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社団法人昭和経済会

理事長室より
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理事長室より

Vol.14.09

第二次安倍内閣の発足

第二次改造安倍内閣が発足する運びとなった。組閣におあたり、新しく清新な顔ぶれと老年な閣僚の配置は、抜群である。水面下で選んできた人事は、電光石火、政治の空白を作らずに、陣容を固めることができた。内閣、党役員人事を見ても安倍さんの前進的な信念を表していて、爽快である。安倍さん自身、第一次内閣では、難問山積の中、それなりの成果を上げてくることができた。これは国民の大多数が、安倍政権の運営に安定感を得、国策推進に協力してきたおかげであると思う。
   今回の組閣では女性の登用も、多く概して政策実行内閣として評価したい。自民三役についても、幹事長に清廉な谷垣禎一氏を起用してよかった。元財務大臣、自民党総裁を務め総裁選に臨むも惜敗し、あるいは辞退した経過もあるが、人望厚く、政策通でもある。党運営の金庫番でもある実力的地位を得て、私心を持たず公正、良識を得た党運営に尽くされる人である。党勢拡大に大いに尽力されるだろう。別に安倍政権を底らサポートし、党の信頼向上着実に進んでいくと思う。財務省の大臣官房所管の社団法人だったころは、当会が大変お世話になったいきさつがある。・
   石破氏も重量感と信頼感があふれて地方組織に絶大な信頼を築いてきたが、幹事長の続投の願望を断ち切って、地方創生大臣に就任することになった。このポストは安倍政権の重要課題を抱え込む職責である。安倍政権の第三の成長戦略とも大きくかかわりを持つものである。地方再生は、東京一極集中化を廃し、これを成し遂げることは、日本の内需拡大をもたらす強力な武器となろう。地方のインフラ充実は、地方の経済力を作るための基本的な政策である。人口減少に歯止めをかけることにもなる。
 焦眉の点は、安倍政権を取り巻く諸外国の状況である。首相みづから海外経済外交に積極的に取り組んでいる、この頃の活動であるが、安全保障の問題と、集団的自衛権の問題は、表裏一体であるものの、これからもいろいろと論議を尽くしていくことである。とりわけ、中国の海洋進出に焦点を置いた問題である。中国は、13億の人口をかかえ、色々と問題をはらんでいることもあって、最近の国内政治に難題山積である。南沙諸島や、我が国の尖閣諸島に対する領海侵犯事件などは、そのはけ口を求めたガス抜きの兆候すら感じて、こうした挑発行為に出てきているのであって、これが日本の危機意識を過剰に作り出している傾向がある。そのことによって、日本の防衛増強に進む方向に、一部に右傾化を試みる兆候があることが心配であう。いたずらに、国の資力、労力を浪費する愚策を避けることに留意する必要がある。あくまで、日本の独自の国際政治に関与する姿勢を明々白々に堅持して、国際的な軍事的紛争と行為に巻き込まれるような愚策は避けてもらいたいものである。
   ここで今日、安倍政権の新しい第一歩の歩みを記したことを、心から喜び、スマートで英知に満ちた日本の独自の、積極的な平和外交を推進してもらいたいと念願し、同時に継続的経済政策の遂行に邁進してもらいたいと希望している。     9月2日


