきながら加わることが出来た。あのまま民主党政権が続いていたらとんでもない結果になって日本経済は立ち上がれずに、国民生活はどん底に落ちたのではないかと想像するだけでも身の毛がよだつ思いである。
   ただでさえあの時の元首相の鳩山なんかは、気でも違ったような奇怪な行動をして中国に行って勝手な行動をとってきている。時代が暗く停滞すると人材不足をきたし、社会も平気でああした人物を受け入れる結果になる。戦没者に礼を正し弔意を示すのは当然としても、戦没者の墓の前で土下座してみじめであり、ぶさまである。土下座することもないのではないか。日本人として、弔意を上品に示す方法があるはずである。火星人とも云いながら狂った頭の持ち主である。野党諸君は政権担当がままならず未経験者だから仕方がないが、民主党には鳩山に代表されるように政治も経済も分からぬ連中が沢山いた。苦労なしの裸の王様を地で行くようなものである。そうした人物に引きずり回される国民こそ、不幸である。大臣になって矢鱈にはしゃいだりした者もいた。そうした例を見るまでもなく、一国の指導者たるものは冷静で落ち着きが必要である。日本には優れた官僚諸君がいるから、安心していられるのである。その官僚諸君も、組織の硬直から距離を置いて、切磋琢磨して国民のために尽力してもらいたい。
   中国経済も曲がり角に来ているが、過剰な緊縮政策もそうだが矢鱈に締め付けるのではなく、経済の構造改革と、政府の組織改革も同時に進めて行こうとする内部からの機運が大事で、効率化、透明性を求めていくべきである。習近平が断行している、腐敗化し切った官僚の体質改善はもとよりである。同時に考えられることは、かっての鄧小平の自由開放政策は思いきった英断であったが、それにもまして欧米の政策的長所を学び取り入れることも大事である。国内の不満のはけ口に、対外拡大政策を取ったりすることは失策の愚であることは、過去の歴史の教えるところである。

             

          東京銀座の中国の人々 観光立国だ

今日もオフィスを出て地下鉄日比谷線に乗るべくいつもの通り銀座通りを通って行ったが、相変わらず人通りが多く賑やかであった。中国は国慶節を迎えて一週間ほどの休日が続く関係で、中国からの多くの観光客が買い物に押し寄せて、バスを連ね大挙してやってきている。治安のよい平和な日本の観光を兼ねて、品質の良い日本の商品を買い求めて来るが、今日の銀座通りは大変な混雑ぶりである。周りにいるのは一見してわかることだが、中国人ばかりである。家族を連れて、恋人同士でと、和やかでほほえましい風景である。それとは別に、特徴なのは、中国の人たちの購買意欲である。爆買いは、一向に変わる様子はない。この消費景気が影響して、百貨店の売り上げが伸びて、化粧品売り場などでは、昨年同期比九倍を記録するという異常さである。製品が確実なこと、品質が良いこと、日本商品の信用たるや大変なものである。化粧品、おもちゃ、薬品などの買い物袋を下げて、今の銀座は日本人がのけ者にされて、中国人の人気沸騰中である。日本の消費景気は軒並み、中国からの観光客によってもたらされていると云っても過言ではない。通常、日本の商品は、雑貨類や小型機器などを含めると中国産と明記されたものが結構たくさんあるが、そうした中で中国の人たちから熱い視線を浴びて、こうして日本製品をじかに求められる場面を見ると有難く思うし、不思議に思うことである。余計なことを考えてしまうが、銀座6丁目の松坂屋は今、周辺を取り込んで大規模で開発中である。現在解体が進み、基礎部分が出来上がったころかと思われる。この中国の、日本における消費景気を背負ってやってくる波に乗り切れず、傍観したまま忸怩たる思いでいるのではないだろうか。間隙をついて、三越、松屋、高島屋などが売り上げ増加を伸ばしてきている。どの店も店内の改装が進んで、商品の配置も魅力的で購買力をそそっている。風潮として店内のエレベータを利用するよりもエスカレータにのるひとが多いのだろうか。面白い傾向である。エレベータと云えば高島屋のレトロなエレベータはそのまま使っているだろうか。あのジャバラの扉をきれいな女子店員が挨拶を交えながら開閉しているのも、客を寄せる懐かしい演出である。こうした消費景気は続いてもらいたいが、都会に集中するばかりで、地方経済は相変わらず冷え切っている。一部の地域に集中すした外国人に頼る消費景気、オリンピックまでにこうした傾向は続くかもしれないが、日本商品の信頼性は、永続して持続されていってほしいと思うし、決して損なうようなことがあってはならないと思う。

   消費景気ばかりではない。中国の経済減速は事実としても、中国人の多くが、今の中国経済に不信を抱き、海外に資金を移動させようと安全対策を講じていることは確かである。日本への不動産投資も盛んである。大きな資本だけでなく、個人投資家がいろいろと知恵を絞って、東京の優良な地域での土地建物を見聞し賢く買っている。注意すべきことはこうした傾向が今後も続くとして、中国人投資家をだましたりすることのないよう、悪人が横行しないよう、日本自身が注意を喚起していく必要がある。せっかくの信頼を失うことがないように、日本の政策当局も商取引に犯罪行為が起きたりしないよう注意を喚起すべきところである。中国の人たちもそこはちゃんと心得て優良店の老舗を選んで、品物を選別していることであろう。中国から、東南アジアからの多くの観光客が、日本での滞在を心行くまで楽しんで、よい思い出を沢山作ってもらい、又訪ねてきてくれることを願っている。これこそ政府にはできない、民間による力強い平和外交の証しである。世界からのお客さんたちを、我々は礼儀正しく、大事に迎えなければならない。