錦織選手の決勝進出

   開催中のテニス全米オープン大会では、日本代表の錦織圭選手が、居並ぶ世界の強豪を破り、昨夜は準決勝に臨み、優勝候補のジョコビッチ選手に肉薄し、これに打ち勝つという壮挙に終わった。錦織選手の不屈の精神と、強靭な肉体を限界にまでに発揮して臨んだ快挙である。その激闘を見た観衆の多くが、世紀の一戦にかたずをのんで見守り、感動を覚えていたのである。技とスピードと闘志をいかんなく発揮した力の源泉は、鍛え抜かれた強靭にして柔軟な肉体のしからしめるゆえんである。感動のプレイは日本人のみでなく、全世界の人々にあたえられた。決勝は、三日後の日本時間で9日午前6時からだ。又早起きして、応援しなければならない。
   テニスと云えば、昔から欧米にもたらされて愛好されてきたスポーツであり、東洋、とりわけ日本人には特別な感じを以て一部の人たちに熱狂的な、ハイカラなスポーツとして扱われてきた。ゆえに華やかなスポーツ選手として,世界に君臨するアスリートは欧米に限られてきたのである。ところが優れた才能を以て登場した日本人の錦織選手が躍如として登場し、世界の強豪を相手に善戦をし続けて上位に上り、頂上を極める寸前にまで辿りついたことは、想像もしなかったことであり、破天荒な出来事なのである。準決勝で世界ランク一位のジョコビッチに勝利し、決勝進出を決めた錦織選手のガッツポーズと会心の笑みに、渾身のエネルギーをもらったつもりで、小生も思わずガッツポーズで打ち返したのである。
   決勝戦の相手は、これまた錦織選手と同様、上位をめざし勢いに乗ってきた黒ひげのマリン・チリッチ選手で、気合的には油断ならない。クロアチア出身である。198センチの長身から打ち下ろすサーブは、錦織選手にとっては脅威である。いかにこれを無難に打ち返せるかに尽きるだろう。     9月7日


天変地異に過ぎた夏

    今もこのビルが大きく揺れて、みんながみんな身構えた。私はたまたま机から離れて、テーブルに置いたあった書類に目を通して立っていたので、地震を伝えるわずかな振動を足元に感じていたにので、自身かもしれないとみんなに知らせた。その三秒後あたりに、このビルがゆらゆら揺れ出して、しばらく止まらなかった。もしかしてこのまま揺れが止まらずに、ひょっとすると更に揺れが激しくなるのではないかと、不気味なくらういである。隣の部屋の若者が部屋のドアを開けて、青い顔をしてどうすべきか戸惑っている。わがオフィスは部屋の喚起のために、日ごろからドアを半開きにし、一方で窓を開けたりしているので、こうした時には安全装置を日ごろ訓練的に行っているものと認識した。と云うのも地震や火災が激しいときには、ドアの開閉ができずに災難に会うことがあるからである。この時も揺れが激しく感じてテレビのスイッチを入れたら、画面に地震発生の状況が素早く流されていた。関東地方にかなり大きく伝播しており、東京を中心に関東一円、震度4であった。30秒ぐらい揺れていたであろうか。まどかな銀座界隈を見たが、下の光速度悪露の街灯が大きく揺れているのが地震の揺れの強さを示していた。ふと三年半前に起きた東北大地震の時の恐怖を思い出して、この揺れの30秒間は、正直のところ怖い感じがした。規模の測定を予想しえないので、自然現象の変化の巨大な動きは、人知の及ぶところではない。だからどんな力が加わって地表に襲い掛かってくるか、想像を超えた恐ろしさがある。ようやく静まった揺れにほっとして、いざとなったら逃げだそうと身構えていたが、大事に至らず幸いであった。
今年ほど狂った気象に悩まされた日本列島はめったにないだろう。一方で干ばつにあると思えば、九州、中国地方を襲った集中豪雨は大きな自然災害となって人々の生活を脅かしている。広島市郊外で発生したがけ崩れや山崩れの土砂災害は目を覆うべく、河川の濁流は民家を襲って、死者73名に及んだ。悲惨である。二次災害発生の危険の中、連日連夜の救助活動に、警察隊、自衛隊、消防隊の諸君たちが、相変わらずの篠付く激しい雨の中、必死の活動を行ってくれている。一刻も早く救援活動に奏功し、現地の復興の日を祈りつつ、待ち望んでいる。
   短歌同人誌は、故、早稲田大学名誉教授、植田重雄先生が創刊されたものである。植田先生は哲学者で著名であり、かつ著名な歌人として大活躍され、また会津八一の愛弟子であり、会津八一研究の第一人者である。十年前に他界されたが、会員であった私が同人一同の推薦を得てこれを引き継いでいくことになった。すでに十年近くが経過しているが、同人各位のご協力と研鑽を以て今日編集、発行を続けているところである。
   そこで第207号の同人誌を発行するため日本印刷の担当者、金沢青年が原稿整理のためオフィスに見えたのである。私があとがきを描いた原稿が必要だと言ってきた。まだ書いていないし内を描くか決まってないので、ふと話題的にひらめいたことがあったので、その場で急ぎ書くことにして、悪いけど金沢君には10分ほど待ってもらい、その時間内に書くことにしたのが以下の文言である。即席即興なので現実味があり、これを見て目を丸くしていた金沢君の顔が印象的であった。

        あとがき

   天変地異に荒れた夏が過ぎた。異常気象のもたらした災害の爪痕は、全国各地にあり、日々生々しく報道された。二次災害の恐れの中、警察隊、消防隊、自衛隊の諸君の懸命の救助、援助活動が行なわれた。ボランチアの多くの人たちも参加した。広島市郊外の住宅地を襲った豪雨と土砂災害で、72名の人たちの尊い命が奪われた。痛ましく、悲惨である。
   こうした異常気象は日本だけでなく地球規模で起こっている。これだけをとってみれば自然現象の不気味な兆候であるが、原因の一つに地球温暖化があげられており、エルニーニョ現象で、地球規模の大きな海流異変もあって、また、偏西風の蛇行が狂って、各地の気象状況の秩序を崩している。水害と干ばつといった両極をはさんだ極端な現象である。結果、海産物や農産物にも多大な被害をもたらしている。
    何事も秩序を崩されると、表に出てきた現象は複雑多岐にわたり、人々に直接、間接の被害を与えてくる。時には地球上の生物全体の生態系を崩し、生存の危機をももたらす。きらめく満点の空を仰ぐとき、真砂の星のきらめきに幻惑される思いだが、天体上の無限のエネルギーの変容によるところもあると推測されるが、地球規模での考察となれば、原因は限定されてくる。要は地球温暖化がまず挙げられるが、これは微小の歴史的時間内に、人類の経済的生活が、飛躍的発展を遂げた結果である。その悪玉のCO2の無鉄砲な排出に気が付いて、みんなが注意するようになった。遅きに逸した感があるが、これはよい傾向である。
    こんなことにふと思いついてこの場で書いたのも、日本印刷の営業担当の金沢君が颯爽と部屋に入ってきたからである。北京秋天のくまなき空を思わせるような今日の天気のすがすがしさに、環境の大切さを感じたゆえんである。排気ガスでむせるような街なかには暮らしたくない。せめて体に吸い込む空気だけは、酸素いっぱいの澄んだ空気であってほしい。短歌同人誌・淵の原稿と一緒に、あとがきを書くように頼まれたので、一瞬の思いつきにこうしてペンを走らせているのである。しばらく待ってもらっているところである。秩序の破壊は平和的生存の破壊に通じるもので、万事に当てはまる。
    五七五七七の大和ことばのリズムに乗って和歌を詠んでいると、万象を対象に当意即妙、うたを自然と詠み上げることができるので、これは秩序を重んじた形式によるところがあり、真理に近いものである。これこそは優れた古代人の知恵と感性の象徴である。淵に参加して自分の思いのたけを自由に歌い上げて発表し、権威ある誌上に残していける幸いを喜びとして、毎日をより高尚に努めていきたいと念願している。  
    最近、日本人が世界で活躍する姿が躍如としている。そうした人たちの紅潮した場面は感動的である。昨夜、テニスの四大大会の全米オープンでわが日本人代表の錦織選手が肉迫して、優勝候補で世界ランク一位のジョコビッチ選手を破り決勝に進んだ。快挙である。テニスと云えば、常に欧米のスポーツの牙城として東洋人を退けてきたきらいがあるが、錦織選手はこの堅牢不落の牙城をうあぶって世界制覇を目指すことになった。その不屈の精神と強靭な肉体を以て次の決勝戦、九日の大奮闘を祈るばかりである。約十五分経過し、好青年の金沢君にこの執筆を終わるまで待っていただいたが、「あとがき」をめでたい内容で書くことができ感謝している。金沢君は大リーグで活躍する上原投手にも似ているが、錦織選手にもそっくりなことに気が付いたので、ここに確信を以て申し添えることにした。明るい青年はどこに行っても水を切るように冴えている。
加えて日本印刷には長い間、昭和経済会の月刊誌、昭和経済の印刷をお願いしてきている。古き伝統と格調も以て、時代の潮流に流されることなく理念と信念を堅持し、各位のご協力も得て発展してきたのである。その昭和経済も金沢君が担当して、活躍していてくれる。金沢君に感謝をこめてともに祝う歌もここで詠んでみみたい。