             ホルクス・ワーゲン車の不正欠陥の驚き

    信用と伝統、科学と技術を誇る経済立国のドイツである。お手本となる国で、不正による不祥事が発覚して世界を驚かせている。EUの盟主であり、経済の牽引を果す立場のドイツ国で、代表的トップ産業で、かかる車両構造の不正事件が発覚したことは、ドイツに対する尊敬の念を根底から揺さぶるものであり、国家の威信にかかわる重大問題として、我々は危惧の念を抱き誠に残念に思っている。この信用失墜はいかにして回復できるものか絶望的にすら感じている。ドイツの聡明、勤勉を旨とする国民的精神を傷つけて限りがない。EUで奮闘するメルケル首相はとてもなじみ深く、親近感を以ているので、その心中を察して余りある。WARUMU! 何故だ、そのドイツが、産業界のトップが一体なぜなのだ、と自分自身に問いかけたい気持ちで一杯である。
   ガソリンの消費量が少ないとされるヂーゼル車である。ホルクス・ワーゲン車の排ガス試験を巡る問題は、車の検査、試験中だけに排ガスの規制基準にパスする装置が作動し、排出される有害物質を低下させるようなソフトを搭載していたのである。これは悪質きわまる行為である。これを見抜いた検査機関では、ホルクス・ワーゲン車が検査、試験中に自動的に検査にパスする仕組みのソフトを搭載していたという極めて計画的なものである。検査以外の通常の、例えば高速道路を走行中になると、排出する有害物質、中でも二酸化炭素や、特に窒素酸化物等には規制基準の40倍にも達する排出量を記録し、それだけ大気汚染をもたらしていることになる。今世界は、大気汚染の元凶である有害物質の除去に懸命の努力をしているさなか、ドイツはこうした車を監視の目を盗を巧みに抜けて既に1,100万台にも達して市場に販売していると云う。その衝撃は想像に余りあるものである。その影響は世界中に及びつつあり、産業的犯罪行為として糾弾すべきだとする意見が圧倒的である。こんないかさまをやるとは、恥ずかしくて聞いていられない。
   そもそもドイツの産業の水準は世界最高を行くものとして評価されているし、我々もそのように理解するところであった。分けても地球環境問題については政官民、国を挙げて取り組んでおり、原発反対の主張を貫いて、安心で安全なクリーンエネルギーの拡大に取り組んでいる現状を見て、全く信じられない不正行為であり、行ってはならない経済行為である。ドイツの産業を代表し、業界トップの企業において、かかる事件が発生したことは世界にとっても、世界経済にとっても大きな損失である。ドイツでも自動車産業のすそ野は大きいものがある。自動車産業に関連する部品産業を含めると、輸出に占める割合は2割に達すると云われている。もし不買運動とか、生産抑制などの措置を受けたりすれば、規模が大きいだけに直ちに産業経済に与える景況が出て来るし、EUのみならず全世界に影響を与えかねない問題にもなってくる。憂慮に堪えない。ここは冷静になって事件の解決にも英知を絞っていく必要がある。もとより検査の方法についても検証する必要があるが、不安が広がらないように原因究明に取り掛かり、はっきりした報告を待つしかない。競争社会にあっては常に王道をめざし、安易な手段の、悪意ともいうべきそうした風潮の蔓延を阻止するようでなければならない。
   不正行為の発覚によって、アメリカの司法当局はホルクス・ワーゲン車に対して制裁金をかけるというが、その額も二兆円以上にのぼるとされ、この種の影響はEUはじめ各国にも及んで莫大なものとなり、企業存立にも影響しかねない問題である。幸い我が国では、ヂーゼル車の普及は敬遠されてきているし、ハイブリッド車や、電気自動車に軸足を置いているので今のところ不安要素はなくて済んでいるが、これを他山の石として、産業人、経済人が常に襟を正して経営の現場にたずさわっていくことが望まれる。謂われるところのコンプライアンス、セルフガバナンスの確固たる確立を順守して経営にいそしむべきと思う次第である。      十月一日