    我がうたの思ひを聞きてうなづきぬ金沢君の高き知性よ

    ほがらかに笑ふ青年の末永く栄えの道を強くあゆまん  

    わが会の創立八十周年を記念して今宵の席のうまし酒かな。

    昭和なる偉名をしるす我が会の平和と自由と繁栄の基礎

                                           9月10日  


引き出しの中

   書類を整理していたら、コピー紙が丸まって入っていた。 広げてみるとこんな歌が書いてあった。8月15日に詠んだうたであった。ちょうど疎開先の袋田駅にたどり着いて、煤けた水郡線に乗って父と兄二人ががんばっている水戸に帰るところであった。めちゃめちゃになった日本の国である。どうせ死ぬなら家族が一緒にそろっているときのほうがいいと、母の決断であった。帰ればきっと怒られるに決まっている。連日のように空襲警報が鳴っているさなかである。加えて、水戸は十ひ前の焼夷弾攻撃にさらされて、その時は運悪く、敵機が飛来して、今夜夜間空襲が行われるから、市民はすべからく避難するようにと予告するたくさんのビラがまかれたその夜のことだった。八月一五日の時と同じように、母と弟と私が思い余って汽車に乗り、危険な水戸に行くところであった。暑い日盛りで誰もいない閑散としたひなびた駅で、間もなくやってくるかもしれない、それすら期待できない汽車を待っていたのである。その時に聞いた戦争終結の天皇のラジオ放送であった。山間部の村の駅に聞くラジオは、雑音がはげしく、よく聞き取れないものであったが、聞いたこともない天皇陛下の声だったそうである。手持ち無沙汰の駅長さんが一人改札口に立っていた。びっくりした顔をしていたが、やがてかすかに顔がほころびた様な気がした。しばらくして信じきれないような面持ちで母が、戦争が終わって空襲が来ない時が来たようだとつぶやいた。何がなんだかわからないような感じでいたが、一抹の不安と、安どの気持ちが、子供心にあったような気がする。一時間ぐらい待っただろうか、汽車が久慈川を渡ってきたのを確かに見つけた。汽笛を鳴らしてわたってくるではないか。、5両ぐらい連結した貨物列車であった。駅長さんは合図をして入ってくる汽車を止めてくれた。戦争が終わって入ってきた平和の使者である。貨車であっても、希望を満載した貨車であった。それに乗せてもらって水戸に向かっていくときの気持ちは、背中に大きな羽が生えたような気分で、大空に羽ばたいていくのと同じであった。