     
            誕生日会

十月四日に、われら家族一同と親戚がが集まって、目黒の香港園で皆の誕生日を祝ってにぎやかに行われた。企画したのは娘の明子である。日ごろ超多忙な仕事の現場を淀みなくこなしているのを見て、今日の催しを恐縮して、感謝しながら家内と一緒に家を出た。12時半からの祝宴である。一応、九月から十二月までに生まれた人を対象に一括して、お祝いするという建て前である。該当者が当日八名に及んで、縁起よく、末広がりでめでたい話ともなった。 出席者に孫たちがにぎやかに加わっている上、女の子ばかりだったので会場の雰囲気は可愛らしく賑やかであり、席は自然と華やいだものとなった。このところ野暮用に追われて不自然な状態を感じている小生だが、久しぶりの昼からの酒によって、むしろ好調な気分で騒ぐことが出来た。と云うのも、十月四日が小生の誕生日なので、文字通りこの日の主賓役を務める次第であったが、さりとて別に格式張ったことも強いられず、呑気に淡々と若者と子供たちの仲間入りをして飲食を楽しむことが出来た。 おじさんはいくつになったのと姪に訊かれて三十八才と答えて知らんぷりしていたのである。先だっても、日本印刷の末谷君が原稿を取りに来たときに、誕生日の話になって、僕は一体いくつぐらいに見えるかねと聞いたところ、真剣になって小生をじっと見つめていたあと 「五十代中ごろですか」 と云うので、「実に鋭い観察力だね、当たらずとも遠からずだ」と云ったのである。そばで聞いていた職員が、ニヤニヤしながら笑っていた。 人間、気持ちの持ちようで表情はどうにでも変わるものだというのが、小生の若い時からの信念である。正解に近い末永君に感謝して、又働く意欲がわいてきたのである。
   誕生会の祝宴は大きな丸テーブルを囲んで、いろいろな料理がふんだんに出てきた。気前のいい明子が主宰するものだから、景気づけにビールが弾む。弟の和ちゃんは鎌倉に住んでいるが、隣の席だったので話が弾んだ。つい昔の話に話題が及んで、いろいろなことが懐かしく思い出された。そこで二人の会話が、みんなの参考になって、小学生ながら受験に臨む孫もいたりしたので、参考のつもりで話を交わし合っていた。しかし話し合っているうちに、胸にジーンとくるものがあった。単なる思い出話ではない。いかにして生きていくかと云う、少年時代に真剣になって体験した貴重な話であったからである。僕らの小さい時には腹をすかしながら疎開先を転々として、いかに勉強に打ち込んでいったか、一寸の光陰軽んずべからずだということになって、二人の学校時代に触れた思い出話に花が咲いた。二人はたまたま小学校は地元の浅草富士小学校にか通っており、私が二年生の時に親もとを離れ水戸に疎開した。弟も一緒についてきて、親戚に預けられた。
   当時は学校ぐるみで行った集団疎開と、個人的に縁者を頼って行っていた縁故疎開と云う形で行われていた。私はたまたま父の兄弟が水戸で松藤と云う百貨店を経営していたので、米軍の空襲を逃れるための疎開先として、其処を頼りに家族がその後世話になるようになった。疎開してからも転校が重なって、小学校はほとんど通わなかったも同然である。だからその当時の思い出はないし、語りたくもない。東海鹿島灘が近かったために、沖合に来た米艦からの艦砲射撃、機銃掃射、空襲などに会い、とどめは水戸市をB29が夜間に飛来して焼夷弾を雨あられの如く落とした。その炎の延焼のなかを一目散に逃げたのである。そして敗戦だ。九死に一生を得て、悲惨な戦争を終え、廃墟の敗戦を迎えた。そのため水戸からさらに奥地に疎開していくことになり、袋田、大子と云った過疎地にまで居宅を変えて行った。少年時代だったから行く先々でいろいろな経験を積むことが出来ていい面もあったかもしれないが、一つ一つ鮮明に思い出すことはない。
   戦後、朝鮮に帰国するという人から六反歩の田畑を父が買って、水戸から三里ほどの在にある飯田村に住み百姓を始めた。コメを食べるための父の思い切った知恵であった。母と我々四人兄弟が、不慣れな百姓生活を始めた。父は我々を残して、一足先に東京に戻っていった。この百姓生活から、この村の芳野小学校に弟と通うことになった。事情があって私は三年後の夏に一面焼け野原となった浅草に戻ってきて、父と一緒の生活を始めた。芳野村小学校で、将校帰りの若い教師の学習指導に反対してストライキを起こし、クラス全員で授業をボイコットする事件が起きた。今でいう体罰なんていうものではなかった。厳しい教練と、厳格な叱責であった。軍隊生活を将校として加わって、戦後間もなく除隊して教師についた。筋金入りの血気溢れる教師であった。叱責は気を付けに従い、歯を食いしばるように命じられると、いきなり右の鉄拳が生徒の顔面の頬に飛んだ。小さい体は左にすっ飛んで倒れた。しかし生徒はすぐに立ち上がるよう命じられた。大きなあざを作った生徒もいた。こんな場面が数回、我々の目前で平然と行われた。犠牲になった友達は、その後ショックで体の不調を訴えるものもいたが、昔から権威に弱い風潮があったりして泣き寝入りだった。僅かしかいないほかの教師も、見て見ぬふりだった。村の者たちも振り向くこともなかった。
   戦時中の考え方も残っていて、軍人さんとか、役人さんとか、先生のやることはすべて正しいと、信じ切っていたからである。失礼ながら、親御さんたちの意識が低いこともあった。これに抵抗して小学校四年の生徒たちが自主的に立ち上がって、問題解決に取り組んだのである。授業放棄のストライキを起こしたのである。前日にクラス討論会を開いて、衆議一決した。教育の現場では、神国日本の復活を心から信じきって、若者のはやる思想をいまだ払しょくしきれなかったのである。翌日登校した朝から、黒板に暴力反対、軍国主義反対と大きく白墨で書き残して教室を出て、裏門から数キロ離れた戸田村のため池まで逃げたのである。弁当だけはそれぞれが持って出た。子供ながらに勇気のいった決断であった。真剣に熟慮した結果であった。終日校外で様々な経験を積んで、夕方私たちは全員無事に教室に戻ってきた。そして覚悟の上ではあったが、事態は思わぬ展開となっていた。父兄が学校に呼び出され、教師らとの話し合いが行われていた。我々は、放課後の時間として教室に残るように指示された。呼び出された父兄たちは校長室に集まり、教師と父兄の間で話し合いがなされていたはずである。小一時間ほどたってから教師は教室に姿を現した。終始無言で教壇に直立姿勢で立っていた。我々も全員がたたされたままだった。一時間以上も無言で不動の姿勢を取ったまま立っていたが、静かに首謀者は誰だと静かに口を開いた。波を打ったように教室は静かだった。誰も告げようとはしなかった。小さな貧しい小学校である。四十人ほどの小さな男子クラスである。確か私がその頃の級長をしていたはずである。共同決議で決心して行った行為だから、全員が首謀者だというお互いの意識があったのである。しばらく時間と、動きが止まっていたようであった。そのしじまを破って自分が前に進んで出た。
   当然の行動である。貧しい服装は泥だらけであった。教育の場から暴力を締め出すことが目的だったから、やましい思いは全くなかった。だから生徒たちの主張は単純に暴力反対、軍国主義反対だったのだ。予想はしていたかもしれないが、教師はまさかといった表情をして私をじっと睨みつけていた。自分も、気を付けの姿勢を命令されて、そのあと鉄拳が飛ぶことを覚悟して口を堅くつぐんでいた。殴れるものなら受けて立つと無抵抗主義で立ち向かっていた。腹は減っているし、普段ろくなものしか食べていないので痩せこけている。それに持病のぜんそくである。歴史に登場してきたガンジーの思想は力があった。夏場の長い昼間の明かりが暗くなってきて、外から不安そうに教室のなかを覗く父兄の姿があった。窓の外の下は、沢山の草花が植えてある花壇である。又長い時間が過ぎて行った。月の光が教室の窓から差し込んできたのが唯一の慰めであった。怒りに満ちて対立していた雰囲気が、わずかに緩んできた。教師の高ぶった意識も、和らいできたようである。どすの利いた低い、小さな声がながれた。今日は帰って良いと云ったまま、結局教師は何も言わずに教室を出て行った。教師は文字通り神国日本、軍国日本の塊であった。完膚なきまでに打ちのめされ、悲惨な結末を齎した戦争の反省に立つどころではなかったのである。再び軍神日本の復活の日を夢見て、純粋に本気になって考えていたことであった。教師の神国日本の再起を期す信念が、教育の現場から自分の持つ精神を子供たちに植え付けてたたき上げようとする信念を持った教師が、まだそこにあることが、問題であった。小さいながらも、貴重な経験を積んだ子供の考えが、其処にあった。あとで分かったことであるが、この熱血漢の若い教師と立ち向かって、お袋が生徒の行動を良しとして、世の中が変わっていること、教育の教えも変わっていかなければならないことを諄々と説くようにして話し合ったそうである。