     天皇の戦争終結の放送にひまわりの咲く袋田駅頭

     太平洋戦争開始の宣言と終結宣言をなせる天皇

     おぞましき馬鹿な戦争指導者の奈落の底に落ちる姿よ

     激動の昭和のみ代の天皇の苦悩をつづる昭和実録」

     すめらぎの生きざましげく昭和史の編さん了し世にそ出でけり

     この際は愉快に文芸春秋の昭和天皇史を読まんと思ふ

     敗残の兵続々と帰りきぬ痩身の身に何を語らん

     思へかし三百万のしかばねの上を這ひずるこの国の民

     長編の歴史小説となりしかも昭和天皇の史観世に出づ

     幼な身に体験したる戦前と戦後のみだる昭和史なれば

     かりそめのこの世の身をも犠牲にしなほ十字架にかかるキリスト    9月19日

         御嶽山が噴火した


秋晴れの爽快な日である。高い山は紅葉に色どる絶好の秋山シーズンである。山登りの愛好家であれば誰だって山小屋を目ざし、頂上を目ざして行くだろう。稜線をつたわって天地の間を逍遥し、悠久の自然、展開する神の造形美を畏敬の念で賛美し堪能するに違いない。そんな時に起きた山の噴火である。世の中には、理不尽なことが多いが、人間の手を以ってしては御しがたい事象も又、自然界の厳しい掟である。
    ご信仰の山として親しまれている木曽の御嶽山が水蒸気爆発を起こして、頂上の南山腹に三つの火口を形成して噴火した。折から登山中の多くの人たちに猛烈な火山性粉じんが襲った。快晴の空に、突如巨大な白い噴煙がもくもくと恐竜のように、紅葉した山の稜線から登る光景は、大自然の極美に映ったが、それはたまたま居合わせたNHKの取材班がカメラに見事に美しく収めたものであった。近くに遭遇した人にとっては、暗黒の粉じんと化した硫黄ガスで、恐怖の地獄図である。カメラの廻る先に逃げてくる登山客の姿があった。カメラマンも、その後は恐怖から逃げるようにして下山したことだろう。
    実は今月の10日ごろから、噴火を予兆する火山性微動が感じられていた矢先のことで、気象庁は注意を呼び掛けていたが、大した注意喚起にいたらなかった。 噴火をしてから正式に登山規制のレベル3に引き上げたのである。なぜもっと早い段階で警告を発しなかったのだろうか。噴火をして御嶽山の噴煙の状態や、登山客の戸惑う状態を知っている段階でも、レベル3なのである。しばらくの間、登山禁止を発表するくらいの決断があってもいいのではないか。このあたりの感覚が、判然としない。 怠慢である。まかり間違えば、物見高い登山者が、危険を承知で山を目指さないとも限らない。犠牲者を多くするのみである。現地からは、怪我人が出ているといい、火山灰で埋まって身動きできない登山客三人がいるという。自衛隊の出動も要請されたし、警察や消防隊員の諸君たちも救出のため現地に向かい始めた。危険な硫黄ガスに襲われないよう、二次災害に逢わないように注意してもらいたい。
    学校の地理学で習ったが、火山の噴火には常識的に見て二つのタイプがある。 一つはマグマ噴火である。もう一つは水蒸気噴火である。マグマ噴火は地中のマグマがいきなり吹き上げてくるものだが、水蒸気噴火は、マグマによって地下水が大規模に沸騰して、地表に吹き上げる場合である。登山者にとっては両方とも危険であるが、とりわけ水蒸気噴火は、周辺の広範囲にわたって硫黄ガスを充満させるので、呼吸困難な状況を呈し、多くがその場で窒息死する確率が大である。心肺機能を停止させる原因ともなるので、特に注意を払う必要がある。 救援に向かう人たちを襲う二次災害は、これに尽きるものである。  
    とにかく危険地帯から離れて、一刻も早く下山すべきである。爆発による落下物からの直撃を受けないように山小屋に一時退避するか、下山にはロープを使って連帯を組み、火山爆発の噴煙から身を守るべきである。秋晴れの下全山紅葉に輝く御嶽山の秋の絶景は、瞬時にして破壊され、火山杯で真っ白におおわれてしまった。この日の登山客は長野県と岐阜県からの合わせて四〇〇人以上といわれているが、その登山道を今は、避難して危険から逃れようとする登山客の列が続いている。無事ふもとにたどり着くよう、天に向かって祈るばかりである。
    昔のこと、近所に住む狩谷さんの友達と連れ合って数台の車を連ねて南アルプスの探検に向かったことがある。連日快晴に恵まれてアルプスのふもとを連続して走破し、豪快に楽しんできた思い出がある。最終日近くには、穂高連峰をかなりの標高まで登りつめ、迂回して木曽の御嶽山のふもとの国民宿舎に泊まったのである。翌日、早朝の暗いうちから宿を発って、御嶽山の山頂を目指して仲間たちがのぼっていった。私はその夜、寝不足だったので登頂に自信がなかったゆえ断念して、車で一行の六人を登山道入り口まで送って見送ったのである。あの時、無理をしてでも我慢して登っていくべきだったと、その後も残念に思っている。御嶽山が噴火したと聞いた日の夜、狩谷さんのお宅に電話をしたら、奥さんの明るい声が伝わってきた。私はいきなり 「木曽の御嶽山が噴火したよ。今日、登山中でなくて良かったねえ」と、お互いに今日は難を免れたといわんばかりに言い合ったが、登山したのはもう二十年前のことなのである。しかし何だか今日の紅葉する秋の御嶽山を、みんなと元気に登っているような気がしたのである。噴出する火山ガスに巻き込まれないよう、登山客の人たちの無事を祈ってやまない。  9月27日

2014.09.01

社団法人 昭和経済会
理事長 佐々木誠吾


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