   わたしは短い文の中で一気呵成に初めて当時のことをちゃべりまくったが、こうして公にしたのは初めてである。生徒の誰一人として、あの事件について今まで余り口に出して語ることはなかったのである。そのことを不思議に思っている。戦後幾度どなく、いろいろなところで自らの主張を通すための手段にストライキが使われてきた。学生運動もそうであった。しかし戦後間もなく、小学校四年の生徒が、素朴ながら軍国主義反対を叫んで授業ボイコットをして教師に立ち向かったことは、混乱の戦後の歴史に明白に残されてもいいと思っている。しかも小学校四年生の時だから、なおさらである。小学校時代は学校を転々として落ち着いて勉強するどころではなかった。兄の兄弟はいつも学徒動員に駆り出されて、ようやく落ち着いたと思っていたら、三里先までの水戸までゲートルを巻いて茨城中学、水戸商業へ大方は徒歩で出かけていた。辺鄙で貧乏な村だから致し方ないが、バスは出たりでなかったりししていたころである。私と弟は、飯田の我が家から芳野村小学校まで、自分で編んだ草鞋を得意げに履いて通っていたが、学校はその後廃校になって平屋建ての校舎は取り壊された。もはや思い出のあの時の姿は見ることが出来ない。私的に資金を出して保存しておきべきだと、今になって思っている。ただしあの時の芳野村小学校での出来事は小さなことかもしれないが、戦後日本を象徴する出来事として意義深く、私の記憶の中に息づいていることである。心の中では日本を動かした大事件だと、その意味を自分なりに評価して、何かの折にはいつも回想して自分を鼓舞しているのである。
   授業ボイコットのストライキ事件を起こして、自分の周りの雰囲気は、それとなく感じ取っていた。早くこの地を去るべきだと自分なりに思っていた。生徒たちを不穏な行動に扇動したとして、私が表沙汰になっていくようであった。学校はもとより村全体が、そうした騒ぎを起こしたことに神経をとがらした。あの時、聡明な母は我々を擁護して、その若い血気盛んな教師に立ち会って話し合った。その態度は不動の富士山を思わしめるに十分で、自分で云うのもおこがましいが立派な母の態度であった。母は責任も感じて、お前は一足先に東京へ帰れと私に云いつけた。このまま私が村にいることは私にとって良い結果を齎さないと判断したのであろう。しかし母は、私の行なったことについて咎めることはなかった。正しいとは言わないが、悪いことはしていないという確信があったからである。その時のお袋の胸の思いを考えると、いつも考え無量の心境になるのである。敢えて小学校時代のことを回想してみたのも瞬時であったが、弟の和ちゃんがいたこと、小学生になる孫たちがいて、中学受験で目を丸くした毎日を送っていること、そんなことが重なって、飲まず食わずで過ごして勉強どころではなかったことを引き合いにだし、そんなに勉強に血眼になる必要もなく鷹揚に過ごすことも大事だということを云いたかったのである。そして思い切り遊びまくって、少年少女時代を朗らかに過ごすことも長い人生では大切なことを云いたかったのである。
   上京して富士小学校に再入学した。その後遅れて弟も東京に帰ってきた。百姓を三年間続けて家族がみんな一緒に東京へ帰ることが出来た。百姓の生活をしたことは、とても有意義であった。弟とは中学校が早稲田中学で一緒だった。小生はこの時、学業成績は低空飛行でいつも嫌な思いをしていたので、思い切って学校を変えて高等学院の受験に挑戦して新天地を求めていった。しかし弟の和ちゃんは学業成績の結果がいつも素晴らしかった。兄弟でありながらどうしてこうも違うのかと自分で疑問に思ったくらいである。全校学年別の試験でいつも上位五本の指に入っていて、兄貴としても自慢の弟であった。だから彼はそのまま高校に進み東大をめざし法学部に進み、目的を成就し、社会に出てからも出世街道を驀進することになっていった。
   名門の大商社に入りロンドンなどを廻って重責に就いたが、抜擢されてサウジ石油の社長に就任、業績を拡大して功績を収めた。商社マンとは云いながら、温厚な性格と善良な人柄が慕われて、優秀な部下に恵まれて行った。サウジアラビアは特殊な国柄であって、国柄はもとより、個人的な人柄から能力、人脈、出身まで精査する厳しい国柄である。ましてやサウジの王様と親交を深めることは、至難の業であるらしい。学生時代から東大の謡曲のクラブに所属し今以て師範の力量である。しかし、あくまで趣味の域を出ず、近所の人たちに時折無料で教えているそうである。この文化的、伝統的芸能が王様に気に入られて披露したりしたそうである。サウジ石油の会長の後顧問を務め、退任後は推されて大商社の社長にもなれるはずであったが固辞し、教育こそが日本の発展の基礎であり原動力であるとし、懇請されて、静岡理工科大学の理事長に就き商社的感覚を以て経営に臨み、大学を大きく発展させていった。話がそれてしまったが、学業時代を振り返れば、順風満帆の道は、もちろんそれなりに努力していたことであり、結果であった。弟から「あの時の誠ちゃんの学校を変えた決断は正しかったね」と云うことを席上初めて聞いて、ぐっと胸にくるものがあった。やはり弟は少年ながら、あの時はそう評価していてくれたかと感銘深く思ったのである。「それじゃお父さんさんはその頃どうだったの」、と娘が尋ねたのである。       
   自慢するほどのこともないが、思い切って学校を変えようと云う私の思惑は的中した。思惑は、決して思惑ではなかった。水を得た魚のように、自分の気持ちを十分に発揮して、悔いのない学業時代を真剣に、愉快に充実して過ごすことが出来たのである。高等学院は、聞くところの旧制の専門学校のような雰囲気であった。教室に見える教師は皆大学から派遣されてきた。レベルの高い教授陣であって、豊かな学問・知識に恵まれた授業に浴することが出来た。たとえばその道の権威、文芸評論家の浅見淵先生、哲学者の樫山欽四郎教授など、優れて雲の上の存在のような人物であったが、親しくその教鞭に浴することが出来た。当時のことを書きだしたら学徒青春のペンが止まらなくなって、湧水のように出て来る。それほどに青春時代の思いでの我が高等学院は、ジャンクリストフの思いと同様に希望と憧憬の学舎であった。負け惜しみではないが、東大に行かなくて良かったと思っているところである。 と云うのは、おそらく月並みなサラリーマンになって首尾よく定年を迎え、隠遁生活みたいな惰性に走り、金なんてくそ食らえとばかりにしゃれ込んで、晴耕雨読には程遠くぶらぶらした毎日を過ごし、早くから足腰を痛め、挙句に認知症状になり・・・なんて想像したりするとじっとしていられなくなるからである。 群れに入るのは仕方がないとしても、群れにおぼれて自分自身を見失うことこそ恐ろしいものはない。そんな時に、何かあったりすると、実存哲学者の樫山欽四郎・老教授の姿が浮かんできて、早熟だった福井と二人で受けた時の授業を思い浮かべるのである。 福井はその後母校の文学部教授になったらしいが、どうしたかなあと思っている。  
                            この項は未だ続く       十月四日


日本の新聞をにぎわした快挙   (TPPの妥結と、ノーベル医学生理学賞)

10月6日の新聞各紙の一面をにぎわした記事は、TPP(環太平洋パートナーシップ)協議の合意と、日本人のノーベル賞受賞の朗報である。

環太平洋経済連携協定、別名、TPP交渉が10月5日、米アトランタで開催中の参加十二の関係国・閣僚会合で合意にこぎ着けた。五年半に及ぶ協議であったが、お互いに互譲の精神を発揮して粘り強く協議に臨んだ結果であり、名実ともに国内総生産(GDP)で世界の四割を占める巨大経済圏が、アジア太平洋地域に生まれることになった。世界歴史に刻む快挙であり、現実の世界に及ぼす影響には限りないものがある。これに依って国内において当面かつ、傾向的問題(少子高齢化と人口減少、国内の経済活動の縮小)を抱える日本の経済的活路が一方で見いだされたものとして、大いなる希望を持って海外に飛躍し、内外ともに活性化した経済活動の可能性を求めていけることが出来るようになった。日本が参加を表明して二年半、政府並びに各省庁の努力と尽力に敬意を表したい。甘利経経済産業大臣の日夜の奮闘にも敬意を表したい。誠にご苦労様であった。
協定は、日本のみならずアジア太平洋地域の将来にとって大きな発展と成果をもたらすもので、その成果と果実は、関係国とその国民に等しく享受されるものである。協定は又、強固にして確固たる平和連携の地域拡大につながり、無益な紛争の除去に供するもの大である。そうした意味で、安全保障上、極めて重要な要素も持っていることを認識すべきである。経済でがっちりと、お互いが連携されているから切り離しようがないことになる。そのいい例が、戦争と対立、混乱を続けていたヨーロッパにEUが誕生したことである。関税撤廃の自由貿易拡大は、モノ、ヒト、カネの交流に限らない。モノの貿易に限らず、資本投資、知的財産、環境、労働など幅広い分野に広がりを以て、二十一世の紀経済活動を拡大していくルールを構築につながるものである。無論、各国にはメリット、デメリットがあることは言うまでもない。だからこそ交渉の過程で各国の互譲の精神が発揮されたのであり、妥協と歩み寄りが出来たわけである。
   国内の凸凹は、各国の努力によって早晩修正されながら漸次、地ならしが出来て収束し、更に経済圏と参加国の発展の道を互いに享受できるものとなるはずである。日本の農業、酪業は、ものすごい風雪に向かっていくだろうが、重要五品目の米、麦、乳製品、牛、豚肉等があるが、政策的にカバーし、そのうち農業分野においては、外国には真似のできない独特、且つ高品質な商品を以て競争力をつけていくことであろう。日本の食料品に対する外国からの評価は、質と安全性を含め実に高いものがある。日本の集約的農耕には、外国人の追随を許さぬものを持っている。日本独自の製品を開発して、国際競争力をつけて市場に挑戦していく意欲が繊細で器用な日本人の、農業専従者の資質に潜在的にあると信じている。

   妥協と互譲精神を発揮して土壇場までもつれあいながら、最終的に決着したことは人間の英知の勝利であり、歴史的快挙であった。十二か国の連携で生まれることになった巨大な経済圏は、ゆるぎない結束のもと、新たな平和的共同体を太平洋地域に構築し、経済的繁栄に向かって進んでいくことが出来、もろ手を挙げて祝福賛辞したい。

      ノーベル医学生理学賞に大村智氏

北里大学特別名誉教授大村智氏がノーベル医学生理学賞を受賞した。八十歳のかくしゃくとした現役教授である。授賞の栄誉を称え、心から慶祝申し上げる。
説明によると、授賞の対象となったのは寄生虫病の治療薬(インベルメクチン)開発である。大村教授は、この治療薬のもとになった物質を発見した。その物質の化学構造を変えて応用したのが、治療薬のインベルクメチンである。その名を河川盲目症と云う。アフリカや中南米などの熱帯地方で流行し、猛威を振るっている難病で、寄生虫病の感染症で広がりやすい。患者の二割が失明すると云う恐ろしい病気であるが、インベルメクチンは、その難病の特効薬として画期的な効果を発揮し、今日において広く治療に供されているものである。教授はマラリアの治療に関する原始材料を、土壌の中の微生物から発見し、其処から新たな化合物を発見して治療に有効な薬品の開発にまでの道筋をつけたのである。医学に係わる研究成果は、医薬会社と深くかかわってくるので、特許料もかさんで莫大な金額で取引されると聞くが、大村さんはそうした収入を世のため人のために惜しみなく、広く公の活用に使っているといわれる。人柄の推して知るべしである。
   この治療薬は感染症に苦しむアフリカの貧しい地域で、年間三億人の人々に使われて、患者を失明から救っているのである。なんと素晴らしい人類社会への貢献度であろうか。大村さんは 「研究者になっても、どうしたら世の中の為、人のためになるかなと考えてきた」 という。教授がアフリカの訪問先のガーナで子供たちに囲まれて笑っている写真が、今朝の日本経済新聞の二面に載っていた。その時の子供たちの笑顔は、その目は、皆今日の青い秋空を仰ぐように澄んで、明るく光っていた。この一枚の写真で、教授の受賞はもう一つ、ノーベル平和賞でもある。
身近な事例を以て人類に貢献する医学の道を、情熱を以て地道に切り開いていく教授の姿こそ尊敬に値するものはない。われわれ日本人が、そして人類が誇りとすべき朗報を、お互いに喜び合いたい。     10月6日

第三次安倍内閣の発足  重要テーマの未解決                          

   第三次安倍内閣が7日発足した。明暗を分けている近時の内外情勢である。TPPの合意成立は大成功を収めた。中国経済の減速、少子高齢化による国内市場の縮小、国内経済の成長戦略の不透明感など、日本経済の中と周辺は課題山積である。こうした中で安倍内閣は未来に挑戦する内閣と位置付けて「一億総活躍社会」?の実現に取り組んでいくとした。GDP・600兆円の経済社会を達成するとしたのである。出鱈目なものでは困るが、それ相応に目標を大きく掲げることはいいことである。組閣は安産に了し、希望と期待をでっかく掲げて船出をした。
   内閣改造は、十九人の閣僚のうち十人を交代させ、重要閣僚の留任を決めた。従来の骨格を維持したことは賢明であった。政府と国民にとっては、政策の継続性を保つ必要がある。重要閣僚としてとどまった大臣諸侯は、今までの経験と実績を踏まえ自信を以て職務に挺身して、安倍首相を支えて行ってもらいたい。進路の誤りなきことを国民に提示するにも、しっかりとした閣僚がいるのといないのとでは、政局運営の優劣に特段の影響を及ぼすからである。首相の力が大きすぎて、大臣が及び腰の腰ぎんちゃくばかりでも困る。首相は隠忍自重して事を冷静に見極め、権力に奢ることのよう自らを戒め、国のと国民の安寧の道を確実に進んでもらいたい。首相が、平衡感覚を自然と身に着けていると感じたことは、課題を負う問題に対応して、敢えて異色的閣僚の人選を決め任命をしたことである。サプライズな点があって、少しは刺激になり、国民の注目を集めることになって良い結果であった。
   少しはサプライズな点と云うのは、組閣に際し新しく入閣した大臣だ、河野太郎氏52才である。河野洋平氏の息子である。政治家の家系としては三代目に当たる。政治家を代々継承していくことは望ましいことではないが、欠点は利権が絡みやすいこと、惰性に陥りやすいこと、地方自治に活力が失われていくことである。一応の区切りを設けるとか、旧来の選挙地盤から他の地域で立候補するとか、優秀な政治家としての人材確保も重要である。先代の河野洋平氏は党内でもハト派に位置し、かって自民党に反旗を翻して離党、自ら新自由クラブをたちあげた。彼はその間も含め政治家として紆余曲折を経、苦労する場面もあったが、宮沢内閣では抜擢されて官房長官に就任して、中央舞台で活躍する場面が与えられた。昭和経済会では三回にわたって講演をしてくださっている。今回入閣した太郎氏は、洋平氏の流れを汲んでどのような立ち舞いをするか注目である。ハト派として信念堅持は、安倍首相にとっても必要欠くべからざるモノとなってくるに違いない。イェスマンばかりではマンネリズムに陥って、活力の減退を招くことになる。安倍内閣は安保法案をめぐって、国会審議の過程で更に疑心暗鬼を促し、国民の不信を大きく買っている状況である。参議院選挙をにらんで、河野氏の発信力を期待した戦略とも受け止められる。小泉進次郎に代わる宣伝力を務めるには十分の有資格者である。
   河野氏は原発ゼロの会の代表を務め、国会内外で主張を続けてきている。どのような政治的姿勢を取っていくか、国民の彼にたいする期待が大きかっただけに注目だ。又、新国立競技場の建設問題についても、建設に踏み切らなくとも従来の施設を活用していけば課題の五輪の開催についても間に合うと、その発言については説得力がある。いずれも国民の注目するところで、敢えて言うとすれば、いずれも腰ぎんちゃくの大臣の中にあって、異色的存在と云うべきところである。原発ゼロは、世界に求められる問題である。チェルノブイリ原発事故、そして福島第一原発の事故の規模と被害の恐ろしさを、世界中の人々が見聞きして経験してきているところである。しかし喉もと過ぎれば何とやらで、忘却症状の激しい人間どもである。改めて実体験しないと懲りない人間どもである。もし後一基で同じような災害となったら、日本経済は沈没である。ましてや地震国で象徴される日本である。更に連鎖してもう一基となったら、冗談じゃない。その時は、みんながお陀仏の時である。
   因みに原発の安全運転中にも、使用済み核燃料棒はどんどん吐き出されて、未だに置き場所が決まらないでいる。この厄介者、強烈な放射能を吐き出している。破壊の悪魔の堆積場所が、そのままの未解決である。どうしたらいいんだ。人間の悪魔の発想を、どこで喰い止めたらいいのか。終末論を持ち出すわけではないが、自分で演じた始末で自滅する人間社会の将来の姿が、恐怖に近いものとして迫ってくるようである。これからの原発施設の建設だけでも禁止する国際協定が、共同歩調で世界一致して図れないものだろうか。原発を取り巻く情勢は、刻々と変化してきている。そして人間の英知が勝って、原発禁止へと動きつつある。負担はかかったにしても、クリーンエネルギーを原発に代えていくことは、未来に亘って存続すべき人類にとって、もはや歴史的使命である。ましてや原発施設を外国に推進して、経済的利益を測ろうとする企業については何をかいわんやである。
   今日も暗くなりつつある尾山台駅踏切辺りで、十人ほどの中年男性の諸君たちが、原発反対のチラシを配っている姿があった。安保法制反対と云うことも書かれてあった。同盟国に加わって戦争に参加できるようになったわけだから今までとは全く違うし、戦争法案と云われるのもむべなるかなである。筆者よ、そんな呑気なこと言っていては困るんだと、有識者や、善良な市民から叱責を頂きかねない。研究すれば、現行憲法の範囲内で集団的自衛権に近い自衛の措置はとれるはずである。口実をつけて憲法改正を目論むタカ派を勢い付けてはならない。いつの時代にもタカ派、ハト派がいて日本の戦後の国政を調整してバランスよく収めてきた。しかし絶対的に否定し、肯定する事案だってある。原発反対(人類破滅の要因)、戦争反対、平和維持、人権・生活権・自由権尊重と云うテーマは、人間が地上に住む限り続いていく事柄である。尾山台駅前でチラシを配っていた男性諸君らは地道で、小さな市民グループである。ご苦労様と言ってチラシを頂いてきたが、この運動は風化させてはならない。改めて、ゆっくりと勉強させてもらおうと思っている。      10月11日

            野田 理事が急逝

   当会に所属して四十有余年、理事の野田尚氏が去る十月十五日午後五時、腸撚転で入院先の病院で逝去された。享年七十八才であった。会員一同謹んで哀悼の意を表し、ご冥福を祈りあげる次第である。西船駅近くの西船斎場でしめやかに行われた昨日の通夜、明けて十九日の今日の告別式に私、そして山本事務局長が参列し、同志、野田さんの黄泉の旅立ちをお見送りしてきた。長い歴史のご交誼と、ご支援を頂いてきただけに、思い出は限りなく、語るに尽きないものである。一昨日の十七日正午、野田さんの突然の訃報の連絡を長女のエリカさんから受けて、まさかと信じられない心境で呆然としていた。今日正午から始まった告別式に参列し、私は詠歌をしたためて霊前に捧げてきた。野田さんは、私が主宰する短歌同人誌、淵の会員でもある。     合掌



忽然とこの世を去りし我が友の云うふこと多くされど虚しく

我が友の博識により世の道を共に学びし日をかへりみん

学び舎を出でてこの世の此の日まで付き合ひ給ふ友の情けよ
                                      十月十九日

仰天  習主席を大歓待のイギリス大英帝国

  20日、エリザベス女王と一緒に金の馬車に乗ってバッキンガム宮殿を闊歩して、協力関係樹立の黄金時代を迎える英・中の蜜月ぶりである。そしてロンドンのバッキンガム宮殿で、エリザベス女王主催の華やかな晩さん会に出席した習主席は、笑顔満面に乾杯に応じていた。
エリザベス女王の習主席に対する歓迎の辞では、「中国との野心的な新たな高みを目指して未来の関係を築く超大国同志」と褒めちぎれば、受けて返した言葉の習主席も「中英両国は、更に輝かしい未来を目指して強固な関係を構築していく経済大国」と、と称賛しあって、ウインウインの関係だとお互いに賞賛し切っていた。結構なことである。黄金時代の到来にキャメロン首相もお墨付きを与えて、政治の舞台でよいしょしている。さわさりながら国際社会に対する中国の対応には読み切らないところがあるし、特に中国経済の減速と、特に対外軍事力の強化につながる言動については、懸念すべきところがあってうかつなことはできない。米中関係が表面的には友好ムードを作り上げることに努力しているが、南沙諸島の領土拡張をはじめとして、本心と云えば互いにけん制し合っているのが現状である。偶発的な衝突はもとよりだが、米、中のような大国間の力の対立、緊張関係はよろしくない。
そうした懸念すべき状況ながら一方で例えば、今回の英、中関係の未来志向の経済外交の成果が上がればいいことだし、片や経済協力関係と地域はフラットになってきているので、米、中関係の悪化した、うやむやの関係を止める緩行地帯の効果を果すことにもなる。経済関係の緊密な関係は、政治の世界の関係に連結していく。それは直ちに、平和共存の繁栄の道筋を描くことになる。晩さん会の英中トップの挨拶のやり取りは大げさで表面的な、儀礼的なものではない。更にお互いが切磋琢磨して、改善に努力していく工程を築いていけばいいわけだ。人権問題のみを取り上げて、関係を阻止するばかりでは和解と共栄の道を目指す突破口は得られない。「先ず隗より始めよ」で、人権問題ばかりを取り上げていたでは、いつになっても話は前に進まない。やれるところからやっていく知恵も必要でらる。話がからまっているような時には、これ先ず先手を打って出ると一緒である。解決すべき人権問題は、後にそうした関係の継続の中に解決していく手立てもある。
ところで驚くべきことは 短期間で、今の中国は馬鹿にならない力を蓄積してきたことになる。いつこれ程の力を蓄えたのであろうか、いつこんな金持ちになったのだろうか、平凡な質問を投げかけてしまうほどに驚いている。嘘じゃないかと思うくらいである。或る雑誌によると、中国の統計はごまかしが多く、信ぴょう性に於いて当てにならないという。しかしやっていることが並ではない。どこにそんな金があるのだろう。それも桁外れである。アメリカに行って航空機を300百機注文してくるし、インドネシアでは、日本と受注合戦の末に新幹線の受注を受けるし、今度の訪英でも開発資金として、気前よくどーんと9兆円余の支援を行うという。軍事力だけではない、経済力でも力を誇示している。おっとりとしながら周近平のでかいからだが、ますますでかく見えてくる。大人の風格充分である。愛嬌があっていいのだが、プーチンに駆け寄っていった安倍さんの軽々しい姿とは、差がついてしまう。今やなりふり構わず、みんなが中国の経済力をあてにしている。約束が不渡り手形で終わらないことを期待している。かっての旧宗主国のイギリスも、今の中国の経済力に頼る始末で、まさに攻守逆転の様相である。
それにしても例えば、外国に輸出される中国の新幹線技術は大丈夫なのだろうか。科学技術の進歩が、実際にそこまで進歩しているのだろうか、疑念に思うことがある。以前、いろいろと報道されたことであるが、橋脚を走行中に脱線、地上に墜落した記憶がなまなましいが、車体を検証するのではなく現場に埋めてしまったという珍事が報道されたことがある。原発施設の輸出にしても、単に経済力だけではない、技術力で安全・管理は行き届くようなレベルなのだろうか、心配になるところが多い。今回の英中間のビジネス案件は総額400億ドル、約7兆4000億に及ぶ。お互いの貿易拡大はいいとしても、顕著に改善されてきているとはいえ中国の秘密主義、隠蔽主義が、尚くすぶり続けているようだとしたらす、折角の経済協力にも影を落とすことにもなるから、そうしたことのないように期待したい。
それと力の誇示による威圧的で、見境のない行動も問題である。政治的に未熟で、大国の政権にありがちな反対勢力を抹殺しようとする、権力主義的な風潮を良しとする傾向である。人権問題で大事なところであるが、そうした問題を含めて、経済関係の樹立によって適宜改善されていくことだろう。今回の訪英についても経済を武器にして関係を強化しようとする魂胆がありありだとしても、聊か露骨としか受け止められかねない事案も多い。そうしたことを反映してか、噂によると、英国紙の多くが、中国の札束ばらまきの政策を甘受するのは、英国の価値観に背くのではないかとか、利益と信念のバランスを欠いた偏重さとか、米国との関係をこじれさせることが多く出ているのではないか、ということである。同じような見解を持つ人が、沢山いるのではないだろうか。それほどに英国の中国歓迎ぶりは、一般市民にも計算高い印象に映るには度を越したものがある。とは言っても、いたずらに国際関係を緊張させるような事柄よりもましであり、有益な栄養剤である。平和外交の在り方についても今回の友好ムードを、それなりに評価すべき意義もあることは確かである。南沙諸島の浅瀬や岩礁埋め立てに発した中国の海洋進出、それに対抗する米国・日本など対立を危ぶむ風潮もあって、中国を取り巻く状況は決していいものはない。そうした状況を緩めるためにも、今回の英国・中国間の友好ムードの演出は大いに期待してもいいのではないか。その成果は大きい。
それにしても中国の経済拡大のスピードには驚くものがある。空なりに英知をっ発揮した成果であって、政・官・民の一致した努力の成果と云うべきである。そして日中戦争終結70年を迎えた今日である。中国共産党一党支配の国を独立させ、毛沢東時代から進んで鄧小平の、経済開放改革時代を経て幾ばくもたっていない現在、世界第2の経済大国にのし上がった実力に着目したい。そしてかっての宗主国だった大英帝国に乗り込んで、大金をばらまいてイギリス人と、バッキンガム宮殿のエリザベス女王も喜ばせてくる力量である。真贋のほどは判らないが、平和の理念に立脚しないままに、多くの国を巻き込んで詐欺がまいなことをやったら、将来の中国はなくなってしまうかもしれない。疑っていたではきりがない世の中のこと、アジアインフラ投資銀行の設立もそうだが、中国は、些細な南沙諸島の領有権を巡る思惑と争いをやめて、平和外交をダイナミックに世界に広めて、経済で平和的に競争して行くことに徹していけば、大人の風格さもあらんと云う次第だろう。現実的且つ平和的手法を用いて、世界経済の発展に寄与してもらいたいと願うものである。
                                    10月24日
  


  
     
    

   

   


2015.10.sita

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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